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 ▼「次期学習指導要領」全面改定へ  珍 源斎 06/2/9(木) 13:25
   ┗Re(1):考える道具としての日本語  珍 源斎 06/2/9(木) 19:00
      ┗Re(2):語彙の不足を生じない努力を!  珍 源斎 06/2/12(日) 21:53

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 ■題名 : 「次期学習指導要領」全面改定へ
 ■名前 : 珍 源斎
 ■日付 : 06/2/9(木) 13:25
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   朝日新聞一面が報じるところによると。

次期学習指導要領の全面改定への文部科学省の中央教育審議会
への原案が示されることになると云う。

それによると「ゆとり」から「言葉の力」へと学校のすべての
教育内容に必要な基本的な考え方として「言葉の力」を据える
ことになると云う。

今回の原案が示す「言葉の力」は次期指導要領の理念にあたる。

正直にいって「何を今更!」と思わぬでも無いが漸くにして
気が付いてくれたかの想いはあるが・・・・。

現状の社会に表れてる諸々の不祥事はその当事者たちの社会的な
地位レベルの高低はあっても共通項としては思考力、想像力の衰弱に
多くの場合そこに原因はある・・。

その思考力、想像力の基礎を成すものは「言葉・言語力」にある
総ての思考は言葉により成立してることは云うまでも無いが、
その基礎の基礎たる言葉力が長年教育のプロたちにとって「ないがしろ」
にされてたことは「何を今更」と言わしめる所以である。

小集団でのみ通用する隠語のようなものが今、日本中に蔓延してるが
日本語が日本のみでしか通用しない隠語のようなものであってはならないし、
言葉は考えることで欠かせない大切な道具「ツール」であることを認識せねば
ならない・・。

外国語の習得でも言葉の論理性を欠けば、通用も「おぼつかない」もので
幾ら経費や年月を要しても無駄になりかねないことには多くの事例がある。

一刻も早い指導要領の改訂が望まれる・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):考える道具としての日本語  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 06/2/9(木) 19:00  -------------------------------------------------------------------------
   作家・丸谷才一氏のエッセイからその要旨を纏めてみる。

そもそも日本語は明治維新、以後の西欧の模倣にて国家が造られたが
その際に標準語も口語文もこのとき出来上がり、それによって日本列島を
結びつけ一体化(中央集権)することが可能になった・これが日本語である。

その後の国語改革も読み書き能力の向上のみで、それは工員が機械の
操作法を読め、作業日誌を記せる、兵士下士官は歩兵操典が読め
斥候報告書が書ける。そういう能力を近代日本は求めた。
上級技師や将校の場合でもその大筋は変わらない。

言語には伝達の道具と云う他に、思考の道具としての役割がある。
人間は言葉を使うから、ものが考えられる。言葉が存在しなかったら
思考はあり得ない。

その思考の道具としての日本語はちっとも配慮しないのが近代日本の
言語政策であったし言語観でもあったのではないか?

明治政府は民衆がものを考えないでもらいたいと望んだ。民衆が何かを
考えることは危険なことであると云ったことから教育勅語を素直に
受け入れ、それ以外(以上)のことを考えない者を理想の国民像として
思い描いた。

この風潮は長く続き、その後の日本株式会社も思考を尊重したり奨励
したりはしなかった。

言語明瞭にして意味不明がまかり通るのもその現れであると云える。
政治家や官僚の使ったり弄する言葉の中には真実から乖離するもの
も多い。

もし日本が鎖国状態にあるとしたら差ほど問題は無いが現在、
世界中の国々との関わりは否応のない処で思考力でのハンデイを
負うことは見逃すことは出来ないと痛感してる。

かく申す、私のバックグランドとする処は「文系」で無く、
どちらかと云えば理系的な思考にあると自認してるが、それ故に今
考える道具としての日本語の再構築が教育を通して必要に思える。

以上、丸谷才一氏のエッセイを基として私見を述べさせて
頂きます。  お目通し感謝!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):語彙の不足を生じない努力を!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 06/2/12(日) 21:53  -------------------------------------------------------------------------
   言葉を考える道具「ツール」として活用するには
日本語に伝わる豊かな語彙を改めて知る必要があると
思います。

日本語の乱れが案じられる背景には言葉が機能するに
必要な語彙不足も有るのでは・と常々感じるところです。

意志の疎通を旨とする会話にしても外国語を習得するに
しても日本語の基礎がおろそかですと支障を来すことに
なります。

英会話が出来てもお互いの文化を理解する会話に至らない
と云う現実もあります。

少グループでのみ通用する隠語・絡みの日本語で無い
考えるツールとしての日本語を確立する為に改めて
語彙の不足を生じないように小学校の低学年より一貫した
努力が必要に思えます。

今、言葉力の強化を図らねばと漸く有識者や文部科学省の
お歴々が気付かれたようですので、更に特化した努力を
・と願っております。

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