Page 1425 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼犬と日本人を考える(II) BadBloke 05/11/20(日) 14:13 ┣Re(1):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/20(日) 22:39 ┃ ┗Re(2):犬と日本人を考える(II) ワン太郎 05/11/21(月) 13:20 ┃ ┣Re(3):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/21(月) 13:52 ┃ ┃ ┗Re(4):犬と日本人を考える(II) ワン太郎 05/11/21(月) 15:15 ┃ ┃ ┗Re(5):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/21(月) 17:16 ┃ ┃ ┗Re(6):犬と日本人を考える(II) ワン太郎 05/11/22(火) 11:17 ┃ ┃ ┗Re(7):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/22(火) 11:52 ┃ ┃ ┗Re(8):犬と日本人を考える(II) BadBloke 05/11/23(水) 0:32 ┃ ┃ ┣Re(9):犬と日本人を考える(II) キタキツネ 05/11/23(水) 15:10 ┃ ┃ ┗Re(9):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/23(水) 22:08 ┃ ┃ ┗Re(10):犬と日本人を考える(II) 馬の骨 05/11/27(日) 21:47 ┃ ┃ ┗Re(11):犬と日本人を考える(II) BadBloke 05/11/28(月) 8:51 ┃ ┃ ┣Re(12):犬と日本人を考える(II) 有無 05/11/28(月) 22:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):犬と日本人を考える(II) BadBloke 05/11/29(火) 6:59 ┃ ┃ ┗Re(12):犬と日本人を考える(II) 退役軍人 05/12/24(土) 13:41 ┃ ┗Re(3):犬と日本人を考える(II) キタキツネ 05/11/21(月) 14:50 ┃ ┗Re(4):犬と日本人を考える(II) レモン 05/11/21(月) 18:53 ┣『ニホンノラ』という犬種 蝦夷縞 ふく朗 05/12/23(金) 16:58 ┃ ┣Re(1):『ニホンノラ』という犬種 キタキツネ 05/12/23(金) 19:50 ┃ ┃ ┗Re(2):『ニホンノラ』という犬種 ぎみゆら 05/12/24(土) 12:34 ┃ ┗Re(1):『ニホンノラ』という犬種 BadBloke 06/1/6(金) 3:32 ┣☆犬☆犬☆犬☆ BadBloke 06/1/6(金) 17:16 ┃ ┗Re(1):☆犬☆犬☆犬☆ BadBloke 06/1/6(金) 17:56 ┃ ┗Re(2):☆犬☆犬☆犬☆ ナナママ(旧反米嫌中権韓) 06/1/7(土) 0:10 ┃ ┗動物虐待列島 BadBloke 06/1/7(土) 7:31 ┗犬と日本人を考える(II)の1 BadBloke 06/1/13(金) 16:55 ┗Re(1):犬と日本人を考える(II)の2 BadBloke 06/1/29(日) 23:38 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 犬と日本人を考える(II) ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk> ■日付 : 05/11/20(日) 14:13 -------------------------------------------------------------------------
レモンさんへ、あるいは、幕間のつぶやき いつだったかテレビ番組で、タイかどこかの極貧家庭で暮らす少女のドキュメンタリーを見ました。その子の親には小学校に通わせるお金もなくて、彼女は毎日、ゴミ捨て場で廃棄物を集めながら、病気の母親の世話をしていました。父親は何者かに殺されていたようです。楽しみはゴミ捨て場で拾った英語の本の切れ端を見ることのようでした。英語が好きでも、それを学ぶチャンスが与えられていなかったのです。食事は廃棄物を売って得られたわずかの金で買える米だけ。それも食べられるのは三日に一度くらいです。 その家(といっても、日本のホームレスのテントのようなもの)の中に、なんと犬がいるのです。これもほとんど食べるものがもらえないのか、平均より8キロはやせているようです。風が吹けば一家ともども吹き飛ばされそうです。アジアの中には、犬の肉を食べる慣習を持つ文化が少なくありません。あの少女の家は、あれほど貧しいのに、どうもその犬を食ってしまおうという気配はなさそうでした。 イメージというものがあります。いや、もしかすると、ひとはほとんどこのイメージなるもので生きているのかもしれません。犬の飼い主といえば、ひとはどのようなイメージを抱くのでしょう。ここでもぼくは日本のある地方都市での経験を思い出します。 その公園には小学校入学直前くらいの年頃の少年たちが5、6人ほど遊んでいました。彼らはぼくの犬に関心を持ったようで、こちらに近づいて来ました。彼らの体重の3倍ほどはある大きな犬、しかもリードもしていない犬、にさわりながら、だれもこわがる様子がありません。彼らのひとりが言いました。「うちはアパートだから犬は飼えないの。大人になってお金持ちになったら絶対に飼うんだ」 日本のテレビの広告を見ていて気づくのは、高級住宅だとか自動車だとかの宣伝に、必ずと言っていいほど、犬が登場することです。イヌとヒトとのつき合いは2万年ほどもあると言われています。今のように、犬が金持ちの専有物のようになったのは、ヒトの歴史の中では、ごく最近のことのようです。昔から上流階級の間で愛玩犬というものがもてはやされていたことは確かだとしても。 老人党掲示板で犬をテーマにしても、どれほどの人が関心を持ってくれるか、はじめは全く予想できませんでした。一部の金持ちの気休めくらいのイメージしかもたれないとすれば、それはぼくの意図したこととは全く違う話になってしまいます。この地球の有形無形の美しいものを破壊してきた金持ちたちが、動物の中でいちばんヒトと親しいはずの犬までも破壊しているのではないか。そういう疑問が、そもそもの発端でしたから。 |
こんばんは。 「犬と日本人」 とても長いので、まだ全文読んでいません。 最近よく見かける、ペットとしてかわいがられるだけの犬には、あまり興味が持てません。 犬と人間の肯定的な結びつきとして思い出すのは、忠犬ハチ公の話です。 ずっと忘れていましたが、ふと思い出し切ない気持ちになりました。 渋谷の雑踏を歩く若者も、知らない人が多くなったのではないでしょうか。 犬には本当に詳しくないのですが、日本犬の賢そうな姿には、愛着を感じます。 話がどんな展開をするのか、また続きを読みます。 |
▼レモンさん: 余談の仲間に入れてください。 >犬と人間の肯定的な結びつきとして思い出すのは、忠犬ハチ公の話です。 >ずっと忘れていましたが、ふと思い出し切ない気持ちになりました。 >渋谷の雑踏を歩く若者も、知らない人が多くなったのではないでしょうか。 >犬には本当に詳しくないのですが、日本犬の賢そうな姿には、愛着を感じます。 「忠犬ハチ公」 については 映画にもなり 有名な話となりました。 しかし、私の感覚からすれば、あの ハチ公の行動が 「特別なもの」 だとは感じないのです。 何年か前に、近所のお爺ちゃんが亡くなりました。 晩年のおじいちゃんは、毎朝 喫茶店に通っていました、そして文字通りの 「茶飲み友達」 と二時間近く暇をつぶします。 その時 必ずお供する柴犬のコタローがいました。おじいちゃんが喫茶店にいる間 ジッと外で待っています。 知らない人は 喫茶店の看板犬と間違えていました。 お爺ちゃんが亡くなった後、コタローは毎朝散歩をねだり、その喫茶店の前でジッと座り込み お爺ちゃんを待ちます。 それはコタローが亡くなる3年後まで続きました。 これを 人と犬との愛情物語と云う人、単なる犬の習性だとみなす人、いろいろでしょうが、 不思議なのは、お爺ちゃんが 病院に入院している間は 喫茶店に行こうとしなかった、ということです。 こういうところが 「犬好き」 にはなんとも コタエられない話しになります。 犬以外の動物では なかなかこういう話にはなりません。 果たして、いま私のところにいるワンコちゃんは 私が死んだら どうするでしょうか? ちょっと楽しみのような、不安のような ・・・ >話がどんな展開をするのか、また続きを読みます。 私も楽しみにしています。 |
▼ワン太郎さん: >▼レモンさん: > >余談の仲間に入れてください。 こんにちは。 ワン太郎さんと、初めてお話できて嬉しいです。 犬恐怖症の私としては、ワンワン噛みつかれはしまいかと、恐れておりました。 > >「忠犬ハチ公」 については 映画にもなり 有名な話となりました。 >しかし、私の感覚からすれば、あの ハチ公の行動が 「特別なもの」 だとは感じないのです。 「忠犬ハチ公」の話は子供の頃、父から聞いたのが印象的ですが、詳しい話はよく知りません。 私のその犬だけが特別なのではなくて、日本人と犬との肯定的な関係の象徴的な話として書きました。 それが、何となく遺物化しているかも、と思いました。 > >何年か前に、近所のお爺ちゃんが亡くなりました。 >晩年のおじいちゃんは、毎朝 喫茶店に通っていました、そして文字通りの 「茶飲み友達」 と二時間近く暇をつぶします。 >その時 必ずお供する柴犬のコタローがいました。おじいちゃんが喫茶店にいる間 ジッと外で待っています。 >知らない人は 喫茶店の看板犬と間違えていました。 > >お爺ちゃんが亡くなった後、コタローは毎朝散歩をねだり、その喫茶店の前でジッと座り込み お爺ちゃんを待ちます。 >それはコタローが亡くなる3年後まで続きました。 忠犬コタロー、銅像はなくとも、知っている人々の心の中には、飼い主と共に生きていることと思います。 > >これを 人と犬との愛情物語と云う人、単なる犬の習性だとみなす人、いろいろでしょうが、 >不思議なのは、お爺ちゃんが 病院に入院している間は 喫茶店に行こうとしなかった、ということです。 >こういうところが 「犬好き」 にはなんとも コタエられない話しになります。 >犬以外の動物では なかなかこういう話にはなりません。 > 犬好きでなくても、こういう話は素直にいい話だと思います。 ペット好きの自慢話と、ちょっとした臭いの違いがあります。 >果たして、いま私のところにいるワンコちゃんは 私が死んだら どうするでしょうか? >ちょっと楽しみのような、不安のような ・・・ > ワン太郎さんが忘れられる心配でなくて、飼い主が消えてしまうワンコちゃんの悲しみが心配です。 >>話がどんな展開をするのか、また続きを読みます。 > >私も楽しみにしています。 それでは、また。 |
▼レモンさん: >▼ワン太郎さん: >>▼レモンさん: >> >>余談の仲間に入れてください。 > >こんにちは。 >ワン太郎さんと、初めてお話できて嬉しいです。 >犬恐怖症の私としては、ワンワン噛みつかれはしまいかと、恐れておりました。 そんな事はありません 「根」はやさしい ジジーです。 咬みつく相手は 「アホ」 と 「意固地」 に決めております。 (そっちの嗅覚は 確かです) >>果たして、いま私のところにいるワンコちゃんは 私が死んだら どうするでしょうか? >>ちょっと楽しみのような、不安のような ・・・ >> >ワン太郎さんが忘れられる心配でなくて、飼い主が消えてしまうワンコちゃんの悲しみが心配です。 そりゃチトひどい、死んだ私より ワンコの方が 心配だとは ・・・ (レモンさん 結構きついねぇ、 まぁ それで いいのだけれど チョットネ) 【余談の余談】 毎朝の散歩で いつも一緒になる トッテモ可愛い ウェスティ = ホワイト・テリアがいます。(真っ白なチリ毛で チョコチョコと歩く あの犬です) そのワンコの名前が 「レモンちゃん」 です。 それだけの事ですがね。 なんせ その子は可愛いので ・・・ |
▼ワン太郎さん: >▼レモンさん: >そんな事はありません 「根」はやさしい ジジーです。 ここは根はやさしくせに、荒っぽい爺さまが多いところです。 >咬みつく相手は 「アホ」 と 「意固地」 に決めております。 >(そっちの嗅覚は 確かです) > 「馬鹿」と「頑固」には噛み付かないのですね。私はスリ傷だらけのお転婆婆。 >>ワン太郎さんが忘れられる心配でなくて、飼い主が消えてしまうワンコちゃんの悲しみが心配です。 > >そりゃチトひどい、死んだ私より ワンコの方が 心配だとは ・・・ >(レモンさん 結構きついねぇ、 まぁ それで いいのだけれど チョットネ) > 誤解を招く下手な文章で、、デリケートなワン太郎さんを傷つけてしまったようで、ごめんなさい。 あのね、犬は賢いからワン太郎さんが忘れられるという心配はなくて、ワン太郎さんがいなくなったらすごーく悲しいことだという意味です。 > >【余談の余談】 >毎朝の散歩で いつも一緒になる トッテモ可愛い ウェスティ = ホワイト・テリアがいます。(真っ白なチリ毛で チョコチョコと歩く あの犬です) >そのワンコの名前が 「レモンちゃん」 です。 > >それだけの事ですがね。 なんせ その子は可愛いので ・・・ まあ偶然、その子も可愛いのですか・・・。 |
▼レモンさん: >▼ワン太郎さん: >>▼レモンさん: > >>そんな事はありません 「根」はやさしい ジジーです。 > >ここは根はやさしくせに、荒っぽい爺さまが多いところです。 > >>咬みつく相手は 「アホ」 と 「意固地」 に決めております。 >>(そっちの嗅覚は 確かです) >> >「馬鹿」と「頑固」には噛み付かないのですね。 私は 「ガンコな ばかジジー」 ですから 、自分の同類には 咬みつきません。 >私はスリ傷だらけのお転婆婆。 「お転婆婆」 これは 新語をありがとう (どこかで使ってヤロ) >誤解を招く下手な文章で、、デリケートなワン太郎さんを傷つけてしまったようで、ごめんなさい。 >あのね、犬は賢いからワン太郎さんが忘れられるという心配はなくて、ワン太郎さんがいなくなったらすごーく悲しいことだという意味です。 ありがとう、気持ちが良くなりました。 >>【余談の余談】 >>毎朝の散歩で いつも一緒になる トッテモ可愛い ウェスティ = ホワイト・テリアがいます。(真っ白なチリ毛で チョコチョコと歩く あの犬です) >>そのワンコの名前が 「レモンちゃん」 です。 >> >>それだけの事ですがね。 なんせ その子は可愛いので ・・・ > >まあ偶然、その子も可愛いのですか・・・。 お上手ですねぇ〜 文章テク! <その子も>と 「も」 を一文字入れるだけで レモンさん と レモンちゃんが 私の 頭の中のイメージがラップしました。 でも、 「真っ白なチリ毛の可愛い子犬」 と 「お転婆婆」 ・・・ ムゥ〜 ― こんな ノー天気な話しをしていると 叱られるかな? ― |
ワン太郎さん 話が通じる爺さまで、よかったですわん。 このスレッドは、難癖爺さんが来なくて、いいところです。 ワンワン賢い番犬のお陰ですね。 それから、一字間違えました。レモンちゃんとお転婆「娘」ね。 生きにくい世の中ですから、ここで生き抜きも許してもらいましょう。 電気代にも困らず、書き込みできるということは幸せなんですね。 私はくだらない書き込みばかりしていますが、ちゃんと皆さまの書き込み読んで、人生勉強しています。 最後は言い訳になりました。 |
▼レモンさん: 先日の話題で少し気になっていたことがあるので、その時のレモンさんの言葉をここに引用します。 >弱者という言葉は考えものですね。自分に使うのも、他人に使う >のも、気持ちのよいものではありません。 >人間を強い者、弱い者に分類するようで嫌いです。 実は、ぼくはだいぶ前から、老人党の目的の最初にかかげられている「いま弱い立場にいる人」という言葉が気にかかっていたのです。ここでは「弱者」というヨリ明確な言葉は避けていますが、実は日本人の多くは、たとえ政治家だとかNHKだとかホリエモンだとかを批判してはいても、こころのどこかでは、自分たちは弱者になんかなりたくないと思っているのじゃないかと。<勝ち組>なんて言葉に眉をひそめてはいても、チャンスがあれば自分だって勝ち組になりたいと願っているのじゃなかろうか。そんなことを思っていたのです。 たとえば法律というのは弱者の権利を守るためにある、とぼくは考えています。決してオカミからの命令だとは思っていません。そして、その弱者の中にぼく自身も含まれると信じています。なぜなら、ぼくは国家権力の側には立たない人間ですから。 国民の大多数は、この意味で、弱者なのじゃないでしょうか。このことをまず自覚する必要が国民にはあるように思います。弱者であるから権利が必要になるのです。自由が保障される必要があるのです。まさに今の憲法はこれを国民に約束してくれています。このことを自覚しないままにいると、憲法のありがたみがわからないだけでなく、権力の側に立つ人間と同じように、我々もまた弱い者いじめをしてしまうような気がします。先の選挙結果は、弱者にはなりたくないという国民の気持ちが反映したような気がするのは、ぼくの錯覚でしょうか。 もちろん、レモンさんが弱者という言葉を嫌うからといって、レモンさんのことを強者志向の弱い者いじめ人間だなんて、これっぽっちも思っていませんよ。例によって、ぼくの考えすぎの一例です。 |
▼BadBlokeさん: >▼レモンさん: >>弱者という言葉は考えものですね。自分に使うのも、他人に使う >>のも、気持ちのよいものではありません。 >>人間を強い者、弱い者に分類するようで嫌いです。 > >実は、ぼくはだいぶ前から、老人党の目的の最初にかかげられている「いま弱い立場にいる人」という言葉が気にかかっていたのです。ここでは「弱者」というヨリ明確な言葉は避けていますが、実は日本人の多くは、たとえ政治家だとかNHKだとかホリエモンだとかを批判してはいても、こころのどこかでは、自分たちは弱者になんかなりたくないと思っているのじゃないかと。 ………………中略失礼 横から割り込み失礼します。弱者という言葉は「弱いもの:強いもの」と二極分化するようで、私もあまり好きになれない言葉です。 しかし、そうは言っても生まれながらにして、スタートの位置が違う、百メートル競走を、ある人間は0からのスタート、ある人間は50メートル先に置いてスタートさせるに等しいようなことは、現実には珍しくないし、更にそれが顕著になっています。(その中でも、取り分け二世政治家は象徴的なものでしょう) そして敗者復活が可能な世の中にと言いながら、やろうとしている政策の悉くは、首吊りの足を引っ張るに等しいようなものばかりです。(年金の削減、医療費の負担増か、サラリーマン増税…etc) また、弱者の中にも差別が存在します。前に書きましたが、弱者といわれる連中にも悪いやつがいて、階層化したがる人間がいるものです。 昔の話ですが、私の会社に元北炭の社員がいました。彼から良く聞かされた話ですが、炭鉱内部にも身分格差があったそうです。事務員と鉱員、「組夫」と呼ばれる下請けの人達です。 それぞれ住む場所も違い、買い物する市場も違えば、病院まで別だったそうです。組合員がけがをすると、労組は「傷害等級を上げろ」と医者に文句を言うのに、下請けの組夫が死んでも何もしないというのです。 人間はもともとエゴの塊りです。差別意識は動物の本能なのかも知れません。そして、この気持ちが向上心につながることもあり、全面的に否定もできないと思うのです。 ただ、それをどれだけ公平で一般生活の中で昇華できるかが問題なんだろうと思います。 |
BadBloke さん、キタキツネさん 弱者についてのご意見、ありがとうございました。 「いま弱い立場にいる人」という問題は、とても簡単には語れない大きな問題だと気がつきました。 これは、社会の問題であり、個人の意識の問題でもあります。 犬と日本人の問題の根とも、つながっているように思います。 私は単純に、言葉の響きの持つ意味合いに、好き嫌いという感情で書きました。 複雑な問題なので、今は自分の考えをまとめることができません。 お二方のご意見、大変参考になりました。しばらく、自分の中で問い直してみようと思います。 どうもありがとうございました。 |
キタキツネさん 強者人間と犬昔は人と犬現代同様家族のように 暮らして居たようですよ、成長してくると家畜同様に蛋白元とし て食べたようです、私も戦中爆撃で焼け出され田舎に帰った時に 犬の肉売りに来るんですよ赤犬が巧いそうです私もむろん食べま したがね、いまではとても犬の肉食べた何て云ったら死刑もんで すね、今でも韓国では犬食べるそうてすよ、特に犬料理は巧いと 聞いたことがありますが、私は韓国に行ったこと有りませんがね 定かではありません。 |
▼馬の骨さん: 失礼します。ミタキツネと申します(本名はBadBlokeですが)。 >キタキツネさん (中略)今でも韓国では犬食べるそうてすよ、特に犬料理は巧いと聞いたことがありますが、私は韓国に行ったこと有りませんがね 定かではありません。 以前、ロンドンにあるペットショップのホームページで、PUPPIA TOKYO というブランドを見つけたことがあります。一見、日本製のようでしたが、調べてみると本社が韓国のようでした。犬のことでは、韓国は英国人にとって、あまりよいイメージはないでしょう。名前に“TOKYO”をつければ、日本製のよいイメージも加わるし、商売上、効果が期待できるのではないか。そう考えても不思議はないでしょうね。それまで日本のひどいペット業者をいろいろ見ていたものですから、当時のぼくには、ペット産業への不信感があったようです。 そこで、ぼくはその会社にメールを送って質問してみました。韓国語は書けないので、英語で書きました。週末に送ったのですが、月曜日には返事が届きました。社長自らが書いてよこしたのです。あまり上手な英語ではありませんでした。しかし、その文面からは誠実さが伝わってきました。その社長はこう書いていました。 「韓国の悪しき食文化に関しては、会社としても、わたくし個人としても、非常に残念に思っています。わたくしどもの会社では、この国の犬文化が改善されるように願って、動物愛護団体に対し積極的な支援をしております。また、会社名に関しましては、世界中から同様の質問が寄せられるものですから、来年から“TOKYO”をはずす予定でいます」 ぼくはもともと韓国に対して偏見はないつもりですが、犬を知るものとして、その食文化を支持することはできないのです。しかし、この PUPPIA TOKYO は、たいていの日本のペット業者よりは、犬を愛する気持ちが大きいように感じました。ぼくは日本の愛犬家グループで、韓国や中国の食文化をテーマにしたことがあるのですが、多くの愛犬家は、自分の犬をだいじに思ってはいても、海を越えた大陸の犬のことには、まったく無関心のようでした。そして、よく耳にする言葉ですが、「よその国の食文化に文句をつけるのはおとなげない」という、模範的な返事もいただきました。ぼくはよその国の文化を問題にしたのじゃなくて、日本人のことを問題にしたのでしたが。 ぼくの友人の英国人は、「自分にって犬への思いは、愛(love)を超えて熱愛(passion)だ」と語ってくれたことがあります。英国人に、もし犬の肉を食べることがバレたら、まず友だちにはなってもらえないでしょう。あれほど異文化に寛容な国民も珍しいと思いますが、こと犬のことに関しては、譲れない信念があるようです。もちろん、犬を知るものとして、ぼくは彼らの思いが理解できるつもりです。 |
江戸幕府五代将軍、徳川綱吉公は、ご存知お犬様将軍として、犬をとっても可愛いがりました、そして、犬や、小動物を、いじめたりする事をご法度としました・・・ イギリス人の犬を愛する気持ち、今から300年前の日本で、すでに、実行されていたんですね・・・ イギリス流(つまり、小動物など力の弱い者を、いじめたりしない)に言えば、なんて、紳士的なお国がらなんだろう・・・ それは、いまから300年前のこの国で実行されていた、このことは、イギリス人は、知っているんですかね〜・・・知らんでしょ・・・ |
▼有無さん: 犬将軍 綱吉のばあいは、自分がイヌ年うまれだったので、犬をだいじにすれば御利益があるというような気持ちで、生類憐みの令を考えたとか。いろいろな説があるらしいですが、どうやら英国ふうの動物愛護精神とはちがうようですね。 ぼくのおぼろげな記憶だと、たしか犬どころか蚊(あのブーンて飛んできて、勝手に人の血を吸う吸血鬼みたいなヤツ)を殺しただけで死刑になった人間もいたとか。ほんとうなの?って感じです。 世界で最初の動物愛護法を生んだ英国のばあい、動物を虐待する者を厳しく処罰するというよりも、国民に動物愛護教育をおこなうことが、その主要な目的だったようです。今の英国人を見ていると、その目的が達成されているように感じます。中には、研究所に侵入して実験用の動物を逃がしちゃう過激派もいますけど。それで何年も牢屋に閉じ込められている英国人がいるんです。でも、ぼくにはその気持ち、理解できますよ。 それにしても、あの犬将軍に、もう少し英国的なコモンセンスがあれば、日本が世界で最初の動物愛護国になった可能性もあるわけですから、およそナショナリズムとは無縁のぼくですが、なんだか惜しい気持ちもしますね。19世紀前半に始まる英国の王立動物虐待防止協会よりも、さらに150年も前ですから。 渋谷のハチ公のことなら、むかし、英国の愛犬党(うそ!)掲示板に投稿したことがあります。予想以上に多くの感想が寄せられ、その中には、「友人で秋田犬と暮らしている人がいるから、この話を知ったらきっと喜ぶと思うわ」というのもあり、ぼくも嬉しく思いました。投稿の動機は、欧州での秋田犬の評判の悪さにありました。たしかこの犬種もアメリカ人があちらで流行させたはずですが、秋田犬は秋田犬でも、闘犬用に繁殖された気性の荒いヤツをもって帰ったのですね。だから、あちらでは、いろんな問題行動をおこしたようです。結果、秋田犬は<悪いヤツ>という定評を得たのでしょう。 綱吉のことも、いつかは英国で発表しようと思っていました。でも、これはあまり日本人の自慢にはならないかもしれません。 >江戸幕府五代将軍、徳川綱吉公は、ご存知お犬様将軍として、犬をとっても可愛いがりました、そして、犬や、小動物を、いじめたりする事をご法度としました・・・ > >イギリス人の犬を愛する気持ち、今から300年前の日本で、すでに、実行されていたんですね・・・ > >イギリス流(つまり、小動物など力の弱い者を、いじめたりしない)に言えば、なんて、紳士的なお国がらなんだろう・・・ > >それは、いまから300年前のこの国で実行されていた、このことは、イギリス人は、知っているんですかね〜・・・知らんでしょ・・・ |
BadBlokeさん、おはようございます。 ▼BadBlokeさん: >▼馬の骨さん: > >失礼します。ミタキツネと申します(本名はBadBlokeですが)。 > >>キタキツネさん (中略)今でも韓国では犬食べるそうてすよ、特に犬料理は巧いと聞いたことがありますが、私は韓国に行ったこと有りませんがね 定かではありません。 韓国だけではありませんよ。 中国の東北三省(遼寧・吉林・黒竜江)へいくと、ある程度の町には必ずと言っていいほど「狗肉」と書かれた看板のある犬肉屋があります。 何度か、美味いし体が温まるから食べろと勧められましたけれど、食べられませんでしたが。かの地では氷点下15度以下の毎日が三ヶ月ほど続く冬場のごちそうなんです。 また、産後の肥立ちを助ける滋養に富んだ食べ物としても知られています。 あとは、フィリピンのバタンガス地方でも犬肉を食べる習慣があります。 >「韓国の悪しき食文化に関しては、会社としても、わたくし個人としても、非常に残念に思っています。わたくしどもの会社では、この国の犬文化が改善されるように願って、動物愛護団体に対し積極的な支援をしております。また、会社名に関しましては、世界中から同様の質問が寄せられるものですから、来年から“TOKYO”をはずす予定でいます」 > >ぼくはもともと韓国に対して偏見はないつもりですが、犬を知るものとして、その食文化を支持することはできないのです。しかし、この PUPPIA TOKYO は、たいていの日本のペット業者よりは、犬を愛する気持ちが大きいように感じました。ぼくは日本の愛犬家グループで、韓国や中国の食文化をテーマにしたことがあるのですが、多くの愛犬家は、自分の犬をだいじに思ってはいても、海を越えた大陸の犬のことには、まったく無関心のようでした。そして、よく耳にする言葉ですが、「よその国の食文化に文句をつけるのはおとなげない」という、模範的な返事もいただきました。ぼくはよその国の文化を問題にしたのじゃなくて、日本人のことを問題にしたのでしたが。 好むと好まざるに関わらず、人類は食物連鎖の頂点にいます。 私は犬を家族の一員として扱ってきましたし、無類の犬好きでもありますから、私は食べることが出来ません。 だからといって犬食の文化に嫌悪感を感じたとしても、それを否定しようとは思いません。 鯨に知能があるから、それを食べる文化を持っている日本の伝統や文化を否定する人達(特に西洋人)には、嫌悪感を抱きますし、反発もしますけどね。 食文化ってのは、その文化を持つ民族を象徴するものではありますが、自分たちの伝統による食文化の基準を、他の伝統文化を持つ民族に対して当てはめて、野蛮だのなんだの言うのは誤りです。 >ぼくの友人の英国人は、「自分にって犬への思いは、愛(love)を超えて熱愛(passion)だ」と語ってくれたことがあります。英国人に、もし犬の肉を食べることがバレたら、まず友だちにはなってもらえないでしょう。あれほど異文化に寛容な国民も珍しいと思いますが、こと犬のことに関しては、譲れない信念があるようです。もちろん、犬を知るものとして、ぼくは彼らの思いが理解できるつもりです。 民族の食文化で犬を食べるからといって、友達にもなれないような英国人は極少数派でしょう。 普通の英国人は、もう少しリーズナブルだと思いますよ。 それに、英国人は異文化に寛容なのではなく、否定しないだけのことです。 決して認めている訳ではない。 帝国に陽の沈む時は無いと豪語していた時代のなごりで、多種多様な移民が存在しますからね、これを否定しては社会が成り立たないだけのことです。 そういった英国人が、自国の伝統文化でもあり地方の産業でもあった「キツネ狩り」を、禁止してしまいましたよね。 もったいないと思いましたが。 ちなみに私は、大英博物館を「泥棒博物館」と呼んでいます。(笑 失礼いたしました。 |
▼ワン太郎さん: >▼レモンさん: 私も仲間に入れてください。 >「忠犬ハチ公」 については 映画にもなり 有名な話となりました。 >しかし、私の感覚からすれば、あの ハチ公の行動が 「特別なもの」 だとは感じないのです。 こうした話は珍しいことでなく、良くありますね。十年以上も前になりますが、道南は大沼国定公園のあたりの国道の道路わきに、飼い犬と思われる大型犬(たぶん、血統書つき)が、誰かを待つように、お座りしているのです。体は痩せてガラガラ……。 誰かに苛められたのか、人間不信になって保護しようと思っても、すぐに逃げてしまうのです。近くの住民はかわいそうに思い、餌だけ与えていたようです。 転勤で飼えなくなったのか、よほどの事情があったのでしょう。犬は車で連れてこられて捨てられたようです。ずっと飼い主を待っているようでした。このことは地元の新聞で報道されたこともあります。 私自身も、犬ってすごいなという経験があります。私はトイ・マンチェスターテリヤのオスを飼っていました。ある日、餌をあげようとしたら、うちの犬小屋に、見たことのない犬が入っており、肝心のうちの犬は表にお座りしているではないですか……。 良く見たら雑種のメスです。私の飼い犬はけっこう好き嫌いが激しいのですが、どうしたものか器量よしとはいえない雑種を好きになったようです。犬も相性があるのでしょうか……。 当時は転勤族で、とうてい二匹も飼えないし、住み着いて子供でも生まれたら大変です。保健所にTELしたら即、殺処分になることは明らかです。しかし、新聞に載せても雑種のメスのブスちゃんでは飼い手が見つかりません。 そこで車で遠くに捨てにいきました。――ところが、それから2,3日してのこと、餌をあげようとしたら、その捨てたはずの犬がいるではありませんか。ちゃっかりと小屋に入っているのです。 このときは犬の回帰能力というか、あれだけ遠くから戻ってきたことに驚き、もう捨てられやしません。中絶を施し、飼い主が見つかるのを待ちました。 幸い、会社の同僚に犬好きがいて、「雑種」のほうが性格がいいからといって引き取ってくれました。やれやれでした。 犬はかしこくて不思議な能力があります。 |
こんばんは。 捨て犬の身の上にも、いろいろ事情があるものだなあと思いながら読みました。 雑種の方が性格がいいとは、何か真実を感じます。血統書つきとか何とか、よく理解できないものですから。 犬の性格も、生まれと環境の影響が大きいようで、人間と似ているように思いました。 不思議な能力については、人間には計り知れないもののようです。 |
BadBlokeさん、こんにちは。またスレッドがページ4となり消えていきそうなので上げておきます。まだ、結論までいってないと思いますので。 僕が犬を愛している人間かというと、それは様々な評価があるでしょう。このスレッドに登場した多くの方々とは明らかに違います。前のスレッドで、自分が野良犬復活論者であることを発見した所であります。では、野良犬とは何であるのか。「野犬」とはどう違うのか。 西洋犬は一定の仕事をさせるために特化された品種である。羊の誘導・ソリ・護衛・番犬・猟(その中でも各場面に合わせた役割があるらしい)…。猟であれば、水辺・穴の中・撃たれた獲物を持ってくる・獲物を釘付けにして撃ちやすいようにセットする・静かに獲物の居場所を知らせるだけ…。様々な仕事に特殊化されている。当然、訓練するわけで、多少難点があっても訓練に耐え、その結果が高ければよい。何も教えないのに、一定の性質を示すようなものは求められていない。身体能力を高めるためか、性質に負荷する意味か、狼をかけ合わせることもあったようだ。ラブラドール・レトリーバーも猟犬だが、性質にたまたま盲導犬などに向く部分があったのだろう、盲導犬用に作られたわけではないが、流用されている。 対して日本では、そこまで特化していないように感じる。土佐犬にブルドッグの血が入ったのはいつ頃だろうか。猟師自体が少なかったろうし、貴族階級が犬の品種を作り上げる等ということも日本ではほとんどなかったようだ。 しかし犬はいたはず。一体何のために? いたからいた、というしかない存在なのだろうか? その疑問はいまだ解けない。だから日本人と犬の距離感はヨーロッパとは違う、という漠然とした感覚を前回提示した。何も資料にないところで書くので自信はないが。 野良犬とはいえ、人の間で生きのびていく性質を持ってきたと思う。群れたり噛み付いたりすれば、村人によって撲殺されただろう。いわばこれが品種改良となっていったはずだ。人間に好ましくないものは淘汰される。野犬狩りが山林にまで及んだのだろうか。そうとは思えないので、やはり犬というのは、人間から完全に離れて野生で生きていくことは、出来ない種となっているのだろう。 ニホンノラの特徴 ●ニホンノラは群を作らない。 ●ニホンノラは子供がしっぽを引っ張ったくらいでは噛み付かない。 ●飼われることを好まないが、個体の性質によっては飼われても構わない。 ●個体の性質によっては放浪を好むものもあるが、一つの村(今ならいくつかの町内会程度)を行動範囲とする。 ●個体差は大きいものの、人間の集団を野生動物から守る役割を(自覚しているかどうかはわからないが)果たす。 西洋犬の血を引く野犬が増えて、群れたり襲ったりするため、野犬狩りが必要となった。しかし、そのために、上記の性質を持つ『ニホンノラ』という犬種が絶滅させられた。彼らに訓練で仕事をさせるわけにはいかないが、教えなくても人間との距離感を学習していく性質を持つ。 人間と一対一の濃厚な関係にあって幸福な犬もいれば、多くの家を回りながら自由に動ける幸福を手に入れる犬もいていいはずだ。 〜家族のような犬との濃厚な関係には、ちょっと尻込みする、ノラ人間、蝦夷縞ふく朗。 |
蝦夷縞 ふく朗さん >対して日本では、そこまで特化していないように感じる。土佐犬にブルドッグの血が入ったのはいつ頃だろうか。猟師自体が少なかったろうし、貴族階級が犬の品種を作り上げる等ということも日本ではほとんどなかったようだ。 犬のことについては仕事の関係でいささか知識があります。 現在日本犬言われるのは6犬種で、大型・中型・小型の3型に分類され、すべての犬種が国の天然記念物に指定されています。 1.秋田犬(大型 ) 2.甲斐犬(中型 ) 3.紀州犬 (中型) 4.柴犬 (小型) 5.四国犬(中型) 6.北海道犬(アイヌ犬とも言う)( 中型 ) この他にも特定の地域に生息する「地犬」言われる犬が存在していたそうですが、純血種が絶滅し、今残っているのが天然記念物として保存活動をしているのです。 なお日本犬の特徴は、日本の気候に対する耐性が強いことです。狩猟犬として山野を駆け回り、人間と協力して野生の獣や鳥を狩ってきた犬なので、高い身体能力が特徴です。素朴・忠実・勇敢といった性質が日本犬らしいとされ、日本犬が国内外の愛好者たちに愛されてきた理由も、そのような特質に負うところが大きいと言われます。 どの犬も体、肢、吻は、がっしりとおり、ピンとした三角の立ち耳、吻のとがったくさび形の頭部、クルリと巻いた巻き尾(またはツンと立った差し尾)などを特徴があります。 そして日本犬の体型は、数千年前の犬の姿とほとんど変わっておらず、犬そのものの原型を色濃く残していると言われています。主人には異常なまでに忠実だが、よそ者にはなれなれしくしないため番犬に最適なのです。 「土佐犬」は江戸時代土佐の領主が藩士の士気を高めようと闘犬を奨励し、最初に使われたのが現在の四国犬だったそうです。そして江戸後期になると、オランダやスペインからもち込まれたマスティフやブルドッグ、ブル・テリア、グレート・デーンなどの洋犬たちとの交配が進められ、明治時代にはさらに強力な闘犬がつくりだされたのです。現在、土佐闘犬はジャパニーズ・マスティフとも呼ばれるが、それはこの時代に加えられたマスティフの血を、色濃く残しているからとされています。 「北海道犬」はアイヌ犬とも言われ、アイヌの人々は、セタ(いぬ)と呼んでいたそうです。その本能は勇敢でクマにも向って言ったそうで、今でも狩猟本能失わず、また性格は社交的で慎重、主人に対しては甘えん坊で、家庭犬として、番犬として打ってつけと言われています。 けっこう日本の犬も舶来犬に負けないくらい”利口”で主人に対しては”従順”なのです。 |
蝦夷縞 ふく朗さん、キタキツネさん、こんにちは。 「犬」のことについては、私も先般、仕事絡みで一年ほど諸資料に あたってきましたので、多少のことを知っています。 日本犬6種については、キタキツネさんがお書きのとおりです。 なお、日本犬についてご興味をお持ちになった方には、以下の本が、 読み物として面白く、おすすめです。 ◆『日本犬・血統を守るたたかい』 (吉田悦子著、新人物往来社、1997年。2003年に小学館文庫) この本のなかに、たとえば甲斐犬について、以下のような記述が あります。 「……中部山岳の北端、八ヶ岳の西麓の海抜一〇〇〇メートル近い高 原には、先史時代の遺跡が八ヵ所もある。…… 昔は、この山村にも農耕馬が数多くいた。その飼料にする草を貯蔵 しておく秣小屋も点在していた。馬が用いられなくなると、次第に小 屋も取り壊されたが、今でもわずかに縄文遺跡の上に残っている。 この遺跡の近くには、昭和四十七年頃まで土着の日本犬の群れが健 在であった。柳沢さんは、古来、村人とともに村に棲みついていた虎 毛の犬たちのことを鮮明に記憶している。 犬たちは、それぞれに一応飼い主らしき家があって残飯などをもら っていたが、首輪もなく放し飼いにされ、群れをつくって自由に暮ら していた」(上掲書116ページより) 日本犬の多くはこのように、おもに山岳地帯に野生、自生していた ものを、その地の猟師らが飼い慣らして、猟犬、番犬などとしていた ようです。西洋の犬種よりも、「生涯一主人」とでもいうか、一人の 主人のみに従順、忠実という傾向が強いともいわれています。 * 秋田犬について、ちょっと興味深いエピソードを二つほど。 一つは、戦時中の日本において、貴金属から鍋釜類までさまざまな 物資が軍部によって徴発されたことを、戦中世代の方はご記憶と思い ますが、「犬」もそうした徴発の対象でした。一部は作業犬として 使われ、多くは「皮を取る」ためだったようです。 そのころドイツと関係の深かった日本では、ドイツから入ってきた シェパード犬が「理想の犬」であり、シェパード犬だけは例外的に この徴発の対象から外れていた。そのため多くの秋田犬の飼い主が、 徴発を逃れるために、秋田犬とシェパード犬を掛け合わせた。これが 結果的に秋田犬の「純血」を危うくする一因ともなったそうです。 先日うちの母にこの話をしてみたところ、「そうなの。あるときから 『犬も徴発される』って噂が流れ始めて、『大事な犬は表に出さずに 中庭で吠えさせずに飼うのがいい』なんて、大人たちがヒソヒソ話を していたのを覚えてる」と言っていました。 * もう一つ。戦後日本に進駐した米兵たちは、帰国時にさまざまな ものを「日本土産」として米国に持ち帰りましたが、そのなかに、 相当の頭数の秋田犬が含まれていました。これらはその後、米国で いわば欧米流に躾けられ、また洋犬種と混交し、育っていきました。 こうして、外貌は秋田犬によく似て、一部洋犬種の血が混じり、また 洋犬流に飼い主家族に忠実な犬種が育った。これが「アメリカン・ アキタ」と呼ばれ、いまでは日本に「逆輸入」もされています。 上で書いたように、日本犬は全般に、「一人の主人」のみに忠実で、 頑固一徹なところがあるといわれますが(「忠犬ハチ公」の逸話が その典型です)、アメリカン・アキタは、純日本種である秋田犬と 比べると、性格がやや穏やかで飼いやすいともいわれています。 そんなわけで、「純血の秋田犬」を尊ぶ人たちからは煙たがられる 一方で、「秋田犬のような外見」の「比較的飼いやすい大型犬」 として、これを好む「普通の飼い主」もそれなりにいるとか。 * 犬を通じて、近代日本の歴史や社会の一面が垣間見えるようです。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: すみません。またお世話になってしまいました。恐れていたことですが、別の話題でかなりエネルギーを使ってしまい、しばらくこのスレッドを留守にしなければなりませんでした。これこそだいじなテーマだとぼくは信じているのです。平和問題だとか環境問題だとか教育問題だとか、およそぼくの関心のあるテーマのすべてに関係しているのが、この「犬と日本人を考える」だと思っているのです。それにしては、留守にすることが多すぎましたね。 蝦夷縞ふく朗さんのお話とはちょっと違うかもしれないけれど、東京で野良犬の姿が消え始めたのは、東京オリンピックの準備が始まったころらしいです。すでに1950年代の後半には、野犬を毒殺するということを東京ではしていたようですが、その理由は、野犬を怖がる人からの苦情がいちばん大きかったようです。今でもそうですが、役所に届く犬関係の住民の声というのは、だいたい苦情に決まっているのです。実際には、公園などでの犬との出会いによって楽しい時を過ごす人の方が圧倒的に多いのですが、そういう声は役所には行かないのですね。警察官から聞いた話だと、ケータイの普及で、その種の苦情電話が非常に増えたらしいです。 苦情の多くは、実際に犬が危険な行動をとったわけじゃなく、犬というだけで怖がる人が、人間社会から犬を排除しようとして苦情を言うようです。ぼくはこういう人間中心主義が、犬だけでなく人間までもだめにしているように思えてなりません。 で、東京オリンピックの話のつづきですが、そのころ街から野犬を排除しようとした理由ってのは、日本の首都に野良犬がうろついているのは格好悪いということだったらしいです。高度経済成長まっしぐらのカッコいい東京を世界に見せたかったのでしょう。それでいて、日本橋のような由緒ある橋のすぐ上に見苦しい高速道路を建設して街の美観を台無しにしたのだから、まったくおかしな話です。 野良犬はむやみに人を襲うものじゃなく、それなりの社会性をもつのがふつうです。危険な犬がいるとすれば、人間の方が先に犬をいじめたりするからです。ペットブームで増えたリードにつながれっぱなしの犬や、神経質な飼い主に育てられた過保護の犬などよりは、野良犬の方がずっと安全なくらいです。 犬や馬という昔から人間と親しい関係にあった動物を知らずに育つ人間が増えています。人間は一応、脳みその可能性として、余計なことまで考えたり心配したりする能力をもっているので、その能力のせいでかえって自然との調和を失ってしまうことがあるようです。長いヒトの歴史の中では、現代の都会のように人工的な環境でヒトが生活するようになったのは、ごく最近のことと言ってもいいでしょう。このまま人工的な方向へ進むのか、それとも自然との調和を回復する方向へ向かうのか。犬と日本人を考えるというテーマは、それに関わることだと思っているのです。 |
「人間が正しく訓練されれば、犬の親友になることができる」(コリー・フォード) "Properly trained, a man can be a dog's best friend." - Corey Ford 「私は犬や猫を幸福にできないような人間の宗教はあまり好きになれない」(エイブラハム・リンカーン) "I care not much for a man's religion whose dog and cat are not the better for it." - Abraham Lincoln 「天国に入るのは神の恵みによる。もしそれが功績によるのだとしたら、あなたは天国に入れなくて、あなたの犬が入ることになるだろう」(マーク・トウェイン) "Heaven goes by favour. If it went by merit, you would stay out and your dog would go in." - Mark Twain 「犬は天国にはいないって思っているのかね? よく聞いてよ。犬ってのはね、ぼくら人間よりずっと先に天国にいるだろう」(ロバート・ルイス・スティーブンソン) "You think dogs will not be in heaven? I tell you they will be there long before any of us." - Robert Louis Stevenson 「もし天国に犬がいないのなら、私が死ぬときは犬が行った場所に私も行きたい」(ウィル・ロジャース) "If there are no dogs in heaven, then when I die I want to go where they went." - Will Rogers 「犬は友を愛し敵を咬む。人間はこれとかなりちがって、純粋に愛することはできず、いつも愛と憎しみを混同してしまう」(ジグムント・フロイト) "Dogs love their friends and bite their enemies, quite unlike people, who are incapable of pure love and always have to mix love and hate." - Sigmund Freud 「平均的な犬は、平均的な人よりも、いいひとです」(アンドリュー・ルーニー) "The average dog is a nicer person than the average person." - Andrew A Rooney 「私が永遠のいのちというものになんらかの信仰をもつとすれば、自分の知っている犬の中に天国に入るだろうと思える犬がいるのに、人間にはめったにそういう人がいないということだ」(ジェームズ・サーバー) "If I have any beliefs about immortality, it is that certain dogs I have known will go to heaven, and very, very few persons." - James Thurber 「私たちは犬に余った時間を与え、余った場所を与え、余った愛を与える。その見返りとして、犬は私たちに彼らのすべてをくれる」(M・アクラム) "We give dogs time we can spare, space we can spare and love we can spare. And in return, dogs give us their all." - M Acklam 「お金があれば可愛くていい犬が買えるでしょうが、お金があっても犬のしっぽを振らせることはできないでしょう」(ジョシュ・ビリングズ) "Money will buy a pretty good dog but it won't buy the wag of his tail." - Josh Billings 「未だかつて裏切られなかった信頼というものはない。ただ、本当に忠実な犬の信頼は別だ」(コンラート・ローレンツ) "There is no faith which has never yet been broken, except that of a truly faithful dog." - Konrad Z Lorenz 「犬はあなたを見上げ、猫はあなたを見下す。ブタはどうか。ブタはただあなたの眼を見て、彼らと同等なもののようにあなたを扱う」(ウィンストン・チャーチル) "Dogs look up to you. Cats look down on you. Give me a pig. He just looks you in the eye and treats you like an equal." -Winston Churchill 「犬がほぼ人間に近いなんてことはありえないね。犬のことをそのように表現することよりも犬をさらに侮辱する言葉を私は知らないな」(ジョン・ホームズ) "A dog is not almost human and I know of no greater insult to the canine race than to describe it as such." - John Holmes 「私は人間の権利と同様に動物の権利を支持する」(エイブラハム・リンカーン) "I am in favour of animal rights as well as human rights." - Abraham Lincoln 「きのう、ぼくは犬だった。きょう、ぼくは犬である。あしたもたぶん、ぼくは犬だろう」(スヌーピー) "Yesterday I was a dog. Today I'm a dog. Tomorrow I'll probably be a dog." - Snoopy |
▼BadBlokeさん: > >「私たちは犬に余った時間を与え、余った場所を与え、余った愛を与える。その見返りとして、犬は私たちに彼らのすべてをくれる」(M・アクラム) >"We give dogs time we can spare, space we can spare and love we can spare. And in return, dogs give us their all." - M Acklam > ここの名前をまちがえました。以下のように訂正します。 M・アクラム → M・ファクラム M Acklam → M Facklam |
参考までにご覧下さい。 http://www.alive-net.net/ |
▼ナナママ(旧反米嫌中権韓)さん: >参考までにご覧下さい。 > >http://www.alive-net.net/ よいサイトを紹介してくださいました。ありがとうございます。 日本でもこのような活動をされている人たちのいることを知るだけで、ぼくは大好きな雑煮を食べなくても元気に生きていけそうな気持ちになれます。日本人の多くはあまりこの種のことに関心がないようですが、日本は諸外国から動物虐待列島と見なされているのです。そして、それは事実です。 かつて日本では動物園ブームというのがあって、各地で盛んに動物園が作られました。動物園のある都市が文化的な都市であると思い込んでいたようです。ところがその動物園の実態はひどいものです。たしかこの地球生物会議でも紹介されている英国のズーチェックの人たちだったと思いますが、日本各地の動物園を視察した結果、その基準で合格になる動物園はほとんどなく、日本が動物虐待列島であることの証拠がまた増えたということになったわけです。 動物実験にしてもそうです。世界の実験動物総数の1割が日本で消費されているといいます。それだけ日本の生命科学が発達しているからだと解釈する人がいるかもしれないですが、それは実態を知らない人の感想で、化粧品会社にしても日本ではやたらに動物実験をおこないすぎるのです。それだけ人間の安全を企業が考えてくれているのはありがたいと、おめでたい日本人は感謝するのかもしれないですが。 東京でも買えるようになった英国のThe Body Shopなど、先進国の化粧品会社では実験動物反対の立場で経営している会社が少なくないのです。フランスのシャネルにしても、かつては動物実験をしていた会社も実験をやめるようになってきました。 ところが、ドッグフードの会社で犬を実験動物に使っている会社が、特に米国の大企業には今もあるようです。日本でも盛んにテレビで宣伝されているアイムスはそのひとつです。これなども、日本の愛犬家の多くは何も問題に思わないどころか、むしろ感謝しているような様子さえあります。自分の犬が健康であれば、実験動物がどうなろうとかまわないという感覚なのでしょう。問題は、本当に実験動物を使う必要があるのかということです。実験動物が苦しんだり死んでしまうような物質がドッグフードに必要なのかということです。 フランスのドッグフード会社にロイヤルカナンというのがあります。ここは創設者が獣医で、最初から動物実験をしていませんでした。英国ではむしろそれが普通なのですが、日本では英国のドッグフードが手に入りにくいので、ぼくは東京ではロイヤルカナンを買っていました。ところがこの会社が数年前、米国系の大企業に買収されてしまったのです。その大企業は以前から動物実験をおこない、日本でも大々的に宣伝している企業です。どうしてこういうことが起こるのか。愛犬家と呼ばれる人たちが、選ぶべき会社をきちんと選ばずに、テレビの宣伝を信じてしまうからでしょう。そして、何よりも、愛犬家に<哲学>がないからです。 |
犬をどの程度に知っているか、あるいは、知らないか。これはその人が犬をどれほど愛したか、あるいは、愛さなかったか、ということと深く関係しているように思う。 日本人一般の犬の飼い方を見ると、まさに、犬という動物を<飼う>ということをやっているにすぎないように思えることが少なくない。それではウサギやモルモットを飼うのと、それほど区別がなくなるだろう。もしも学校の動物飼育で犬を飼うとすれば、これはとんでもなく教師や生徒の負担になってしまうにちがいない。ウサギやモルモットのように、狭いところに閉じ込めておいては、犬は犬として育たないからだ。 しかし、多くの日本人愛犬家は、相変わらず犬を<飼って>いる。比較的に頻繁に犬の散歩をする人であっても、お決まりの道を、いつもリードを放さずに、ただ歩いているだけらしい。家に帰っても犬をどこかにつなぐか、檻の中に閉じ込めているのだろう。 こういう犬の<飼い方>では、同じ犬でも大いにちがった動物が出来上がることになる。そして、そういう犬しか知らない人間は、犬という動物を人間よりは劣るものと見なすにちがいない。 私が紹介した世界の愛犬教徒たちは、人間様よりも犬のほうが優れていると言っているようだ。これは、私自身もそう思う。自分と比べても、私よりも犬のほうがずっと優れていると思うことが、本当に多いのだ。私は今の犬を育てるとき、子犬の頃は厳しくマナーを身につけるように教育したが、それでもリードで自由を奪ったり、体罰で脅すというようなやり方は、しなかった。彼が犬であることに敬意を抱きながら、そういう動物にふさわしく育てる責任を、私は絶えず感じていた。 日本人愛犬家で、少しでも犬の社会的なしつけというものに関心のある人は、みな一様に、私の犬に関心を示す。どうしてこのような犬に育ったのかと、不思議に思うらしい。中には、体罰でもって厳しくしつけたにちがいないと想像している人もいるかもしれない。 私のしたことは、ひとつだけだ。すでに述べたとおり、彼が犬であるがゆえに見下すということは決してせず、むしろ敬意をもって、彼を犬にふさわしく育てようと、自分のベストを尽くしたにすぎない。それは、幼い頃からの体験で、私には、犬を敬愛する気持ちが、変わらずにあったからだと思う。 |
日本で暮らした日常の体験の中で、様々な愛犬家を見て来た。そして今、この老人党掲示板でも、私のもっとも問題だと思うきわめて日本的な愛犬家が、もっともらしい意見を述べて人を非難する姿を発見した。 私の予想通り、その種の愛犬家には、犬の問題だけじゃなく、人間の自由と権利に関しても、私とは異質の感性を持っていることがハッキリした。私は今後ともこの「犬と日本人を考える」を、いのちある限り続けようと決意した。犬という愛すべき動物のため。そして、私もそのひとりとして生まれた日本人の未来のために。 とりあえず、今はコーヒーを飲みながらケーキでも食べます。 |