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 ▼法律と道徳  ニック 06/1/1(日) 16:15
   ┣Re(1):法律と道徳  H.NISHIDA 06/1/1(日) 19:52
   ┃  ┗H.NISHIDA様、はじめまして  ニック 06/1/3(火) 15:45
   ┣Re(1):法律と道徳  名無しの探偵 06/1/1(日) 20:56
   ┃  ┗Re(2):法律と道徳  ニック 06/1/8(日) 23:34
   ┃     ┗Re(3):法律と道徳  名無しの探偵 06/1/16(月) 17:03
   ┗Re(1):法律と道徳  珍 源斎 06/1/15(日) 12:16

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 ■題名 : 法律と道徳
 ■名前 : ニック
 ■日付 : 06/1/1(日) 16:15
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   科学技術や産業の発展など、現在は過去に比例して大きく進歩しましたが、こと人間に関してはどうでしょうか?

産業の多様化に反比例して、人間的には単純化の傾向が目立つ様に思います。

単純化の原因は、一口に言えば人間関係の疎遠や行き過ぎた利益追求等が原因でしょう、相手に対して思いやりが無い、「こうすればああなるのではないか?」と言う推論思考が決定的に欠如していまるように感じます。

通話が禁止されている電車内で平気で通話をする営業マンや若者の姿は良く見ますし、空いているときならば兎も角、平気で座席を荷物などで占領している方々も良く見かけます。

最近の右傾化に感じる事は、「法律で決まっていれば何をやっても良い」と言う部分で、特に東条英機首相の縁者の方の発言などにもそれを強く感じましたし、こちらの一部の方々との議論でもそれは強く感じました。

しかし道徳や基本的約束を守らない人間が法律を守るでしょうか?、都合の良い方向に解釈して法を適用する姿勢が政界では大変目立つようになって来ましたし、公約すら守らぬ政治家が増えています、小泉首相の「その程度の公約違反は仕方が無い」発言はそれに代表されるでしょう。

そうでありながら、都合の良いときは「法律」を盾に我が主張を正当化してきます、これは危うい兆候だと考えます、かつての戦争は、軍部が政府の意図に逆らって独走した結果起こりました。

法律と道徳の違いは、強制力が有るか無いかのみで、その存在意義は基本的には変わらないものです。

であるが為に昨今では自己中な傾向に代表されるように、道徳の軽視が目立ちます、以前の議論では「戦争そのもの」を「国際法によって定義されていたので正当」とする意見すらありましたが、「罪科の無い人間を殺す行為」が正当であるとは誰も言えないでしょう。

他の生命を奪う行為を、「罪悪感無しに遂行できる」人間程恐ろしい存在は有りません、以前の大戦では多くの元兵士が、「戦場で死に慣らされる程、殺人に対する罪悪感が薄れていった」現状を証言しています。

法律は自己を守る重要な要素です、道徳も強制力こそ有りませんが同様に重要なものです、どちらかが矛盾するような時には注意が必要でしょう。

自己の将来に関係のある重要な案件を決めてしまってから「失敗した、こんなはずでは無かった」と思わぬように日頃から最低限の善悪の判断基準を身につけ、国家の行動を注視する事がこれからは重要になると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):法律と道徳  ■名前 : H.NISHIDA <nishida31167@orange.plala.or.jp>  ■日付 : 06/1/1(日) 19:52  -------------------------------------------------------------------------
   大半のご意見に賛同しますが

1)電車の中で通話が禁止云々
  これは現在の社会で効率良く物事を処理するのに無茶苦茶な制限で
  厚生省と通産省との怠慢をカバーせんとする陰謀とさえ思えるものです。
  (蛇足ながら、ペースメーカー等への影響と利便性を充分に検討せず
   電波の使用を許可した事を言ったつもりです)
2)道徳に強制力が無いとの発想もそれ自身既に道徳の何たるかが誤っている
  と考えます。明文化された罰則の有る無しが本来の差で、強制力は
  充分有ってこその道徳と考えるのは甘いでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : H.NISHIDA様、はじめまして  ■名前 : ニック  ■日付 : 06/1/3(火) 15:45  -------------------------------------------------------------------------
   ▼H.NISHIDAさん:
>大半のご意見に賛同しますが
>
>1)電車の中で通話が禁止云々
>  これは現在の社会で効率良く物事を処理するのに無茶苦茶な制限で
>  厚生省と通産省との怠慢をカバーせんとする陰謀とさえ思えるものです。
>  (蛇足ながら、ペースメーカー等への影響と利便性を充分に検討せず
>   電波の使用を許可した事を言ったつもりです)

お話の点の概要は理解できます、ただ、車内での通話は、ペースメーカー以外でも、大声で話しをする事により静かにしていたい人達にも迷惑をかけてしまうと言う側面もあるかと思います。

私も覚えがありますが、仕事帰りに疲れている時に、大声で話しをする若い女性の声を聞くのは耐え難いものがありますので、JRがこの部分も勘案してルールを設定したものと考えています、予断ですが、札幌の地下鉄は携帯電話の利用自体を禁止しておりますので、これと比べるとJRのルールは妥当なものと考えられます。


>2)道徳に強制力が無いとの発想もそれ自身既に道徳の何たるかが誤っている
>  と考えます。明文化された罰則の有る無しが本来の差で、強制力は
>  充分有ってこその道徳と考えるのは甘いでしょうか。

本来は道徳にも強制力が有るとは私も考えます、しかしマナー違反者に対して注意する人が減った今日ではそれは無いのではないでしょうか?、特に法律の様に違反すれば何らかのペナルティを与えられると言った事は道徳にはありませんから(かつてはあったのでしょうけれども)そう言った意味で現在では道徳に強制力は無いと考えられるのですが如何でしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):法律と道徳  ■名前 : 名無しの探偵  ■日付 : 06/1/1(日) 20:56  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ニックさん:
H.NISIDAさん
名無しの探偵です(独学+アルファーで法学を研究している)。
お二人のご意見にほぼ同感。
>科学技術や産業の発展など、現在は過去に比例して大きく進歩しましたが、こと人間に関してはどうでしょうか?
>
>産業の多様化に反比例して、人間的には単純化の傾向が目立つ。
>
>最近の右傾化に感じる事は、「法律で決まっていれば何をやっても良い」と言う部分で、特に東条英機首相の縁者の方の発言などにもそれを強く感じましたし、こちらの一部の方々との議論でもそれは強く感じました。
>
>しかし道徳や基本的約束を守らない人間が法律を守るでしょうか?、都合の良い方向に解釈して法を適用する姿勢が政界では大変目立つようになって来ましたし、公約すら守らぬ政治家が増えています、小泉首相の「その程度の公約違反は仕方が無い」発言はそれに代表されるでしょう。
>
>そうでありながら、都合の良いときは「法律」を盾に我が主張を正当化してきます、これは危うい兆候だと考えます、かつての戦争は、軍部が政府の意図に逆らって独走した結果起こりました。
>
>法律と道徳の違いは、強制力が有るか無いかのみで、その存在意義は基本的には変わらないものです。
>
>であるが為に昨今では自己中な傾向に代表されるように、道徳の軽視が目立ちます、以前の議論では「戦争そのもの」を「国際法によって定義されていたので正当」とする意見すらありましたが、「罪科の無い人間を殺す行為」が正当であるとは誰も言えないでしょう。
>
>他の生命を奪う行為を、「罪悪感無しに遂行できる」人間程恐ろしい存在は有りません、以前の大戦では多くの元兵士が、「戦場で死に慣らされる程、殺人に対する罪悪感が薄れていった」現状を証言しています。
>
>法律は自己を守る重要な要素です、道徳も強制力こそ有りませんが同様に重要なものです、どちらかが矛盾するような時には注意が必要でしょう。
>
>自己の将来に関係のある重要な案件を決めてしまってから「失敗した、こんなはずでは無かった」と思わぬように日頃から最低限の善悪の判断基準を身につけ、国家の行動を注視する事がこれからは重要になると思います。

>法律と道徳の違いは強制力があるか
否かという基準ですが、これは昔から議論があるところです。強制力の問題の他に、法律と道徳はかなり違うという見解が有力のようでこの見解によれば法は道徳からすれば必要最小限の倫理しか基準としていないし、強制力を持つ規範としては
それでよしとする。なぜなら、刑罰を課して強制的に法に従わせるには必要最小限の倫理しか要求すべきではないというもの。
強制力のある法は刑法や公法的な法に限定されているので道徳や倫理の中でもことに社会的に重要な逸脱行為に限定されるというのである。
多分、近代法という市民革命以後の原則の確立がそうした思想の背景にある。
(30年前の著書の記憶に頼っているので不確実な箇所があります。)

しかしながら、最近の日本やアメリカなどでは首相や大統領自ら憲法を軽視して
暴走し始めているので(指導者が法に堂々と違反しているのだから)、国民も法などはどうでもいいと考えているような犯罪が増えている。

そういう規範意識の希薄化現象の中で倫理も破綻し始めているわけであり、もう一度「法と倫理」の問題が重要な争点となると思います。
ところで表題の「法律と道徳」という用語を「法と倫理」に変えているのかは理由があります。
まず、法律ですが、この言葉は律令制度を基本にすえた時代に存在した言葉で律令の律は刑罰を表していました。したがって、「法律」は律令制度の国家が民に一方的に従わせるという意味をもち、近代法下の法制にそぐわない言葉なのです。
近代法では法というのは権力「をも」制約する両義的な規範だからです。
したがって、現在では大学がちゃんとしたところは「法律」ではなく「法」という
言葉に代えていると思います。
次に、道徳も戦前に国家が上から民衆に押し付けたモラルという意味が強いので、
自発的なモラルの遵守という意味では「倫理」という言葉に置き換えられていると
思います。

長くなったので今回はここまでの書き込みにいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):法律と道徳  ■名前 : ニック  ■日付 : 06/1/8(日) 23:34  -------------------------------------------------------------------------
   名無しの探偵様、こんばんは

>しかしながら、最近の日本やアメリカなどでは首相や大統領自ら憲法を軽視して
>暴走し始めているので(指導者が法に堂々と違反しているのだから)、国民も法などはどうでもいいと考えているような犯罪が増えている。

この部分がなんと言っても重要なのではないでしょうか?、小泉氏はもとより、ブッシュ大統領も前回のイラク戦争と共に、最近では盗聴などを法の根拠無しに行っています。

こう言う行動を「選挙で選ばれた人達が行った事だから問題は無いのだ」とする意見がある事には非常な危機感を感じます。

>
>そういう規範意識の希薄化現象の中で倫理も破綻し始めているわけであり、もう一度「法と倫理」の問題が重要な争点となると思います。

この部分は確かに重要です、これ無くして改憲論など無意味と感じますし、法を守らない政治家が改憲で決められたルールを守る訳が無いと考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):法律と道徳  ■名前 : 名無しの探偵  ■日付 : 06/1/16(月) 17:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ニックさん:

>
>>しかしながら、最近の日本やアメリカなどでは首相や大統領自ら憲法を軽視して
>>暴走し始めているので(指導者が法に堂々と違反しているのだから)、国民も法などはどうでもいいと考えているような犯罪が増えている。
>
>この部分がなんと言っても重要なのではないでしょうか?、小泉氏はもとより、ブッシュ大統領も前回のイラク戦争と共に、最近では盗聴などを法の根拠無しに行っています。
>
>こう言う行動を「選挙で選ばれた人達が行った事だから問題は無いのだ」とする意見がある事には非常な危機感を感じます。
>
>>
>>そういう規範意識の希薄化現象の中で倫理も破綻し始めているわけであり、もう一度「法と倫理」の問題が重要な争点となると思います。
>
>この部分は確かに重要です、これ無くして改憲論など無意味と感じますし、法を守らない政治家が改憲で決められたルールを守る訳が無いと考えます。

昨日の深夜に実家から帰ったので発言できませんでした。あしからず。
おっしゃるとおりですね。
小泉(ブッシュも)首相には「憲法尊重擁護義務」が憲法上も厳しく要求されているのに憲法違反の行為を継続している。
政教分離原則に反して靖国神社の公式(首相にはたとえ私的でもすべて在任中は公式と判断される)参拝している。
全くの私人(議員を辞めたなど)ならともかく政教分離原則に違反する(疑いがある場合でも)行為を行う政治家には適格性に疑問があり本来なら辞任を要求できると解される。大阪地裁でも靖国参拝が違憲であるとの判断も下されており、今の日本社会でなければ罷免請求は当然の憲法行動であるだろう。
こうした法治国家を愚弄する首相でれば国民が規範意識を鈍磨させて犯罪行為をエスカレートさせたりモラルハザードが蔓延する元凶になっているというべきであろう。
勿論誰でも特定の思想を持って行動することは問題はないが、一国の首相とか代議士には特定の思想を憲法に違反しても実行する権利は全く存在しない。
ここが作家などと政治家との顕著な違いである。彼らに憲法を愚弄する行動は許されていないのである。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):法律と道徳  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 06/1/15(日) 12:16  -------------------------------------------------------------------------
   ニックさん
こんにちわ!お久しぶりです。
ご提議された「法律と道徳」の問題は社会や人間生活の上で
もっとも重要な問題の切り口に当たると思います。

端的な例として道徳の範疇に入ることしてマナーがありますが、
交通事故の殆どは運転者のマナー次第で防げると云う試算があります。
【交通事故原因の分析から】

社会で発生する不祥事などの問題は道徳を基本とした人間の理性で
殆ど発生する事も無いし、又、解決も可能です。

このことは誰でも解ってることですが、身にしみて解るとなると
人各々に別問題となります。

法律以前の宗教的な戒律もそれ故に存在してることです。
法律も同じく罰則も含めて強制力としての存在があるのではと
思います。

昨今、法律にさえ触れなければ、「何でもあり」と云う傾向は
人間同士の信頼を弱めて国家の基盤すら脆弱にしてしまいます。

今、最も大切なことは法律以前の道徳の復権或いは補強が必要で
はないでしょうか?

それが無ければ子孫の幸せや国家の安泰にも粗漏が生じることは
必至です。この辺りはルネッサンスなみの改革が必要と痛感します。

他でもありませんが、ニックさんの思いの丈は良く解りますが、
字数が多くなり拡散してしまうと問題の本意が稀薄になります。

折角の投稿でありますので願わくば字数を少なくすることの
ご配慮を頂ければ有難く存じます。

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