Page 833 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 元ウルトラ警備隊 04/6/23(水) 16:15 ┣Re(1):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 小鉄 04/6/23(水) 19:36 ┃ ┣Re(2):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 飛龍 04/6/23(水) 22:00 ┃ ┃ ┗Re(3):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 小鉄 04/6/23(水) 22:17 ┃ ┃ ┗Re(4):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 飛龍 04/6/23(水) 23:00 ┃ ┃ ┗Re(5):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 団塊党 04/6/24(木) 1:15 ┃ ┗それは一面的でしかありませんよ 20代 04/6/24(木) 8:15 ┃ ┣みなさんさ知ったかぶりですね。 20代 04/6/24(木) 8:32 ┃ ┃ ┣Re(1):みなさんさ知ったかぶりですね。 モンキー 04/6/24(木) 10:57 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):みなさんさ知ったかぶりですね。 20代 04/6/24(木) 11:49 ┃ ┃ ┣Re(1):手触りの教育 流水 04/6/24(木) 13:02 ┃ ┃ ┃ ┗・・ 元ウルトラ警備隊 04/6/25(金) 21:29 ┃ ┃ ┗Re(1):みなさんさ知ったかぶりですね。 小鉄 04/6/24(木) 17:23 ┃ ┃ ┣Re(2):みなさんさ知ったかぶりですね。 南国人J(宮崎市民) 04/6/24(木) 18:10 ┃ ┃ ┗道徳教育 20代 04/6/24(木) 19:02 ┃ ┣Re(1):それは一面的でしかありませんよ ぶっちょ 04/6/24(木) 20:33 ┃ ┃ ┗拝見しました 20代 04/6/24(木) 21:42 ┃ ┃ ┗Re(1):拝見しました ぶっちょ 04/6/25(金) 23:19 ┃ ┃ ┗Re(2):拝見しました 宮崎故郷人 04/6/26(土) 13:13 ┃ ┣Re(1):それは一面的でしかありませんよ 敦煌 04/6/25(金) 22:13 ┃ ┗Re(1):それは一面的でしかありませんよ 敦煌 04/6/26(土) 21:12 ┣Re(1):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 敦煌 04/6/23(水) 19:58 ┃ ┗Re(2):秋葉広島市長の「反米、反日発言」に渇! koga 04/6/24(木) 6:35 ┣Re(1):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 団塊党 04/6/23(水) 21:30 ┃ ┣Re(2):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 小鉄 04/6/23(水) 21:48 ┃ ┃ ┣Re(3):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 小鉄 04/6/23(水) 21:57 ┃ ┃ ┗Re(3):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 団塊党 04/6/24(木) 21:16 ┃ ┣Re(2):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 元ウルトラ警備隊 04/6/24(木) 2:03 ┃ ┃ ┣Re(3):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 石頭の息子 04/6/24(木) 2:22 ┃ ┃ ┗Re(3):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 宮崎故郷人 04/6/24(木) 14:52 ┃ ┗Re(2):広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 元ウルトラ警備隊 04/6/26(土) 23:34 ┣広島の教育 雑誌『反戦情報』より なお 04/6/23(水) 22:33 ┃ ┗Re(1):広島の教育 雑誌『反戦情報』より 小鉄 04/6/23(水) 22:41 ┃ ┗Re(2):広島の教育 雑誌『反戦情報』より なお 04/6/23(水) 22:48 ┗Re(1):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 南国人J(宮崎市民) 04/6/24(木) 15:43 ┗Re(2):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 元ウルトラ警備隊 04/6/25(金) 21:00 ┣Re(3):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 元ウルトラ警備隊 04/6/25(金) 22:32 ┣Re(3):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 宮崎故郷人 04/6/26(土) 12:38 ┃ ┗Re(4):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 元ウルトラ警備隊 04/6/26(土) 20:58 ┃ ┗Re(5):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 宮崎故郷人 04/6/28(月) 11:14 ┗Re(3):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 南国人J(宮崎市民) 04/6/28(月) 14:51 ┗Re(4):広島市議会の教育基本法改正意見書は通常採決です 元ウルトラ警備隊 04/6/28(月) 20:54 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 広島市議会で教育基本法改正意見書を強行採決 ■名前 : 元ウルトラ警備隊 <ttn7pzx2g2@mx10.ttcn.ne.jp> ■日付 : 04/6/23(水) 16:15 -------------------------------------------------------------------------
広島市議会で6月22日「教育基本法改正意見書」採択派の自民、公明などは賛成討論さえ行わずに採決を強行したらしい。 これはひどい。民主主義、いや多数決原理にすら反するではないか。議論する中で、多数派の意見が正しいのではないかということに、より多くの議員がたどり着いた時にはじめて多数派の意見が正当化されるのが少なくとも多数決の原理であろう。それ(賛成討論)を放棄するということは、自分たちの意見に正当性がない事を自ら証明していることになる。このような強行採決は改正賛成派の「論理の無さ」を露呈するが、「採択書」が正式に公報や官報に掲載され、当該議会の正式な意思表示とされてしまうことが口惜しい。 |
>広島市議会で6月22日「教育基本法改正意見書」採択派の自民、公明などは賛成討論さえ行わずに採決を強行したらしい。 これはひどい。民主主義、いや多数決原理にすら反するではないか。議論する中で、多数派の意見が正しいのではないかということに、より多くの議員がたどり着いた時にはじめて多数派の意見が正当化されるのが少なくとも多数決の原理であろう。それ(賛成討論)を放棄するということは、自分たちの意見に正当性がない事を自ら証明していることになる。このような強行採決は改正賛成派の「論理の無さ」を露呈するが、「採択書」が正式に公報や官報に掲載され、当該議会の正式な意思表示とされてしまうことが口惜しい。 広島の教育の現状は余りに酷いですからね。教職員組合に権限を剥奪され、最後には教員によって自殺に追い込まれる校長。「日の丸の赤は血の赤。白は骨の色」という無茶な狂育が行われる現状。 偏向教育の度合いと、少年の非行率は比例します。かつては教育大国だった広島も、今ではセンター試験の結果を見ても生徒の学力は低下するばかり。又、広島名物の暴走族。祭りの時なんてとくに派手に暴れて警察のお世話になっています。 そうした偏向教育のより所となって、教員達を暴走させてきたのが今の教育基本法な訳です。 |
偏向教育の度合いと、少年の非行率は比例します。かつては教育大国だった広島も、今ではセンター試験の結果を見ても生徒の学力は低下するばかり。又、広島名物の暴走族。祭りの時なんてとくに派手に暴れて警察のお世話になっています。>>全くその通りです。 3年前に何十年ぶりかに広島平和公園に行って見ますと、暴走族の溜まり場と化し、それはひどいものでした。『場所柄を弁えない馬鹿者共め。これじゃぁ平和どころの騒ぎではない。第一外国からの観光客の恥さらしである』という印象でした。 とにかく何でも自由という風潮が行過ぎている。当に若年層においては自由と我儘を履き違えている。極論すれば、自由・自由と叫べばなんでも許されるものと勘違いしている。 自由というのは権利であり、権利を得るには義務の履行が伴う。恐らく、広島ではその当然教えるべき基本的な事すら、放棄していたんでしょう。だから、あのような醜態を教師が晒し、それら教育者とは言い難い人格障害者に洗脳された子供たちこそ、いい迷惑。 しかしこのような偏向教師の態度を改め、教育を正しくする為に立ち上がったのが、 『おやじの会』です。『教育を母親任せにせず、偏向教師・日教組の実態を暴く』という立場から編成されています。 |
>自由というのは権利であり、権利を得るには義務の履行が伴う。恐らく、広島ではその当然教えるべき基本的な事すら、放棄していたんでしょう。 こればっかりは全国的な問題ですね、「子供の権利」に関しては。子供の権利を認めようというのは一見結構な事だ。しかし、彼らがやってる事は大人と同じ、酷いのになるとそれ以上の権利を認めさせようとしてる。これが間違い。 子供は少年法で守られてるから、保護対象の年齢であれば大人と同等のやった事への責任を問われない。つまり、「子供も大人も一緒なんだ。もっと権利を認めろ」というのはとんでもない暴論。そういう人達が大人と同様に子供も悪い事をすれば大人同様に罰を受けなければいけないと言ってるかといえばまるっきり。 結局権利と義務は表裏一体、そんな事すら分かってない大人が偉そうに「人権」を語るのだから語るに落ちますよ。 >だから、あのような醜態を教師が晒し、それら教育者とは言い難い人格障害者に洗脳された子供たちこそ、いい迷惑。 子供を尊重して国旗国歌についての教育をしない偏向教師というのは実は生徒でなくて、自分の事を大事にしてるに過ぎない。子供はハズレの教師にあたると国旗国歌(自国、他国含めて)に対する礼儀すら知らず、若しくは偏見を持たされて卒業する事になる。 「子供は教師を選べない」。こんな単純な事すら忘れてしまっている偏った教師があまりにも多く、そこには「生徒を尊重する」なんて態度はみじんも感じられない。 授業を放棄して組合活動にいそしむ教師なんて論外ですね。「給与詐取」ですよ。 >『教育を母親任せにせず、偏向教師・日教組の実態を暴く』という立場から編成されています。 結局は良識ある親に頼らざるを得ないのかも知れません。いかに広島の教育が酷いかは「組合先生」自身ですしね(笑い 自分達が壊滅的な打撃を与えた公立校には行かせず、「私立」に行かせてるんだから・・・(苦笑 酷い事をやってるという自覚があるなら止めればいいだろうに・・・。 |
子供にしても、あまりに『自由・自由』と連発すれば、『ならば、お前たち、殺すのも殺されるのも自由ということになる。自由といえど無制限ではない。おのずと、やっていいこと、悪いことの境界線という判断があろう』と説明すればいいんです。 それに問題児の親に限って、学校に苦情を言いますし、そのくせ行事には不参加が多い。 妻が地区役員(学校=地区の連絡役)をしており、度々学校へ行きますが、苦情を言う親に限って、そのような役は理由をつけて逃れます。又、放任主義と言えば聞こえがいいですが、実は教育を放棄している。自分がごく正統な価値観を持っていないが故に、子供にも自信を持って当たり前の事を教えられないのです。要するに自分の劣化コピーをせっせと作っていると。もし子供が不祥事を起せば、『何とか穏便に』とは絶対に言えません。 図書室での省文とか、自宅謹慎などもっての他です。即刻坊主頭にして、早朝より校庭の草むしりと、登校する教師・生徒に向かって『おはようございます』と挨拶させます。当然私も同行しますが。その後は袋を持っての道路の空き缶・ゴミ拾いでしょう。 このような内容はサヨクに言わせると『子供の人権侵害』というでしょう。確かに格好は悪いですが、格好が悪いだけの事をしでかしたんですから、その報いを受けるのは当然の事です。無様な事をした子供の責任は親にありますから、親としても共同責任を取るのは当然と思います。 |
▼飛龍さん: >図書室での反(?)省文とか、自宅謹慎などもっての他です。即刻坊主頭にして、早朝より校庭の草むしりと、登校する教師・生徒に向かって『おはようございます』と挨拶させます。当然私も同行しますが。その後は袋を持っての道路の空き缶・ゴミ拾いでしょう。 このような内容はサヨクに言わせると『子供の人権侵害』というでしょう。確かに格好は悪いですが、格好が悪いだけの事をしでかしたんですから、その報いを受けるのは当然の事です。無様な事をした子供の責任は親にありますから、親としても共同責任を取るのは当然と思います。 自分のやったことには責任を取らせることは必要だと思います。 しかし、それが安易に罰を与えるという発想からなされるならむしろ弊害があります。 そこには教育に値するものは何も生まれません。 むしろ、もっと陰険な問題がそこから派生し自己増殖していくことでしょう。 これは想像で語っているのではなく私の経験から得た確信です。 教室が荒れるのはまさにそのようなときなんです。 安易に罰を与えるようなやり方が広まれば間違いなく今よりさらに根の深い問題が至る所に出てくることでしょう。 子どもは自分が認められ受け入れられた時、他をも受け入れ素直になっていくのです。 罰を与えれば良くなるなんて単純なことが真実なら、教育問題がこんなに深刻になるわけがありません。 現在の子どもの様々な問題行動は学校教育や基本法が主な原因だとは思えません。 (学校には改革しなければいけない点はありますが) 基本法にある「人格の完成」という高邁な目標を実現する上での障害になる要因が今の社会環境には多すぎます。 そこに焦点を当て教育を考えていくことも一方では必要なことです。 すべてを基本法や学校の責任に帰着させるような発想はむしろ教育問題の根本から目をそらさせる物でしかありません。 |
▼小鉄さん: > 広島の教育の現状は余りに酷いですからね。教職員組合に権限を剥奪され、最後には教員によって自殺に追い込まれる校長。「日の丸の赤は血の赤。白は骨の色」という無茶な狂育が行われる現状。 > 偏向教育の度合いと、少年の非行率は比例します。かつては教育大国だった広島も、今ではセンター試験の結果を見ても生徒の学力は低下するばかり。又、広島名物の暴走族。祭りの時なんてとくに派手に暴れて警察のお世話になっています。 > そうした偏向教育のより所となって、教員達を暴走させてきたのが今の教育基本法な訳です。 こういう市議会などでの行為は広島に限られたことではないのではないでしょうか? 長野県でも無茶をやっていますし、どこの県でも少なからずあると思いますが・・。 あと私は広島の人間なので言わせてもらいますが、 よその人間が何も知らないのにその土地を批判するなんて愚かな行為だと思いますよ。 たまたま通った場所やニュースを見て一面でしか判断できないのに、 広島は〜なんてナンセンスです。 暴走族なんかの問題にしても法律作って警察が良くやってくれてますし、 むしろ関東(一時期住んでました)より少年達は素直だからこそ、 思春期の葛藤でああいう行為に走るのです。 センター試験の学力だけが人生でもないと思います。 都会に住んでらっしゃる方にはわからないかもしれませんが、 地方都市ではエリート思考で全体が統一されているわけではありません。 まだまだ大学さえ行っていれば通用する社会なのです。 なによりも本来の人間としての人生を楽しめる要素は田舎へ行くほど増すと思います。 住めば都、その土地を愛する人がいることを忘れないでください。よろしく。 |
今スレッドを上から見ていたのでその途中で投稿しましたが、 これはスレッド全体に対してです。 広島の教育水準が低いなどとおっしゃられていますが、 何を根拠におっしゃっているのでしょうか。 データは客観的だとでもおっしゃりたいのですか? テストの点数が低いから教育が悪い? じゃあそもそも教育ってなんですか? 塾ですか? 広島では週何時間と小中高に渡って人権学習、平和学習が行われています。 私自身学校教育で広島原爆のかたりべの方のお話を聞いたり、 身近な体験者を探して話を聞いたり、フィールドワークをしたりしました。 また人権教育もされました。 広島で強制労働させられていた朝鮮の人たちの話、 部落などの差別。 こういうことにも力を入れているのですよ。 平和都市広島の人間として恥ずかしくない教育だと思います。 単に勉強ができれば教育水準が高いなどと思っている方々に 教育を語る資格はないのではないでしょうか。 |
▼20代さん: >今スレッドを上から見ていたのでその途中で投稿しましたが、 >これはスレッド全体に対してです。 >広島の教育水準が低いなどとおっしゃられていますが、 >何を根拠におっしゃっているのでしょうか。 >データは客観的だとでもおっしゃりたいのですか? >テストの点数が低いから教育が悪い? >じゃあそもそも教育ってなんですか? >塾ですか? >広島では週何時間と小中高に渡って人権学習、平和学習が行われています。 >私自身学校教育で広島原爆のかたりべの方のお話を聞いたり、 >身近な体験者を探して話を聞いたり、フィールドワークをしたりしました。 >また人権教育もされました。 >広島で強制労働させられていた朝鮮の人たちの話、 >部落などの差別。 >こういうことにも力を入れているのですよ。 >平和都市広島の人間として恥ずかしくない教育だと思います。 >単に勉強ができれば教育水準が高いなどと思っている方々に >教育を語る資格はないのではないでしょうか。 はじめまして あなたの本件のレスに対するお怒りよく理解できます。 私も念のためこのスレッドを読み返してみましたが、投稿者の中に人権、平和 反戦などの人道主義に異を唱える方が数名いるのを確認しました。この方々は広島における人権、平和教育そのものが気に入らないのです。端的に言って軍国主義者です。 私はあるときからこのような方々のレスは基本的にスルーする事にしています。 なぜなら価値観が違いすぎ、議論にならないからです。 あなたも一度この方々が他のスレッドでどのような内容の投稿をしているか確認の上、納得いかないならば相手にならない事をお勧めします。 本掲示板の大多数の読者はあなたの意見に賛成であることをお忘れなく。 今後もどしどし投稿してください。 余談ですが、私も若い時広島に2年ほど住んでいたことがあります。当時は原爆体験者も多く原爆の悲惨さ、戦争が庶民に強いる犠牲のむごたらしさにただただ聞き入ることしかできなかった記憶がずっと残っています。 |
モンキーさんありがとうございます。 あまりにもこのスレッドの話の流れが一方的だったので 広島人として怒ってしまいました。 以後スルーするかどうかは選択肢の1つとして参考にさせていただきます。 |
広島での教育の思い出をうれしく拝見しました。 教育論は、本質的に【個人的】なものです。それぞれの人の意見には、それぞれの人の思い出、手触り、感情が込められています。 その意味で、教育論を語るときは、自分自身の【手触り】を大切にすることが原点です。 その原点が感じられない教育論など、犬にでもくれてやればよいのです。 もう一つは、教育を語るとき、自分を高みに置かないことだと思います。あなたが、感情を害されたスレッドの多くは、自分を高みにおいて人を断罪する人間の暴慢さがあらわれています。 広島の教育は、自分を高みにおいて人を教育するあり方を拒否するところから、出発しています。それが教育における歴史の反省であるという原点にこだわり続けた県です。 その意味で、元教師として、広島の教育や教師を尊敬しています。 基地の県沖縄では、憲法9条が日常生活の中でその意味を問い続けられたと同様に広島では戦争と平和の問題が、人々の日常生活の中で問い続けられているのです。 その意味で、これからの沖縄と広島は、今まで以上に、【戦争と平和】の象徴としての意味を増していると思います。 これに懲りずにこれからも発言を続けてください。 |
▼流水さん: 下記ご意見に賛同すると共に、肝に銘じます。 >教育論は、本質的に【個人的】なものです。それぞれの人の意見には、それぞれの人の思い出、手触り、感情が込められています。 >その意味で、教育論を語るときは、自分自身の【手触り】を大切にすることが原点です。 「自分自身の手触り」・・・これは大切な言葉だと思いました。わが子にも伝えます。 |
>広島では週何時間と小中高に渡って人権学習、平和学習が行われています。 同和教育も、平和教育もそれ自体は結構な事。でも、偏った同和、平和教育なら意味がありません。だからこそ指摘してるんですよ。 そうだ、20代さんは人権学習、平和学習以外に、学校で道徳教育を受けた経験はありますか? |
▼小鉄さん: >>広島では週何時間と小中高に渡って人権学習、平和学習が行われています。 > > 同和教育も、平和教育もそれ自体は結構な事。でも、偏った同和、平和教育なら意味がありません。だからこそ指摘してるんですよ。 > > そうだ、20代さんは人権学習、平和学習以外に、学校で道徳教育を受けた経験はありますか? 私も是非聞いてみたいですね。 そうそうこんな記事を見つけました。 ”広島県の公立学校ではかつて、道徳の授業が人権に呼びかえられて実施されるなど、学習指導要領の趣旨から外れた授業が行なわれていた、(後略)。” これ、偏向教育じゃありませんかね、20代さん。 |
何をもって偏っているとおっしゃっておられるのですか? 道徳の授業はたしか小学校であったと記憶しています。 障害者についての映画を見たり、老人ホームで体験学習たりしました。 学習指導要綱からはみ出した教育を非とされているようですが、 その地域、環境に応じた教育がなされるべきであって、 全国でまったく同じ教育がなされる必要はないと思います。 実際振りかえって考えてみるとそのような授業こそ有意義だったと思います。 |
▼20代さん: >住めば都、その土地を愛する人がいることを忘れないでください。よろしく。 広島を愛する人達が作っているHPです。 「広島県の教育を考える会」 http://www.ddt.or.jp/~m777/ 広島の問題を全国の人々に訴えているようですよ。 |
▼ぶっちょさん: >▼20代さん: >>住めば都、その土地を愛する人がいることを忘れないでください。よろしく。 > >広島を愛する人達が作っているHPです。 > >「広島県の教育を考える会」 >http://www.ddt.or.jp/~m777/ > >広島の問題を全国の人々に訴えているようですよ。 確かに現在はこのような問題も抱えているようですね。 私が受けた教育に関しては偏ったものとは感じませんでしたし、 今考えてもそういう授業をしてもらえて良かったと思います。 学校は中立であれ とは一見人権派のように見えますが、 では道徳教育のなされないまま思春期を過ごした子供は どこで正義感や倫理観を学ぶのでしょうか。 実際学校が無色化している現代は若者の正義感、倫理観は低下していますし、 そのなかで信念を求めている若者に宗教やカルトがマッチしている現状ではないでしょうか。 ある程度道徳に踏み入った教育も必要ではないでしょうか。 |
▼20代さん: >確かに現在はこのような問題も抱えているようですね。 >私が受けた教育に関しては偏ったものとは感じませんでしたし、 >今考えてもそういう授業をしてもらえて良かったと思います。 正直申しまして、私には広島の教育に関しては、書物やNETにてその偏向振りを見聞するのみで、実体験したわけではありませんのでここで論争する資格は無いかもしれません。 一口に広島といっても地域や学校によって差があるかも知れませんしね。 ただ正直、私の身内には広島の公立学校には行って欲しくないですね。 ああ、ご存知かもしれませんが、広島にもこのような取り組みをしてる町があるようですよ。 「公立学校に見切りをつけた私の決断」 http://www.dive2.net/mirror/seiron.html |
▼ぶっちょさん: >▼20代さん: > >>確かに現在はこのような問題も抱えているようですね。 >>私が受けた教育に関しては偏ったものとは感じませんでしたし、 >>今考えてもそういう授業をしてもらえて良かったと思います。 > >正直申しまして、私には広島の教育に関しては、書物やNETにてその偏向振りを見聞するのみで、実体験したわけではありませんのでここで論争する資格は無いかもしれません。 >一口に広島といっても地域や学校によって差があるかも知れませんしね。 >ただ正直、私の身内には広島の公立学校には行って欲しくないですね。 >ああ、ご存知かもしれませんが、広島にもこのような取り組みをしてる町があるようですよ。 > >「公立学校に見切りをつけた私の決断」 >http://www.dive2.net/mirror/seiron.html ぶっちょさん、 広島教育の過去現在それに対する未来がわかる大変良い記事を貼り付けていただき、ありがとうございました。 私は校長の葬儀に教員が参列しない広島の学校教師を信用すること、その学校の教師を支持する人を信用することはどんなことがあってもできません。 ましてその校長が自殺なさったのであればなおさら。 涙をながして参列するのが当然です。 校長の自殺には広教組などは、いろいろと言い訳をしていますが、「参列しなかった」この一事のまえには無力な言い訳です。 でも広島に善意の人々がいらっしゃることに希望の灯をみることができ、ほんとうに嬉しく思うところです。 宮崎故郷人 |
▼20代さん: >▼小鉄さん: >> 広島の教育の現状は余りに酷いですからね。教職員組合に権限を剥奪され、最後には教員によって自殺に追い込まれる校長。「日の丸の赤は血の赤。白は骨の色」という無茶な狂育が行われる現状。 >> 偏向教育の度合いと、少年の非行率は比例します。かつては教育大国だった広島も、今ではセンター試験の結果を見ても生徒の学力は低下するばかり。又、広島名物の暴走族。祭りの時なんてとくに派手に暴れて警察のお世話になっています。 >> そうした偏向教育のより所となって、教員達を暴走させてきたのが今の教育基本法な訳です。 > > >こういう市議会などでの行為は広島に限られたことではないのではないでしょうか? >長野県でも無茶をやっていますし、どこの県でも少なからずあると思いますが・・。 長野県のどこで無茶してるのですか? 論拠を伺いたいですね。長野県民の一人として・・・ 広島の偏向振りとなんの脈絡がありますか? >あと私は広島の人間なので言わせてもらいますが、 >よその人間が何も知らないのにその土地を批判するなんて愚かな行為だと思いますよ。 >たまたま通った場所やニュースを見て一面でしか判断できないのに、 >広島は〜なんてナンセンスです。 >暴走族なんかの問題にしても法律作って警察が良くやってくれてますし、 >むしろ関東(一時期住んでました)より少年達は素直だからこそ、 >思春期の葛藤でああいう行為に走るのです。 > >センター試験の学力だけが人生でもないと思います。 >都会に住んでらっしゃる方にはわからないかもしれませんが、 >地方都市ではエリート思考で全体が統一されているわけではありません。 >まだまだ大学さえ行っていれば通用する社会なのです。 >なによりも本来の人間としての人生を楽しめる要素は田舎へ行くほど増すと思います。 > >住めば都、その土地を愛する人がいることを忘れないでください。よろしく。 |
▼20代さん: >▼小鉄さん: >> 広島の教育の現状は余りに酷いですからね。教職員組合に権限を剥奪され、最後には教員によって自殺に追い込まれる校長。「日の丸の赤は血の赤。白は骨の色」という無茶な狂育が行われる現状。 >> 偏向教育の度合いと、少年の非行率は比例します。かつては教育大国だった広島も、今ではセンター試験の結果を見ても生徒の学力は低下するばかり。又、広島名物の暴走族。祭りの時なんてとくに派手に暴れて警察のお世話になっています。 >> そうした偏向教育のより所となって、教員達を暴走させてきたのが今の教育基本法な訳です。 > > >こういう市議会などでの行為は広島に限られたことではないのではないでしょうか? >長野県でも無茶をやっていますし、どこの県でも少なからずあると思いますが・・。 長野県の無茶。とは?長野県民として是非お聞きしたい。 >あと私は広島の人間なので言わせてもらいますが、 >よその人間が何も知らないのにその土地を批判するなんて愚かな行為だと思いますよ。 >たまたま通った場所やニュースを見て一面でしか判断できないのに、 >広島は〜なんてナンセンスです。 >暴走族なんかの問題にしても法律作って警察が良くやってくれてますし、 >むしろ関東(一時期住んでました)より少年達は素直だからこそ、 >思春期の葛藤でああいう行為に走るのです。 思春期の葛藤が法に反し、市民生活を不安にさせるなど笑止。 多発する少年凶悪犯罪が「葛藤」などと、ふざけないで頂きたい。 自らの研鑽と努力を怠って、全てを他人の所為にする弱い大人と同じではありませんか。 >センター試験の学力だけが人生でもないと思います。 >都会に住んでらっしゃる方にはわからないかもしれませんが、 >地方都市ではエリート思考で全体が統一されているわけではありません。 >まだまだ大学さえ行っていれば通用する社会なのです。 >なによりも本来の人間としての人生を楽しめる要素は田舎へ行くほど増すと思います。 同感です。田舎はまだまだそういった「良い」面があります。 広島が悪い!などとは申しておりません。少年非行対策に現東京副知事が 県警本部長時代に、たいへんな御努力をされたことは存じております。 被爆地として平和教育に力を入れること自体は結構なことですが、 偏向するのは如何なものかと、申し上げたい。 >住めば都、その土地を愛する人がいることを忘れないでください。よろしく。 良く判ります。しかし、「井の中の蛙。大海を知らず」では、貴方の見識が 狭くなってしまいます。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 広島市議会で6月22日「教育基本法改正意見書」採択派の自民、公明などは賛成討論さえ行わずに採決を強行したらしい。 > これはひどい。民主主義、いや多数決原理にすら反するではないか。議論する中で、多数派の意見が正しいのではないかということに、より多くの議員がたどり着いた時にはじめて多数派の意見が正当化されるのが少なくとも多数決の原理であろう。それ(賛成討論)を放棄するということは、自分たちの意見に正当性がない事を自ら証明していることになる。このような強行採決は改正賛成派の「論理の無さ」を露呈するが、「採択書」が正式に公報や官報に掲載され、当該議会の正式な意思表示とされてしまうことが口惜しい。 秋葉広島市長などは、昨年の広島平和祈念集会で殊更に「反戦・反米・反日」を 宣ったが、これも行政の長としては、著しい偏見に満ちています。 この市にして、この市長ですから。教育などは推して知るべしの 危機的状況にあったことは容易に推測できます。 正常な状態に戻ることを期待します。 |
「秋葉広島市長発言問題」に、無党派、是々非々の立場で一言! 秋葉市長の「反米、反日」発言を老人党のホームページで初めて知った。広島平和祈念集会での秋葉市長の発言が事実なら政治思想が異常だ!、、。全く酷いもんだね、、。 秋葉市長の云う「反戦」は良い。しかし、同盟国の米国に「反米」とは全く酷い発言だ。尚、「反日」とは日本人の自覚もない。市長の資質を疑うよ、、。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 広島市議会で6月22日「教育基本法改正意見書」採択派の自民、公明などは賛成討論さえ行わずに採決を強行したらしい。 教育基本法改正は隅から隅まで、国家に忠実な人間の育成を目指しているようです。 現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 これが教育の理想であり普遍目標であるべきです。 何かの役に立てるために教育があるというのはまやかしです。 (もちろんこれは理念として言っているのであり、実益を目指す教育の意義は認め ます) 現場で毎日子どもに接していてのこれが実感です。 子どもを社会や国家の道具と見立てるいかなる教育にも反対します。 これでは9条も危ないですね。 着々と改憲シナリオが整いつつあるなあと感じます。 |
>教育基本法改正は隅から隅まで、国家に忠実な人間の育成を目指しているようです。 今の現場での偏向教育は「中国韓国」に忠実な人間を作ろうとしてるではありませんか。 >現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 そしてその成果が、自由をはき違えた子供たち。制服を廃止してくれと国連に行って訴え「制服を着られるだけ恵まれてる」とたしなめられた子供たち。所左派高校の様に特定の教師の操り人形である事に気づかず、ひたすら踊り続けるピエロ達。こういう人達が親になれば、又再生産される。で、ちょっと考えてみれば分かる様に、こういう子供にさせられた者達の親も又「戦後教育の成果」。これじゃあね・・・。 「子供の教育は20年前から始まる」。この言葉の意味が本当に分かりますよ。 >これでは9条も危ないですね。 着々と改憲シナリオが整いつつあるなあと感じます。 9条「自体」が危ないですからね。誤ったメッセージをならず者国家に送った結果が拉致被害者であった・・・。悲しい現実です。 |
>現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 その成果が非行天国の広島の現状でしょうが・・・。 |
▼小鉄さん: 偏向教育とか、戦後教育とか言葉だけを出してきても、具体的に何を指しているのか全然わかりません。 あなたが見てきた教育をあなたの言葉で具体的に語ってください。 |
多くの方にレスポンスいただき、ありがとうございます。 せっかくですのでもう一言申しますと、「権利」と「義務」のバランスなどとおっしゃる方も多いです(中教審答申などにも)が、国民の義務が大切であることにはもちろん異論は無いのですが、ただ、権利の反作用として義務があるわけでもなく、反対に義務の反作用としての権利でもないわけでして、そもそも権利とは無条件に備わっている(天賦のものとでも申しましょうか)ものと言えます。 したがいまして、義務の無いところに権利がないと言うような趣旨のご意見には僭越ながら同意しかねるところです(先のお2人のご意見のご趣旨、ないしは教基改正賛成派のご意見趣旨ですが・・・)。 ただ、国民の納税・教育・勤労の義務の間接的作用の結果として国民の権利・自由が守られているということは無視してはならないでしょう(ここはおそらく争いは無いと思います)。 「現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 これが教育の理想であり普遍目標であるべきです。」・・・同感です。 現行の「教育基本法」は優れた根本法(憲法に準ずる法)であると思います。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 多くの方にレスポンスいただき、ありがとうございます。 > > せっかくですのでもう一言申しますと、「権利」と「義務」のバランスなどとおっしゃる方も多いです(中教審答申などにも)が、国民の義務が大切であることにはもちろん異論は無いのですが、ただ、権利の反作用として義務があるわけでもなく、反対に義務の反作用としての権利でもないわけでして、そもそも権利とは無条件に備わっている(天賦のものとでも申しましょうか)ものと言えます。 > したがいまして、義務の無いところに権利がないと言うような趣旨のご意見には僭越ながら同意しかねるところです(先のお2人のご意見のご趣旨、ないしは教基改正賛成派のご意見趣旨ですが・・・)。 > ただ、国民の納税・教育・勤労の義務の間接的作用の結果として国民の権利・自由が守られているということは無視してはならないでしょう(ここはおそらく争いは無いと思います)。 > >「現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 > これが教育の理想であり普遍目標であるべきです。」・・・同感です。 > > 現行の「教育基本法」は優れた根本法(憲法に準ずる法)であると思います。 元ウルトラ警備隊さん、 しだしご卓見だと賛同します、特に権利と義務についての主旨には感嘆いたしました。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 多くの方にレスポンスいただき、ありがとうございます。 > > せっかくですのでもう一言申しますと、「権利」と「義務」のバランスなどとおっしゃる方も多いです(中教審答申などにも)が、国民の義務が大切であることにはもちろん異論は無いのですが、ただ、権利の反作用として義務があるわけでもなく、反対に義務の反作用としての権利でもないわけでして、そもそも権利とは無条件に備わっている(天賦のものとでも申しましょうか)ものと言えます。 > したがいまして、義務の無いところに権利がないと言うような趣旨のご意見には僭越ながら同意しかねるところです(先のお2人のご意見のご趣旨、ないしは教基改正賛成派のご意見趣旨ですが・・・)。 一言。 「権利には責任が内在している」=「責任を負うことができないところに権利は発生しない」、権利という概念は責任と不可分です。つまり権利=責任といっても良い。これは大昔からそうです。 多くの人が「権利」と「義務」のバランスにふれているのは、そういう趣旨ですので、あなたの上述の言い方は基本的に問題があります。 戦後日本の児童生徒学生のほとんどは私もふくめて、学校において教育基本法を盾にして、あなたの言い方で「権利」を教わってきました。義務と責任が同時発生することは教わりませんでした。 だから責任を果たさないものが権利だけを叫ぶ異様な姿が、あちこちでまかり通ってきたのです。私が戦後教育を問題視する所以です。 しかし「天賦人権」は「天賦責任」と同義です。そして別個に「義務」もある。ここは議論の出発点としておさえてほしいものだと思います。 |
▼団塊党さん: >教育基本法改正は隅から隅まで、国家に忠実な人間の育成を目指しているようです。 >現在の教育基本法は人格の完成を目指しています。 >これが教育の理想であり普遍目標であるべきです。 >何かの役に立てるために教育があるというのはまやかしです。 >(もちろんこれは理念として言っているのであり、実益を目指す教育の意義は認め ます) >現場で毎日子どもに接していてのこれが実感です。 >子どもを社会や国家の道具と見立てるいかなる教育にも反対します。 ご意見に全く同意します。私は教員ではありませんが、非常に危機感を持っています。教育も「文化(生活の一部)」である以上、社会からの影響を避けられませんが、「教育の不当な支配」は行政府であっても許されないでしょう。 「学校にいる間だけでも強制と抑圧が必要だ!」などと言う意見の人たちもいますが、むしろ逆でしょう。社会に出れば(子供の時代でも経済生活では)否応なしに利益に誘導され、そのようなシステムに親和的な考え方や行動に対するある種の報酬として、他者より優位に立つことができるというように仕向けられてしまうのです(ちょっと僻みっぽい言い方ですが)。学校こそ「権利・自由・自治」を教えるべきです。それもフィクションとしてでなく、その主体として扱うのです。 文化(生活文化も含め)・教育は、それを享受する者にとって自由であってほしいものです。その自由とは「国家からの自由」であり「国家への自由」でもあり「国家による自由」も含むと考えられます。 |
http://www.hansen-jp.com/228yamaima.htm より 広島県教職員組合執行委員長 山今彰さんのインタビューの抜粋です。 『公教育の基盤は、どのような子どもにも一定水準以上の学力を保障し、一部のある種の能力に長けた子どもにだけ焦点をあてるのではなく、むしろ「できる子とできない子」の両者が共に学ぶなかで、「人間のあり方」などをお互いに矛盾もあるなかで培っていくことだと思います。お互いが教育しあいながら、共に育っていくということです。広島では、そのような教育について一定の成果をあげていました。その結果、高校や大学の進学率から見ても、高い水準を維持していました。それは、みんなで共にがんばろう、という教育の結果ですし、高校の途中でドロップアウトしそうな子どもを、子ども達の集団の力で支えることで、中途退学率も全国的にまれな低水準でした。「人間としてどうあるべきか」を根幹にすえて、「平和教育・人権教育」をすすめてきたことが、子ども達の人づくりに大きく影響してきたということです。 広島県出身の子ども達が、人権や平和についてひじょうに敏感だというのは、全国の大学の先生たちからも、良く聞かれた評価です。』 『自殺の直前の話しとしては、病気で倒れて休んでいた前の藤井教頭が、三月に学校に挨拶に来ることになったとき、教職員が「なぜ朝早く来るのか、そのために自分たちも朝早く出て来いというのか」というやりとりがあったような表現があります。(中略)そのとき黒木学校課長が、この発言は「脳内出血で身体が不自由な藤井さんのことを思いやって、もっと暖かくなってから来られたら良いのでは」という主旨ですと証言しました。(中略) 慶徳校長自殺の間近に、教職員が校長をイジメているという事実はなかったということです。少なくとも昨年五月の運動会以降は、校長と教職員の関係はうまくいっていた、むしろ教職員が校長の状態を気づかって、一生懸命に支えていたという関係です。』 『むしろ教育の現場では、民間よりもずっと先に右傾化しています。「どうしてこんなことになったのか」と気付いたときには、もうどうにもならない状況になってしまいます。これは、戦前とまったく同じではないのですが、実質的に戦前と同じようなシステムで、戦時体制の方向に教育や社会が、歴史的に向かっているように思います。』 私はこの発言を信じます。 |
>『公教育の基盤は、どのような子どもにも一定水準以上の学力を保障し、 で、今のあまりにも酷い学力崩壊は? >一部のある種の能力に長けた子どもにだけ焦点をあてるのではなく、むしろ「できる子とできない子」の両者が共に学ぶなかで、「人間のあり方」などをお互いに矛盾もあるなかで培っていくことだと思います。 その結果が「みんなでゴールする順位をつけない徒競走」・・・。形だけというか履き違えてるね。 >「人間としてどうあるべきか」を根幹にすえて、「平和教育・人権教育」をすすめてきたことが、子ども達の人づくりに大きく影響してきたということです。 人間としてどうあるべきか・・・?非行や校舎の汚れ(唾による物)。まっ、つまりは喫煙が平然と行われてるって事ですよ。中学や高校にもなってきちんと着席しない・・・。そりゃぁ、皆で非行に走ればそりゃぁ、ドロップアウトもしませんよ。寧ろ、まじめに勉強しようとする子がドロップアウトしてるようにすら見えてしまう。 そもそも偏った平和教育では意味が無い訳です。広島の小学校の運動会で借り物競走みたいのが行われたのですが、最後に現れた言葉が「戦・争・は・い・や・だ」。当然父母からはクレームの嵐です。 又国旗国歌法成立の引き金となった世羅高校(校長が組合教師の吊るし上げにより自殺)では「謝罪修学旅行」まで行われました。修学旅行で韓国に行こうというのはまぁ勝手にしてくれと言う話。しかしそこで行われたのは高校生達による現地の人間への「土下座」。これのどこが平和教育なんだ?左翼が一番嫌いな戦前の思想教育とやらとまるで変わらない。 >むしろ教職員が校長の状態を気づかって、一生懸命に支えていたという関係です。』 石川校長(世羅高校)の葬式には教師は誰も来ませんでした。これが「平和人権教育」を行う人間のやる事か? |
【11280】は、あくまで抜粋です。 http://www.hansen-jp.com/228yamaima.htm を全文読んでください。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 広島市議会で6月22日「教育基本法改正意見書」採択派の自民、公明などは賛成討論さえ行わずに採決を強行したらしい。 > これはひどい。民主主義、いや多数決原理にすら反するではないか。議論する中で、多数派の意見が正しいのではないかということに、より多くの議員がたどり着いた時にはじめて多数派の意見が正当化されるのが少なくとも多数決の原理であろう。それ(賛成討論)を放棄するということは、自分たちの意見に正当性がない事を自ら証明していることになる。このような強行採決は改正賛成派の「論理の無さ」を露呈するが、「採択書」が正式に公報や官報に掲載され、当該議会の正式な意思表示とされてしまうことが口惜しい。 今、広島市議会事務局に直接確認しましたが、貴方の言われるような強硬採決ではないようですよ。賛成多数の通常採決で紛糾も審議打ちきりもなされていないようです。 貴方が強硬採決と言われる論拠又は出典をお知らせいただけませんでしょうか?。 |
▼南国人J(宮崎市民)さんへ▼:宮崎故郷人さんへ 始めに下記質問について。 >今、広島市議会事務局に直接確認しましたが、貴方の言われるような強硬採決ではないようですよ。賛成多数の通常採決で紛糾も審議打ちきりもなされていないようです。 >貴方が強硬採決と言われる論拠又は出典をお知らせいただけませんでしょうか?。 情報の出所は、私個人宛に配信されている全教教育基本法闘争本部「教育基本法改悪反対ニュース194号(zenkyo@zenkyo.org)」です。他に出所は明かせませんが、私の知る日教組系の人からも同趣旨の連絡がありました。 なお、強行採決という用語は、おそらく議会事務局の正式用語としては無いと思います(間違っているかもしれませんが)。本件採決につき、私や採決に反対や疑問を抱く人が「強行」という表現を使っています。なぜなら、趣旨説明のあと、反対する各会派の反対討論の他に賛成派からは賛成討論が一切無く採決されたわけです。これは強行採決と言うにふさわしいでしょう。また、私の意見など別としてもこれらの教育基本法改正を求める意見書の採択は多くの批判を集めることでしょう。 強行採決とはそのように認識される時に用いられる用語であると思いますが。 それから、「宮崎故郷人さん」から権利・義務に関するご意見をいただきましたので、私の理解するところを述べさせていただきます。 そもそも私の権利という意味は、主に「公法上の権利」を申し上げています。これは、話題として「教育基本法」について申し上げているのであって、いわゆる「私法関係」で言うところの「権利・義務関係」では無いのです。 およそ公法とは、例外はあるものの、憲法・教基・行政関係法(地方自治法・行政不服審査法・学校教育法・その他の行政関係法)・福祉関係法などは、国民の権利を無条件に保障し、公権力(行政府側の権力)を制限していると考えられます。 極端な例ですが、誤解を恐れず申しますと、例えば私が明日から義務を履行できない無能力者(瀕死の重病人など)になったとします。それでも権利はあるのです。生まれて間もない乳呑児なども同じと言えます。公法上の権利はこのような者にも保障された権利と言えるでしょう。 それでは「公法上の義務」どうでしょう。これは様々な意見がありますが、通説(憲法学・その他公法関係学)は、これも誤解を恐れず大雑把に言って「応能負担主義」を主張しています。私も同じ考えです。税法・教育基本法はもとより、一部社会法の分野(独占禁止法・労働基準法)も格差・能力差があることを前提とし、実質的な平等の達成に資するものです。 これらとは別に、私法関係を規律する「民法」では、権利義務に関する規定を設けており、法律行為・準法律行為・放任行為などの仕分けがなされ、法律行為について、義務の履行があった時権利が発生する旨の規定、あるいは不法行為、適法行為、また準法律行為であっても他人に影響を及ぼす行為について一部権利義務関係を定めています。 よって、公法上の権利については、「権利と義務とのバランス」や「権利に内包する義務」という議論は、人々が義務を履行することによって社会(国家・行政も含め)の富や資産を配分するための間接的な効果、すなわち「間接の因果関係」はあるものの、権利に内包する義務と言うような直接の効果、すなわち「相当因果関係」は存在しないと見るべきでしょう。むしろ、公権力(行政府の権力)を抑制するためにこそ公法関係(すなわち個人と国家を規定するもの)があるべきだと考えます。 |
▼:宮崎故郷人さんへ 追申を申し上げます。 ご参考までに「権利に内在する義務」と似たような議論で「自由に対する内在制約説」と言うものがあります。 これは、憲法学の議論で、いわゆる自由に対し「公共の福祉による制約」が存在すると言うものであったと記憶しております。すなわち、権利の内「行動の自由」は放任できないものがあり、例えば「夜中に徘徊する自由」であるとか「騒音を出す自由」のような個別の行動については社会に対する影響(迷惑)が無視できないので、これを放任行為として片付けられないので、他の人や社会に対する影響を考慮して、一定の分野の自由にははじめから内在する制約(公共の福祉による制約)があるのだとする議論です。 なお、これに対しては、一般的自由論(徘徊も騒音も必ず迷惑とは限らないので個別に判断するほかないのではないかと言う意見)からの反論があり、私は今のところ一般的自由論を支持しております。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: >▼南国人J(宮崎市民)さんへ▼:宮崎故郷人さんへ > > 始めに下記質問について。 >>今、広島市議会事務局に直接確認しましたが、貴方の言われるような強硬採決ではないようですよ。賛成多数の通常採決で紛糾も審議打ちきりもなされていないようです。 >>貴方が強硬採決と言われる論拠又は出典をお知らせいただけませんでしょうか?。 > > 情報の出所は、私個人宛に配信されている全教教育基本法闘争本部「教育基本法改悪反対ニュース194号(zenkyo@zenkyo.org)」です。他に出所は明かせませんが、私の知る日教組系の人からも同趣旨の連絡がありました。 > なお、強行採決という用語は、おそらく議会事務局の正式用語としては無いと思います(間違っているかもしれませんが)。本件採決につき、私や採決に反対や疑問を抱く人が「強行」という表現を使っています。なぜなら、趣旨説明のあと、反対する各会派の反対討論の他に賛成派からは賛成討論が一切無く採決されたわけです。これは強行採決と言うにふさわしいでしょう。また、私の意見など別としてもこれらの教育基本法改正を求める意見書の採択は多くの批判を集めることでしょう。 > 強行採決とはそのように認識される時に用いられる用語であると思いますが。 > > それから、「宮崎故郷人さん」から権利・義務に関するご意見をいただきましたので、私の理解するところを述べさせていただきます。 > そもそも私の権利という意味は、主に「公法上の権利」を申し上げています。これは、話題として「教育基本法」について申し上げているのであって、いわゆる「私法関係」で言うところの「権利・義務関係」では無いのです。 > およそ公法とは、例外はあるものの、憲法・教基・行政関係法(地方自治法・行政不服審査法・学校教育法・その他の行政関係法)・福祉関係法などは、国民の権利を無条件に保障し、公権力(行政府側の権力)を制限していると考えられます。 極端な例ですが、誤解を恐れず申しますと、例えば私が明日から義務を履行できない無能力者(瀕死の重病人など)になったとします。それでも権利はあるのです。生まれて間もない乳呑児なども同じと言えます。公法上の権利はこのような者にも保障された権利と言えるでしょう。 > それでは「公法上の義務」どうでしょう。これは様々な意見がありますが、通説(憲法学・その他公法関係学)は、これも誤解を恐れず大雑把に言って「応能負担主義」を主張しています。私も同じ考えです。税法・教育基本法はもとより、一部社会法の分野(独占禁止法・労働基準法)も格差・能力差があることを前提とし、実質的な平等の達成に資するものです。 > これらとは別に、私法関係を規律する「民法」では、権利義務に関する規定を設けており、法律行為・準法律行為・放任行為などの仕分けがなされ、法律行為について、義務の履行があった時権利が発生する旨の規定、あるいは不法行為、適法行為、また準法律行為であっても他人に影響を及ぼす行為について一部権利義務関係を定めています。 > よって、公法上の権利については、「権利と義務とのバランス」や「権利に内包する義務」という議論は、人々が義務を履行することによって社会(国家・行政も含め)の富や資産を配分するための間接的な効果、すなわち「間接の因果関係」はあるものの、権利に内包する義務と言うような直接の効果、すなわち「相当因果関係」は存在しないと見るべきでしょう。むしろ、公権力(行政府の権力)を抑制するためにこそ公法関係(すなわち個人と国家を規定するもの)があるべきだと考えます。 > 例えば私が明日から義務を履行できない無能力者(瀕死の重病人など)になったとします。それでも権利はあるのです。生まれて間もない乳呑児なども同じと言えます。公法上の権利はこのような者にも保障された権利と言えるでしょう。 当然です。それが権利というものです。参政権を例にとれば、行政府はあなたに投票用紙を交付します。では、その状態のあなたは投票に行けるでしょうか? 行けませんよね。「責任を果たせる」云々以前の不幸な状態を例にとりましたが、責任の果たせない者に権利は行使できないのです。 普通一般に言われている「権利と義務」の関係はあなたがここで持ち出されたような具体的な公法上の権利を一つ一つについて何かを言おうとしているのではありません(その権利が日本国民ひとしなみに与えられていることは誰でもわかっています)。 言わんとしているところは、フランス人権宣言だったか、思想家の誰かの言葉だったか、今調べもしないまま記しますが、「自由とは、他者を害さなければ、すべてができるということである」というような言葉があったと思います、そういうことに関してです。権利(自由も権利です)には当然他者を害してはならないという内在的な制約=責任が伴っておることをあらわす言葉ですよね。 そういうことをしっかり教える初等教育、中等教育が戦後日本にあったでしょうか? |
▼宮崎故郷人さん: ここまで議論を盛り上げていただいたことに感謝します。 さて、下記ご意見について。 >当然です。それが権利というものです。参政権を例にとれば、行政府はあなたに投票用紙を交付します。では、その状態のあなたは投票に行けるでしょうか? >行けませんよね。「責任を果たせる」云々以前の不幸な状態を例にとりましたが、責任の果たせない者に権利は行使できないのです。 「責任の果たせない者に権利は行使できない」というのは言いすぎでしょう。 まえから申し上げているように、少なくとも公法上の権利は義務ないし責任能力にかかわらず存在し、それらを確認しているのが近代国家(少なくとも市民的・政治的権利が含まれる)の憲法です。まあ、社会権をどれくらい認めるかは各国により時代により異なっているのですが。 今回の議論の対象は「教基」ないしは「公法上の権利」です。この春に中教審答申が出され、その内容や、各地での教基改正を求める意見書の採択は、この自由権的権利に属するものまでも制約しようとするもので人権侵害の蓋然性が高いものと言わざるを得ません(ここがおそらく意見の最大の相違でしょう)。 教育は本来各家庭ないし親兄弟の「私事」であったものを、それでは裕福な家庭は教育が出来たが、貧しい家庭では教育ができず、産業や政治が高度になった社会では職業に就くにも教育が重要であると社会全体が認めたからこそ教育の社会化が始まったわけです。だからこそ現在の教育にも「教育の私事性」を認め、文化的な中立性が求められるのです。中教審答申は、これを恣意的に無視して「国を愛する心」や「権利と義務とのバランス」などと言っており、これでは教育における文化的・政治的中立性が崩れ、少なくとも思想良心の自由に反し、したがって人権侵害の蓋然性が高いと考えられるわけです。 > 普通一般に言われている「権利と義務」の関係はあなたがここで持ち出されたような具体的な公法上の権利を一つ一つについて何かを言おうとしているのではありません(その権利が日本国民ひとしなみに与えられていることは誰でもわかっています)。 >言わんとしているところは、フランス人権宣言だったか、思想家の誰かの言葉だったか、今調べもしないまま記しますが、「自由とは、他者を害さなければ、すべてができるということである」というような言葉があったと思います、そういうことに関してです。権利(自由も権利です)には当然他者を害してはならないという内在的な制約=責任が伴っておることをあらわす言葉ですよね。 > > そういうことをしっかり教える初等教育、中等教育が戦後日本にあったでしょうか? このご意見には一理あると思います。「自由に対する責任」という言い方もありうかと思いますが、学校や教師が生徒(こどもたち)の問題を先回りして取り上げるのではなく、自分と他者の権利が衝突する場合に、どう譲り合うかということを考えさせる教育がもっとなされても良いのではないかと考えます。時には「自由の刑に処する!」です。 ただ、一般的自由に対する「内在的な制約」については、まえに述べたとおり議論のあるところだと思いますが、私は、これは「内在的な制約」では無く、他者の権利に対する「明白な危険の存在」と「権利の衝突」の場合に制限されるべきものと考えております。 また、「義務」ということと「責務ないし責任」ということとは区別して考えるべきと思います。すなわち「義務」とは「甘んじて受けなければならないこと」であり、「責務ないし責任」これは多様な意味を含んでいますが、例えば「自覚的にすべきこと」と言えるのではないでしょうか。 宮崎故郷人さんのおっしゃるように「権利(自由も権利です)には当然他者を害してはならない・・・そういうことをしっかり教える初等教育、中等教育」をやってほしいものだと思います。職業人(自動車メーカーや銀行などの企業も)もそうですね。 以上です。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: >▼宮崎故郷人さん: > > ここまで議論を盛り上げていただいたことに感謝します。 いえいえ、とんでもないです。私も勉強になっております。 >「責任の果たせない者に権利は行使できない」というのは言いすぎでしょう。 う〜ん、どうなんでしょうか。「権利はない」と言っているのではなく、「行使できない」と言っているのですが。また「責任を果たせない人に権利を行使させようとするのは間違い」とも思っております。 選挙権に絞って言いますが、参政権自体は天賦人権で生まれながらに誰しも与えられておりますが、実際問題としては年齢制限をしなければとんでもないことになる。 > 教育は本来各家庭ないし親兄弟の「私事」であったものを、それでは裕福な家庭は教育が出来たが、貧しい家庭では教育ができず、産業や政治が高度になった社会では職業に就くにも教育が重要であると社会全体が認めたからこそ教育の社会化が始まったわけです。だからこそ現在の教育にも「教育の私事性」を認め、文化的な中立性が求められるのです。 > 中教審答申は、これを恣意的に無視して「国を愛する心」や「権利と義務とのバランス」などと言っており、これでは教育における文化的・政治的中立性が崩れ、少なくとも思想良心の自由に反し、したがって人権侵害の蓋然性が高いと考えられるわけです。 上文の前半はそのとおりだと思います。しかし後半は肯けません。前半から当然のごとくに後半を導き出される論理がわかりません。 国粋主義教育は問題ですが、愛国心教育は絶対必要です。国際化が進もうとも愛国心教育はなされなければなりません。 先だっての報道で学校教員がテストにイラク戦争に反対かどうか設問し、イラク戦争反対を正解としたというのがありましたが、これこそ政治的中立性を著しく犯しておりますし、この例に限らず、現代の教職員組合の先生のかなりが中立性を犯した教育をしているように思いますが。 > ただ、一般的自由に対する「内在的な制約」については、まえに述べたとおり議論のあるところだと思いますが、私は、これは「内在的な制約」では無く、他者の権利に対する「明白な危険の存在」と「権利の衝突」の場合に制限されるべきものと考えております。 確かにあなたのおっしゃるとおり、”権利が制約されるのは「異種の権利の衝突」が生じたときの衝突調整に限定される”という学説がありますが、私はあまり感心しないんです(別の学説の提示でなく「感心しない」などという私的感情の吐露で議論を進めることに我ながら阿呆だなと思っておりますが)。 衝突するまで権利の主張のしあいを認めるよりは、権利にはおのずと内在的制約があるとする方が自制をうながしお互いに付き合いやすい社会になると思っております。米国流の裁判づくの社会が良いとは思いません。日本は裁判が少なすぎて問題だ(裁判所の敷居が高すぎるからだ)という議論がありますが、これに関する日米の相違は文化、国民性の違いだと思っております。 > > また、「義務」ということと「責務ないし責任」ということとは区別して考えるべきと思います。すなわち「義務」とは「甘んじて受けなければならないこと」であり、「責務ないし責任」これは多様な意味を含んでいますが、例えば「自覚的にすべきこと」と言えるのではないでしょうか。 「義務」と「責務ないし責任」の区別論はまったく仰せの通りだと思います。 そのうえで私は、”自覚的に権利を主張し実行する者には、そうでない者以上に「義務」の遂行と「責務ないし責任」に関する強い自覚が必要だと思うのです。 |
▼元ウルトラ警備隊さん: > 情報の出所は、私個人宛に配信されている全教教育基本法闘争本部「教育基本法改悪反対ニュース194号(zenkyo@zenkyo.org)」です。他に出所は明かせませんが、私の知る日教組系の人からも同趣旨の連絡がありました。 > なお、強行採決という用語は、おそらく議会事務局の正式用語としては無いと思います(間違っているかもしれませんが)。本件採決につき、私や採決に反対や疑問を抱く人が「強行」という表現を使っています。なぜなら、趣旨説明のあと、反対する各会派の反対討論の他に賛成派からは賛成討論が一切無く採決されたわけです。これは強行採決と言うにふさわしいでしょう。また、私の意見など別としてもこれらの教育基本法改正を求める意見書の採択は多くの批判を集めることでしょう。 > 強行採決とはそのように認識される時に用いられる用語であると思いますが。 賛成討論が無かったことを協調して強行採決だと一方的に決めつけておられるようですが、反対討論はちゃんと行なわれたようですね。反対討論に時間をとられて、賛成討論をする時間が無かったというのが事実でしょう。 そして、最後は民主主義の原則に則り多数決で決めたということですよ、貴方や共産党(全教)言うような理屈がまかりとおれば、国会を含めて賛成討論のなされない議案は全て強硬採決ということになってしまいます。 我が県も23日に、宮崎市も同日に同議案を可決しましたが、サヨク的なこちらの地方 紙も強硬などという表現は使っておりません。 貴方の表現は自分の主義主張に偏った意図的表現だと申しておきましょう。 |
▼南国人J(宮崎市民)さん: >賛成討論が無かったことを協調して強行採決だと一方的に決めつけておられるようですが、反対討論はちゃんと行なわれたようですね。反対討論に時間をとられて、賛成討論をする時間が無かったというのが事実でしょう。 >そして、最後は民主主義の原則に則り多数決で決めたということですよ、貴方や共産党(全教)言うような理屈がまかりとおれば、国会を含めて賛成討論のなされない議案は全て強硬採決ということになってしまいます。 >我が県も23日に、宮崎市も同日に同議案を可決しましたが、サヨク的なこちらの地方紙も強硬などという表現は使っておりません。 >貴方の表現は自分の主義主張に偏った意図的表現だと申しておきましょう。 ご意見は伺っておきます。論理性の無い提案趣旨説明(これもあなたの言う私の意図的表現でしょうが)のあと、反対討論は行ったものの賛成討論が無いというのは、賛成派の意思表明が極めて不十分と言えましょう。各議員の個々の意見を述べる時間はないにしろ、少なくとも賛成各会派の代表者の討論が無ければならないと申し上げているのです。 すなわち、彼ら(提案者もしくは賛成者)の論拠が百歩譲って正しく、かつて何人も論破できなかったとしても、彼らが同時に反対派の理由も論破できないとしたら、彼らは賛成の論拠も反対派の論拠もの何たるかを市民に対して説明することも無く、また同時に彼ら自身の賛成論拠の正当性と反対派の論拠が誤りであることも知らないと公言しているも同然なのです。議会での沈黙はそれを意味するでしょう。 よって彼ら(沈黙の賛成議員)はどちらの意見をも選択する根拠を持たないと考えられるのです。沈黙の賛成者には、賛成の論拠をあとで教え込めばよいと考える人(これはどの政党にも言えることですが)もおりますが、それでは住民の代表たる議員として最も相応しくないと思います。 なお、ご意見中「・・最後は民主主義の原則に則り多数決で決めたということですよ・・」と言うことにつきましては、私の主張はこれまで述べたとおり、民主主義に基づく多数決原理とは「賛成派の意見が正しいのではないかということに、より多くの者が達した時に初めて正当性を持つ」と言うことを繰り返して申し上げておきましょう。これに照らして申し上げれば、昨今の多くの議事・採決(国会・地方議会を問わず)に、私は強く疑念と不満を持ちます。 |