Page 1338 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一、一. 七篠 権平衛 06/1/1(日) 14:07 ┣ご注意>七篠 権平衛さん 管理スタッフ 06/1/3(火) 11:15 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一.二 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:19 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の一、三 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:27 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の一、四 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:32 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の一、五 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:35 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の一、六 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:40 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。 其の二、一 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:44 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、二. 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:52 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、三. 七篠 権平衛 06/1/4(水) 12:58 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、四. 七篠 権平衛 06/1/4(水) 13:02 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、五 七篠 権平衛 06/1/4(水) 13:05 ┣Re(1):神道は、偶像礼拝に非ず。其の三、一 七篠 権平衛 06/1/4(水) 13:08 ┃ ┗Re(2):神道は、偶像礼拝に非ず。其の三、二 七篠 権平衛 06/1/5(木) 0:05 ┃ ┣:神道は... (サブ・コメント 1.) 七篠 権平衛 06/1/5(木) 0:19 ┃ ┃ ┗神道は... (サブ・コメント 2.) 七篠 権平衛 06/1/5(木) 0:27 ┃ ┃ ┗神道は... (サブ・コメント 3.) 七篠 権平衛 06/1/5(木) 0:41 ┃ ┗:神道は、偶像礼拝に非ず。其の三、三 七篠 権平衛 06/1/5(木) 2:06 ┗警告します>七篠 権平衛さん 管理スタッフ 06/1/4(水) 14:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一、一. ■名前 : 七篠 権平衛 ■日付 : 06/1/1(日) 14:07 -------------------------------------------------------------------------
先ず第一に、何より言明すべきは、神道は偶像を作らず、神社は決して偶 像を礼拝する所ではない。従って、いかなる人も、物も、偶像として神社に祀 られるなどは、一切あり得ません。 教えを正しく理解しない者が、偶像を求めて道を誤るのは、残念ながら日本 に限らず、人類共通の困った問題です。 日本人が死者を祀るのは、決して死後にまで魂魄を、世俗の欲や穢れにまみ れさせた上で偶像扱いなど、する目的ではない。只ひとえに、万物総ての根元 である神の、人知を超えた大いなる慈愛の御懐に、死者たちの魂の、死後の平 安を託すためです。 天と地の総てを創られ支配する神は、卑小な人間の知力では、決して全容を 捉え得ず、推し量り得ない。どれ程の思慮、思索を巡らし、又どれ程の想像を 巡らそうと、その存在も、御心も、人知の及ぶ範囲を遙かに遠く大きく超えて います。限りある人の身の、拙い知を尺度とし、人格になぞらえて推量するこ とさえも、実は畏れ多いとの自戒を、常に欠くべきでない。それは、大古の昔 から自明のことでしたが、今の科学の最先端の粋を集めてもなお、全くこの通 りであることをこそ、我々は更に深く、日々思い知らされるばかりです。 神社は元々、この事をこそ人々が、特に肌身に染みて深く感じられる様な、 天と地の呼応する霊気に溢れるスポットごとに建てられて来たのです。 |
▼七篠 権平衛さん(69652・69659・69661・69666): Ray@スタッフです。 これらの書き込みは、 ・重複するテーマ(主題)による複数のスレッドの並立 に該当するためご注意申し上げます。 すでにある書き込みに関連する話題を書き込む(返信する)場合は、 掲示板左上・左下の「新規投稿」からではなく、 返信したい書き込みの右上にある「返信」をクリックしてお書きください。 掲示板の円滑な運営にご理解とご協力を賜りますよう よろしくお願いいたします。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69659】神道は、偶像礼拝に非ず。 七篠 権平衛 - 06/1/1(日) 15:20 - 何方の神社も皆、只ひたすら畏敬の念から神を尊び祀るため、古代より受 け継がれて来ました。太古の昔には社殿すらも無く、只、万物を育む生命の 気が、再び天へと昇り又、循環する為に、地表を破って湧き出し天と呼応す る山こそが霊域であり、その森は人々の信仰を育む庭となりました。 日本人は古来、生物、無生物を問わず、形あるもの総てには魂が宿ると信 じて来ました。目に見える形のみでなく、心に迫る何がしかの存在感、何が しかの印象を残すもの、総称して「形」と言います。だから言葉にも「言霊」 が宿ると信じました。 が、形は変転します。生きとし生けるもの皆、成長と共にその姿形を変え、 盛りを過ぎれば老い、やがては死に至る。が子孫を残すかぎり、その形は少 しずつ変わりながらも子々孫々が営々と受け継いで行く。又、物は必ず、遅 かれ早かれ摩耗して尽いえ去るか、あるいは壊れて形を変えて行き、別の物 へと変転する。 各々の内なる魂は、「変転に抗し形を保とうとする性質」と呼び換えても 良い。物は形を保とうとし、生き物は命を保とうとします。が、決して抗い 続けることのみが目的ではなく、各々の魂は、形あるものが、形としての使 命を全うするために在る。それ故、形と共に魂の姿も次第に変転する。そし て変転の果て、形の尽きるとき、総てのものは土に還る。万物を生み出す大 地から生まれた諸々のものは又、再び大地と合一するのです。そして形を失 ったとき、魂は天に還ります。大地をも生み出した総ての根源なる神と、再 び合一するのです。 (* 天皇は元々「顕人神」でも偶像でもありません。詳細はvol.6以降。) |
移動しました(管理スタッフ) 【69661】神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一、三 七篠 権平衛 - 06/1/1(日) 15:45 - つまり魂は、形あるもの各々が、己の形を保ち続けようとする各自の意思 として、各々には自覚されている。 が、その本質は実際には、その形を創られた神が、形を形として存続させ ようとする、神の御意志そのものにこそ他ならないのです。 只、個々の形なりの魂となっている間は、その形のみを己と思い、自分が どんなに壮大な御心の、その形を「有れ」と思う部分、小さな一部分に過ぎ ないのかを、全き失念している。 それは、形あるものには皆、そのかたちとして与えられた使命があるから です。使命を果たす間は、与えられたその形、その使命のみを己とする自覚 と思慮、意思を持っている必要のためです。 それ故、天地万物、森羅万象の、どんなに大きなものから、どんなに小さ なものにまでも、その一つ一つに必ず魂は宿る。そして個々の魂は各々、飽 くまでその一つ一つのみの姿は決して、神ではあり得ない。 が、それらを総て一つ残らず足し合わせたなら、総てを合計した全体は神 の御霊の、少なくともこの地上に於ける顕現そのものでこそあるのです。 ...人である身には到底、その総てを認知することなど叶わずとも。あるい は神御自らが教えてくだされた所で、理解も及ばず、また、生涯かけて数え 続けたとして、たとえ千年の寿命を与えられても、百万分の一すらも数え尽 くし得ずとも、その総てを足し合わせた合計の全体という意味です。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69666】神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一、四 七篠 権平衛 - 06/1/1(日) 16:01 - ...「八百万(やおよろず)の神々」と古来、日本人が呼び慣わして来たのも、 その故に、決して、「神々」を個々の神格に限定したり、人の身が数え尽くし 知り尽くすことができると考えたのではない。人の推量を常に超え全天全地あ まねくに在りて在られる神聖の御霊を、人の心や知力では到底把握できないま ま、その大いさに圧倒されながら、一つの神格とする限定を加えることすらも 畏れたからでした。 毎日、身と心を養う為に得る糧も、身と心を包み守る衣服、住む家も、日々 の生活と労働に欠かせぬ種々様々な道具も...etc. 総ては大いなる神の御霊 なる大自然の、一部分として養われて来た、形あるもの、即ちその一つ一つに 神の御霊が仮の姿となって宿っているのに他なりません。 我々が精一杯に生きようとする心、日々の労働に対する、神の慈愛の形です。 直接には人の手で形造った物といえど、それ等を作る為の材料は総て大自然、 即ち神の創られた形に、我々人も手を加え、変転に少し加担したに過ぎない。 故に、日々の中で手にし、乃至口にする、どんな小さな形にも神聖の御霊は 必ず仮の姿となって宿り、それ等を今、自分が口にしていることこそは、もっ たいなく、かたじけなくも神の慈悲の御心をこそ、頂いているにほかならぬ。 それを思えば、たとえどんなに小さなものの一つも、無益に費やし、無駄に破 壊し遺棄するなどは、とんでもなく畏れ多い。もしその様なことをすれば、天 罰が下るも必然と、誰もが納得していたのです。 「もったいない」とは元々、この意味として発せられた言の葉でこそありま す。 ( for TOKIO naughty Boys, & also my dear TOM. HAPPY HOLY CHRISTMAS & NEW YEAR !!! from 紫猫R. with my Grand'P ) to be continued. |
移動しました(管理スタッフ) 【69804】神道は、偶像礼拝に非ず。其の一、五 七篠 権平衛 - 06/1/3(火) 22:16 - 当然、人である身もまた同様に、天地万物の形の一つです。神命の下され た形です。誰の内にも神聖の御霊は必ず、仮の姿となり宿っています。が、 無論一人一人が個々の自分自身である限りに於いては、どの一人も決して 神ではなく、誰も決して神になることなどあり得ません。 たとえ人として、どれ程に傑出した偉大な人物であっても、一介の人の身 は、所詮一介の人の身に過ぎず、一介の人の魂もまた、一介の人の魂にすぎ ない。どんな人も皆、それ以上でもなく、以下でもないのです。誰の身に宿 る魂も、やはり神聖の御霊の、あまりにも極微小の一断片に過ぎず、又、そ うであることの自覚すらも全き失念している、飽くまで仮の姿です。 この全き失念している事を、稀に思い出す時を「悟り」と言います。が、 「悟り」は飽くまで、ひとときのみの閃きであり、常時「悟り」を継続しな がら生きて行く能力も、運命も、誰にも与えられてはいません。 が、人として生まれたからには誰にも必ず、人として果たすべき使命が有 る。たとえ、あさはかな人々が何をどう勝手に決めつけようと、人が短慮で 決めることではなく、天の与えられた使命が有るのです。天の真理に於いて、 目的なく創られた形などは一つも無く、使命なく生まれた人など一人もいな い。命が有るということ、それは天命が有るということです。 だから、人が、人の思惑で、みだりに人を殺傷するのは、その人が果たす べき天命を勝手に断つことであり、天を畏れぬ大逆の罪。天命を果たし得ず 逝った人の魂の負債は当然、殺傷した人が負うことになります。仮の姿とな り宿っている神聖の御霊は必ず、誰が何をしたのか総てを見届けています。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69817】神道は、偶像礼拝に非ず。 其の一、六 七篠 権平衛 - 06/1/3(火) 23:58 - しかし、自身がいかなる使命のもとに生まれたのかを、総て正しく知って いる人もまた、一人もいません。それは神の視点からでなくては把握し得な い事だからです。 故に、人は皆、せめて精一杯に自分の理解力のおよぶ範囲の最善を尽くす 以上のことはできず、その先のことは神の御意にお任せする他はない。これ を、「人事を尽くして、天命を待つ」と言います。 無論、神職、宮司、天皇といえど誰も、決してこの例外ではあり得ません。 神と人との仲介を務める役割を、神から仰せつかっているだけの、人である 身は他の誰とも全く変わりありません。 只、身と心を器として神の気を受け、人々に仲介するのである以上、その ためには、一般の人々よりはるかに日数も長く、内容も厳しい精進潔斎は元 より、器としての身と心を穢す不敬をせぬよう、日々に行いを慎み、心を慎 んで暮らさねばなりません。それでも、神事をお務めする度毎にまた、そう することによって器自らも、他の誰とも全く同様、その度毎に罪・穢れを 神に祓って頂いている身です。 この一番肝要なことを、もし失念して神事を行えば、神職自らが神事を穢 す結果となり、神の気を受け得ず外見のみの儀式では、罪・穢れは神に祓っ ていただけぬまま、神職のみならず皆々の内に留まり、災厄を招き寄せる悪 しき気となって行くのですから、誠に責任は重大と肝に銘じております。 (神聖の御霊は全天全地に遍在しておられますが、人である身が間近に御臨 在を感じつつ、魂の交わりの機会与えて頂くには、心の焦点を定める目標や 結界、等、ある程度の補助も必要です。社殿はそのために建てられ、各家庭 の神棚も、言わばそのminiature. 何れにしても、神は決してそれの中のみ ではなく、全天全地あまねくに常に在りて在られる御方です。従って、より 重要な儀式程、必ずその主要部分は戸外で行います。) |
移動しました(管理スタッフ) 【69828】神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、一 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 3:17 - 時に、器を神と思い違えて偶像扱いをする人々もいますが、先にも触れた 通り、単に、その人たちが間違っているのです。 本来は、そうした際に人々を諫め諭す立場である、神職、宮司、天皇さえ もが、神ならぬ身の拙さ、自らも巻き込まれたり、混乱、錯覚したり、乃至 暴力に屈したり、等もありました。が、本来、器として神に用いられる身に は、政略、軍略、等の穢れ事は根本的に体質に合わず、独裁者などには、な れと民衆の側から求められても、無理な話です。 天皇家も元々、民を代表し神事を司る者の、中でも中心的指導者として、 単に庶民から頼られ慕われて来た家系であるのみ。言わばローマ法王にも 似た御立場です。だから「顕人神」云々の偶像扱いは、そもそも心得違い な人たちの、贔屓の引き倒しです。 昭和天皇も御生前、偶像とされてしまっている御身の上に困惑し、御成 長とともに憂慮を深めておいででした。が、敬愛する御父君に、不遜になら ぬように諫めてさしあげるには、又、民衆を失意に陥とさずに諫め諭すに は.....、何れも当時の状況では、あまりに御手に余る御難題。結局、御父 君にも見いだし得なかった正解を、彼もまた見いだし得ぬままに、御父君 は御逝去。更に最悪の方向へと暴走する民衆を、止める力も知恵も及ばなか った御自身の不甲斐なさを深く御嘆きになり、アメリカに替わりの役目を 振るにも等しい仕儀に至ったことを、御無念やるかたなく恥じておいでで した。 元々、独裁者などではなかったからこそ、民衆の暴走をとめ得る程の現世 的な威力も、御持ちではなかった証拠でもあった事ですが.....。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69829】神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、二 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 3:32 - 天皇家は元来、総ての日本人の始祖として、神の御手ずからに創られた 男女一対の直継、言わば全日本人総本家の長男が代々継ぐ家系とされて来ま した。が、恐らく太古には血筋云々より、心霊の気を容れて用いられる器 として、特に傑出して優れた霊能力者が、正にその故に、当時の人々皆の 合意で、そうと思い決められ、初代となったのが始まりと、私は推察します。 古代の人々は、科学知識やメカニックな洞察には欠ける分、むしろ現代人 より余程敏感に、気の力というものは誰もが疑問の余地なく感知し、納得し て天皇を霊的リーダーと認め、頼っていたようです。そして代々、その力を 多少なりとも受け継ぐ者が、実際にもその血筋から多く出たなら、徳の高い 慈愛の御人柄を代々受け継がれていることもあり、度重なる程に、器である 方が、神と混同されたのも、ある程度はやむを得ぬ仕儀。未だ民衆は多く 無知、無学、文盲であった時代のことです。 以下は、青山繁晴氏の著書、「日本国民が決断する日」よりの引用です。 (小生、氏の御意見の、決して総てには賛同できかねる者です。が、この 箇所のみは、ここに勝手に引用させて頂きました。御容赦。) 「京都御所には壕がありません。今の皇居は深い壕、高い石垣で囲まれて います。が、京都御所には石垣どころか高い塀もありません。背伸びをし たら、天皇のお住まいがみえてしまいそうな、低い簡素な塀。実際、平安 時代などは庶民の住まいから、御所のなかの灯りがみえたそうです。それ が、われわれの皇帝なんです。世界にありませんよ、こんな皇帝の住まい」 (本文P18〜P19) 今なお、天皇は日本人の人としての尊厳を御一身に象徴する存在として、 多くの日本人が国の誇りとし、頼るべき心の支柱ともし、その毅然とした 温厚さ、御自身に厳しく、人に優しい高徳のお人柄に憧れ、学ぶべき心の 手本とも仰ぎ見ています。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69835】神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、三 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 8:07 - この小さな島々の国の、寛容と調和の中に暮らして来た日本人を変えた のは、暴力と専横、傲慢により他を見下し、以て支配しようとする人々との 遭遇でした。 元々、学ぶべき事は皆、父から息子、母から娘へ、兄から弟、姉から妹へ と、順送りに教えるので、年長者を尊敬して来たのが日本の文化でした。又、 その中で人々は互いを尊重することも学び、その前提の下に、相互の批判の 目を、自身を省みるための鏡ともし、以て行いを正し、身を慎むことを美徳 として来ました。(*3) それは、神の眼差しを日々直接には感じ得ない人々にとって、社会の相互 信頼性を維持するには不可欠の公徳心、法や秩序を守る直接的な動機とも なっていた。これが即ち、「恥の文化」です。故に江戸時代には、今の交番 と警察署の中間くらいに当たる施設を、「自身番」と名付けていました。 ところが、異文化圏の人々には、この「美徳」は通用しませんでした。 容赦なく蹂躙し支配しようとする彼等に、見下されることを恥じ、見下す 彼等から押しつけられる偶像を拒むために、天皇を自前の偶像に担ぎ上げ たがる人々は、次第に増えていったのです。「万世一系」も、そうした時代 の人々が言い出した、たわごとの一つで、ドイツ王朝に習ったのです。その 昔は、さして厳重に定められてもいなかった事でした。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69843】神道は、偶像礼拝に非ず。其の二、四 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 11:32 - また、「科学は神を駆逐した」と豪語する人々の傲慢に、見下され恥辱に 駆られた時代の人たちは、無神論と拝金主義こそ「輝ける理性」の証、唯一 の尊厳と信じてしまった。以て、信仰や霊的感受性の一切を、無知蒙昧や 野蛮との識別もなく、すべて「迷信」と断じ、見下し、蔑み、退ける事こそ を正しいと思いこんだ。 残念ながら、今の日本の知識人と称する人々の過半数も、未だにこの考え に捕らえられたまま、「宗教は阿片なり」と信じ、神を否定することを以て 「理性の証」と信じ込み、神の実在を信じるのは無知蒙昧の野蛮、恥ずべ き「迷信」に陥る堕落と思い込んだままであるようです。 確かに、「神」と呼び、「宗教」と称しても、人や物を偶像として崇め、 欲と呪術によって、大宇宙の真理をも捻じ曲げることが可能になると信じる なら、それは明らかに愚劣な無知蒙昧と野蛮の証であり、恥ずべき「堕落」 に他ならない。 元より偶像礼拝は、人々がこの大宇宙の真の姿や知識、普遍の真理に近づ くこと、触れることを必ず邪魔するものであり、心を頑なにし、新しいこと を学ばせまいとするものです。(*4) 「教育機会均等法」により、総ての日本人に平等に、現代科学の基礎知識 を与えるシステムを作ったのは、画期的で、科学のみに留まらず、日本の 飛躍的進歩を可能にしました。が、誠に遺憾ながら、その教育には毒が混ざ ってしまった。上記のごとくで、今、教育にたずさわる現場の教師たち、教 師たちを指導する立場の人々も、また教育システムを支える社会全体も、未 だに多くの人々が、神と偶像の識別もつかず、傲慢を理性と信じているから です。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69845】神道は、偶像礼拝に非ず。 其の二、五 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 11:44 - 為に、霊的感性をも、その正反対の野蛮や堕落と混同し、識別の必要も 知らず退けてしまった。そして拝金主義と無神論を、神の替わりに信ずる 蒙昧に陥ったまま、それこそが本当の堕落であるとも気付かずに、光を失 った彼等自身と同じ道をたどれと、子供たちに教えているのです。 自分たちのみは、未だ古い時代の教育の残滓により、無意識、無自覚裏 には神を畏れ敬いながら、意識的には、そうすることを恥じている。為に、 正面で子供たちと向き合う時には、「神はいない」と教える。 だがそれでは、即ち畏れも敬いも、愚かで不要な事と断じた結果となっ ていることに、何故気付かないのか? そうしながら、暮れや正月、節目の祭り、等は「娯楽」であるから「慣 習」として続けると言う。表向きはそう取り繕い、「慣習」を口実に形式 のみを踏襲する儀式でも、見た目の形が同じなら、同じ心が伴うものと、 安易に錯覚し、それで自分の気さえ済めば良いつもりでいる。 古来、日本人は肉眼に映じる形のみでなく、心眼にしか見えぬ形も有る と知っていた。が、それをあえて否定し、心眼を閉ざすべきと教えている のが、今の公教育と社会常識です。 だが、神も信仰も否定し、魂も信念、信仰も伴わず行う儀式の「形」と は何であるのか? 心眼を閉ざし、神を否定しながらに、肉眼に映じる形のみを踏襲し、 「儀式」と称し、「祭礼」と称する。が、「祭礼」も「儀式」も、神に 捧げてこそ初めて、その真の形が整うのです。神を覚えぬ「祭礼」、神 に捧げぬ「儀式」とは即ち、冒涜の形に他ならない。 |
移動しました(管理スタッフ) 【69847】神道は、偶像礼拝に非ず。其の三、一 七篠 権平衛 - 06/1/4(水) 11:57 - 神が、どの様にして、この宇宙を御創りになられたのか、今なお我々は 誰一人、おぼろに推量する以上には及び得ない。この宇宙の全貌を、只単 に把握するだけの事すらも、人類の持つあらゆる知識、理論、科学技術の 粋を駆使しても、人である身には遙かに遠く及びもつかぬ不可能事です。 が、いかに人知では測りしれなくとも、この広大無辺の全宇宙のありと あらゆる果てまでも常に、人類の誕生より遙か以前から、未来永劫、永遠 から永遠まで、人知を超えた神の大いなる意志と慈愛の御心は、豊かに 全宇宙に満ち満ちて、在りて在られるのです。 しかも我々は近年、やっと電子顕微鏡で垣間見せて頂けるようになった 極微小よりも、更に小さな素粒子、乃至、更に又それを構成する単位の一粒 一粒の、どんな隅々に至るまでも総て、人知を超えた神のおおいなる意志 と慈愛の御心の、行き届いていない所は無いのです。人間のあさはかな知力 では、たとえ行き届いてないかの如くに思われる時にさえも...。 天地万物、森羅万象の総ては、決して人間のみの為に有るのではない。 人は誰も、自分の身体の分子一個、素粒子一個さえも、自分が創ったのでは ない。食物と水と空気、光と熱によって生かされているが、その何一つも、 無から人が創り出し得る物など無い。総ては天地自然の恵み、即ち神の御恵 みです。だから、もったいなく、かたじけなくも、総ての形に宿る神聖の 御霊を覚え、与えられる慈愛の御心の何一つも、決して粗末にしてはならぬ と教えた。 正に、神を否定し、この教えを否定し始めた時から、我々人類は天地自然 を侮り、破壊する者となり始めたのではなかったか? 天に向かって唾を吐けば、神が唾を吐き返すのではない、人が吐いた唾が、 人の顔の上に落ちてきた。他人の顔に落ちれば良しとして済ませようとする から、世は争いに充ち充ちるのです。 |
魂の存在も、神の実在をも否定し、肉眼に映じる形と、機器により計測し 得る形のみを信じ、心眼も閉ざしながらその自覚すら欠いた者達が、未来を 荷担うべき子供たちにも、同じことをせよと教えている。 畏れ多くも神聖の御霊と心を交わし、感謝を捧げ、邪念を祓い清めて頂け る機会をも与えられながら、それをも冒涜の形に歪めた上で伝え、畏れの心、 敬いの心も、要らぬものだと教える程に、子供たちの心も魂も祝福から遠ざ けてしまっている。(*5) しかも何を根拠に、そうした形ばかりを踏襲せよと教えているのか? これでは結局、無条件に暗黙裏の上下関係のみを唯一の根拠として押しつ けている意味となってしまっている。が、しかし学校では、そうした根拠の 不明な暗黙裏の上下関係は、理不尽であり、民主主義に於いては否定され、 退けられるべき「旧悪」であるとも教えながら。(民主主義もまた、肝心 の所が正しく教えられていない。*6) その上、だから不正であり、間違っているはずの、そうした上下関係は、 学校を卒業すれば、否、卒業以前から垣間見られる、すぐ外側に広がる大人 社会では、もはや神も信仰も無く、只暗黙裏に無形の暴力として強制されて いるのであり、暗黙裏のまま無批判にそれに従うことのみが、生き延びるに は唯一の手段。故に従うべきであると、暗黙裏に教え慣わされている。 学校で公式に教えている事とは真っ向から背反し、また多くは法律にも 違反するため、飽くまで誰も言葉にはせず、不文律のままに...。 これでは、言葉で教えられる価値基準と、無言裏に慣わされる価値基準と の矛盾に、混乱の極に達した子供や若者たちに、ストレス病が増え、大人 たちの社会を信頼も尊敬もできなくなるのも当然でしょう。 救いの道は閉ざされ、健全な批判や、義に飢え乾き真理を求める心を、総 て押し殺し、魂を失った機会部品のように(*7)...そんな大人社会に組 み込まれることのみが、社会に於いて職を得ることを許される為の、唯一の 道と教えているのなら、ニートが増えるのも、全く無理からぬ道理と言えま す。 |
*1 其の一、五 に付記。 「悟り」は仏教用語ですが、仏教も根本的に、偶像礼拝を禁じ、 教えていることの主眼は神道と同じです。 「仏は目には見えねども、三千世界あまねくの、いずこの所にも おわします」 故に日本の民は、仏教も受け容れました。又、全く同じ理由 から、キリストの教えも...。 *2 其の二、二 に付記。 何故、何のために死すべき命は生まれるのか? 断末魔の、 その先には何が在るのか? 救いは、無いのか? ...絶望と 苦悶の底から神を呼び求める心、乃至その果ての平安を垣間見 た者が、失うまいとする記憶を手ぐりよせる為のよすがとして... 何れにしても、無知、無学、文盲の民は、語彙の貧しさ故に言 いあらわし得ぬ、曰く言い難い思いの丈や、語り残したい事々、 神に訊いて頂きたい諸々の事、等々を、絵や塑像、彫刻などの形 に刻むより他に、いかなる術がありましたでしょうか? が、絵や像では真意が正確には伝わり難く、偶像にもされてし まい易い。それでは皮肉にも後世の人々の躓きの石になってしま う。故に仏教では元々、仏陀の像を作ることは一切禁じた。 が、禁じただけでは、心に詰まった思いの丈は、その人の気を 滞らせ、命をも滞らせる。故に、教えの主眼である経典をこそ 筆写し、又、内容を読み解くためにも、文字を教える教育の必要 が痛感されるようにもなった。 寺子屋で「読み、書き、算盤」を教えるようになったのも、元 を質せば、だからこその事であったと聞き及んでおります。 |
*3 其の二、三 に付記。 もし、太陽がなければ、地球は、我々の住む全世界は、たちどこ ろに暗闇に閉ざされ、総てが凍り付き、誰も生きられない死の世界 となりましょう。 故に日本人は、山を地上の御神体と崇める一方、太陽を天上の神 が万物に注ぐ慈愛の御心の形となった、慈母の御姿として崇め、そ の太陽を、この地上でもっとも正しく似姿に映し、室内や洞窟の奥 までも御招きし、闇を退け、魔を祓い、邪気を跳ね返すちからをも つ、言わばアマテラスの御名代として、鏡をも御神体とするように なったのでした。 *4 其の二、四 に付記。 聖書の「失楽園」は、人が神と同じ程賢くなった為、御怒りに触 れたのでは、断じてありますまい。それにしては、我々人類は今な お、あまりにも愚かすぎる。本当は、少しばかり知恵付いただけで、 あさはかにも傲慢になり、学ぶべきことなどもう無いと、思い上が ったアダムとイヴは、その傲慢が結果的に霊的感性を閉ざし、豊か に注がれる神の霊的御教えを、もはや感知しない心となったのが、 真相であろうかと思います。(されば今、ユダヤの人々は、学ぶ事 の価値を世界で最も知る人々となったとも聞き及びますが...。) 無知のoptimismという楽園は、もはや尽えましたが、我々が神の 御手の内より外に出たことなど、実は今までに一度たりとて無い。 恐らく、この先も永遠にあり得ぬことです。 この果てしれぬ宇宙に、否、足下の惑星一個、この地球のみに関 する諸般でさえもまだ、学ぶべき事は、常に人類の前に無限に有り、 その豊かさの尽きることは、世の終わりまでも有り得ない。神は常 に、我々に新たな知識、見識を与える為にこそ、学ぼうとする謙虚 さを求められるのです。 だが、偶像礼拝者たちは必ず、学ぶべきことは、もう何も無いと 断じ、人々の目を閉ざそうとする。.....そうしなければ、偶像が 神ではない事に、いずれ人々は必ず気付く。そうなるのは、いつも 時間の問題だからです。 |
*5 其の三、二 に付記。(イ) 為に、魂は痩せ細り、その飢え餓えを満たされる方法からも遠 ざけられているとも知らず、代償的に昂じすぎた食欲で、肉体ば かりが肥満する子供が増えているのではないか? *6 其の三、二 に付記。(ロ) だが一方、本来の民主主義には不可欠の、責任の所在や、知識、 見識を持つ者には、皆の合意で認めるべき相応の権威の重要性は、 思慮浅く無知な人々には理解されなかった為、多人数の圧力によ って、今や片隅に追いやられ、忘れ去られているようだ。 (多くの人々が誤解しているが、多人数の圧力は、決して民主主義 ではない。それは、少数者を蹂躙するに無反省な多数者の傲慢。即 ち、知的洗練とは正反対の極の、野蛮な暴力の一亞形にこそ他なら ない。) 過去の時代の「旧悪」である上下関係とは、人をその行いによっ て見ようとせず、又、知識や見識、実績、等によるのでもなく、 外見や、生まれながらの血筋、乃至慣習の惰性、等により、それ 以上の根拠もなく人の上下を断じた上に、上位の者は、下位の者に どんな理不尽を通しても良いとするものを言う。 つまり、人知を超えた神の聖なる意志と無限の慈愛に、交わる ことを忘れ果てた人々の心は、ただ目先の暴力のみに、やむを得ず 従い、結局は暴力を神の替わりの偶像と成す。が、神を見失い、 有形無形の暴力に従うことのみを是とする社会は、必ず荒れすさみ、 人々の目から希望の光は失われ、衰退の一途をたどる。 |
本当は、科学も、それに基づく如何なる新発見、発明も、着想の、閃きの、 光はすべて神から来たのであり、それ等もまた、数え切れない御恵みの、豊 かな一部分にこそ他ならない。にも拘わらず、頂いたそれらを以て神を否定 するのは、大いなる矛盾でこそあり、忘恩と不敬の大罪を犯しながら、自ら を省みぬ心以外の何ものでもありません。 信仰を、無知と野蛮の証と決めつけ、唾棄すべきと決めつけたのは、元々 は誰の考えだったのか? その人の言葉のみを、神の如くに信じたのは、誰 か? 確かに、悪意の人ではなかったでしょう。が、本当にそこまで信じる に足る人でしたか? いつの時代の、どんな人であれ、人を絶対視するのは、やはり、いつも 間違いの元ではなかったでしょうか? 彼は、どんな時代に生まれ、どんな人々に虐げられていましたか? 彼が 否定したのは、信仰ではなく、信仰に名を借りた暴力と偶像礼拝をこそ、彼 は糾弾したのではなかったでしょうか? 神の御名を偶像として掲げ、学ぶべき事は、もう無いと主張し、御教えの 替わりに、野蛮な暴力と無知の中に人々を押し停め、支配する事ばかりに 熱心な人々。そのような人々に、神の御名を掲げた暴力の下に弾圧され、蹂 躙されたからこそ、彼は神を否定するに至ったのでは、なかったでしょうか? 彼が否定したのは、実在される神の存在そのものではなく、人々が「神」 と称して掲げ、暴力の口実とした偶像こそは、彼が否定したものの正体では、 なかったでしょうか? to be continued. |
▼七篠 権平衛さん: 管理スタッフ(珠)です。すでに ・重複するテーマ(主題)による複数のスレッドの並立 について、総合掲示板と入党掲示板で、二度の「ご注意」を申し上げてありますが、無視をなさっての新規投稿が続いておりますので、「警告」致します。 今回、すべての投稿を一本にまとめましたので、同主題の投稿は、以下の方法(返信したい書き込みの右上にある「返信」をクリック)でなさって下さい。この警告を無視なさる場合は、「削除」という場合もあり得ますので、掲示板のスムーズな運営のためのご協力をお願い致します。(なお、別主題の場合は、新規投稿で結構です)。 ======================= すでにある書き込みに関連する話題を書き込む(返信する)場合は、 掲示板左上・左下の「新規投稿」からではなく、 返信したい書き込みの右上にある「返信」をクリックしてお書きください。 ======================= |