Page 1201 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼歌もいいもんだ k・satou 05/11/16(水) 20:47 ┣Re(1):歌もいいもんだ いいねぇ〜 印刷屋 05/11/17(木) 8:58 ┃ ┗Re(2):歌もいいもんだ いいねぇ〜 k・satou 05/11/17(木) 9:54 ┃ ┣Re(3):歌もいいもんだ いいねぇ〜 印刷屋 05/11/18(金) 9:14 ┃ ┗Re(3):歌もいいもんだ いいねぇ〜 k・satou 05/11/18(金) 9:38 ┃ ┣Re(4):歌もいいもんだ いいねぇ〜 印刷屋 05/11/19(土) 9:35 ┃ ┗Re(4):歌もいいもんだ いいねぇ〜 k・satou 05/11/19(土) 10:21 ┃ ┗Re(5):歌もいいもんだ いいねぇ〜 印刷屋 05/11/19(土) 18:56 ┃ ┗Re(6):歌もいいもんだ k・satou 05/11/19(土) 21:29 ┃ ┗Re(7):歌い手は地道なものよ レモン 05/11/20(日) 0:07 ┃ ┗Re(8):歌い手は地道なものよ k・satou 05/11/20(日) 7:30 ┃ ┣Re(9):歌い手は地道なものよ 印刷屋 05/11/20(日) 11:40 ┃ ┗Re(9):歌い手は地道なものよ k・satou 05/11/21(月) 13:21 ┃ ┗Re(10):歌い手は地道なものよ レモン 05/11/21(月) 14:03 ┣Re(1):歌もいいもんだ 印刷屋 05/11/21(月) 11:28 ┣歌姫登場! レモン 05/11/21(月) 14:01 ┃ ┗Re(1):歌姫登場! 印刷屋 05/11/21(月) 15:46 ┃ ┗Re(2):歌姫登場! レモン 05/11/21(月) 17:24 ┃ ┗Re(3):歌姫登場! 印刷屋 05/11/21(月) 18:27 ┃ ┗Re(4):歌姫登場! レモン 05/11/21(月) 18:40 ┣Re(1):歌もいいもんだ 印刷屋 05/11/21(月) 21:11 ┣Re(1):歌もいいもんだ 印刷屋 05/11/25(金) 10:45 ┣Re(1):歌もいいもんだ レモン 05/11/25(金) 16:38 ┃ ┗Re(2):歌もいいもんだ k・satou 05/11/26(土) 9:45 ┃ ┣絵もいいもんだ k・satou 05/11/26(土) 13:18 ┃ ┃ ┣Re(1):絵もいいもんだ 印刷屋 05/11/26(土) 17:15 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):絵もいいもんだ レモン 05/11/27(日) 1:27 ┃ ┃ ┗Re(1):絵もいいもんだ レモン 05/11/26(土) 21:06 ┃ ┃ ┣Re(2):絵もいいもんだ BadBloke 05/11/27(日) 2:40 ┃ ┃ ┃ ┗絵も音楽もいいものだけれど レモン 05/11/27(日) 12:30 ┃ ┃ ┗Re(2):絵もいいもんだ k・satou 05/11/27(日) 7:11 ┃ ┃ ┣Re(3):絵もいいもんだ レモン 05/11/27(日) 12:41 ┃ ┃ ┃ ┗「冬の旅」にでましょう。 レモン 05/11/28(月) 8:35 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):「冬の旅」にでましょう。 k・satou 05/11/28(月) 10:45 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):「冬の旅」にでましょう。 レモン 05/11/28(月) 15:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):「冬の旅」にでましょう。 レモン 05/11/28(月) 20:09 ┃ ┃ ┗Re(3):絵もいいもんだ レモン 05/12/1(木) 10:10 ┃ ┗Re(3):歌もいいもんだ レモン 05/11/26(土) 20:57 ┗美空ひばりの国際性(1) 流水 05/11/29(火) 17:39 ┣Re(1):美空ひばりの国際性(2) 流水 05/11/29(火) 17:41 ┗Re(1):美空ひばりの国際性(3) 流水 05/11/29(火) 17:43 ┣Re(2):美空ひばりの国際性(3) k・satou 05/12/1(木) 9:02 ┗Re(2):美空ひばりの国際性(3) 悠々 05/12/1(木) 23:49 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 歌もいいもんだ ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com> ■日付 : 05/11/16(水) 20:47 -------------------------------------------------------------------------
ママさんたちを乗せると90%ぐらいは 美空ひばりの歌を 深夜 帰りの車でうたってるという。 カラオケセットまで載せたタクシーの運転手さんとの会話。 みんな ひばりが好きなんですね お客さんは いいね 俺は ”夕日に赤い帆” というのがいいね 残念です それはありません じゃ そのさきの 赤信号なんか無視して ”トウヤング”で 信号もだめです その歌も じゃ ”あの歳はとっても盲目でも”でいこう それは ありますよ しかし なぜあのマドロスさんは盲目になっちゃたんだい 糖尿病かな 人間てのは 酒なんか飲んでちゃいけねんだね シマのジャケツがよく似合うてのは 親父のことだね 親父の増吉てのは 川田晴久より声がよくナットキングコール の大ファンで ひばりも 先生とよぶのは 父と川田だけだったとか お身内のかた? 彼女には 妹の53歳でデビュウした佐藤勢津子しかいないよ。 以下略 しかしなぜ ”ひばり”はこんなに愛されているんでしょうかね 政権を考えるなら 一考には値しないかな。きっとしないね。 ”川の流れのように”というのが1番だというけど あんまり好きじゃないな。 |
K・satouさん、オハヨウございます。 今朝の八時過ぎです、演歌師を目指す私にとって(笑)、ひばり歌はいいですね。 私は何と云っても、乱れ髪、悲しい酒、哀愁波止場、がいいですね。余りに偉大過ぎて、今の歌手は足元にも及ばないどころか、影にも及ばないのでは、J・ポップ 流行の今日、演歌が廃れ行く時代になってきた、良いスレッドを立ち上げてくれました。私も立ち上げたが、応答がないので没にしました。今の青少年は達は、ハ〜 ヒ〜フ〜の声で、やたらと気色悪い裏声で唄い捲っていますが、歌も変わってきな と思うし、此れも時代の流れに流されて行く運命かなぁ、と思う次第です。 私も、浪曲、浪花節は好きなんです、広沢寅蔵の石松代参三十石は、いいですねぇ 「五年経ったら、・・下った・・・草津の・・身受け山鎌・郎、・・・此れが親分で・・ねぇ」、著作権発動されるので、何ともしびれる一節ですねぇ〜、又歌に戻りますが、長谷川伸作の、瞼の母、此れを中村美津子が唄って、台詞が入る此れが涙無くして見られない、名歌名作ですねぇ。今日もギターをつま弾く印刷屋でした。 |
▼印刷屋さん: おはようございます 星野哲郎作詞 船村徹作曲 みだれ髪 海に捨てた恋を髪の乱れに託して歌う 貫禄の歌ですね あれは はんぱなうたじゃありませんね 秋元康作作詞 見岳章作曲 川のながれのように こういう川底の浅い水量の乏しいとこじゃだめなんだね 黒髪てのは海でなくちゃ いままで 哀愁波止場がひばりにとっての最高音だったが 憎や恋しや 塩屋の岬というとこであれより半音高い歌唱力が 要求されたんだね 女が髪の官能を情感でコントロール するのは難しいという(熱烈フアンのどこかのママの受け売り) 男の私にはよくわからないが とにかく深遠なものらしい。 今 ひばりの実の妹の佐藤勢津子がとても姉には及びませんがと いいながら 一生懸命うたってます 勢津ちゃんに”私のノドをあげるわね”ということばをたよりに。 いくら素養があったにせよ53歳での主婦からデビュウだ けっして私の妹だからなんていわなかった ”ひばり”もさすがだけどね 今日は みだれ髪 にしときましょう では >K・satouさん、オハヨウございます。 >今朝の八時過ぎです、演歌師を目指す私にとって(笑)、ひばり歌はいいですね。 >私は何と云っても、乱れ髪、悲しい酒、哀愁波止場、がいいですね。余りに偉大過ぎて、今の歌手は足元にも及ばないどころか、影にも及ばないのでは、J・ポップ >流行の今日、演歌が廃れ行く時代になってきた、良いスレッドを立ち上げてくれました。私も立ち上げたが、応答がないので没にしました。今の青少年は達は、ハ〜 >ヒ〜フ〜の声で、やたらと気色悪い裏声で唄い捲っていますが、歌も変わってきな >と思うし、此れも時代の流れに流されて行く運命かなぁ、と思う次第です。 >私も、浪曲、浪花節は好きなんです、広沢寅蔵の石松代参三十石は、いいですねぇ >「五年経ったら、・・下った・・・草津の・・身受け山鎌・郎、・・・此れが親分で・・ねぇ」、著作権発動されるので、何ともしびれる一節ですねぇ〜、又歌に戻りますが、長谷川伸作の、瞼の母、此れを中村美津子が唄って、台詞が入る此れが涙無くして見られない、名歌名作ですねぇ。今日もギターをつま弾く印刷屋でした。 |
オハヨウございます、又々のお邪魔です。 大分寒くなってきました、私の財布も寒くてしょうが有りません。こういう時は熱燗で、家でヘッドホンを付けて、音楽を聴く、何せ日本酒を飲むわけだから、余りクラッシック、ラテン、シャンソン、ロック、では酒が運びません。ここは、やっぱり演歌と行こうと思ったが、聞えてきたのは、何故か裕次郎、まぁ〜いいか、此れも邦楽だ、♪狂った果実に始まり〜♪最後港町涙町〜で、ザエンド、この間小一時間ぐらいか、大分酒がはいり良い気分、ギターを取るなり、何故かエリーゼのために、を弾く、私の脳みそが分裂状態、そしてからジャンパーをハオリ、表に出る、三十石舟の台詞が出る、親分衆の名前、・・寺津の馬の助、西尾の・助、・ ・伊豆の台場・・大和田友・・雲風朝吉・・等々、すげえからなぁ〜♪其の勢いで 立飲み行き、能書き言い酩酊状態、タクシーで帰り結局私には大出費、つくずく、私はおめでたい男だ、実感する。 |
印刷屋さん: おはようございます 今朝は あんまり気分がよくないけど あれでいこう。 石本美由紀作詞 船村徹作曲 哀愁波止場 人の死を悲しみ 誰もいない夜の波止場で 波とかたる。 生と死。五木の子守唄によせ おどま盆ぎり盆ぎり盆からさきゃ おらんど。 盆は死者の霊の国からの訪れ 暗い波間に浮かぶブイをみつめる女の視線が とらえた夜の海 ああ あの人は逝ってしまった。 波止場に寄せる波の音は 好きだった五木の子守唄をくちずさんでいる ようだ。 淋しいなあ。私を一人になんかして。 今夜も泣けてしまう。 60年安保の時でした。 ペギー・葉山が”南国土佐をあとにして”なんてやってるとき ひばりは ビリーホリデイの アイル・ビー・シーイング・ユー を 下敷きに 椅子には腰掛けてはいない 波止場にたたずんでます。 > 星野哲郎作詞 船村徹作曲 みだれ髪 >海に捨てた恋を髪の乱れに託して歌う 貫禄の歌ですね >あれは はんぱなうたじゃありませんね > 秋元康作作詞 見岳章作曲 川のながれのように >こういう川底の浅い水量の乏しいとこじゃだめなんだね >黒髪てのは海でなくちゃ >いままで 哀愁波止場がひばりにとっての最高音だったが >憎や恋しや 塩屋の岬というとこであれより半音高い歌唱力が >要求されたんだね 女が髪の官能を情感でコントロール >するのは難しいという(熱烈フアンのどこかのママの受け売り) >男の私にはよくわからないが とにかく深遠なものらしい。 >今 ひばりの実の妹の佐藤勢津子がとても姉には及びませんがと >いいながら 一生懸命うたってます >勢津ちゃんに”私のノドをあげるわね”ということばをたよりに。 >いくら素養があったにせよ53歳での主婦からデビュウだ >けっして私の妹だからなんていわなかった ”ひばり”もさすがだけどね > 今日は みだれ髪 にしときましょう では > > >>K・satouさん、オハヨウございます。 >>今朝の八時過ぎです、演歌師を目指す私にとって(笑)、ひばり歌はいいですね。 >>私は何と云っても、乱れ髪、悲しい酒、哀愁波止場、がいいですね。余りに偉大過ぎて、今の歌手は足元にも及ばないどころか、影にも及ばないのでは、J・ポップ >>流行の今日、演歌が廃れ行く時代になってきた、良いスレッドを立ち上げてくれました。私も立ち上げたが、応答がないので没にしました。今の青少年は達は、ハ〜 >>ヒ〜フ〜の声で、やたらと気色悪い裏声で唄い捲っていますが、歌も変わってきな >>と思うし、此れも時代の流れに流されて行く運命かなぁ、と思う次第です。 >>私も、浪曲、浪花節は好きなんです、広沢寅蔵の石松代参三十石は、いいですねぇ >>「五年経ったら、・・下った・・・草津の・・身受け山鎌・郎、・・・此れが親分で・・ねぇ」、著作権発動されるので、何ともしびれる一節ですねぇ〜、又歌に戻りますが、長谷川伸作の、瞼の母、此れを中村美津子が唄って、台詞が入る此れが涙無くして見られない、名歌名作ですねぇ。今日もギターをつま弾く印刷屋でした。 |
オハヨウございます、ご機嫌は如何でしょうか? 無理はしないで下さい、このスレが、二人だけというのも寂しい限りです。皆さんは余り関心がないのでしょう。でも昔から、歌は世につれ世は歌につれ、と言われています、時代を反映するのでしょう。K・satouさんの唄詩に纏わる、文学的な表現、深く心に残るものがあります。ひばりの、悲しい酒、楽譜を見ながら練習をして、何とか様に成ってきました。この唄は、Am、Dm、E7、この三つのコードで、ポロン、ポロンでいいんですが、やっぱり、切ないメロディ〜を、イントロから入り、盛り上げて、メロ弾き、継ぎのアドリブメロ、この辺で聴いている方はジンと来る、唄っている方も盛り上がり、台詞が入り、最も感極まる、涙、涙、・・・と成る、一つのストリーが頭の中に甦る、此れで、エガッタとなる。 洋楽もいいですね、私は、モナリサ、と云うスタンダードナンバー、ナットキングコール、がいいですねぇ、その他たくさんと、在りますが、寝起きの私には、こんなとこですねぇ〜。朝早くすいません。 |
どうもみんなに 人気のないこのシリーズ これを最後としておきましょう。 作詞 藤浦洸 作曲 万城目正 悲しき口笛 ひばりのデビュウー初レコード 丘のホテルの赤い灯も というのだけど あんな子どもがどうして 大人の胸のあかりが消えるのが解るのか? どこのホテルをみて 藤原は作詞したのか どっからみて 戦場からの帰還兵の人が路地のかどをまがるのわかるのか? 不思議で まさか湾へ船をうかべて 望遠鏡で別れていくのを みていたのかと 不思議だった。 でも 本牧にいたというのに聞いたら すぐわかりました。 今と違いアメリカに占領されていて根岸・本牧・のまわりには ホテルがあり 口笛なんぞ吹ける状態じゃなかった。第8軍は怖かった。 つまり今と地形がちがうということ。人には聞くものです。 バラの花を一輪もってきてくれた あの帰還兵が明日も来ようと 口笛を吹きながら帰っていくのを 窓から見送る私は 純情なんだねえ。 でももうあえないな。情熱の灯はきえちゃたからね いつもの口笛が悲しくきこえる。 こんな唄を9歳ぐらいの子に歌われては かないませんね。では。 >おはようございます > 今朝は あんまり気分がよくないけど あれでいこう。 > 石本美由紀作詞 船村徹作曲 哀愁波止場 >人の死を悲しみ 誰もいない夜の波止場で 波とかたる。 >生と死。五木の子守唄によせ おどま盆ぎり盆ぎり盆からさきゃ おらんど。 > 盆は死者の霊の国からの訪れ > 暗い波間に浮かぶブイをみつめる女の視線が > とらえた夜の海 ああ あの人は逝ってしまった。 > 波止場に寄せる波の音は 好きだった五木の子守唄をくちずさんでいる > ようだ。 淋しいなあ。私を一人になんかして。 今夜も泣けてしまう。 >60年安保の時でした。 > ペギー・葉山が”南国土佐をあとにして”なんてやってるとき >ひばりは ビリーホリデイの アイル・ビー・シーイング・ユー を > 下敷きに 椅子には腰掛けてはいない 波止場にたたずんでます。 > > >> 星野哲郎作詞 船村徹作曲 みだれ髪 >>海に捨てた恋を髪の乱れに託して歌う 貫禄の歌ですね >>あれは はんぱなうたじゃありませんね >> 秋元康作作詞 見岳章作曲 川のながれのように >>こういう川底の浅い水量の乏しいとこじゃだめなんだね >>黒髪てのは海でなくちゃ >>いままで 哀愁波止場がひばりにとっての最高音だったが >>憎や恋しや 塩屋の岬というとこであれより半音高い歌唱力が >>要求されたんだね 女が髪の官能を情感でコントロール >>するのは難しいという(熱烈フアンのどこかのママの受け売り) >>男の私にはよくわからないが とにかく深遠なものらしい。 >>今 ひばりの実の妹の佐藤勢津子がとても姉には及びませんがと >>いいながら 一生懸命うたってます >>勢津ちゃんに”私のノドをあげるわね”ということばをたよりに。 >>いくら素養があったにせよ53歳での主婦からデビュウだ >>けっして私の妹だからなんていわなかった ”ひばり”もさすがだけどね >> 今日は みだれ髪 にしときましょう では >> >> >>>K・satouさん、オハヨウございます。 >>>今朝の八時過ぎです、演歌師を目指す私にとって(笑)、ひばり歌はいいですね。 >>>私は何と云っても、乱れ髪、悲しい酒、哀愁波止場、がいいですね。余りに偉大過ぎて、今の歌手は足元にも及ばないどころか、影にも及ばないのでは、J・ポップ >>>流行の今日、演歌が廃れ行く時代になってきた、良いスレッドを立ち上げてくれました。私も立ち上げたが、応答がないので没にしました。今の青少年は達は、ハ〜 >>>ヒ〜フ〜の声で、やたらと気色悪い裏声で唄い捲っていますが、歌も変わってきな >>>と思うし、此れも時代の流れに流されて行く運命かなぁ、と思う次第です。 >>>私も、浪曲、浪花節は好きなんです、広沢寅蔵の石松代参三十石は、いいですねぇ >>>「五年経ったら、・・下った・・・草津の・・身受け山鎌・郎、・・・此れが親分で・・ねぇ」、著作権発動されるので、何ともしびれる一節ですねぇ〜、又歌に戻りますが、長谷川伸作の、瞼の母、此れを中村美津子が唄って、台詞が入る此れが涙無くして見られない、名歌名作ですねぇ。今日もギターをつま弾く印刷屋でした。 |
このスレ、無くすのが勿体無いですねぇ〜、ミュージックは、国境が無い、心安らかに、想い々場面が脳裏に甦ってくる、私も他のサイト板で、お堅い話しを論議したが、只、疲れるだけで、結局は鶏卵の様の話しになってしまう。まぁ〜こう言う歌スレが無くなると、心のオアシス、癒しを、ジョーク、雑談に行くしかないですね。演歌師を目指す私にとって、悲しい酒・・・だねぇ〜。 |
▼印刷屋さん: しょうがないから 英語でもやろうじゃないの I want to live my life as Nikiti lived his life. つまり 俺も生きたや 仁吉のように。 と。早い話が浪曲だ。 勝太郎からいくかね カットは承知だね(管理人の) 飯岡の助五郎の子分で 洲の崎の政吉は 親分の名代で笹川の繁蔵の 祝儀賭場へいき 繁蔵が少ない 持ち金しかない政吉を 割増しして 披露してくれ これで男が立つたと気分をよくしていたが 突然 親分の助五郎をなじった国定忠治に とびかかる。 忠治は軽く手ではらいのけ ”性根のある男よ”と優しい目で政吉をみる。 どだい弱いものが 命をすてて 立ち向かってきたら 強いものはひいてやるというのが マナーというもの 男伊達。 >このスレ、無くすのが勿体無いですねぇ〜、ミュージックは、国境が無い、心安らかに、想い々場面が脳裏に甦ってくる、私も他のサイト板で、お堅い話しを論議したが、只、疲れるだけで、結局は鶏卵の様の話しになってしまう。まぁ〜こう言う歌スレが無くなると、心のオアシス、癒しを、ジョーク、雑談に行くしかないですね。演歌師を目指す私にとって、悲しい酒・・・だねぇ〜。 |
人気がないからと、消えるのはまだまだ気が早いと思いますよ。 所構わず歌うより、英語でも、ロマニ語でも、もちろん日本語でも、ここで気長に歌ってくださいな。 |
▼レモンさん: >人気がないからと、消えるのはまだまだ気が早いと思いますよ。 >所構わず歌うより、英語でも、ロマニ語でも、もちろん日本語でも、ここで気長に歌ってくださいな。 そんな 嬉しいことを! 一人でも聞いてて くれりゃ本望。 今日日 テロがどうとか 弱い者が 命まですてて 立ち向かってきたんだ。 これには なにか 深いわけがあるんだろう? なるほど聞いて見りゃ 理屈はお前のほうにある。というのでひとつ。 じゃ 姐さんよ 菜っ葉のコヤシを頼んだ! 勝太郎でいくよ。 国定忠治が賭場をひらいた場所が 老いて床につく親分のシマだった。 5尺に満たない大三郎という子分が一人で乗り込んでタンカをキる。 そんなこととは 知らなかった忠治は ”すまねえ。ゆるしてくれ。” と親分あての詫び状をさらさらと書き、その日一日分のアガリを差し出す。 ”ふざけんじゃね! 金なんかいらね!見損なうな!”と大三郎。 そこで 忠治は 膝を折って ”そうじゃねんだ。大三郎さん。この忠治から金をとったといえば おめえの親分のハクがつくんだ。ケチな金だが さあ持っていきなせ。” 頭を下げて大三郎は 詫び状と金を握り締め 飛ぶように 帰ってくる。と。 老親分は 井戸に身を投げ死んでいた。 冷たくなった親分を抱きしめ 泣きながら手に忠治の詫び状と金を 握らせると そのまま旅に出て ヤクザをすてる。 忠治の影に怯え病んで 腹もきれず 女郎のように井戸に身をなげ スイカのように冷たくなって死んだ姿に 自分の影を見たんだね。 泣く子も黙る大親分の国定忠治が謝ることにより 他にも大勢世話になった子分がいるのに たった一人でも乗りこむ。 両者とも男伊達をあげた。 よ! ご両人! お粗末さんでした。 またのおこしを。 |
オハヨウございます。 やっとゲストさんが来てくれましたね、嬉しいね、カンパァ〜イと行きたいとこだが、まだ早い、今から飲んでは、晩には、メロメロだぁー。 K・さんの浪花節調、講談、聴き入りました。 男の魅力、らしさ、を感じ入りますね、何にしても、人間という生き物は、歌と、離れられないですね、戦争は軍歌を歌い、自爆テロはイスラム経典を謳い、どれを取っても、切り離せない、良し悪しは別にして、とにかく歌は、世界の共通語と解釈し、日夜ミュージックに励み、皆さんに平和と感動を分け与える、此れこそ、ノーベル平和賞を頂く大いなるチャンスだと信じ、演歌、ジャズ、ワールドミュージック、此れを歌い、あの世とやらに安らかに逝きたいもんですね〜 |
なんだと!弱い者が 命まですてて強者にたち向かってきた? そんなのは 美徳でもなんでも ありゃしないぜ! お兄さん! 待ってましたと 叩きつぶすさ。そりゃ 強いほうが たまにゃ ひくこともある。つまり リスクを考えてのことよ! 捨て身の相手は怖いからね。 ツバでも目に入りゃ 医者へいくことになるし。 こういう 衛生観念の発達した奴とは あんまり飲みたくないね。 利根の川風 袂に入れて 月に棹す高瀬舟 ひとめ関の戸 叩くは 川の水にせかるる水鶏 月に村雲のかかる夜 虫の音が フッと鳴きやんでの ドンドン、ドンドン。 今晩は こんばんは 佐原からやってきた使いのものですが もうし お内儀さんへ 偽られて 家人が あけた戸口に 平手造酒の影。 繁造にたのまれての登場だね。御用の2文字を預かる博徒でありながらの 助五郎には 反感をみんなが持ってる。 待ってました! 社長!大統領! 今でいやあ 反権力というもんだね。 お粗末でした。 またのお越しを。 >今日日 テロがどうとか > 弱い者が 命まですてて 立ち向かってきたんだ。 > これには なにか 深いわけがあるんだろう? > なるほど聞いて見りゃ 理屈はお前のほうにある。というのでひとつ。 > >じゃ 姐さんよ 菜っ葉のコヤシを頼んだ! 勝太郎でいくよ。 > 国定忠治が賭場をひらいた場所が 老いて床につく親分のシマだった。 > 5尺に満たない大三郎という子分が一人で乗り込んでタンカをキる。 > そんなこととは 知らなかった忠治は ”すまねえ。ゆるしてくれ。” > と親分あての詫び状をさらさらと書き、その日一日分のアガリを差し出す。 > ”ふざけんじゃね! 金なんかいらね!見損なうな!”と大三郎。 > そこで 忠治は 膝を折って > ”そうじゃねんだ。大三郎さん。この忠治から金をとったといえば > おめえの親分のハクがつくんだ。ケチな金だが さあ持っていきなせ。” > 頭を下げて大三郎は 詫び状と金を握り締め 飛ぶように 帰ってくる。と。 > 老親分は 井戸に身を投げ死んでいた。 > 冷たくなった親分を抱きしめ 泣きながら手に忠治の詫び状と金を > 握らせると そのまま旅に出て ヤクザをすてる。 > 忠治の影に怯え病んで 腹もきれず 女郎のように井戸に身をなげ > スイカのように冷たくなって死んだ姿に 自分の影を見たんだね。 > 泣く子も黙る大親分の国定忠治が謝ることにより > 他にも大勢世話になった子分がいるのに たった一人でも乗りこむ。 > 両者とも男伊達をあげた。 よ! ご両人! > お粗末さんでした。 またのおこしを。 |
k.satou さん 衛生観念の発達した人間と、お酒を飲む気がしなければ、お茶を飲めばいいじゃない? |
大分寒くなり何時までも、表で飲んでいる訳にも行かないが、でもこの季節になると、忘年会のシーズンになり、にわかに飲食街が賑合う、まあ〜私の懐では精々、カラオケスナックぐらいしか行けない、立飲み、屋台おでん、此れが私にはいい処だ。屋台で飲む酒は、ついぞ、メロが口をつく、大木伸夫の、♪、路地の屋台のぉ〜灯にさえもぉ〜・・・そして、親ジ〜ィ、もう1〜パイ、・・・・そして酩酊、しかし気丈に振舞う、周りのお客さんに、唄を振舞う、♪〜胸にきかせる〜ハシゴ〜酒ェ〜と締める、周りのお客さんは、拍手、パチパチ、最後には若いお客が、万〜歳、万〜ザ〜イ・・・だと。 |
おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ、歌えおもちゃのチャチャチャッ! カタカナ言葉は向かっ腹がたつ?それでは おもちゃの茶茶茶、おもちゃの茶茶茶、歌えおもちゃの茶茶茶! そろそろお茶でも飲みましょう。 |
レモンさん、印刷屋です、 どうぞお気を静められて、腹が立つのを、横にして、笑ってください。 不快な、カタカナ、の使用申し訳在りません。ご機嫌よろしくなるのを、お待ち申し上げます。 |
▼印刷屋さん: >レモンさん、印刷屋です、 >どうぞお気を静められて、腹が立つのを、横にして、笑ってください。 >不快な、カタカナ、の使用申し訳在りません。ご機嫌よろしくなるのを、お待ち申し上げます。 こんばんは。 お気遣いには感謝いたしますけれど、いつも笑顔の美人ですもの、腹なんかたてておりませんのに。 ところで、どこかに私が腹をたてるようなこと、書いてあるのでしょうか? |
印刷屋です、私の脳みそが、分裂をし真面目な冗談を、言えと言うし、活字になると、解らないから、止めろとと言うし、自分の頭が、滅茶苦茶なんです、計りに、 測れないんです。至らない事は、ご容赦下さい。 |
印刷屋さん さすが、印刷屋さん。活字と余白の加減が、とても雄弁ですこと。 真面目な人間は苦労するものですね。 冗談が通じないとバカにされ、冗談を言うと怒られる。 私とやりとりしているうちに、本当に支離滅裂になってきたようで、ごめんなさい。 |
演歌の大御所作曲家、船村徹、才能を持ちながら亡くなってしまった高野公男、そして、このコンビで、別れの一本杉、大ヒットさせ、今もこの歌が唄われている。そして、船村は言う、彼が居たから、今の俺があると、律儀に今でも命日は、高野の故郷である、茨城の笠間に、墓前参りをするそうだ。何とも義理堅い男、船村ならでの話しである。何時だったか、売り出す前の、苦労話をしていた事を、テレビで見たが在るが、ボツボツと栃木弁で話す様は、片や茨詭弁の高野とこの上ない名コンビだったのだろう。蒲田での、キャバレーの話し、茨城の友部での、リヤカームシロ旗での興業案内の、話しなど苦労を重ねた、船村ならではの逸話である。ともあれ、船村には、益々名演歌を期待する、演歌師印刷屋であります。 |
失礼を致します、チョイトスペースを、お借りします。 世の中に歌を唄う人は、掃いて棄てる程いるが、其の仲のほんの一部の人が、メジャーとなり持て囃され、後はマイナーの厳しい生活、地方の前座廻りや、アルバイト、苦難の道が待っている、努力を重ねても報われず、沈んでいく歌手もいる。 他方で、煌びやかな衣装で画面に映り、芸能雀がピーチクパーチク、囃し立てる、孫にも衣装、より、歌より衣装、になって来ているのは、NHKと言うメディアに依る処が大きい、又、紅白も大衆心理を読もうとして、あの手この手のアンケート調査?其処には未納聴視料金を何とか、納付してもらうのが、狙いのようだ。 私は、紅白は見ない事にしているが、実力歌手の歌ならいいが、訳の判らない歌を聴くには閉口する、其れは私の一人善がりの考えからだ、大衆には逆らえないが一緒に流されるのは、むかっ腹が立つ、反ポピリズム・・・かな〜 |
K.satou さん 53歳でデビューした歌手がいるとか。 私もまだまだ間に合いそうだわ。地道に練習すればね。 |
▼レモンさん: なかなかその道というのはどこも厳しいらしい。 佐藤勢津子さんは 53歳からもう14年もプロやってる。 私は 尊敬までするね。好きだから歌う。一生懸命に。その姿に。 よくどこか遠くのほうで吠えたり 理屈をこねたりしてるだけで 同調するものを集め激励するんじゃなくただケチをつけるのもいる。 仲間がいれば その現場まで歩いてきて話を聞き じゃ一緒に なって掛け合おうじゃないか 俺もやれるだけやるから どうだい 一緒にやろうじゃないか どうだい!みんなでやりゃなんとかなったじゃないか。 といいながら別のとこへいく。 組合つくりなんかもこの掲示板なんかも同じだね。 ”なだ”さんは みんなにフラットな関係の兄弟関係をこそ望まれてる。 親分・子分のヒエラルキー的な親子関係を じゃないと思うんだけどね。 かってな浪花節はやめてくれ!と言われそうなんで。 おあとがよろしいようで。失礼します。 >K.satou さん > >53歳でデビューした歌手がいるとか。 >私もまだまだ間に合いそうだわ。地道に練習すればね。 |
絵でも習いにいこうかな?と 知り合いに聞いたのが悪かった 年期をいれた辛抱と勉強が必要とされるから あなたには 一番の向こう岸にあるものだから まあやめたほうがいい。 あのゴッホでさえ 本人が生きてるうちに売れたのは たった1枚だけ。 モネなんか官展で落選したんだぜ。 完成しているとされているものの壁は 皆の前に鉄の壁より丈夫で 立ちふさがってるんだ。よせ。よせ。と。 それほどの決意も必要とされるものとはつい知らず、すなおに 忠告に従うことにしました。如是我聞。 禁酒の誓いを立てては破る己の意志薄弱をおもえば なるほどと納得。 >▼レモンさん: >なかなかその道というのはどこも厳しいらしい。 >佐藤勢津子さんは 53歳からもう14年もプロやってる。 > 私は 尊敬までするね。好きだから歌う。一生懸命に。その姿に。 > > よくどこか遠くのほうで吠えたり 理屈をこねたりしてるだけで > 同調するものを集め激励するんじゃなくただケチをつけるのもいる。 > 仲間がいれば その現場まで歩いてきて話を聞き じゃ一緒に > なって掛け合おうじゃないか 俺もやれるだけやるから > どうだい 一緒にやろうじゃないか > どうだい!みんなでやりゃなんとかなったじゃないか。 > といいながら別のとこへいく。 > 組合つくりなんかもこの掲示板なんかも同じだね。 > ”なだ”さんは みんなにフラットな関係の兄弟関係をこそ望まれてる。 > 親分・子分のヒエラルキー的な親子関係を じゃないと思うんだけどね。 > かってな浪花節はやめてくれ!と言われそうなんで。 > おあとがよろしいようで。失礼します。 > > >>K.satou さん >> >>53歳でデビューした歌手がいるとか。 >>私もまだまだ間に合いそうだわ。地道に練習すればね。 |
▼k・satouさん: お邪魔します、私は絵心は在りませんが、昔のバブル絶頂期に、絵画バブルが起こり、一般の人まで絵画投資にのめり込み、私の知り合いが、見栄を張って多額な金を、銀行から借り入れ、私も知らない画家の作品を買って、大損をして自殺をしてしまった人がいたが、なんとも哀れで、やり切れない思いがしましたね。後日談にはなるが、裏で、絵画ブローカーに、騙され遣り繰られたらしいが、其処まで国民の熱が沸騰状態になっていたんですね、当人には、可愛そうだが、こっけいにも映りましたね。やはり、自分の知らないことはやるもんでは無いですねえ〜 カラオケで歌でも、唄ってれば、幸せで居られたのになあ〜と・・・・ >絵でも習いにいこうかな?と > 知り合いに聞いたのが悪かった > 年期をいれた辛抱と勉強が必要とされるから > あなたには 一番の向こう岸にあるものだから まあやめたほうがいい。 > あのゴッホでさえ 本人が生きてるうちに売れたのは たった1枚だけ。 > モネなんか官展で落選したんだぜ。 > 完成しているとされているものの壁は 皆の前に鉄の壁より丈夫で > 立ちふさがってるんだ。よせ。よせ。と。 > それほどの決意も必要とされるものとはつい知らず、すなおに > 忠告に従うことにしました。如是我聞。 > 禁酒の誓いを立てては破る己の意志薄弱をおもえば なるほどと納得。 |
印刷屋さん こんばんは。 絵の話で思い出しました。 黒川博行 作「蒼煌」という小説、日本画壇の裏話が興味深く書かれていました。 私は絵を見る目が変わりました。(単純かな) |
▼k・satouさん: >絵でも習いにいこうかな?と > 知り合いに聞いたのが悪かった > 年期をいれた辛抱と勉強が必要とされるから > あなたには 一番の向こう岸にあるものだから まあやめたほうがいい。 > あのゴッホでさえ 本人が生きてるうちに売れたのは たった1枚だけ。 > モネなんか官展で落選したんだぜ。 > 完成しているとされているものの壁は 皆の前に鉄の壁より丈夫で > 立ちふさがってるんだ。よせ。よせ。と。 > それほどの決意も必要とされるものとはつい知らず、すなおに > 忠告に従うことにしました。如是我聞。 > 禁酒の誓いを立てては破る己の意志薄弱をおもえば なるほどと納得。 なあんだ、もうあきらめてしまったんですか? 70歳から独学で始めた、すごい絵を描く人を知っています。 戦地で見た太陽の絵、私の心に焼き付いています。 有名な画家にも、政治家みたいな人がいて、小切手代わりの絵を描くそうです。 |
▼レモンさん: BadBlokeですが、ちょっと失礼して、...... > >なあんだ、もうあきらめてしまったんですか? >70歳から独学で始めた、すごい絵を描く人を知っています。 >戦地で見た太陽の絵、私の心に焼き付いています。 > >有名な画家にも、政治家みたいな人がいて、小切手代わりの絵を描くそうです。 むかし、NHKホール横の広場にある売店で犬と休憩していたら、ひとりの男が近づいてきて、「いい犬ですね」とかなんとか言うんですね。で、しばらくおしゃべりするうちに、すっかり意気投合したって感じになってしまいまして、その人もいつのまにか同じテーブルについていて、ぼくにコーヒーか何か(ソフトクリームではなかったはず)をおごってくれたりなんかして、結局、数時間も話し込んでしまいました。 その人は、NHKホールでの仕事が終わったばかりと言ってましたが、ある女性演歌歌手の専属ピアニストのようなことをしていたそうです。その歌手の名前を聞いていましたが、日本の歌謡界を代表するような超大物ですし、そのピアニストのプライベートな話にもなるので、ここでは名前を伏せておきます。 また前置きが長くなりましたけれど、そのピアニストから聞いた話とは、こうでした。彼は銀行員でしたが、どうしても音楽をやりたいという気持ちが捨てきれず、ついに銀行をやめ、恵比寿だかにあったピアノ教室でジャズピアノをやり始めたそうです。それがなぜ、演歌歌手の専属なのか。そこには、やはり人生の出会いがあり、そして、人にはパンも必要だという話だったのかもしれません。ただ、どうも演歌の仕事を、ただパンのためだけにやってきたようにも見えなかったのです。ジャズと演歌、まったくちがう世界のようでいて、その歌手の音楽にかける情熱のようなものに、彼はどこかで惚れていたように、ぼくは感じました。 「あ、こんなに長話をしてしまって申し訳ない」とか言って、その人は席を立ち、NHKホールの方へ帰って行きました。「横浜に遊びに来た時は連絡をください」と言われていただいた名刺でしたが、その後、再びお会いすることはありませんでした。犬のおかげで出会うことのできた、忘れられない人たちの中で、あのピアニストのことを、時に思い出すことがありました。この掲示板で思い出したのも、やはり出会いなのでしょう。 |
BadBloke さん こんにちは。 今日はお天気がよくて、犬の散歩日よりですね。 犬も音楽も絵も、なくては生きていけない人間がいますけれど、それだけでは生きていけない、ということを考えるメッセージでした。 書き込みいただき、どうもありがとうございました。 |
▼レモンさん: じゃ 絵を見る分にはいいだろうな?と ナポレオン展というのやってるからいこうぜ! というのがいて、多分誘った相手に振られて声をかけてきました。 いつも同じような花じゃ ”女心は難しいものだ”と教えてやろうかな と つい親切心で でかけました。 すごい人気で第3駐車場まであり延々の車で とてもとても 入ってもこれじゃ 前の方で観てる人の頭さえみれないからやめよう とユウータン。 蕎麦屋に入り ところでゴッホをみてきたとか? 聞いた私がバカだった。他人の話というのは聞いてるだけで大変で 気が疲れるし金もかかるものです。以下又聞き。 ガッシュ医師の娘さんが庭に立っている絵なんかとても狂人が描いたものとは 思えない。それにしても 自分の狂気を自覚しての生活てのは 大変なものだろう。 母親や弟への手紙への一貫した愛情は半端じゃあないぜ。 傷つきやすい神経が常人の限界を超えるとこまで思いつめるとああなる。 お前にはとてもワカンネエだろうな! なるほど 俺は一応常人なんだ。と感心し。 しかし剃刀で自分の耳を切ったりして 麦畑でピストルで胸まで撃ち死ねず傷をおさえて坂道を宿まで あえぎ歩いたというけど さぞ痛かったことだろうな! 注射が大嫌いで 都度血管がスットいなくなる特異体質!の私。 痛いのはごめんです。 >▼k・satouさん: >>絵でも習いにいこうかな?と >> 知り合いに聞いたのが悪かった >> 年期をいれた辛抱と勉強が必要とされるから >> あなたには 一番の向こう岸にあるものだから まあやめたほうがいい。 >> あのゴッホでさえ 本人が生きてるうちに売れたのは たった1枚だけ。 >> モネなんか官展で落選したんだぜ。 >> 完成しているとされているものの壁は 皆の前に鉄の壁より丈夫で >> 立ちふさがってるんだ。よせ。よせ。と。 >> それほどの決意も必要とされるものとはつい知らず、すなおに >> 忠告に従うことにしました。如是我聞。 >> 禁酒の誓いを立てては破る己の意志薄弱をおもえば なるほどと納得。 > >なあんだ、もうあきらめてしまったんですか? >70歳から独学で始めた、すごい絵を描く人を知っています。 >戦地で見た太陽の絵、私の心に焼き付いています。 > >有名な画家にも、政治家みたいな人がいて、小切手代わりの絵を描くそうです。 |
K.satou さん いろいろなことに関心をお持ちなんですね。 女心は難しいものだそうで大変ですね。 ゴッホ展、行きました。1時間以上並んで、人の頭見てきました。 ようやく見たい絵の前に立ったら、美術館の人が立ち止まらないで見るようにとうるさいのです。絵の前をカニのように歩かなくてはならないそうです。 私は頑固なので、見たい絵だけはじっくり立ち止まって見て来ました。 |
親愛なるK.satouさん K.satouさん、畑仕事もお休みだとか。 自作の詩の発表は著作権があるから駄目? 絵も早々と断念。 そして、他人の歌を聞くのはしんどい。 もう、自分で歌手になるしかないですね。 私が伴奏ピアニスト。 「冬の旅」などいかがですか? ときには三味線で伴奏もいいかも。 マネージャーは、犬のジェントルマン。 |
▼レモンさん: 三味線!いいですね。 柳の川端を チンカラ チンカラとあだな年増と相三味線。 店から声がかかり 一曲披露。おひねりを袂に入れてチンカラ。 現実 うちはカラオケがあるし 客がかってに歌うからお呼び出ない。 というのが多く 現代の北島三郎もアイ・ジョージも失業中らしいです。 旅といえば昔の日本の女は外出しなかった。 町方でも良家ほど墓参りか病気見舞い以外、お日さんにも外の風にも あたらなかった。 花見とか潮干狩りにでもいけば 大事件で一生の話の種にしたそうです。 陰まいりなど伊勢神宮へなども妙齢のものはいかなかった。爺婆ばかり。 今のドラマで外出しているのをみれば全部ウソ。 スリか女賊だけが歩いていたとすれば さだめし”美女をみたら賊と思え” というとこです。 犯罪性のある女だけが昔の日本で強い個性をもっていたとしたら 最近は 隠花植物ではなく 自己主張をしっかりされる女姓が増えたことは 大いに いいことだと思いますね。へんな躾をかなぐりすてて のびのび と個人的な考えや動き方をするのにも 旅っていいものです。 >K.satouさん、畑仕事もお休みだとか。 > 自作の詩の発表は著作権があるから駄目? > 絵も早々と断念。 > そして、他人の歌を聞くのはしんどい。 > >もう、自分で歌手になるしかないですね。 > 私が伴奏ピアニスト。 > 「冬の旅」などいかがですか? > ときには三味線で伴奏もいいかも。 > マネージャーは、犬のジェントルマン。 |
▼k・satouさん: >▼レモンさん: >三味線!いいですね。 >柳の川端を チンカラ チンカラとあだな年増と相三味線。 >店から声がかかり 一曲披露。おひねりを袂に入れてチンカラ。 > 現実 うちはカラオケがあるし 客がかってに歌うからお呼び出ない。 > というのが多く 現代の北島三郎もアイ・ジョージも失業中らしいです。 >旅といえば昔の日本の女は外出しなかった。 >町方でも良家ほど墓参りか病気見舞い以外、お日さんにも外の風にも >あたらなかった。 >花見とか潮干狩りにでもいけば 大事件で一生の話の種にしたそうです。 >陰まいりなど伊勢神宮へなども妙齢のものはいかなかった。爺婆ばかり。 >今のドラマで外出しているのをみれば全部ウソ。 > スリか女賊だけが歩いていたとすれば さだめし”美女をみたら賊と思え” > というとこです。 > 犯罪性のある女だけが昔の日本で強い個性をもっていたとしたら >最近は 隠花植物ではなく 自己主張をしっかりされる女姓が増えたことは >大いに いいことだと思いますね。へんな躾をかなぐりすてて のびのび >と個人的な考えや動き方をするのにも 旅っていいものです。 > 掲示板のスレッドを歩き回る私って、犯罪性のある女? 美女を見たら賊と思え、なんて困るワ。 |
K.satou さん デビューは大晦日、渋谷NHKホール! の横の広場ですから、よろしくね。 |
K・satouさん ムンクだか、モンクの叫びというのは、やかましいものですね。 お名前の登録、うまくいきました。 |
▼k・satouさん: >▼レモンさん: >なかなかその道というのはどこも厳しいらしい。 >佐藤勢津子さんは 53歳からもう14年もプロやってる。 > 私は 尊敬までするね。好きだから歌う。一生懸命に。その姿に。 > > よくどこか遠くのほうで吠えたり 理屈をこねたりしてるだけで > 同調するものを集め激励するんじゃなくただケチをつけるのもいる。 > 仲間がいれば その現場まで歩いてきて話を聞き じゃ一緒に > なって掛け合おうじゃないか 俺もやれるだけやるから > どうだい 一緒にやろうじゃないか > どうだい!みんなでやりゃなんとかなったじゃないか。 > といいながら別のとこへいく。 > 組合つくりなんかもこの掲示板なんかも同じだね。 > ”なだ”さんは みんなにフラットな関係の兄弟関係をこそ望まれてる。 > 親分・子分のヒエラルキー的な親子関係を じゃないと思うんだけどね。 > かってな浪花節はやめてくれ!と言われそうなんで。 > おあとがよろしいようで。失礼します。 > 何事も本物を目指す道は、厳しいものですね。 簡単なのは、他人にケチをつけること。 |
SATOUさん、 美空ひばりの話、興味深く読みました。以下の文は、あるところで書いた美空ひばりについての所見です。 SATOUさんの美空ひばり論と交わっていれば、よいのですが。 わたしは、少女時代の美空ひばりが好きです。 少年時代、青空映画館でよく映画をみました。当時、わたしの田舎には映画を上映できるだけの建物がありませんでした。そのため、中学校のグランドに白幕を張り、野外で映画を上映していました。 まだ幼かったわたしは、姉に連れられて見にいきました。 わたしの美空ひばりの記憶は、青空映画館の美空ひばりです。わたしとそんなに年齢が違わないのに画面の中のひばりは、光り輝いていました。 わたしが一番記憶に残っているのは、ひばりが源義経を演じたものでした。 颯爽とした九郎判官と同時に兄に追われ流れ行く九郎判官、この陰影に富んだ人物を見事に演じていました。 わたしには、流れいく九郎判官を演じるひばりの姿に、胸を打たれた記憶が鮮やかに残っています。 山折氏の指摘されるように、「美空ひばりは天才であるとともに絶えず無常を感じていた節がある」のかもしれません。 しかし、わたしは同時に美空ひばりの国際性こそが、彼女の凄さではないかと思えてならないのです。 「悲しき口笛」で考えて見ます。 丘のホテルの赤い灯も 胸のあかりも消える頃/港小雨が降るように 節も悲しい口笛が /恋の街角露地の細道 流れ行く (藤浦 洸 作詞 万条目正 作曲) この歌の出だしのメロデイーは、NHKラジオ歌謡、「鐘の鳴る丘」の出だし「緑(みどり)の丘(おか)の 赤い屋根(やね)とんがり帽子の 時計台(とけいだい)」(作詞 菊田一夫 作曲 古関裕而)に酷似しています。 わたしも何度か間違えそうになったくらいです。 ところが、ひばりの「悲しき口笛」はすぐさまその視線を変えます。 敗戦後、明かりも点らない横浜の町を睥睨していた自家発電でまばゆいばかりの明かりを放っていたのは、占領軍GHQが接収したホテルの明かりです。その明かりが消えた頃、小雨に濡れながら路地の奥へ消え去っていく帰還兵の背中に注がれていくのです。 家城巳代治監督の「悲しき口笛」では、この敗戦帰還兵を原保美が演じていました。小雨にぬれたくらい路地裏の道を何も語らず黙って歩きさっていく帰還兵の背中に、敗戦・占領・生きる(復興)という現実と、何も信じるものをなくした帰還兵たちの心情が痛いほど伝わってきました。 |
話を少し脱線させると、黒澤明監督の「天国と地獄」の犯人(山崎努の出世役)が、自分の住んでいる暑くて狭苦しいアパートの窓から眺める陸の上の豪邸(三船敏郎が演じていた社長の家)になんともいえない敵意を燃やしたんだ、という台詞がありましたが、「悲しき口笛」の帰還兵の心情にいくばくか通じるものでした。 これに対してNHKラジオ歌謡は、「緑(みどり)の丘(おか)の 赤い屋根(やね)」から以下のように続きます。 とんがり帽子の 時計台(とけいだい) 鐘(かね)が鳴(な)ります キンコンカン メイメイ小山羊(こやぎ)も 鳴いてます 風が そよそよ 丘の家(いえ) 黄色(きいろ)い お窓(まど)は おいらの家よ ここに表現されているのは、時計台のある教会と芝生の上で遊ぶ小山羊(こやぎ)というイメージです。ここに表現されているのは、米国的理想の家庭(ピューリタン的)のイメージです。 この歌は、戦争後巷に溢れた戦争孤児を収容したキリスト教会の慈善事業を題材にとったものですが、このNHK歌謡のイメージに込められているメッセージこそ、占領軍(GHQ)の日本統治政策の一つの柱だったのです。 そして、このイメージが、戦後日本の主低音の一つであったことは間違いないと思います。 しかし、ひばりの目線は違いました。日本人の羨望の的だったであろう丘の上の明かりより、小雨に濡れた暗い路地裏道を黙って歩き去っていく男の背中に注がれていたのです。 これがひばりが背負い、体現した「戦後」だったと思います。 しかし、ひばりはこの歌を、陰陰滅滅とした日本型演歌とは違う感性で歌ったのです。 後年のひばり演歌と、「悲しき口笛」は全くちがうものでした。このひばりの歌い方は、ひばりが育った横浜との関係なしには説明できないと思います。 あまり人には知られていませんが、ひばりはジャズもタンゴもブギウギも何でも歌い、それがまた非常にうまかったといわれています。 しかし、ひばりの生まれ育ったのは、元町や伊勢崎町、山手などの横浜ではなく、滝頭や野毛でした。 野毛は、戦後すぐは闇市でした。滝頭はきわめて庶民的な町でした。元町や関内やメリケン波止場は米軍に接収されていました。 つまり、ひばりは、米国文化にすぐ近くで接しながら、生きるに懸命な庶民の混沌としたエネルギーを肌で吸収していたと思います。 駄菓子屋のおばさん、一膳飯屋のおじさん、博徒、ポン引き、パンパン、引揚者、敗戦帰還兵など、それこそ雑多な人たちが肩を接しながら坩堝のような町で生きていたに違いありません。 だからこそ、ひばりの「悲しき口笛」の視点は、丘の上の煌々たるホテルの灯りではなく、小雨の降りしきる暗い路地裏を濡れそぼりながら、肩を落として歩く敗戦帰還兵の背中に注がれたのだと思います。 |
一言で言えば、ひばりの「悲しき口笛」は、日本でもなく、外国でもない、「海峡の歌」ではないかと思うのです。 敗戦後、旧満州、朝鮮などから多くの日本人が引き揚げました。彼らの多くは、事実上の棄民でした。戦前は、「王道楽土の建設」というスローガンに踊らされ、日本を捨てて出かけました。 敗戦間際のソ連軍の侵攻により、旧帝国陸軍に捨てられ、命からがら逃げ帰った日本では、引揚者という視線にさらされました。 朝鮮と日本を隔てる「対馬海峡」は、地理学的差異以上の思想的感覚的差異を引揚者に与えていたのです。 五木寛之や生島次郎などの引揚者が最も住みやすかったのは、「横浜」だったと口をそろえて証言しています。 横浜という町は、それだけ、引揚者を好奇な目で眺めるような閉鎖性がなく、誰にでも寛容な町だったのでしょう。 ひばりの国際性は、この引揚者の感性と微妙に重なり合っているように思います。 「悲しき口笛」当時のひばりは、何も意識しないで、この「海峡」をつなぐ思想を体現していたように感じます。ひばりの「天才性」は、たくまずして時代を超える思想と感性を体現していたところにあると思います。 |
▼流水さん: 異論などございませんがあの”風酒場”あたりから国際性を自覚して きたのではないか?と思いますが それまでは 好きで歌っていた。と。 1800ぐらいもある持ち歌のこと。”川の流れのように”にまでは まだまだ。 釈迦をもちだす輩から 老人党宣言すら読んでいないと罵倒され 本日は不愉快なので また。 >一言で言えば、ひばりの「悲しき口笛」は、日本でもなく、外国でもない、「海峡の歌」ではないかと思うのです。 > >敗戦後、旧満州、朝鮮などから多くの日本人が引き揚げました。彼らの多くは、事実上の棄民でした。戦前は、「王道楽土の建設」というスローガンに踊らされ、日本を捨てて出かけました。 >敗戦間際のソ連軍の侵攻により、旧帝国陸軍に捨てられ、命からがら逃げ帰った日本では、引揚者という視線にさらされました。 >朝鮮と日本を隔てる「対馬海峡」は、地理学的差異以上の思想的感覚的差異を引揚者に与えていたのです。 >五木寛之や生島次郎などの引揚者が最も住みやすかったのは、「横浜」だったと口をそろえて証言しています。 >横浜という町は、それだけ、引揚者を好奇な目で眺めるような閉鎖性がなく、誰にでも寛容な町だったのでしょう。 > >ひばりの国際性は、この引揚者の感性と微妙に重なり合っているように思います。 >「悲しき口笛」当時のひばりは、何も意識しないで、この「海峡」をつなぐ思想を体現していたように感じます。ひばりの「天才性」は、たくまずして時代を超える思想と感性を体現していたところにあると思います。 |
▼流水さん: はじめまして。早速ですが、お願いがございます。もしお差支えなければ、 「体感速度20kmの社会と日本国憲法」のお話をお伺いしたいのですが・・。 >五木寛之や生島次郎などの引揚者が最も住みやすかったのは、「横浜」だったと口をそろえて証言しています。 >横浜という町は、それだけ、引揚者を好奇な目で眺めるような閉鎖性がなく、誰にでも寛容な町だったのでしょう。 横浜は昨年ペリー艦隊来航から150年を迎えました。その当時に2ヶ月近く1900人もの外国人とさまざまな交流があったことは、その後の横浜というまちのありように影響をあたえました。下田沖に停泊中のミシシッピ号に密航を試みた吉田松陰らについての興味ある記述から。「漢文をよどみなく見事に書き、物腰も丁寧で洗練されている・・知識を求めて生命さえ賭そうとした教養ある日本人の激しい知識欲・・・道徳的・知的に高い能力・・この興味ある国の前途はなんと有望か。」(横浜YOKOHAMA2004夏号)2009年まで開港を記念して、さまざまなイベントが予定されております。 >「悲しき口笛」当時のひばりは、何も意識しないで、この「海峡」をつなぐ思想を体現していたように感じます。ひばりの「天才性」は、たくまずして時代を超える思想と感性を体現していたところにあると思います。 ほとんど日本の演歌に接することのない環境にあった娘も、美空ひばりには惹かれるところ少なからず、「美空ひばりの国際性」を興味深く拝見いたしました。 |