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 ▼太平洋戦争の歴史的な背景と真相!  pcog_ngo 04/2/13(金) 8:26

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 ■題名 : 太平洋戦争の歴史的な背景と真相!
 ■名前 : pcog_ngo <matuoka_@mvi.biglobe.ne.jp>
 ■日付 : 04/2/13(金) 8:26
 ■Web : http://www2u.biglobe.ne.jp/~matuoka/
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   19世紀、アジアは西洋列強の侵略のターゲットとされた。東南アジア、南アジアだけではなく、それまで東洋に君臨して来た中国までが半植民地状態の危機に瀕していた。徳川300年の鎖国から目覚めた日本は、アジアの現状を知って驚愕した。そこで、富国強兵策を執る事により、列強と肩を並べようとした。その結果、明治新政府の富国強兵策により、東洋の一小国に過ぎなかった日本は、天皇を中心とした精神的な結束のもと、急速に強大な軍事帝国を創り上げてしまった。

ここに、列強と肩を並べると言う事は、列強と同じく周辺地域に侵略の鉾先を向ける事を意味する。日本は先ず台湾を植民地とし、その後朝鮮、満州(中国東北部)、中国大陸に侵出した。この事は欧米列強の脅威となるに至った。そして、早期に日本を叩き潰しておく必要があるとの信念を欧米列強の首脳の脳裏に刻み付けた。その結果、日本軍の南部仏印進駐を契機としての、ABCD包囲陣による経済封鎖の強化並びに日米交渉の決裂により、ついに日本は1941年12月8日、太平洋戦争に突入せざるを得ない立場に追い込まれるに至った。

太平洋戦争突入後、日本は、広大なアジア・太平洋地域にまで戦線を拡大した。そして海軍は、米国が日本の暗号を解読して、潜水艦や飛行機を用いて、綿密な索敵行動を開始して待ち伏せしているミッドウェー諸島海域に進攻して、空母4隻を失って大敗したのを契機に壊滅した。陸軍は、精神力・大和魂による突撃・白兵戦だけに重点を置きすぎた嫌いが有り、近代戦に対応する装備の充実を怠っていた。更に「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち」の唄にも見られるように、後方輸送を軽視していた悪弊が表面に出て、兵士は、弾薬兵糧無しで闘わざるを得ない状態になってしまった。その結果、あまりにも広大な戦域は、とても日本の国力で対処出来るものではなく、結局、1945年8月15日、軍国主義日本は崩壊した。

なお、終戦に際して、日本政府が「国体」の護持に拘泥して、ボツダム宣言受諾を遅らせた為に、原爆投下の悲劇を招いた事は日本国民にとって、一大痛恨事であった。

ところで、太平洋戦争開戦前に、既に米国はコンピューター解析による日本及びドイツの暗号解読に成功していた。因みに、1941年6月5日、駐独日本大使・大島 浩が日本政府宛に「独ソ関係は特に悪化し、戦争となる可能性甚だ増大せり」と送った、ベルリン発大島電第638号は、暗号を解読した米国政府を驚愕させたが、大島の予測どおりその2週間後に、ドイツはソ連に浸攻した。米国は全ての「ベルリン発大島電」を解読していたが、その記録が今日、メリーランド州にある「アメリカ第二国立公文書館」で保管されており、近年公開されたことは周知の事実である。

独ソ開戦後も、ベルリン発大島電は発信が継続された。「独ソ戦におけるドイツの勝利を確信する旨のベルリン発大島電」を信用して日本政府は1941年12月8日、太平洋戦争に突入したが、開戦日は奇しくも、ドイツがモスクワで敗退を開始した当日でもあった。

米国大統領フランクリン・D・ルーズベルト(1882〜1945)も当然日本軍の真珠湾奇襲を事前に了知していた。当時の米国太平洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル(1882〜1968)に通知しないまま、奇襲を許したのは、当時、参戦反対の世論が過半数を占めていた米国国民大衆を、第2次世界大戦に奮い立たせるのが最大の目的であったからである。つまり日本は欧米列強に嵌められたことになる。ルーズベルトが、多数の米国民を犠牲にしてまでも採らざるを得なかった苦肉の策であったとは言え、世界の情勢を勘案した政治的手腕と度量の広さには驚愕の他はない。その後の戦争の経過については、日本国民が充分に了知するところである。

開戦前年、ルーズベルトは「私は、繰り返し、また繰り返し、更にまた繰り返し誓う。諸君の子弟は決して海外の戦場に送られるようなことはない。」との有名な選挙演説の誓約の縄を、日本に宣戦布告前の奇襲をさせることで解くことが出来た。リメンバー・パール・ハーバの一語が、米国民の復仇の戦意を沸き立たせることになり、米国の戦争遂行に百パーセント功を奏したことは明らかであり、米国の史家が、真珠湾奇襲を日本の戦略的敗北と定評する所以である。

なお、終戦後キンメルが、結局は周囲からの圧力に抗しきれずに提訴を取り下げたが、「暗号を解読して、日本軍の奇襲をルーズベルトが知っていた事実を挙げ、事前に通知がなされていたら、被害を最小限度に押さえる事が出来たのに、通知する事なく、却って自分を軍法会議にかけて、罷免・降格させるが如き、理不尽な懲戒処分をしたのは納得出来ない。」として名誉回復のため、提訴した事は周知の事実である。

更に、連合艦隊司令長官山本五十六(1884〜1943)が、昭和18年(1943年)4月18日、ソロモン消耗戦で苦闘している将兵を鼓舞する目的で、海軍機(96式陸上攻撃機)に搭乗して、ブーゲンビル島に向けて飛行中、到着15分前の地点において、長官の前線視察出発前に、長官の行動を前線基地に予報した暗号電報を解読して、上空で待ち伏せしていた米軍戦闘機20機に急襲され撃墜されて戦死した。この事案が発生したにもかかわらず、米国の巧妙な欺瞞報道により、日本は「暗号が全て解読されている事実」を認識するに至らなかった。以上も戦後判明した周知の事実である。

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