Page 1172 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼南宋の陸ユウ k・satou 05/11/24(木) 9:47 ┣Re(1):南宋の陸ユウ 宮天狗 05/11/24(木) 12:26 ┃ ┗Re(2):南宋の陸ユウ k・satou 05/11/24(木) 13:02 ┗Re(1):南宋の陸ユウ k・satou 05/11/24(木) 17:05 ┣Re(2):南宋の陸ユウ たけチャン 05/11/24(木) 20:12 ┃ ┗重箱の隅 通介 05/11/24(木) 21:40 ┗Re(2):南宋の陸ユウ k・satou 05/11/25(金) 9:58 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 南宋の陸ユウ ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com> ■日付 : 05/11/24(木) 9:47 -------------------------------------------------------------------------
吾が道は非なるか 広野に来たれり 江涛かくのごとく 去りて何くにか之く 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 奥さんと顔を見合わせてました。 おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |
▼k・satouさん: 「りんご追分」・・いいですねぇ あの低音のでだしがたまらない!あれが15歳の少女なのだから驚きです。遠路はるばる今度の忘年会に参加するある論客によると、「ひばりこそ日本的心情を歌い上げた人」なのだとか。 昨日はちょっとまじめなお話をしたのでいささか疲れました。でもなださんも「いつから日本人は、敵をほめるのは自分が負けたと認めることだと、間違って考えるようになったのだろう」とおっしゃってます。将棋でも囲碁でも勝ったらひたすら相手をほめるのがマナーです。顔の見えない掲示板ではそれは無理なのでしょうか。おあとがよろしいようで・・今から出かけます。 >吾が道は非なるか 広野に来たれり >江涛かくのごとく 去りて何くにか之く > 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 >読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ >つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 > 奥さんと顔を見合わせてました。 >おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 >最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど > 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを > ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! > ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! > ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 >いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 >クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 >これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |
▼宮天狗さん: りんご追分 歌唱史における日本の記念碑だとまでいうのもいるんですね 歌謡じゃなくて歌唱。不朽の名作だとも。 歌詞は小沢不二夫が15分でつくり作曲はラジオドラマのバックミュージック でのインスタントものだと米山正夫がいってる。 1952年4月歌舞伎座で朗々とうたうのがいい。 すべての音を消した静寂の中で 声だけでのものは 鮮烈。 戦火の日々をすぎ 占領下の圧制植民地化に抵抗する みんなの 心の歌だったんですね。 サンフランシスコ講和条約発効の日 歌舞伎座でリサイタル。 28日29日とフアンは会場を埋め尽くした。 伝統ある日本一の劇場を質素な服装をした大勢の若者が占領した。 疎開っ子や働く青年男女のあこがれになったんですね。15歳で。 >▼k・satouさん: > >「りんご追分」・・いいですねぇ あの低音のでだしがたまらない!あれが15歳の少女なのだから驚きです。遠路はるばる今度の忘年会に参加するある論客によると、「ひばりこそ日本的心情を歌い上げた人」なのだとか。 > >昨日はちょっとまじめなお話をしたのでいささか疲れました。でもなださんも「いつから日本人は、敵をほめるのは自分が負けたと認めることだと、間違って考えるようになったのだろう」とおっしゃってます。将棋でも囲碁でも勝ったらひたすら相手をほめるのがマナーです。顔の見えない掲示板ではそれは無理なのでしょうか。おあとがよろしいようで・・今から出かけます。 > >>吾が道は非なるか 広野に来たれり >>江涛かくのごとく 去りて何くにか之く >> 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 >>読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ >>つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 >> 奥さんと顔を見合わせてました。 >>おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 >>最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど >> 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを >> ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! >> ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! >> ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 >>いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 >>クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 >>これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |
私は人生の行路を とりちがえてしまったのだろうか きて見れば 荒涼と涯もない荒野であった 大河のごとく時代は 私を置き去りにして とうとうと波立ち流れていく 何処へ 何を目指して 進み行けばよいのか すぐさま ”川の流れに”を思い出し そうくるなら ”りんご追分”へと まっしぐらというわけです。 さあ! おまえさん!どうすんの!と なんだか 怒られてるような 気がしませんか じっくり 読みかえしてみれば 違うようにも とれるのですが。 >吾が道は非なるか 広野に来たれり >江涛かくのごとく 去りて何くにか之く > 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 >読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ >つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 > 奥さんと顔を見合わせてました。 >おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 >最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど > 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを > ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! > ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! > ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 >いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 >クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 >これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |
▼k・satouさん: 私は詩を次のように解釈しました。 時は、北方謙三『水滸伝』に語られているように、麻の如く乱れていた。 官が強く、自分さえ良ければ良いのだという風潮が強かった。こんな国家は脆く、外国から攻め込まれれば一ころである。強敵は常に北方から現れる。遼に攻められ、次には金に攻められると、宋の皇帝は金の捕虜になって殺されてしまった。そこで民族大移動が始まった。古来、中国は黄河流域に栄えた。今では中国の穀倉地帯の揚子江流域は未開の田舎であった。その田舎への民族の大移動が起きた。そうして出来たのが南宋である。 日本の現代に例えれば、北方からロシアに攻め込まれた。東京が陥落した。天皇もロシア軍の捕虜になった。民族の大移動が起きた。皇太子は、田舎都市と常に見下されてきた名古屋を通り過ぎて、大宰府の福岡まで落ち延びた。そこで読んだ歌がこれである。私は落ちぶれてこんな田舎町に来てしまった。私の運命は、揚子江の激流のように、何処に流されるのか分らない。あ、東京が懐かしいな。 以下は私のいつもの余計なおしゃべりである。 同じ頃、南宋に逃れたのではなく、シルクロードを辿ってヨーロッパまで逃れた人々がいた。梁山泊の一党であったかもしれない。彼らは紙の製造技術を持っていた。彼らによって紙の製造技術がヨーロッパに伝わった。その製造技術が後日役に立った。紙とグーベルタンの印刷機から聖書が大量に印刷されたからである。聖書は、それまで独占されてきたキリスト教の解釈を、個々人に許した。プロテスタンテズムの誕生である。つまりは中国の紙がヨーロッパに宗教改革をもたらしたのである。 川の流れに自らの運命を嘆く人もおれば、己が技術で世界を変えるきっかけを作った人もいるのである。 >私は人生の行路を とりちがえてしまったのだろうか >きて見れば 荒涼と涯もない荒野であった >大河のごとく時代は 私を置き去りにして とうとうと波立ち流れていく >何処へ 何を目指して 進み行けばよいのか > >すぐさま ”川の流れに”を思い出し そうくるなら ”りんご追分”へと > まっしぐらというわけです。 > さあ! おまえさん!どうすんの!と なんだか 怒られてるような > 気がしませんか >じっくり 読みかえしてみれば 違うようにも とれるのですが。 > >>吾が道は非なるか 広野に来たれり >>江涛かくのごとく 去りて何くにか之く >> 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 >>読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ >>つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 >> 奥さんと顔を見合わせてました。 >>おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 >>最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど >> 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを >> ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! >> ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! >> ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 >>いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 >>クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 >>これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |
ども、通介です。何箇所か思い違いをされているようなので、お節介を。(一部、検証困難な点は無視してます:苦笑) ▼たけチャンさん: >同じ頃、南宋に逃れたのではなく、シルクロードを辿ってヨーロッパまで逃れた人々がいた。梁山泊の一党であったかもしれない。彼らは紙の製造技術を持っていた。彼らによって紙の製造技術がヨーロッパに伝わった。その製造技術が後日役に立った。紙とグーベルタンの印刷機から聖書が大量に印刷されたからである。聖書は、それまで独占されてきたキリスト教の解釈を、個々人に許した。プロテスタンテズムの誕生である。つまりは中国の紙がヨーロッパに宗教改革をもたらしたのである。 誤:グーベルタン 正:グーテンベルグ(本名:Johann Gutenberg) グーテンベルグの聖書に関しては、若干読みにくいですが、こちらのページが詳しい様です。…なぜか、内科医院のHP内の1コンテンツという辺り、微妙に謎ですが(笑)。 んで、聖書の材質ですが、イタリア製の紙に刷ったものもあれば、子牛の皮から作った「羊皮紙」に刷られた物もあり、紙の流入以前から、欧州などでも紙に類する物があった事と、それにより(紙の流入で爆発的に浸透したとは言え)活版印刷による聖書の大量流通が可能だったことは指摘しておきます。 #「牛皮なのに羊皮紙?」というツッコミは禁止(苦笑)。 …プロテスタンテズムの誕生には、教会内でのみ使われていたラテン語では無く、日常語に翻訳された事が大きい様にも思いますが、この辺の見解は蛇足にて失礼。 |
”リンゴ追分”のことはとりあえずヨコに置いときましょう。 確かに この歳まで生きてきた。さて まわりをみたら どれもこれも 寂しいことだなあ。でも時代はどんどんいってしまう。 自分は なにを頼りに なにに向かって生きていけばいいのか? ぐらいは 少しは たまに考えたほうがいいんじゃないのか? ”ひばり”はいいきる 作詞秋元康作曲 見岳章の”川の流れのように” のなかには これを下敷きにしつつも 人生なんて旅みたいなもんさ 晴れる日もあるさ気楽に夢でもさがしながら 愛する人なんかとみちづれでもできりゃ 最高よ。 しかし この夢というのが難しい。 大衆の共感をひきよせるもののなかには真実がある。そう”夢”ねえ! 野坂昭如が母の喜美枝にインタビュウで ”ひばり”は大衆の歌手だなんていってるけど どだい大衆っていったい なんだか知ってんですか? 喜美枝はすかさず 庶民ってのはね。人前で色メガネなんか必要のない人間のことです。 大衆というのはまっすぐ相手の目をみて話しのできる人たちです。 偏屈な色メガネで現実をみていないか おおいに反省すべきですね。 ”りんご追分”は好きなだけです。 >私は人生の行路を とりちがえてしまったのだろうか >きて見れば 荒涼と涯もない荒野であった >大河のごとく時代は 私を置き去りにして とうとうと波立ち流れていく >何処へ 何を目指して 進み行けばよいのか > >すぐさま ”川の流れに”を思い出し そうくるなら ”りんご追分”へと > まっしぐらというわけです。 > さあ! おまえさん!どうすんの!と なんだか 怒られてるような > 気がしませんか >じっくり 読みかえしてみれば 違うようにも とれるのですが。 > >>吾が道は非なるか 広野に来たれり >>江涛かくのごとく 去りて何くにか之く >> 上手そうな書が 友人の床の間にありました。 >>読んでもらい ついでに 貴方のお好きな御歌は?と聞かれ >>つい 美空ひばりの”リンゴ追分”ですと答えました。 >> 奥さんと顔を見合わせてました。 >>おもわず よせばいいのに 知ったかぶりのいつもの”ひばり”賛歌。 >>最後には あんた達は衆愚だ! デクノボウだ!と皆のこというけど >> 一般大衆が何を希求し どんな情念をもってるもんかを >> ”ひばり”から謙虚に学ばなきゃいけない! >> ますます 民衆てものと 断絶てのは深くなるんじゃないの! >> ”菩薩は衆生とともにあれ野におわす”と いうじゃないか。 >>いまごろ 塩を撒いているかもしれません。 >>クラシックかオペラの話でもしてりゃ 友人を失うこともなかった。 >>これで 年賀状を一枚節約できそうです。 |