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 ▼中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  風鈴カザン 05/5/27(金) 19:37
   ┣Re(1):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  Ray 05/5/28(土) 10:12
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  風鈴カザン 05/5/28(土) 18:06
   ┃  ┣横レス失礼、土壌の違い  退役軍人 05/5/28(土) 19:26
   ┃  ┃  ┗Re(1):横レス失礼、土壌の違い  あくまの査問官 05/5/29(日) 0:10
   ┃  ┃     ┗良く読んで頂けませんか。  退役軍人 05/5/29(日) 0:47
   ┃  ┃        ┗Re(1):良く読んで頂けませんか。  あくまの査問官 05/5/31(火) 7:34
   ┃  ┃           ┗神の視座  退役軍人 05/5/31(火) 11:16
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ダミアン 05/5/28(土) 20:32
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  虎キチ大好き 05/5/28(土) 23:54
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」  告天子 05/5/29(日) 2:02
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  告天子 05/5/29(日) 2:03
   ┃  ┣Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  告天子 05/5/29(日) 2:04
   ┃  ┗Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ダミアン 05/5/29(日) 23:58
   ┗歴史教科書問題について  Ray 05/5/29(日) 16:21
      ┣Re(1):歴史教科書問題について  ダミアン 05/5/29(日) 19:29
      ┗Re(1):歴史教科書問題について  告天子 05/5/29(日) 20:30

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 ■題名 : 中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相
 ■名前 : 風鈴カザン
 ■日付 : 05/5/27(金) 19:37
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   http://www.asahi.com/special/050410/TKY200505260293.html

森前首相は26日夜、東京都内で開かれた自民党衆院議員のパーティーであいさつをし、「『歴史を美化する』とか、『政府の反省がない』とか、いちゃもんもいいところだ。日本は民主主義国家で、どんな教科書であれ検定を受けている」と述べたそうだ。

この発言の是非はともかく、日本国内では様々な角度からの発言がごく普通になされている。こういった発言に対して、共産党や社民党が「とんでもない発言だ、罷りならん」と主張したり色々な手段、例えば国会や機関紙やホームページや様々な媒体を通じて、国内はもとより世界に発信することも容易だ。また、メディアでも国会でも国民の間でも各々が議論することは 至って簡単である。教科書についても「自虐的」と言われるものから「戦前回帰」と言われるものまで様々な主張のものが見られる。そして多様な考え方の中から、何を選択するかは国民個々の裁量に委ねられている。多様な考え方が並存できる、比較的健全な社会と言ってもよいだろう。

日本の教科書がこのところ、中国に批判される機会が多い。批判の対象となっている教科書は実は1%に遠く及ばない採用しかなされていない現実もあり、果たして日本の教育の現場が、どういった思想傾向にある教科書に「偏り」を持っているのか、冷静に分析する必要性もあろう。
また、中国においての教科書が、日本の教科書と比較してどれほど客観的記述がなされ、また民主的プロセスを経て採用されているのか、共産党に都合のいい記述に終始しているのかいないのか、教育の現場では偏向的な教え方をしているか、或いはいないか、そういったことを日中の専門家が議論しあい、より客観性に基づいた相互の評価・批判がなされるのであれば、関係の改善に役立つのではないか。
また、昨今首相の靖国参拝問題が大きな問題とされクローズアップされているが、例えば歴史の長い中国においては、戦没者に対して各地でどのような慰霊が執り行われているのか、文革で多数の死者を出した際の指導者である毛沢東・林彪らが、一般的にどういった評価がなされているのか、彼らがどのように学校で教えられ文物やマスコミを通じて論評がなされているのか、等々日本の場合と対比して、お互いの文化に対する理解を深め合えば、すれ違いに終始している両国の関係が改善に向かうきっかけがつかめるかもしれないと考えるのは、浅はかであろうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : Ray  ■日付 : 05/5/28(土) 10:12  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん(52308):

Rayです。

日本で思想・良心の自由や言論の自由が認められているのは確かですが、
そのことと、中国・韓国が教科書問題や靖国問題で日本政府に抗議することとは
別の問題であるように思います。

風鈴カザンさんは
>教科書についても「自虐的」と言われるものから「戦前回帰」と言われるものまで様々な主張のものが見られる。そして多様な考え方の中から、何を選択するかは国民個々の裁量に委ねられている。多様な考え方が並存できる、比較的健全な社会と言ってもよいだろう。
とお書きですが、「多様な考え方がある」とは言っても、
過去の戦争の過程を反省することなく、逆に賛美するような
記述がなされている教科書を国が教科書として認めるということは、
そのような考え方で子どもを教育してもいいと認めたということです。

これは、ドイツにたとえて言えば、ドイツ政府がホロコーストを含むナチスの行為を
「当時としては最善の選択だった」「ドイツ国民のため、ヨーロッパ市民のために
行った行為だった」などと記述している本を歴史の教科書の一つとして認め、
それに対してイスラエルが猛反発しているというのと同じ状況だと思いますし、
アメリカにたとえるなら、「原爆の使用は戦争を終わらせるために有益だった」とする記述を
アメリカ政府が教科書として採用することを公式に認め、
それに対してヒバクシャと日本政府が公式に抗議するのと同じことだと思います。

このような状況に対して、第二次大戦当時の被害国が抗議することは、
中国の教科書の記述に偏りがあるかどうかや
中国で言論の自由がどの程度認められているかどうかとは
まったく関係のないことであり、
「偏った教育をしている国は他国の偏った教育に文句を言う資格はない」
というような趣旨の批判・反論は無意味だと思います。

また、多様な教科書の中から実際に使用する教科書を選択する「裁量」は、
実際にその教科書を使って教える教師、教えられる子ども、その保護者自身ではなく
各自治体の教育委員にあるのが実情であり、教育委員は公選されるものではないので、
「国民個々の裁量に委ねられている」とは言い難いものだと思います。

さらに、扶桑社版の歴史教科書は、昭和初期に関する記述だけでなく、
縄文時代以前の状況についても筆者の主観が強く反映された記述がなされており、
社会科学の一つとして歴史を学ぶための教科書というよりは
歴史物語(お話)であるように私には思えます。

歴史教科書の問題についても靖国問題についても、
中国や韓国をはじめとする国々が抗議しているのは
「日本政府が国として過去の行為を容認しているように思えるような
 行為をとっている」という点に対してですから、首脳会談等での
談話・発言がその場しのぎのごまかしではないのであれば、
国としてどのような対応をするべきなのかは自ずとわかるのではないでしょうか。

双方がお互いに対する理解を深めることは重要だと思いますし、
中国で言論の自由が限定されているのであれば
より民主的な状態にしていくことも必要だと思いますが、
「お互いが文化を理解し合っていないから」
「中国の状況が民主的でないから」という理由で
歴史教科書や靖国神社が問題になっているわけではないと思いますので、
「お互いの文化を理解し合う」だけでは問題の解決にはつながらないと思います。

そうであるにもかかわらず、中国からの抗議を「内政干渉」「いちゃもん」とする発言を
現首相や首相経験者が繰り返すことは、
「お互いの文化を理解し合う」という態度でさえないものであり、
日本政府に問題を解決しようという意志がないことの表れであるようにも思えます。

以上です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/5/28(土) 18:06  -------------------------------------------------------------------------
   Rayさん

ひとつ伺いたいのですが、書き込み番号、51018,51626,51781,51910,52013で、私はRayさんには再三、お尋ねをいたしましたが、初めに伺ってから本日まで、20日近くの間、何のご回答もいただけませんでした。
勿論、お答えになるならないはRayさんの自由です。私も、全部返信するわけではないですし。
ただ、ご質問させていただいた内容と言うのは、Rayさんの本掲示板における管理姿勢の根幹に関ることでもありますし、何らかの弁明がいただけなかったのは、とても残念なことでした。少なくとも発端となったキタキツネさんに対しては、当人が憤慨されたままのようですし、憤慨の原因を作られたのは、他でもないRayさんでしたので、もっと彼に何か言葉があってしかるべきだったと思います。
相手をあれほど憤慨させておいて、適当に放っておかれるということは、下手をすれば掲示板を混乱させかねないと思います。(私に限らず多くの方は、多少の「混乱」は大した問題とは捉えておりませんが、少なくとも管理人としてのRayさんは、大いに問題とされている節があります。違いますか?)

そして今回は、特にRayさんに特定して聞いたわけでもないのに迅速に長文の返信を頂いております。(それはそれでありがたいのですが)

一体Rayさんは、どのような基準で、返信したり無視したりなさるのですか?
差し支えなければ、その点を明らかにしていただきたく存じます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 横レス失礼、土壌の違い  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/5/28(土) 19:26  -------------------------------------------------------------------------
   Rayさん、こんにちは。

▼Rayさん:
>(略)別の問題であるように思います。

同じ問題です。

言論の自由が認められ、国民の意識として定着している我が国では、国定教科書というものは存在しません。

複数の異なる歴史観から書かれた教科書が、検定というゆるやかな枠の中で、教科書として出版されるという事実。

どの教科書を選択するかは、私学であれば学校の選択であり公立学校であれば教育委員会が選択する。

これと比較して、国定教科書として【たった一つの歴史観】しか認めない中国では、取り巻く環境が天と地ほど違います。

違う歴史観を認めて、選択権をより学校現場に近いところに与えている我が国とは根底が異なります。

靖国神社のありようや、戦没者に対する慰霊の方法にしても、国が規定して強制しているものは一つだってありません。

A級戦犯に対する認識も同じです。
屍となっていても鞭打たなければならないという歴史観も持つのも自由であるし、私のように四千万人を超える署名嘆願により国会議決され、戦犯は存在しないとした先人の総意を尊重する者もいる。

どちらの歴史観に基づこうが、言論の自由が存在する社会ですから、どのような主張であっても容認されますよね。

国民の支持を得られるかどうかという、世論のジャッジメントは厳然として存在しますけれど。

>(略)そのような考え方で子どもを教育してもいいと認めたということです。

その選択を国民に認めているということですよ。
これをそういった歴史観に基づく教育をしてはならないというのであれば、政府が歴史観の容認の幅を課したことになりませんか。

つまり、言論の自由に一定の枠をかけることになるということ。

>(略)それに対してヒバクシャと日本政府が公式に抗議するのと同じことだと思います。

ドイツもアメリカもイスラエルも我が国も、多様な歴史観の存在を認めている社会です。

社会状況が、言論の自由という社会として最大の価値を守り、違う価値観や歴史観の存在を認めている我が国とアメリカ、更にはドイツとイスラエルであるから、お互いの認識について批判し合えるのです。

そして、それは外交という場での緊張を高めたり、お互いの国民が嫌悪感を持ち合うといった状況になりにくい現実がありませんか。

これは、お互いの社会に言論の自由が存在するという、根底での信頼があるからにほかなりません。猛反発はしても、デモが先鋭化して在外公館に投石したり、暴徒と化したデモ隊が、まったく関係の無いレストランを破壊したりすることにはなりませんよ。

>(略)「偏った教育をしている国は他国の偏った教育に文句を言う資格はない」
>というような趣旨の批判・反論は無意味だと思います。

【一つの歴史観しか認めない国】が【多様な歴史観の存在を容認する国】を批判するのは、誤りであると考えます。

他者の批判をするのであれば、まず自らの襟を正せということでしょう。

>「国民個々の裁量に委ねられている」とは言い難いものだと思います。

採択された教科書の記述について、誤りであると主張することが出来ないのであれば仰る通りですが、特定の教科書を採択させない【市民運動】が許されていませんか。

あなた方とは異なった歴史観に基づいた歴史教科書の検定参加や、検定後の教科書採択を勧める【市民運動】が許されているのと同じように。

>歴史物語(お話)であるように私には思えます。

そうであったとしても、そういった異なる歴史観の存在を認めている現実は何を意味していますか、最大限の言論の自由を保証しているということかと。

>そうであるにもかかわらず、中国からの抗議を「内政干渉」「いちゃもん」(略)
>日本政府に問題を解決しようという意志がないことの表れであるようにも思えます。

抗議に対して、言論の自由を保証する国家の指導者が見解を述べて批判することになんの問題があるのでしょうか。

何度も申し上げますが、言論の自由を保証する社会を統治する政府と、言論の自由を認めない社会を統治する政府との相互理解なんて事実上【不可能】ですよ。

我々が相互理解を求めるために、一つの歴史観しか許さない国家の政府の発言を容認できますか。それを容認するということは我々の社会の根底にある言論の自由を否定するということになりませんか。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):横レス失礼、土壌の違い  ■名前 : あくまの査問官  ■日付 : 05/5/29(日) 0:10  -------------------------------------------------------------------------
   〉言論の自由

「新しい歴史教科書をつくる会」の人が「自虐史観史」と他の言論を攻撃した時、「言論の自由を守れ」と言われなかったのは何故かと思うこの頃です。

私は「言論の自由」とは論を尽くして闘う事、闘える自由であると思っています。
ある意見へ「それは違う」と言うのも「言論の自由」に入っていると。
ならば教科書の内容で、「その記述は相応しくない」と言うことは別におかしい事ではないと思います。その意見に対して反論する事も。

「言論の自由」があるから「その考えはおかしい」とは言えない言ってはいけない。
そういう自由は間違っていると思います。


〉A級戦犯に対する認識も同じです。
〉屍となっていても鞭打たなければならないという歴史観も持つのも自由も持つのも自由

少なくとも私は「罪を憎んで人を憎まず」の心で「罪」のみを憎んでいるつもりです。俗人ゆえよく脱線してしまいますが。
老人党の方々も私と同じ心構えをしておられると思っています。
「屍となっていても鞭打たなければならないという歴史観」と書かなければならない人は老人党には少ないと思いますが、どうでしょう?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 良く読んで頂けませんか。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/5/29(日) 0:47  -------------------------------------------------------------------------
   あくまの査問官さん、こんばんは。

レスありがとうございます。

▼あくまの査問官さん:
>〉言論の自由
>
>「新しい歴史教科書をつくる会」の人が「自虐史観史」と他の言論を攻撃した時、「言論の自由を守れ」と言われなかったのは何故かと思うこの頃です。
>
>私は「言論の自由」とは論を尽くして闘う事、闘える自由であると思っています。
>ある意見へ「それは違う」と言うのも「言論の自由」に入っていると。
>ならば教科書の内容で、「その記述は相応しくない」と言うことは別におかしい事ではないと思います。その意見に対して反論する事も。
>
>「言論の自由」があるから「その考えはおかしい」とは言えない言ってはいけない。
>そういう自由は間違っていると思います。

私の主張を正確に理解して頂けませんか。

私はレスの中でこう述べています。
>>=====引用開始=====
>>どちらの歴史観に基づこうが、言論の自由が存在する社会ですから、どのような主張であっても容認されますよね。
>>国民の支持を得られるかどうかという、世論のジャッジメントは厳然として存在しますけれど。
>>=====引用終了=====

世論のジャッジメントってのは、同意でもあるし否定でもある、賛同の意見もあるが批判もあるということ、これが容認されているから言論の自由が存在するということでもあります。

これをどう理解すれば、批判や否定を許さないという論旨になるのでしょうか。

私の主張は、相互の間で相手の国に【言論の自由】が存在するという確信、これが信頼の根底に存在しなければならないと述べているのです。

批判した国に、こういった【言論の自由】が存在するのか、と問うているのです。自国内で【言論の自由】が存在しない国家に、言論の自由を保証する国家に対して批判する資格はないと主張しているのです。

選挙で選ばれた政権でもなければ、報道の自由や言論の自由が存在しない、即ち国民を代表する政権としての正当性を欠いた政権であるということ。

少なくとも我々の基準では。

>〉A級戦犯に対する認識も同じです。
>〉屍となっていても鞭打たなければならないという歴史観も持つのも自由も持つのも自由
>
>少なくとも私は「罪を憎んで人を憎まず」の心で「罪」のみを憎んでいるつもりです。俗人ゆえよく脱線してしまいますが。
>老人党の方々も私と同じ心構えをしておられると思っています。
>「屍となっていても鞭打たなければならないという歴史観」と書かなければならない人は老人党には少ないと思いますが、どうでしょう?

自身の視座が、60年いや70年前に判断し意志を決めなければならなかった先人からみれば【神の視座】ともいえることを弁えないということ。

こういった観点を弁えずに、選択を成した先人の資質を非難する発言は良く目にしますけれど。

自身が70年前に選択しなければならない立場であったとして、どれだけの事を知り得たのか。本来あったはずの選択肢が見えない状況であったことは想像に難くない。

今、我々が知りうる事実や史実を根拠に、選択そのものを誤りであったと批判はすべきでしょうが、その選択をした先人の資質を非難することが出来るのでしょうか。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):良く読んで頂けませんか。  ■名前 : あくまの査問官  ■日付 : 05/5/31(火) 7:34  -------------------------------------------------------------------------
   〉自身が70年前に選択しなければならない立場であったとして、どれだけの事を知り得たのか。本来あったはずの選択肢が見えない状況であったことは想像に難くない。

「むやみに戦争をするな」とは百年以上も昔から様々な人々によって言われていた事です。
戦争の基本的な戦略・戦術はアレクサンドロス大帝の時代、紀元前の時代に完成したとも言われています。
日本においても織田信長や豊臣秀吉の戦いなどでも、その教訓は示唆に富んでいます。
また、第一次世界大戦は火器の大量使用や通商破壊戦略などの重要性が顕になった戦争でもありました。

私は日本がアメリカに負けた事を批難するつもりはありません。
むしろ、莫大な物量差において日本兵はよく戦ったと思います。
批難したいのは、上記の教訓を学ばなかった当時の日本の権力者・指導者達です。
『神の視座』は第二次世界大戦後に初めて現れたとは私は思えません。

アメリカや中国と比べれば日本は小さい国です。
ならばその分、日本が生き抜こうとするならば、よく物事を見、よく調べ、よく考えることが必要ではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 神の視座  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/5/31(火) 11:16  -------------------------------------------------------------------------
   あくまの査問官さん、おはようございます。

▼あくまの査問官さん:
>(略)『神の視座』は第二次世界大戦後に初めて現れたとは私は思えません。

第二次世界大戦当時の【神の視座】が、戦争に傾斜していく過程でどういった役割を演じたのか。

抑制する方向に働いたのか、それとも加速させたのか。

あくまの査問官さんのご主張には歴史を検証する過程で必要不可欠である視点が欠落しているのではありませんか。

即ち歴史を振り返って、我々が立ちうる【神の視座】と、開戦に至る過程で我々の先人が立ち得たであろう【神の視座】は同じ視座であったのか、という疑問です。

ここを含めて、政治的背景や思想史にまで踏み込んだ検証作業が40年にわたって軍事史研究という形で続けられています。

第二次世界大戦から時代を遡り、現在は日露戦争まで進んでいて日露戦争(二)が近日刊行される予定です。

既刊されたものは

第二次世界大戦について 1巻(発生と拡大)
            2巻(真珠湾前夜)
            3巻(終戦)
日中戦争について
満州事変について
日露戦争        1巻(国際的文脈)
ハプスブルグ家について(第一次世界大戦)

どういった検証がされているか第二次世界大戦(1)から紹介すると

★開戦前夜の日本
ナショナリズムと国家−日本は特殊か− 
開戦時の昭和天皇と木戸幸一 
近衛内閣から東條内閣へ−経済統制の問題点の推移− 
戦争決意に影響した日本陸軍用兵思想の欠陥 
対米開戦経緯と意思決定モデル 
★拡大と和平の間−日中戦争−
揚子江の危機−再考パネ一号事件−● 
昭和十五年・支那事変年内解決の努力−日・国・共三者の相剋− 
戦争限定の成功と挫折−日清戦争と支那事変− 
★南進の諸相
狡猾なる小国外交−タイと日本の南進−● 
オランダと日英米戦争への道 
海軍良識派と南進−海南島進出問題を中心にして− 
チャンドラ・ボースのインド独立闘争と日独伊三国同盟−第二次世界大戦と民族解放連動− 
★モスクワ・ベルリン・東京・セダン
いわゆる「独墺合併」とイギリス 
ドイツ・ポーランド危機(1938〜1939年)に対する日本の調停● 
ドイツ側戦線から見た奇妙な戦争 
独ソ戦発生をめぐる謎 
独ソ戦の発生と日本陸軍 
ドイツと「関特演」 
戦われざる日ソ戦−1941〜1942年−● 
国家危機の外交−第二次世界大戦勃発がら1943年にいたるソ連外交−
★真珠湾前後
海軍力のプレゼンスによる対日抑止−合衆国艦隊のハワイ進出をめぐる紛糾− 
日本海軍の対米作戦計画−邀撃漸減作戦が大平洋戦争に及ぼした影響− 
戦時経済外交・楽観と暗転−アメリカ互恵通商主義と日本− 
戦時日系米人強制収容への道程 
第二次世界大戦五十周年記念「西ベルリン国際会議」に出席して 
独ソ不可侵条約と日本・ドイツ 
二つの公刊戦史『大東亜戦争開戦経緯』 
●印は外国人研究者による論文

こういった研究における検証は、現在我々が立ってる【神の視座】で当時の選択が正しかったのか、誤りであったのか、更には他の選択肢は存在しなかったのかという検証から始まります。

当時、正しい選択があったとすれば選択されなかった【理由】や【背景】について検証します。

そして誤った選択をした【責任】は誰にあったのかという点まで踏み込みます。

>アメリカや中国と比べれば日本は小さい国です。
>ならばその分、日本が生き抜こうとするならば、よく物事を見、よく調べ、よく考えることが必要ではないでしょうか?

軍事史や戦史研究が続けられている理由は、まさにここにあります。

成功した事例から得られる教訓はあまりありませんが、高い代償を支払って失敗した事例は多くの教訓を得ることが出来ますから。

端的に指摘させて頂くと、

【あなたが「その時」「その場所」にいて、「その時知り得た情報」を根拠として、先人たちが成した選択と違う選択が出来たとでも言うのですか。】

この問いかけですよ、自身の観点すら示さずに、当時我々の先人たちがカテゴライズした訳でもない【A級戦犯】という事実を根拠に、その行為に対する批判ではなく、個人の人格や資質を非難するのであれば、

【思い上がり】に過ぎないと考えます。

歴史は不可逆であるという前提が存在しますから。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : ダミアン  ■日付 : 05/5/28(土) 20:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:

この書き込みは、日頃の管理人としてのRayさんの判断基準に照らし合わせると、

>日本で思想・良心の自由や言論の自由が認められているのは確かですが、
>そのことと、中国・韓国が教科書問題や靖国問題で日本政府に抗議することとは
>別の問題であるように思います。

等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/字種、文字数の制限)のうち
  1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止
  2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止

の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」に抵触する可能性があります。何故なら、中国や韓国で思想・良心の自由や言論の自由が認められていないことを暗に示して、中国や韓国と友好関係を発展させていきたいと願う立場の人々の心象を害する可能性があるからです。

また、

>過去の戦争の過程を反省することなく、逆に賛美するような
>記述がなされている教科書を国が教科書として認めるということは、
>そのような考え方で子どもを教育してもいいと認めたということです。

は、「侮蔑」、「他者を傷つける恐れのある表現は禁止」に抵触しています。なぜなら、作る会の教科書を購入し子供の教育に用いている方がいたとして、その目的が「戦争賛美」とは限らないにも関わらず、そう断定しているからです。

さらに、

>これは、ドイツにたとえて言えば、ドイツ政府がホロコーストを含むナチスの行為を「当時としては最善の選択だった」「ドイツ国民のため、ヨーロッパ市民のために行った行為だった」などと記述している本を歴史の教科書の一つとして認め、
>それに対してイスラエルが猛反発しているというのと同じ状況だと思いますし、
>アメリカにたとえるなら、「原爆の使用は戦争を終わらせるために有益だった」とする記述をアメリカ政府が教科書として採用することを公式に認め、
>それに対してヒバクシャと日本政府が公式に抗議するのと同じことだと思います。

は、ドイツとアメリカ国民に対する「誹謗中傷」になります。また、ユダヤ民族や日本国民にとって逆鱗にふれかねない事象を例え話の題材にするのは、掲示板ルールで禁止されている公序良俗に反するものと考えます。

私自身はRayさんの投稿が掲示板ルールに抵触するとは思いませんが、Rayさんのやってることは「他人に厳しく自分に甘く」の典型のようなもので、なかなか面白いですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 05/5/28(土) 23:54  -------------------------------------------------------------------------
   横レス失礼します。

▼Rayさん:

>とお書きですが、「多様な考え方がある」とは言っても、
>過去の戦争の過程を反省することなく、逆に賛美するような
>記述がなされている教科書を国が教科書として認めるということは、
>そのような考え方で子どもを教育してもいいと認めたということです。
>
>これは、ドイツにたとえて言えば、ドイツ政府がホロコーストを含むナチスの行為を
>「当時としては最善の選択だった」「ドイツ国民のため、ヨーロッパ市民のために
>行った行為だった」などと記述している本を歴史の教科書の一つとして認め、
>それに対してイスラエルが猛反発しているというのと同じ状況だと思いますし、
>アメリカにたとえるなら、「原爆の使用は戦争を終わらせるために有益だった」とする記述を
>アメリカ政府が教科書として採用することを公式に認め、
>それに対してヒバクシャと日本政府が公式に抗議するのと同じことだと思います。


先程ネットサーフィンで見つけたんですが中国の中高生の英雄は毛沢東・元主席だそうです。

詳細はこちら  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050528-00000359-jij-int

あの戦争より多数の犠牲者を出した「文化大革命」を起こした毛沢東は英雄
旧日本軍は「侵略者」同じ事なのに中国の国定教科書はこうマインドコントロールしているのが実態だと言う事ですよ。

それに引き換え日本の教科書(検定制度)は戦前の国定教科書が洗脳本になってしまった反省から。複数の中から1社を選ぶ方式に変更したんです。
つまり国定教科書を止める事自体「戦前の反省」から来ているものであり
特定1社の記述を盾にそれを「国定教科書」の様に扱う中国・韓国のやり方は
それ自体が日本の教科書制度を事実歪曲と言うか事実と反対の事を
中韓の政府が意図的に虚偽を伝え自国の国定教科書にその虚偽を書いているものであり、教科書とは言えぬものだと思います。


>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/5/29(日) 2:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:
こんにちは。横レスします。英さんも排除を食らったようですが、あなたのこの投稿にはあなたの姿勢が実によく現れていると思います。


>日本で思想・良心の自由や言論の自由が認められているのは確かですが、
>そのことと、中国・韓国が教科書問題や靖国問題で日本政府に抗議することとは
>別の問題であるように思います。

中国、韓国には思想の自由はありますか?。ないでしょう。もし「別の問題である」とするなら、それは「思想の自由など、認めない」という立場からなされる弾圧、暴力の問題として、中国・韓国の靖国抗議は捉えられるのであって、他者の尊厳を冒すことに何の躊躇も感じず、むしろ「正当性をすら名乗って」なされる思想弾圧、暴力の問題が、中韓のしている抗議の本質です。

そして、あなたがしている、時に一投稿者として意見を述べつつも、反論不能と見るや黙り込み、今度は別の角度から「管理者として」権力を振るって、「掲示板に有害な」論者の排除を積極的に行い、しかもそれが「掲示板のルールに従ったものだから」として正当化される、あなたのしていることも、「正当化された暴力」そのものですね。以前に、違憲判決について私が「そのような判例はない」と書いたところ、「掲示板の秩序を乱す」とかいう理由で警告を出していましたね、これ以上書いたら排除するぞ、というおまけ付きで。

あなたの暴力体質がよく出ているな、と思いましたよ。


>「多様な考え方がある」とは言っても、
>過去の戦争の過程を反省することなく、逆に賛美するような
>記述がなされている教科書を国が教科書として認めるということは、
>そのような考え方で子どもを教育してもいいと認めたということです。

ほうほう、だったら、中国のしている「愛国無罪」とかの方針は、まさに自国中心主義、愛国主義、国粋主義そのものじゃないんですか。自国の正義を讃美する教育をしてもいいと認めたということだ、と文句をたれるなら、あなたはまず真っ先に中国に文句を言ったらどうですか。国を挙げて、そういう教科書以外は存在を認めていないんでしょうが。


>これは、ドイツにたとえて言えば、ドイツ政府がホロコーストを含むナチスの行為を
>「当時としては最善の選択だった」「ドイツ国民のため、ヨーロッパ市民のために
>行った行為だった」などと記述している本を歴史の教科書の一つとして認め、
>それに対してイスラエルが猛反発しているというのと同じ状況だと思いますし、

ドイツと日本ではまるで違いますよ。まあ、あなたがそう思うのは勝手ですが、違うものを同じだというのは単なる詭弁です。

>アメリカにたとえるなら、「原爆の使用は戦争を終わらせるために有益だった」とする記述を
>アメリカ政府が教科書として採用することを公式に認め、
>それに対してヒバクシャと日本政府が公式に抗議するのと同じことだと思います。

ほほう、日本政府がアメリカの教科書記述に抗議しているんですか。してないでしょうが。してもいないことを「同じことだと思う」などと、それを言うのなら、中国のしていることこそが、あなたの言う「同じこと」に該当するんじゃないんですか。比喩の使い方として、まるっきり間違っていますよ。


>このような状況に対して、第二次大戦当時の被害国が抗議することは、
>中国の教科書の記述に偏りがあるかどうかや
>中国で言論の自由がどの程度認められているかどうかとは
>まったく関係のないことであり、

中国の教科書が日本のことをぼろくそに書こうが、日本ではろくな抗議もしていないではないですか。中国の教科書が偏向していようが「全く関係がない」とは、どういうことですか。「ダブスタは当然に認められる」ということですか。だったら呆れた話ですね。あなたの姿勢をよく表しているように思いますよ。権力を以てする暴力は正当である、何故ならそれは権力であるからだ、私は権力を持っているからだ、あなたの言論の自由など認めない、何故なら個々は「老人党だからだ」、そして管理者は私だからだ!!。そこで言論の自由がどの程度認められるかなど、全く問題ではない、と。

お寒い話ですね、Rayさん。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/5/29(日) 2:03  -------------------------------------------------------------------------
   >「偏った教育をしている国は他国の偏った教育に文句を言う資格はない」
>というような趣旨の批判・反論は無意味だと思います。

偏った管理をする管理者にする文句は、無意味だと思う、と考えると、あなたが今まで他者に振るってきた権力行為の説明にはなると思います。


>また、多様な教科書の中から実際に使用する教科書を選択する「裁量」は、
>実際にその教科書を使って教える教師、教えられる子ども、その保護者自身ではなく
>各自治体の教育委員にあるのが実情であり、教育委員は公選されるものではないので、
>「国民個々の裁量に委ねられている」とは言い難いものだと思います。

老人党でどんな管理をするかの「裁量」は、もっぱら管理人Rayに委ねられたものであり、その管理に対する批判に、回答をする義務もなければ、「管理行為」をされた投稿者に対する責任もない。投稿者は勝手に投稿しているだけであり、文句があるなら自前のhpで意見を言えばそれで言論の自由は保障される話であり、老人党でどんな「言論弾圧」をしようが、それは一切「言論の自由」を侵すものではない、と。

「国民の権利」を一方では言う人が、他方では、なんぼ投稿者に対する実質的な暴力を「管理者の立場で」振るっても、それは「管理者であるが故に」許されるのだとするなら、それは恐るべき「権力への信仰」でしかないですね。


>さらに、扶桑社版の歴史教科書は、昭和初期に関する記述だけでなく、
>縄文時代以前の状況についても筆者の主観が強く反映された記述がなされており、
>社会科学の一つとして歴史を学ぶための教科書というよりは
>歴史物語(お話)であるように私には思えます。

だったら、政治物語、としての教科書というものが他国で書かれているなら、それは「お話」でしかないと人が考えたとしても、自然な話ですね。ところがあなたは、他人がそう考えることは、「掲示板の秩序を乱す」とかいう言い訳でもって暴力的に弾圧し、他方、自分は「歴史物語(お話)であるように私には思えます。」、などと、しゃあしゃあと述べて平気でいるんですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/5/29(日) 2:04  -------------------------------------------------------------------------
   >歴史教科書の問題についても靖国問題についても、
>中国や韓国をはじめとする国々が抗議しているのは
>「日本政府が国として過去の行為を容認しているように思えるような
> 行為をとっている」という点に対してですから、首脳会談等での
>談話・発言がその場しのぎのごまかしではないのであれば、
>国としてどのような対応をするべきなのかは自ずとわかるのではないでしょうか。

国としてどのような対応をすべきか、などとというのであれば、それは互いに平等な立場に於いて言われなかったらおかしいでしょう。中国の歴史教科書のことを、日本が問題にしますか。あの記述がおかしいだの、そんなことを言ったら、内政干渉でしょうが。そんなことこそ、「自ずと分かる」のではないのですか。


>双方がお互いに対する理解を深めることは重要だと思いますし、
>中国で言論の自由が限定されているのであれば
>より民主的な状態にしていくことも必要だと思いますが、

だったら、その「自由が限定されている」という私的に対して、あなたは、老人党でどのような態度を今まで取ってきたのですか。そういう問いかけは、「すること自体が、罪である」という態度で一貫してきたのではないのですか。


>「お互いが文化を理解し合っていないから」
>「中国の状況が民主的でないから」という理由で
>歴史教科書や靖国神社が問題になっているわけではないと思いますので、
>「お互いの文化を理解し合う」だけでは問題の解決にはつながらないと思います。

お互いの文化を理解し合う?。自分の文化を押しつけてきているのは、中国側ではないのですか。日本の宗教観に対して、自分たちの宗教観、というよりも、政治思想を一方的に押しつけてきたのは、中国ではないのですか。彼らが政治事情から、そうせざるを得ないのはまだ分かりますが、日本人のあなたが中国に肩入れするというのは、一体どうしたわけなのですか。


>
>そうであるにもかかわらず、中国からの抗議を「内政干渉」「いちゃもん」とする発言を
>現首相や首相経験者が繰り返すことは、
>「お互いの文化を理解し合う」という態度でさえないものであり、
>日本政府に問題を解決しようという意志がないことの表れであるようにも思えます。

日本政府は、そんな一方的な政治思想の押しつけに対して「解決」などしようもないでしょうよ。解決する、ということは、相手の言い分を呑む、ということなのですからね。「お互いの文化を理解する」ではなくて、「相手の政治言論を呑まされる」と言うことでしょうが。「問題を解決する意志」ではなく、「相手の主張の隷従する」ことでしょうが。

そうではない、というのなら、Rayさん、あなたが、対立論者に対して、まずマトモに「お互いの意見を理解する」ような発言をされてみたらいかがですか。そんなこと、した試しがなかったじゃないですか、少なくとも、私に対してはね。

>
>以上です。

言いっぱなしですか?。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):中韓の対日批判は「いちゃもん」、と森前首相  ■名前 : ダミアン  ■日付 : 05/5/29(日) 23:58  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:

>「お互いが文化を理解し合っていないから」
>「中国の状況が民主的でないから」という理由で
>歴史教科書や靖国神社が問題になっているわけではないと思いますので、
>「お互いの文化を理解し合う」だけでは問題の解決にはつながらないと思います。

中国が日本の文化を尊重しようとしないから、中国が共産党による独裁国家だから歴史教科書や靖国参拝が問題になっていると考えた場合、解決の術を我々は持たない。なぜなら、我々は、中国に日本の文化を理解することを強制する立場にないし、中国の国家体制の変更を訴える立場にもないから。従って、この場合、中国とのチキンレースに耐えることしか道はない。

そうではなくて、中国が戦争の被害者であり日本が加害者としての責任を果たしていないと考えていることに原因があるのなら、別の解決方法がある。
中国に対して戦争賠償を行うべく、協議に入る準備があると表明すればよい。その上で、「不戦の誓い」を明確にすべく終戦の日に靖国を参拝する。それでいいんじゃないか。筋が通るはず。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 歴史教科書問題について  ■名前 : Ray  ■日付 : 05/5/29(日) 16:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん(52377)、ダミアンさん(52379)、
 虎キチ大好きさん(52400)、告天子さん(52409・52410・52411):

Rayです。
あらためて教科書問題に限定して書きます。

まず、みなさまの反論をまとめますと、要点は
・中国には一種類の「国定教科書」しかないのに対して、
 日本では複数の「検定教科書」から選択できる
 (日本には言論の自由があるが、中国にはない)
・中国の「国定教科書」にも偏った記述があるが、 日本は抗議していない
・言論の自由を認めていない国には、言論の自由を認めている国に対して
 抗議する権利はない
・中国が日本に対して教科書問題で抗議するのは
 すじの通らない内政干渉である
というものになると思います。

(52349)で私が
> 日本で思想・良心の自由や言論の自由が認められているのは確かですが、
> そのことと、中国・韓国が教科書問題や靖国問題で日本政府に抗議することとは
> 別の問題であるように思います。
と書いたのは、「風鈴カザンさんほかがおっしゃるように、もし中国政府が
国内で言論の自由を認めていなかったとしても、そのことと日本に対する抗議とは
別の問題である」という意味ですから、
>中国や韓国で思想・良心の自由や言論の自由が認められていないことを暗に示して、中国や韓国と友好関係を発展させていきたいと願う立場の人々の心象を害する可能性があるからです。(52379・ダミアンさん)
とのご指摘はあたらないと思います。

繰り返しになりますが、中国の教科書が偏った内容であるかどうか、
それに対して日本が抗議しているかどうかと、
日本の教科書の記述に対して中国が抗議するかどうかとは
別の問題ですし、
「言論の自由を認めていない国(中国)には
言論の自由を認めている国(日本)に対して抗議する権利はない」
という論理もおかしいものだと思います。

なぜなら、この論理は中国と日本を対等の関係として認めないものであり、
>われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の義務であると信ずる。
という日本国憲法前文の精神にも
>to reaffirm faith in fundamental human rights, in the dignity and worth of the human person, in the equal rights of men and women and of nations large and small(基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、)
という国連憲章前文にも反するものだからです。

したがって、
「中国であれどこの国であれ、自国の状況によらずに
自国に関連する他国の行為に対して抗議する権利はある」
はずですし、そうであるなら、中国が日本政府の行為に対して
抗議することは「いちゃもん」などではないことになります。

一方、扶桑社版の教科書を文部科学省が検定合格と認めたということは、
「この本の記述を日本の歴史として公教育の場で教えることに
問題はない」と国が判断したということですから、
日本政府がこの教科書の記述を(選択肢の一つとしてであれ)
問題ないものと判断したということであり、国の姿勢を問うという意味で
中国・韓国等が抗議するのは第二次大戦当時の
被害国として当然のことであると思います。

なお、
>日本人のあなたが中国に肩入れするというのは、一体どうしたわけなのですか。(52411・告天子さん)
とお書きですが、私は日本が他国に批難されるような国であって欲しくないだけで、
中国に肩入れしているわけではありませんので誤解なさらないようにお願いいたします。

#単なる難癖や根拠のない「いちゃもん」であればそれに対して抗議しますが、
 上記のとおり、中国の批難は根拠のないものではないと思いますので#

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):歴史教科書問題について  ■名前 : ダミアン  ■日付 : 05/5/29(日) 19:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:

>まず、みなさまの反論をまとめますと、要点は
>・中国には一種類の「国定教科書」しかないのに対して、
> 日本では複数の「検定教科書」から選択できる
> (日本には言論の自由があるが、中国にはない)
>・中国の「国定教科書」にも偏った記述があるが、 日本は抗議していない
>・言論の自由を認めていない国には、言論の自由を認めている国に対して
> 抗議する権利はない
>・中国が日本に対して教科書問題で抗議するのは
> すじの通らない内政干渉である
>というものになると思います。

私は、上記のようなことは一切書いてません。にも関わらず、他の方の意見とひとまとめにされることに、「人を馬鹿にしてるのか」との不快感を禁じ得ません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):歴史教科書問題について  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/5/29(日) 20:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:
別の問題、別の問題と繰り返していますが、その「思想の自由のない国」のする思想強制と、あなたがしてきた管理態度の相似性についての指摘を私はした訳なんですが。

国内で思想の自由を認めない中国が、同じように日本に対しても「思想の自由を認めない」とやったことでしょうが。どこが「別の問題」なのさ。抗議の内容にしても、実質「言うことを聞け」という命令でしょうが。あなたがここで管理権を振るって、「党の趣旨に反する意見」を禁じたのと同じ。

中国が自国民に対してしているのと同じような思想の統制を、他国である日本に対してもしているのだ、というのが問題の本質でしょうに。どの国の政府だって、そんなことはしませんよ、中韓政府くらいでしょ?。そんな思想統制体質丸出しで、恥ずかしいと思わないのは。日本があちらの教科書に抗議するかどうかとは、確かに別問題だが、あなたが言っていることとは文脈がまるで異なるね。


>「言論の自由を認めていない国(中国)には
>言論の自由を認めている国(日本)に対して抗議する権利はない」
>という論理もおかしいものだと思います。

言論の自由を認めない国が、言論の自由のある国に対して「その自由を認めない」と圧力を掛けている、ということが本筋でしょう。中国のしていることは「抗議」ではなくて、思想の自由の侵害です。中国と同じように考えろ、そうでないことを許さない、という話であって、そんなことをする権利は中国にはないですね。


>なぜなら、この論理は中国と日本を対等の関係として認めないものであり、

だから、中国の「抗議」を認めるということは、日中が「対等の関係」になるどころか、まるでその逆で、対等に自由にものを考える国同士ではなく、「中国が正しいとする思想に反するように考えることが許されない」関係に、日本が措かれるということだ。

この、思想の自由に対するRay氏のセンスには驚くべきものがあると思う。むしろ「自由の死」を、逆に「対等の関係になることだ」とするのだから、だったら今までの管理権行使に対しても、自分でおかしいと思わないのも宜なるかなだ。

(略)
>という国連憲章前文にも反するものだからです。

中国の思想統制が、「普遍の政治道徳の法則」だとは恐れ入った。基本的人権と人間の尊厳を冒涜しているのは、一体どっちなんだ。ああ、そういえば、老人党でも「老人党の趣旨に反する」意見を書くと、排除されても文句も言えないんだったっけなあ。ここはそういうシステムになってるわけでしょう?。靖国参拝が違憲である、という最高裁判例なんかないじゃないか、と書いたら、「掲示板の秩序を乱した」とかいって、警告しましたね?。ないものをあるとは言えないから、そう事実を書いているのに、「あなた方が考えるように考えないから」意見は書くなという、驚くべきセンスですよ。

こういうのは、ここが「政治を変えようとする」掲示板であり、現実の国会議員などの政治化までもが書き込みをする、また、政治の集会の告知などもなされる「公的な掲示板」であり、更に、公共的な事柄について話題にしているところだからだ、そういうところで、堂々と「思想統制」がなされており、しかもそれをやっておいて不思議だと思わないという奇怪な様相だ。


>>日本人のあなたが中国に肩入れするというのは、一体どうしたわけなのですか。(52411・告天子さん)
>とお書きですが、私は日本が他国に批難されるような国であって欲しくないだけで、
>中国に肩入れしているわけではありませんので誤解なさらないようにお願いいたします。

中国に肩入れするというのは誤解ですか。しかし、日本が他国に非難されるような国であって欲しくないから、というのは後付の理屈ですね。そんな理由のために、思想の自由に統制を掛けるなど、全体主義的体質丸出しですよ。

中国のしていることが「いちゃもん」だ、とは私は思いません。もっと悪質なものです。

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