Page 978 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! koga 04/7/3(土) 13:03 ┣杉さんのお返事 杉本 知昭 04/7/3(土) 16:40 ┃ ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! koga 04/7/4(日) 10:46 ┃ ┃ ┗Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 最古老 04/7/4(日) 19:17 ┃ ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 小鉄 04/7/5(月) 19:08 ┃ ┃ ┗Re(4):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 元ウルトラ警備隊 04/7/6(火) 0:29 ┃ ┃ ┣脳の洗い方(実践編) 小鉄 04/7/6(火) 2:14 ┃ ┃ ┃ ┣咲き誇る ジェンダーフリーの 毒の花 小鉄 04/7/6(火) 2:47 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):咲き誇る ジェンダーフリーの 毒の花 元ウルトラ警備隊 04/7/6(火) 3:06 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗面白い事例があります せっかくだから追加 小鉄 04/7/6(火) 4:13 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗ほんとうにおもしろいですRe(1):面白い事例があります せっかくだから追加 tree 04/7/6(火) 4:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):ほんとうにおもしろいですRe(1):面白い事例があります せっかくだから追加 蟷螂の斧 04/7/6(火) 8:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):ほんとうにおもしろいですRe(1):面白い事例があります せっかくだから追加 蟷螂の斧 04/7/6(火) 8:38 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):咲き誇る ジェンダーフリーの 毒の花 ふにゃふにゃネコ助 04/7/6(火) 14:15 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):脳の洗い方(実践編) 元ウルトラ警備隊 04/7/6(火) 3:01 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):脳の洗い方(実践編) 小鉄 04/7/6(火) 3:02 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):脳の洗い方(実践編) 元ウルトラ警備隊 04/7/8(木) 1:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):脳の洗い方(実践編) 元ウルトラ警備隊 04/7/9(金) 1:12 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):脳の洗い方(実践編) 小鉄 04/7/9(金) 4:30 ┃ ┃ ┗Re(5):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 小鉄 04/7/6(火) 3:41 ┃ ┗Re(1):杉さんのお返事 ワン太郎 04/7/5(月) 15:01 ┃ ┗杉さんのお返事 杉本 知昭 04/7/7(水) 17:05 ┃ ┗Re(1):杉さんのお返事 ワン太郎 04/7/7(水) 18:32 ┣Re(1):世直し、「教育問題」、国旗、国歌に、ご意見を乞う! koga 04/7/4(日) 18:05 ┃ ┣不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 風鈴カザン 04/7/4(日) 18:48 ┃ ┃ ┣Re(1):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 最古老 04/7/4(日) 19:36 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 風鈴カザン 04/7/4(日) 19:51 ┃ ┃ ┃ ┣国旗・国歌に敬意を表せさえすればいいのか? なお 04/7/4(日) 20:52 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 最古老 04/7/4(日) 20:52 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 敦煌 04/7/4(日) 21:55 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 飛龍 04/7/4(日) 22:37 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗刑法第92条の改正を望む。 つるみ 04/7/5(月) 1:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):刑法第92条の改正を望む。 なお 04/7/5(月) 6:28 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):刑法第92条の改正を望む。 小鉄 04/7/5(月) 23:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):刑法第92条の改正を望む。 松 04/7/6(火) 5:07 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):刑法第92条の改正を望む。 小鉄 04/7/6(火) 5:33 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 飛龍 04/7/4(日) 22:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):不敬教師はクビにして、新規では採用すべきではない 最古老 04/7/4(日) 22:23 ┃ ┃ ┃ ┗教師は法律を守れ。常識である。 源蔵 04/7/6(火) 23:32 ┃ ┃ ┗五輪で国歌や国旗をばんばん流す便乗左翼マスコミは拝金主義丸出し 風鈴カザン 04/7/5(月) 12:29 ┃ ┃ ┗Re(1):五輪で国歌や国旗をばんばん流す便乗左翼マスコミは拝金主義丸出し ワン太郎 04/7/5(月) 14:20 ┃ ┃ ┣Re(2):五輪で国歌や国旗をばんばん流す便乗左翼マスコミは拝金主義丸出し 風鈴カザン 04/7/5(月) 15:15 ┃ ┃ ┣Re(2):五輪で国歌や国旗をばんばん流す便乗左翼マスコミは拝金主義丸出し 飛龍 04/7/5(月) 19:36 ┃ ┃ ┗それがこの愚劣な方の目的ですよ ニック 04/7/6(火) 1:08 ┃ ┃ ┣因みに ニック 04/7/6(火) 1:10 ┃ ┃ ┗梅雨空に 更に不快な 君の影 風鈴カザン 04/7/6(火) 13:38 ┃ ┃ ┗Re(1):梅雨空に 更に不快な 君の影 ニック 04/7/6(火) 15:15 ┃ ┣Re(2):世直し、「教育問題」、国旗、国歌に、ご意見を乞う! 元ウルトラ警備隊 04/7/6(火) 1:35 ┃ ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」、国旗、国歌に、ご意見を乞う! koga 04/7/6(火) 8:56 ┃ ┗日本の中の外国人村・住人のつぶやき・・・ 桃李 04/7/6(火) 1:51 ┃ ┣Re(1):文末訂正します(^^; 桃李 04/7/6(火) 1:59 ┃ ┗Re(1):日本の中の外国人村・住人のつぶやき・・・ 石頭の息子 04/7/6(火) 2:28 ┃ ┗Re(2):日本の中の外国人村・住人のつぶやき・・・ 桃李 04/7/6(火) 15:32 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! あくまの査問官 04/7/4(日) 21:51 ┃ ┣Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/4(日) 22:25 ┃ ┗Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 頑固生きがい 04/7/4(日) 22:59 ┃ ┣Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/4(日) 23:23 ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 敦煌 04/7/5(月) 22:25 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! ニック 04/7/4(日) 23:04 ┃ ┣Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 敦煌 04/7/4(日) 23:22 ┃ ┃ ┣Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! ニック 04/7/4(日) 23:58 ┃ ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 元ウルトラ警備隊 04/7/5(月) 3:09 ┃ ┗Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 頑固生きがい 04/7/4(日) 23:57 ┃ ┣Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 頑固生きがい 04/7/5(月) 0:10 ┃ ┃ ┗Re(4):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/5(月) 19:57 ┃ ┃ ┣Re(5):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/5(月) 21:17 ┃ ┃ ┗Re(5):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 頑固生きがい 04/7/5(月) 22:12 ┃ ┃ ┣Re(6):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/5(月) 23:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 頑固生きがい 04/7/5(月) 23:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/6(火) 0:09 ┃ ┃ ┗Re(6):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 飛龍 04/7/5(月) 23:25 ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! ニック 04/7/5(月) 0:44 ┣現在の教育制度は「後進性」の名残り ワン太郎 04/7/5(月) 14:46 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! ニック 04/7/5(月) 16:34 ┃ ┗Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 小鉄 04/7/5(月) 19:14 ┃ ┗Re(3):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 元ウルトラ警備隊 04/7/5(月) 19:27 ┃ ┗Re(4):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 小鉄 04/7/5(月) 19:43 ┃ ┗Re(5):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 元ウルトラ警備隊 04/7/5(月) 20:18 ┃ ┗Re(6):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 流水 04/7/9(金) 13:14 ┃ ┗Re(7 訂正;元ウルトラ警備隊さんへ 流水 04/7/9(金) 13:20 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! JF 04/7/6(火) 6:20 ┃ ┣treeさん発見 小鉄 04/7/6(火) 6:31 ┃ ┗Re(2):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! koga 04/7/6(火) 8:25 ┣愚問で失礼します ごまめの翁 04/7/6(火) 8:46 ┃ ┣Re(1):愚問で失礼します 蟷螂の斧 04/7/6(火) 9:01 ┃ ┗Re(1):愚問で失礼します taka 04/7/6(火) 12:35 ┃ ┗蟷螂の斧 さま takaさま ごまめの翁 04/7/6(火) 13:07 ┃ ┗Re(1):蟷螂の斧 さま takaさま 蟷螂の斧 04/7/6(火) 13:41 ┣Re(1):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 流水 04/7/6(火) 10:47 ┃ ┣Re(2):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 桃李 04/7/6(火) 15:52 ┃ ┃ ┗Re(3):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 流水 04/7/6(火) 17:22 ┃ ┣Re(2):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 団塊党 04/7/6(火) 21:00 ┃ ┣Re(2):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 元ウルトラ警備隊 04/7/8(木) 6:12 ┃ ┣Re(2):教育問題の認識の仕方について根本的疑問 koga 04/7/8(木) 6:21 ┃ ┗Re(2):まとめレスで失礼 流水 04/7/8(木) 9:51 ┃ ┗Re(3):まとめレスで失礼 元ウルトラ警備隊 04/7/9(金) 13:04 ┃ ┗Re(4):まとめレスで失礼 流水 04/7/9(金) 13:16 ┃ ┗Re(5):まとめレスで失礼 元ウルトラ警備隊 04/7/10(土) 2:56 ┃ ┗新スレッドへ移行願います Ray 04/7/10(土) 11:19 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 珍 源齋 04/7/8(木) 0:21 ┃ ┗Re(2):日本の教育システムが頭でっかちになってるのでは? 珍 源齊 04/7/8(木) 17:11 ┣Re(1):世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! 桃李 04/7/8(木) 15:38 ┣道徳教育は廃止すべき! aube 04/7/9(金) 9:20 ┗新スレッドを立てました Ray 04/7/9(金) 17:37 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 世直し、「教育問題」に、皆さんのご意見を乞う! ■名前 : koga ■日付 : 04/7/3(土) 13:03 -------------------------------------------------------------------------
「教育問題」に、是々非々の立場でご意見を乞う! 1、道徳問題、国歌国旗問題、教員資格採用問題、文部科学省問題、公立小中高校問題、私立小中高校問題、ジェンダーフリー問題、家庭教育問題、学習塾問題、国立大學問題、私立大学問題、社会教育問題、国際交流問題、身体障害者施設問題、他。 *皆さんから忌憚の無い様々なご意見を学びたい、、。 |
私に言わせてもらえばジェンダーフリーなどおよそたわけている。 まず、自然は、神は、男と女を作り分けられた。 脳の働きの違いとか身体的特徴の違いなどのこれらの働きの違いは自然のものだ。 フェミニストどもは結局のところ社会的評価に飢えた自己評価の低い女共なのだ。 ボーヴォワールも“自分は父親に愛されていなかった”という不満があった。 銭金ずくめの評価でも自己評価の低い人間の自尊心は補えるとでもいうのか? ただし男として言うならば、女性の家事労働を再認識、再評価する必要がある! 例えば、妻の家事労働に対して夫の所得の半分を支払うとか、どうだろうか? |
杉本知昭さん ご意見有難う。私もジェンダーフリーには、反対ですが、、。ジェンダーフリーに賛同された皆さんのご意見を伺いたいですね、、。 |
同じくらい、またはそれ以上働いているのに賃金が低い、出世が遅い。 あなたがもし女性で、こんな差別を受けたらどう思いますか。 「どーせ、女には分からない」 なんて、言われたらどう思いますか。 一度女性の気持ちになって考えた方がいいんじゃないですか。 |
>同じくらい、またはそれ以上働いているのに賃金が低い、出世が遅い。 あなたがもし女性で、こんな差別を受けたらどう思いますか。 「どーせ、女には分からない」 なんて、言われたらどう思いますか。 一度女性の気持ちになって考えた方がいいんじゃないですか。 何故現在のジェンダースーパーフリーが問題か?男女平等を目指すだけなら結構です。 所が彼らは拡大解釈し「常識なんて権力者によって作られたもので、男女は絶対的に平等なんだ」と主張し出した。常識であり、伝統を否定する事で子供たちの頭を真っ白な状態にし、そこに自分達のジェンダースーパーフリー思想を流し込む。これって正にオウムなんかが行う「脳を洗う行為、即ち洗脳」に他なりませんよね。だからこそ問題な訳です。 |
▼小鉄さんこんばんは あなたに是非うかがいたいことがあります。 > 何故現在のジェンダースーパーフリーが問題か?男女平等を目指すだけなら結構です。 > 所が彼らは拡大解釈し「常識なんて権力者によって作られたもので、男女は絶対的に平等なんだ」と主張し出した。常識であり、伝統を否定する事で子供たちの頭を真っ白な状態にし、そこに自分達のジェンダースーパーフリー思想を流し込む。これって正にオウムなんかが行う「脳を洗う行為、即ち洗脳」に他なりませんよね。だからこそ問題な訳です。 あなたのご発言のうち、・・・<ジェンダースーパーフリー思想を流し込む。これって正にオウムなんかが行う「脳を洗う行為、即ち洗脳」に他なりませんよね>・・・とう部分、すなわち「ジェンダースーパーフリー思想を流し込む」ことが「洗脳」であるという部分には論理の飛躍があると思われます。どのような行為あるいは考え方を教えることが洗脳にあたるのかお答え願いただきたいと思います。 また、「ジェンダースーパーフリー」と言う用語は、いわゆる「ジェンダーフリー」ないし「ジェンダーの視点」とどう違うのかそれとも同じなのか、あるいはあなたが同義としてお使いなのかについてお答えいただきたいと思います。 |
1.ジェンダーフリーのトンデモ実践例 男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのだ。 ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのもの。いわば「フェミファシズム」。 小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。その象徴的な例が男女混合名簿。「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからだ。男女の呼び方を統一しようという動きにしても、病根は一緒。男子を「くん」女子を「さん」と呼ぶのは「区別=差別」であるから、男女ともに「さん」づけで呼ぼうというのである。男女別の呼び方に差別性など全くないにもかかわらず、このような動きが急速に広がっているのは、ジェンダーフリーの内包する全体主義的な恐ろしさを示唆している。 授業での実践も首をかしげるようなものが多い。ある小学校では一年生を対象として「家族について考えさせ」、「標準モデル以外の家族の子供たちに対して差別意識を生じさせない」ために、次のような授業が行われた。 まず、家族の絵を書かせて自分の家族を全員に紹介する。片親の子供にも、他の生徒から質問があれば、親が離婚した等の理由を説明させる。小学一年生には残酷なことだと思うが、この教師は「離婚は悪いことではない。結婚という形態が当たり前ではないことを伝える」意義があるのだという。そうして「大人になったら、おかあさんやおとうさんにならないで一人で暮らしたり、友達同士で暮らしたりしてもいいんだよ」と語りかけるのである。たしかに個々の生き方は自由だが、学校という場で、しかも小学一年生に伝えるべき内容であるとは思えない。これでは結婚制度の否定を刷りこんでいるようなものである。女子からは「おかあさんになって子供を産むのは痛いし、しんどいからいやや」という声が出たそうだが、この教師が子育ての大切さや喜びを伝えた様子はない。もちろん、小子化によって国の根底が崩れるであろうことは眼中にもないようだ。 続いて、かの国立市の小学校で行われた学芸会の様子を。 この小学校では、「女の子が主人公の作品が極端に少なく、あっても女の登場人物は役割分業そのもの、美しいお姫様や優しいお母さんといった具合」なので、自分たちで脚本を作ることにした。題して「アリーテ姫の冒険」。有名なフェミニズム童話である。「アリーテ姫はかしこくて勇気のある女の子、しかも乗馬うまく、いわゆる男らしい特技だけではなく、縫い物をし、絵を書きダンスをするのが好きという女の子らしい特技も備えている」というが、絵を書きダンスをするのが好きだという男はたくさんいる。この人達の方が勝手に性的な役割分担を決めているのが何ともおかしい。 問題なのは事前の指導である。「授業では女はかしこくない方がいいかというショッキングなテーマを取り上げて四つの狙いを定めた。1.『女はかしこくなんかない方がいい』という王様の言葉から女のあるべき姿と社会的偏見について考える。2.難題を解決する冒険の過程の中で、力、武器を使わなかったことから何が本当の力かを考える。3.お姫様が登場するほかの童話との違いに気づき、どちらのお姫様が生き生きとして魅力的かを感じ取らせる」というのだ。 1. は絶句である。「女はバカな方がいい」と男は思っている。それをどう考えるかと小学生に聞いたわけである。男は女性を蔑視する存在であり、闘うべき相手であると教えたも同然である。しかし、実際に男はそんなことを思っていない。女性は優しく賢くあってほしいと願っているのが普通である。本気でそう思っているのなら、この教師たちこそ偏見に毒されているというべきだろう。 2.は男の攻撃性を批判し、力に訴えない女性を賛美するつもりらしいが、ジェンダーフリーといいながら男女のカテゴリーに固執している矛盾に気づいていない。 3.は論外。自分達の芝居こそ絶対的に素晴らしいものだと思わせるわけだから、まさに独善そのものである。 さて、この学芸会がどうなったかというと、 「フィナーレに登場する銀色の馬の役は、はじめ男の子が希望していたが、練習中にその男の子がアテリーナ役の女の子に憧れ、つきしたがう蛇の役になり、かわって馬の役になったのは小柄な女の子だった。これまでの学芸会の歴史の中で、疾走する馬に乗って観客席から舞台に駈け上がったヒロインなどなかっただろう」 何のことはない。女生徒が主役となって男子生徒を従えたことを喜んでいるだけで、常々批判している男性中心劇の逆をやったにすぎないのである。 ちなみに、この国立市の教員組合女性部は、かつて5年国語の教科書(光村図書)に載っていた今江祥智の「どろんこまつり」を男女差別につながるという理由で削除させている。 「どろんこまつり」は「気弱で゛女っぽい゛男の子と、お転婆で゛男っぽい゛女の子が、最後にどちらも゛本来゛の゛男らしさ゛゛女らしさ゛に゛立ちもどる゛という物語である」ため、彼らは「性差別をあまりにも強く全面に出している作品で、このまま見過ごすことはできない」として光村図書に抗議し、「これからは女子が活躍する文学を取り上げる」等の確認を取りつける。その結果「次回の教科書には掲載されなかった」。 これにより、「私たちは、教科書会社に質問や抗議をしていくことで、教科書を変えていくということができるということを実践的に学んだ」という(言うなればこれは「焚書坑儒」その物であり、ジェンダースーパーフリー思想が持つ全体主義的体質を如実に現している)。 2.なんでもかんでも女性差別 高校にもなると、様々な観点から女性差別が取り上げられる。 国語の授業でもジェンダー思想が絡むと、呆れた実践となる。ある女教師は、教科書に女性作家が少ないことを確認させた上で「このように文字における女性の業績を無視した教科書は、長い性差別の歴史であることを確認してから授業に入る」という。この教師は、教科書編纂者が意図的に女性作家を排除していると思っているらしい。はぁ・・・。 授業では田嶋陽子著『もう「女」はやってられない』(講談社)の一部を読ませて恋愛について考えさせる。この本は「男性支配社会において女が男と対等でいられるのは<恋>までで、<愛>つまり結婚生活が始まると女は奴隷になる仕組みを説き、女が経済力を獲得すれば男女の力関係は変わり<愛>も変わると結んでいる」という。この教師は授業を通して「愛という名のもとに女と男が上下関係になってしまうのを語るのに急で」、「女と男はしょせん支配・被支配の関係にすぎないから、対等な恋愛など存在しない」というメッセージしか伝えられなかったと気にしていたが、生徒から「恋愛は別にしなくてもいいんだ」という感想があったことで「少しは自己発見に役だってくれた」と満足する。しかし、公教育の場で「恋愛は支配・被支配の関係だ」「主婦は奴隷だ」などと教えられる生徒こそ哀れである。このような授業がトラウマになって、正常な恋愛や結婚ができなくなるのではないかと心配してしまう。 3.ジェンダーフリーは女性を不幸にする。 以上見てきたように、主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって広められつつある。謳い文句は「性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう」というのだが、現実はまったく逆になるだろう。なぜなら、「らしさ」とは社会をより安定させるために醸成されたものであり、そうであるがゆえに、「らしさ」が消失すれば必ずや悪しき影響が出るだろうからだ。仮に、ジェンダー論者の言うように、「らしさ」をすべて排除すればどうなるだろうか。女性においては優しさ、繊細さが失われていき、下品で粗野な行動が蔓延するだろう。母性の喪失は育児の意義や喜びを失わせ、子育ては面倒なものでしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつながっていくのは自明である。また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整ったとしても、進んで子供を産むことはないだろう。少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。 また、ジェンダー論に従えば、゛献身゛を隷従だとして厭うようになるが、男女を問わず、他者に尽そうとしない者、他者のことを考えない者が幸福になれるはずはない。経済的に自立し、社会的な権利を得たとしても、誰からも大切にされず、感謝もされず、荒涼たる孤独の中で生きるしかないだろう。 「男らしさ」の中には゛女性を守る゛という「逞しさ」や「優しさ」がある。いわゆる゛ダンディズム゛と呼ばれるものである。これらは男が本来攻撃的かつ本能的であるがゆえに、゛女性を守る゛ために作り出されたものだろう。まさに、ジェンダー論者の否定する社会的文化的性差そのものだが、こうした゛男らしさ゛を否定すれば、本能的な欲望が剥き出しになり、女性にとって不利な事態を招くのは目に見えている。セクハラやDV(夫婦間暴力)が増加しているというが、それらは゛男らしさ゛の喪失で説明できる。すなわち、女性を守ろうとする゛男らしさ゛(内的規範)が喪失したがゆえに、女性の人権が侵害されるのである。 ジェンダーフリーは基本的に女性の権利拡大を目指すものだが、その結果はまったく逆。 大体、「らしさ」を否定していけば、「男らしくない男」と「女らしくない女」が大量発生することになるが、そんな事態を誰が望むだろうか。 そもそも現実には、世の8割以上の人が「男・女らしく」したいと思っているのである。(『女性白書2000』より)にもかかわらず、「らしさ」を否定する思想を押しつけるのは、多数の人の「思想信条の自由」を侵害する行為。ジェンダーフリーはその前提において、「らしさ」という抑圧からの解放を叫びながら、その思想によって多数を抑圧するという決定的な自己矛盾を内包している。 大切なのは「らしさ」を否定することではなく、互いの性差を認め、尊重した上で、多様な価値観を認める事。もちろん、性別による行動規制や男尊女卑的な発想は問題だが、ジェンダーフリーで正しいのはこの一点だけである。それ以外には文化や社会を破壊する「毒」が隠されているから注意しなければならない。 今もっとも大切なのは「ジェンダーフリーから自由(フリー)になること」だ。 |
ジェンダー論は妄想の産物 ジェンダーとは生物学的に規定された性「sex」ではなく、社会的文化的に規定された性差「gender」を意味している。こうした「ジェンダー」の概念は、60年代から70年代にかけてアメリカで起きたウーマンリブ運動を発端としている。 女性が男性に支配されているという「性支配」体系を構築したウーマンリブ運動は、その支配構造から女性を解放するために、社会的制度における同等な権利を得る運動を展開する。やがて、これが一定の成果をおさめると、今度は「男女」という枠組み自体に差別構造が内在しているという認識に至り、これを抹消しない限り真の解放はないと考えるようになる。ジェンダーとは、生物学的性の差異ではなく、人間が人為的に作り出した社会的文化的性差であり、支配者(男)が被支配者(女)を統治するための道具であるというのだ。こうして、「男女」という枠組み、すなわち「男・女らしさ」を撤廃しようとする動きが生じた。これがジェンダーフリーである。 しかし、ここにはいくつもの誤謬がある。その最たるものが、ジェンダーのほとんどが社会的文化的に作られたものだという認識である。しかし最近の大脳生理学はこうした゛思い込み゛を見事に一蹴している。医学の専門書には、いわゆる「男・女らしさ」が大脳の構造的差異や男性ホルモン(アンドロゲン)の有無によって生じることが明確に書かれている。ジェンダー論者がいかに言質を弄してもこうした学問的事実によって、その論理は根底から覆されるのだ。 もちろん、現在の「らしさ」には男女の生得的特質から派生したジェンダー(社会的文化的性差)があるのは確かである。しかし、これらは安定した社会を築くために醸成された文化、あるいは慣習というべきものであり、全否定すべき根拠はどこにもない。たしかに「女は〜してはならない」とか「女のくせに」といった行動規制(因襲)や男尊女卑的な発想は排除されるべきだが、一般に言われる「らしさ」の大半は望ましいものである。「男らしさ」には゛我慢強さ゛や゛逞しさ゛゛責任感゛、「女らしさ」には゛優しさ゛や゛繊細さ゛゛母性的包容力゛等があることからも、それは明らかだろう。こうした「らしさ」を、「ジェンダー=悪しきもの」という一面的な見方によって否定すれば、望ましい徳目が消えていき、人間性の荒廃を招くのは必至であろう。 こうした批判に対しては次の反論がある。「らしさ」という枠が存在する限り、その枠に入り切らない個を阻害することであり、それは「差別」につながるというのだ。しかし、「らしさ」に入らない少数の個があるからといって、望ましい徳目を含むすべての「らしさ」を否定するというのは、少数による全体支配―――すなわちファシズムと同根の発想である。肝心なのは、「らしさ」を否定するのではなく、多様な価値観を許容することであろう。 ジェンダー論者は抑圧からの解放を叫ぶが、「らしさ=内的規範」なき自由は放縦に過ぎず、放縦が蔓延すれば社会は容易に荒廃する。このように、ジェンダーフリーの背後には、モラルを低下させ社会を荒廃へと導く強烈な「毒」が隠されているのである。 誰も支持しないジェンダーフリー ジェンダーが生得的な男女差から派生したものであり、「らしさ」が全否定されるべきものではないとすれば、論拠として残されたのは「男女間の支配構造」のみとなる。「男が仕事、女は家事」といった役割分担は性差別であるというのがその典型だが、これは単なる主観にすぎない。専業主婦を「働けない」「育児を押し付けられている」と考えれば差別となるが、「働かなくてもいい」「育児という大切な役割を担っている」と考えれば優遇されていることになる。「差別」とは不利益を伴う概念であり、客観的な論拠がなく本人が不利益を認識していなければ、「差別」とはならないのだ。 現在、多くの者はジェンダー論者のいうように、旧来の役割分担を「差別」だと思っているのか。これに関する興味深いデータがあるので紹介しよう。以下は、アメリカのチルトン研究サービスという組織がまとめた「フェミニズムによる男女の役割変化をどう思うか」という調査である。(対象は1997年における無作為に選ばれた成人804人。http://www.gendercenter.org/survey.htmより) ・8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている ・7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている ・5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている。 ・男女とも5割近くが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じている。 ・6歳以下の子どもを持つ専業主婦の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている。 ・男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは幾分同意している。 いかがであろうか。驚くべきことに、フェミニズム先進国であるはずのアメリカで、旧来の役割分担を支持する割合が過半数を超しているのだ。女性も家事と育児をすることに対して不利益とは認めておらず、圧倒的に多くの者が「差別」ではないと考えているのがわかる。つまり、「男女の支配構造」というのは一部の見方にしかすぎないのである。 アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。 |
小鉄さん この「追申」につきましても良く読ませて戴きます。中には「なるほど」と思うことがありましたので、後ほど(明日か1両日中に)ご返事(意見)申し上げます。 |
「女子マネージャー撤廃論」というのがある。書いたのは高校教師。 「高校生にとってモテるというのは重要なことである。モテたいがために本来あるべき自分の姿を不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。この文脈上に女子マネージャーがいる。彼女たちは、好きでやっているのだからいいじゃないかと言うが、そう思う背景が何であるのかを押さえるべきだし、゛好きでなくても゛やらなくてはならなくなる人が出ることに無自覚になってはいけない。 家庭や学校で繰り返し繰り返し男と女は違うというメッセージを送られつづけ、その与えられた価値観によりモテることを選ぼうとするときに゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。 つまり、女子マネージャーは強制ではないが、性差別社会において刷りこまれた意識によって゛選び取らされた結果゛として存在する。 いったいどこに自らすすんで自分を中心部ではなく周辺部に置きたがる人がいるだろうか。本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、女子マネージャーが後を絶たないのは、男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを彼女たちが知っているからである。 自分がメインステージに立たず他者に夢を託すという彼女たちの姿は、夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、自分自身を生きることを辞めてしまうのである」 ・・・。 いやはや何とも凄まじい。この女教師は女子マネージャーに「貴方たちはモテたいという下衆な動機でなったのだろう」と非難しているのだ。しかも、「自らすすんで自分を周辺部に置く」という゛献身゛の概念をまったく理解せず、専業主婦は「自分自身を生きることを辞めている」と一方的に断罪するのである。 しかし、高校生がモテようとして何が悪いのか。「周辺部に身を起きたがること」を打算だと非難するが、この世はそうした人々の献身的な行為によって支えられていることを知らないのか。この教師の皮相かつ独善的な見方には気分が悪くなるほどである。 まぁ、ここまで来るとUFOやノストラなどのトンデモ本の世界ですよね・・・。現実世界をジェンダー論という枠に無理やり当てはめようとするから無理が生じるわけで。あたかも共産主義者が資本論だけでこの世を理解しようとし、「俺はお前より資本論を理解してる」などと言ってるのに似ています。 何より問題なのはジェンダーフリー理論から外れた人間を容赦なく切り捨てる所です。どうして「自分自身を生きる事をやめている」とかそんな風にたかだか一個人が言い放てるのか。 ここにジェンダーフリー、いやフェミファシズムの本質があるような気がしてならないのです。 まっ、世の中そう美味しい話は無いと言うことです。 男女共同参画社会。私はこれを文字通りの「きょうさん社会」にしてはならないと思っています。頭の中身まで介入するのはいけない。 男女それぞれのいい所を無視して更地にした所で何の意味があるだろうか。男女のいい意味での「らしさ」を作られたものと否定して、それを取り除く事が平等であると感じるというのは大変愚かだ。それは例えるならコーヒーと紅茶をそれぞれろ過して「水だけ」にする作業に似てる。何とも意味の無い行為だ。 別の例えをするならば凸と凹の関係。両者は互いに違いがあるからこそ、横滑りする事無く、安定感を得る事ができる。これが若し平面だけの存在に加工されたら横滑り。社会というのはそうした違いによって安定感を保ってる。 フェミニストはよく「男社会が悪い」とか「男は野蛮」とか言ったりするが、これは大変不自然に感じる。「悪の男社会・男」という架空の敵を作り上げる事でしか自らの論理を展開出来ないようでは未熟といわざるを得ず、「自らの存在意義を敵に依拠してる状態」と言える。アンチ巨人が巨人を憎みつつも巨人がいるからこそ存在していると言う構図に見えなくも無い。 更に言うとこうした論理展開は男性中心が女性中心に変わったに過ぎ無い。足し算料理ではないのだから(塩を入れ過ぎれば、今度は砂糖を入れすぎる)好い加減料理上手になってもらいたいものである。 結局の所彼らジェンダーフリー陣営は口で言うほど男女それぞれの尊重なんて理解して無いのではないか?塩(男)を入れ過ぎたなら、今度は砂糖(女)を入れまくれば良いと言う発想は、詰まる所「前者の全否定」なのだから。 注)文体はめんどくさいので統一しなかった。失礼。 |
▼小鉄さん: 注)文体はめんどくさいので統一しなかった。失礼。 あちこちからコピーご苦労様です。 いつ就寝されるんですか? 24時間営業ですね。 ダミーもいるんですか? |
▼treeさん: >▼小鉄さん: > 注)文体はめんどくさいので統一しなかった。失礼。 > >あちこちからコピーご苦労様です。 >いつ就寝されるんですか? >24時間営業ですね。 >ダミーもいるんですか? 若し、小鉄氏の「(アンチ?)ジェンダーフリー論」に「原典」があるのでしたら、それを教えて頂けますか。宜しくお願いします。 以上 |
>▼treeさん: >>▼小鉄さん: >> 注)文体はめんどくさいので統一しなかった。失礼。 >> >>あちこちからコピーご苦労様です。 >>いつ就寝されるんですか? >>24時間営業ですね。 >>ダミーもいるんですか? > >若し、小鉄氏の「(アンチ?)ジェンダーフリー論」に「原典」があるのでしたら、それを教えて頂けますか。宜しくお願いします。 > >以上 treeさん 入れ違いになりました。JFさんのメッセージで分かりました。 お騒がせしました。 以上 |
日本でも、20代、30代のいわゆる結婚適齢期の女性は、結婚願望、専業主婦願望が強い女性の方が多いのだというアンケート結果を見たことがあります。 男女雇用機会均等法ができて以来、女性は自分達も一生懸命働けば、社会から評価してもらえると思い込み、やっきになって、家庭と仕事の両立をしようとがんばってきた。しかし、実際には、会社は、男女機会均等法に違反してはいけないから、アリバイ作りに女子にも入社試験や面接を行い最終試験で落とす。そこで「じつは女性を採るつもりはないんです」といってのける人物もいると聞く。女性と男性の賃金の差、女性も昇進できるかにみせかけてじつは昇進させないガラスの天井。有能な女性ほどひどくなるセクハラ。家に帰れば、家事も育児もどうせ一人でやらなければいけない。どんなにがんばろうともどこからも評価されずにぽろぽろになっているそんな女性たちを見て、最近の若い女性は、「どうせ社会に出ても評価されないんだったら、専業主婦になって夫に養ってもらった方がまし」と思うのだそうです。こういう若い女性を「新専業主婦」と呼ぶんだそうな。 若い女性に新専業主婦志望の人が多いのに、じゃあなぜ結婚率がさがっているのかというと、それは実は男性の方が結婚したくない人が多いからなんだそうですよ。なぜ男性が結婚したくないかというと、ズバリ「男らしい」からです。 男たるもの、妻と子を自分がしっかり養い、守らなくてはいけない。しかし、この不況でなかなか就職できなくてフリーターが増え、就職したとしても、いつリストラされるかわからない。妻と子を養える保証がない。自分男だから、無責任に結婚はできない。いや、まてよ妻もパートか何かで助けてくれればなんとかなるかも。と思っても、若い女性は多くが「新専業主婦」を希望している。つまり、どうせ社会にでても評価されないんだから、働きたくない。パートなんかいつでも切り捨てられるし、昇進もしない。働きに出れば仕事と家事と育児と親の介護まで自分一人では手に負えないのだから、働きには出ず、金持ちの男と結婚して、一生専業主婦してる方がまだましと思ってるわけです。 男らしく、妻子供を一人で養わなければと思い込んでいて、実際にはそれができないため結婚できない責任感の強い男性。 もしくは、あまり男らしくはないが、妻にも働いて助けてもらいたいと思う男性。(しかし自分は妻を助けて家事をするつもりなし) こういった男性と、もう女性差別の社会では働きたくないという「新専業主婦」が結婚できるわけがない。従って、結婚率は下がる、出生率も下がる。 フェミニズムやジェンダーフリーが、結婚率、出生率を下げているのではなく、それらがのものが平等という言葉が大キライな方々の意図的な誤解や、エセ科学のによってうまく浸透しなかったことが、現在の結果を招いていると思われる。 あなたの言ってることは、林某、高橋某、長尾某の言ってることと全く同じですね。あなたもしかして、「新しい歴史教科書をつくる会」の人ですか? 私は「つくる会」の人たちが、「女性を低く見るような女性差別はなくさなくてはいけない」といいながら、「日本の女性は世界で一番大切にされている」とか「女性差別などない」と言い切っているのを知っていますよ。男の脳がどうだとか、女の脳はこうだとか、まるでナチスがあらゆる人を迫害するためにふりかざした優生学のようですね。あるいは白人が黒人差別を正当化するために「黒人の脳は白人より小さいのだから白人と同じ教育を受けさせるのは気の毒だ」と区別を装って差別していたのともそっくりです。 そもそも先天的にある男らしさ、女らしさが、撤廃しましょうといって撤廃できるのか。それにらしさに入らない固体が少数だと私は思わない。完全に男らしい男や、女らしい女を、私は見たことがない。だからといって、男らしく生きたい男、女らしく生きたい女を否定するつもりもない。それはそれで、その人らしさだと思うからです。しかし、ジェンダーが本当に安定した社会を築いているなら、どうしてそれを疑問に思う人たちの運動が、ここまで大きくなるのでしょうかね。 |
小鉄さん 大変長い説明ありがとうございます。 述べられている例(実例として考えますと)は、いわゆる「ジェンダーステレオタイプ」の問題、「逆差別」の問題、さらには、そう生きたいと願う人に対し、それではダメだということを宣教する「教条主義」の問題と思われます(大雑把ですみません)。 「小鉄さん」が長い文章を書かれておりますので、少し検討させていただいてから意見を述べさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。 |
>述べられている例(実例として考えますと)は、いわゆる「ジェンダーステレオタイプ」の問題、「逆差別」の問題、さらには、そう生きたいと願う人に対し、それではダメだということを宣教する「教条主義」の問題と思われます(大雑把ですみません)。 「小鉄さん」が長い文章を書かれておりますので、少し検討させていただいてから意見を述べさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。 紳士ですねぇ・・・ |
▼小鉄さん: 返事遅くなりました。 > 今もっとも大切なのは「ジェンダーフリーから自由(フリー)になること」だ。 これ、なかなか名言ですね。 ご意見1〜3.までの「ジェンダーフリー論」への反対論は、良く聞くような意見だと思いました。 しかし、ご意見の最後の部分 <そもそも現実には、世の8割以上の人が「男・女らしく」したいと思っているのである。にもかかわらず、「らしさ」を否定する思想を押しつけるのは、多数の人の「思想信条の自由」を侵害する行為。ジェンダーフリーはその前提において、「らしさ」という抑圧からの解放を叫びながら、その思想によって多数を抑圧するという決定的な自己矛盾を内包している。大切なのは「らしさ」を否定することではなく、互いの性差を認め、尊重した上で、多様な価値観を認める事。> ここには真理の部分があるように思いました。 私は小鉄さんと違い、どちらかと言うとジェンダーフリー論者且つ個人主義論者ですので、これを以下のように読み替えれば、より真理に近づくのではないかと考えます。 「・・・各人の互いの差を認め、尊重した上で、多様な価値観を認める事」であると。 なぜなら、性差の多く(生殖を除き)は男女の標準値の隔たりであって、分布の交わり部分が多く、極に位置する部分は性差の開きよりむしろ個人差の隔たりが多いといえましょう。また、「性差」には、生物学的性差、心理学的性差、社会的性差、などがあり、これまで生物学的性差と思われていた事柄についても一部は社会的に作られる可能性があることが明らかになってきたからです。心理的性差については、研究が進めば生物学的性差と社会的性差に分類される可能性があるといわれています。 次に、男女を分けて扱うことが差別にあたるかどうかを検討したいと思いますが、明日早起き(仕事で)しなければならないので、これについては、明日の夜とさせていただきます。 |
▼小鉄さん: つづきを書きます。 男女を分けて扱うことが差別にあたるかどうかということについて述べます。 法律論で恐縮ですが、憲法14条1項の後段「〜人種、信条、性別、社会的身分又は門地により〜」という部分には特別の意味があると考えられます。 すなわち、この14条1項後段列挙の事由に関しては公権力側が個々の市民に対し、手続きその他の作為・不作為を実施する場合「厳格な審査基準」により判断すべきであるということです。これは、その作為・不作為が、その目的において必要不可欠であるか、且つその手段において必要最小限であるかということです。またその際、作為・不作為が、14条1項後段列挙の事由にあたる場合は、公権力側で合憲である旨を証明しなければならないということです。 これは、一般的な憲法の教科書(大学の法律科などで使用する)では、大体どの書籍にも書かれていることで、通説と言えるでしょう。判例などもこの基準に沿っているものが多いかと思います。 この基準に則れば、男女を分けて取り扱う時、公の機関は「分けることによってしか得られない利益の存在、および、その手段が必要用最小限であること」が求められるということになります。 男女混合名簿については、男女を分けて取り扱っても(混合にしなくとも)実害はあまり見当たりませんが、「告示・表示」としての役割があり、これを教育上利用することを考えれば、やはり前述の「分けることによってしか得られない利益の存在、および、その手段が必要用最小限であること」が求められるということになると考えられます。反対解釈すれば、男女を分けて表示することによってしか得られない利益が存在しない場合は分けるべきではないと思われます。 ところで、この「混合名簿」というのは、2つの理由(ないし問題)が内包されていると考えられます。混合という語句自体が「2つ(またはそれ以上)のグループを混合する」ということであり、前提として1クラスにほぼ同数の男女が在籍していることであり、またクラス編成の際に各クラスの男女の偏りを修正することがあることを意味すると思われます。 すなわち、その1は、完全なジェンダーフリーにおいては男女同数あるいは各クラス共に、男女の混合比は無視されるわけですから、男女の比率には、いわゆる「1/f」の揺らぎが出てくると考えられます。つまり、男女同数のクラスは殆ど望めないこととなります(ただし偶然により男女同数になることもあります)。 そして2つ目は、完全なジェンダーフリーにおいては、偶然により男性だけのクラス・女性だけのクラスができる可能性もあり、そのような場合、男女共学が保障されないこととなってしまいます。これは「男女共同参画の精神」からみていかがなものかと考えます。 やはり、男女共学や男女共同参画を実施することをほんとうに合意したのならば、児童・生徒の男女が同数ならば、各クラスの男女比を人為的に操作せざるを得ないと思われるのです。 また、公立高校の男女別の定員、すなわち、場合によっては合格点数に男女差をつけることがいかがか?という問題などもあると思われます。 これらをいわゆる「実質的平等」ないしは「ア ファーマティブアクション(積極的な是正措置)」として、どの程度、いつごろまで認めるのか?といったことも議論すべき課題であると思います(参考「女性差別撤廃条約」・「世界人権宣言」・「ユネスコ学習権宣言」など参考にしました。憲法は「伊藤眞」の参考書を読みました)。 後ほど、女性の社会的地位の問題も簡単に検討したいと思います。 |
>ところで、この「混合名簿」というのは、2つの理由(ないし問題)が内包されていると考えられます。混合という語句自体が「2つ(またはそれ以上)のグループを混合する」ということであり、前提として1クラスにほぼ同数の男女が在籍していることであり、またクラス編成の際に各クラスの男女の偏りを修正することがあることを意味すると思われます。 すなわち、その1は、完全なジェンダーフリーにおいては男女同数あるいは各クラス共に、男女の混合比は無視されるわけですから、男女の比率には、いわゆる「1/f」の揺らぎが出てくると考えられます。つまり、男女同数のクラスは殆ど望めないこととなります(ただし偶然により男女同数になることもあります)。 そして2つ目は、完全なジェンダーフリーにおいては、偶然により男性だけのクラス・女性だけのクラスができる可能性もあり、そのような場合、男女共学が保障されないこととなってしまいます。これは「男女共同参画の精神」からみていかがなものかと考えます。 やはり、男女共学や男女共同参画を実施することをほんとうに合意したのならば、児童・生徒の男女が同数ならば、各クラスの男女比を人為的に操作せざるを得ないと思われるのです。 また、公立高校の男女別の定員、すなわち、場合によっては合格点数に男女差をつけることがいかがか?という問題などもあると思われます。 混合名簿についてですが、実はこれを推し進めた日教組自身は何も考えずにやってるのではという疑念があります。 彼らは「男女混合名簿では差別。女男混合名簿と呼ぼう」と言う程度の認識レベルでしたから(女男という事自体、彼らが言う所の差別の裏返しに過ぎないと言う事に気づいてないのがお粗末・・・)、ウルトラさんが思うほど深く思索しては無いと思いますよ・・・(苦笑 |
>また、「ジェンダースーパーフリー」と言う用語は、いわゆる「ジェンダーフリー」ないし「ジェンダーの視点」とどう違うのかそれとも同じなのか、あるいはあなたが同義としてお使いなのかについてお答えいただきたいと思います。 本来の趣旨から外れてしまい、過激な思想教育に走る者達をジェンダースーパーフリーと呼んでいます。 ジェンダーフリーとイベサーのスーパーフリーをかけています。 |
▼杉本 知昭さん: > >ただし男として言うならば、女性の家事労働を再認識、再評価する必要がある! >例えば、妻の家事労働に対して夫の所得の半分を支払うとか、どうだろうか? 問題−1 「妻の家事労働」の価値は「我が屋」だけにしか通用しない、ということ。 (我が妻が他所にいって それだけ稼げるなら文句はない) 問題−2 私は妻の労働をこなすことはできるけれど、その反対は出来ないこと。 (料理、選択、掃除・・・私は嫌いじゃない、しかし妻は「会社勤めなんか!」とノタマイます) やはり、夫婦は「銭かねの話しにしない方が、宜しいようで・・・」 |
拝啓 ワン太郎さんへ >>ただし男として言うならば、女性の家事労働を再認識、再評価する必要がある! >>例えば、妻の家事労働に対して夫の所得の半分を支払うとか、どうだろうか? > > >問題−1 「妻の家事労働」の価値は「我が家」だけにしか通用しない、ということ。 家事が家々によってそれほど内容の違いがあるだろうか?自分の家の事だからこそなおさら評価したほうが良いのでは? >(我が妻が他所にいって それだけ稼げるなら文句はない) というような「俺が食わせてやっているんだ」というような考えは家を守ってくれる女性の家事労働を甘くみているからでは? >問題−2 私は妻の労働をこなすことはできるけれど、その反対は出来ないこと。 あなた本当に毎日仕事から帰ってきて家事も両立してこなせるとおもっているんですか? 毎日の事なんですよ!時々手伝うというのとは違うんですよ。 >(料理、選択、掃除・・・私は嫌いじゃない、しかし妻は「会社勤めなんか!」とノタマイます) >やはり、夫婦は「銭かねの話しにしない方が、宜しいようで・・・」 少なくとも私は銭金の評価を男がおこたったからこそ女が銭金の評価を求めて 男社会の領域に入り込んできたという考え方を持っているのです。 女たち本来の“見守り”“認め”“育み”という母性の発揮の場所をきちんと 再評価していくことで、女性が競いあいの男社会に入ってくる必要に迫られない ようにしていく必要があるのではないか? 現代がどこもかしこも競争でギスギスしているのは社会に母性が欠けているから ではないだろうか? |
▼杉本 知昭さん: レスありがとうございます(いただけないかと思っておりました) >>>例えば、妻の家事労働に対して夫の所得の半分を支払うとか、どうだろうか? >>問題−1 「妻の家事労働」の価値は「我が家」だけにしか通用しない、ということ。 >家事が家々によってそれほど内容の違いがあるだろうか?自分の家の事だからこそなおさら評価したほうが良いのでは? 「夫の所得の半分を」という事は、我が妻の労働はとなりの奥さん以上に立派にこなしていても、 「私の稼ぎが悪いが故に」低く評価されてしまう、 「そんなの カワイソウ!」 ということを言っております。 > >>(我が妻が他所にいって それだけ稼げるなら文句はない) > >というような「俺が食わせてやっているんだ」というような考えは家を守ってくれる女性の家事労働を甘くみているからでは? > 私が年収2000万だと仮定して、妻が我が家と同じ労働を「他所」にいって、1000万 稼ぐことが出来るか? ということを申し上げています。 「俺が食わせてやっているんだ」等という発想は全く(めっそ〜も)ございません。 >>問題−2 私は妻の労働をこなすことはできるけれど、その反対は出来ないこと。 > >あなた本当に毎日仕事から帰ってきて家事も両立してこなせるとおもっているんですか? >毎日の事なんですよ!時々手伝うというのとは違うんですよ。 > 私が妻と同じ労働を、妻と同じ条件でこなす 自信と気持ちはありますが、上手にこなすことは出来ません。 (妻の入院中2ヵ月半ほどやってみましたが、二度とやりたくはありません) 妻は妻で、私の会社での労働を こなす自信と気持ちは「全く無い」ようです。 ですから 我が家では、お互いの「得意な分野」を こなすことを暗黙の了解事項といたしております。(そのはずです) >>やはり、夫婦は「銭かねの話しにしない方が、宜しいようで・・・」 > >少なくとも私は銭金の評価を男がおこたったからこそ女が銭金の評価を求めて >男社会の領域に入り込んできたという考え方を持っているのです。 >女たち本来の“見守り”“認め”“育み”という母性の発揮の場所をきちんと >再評価していくことで、女性が競いあいの男社会に入ってくる必要に迫られない >ようにしていく必要があるのではないか? > >現代がどこもかしこも競争でギスギスしているのは社会に母性が欠けているから >ではないだろうか? 私の妻に対する感謝と尊敬と愛情はどう評価したらよろしいのでしょうか? これが「銭かね」で表現できる方法があったら、私は妻から もっとモット 愛してもらえると思うのですが。 |
「国旗、国歌」問題に一言! 小中学校の卒業式で、一部の教員の反対にて、子供達を国旗に起立させない、国歌を歌わせない、等、私は理解できない。日本国民の教員が何故だ、、。気持ちが解らない、、。 教員の意見が分かれて、子供達が困って悩んでいるという。当日に休む子供がいると云う、、。可哀そうで残念だ、、。 |
私見ですが、ある意味、国旗や国家に敬意を表する事すらできない教師自身、 そういった教育を受けた経験があるとすれば、可哀想と言えなくもない部分も感じます。 ただ、そういう人間に限って口先で「日本をよりよくしたい」「愛して止まないからこそ」 ひたすら中国や朝鮮におもねり、日本を糾弾するらしいんですが、真面目に思いますけれど、 本当に、どうぞ、それだけ好きな国ならば移住して、そっちで安生やってくださいな。 そう思えてなりません。 国家や国旗が嫌いでならない連中(教師)は、職を辞して頂きたいですし、大体採用の時点で、 それくらいな常識のないのを公務員として採用する方にも大いに問題がありますし、 採用要綱に、国歌や国旗にアレルギーのある変人は、採用せずという意の文言を入れてしかるべきでしょう。 狭き門になりつつある教職に、わざわざまともな人を落として、反日分子を採用するなんてことは 百害あって一利ないと信じます。 |
>国家や国旗が嫌いでならない連中(教師)は、職を辞して頂きたいですし、大体採用の時点で、 >それくらいな常識のないのを公務員として採用する方にも大いに問題がありますし、 常識って何ですか? 何が常識ですか? 自分が常識と思っているならそれは常識ですか? >採用要綱に、国歌や国旗にアレルギーのある変人は、採用せずという意の文言を入れてしかるべきでしょう。 変人って何ですか? 国のやり方に反対する者はみんな変人ですか? >狭き門になりつつある教職に、わざわざまともな人を落として、反日分子を採用するなんてことは >百害あって一利ないと信じます。 もともってなんですか? 反日分子はまともではないんですか? |
>常識って何ですか? 常識を全部言う事は誰にも無理と思いますが、少なくともどこの国であれ、「国民」として そこで生きていくつもりならば、そこの国歌や国旗に一定の敬意を表するのは常識です。 >変人って何ですか? これも変人の何たるかを全て羅列はできませんが、少なくとも国旗を燃やしたり、未来のある 子供に国歌や国旗を不浄なものと吹聴する教師は変人ですし、むしろ変人なんてやさしい 言い方では勿体無いくらいです。別な言い方では、馬鹿とも言えますね。 >国のやり方に反対する者はみんな変人ですか? そんなこと、ある筈がありません。あなた、そう思っているの? >反日分子はまともではないんですか? 言うまでもありません。日本人のくせに、反日分子なのが、「まとも」である筈がない。 反日分子というのは、文字通り「日本憎し」なんですから、そもそも「日本人」なんて 名乗って欲しくないですね。せいぜいが、「日本在住反日ホモサピエンス」くらいが、妥当でしょう。 |
日本社会に起こっている社会問題は、国旗・国歌に敬意を表せば解決すると思っていらっしゃるのですか? 今の日本の社会問題を少しでも是正できる人材の育成を学校教育に期待したいですね。 |
>「国民」としてそこで生きていくつもりならば、そこの国歌や国旗に一定の敬意を表するのは常識です。 敬うのはいいですが、押し付ける事は常識ではありません。 >未来のある子供に国歌や国旗を不浄なものと吹聴する教師は変人ですし、 いつ、そんな吹聴をしました。 国家や国旗について十分な教育も受けさせず、いきなり歌えと言う方が変人だと思いますがね。(今の教科書には、音楽の教科書の最後に書いてあるだけで、社会の教科書には国歌についてはのっていません) >言うまでもありません。日本人のくせに、反日分子なのが、「まとも」である筈がない。 >反日分子というのは、文字通り「日本憎し」なんですから、そもそも「日本人」なんて >名乗って欲しくないですね。せいぜいが、「日本在住反日ホモサピエンス」くらいが、妥当でしょう。 もし、日本がまた戦争を起こし「戦争反対」とに言っている反日分子に「日本人のくせに戦争反対なんて、あいつらは日本人じゃない「日本在住反日ホモサピエンス」だ」と言えますか。 |
▼最古老さん: >>「国民」としてそこで生きていくつもりならば、そこの国歌や国旗に一定の敬意を表するのは常識です。 > >敬うのはいいですが、押し付ける事は常識ではありません。 >>未来のある子供に国歌や国旗を不浄なものと吹聴する教師は変人ですし、 > >いつ、そんな吹聴をしました。 >国家や国旗について十分な教育も受けさせず、いきなり歌えと言う方が変人だと思いますがね。(今の教科書には、音楽の教科書の最後に書いてあるだけで、社会の教科書には国歌についてはのっていません) >>言うまでもありません。日本人のくせに、反日分子なのが、「まとも」である筈がない。 >>反日分子というのは、文字通り「日本憎し」なんですから、そもそも「日本人」なんて >>名乗って欲しくないですね。せいぜいが、「日本在住反日ホモサピエンス」くらいが、妥当でしょう。 > >もし、日本がまた戦争を起こし「戦争反対」とに言っている反日分子に「日本人のくせに戦争反対なんて、あいつらは日本人じゃない「日本在住反日ホモサピエンス」だ」と言えますか。 祝日に日の丸も揚げず、日の丸の畳み方、持ち方すら教えない「親」が多すぎますね。「君が代」の意味だって、我が家の次男は小学1年で理解させました。 (勿論。日章旗の意味も)学校教育だけでなく、家庭教育も大切です。 元在日の我妻もきちんと意味は理解してますが・・・ 教育の場にイデオロギーを持ち込んだ、「日教組」「全教」の罪は重いですよ。 |
祝日に日の丸も揚げず、日の丸の畳み方、持ち方すら教えない「親」が多すぎますね。「君が代」の意味だって、我が家の次男は小学1年で理解させました。>>私のところはもう少し遅かったような・・。しかし昨今のバレーボール・サッカーなどで「日本!日本!」と叫んでおります。 建国記念日に、たまたま家を留守にしていましたが、妻に「明日は万難を排して、是非とも国旗を掲揚しておくように」と言い含めておきました。 当日帰宅して、玄関を見て「よし!」と言ったものです。 未来のある子供に国歌や国旗を不浄なものと吹聴する教師は変人ですし>>そうです。 『何故国旗国歌が嫌いなのか』明確かつ納得できる理由が存在しないといけません。 そのような輩は『国旗の白=骨・赤=血』と訳の分からんことを言うでしょう。 『国旗が鉄砲をかついだ訳じゃなし、国歌が人を殺した訳じゃあるめぇ。どのように連想しようとおめぇさんの勝手だが、それを人様(子供)に押し付けるのは、それこそ強制だろう?違うか?えぇ、おい!』ですな。 |
教育レベルの話じゃないと思うんですよね。 >>刑法92条 >>外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。 と、あります。しかし、日本に侮辱を加える目的で、日の丸その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、自分の持ち物である限り何も罪に問われれない。 これはおかしい。「外国に対して」の文言を削除することが急務と思う。 余談ですが、また、昭和34年の中共国旗事件というのがありましたが、チベット国旗等に関しては適用されない。これもおかしい。器物損壊罪にしかならず、やはり自分の持ち物である以上、罪に問われない。これもおかしい。 |
▼つるみさん: >教育レベルの話じゃないと思うんですよね。 > >>>刑法92条 >>>外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。 >と、あります。しかし、日本に侮辱を加える目的で、日の丸その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、自分の持ち物である限り何も罪に問われれない。 >これはおかしい。「外国に対して」の文言を削除することが急務と思う。 確かに外国の国章を損壊・除去・汚損するのに罰則があって自国のにはないのはヘンですね。 ただ、国章を損壊・除去・汚損した場合のみ罰するべきであって、国旗・国歌に敬意を表さないからといってペナルティを科すことも法的に規制されるすべきです。 「思想・良心の自由」は尊重されるべきです。 |
>確かに外国の国章を損壊・除去・汚損するのに罰則があって自国のにはないのはヘンですね。 これは日本国の国旗が法的に定められていなかったからですよ。まっ、明らかに変な話ですがね。 もっとも、昔の人にしてみればまさか自分の国の国旗を辱めるなんて、とたかをくくっていたのでしょうが。現実は昔の人間の想像力を既に超えています。 そういえば去年だったか、靖国神社の境内で日本国の国旗を燃やした男がいましたが、消防法か何かにひっかかっただけという極めて軽い処分で済んだと言う事がありました。まぁ、普通の主権国家では考えられない事です。 >ただ、国章を損壊・除去・汚損した場合のみ罰するべきであって、国旗・国歌に敬意を表さないからといってペナルティを科すことも法的に規制されるすべきです。 あのぉ・・・。今の刑法92条だって思想までは踏み込んでませんが・・・。 しかしどうも日本人は国旗を破損、汚辱するという行為がいかに大変な事か理解していない気がします。たとえば今回のイラクでの韓国人殺害事件において、死亡が知らされた後イラク国旗を破り捨てる韓国人の映像が流されましたが、あんなものがアルジャジーラで流されば、韓国人はイラクにおける最優先ターゲットになるでしょう。 普段、学校で国旗国歌を軽んじる教育を受けた子供たちの将来を、私は非常に憂えています。自国の国旗、国歌すら大切に出来ない人が他国の国旗国歌を尊重出来る訳も無く・・・。そうなれば剥き出しの国家意識が支配する日本以外の国に行った場合、それが命取りにもなり兼ねません。 やれ国際化だ、やれ小学校から英語だと世間では言われますが、国旗国歌に対するマナーという肝心な点を教えず、何の国際化なのかと思ってしまいます。 国際化というのはどうもあいまいな言葉で、実際はInternationalという字からも分かるように「国家間社会」ですから。そういった現実を無視しての「国際化に対応する教育」とは非常に危ういものです。 まぁ、国旗国歌を軽んじる、もしくは否定する教育を受けた者でも、一生海外に行かず日本で暮らすならまぁ生きてはいけますがね。 |
以前、ワールドカップの会場だったかで、観戦に来ていた日本人のグループが、両チームの国旗掲揚の際に起立しなかったために周囲の顰蹙を買った事がありましたね。 外国では他国の国旗に対して敬意を払うというのは常識です。 しかし、これは普段の教育から教え込んでいないと突然できる事ではありません。 国旗の扱い方、たたみ方一つにも作法がありますからね。 国旗国歌に反対している今の学校ではそれすらも教えていないのでしょうね。 >まぁ、国旗国歌を軽んじる、もしくは否定する教育を受けた者でも、一生海外に行かず日本で暮らすならまぁ生きてはいけますがね。 同感です。 |
>以前、ワールドカップの会場だったかで、観戦に来ていた日本人のグループが、両チームの国旗掲揚の際に起立しなかったために周囲の顰蹙を買った事がありましたね。 サンフレッチェかどこかの試合で、韓国人選手の動きが悪いのに腹を立てて韓国のユニフォームを投げ捨てたばか者が顰蹙を買うなんて事もありました。 結局とっさの時に「地が出る」という事ですか・・・(苦笑 >外国では他国の国旗に対して敬意を払うというのは常識です。 しかし、これは普段の教育から教え込んでいないと突然できる事ではありません。 国旗の扱い方、たたみ方一つにも作法がありますからね。 戦後民主主義の常識は世界の非常識と言う事ですね。 >国旗国歌に反対している今の学校ではそれすらも教えていないのでしょうね。 子どもは教師を選べません。不幸を呪うしかないのかも。 |
もし、日本がまた戦争を起こし「戦争反対」とに言っている反日分子に「日本人のくせに戦争反対なんて、あいつらは日本人じゃない「日本在住反日ホモサピエンス」だ」と言えますか。>>何故日本が戦争を起す(当方が難癖をつけて、先に戦端を開く)のか、その理由というものが、現時点では存在しないと思いますよ。では翻って周辺状況はどうか? 中国共産党の指示により、朝日新聞などのメディアは、彼らにとって不利な真実を意図的に報道していません。それが尖閣諸島近海天然ガス盗掘ですな。それと日本が主権回復前に韓国が勝手に李承晩ラインを敷いて、島根県・竹島を不法占拠している。 これらの事実をどのように考えておいででしょう。 そして彼らは国内の不満を外に向ける為、安易に反日を煽っており、戦いをしかけようと画策しているのは、寧ろ彼らであると認識されたい。領土・領海侵犯を繰り返し、あまつさえ北朝鮮は平時において日本人拉致を行った。 最近の教育荒廃の一因は、反日教師を含めた我々大人の責任でもあります。 例えば服装についてですが、女子ではクウォーターパンツをはいて、スカートを極度に短くしている。男子はズボンをたくしあげて、カッターシャツをはだける。よく「服装・外見で人を判断するな」と言いますが、【その時の心理状態・日ごろの態度】が服装に出るだけです。要するに弛んでおる。言い換えれば、営業マンが商談に赴く時、だらけた格好をして「気にしないで下さい。外見で私を判断してもらっては困ります」と居直るようなもの。 いつも緊張していては疲れますが、学校とは我々の職場に相当します。親にしてもそう。 自由・自由とお題目のように言い、自由という言葉の前には何をしてもよい、即ち際限のない無制限な自由(ルール無用)があたかも自由であるという大いなる履き違えをしている。これでは、映画バトルロワイヤル(私は見ていない)の世界になってしまいます。 これら反日教師は日本が嫌いですから、当然日本に対して誇りを持っていません。全ての現状に対して、いつも不平・不満なんですな。自分の周りが嫌いなものだらけの人間は、他でも不平・不満を必ず漏らします。このような人間は当然他の国も愛せる訳がないんですから、いくら「世界の為に云々・・」と言っても、説得力0なんですな。 子供は想像以上に大人の背中を見ていますんで、このような教師が担任になれば、不幸この上ない。そして「大人はこんなもの」という固定観念を持ってしまえば、彼らの劣化コピーの出来上がりです。 日本の国歌(歌詞)については、少なくともアメリカ・フランス・中国などよりよほどマシです。 |
失礼。 戦争はやりすぎましたね。 私が言いたかった事は、日本が悪い方向へ向かっても反日分子を反日分子として扱うのかという事です。 しかし、国も国歌を押し付けるだけでなく、国歌について十分な教育をして欲しいですね。 |
>>敬うのはいいですが、押し付ける事は常識ではありません。 教師は率先して子供に対し"日の丸・君が代"を尊重する様指導する義務があります。 ※地方公務員法 第31条 職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。 ※同法 第32条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 教師になる為には、同法を尊重し宣誓しなければなりません。"君が代"斉唱の際起立しない教師は、この宣誓に偽りがあった証です。教師以前の人間性の問題です。 押し付けもへったくれもありません。"日の丸・君が代"は主義信条ではなく、法律です。 |
間もなく始まるオリンピック。 必ず朝日をはじめ、日常けたたましく国歌や国旗に不敬な連中は、全く何でもない顔をして、 「感動をありがとう!」なんて白々しいことをほざきながら、国歌も国旗もしつこいくらい放映する。 とても彼らの主張は理解も共感もできないが、芯からそう思うのならば、こう言う時こそ 「わが社は、軍国主義、天皇礼賛に繋がる国歌をオリンピックで放送する事は罷りならんから、 これを全面的に自粛する」 とでも言って実行しなければ、全部嘘っぱちではないか。 何が「頑張れニッポン」「感動をありがとう」だ。 お前らなんかにそうやって、ごく当たり前な「ナショナリズムを煽る」放送や、単なる 金儲けの為だけの日の丸、国歌の垂れ流しは、金輪際やめろと言いたい。 |
▼風鈴カザンさん: >間もなく始まるオリンピック。 >必ず朝日をはじめ、日常けたたましく国歌や国旗に不敬な連中は、全く何でもない顔をして、 >「感動をありがとう!」なんて白々しいことをほざきながら、国歌も国旗もしつこいくらい放映する。 >とても彼らの主張は理解も共感もできないが、芯からそう思うのならば、こう言う時こそ >「わが社は、軍国主義、天皇礼賛に繋がる国歌をオリンピックで放送する事は罷りならんから、 >これを全面的に自粛する」 >とでも言って実行しなければ、全部嘘っぱちではないか。 > >何が「頑張れニッポン」「感動をありがとう」だ。 > >お前らなんかにそうやって、ごく当たり前な「ナショナリズムを煽る」放送や、単なる >金儲けの為だけの日の丸、国歌の垂れ流しは、金輪際やめろと言いたい。 何か「八つ当たり」のようなご意見ですね。 「軍国主義、天皇礼賛に繋がる国歌」とは! それでは「軍国主義、天皇礼賛に繋がる日本語」も止めにしましょうか? いっそ「軍国主義、天皇礼賛に繋がる日本人」は抹殺してしまいましょうか ??? |
なんだか主意を解しているのかどうか、よく分らない反応ですが、 「八つ当たり」というのか、ま、こう言う風潮にウンザリなことは否定しませんね。 |
何か「八つ当たり」のようなご意見ですね。>>いやいや、朝日・毎日などは日頃「日の丸(決して国旗とは表現したくない)・君が代(決して国歌とは表現したくない)がいけないという訳ではない。強制的に押し付けてはいけない」と非常に苦しい言い訳をしています。彼らマスコミの基本姿勢がそれならば、【一貫して筋を通す為】に「我々は日の丸・君が代の強制には反対します」と公言しなくては、単なるご都合主義だと言うんですな。 いつもは本心(新聞社の主張)では国旗・国歌反対を叫んでいながら、オリンピックなど、嫌でも国旗・国歌とは無縁でいられない場合は、自らの論理破綻を隠蔽する為に、平然と自分たちが平素行っている主張を引っ込める。 これはご都合主義と言わずに何といいましょう。 恐らくTBSも放送すると思いますよ。 しかしTBSはNEWS23で 拉致被害者を救う国民集会(昨年)を「ナショナリストの集会だ」として、意図的に無視していましたが、安倍幹事長に番組内で「NEWS23では、意図的にこの事実を放送しませんでしたね。しかし5000人収容の会場は満席になり、会場の外も入りきれない人で、大盛況のうちに終わりましたけど」と突っ込まれてました。 彼ら自身の不勉強か、意図的に日本を貶めるのかは判明しませんが、いつもは「日本嫌い」のスタンスを取りながら、オリンピックという国際舞台での【商業的成功を掴む為】なら、いつもの自らの主張をも平気で翻す。 まるでもみ手をしながら自尊心のカケラすら失った、悪い意味での商人根性にたいで、見ていて非常に見苦しい。 |
▼ワン太郎さん: >何か「八つ当たり」のようなご意見ですね。 > >「軍国主義、天皇礼賛に繋がる国歌」とは! > >それでは「軍国主義、天皇礼賛に繋がる日本語」も止めにしましょうか? > >いっそ「軍国主義、天皇礼賛に繋がる日本人」は抹殺してしまいましょうか ??? 本心では平和主義者も全て抹殺してしまいたいのでしょう、この某氏は。 暴力に訴えてでも全て右の色に染め上げたいのでしょうね、ご自身、戦争の際は最前線へ行くと言う事すら明言できぬ程卑怯極まりない方であるにもかかわらず、他人はこのように卑怯者呼ばわりをします。 過去に散々似非平和主義者などと悪口雑言を並べ立ててきた方ですが、本当にこれ以上の卑劣漢は過去に見た事がありません。 卑劣漢が日本を救うなどと主張するのは非常に滑稽と言うものです、卑劣な人物が他人を救う為に体を張る訳はありません、同国人ですら考え方が合わなければ追放しようとする姿勢には、「我こそ真の日本人なり」と誇っている様で、滑稽を通り越して哀れみすら感じてしまいます。 |
上記の発言は、ワン太郎様に絡んでらっしゃる方の私の個人的感想です。 |
>これ以上はあなたに反論はしません。(無駄だと思いますし) つい四日前に、貴殿、こうおっしゃいましたね? 私が卑劣漢?左様でございますか。結構結構。 ただですね、どうでもよろしいですが、もうちょっと「自分の言葉で」話す努力をなさるべきですよ。 私にからまれる時は、語彙や言い回しまで自然、私と似てきて、真似しんぼう万歳の体裁です。 大半が、的外れでございますが。 チンピラよろしく、からまないと誓われましたね?はっきりと。 私は堅気なんですから、ヤクザみたくネチネチネチネチ纏わりつくのは、 後生ですからやめて頂けませんこと? 実際被害に遭われる方も、あまりのネチネチさ加減に根負けしてやらずとも良い 対価を無理に捻出して、無残な状況に陥るそうですが。 貴殿さえ、放っておかれれば、私は貴殿に何一つ言う気はございません。 いつまでも女の腐ったように、陰で私の名前を持ち出してはネチネチネチネチ。 今の季節に、ぴったりなご性格でいらっしゃいますね。 「これ以上はあなたに反論はしません」 宣誓されたからには、守るのが男気というものと存じますが。 一句、詠みました。 梅雨空に 更に不快な 君の影 我ながら、短い中にも今の状況、私の心情をそれなりに表現できた気もいたしますが、 よろしければ、暑中見舞いにご進呈申し上げます。 |
あらら、ご自分で「俺の書き込みには反論するな」と逃げに徹した発言をなさっておきながら、私がそれを守っていたら、これ幸いと超右翼的粗野で愚劣な書き込みをなさっていらした風鈴カザン氏ではありませんか。 この文章に反応されたと言う事は、もう私とは関わりたくないとおっしゃっていながらも私の書き込みが気になって気になって仕方が無く、こっそりチェックしてらしたと言う事ですね。 ご自身で構うなとおっしゃりながらもご自分でそれを破りましたね、わたしはどこぞの愚劣な方としか書いてませんでしたが・・・別にあなたとは一切公言してませんでしたし、あなたご自身、珠様との書き込みの中での「(私からの)横槍発言」をなさってらっしゃいましたね? 実質は私の事を指していたが、名前を出さなかったので反論ではないと思ってらしたから平気であのように書かれたのではないですか? あなたの基準だと、こちらの質問には一切答えない愚劣なあなたの態度は男気で、私の書き込みは違うようです。 男気の有る人間であればこちらの質問に真っ向から答えて下さるはずですが、逃げに徹する議論上の敵前逃亡者を、男気があると表現する事は出来ないと思うのですけどねぇ、不快と言えば是ほど不快な人間はおりませんですな。 考えてみれば議論上で敵前逃亡をされるのですから、「実際の戦争の際には最前線へ行く」と明言しない訳です、死にたくないですものね、誰も。 でもあなたご自身の場合は、死ななくても良いのは貴方お一人で、他の方々は幾ら戦争で死のうが傷つこうが関係が無いと言う訳ですね、ですからしきりに北朝鮮の危機を叫んで、先制攻撃で潰そう、軍事力を復活させよう、中国は憎いから力でねじ伏せようとおっしゃる訳ですね、だから今の子供達は軍隊に放りこんでやれば少しは良くなると力中心の考え方をされるのですな。 「国を思う」、「国旗国家を大事にしない奴は・・・」、「愛国心の無い奴は・・・」等と格好の良い事ばかりおっしゃっていないで、少しは腹のうちを北朝鮮なり何処へなり行って相手国の国民にぶつけてこられては如何でしょうか? いずれにせよ過去に散々似非平和主義者、卑怯者扱いして下さったあなたなのですから、ご自身が愚劣漢と呼ばれたくらいで頭に血を昇らせなくてもよろしいでしょうに、あなたの大好きな表現ではないですか?、これって。 まぁご自身「構うな」とおっしゃっておきながら、当のご本人が反論して来る事によってその趣旨を撤回されたのですからこれであいこですね、叉右翼的卑劣な発言をされればバシバシ反論しますのでよろしくお願い致します。 |
▼kogaさん: >小中学校の卒業式で、一部の教員の反対にて、子供達を国旗に起立させない、国歌を歌わせない、等、私は理解できない。日本国民の教員が何故だ、、。気持ちが解らない、、。 学校での国旗・国歌の取り扱いについて、私の認識を申し上げたいと思います。 そもそも、君が代の「君」とは、敬愛する人ないし人々を指すのか、それとも「天皇」を指すのかについて、「古今和歌集」から鎌倉時代までのの文学作品などによって、「敬愛する人」や、場合によっては「天皇」も指すと言うことが説明できると思います。 しかし、明治以降「君が代」が主に軍隊や学校行事のときに国歌のように用いられるようになってからは、「万世一系の天皇これを統治す」という大日本帝国憲法の下で、「君」は天皇その人を指すことに変わっていったと考えられます。そして一時の時代にせよ「天皇の統治」のための支えとして国民に歌わせ、国家への忠誠心をうえつけるための役割をはたしたと考えられます。 現在の政府解釈では「君」は「日本国および国民統合の象徴である天皇」だと言います。さらに「代」は、本来時間軸としての意味と考えられますが、これを変容させ「国を意味する」のだと言います。 このような発想は、国民主権の下にもかかわらず、そして、象徴としての天皇であるにもかかわらず(憲法では天皇の価値や重みについては規定されていない)、「天皇の代(世)であることを国歌をもって歌い上げる」という価値観の強制を行っていると思われます。国旗についても、これを「儀式の際に必ず尊重するように」というような指導方法は、国民主権の原理に反すると思われます。これらについて、多数の人前で歌ったり敬礼したりするかどうかを試すような行為も、いわゆる「踏み絵」としての機能を有すると考えられますから、少なくとも「良心の自由」には反すると思われます。 |
元ウルトラ警備隊さん ご意見有難う。貴方の説明は理解できる。ただ、私に政治的な関係はないが、国会で承認された国旗、国歌に、一部の教員の方々が、何故反抗するのか不思議だった。日本国民として、単純に、日本国が決定した国旗、国歌に敬意を表すのは当然と思っているが、、。 |
ホントに子供は困るだろう。 日本の学校に通うのは、日本国籍を持つ子供だけではない。 うちの隣はドイツと日本国籍を持つ子供が住んでいる。 その他にもパキスタン、アメリカ、バングラディッシュ、スウェーデン フィンランド、イギリス、韓国、中国、スペイン、フィリピン、インド・・・ 日本国から呼ばれて仕事に来ている人たちが、私の周りに住んでいる。 親の方針で、インターナショナルスクールに行く子もいるし、頑張って 日本の公立学校に通う子もいる。親のどちらかが日本人の子もいれば そうでない子もいる。 この子達はどうなるのだろう。日本の国旗に起立をして、君が代を歌うのか・・・おかしいと思わない? 私は、学校は「子供の成長に合わせた文化を授ける場所」だと思っている。 そういうところであるべきだと思っている。それなのに、やっぱりなんだか だんだん変になっている。 こういう子供たちは、嫌なら他の学校へ行けばいいというのだろうか。 「観光で外国人を呼び込んだり、海外からの人材を輸入するのは 大いに結構だがむ日本では日本国籍だけを持つものしか歓迎されない」 って言うことなんだろうか。 |
▼桃李さん: >「観光で外国人を呼び込んだり、海外からの人材を輸入するのは >大いに結構だがむ日本では日本国籍だけを持つものしか歓迎されない」 >って言うことなんだろうか。 「日本の教育現場では、日本国籍だけを持つものしか歓迎しない」という 姿勢になってきているってことなんだろうか。 に訂正します。 |
▼桃李さん: > >こういう子供たちは、嫌なら他の学校へ行けばいいというのだろうか。 >「観光で外国人を呼び込んだり、海外からの人材を輸入するのは >大いに結構だがむ日本では日本国籍だけを持つものしか歓迎されない」 >って言うことなんだろうか。 桃李さん, お久し振りです。貴方の投稿には沈黙は守れない、愚見を述べます。 日本では、極一部の人、地域以外はまだインターナショナルではありません、またコスモポリタンも理解されません、そこのところを認識しておかなければ、日本は棲みにくいところとなります。 私は誤解を覚悟で、国旗掲揚、国家斉唱はあってもいいと思っています、ここは日本ですから、でも子供の頃から国とか民族に特別の教育または思想を与えられている子供は別です、これは大人でも同じだと思います。 このスレッドでは外国籍を持ち出せば、郷土愛が本来の地域愛着と違った意味で情緒的に取り上げられているのを見るに付け、議論があらぬところに行くと危惧します。 時代は、ボーダレスの時代、EU連合の拡大、ASEAN+3 等とグロバル化の時代にはなっていますが、この「老人党」でさえもが矮小的な議論になっている状態では悲しいかな、貴方のような国際的な者の見方は理解されがたい。 いずれ、「国籍とは」(私の意見が中途半端になっていますが)と「国家と民族とは」でスレッドを立てるか、何方かが参院選の後にこれらを言及された折に議論、意見の交換をされるのが賢明かと思います。 |
▼石頭の息子さん: >桃李さん, > >お久し振りです。貴方の投稿には沈黙は守れない、愚見を述べます。 石頭の息子さま、いつも投稿を拝読しています。こちらこそお久しぶりです。 また、ご心配おかけしてしまったようで、いつもながらの優しいお気遣い、 ありがとうございます。 > >日本では、極一部の人、地域以外はまだインターナショナルではありません、またコスモポリタンも理解されません、そこのところを認識しておかなければ、日本は棲みにくいところとなります。 そうですね、私もそれは感じています。このことは、いずれ石頭の息子さまがおっしゃるように別のスレッドで話したほうが、話しやすい問題かもしれません。良く考えてみます。 が、現実に学校にいる子供は日本人だけではないので、教育の現場で日本の国歌斉唱、国旗掲揚を義務付ける教育が、子供の資質にどんな影響を与えるのか、心配です。教育は子供を扱う神聖な仕事です。そして、結果が出るのに時間の掛かる仕事です。子供たちの将来の幸せの礎になるものです。 私は、子供を主役にした、丁寧な教育をして欲しいと思います。 今子供に必要なのは国歌斉唱でも国旗掲揚でもなく、不敬教師の処分でもなく 「子供たちの話を良く聞きながら、子供たちを観察して、成長に合わせた手助けをすること」です。そういう教育をするための議論はとてもよいと思います。 今これを書きながら、先週新聞に写真が載っていたタイの女の子のことが 頭に浮かびました。 両親が亡くなったので祖母を頼って日本へ来たあの13才の女の子のことです. 入管からビザの延長を断られ、訴訟に踏み切った彼女は日本の学校の制服を着ていました。 >私は誤解を覚悟で、国旗掲揚、国家斉唱はあってもいいと思っています、ここは日本ですから、でも子供の頃から国とか民族に特別の教育または思想を与えられている子供は別です、これは大人でも同じだと思います。 私も君が代は、学校で歌ってきました。子供の頃は、良く意味が分からなかった。 「君が代」には、西洋の音階に当てはまらない、本来ならば五線譜に載せることのできない日本独自の音調があり、とてもきれいな調べだと思っています。 しかし、それは自分の心の中で愛する故郷の歌であって、拒否する人に強制するのは、その人の人格を抑圧する、乱暴なやり方です。そこまでする目的は何でしょう?? >このスレッドでは外国籍を持ち出せば、郷土愛が本来の地域愛着と違った意味で情緒的に取り上げられているのを見るに付け、議論があらぬところに行くと危惧します。 あい分かりました(^-^) >時代は、ボーダレスの時代、EU連合の拡大、ASEAN+3 等とグロバル化の時代にはなっていますが、この「老人党」でさえもが矮小的な議論になっている状態では悲しいかな、貴方のような国際的な者の見方は理解されがたい。 私は、自分では国際的だとは思っていませんが、他の方から見るとそういう位置づけになってしまうのですね。 >いずれ、「国籍とは」(私の意見が中途半端になっていますが)と「国家と民族とは」でスレッドを立てるか、何方かが参院選の後にこれらを言及された折に議論、意見の交換をされるのが賢明かと思います。 残念ですが、そういたします。ここは石頭の息子さまのお話を聞くことにいたします。ご心配してくださり、ありがとうございます。(ペコ・お辞儀) |
私からも意見を言わせてください。 >国歌・国旗 そもそも今の国歌と国旗は、選挙の際、 「私が当選したら、日本の国旗・国歌は○○とします」 とかと誰も公約しなかった、少なくとも党を挙げて言わなかった今の議員の人達で定められた法律によるものです。 私自身は「日の丸・君が代」に対して特に反発心はありませんが、勝手に法律になったことには不満があります。 国旗・国歌とは、『一部の議員』の国のシンボルではなく、『私たち』の国のシンボルなのですから。 お上が勝手に決めるべき事柄ではないはず・・・? >反日分子 「自分と違う意見を持つ人をも尊重しよう。話し合おう。」 それが、民主主義だと思います。 「反日的だから」 と言って、ルール内で発言している人までをも排除するのは間違ってはいませんか? ところで、 「『戦後民主主義教育』が日本を駄目にした」 との意見を新聞のコラム等にてよく読みます。 確かに今までの教育には不備があったかもしれません。 しかし、あれは、 「『戦後不完全民主主義教育』が日本を駄目にした」 と表現するのが正しいのかと思いますが、どうでしょうか? |
「『戦後不完全民主主義教育』が日本を駄目にした」 と表現するのが正しいのかと思いますが、どうでしょうか?>>全ては、アメリカの原爆投下を正当化する為にでっち上げられた、南京大虐殺を含む東京裁判史観をサヨクが受け入れて、外圧(中・韓による内政干渉)による日本革命を画策したのが間違いでした。 「自分と違う意見を持つ人をも尊重しよう。話し合おう。」 それが、民主主義だと思います。>>最もなご意見です。日本全体にとっての最大公約数的な幸福追求が筋です。 自分たちの力・知恵・理論によって討論すればいいんですが、 本日の報道2001などを見ても、野党は全くマクロ的な視野がない。「憲法違反だから、自衛隊をイラクから撤退させよ」などと、国際情勢・世界のパワーバランスなどを全く考慮出来ないんですな。マスコミは伝えませんが、ネットでは「自衛隊員は現地のイラク人と一緒になって復興作業に励んでおり、雇用ももたらしている。しかも規律に厳しく、他の国の軍隊とは明らかに一線を画している」というのは報道管制が敷かれているのか、表面に出ない。そして国策を誤らせる。 私個人としては、テレビ・新聞の報道はネタ程度としか見ていません。 |
国旗、国歌について小生の持論を述べさせていただきたい。率直に言って国歌は今の時代にそぐわないと断言します。考えても見てください。君が代とは天皇が絶対であると決め付けたときに作られたものであります。勿論天皇自身がそれを望まれたのか否かはこの際問題ではありません。歌ってみてください国家はすべからく公平であり、国民が主役であると感じますか?。第一文言が古すぎて今の子供に、千代に八千代にの意味を説明できますか?。さざれいしとは何なのでしょう。それが岩になるなどとどう説明すれば理解して貰えるのでしょうか。敦煌さん、ご自分の子供に理解させたそうですがどんな説明で貴方のお子さんが理解したのか小生には分りません。改めて言います。国歌は変えるべきです。戦後生まれの戦争を知らない人たちでも抵抗無く歌える内容にすべきです!!。但し国旗は日の丸で賛成です。戦後、孤立した日本が国際社会に復帰するときいろんなジャンルで日の丸が心の支えになった事は事実です。日本人が日本を愛し、日の丸に誇りを持てないのでは余りにも悲しすぎます。案外子弟教育の間違いがあるとすれば自分の生まれた国を愛せない、誇りを持って生きていく事を怠った教育に問題があったのかも知れません。いささか長文すぎましたが昭和一桁生まれの老人の偽らざる心境の一端を述べさせていただきました。 |
率直に言って国歌は今の時代にそぐわないと断言します。>>万葉集の読み人知らずでもいいと思いますよ。曲にしてもフランス・ブラジルのような落ち着かない曲がいいんですかねぇ? 因みにドイツは賛美歌であり、これは日本と共通しているスローな曲の為、好きなんですが。何でも新らしければ良いというものではありません。 さざれ石とは「細石」のことです。 <「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠まれた岐阜県春日村産の「さざれ石」は岐 阜県の天然記念物に指定されている。「さざれ石」の名称は、平安朝の姫君の名前で「さ ざれのきみ」というお伽草子の中のお話がもとになっているという説がある。しかし、「 さざれ石」というのは元来「細石」と書き、小さな石のことであり、石質は各地様々>> http://www.biwa.ne.jp/~m-nakura/sazareisikaisetu.htm |
▼頑固生きがいさん: 敦煌さん、ご自分の子供に理解させたそうですがどんな説明で貴方のお子さんが理解したのか小生には分りません。改めて言います。国歌は変えるべきです。戦後生まれの戦争を知らない人たちでも抵抗無く歌える内容にすべきです!!。 小さな石が、子供や動物。草木が大きくなるように、大きな岩となって 苔(これは難しかったですが、実際に苔の生えた岩を見せました) 千代に八千代に・・・はお父さんのお父さんは、お爺ちゃん。おじいちゃんのお父さんは、曾お爺ちゃん。そうやってずーっと続いていく。お前がお父さんになって、子供がお父さんになって・・・。 そんな長い間。日本がちゃんとあるように・・・。と教えました。 担任に話したらしく。連絡帳に担任の感想が書いてありましたが・・・ 御伽噺でもいいじゃありませんか?頑固生きがいさんは、子供の頃 御伽噺を聞きませんでしたか?それに夢を持ったりしたでしょうに・・・。 |
教えてやる、と言う教育から、教えて欲しいと学生が思う学問に教育を切り替えなければならないでしょうね。 国旗・国家などは学校で教える必要は全く無いと思います、この国がその学生にとって素晴らしい国であれば、そんな事を強制しなくても自然と愛国心を持つようになるでしょう。 強制的に叩きこむと言う考え方は、常軌を逸していると思えます、そのような問題に血道を上げるよりは、如何に学生に学問に興味を持ってもらうかと言う事の方が先決だと思います。 |
▼ニックさん: >教えてやる、と言う教育から、教えて欲しいと学生が思う学問に教育を切り替えなければならないでしょうね。 皆が中流などという幻想を持ったこの国の、何処にそんな気骨のある青少年が居よう? >国旗・国家などは学校で教える必要は全く無いと思います、この国がその学生にとって素晴らしい国であれば、そんな事を強制しなくても自然と愛国心を持つようになるでしょう。 そんなことを仰っているから、何時まで経っても、教育の場から馬鹿なサヨクが 居なくならないんです。いいかげん、教育の場から反日イデオロギーは排除しないとこの国は滅ぶ。 > >強制的に叩きこむと言う考え方は、常軌を逸していると思えます、そのような問題に血道を上げるよりは、如何に学生に学問に興味を持ってもらうかと言う事の方が先決だと思います。 叩き込む!? しかるべきカリキュラムに加えて(もう指導要領に入ってますが・・・)きちんと指導する。しない教員には罰則を強化してお辞めいただく。 |
(苦笑)、しばらく敦煌様の動向を見せて頂いてたのですが、見事に私の書き込みの殆どに噛みついてらっしゃいますね、ミイラ取りがミイラになったではありませんが・・・・ でもここで議論していて一番良い事は、似非右翼の方は直ぐ私の書き込みに噛みついてこられると言う事です、これでその方が右翼であるかどうかが容易に分かります、これぞ論戦の効果でしょう。 これを選挙の時にでもやれば、本心を隠して、選挙の時だけしきりに上手(美味)い事ばかり述べる、一部議員連の本音を引き出せるのですがねぇ。 そうすればもっと国民も候補を選び易くなるでしょうに。 |
▼敦煌さん:こんばんわ(と言うよりおはようございます)。土日が仕事のためこんな時刻になりましたので、おそらく議論されている方は、もうおやすみのことと思いますので、議論に私がこれから加わることは難しいかもしれません(他の話題も多く、表示のページがすぐに「前ページ」になってしまいますので)。 >>強制的に叩きこむと言う考え方は、常軌を逸していると思えます、そのような問題に血道を上げるよりは、如何に学生に学問に興味を持ってもらうかと言う事の方が先決だと思います。 > >叩き込む!? しかるべきカリキュラムに加えて(もう指導要領に入ってますが・・・)きちんと指導する。しない教員には罰則を強化してお辞めいただく。 失礼ながら、敦煌さんは「学習指導要領」の拘束力(ないし拘束性)について、やや偏ったお考えであると思います。学習指導要領は、指導する教科を大綱的に定めたもので、指導内容については例示的に示されている性格のものと思われます(例えば「旭川学テ事件/最高裁大法廷判決」、伝習館事件/最高裁小法廷判決・・なおこの小法廷判決には論理構成にやや無理があります)。したがって、そこには一定程度の現場の裁量というものが存在し、現実の学校における運用も弾力的になされております。 これは、憲法の規定する「学問の自由」から当然導かれるでしょう。その中では「教師の教授の自由」や「親の教育権」も含まれると思われます。学校は公の性質があるのですから、当然このような制度に則らなければならないでしょうし、文科省といえども指導内容や指導方法までも規定することは許されないと解すべきでしょう。ただ、現実問題としては「教師の教授の自由」と「親の教育権」が衝突することはあるのですから、意見が違った場合に、これを学校や教師(国民に対して教育に直接責任を持つ)に意見を述べることは大切であると考えます。 |
今一人の赤ちゃんが誕生しました。勿論本人は何もわかりません。然しやがてうっすらと目が目が見え始め、自分を庇護してくれるものとそうでないものとを区別するようになります。日がたち這うことを覚え、立って歩くことの便利さを知るようになります。 親の手助けは当然あるでしょうが本人の自覚心がなければ不可能でしょう。学ぶというのは人間に限らず動物が本能として持っていなければ生きていけない絶対的なものなのではないのでしょうか?。野生の動物は親が手助けをするまでもなく直ぐに立ち上がろうとします。それは自分が生きて行くために必要だからです。つまり学ぶとはこのような厳しい現実があることを知らないのは人間だけではないのでしょうか?。学ぶことは勿論楽しいことです。反面厳しい現実も当然知らなければなりません。興味を持たせなければ学べないような子供が成長した時、そしてそのような人間が日本に溢れた時はたして健全な社会が存在するのでしょうか?。小生も強制は嫌いです、というより嫌悪感を持っています。然し教育だけが全てではありません。健全な青少年を育てていくためには何が必要であり、どんな生き方が大切なのか教育者だけではなく社会全体で考えていくべきではないでしょうか?。 |
飛竜さんへ、さざれいしが小さな石を表記していることぐらいは先刻承知しています。 そんな石が何故大きくなるのか今の子供に納得させる自信がありますか?。小生はその事を言っているのです。真意が読めないとは悲しいですね。 |
そんな石が何故大きくなるのか今の子供に納得させる自信がありますか?。>>それが自信があるんですよ。私も中・小学生の子供がいましてな。君が代=統一国家たる日本の象徴、即ち日本国は 千代に八千代に=何千代にも渡って、即ち未来永劫に近い 細石の= 国民一人一人 いわお=大きな石、即ち国民一人一人が団結する となりて 苔のむすまで これも前出同様に永い年月 要約すれば、日本の国民が団結して未来永劫に栄えるのを願うという意味ですな。 幸いなことに我が家の学区では小中学校では、式典で必ず国旗掲揚・国歌斉唱を当然実施しておりまして、訳のわからん洗脳はされていません。小6の子供に「国旗・国歌が嫌いな日本人がいるが、どう思う?」と聞いたところ、「それはおかしい。どうして?」と質問されました。「世の中には自由と言えばなんでも許されるものと勘違いしている低能が存在しているんだよ」と答えておきました。 |
そんな石が何故大きくなるのか今の子供に納得させる自信がありますか?。>>もうひとつ追加すれば、自分で子供に理解させようとすれば、整合性の取れた意味合いを調査して教えるのが大人・親としての勤めですな。それすら「わしゃぁ、知らん」と切り捨ててしまうのは怠慢以外の何物でもないでしょう。大学レベルの化学・物理・数学じゃあるまいしねぇ。四半世紀も前の学習を再度思い出せというものでもないし・・。 |
飛竜さんへ、大変教育熱心なお父さんでさぞ立派なお子さんが育つでしょう。千代に八千代にを理解するとは驚きです。いい年した大人さへ中々理解出来ないのに小・中のお子さんが理解するとは・・・苔がもむすなぞは大変難解だと思いましたが何となく薄気味悪さを感じます。はっきり言って理屈をこねくり回す子供は嫌いです。世の中の裏表も分らず、観念思想の切れ端だけで善悪を論じる人間は屑です。どうかそんな大人になないよう大切に御育て下さい。 |
いやいや、お褒めにあずかり光栄でございます(笑 幸いにも昔ながらの純粋な子供らしい子供に育っておりまして、現在野球をしており、甲子園球児を目指しておりますです。他人さんにとやかく言われる筋合いはございませんよ。少なくとも日本に誇りを持つ人物に育て上げるつもりです。低能団塊の劣化コピーになってしまったんじゃ、ご先祖様に申し訳ない。 しかし思考形態を観察すれば、貴殿は昭和1桁とは思えないですよ。何故にそこまで国旗・国歌に拒絶反応を示すのか理解できません。私の叔父も昭和1桁ですが、そんなこと言いません。もしかして「中帰連」ですか(笑 『七つボタンが格好良くてなぁ、わしゃ予科練に憧れた』という話を聞きましたし、祖父に至っては、『ロスケが攻めてきたらどうする?』と小学校の折りに聞かれて『逃げる』 と答えたら『馬鹿もん!お前はそれでも日本人か!』と烈火のごとく叱られました。 そこまで私のような若輩者に(昭和1桁が本当なら)ムキになるとすれば、、まさに年寄りの冷や水・大人気ないですな。小学校の時は年配の教師に、未だ元陸軍さんとか昭和1桁がいましたが、国旗・国歌についてそこまで嫌う【変態教師】は存在しませんでしたよ。 もし本当に昭和1桁であるなら、さそかし立派で自由を履き違えた(際限のない自由=野放し状態)人をご存知なんでしょうなぁ(爆 |
飛竜さん貴方は何か勘違いなさっていますね。昭和一桁であれば皆軍国主義に鍛えられ 国粋主義が当然のように発言されていますが、余りにも狭小な精神構造だと言えます。 当然小生もいずれ特攻隊になり、敵艦目指して命を捨てる教育を受けその覚悟でいました。幸か不幸かその前に戦争が終わり、生き長らえて今日にいたっている訳です。天皇の玉音放送を子供心に理解したときから生きる事の厳しさを嫌という程味わいました。 価値観も変わりました。ほんの数日前まで威張り散らしていた町内会長が手のひらを返すように愛想よくなり、体罰主義であった教師が仕返しを恐れて逃げ回る、そんな現実を目の当たりにして育ったのです。貴方には理解出来ない地獄の毎日を体験した小生に貴方の非難は的外れです。のん気な世代の連中にはこれ以上の心情を述べても無駄だと想いますので打ち切りにします。ごきげんよう。 |
もう出てこなくてもいいですよ(笑 この話題に直接関係ない私の子供のことまで、皮肉交じりに投稿したんですから、貴殿の思考形態なんぞたかが知れてますわな。 |
飛竜さんへ、大変教育熱心なお父さんでさぞ立派なお子さんが育つでしょう。>> どうかそんな大人になないよう大切に御育て下さい。>>まぁ私も分別を持ってますんで あまり過剰反応はしませんが、もし貴殿が本当に昭和1桁であるなら、ご自分の子供・孫を見ず知らずの他人さんに、皮肉まじりで引き合いに出されるとどう思いますかな? もし常識・人間としての良識があるなら、そんなこと(やってはいけない事)は出来ない 筈ですが。兄弟の子供でもいよいよの悪事とか、目に余る行為でない限り、そのようなことはしませんよ。それをすれば、いくら血を分けた兄弟でも終わってしまいますからね。 |
いえ、私はそうは思いません、江戸時代を思い出して下さい、幕末でも結構です。 志有るものはこぞって自分からすすんで学び、問う為に学問の扉を叩きました。 興味のある事には人間進んでするものです、今の時代は幸か不幸か、あまりにも社会が成熟し過ぎてしまいました、逆に過去の日本人のように目指すべきべきものが無い(見つけ難い)為、若者は途方に暮れています、それとあまりにも細分化されすぎた業種と学問体系。 逆に言えばそれだけ選択肢があると言う事ですが、裏を返せば何処から手をつけて良いやら分からない、その学問がどんなものかが分からないと言う事でしょう。 この学問はこう言うものだ、これは社会にこう役立っているのだと紹介することが、つまりは興味を持たせる事であり、自ら進んで学び問わせる事だと私は考えています。 過去にはあって今はないもの、それは何も無い所から物を作り始める苦労と楽しみであり、今あって過去には無かったものは、無数の学問分野とこれ以上は無い位出来あがってしまった社会でしょう。 その差を考えなければ、子供達の根性が足りないのが問題だと片付けるだけでは解決しない現状がそこにあるのではないでしょうか? |
国と国民が一生懸命になり、子供たちを教育しようとする、 「富国強兵」の思想がここにあらわれている様に思えてなりません。 子供たちは、「与えられる教育」にうんざりしてきているのじゃないでしょうか? ニックさんがおっしゃるように【12768】 > 江戸時代を思い出して下さい、幕末でも結構です。 > 志有るものはこぞって自分からすすんで学び、問う為に学問の扉を叩きました。 > 興味のある事には人間進んでするものです もうそろそろ「与える教育」から「求めに応じる教育」に転換する時期ではありませんか? 「与える教育」に血道を上げるのは発展途上の若き国でしょう。 現在の教育制度は「後進国」であった時代の名残りに感じます。 学ぶ費用は総て「無料」にしましょう。 それぞれの教育機関(学校)のレベルに達しない人はどんどん「落とし」ましょう。 これだけで ほとんどの事は解決するのじゃないかと 思っているのですが。 |
道徳問題は重要だと思います、特に公共マナーや命の大切さを学ぶ事は重要かと・・・ 自分の為に他人を犠牲にする事を強要したり、自分で言い出しておきながらついに自分自身は責任を取らない、この様な人間が増えたのも道徳教育の欠如からでしょうが、本来道徳教育は各家庭においてするものだと思っています。 それにしても愛国心を強制したり、国旗・国家に誇りを持て(国旗国家法)という強制は、「己の欲せざる所・・・」を全く無視した発言であり、正直呆れてしまいます。 既に日本の若者が政界の若者の中で一番親切さが無いと言う結果が出ていますし、これからの日本の将来を考え、自分勝手な考え方を世の中から無くす為にも、道徳教育は非常に重要な事だと思います。 |
>それにしても愛国心を強制したり、国旗・国家に誇りを持て(国旗国家法)という強制は、「己の欲せざる所・・・」を全く無視した発言であり、正直呆れてしまいます。 何故国旗国歌法が出来たかもうお忘れ?広島の教育界の惨状(教職員が校長に念書を書かせ権限を奪い、吊るし上げ、自殺に追い込んだ)があったからこそ。自国を呪う心「呪国心」を何も知らない子供に刷り込む「己の欲せざる所・・・」を全く無視した特定の教師が自ら招いた結果と言える。 ニック氏は政府をあくと決め付けるあまり、もう一つの強制が見えなくなってしまってる。 |
▼小鉄さん: > 何故国旗国歌法が出来たかもうお忘れ?広島の教育界の惨状(教職員が校長に念書を書かせ権限を奪い、吊るし上げ、自殺に追い込んだ)があったからこそ。自国を呪う心「呪国心」を何も知らない子供に刷り込む「己の欲せざる所・・・」を全く無視した特定の教師が自ら招いた結果と言える。 少なくとも、「国旗・国歌法」を根拠に、子供に国旗・国歌を強制するのは誤りであると考えます。 私は少なくとも国旗・国歌が好きな人がそれを使用することに反対はしませんが、これを学校で強制的に指導するのには反対です。好きな人は国旗に包まってでも寝れば良いですし、カラオケでうたうのもよろしいでしょう。 国旗・国歌の強制は誤りであり、これには反対します。 |
>少なくとも、「国旗・国歌法」を根拠に、子供に国旗・国歌を強制するのは誤りであると考えます。 私は少なくとも国旗・国歌が好きな人がそれを使用することに反対はしませんが、これを学校で強制的に指導するのには反対です。好きな人は国旗に包まってでも寝れば良いですし、カラオケでうたうのもよろしいでしょう。 国旗・国歌の強制は誤りであり、これには反対します。 「反対の強制」も又誤りであるとは感じませんか?私は特定の教師による国旗国歌に対する歪んだ認識の押し付けは教育を受ける権利の侵害にすらあたると考えます。子供は教師を選べないのですから。「平和教育」を根拠に国旗国歌を否定する教育と言うのも又誤りですよね。 こうした事についても非難しなければ文字通りの「片手落ち」と言えるでしょう。 |
▼小鉄さん: レスありがとうございます。 > 「反対の強制」も又誤りであるとは感じませんか?私は特定の教師による国旗国歌に対する歪んだ認識の押し付けは教育を受ける権利の侵害にすらあたると考えます。子供は教師を選べないのですから。「平和教育」を根拠に国旗国歌を否定する教育と言うのも又誤りですよね。 > こうした事についても非難しなければ文字通りの「片手落ち」と言えるでしょう。 おっしゃる通りだと思います。国旗・国歌に反対することを強制するのも誤りでしょう。例えば、一定の価値観(教師の価値観)について「教化」したり、嫌いかどうかを「踏み絵」によって、告白させることも「思想・良心の自由」のうち少なくとも「良心の自由」に反する行為と思われます。 教師が国旗・国歌を指導する際には、これらについての多様な意見を指導すべきと思います。なぜなら、1999年同法の制定当時、時の総理大臣(故小渕氏)は「国民に強制はしない」と政府を代表して答弁しているからで、これにより、立法の意思・目的に当然強制は含まれないと解されるからです。 本法は、その意味において、国民に対しての権利義務には「効力を持たない法規」であって、将来においても「強制を目指さない法規」であると考えられます。 よって、「国旗・国歌法」は強制力を持たない「観念を明文化したもの」と考えられるのです。 |
●特に「儀式的行事」と呼ばれるものは、文化・歴史的には「心をかたちにあらわす行為」すなわち「自分たちの思いを分かち伝えする行為(表現行為)」と言えるのではないでしょうか。このような「表現行為」は、喜びや哀しみを分かち伝え、別れ・出会い(「門出」)を「祝いの言葉」や「音楽」その他の「身体表現等」に託し、それを相手やたの出席者が「共感しこたえる」と言えます。そして、これらは「前国家的な自然権」であり、その表現のかたちは、分かち伝える側の創意により、また、それを受ける側は自由な創造的な連想と認知により「共感」するものと考えられます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「前国家的な自然権」という理念には賛成ですし、私自身は多くの行事をそのような発想で行ってきました。 ただ、現実の学校では、儀式は【前国家的な自然権】ではないのです。 卒業式が典型的な儀式なので、そのことで話しますと、開会宣言ではじまり、卒業生一人一人の名前の読み上げ(卒業証書授与)があり、校長訓示・教育委員会の祝辞・来賓祝辞(地元選出の政治家・有力者)などがあり、送辞・答辞があり、式歌(仰げば尊し)斉唱があり、国歌斉唱を行い、最後に保護者代表お礼の言葉の言葉と流れます。 この卒業式(正式には卒業証書授与式)のどこが【前国家的な自然権】とよべるのか、ということです。 卒業式の持ち方については、様々な議論を行ってきました。卒業証書授与を総代で行うか、一人一人に手渡すほうが良いかとか、来賓の呼び方をどうするかとか、送辞・答辞の内容を教師が点検する方が良いか、悪いか、式歌(蛍の光・仰げば尊し)を変えるのがいいのか悪いのか、君が代斉唱をどうするのか、など無数の論点がありました。 ところが、この卒業式の持ち方については、PTAの意向は、上記の伝統的卒業式を踏襲してほしい、というのが、大勢でした。私自身もPと何度も議論しましたが、この感情を変えることは難しかったのです。PTAの役員だけでなく、多くの保護者も同意見でした。上記のような卒業式でなかったら、卒業式という感じがしない、というのが、多数なのです。 だから、わたしは、卒業式の変革それ自体にエネルギーを費やすのは無駄だと思ったのです。そのかわり、学年独自の行事に多くの保護者を出席させ、子供たち自身の手で、企画・運営・実践させました。例えば、合唱大会・弁論大会・遠足成果の発表会(自分たちで調査し、それを冊子にまとめる)などなど。 これは、大変好評でした。「先生、子供だけでも凄いことができるんですね」というのが、大方の感想でした。 この延長線上で考えれば、卒業式の自主運営も可能でしたが、ここでは【学校行事】という法的な位置づけがネックになり、そこまでは至りませんでした。 わたしの県みたいに保守的な県では、このように【卒業式】という象徴的行事を直線的に変えるというのは、簡単にはいかないのです。 わたしの書いた事例のような具体的実践を積み重ね、保護者の信頼を勝ち取り、その後【前国家的自然権】という発想を具現化するという発想をとらないと、直線的な発想では難しいのです。 だから、わたしは日常の実践という発想に力点を置いているのです。同時に、上記のよう卒業式のありかたには、あまり意義を認めないほうが良いと考えています。 学校は、周囲の事情からそうやらざるを得ないのです。(特に校長は) それを認めるかわりに、様々な子供たちの自主的試みを企画しそれを実践させるほうが、実質的と思うのです。 【通過儀礼】の創出もその一つです。 わたしの勤務した県のようなところでは、このような柔軟な発想で実践しなかったら、やって行けません。しなやかに、したたかに、緻密に、具体的に、というのが」、わたしの信条でした。 |
元ウルトラ警備隊さんへ 間違えて、下のスレッドにつけるものをここにしてしまいました。 同じものを下の方にもつけていますので、下の方を読んでください。 |
http://homepage1.nifty.com/1010/jender.htm http://homepage1.nifty.com/1010/index.htm |
今度はJFにハンドル名変えたのかい?精が出るなぁ |
JFさん 沢山の情報に感謝!。様々な問題を噛み締めて学んだ、、。有難う、、。 |
ごめんなさい 私の様に戦後教育を受けられなかった者にはカナ言葉に疎いです。ジェンダーフリーとはどの様な意味ですか。他の書込みでもカナ言葉のやたらに多いのは、もう一つ内容が漠然としか判りませんから困っています。 |
▼ごまめの翁さん: > ごめんなさい >私の様に戦後教育を受けられなかった者にはカナ言葉に疎いです。ジェンダーフリーとはどの様な意味ですか。他の書込みでもカナ言葉のやたらに多いのは、もう一つ内容が漠然としか判りませんから困っています。 私が答える任には適当でないと思いますが、ご参考までに。 先のJFさんの【13113】のホームページ(これは、反ジェンダーフリーの立場のようです)を参照されては如何でしょうか。 以上 |
ごまめの翁 様 こんにちは 私も皆さんの投稿を読ませて頂き、勉強させて頂いて居りますが、実は、 カタカナ文字の意味が解らず困って居りました。 6月初旬迄は、「レス」「スレ」の意味も解りませんでした。孫に教えて もらい、やっと理解出来ました。お蔭様で、『孫との会話が増え喜んでい ます。」 投稿される皆様!じいにも理解しやすく横文字、カタカナ文字には、お手数 をお掛けいたしますが、是非( )で意味を入れて頂ければ幸いです。 意味が理解できても、『孫」には、今まで通り聞きますけれど!(にこ!) (にこ!・にこ!)taka |
蟷螂の斧 さま taka さま 有難うございました。 あまり膨大な文献なのでPCに取込んで後日ゆっくり読まして頂きます。 其の中の一つに >>――男女共同参画と言えば、男女が協力し合って理想の社会を実現しようというふうに耳に心地よく聞こえますが、八木先生は「一種のカルト(疑似宗教)である」と指摘されています。 >>男女共同参画という言葉は、抽象的でわかりにくい。だが、これを平たく言えばジェンダー・フリーということです。ジェンダーとは社会的文化的につくられた性差、わかりやすく言えば、男らしさ、女らしさ、父性、母性のことですが、“これらは人間が生まれ持ってのものではない、つくられたものであるからすべて白紙にしてしまおう、また、白紙にしてしまわない限りは女性の差別は解消されない”という、はなはだ極端な議論のことなのです。 と有りました何となく判りました。 ジェンダー・フリーと云うカナ言葉の中には色々な意味が含まれて入るなと感じました。 しかし、昔から使っている綺麗な日本の言語が有っても、それをわざわざカナ言葉にしたがる傾向、特にメディア(カナ言葉でご免なさい笑い?)があり、英語の出来ない者の僻かも知れませんが、日本国は言語文化からアメリカに侵略されつつあるなと思っています。 |
▼ごまめの翁さん: > 蟷螂の斧 さま taka さま > 有難うございました。 > >しかし、昔から使っている綺麗な日本の言語が有っても、それをわざわざカナ言葉にしたがる傾向、特にメディア(カナ言葉でご免なさい笑い?)があり、英語の出来ない者の僻かも知れませんが、日本国は言語文化からアメリカに侵略されつつあるなと思っています。 「侵略」とまでは思いませんが、「言語」は「文化の礎」と感じています。従って、日本語は日本社会、文化の礎で安易にカタカナを使うことなく、日本語に翻訳し、表記すべきと、この頃思っています。 外来の観念・概念で、該当する概念がもともと日本に無いものは、対応する「日本語」が無く、つい、カタカナを使う事が多いのだと思います。 お礼にお答えして、一言加えました。 |
この掲示板の参加者の中で、現場経験のある人は、ごく限られていると思いますが、このスレッドに積極的に参加しないのは、なぜか。 それは、ここで教育問題として議論されているもののほとんどが、【政治問題】か【イデオロギー問題】であり、現場の教師が日常感じている教育問題とはほとんどかかわりがないからです。 国旗・国歌問題にしても、論議されているのは、現実の子供と何のかかわりもない視点での論議に過ぎないと思います。 国旗・国歌が現実の教育の中で問題になるのは、入学式・卒業式などの儀式の場合であり、日数にしてせいぜい一週間にもならない。延べ時間にしても、せいぜい1時間弱である。 これが、さも、教育問題の中心課題であるかの如く、語ること自体がいかに教育を知らないかを示していると思います。 これを論じるなら、それぞれの民族が歴史的にもっている【通過儀礼】をどのようにして教育の中に取り入れ、それを通じてどのようにして子供を育てるか、という視点での論議なら非常に参考になるのです。 例えば、郡上八幡という小都市では、毎年夏になると、10m以上の高さの橋から 川に飛び込むのが、子供たちの目標になっています。この恐怖心を克服できたら、一人前の男と認められるというのが伝統なのです。男の子たちは、これを目標にがんばるわけです。地域の大人たちも、これをじっと暖かく見守っているわけです。 【通過儀礼】が、子供たちの成長、子供たちを通じた地域の団結力の向上に寄与している好例です。 このような通過儀礼を地域が伝統として持っていないところは、各学校で教師と保護者如何にして作るか、それを如何にして地域や子供たちの伝統にしていくか、という議論なら、具体的で子供たちの成長にも資することができます。 教育問題を語ることは、子供たちの未来を語ることです。ぜひ、子供たちの未来を語ってほしいと思います。 |
▼流水さん: > >教育問題を語ることは、子供たちの未来を語ることです。ぜひ、子供たちの未来を語ってほしいと思います。 ご意見、心から賛成です。子供を主役に据えて、子供たちの未来を語らなければ 教育問題議論は始まらないと思います。機会があれば、大人は現場で子供たちと接触するべきだと思います。 スウェーデンの著名な教育者エレン・ケイ(1846-1926)が今から100年も前、 1900年に著書「子どもの世紀」で次のように書いています。 「老人が言う。次の世紀は子どもの世紀になるよ。この世紀が女性の世紀であったように。子どもが権利を持つときに道徳は完成するのだ。そうなれば、人間は誰でも社会や法律の定めるもの以外の絆でもって自分が創った生命と結びつくことを 覚えるだろう。・・・」 子どもは、人間が創った新しい生命です。その命がどこへ行っても生き易い環境や術を授けるのは、教育者や大人の義務だと思います。学ぶのは子どもの権利だと思います。それを保障してあげられる様に。まず、そういう前提で、教育と子どもを捉えるべきです。 |
●子どもは、人間が創った新しい生命です。その命がどこへ行っても生き易い環境や術を授けるのは、教育者や大人の義務だと思います。学ぶのは子どもの権利だと思います。それを保障してあげられる様に。まず、そういう前提で、教育と子どもを捉えるべきです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その通りです。 本当に教育論議をするなら、子供を中心にした論議がなされるべきです。 わたしの持論ですが、【子供を粘土細工】のように考えている論議は、すべて 偽者だと思います。 現在の教育基本法改正論議も、その意味で明確に反対です。 |
▼流水さん: >国旗・国歌問題にしても、論議されているのは、現実の子供と何のかかわりもない視点での論議に過ぎないと思います。 >国旗・国歌が現実の教育の中で問題になるのは、入学式・卒業式などの儀式の場合であり、日数にしてせいぜい一週間にもならない。延べ時間にしても、せいぜい1時間弱である。 >これが、さも、教育問題の中心課題であるかの如く、語ること自体がいかに教育を知らないかを示していると思います。 全くその通りだと思います。 私の言いたいことをズバリ言って頂きました。 >これを論じるなら、それぞれの民族が歴史的にもっている【通過儀礼】をどのようにして教育の中に取り入れ、それを通じてどのようにして子供を育てるか、という視点での論議なら非常に参考になるのです。 >・・・・・・・ >このような通過儀礼を地域が伝統として持っていないところは、各学校で教師と保護者如何にして作るか、それを如何にして地域や子供たちの伝統にしていくか、という議論なら、具体的で子供たちの成長にも資することができます。 > >教育問題を語ることは、子供たちの未来を語ることです。ぜひ、子供たちの未来を語ってほしいと思います。 地域で通過儀礼を作っていく。 一つの新しい視点ですね。 考えて見たいと思います。 |
▼流水さん: >この掲示板の参加者の中で、現場経験のある人は、ごく限られていると思いますが、このスレッドに積極的に参加しないのは、なぜか。 >それは、ここで教育問題として議論されているもののほとんどが、【政治問題】か【イデオロギー問題】であり、現場の教師が日常感じている教育問題とはほとんどかかわりがないからです。 > >国旗・国歌問題にしても、論議されているのは、現実の子供と何のかかわりもない視点での論議に過ぎないと思います。 >国旗・国歌が現実の教育の中で問題になるのは、入学式・卒業式などの儀式の場合であり、日数にしてせいぜい一週間にもならない。延べ時間にしても、せいぜい1時間弱である。 >これが、さも、教育問題の中心課題であるかの如く、語ること自体がいかに教育を知らないかを示していると思います。 > >これを論じるなら、それぞれの民族が歴史的にもっている【通過儀礼】をどのようにして教育の中に取り入れ、それを通じてどのようにして子供を育てるか、という視点での論議なら非常に参考になるのです。 はたして、そうでしょうか?わたしは疑問です。 また、民族(エスニー)と、国民(ネイションステイツ)を同義で考えるのはいかがかと思います。 > >例えば、郡上八幡という小都市では、毎年夏になると、10m以上の高さの橋から >川に飛び込むのが、子供たちの目標になっています。この恐怖心を克服できたら、一人前の男と認められるというのが伝統なのです。男の子たちは、これを目標にがんばるわけです。地域の大人たちも、これをじっと暖かく見守っているわけです。 >【通過儀礼】が、子供たちの成長、子供たちを通じた地域の団結力の向上に寄与している好例です。 > そのような視点は、私も理解できます。大変重要な問題で、地域の教育力(はぐくむ力)のようなものがかけてきた、という思いは同感です。これに関し、同じような視点で問題を指摘しているのが大田暁(おおたたかし)氏の「教育とはなにか」岩波新書でしょう。よろしかったらご一読ください。 |
流水さんに、是々非々の立場で一言! 貴方の云う「教育問題を語ることは子供の未来を語ること、、」は同感である。但し、国旗、国歌問題は(略)。「卒業式など、日数にして1週間もない、時間にして1時間弱である」、との意見には驚いた、、。賛成できない。 卒業式は、僅かな時間だが、子供達の教師、友人への想いが、最も現れる時だと思う。だから、感謝あり、復讐あり、様々な、善悪の問題も起きる、。例え、卒業式が短い時間でも良い結果を出して欲しい、。 尚、教師は凡人とは異なり、子供達の生涯の師である訳だから、。教え子が如何に成長したか、その結果が社会に問われると思う、、。父兄には様々な問題も多いが、、(略)。 とにかく、教員の皆さんには、感謝もするが、困難を超越して頑張って欲しいと思う、。 |
元ウルトラ警備隊さん、kogaさん、珍さんへ 教育における先の戦争での最大の反省点は、教育への国家の過剰な介入でした。 歴史的にいえば、教育の重要性が認識されたのは、国民国家形成以降でした。 それまで、親・家族・地域が担当していた教育の主体が、国家へ移ったのです。 日本も明治維新以降、教育【日本人意識の注入⇒国史教育】【言語(国語)の統一=標準語】を通じて、そのことを行ってきました。 戦後教育の一つのポイントは、教育への国家の過剰な介入を避ける、というところにありました。国旗・国歌問題は、その一つの象徴でした。 断っておきますが、わたしは、国旗・国歌のない卒業式・入学式など一度もしたことがありません。わたしの勤務していた地域では、何十年も前から国旗・国歌は儀式で当たり前のこととして行われていました。 わたしの発想は、皆さんが認識されている国旗・国歌問題とは、いささか違う、ということを理解していただきたい。 ◆最初に書いたように、国旗・国歌などは、教育課程においては、ほんの少しのものです。 ⇒今の子供は、校歌すら大きな声で歌いません。まして、君が代などを大きな声で歌わすことは、至難の業です。(何十年も経験しています) ※わたしの工夫を書いてみます。まず、子供たちに如何にして【校歌】を大きな声で歌わすか、が一番重要なのです。校歌を歌わすには、子供たちが学校が大好きで、学校やクラスに誇りを持たなければ、歌いません。強権的に歌えといっても、今の子供は簡単には従いません。 最重要なのは、子供たちが安心して生活でき、学校が大好きといえる「集団つくり」なのです。そうなれば、子供たちは自然と大きな声で校歌を歌います。儀式も自然と感動的なものになります。(わたしは何度かそのような儀式を作り出しました) 断言しておきますが、この儀式の感動を作り出したのは、学校の教師・子供たち・保護者などの学校が大好きになるようにという日常の積み重ねです。 国旗・国歌を歌えば、作り出せるというものではありません。 つまり、教師・生徒・保護者の手を携えた学校つくりの結果としての【儀式】と言う視点が必要なのです。 だから、わたしは、教育課程のごくごく一部と申し上げているのです。儀式の場で国旗を掲げ、君が代を歌うなどは、日常の営みの重要さに比べれば、たいしたことではなく、そんなにこだわることでもない、と考えているのです。これは賛成論者・反対論者いずれに対してです。 わたしが、通過儀礼の話を持ち出したのは、国旗・国歌で飾った儀式だけを通過儀礼にしてしまえば、それは教育に対する国家の過剰な介入を容認することになると考えているからです。 現代は、国家の役割の肥大化かから、縮小に向かおうとしている時代です。地方の時代とは掛け声だけのものではないのです。 地域独自の通過儀礼の創出を通して、地域独自の文化を生み出していくのも必要なのです。 わたしは、公教育の最大の役割は、「わたしたちの社会を維持発展させていく人材を育てる」ことにあると思います。社会と国家は微妙に違うと考えているのです。 教育は国家のものという国民国家形成以来の発想を、教育は社会の形成維持発展に資するもの、という視点に変える必要があると考えているのです。 |
▼流水さん: 教師(あるいは教師経験者)でいらっしゃる方とのことで、ご意見は大変参考になりますが(なお、私は舞台関係の仕事をしており教育には全くの素人ですが)、私は、国旗・国歌の学校での取り扱いは重要な教育問題であると考えており、あなたの「教育課程のごくごく一部」の問題との認識とは異なります。 さて、「教科および、教科外活動の総体の計画」が教育課程であるとの前提で申し上げますと、これは教育目標実現のため教師(ないし教師集団)が計画的に実施されていると考えられます。入学式、卒業式その他学校行事は、こどもたちにとっては学校生活の大きな部分を占め、親(保護者)にとっても、例えば学校との交流を持つ重要な意義があると考えられます。 また、入学式、卒業式その他学校行事は、各教師や子供たちが工夫を凝らし互いに協力し合って行うという実践的な活動でもあると考えられ、どの学校でも、その位置づけは高位(重要な位置)にあると思われます。 そもそも、学校行事において、特に「儀式的行事」と呼ばれるものは、文化・歴史的には「心をかたちにあらわす行為」すなわち「自分たちの思いを分かち伝えする行為(表現行為)」と言えるのではないでしょうか。このような「表現行為」は、喜びや哀しみを分かち伝え、別れ・出会い(「門出」)を「祝いの言葉」や「音楽」その他の「身体表現等」に託し、それを相手や他の出席者が「共感し、こたえる情動的な行為」と言えます。そしてこれらは、言わば「前国家的な自然権」であり、その表現のかたちは、分かち伝える側の創意により、また、それを受ける側は自由な創造的な連想と認知により「共感」するものと考えられます。 私は、このような「分かち伝え」と「共感」に対し、教委・文科省ごときが、決まったデザインや、決まった歌を押し付けるのはいかがなものか、と申しているわけです。 繰り返して申し上げますが、これは、教育現場では重要な問題であり、表現しようとする者への「表現の強制(場合によっては検閲・意に反する苦役)」であり、このような表現への介入は、人間同士のつながりと交流を無視した「国家の出前」を学校ないし教師に強制するものです。また、教師自身にとっても、もし国旗・国歌のこのような取り扱いが違法・違憲を問われた場合には「受命の抗弁」か、「抗命義務」か、というせとぎわの問題であると考えられるのです。 なお、「国家」と「社会」が微妙に違うというお考えに賛同します。 ご意見の最後の部分に、「<公教育の最大の役割は、「わたしたちの社会を維持発展させていく人材を育てる」ことにあると思います。社会と国家は微妙に違うと考えているのです。教育は国家のものという国民国家形成以来の発想を、教育は社会の形成維持発展に資するもの、という視点に変える必要があると考えているのです。>」・・・とありますが、全く同感です。「個人の人格の形成」と「人類社会の平和的・民主的発展に寄与する」人間・個人の育成(私は、あえて「人材の育成」という言葉は使わず、人格の完成としての「人間・個人の育成」とさせていただきたいと思いますが、おっしゃられているそれらの意味での差異はないと考えます)を目指すと言い換えることもできると思います。もちろん「個人」であっても社会化(共同)ということは含まれます。 以上、僭越ながら。 |
●特に「儀式的行事」と呼ばれるものは、文化・歴史的には「心をかたちにあらわす行為」すなわち「自分たちの思いを分かち伝えする行為(表現行為)」と言えるのではないでしょうか。このような「表現行為」は、喜びや哀しみを分かち伝え、別れ・出会い(「門出」)を「祝いの言葉」や「音楽」その他の「身体表現等」に託し、それを相手やたの出席者が「共感しこたえる」と言えます。そして、これらは「前国家的な自然権」であり、その表現のかたちは、分かち伝える側の創意により、また、それを受ける側は自由な創造的な連想と認知により「共感」するものと考えられます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「前国家的な自然権」という理念には賛成ですし、私自身は多くの行事をそのような発想で行ってきました。 ただ、現実の学校では、儀式は【前国家的な自然権】ではないのです。 卒業式が典型的な儀式なので、そのことで話しますと、開会宣言ではじまり、卒業生一人一人の名前の読み上げ(卒業証書授与)があり、校長訓示・教育委員会の祝辞・来賓祝辞(地元選出の政治家・有力者)などがあり、送辞・答辞があり、式歌(仰げば尊し)斉唱があり、国歌斉唱を行い、最後に保護者代表お礼の言葉の言葉と流れます。 この卒業式(正式には卒業証書授与式)のどこが【前国家的な自然権】とよべるのか、ということです。 卒業式の持ち方については、様々な議論を行ってきました。卒業証書授与を総代で行うか、一人一人に手渡すほうが良いかとか、来賓の呼び方をどうするかとか、送辞・答辞の内容を教師が点検する方が良いか、悪いか、式歌(蛍の光・仰げば尊し)を変えるのがいいのか悪いのか、君が代斉唱をどうするのか、など無数の論点がありました。 ところが、この卒業式の持ち方については、PTAの意向は、上記の伝統的卒業式を踏襲してほしい、というのが、大勢でした。私自身もPと何度も議論しましたが、この感情を変えることは難しかったのです。PTAの役員だけでなく、多くの保護者も同意見でした。上記のような卒業式でなかったら、卒業式という感じがしない、というのが、多数なのです。 だから、わたしは、卒業式の変革それ自体にエネルギーを費やすのは無駄だと思ったのです。そのかわり、学年独自の行事に多くの保護者を出席させ、子供たち自身の手で、企画・運営・実践させました。例えば、合唱大会・弁論大会・遠足成果の発表会(自分たちで調査し、それを冊子にまとめる)などなど。 これは、大変好評でした。「先生、子供だけでも凄いことができるんですね」というのが、大方の感想でした。 この延長線上で考えれば、卒業式の自主運営も可能でしたが、ここでは【学校行事】という法的な位置づけがネックになり、そこまでは至りませんでした。 わたしの県みたいに保守的な県では、このように【卒業式】という象徴的行事を直線的に変えるというのは、簡単にはいかないのです。 わたしの書いた事例のような具体的実践を積み重ね、保護者の信頼を勝ち取り、その後【前国家的自然権】という発想を具現化するという発想をとらないと、直線的な発想では難しいのです。 だから、わたしは日常の実践という発想に力点を置いているのです。同時に、上記のよう卒業式のありかたには、あまり意義を認めないほうが良いと考えています。 学校は、周囲の事情からそうやらざるを得ないのです。(特に校長は) それを認めるかわりに、様々な子供たちの自主的試みを企画しそれを実践させるほうが、実質的と思うのです。 【通過儀礼】の創出もその一つです。 わたしの勤務した県のようなところでは、このような柔軟な発想で実践しなかったら、やって行けません。しなやかに、したたかに、緻密に、具体的に、というのが」、わたしの信条でした。 |
現場でのお話を伺い、ぎりぎりのところで、色々とご苦労や工夫をされたのだという印象を持ちました。私の父も教員(中学の数学)でしたので、私自身の実体験は無いものの、ご苦労の一端は理解いたします。また、これまで小・中・高とほぼ連続してPTAの役員をやらせていただいた経験から、教員の方は、部活やその他の雑用、事務、さらには他の社会教育団体の指導など、何かと駆り出され休日も満足に取れないという状況にあることも、私の心情的には「保護者や地域住民が教員の労力を必要以上に使ってしまっているなあ・・」という思いがあります。 一方、親の方はと言いますと、これまたサービス残業やノルマで父親は土日も会社に出勤し、学校行事にも出られない。単身赴任で家族はバラバラ、母親にPTAの役員を頼むと「PTAの役員になったらクビだ!」といわれる企業もあったりで、親の子に対する養育権などをまったく考慮しない企業の営利活動に、モラルのない経済活動に「教育を受けるべきは企業だろ!」などど腹立たしく思うこともありました。 |
▼みなさま: このスレッドがかなり重くなってきていますので、 新スレッド「教育問題スレッド・2」を立ててあります。 どうぞ以後のご議論は新スレッドでお続け下さいますよう、 よろしくお願い申し上げます。 |
明治維新以前の日本の教育は「寺子屋」であった・・。 寺子屋では「読み書き」「ソロバン」そして難しくはない 人間としての生き方を「極ごく」シンプルに教えられていた・。 それでも明治維新以後、日本を訪れた外国人は日本人の礼儀正しさ、 教養については高く評価をしてたと云うことが・・。 それら外国人達の手記や記録になってる事を聞いている・。 雇われ外国人教師が、鉄道、農業、土木、軍事等々について日本人の 教育にあたった中で日本人の真摯にものを学ぶ姿勢に感動すら覚え 真剣に教えてくれたこと・・教えられた日本人もそれを活かして 近代国家日本を創建したこと・は良く知られる処である・。 教育問題を考える「とき」その辺りに基本があるように思われる・。 現代は「情報があっても知識とならず」「知識があっても知恵とならず」 「知恵があっても愛がない」連鎖が多く目に付く・・。 教育は考える力を付ける事に特化するべきでないか? 日本以外の国々では正にその方向にあること・・そして実績を挙げてる 事を知ってる・・よ〜く周りを見るべきではないか・・? |
教育現場の先生方に無用の「管理のための管理」が 益々増え続けてるのではないか? 教育官僚や管理部門に存在する連中が「管理の為の管理」の仕事を 現場に押しつけて、現場の先生方が実際の授業や教育の本題に 取組めないのではないかと常々感じてる・・。 官僚や管理者の一般的な特性としては自己の存在を誇示するために やたらと不要、不急の報告書やレポートの提出を求める傾向がある。 一般の営利業務の会社などでは何処かで矛盾が是正されるメカニズムが 機能するが、官僚や教育界では「それは望むべくも」ないことかも・・? 何れにしても、膨大なエネルギーと経費が本来の目的を外れて 浪費されてることは・・・容易に想像できる・・。 |
教育問題を語るなら、幼児教育、義務教育とうの現場で何が行われているのか 調べたり、知っている具体的情報を持ち寄って、もっと細かく考えたほうが良いと思います。 教育は人間という生き物の間の作業です。 細かく丁寧に考えるように努めないと、 不毛の論議になる可能性が大きいと思います。 |
学校の先生が、道徳を教えるのは、やめたほうがいいです。 子供のころ、戦争で人殺しするのはなんで良いのか、先生に質問しても納得いく回答なんてなかった。 道徳=国家の求めるご都合主義 としか、感じられなかった。所詮、国家の犬には、般教しか教えられない。 それ以上期待するのは無理です。 なんどもいうけど、道徳は宗教なんだから、宗教の時間を作らないといけない |
▼このスレッドにお集りのみなさまへ: こんにちは、Ray@スタッフです。 「世直し『教育問題』」スレッドの書き込み数が100を超えましたので、 新たに「教育問題スレッド・2」を立てました。 以後のご議論には新スレッドをご利用下さいますよう、 よろしくお願い申し上げます。 |