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 ▼安物買いの銭失い!  珍 源斎 05/5/12(木) 16:08
   ┣Re(1):安物買いの銭失い!より始末が悪い!  珍 源斎 05/5/13(金) 16:30
   ┃  ┗Re(2):より始末が悪い・高い教育費!  珍 源斎 05/5/14(土) 13:43
   ┃     ┗Re(3):人件費の安上がり、此も問題である!  珍 源斎 05/5/21(土) 16:35
   ┗Re(1):安物買いの銭失い!  風鈴カザン 05/5/21(土) 14:02
      ┣Re(2):安物買いの銭失い!  キタキツネ(元北の老兵) 05/5/21(土) 15:03
      ┃  ┗Re(3):安物買いの銭失い!  風鈴カザン 05/5/21(土) 16:36
      ┃     ┗Re(4):安物買いの銭失い!  キタキツネ(元北の老兵) 05/5/21(土) 17:22
      ┗Re(2):安物買いの銭失い!  珍 源斎 05/5/22(日) 17:22
         ┗Re(3):安物買いの銭失い!  風鈴カザン 05/5/22(日) 18:43
            ┗Re(4):日本社会の高コスト構造!  珍 源斎 05/5/23(月) 9:22

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 ■題名 : 安物買いの銭失い!
 ■名前 : 珍 源斎
 ■日付 : 05/5/12(木) 16:08
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   安物買いの・銭失い・とは、これ程真理を衝いた言葉はないことに
今更ながら、気が付いた・。

思い出せば安売りスパーに安ければ良いとばかりに一斉に買い物に
走ったお陰で、地域の八百屋や魚屋などの自営商店を衰退、消滅させて
しまったことで地域の活力さえ衰退させてしまったこと、

勿論、地域の商店街が健全に残されてる処には人々の暮らしにも
活気があるが・・それは例外とでも云える状況下にある・・

町中の自営業や商店が寂れて大手資本のスーパーが栄えてるのなら
まだしも救いはあるが、そのスーパーさえも莫大な負債のツケを

国民に残して整理「倒産のような」されてる始末は頂けない。
現在、大手の百貨店の扱う衣料品にしても中級品では中国製が
多くなってる・安価でありさえすれば・それで良しと云う

生活態度では、この先それが禍になる予感を禁じ得ない。
国内での生産力の低下は国内の仕事が無くなることに通じて
おり、地方の経済的な地盤沈下は正にその現れである。

生きる・働く・そして暮らすを地域に密着させる経済システムの
構築が生活面での幸せと満足を得られる途ではないかと考える。

商品の価値は価格だけでないこと・を考えねばと思う。
別な切り口として大都市部のサラリーマン一人当たり生涯において
通勤に要する時間・30,000.h/24h=1,250日分の
時間的な損失を強いられてることも国家的な損失として視野に入れ
ねばならぬと考えられる。

その他、東京や大阪などの都市部での慢性的な交通渋滞も試算に
よると莫大な損失ななると云う、集中より分散を図った地方、
地域の復権と復興無くして日本の未来は暗いモノになってしまう・・。

少子高齢化により国民の活力が低下する前に国民の真の幸せ
創りになる政策転換を蛮勇をもって図る必要がある。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):安物買いの銭失い!より始末が悪い!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/5/13(金) 16:30  -------------------------------------------------------------------------
   安物買いの銭失い!意味する奥の深い意味もあるが・・・、
日本では高価なモノでも銭を失うものが多くある。

ヤングレデイー?のブランド漁りなら、まだ可愛いが、
国家の支出に絡むものは「タント」ある。一々例をあげるのは
避けるが、庶民が負担する教育に要する費用もバカにならぬ!

特に教育の費用対効果に至ってはその負担の大きさに比べて
それだけの価値のある教育が為されてるかを考えると・・
現状からみて「タダ虚しさ」を覚える・。

極端な例にしても昨今の大卒・若者達の語学力「日本語」の低下に
ついては考えさせられてしまう。

親御さんは高い教育費を自分の生活費を切りつめ支出を抑えて
までして負担してるのに・!

学歴さえあれば「何とかなる・の幻想」は高価にして銭を失う
さえたるモノでなかったか?

モノ価値の何たるかについて考えたがキリが無い!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):より始末が悪い・高い教育費!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/5/14(土) 13:43  -------------------------------------------------------------------------
   かつて北欧、フインランドでの教室風景・授業のビデオを
見せて頂いたことがあります。確か日本で云う中学生の
低学年とおぼしき生徒達でした。

題は国のよって何故・貧困と貧乏があるのか?について
生徒達が4〜5人のグループになって、各々インターネット
も駆使してそれを追求してその理由を纏める学習でした。

教師は只、黙って見てるだけでしたが・。
やがて彼らは結論らしいところに行き着いたようでした。
それは綿花やコヒーなどの単品、商品作物に頼り栽培してる
処にあること・作物の不作や豊作貧乏に晒されること

生産物に自分で売値を付けられないこと、
生活物資や原料は決められた値段で買わなければならないこと、
「植民地経済の仕組み」を彼ら自身で結論を得て纏め上げた
のをビデオ画像ながら垣間見て驚かされました。

このような社会科の範疇に入る学習と思われるが、日本では
中学生の段階で此処まで探求されてることがあるのだろうか?

自分の頭で物事を考え抜き、それを元にして議論を深めて行く
手法はこれによって鍛えられて行くに違いない。

片や日本の場合は如何であろうか?云われてる現代、日本人の
議論が不得手とする原因としては、母国語である日本語の習得に
抜かりがあること、語彙不足、要領の纏め方の不得手、等々

「考える力」を鍛えない・鍛えられない、教育費ほど
高価につくものはない!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):人件費の安上がり、此も問題である!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/5/21(土) 16:35  -------------------------------------------------------------------------
   >安物買いの・銭失い・とは、これ程真理を衝いた言葉はないことに
>今更ながら、気が付いた・。

これは色々な意味で示唆に富む言葉である。
個人についてのことは元より、日本国の未来を考えたとき
色々な問題を考えさせられる。

中でも人件費が安上がりで利益が上がること、単純に考えれば
それは結構なことと思えるが。

国の経済力なり国力を考えるとそうも簡単に済まされることでは無い。
最近、40歳になる低所得のフリーターの話から掘り下げてみると
将来へ向けての心細いイメージが浮かんでくる!

低所得者は納税能力も有るか無いかのレベルである上に社会保障
も担う力も当然低い・低所得の階層がこのまま増え続けると
どのようになるか?・・考えずとも判るはなし・・。

企業も目先の利益を追求するに「かまけて」るとその存在を
保証してる基盤さえ失ってしまうことになる。

勿論、仕事での効率を上げることは必要であるが人間を生かし
育てる・そして次世代へと継承するポテンシャル「潜在的なパワー」
も、当然、育まねばならぬ。

人件費が安上がりであるから、中国などへ生産力を移すなどの
安易な事でなく、日本国内での生産力、例え人件費が割高に
見えても、それらを凌ぎきる事から得られる利益は・真の利益では
ないかと思う。

社会生活や産業の高度化に見合った経済力、国力の充実は
日本人、日本国民「一般大衆」の持つ真のパワーを活かすことに
より成し遂げられる。これは当たり前の話である。

人間こそ最大の価値を生む原動力である、
元気が良く活きのよい企業は既に云わずとも、それを実践してる。

働く側も「社畜」や思考停止症候群を排して更なる学習、自己研鑽が
望まれることは云うまでもない・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):安物買いの銭失い!  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/5/21(土) 14:02  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎さん

地域の八百屋や魚屋などの自営商店の衰退と、過剰な大手スーパーや量販店などの出店合戦に歯止めを掛けるには、大店法を厳しく見直すしかないと私は思っています。
たぶん、自由競争=善みたいな世の中ですので、ほとんど賛同が得られない気がしますが、どう考えても100の潜在需要しかない地域に無条件に大規模店を乱立させて、200、300の供給が可能な商業施設を作ったとしても、あぶれたお店が苦しくなる、つまり第二、第三のダイエーが今後多く出現するのは明らかだと私は考えておりますし、結局のところそれで得する人というのは、大変少ないのではないかと思うのです。

無節操な大規模店の「潰し合い」によって得られるものはあまり無かろうというのが、私なりの結論です。仮にこういった規制緩和まで「グローバル化」として推奨されるとしても、私なら「いらねぇ」で終わりです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):安物買いの銭失い!  ■名前 : キタキツネ(元北の老兵)  ■日付 : 05/5/21(土) 15:03  -------------------------------------------------------------------------
   風鈴カザンさん

>地域の八百屋や魚屋などの自営商店の衰退と、過剰な大手スーパーや量販店などの出店合戦に歯止めを掛けるには、大店法を厳しく見直すしかないと私は思っています。
>たぶん、自由競争=善みたいな世の中ですので、ほとんど賛同が得られない気がしますが、どう考えても100の潜在需要しかない地域に無条件に大規模店を乱立させて、200、300の供給が可能な商業施設を作ったとしても、あぶれたお店が苦しくなる、つまり第二、第三のダイエーが今後多く出現するのは明らかだと私は考えておりますし、結局のところそれで得する人というのは、大変少ないのではないかと思うのです。
>
>無節操な大規模店の「潰し合い」によって得られるものはあまり無かろうというのが、私なりの結論です。仮にこういった規制緩和まで「グローバル化」として推奨されるとしても、私なら「いらねぇ」で終わりです。

横から失礼します。↑の意見は全くその通りで、大賛成です。
以前私は商店街の活性化のために、いろいろ尽力し、大型店に対抗するために、生鮮三品を主力とする市場型の大型寄り合い店舗を作った経験があります。

私はその時に大型店と同じやり方で勝負しても、絶対勝てないので、我々しか出来ない方法で地域に密着したサービスを行なうべきだと主張しましたが、組合員にはなかなか聞いて貰えないという経験があります。小売業者も目先の売りがほしくて、判っていてもその誘惑には勝てないというのが実態でした。

いま地域から八百屋、魚屋が消え、薬屋も郊外型の大型ドラッグストアばかりです。私のいた町内会は60%以上が65歳以上の高齢者です。ちょっと擦りむいた、ちょっと熱があるといっても歩いて行く距離に薬屋もありません。ネギ一本足りなくなっても八百屋もありません。

魚屋さんがなくなったお陰で、魚のさばき方や、料理のちょっとしたアドバイスも受けられない。きゅうりの白い粉をカビか農薬だと思っている人がいますが、これはブルームといって美味しいきゅうりの証拠なのに、敬遠されるため今では店頭に並ぶのはブルームのない見栄えの良いものばかりです。八百屋さんだったら「お客さん、これは美味しい証拠だよ!」と教えてくれるはずです。

対面販売の良さが失われ、セルフと大量販売のツケは結局我々消費者に跳ね返って来ているのではないでしょうか? 私達年寄りにとっては昔の商店街の方が数倍魅力があり便利でした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):安物買いの銭失い!  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/5/21(土) 16:36  -------------------------------------------------------------------------
   キタキツネさん

業態を問わず、人口や面積などから一定の規制を設けるということは、決して悪いこととは私は考えません。非常に厳しい、いわば過当競争の中を勝ち抜いて、より競争力がつくというのは一面の真実だと思いますが、一定の規制、ルールという枠組みの中でより上を目指すという競争力のつけ方、あり様があってもいいのではないかと思っています。
たまにこんな想像をします。町の緑化を図ろうということで、とにかく短期で町の緑化を達成しようとする運動みたいなものが自治体間であるとします。A町の担当は、「緑化が出来ればいいというなら、とにかく生命力の強い雑草の種をいっぱい撒いてしまおう」と考え、なんと実行してしまいました。街路樹を植えたり、花壇を作ったりといったやり方を採用した他の自治体よりも、A町の方が、確かに短期間でしかも非常に安価に緑化は達成されるわけです。
しかし、いくら短期達成を目指すといっても、こんな緑化をして誰が喜ぶのかという気が私にはするのです。規制が何も無いということは、時としてこういった悲(喜)劇を生むのではないか、と。目先の結果も蔑ろにしてはいけませんが、物事の「あり様」というのを無視してよいとは思えません。

勿論、大規模店が雑草で、零細店が花という気はありません。むしろ反対の場合もあると思います。ただ、花には花の、樹木には樹木の、雑草には雑草の、各々の住み場所というものがあると思うのです。いくら綺麗だからといって、平地の花壇を鮮やかな高山植物だけで埋め尽くされた様は奇怪だと思うのです。大規模店には大規模店のよさがありますので、それを無くしてしまえと言うことではなく、程よくお互いが共存できるようなルール、規制といってもいいかと思いますが、そういうものの中で「競争」が行われる方が、むしろ広く公共の利益と合致するのではないかと思います。

どちらかに偏ってはいけませんが、今は明らかに大規模店の凌ぎ合いを越えた「潰し合い」を奨励しているような状況です。私は大店法を再び見直してほしいと願っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):安物買いの銭失い!  ■名前 : キタキツネ(元北の老兵)  ■日付 : 05/5/21(土) 17:22  -------------------------------------------------------------------------
   風鈴カザンさん

>大規模店には大規模店のよさがありますので、それを無くしてしまえと言うことではなく、程よくお互いが共存できるようなルール、規制といってもいいかと思いますが、そういうものの中で「競争」が行われる方が、むしろ広く公共の利益と合致するのではないかと思います。
>
>どちらかに偏ってはいけませんが、今は明らかに大規模店の凌ぎ合いを越えた「潰し合い」を奨励しているような状況です。私は大店法を再び見直してほしいと願っています。

その通りだと思いますよ。安売りの大型スーパーは、食べ盛りの子供を抱えた家族にとっては大変助かります。しかし老夫婦だけの世帯では、一山いくらの生鮮食料品は腐らすのがオチです。零細商店には零細商店の良さがあるし、大型店には大型店の良さがあります。どちらにも偏ってはいけないのはいうまでもありません。

やはり一定の規制は必要であると、私も考えます。
しかし零細店も一工夫する必要はあります。私の知っている夫婦でやっている小さな果物屋さんがあります。ここのご主人はパソコンが一般的になる前から、お客さんから北海道の特産をを本州の方に送るように頼まれると、その送り状を手書きで全部記録しております。

そして翌年にその時期になると、丁寧に葉書を一枚一枚手書きで出すんです。これがお客さんに偉く喜ばれお得意さんを増やしております。今では何人も人を使い、パソコンも導入して頑張っています。

やはり大型店にはない、小回りの効くサービスをし、その店独自の特徴をだす努力も合わせて必要であると考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):安物買いの銭失い!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/5/22(日) 17:22  -------------------------------------------------------------------------
   風鈴カザンさん
こんにちわ

全く云われてる通りだと思います。

しかしある程度の競争はサービスにしても消費者の意向や好みが
活かされる点では必要に思えます。

出店規制など法律でやるとなると問題を残します。
ただ、大資本や地上げなどからの利益を織り込んだ公正を欠くもの
については規制が必要になります。その辺りが最も悩ましい点では
ないでしょうか・。

>地域の八百屋や魚屋などの自営商店の衰退と、過剰な大手スーパーや量販店などの出店合戦に歯止めを掛けるには、大店法を厳しく見直すしかないと私は思っています。
>
>無節操な大規模店の「潰し合い」によって得られるものはあまり無かろうというのが、私なりの結論です。仮にこういった規制緩和まで「グローバル化」として推奨されるとしても、私なら「いらねぇ」で終わりです。

此処で考えなければならぬ現実があります。
無節操な大規模店の「潰し合い」による損失は物凄く大きい事で
そのツケは国民に及ぶことです。バブル経済の崩壊による、その後始末は
全部、国民に廻ってます。国民がその尻拭いをさせられてることです。

場合によっては禿鷹ならぬ外資に「のし」を付けてご進呈するような
結末にもなってます。「ダイエーの後始末は正にそれです。」

私たち消費者が単に価格が安いからと云って、それを単純に
購買動機とせずに私たちにとって大切な機能を持ってる多様な
お店の存在を価値あるものとして認めなければなりません。

東京の下町での・ある商店街のように大型店と競争しても負けない
処もあります。其処には消費者のお店に対する信頼と共存共栄の
意識が強力に働いてるように思えます。

「安物買い銭失い!」のご提議をさせて頂いたことは・・。
私たち国民も消費者ももう少し「賢くならねば」との想いからです。

国や行政に頼ることは止めにして自立、自主、共栄の精神を
もって住みやすい暮らしを創らねばなりません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):安物買いの銭失い!  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/5/22(日) 18:43  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎さん

私は専門家などでは決してないので、具体的に数値を出してこれくらいの人口規模、面積なら、この程度までの出店がいいということまで言えませんが、あくまで感覚的にですけれども、ある程度の出店規制は、法的にすべきではないかと思います。
「障壁」がなければ、競争が促進されよい結果が導き出されるかと言えば、「原則的に」そうかとは思いますけども、やはりそれ以外に考慮すべき点も多々あるのだと思います。

>無節操な大規模店の「潰し合い」による損失は物凄く大きい事で
>そのツケは国民に及ぶことです。バブル経済の崩壊による、その後始末は
>全部、国民に廻ってます。国民がその尻拭いをさせられてることです。

まさにこの点です。無用なスクラップアンドビルドを繰り返しても、一部のゼネコンやそれに纏わる、ほんの一部の業者や人々は「その時だけ」潤うかもしれませんが、それこそ規模が膨れ上がって上場までしたような量販店が破綻して、そこに「公的資金」をつぎ込んでまで持ちこたえさせるのであれば、よりお金も労力も効率的に社会に還元させられる道がいくらもあるのではないかと思うのです。

ただ、業種を問わず、大企業が頑張るのは大いに結構だと思っています。
こちらの掲示板では大企業がよく叩かれていますけど、安定した雇用を確保し、先進の技術や製品を開発し、たくさんのお金を納税して、貿易立国・技術立国でしか生きる道の無いわが国を牽引しているのは、勿論それを支える中小零細企業の頑張りもありますが、やはりトヨタなりソニーなり松下なり、こういった大企業の存在なくして考えられません。
しかし、例えば今俎上にのぼった流通についていえば、いわゆる寡占が進みすぎてしまう状況と言うのは、またぞろ植物の繁茂にたとえると、地面を全部アスファルトで固められてしまったようなものだと思うのです。健全な植生のあり方と言うのは、大きな木もあれば、足元に名も無い草が生えていたり、花が咲いていたり、それを食べる虫や動物がいたり、と、まあこんなものだと思っていますが、出店について私がなぜ、一定の規制が必要と感じるかと言えば、人間の場合、自然界の動植物よりも、何らかの縛りが無い状態では、恐ろしく行動が極端になるものです。つまり、狭い地域に、これでもかと巨木を育てようとするんですね。平地の少ない日本では特にそれが顕著です。すると、しばらくは肥料をやったり水を多くしたり、風を当ててやったりと色々試みるのですが、そのうち限界が来て、共倒れ、邪魔な枯れ立ち木が所狭しと林立する羽目になるのです。文字通り「不毛」な育成に終わるでしょう。私が法的な規制の必要性を感じるのは、こういった人間の持つ普遍的な性向は「法」によってでしか律することができないと感じるからなのです。

つまるところ、目先の「安物」は確かに買えたのかもしれませんが、より以上の負担を間接的に負うのであれば、実はちっとも「安物」ではない、そういうことですね?

企業活動が全体として安定・発展されるためには、時と場合によっては有用な「規制」もあるのではないのかなあ、と素人ながら思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):日本社会の高コスト構造!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/5/23(月) 9:22  -------------------------------------------------------------------------
   風鈴カザンさん

こんにちわ!
私は経済活動への法規制は公正取引委員会の機能がそれこそ
文字通り公正を発揮できるのならば・・・
それ以上の法規制は不要と思います。

経済活動は原則自由でなければなりません。
様々な法規制の陰には必ず利権が存在して、庶民を搾取する
巧妙な仕組みが構築されてしまいます。

行政や官僚の不当な利益の泉源に法規制が役立ってることは
申すまでもありません。

日本社会の「高コスト構造」も根は其処にに有ることは先進諸外国
の例と比べて見れば明確です。

世界有数の経済大国の国民であっても真の豊かさや暮らし易さが
実感できない現実は・ソコにあるのではないでしょうか?

下に貴兄が述べられてる有用な法規制は公正取引に絡むモノのみで
それ以上の法規制は極力、少なく「あるべき」・と思います・。

官に頼る法規制は一見すると有用に思えますが、それが官の自己増殖
を派生させることになることは現在までの経過を見ても明確です。
決して一人一人の国民を豊かにする途とは考えられません。

>企業活動が全体として安定・発展されるためには、時と場合によっては有用な「規制」もあるのではないのかなあ、と素人ながら思います。

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