Page 672 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼長崎女児殺人事件 流水 04/6/2(水) 12:17 ┣命は大切なのに・・・ aube 04/6/2(水) 13:23 ┃ ┗Re(1):命は大切なのに・・・ hide 04/6/2(水) 15:17 ┃ ┣イデオロギーじゃないよ aube 04/6/2(水) 16:21 ┃ ┃ ┗Re(1):イデオロギーじゃないよ hide 04/6/2(水) 16:28 ┃ ┃ ┗Re(2):イデオロギーじゃないよ aube 04/6/2(水) 16:49 ┃ ┃ ┣Re(3):イデオロギーじゃないよ 小鉄 04/6/2(水) 17:00 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):イデオロギーじゃないよ aube 04/6/2(水) 17:09 ┃ ┃ ┃ ┣横レスすみません。 敦煌(本物) 04/6/2(水) 21:42 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):横レスすみません。 Returner 04/6/2(水) 22:02 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):イデオロギーじゃないよ つるみ 04/6/2(水) 23:13 ┃ ┃ ┗Re(3):イデオロギーじゃないよ キ-61 04/6/2(水) 22:46 ┃ ┗Re(2):命は大切なのに・・・ しゃねる 04/6/8(火) 1:30 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 佐藤真申 04/6/2(水) 15:23 ┃ ┣Re(2):長崎女児殺人事件 流水 04/6/2(水) 15:29 ┃ ┣(?_?)なんで? aube 04/6/2(水) 16:45 ┃ ┃ ┗Re(1):(?_?)なんで? 佐藤真申 04/6/3(木) 14:27 ┃ ┃ ┗小さな失敗をたくさんする教育 aube 04/6/4(金) 11:30 ┃ ┃ ┗Re(1):小さな失敗をたくさんする教育 しゃねる 04/6/5(土) 19:12 ┃ ┗Re(2):長崎女児殺人事件 Returner 04/6/2(水) 18:02 ┣ネチケットを重んじ、著作権の侵害に抗議! リアル 04/6/2(水) 17:30 ┃ ┣Re(1):ネチケットを重んじ、著作権の侵害に抗議! JS 04/6/2(水) 17:41 ┃ ┗「リアル」様へ リアルというHMを使うmono 04/6/2(水) 22:05 ┃ ┗たぶん本物の「リアル」様へ 半兵衛 04/6/2(水) 22:53 ┃ ┗たぶん本物の「リアル」様へ 本物の「リアル」 04/6/4(金) 22:03 ┃ ┗本末転倒? Hannun 04/6/5(土) 18:10 ┃ ┗掲示板の投稿の著作権 ベップ 04/6/6(日) 13:30 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/2(水) 18:25 ┃ ┗Re(2):長崎女児殺人事件 流水 04/6/2(水) 18:35 ┃ ┣Re(3):長崎女児殺人事件 キ-61 04/6/2(水) 23:06 ┃ ┗Re(3):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 10:59 ┃ ┣Re(4):長崎女児殺人事件 流水 04/6/3(木) 12:07 ┃ ┃ ┗Re(5):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 13:23 ┃ ┃ ┗Re(6):長崎女児殺人事件 流水 04/6/3(木) 14:02 ┃ ┃ ┣Re(7):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 14:50 ┃ ┃ ┗Re(7):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 16:51 ┃ ┃ ┗Re(8):長崎女児殺人事件 流水 04/6/3(木) 17:29 ┃ ┃ ┗Re(9):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 18:09 ┃ ┗親の出番がもっとあっても良いのではないでしょうか。 数理梵哲 04/6/5(土) 11:33 ┣「知識の殺人」と「現実の死」の区別 棚田稲田 04/6/2(水) 21:59 ┃ ┣Re(1):「知識の殺人」と「現実の死」の区別 流水 04/6/2(水) 22:37 ┃ ┗Re(1):「知識の殺人」と「現実の死」の区別 玲牙 04/6/5(土) 22:35 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 団塊党 04/6/2(水) 22:44 ┃ ┣Re(2):長崎女児殺人事件 流水 04/6/2(水) 23:32 ┃ ┃ ┗Re(3):長崎女児殺人事件 ひまんじい 04/6/5(土) 16:58 ┃ ┃ ┗Re(4):長崎女児殺人事件 流水 04/6/5(土) 17:05 ┃ ┗Re(2):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 11:06 ┃ ┣Re(3):長崎女児殺人事件 石頭の息子 04/6/3(木) 12:06 ┃ ┃ ┣Re(4):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 13:30 ┃ ┃ ┗Re(4):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/3(木) 17:16 ┃ ┃ ┗Re(5):長崎女児殺人事件 石頭の息子 04/6/3(木) 22:14 ┃ ┃ ┗Re(6):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/7(月) 17:47 ┃ ┃ ┗Re(7):長崎女児殺人事件 石頭の息子 04/6/7(月) 18:49 ┃ ┃ ┗Re(8):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/8(火) 16:20 ┃ ┗Re(3):長崎女児殺人事件 団塊党 04/6/5(土) 1:10 ┃ ┣Re(4):長崎女児殺人事件 珍 源齋 04/6/6(日) 16:58 ┃ ┃ ┗Re(5):長崎女児殺人事件 団塊党 04/6/6(日) 17:28 ┃ ┗Re(4):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/7(月) 13:36 ┃ ┗Re(5):長崎女児殺人事件 団塊党 04/6/7(月) 20:42 ┃ ┣Re(6):長崎女児殺人事件 白髪じじい 04/6/7(月) 22:24 ┃ ┗Re(6):長崎女児殺人事件 夏の虫 04/6/8(火) 3:06 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 論考系詩人 04/6/3(木) 1:22 ┃ ┣敢えて言うならば・・・ 佐藤真申 04/6/3(木) 14:52 ┃ ┗Re(2):長崎女児殺人事件 ニック 04/6/3(木) 23:40 ┃ ┗マスコミの勘違い。 悪魔君 04/6/4(金) 0:56 ┃ ┗Re(1):マスコミの勘違い。 ニック 04/6/5(土) 23:28 ┣井上防災相発言 森下 泰典 04/6/4(金) 22:04 ┃ ┣目(耳)を疑う発言ですね 鬼瓦権造 04/6/4(金) 22:31 ┃ ┃ ┗Re(1):目(耳)を疑う発言ですね わんわん 04/6/4(金) 23:16 ┃ ┃ ┗Re(2):目(耳)を疑う発言ですね 小鉄 04/6/6(日) 15:34 ┃ ┃ ┣何だ、あんたは 森下 泰典 04/6/6(日) 19:37 ┃ ┃ ┃ ┣自作自演ではなかったのですか 馬鹿正直 04/6/6(日) 22:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):自作自演ではなかったのですか ニック 04/6/8(火) 14:24 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):何だ、あんたは 22女 04/6/7(月) 22:40 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):何だ、あんたは ニック 04/6/8(火) 14:20 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):何だ、あんたは 小鉄 04/6/9(水) 12:43 ┃ ┃ ┗小鉄さん。 敦煌(本物) 04/6/7(月) 21:41 ┃ ┃ ┗Re(1):小鉄さん。 小鉄 04/6/9(水) 13:27 ┃ ┗井上喜一は なお 04/6/5(土) 7:30 ┣今度は谷垣財務相 森下 泰典 04/6/5(土) 14:31 ┃ ┣Re(1):今度は谷垣財務相 なお 04/6/5(土) 16:33 ┃ ┗Re(1):今度は谷垣財務相 鬼瓦権造 04/6/5(土) 18:28 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 玲牙 04/6/5(土) 18:59 ┣団塊党さん、教えてください 愚考 04/6/6(日) 10:21 ┃ ┣Re(1):団塊党さん、教えてください 団塊党 04/6/6(日) 17:21 ┃ ┃ ┣Re(2):団塊党さん、教えてください 流水 04/6/6(日) 17:39 ┃ ┃ ┃ ┗お年寄りと子供の、地域での交流 ぎみゆら 04/6/6(日) 19:56 ┃ ┃ ┣団塊党さん、ありがとうございます 愚考 04/6/6(日) 20:51 ┃ ┃ ┗Re(2):団塊党さん、教えてください なお 04/6/6(日) 21:58 ┃ ┃ ┗Re(3):団塊党さん、教えてください 団塊党 04/6/8(火) 1:11 ┃ ┃ ┗Re(4):団塊党さん、教えてください なお 04/6/8(火) 7:42 ┃ ┗Re(1):善悪の判断基準について? Gokai Sezutomo 04/6/6(日) 19:55 ┃ ┗Re(2):善悪の判断基準について? 愚考 04/6/7(月) 9:54 ┃ ┗Re(3):善悪の判断基準について? Returner 04/6/7(月) 21:58 ┃ ┗Re(4):善悪の判断基準について? 愚考 04/6/7(月) 22:45 ┃ ┗Re(5):善悪の判断基準について? Returner 04/6/7(月) 22:57 ┃ ┗Re(6):善悪の判断基準について? ウミサチヒコ 04/6/8(火) 0:30 ┃ ┣Re(7):善悪の判断基準について? 団塊党 04/6/8(火) 1:39 ┃ ┗Re(7):善悪の判断基準について? Gokai Sezutomo 04/6/8(火) 13:05 ┣同学年の女の子たちはこう言ってます 愚考 04/6/7(月) 22:57 ┣救急隊は被害者をすぐに病院に搬送すべきだった ドクター乱夢 04/6/8(火) 0:17 ┃ ┣Re(1):救急隊は被害者をすぐに病院に搬送すべきだった しゃねる 04/6/8(火) 1:14 ┃ ┣Re(1):救急隊は被害者をすぐに病院に搬送すべきだった 宮崎故郷人 04/6/8(火) 10:10 ┃ ┃ ┗Re(2):救急隊は被害者をすぐに病院に搬送すべきだった 小鉄 04/6/9(水) 14:06 ┃ ┗Re(1):救急隊は被害者をすぐに病院に搬送すべきだった JS 04/6/8(火) 16:09 ┣どうも違和感が 論考系詩人 04/6/8(火) 2:26 ┃ ┗Re(1):どうも違和感が 流水 04/6/8(火) 7:42 ┣Re(1):長崎女児殺人事件;(2)続報 流水 04/6/8(火) 8:11 ┣Re(1):長崎女児殺人事件 ごまめの翁 04/6/8(火) 13:59 ┗新スレッドを立てました Ray 04/6/8(火) 18:32 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 長崎女児殺人事件 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/6/2(水) 12:17 -------------------------------------------------------------------------
また、親や教育関係者を震撼させる事件が起こった。 西日本新聞は、事件の概要について以下のように伝えている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【長崎県佐世保市の小六女児同級生殺害事件で、補導された加害者の女児(11)が、長崎県警佐世保署の事情聴取に「(被害女児と)インターネットの書き込みでトラブルになった。殺害するつもりで呼び出した」と話していることが二日、分かった。 佐世保署の調べによると、死亡した御手洗怜美(さとみ)さん(12)と女児は仲の良い友人同士。インターネットによるパソコンの「チャット」もする仲だったという。 「なぜなのか分からない。むしろ仲のいい二人だったのだが…」と担任教諭はうつむいた。長崎県佐世保市の小六女児同級生殺害事件で、動機解明の手掛かりとして浮上してきたのが加害女児(11)と、被害者の御手洗怜美さん(12)が、インターネットを通じたパソコンの「チャット仲間」だったという事実だ。 二人が通う小学校でも、他校同様に「パソコン教育」を推進していた。女児と怜美さんは学校での実習にとどまらず、他の一人を交えた三人で、下校後、各自宅のパソコンを使ってチャットのグループをつくっていたという。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この報道だけでは、事件の真相はよく分からないが、現在までに分かっている事実から考えられることを述べてみたい。 【一般論】 1【この年齢の子供の犯罪行為の特徴】 男→抽象的な理由が多い。神戸の事件、長崎の事件に見られるように、頭の中の 仮想現実と現実との落差を解決できずに犯行に及ぶ場合が多い。 女→この年齢の女の子は、一般的にいえば、男の子よりも精神年齢は上。そのため、 女の子の揉め事の中心は、きわめて日常的なささいな感情のもつれが多い。 今回の事件のように、女児が刃物を使うことは珍しい。 【この年齢の女児の一般的傾向】 狭い教室空間での人間関係に集中する傾向が強い。そのため、友達とべったりになり、常に行動をともにしなければ安心できないという傾向を強く見せる。 いつも手をつないで歩いたり、最後にはトイレまでも一緒に行かなければ安心できないという姿が見られる。 このため、友人間のささいな感情のもつれが、この年齢の女の子の悩みの中心になる場合が多い。 しかも、この年齢の女の子の発育状態は、個人差が大きい。すでに、初潮を経験している子供もいれば、そうでない子供もおり、それに比例して興味関心のずれも大きくなる。 つまり、狭い教室空間に身体と精神のバランスが壊れやすい子供たちが生活している、ということになる。この空間が狭ければ狭いほど、いったん起こった揉め事の解決は難しくなる。子供たちの悩みは、それに比例して深くなるのである。 多くの大人たちが「たかが子供の悩み」と軽視しているが、坂口安吾のいうように、【子供の悩みは、大人のそれよりはるかに大きい】のである。 【学校・担任教師の対応】 1、給食時の指導→給食時の指導は非常に難しい。小学校の担任教師は、給食準備の指導にかかりきりになっている。そのため、当番でない子供の動きには、なかなか目が届かない。 今回の事件の場合、加害女児が被害女児を学習室に呼び出している。しかも、学習室は、学習資料の置き場になっていたようなので、鍵をかけることも難しい。(それぞれの教師がいつでも資料を出せれるようにしておかなければならない) ↓ 給食時の子供の動きを把握するためには、担任以外の教師が見回りをする以外にない。現に、中学校では、校内暴力華やかなりし時は、これを行っていた。 しかし、この小学校では、それほど困っている様子もなかったため、必要性を感じていなかったのであろう。 2、子供たちの人間関係の把握→全体的な把握はできても、個別の子供たちの内面にまで踏み込んだ把握はできない。 3、生徒数の問題→37人のクラスだったそうだが、もう3人生徒がいたら、2クラスになったはずである。そうなれば、一クラス20人になる。20人クラスだったら、もう少し踏み込んだ子供たちの関係の把握も可能だったかもしれない。 5年の担任が持ち上がっていた場合なら、話は別だが、6年ではじめて担任を持っていた場合、わずか2ヶ月で37人の子供たちを細部にわたるまで把握するには、時間が短すぎる。 【ネットの問題】 報道によると、加害女児も被害女児も、チャット仲間だったとされている。 【バーニング(炎上)】と呼ばれるネット上の言葉の行き違いによるトラブル解消のスキルを持っていなかったことは事実であろう。 いわゆる【IT教育】をするのなら、ここまできちんと教育をしておかなければならない、という批判は、避けられないと思う。 そもそも、6年生には、チャットは早すぎる、という視点も考えなければならないと思う。 ◆この事件は、まだまだ分からないことが多すぎるので、結論を出すのは早すぎるが、「命の大切さ」をお題目のように唱えて解決できるほど、根の浅い問題ではないことは確かである。 |
なんで、結婚式をミサイル攻撃した人と一緒に自衛隊の人たちは行動するのですか? みんな、人の命なんて、どうでもいいんでしょ、そう思ってる。 間違いない。 国家は、戦争で間違って何十人も殺しても謝りもしないで、 たった一人殺して大事件になるなんて、子供は理解できる訳ない! 一貫した行動にともなった教育じゃないと |
何で、自衛隊問題がここに出てくるのでしょうか。 サヨク思想家という人たちの理論に出てくるのは・・・ 『チャンスであれば、どんな事件も利用するだけだ』 と言う事なのでしょうね。 過去の大事件も必ずと言ってよいように、政府批判に摩り替えてきています。 そのような、日教組や市民運動家と称する、イデオロギ−に染まった人たちの考えが、子供たちの精神を荒廃させてきているのではないのでしょうか。 |
みんなの心の中の問題です。 戦争で人を殺すのは、正義である。学校で同級生を殺すのは、悪である。と思ってませんか? 僕が、小学校の頃は、いかなる理由でも、人殺しは悪であったと思います。 たとえ、裁判の死刑判決でも、悪い事だけど、必要悪として仕方がない、としてたのに、 いつの間にか、正義の為には人を殺しても良いと思うようになってませんか? 人を殺すすべての行為は悪い事と言う教育は、倫理的にも、宗教的にも筋が通っているけど、 あの殺人は正しくて、この殺人は悪い、そして、少したつと悪いことも正しい事に塗り替えられてしまったら 殺人が悪い事だなんて意識が育つ訳がないでしょ。 それに、僕は左翼じゃない、もし、僕が左翼に見えるなら、みんなが右にいっちゃったんじゃない 僕の考えは子供の頃から変わってないもん。 あなたは、ゴキブリを笑って殺せますか? 僕は、殺すけど、「ごめんねって」思う、思うだけで、結局殺すんだけど・・・ |
摩り替えていますね。 では、佐世保の事件と自衛隊と、国家と言う関係は・・・ 佐世保事件の被害者がマスコミの家族。加害者は・・・・ そう突き詰めて、最後には、佐世保は軍港・・・だから、軍隊が悪い。 と言うからませ方にしたいのではありませんか・・・ |
「軍隊は悪い」 はい、そう、思います。 でも、僕は、軍隊そのものに、嫌悪感を抱かなくなった日本人に 凄い恐怖を感じます。 |
>でも、僕は、軍隊そのものに、嫌悪感を抱かなくなった日本人に 凄い恐怖を感じます それじゃ、包丁は人を殺せるから包丁に嫌悪感を感じると言ってるのと同じだよ・・・。所で貴殿の軍隊嫌いは本物ですか?土井某なんかは日本の軍隊には反対のくせに人民解放軍(実際は抑圧軍)のパレードには喜んで参加してたんですが・・・ |
▼小鉄さん: > それじゃ、包丁は人を殺せるから包丁に嫌悪感を感じると言ってるのと同じだよ・・・。 軍隊は、人殺しの為に作った組織 包丁は、料理の為の道具 刀は、人殺しの道具 拳銃は、人殺しの道具 人殺しの道具は、美しくて、人を魅了する力があると思います。 海外で、拳銃を撃ちました。 他の人のオフサイドラインが、もっと奥だって気づいた。 |
>>海外で、拳銃を撃ちました。 ショート・ストックの銃器は対人兵器です。 貴方はなんと云う拳銃でどんな弾種で、どのくらいの口径の拳銃を 何発撃ったんですか? 生き物を撃ったことありますか? 断末魔の叫びを、聞いたことをありますか? 戦争は・・・人を殺めることは「悪」です。 しかし、無防備はそれを助長する「悪」です。 |
やめましょうよ。無益ですよ。 |
▼aubeさん: >▼小鉄さん: >> それじゃ、包丁は人を殺せるから包丁に嫌悪感を感じると言ってるのと同じだよ・・・。 > >軍隊は、人殺しの為に作った組織 >包丁は、料理の為の道具 >刀は、人殺しの道具 >拳銃は、人殺しの道具 警察官のもつ拳銃も「人殺しの道具」 警棒は「ぶん殴る道具」放水車は「高圧水流で攻撃する道具」 じゃぁ、警察は無防備でいるべきか? 警察は要らないか? 丸腰警察官ではお話にならない。 同じように丸腰国家ではお話にならない。 |
「軍隊は悪い」 はい、そう、思います。 でも、僕は、軍隊そのものに、嫌悪感を抱かなくなった日本人に 凄い恐怖を感じます。>>軍備そのものを膨張させている中国軍に対しては、すごい恐怖を感じませんか?『中国は軍拡を止めろー』とデモして下さいな。何故日本ばかりを非難する?現在アジア地区において一番不安定要素が多いのは中国軍の軍拡だろう。現に尖閣諸島付近において、天然ガスの盗掘をしておる。日本に向けてミサイルを配置している。これも全部人民解放軍(本当は人民抑圧軍)なのだが。韓国軍にも恐怖を感じないかな? 軍拡反対を叫ぶなら、まずはこれらの反日国家の軍拡反対を叫ぶのが筋でしょうな。 |
恐るべきパソコン(ゲーム)世代 リセットすれば元に戻る感覚 で現実に人を殺したのか. 小学学校、幼稚園までパソコンが導入されて、教師は 操作教育でてんてこ舞い. 組合活動する時間はあっても、パソコンの子供に与えるマイナス面 までは思考が及ばなかった. 文部省もパソコン担当教師の教育プログラム考え直せ. |
僕がこの事件を知って、まず一番強く感じたのは 加害女子児童には、非常に強い敵意があった という ことへの驚きでした。 普通の工作用のカッターナイフで、頚動脈を切る なんてのは、大の大人でもまずやらないことだと思います。 もしかしたら、死ぬところまで行くとは考えていなくて でも どうしても許せない怒り=事情 を持っていたから、 カッターナイフで傷つける、という行為は止められなかった ということなのかもしれませんが・・・ 精神異常や障害を持っていたということではなくて やはり閉鎖的な人間関係、共生関係? の中で、少女に 裏切られた感、を強く感じさせた、何か があったんだと 僕は感じました。 結果的に小学生同士による史上初の殺人事件? に なってしまったというのは、個別的に悪い偶然が重なった? ということであって、特別に、躾がどう、家庭教育がどうの という周囲の大人や学校に責任がある、ということではない と思います。 むしろ、世間の方がどうこの事件に対するのか? 相手が子供だからと、油断したり、安心して見ていたら とんでもない事態に陥る可能性もあるんだよ?? くらいの教訓というかスローガンを掲げる程度の、 いわゆる常識の範囲での対応で構わない。むしろ、 大人たちが大騒ぎすると、かえって子供たちに悪影響を 与えるだけ、のような気がするんですが・・・ 子供だって 怒る時には、相手を殺してしまう位の 強い怒りを持つことがある!! 精神分析風に見たら、それは いわゆる加害女児の方が マセていて 彼女なりの大人の悩みを友達に打ち明けたけど 相手の女児が子供で、その悩み自体を理解出来なくて、 「それって、おかしいよ 〇〇ちゃん!」 みたいに 子 供 に 馬 鹿 に さ れ た から 逆ギレしてしまった、のかなぁ、と推測してしまいますが。。。 |
非常にバランスのとれた意見だと思います。 「子供の悩み」というのは、これぐらい深いのだ、ということを 分かって欲しいものです。 |
> 僕がこの事件を知って、まず一番強く感じたのは > 加害女子児童には、非常に強い敵意があった という > ことへの驚きでした。 > 普通の工作用のカッターナイフで、頚動脈を切る > なんてのは、大の大人でもまずやらないことだと思います。 あなたは、子供の頃けんかしなかったの? けんかしてる時って、殺してやるって位の気持ちがなかったの? けんかは、スポーツじゃないから、ルールなんてないけど でも、石投げたり、シャベル(移植こて)振り回したりすると、 取り上げられたりしなかった? けんかはしても、良かったけど、素手じゃないと、怒られなかった? 今の子は、心の問題じゃないと思うな、ルール知らないんじゃない? 僕は、けんかしてるとき、相手がほんとに憎かったし、殺してやると思ってたし、 でも、誰か(近所のお兄さんとか)が、一応ルールをきめていた。 もし、けんかのルールを誰かが押し付けなかったら、殺してたかもしれないと思うけど・・・ 子供だから、何も知らないから、武器を使ったんじゃないの? 結果を考えて行動するのは、大人だけじゃない 最近の子は、けんかしてるのかな?みかけないけど |
>▼aubeさん: >あなたは、子供の頃けんかしなかったの? >けんかしてる時って、殺してやるって位の気持ちがなかったの? >けんかは、スポーツじゃないから、ルールなんてないけど >でも、石投げたり、シャベル(移植こて)振り回したりすると、 >取り上げられたりしなかった? >けんかはしても、良かったけど、素手じゃないと、怒られなかった? >今の子は、心の問題じゃないと思うな、ルール知らないんじゃない? とのことですが・・・ 何でも報道によると、この加害女児は、「バトルロワイヤル」とか 「着信あり」等のバイオレンス、ホラー系の作品が好きで、最近は 何かにイラついて、粗暴な言動が見られるようになった、とか 30日の運動会では、被害者の女児と大喧嘩していたとか、 いかにも殺人事件を犯してもおかしくない子だった、的な 偏向報道? が毎度のことながら出て来ているようですが・・・ 確かに、この加害女児には、「人一人の命は地球よりも重い!!」 という信念はなくて、それに明らかに殺そうと思って、被害者を 呼び出したのかもしれませんね。 僕の場合は、子供時代、時に小学生時代は、めったに取っ組みあい の喧嘩とかはしなくて、一、二回、親友とつかみ合いの喧嘩をした位で、 他人を殴ったというのは高校生になってからで、その原因は 今から思い起こせば、自閉症傾向にある父親からずっと悪い影響を 受けていて、世の中や他人を思いっきり誤解していた自分を 「お前、おかしいぞ? 〇〇!」と、級友達が心配して、 授業中とか、軽くチョッカイを出されていたことに、逆ギレして 便所で、級友の一人を五・六発殴って鼻血を出させた位で、 それも科学の授業の直前で、向こうから科学の先生が来た! のが見えてるタイミングを敢えて狙って、思惑通り、科学の先生 に止めて頂いて、まぁ殴った力も弱かった、つまり殴った証拠として 鼻血がたらりと流れる程度には力を調節して殴ってた訳ですけど、 明らかに加減してやっている、ことが相手にも先生にも分かったから 何の注意もお咎めもなく、授業が中断することもなく、スルーされた? と、言っては変ですが、という経験はありますが・・・ 殺意を覚える程の憎しみはなかったですねぇ。私の子供時代には・・・ 嫌いは嫌いでしたけどねぇ、多くの級友達のことが ルールというのか、何と言うのか、相手を殺してしまったら それは罪=負けであって、どうせやるなら 半殺しにする みたいな 意識? は、あったような気がします。。。 |
> 僕の場合は、子供時代、時に小学生時代は、めったに取っ組みあい > の喧嘩とかはしなくて、一、二回、親友とつかみ合いの喧嘩をした位で 今の子の多くは、兄弟も少なくて、取っ組み合いのけんかなんてしたこともなければ、 見ることもあまりないんじゃない。 もし、学校でけんかなんかすると、あの子は乱暴な子とか、レッテル貼られて 刃物の使い方も手取り足取り教えて怪我しないようにしてるけど、 指切って怪我するから、刃物が使えるようになるように 生き物も、学校でうさぎ一匹飼っても、命の大切さなんてわからない そこらへんにいる(都会だといないのかな?)ザイリガニ、カエルとかバッタとか なんでもかんでも捕まえて飼ってみないと、必ず生き物は死ぬから、 沢山の命がなくなって行くのを見て、そのうち命の大切さがわかるんじゃないかな 失敗しないと進歩はないのに、学校は沢山の失敗を経験できる場所じゃないといけないのに 先生も保護者も、失敗を経験させる教育をしないといけない はっきりいえば、沢山子供がいたら、何人かは大きな怪我するし そのうち何人かは死ぬでしょう、リスクはある でも、社会にでれば、失敗すれば死ぬ確立は高くなる 早いうちに失敗すれば、怪我ですむかもしれない > 殺意を覚える程の憎しみはなかったですねぇ。私の子供時代には・・・ 嫌いは嫌いでしたけどねぇ、多くの級友達のことが 子供の頃あきらかに殺意はあったら変だよ、殺意も嫌もたいした違いはないはず。 どうやったら、人が死ぬかなんかわかってないんだから たとえば、寝てる親の上に飛び降りたら、親は死んじゃうかもしれないけど 多くの子供はそんなこと考えずに、飛んでくるでしょ どこまでやったら、死ぬか考えるのは、かなり大きくならないとわからない > 「人一人の命は地球よりも重い!!」 この言葉は大嫌い!他の命が沢山乗ってる地球より、特定の一人の命が優先されるなんて 独裁者の考える事じゃないの? |
カッターナイフで殺人ですか. WINNYの製作者を捕まえた警察は すぐにでもカッターナイフの製造工場を家宅捜索 して誰か検挙しないと片手落ち、不平等だよ. さあどうする警察. どちらも道具の製造者.カッターナイフの製造者も winnyの製造者同様に良くつかえるように 何度もヴァージョンアップ繰り返しているよ. |
▼佐藤真申さん: > > もしかしたら、死ぬところまで行くとは考えていなくて >でも どうしても許せない怒り=事情 を持っていたから、 >カッターナイフで傷つける、という行為は止められなかった >ということなのかもしれませんが・・・ > > 精神異常や障害を持っていたということではなくて >やはり閉鎖的な人間関係、共生関係? の中で、少女に >裏切られた感、を強く感じさせた、何か があったんだと >僕は感じました。 > 良い本を紹介します。 「人はなぜ憎むのか」 ラッシュ・W・ドージアJr著 桃井緑美子 訳 河出書房新社 とても面白いですよ。 |
>【ネットの問題】 報道によると、加害女児も被害女児も、チャット仲間だったとされている。 【バーニング(炎上)】と呼ばれるネット上の言葉の行き違いによるトラブル解消のスキルを持っていなかったことは事実であろう。 いわゆる【IT教育】をするのなら、ここまできちんと教育をしておかなければならない、という批判は、避けられないと思う。 そもそも、6年生には、チャットは早すぎる、という視点も考えなければならないと思う。 掲示板とかチャットとかの使い方はネチケットを重んじるべきです。 小学生にはきちんとしたIT教育を施したり、保護者の目の監視の下でインターネットをさせるとかいうことも 必要でしょう。 ネチケットを重んじないばかりに相手と紛争になる例もあります。 私を例にとると 掲示板に書かれた私の投稿文を私に断りなく勝手に第三者が過去ログとしてネット上に公開するのは 著作権の侵害にあたります。 その第三者とは「香ばしい掲示板」とやらの管理人です。 彼は人の書き込みをおもしろおかしく改ざんして、過去ログとしてネット上に公開しています。 このようにネチケットを重んじない教育をうけたのでこのような行為をするのでしょう。 |
ネチケット(ネットワーク・エチケット)を尊重するということは、大変大事なことで、教育にも力を注いで欲しいと思います。 インターネット協会に「インターネットを利用する方のためのルール&マナー集」のサイトがあり、「子供版」のネチケットがあります。 また、「教師・保護者版」のネチケットも参考にして欲しいですね。 URLは、http://www.iajapan.org/rule/ です。 |
どこの誰か知りませんが、私とは違うリアル様へ >私を例にとると掲示板に書かれた私の投稿文を私に断りなく勝手に第三者が過去ログと>してネット上に公開するのは著作権の侵害にあたります。 >その第三者とは「香ばしい掲示板」とやらの管理人です。 >彼は人の書き込みをおもしろおかしく改ざんして、過去ログとしてネッ>ト上に公開しています。 貴兄の文章の「私」とは、私のことですね。貴兄がどういう方が知りませんが、他者になりすますのは、貴兄のいうネチケットとは遙か遠くはずれた行為だと思いますが。 また、私は「香ばしい掲示板」のしんしん様の、第三者の過去ログの丸ごとコピーは批判していますが、「改ざん」については避難していません。 |
▼リアルというHMを使うmonoさん: 私はよく「平和について考える市民の掲示板」に寄らせてもらっており、劣化ウラン弾についての論議も保存しております。 >また、私は「香ばしい掲示板」のしんしん様の、第三者の過去ログの丸ごとコピーは批判していますが、「改ざん」については避難していません。 この書き方だと、8755のリアルさんは「改ざん」を肯定しているように思えますが、私の保存分と比べてみる限り、「香ばしい掲示板」での過去ログは全く改ざんされていませんよ。 こういうHNの騙りや荒らしなどのネチケット違反を見ると、ネチケットを守る一つの防波堤として過去ログの保存・公開は必要だなと思います。 |
返信です。 >この書き方だと、8755のリアルさんは「改ざん」を肯定しているように思えますが、 「改ざん」と括弧にいれているように、私が言いたかったのは「8713のリアルさんのいう改ざん」という意味です。 誤解を招く表現だったようですね。反省します。m(_ _)m >こういうHNの騙りや荒らしなどのネチケット違反を見ると、ネチケットを守る一つの防波堤として過去ログの保存・公開は必要だなと思います。 ネチケットを守るために法を犯すのでは、本末転倒では? 附記、私は、法自体の正当性を論議することは否定していません。 |
>ネチケットを守るために法を犯すのでは、本末転倒では? 附記、私は、法自体の正当性を論議することは否定していません。 法を犯す? 誰が判断するのですか? 最終判断するのは司法ですよ。 投稿文の著作権は管理人にあると思いますよ。 |
▼Hannunさん: >法を犯す? 誰が判断するのですか? >最終判断するのは司法ですよ。 >投稿文の著作権は管理人にあると思いますよ。 横レスです。 掲示板の匿名投稿にも、投稿者の著作権があるという裁判所の判断がでています。 (東京地裁 平成13年(ワ)第22066号著作権侵害差止等請求事件) (東京高裁 平成14(ネ)2887等 著作権 民事訴訟事件) 8713の投稿にある、「掲示板に書かれた私の投稿文を私に断りなく勝手に第三者が過去ログとしてネット上に公開する」のが事実なら、法的に問題だと思います。 |
たいへん痛ましい事件です。私にも同年代の子がいますが小5小6あたりからは思春期にさしかかり中学への不安や友達関係にも変化が著しい年頃です。小学生に関するいろんな事件が増えるに学校内でのケンカ(暴力)は教師も厳しく子供を叱っており、普通は目立ったケンカらしいものは学校内では見えないでしょうが、あたりまえですが仲間はずれや、陰口などが常に横行しています。子供はこれにより鬱積したものを排除する手段の選択肢が解らないため結果より先に鬱積を開放することだけを考えてしまいその子により、いろんな形で行動に出てしまいます。普段から口ケンカから人と組み合い力の差を感じたり、つかみ合いのケンカや、襟首もって威嚇したりすることで力の差を知ることもまずないでしょうから。ケンカを奨励してませんが学校は誰のためにケンカを規制しているのか疑問もあります。子供もわかっているんじゃないでしょうか。情報や方法や頭脳ばかり先行して友達やいろんな人の手の温度も知らないのではそれはあまりにかわいそうだ。誰の責任ともいえないが学校は生徒の全てにおいて教育の現場担当者としてもっと積極的に生徒や家庭に踏み込んできてもいいと思います。みんないい子なわけないですし。家庭では強い子に育ってほしい、学校は良い子にしていてほしいでは子供も困惑しませんか。 |
●学校は生徒の全てにおいて教育の現場担当者としてもっと積極的に生徒や家庭に踏み込んできてもいいと思います。みんないい子なわけないですし。家庭では強い子に育ってほしい、学校は良い子にしていてほしいでは子供も困惑しませんか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 児童虐待の場合にも、どこまで公機関が家庭に踏み込むかが、論議の対象になりました。簡単に結論は出ないと思います。 この種の問題は、対策的手法で、解決できるものではないと思います。 根本的な対策が必要であると考えています。 私は、この掲示板上で、団塊党さんとのやり取りで、わたしなりの方法論を提示しています。(もし、興味がおありなら、【集団と個】で過去ログを見てください。) |
突発的ではあっても、何らかの事件・問題を起す生徒というのは、家庭に問題のあることが多いんですよ。学校行事に親が非協力的であったり、家でだけいい子にしているとか。 そんな子の親に限って、取り留めのない事ですぐに学校に文句を言う。即ち、何でも人のせいにして『自分は悪くない、ウチの子は悪くない』という固定観念に囚われている。それと家庭においても『自分がされて嫌なことは人様にはするな』という、基本中の基本が家庭において教えられていない。友人の教師も『人格教育の基本は家庭にあり』と言います。何でも他人任せという、教育放棄が根底にある。放任主義というのは、親としての教育を放棄しているだけ。 |
流水さん: >児童虐待の場合にも、どこまで公機関が家庭に踏み込むかが、論議の対象になりました。簡単に結論は出ないと思います。 この種の問題は、対策的手法で、解決できるものではないと思います。 根本的な対策が必要であると考えています。 私は、この掲示板上で、団塊党さんとのやり取りで、わたしなりの方法論を提示しています。(もし、興味がおありなら、【集団と個】で過去ログを見てください。) たいそうな公論を拝見しました。雲の上のような話でむずかしくてよくわかりませんでした。児童虐待ではなく殺人事件についてですが、未然防止手段として学校(公立)として あなたはまず学校としてはなにをするべきだとおもいますか?私は常日頃から学校のやっていることは腑に落ちないことが多いと感じています。 |
原則として、押さえておかなければならないのは、子供が殺人を犯すということは、例外中の例外であるということです。まして、小学校のそれも女子などということは想定もされていなかったと思います。 ですから、学校の中で【殺人】をさせないために、日常的に具体的に何かをしているということは、ないのです。 せいぜい、道徳の時間に、【命の大切さ】を考えさせたり、教えたりする程度でしょう。 ただ、神戸の事件・長崎の事件など、これまでの常識では考えられない事件が起こったのを契機にして、何とかしなければという思いは、教育界全体にあります。 わたしの論議したものを読んでいただいたそうですから、それを少し噛み砕いて話をしましょう。(※教師間の話でしたので、分かりにくかったと思います) 簡単にいうと、現在は少子化の時代です。また、近所の子供たちと遊ぶ機会も少なくなっています。さらに、共働きの家庭が増えています。しかも、核家族化も進んでいます。 このような状況では、かってのような【家庭の教育力〉も【地域の教育力】も【仲間の教育力】もあまり期待できません。 さらに、今や幼稚園から【競争社会】です。この中で形成される【エリート意識】や【挫折感】も子供たちを蝕んでいるのです。 さらに、公立学校教師をしていて痛感するのは、新たな貧困層の出現です。経済的にもそうですが、精神的にもそうなのです。 つまり、子供たちの暮らしている環境が、以前よりはるかに格差がでているのです。 しかし、学校も教師も親や子供を選ぶことができないのが、公立学校です。 わたしや団塊党さんの意見は、この現実を踏まえて、どのように子供を育てるかを考えたものです。 自分たちの経験を踏まえて、子供たちの育っていく過程を考えると、結局学校で教えられたことより、家族・地域・仲間・世間などから多くのものを学んでいるのです。 この過程が捨象されると、こどもの育ち方が歪みます。現在の社会状況は、まさにこの状態だと認識しています。 しかし、教師にこの社会状況を変える力はありませんし、それが仕事でもありません。公立学校の教師は、黙ってこの状況を丸ごと引き受ける以外にないのです。 ですから、子供たちが踏めなかった過程を、意図的に学校・教室の中に作り出すことによって、何とか子供たちをバランスよく育てようと考えているのです。 例えば、【悪口をいうな】というモラルを考えてみると、自分がいわれてはじめてその痛みが分かります。そのことが、相手の痛みを考える人間的想像力を育てます。 昔の子供は、このようなことを日常の遊びの中で身につけてきました。 そして、人間が生きていれば、もめごとは避けられないということも、どうすればそれを解決できるかを学んできました。 読んでいただいたわたしの論は、これを意図的に学校の中で作り出そうというものです。 そうすることが、子供たちを健全に育てる早道だと考えているのです。そして、それが今回の事件のようなことを事前に防ぐために必要だと考えています。 【急がば回れ】こそが、必要なことだと思います。 |
流水さん: 要約すると、子供は学校以外の場で殆どを学び、学校はその状況を受け入れるだけで対処の方法は無いということのようですが、私は学校教育の難しいことはわかりませんが、役所と一緒で何かあったら学校にきてくださいというかんじでしょうか。 |
●子供は学校以外の場で殆どを学び、学校はその状況を受け入れるだけで対処の方法は無いということのようですが、私は学校教育の難しいことはわかりませんが、役所と一緒で何かあったら学校にきてくださいというかんじでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうも、話が全く通じていないようですね。 あなたが何を想定されているのか知りませんが、教師は【神】ではないのです。 何十人の子供の内心を正確に見通すことなどできません。 「あいつを殺したい、殺してやる」と突発的にある子が考えたとしても、教師がその子の気持ちが分かるわけではないのです。 学校で教師ができることは、そのような気持ちを起こさないような環境をつくることです。 ただ、そのような気持ちをおこす子供は、ある程度見当がつく場合があります。問題児であるなしにかかわらず、子供をよく観察していれば、分かる場合があります。わたしの方法論は、この【気がつく】機会を増やす方法論でもあります。その子の指導は、あらゆる手立てを講じます。 学校では、集団の中でその子が生きるような方法・勉強が遅れていれば、個人指導・家庭に問題があれば家庭訪問など、あらゆる手立てを尽くします。 私自身のことで言えば、現役時代(校内暴力全盛時代です)夜11時より早く帰宅することは、ほとんどありませんでした。また、部活動の指導もしていたので、朝は7時過ぎには学校へ出ていました。 また、わたしは子供のした事で、保護者を学校へ呼び出すことも、ほとんどしませんでした。親と腹を割って話すためには、家庭訪問するのが一番と考えていました。 あなたは家庭や子供に踏み込めと主張されますが、教師という仕事は否でも踏み込まざるを得ないのです。しかし、それを強権的に踏み込んでは駄目だ、というのがわたしの主張です。 そうではなくて、親が自分から相談を持ちかけてくるまで、通い続けることが重要だと考えていたし、そのように実践してきました。 しかし、そういうことをする必要がないように、学校に楽しく通わせることが、一番重要な仕事だといっているのです。 |
流水さん: 教師は万能などと期待していません。腹を割って話する・・とありましたが、私がしてほしいことはまさにそれです。あなたのような方ばかりだといいのですが、私近所のガキ達と休みの日は時々遊びますが、ガキ達はそら楽しそうに時にははしゃぎすぎてよだれたらしいるやつもいます。TVゲームも横取りしてやって私のゲームにつきあわさせてやります。私の高校2年の担任が体は小さくよわっちいのですが、クラスのみんなとよく遊んでいました。私はその先生を尊敬していました。そんなことは今の学校ではできないのでしょうか? |
流水さん: 言い忘れましたが、あなたの教育方針は感銘しました。けどあなたがもと教師ということでご教鞭あずかろうとお聞きしたのですが、この回答ですが、今の小学校にもあてはまるのでしょうか?こんなこと少なくともうちの近所の学校ではやってないですよ。よほどの場合は別として、教師に聞いてもいいことしか言わないですよ。家庭訪問なんて3分で終わりであいさつ回り程度ですし、子供達に家庭調書みたいなことやらせてますし、つれさり事件が多発しているからといっても下校時は校門から外にはでてきませんし。1年生からずっとこんなんでしたよ。事件が増えだしてから明らかに家庭とのコンタクトを避けていますよ。教師と校長に話したときはそら教育方針や学校の理念等をほざいてましたが、結局受身なんでしょうね公務員は。建物は立派だが何もしない。踏み込んでくれといっているのは、普段から先生と親と話す機会(場所は何処でもよい)をたくさんもうけて両親がある場合は父親も参加させないといけないようにすること。又子のダメなところはだめと親に言うこと。親に問題がある場合、こんこんと特異の教育論で説いてやること。先生の事務を減らした分職員室から出て学校内をうろうろし子供と触れ合うこと。下校時こそ親も先生も一緒に下校路にでて見守ること。インターネット社会を良く知ること。子供と話し家庭や学校内の様子を理解しておくこと。元気の無い子供には声をかけること。朝みんなで体操をすること。勉強は民間の教育プログラムを学校に導入しカスタマイズして使用することと。その他ETS・・これをやったら問題がなくなることは保証できませんが、やらんよりやったほうがいい。 |
現在の学校事情については、団塊党さんに聞いてもらうほうが、正しい情報を得られると思います。 ただ、現在公立学校は、制度的な改変期にあります。 そのため、教師に様々な負担がのしかかっているのです。 有体にいえば、学校にも教師にもそして子供にも余裕がなくなっているのです。 学校という場で必要なのは、時間的余裕ではなく、精神的余裕なのですが、文部省は「余裕」といえば、学習量の余裕・時間的な余裕という風に改変をしています。 【集団と個】の中で、体感時間20Kmをどう設定するかという問題を書いているのは、その意味です。 現在の学校は、教師にとっては体感時間40Km以上にも匹敵する【精神的重圧】がかかっていると思います。 本当に良い教育をするためには、教師の【自由】が保障されなければなりません。 しかし、現在の学校にはそれがないのだと思います。 ただただ、ノルマに追いまくられて日常を過ごしているようでは、良い教育など望むべくもないのです。 団塊党さんの、とにかく【余裕】が欲しい、という悲鳴にも似た訴えの意味を考えて欲しいと思います。 |
流水さん: ごちゃごちゃ聞きましてすみませんでした。子供の学校の校長もそんなこというてましたわ。・・でもテレビでやってました校長はちがいましたね。(ガンで余命わずかの校長さん奮闘記) 結局バカ文部省からの統制構造が諸悪の要因ということですね。わかりますよ余裕がないの。家庭や社会に問題があるのもわかります。PTA集会もバカみたいな議論しますし。しかし、公立の存在価値向上のためにも取り組んでもらいたいですね。近所のガキも叱ってやりますが会社なら社長解任、人事部長くびですね。市教委こんなもんいりませんね。学校は国営か民営ですね。子供の命のためにこそ学校に期待しますよ。 |
▼夏の虫さん: >流水さん: >>児童虐待の場合にも、どこまで公機関が家庭に踏み込むかが、論議の対象になりました。簡単に結論は出ないと思います。 >この種の問題は、対策的手法で、解決できるものではないと思います。 >根本的な対策が必要であると考えています。 >私は、この掲示板上で、団塊党さんとのやり取りで、わたしなりの方法論を提示しています。(もし、興味がおありなら、【集団と個】で過去ログを見てください。) > >たいそうな公論を拝見しました。雲の上のような話でむずかしくてよくわかりませんでした。児童虐待ではなく殺人事件についてですが、未然防止手段として学校(公立)として >あなたはまず学校としてはなにをするべきだとおもいますか?私は常日頃から学校のやっていることは腑に落ちないことが多いと感じています。 私は第三者としてみたときに、学校で何か問題が起きたときの報道が、謝罪する教師又は教育委員会、問いただす父兄、というように構図が決まっているように感じられてなりません。 私は、教師が或る意味で臆病になったのは、以前、暴力教師ということが父兄特に母親によって主張されすぎたことに一因があると考えていますので、父兄による行き過ぎた介入には疑問を持っています。しかし、近年は逆に、何もかも学校任せという風潮が感じられ、気になっています。今、父兄は、どの程度学校に行っているのでしょうか。時間を作っては積極的に学校に行き、教師に協力しようとしている父兄がどれだけ居るのでしょうか。何か問題が生じたときに、事情を聞きに行くという父兄が多くないでしょうか。 よく子供は家庭、学校、地域・社会で育てるものといわれますが、これらがばらばらにではなく、互に信頼し、協力する関係がいつも保たれているよう切に希望します。 |
かつてはありえなかった膨大な死の知識。 現代では見えにくい現実の死の経験。 その狭間に生まれてしまう殺人事件 と、思えてならない。 子供の意識はそんなに変わってないけど、 子供の知識は異様に増大する現代の問題。 |
●かつてはありえなかった膨大な死の知識。 現代では見えにくい現実の死の経験。 その狭間に生まれてしまう殺人事件 と、思えてならない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その解釈には賛成です。 このような解釈を前提にしていなければ、どんな処方箋も 結局【対策的手法】にしかならないと思います。 |
▼棚田稲田さん: >かつてはありえなかった膨大な死の知識。 >現代では見えにくい現実の死の経験。 >その狭間に生まれてしまう殺人事件 >と、思えてならない。 >子供の意識はそんなに変わってないけど、 >子供の知識は異様に増大する現代の問題。 その意見は全面的に賛成させていただきたいと思います。 現在の学生達は本当に必要な事を学ばず、 学ばなくてもよい情報ばかりを学ばされてると、私は思うのです。 |
このような事件が起こると、現役の教師である私は否応なく自分の日々の有り様を振りかえざるを得ません。 流水さんが仰るように、対症療法では何の解決にもならないことは明白です。 普段の自分の教育がどのような方向性を持っているのか、特に思いやりのある暖かい雰囲気の教室を作っているか、一人一人の子どもが安心していられる居場所を保証しているかがポイントだと思います。 学校は当たり前のことですが、級友や先生と勉強したり、遊んだり、コミュニケーションしたり、仕事をしたりする場所です。 その一つ一つの活動が、安心してできる、そして張り合いと充実感を持って出来るような教室を作ること、それが教師に出来る第一のことです。 また、トラブルが起きたときの自己解決力を育てることも大切です。 多くの子どもが生活している学校ではけんかやトラブルが起きるのは当然のこと。 その時に相手の立場に立って考えたり、自分の気持ちを伝えたりする力を育てているかどうかが問題の解決のポイントです。 ネチケットも大切です。刃物の管理も必要でしょう。 しかし、基本的には上に述べたことを実現していくことが何よりも求められているのだと考えます。 事件を起こした少女の担任の教師は、一体どんな気持だろうか。 それを想うと胸が痛みます。 教師のつらいところは一生懸命にやっていても、このような予測できないような事故や事件が起きうるということです。 絶対に自分のクラスではこのような事件は起きないと言い切れる教師はほとんどいないと思います。 現場で毎日子どもと接している教師は生身の人間、間違いを犯すことは数知れずあります。 しからないで済む所を思わずしかってしまったり、大声で怒ったりすることもあります。 反省することばかりです。 教育改革が叫ばれていますが、何よりも改革して欲しいのは、もっと現場にゆとりをということです。 子どもも教師も心のゆとりがなければ良い学校はできません。 クラスの子どもの数ももっと減らして欲しい。 文科省は本気で学校現場のことを考えてもらいたい。 今、現場の苦労は大変なものです。 |
団塊党さん お久しぶりです。今回の事件、現場教師は否応なく、自分を振りかえらざるを得ないと思います。 わたしの【集団つくり】論を繰り返すつもりはありませんが、一人でも多くの教師がそのことにきずいて欲しいと思います。 前にも述べましたが、【中景】の喪失が、今回の事件の背景にあると思います。 いかにして【中景】を再構築するかが焦眉の急だと思います。 もちろん、このことは一朝一夕にできるものではありません。 だから、擬制でもいいから学校や教室の中に【中景】を回復する手立てを講じるべきだというのが、わたしの考えです。 最後に、担任教師の苦しみを考えると、元同業者としては胸が痛みます。 わたしの同僚だった教師も、遠足を引率したとき、山火事にあい、担任していた子供を亡くしました。 その遠足は、始業式のあくる日に行われたのですが、彼はその学校へ転勤したばかりでした。 事故から何年かたってから、彼と久しぶりに酒を酌み交わしたのですが、そのとき 彼はしみじみこう述懐していました。 「お通夜・葬式・初七日・49日・一周忌だけでなく、ほとんど毎週拝みにでかけた。だけど、どう思い出そうとしても、その子の顔が浮かばないんだ。これが、なにより辛かった」と。 当然ながら、死亡した子供の親の嘆きは深いし、学校・教師に対する罵倒に近い非難も親の気持ちを考えれば、甘んじて受けなければなりません。 それに加えて、この死亡事故は裁判になったものですから、市の教育委員会からは親の気持ちをなだめてくれという内意もくるわけです。彼は、この板ばさみにも苦しまなければならなかったわけです。 それでも彼はこうもいっていました。「親の悲しみを考えれば、わたしの苦しみなどは物の数ではない」と。 教師であるとは、そういうことだと思います。今回の担任教師の人にも、大変でしょうがこれも教師であることの【宿命〉だと思って、耐えて欲しいと願うばかりです。 |
(8776) 「お通夜・葬式・初七日・49日・一周忌だけでなく、ほとんど毎週拝みにでかけた。だけど、どう思い出そうとしても、その子の顔が浮かばないんだ。これが、なにより辛かった」と。 これは一体どういう意味ですか。 酒席とはいえ、言った相手が悪かったということでしょう。不特定多数の私のようなものもいるところで吐露すべきことでしょうか。結果オーライでハッピーな老後をお過ごしなのは結構ですが、言うべきこととしてはいけないことのメリハリだけは持つべきだと思っています。 |
誤解しないでくださいね。 彼は、赴任して2日目に、この山火事にあったのです。 はじめていった学校で、はじめて自分が担任するクラスの子供に挨拶をして、 次の日です。 だから、子供たちの顔と名前が一致しなかったのです。 これが、何より辛かったといって、自分を責めているのです。 あなたにそんなに責められるいわれはないと思いますがね。 |
団塊党さん: あなた個人の意見としては理解できますが、もし教師職(公立)であるならあなたの学校は何をするのがいいのですか?論じるよる先に行動として何をしておられるのですか? |
▼夏の虫さん: >団塊党さん: > >あなた個人の意見としては理解できますが、もし教師職(公立)であるならあなたの学校は何をするのがいいのですか?論じるよる先に行動として何をしておられるのですか? 夏の虫さん. 私はこれと云ったことはしていません、子供も大きくなって学校とは疎遠です。離職後は町の学校の安全通学を見守る、ワンワンパトロールに参加させてもらっています、本当は健康の為の散歩が主ですが。 夏の虫さんはなにかされているのでしょうか、学校教育にお詳しいようですね。 |
石頭の息子さん: 私学校教育にくわしくありませんが、いじめの問題等で教師や学校と話したことはあります。学校がなにをやるのかということに私が何かやっていないといけないのでしょうか? 学校は常に受身ならその範囲でいいのではないのですか?何で事件の後あやまるのでしょうか?学校内でおきた事件だからですか?であればやはり法的責任範囲でしかないわけですよね。 |
石頭の息子さん: ついついこのレスの流れでバトッてしまいました。すんません。私・・為に・・で何かやっていませんが、ガキ達と遊んでいます。いじめ問題で学校とバトルしたときの学校の態度が許せずこのような問題ではガ−−−−っというてしまいます。貴殿の書き込みは奈菜さんのスレッドや他のスレッドでよく読ませて頂いており、勉強になっとります。いいご意見あればお願いします。 |
夏の虫さん, 私も貴方のご意見をいつも拝読させて頂いています。 かねがねネットの書き込みは、自分の全てが書き込めないので、書かれた「言葉」尻に無意識に反応しないように、ご意見、ご投稿の行間を読めるようにしないと、本当の意味が読み取れないと自戒しています。 主題の件に付いては私は特段の意見は持っていませんが、貴方らしくない迫り方を書き込まれていたので、これは何か余ほどのご経験がおありかと思い差し出がましい書き込みをしてしまいました、すみません。 で、終わりたいと思いましたが、私が受けた教育の目線で経験した事を述べさせて頂きたいと思います、此処に意見を述べられているお方のような高いレベルの意見ではありませんし、的外れかもしれません。 >少し長くなりそうです、最後までお読み頂ければ幸いですが、 >まとめだけなら下の>>をお読み下さい、それ以外は私の与太話です。 親父(母も)は台湾で国民小学校を受けただけなので、田舎(讃岐)ではヤクザも警察も一目置く暴れん坊であったが、こと 学校の先生には最大限の敬意を払っていたのを覚えています、なんか「無法松」みたいな話です、戦後(昭20年代)は無学な者(父)は押しなべて教育のある先生を無条件に尊敬していたように感じていました。 私が日本人でもなかったのに小学校の恩師は分け隔てなく接してくれた、のみならず他の生徒よりも目を掛けて頂いたと感じていました。 当時20年代に通った学校は、今にして思えば金持ち、貧乏人、韓国人(放課後に民族教育を受けていたのが印象的)、官僚の子弟(後で気がついた、しかもPTAは彼らの親だった)、様々な境遇のごたまぜの子供達ではあったが、それぞれに相手の家庭を知っていて、それでもなんてこともない学校生活を送っていた、暗黙の了解とでも云いますか、決してふれてはいけない事は概ね守られていた。 確か小学校では一クラス66名だった、それが6くらすか9クラスではなかったかな?いまでいうところのマンモス学校だった,先生は全てに目を配っていたと思っていたが、今考えてみて、果たしてそうだったかどうか聞いてみないと判らない、だがクラスの生徒を掌握して教えていたと確信しています。 マンモス学校であったが、当時の讃岐では教育の質は高かったと思ます、これは全国学力テストでは毎年トップクラスであった、なので私の思考の原点は小学校教育にあったと思っています、云いたい事は様々な家庭の子弟、多人数のクラスでも、ちゃんと教育は行き届いていたのです。 神戸に移って、弟が中学に入学するの時、父兄として、式の後で私と弟は校長室に呼ばれて「中学は義務教育であり権利でもあるが、これは日本人の場合です」と唐突に言われて唖然とした、教育者にあるまじき言葉と感じた、「飛躍した比喩ですが、政治家が作った年金制度で、義務じゃないから掛け金を払わなかったと云った政治家みたいに年金制度の精神を踏みにじっていることに気が付いていない」、昭30年代の話です、この頃から学校での問題が云われ始めたと記憶しています。 当時も教育の現場では今以上に問題は多かったが、今はマスコミが大きく扱う、社会も余裕があって、それらに必要以上に反応しているように思える。 私は高校は夜学でした、さる有名大学を退官された先生が老後の生きがいと小遣い稼ぎだったのではないかと思っていました、夜学では学問は二の次で高校卒の資格を取るのが主でして、学問以外の多くを学びました、本当の価値の多様さを知ったのも夜学でした。 私は先生に恵まれていました。 娘は私の教育方針で中学3年まで「勉強熟」に通わせませんでした、入学当時は平均より少し上ぐらい?でしたが、3年生の初めでは44人中の40番でした、クラスでは40人が塾通いしていたのです、試験技術を学校以外で習得しているので当たり前のことでしたが、私はその現実を知らずに愕然としたものです。 >このような経験から教育については、私の時代は多様な価値観を先生も、生徒も、親も、持っていてお互いにそれを認めていたが、教育にはある種の一定の価値観を共有していたと思える。 今の教育は一定の価値観を押し付けるには、教育者、社会、の多様な価値観がそれを善しとしないのではないだろうか? ウミサチヒコさんが、いみじくも民主主義が、あるいは の、カオス(混沌)ゆえに民主主義政治を正していかなければならないと主張しておられる(そうですね海にいさん)教育も同じであるとおもうのです。 |
石頭の息子さん: レスありがとうございました。いい先生というのどの時代でもはやはりいるのですね。 >娘は私の教育方針で中学3年まで「勉強熟」に通わせませんでした、入学当時は平均より少し上ぐらい?でしたが、3年生の初めでは44人中の40番でした、クラスでは40人が塾通いしていたのです、試験技術を学校以外で習得しているので当たり前のことでしたが、私はその現実を知らずに愕然としたものです。 私の娘も塾行かせていませんが、今の時代の子供のもっている情報量の多いこと。ガキがどこで聞いてきたのか何でも知っていますよ。ネット社会に規制(出会い系、アダルトサイト等への接続規制)が始まろうとしていますが、ネットも使用者規制や端末管理、アドレス管理を行って特定の範囲に利用を限定することも必要だと思いますよ。小学生がネットを使用するのはいけません。事情がある場合を除いて携帯みたいなもんもたせてはいけません。と思うのです。 |
夏の虫さん、 私の子供の場合を少し、 こと私の娘、息子(今はこれと言った職もなく、ぷーたろうですが)の教育の結果は私達夫婦にあると思っています。 特に中学までには彼らの人生の基が育成された思っています、この時期に親としての哲学(偉そうに云うつもりではありません、姿勢、考えです)を子供に伝えました。 それでだと思うのですが、学校ではいじめにあいました、担任の先生は期待はずれでしたが、それでも私の責任です、「己で考えて正しいと思うところは節を曲げない」こんな教育をすれば今の時代いじめに合うのは当たり前ですし、だからと言って先生を選ぶ事は出来ません。 世の中に出ても同じですが、私も仕事では万年平社員でした、後輩の上司を持った時はいささかショックでしたが、でもその後輩は私への尊敬と配慮を惜しみませんでした、そう感じていました、その後輩を今では尊敬しています。娘も同じように職場で限界があったのでしょう、離職させられてしまいました、頑固なところは私に似ています。 自分の信念、理念、思う所が世間に迎合しないからと云って世間が悪いと考えません。 子供に携帯電話等を持たすかどうか? については我が家では息子がゲームで「自家中毒」になった時以外は自由にさせています、文明の利器は使う者次第です、書物(テレビ、パソコン)でも同じでしょう、私が小学校の頃は少年雑誌は金持ちの子弟しか持っていませんでした、本屋の立ち読み専門でしたし、親父の読売月刊誌を密かに盗み読みしていました、物の良し悪しは自然に身に付くと思います。 我が家では「性教育」はズバリやりました、だから卑猥な本、テレビ、小説、サイトが薄っぺらくて、興味が無いようです、親に隠れてなにをやっているのかはわかりませんが、それはそれで良いと思っています。 子供達(すでに30前後ですが)の行く末に不安が無いとは云えません、が、必ずや自分の人生は自分で開いてくれると信じるしかないのではないでしょうか。 まず、己があって、それに対して社会があるのですから、その社会が悪いかどうかは己が判断する、仮に悪くても、それで己が悪くなってもいいとは思わない。 損か得かの問題では無いと思います。 |
▼石頭の息子さん: >夏の虫さん、 >子供に携帯電話等を持たすかどうか? については我が家では息子がゲームで「自家中毒」になった時以外は自由にさせています、文明の利器は使う者次第です、書物(テレビ、パソコン)でも同じでしょう、私が小学校の頃は少年雑誌は金持ちの子弟しか持っていませんでした、本屋の立ち読み専門でしたし、親父の読売月刊誌を密かに盗み読みしていました、物の良し悪しは自然に身に付くと思います。 そういや私も世代こそ違いますが良く似たものでしたわ。私も放牧状態でしたのでエロ本ベッドのしたも同じですわね。ただ今回のHPへの書き込みや掲示板トラブルはみんなの前にさらされていることもあるので、自分の所有物や大事なものを公然と汚されると逆上するのはあたりまえで、小学生にはこれらメディアの利用はまだ少し早いと思いました。 ガキ大将をやっつけたいのは誰でも経験した感情でしょうが、人は孤独であったりつらいことが多いほど独断で考えることが多くなり悪い方に入り込んで行く場合もあるのでネットの世界ではそこに人がいる以上感情がどっぷり依存してしまうところに小学生はそこに気づいていません。このようなテレビも含めて文字や絵ばかりの情報垂れ流しにより子供達に思春期はあるのでしょうか?はたまたこれが21世紀世代でしょうか。ほんとにコナンみたいなやつが多くてさすがの私も返事に戸惑ってしまう時があります。 |
▼夏の虫さん: >あなた個人の意見としては理解できますが、もし教師職(公立)であるならあなたの学校は何をするのがいいのですか?論じるよる先に行動として何をしておられるのですか? 最初はどういう意味だか分かりませんでしたが、 流水さんとのやりとりをずっと読ませて頂き、あなたのおっしゃりたいことが分かりました。 今の学校には受け身的なところを感じて、熱意が感じられない。 もっと、子どもや親と触れあいの時間を持って欲しいということと受け取りました。 確かにそういわれてもしかたのない状況は一部にあるかと思います。 私自身の中にもどこかで逃げている部分があるかもしれません。 しかし、教師のやらなければいけないことは無限にあると言っても良いくらいです。 その中で、どこに重点を置いてやるかはその教師の価値観や教育への姿勢、理念によって自ずから決まります。 また、そうでなければ結局は自分の目指している仕事は実現しなくなります。 あなたの仰るように、親とよく話し合い、理解し合うことや、子どもとの触れあいの時間を持つことは大切なことです。 そのことは私も心がけています。大事にしている部分です。 しかし一方では、教師にはやらなければいけない大事なことがいつも山積みだということもご理解下さい。 私が学校にもっとゆとりをという意味は、「私の本当にやりたいことを、子どもの成長にかかわることをやらせてくれ、瑣末なことで振り回さないでくれ。」ということです。 やりたいことをやれるのなら、どんなに忙しくてもかまわないのです。 今は親の要望も多種多様、おまけに行政側からの様々な手かせ足かせも次々にはめられ、教師は精神的にいつも追い立てられているような気になっています。 子どもは子どもで塾だの何だので追い立てられている。 そういうことでは学校に良い教育は望めません。 ですから私は、今の学校に一番必要なのは「ゆとり」だと訴えたいのです。 文科省は「ゆとり教育」を本当に実現する気があるのなら、教師にも子どもにも まず、のびのびとした時間と空間を保証して欲しい。 それさえあれば後は何もいらないと言っても良いくらいです。 昔は放課後よく子ども達と遊んでいました。 今はそれがとてもできません。 学校自身も自ら忙しくしている部分があります。 もっと学校の仕事や行事を精選して行く必要があります。 |
団塊党さん! 教師や学校へ文句を言うつもりはありませんが・・。 次世代を担うべき子供達の置かれてる状況について・・考えてみました。 別項としてスレッドを立てましたが・・団塊党さんのお考えをお聞きするのが妥当と 思い書き込みをさせて頂きます・・・・。 子供達が引き起こす、人命に関わる事件のたびに、校長先生方のコメントの中で の決まり文句のように「子供達へ命の大切さ」を教えなければならないとの コメントを聞くが・・・。幾度と繰り返されるうちに空しさを感じる・・。 今日「こんにち」子供達への命の大切さは、どのように教えられているのだろうか? との想いは・・そのたびに疑問とともに感じる・・。 「生・老・病・死」と云った観点、子供達には難しい事かも知れませんが 日頃から継続して考えさせる、事を教えているのだろうか・? 事件たびに「子供達への」命の大切さが単に「お題目のように」繰り返えされてる だけではないか・・?・・と、感じてる・。 昔はあった、家族老人身近な人の死が今は物理的にも離されてることの現実、 「生と死」を考えさせる教科はあるのだろうか・・? もし、無いとしたら、教育の行政も現場も怠慢そのものであると断ぜられる・・! チョット・・・きつかった・・かな? |
▼珍 源齋さん: >「生・老・病・死」と云った観点、子供達には難しい事かも知れませんが >日頃から継続して考えさせる、事を教えているのだろうか・? > >事件たびに「子供達への」命の大切さが単に「お題目のように」繰り返えされてる >だけではないか・・?・・と、感じてる・。 > >昔はあった、家族老人身近な人の死が今は物理的にも離されてることの現実、 >「生と死」を考えさせる教科はあるのだろうか・・? >もし、無いとしたら、教育の行政も現場も怠慢そのものであると断ぜられる・・! 愚考さんの質問と重なっていますので、答えになっているかどうか分かりませんがそれへの回答をお読み下さい。 |
団塊党さん: >しかし、教師のやらなければいけないことは無限にあると言っても良いくらいです。 >その中で、どこに重点を置いてやるかはその教師の価値観や教育への姿勢、理念によっ>て自ずから決まります。 >また、そうでなければ結局は自分の目指している仕事は実現しなくなります。 >あなたの仰るように、親とよく話し合い、理解し合うことや、子どもとの触れあいの時>間を持つことは大切なことです。 >そのことは私も心がけています。大事にしている部分です。 >しかし一方では、教師にはやらなければいけない大事なことがいつも山積みだというこ>ともご理解下さい。 私の近所の小学校だけの例でなく、少なからずとも近隣及び他府県の公立の小学校もほとんどが私が言っていることにあてはまっているはずです。しかし一方でやらなければならない大事な仕事とはどのようなことでしょうか?団塊党さん個人のことではなく公立の小学校の教師が忙しいというのは市教委向けの会議や報告書等ではないですよね。学校は生徒の親の目を気にせず時に非常に厳しく指導していますか?民間カウンセラーの導入は進んでいるのでしょうか?学校の合併や職員の削減もすすんでいますか?共働き家庭や離婚家庭の子達の学童保育体制は6年生までやってますか?給食の民間委託はどうですか?くだらんPTAとの会議を減らしていますか?校長は生徒に慕われていますか?女性教師は結婚しても教師として働いていますか?大学でて新米教師になる前にプロとしてのトレーニング積んでいますか?これらやれていないんではないでしょうか?もしくはやらせてもらえていないのではないですか?所詮県、市教委が決めたしいては文部省が決めている手かせ足かせの中でもがいても良い結果はでないでしょうね。まともに意見交換する場所もなければ学校に言うていっても同調ばかりでなーんにも変わらないし。まあ公立学校は生徒はお客さんではないからね。 |
▼夏の虫さん: >私の近所の小学校だけの例でなく、少なからずとも近隣及び他府県の公立の小学校もほとんどが私が言っていることにあてはまっているはずです。しかし一方でやらなければならない大事な仕事とはどのようなことでしょうか?団塊党さん個人のことではなく公立の小学校の教師が忙しいというのは市教委向けの会議や報告書等ではないですよね。 子どもをよくするためにやらなければならないことは無限にあるということです。 授業の準備だけだって、質の高い授業をやるにはいくら時間があっても足りません。 一般の方にはこの点の理解がないのでとんでもない見当違いの批判をするんです。 私にとっては夜も朝も授業のことを考える時間なんです。 学校にいる時だけが仕事の時間ではないのです。 教師は授業の専門家という認識が行政側にも一般の方にも足りないので、いろいろ瑣末なことを言っては教師達を忙しくしているのです。 >学校は生徒の親の目を気にせず時に非常に厳しく指導していますか? 私の学校の校長ははっきり物を言います。 学校によっていろいろでしょうね。 >民間カウンセラーの導入は進んでいるのでしょうか?学校の合併や職員の削減もすすんでいますか?共働き家庭や離婚家庭の子達の学童保育体制は6年生までやってますか?給食の民間委託はどうですか? これらのことが学校をよくするのですか? 全く理解できません。 職員の削減なんてとんでもありません。 増やして欲しいくらいです。 それに、これらは皆、行政のやる仕事ですよ。 言う相手が違います。 どうしてこうも教師に何でもやらせようとするのでしょうか。 そういう考えがそもそも学校をだめにしているのです。 もう一度言いますが、教師にはやるべきことが無限にあるんです。 日本の教育を向上させるには教師を専門職として認めることです。 雑多な要求を持ち込まないで欲しい。 >くだらんPTAとの会議を減らしていますか? くだらんPTAが多いのは事実ですが、学校によってはある役割を果たしているところもあるんでは? くだらんと言う前にあなたがよくしたらどうですか? >校長は生徒に慕われていますか? これはすくないでしょう。 今はこの前のような事件を起こさないために汲々としている校長が多いでしょう。 >女性教師は結婚しても教師として働いていますか? これは個人の問題。 制度上、どうにもならないでしょう。 >大学でて新米教師になる前にプロとしてのトレーニング積んでいますか?これらやれていないんではないでしょうか?もしくはやらせてもらえていないのではないですか? 教育実習があるだけですね。 教師になってからは1年間の研修期間がありますが、これは行政側の押しつけの面があるので、本当に機能しているかは疑わしいです。 >所詮県、市教委が決めたしいては文部省が決めている手かせ足かせの中でもがいても良い結果はでないでしょうね。 これはその通り。 あなたの批判の先はこちらなんですか? それなら言う相手が違います。 >まともに意見交換する場所もなければ学校に言うていっても同調ばかりでなーんにも変わらないし。まあ公立学校は生徒はお客さんではないからね。 あなたは生徒をお客さんと見るのを良いと思うわけですね。 教師への不信感が強いようでとても残念です。 中にはおかしな教師もいますが多くは良心的にがんばっている教師が多いと私は思いますが。 あなたのは教師の見方が一面的でとても批判になっていません。 そういう批判では何一つ学校は変わりません。 |
いや全く今世は大変なことが多すぎます。思うのですが、やはり教育方針がころころ変わりすぎる、昔から「子供は日本の宝」です。もっと大事に育てられないものでしょうか? |
▼団塊党さん: >▼夏の虫さん: > >>私の近所の小学校だけの例でなく、少なからずとも近隣及び他府県の公立の小学校もほとんどが私が言っていることにあてはまっているはずです。しかし一方でやらなければならない大事な仕事とはどのようなことでしょうか?団塊党さん個人のことではなく公立の小学校の教師が忙しいというのは市教委向けの会議や報告書等ではないですよね。 > >子どもをよくするためにやらなければならないことは無限にあるということです。 >授業の準備だけだって、質の高い授業をやるにはいくら時間があっても足りません。 >一般の方にはこの点の理解がないのでとんでもない見当違いの批判をするんです。 >私にとっては夜も朝も授業のことを考える時間なんです。 >学校にいる時だけが仕事の時間ではないのです。 >教師は授業の専門家という認識が行政側にも一般の方にも足りないので、いろいろ瑣末なことを言っては教師達を忙しくしているのです。 無限にあるということは、どこまでやるのかしないのか整理がついていないということです。質の高い授業とやらは生徒に慕われる授業でしょうか。自己満足の範囲でしょうか。教師は授業の専門家なんですか。授業の専門家とは塾のことを言うのではないのですか。中途半端行政の先のあなた達が(あなたが公務員としたらですが)専門家ですか。誰が認めるのですかそんな独り善がりを。その無限の仕事とかに実践と成果があるのですか。 >>民間カウンセラーの導入は進んでいるのでしょうか?学校の合併や職員の削減もすすんでいますか?共働き家庭や離婚家庭の子達の学童保育体制は6年生までやってますか?給食の民間委託はどうですか? > >これらのことが学校をよくするのですか? >全く理解できません。 >職員の削減なんてとんでもありません。 >増やして欲しいくらいです。 >それに、これらは皆、行政のやる仕事ですよ。 >言う相手が違います。 > >どうしてこうも教師に何でもやらせようとするのでしょうか。 >そういう考えがそもそも学校をだめにしているのです。 >もう一度言いますが、教師にはやるべきことが無限にあるんです。 >日本の教育を向上させるには教師を専門職として認めることです。 >雑多な要求を持ち込まないで欲しい。 よくしますよ。いまよりはね。そういう考えが学校をダメにする・・何を言っているのですか。お客のクレームはお客のせいだといっている。イオンの店長が聞いたら怒るぞ。教師を専門職にすると日本の教育が向上?たいそう教師とは偉大なポジションにあるのですね。甘い。全く甘い。教師、教育のことしか知らないし言わない。あなた金八じゃないね。前認めたこと撤回します。中途半端行政の先のあなたたちが専門職?どこが専門なのだ。誰がみとめているのだ。子供に慕われる専門職なら認めてあげよう。 > >>くだらんPTAとの会議を減らしていますか? > >くだらんPTAが多いのは事実ですが、学校によってはある役割を果たしているところもあるんでは? >くだらんと言う前にあなたがよくしたらどうですか? あなたがそれをするのであって私は教師でも公務員でもない。だいだいあなた父兄にも同じこといってますか?学校に私のようなやつがきて、がいがい文句言うたら同じ事をかえしますか?返せないでしょう。ネットだから発散しているのでしょう。近所の無言の教師と変わらないでしょう。 >>女性教師は結婚しても教師として働いていますか? > >これは個人の問題。 >制度上、どうにもならないでしょう。 > ひとごとみたいにいうなよ。あなたも一員でしょ。 >>大学でて新米教師になる前にプロとしてのトレーニング積んでいますか?これらやれていないんではないでしょうか?もしくはやらせてもらえていないのではないですか? > >教育実習があるだけですね。 >教師になってからは1年間の研修期間がありますが、これは行政側の押しつけの面があるので、本当に機能しているかは疑わしいです。 > >>所詮県、市教委が決めたしいては文部省が決めている手かせ足かせの中でもがいても良い結果はでないでしょうね。 > >これはその通り。 >あなたの批判の先はこちらなんですか? >それなら言う相手が違います。 > >>まともに意見交換する場所もなければ学校に言うていっても同調ばかりでなーんにも変わらないし。まあ公立学校は生徒はお客さんではないからね。 > >あなたは生徒をお客さんと見るのを良いと思うわけですね。 >教師への不信感が強いようでとても残念です。 >中にはおかしな教師もいますが多くは良心的にがんばっている教師が多いと私は思いますが。 > >あなたのは教師の見方が一面的でとても批判になっていません。 >そういう批判では何一つ学校は変わりません。 あなたは井の中の蛙大海知らずです。生徒は大事なお客さんですよ。(意味を履き違えるなよ)あなたのような先生がいなくなることも学校が変わる重要な要素としましょうか。私は現職先生であるあなた本人を批判する気はない。ただ行政をあなたの立場から批判してもらいたかったわけであり、教師職の援護射撃をしてもらいたいわけではない。教師という職を肯定し行政を否定するという矛盾より、あなたはまず教師というセーフポジションでものを考えているため失敗を怖がる必要が無いという。そんなんだから塾になにもかも持っていかれるのですよ。公立学校やその教師は家庭から期待されていますか?ちょっとミスったらボロカスじゃないですか。そういう批判では学校は変わらないなどと・・私は専門家のいる学校とふれあいの重要性を言っているのであり、あなたのようなただのすかしいばりのかちかち公務員には用は無いのです。批判で変わるんじゃなくて自らが変えようとするのですよ。あなたの最後の一言は公務員らしいひとことのように薄情な感じがした。(但しあなたが公務員でなければ撤回しますよ) |
特に驚きはなかったりします 私には もっと大人の方々には ショックかも知れませんけど 私 学生時代は相当に余裕無かったりしましたし 実際に今の学校がどんな様子かは知らないですが もっと余裕が無くなっていてもおかしくはないですし 起きてもおかしくはないなと言う感覚 です 起こってしまったのは やはり悲しい事態ですが また 識者の方々とか。。TVでも特集とかあるかもしれないですが あまり期待してませんし いつも自分たちを正しい位置に置いたりして 上から物を言うばかりですから 当事者ほったらかしで 今の子供達の位置まで降りてモノを見てみようって人 どれくらい いるんでしょうね? |
ヤマアラシのジレンマ or 親しき仲にも礼儀あり、 という言葉が、今回の事件に関しては、役に立つ =急所を突く 言葉 なのではないのか? と、私は思っています。 私の考えでは、家庭や学校に、大して問題がなかったからこそ 逆に、個人の、パーソナルな面で、心の奥の奥まで、ディープな 繋がりを求める欲求が拡大した。 「〇〇ちゃんなら、私のことを理解してくれるよね??」 という方向で、想いが募って、でもそれが拒絶されたから 可愛さ余って、憎さ百倍になる という 女性特有の心理? と 人を殺すことは、もはや絶対悪ではない、と思っている 人もままいるという時代的な背景・影響もある、個人的な信条 とが相まって、凶行が行われたのかと・・・ |
今回の事件では「TVの殺人ドラマを見て殺害を決めた」と言う発言と「掲示板で私の容姿について書かれたので、やめてと書き込んだけど聞き入れてもらえなかった」と言うのがポイントになっているような気がします。 なにせ良い大人が悪口三昧の書き込みをして、それを止めさせようとする意見を無視する世の中ですから、未熟な子供の世界では余計その辺りの部分は我慢ができなかったのでしょう。 何ともやりきれない事件ですね。 |
基本的に現在の日本では少年犯罪が増えてきたといった話しは良く耳にする。 実際問題、過去の犯罪とどのように変わったかはわからない。しかしながら、「大人」から「子供」へのまなざしは間違いなく変わってきている。 教育学者、精神分析学者、(これらの人々は昼のワイドショーで活躍するだろう)など識者と呼ばれる人々はおおむね(というかマスコミも)『無邪気』な「子供」たちがまさかこんなに凶悪な犯罪を犯すはずがない!という言論、もしくは前提とした言論を行っている。 「子供」達は『無邪気』である。ここは否定しない。しかしながら、私が強調したいのは『無邪気』であるからこそ子供達は『残酷』なのである。ということを私は強調しておきたい。 そもそも、「子供」たちが犯罪を行わないという保証はどこにもない。 「子供」たちはまだ、犯罪を行うという意識をもってかもたずか、に関わりなく計画性や腕力はまだ未発達の状況にある。人を殺すという行為がたまたま成功しているかいないかということだ。 「子供」達は凶悪な行為を行い得るという事を認識しなければならない。 「子供」が純粋無垢であり、人殺しなどの犯罪を行うことが信じられないというような言説は今後、意味を持たない。 人殺しをするような可能性を持っている「子供」たちに対して「大人」がどのようにその「凶暴性」を社会的な秩序を守るためにどのように軌道修正していくかが問われるべきだ。 |
そうなんですね、本来子供は真っ白で、善でも悪でもない。 真っ白なのだからどちらも平気でやります、特に子供が残酷なのだと言う訳ではないでしょう。 しかし今回は子供やご両親の問題と言うよりは、社会のひずみが現れた事件だった様な気がします、特に過去に比べれば殺人事件のドラマの何と多い事か。 真っ白な子供がそれらを見れば影響されるのは当たり前ですね。 |
「従来の考え方をある意味で覆す。(これまで)男がむちゃやって何かしでかすことはあったかもしれないが、女がやったというのは初めてではないか。最近は男女の差がなくなってきた。元気な女性が多くなってきた。総じてどこの社会も」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040604-00000104-yom-pol いやはや… 「人生いろいろ」発言の小泉首相といい、未納6閣僚といい、そして井上大臣の 今回の発言… 大人が、ましてや首相を含め、内閣の一員たるものが子供たちに見本を示さなくて どうなるのだろう… モラルハザードの蔓延を、痛感せざるをえない。 |
井上の発言(敬称いらん)、殺された女の子の親が聞いたら、どう思うだろうか? もはや言葉の「揚げ足取り」などと言うものではない! 大臣とか議員 としてより、大人としての自覚が欠落している。 恐らく辞任は避けられ ないでしょうね。 それにしても、先の太田誠一とかホントに教養のない議員が多いですね。 小泉君も、もしこんなショームナイおっさんをかばう としたら、もう末期症状ですよ。 |
井上発言、 人の悲しみやらがわからない大臣は即刻辞めてもらいましょ! 選挙区の皆さん、次の選挙までよく覚えておいて下さいね。小泉さんも自民党をぶっ潰すと言っていたが、経済ダメ、 外交ダメ ではいったい何が得意なのかと聞 きたい。 もう辞めてもらわないと本当に日本がつぶれます。 昨日の厚生委員会の答弁を聞いていても如何に総理が何にも判っていないのがバレバレでしたね。 もう、これ以上恥をかかないうちに辞任されるべきです。 |
>井上発言、 人の悲しみやらがわからない大臣は即刻辞めてもらいましょ! 私はこの発言は今流行りのジェンダースーパーフリーへの皮肉だと思うのですが。 |
▼小鉄さん: >>井上発言、 人の悲しみやらがわからない大臣は即刻辞めてもらいましょ! > > 私はこの発言は今流行りのジェンダースーパーフリーへの皮肉だと思うのですが。 何だ、あんたは。 「イラク人質自作自演説」の根拠もろくに示せない人間が、エラソーな事言える のか ? 未成年者が、それも小学生が殺人行為を犯したことがそもそもの問題だろうが。 そんな事も分からないのか? |
▼森下 泰典さん > >何だ、あんたは。 >「イラク人質自作自演説」の根拠もろくに示せない人間が、エラソーな事言える >のか >? で? 結局「自作自演説」は間違っていたのですか? 当局がそのように発表したのですか? |
▼馬鹿正直さん: >で? >結局「自作自演説」は間違っていたのですか? >当局がそのように発表したのですか? その前に自作自演だったんですか? 当局がそのように発表したのでしょうか?、逆もまた真なりですよ。 自作自演説をとなえるえるならば、確固とした証拠を出さなければなりませんが、全て憶測の域を出ていませんね、と言う事は少なくとも「あったとは言えない」と言う事ですよ。 「真実が知りたい」とおっしゃるならばわかりますが、「あった」と断定するのではその方の人間性が知れてしまいます、それはきっとワイドショー大好き人間でしょう。 |
あなたの名前、本名ですか? 私の中学校の時の先生が同じ名前なんですけど、違う人ですよね? |
森下様 いけません熱くなっちゃ、あなたを怒らせて「ほら、自分たちと同じだ」と言う方向へ持って行こうとするのが小鉄氏の狙いなのですから。 今までも建設的な意見や証拠を伴った反証を出さない所から見てもそれは明白です。 所謂愉快犯ですよ。 |
>今までも建設的な意見や証拠を伴った反証を出さない所から見てもそれは明白です。 ニック氏が建設的な意見を言ったことがあったか?現実の脅威から目をそらし、強引に日本だけを非難するだけではないですか・・・(苦笑 |
もう、この教条左翼の「森下泰典」さん とは話になりません。 二言目には「腐れ右翼」ですから 壊れてしまってますから・・・(w |
>もう、この教条左翼の「森下泰典」さん とは話になりません。 二言目には「腐れ右翼」ですから 壊れてしまってますから・・・(w 左翼小児病ですね・・・(苦笑 |
馬鹿ですね。 |
「弁護するわけではないが、私の若い頃は、放火は女性の犯罪。もちろん男もあるが、どちらかというと女の犯罪。カッターナイフで切るのは原則的に大人の男の犯罪」 「小学生の女の子がこういうことをやるのは、昔のイメージではとらえられない社会や子ども、男女の関係の変化がある。『女性が強くなった』という表現が適当かどうかわからないが、防災相は社会の変化のことを言いたかったのではないか」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040605-00000304-yom-pol 何だかな…「社会の変化」が「私の若い頃は放火は女・ナイフは男」では、 「今では男も女も放火にナイフ」と聞こえて… 随分と問題を矮小化したものだ、と呆れてしまう。 |
二の句がつげない。 |
ほんまに谷垣のおっさんも何言うとんか? 自分の仕事が何かが分っていない 議員が多く、国民は迷惑している。 井戸端会議やないんやぞ! 公僕やろ! かつてリンカーン氏が、「男は40になったら自分の顔に責任を持て」と言った らしいが、顔どころか「口」にも責任をもたぬ議員がごろごろおる。 議員の発言への批判をすると、必ずと言っていいほど「揚げ足とるな! 政治家は なにも聖人君主である必要がない!」と反論する輩がいる。 何も聖人君主など望まない。 それより、政治家である前に、まず「普通の大人」であって欲しいものだ。 これはもう辞任ではなく、辞職ものだな。 |
最初に。 言いたいことが、きちんと纏まっていない文章です。 その上、私的内容が多量に含まれていると思います。 もしかしたら、ほぼ脱線したことを書き連ねているかもしれません。 それでも構わないとおっしゃってくれる方のみ、このスレッドをお読み下さるとありがたく感じます。 事件が起こり、4日が経とうとしています。 同じ学生として、またチャット等にもよく身を置く者として、今回の事件はかなりショックを受けました。 私事なのですが、私が小学校5、6年生だった時。 私は、仲が良かったはずのグループの子達から、軽いイジメを受けていました。いや、イジメなんて言えないくらい軽い揉め事。それでも、当時の私は非常に傷つきました。 (そのせいかどうかは知りませんが、今でも少々グループ活動は苦手です) 心の中で何度も叫びました。 『あんた達なんか大嫌い。いつか地獄に行けばいい。なんなら、私が今すぐ殺してあげるから』 しかし、そう思いながらも行動には出しませんでした。 『自分がそんなことをしても変わらない。だったら前に向いて歩くしかない。あいつらはいつか後悔する事があるけど。私は絶対後悔するような行動はとらない』 その後何年かしてから仲の良い友人に『過去にこんな事を思った自分がいる』と相談すると、アッサリと返事をされました。 「普通でしょ、その意見」 何が?と返事をすると、 「そいつらを殺してやりたい。って意見」 えっ?と声を出すと、静かに続きを言ってくれました。 「それでも、ちゃんと理性で思い留まる事。それが出来るから人間って言わない?」 すごく、胸に響く言葉でした。 「あ、でも私だったら『自分は後悔するような行動をしない』って思えないから玲牙はエライよね」とも。 当時の私が一人で、さんざん苦労して出した答えを、友人は「当たりだよ」と、いとも簡単に答えを出してくれました。 今回の事件、女子生徒は一人で悩み、一人で行動を起こしたそうです。 誰も、支えてくれた人はいなかったのかと思いました。 悩みを相談できる相手はいなかったのかと思いました。 私の場合、確かに悩みを相談出来る友人は学校にいなかったものの、母親だったり、自分が小さい頃からお世話になっている人に、一方的ではあるものの愚痴をこぼすことで、自分の理性を保ちました。 女子生徒は、5年生の時に文集に書いていたそうです。 『ネット上の知り合いから悩み相談を受けた』 それならばなぜ、自分の悩みを相談してもらえる相手も作らなかったのでしょうか? ネットが悪いなんて、誰が決めたのでしょうか? そんなもの、利用する側の者の責任ではないのでしょうか? ネチケットページを読んでいると、どうも内容は人としての常識集としか思えないのです。 「ごめんね、と謝りたい」 そんなことも言っているようですが、失った命が戻ってくるなんてことはありえません。 謝る前に、どうして自分の理性で止める事が出来なかったのか?と聞いてみたくもなります。 相談に乗ってくれる人はいなかったのか?とも聞きたくなります。 学校側は気付かない。 当たり前です。 現に、私がそんな状況に置かれ、1年と半年してから担任は状況に気付きました。 担任なのに、です。何故だか分かりませんが、少し笑えました。 きっと、その子の中ではどうしようもないと思っていたのだと思います。 でも、他人に相談できていれば。 たら、れば話はあまり好きではありませんが、きっと別の結果があったように思います。 《命の大切さ》 そんな物、今更習わせなければいけない世の中になったのは何故でしょうか? 《人を殺してはいけない》 そんな常識が通じなくなったのは一体いつからでしょうか? そんな子供を育て上げるような教育を施すよう、計画してきたおエライ様達に一言述べたい。 「常識が通じる世の中を作らないのに、何がIT教育ですか?」と。 この事件を踏まえて。等と書くと周りに叱られそうですが、それでも書きたい。 この事件を踏まえて、どこかに変化が訪れることを切に願いたい。 いつか、変わることがあるといいなぁ。と書いて、この無意味なスレッドを終らせたいと思います。 長々と、失礼いたしました。 |
学校では「命の大切さ」をというものを、どのように教えているのでしょうか。自殺と事件(殺人など)では違うと思うのですが。 事件の時に教える「命の大切さ」は被害者にスポット当てたものでしょうか。それとも、加害者にスポットを当てたものでしょうか。 それともう一つ。「物事の善悪」を教えているのでしょうか。教えているとすれば、どのようなものなのでしょうか(簡単で結構ですから)。 以上、教えて頂けたら在り難いのですが。宜しく、お願い致します。 |
▼愚考さん: >学校では「命の大切さ」をというものを、どのように教えているのでしょうか。自殺と事件(殺人など)では違うと思うのですが。 > >事件の時に教える「命の大切さ」は被害者にスポット当てたものでしょうか。それとも、加害者にスポットを当てたものでしょうか。 子ども達に何かを考えさせたり教えたりする場合には必ずある角度から具体的に迫って行かなくては子どもの中には本当には入っていきません。 「命を大切にしましょう。」とお題目を何度唱えてもそれは教えたことにはなりません。 また、どのような角度から、どのような切り口で扱うかは、その時の子どもの実態によって千差万別です。 今、目の前の子ども達に何を分かって欲しいのか、教師としてあるいは一人の人間として何をこの子ども達に願っているのか、そういうことをまず自分の中ではっきりさせた上で、授業案を考えます。 決して一般的に通じるマニュアルのようなものはありません。 ですから、「学校では命の大切さをどのように教えているか」と尋ねられても個々のケースについては答えられますが、一般的には答えることは出来ません。 その点をまずご理解下さい。 ただ、どんな時に命をテーマにした学習をやるかというのは大体決まっています。 いくつか挙げれば、命の誕生、体の成長や健康、性について、平和の大切さについて(道徳)、文学教材の内容を読みとる(国語)、いじめや暴力など実際に教室で起こった出来事を考える(学級会)などです。 今回のような社会的な事件も場合によって扱います。 最近の私の授業で言えば、「タバコの有害性について」「イラクの子どもと劣化ウラン弾」「地雷でなく花を下さい(絵本)」「ホタルの墓(ビデオ)」などを題材にしてやりました。 いずれも共通しているのは考えさせる材料が具体的にあるということです。 そうでなければ何も学ばせたことにはなりません。 それぞれ写真や資料を提示して考えさせましたが、どれも子ども達は真剣に考えてくれました。 そこで、今回の事件についてですが、私はまだこのことについて教室で触れていません。 あまりにも内容が重すぎます。 担任してまだ2ヶ月ほどの子ども達にこれを題材に何かを考えさせるということがどうも気が重いのです。 それにまだ本当のところが、よく分かっていない部分もあるように思います。 この事件のどこに焦点を当てて考えさせたり話したりするのかまだつかめません。 被害者にスポットを当てるか、加害者にスポットを当てるかについてですが、もし私が授業するとしたら、加害者でしょう。 この事件の特異性は加害者側にあるのですから。 彼女の心の中に何が起こったのか、これは授業するしないに関わらず考えていかなければならない問題だと思います。 >それともう一つ。「物事の善悪」を教えているのでしょうか。教えているとすれば、どのようなものなのでしょうか(簡単で結構ですから)。 > >以上、教えて頂けたら在り難いのですが。宜しく、お願い致します。 物事の善悪についてはやはり友達を傷つけたり、いじめたりすることについて特に考えさせることが多いです。 例えば、クラスの全員に今までで友達に嫌なことをされた経験を無記名で紙に書かせたことがあります。 その中の何人かの文章をプリントしてやり、それをまた全員に配りコメントや感想を書かせます。 そういうことを繰り返しやることでだんだん友達の気持ちが理解できるようになりました。 集団生活の中で、もめごとやルール違反は必ず起きます。 その時にそれを全部取り上げて学級会を開くことはできません。 ほとんどは二人で話し合いをさせてその結果を私が聞き解決したり、直接私の前でお互いに言いたいことを言わせてけんか両成敗で終わったりします。 最近は善悪の判断が鈍っている子が多いです。 小さいことでも時には厳しくしかります。 二度としないことを厳しく要求します。 親にも時には報告をして家庭で考えてもらったりもします。 しかし、それができるためには子どもや親と人間関係ができていなければなりません。 その前提がなければ、むしろ問題がこじれてしまうことがあるので気をつける必要があります。 流水さんいかがでしょうか。 補足などあればお願いします。 |
わたしは、現役ではなく、しかも中学校なので、あまり補足することはありません。 ただ、わたしが保護者の方に相談されたとき、近親者(祖父・祖母)の不幸には、必ず子供たちを立ち合わせてください、ということでした。 近親者の不幸に立ち会うことは、人間の生と死を考える契機になります。 それだけは、必ず守ってきました。 |
▼流水様 こんにちは。 > ただ、わたしが保護者の方に相談されたとき、近親者(祖父・祖母)の > 不幸には、必ず子供たちを立ち合わせてください、ということでした。 > 近親者の不幸に立ち会うことは、人間の生と死を考える契機になります。 > それだけは、必ず守ってきました。 おっしゃるとおりですね。とても大事なことだと思います。 私自身も、核家族で育ちましたが、日本の子供たちは、時代が下るに つれてますます、お年寄りを知らなくなっていると思います。 そこで思ったのですが、地域における高齢者と子供の交流を、いろいろな 形で振興していく、何かよい工夫というのは、ないものでしょうか。 そもそもお年寄りと子供は、語弊を恐れずに言えば、社会の第一線から 一歩離れているという、重要な共通点がありますので、条件が整い、 やり方を工夫すれば、交流の促進と深化も、十分期待できると思うのです。 とりあえず、具体的に思いつくところでは、地域の公民館などで お年寄りと子供が共に参加するサークル活動、独居やご夫婦のお年寄りを 子供たちが訪ねる、病院や老人ホーム等の慰問、等々でしょうか。 以前に医療関係の仕事をしていた時期がありますので(医療者だったと いうことではなく、医療関係の取材、執筆を集中的にやったいた時期が あるということですが)、病院や福祉施設などへの子供たちの訪問が、 すでにある程度、それなりに試みられていることは、知っているのです。 けれども、個別に詳しいことは知りませんが、現状としては、スポット的、 集団行動的な形態が、比較的多いのではないでしょうか。それよりも、以前は 地域社会でそれなりに自然に存在した、少数のお年寄りと少数の子供たちが、 長い期間、継続して交流していくような形が、たいへん大事だと思うのです。 そういった試みを、単に個別散発的にというだけではなく、何かもう少し、 組織的にバックアップしていくような仕組みを考えることはできないか。 でも、いまの学校や病院や福祉施設は、現状として、どこもとても忙しく、 人手が足りず、経済的にも余裕がなく、推進母体になるのは難しそうですね。 そうすると、「老少交流促進NPO」のような独立法人を各地に発足させる とか、むしろそういう方向性のほうが、案外現実性があるのかもしれません。 ……流水さんのお話をうかがって、そんなことを、ちょっと考えました。 |
決して一般的に通じるマニュアルのようなものはありません。 ですから、「学校では命の大切さをどのように教えているか」と尋ねられても個々のケースについては答えられますが、一般的には答えることは出来ません。 私は一般的通じるものこそ必要ではないかと考えております。たとえにするのに、適当かどうかわかりませんが、仏教が民衆に急速に広がって行ったのは、一般的に通じる説話などが作られたからではないかと考えております(一般的とは言っても子供向けと言うことですが)。これでは次元が違うと怒られるでしょうか。 被害者にスポットを当てるか、加害者にスポットを当てるかについてですが、もし私が授業するとしたら、加害者でしょう。 この事件の特異性は加害者側にあるのですから。 彼女の心の中に何が起こったのか、これは授業するしないに関わらず考えていかなければならない問題だと思います。 ここで半世紀も前近くの小学生時代の話をすることをお許しください。その当時はテレビは在りませんでしたが、新聞ラジオはありました。何年生頃からか憶えは在りませんが、世の中に「人殺し」と言うものがあるということは知っていました。ただ、それを新聞ラジオで知った記憶はありません。 母親から聴かされて知るのが常でした。その話は加害者の事ばかりだったように記憶しております。その加害者の素行や欲の深さなどを、しつこく聴かされたようです(この辺は記憶が曖昧です)。結局、母親はこんな人間になるな、と教える為に私が聴きたくも無い、殺人事件の話を度々したのではないかと、今では想っております。ですから、私がもし教える立場に立てば、加害者にスポットを当て、加害者を反面教師とするでしょうね。 もっとも、この事件の加害者をそのまま使うのは避けるかもしれませんが(この加害者の将来や人権問題も考慮するでしょうから)。現実の事件が生々しすぎれば小説などを使うかもしれませんが。どちらにしろ、このような人間になるなと教えるでしょう(これでは単純過ぎて、教育現場では使いものにならないでしょうか)。 最近は善悪の判断が鈍っている子が多いです。 この事件で、一番わからない事が「善悪の判断」が殺害するまでに、何処かで交叉したような形跡が見えない事です。もし、私がこのようなトラブルに関わりあったなら、まず嫌悪感を憶えて、拒絶感が生まれ、(物理的でなく)精神的距離間を保とうとするでしょう。殺意は生まれる前に「善悪の判断」で弾かれてしまっているものと想います。 処がこの加害者は、トラブルで憎悪感を抱き、殺意が生まれ、殺害に至る。この過程がストレート過ぎるように想います。なんの障害も無かったとすれば、それはどうしてなのか疑問が深まります。 そこで考えのですが、生まれた時からテレビのある世代は、テレビから受け取る情報を思考回路を巡らすことなく、受け入れる習性がついているのではないのか、と言う事です。常日頃、テレビから受け取った情報のなかに、【トラブルで憎悪感を抱き、殺意が生まれ、殺害に至る】というようなストーリー(幾つかのストーリーの繋ぎ合わせでも)があったとすれば、なんの苦悩もなく一本道を進むが如くに、突っ走ってしまったと、考えるとそれなりの納得がいきます。 新聞には事情聴取で、この加害者は「謝りたい」と言ったと書かれています。この段階に至って、やっと相手の死を実感出来て、それに呼び起こされて、教えられて来た「命の大切さ」が首をもたげたのではないか、などと想像しております。 長々と蛇足の継ぎ足しのようになってしまいましたが、教育現場を全く知らないもの邪推になっているかも知れません。失礼しました。 |
▼団塊党さん: 現役教師である団塊党さんの誠実なレスポンスに敬意をあらわしたいと思います。 私は教師ではなく、教育に関心はあるものの思春期以降の教育に関心があり、小学校レベルでの教育はあまり意見を持っていないのですが、子どもと大人そして社会の関わりという視点で私見を述べてみたいと思います。 異常な少年犯罪が起きていますが、私はその原因は、大人たちの子ども社会への過干渉だと思っています。 子どもが「子ども」をしていません。妙に大人です。オシャレです。子どもじみていません。本来、子どもとはハチャメチャのものであって大人から見ればバカげているものだと思います。今の日本は子どもの社会が壊れている気がします。 子ども社会を壊しているのは日本の大人たちだと思います。 今の日本は大人が「大人」をしていない。大人が大人をきちんと実行するとは、政治にシラケ無いことです。おかしな発言をする政治家がいたら選挙できちんと落とすことです。 社会に積極的に関心を持ち続けることです。政治的な意見を自分なりに持っていることです。 子どもの世界に微に入り細に入らない、子どもの世界に過干渉するべきではない。子どもの世界は大人たちとは違う価値観があるはずです。大人が大人できていれば子どもたちに寛大になれるはずです。 大人は大人の課題をやっていればいいのであって、それは自分たちの暮らす地域社会の”まちづくり”です。”まちこわし”には大人の責任において断固拒否をしなければなりません。 大人が「大人」を誠実に確り実行していることが、子どもたちへの最高の教育です。 以上が私の意見ですが、小学校の教師が大人として子どもたちとどう接するかはよく分りません。思春期以降(中学、高校)の学校教育(教師)がどうあるべきかは旧掲示板で書き込んだとおりです。 |
▼なおさん: >異常な少年犯罪が起きていますが、私はその原因は、大人たちの子ども社会への過干渉だと思っています。 > >子どもが「子ども」をしていません。妙に大人です。オシャレです。子どもじみていません。本来、子どもとはハチャメチャのものであって大人から見ればバカげているものだと思います。今の日本は子どもの社会が壊れている気がします。 > >子ども社会を壊しているのは日本の大人たちだと思います。 私もそういうことが一因としてあるのだと思います。 ただし、日本の大人が壊していると言うよりも、もっと得体の知れない文明病が蔓延しているためではないかと思います。 子どもの生命力を奪うような環境になってきているのではないかと思います。 それに、時間的にも空間的にもゆとりが無さ過ぎです。 流水さんの仰る「体感速度20km」を子ども達に保証するのが大人達の役割だと思います。 |
私には子どもがいなくて私の教育論は観念的になっているかもしれません。 今の日本の子どもたちをめぐる問題は大人たちの過干渉が問題だと思っています。でも学校の先生が子どもたちに関わるなとは思っていません(先生が子どもたちにそっぽをむいたら大変に問題です)。 団塊党さんの【9246】より >最近の私の授業で言えば、「タバコの有害性について」「イラクの子どもと劣化ウラン弾」「地雷でなく花を下さい(絵本)」「ホタルの墓(ビデオ)」などを題材にしてやりました。 >いずれも共通しているのは考えさせる材料が具体的にあるということです。 >そうでなければ何も学ばせたことにはなりません。 >それぞれ写真や資料を提示して考えさせましたが、どれも子ども達は真剣に考えてくれました。 は、東京という大都会で子どもたちのことを考え、色々と試行錯誤されている先生の姿が感じられ共感しました。 しかし、今の日本の教育行政には大きな問題があるようです。今読んでいる本『21世紀のマニフェスト 日本をどのように変えるか』岩波書店から関係する所を抜粋してみます。 「学校運営の官僚主義化は、教師の雑務と会議の集積に追いやり、教育専門家としての中心的な仕事の空洞化を招いている。種々の調査によれば、教師の労働時間の平均は周50時間以上に及んでいるが、授業準備、カリキュラムづくり、研修など専門家としての仕事に費やされている時間は約半分でしかない。 教師組織の官僚主義化も深刻である。官僚主義化の進行は中間管理職(指導主事、教育委員会の役職、社会教育主事、主任、教頭など)の増加を招き、現在では役四人に一人の教師が授業を行っていない。教師一人当たりの児童・生徒数が二十人以下に改善されたにもかかわらず、四十人学級という時代遅れの状態が続いている要因の一つがここにある。」p123 |
▼愚考さん:こんにちは、 >それともう一つ。「物事の善悪」を教えているのでしょうか。教えているとすれば、どのようなものなのでしょうか(簡単で結構ですから)。 > 横レス、失礼します。 近年は、大人の世界でも「善悪の基準」は曖昧で自信を持って子供たちに教えられないと聞きます。 善悪の基準について、愚考さん貴方ならどのように考えられますか?よろしければご披露ください。 |
> 善悪の基準について、愚考さん貴方ならどのように考えられますか?よろしければご披露ください。 一言で言うなら、自分の中に歳毎に蓄積された善悪ということです。 一つは、仏教で言うところの極楽へ行ける行ないか、地獄へ落ちる行ないかです。これは主に親から幼いと時に摺りこまれたものです。 それから、「他人(ひと)様に迷惑を掛けない」事です。ただし、今時の「迷惑」という言葉は非常に軽くなってます。「ごめんなさい」の一言で済ませられるような。そのような軽いものではなくて、古くからある「迷惑」はもっと重いものでしょう。 地域社会で他人(ひと)様に迷惑を掛けたら、一家(時には一族)が村八分にされるか、地域社会から追放されるか、というほどの重みも含んでいる「迷惑」を掛けない事です。これも親からの摺り込みです。 もう一つは、自分の心の中に醸成されている「良心」です。この良心を保つか、汚がすかです。一応、この三つが善悪の判断基準です。 |
▼愚考さん: >> 善悪の基準について、愚考さん貴方ならどのように考えられますか?よろしければご披露ください。 > >一言で言うなら、自分の中に歳毎に蓄積された善悪ということです。 > >一つは、仏教で言うところの極楽へ行ける行ないか、地獄へ落ちる行ないかです。これは主に親から幼いと時に摺りこまれたものです。 > >それから、「他人(ひと)様に迷惑を掛けない」事です。ただし、今時の「迷惑」という言葉は非常に軽くなってます。「ごめんなさい」の一言で済ませられるような。そのような軽いものではなくて、古くからある「迷惑」はもっと重いものでしょう。 > >地域社会で他人(ひと)様に迷惑を掛けたら、一家(時には一族)が村八分にされるか、地域社会から追放されるか、というほどの重みも含んでいる「迷惑」を掛けない事です。これも親からの摺り込みです。 > 異議なし。 > >もう一つは、自分の心の中に醸成されている「良心」です。この良心を保つか、汚がすかです。一応、この三つが善悪の判断基準です。 良心は実にあいまいだと思う。自分にとっては良くとも、相手にとっては悪い、つまり善悪の判断基準が個々に違う、良心も人によって変わってくるということです。 確かニュースで、「父親が息子の生活態度に見かねて殺した」という事件があったと思うが、父親は息子の将来考えた「良心」の基での行動で、このような結果を招いたのであり、息子にとってはありがた迷惑である。 このように、良心とはあいまいであり、人間としての弱さがそこに出ているような気がする。 |
▼Returnerさん: >>もう一つは、自分の心の中に醸成されている「良心」です。この良心を保つか、汚がすかです。一応、この三つが善悪の判断基準です。 > > 良心は実にあいまいだと思う。自分にとっては良くとも、相手にとっては悪い、つまり善悪の判断基準が個々に違う、良心も人によって変わってくるということです。 > >確かニュースで、「父親が息子の生活態度に見かねて殺した」という事件があったと思うが、父親は息子の将来考えた「良心」の基での行動で、このような結果を招いたのであり、息子にとってはありがた迷惑である。 > >このように、良心とはあいまいであり、人間としての弱さがそこに出ているような気がする。 良心はあいまいなものとは想いません。 これを書き出すと長ったらしくなりますので、他人の言葉を借用します。 放浪作家の「きだみのる」が拾った言葉です(うろ覚えですが)。 「良心とは、自分の心の中に居る他人だべ(か)」。 つまり、何時でも第三者の評価に堪え得るものが良心であると、心得ております。 |
▼愚考さん: > >良心はあいまいなものとは想いません。 >これを書き出すと長ったらしくなりますので、他人の言葉を借用します。 > >放浪作家の「きだみのる」が拾った言葉です(うろ覚えですが)。 > >「良心とは、自分の心の中に居る他人だべ(か)」。 > >つまり、何時でも第三者の評価に堪え得るものが良心であると、心得ております。 なるほど、それはすばらしい。その考え、常に保ってください。 |
中学の教育が閉塞状況と感ずる。 「絶対評価」とか言って何が絶対だろう。相対評価がいい。人間は相対でしか見られないはずだ。絶対評価で個性をのばす?個性というのは相対的概念だ。お手手つないでゴールイン、(小学生低学年か?)、学校だけ、しかも義務教育だけそんな格好つけても、高校・大学はどうだ。社会はどうだ。 絶対評価、とかいってペーパーテストの比重を下げまくって、遅刻早退・提出物・授業中の態度、そんなことばっか見ようとする。「いい子」がそんなに作りたいか?子供は粘土細工じゃない。 ちゃんとした試験問題作って、ペーパー勝負だ。もっともそれが公平だ。先生の顔色みて「勉強」するやつは、ろくなものにならない。学力偏重?学歴主義反対?だったら、先生はみんな率先して低学歴の者にしたら。校長から教育委員会が率先して「お手手つないで」路線を実践すべきだ。 教育環境が偏向している。絶対評価をやめ、お手手つないで路線をやめ、教師達がまとまって、教師自身の手で、一生懸命、教育委員会など気にせずに、びしびし小・中学生を鍛えるのだ。遅刻するやつがいてもいい、そのかわり一生懸命勉強させて、社会に出す。それが教師の役割だ。個性をのばすということはそういうことだ。現実から逃避させる教育をして、なにがゆとり教育だ。文部省無視、教育委員会無視。文部官僚は外務省官僚よりも間違いなく無能のはずだ。それが雄弁に事実を語っている。 |
▼ウミサチヒコさん: >ちゃんとした試験問題作って、ペーパー勝負だ。もっともそれが公平だ。先生の顔色みて「勉強」するやつは、ろくなものにならない。学力偏重?学歴主義反対?だったら、先生はみんな率先して低学歴の者にしたら。校長から教育委員会が率先して「お手手つないで」路線を実践すべきだ。 >教育環境が偏向している。絶対評価をやめ、お手手つないで路線をやめ、教師達がまとまって、教師自身の手で、一生懸命、教育委員会など気にせずに、びしびし小・中学生を鍛えるのだ。遅刻するやつがいてもいい、そのかわり一生懸命勉強させて、社会に出す。それが教師の役割だ。個性をのばすということはそういうことだ。現実から逃避させる教育をして、なにがゆとり教育だ。文部省無視、教育委員会無視。文部官僚は外務省官僚よりも間違いなく無能のはずだ。それが雄弁に事実を語っている。 絶対評価が問題なのは、内申書という物があるからです。 つまり、生徒会の役員をやったら+○○点などと入試の点数に上乗せをすることです。 だから中には入試に有利だから生徒会をやるなんていう者も出てくるのです。 あるいは内申点を上げるために教師の顔色をうかがうとかいうことも弊害として出てきます。 だから仰るようにテストの点数だけで評価するのが後腐れがなくてすっきりしています。 個性尊重の名の下で教師の顔色をうかがうような生徒を大量に生み出している現在の制度(絶対評価の内申書制度)は全くおかしいですね。 こんなことしか考えられない行政側の想像力のなさにはいつも現場が振り回されているのです。 これはほんの一例。 こんな矛盾は教育行政のいたるところにありますよ。 |
▼ウミサチヒコさん: >中学の教育が閉塞状況と感ずる。 >「絶対評価」とか言って何が絶対だろう。相対評価がいい。人間は相対でしか見られないはずだ。絶対評価で個性をのばす?個性というのは相対的概念だ。お手手つないでゴールイン、(小学生低学年か?)、学校だけ、しかも義務教育だけそんな格好つけても、高校・大学はどうだ。社会はどうだ。 >絶対評価、とかいってペーパーテストの比重を下げまくって、遅刻早退・提出物・授業中の態度、そんなことばっか見ようとする。「いい子」がそんなに作りたいか?子供は粘土細工じゃない。 >ちゃんとした試験問題作って、ペーパー勝負だ。もっともそれが公平だ。先生の顔色みて「勉強」するやつは、ろくなものにならない。学力偏重?学歴主義反対?だったら、先生はみんな率先して低学歴の者にしたら。校長から教育委員会が率先して「お手手つないで」路線を実践すべきだ。 >教育環境が偏向している。絶対評価をやめ、お手手つないで路線をやめ、教師達がまとまって、教師自身の手で、一生懸命、教育委員会など気にせずに、びしびし小・中学生を鍛えるのだ。遅刻するやつがいてもいい、そのかわり一生懸命勉強させて、社会に出す。それが教師の役割だ。個性をのばすということはそういうことだ。現実から逃避させる教育をして、なにがゆとり教育だ。文部省無視、教育委員会無視。文部官僚は外務省官僚よりも間違いなく無能のはずだ。それが雄弁に事実を語っている。 こんにちは、貴方のこの文章、おもいっきり、スッキリした。感謝します。 |
JANJAN、[ 当世下町寺子屋事情 ]、からの転載です。 「女子小学生殺人事件!」 http://www.janjan.jp/column/0406/0406055094/1.php 九州の佐世保市で【小6の女子が同級生の女子の首をカッターナイフで切って殺した】事件が起きた《その日の夕方》第一報を聞いて早速、《塾へやってきた小6女児》に感想を聞いてみた。 『ニュース聞いた?カッターナイフで小6の女の子が同級生を殺したっていうニュース?』 「えーっ、うっそー、知らない、はじめて聞いた、ビックリしたー、どーして、なんで?」とA子。 『うーん、詳しいことはまだゼンゼンわからんけど、給食の時間だったみたいだよ』 「女の子が殺したの?同級生って男の子なの、女の子なの?」 『うん、女の子が女の子殺したみたいだけど、A子の学校ではなんか問題起きてない?』 「ううん、別に……フツーだよ、みんな。そうヘンなのはいないよ」 『確か6年生は2クラスだったよな、今年も……◎◎小学校は……』 「うん、私の組は女15人男16人で、去年なんか少なくて女8人のクラスがあったんだよ」 『そっかー、で、今年の6年はイジメとかなんかないの?シカトするとか叩くとか……』 「うーん、ナイと思うけど、ただ隣りの組に登校拒否の子がいて2年からゼンゼン来てないよ」 『男の子、女の子なの、どーして来なくなったのか知ってる?その子が学校へ……』 「うん、男の子でさーイジメにあって、そんで来なくなったみたい。よくわかんないケド」 そこへ違う小学校の6年女子、仲良し二人組がやってきて、同じ質問をしてみた。 「えー、マジー、うっそー」 「ばっかみたい、信じらんない、どっかおかしいんじゃない」 「ゼッタイ変だよ、その女の子。まともじゃないよ!気ィー狂ってんじゃないかなー」 「そうだよ、フツーじゃーないよ。殺しちゃったらもう一生パーじゃない。アホだなー」 『うーん、そうだよな。相手の子の人生なんて、もうソレでオシマイだもんなー』 「ううん《殺したほうの子の人生がもうオシマイだ》っていったんだよ、センセー」 『オイオイ、殺したほうの子の心配してんのか、モウこれからの人生、先はナイって……』 「だって、死んじゃった子なんかもうどうしようもナイじゃん。それに心配なんかしてないしー」 『そうはいうけどさー、ニュースでは成績もいい普通の子だっていってたケドなー』 「だって、そんなんがフツーの子だったら、毎日どっかで殺人事件が起こってるよ」 ……むむむ!…… 6月3日《チャットでの悪口》が殺人の動機かも?という報道があって、また聞いてみた。 『B子とC子は確かインターネットしてるんだったよな、メールをやりとりしたり。こないだなんか、お兄ちゃんが修学旅行で《1日中、パソコンが使える!やったー》って喜んでいたもんなーB子』 「うん、しょっちゅうやってるよ。ホームページも持ってるし、メールもチャットも毎日やってる」 『じゃー、チャットでもめたり、喧嘩になったり、殺してやる!なんてなったことないの?』 「うん、コトバだけだったら、しょっちゅうあるよ。友達5、6人でさー、メッセンジャーってのを使ってチャットみたいのでさー、こないだも【ぶっちゃけちゃおうよー】ってんで、もう言いたいほうだい」 『で、どんなんが飛びかうんだ、そんなときは……ズイブンあらけないんだろうなー』 「★★ったらさー、うざいよねー。あのブス、ハゲ」とか「あんただってうざい、しっしっ」とか 「はりきっとんじゃねーよ、消えろ」とか「クサい、どっかへいけー死ねー」なんて平気でさ。 「そいで男なんかみんなガキでさー、女のほうがしきってるって感じ、うちらーのクラス…」 「うん、テメーとかオメーとか、女の方がメッチャ口が悪くて気も強い!すぐモノを投げるのもいる」 「だけど、そんな殺すとこまでいくチョー変なのはいないから心配するコトなんかないよ、センセイ」 『わかった、わかった。口が悪いのは特に《女の子で気になる》んだけど、ワザと言ってるとこもあるからなー。いつの時代でも異常なのはいるけど、最近ちょっと多すぎる気がして【ヤ】だなー』 |
佐世保で同級生殺人事件があった。悲惨な事件だったが、短絡的に殺人を おかす犯人の気持ちを理解することはできない。小学生から積極的にインター ネット教育を始めてしまった弊害かもしれない。チャットや掲示板では、相手 の身元、顔、表情、声などの情報が入らないため、極端なことを言ってしまう ことがありうる。 先日、救急救命士の研修で、意識障害の講義を例年のごとく行った。佐世保 の事件で、救急救命士が被害者を病院に搬送しなかったのは間違いではなかっ たのかと質問した。被害者の父親は娘がうつぶせの状態で倒れているのを見た という発言を聞いて、何も救命処置はなされなかったと疑問に思ったからで ある。通常は搬送すると言っていたが、現場の責任者が最終判断するとのこと だった。頸動脈切断による大量出血で救命は無理だとは思うが。でも、現場に そのまま放置されるのは、あまりにも無惨ではないか。病院に搬送されれば、 もう少し、父親のショックは軽減していたかもしれない。 そのような疑問を持っていたら、昨日の中日新聞に救急隊員が救急業務規 程で義務づけられた七項目の生体反応の喪失が確認していないにもかかわらず、 病院に搬送しなかったことが分かったそうだ。チアノーゼ、体温の喪失はなく、 記載はされていないが、死後硬直も見られていなかった。消防局はこのような 事実関係を公表しないと決定したが、内部から情報がもれたようだ。 |
搬送先病院にもし優秀な麻酔科医がいたら救命処置できたかも. たとえば低体温保存で有名な本大出身の麻酔科医がいたら. これは運次第.たとえば拳銃でやられた某高官は麻酔科主力が 学会参加取りやめ救急処置が出来生還. オームの人でさされた人、搬入先病院の麻酔科医が新人に留守番 させて全員学会参加中だったとか. まあ運次第かな.恐るべき麻酔科医の技術力の差. |
▼ドクター乱夢さん: > 先日、救急救命士の研修で、意識障害の講義を例年のごとく行った。佐世保 >の事件で、救急救命士が被害者を病院に搬送しなかったのは間違いではなかっ >たのかと質問した。被害者の父親は娘がうつぶせの状態で倒れているのを見た >という発言を聞いて、何も救命処置はなされなかったと疑問に思ったからで >ある。通常は搬送すると言っていたが、現場の責任者が最終判断するとのこと >だった。頸動脈切断による大量出血で救命は無理だとは思うが。でも、現場に >そのまま放置されるのは、あまりにも無惨ではないか。病院に搬送されれば、 >もう少し、父親のショックは軽減していたかもしれない。 > そのような疑問を持っていたら、昨日の中日新聞に救急隊員が救急業務規 >程で義務づけられた七項目の生体反応の喪失が確認していないにもかかわらず、 >病院に搬送しなかったことが分かったそうだ。チアノーゼ、体温の喪失はなく、 >記載はされていないが、死後硬直も見られていなかった。消防局はこのような >事実関係を公表しないと決定したが、内部から情報がもれたようだ。 情報ありがとうございます。 私もなぜ搬送しなかったのか、同じような疑問を持っていました。 なくなった女の子もそうですが、現場で見せられた父親も大変つらい気持ちだったろうなと。 こういう場合、なくなっていると判断しても病院搬送すべきように思いますが。 父親ご本人のインタビューでは、警察より「現場保存」の必要があるとか言われたそうですが、法的にはそうなのかどうか? でも、どうにも腑に落ちない。万が一助かる可能性にかける、ということがあっても良さそうな・・・ |
>でも、どうにも腑に落ちない。万が一助かる可能性にかける、ということがあっても良さそうな・・・ 被害者が受けた傷は深さ10cm。頸骨をも切断してしまったか、あるいは頸骨に到達してようやく断念したか、そのいずれかでしょう。間違っても生きてない。どっちにせよ『カッターナイフで切りつけました』という生半可な行為ではない。『加害者が殺害に使用した凶器は本当にカッターナイフだったのか』ということ。そして、『加害者は殺害だけでは飽き足らず、怜美さんの頭部を切断しようとしていたのではないか』という疑惑がどうしてもぬぐいきれ無い。 深さ10cmの傷といえば女児の頸部の太さを考えれば、かろうじて『皮一枚』でつながっている状態というのが正しい。そう考えると、たとえば『怜美さんが死んだどうか確かめるために身体を動かすなどしてその場に15分間ほど居た』などという供述の信憑性は強く疑うべき。15分かけて頭部を切断しようとしていたのではないか。 |
従来、死の判定は、「心臓の停止」、「 呼吸の停止」、「瞳孔が開く」の3点でしたが、脳死による死の定義が取り入れられ、無酸素や障害により脳が永久に機能を失った状態で判定されます。 従って、救急隊員が判定したのは、「心臓の停止」、「 呼吸の停止」、「瞳孔が開く」のみでしょう。 やはり、その場で出来るだけ救命処置を施しながら救急病院に搬送して、それでも心臓が再機能しなかったら医師が脳死判定をすべきだったと思います。 また、いくら親だからといっても凄惨な現場をそのまま見せるのは残酷です。 個人的にも、もし交通事故なんかで道に倒れたとき、救急隊に死んだと判断されてそのまま衆人にさらされると思うとぞっとします。 |
何というか 消えないんです 自分でもよく分からないのですが。。 ネットとかコミュニケーション力とか そういう面の問題もなくはないと思うんですけど 他にもっと気になることがあります まず 「命の大切さ」とかを 今の大人が説くことにどれだけの説得力があるんでしょうか? 自分は子供に信用されてるって大人って 凄く少ないような気がするんです 冷めた目や疑いの目で見られる大人の方が多いような。。 次に 子供自身が今 何を信じてどんな希望を持てばいいのか 何があるって 私が訊かれる事を考えた時に 答えが全く見えなくて 自分を信じてくらいしか言えない。。私の悲観症の影響もあるかと思いますが そして 今回の事件に対するいろんな反応が 子供。。特に 自分にも似たような危うさを自覚してる子達に どんな感情を抱かせているか。。 今回の事件を「自分達の身に引き受けて考えている人」が 何か少ないような気がして。。 (いえ 今回に限らずなんですけど) 自分を正しい位置に置いて「〜が悪い」とか 実際どうだったかなんて分かりませんけど 何でこんなコトになったのだろうという話より 分かりやすくて安心出来るような話が多いような。。 事件の起きた学校とかに非難が殺到したって聴きましたけど やってどうするのかなと言うか 自己満足にはなるけどそれで何かが解決するの? と言うか (正しいことを言うだけで物事が解決するなら そもそも事件とか起きないと思うので) 写し鏡的に(?)同世代の子でも単純にあの子が変だったとかで終わっちゃったり (それが普通の反応なのかも知れないのですが) そういった中で 危うさを自覚してる子達が 誰かに相談とか 抱えてるモノを誰かに言ったりとかが。。出来るでしょうか? 現代って 子供に本音訊こうとしても難しいと思います 大人に耳当たりのいいことしか言わない気がするので いろいろと もやもやしているのですけど 今書けることを書いてみました まとまり無くてゴメンナサイ 多分 現役の子供に大人が諦められたら終わり。。 |
●現代って 子供に本音訊こうとしても難しいと思います 大人に耳当たりのいいことしか言わない気がするので ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この疑問は、本質をついています。 現役時代、保護者にこういっていました。 ◆「家でよい子。学校でよい子」→気をつけましょう。いつか、どこかで、良い子 の仮面をとりたくなります。 ◆「家でよい子。学校で悪い子」→非常に困ります。理由は、学校でしていることを正直に語っても、信じてもらえない。そうなると、手の打ち方が遅れます。 ◆「家で悪い子。学校でよい子」→これが普通です。人間は、どこかでバランスを とる必要があります。 ◆「家で悪い子。学校で悪い子」→針が振り切れている可能性があります。何とか歯止めをかけなければなりません。 人間には、自衛本能があります。どうすれば、生きていくのに一番良いか、を常に考えます。子供も同じです。どうすれば、大人が喜んでくれるか、を常に考えています。 多くの子供たちが学校が厭になるのは、自分は家でも一生懸命そうやってつくろっているのに、さらにそれ以上つくろえと要求したり、自分の本当の姿を親にいうからです。(評価) ところが、自分たちに正しいことを要求する大人たちをよく見ていると、どうも二枚舌か三枚舌の持ち主が多いのではないか、と気づいてきます。 情報化の進展が、この認識に拍車をかけます。 そうなると、子供たちは心によろいを着ます。心によろいを着ておいて、生きる術として、耳障りの良い言葉、態度をとれば、とりあえず厭な思いはしなくてすむという知恵が発達します。 そういう意味では、現代の子供は「悪知恵」が発達しています。子供らしくないといえばそうですが、時代がそれを要求しているともいえるのです。 その意味で大人たちが、考えなければならないのは、子供たちが心のよろいを脱ぎ捨てれる場所・環境をどのようにつくるか、という視点です。 換言すれば、子供が「安心できる居場所」をどうやって作るか、という視点です。 「遊びをせんとて生まれきぬ」という子供の本質は、今でも変わっていません。 わたしたちは、もう一度立ち止まって考える必要があります。 |
事件から一週間ほどたち、おぼろげながら事件の骨格が見えてきた。 わたしの推察したとおりのこともあったし、推察以外の点もあった。 それらの点を、まとめて見たいと思う。 1、事件の動機 ネット上のトラブルが、直接の動機になっていることは、間違いなさそうだが、 この女児の殺人にいたるまでの「心の軌跡」はまだ見えてこない。 ただ、HP上に掲載された加害少女の詩らしきもの、その他の書き込みの文章を読んでみると、言葉の落差の大きさに特徴があるように思える。 「うぜー」とか「でぶす」などの激しい言葉を使う人間と同一人物とはとても思えない、小6の少女としては、かなりこなれた文章が書かれている。 ●この【言葉の落差】に、この少女の心理状況が映し出されているように思える。 この疑問に答える記事が毎日新聞に掲載されていた。 少女の5年次の担任の証言である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【元担任は30代後半で、今も大久保小に勤めている。1学年1クラス。同級生によると、別の男性教師が担任だった4年生のクラスはまとまりがあったが、「5年生になって急にバラバラになった」という。学校で菓子を食べたり、授業を無視する。いじめ、担任への暴力も起きた。 元担任は「精いっぱい私なりにやったつもり」と言いつつ、「うまくまとまらなかったのは事実。難しかった。私のせいと言われても仕方がない」と悔やむ。暴力を受けたことも「私が悪かった面もある」と語る。 女児は5年生の2月、好きだったバスケットボール部を母親の意向で辞めた。そのころから授業を聞かず、ほおづえをついて居眠りをするようになった。だが、元担任は「私の知る範囲では、そういうことはなかった」。突然、ストレートパーマをかけてきたこともあったが、「ご両親も許していたんだろうから、彼女には何も尋ねなかった」という。 女児は次第に荒れ、放課後に男子を追いかけ回して倒し、踏みつけた。「男子をこづく場面は見たが、それほど激しい感じではなかったので冗談の範囲」と受け止めた。】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ やはり、そうだったのか、というのが、第一印象である。 この事件は、誤って怪我をさせたなどという学校でありがちな事故と違い、【殺人】である。【殺人】を犯す子供に何の前兆もないというのは、信じられない。 必ず何らかの前兆があったに違いない、というのが、子供相手に半生を送ってきた人間の勘である。 ただ、わたしの推測が外れたのは、この【少女の感性】が、長崎の少年、神戸の少年にかなり近かった、という点である。 この少女は、【男らしさ】【女らしさ】の未分化の精神状況にあったのではないか、と思える。 思春期は、比喩的にいえば精神の【疾風怒濤】時代である。普通、この精神の【疾風怒濤】時代に突入するのは、中学時代だが、加害少女は、どうやらその只中にいたと思われる。それだけ、この少女はいわゆる「おませさん」だったのだろう。 誰にでも経験があるが、何がどう気に入らないか分からないが、無性に腹がたったり、むやみに感激したり、すぐ絶望したり、明日にも天下が取れるのではないか、と舞いあがったりするものである。 この時代を過ぎれば、おこりが落ちるように、正常な精神状態に戻る。 人間の心というのは不思議なもので、自分の夢想している世界と日常性との間の距離が近ければ近いほど、安定した精神状況になる。 この距離が遠ければ遠いほど、精神状態は不安定になりがちである。ある詩人が「俺が本当のことを言ったら、世界が凍る」とか「毎夜毎夜、千里の径庭を走る」と詠っているのは、このことを指す。 小学校4年次の作文に【自分の2面性】について書いているのをみると、この少女の精神性(自分の心を覗き込む)は、相当大人びていたようである。 わたしの推測では、この少女の「夢想の世界」と日常性との間には、普通の子供よりはるかに大きな距離があったと思える。 これが、日常性に影響を与えないわけがない。この少女の精神性は、危ういバランスを保っていたと思える。 この傾向は、神戸の少年にも、長崎の少年にも共通して見える傾向である。もう一つ、遡れば、宮崎勤事件以降の傾向でもある。 わたしは、見誤っていたのは、この傾向が強いのは男子のほうが多く、女子には少ないという一般論に引きずられすぎたところに原因がある。 この少女の場合、男子女子という性差が、まだ未分化だったという点に特徴があるような気がする。 私見だが、ミニバスケットをしていたときは、このバランスが取れていたのであろう。周囲ともうまくやっていたように見える。ところが、費用の点(?)からバスケットをやめたころから、そのバランスが崩れ始めたように見える。 この少女の場合、身体的エネルギーも強く(男の子を押さえつける)、夢想化的(抽象の世界)傾向も人一倍強いため、このバランスをとるのが人一倍難しかったと推察できる。 バスケットをやめたため、身体的エネルギーのはけ口を学級での荒れで表現し、夢想化傾向をインターネットのバーチャルな世界で増幅したのであろう。 ところが、この【表現】は、現実世界では理解されない。このことは、多くの同級生が【怖い】と証言していることからも、理解できる。 つまり、自分の内部に秘していた「夢想」の世界が、現実世界を侵食し始めてたのが、5年生だったように見える。 少女の目から、「現実という日常性」が消え始めたのではないか、と推測できる。 ここからの少女は、荒れる生徒と同じ軌跡を辿り始めている。自分の「夢想」の世界が現実とそぐわなくなり始めると、「現実」を否定するか、力づくで現実を変えようとする。これが、「荒れる」という行為で表現される。「荒れる」につれ、心はささくれだち、ほんのささいな言葉に激しく反応する。ささくれ立った心は、激しく汚い言葉で表現され、激しく汚い言葉は、さらに心をささくれ立たせる。 これが、元担任の証言にある少女の行動に表現されたのであろう。 ただ、これだけでは、「殺人」という行為まで疾走した少女の軌跡を解明したことにはならない。「殺人」を夢想することと、「殺人」を実行することの間には、目の眩むような「裂け目」が開いているはずである。 この「裂け目」の意識が、少女にどのように意識されていたか、それとも意識されていなかったのか。このあたりに、少女の幼さが出ているのか。まだ、よく分からない。 この「裂け目」を跳び越した少女の内面の解明は、これから専門家の審判に待たなければならない。弁護士も家裁も少女の「精神鑑定」を請求するようであるが、この解明こそがこの事件の鍵であろう。 2、事件の影響 被害少女・加害少女を属した6年生の子供たちの心には、好むと好まざるとにかかわらず生涯忘れることができない傷が残るであろう。 この事件を自分の内部で咀嚼できるまでには、これから長い時間がかかることは間違いない。相当長いパースペクテイブで、心のケアーを行う必要性があると思う。 今日、被害少女の父親が、娘にあてた手紙という形式で、その心情を語っていたが、最愛の娘の死という現実をどうしても受け入れることのできない心の乱れがそのまま伝わってきた。 このような非日常の事件は、「聖書的」である。事あるごとに、不意に脳裏に浮かぶ。そのときの娘の年齢は、13歳のままである。この辛さは、他人には分からない。 彼もまた、これから「時の止まる辛さ」をこれから味わわなければならない。その意味で、彼の辛さは、時が癒せるものではない。 担任教師もまた生涯消えることのない重荷を背負った。現在授業に出られない状況らしいが、事件から受けた衝撃の重さが想像できる。おそらく、教師という職業の重さが、耐えられないほど、心にのしかかっているはずである。 加害少女の親もまた、出口のない苦しみにさいなまれているはずである。しかし、どんなに辛くても両親は生きなければならい。これからの加害少女の人生を支えるのは、両親以外にないからである。この苦しみは、想像を絶するが、それが「親の責任」である。逃げ出すわけにはいかない。 加害少女は、これからの人生で被害少女だけでなく、これら全ての人々の悲しみ・苦しみに責任を負わなければならない。それが自分が犯した「殺人」という行為の重さである。むごいようだが、これからの長い人生、彼女はこの苦しみに正面から向き合わなければならないと思う。 |
何故現代の様な社会に成ったのでしょう。 私は今の様な日本の社会に成ったのは、戦後の教育制度が180度変更された事から初まり、科学や化学の発達による生活の変化、自然の崩壊、大人の社会の変革、それらが相乗されて・へんちくりん・な社会が形成され、其れに伴い官僚、政治家が悪い事は蓋をしたり隠したり。これら目には見えないものが複雑に絡まり現在の社会が形成されたと思っています。親が子供を平気で殺す時代です。此れ等の報道を見た子供達はどう感じてどのように自分で見た事を消化しているのでしょう。ですから一見普通の子供がこの度と同じ犯罪を犯す可能性はそこらに転がっていると思うのです。 子供達に範を示さなければ成らない大人達の行動、現代の様にニュースも何時間もしない内に茶の間に届きます、 此の事件に何の関係も無い官僚、政治家でも自分達か起こす不祥事件も子供達に与える心の影響は大だと思って下さい。 もう一つ出版、映像に関係しているメディアその時々のドラマやアニメの社会があらゆる面で、一般社会に伝染している事を忘れないでほしいです。そしてその原因糾明も解らないまま終るでなく、一世代二世代の時間がかかっても、正常な社会にする義務が私達年寄りにも有りそうです。 以上で私は現代社会は、長年のうちに複合汚染された社会に成ってしまったと思っています。 |
▼このスレッドにお集りのみなさま: こんにちは。Ray@スタッフです。 このスレッドの書き込み数が100件を越え、重くなってきましたので 新スレッド「長崎女児殺害事件・2」を立てました。 以後のご議論は新スレッドをご利用くださいますよう、 ご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。 なお、このスレッドの書き込みのいくつかは 掲示板のルールに抵触しかねないものがあったように思います。 今一度ルールをご確認いただいたうえで議論にご参加くださいますよう 重ねてお願い申し上げます。 |