Page 58 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育を創ろう・4 Ray 04/2/6(金) 20:54 ┣Re(1):教育を創ろう・4 島根の渡し守 04/2/6(金) 21:54 ┃ ┣Re(2):教育を創ろう・4 島根の渡し守 04/2/6(金) 22:31 ┃ ┃ ┗島根の渡し守さん 北の老兵 04/2/7(土) 9:35 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう・4 ひまんじい 04/2/8(日) 14:20 ┃ ┗Re(3):教育を創ろう・4 島根の渡し守 04/2/9(月) 19:43 ┃ ┣Re(4):教育を創ろう・4 ひまんじい 04/2/10(火) 10:00 ┃ ┗Re(4):教育を創ろう・4 悠々 04/2/10(火) 20:35 ┣大阪府岸和田市の中学生虐待事件 なお 04/2/7(土) 11:12 ┃ ┗幼児虐待はアメリカが先進国 北の老兵 04/2/7(土) 16:51 ┣Re(1):教育を創ろう・4 オルトン 04/2/7(土) 11:40 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう・4 プリーモ・レーヴィ 04/2/7(土) 13:27 ┣子どもたちは何から学ぶのか 島根の渡し守 04/2/7(土) 21:50 ┃ ┣女性が働くということ 珠 04/2/7(土) 23:12 ┃ ┃ ┗Re(1):女性が働くということ :珠さんへ 北の老兵 04/2/8(日) 13:07 ┃ ┃ ┗男性も育児を、教育現場へ 珠 04/2/8(日) 14:07 ┃ ┃ ┣Re(1):男性も育児を、教育現場へ 北の老兵 04/2/8(日) 15:14 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):男性も育児を、教育現場へ 団塊党 04/2/8(日) 20:31 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):男性も育児を、教育現場へ ワクチン 04/2/9(月) 7:44 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):男性も育児を、教育現場へ 北の老兵 04/2/9(月) 10:57 ┃ ┃ ┃ ┗経済的自立を超えて なお 04/2/8(日) 22:05 ┃ ┃ ┗Re(1):男性も育児を、教育現場へ 団塊党 04/2/8(日) 20:21 ┃ ┗Re(1):子どもたちは何から学ぶのか 団塊党 04/2/8(日) 20:07 ┃ ┗Re(2):子どもたちは何から学ぶのか 悠々 04/2/8(日) 21:41 ┃ ┗Re(3):子どもたちは何から学ぶのか 北の老兵 04/2/9(月) 11:02 ┣一教師の愚痴 団塊党 04/2/9(月) 21:03 ┃ ┣Re(1):一教師の愚痴 団塊の次の世代 04/2/10(火) 5:52 ┃ ┃ ┗Re(2):一教師の愚痴 ワクチン 04/2/10(火) 7:44 ┃ ┣Re(1):一教師の愚痴 ひまんじい 04/2/10(火) 10:06 ┃ ┣Re(1):一教師の愚痴 珍 源齋 04/2/10(火) 10:56 ┃ ┃ ┗愚痴を聞いて下さったみなさんへ 団塊党 04/2/10(火) 21:28 ┃ ┃ ┣Re(1):愚痴を聞いて下さったみなさんへ ワクチン 04/2/11(水) 13:36 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):愚痴を聞いて下さったみなさんへ 団塊党 04/2/11(水) 19:16 ┃ ┃ ┗続・愚痴を聞いて下さったみなさんへ 団塊党 04/2/11(水) 14:36 ┃ ┗Re(1):一教師の愚痴 島根の渡し守 04/2/10(火) 22:43 ┃ ┗Re(2):一教師の愚痴 団塊党 04/2/11(水) 19:38 ┗フジテレビ「とくだね!」:水谷修先生を見て 北の老兵 04/2/11(水) 18:24 ┗Re(1):フジテレビ「とくだね!」:水谷修先生を見て 団塊党 04/2/11(水) 19:25 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育を創ろう・4 ■名前 : Ray ■日付 : 04/2/6(金) 20:54 -------------------------------------------------------------------------
スレッドが長くなってきたので新しくします。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 |
寝不足が続いて、自分に「インターネット禁止令」を出している間に、教育についての論議が白熱してましたね。 ひまんじいさんへ、448のお返事をと思いながら、遅くなってごめんなさい。 実は、引用されている文章の意味がよくわからなくて、だいぶ長いことパソコンとにらめっこしてました。 で、結局私の実感でわかる範囲でお返事を書いてみます。ひまんじいさんのお気持ちと違っていたらまた教えてください。 男と女、どちらが優越しているか、には私は興味はありません。いろんな男やいろんな女がいるから。でも私自身に関して言えば、理屈よりも、(自分の)感情を信頼しています。だから、自分に足りない部分(理屈)は、同僚など周りの人たちに補ってもらっています。たぶん夫婦間でもお互いに足りない部分を補うことができるなら、ずいぶん暮らしやすくなると思います。(たぶん、というのはただいま夫とは別居中で、やれ嬉しや、と思っているので。二度と結婚なんかしたくない気分です。) これ、例になるかどうかわかりませんが、2001年9月11日の同時多発テロのことで、同僚の教員と話したことを書いてみます。 当時、「テロとの戦い」をブッシュ大統領が言い出して、それは間違っているんじゃないか、と思い、生徒たちに考えてほしくて、学級通信に私の意見を書こうとしました。「こんな風に書きたいんだけど、どう?」と同僚の教員に見てもらったところ、彼は「保護者にはいろんな考えの人がおられるし、まだ歴史的評価の定まっていない事件について、意見を書くことは避けたほうがいいんじゃないか」と言いました。 結局その学級通信はボツにしました。 でも今でも、私が「ブッシュ大統領が間違ったことを言ってる」と感じたことは、間違っていないと思っています。そういう意味で自分自身の感情に信頼をおいています。 ただ、その出し方は、同僚が言ってくれたように、慎重にするべきだったろうと思います。私は感情にまかせて突っ走る危険性があるからです。(以前にも書きましたが、教育委員会でおおげんかして、校長が私のかわりに謝りに行って、なんとか事態をおさめてくれたことがあります。) ちなみに、「男というものはガキと同じでかわいらしいものだ」とは思ったことがありません。それって、男性と子どもと、両方を馬鹿にしている言い方だと思います。 |
531の北の老兵さんの書き込みを見て。 エーリヒ・ケストナーを思い出しました。彼の「飛ぶ教室」とか「点子ちゃんとアントン」とか、大好きでした。 彼が「わたしが子どもだったころ」に書いていますが、ケストナーの母親は、彼が教師になることを励みにしていたそうです。ところが土壇場になって、「お母さん、私は教師にはなれません。文学者になります。」と言った時、どんなにか失望しただろうに、「そうなの、お前」と言っただけで、失望や落胆の気持ちは見せなかったそうです。 こんな母親になりたい。子どもを心から受容できる母親に。・・・と、子ども時代思ったものです。 また、私が中学生の時の先生のことも思い出しました。中学生のころ、私は好き勝手を言って先生を困らせる生徒でした。「(放課後)○○を教えてください。」と言ったら、「時間がとれない」などとは一言もおっしゃらずに、「じゃあ△△室で会議をしてるから、○時にノックしてみて。ちょっと抜けだして行くからね」とおっしゃって、本当に親切に教えてくださいました。卒業してからお礼を言ったら、「お礼なんかいいから、嬉しかったなら、そのことをあなたが人に対して同じようにしなさい。教育はじゅんぐりじゅんぐりに回っていくものだと、ボクは思ってるんだよ。」と言われました。 もうそのころには、教師になるつもりでいたのでしょう、私もこんな先生になりたい、と思ったものです。 なかなか理想どおりにいかないのが現実で、悔しいですけど。でも理想がないよりは、遠くにでも目標を持っていたほうがいいだろうと思います。 |
>エーリヒ・ケストナーを思い出しました。彼の「飛ぶ教室」とか「点子ちゃんとアントン」とか、大好きでした。 >彼が「わたしが子どもだったころ」に書いていますが、ケストナーの母親は、彼が教師になることを励みにしていたそうです。ところが土壇場になって、「お母さん、私は教師にはなれません。文学者になります。」と言った時、どんなにか失望しただろうに、「そうなの、お前」と言っただけで、失望や落胆の気持ちは見せなかったそうです。 >こんな母親になりたい。子どもを心から受容できる母親に。・・・と、子ども時代思ったものです。 > >また、私が中学生の時の先生のことも思い出しました。中学生のころ、私は好き勝手を言って先生を困らせる生徒でした。「(放課後)○○を教えてください。」と言ったら、「時間がとれない」などとは一言もおっしゃらずに、「じゃあ△△室で会議をしてるから、○時にノックしてみて。ちょっと抜けだして行くからね」とおっしゃって、本当に親切に教えてくださいました。卒業してからお礼を言ったら、「お礼なんかいいから、嬉しかったなら、そのことをあなたが人に対して同じようにしなさい。教育はじゅんぐりじゅんぐりに回っていくものだと、ボクは思ってるんだよ。」と言われました。 >もうそのころには、教師になるつもりでいたのでしょう、私もこんな先生になりたい、と思ったものです。 > >なかなか理想どおりにいかないのが現実で、悔しいですけど。でも理想がないよりは、遠くにでも目標を持っていたほうがいいだろうと思います。 良い話じゃないですか。 大丈夫ですよ。あなたは良い教師です。 結婚式のスピーチなどでも、長い弁舌さわやかな話よりも、感情にあふれたウィットにとんだ話の方がより人を感動させたりします。 感情は大事です。ただそれを如何に素直に相手に伝えるか、何でしょう。 |
▼島根の渡し守さん こんにちは。 私の書き方が大仰すぎて分かりにくく、変なことで悩ませてしまったようで、貴重な時間を申し訳ありません。週末所要で覗いていませんでしたが、その間にもかなりの数にふえているようです。ちょっと記憶を戻してみます。杞憂だと言われればそれまでかもしれませんが、あなたがまじめな方で、それだからこそ今の一生懸命さを主張されることに主眼があるように思えるのです。気を悪くされるのをあえて申せば、あなたの尺度での正義ではないでしょうか。あなたの体験を第三者がとやかく言えるわけはないというのは当然のこととして、気になるのが >でも私自身に関して言えば、理屈よりも、(自分の)感情を信頼しています。 の部分です。 ですから、このあとあなたが例に引かれた9.11テロのことも、政治問題も含めて極めて慎重に行動されたことはよかったと思っています。 あなたのような熱意ある教師に会えたことは生徒さん達にとってとても幸福なことだと思います。多くの人達はその人の政治信条なんかでなく、その人そのものから影響を受けるのだと思っています。この年になってもあの先生の政治信条がイカスからいまだに影響を受けている、なんて記憶はありません。その人の日ごろの所作に感ずるものがあるからこそ自分の人生に影響をいまだ及ぼしているのではありませんか。どんなガキにも包容力のあるおとなでいたい、「このくそガキめ悪いことばかりやりおって、だがかわいいやっちゃ」と思う、こんないとおしさが教育の原点みたいなものではなかろうか、と思っているので、それぞれの大人の根っこにある思想・道徳が大事だと思うわけです。したがって >ちなみに、「男というものはガキと同じでかわいらしいものだ」とは思ったことがありません。それって、男性と子どもと、両方を馬鹿にしている言い方だと思います。 の部分については全く無視したいということを言明して終わります。 |
▼ひまんじいさんへ 多くの人達はその人の政治信条なんかでなく、その人そのものから影響を受けるのだと思っています。この年になってもあの先生の政治信条がイカスからいまだに影響を受けている、なんて記憶はありません。その人の日ごろの所作に感ずるものがあるからこそ自分の人生に影響をいまだ及ぼしているのではありませんか。 「子どもたちは何から学ぶのか」と考えたときに、漠然と(出雲弁で「おんぼらと」と言います)考えていたのがこのことだったと気づきました。家でも学校でも、人の日ごろの所作に影響を受けていることが多いようです。 それともうひとつ、どんなに情けない親でも、子どもたちはそれを反面教師として乗り越えていくように思います。だから無責任な大人であってよしとは思いませんが、子どもたちは、物事のプラス面からもマイナス面からも(プラスに変えて)学んでいく力を持っていることを信じています。 だから要するに「教育を創ろう」とするとき、大事なのは「自分(大人)がいかに生きるか」ということになるのかな。 |
島根の渡し守さん こんにちは。 「おんぼらと」 なんと素晴らしい響きの言葉でしょう。 > だから要するに「教育を創ろう」とするとき、大事なのは「自分(大人)がいかに生きるか」ということになるのかな。 この視点だと思うんですけど。だからオルトンさんご指摘の道徳が大事だと思うんです。何度も言いますが、いいわるいを含めて世代の連続性が断たれてしまっている今、日本をリードすべき年代の方々の少年時代、まさしく倫理観が逆転するかのごとき敗戦を体験され、なにを心の糧として生き抜くかを喪失された方々の行き着く先が金銭であり、物であり、つまり経済という足腰の定まらぬものに狂奔した挙句、マスコミのカメラの前で深々と頭(こうべ)をたれる図となって露出したわけです。 いい機会です。何が大事かの抽象論でもいいから活発にやってほしいという気分なんです。 だが私の議論もチマチマしたもので、道徳の発信元の儒教についての詳しい知識もありません。道徳という言葉の紀元もさほど古いものとも思えませんし、そもそも日本という国自体縄文の昔から渡来人によって開拓されたものであり、文化の受け入れ先としての役割は充分果たしてきたものの、発信者としての実績はありません。どうしたらいいかを考えるとき、遠回りのようであっても日本の歴史、日本国民の性向、こんなものの充分な把握が先ず大事なことではないのかなあ、と思っています。 |
大学生の娘に聞いてみました。「小学校で学んだことってどんなこと?」 「教科書より先生の人としての魅力ね。先生に魅力がないと学習への興味も 喚起されないもの」。 彼女のゆっくりじっくり物事に取り組む性格ゆえ、習熟の遅いことを心配した時期に、 ある先生いわく「でも、いつも正解ですよ」。 スポーツも同じようにいつも最後なのです。けれどもなぜかスポーツ大好き少女でした。「後ろを走るほうが前の様子がよく見えるね」と力づけてきて、今は逆に力づけられる立場になりました。「自分を主張しなければ先に進めない」といった環境から、帰国してもなかなか日本の社会を理解するのは難しいようです。まだまだ???が続く日常です。 子供たちにとって幸せと思うのは、人の出会いに恵まれていること。高校生の息子は元旦の鎌倉、鶴ヶ岡八幡宮で”大凶”をひきあて、蒼白になって帰宅しました。そのショックも、熱中できる部活があり、信頼できる先生や語り合える友人によって払拭。精神面でも人の持つ自然治癒力に信頼したいところです。 朝のテレビに12年もの長きにわたり、夜回りをして青少年に語りかけている水谷先生がでていらっしゃいました。全国から毎日100通以上のメールが届き、ときにはSOSの電話も。その番組での少女の話。「水谷先生は受けとめてくれる。否定しない。指示しない。だから信頼できると思った」。 |
「虐待され入院中の中学生に激励80通 全国の母親から」asahi.comより http://www.asahi.com/national/update/0207/008.html ちょっと泣けました。 |
▼なおさん: 全く悲惨、凄惨、言葉もない。どうしたらこんな鬼畜のような事が出来るのか? やはり、今の社会情勢を反映しているとしか思えない。幼児虐待はアメリカは先進国で深刻のようだが、日本もとうとアメリカ並になって来た。それにしては法整備が遅れている。 アメリカと言う国は病んでいる。こんな話を聞いた事がある。アメリカに転勤になった若い日本人ビジネスマンが妻と四歳の長男を呼び寄せ、新生活を始めた。一カ月もたたないある日、突然その夫婦が警察に連行され、厳しい取り調べを受けた。幼児は施設に預けられ、家に帰りたいと泣き叫んでも帰してもらえない。両親が無罪放免となり、一家三人が暮らせるようになったのは二週間後のことであった。 新しい家のベッドの上で入浴前に裸になった幼児と父親がプロレスごっこをして遊んでいた。その光景を母親が写真に撮り、フィルムを現像に出した。できあがった写真を見た店の人が驚いた。子どもを裸にして倒したり、押さえつけたりして虐(いじ)めている。尻には青い痣(あざ)もできている。アメリカでは蒙古斑(もうこはん)のことは知られていない。これは幼児虐待だ、という判断で、直ちに警察に通報したのだという。 それほどアメリカは幼児虐待が日常化しており、もし他人が虐待を目撃したら通報により強制的に親と子供を離すのだという。法整備はさすがに虐待の先進国だけあり日本よりずっと進んでいるそうだ。 アメリカの例を見るまでもなく、経済の発展と女性の社会進出が無縁では無いように思われる。女性の社会進出なんていう経済論に騙されてはいやしまいか?政 府がやろうとしている少子化対策は明らかにインチキ。本気で子供を産ませたいなら、経済論ではなく、幸福論を重視するはずだ。子供を産むことによって、本当に幸せになれるなら、だまっていても子供を生むであろう。政府の少子化対 策で、誰も子供が増えるなんて本気で思っている国民などいないだろう。 少子化で減る税収を、女性が働くことによって補い、手っ取り早く増える税 収を充てにした経済論なのだから。 自分達の無策を、女性を働かせるこ とによってカバーしようという、短絡的な計算なのは見え見えだ。6、7割の女性が働 くようになったら、刑務所の数をいまの三倍にしても追いつかないだろう。 幼児虐待や女性虐待が爆発的に増えることは欧米社会を見れば明らかなのに、 とりあえず、将来のことは考えずに取りあえず税金収入を増やそうとしている、そう国民に思われても致し方ないだろう。政治家も役人も御用学者もアメリカの経済の事しか考えていない。ひどいものです。 子育てを基盤とした精神の浄化、大人たちによる、幸福のものさしの発見、 再確認が社会からなくなると、モラルと秩序がなくなるという。モラルと秩序がなく なると、人間は自分の個性(短所も含む)を、抑えようとしなくなる。他の人、 たとえば妻や子供の気持ちを考え、抑えなければいけない「個性」を、抑えな くなる。個性や感情のおもむくままに行動し始める。アメリカのような、自分の事しか考えない個人主義では、広く皆が幸せになる事はむりだろう。やはりアメリカは病んでいる。それもかなり重症であり、日本にも伝染したようだ。 |
教育に、「人間愛」の光が宿る。 好きな歌詞にそれが見出せて、書きたくなった想いのままに綴ります。 「人間」 そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから 息が詰まるほど 哀しかったから 貴方にしてやれる事といったら 貴方と空を見て 貴方と泣いて 貴方のその手を握り締めることくらい 貴方のこの手が温かいのは 貴方の身体に血が流れているから そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから 人を愛するたび 切なくなるけれど やっぱり独りでは生きてゆけません 苦しみの数だけ 涙を流したら 優しきあなたを迎えにゆくから 美しい心とやさしいいのちがすき いつでもいつまでも そんなあなたのそばがいい そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから 長渕剛「人間」より |
▼オルトンさん: >教育に、「人間愛」の光が宿る。 > >好きな歌詞にそれが見出せて、書きたくなった想いのままに綴ります。 > >「人間」 > >そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから >息が詰まるほど 哀しかったから 貴方にしてやれる事といったら >貴方と空を見て 貴方と泣いて 貴方のその手を握り締めることくらい >貴方のこの手が温かいのは 貴方の身体に血が流れているから > >そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから > > >人を愛するたび 切なくなるけれど やっぱり独りでは生きてゆけません >苦しみの数だけ 涙を流したら 優しきあなたを迎えにゆくから >美しい心とやさしいいのちがすき いつでもいつまでも そんなあなたのそばがいい > >そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから >そうだ俺達は 人間だもの 二人の身体には血が流れているから > > >長渕剛「人間」より ■ 私も今、ネットで日本ペンクラブの電子文芸館「詩」の中に、与謝野 晶子の「弟よ、君死にたまふことなかれ」を見付けて時節柄、胸に迫りました。 |
学校で学ぶこと、家庭で学ぶこと、地域社会で学ぶこと、様々あるでしょうが、今、家庭で学ぶことに話をしぼりたいと思います。 家庭がどんな雰囲気であるのか、厳しい家庭なのか、安心できる家庭なのか、いつも心配ごとや緊張のある家庭なのか、寂しい家庭なのか・・・。それらはそのままの形で、あるいは反面教師といった形で、子どもたちに影をおとしているようです。 私自身は、母がいつも家にいましたから、そんなものだと思って大きくなりました。ただ両親ともに子どもたちには(3人娘です)経済的に自立する力をつけたい、と願ってくれたので、そのように育ちました。結婚しても教員という職業は当然続けるつもりでしたし、今も続けています。 中途半端なことはしたくない、と思うと、帰りが遅くなったり、夜も出かけたり、家にいるときも仕事のことで頭がいっぱいだったりします。 私の子どもたちは、そのおかげで寂しい思いをしたようです。それでも仕事は私の生きがいだし、後姿を見て育ってくれればいいさ、と思っていました。 女性が働くことは女性が社会でいきいきできること、と思っています。 私の子どもたちは、この家庭から何を学んだのかな・・・と考え込むことがあります。 |
北の老兵さん >6、7割の女性が働 くようになったら、刑務所の数をいまの三倍にしても追いつかないだろう。 この一節に驚きました。尊敬する北の老兵さんの発言だけに、ショックで、とても悲しい思いをしています。 私は働く母親です。働く母親が、どれだけ必死な思いで子育てをしているか、そのことを少しは考えて頂ければと思います。例えば食事を手作りにする母親は、働く母親と家庭にいる母親とどちらが多いと思われますか? 自然な食べ物や添加物に気を使っている母親は? どちらも働いている母親の方なのですよ(調査で明らかにされています)。わずかな例ですが、それだけ働く母親は一生懸命なのです。 私は家庭内暴力を受けている妻が、逃げ出したいけれど経済的に自立できないと言うのを何度か聞きました。島根の渡し守さんもおっしゃっていますが、女性ももっといきいきするためには経済的な自立が必要です。そして男性は、家事や食事作りに自立することがもう少し必要です。奥さんを亡くした男性は惨めな方が多いですよね。 歴史的にも、家事以外は働かない女性が出てきたのは、武家社会、そしてサラリーマン家庭ができてきた時からだけです。女性が外で働くことと、虐待とはなんら関係は証明されていません。むしろ家庭に閉じこもりがちな母親の方が問題を起こしやすく、それが虐待に繋がる恐れが指摘されていることを申し添えます。なお私は、母親自らが家庭にいることを望み、経済的にできるゆとりを感謝しつつ子育てを楽しめるのは、それはそれで良いことだと思っています。 |
珠さん >>6、7割の女性が働 くようになったら、刑務所の数をいまの三倍にしても追いつかないだろう。 >この一節に驚きました。尊敬する北の老兵さんの発言だけに、ショックで、とても悲しい思いをしています。 誤解を招く発言でしたね。私の言わんとするところは、女性の社会進出そのものに反対しているのではないのです。少子化を根本的に解決しようと思うのなら、子育てをしながら、安心して働ける社会的基盤を作る事。子供を持ったらこんなに幸せを感じられるのだよと。そういう社会であってほしいのです。 今の日本の現状では、共働きをせざるを得ない、それに対しての保育所や、教育、幼児虐待の法的整備等々もろもろの支援制度が遅れている。一方では経済効率を優先し、少子化に対する明確な理念を明らかにしてくれない。そういう国に対して苛立ちを覚えるのです。 今の現状をこのまま放っておいたら、幼児虐待、DVは増える事は予想されると警鐘をならしている専門家もいます。 >私は働く母親です。働く母親が、どれだけ必死な思いで子育てをしているか、そのことを少しは考えて頂ければと思います。例えば食事を手作りにする母親は、働く母親と家庭にいる母親とどちらが多いと思われますか? 自然な食べ物や添加物に気を使っている母親は? どちらも働いている母親の方なのですよ(調査で明らかにされています)。わずかな例ですが、それだけ働く母親は一生懸命なのです。 全く異論はございません。私の家内も子育てをしながら働いていました。私は営業をしていましたので、家内の苦労は並大抵でなかった事は充分承知しています。 職場の理解があり(管理薬剤師をしていましたので)子供をおんぶして行っていましたよ。(主に書類の整理や、薬品庫の温度管理、得意先からの医薬品の問いあわせの応対など) >私は家庭内暴力を受けている妻が、逃げ出したいけれど経済的に自立できないと言うのを何度か聞きました。島根の渡し守さんもおっしゃっていますが、女性ももっといきいきするためには経済的な自立が必要です。そして男性は、家事や食事作りに自立することがもう少し必要です。奥さんを亡くした男性は惨めな方が多いですよね。 これも全く異論はございません。 私自身、昨年家内が札幌の大学病院で大手術をし、長期入院をしたために、一人で家事全般をやりましたが、良い勉強になりました。妻に先立たれた男の惨めさは身近でも見ています。昨年町内で奥さんに先立たれた男が、階段から落ちて死んだのが、2日たって見つかった事があります。 男も日頃から訓練する必要があるでしょう。しかし今の若い人には杞憂ですけどね、私の子供たちはごく自然にやっていますよ。男が厨房に入ってお手伝いするのは普通です。 >歴史的にも、家事以外は働かない女性が出てきたのは、武家社会、そしてサラリーマン家庭ができてきた時からだけです。女性が外で働くことと、虐待とはなんら関係は証明されていません。むしろ家庭に閉じこもりがちな母親の方が問題を起こしやすく、それが虐待に繋がる恐れが指摘されていることを申し添えます。なお私は、母親自らが家庭にいることを望み、経済的にできるゆとりを感謝しつつ子育てを楽しめるのは、それはそれで良いことだと思っています。 これには異論があります。我々が子供の頃は兄妹が多く、それぞれ兄妹が助け合って親を助けたものです。それに必ず一家団欒があり、貧しくても家族の助け合いがありました。おじいちゃん、おばあちゃんの役目も大きく、子育てをするにもいろいろ教わる事が多かった。今は核家族が進み、なお子供も一人っ子のところが多くなりました。共稼ぎをするには、やはりそれに変わる支援制度がなければ、働く女性の負担は増すばかりです。 再度申し上げますが、私は女性の社会進出には賛成なのです。 しかし先進国である欧米の例を見るまでもなく、現実は現実として真摯に受け止め、他山の石とせず、本当の幸せはどういう事なのか、今一度立ち止まって考える必要があるのではとの思いからの投稿でした。 |
北の老兵さんの意図は分かりました。私の早とちりもあったのですね。ごめんなさい。 女性の社会進出は、経済面(今は不況でこちらが拡大)と、女性自身の生き方の選択という2面があると思います(もちろん重複します)。そして女性の社会進出には、確かに子育て支援が必要です。 保育園に息急き切って向かえに行った日々、子供が発熱したとの電話に重要な仕事を前に呆然とした日、一度帰って夕食を共にしてから再出勤して明け方まで働いて帰宅して朝食とお弁当をつくり仮眠して出勤した日、我ながらよく乗り越えてきたなあと思います。 涙々の育児期を無くすには、本当に子育て支援が必要で、それあってのゆとりと幸福感です。私は後輩達が1年間の育児休暇がとれるようになったのを、とても喜んでいます。例えそのため私が引き受けなければならないことが増えても、応援したいと思っています。 ですから、北の老兵さんのおっしゃる通りですが、私にはもうひとつ願いがあります。男性の働き過ぎとよけいな接待をなくすことです。こんなに可愛い子供を、毎晩寝顔しか見られない父親なんて可哀想です。男性達が、もっと育児に幸福感を感じられるように、そして教育の現場に、男性達がもっともっと足を運ぶこと。そのことも社会を、そして教育をよい方向に変えていく一助になると思います。 |
▼珠さん 多少近視眼的なところがあるかも知れませんが、今の若い人は我々の時代と違って、考え方が進歩的だと教えられる事が多々あります。 例えば家の息子は、研修医を終え、派遣医として臨床の勉強をして、それから大学に戻って大学院に行っています。自分の研究ばかりじゃなく、外来にも出なければなりませんし、夜や土日は当直のアルバイトと、子供の相手をしている時間はありません。 月に一、二度、生活費を稼ぐために、アルバイトで地方の病院に行く事がありますが、その時に嫁さんと子供を一緒に連れて行くのです。まさに子連れ狼です。そのようにしてスキンシップを計っています。 私達の時代でしたら、考えられません。「マイホームパパ」と揶揄され=仕事の出来ない男、と言う評価されましたから。 若者の意識は変わって来ているのですよ。むしろ政治の方が、それに追いついていないのでは? 私はむしろ、子供から教わる事が多い今日この頃です。 |
▼北の老兵さん: > 若者の意識は変わって来ているのですよ。むしろ政治の方が、それに追いついていないのでは? 私はむしろ、子供から教わる事が多い今日この頃です。 若者の中には我々にはない新鮮な感覚の人も出てきていますね。 ただ、個人によってギャップが多くなっている気もします。 世の中二極化の時代と言われていますが、子供についても同様の感を持つことがあります。 学校教育もその対策を迫られる時代が来ているように思います。 |
私は若い頃は夜11時前に帰ったことはありませんでした。それでも夜中のミルクやオムツの交換などは私がやりました。そして朝7時には出て行きます。そんなことをする父親でした。参観日には勤めて何度か出ました。年に何回もあるわけではありませんから。 何日か前から雪が降り、1日で何十センチも積もります。朝の交差点や歩道の雪かきは私がします。国道や県道でも役所がするわけでもありませんから。誰かがやらねばならない。 まだまだ自分が進んでやらなければならないことは身近にたくさんあります。 |
▼ワクチンさん: >私は若い頃は夜11時前に帰ったことはありませんでした。それでも夜中のミルクやオムツの交換などは私がやりました。そして朝7時には出て行きます。そんなことをする父親でした。参観日には勤めて何度か出ました。年に何回もあるわけではありませんから。 >何日か前から雪が降り、1日で何十センチも積もります。朝の交差点や歩道の雪かきは私がします。国道や県道でも役所がするわけでもありませんから。誰かがやらねばならない。 >まだまだ自分が進んでやらなければならないことは身近にたくさんあります。 偉い! 普通の事を普通にやる、これがなかなか出来るようで出来ない事なんです。私も雪かき、ゴミだし、お風呂の掃除、買い物のお手伝いなどが私の主な仕事です。家内が人工関節をいれて障害を持っているので、助け合うのが当然ですが。 家族が助け合う、これが自然に出来るようになる事は、何よりの教育だと思っています。家族が思いやる気持ちが、自然に隣人にも及び、強いては社会に及ぶと私は信じて疑いません。 |
> 若者の意識は変わって来ているのですよ。むしろ政治の方が、それに追いついていないのでは? 私はむしろ、子供から教わる事が多い今日この頃です。 私も女性の社会進出はいいことであり、また当然のことだと思います。 さらに、経済的自立を超えて、女性の政治参加=女性政治家の叢生が日本でも起こればいいなと思います。 「クオータ制」が政治日程に上ってもいいんじゃないかと思います。 |
▼珠さん: >ですから、北の老兵さんのおっしゃる通りですが、私にはもうひとつ願いがあります。男性の働き過ぎとよけいな接待をなくすことです。こんなに可愛い子供を、毎晩寝顔しか見られない父親なんて可哀想です。男性達が、もっと育児に幸福感を感じられるように、そして教育の現場に、男性達がもっともっと足を運ぶこと。そのことも社会を、そして教育をよい方向に変えていく一助になると思います。 そうですね。同感です。 父親がもっと子供にふれあえる余裕が欲しいですね。 また、学校にも足を運び父親の発想を学校の中に生かしていって欲しいと思います。 保護者会にたまに父親が来ますが、そういうときに意見を求めると普段は出ないような新鮮な感覚が教室に漂います。 |
▼島根の渡し守さん: > 中途半端なことはしたくない、と思うと、帰りが遅くなったり、夜も出かけたり、家にいるときも仕事のことで頭がいっぱいだったりします。 > 私の子どもたちは、そのおかげで寂しい思いをしたようです。それでも仕事は私の生きがいだし、後姿を見て育ってくれればいいさ、と思っていました。 > 女性が働くことは女性が社会でいきいきできること、と思っています。 > 私の子どもたちは、この家庭から何を学んだのかな・・・と考え込むことがあります。 熱心な先生で頭が下がります。 お子さんはそのような姿を見て何かを感じ取っているのではないかと想像します。 お母さんが生き生きとして働いていることが何よりではないでしょうか。 親子のふれ合いは時間の長さではないと思います。 |
子育てで気をつけたことがあるとすれば、おおいに遊ばせたこと!! 長い人生を考えたとき、勉強も大切だけれど、同じように大切なものがたくさんあるね、と話したことを覚えています。生きていくための知恵や技術とか趣味を持てばそれだけ友達の輪が広がるとか・・。音楽はよく聞きましたし、コンサートにも連れていったものです。折にふれて与えていた本も、ある日「本は本来自分で選ぶもんだよ」といわれて以来こちらの選択は卒業しました。かれらが幼い頃から、子供には育てられているなあと感じること少なからず。その感受性やものの見方において。 海外で生まれ育った子供たちのひとりは残念ながら日本を後にしました。大学から日本に帰ってきた子もこの国にずっと住むか否かわかりません。友人を多くして、世界のどこに住んでも、自分の足で歩んで行ける人生であってほしいと願っています。 |
▼悠々さん: >子育てで気をつけたことがあるとすれば、おおいに遊ばせたこと!! >長い人生を考えたとき、勉強も大切だけれど、同じように大切なものがたくさんあるね、と話したことを覚えています。生きていくための知恵や技術とか趣味を持てばそれだけ友達の輪が広がるとか・・。音楽はよく聞きましたし、コンサートにも連れていったものです。折にふれて与えていた本も、ある日「本は本来自分で選ぶもんだよ」といわれて以来こちらの選択は卒業しました。かれらが幼い頃から、子供には育てられているなあと感じること少なからず。その感受性やものの見方において。 >海外で生まれ育った子供たちのひとりは残念ながら日本を後にしました。大学から日本に帰ってきた子もこの国にずっと住むか否かわかりません。友人を多くして、世界のどこに住んでも、自分の足で歩んで行ける人生であってほしいと願っています。 まったくおっしゃる通りだと思います。 親も子供に教えられる事は多い、共に成長していくものなのでしょう。 |
今日は一小学校教師の愚痴を聞いてください。。 小学校の教師の仕事は種々雑多で何でも屋と言っても良いくらいです。 教室のワックスかけや集金したお金の計算、1年生を受け持つとお漏らしの後始末までします。 学校でけがをした子がいれば家に連絡をして一緒に病院まで行くこともあります。事後報告の書類作成も必要です。 学校に来ない子がいれば家庭訪問や電話での連絡も頻繁にします。 子供の作品を見て一言書いてあげたり、テストの採点、明日の授業の教材作りなどは子供に関わる大切な仕事ですが、そうでない瑣末な仕事が次から次に出てきます。 以前は必要なかった不審者対策もあります。 校内を見回ったり、門を閉めたり交代でします。 こうやってあげていけばきりがありません。 その上最近は役所がやたらに書類を書かせます。 やれ、年間計画書、やれ各教科の評価基準、やれ自己評価・・・ 他にも定期的な事務処理の仕事もばかになりません。 学校内部でも校務分掌の仕事がたんとあります。 もちろん、子供を帰した後は会議が週に1、2度はあります。 6時間授業の日など、それで1日が終わってしまいます。 アメリカなどでは午後は自分の仕事だけに専念できると聞いたことがありますが、 うらやましい限りです。 いったい教師の仕事は何だったっけと思ってしまうくらいです。 みんな教師は忙しい忙しいと言います。 しかし、雑用はいっこうに減りません。 あれも必要、これも必要と言って、結局なくなりません。 私は毎年、減らすように提案するのですがどうも通りません。 これまでやってきた行事を減らすのは忍びないのでしょう。 私はもう少し整理すべきだと思うのですが、そういう考えは少数派です。 授業の準備は勤務時間内ではとても無理です。 私は幸い通勤時間が15分と信じられないくらい恵まれた学校にいますが、普通はこうはいきません。 それでも、家に仕事を持ち帰って来ないと処理し切れません。 仕事の合間に、老人党の書きこみをしているのです。 おかげで最近は本を読む時間がありません。 老人党をいつまで続けられるやら・・・ 参議院選挙までは頑張りたいと思っていますが・・・ 今日は忙しさということだけに絞って書きました。 忙しいのはどこもいっしょで教師だけでないことは分かっています。 私の言いたいことは、瑣末な仕事が多すぎて直接子供を良くするための仕事の時間が奪われるのが腹立たしいということです。 島根の渡し守さんの学校ではいかがですか? 学級通信にはこういう本音はなかなか書きにくいのですが、この掲示板にはよけいな気遣いがないので、思うままを書かせて頂きました。 もしお聞き苦しいことがあればどうぞお許し下さい。 |
▼団塊党さん: 団塊の次の世代です。あいだにささりこんでしまいましたか。わたしの同級生に 中学校の教師になった者、用務員になった者、すでに校長になった者、いろいろ居ります。校長になった彼は慢性の胃炎と高血圧症に悩ませながら、いつかかってくるか知れない先生や父兄の電話に最近、「恐怖」を覚えるそうです。 教師になった彼は自分の息子の問題行動を奥さんに任せっぱなしな事に悩みながら 教え子の進学、素行、週5日制の時間の余裕の無さ、クラブ活動の顧問として、など等。用務員になった彼は「この子達はいったい誰にしつけをおそわったのか」という疑問に駆られるそうです。中学生なのに子供達の行動は小学生以下の理解力、 何を壊しても誰にも教えなく知らん振りしてして。 彼ら同級生の三人が共通して語った事に「時間と同僚の少なさ、相談できる相手がいない」。教師と用務員になった彼らには役所の労働組合はありますが、実際に組合活動に参加、相談できる暇も無く夜になったらメールでやり取りしているようです。教師や用務員になった彼らの相談にメールだけでは見えてこないものに歯がゆさをおぼえます。 |
▼団塊の次の世代さん: 私は現場の先生との付き合いも長いので先生の実態は概ねではありますがわかっているつもりです。でも、殆どの親はその実態をよく知りません。さらに父親はもっと知らないのですが、話せば同じ社会にでて仕事をしている身。すぐに理解してもらえます。ただ、先生方と親が年齢に差がある場合が多い(先生が若い)。そんなときは懇談会などで、アルコールが入ってもなかなか先生もうちとけてくれない場合が多く感じます(恐縮してます)。 先生方は親に対しての頼みごとが少ないんじゃないかなって思います。どうしても自分ではなければいけない仕事以外はPTAなり親なりに頼めば結構気前よくやってくれる人は多くいます。給料もらってるんだからって思わなくとも、先生の方から先生自身の仕事の内情を説明すれば同情される方がほとんどです。先生のくだらない仕事の面倒はみてやるから、もっと子供をみろって人がほとんどですよ。先生としてのつらさ、公務員としてのつらさをもっと親に話されたらどうですか? 下手な文章ですみません |
団塊党さん こんにちは。 なかなか自分の論陣が明確にならず、自分でもいらついているのが現実です。すみません。他の方への意見発信ですこしは小生の思いを理解してください。 今回はあなたのお仕事の煩雑さを改めて知り、私の体験から、ということで。 一昨年の暮れに母親が風呂場でたぶん足を滑らせたんでしょうが、亡くなりました。死因の解明から何やかやと葬式と同時に振り回されました。数ヶ月してからなおも近くの交番の担当の巡査から、書類を作成して本部?に提出しなければならないので確認のため交番まで来てほしいと言われ、巡査の質問のまま書類が作成されました。別にそれに疑義をさしはさむつもりも毛頭ありませんが、言っちゃなんですがこんなどうでもいいような、なんかのときの責任逃れの証拠物件にでもなるのならいざ知らずなのに、まあなんとお役所仕事は現場にも持ち込まれて大変だなあと感じました。こんな暇あったら犯罪防止にでも見回りしていてもらったほうが皆も安心するのに、と思いました。 話しころっと変ります。感想です。昨日のメイン掲示板、近来にない充実ぶりで、記念すべき日になるのではないか、とすら思いました。久しぶりにご登場のhanmeruさんのご意見を見て、ここの掲示板が色々試行錯誤されていたご苦労のころを思い出しました。ことにイラク戦争についての書き込みを二者択一にされたことにどうも合点がいかず、中間派から賛成派の論拠をお教えいただこうと思って賛成派のスレッドに投稿しても翌日確認したら私の投稿そのものがない、ならばと思いやや変奏して出しても全く消されていました。最初のものは別のところに出されていて、変奏されたほうは全くの没でした。管理者の方のご苦労は分かりますし、小生は物分りの悪いおっさんとして確定しました。別にそんな評価はどうでもいいですが、難しい戦争についての評論はしないほうがいいのかと思い、そのようにしてきたつもりです。 しかし白眉はTuttiさんでしょう。この方の皮肉が教養という形をはっきり立ち表わされてきて圧巻でした。現場の先生には的外れのことを言いますが、何度も引用してきた山本夏彦先生が「汚職で国は滅びないが、正義で国は滅びる」の言葉を思いました。正義という誰も反旗を翻せない旗振りが始まったとき、思考停止が確定し、滅亡へのカウントダウンが始まる。この「正義」という儒教の徳目にどっぷり浸かっている中国・朝鮮との外交の難しさを思います。どうもものごとには色々な面があるようですね。何か混乱させるようなことを言って自分自身が混乱の渦中に身を置いたままという情けない情景のようです。しかしこんな方から2スレッドで小生も毒矢を放たれたと思っています。身軽にとったりやうっちゃりでも出来ればいいんですが、難しいですね。さらに嘲笑も浴びそうです。 |
団塊党さんへ こんにちわ! あなたが仰有るところの愚痴は極めて重要なことを示唆してます。 今日(こんにち)の日本は官僚風?的な管理病症候群に侵されてます・。 無能な管理職の仕事を報告書等々にて求められること、それが活かされるのならば まだ慰めはありますが、実際はそれが活かされない体裁のみの場合が殆どです。 現場に任せられず、責任も取れず責任逃れに「きゅうきゅう」するのが 無能な管理者の正体です・・。 あらゆる職場にその手合いは存在しますが、民間の事業であれば業績如何により 無能ぶりは判別できますが、 公務員関連では「まず管理者の無能ぶりは」表面化しにくいのでは無いでしょうか・・? 犯罪の検挙率の低下・・児童虐待の手配の遅れ・・等々 役所から事業者への報告書提出に関わる民間の負担・・日本病と云われる高コスト体質の助長と無縁ではないようです・・。 アメリカでは調査の必要が有る場合は専門のプロ集団があり客観的に調べて ことにあたるケースが多く、現場に負担を掛けないこと、が徹底してます。 団塊党さんの愚痴を愚痴で終わらせないようにせねばと痛感します・・。 |
一教師の愚痴なんて軽く聞き流されるかなと予想していましたが、これほどに本質的なところでしっかり受け止めて頂くとは思いもしませんでした。有り難うございます。 みなさんのご意見を整理させて頂き、それに対する回答を述べさせて頂きます。 1.時間と同僚(相談できる仲間)の少なさ。 2.PTA、親に協力を求めよ。また、教師としてのつらさをもっと親に話せ。 3.現場に煩雑な仕事を押しつけ、責任逃れをする役所の体質。 4.正義の旗振りの欺瞞 1について 相談できる同僚がいるか、いないか。 今まで勤めてきた学校の雰囲気で言えば、幸いぎすぎすしたところはあまりありませんでした。 良心的な真面目な教師の多い学校ばかりでした。 困ったことがあれば相談に乗ってくれる雰囲気がありました。 しかし、私はどこか物足りなさを感じ続けてきました。 全校の教師が子供を良くするために一つになり、心の底から協力していくというところまでは、どの学校も行きませんでした。 それぞれが、自分のクラスのことで精一杯。 お互いに授業やクラス経営についてとことん議論したり教え合ったりするような時間も雰囲気もありませんでした。 むしろ若い頃の方がそのような雰囲気がまだありました。 学校を変わるごとにそういうものが薄くなっていきました。 それだけ色々な意味で余裕のない時代になってきたのです。 10数年ほど前まではまだのんびりした雰囲気がありました。 「今日は天気がいいので、河原に遊びに行ってきます。」と言えば、管理職は何も言わず許可してくれました。 クラスの子みんなを連れて、多摩川を向こう岸まで渡ったこともあります。 帰りはみんな服がびしょぬれです。 こういうことが当たり前のようにできるなんて、今は夢のようです。 今はこういう訳にはいきません。 こんな危険なことをしたら教育委員会からも親からもクレームが出るでしょう。 下手をすれば新聞沙汰です。ワイドショーのネタにさえなるでしょう。 マスコミは鵜の目鷹の目でネタを探しています。 何かあったらすぐ責任問題が出てきます。 結論を言えば、団塊の次の世代さんが仰るように、時間も仲間も少なくなったと言えると思います。 それに、空間もなくなりました。 子供が成長するのに必要な「時間」「空間」「仲間」この3つがすべて少なくなっていく傾向に残念ながらあります。 何故、こうなっていくのか。 これは学校だけの問題ではなく、社会全体のあり方の問題だと思います。 ただ、だから学校は何も出来ないかといえば、まだまだやり方次第では出来る可能性はあるのです。 現に素晴らしい学校は日本にまだ存在するのです。 茅ヶ崎市の先日ガンでなくなられた校長先生のいらした学校などはそうです。 優れた力と人格を備えたリーダー(校長)がいれば学校が変わる可能性はあります。 長くなりましたので、今日はこれまでにします。 2.3.4については明日にします。 長くなりましたので、2.3.4についてはまたの機会にします。 |
親にもいろいろあります。なんとか学校に協力し、一緒になって考えていく親。子供を学校に預けたんだから責任もって指導してもらわないと困る。と、学校に押付けるような親(不思議に子を持つ先生が言っている方が多いのはなぜか?) さまざまです。だから先生方の内情を理解してもらっても問題の解決にならないこともあるかもしれません。逆に、教師としての仕事をまっとうしていない、などと批判されることになりかねないかもしれません。(確かに能力、技術不足の方もいらっしゃいます。どの世界にも必ず何割かはいて当たり前ですから) でも現実問題として双方の理解なしには成り立たないと思います。これは誰の為でもなく今そこにいる子供達のためなんですから。批判を多く言う親はいます。でも、これも間違ったことは言っていないと思います。親にしてみれば,学校が悪くても、先生が悪くても簡単に変えるわけにはいかない。当たり外れの世界です。だったら文句をいうよりもいかに良くしていくかを考えるしかありません。そのためには教師という仕事、内情を親もよく知るべきであり、協力する態度を示さないといけないと思います。 お役所は現場を管理することが仕事だと思っています。(国は国民を管理することが仕事と思っている)。これも、どの業界にもあります。工場と管理部門。管理する側は生産を管理するために、現場にいろんな(うんざりするほど)資料、報告書を作成させます。そんなの自分が来て見て書け!って言いたくなるようなことをさんざん要求します。(それがどれほど役にたっているかは不明)でも、最近は合理化され、IT化され減ってきているようです。しかし役所の場合は合理化、IT化しても人は減らないわけですから、実は仕事が逆に多くなる(仕事を作る)といった馬鹿げたことになります。 何が言いたいかわからなくなりました・・・。 とにかく学校問題は地域の問題です。地域で考えていかなければならないと痛感します。 親の理解なしにはよくならないと考えます。 |
▼ワクチンさん: >親にしてみれば,学校が悪くても、先生が悪くても簡単に変えるわけにはいかない。当たり外れの世界です。 教師によって当たりはずれがある様な学校は本当の協力体制ができていないからだと思います。 全教師が一致団結して子供をよくしていこうとしているかどうかです。 残念ながら、そういう学校はまだ少数派。 私の学校もまだそこまでいきません。 >とにかく学校問題は地域の問題です。地域で考えていかなければならないと痛感します。 >親の理解なしにはよくならないと考えます。 親がどういう関わり方をしていけば良いか。 そういう話題もこのスレッドで出し合って行きたいところです。 ワクチンさんのような理解のある方ばかりではないですから、難しさも感じます。 親と教師の意志の疎通も大事です。 かと言って単に馴れ合いになったり仲良しグループになったりするのでは意味がありません。 教師同士の息も合わないと困ります。 この競争社会の中で、心の底から協力関係を作ることの難しさを感じます。 今は教師同士も競争させられる時代です。 校長の評価によって、給料に差がつきます。 こんな中で協力体制を作っていくのは並大抵ではないです。 しかし、現実にそういう学校も出ています。 そういうところにも学びながら、親と教師と地域でがんばっていきましょう。 |
今日は2,3,4について回答させていただきます。 今日が休みだと思って気がゆるんで昨夜は夜更かしをしてしまいました。 コンディションが良くないですが、がんばってみます。 2.PTA、親に協力を求めよ。また、教師としてのつらさをもっと親に話せ。 ワクチンさんが仰ること、その通りだと思います。 最近は随分親に協力してもらうことが多くなりました。 下校時には全家庭に交代で安全パトロールをしてもらっています。 最近は不審者の情報が毎日学校に入ってきてほとほと困っていますが、保護者に下校時に立ってもらうのは大助かりです。 また、図書室の本の修理もお願いしています。 ついでに、本の読み聞かせも時々やってもらいます。 総合学習やクラブ活動で、うどん作りをしたり野外活動をしたりするときも準備から片づけまでお手伝いをしてもらいます。 教師としてのつらさについては、確かにあまり話すことはありませんね。 雑談の中でぽろっと漏らす程度です。 もっとフランクにぶっちゃけても良いかも知れませんね。 3.現場に煩雑な仕事を押しつけ、責任逃れをする役所の体質。 これは本当に最近益々ひどくなりました。 この3学期も突然、全教科の評価規準と計画案を出せといってきました。 昨年まではもっと簡単な計画案でよかったものが、膨大な労力を要するような要求なのです。 ならば、何故夏休み前から予告しておかないのか、ここへ来て突然ですから無茶苦茶です。 3学期はこれに時間を大幅に取られ、他にしわ寄せが行かざるを得ません。 子供を良くするためならどんなにでもがんばりますが、建前だけの書類作りの虚しさアホらしさと言ったらありません。 なぜ、ここへ来て突然言い出したのか? 推測ですが、どうも情報公開と関係ありそうです。 外部からの開示請求に応えられるようにするためじゃないかと、みんなで推測しています。 珍 源齋さんやひまんじいさんが仰るように、これは日本の役所のあらゆるところに見られる姿ではないでしょうか。 4.正義の旗振りの欺瞞 これは3とも関連します。 一見正義面して、うわべだけの学校批判などする輩がどこにもいます。 これがくせ者なのです。 これがどれだけ現場を窮屈にしていることか。 具体的には控えますが、これが1で述べた、時間、空間、仲間を奪っている元凶になっていることは事実です。 日本の教育からおおらかさを奪っています。 ちょっとしたミスでもつつかれると、人間弱いもので精神的にくたくたになってしまうものなのです。 |
▼団塊党さんへ いやぁー、よくぞ言ってくださいました。日ごろ「なんでこんなにいそがしいのかねえ」と同僚の教員とよく愚痴をこぼしています。 雑用が多すぎる、というのもあたってるし。 でもまあ私の場合、「これは子どものために大事」と思うことしかしてない場合が多いです。去年、2学期に保護者とギクシャクしだした時には、ストレスがたまりました。「子どものため」をよそおいながら、自己満足のためにしか行動してない保護者にふりまわされたから。子どものためなら苦労も苦労とは思わないけど、そうでないときにはいやになります。 中学校の場合は部活動があるので、時間的には小学校より余裕がないかもしれません。私は部活動は副なので、さぼりまくってますけどね。 評価のしかたが変わって、年間指導計画を全面的に書きなおしたこと、週5日制になって、平日が窮屈になったこと、これらも原因でしょう。 地教委がちゃんと仕事してくれないときにも、現場にしわよせがきます。昨日も、1月29日づけで県教委からきてる文書が、地教委からは2月9日づけで学校に来ていて、しかも13日までに返事しろとのこと。私の担当じゃなかったけど。昨日は日曜参観の代休で、明日は休みで、担当の人は大変だろうと思います。 生徒指導上の問題を起こす生徒がクラスに3人、4人といると、もうホント、大変です。その上に3年担任で、不登校の生徒も何人か抱えていて・・・(私じゃないですけど)。指導計画、教育委員会に出す書類、生徒指導、進路指導、このあたりはなかなか保護者の協力を得るわけにはいきません。 1時間目のごみ拾い、昼休みの見回り、教室に入れない生徒への対応、これらは保護者や地域の方たちの協力を得ることもできます。実際、昨年度は保護者の方たちも手伝ってくださっていました。 朝は7時半ころ学校に行きます(私の通勤時間はなんと5分)。それから8時15分の職員朝礼まで必死で宿題を作ります(担任している特殊学級の5人の子どもたちの。宿題を出してほしい、というのは保護者の方たちの強い希望です)。空き時間はたいてい日に1時間、その間にこれまた必死になって連絡帳を書きます(今日は空き時間がなくて、ほとんど書けませんでした)。授業の準備とかができるのは、4時半以降になります。部活をしていると5時半以降。会議があると6時半とか7時。報告文書を作らないといけないこともあるし、今日は広報紙の校正をしたりもしました。家に帰ると8時前。よく働くね、と自分でも思います。 今事情で一人暮らしなので、気楽です。ただ食事の用意をするのは、ストレス解消にもなるので、食べるのが9時になっても、自分で作っています。 気になっているのは、時間に追われて「その日暮らし」をしてしまいがちなこと。特殊学級の子どもたちは、特に計画的に教育活動を進めていく必要がある(と思う)のですが、個別の指導計画もまだ「手探り状態、進化発展中」で、きちんとしたものになっていないのです。やれやれ。 |
▼島根の渡し守さん: 中学校の実情が少しわかりました。有り難うございます。 かなりハードですね。 分刻みっていう感じですね。 私も似たようなものです。 通勤時間が5分なんてびっくりしました。 それだからまだ忙しさを緩和できるのですよね。 私の地区では、来年から規定が変わり、通勤時間が1時間から1時間半の範囲が基準となるそうです。 もう、わざと条件を悪くしているとしか思えません。 一つの学校にとどまれるのも最長で6年と短くなります。 これは企業のリストラと一緒で、希望退職者を一人でも増やそうという企みとしか思えません。 まあ、頑張るしかありません。 |
昨日のフジテレビの「とくだね!」で 「夜回り先生」水谷修先生の事を放映していました。講演の様子も照会していましたが、ハンカチを目にする人ばかり、お手伝いのお兄ちゃんも涙する姿に私も感動しました。 早速、夜回りの様子を写していましたが、けっして怒らないのですね。穏やかに、まるで兄が弟を諭すように。生徒も不思議なくらい素直に聞くのを見て、改めて生徒(子供たち)の目線で話す事が大事なんだと思った次第です。 水谷先生のような先生は特別なのかも知れませんが、私は信じたい、立派な先生はまだまだたくさんいる事を。団塊党さんだって、島根の渡し守さんだって、本当に教育に危機感を持っているからこそ投稿してくれているんだからと。 因みに水谷先生のHPは次のとおりです。 http://www.koubunken.co.jp/mizutani/main.html |
▼北の老兵さん: >早速、夜回りの様子を写していましたが、けっして怒らないのですね。穏やかに、まるで兄が弟を諭すように。生徒も不思議なくらい素直に聞くのを見て、改めて生徒(子供たち)の目線で話す事が大事なんだと思った次第です。 教育の要諦は結局そこなんだなと最近つくずく思います。 私などまだまだ修行が足りません。 >水谷先生のような先生は特別なのかも知れませんが、私は信じたい、立派な先生はまだまだたくさんいる事を。団塊党さんだって、島根の渡し守さんだって、本当に教育に危機感を持っているからこそ投稿してくれているんだからと。 水谷先生の境地に一歩でも近づきたいですね。 これは理屈ではなく肌で感じる感覚です。 そこを磨くしかないなと思います。 |