Page 1199 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼お爺さんが転ぶと なんという k・satou 05/11/29(火) 6:08 ┣Re(1):お爺さんが転ぶと なんという k・satou 05/11/29(火) 7:06 ┃ ┣Re(2):お爺さんが転ぶと なんという 宮天狗 05/11/29(火) 11:24 ┃ ┃ ┗Re(3):お爺さんが転ぶと なんという k・satou 05/11/29(火) 12:29 ┃ ┗球根を植えましょう。 レモン 05/11/30(水) 9:40 ┃ ┗Re(1):球根を植えましょう。 k・satou 05/12/1(木) 8:12 ┃ ┗Re(2):球根を植えましょう。 レモン 05/12/1(木) 9:24 ┣Re(1):お爺さんが転ぶと なんという k・satou 05/11/29(火) 8:57 ┗Re(1):お爺さんが転ぶと なんという 馬の骨 05/11/29(火) 17:17 ─────────────────────────────────────── ■題名 : お爺さんが転ぶと なんという ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com> ■日付 : 05/11/29(火) 6:08 -------------------------------------------------------------------------
どうして お婆さんが転ぶと敬語までつけてお転婆というのか 単なる当て字だろうが しゃれたことです。 新しい下駄がすべり 着物には 草履をはかせようという履物屋の魂胆。 下駄がコンクリートとの相性が悪いからで でこぼこ道の路地などには かえって向くというのは 下駄は世の中の一切の変化を黙殺して超然としてる。 我等日本の誇る”孤高の履物だ”とまでいう。 凍った冬の夜など舗装の上もやかましい。 ”じゃハイヒールでも”とくると 下駄以上にあぶない。 もともとスタイルをよくみせるため無理したものだというし 蹄鉄をつけてる みたいなのに 後ろを歩かれると頭のシンまで響きます。 ハイヒールで転ぶと何と言うのかな なにも 転ぶのは婆さんの専売ではあるまいから 用心しましょう。 |
思い出のなかに生きるより他ないのが老人だと言われます。 思い出すことなどない いや後悔ばかりの私には日を塞ぎ得るのか どうせ越せまい というのか? まして他人の昔の自慢話というのも聞かされるのは苦痛そのものです。 もと左翼を自認するのに多い。じゃ今は?と聞くと なんにもしてなくて ときどき 他人の足を引っ張るだけ。かえって 右へのハンドルさばきの みごとなのまでいる。 自分の今の境遇をこれ以上幸福なものはないと信じて裕福ではないが 小遣い銭を娘夫婦からもらいつ 店番をしている近所のパン屋のお婆さん。 耳が遠くなってるから要らぬ悪口が聞こえないだけ長生きできる。 100歳ちかくなれば もたもたしてても文句なんか言う奴はいません。 80歳になり知的好奇心や研究心を失わない老人もみかけます。 そういう人はそれゆえに敬愛され大切にされており過去のことなど 決して自慢しない。老いを感じつつも新しく生きようとしている。 孤独の老年というのは 孤独を楽しみ明るいものにするのは 他力じゃなく 自力でしかできないようですね、 いまから 私は春になれば咲くことを願い球根でも植えましょう。 >どうして お婆さんが転ぶと敬語までつけてお転婆というのか >単なる当て字だろうが しゃれたことです。 >新しい下駄がすべり 着物には 草履をはかせようという履物屋の魂胆。 >下駄がコンクリートとの相性が悪いからで でこぼこ道の路地などには >かえって向くというのは 下駄は世の中の一切の変化を黙殺して超然としてる。 >我等日本の誇る”孤高の履物だ”とまでいう。 >凍った冬の夜など舗装の上もやかましい。 >”じゃハイヒールでも”とくると 下駄以上にあぶない。 >もともとスタイルをよくみせるため無理したものだというし 蹄鉄をつけてる >みたいなのに 後ろを歩かれると頭のシンまで響きます。 > ハイヒールで転ぶと何と言うのかな > なにも 転ぶのは婆さんの専売ではあるまいから 用心しましょう。 |
▼k・satouさん: この間は久しぶりにsatou節をたっぷり聞かせていただいて楽しかった、と同時に衝撃的な事実も知らされ言葉もありません。時の流れが悲しみを癒すのを祈るばかりです。 幸か不幸か青春時代を絶えず死の恐怖にさらされ、窮乏のどん底にあえいでいた私たちの世代は「昔は良かった」なんて思う余地もなければイトマもない!にもかかわらずあの当時の再現を望むかのような言動に接すると、瞬間湯沸し器になってしまうのは悲しいサガかもしれません。 satouさんの薀蓄についていけないのは残念だけど、ひばりのことはわがつれあいと同年というくらいしか知らなのです。おかげでよく父娘と間違われ「いいえ 夫婦なんです」と応える彼女は嬉々としているけれど、当方は憮然としているのみ・・。男と女どっちが得なんでしょうね? おかげさまで今生きているのは楽しいし、あるサイトを覗いたらあと18年生きられる、別のサイトでは5年以内に死ぬ確率は5%とか?ますます浮かれています。 >思い出のなかに生きるより他ないのが老人だと言われます。 >思い出すことなどない いや後悔ばかりの私には日を塞ぎ得るのか >どうせ越せまい というのか? >まして他人の昔の自慢話というのも聞かされるのは苦痛そのものです。 >もと左翼を自認するのに多い。じゃ今は?と聞くと なんにもしてなくて >ときどき 他人の足を引っ張るだけ。かえって 右へのハンドルさばきの >みごとなのまでいる。 >自分の今の境遇をこれ以上幸福なものはないと信じて裕福ではないが >小遣い銭を娘夫婦からもらいつ 店番をしている近所のパン屋のお婆さん。 >耳が遠くなってるから要らぬ悪口が聞こえないだけ長生きできる。 >100歳ちかくなれば もたもたしてても文句なんか言う奴はいません。 > >80歳になり知的好奇心や研究心を失わない老人もみかけます。 >そういう人はそれゆえに敬愛され大切にされており過去のことなど >決して自慢しない。老いを感じつつも新しく生きようとしている。 > >孤独の老年というのは 孤独を楽しみ明るいものにするのは 他力じゃなく >自力でしかできないようですね、 >いまから 私は春になれば咲くことを願い球根でも植えましょう。 > > >>どうして お婆さんが転ぶと敬語までつけてお転婆というのか >>単なる当て字だろうが しゃれたことです。 >>新しい下駄がすべり 着物には 草履をはかせようという履物屋の魂胆。 >>下駄がコンクリートとの相性が悪いからで でこぼこ道の路地などには >>かえって向くというのは 下駄は世の中の一切の変化を黙殺して超然としてる。 >>我等日本の誇る”孤高の履物だ”とまでいう。 >>凍った冬の夜など舗装の上もやかましい。 >>”じゃハイヒールでも”とくると 下駄以上にあぶない。 >>もともとスタイルをよくみせるため無理したものだというし 蹄鉄をつけてる >>みたいなのに 後ろを歩かれると頭のシンまで響きます。 >> ハイヒールで転ぶと何と言うのかな >> なにも 転ぶのは婆さんの専売ではあるまいから 用心しましょう。 |
▼宮天狗さん: どうもお元気そうでなによりです。 姉御に聞き忘れてしまいましたよ。 大阪のカラスは本当は ”アホウ”と鳴くとか? たぶん ”なにをバカなことを”といわれ 9条の論議の最中では”退場処分”になりそうでしたのでね。 >幸か不幸か青春時代を絶えず死の恐怖にさらされ、窮乏のどん底にあえいでいた私たちの世代は「昔は良かった」なんて思う余地もなければイトマもない!にもかかわらずあの当時の再現を望むかのような言動に接すると、瞬間湯沸し器になってしまうのは悲しいサガかもしれません。 失礼の言質は おゆるしください。 内容なしでの 声の大きさでは負けませんので >satouさんの薀蓄についていけないのは残念だけど、ひばりのことはわがつれあいと同年というくらいしか知らなのです。おかげでよく父娘と間違われ「いいえ 夫婦なんです」と応える彼女は嬉々としているけれど、当方は憮然としているのみ・・。男と女どっちが得なんでしょうね?> >おかげさまで今生きているのは楽しいし、あるサイトを覗いたらあと18年生きられる、別のサイトでは5年以内に死ぬ確率は5%とか?ますます浮かれています。 死ぬまでは生きてくしかないし どうせ一度しか死なないともいいますね。 また お元気で お会いできるのを楽しみにしてます。 >>思い出のなかに生きるより他ないのが老人だと言われます。 >>思い出すことなどない いや後悔ばかりの私には日を塞ぎ得るのか >>どうせ越せまい というのか? >>まして他人の昔の自慢話というのも聞かされるのは苦痛そのものです。 >>もと左翼を自認するのに多い。じゃ今は?と聞くと なんにもしてなくて >>ときどき 他人の足を引っ張るだけ。かえって 右へのハンドルさばきの >>みごとなのまでいる。 >>自分の今の境遇をこれ以上幸福なものはないと信じて裕福ではないが >>小遣い銭を娘夫婦からもらいつ 店番をしている近所のパン屋のお婆さん。 >>耳が遠くなってるから要らぬ悪口が聞こえないだけ長生きできる。 >>100歳ちかくなれば もたもたしてても文句なんか言う奴はいません。 >> >>80歳になり知的好奇心や研究心を失わない老人もみかけます。 >>そういう人はそれゆえに敬愛され大切にされており過去のことなど >>決して自慢しない。老いを感じつつも新しく生きようとしている。 >> >>孤独の老年というのは 孤独を楽しみ明るいものにするのは 他力じゃなく >>自力でしかできないようですね、 >>いまから 私は春になれば咲くことを願い球根でも植えましょう。 >> >> >>>どうして お婆さんが転ぶと敬語までつけてお転婆というのか >>>単なる当て字だろうが しゃれたことです。 >>>新しい下駄がすべり 着物には 草履をはかせようという履物屋の魂胆。 >>>下駄がコンクリートとの相性が悪いからで でこぼこ道の路地などには >>>かえって向くというのは 下駄は世の中の一切の変化を黙殺して超然としてる。 >>>我等日本の誇る”孤高の履物だ”とまでいう。 >>>凍った冬の夜など舗装の上もやかましい。 >>>”じゃハイヒールでも”とくると 下駄以上にあぶない。 >>>もともとスタイルをよくみせるため無理したものだというし 蹄鉄をつけてる >>>みたいなのに 後ろを歩かれると頭のシンまで響きます。 >>> ハイヒールで転ぶと何と言うのかな >>> なにも 転ぶのは婆さんの専売ではあるまいから 用心しましょう。 |
k.satou さん 昔は出歩く女性が珍しくて目立ったから、お転婆などど言われたのでしょうか。 最近は外出されるご老人も増えて目立つから、お爺さんが転んだら、お転爺。 春に花咲く球根を植えるのは、いいですね。 k.satou さんは、何の球根を植えますか?よろしかったら教えてください。 私も同じ花の球根を植えてみたいと思います。 しばらく寒い冬が続きますが、春が来るのを静かに待ちたいと思います。 |
▼レモンさん: お転爺ですか! ゴロが悪いんでしょうね。お転爺ねえ。 人というのは 年老いたら枯れ木のようになれ! 古松みたいに。 ひとつとこでしっかり根をはってるべきだ。とでも言うのでしょう。 たしかに封建時代にはそんなのはいた。 今は根こそぎ移動されるので花など咲くはずがない。枯れたりもします。 処に随い主人となれ!と調子よく言われ見知らぬ場所に移植されていて 根をおろすことさえできず ただ生きることすら難しいことです。 まして花もそのうえ実までも期待するのは。 今日 花屋にいきます。 植えるため土地をならしましたが 来る春のため雑草の一本ずつが 細い根をしっかり大地にまきつけているのは感動です。 自らを省みて 地に足がついていないのを 嘆くばかりです。 花屋に行くのは楽しい。なんにしようか? お転爺より。 >k.satou さん > >昔は出歩く女性が珍しくて目立ったから、お転婆などど言われたのでしょうか。 >最近は外出されるご老人も増えて目立つから、お爺さんが転んだら、お転爺。 > >春に花咲く球根を植えるのは、いいですね。 >k.satou さんは、何の球根を植えますか?よろしかったら教えてください。 >私も同じ花の球根を植えてみたいと思います。 >しばらく寒い冬が続きますが、春が来るのを静かに待ちたいと思います。 |
▼k・satouさん: >▼レモンさん: > お転爺ですか! > ゴロが悪いんでしょうね。お転爺ねえ。 > 人というのは 年老いたら枯れ木のようになれ! 古松みたいに。 > ひとつとこでしっかり根をはってるべきだ。とでも言うのでしょう。 > たしかに封建時代にはそんなのはいた。 > 今は根こそぎ移動されるので花など咲くはずがない。枯れたりもします。 > 処に随い主人となれ!と調子よく言われ見知らぬ場所に移植されていて > 根をおろすことさえできず ただ生きることすら難しいことです。 > まして花もそのうえ実までも期待するのは。 > 今日 花屋にいきます。 > 植えるため土地をならしましたが 来る春のため雑草の一本ずつが > 細い根をしっかり大地にまきつけているのは感動です。 > 自らを省みて 地に足がついていないのを 嘆くばかりです。 > > 花屋に行くのは楽しい。なんにしようか? お転爺より。 確かにゴロが悪いですね。転んだりしないで、花咲爺さんになってください。 植物のタネを蒔いたら、花が咲き、実がなるのをじっと見守らなければなりません。嵐が来ても、虫がついても、成長するのをそっと守って助けます。ときには、失望にも耐えなければなりません。 忍耐力のいることです。何を育てるのも同じことですが・・・。 花屋に行くのは楽しいけれど、私は植える場所もないのに、欲しい花がたくさんあって困ります。 球根はレモンの鉢のそばに植えます。何にするのかなあ。 色は秘密にしておきましょう。花が咲いたらお知らせするのは、いかがですか? |
しかし解んないのは 嫁さんが転ぶやつです。 ”転嫁” 辞書に 1 再度の嫁入り 2 自分の罪過・責任などを他人になすりつけること 3(心)感情が他の対象にもおよんでいくこと。 恋人の持ち物をみて恋人に対するような感情をいだく類。 なぜ転んだだけでこうなるのか 不思議です。 自分のミスで転んだくせに この滑る床が! この履物が! と とにかく 自分以外のまわりのものの責任にしてやろう というのですかね。 >どうして お婆さんが転ぶと敬語までつけてお転婆というのか >単なる当て字だろうが しゃれたことです。 >新しい下駄がすべり 着物には 草履をはかせようという履物屋の魂胆。 >下駄がコンクリートとの相性が悪いからで でこぼこ道の路地などには >かえって向くというのは 下駄は世の中の一切の変化を黙殺して超然としてる。 >我等日本の誇る”孤高の履物だ”とまでいう。 >凍った冬の夜など舗装の上もやかましい。 >”じゃハイヒールでも”とくると 下駄以上にあぶない。 >もともとスタイルをよくみせるため無理したものだというし 蹄鉄をつけてる >みたいなのに 後ろを歩かれると頭のシンまで響きます。 > ハイヒールで転ぶと何と言うのかな > なにも 転ぶのは婆さんの専売ではあるまいから 用心しましょう。 |
k・satouさん 今日はと書き込み始め終わると今晩はに変ってるんですよ、 私し実わね若い女性のハイヒールで転んだの見たときありますよ、とっぜん 左足がくの字に捻り前方につんのめって痛そうでした、此方にポッコリと尻 り向けてね、ハイヒールのかかとが取れてピヨコタン、ピヨコタン歩いて 行きました、昔電車のホームで見かける風景です。 爺さんが転ぶんと婆さんが義務を果たせたと喜ぶ、婆さんが転ぶと爺さんも 転び子供が喜ぶ、之って云いすぎ、私は良くある話だと思いますがね、 私はね、爺さん転ぶ前に婆さんが転んだ、この問題悲劇的ですよ、私し事 ですが婆さんと二人暮らしなんですが、頭の病で入院しちまつて歳ですしね、 誰でも多少始まってといると思いますがね、三か月程で退院してきました、 その間飯の支度掃除洗濯風呂掃除その間病院え洗濯物持って見舞いに行き まあー大変ですよ、時々娘が手伝いに来ますが爺様も共倒れ九月に爺さま も転んで九月一か月入院子供孫総動員で入れ替わり立ち代り面倒見て暮れ ましたけどね、やはり中途半端は周りの人々お苦しめる、嫁であり子供 だから当たりまえと身内だと甘える時代は終わったようで上記の書き込み、 私の体験に基づき書き込ませて頂きました。 |