Page 300 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日露戦争より100年! 珍 源斎 05/5/28(土) 19:09 ┣Re(1):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! 珍 源斎 05/5/28(土) 22:35 ┃ ┣Re(2):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! Michael 05/5/28(土) 22:57 ┃ ┃ ┗Re(3):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! MNG 05/5/28(土) 23:21 ┃ ┃ ┗Re(4):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! MNG 05/5/28(土) 23:29 ┃ ┃ ┣Re(5):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! Michael 05/5/29(日) 6:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):日本では現代史の教育に疎漏がある。 珍 源斎 05/5/29(日) 17:03 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):日露戦争以後の現代史の教育の疎漏は問題である。 珍 源斎 05/6/1(水) 14:46 ┃ ┃ ┗Re(5):兵站を考慮しない愚かな戦略(術)! ぎみゆら 05/5/29(日) 11:27 ┃ ┗異論の提示 退役軍人 05/5/29(日) 0:12 ┃ ┗Re(1):史実の積み重ねに欠落があってはならぬ! 珍 源斎 05/5/30(月) 10:37 ┣Re(1):日米戦争を何故・回避出来なかったか? 珍 源斎 05/6/15(水) 12:41 ┗Re(1):日露戦争より100年! 惣佐衛門 05/6/15(水) 14:11 ┗Re(2):日露戦争より100年! 珍 源斎 05/6/15(水) 15:34 ┗Re(3):日露戦争より100年! 珍 源斎 05/6/15(水) 15:52 ┣Re(4):日露戦争より100年! 告天子 05/6/15(水) 17:06 ┃ ┗告天子さんへ 杉本 知昭 05/6/15(水) 18:15 ┃ ┣警告>杉本 知昭さん 管理スタッフ 05/6/15(水) 20:14 ┃ ┗Re(1):杉本さんへ 告天子 05/6/15(水) 20:51 ┃ ┗Re(2):杉本さんへ 告天子 05/6/15(水) 21:04 ┣Re(4):日露戦争より100年! 告天子 05/6/15(水) 17:19 ┗Re(4):日露戦争より100年! 告天子 05/6/15(水) 17:37 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日露戦争より100年! ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/5/28(土) 19:09 -------------------------------------------------------------------------
日露戦争より100年が過ぎた。 ロシア国内でも日露戦争の犠牲者に対する追悼の行事が各地で とり行われたと云う。そして敗北については歴史的にも真摯に 認める事とそれを教訓として活かすことがロシア全体の認識の ようである。「敗戦の屈辱があって、忘れたい歴史でも、 それを忘れると同じ過ちと失敗を犯すことになると、 ロシアのマスコミでは伝えてるそうである。 歴史の「もしも」は無いのだが・もし日露戦争での辛うじての 勝利を弁えて、その後、遅れて参加する植民地獲得競争で列強の 仲間入りでの侵略戦争を起こさなければ「日露戦争は義戦」としての 評価は当時国際間で高く、その時点で平和国家を目指したら 日本の歴史も世界の歴史も大きく変わったものであったろう。 日露戦争以後の日本には傲慢と独りよがりの悪癖にまみれて しまい昭和20年8月15日に至ってしまった。 それより60年の経過の中で「又ぞろ」無反省と傲慢から「他を思いやる」 日本古来の美風が揺らぎだしたような昨今の心無い政治家の発言が 気に掛かる。 比島には60年を経て日本兵の生存が伝えられてる 未だ敗戦の真の整理も精算もついて無いことを思い知らさてれる。 |
戦国武将の中で尤も戦略の優れた武将としては豊臣秀吉で あると云われてる、秀吉は如何なる闘いであっても自前の 兵站「荷駄隊」を用意して兵士の略奪を現に戒めたことで 民衆の応援が彼の戦術、戦略で役立ったと云われてました。 日露戦争の日本軍もその前の日清戦争でも補給兵站維持には 格段の配慮が行き届いており、日本軍将兵による、現地人からの 略奪はなく、日本軍人の評価は日本武士道としても原住民からも 捕虜の扱いでも高く評価された事は、後の第一次大戦への 参戦として青島「チンタオ」でのドイツ軍捕虜への扱いが 丁重だったこと、徳島県に有ったドイツ軍の捕虜達との交流から 「第九の大合唱」もその辺りが?原点であると聞いたことがあります。 少なくとも、その辺りまでの日本は「友愛を大切」にする国であった ことが世界的にも広く知られてました。 ところがその後の昭和に入ってからは如何だったか? 日本軍人は中国では鬼畜とまで云われるまで、落ちぶれて しまったのは・何故か?・兵站補給は持たず「現地調達」と云う 「略奪」により兵站を維持したのか?・その辺りは知りません・が・。 何れにしても、闘いや戦争に負ける為の方程式があるとしたら それに忠実であったこと・は否定できないこととして今にして思います。 取り分け、日本国民そのものであった兵士への扱いは 人権無視、人命軽視は手の込んだ、所行であったことは 否めない処と、あらゆる方面から戦時体験として聞く処です。 もし戦争犯罪としての罪科を問うならば無謀な作戦で生命を絶たれた 将兵への罪も国民への罪も「戦争犯罪そのモノで」断じて許され ないものと思います。 兵站を無視した戦略はフイリピン、インパール作戦の敗退や 日本将兵の遺体で後に白骨街道と云われた無惨な結末に至ったと 僅かに九死に一生を得て、生き残った方からお聞きしたことが 記憶にあります。 「忘れたい残酷な歴史でも、それを忘れると同じ過ちを犯す」 ことになる・は今こそ真摯に受け止めて考え直さねばならぬと思います。 |
どうしてそこまで、中国の言うことを鵜呑みにできるのでしょうか・・・? いまだに侵略を行っている中国のいうことを信じれるのでしょうか? それが疑問です |
▼Michaelさん: >どうしてそこまで、中国の言うことを鵜呑みにできるのでしょうか・・・? >いまだに侵略を行っている中国のいうことを信じれるのでしょうか? >それが疑問です 中国の言う事でしょうか?そんなことはありません。 中国戦の経験者の体験談として、ほとんど常識です。 日本軍の上層部の嘆きを見てみましょう。 『岡村寧次大将資料』より 「第四編 武漢攻略前後」より 三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟 私は、従来書物によって日清戦争、北清事変、日露戦争当時における我軍将兵の軍、風紀森厳で神兵であったことを知らされ、日露戦争の末期には自ら小隊長として樺太の戦線に加わり、大尉のときには青島戦に従軍し、関東軍参謀副長および第二師団長として満州に出動したが、至るところ戦場における軍、風紀は昔時と大差なく良好であったことを憶えている。それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に努力しなければならないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、それはわれらの目的は蒋介石の軍隊を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て接すべしというに在った。 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。 一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。 一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。 一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。 一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。 二十一 再び今昔の感 (十三年十月〜十二月) 将兵の言動を観察し、日露戦役北清事変の昔時に比べて低下したと思われる点概ね左のとおりである。 (イ) 上官に対する服従心の低下(犯罪統計、言語態度、敬礼等) (ロ) 性道徳の低下(強姦、慰安婦随行) (ハ) 公共心の欠乏は益々甚しい(兵器破損したとき修理機関へ送付するの労を省き、これを路傍に遺棄する。他隊の馬を盗むこと流行、前送洫兵品の横取り等々、なお後述) (ニ) 幹部で横領、収賄の罪を犯すものあり (ホ) 処置面倒なりとて俘虜を殺す蛮風あり |
▼Michaelさん: 日中戦争時、中国で暗躍した右翼の大物・児玉誉士夫氏の言葉です。 児玉誉士夫随想・対談「われ かく戦えり」より 満州でも蒙古でも日本人の進出するところ必ず派閥が伴ない、お互いがいがみ合っていた。戦乱の北支と内蒙を旅して感じたことは、日支事変にたいする本質的な矛盾と疑問だった。ことに驚かされたのはいたるところの戦場に奮戦する中国軍の頑強さと抗日思想の激しさであった。それに比較して日本軍幹部の堕落と、兵の素質の低下は全く意外であった。もちろん、まだ全般的にはそうではなかったが、特務機関とか謀略参謀の職責にある人々の日常は、皇軍の崇高な精神をまったく忘却したものであった。機密費の乱費、酒と女、こうした暗い影が占領地都市のいたるところにみられた。 自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。 当時、大同では「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁には「何年何月何部隊占領」などと落書してあった。人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。 満州事変以来、国防国家の確立に名をかりて政治権力を獲得することに狂奔してきた軍の首脳部は、部下にたいする統御力をしだいに失ってきていた。陸軍大臣が中央にあったロボット化されていたと同様に、軍首脳部もまた現地軍を統御できなかった。そして現地軍の幹部は将校、兵士の非行を取締まるには、あまりにもその行いは威厳を失墜するものがあった。要するに軍部内に革新派が生まれ、首脳部がそれを政治的に利用し、政治的に進出するにつれて下剋上の思想は軍全体に漲ってきたのだった。いわば当初国内政治を革新することを目的とした、少数の下級将校の行動は知らぬ間に軍自体の規律を破壊し、日本軍を思想的に崩壊される結果となった。軍部内の下剋上のこの思想が結局日支事変を誘発し、そして現地における不規律を助長するようになったといえる。 要するに戦線の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかも知れぬ。自分は戦場を旅し、大陸における実情を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。しかし国民のなかの多数の者がそれを自覚し得たとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。そして、この軍国主義の怒涛は、昭和四、五年以来、政党不信をスローガンに、国民大衆が挙げた革新の叫びとその雰囲気のなかから生まれでているとすれば、そして自分もまたその革新勢力のなかの一つの勢力であった右翼派の一つとして行動してきたことを思うと、支那大陸に野火のように拡がって行く軍国主義日本の現実をみて、自らも悔いねばならぬもののあることを知った。 |
詳細な説明ありがとうございました 兵士の行動規範の低下が、日本の行く末を暗示していたのですね |
日本の若者に欠けてる国際的な視点について 近代「現代」史を踏まえた教育が抜け落ちてるように 感じる、日本が米国と戦争をして負けたコトを知らない 信じられない若者も実際に存在する。 まして中国への戦争、「しな事変」も知らない 朝鮮半島を植民地としてたことも知らない正直云って 驚かされることもある、日本国内におれば差ほど問題は 無くとも、外国に行くようなことがあれば、・・ その無知が「深刻な問題」を生じるコトにになる。 そこで、学校での教科以外にも学べる教材「書物」 年輩者の話・等々から積極的に学ばねばならない。 また、機会があれば年輩者としても若者達へ経験談も 含めて伝えて行かねばならない。 特に我が子を含む次世代に向けてのその辺りの蘊蓄を 披瀝するのも欠くことの出来ない世代間・伝承の一つで あると・思う。・因みに私は実践に心がけてます・・。 |
明治維新以後の封建体制からの教育のの中身として 日露戦争・以後の史実に照らした教育に疎漏があったことが 以後の日本の運命を大きく狂わせることになった。 取り分け、傲慢な大国主義を意識させる情緒的な感覚を 植え付けてその辺りより国民の中にて理性が失われて行った ように思われる。 当時のマスコミは専ら、理性を欠いた煽動調になってる ように新聞のアーカイブ版を観て感じる。 この傾向は日中戦争「支那事変」から太平洋戦争の敗戦まで 続いていた。 戦後の歴史教育でも最も大切なこと、昭和11年2月26日の 2・26事件から昭和14年6月に勃発したソ満国境にての ノモンハン事変、これは兵員損耗率が73数%を超えるもので <全滅した部隊が多数あった?> その後の太平洋戦争で最も大損害を受けたガダルカナル戦の 優に2倍を超えた損害であり、大規模な戦闘でこれ程の人的な 損害が直接、生じたことはないそうである。、 日露戦争以後の地上戦は兵器の性能や動員力において様変わり してる事を日本陸軍は思い知らされた・と云うのが真実であった。 ソ連軍は欧州でドイツ軍のポーランド侵入に併せてソ満国境での ノモンハン戦の講和がソ連側からの申し入れにて図られたと云う。 ノモンハン事変での言語に絶する負け戦が正当に評価されておれば、 日本の歴史も変わっていたはずである。 更にドイツ軍のスターリングラードでの敗色濃厚の情報が 評価されておれば、対米や世界を相手にした無謀な戦争は 避けんとする「理性が勝ち」近隣諸国や日本国民に降りかかる 未曾有の悲劇は避けられたのではなかったか? 何れにしても史実に基づいた歴史教育は政治的な意図を排して 必要である。特に国の未来を誤らぬためには欠くことができない と思う。 加えて真の民主主義の確立が何としても必要である。 |
MNG さん、お久しぶりです。 興味深い資料をご教示いただき、ありがとうございます。 手元の戦時資料リストに加えたいと思います。 ◇『岡村寧次大将資料』 (稲葉正夫編、原書房明治百年史叢書、1970年) ◇『われかく戦えり 児玉誉士夫随想・対談』 (児玉誉士夫著、広済堂出版、1975年) * 私はいま、こんな本を読み始めたところです。 ◇『広島 昭和二十年』(大佐古一郎著、中公新書、1975年) 中国新聞の記者だった著者が、自分の日記等を基に、昭和20年の 1月から12月までの広島を、詳細にえがいた記録です。 このころは新聞社も戦時翼賛体制下に組み込まれて、軍事教練や 護国神社への必勝祈願などが、自分の日々の行動の記述として出て きます。一方で新聞記者の目から、軍部、警察、役所等々の、権力 主義、秘密主義、不正疑惑等々への疑問の目が、「そんなことでは 勝てない」などという形で随所に記されています。 もともとは、広島原爆の資料として知人から聞いて読み始め、まだ 最初の数十ページを読んだところですが、軍部に限らず各種地方 組織の腐敗堕落が相当深刻に進んでいる様子や、一般庶民の不信の 目などが見てとれ、そういった意味でも興味深く読んでいます。 この本は、戦中のことを自分史などとして書き残そうとしている人 たち、たとえば広島の被爆者などにとっては、好適な資料として けっこうよく知られているのだそうです。現在新本で手に入らない のが残念ですが、古本屋でときに驚くほど安価で出ていることも ありますので、機会があればご覧ください。 ちょっと横道に逸れましたが、戦時の実情を知るための資料の一端と いうことで、お許しください。 |
珍源斎さん、こんばんは。 ▼珍 源斎さん: >(略)「忘れたい残酷な歴史でも、それを忘れると同じ過ちを犯す」 >ことになる・は今こそ真摯に受け止めて考え直さねばならぬと思います。 あまり知られてはいませんが、戦史研究という分野でこういった点についての研究が続けられています。 例えば、例えば満州事変についての再考。 日中双方の研究者により、同じ第一次史料を使用し違った観点で多角的な分析が試みられています。 この分析は ★思想的潮流 満州事変の性格 満州事変と「八絋一宇」−石原莞爾を中心に− 満州領有の思想的源流 石原莞爾の満州事変 石原構想の限界と可能性 ★政治・外交からの視座 満州事変直前の日中間の懸案交渉 「宥和」の変容−満州事変時の外務省− 1932年未発の「満州PKF」?−リットン報告書にみられる特別憲兵隊構想− 近代日本の政治過程と「九・一八」事変● 九一八事変と中国の政局● 九一八事変とワシントン体制の動揺● ★陸海軍の動向 満州事変における関東軍の固有任務とその解釈・運用問題 海軍の強硬化と満州事変 ★研究課題として 満州事変期陸軍の対ソ認識の一面 熱河・関内作戦についての分析 ★史料提示 重光駐華公使報告書 安藤利吉兵務課長「満洲事變の發端ニ就テ」 参謀本部編『満州紀行』 *末尾に●がついているものは中国人軍事史研究家による分析 これに、大本営陸軍部戦争指導班の「機密戦争日誌」あるいは、大本営陸軍部作戦部長であった宮崎周一中将日誌、などを時系列で比較検証する研究が続けられています。こういった一次史料は公開されていますし出版されてもいます。 何故にこういった研究が続けられているか。 【同じ過ちを犯さない】、というたった一つの理由によります。 単純な戦史の枠に止まらず、政治的背景や思想史にまで踏み込む理由もそこにあります。 過去を省みないとか、反省がないという批判を耳にしますが、普通の人達の目に触れにくいだけです。 特に、野党政治家のみなさんにこういった真摯な研究の結果に注意を払う政治家が少ないことが問題なのではないでしょうか。 少しでも肯定的な事実が明るみに出ると、そんな筈はないと頭から否定してしまう。 兵站を考慮しない愚かな戦略(術)と批判されていますけれど、必ずしも兵站無視の作戦であったかどうか疑問でもあるし、その作戦を悲劇の理由としないケースも多いのです。 米軍艦載機による攻撃で、準備した補給(米と塩・弾薬など)のほとんどを失ってジャングルに逃げ込むことしか出来なかった【豹兵団】第30歩兵師団の悲劇(フィリピン・ミンダナオ島)は、降伏を告げる救援連隊が米軍の攻撃により壊滅状態になったことなど、いくつかの悪条件が重なったと見ることも出来ます。 生存されている方々が現地にいらっしゃるようですから、なんとしても救出して日本の土を踏んで頂きたいと心より祈ります。 結果が、最悪のものであったとしても、そこに至る過程をきちんと検証し、真に反省すべき点を明らかにし直視すべきです。 最初から全てを否定する姿勢から、なにか産み出せるのでしょうか。 これからの我々の国の未来にとって産み出せるものがあるとは思えませんが。 失礼いたしました。 |
退役軍人 さん こんにちわ! 過去に就いて客観的な検証、研究があることは将来の為にも 最も必要な事と思います。従って貴兄のレスは異論とは思いません。 私は、戦時中の記憶の中で日本の兵隊さんは何処の国へ行っても 待ちかまえるような大歓迎を受けてる。・と思ってました。 それが全く事実と異なってると云うことに落胆したことをハッキリ 覚えてます。 中でも軍の作戦立案は「おそろしく」「ずさん」であったことが 明らかになってます。 例えばフイリッピンは米が年に3回も米が収穫できるから 食糧は現地調達でまかなえる・と云うことてしたが、・・ 実際にはフイリッピンは古くはスペイン、近年ではアメリカの 植民地であったことから、農業構造も商品作物のマニラ麻や タバコなどに偏在しており、住民の食糧に当たる農産物の供給は 少なかった。此もフイリピンに派遣された兵隊が極度の飢餓に 追い込まれて「友食い」すら現出した極めて悲惨な事態に追い込まれた ことを聞いた覚えがあります。 インパール作戦の際も緑豊かなジャングルをみて自然の食べ物は 豊富?である・と作戦立案に携わった参謀が述べてた・とのこと 実際には熱帯密林には樹木は繁茂しても食糧になるモノは極めて 少ないことは、今では常識であることも理解せずに無謀な作戦が 実施されて多くの兵員の犠牲が出た、加えてマラリアなどの熱帯病への 対応も「ずさん」で病に倒れた将兵も少なくなかったことを 戦後、帰還された方からお聞きしたことがあります。 作戦立案から実施した指導部は糾弾されるべき日本国民にたいする 戦争犯罪そのものではない・かと今でも感じてる処です。 何処から日本が間違った、迷い道に踏み込んだかの検証と研究は 政治的な思惑とは別個な形で進められるべきであり、国家の進むべき 途を正すことに必要である。 米国、英国、ドイツ、ロシアなどの国々では同じような主旨で検証が 続けられており米国では一定の日時が経過すれば、 公開してる・と聞いております。 |
日本の近代史に於いて何故?日米戦争が回避出来なかったかを 史実に基づいて検証することが・戦争反対をシッカリ意識するの に大切なコトのように思える。 ヨーロッパは第一次大戦及び第二次大戦での悲惨な体験から 戦争を避ける為の意気と知恵の積み上げは大きいものがあると 云われてる・戦争の愚は各民族の膨大な血の犠牲と代償は 身に染みて民族の記憶に刻まれてる。 特に国土が悲惨な地上戦の戦場になることは日本の沖縄での 戦闘に見られる悲惨かつ理不尽の様子は伝え聞く処でも涙を 禁じ得ない想いに駆られる。 一方、米国ではハワイ島が日本の攻撃を受けた程度で本格的な 戦争は南北戦争以外無く、兵士として動員された意外の国民は 戦争の恐ろしさを知らないことになる。 日本でも沖縄や原爆攻撃を受けた広島、長崎、大空襲を受けた 都市以外では戦争の実害への記憶が薄れるばかりである。 米国での日本でも戦争の悲惨の記憶が薄く想像力の低い 政治家の勇ましさ?には危うさを覚える。 |
日本はどこでどうすれば良かったのですか。 |
惣佐衛門さん こんにちわ 私のスレッドを覗いて頂き有難うございます。 これは各人で考えることに価値があることです。 >日本はどこでどうすれば良かったのですか。 この日露戦争後の100年を期して日本の近代史を 各々の方々の歴史観を踏まえて考えて頂きたいと 思います。 |
近代日本の運命を大きく狂わせた大きな分岐点があった。 日露戦争後の国民感情の中に理性を欠いた傲慢な大国意識を持たせる 情緒的な感覚をもたせ、国政としてそれを利用したフシが見られた。 当時のマスコミは専ら、理性を欠いた煽動調になってる ように新聞のアーカイブ版を観て感じる。 今にして評価されてる反戦軍人「水野公徳」があらゆる機会を通して 武力に頼ることの愚を説いてた、取り分け米国との戦争回避については 強調してた、正に国としての理性を説いていた。 氏の説かれた根拠は日本の国力や世界情勢も踏まえた合理的なもので 国の「ありよう」としては「いみじくも」敗戦後「戦後の日本」の再建 への理想と同じくするモノであった。 どの時点から日本の運命が迷走し始めたかを考えてみると、 国としての理性、国際情勢の読み、理解、などに真摯な視点を 欠くようになったこと、特に情報分析と情報を活用することに 掛けてはお粗末そのモノであることは否定し難いことが今では 明らかである。 ヒットラーを信用したこと、加えてスターリンを信用して アメリカとの戦争の終結への仲介?をも依頼したこと等々 それが日本国民に「どれ程の」理不尽で悲惨さを与えたかは、 語る迄も無い・・・。 <余談になるが金日成、金正日に騙されて拉致問題を放置したのも ・・・此に類してるように思われる> 思えば個人にして云えば「お人好し」そのモノではなかったか? 情報音痴の傾向は日中戦争「支那事変」から太平洋戦争の 敗戦まで続いていた。 真実を伝える情報が意図的に隠された為に理性を欠いた 情緒的な感情優先の民意?が迷い道に入ってしまったことになる。 真実を知ることが如何に大切であるかは歴史の教える処では ないか・? 戦後の歴史教育でも最も大切なこと、昭和11年2月26日の 2・26事件から昭和14年6月に勃発したソ満国境にての ノモンハン事変、これは兵員損耗率が73数%を超えるもので <全滅した部隊が多数あった?> その後の太平洋戦争で最も大損害を受けたガダルカナル戦の 優に2倍を超えた損害であり、大規模な戦闘でこれ程の人的な 損害が直接、生じたことはないそうである。、 日露戦争以後の地上戦は兵器の性能や動員力において様変わり してる事を日本陸軍は思い知らされた・と云うのが真実であった。 ソ連軍は欧州でドイツ軍のポーランド侵入に併せてソ満国境での ノモンハン戦の講和がソ連側からの申し入れにて図られたと云う。 ノモンハン事変での言語に絶する負け戦が正当に評価されておれば、 日本の歴史も変わっていたはずである。 更にドイツ軍のスターリングラードでの敗色濃厚の情報が 評価されておれば、対米や世界を相手にした無謀な戦争は 避けんとする「理性が勝ち」近隣諸国や日本国民に降りかかる 未曾有の悲劇は避けられたのではなかったか? 何れにしても史実に基づいた歴史教育は政治的な意図を排して 必要である。特に国の未来を誤らぬためには欠くことができない と思う。 |
いたずらな平和主義・軍縮を政治的に主張し、軍人を蔑んで、それでいて必要な軍備も装備させずに軍に国防を要求した第一次世界大戦頃の日本の思潮というのも、分岐点と言えばそうでしょう。 国際的に通用しないような、時代遅れの兵器の更新も許さず、平和を叫ぶに都合が悪いものだから、中国に於ける「日本人虐殺」を国民に知らせないようにして、「陵辱も虐殺もありませんでした」と発表していた外務省、現地軍の怒りと焦りはどれほどのものであったか。 「史実に基づいた教育」を言うのであれば、連合国側の意図はそれほど善良でもなく、また、日本側の意図が侵略のみにあったわけではないこと、冷静に事実を教えるべき。政治主張をせんがための「教育」は、政治教育に過ぎない。 |
こんにちは 告天使さん! いつも感心させられる説得力のあるお話の筋道は とても参考になります。ですから以下に私が、 述べる事が非であれば、お叱りを戴きたいと思います。 ________________________ まず、私の意見では今後の歴史教育、とりわけ、 先の世界大戦「大東亜戦争」については 2段階に 分けて教育してはどうでしょうか? =第1段階= 義務教育の課程に於いて 世界史的な歴史解釈「勝者の立場での通俗的解釈」を 教えるのです。これは国際的にみた場合の常識人を 育てるという政治的なものです。 =第2段階= 大学入学時の一定期間 乃至 成人式前後の一定期間に於いて 当時のアジアの状勢を我が父祖達がどのように 憂慮していたか。それらを特に大戦後にアジアの地図 にあまたの独立国が誕生したという事実から、 日本が果たした役割について我が国の立場から、 教育するのです。 ________________________ 私は正しいのは右だ左だとは言いたくありません。 右でも左でもない別の立場も有りうることでしょう。 私は、右側のやつらは自分の口を満たすために 畏れ多くも皇室の権威をかさにきて、みだりに 軍歌を流したり、猛々しく拡声器で怒鳴りまくる 輩ばかりと思っていましたが、 右寄りでまともな常識人を発見した心地が致します。 (注)あなた様が右翼であるなどとは絶対いいません。 杉本 知昭 |
▼杉本 知昭さん(53800): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 > 私は、右側のやつらは自分の口を満たすために > 畏れ多くも皇室の権威をかさにきて、みだりに > 軍歌を流したり、猛々しく拡声器で怒鳴りまくる > 輩ばかりと思っていましたが、 > 右寄りでまともな常識人を発見した心地が致します。 > (注)あなた様が右翼であるなどとは絶対いいません。 等の部分が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(揶揄、煽り) ・侮蔑的表現 に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 #ルールの詳細は「掲示板のルール」をご参照ください# 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関して総合掲示板に書かれたご意見には 原則としてレスいたしませんのであらかじめご了承ください。 よろしくお願いいたします。 |
▼杉本 知昭さん: こんにちは、杉本さん。 私は、現代史を教えるのであれば、やはり平和の尊さということを、強く心に印象づけるような教育が望ましいと思います。今の「平和教育」では、いかに過去の日本が「軍国主義」の体制に支配されていたか、また、それに伴いいかに悲惨で残虐な行為があったかをアピールし、過去の日本は暗黒であった、「過去の日本に戻してはならない」、そういう方法で「平和を訴える」というものかと思います。 私は、過去の日本のことを全肯定するとか、そういうことではなくて、失敗なら失敗をキチンと教えて、また、どのような思いで先人は戦い斃れていったのか、外国人によるどんな裁きがあったのか、そうしたことを、「復讐心」を交えずに、冷静に教える、ということが望ましいのではないかと思っています。 二段階で教える、ということは、高等教育を受けた者とそうでない者との間に、認識の落差が出ると思うので、どうせなら現代史は初等教育では教えない方がよろしいのではないかと思います。あるいは、戦勝国に対する憎悪を増幅するような教育をしなければ、初手から事実をキチンと伝えればよいかと思います。 ところで、私は杉本さんのこちらの投稿を読んで、侮辱ですとか不快は全然感じませんでしたので、そのこと、お伝えしておきたいと思います。 管理スタッフ様、私が侮辱を受けたりしたのではないかと、配慮していただいたようで、ご心配を掛けましたが、全く気にはならなかったので、却って杉本さんに申し訳ない気持ちでいます。 一方で、本当に侮辱をするとはどういうことなのか、考えさせられることがあるように思います・・・。私が本当に「侮辱を受けた」と感じた投稿についてはそうはお感じになられず、そうでないものを「侮辱だ」とされるのなら、どうも、言葉というのは余程難しいものだと思いました。 |
や、対応いただいたようですので、管理板ではないのですが、とりあえず、お礼申し上げます、管理人様。 で、更に書き込むのは、歴史教育のことについて、世界を相手に死闘を繰り広げた日本人たち、彼らにしても、平和を望み、慎ましやかに生きたかった、我々と同じ人間ではないですか。 それを、侵略者である、軍国主義者である、彼らと同じ道をたどってはならない、我らは彼らの責任を徹底的に追及する・・・、というような、そういう「歴史教育」ではなくて、彼らの苦しみや悲しみを同じくする心、というのを持たなければ、単なる「断罪者」として我々自身は位置づけられるに過ぎないんではないか、と思うのです。 侵略をした、とか、あるいは、アメリカにしても日本を戦争に引きずり込むために謀略を働いた、それを「憎らしい」「許せない」というのではなく、何故そうなるのか、そうしなければどうなっていたのか、そういうことを、一歩離れて考えさせる、「あなたなら、どうしますか」、ということを問いかけるような教育をすれば、いたずらに先人を「断罪」するのではなく、同じ立場で考えて、先人の苦しみをしのぶ、そしてまた、平和というものがいかに困難なものであるのかを知るにも至るのではないかと思うのです。 また、そういう教育は、ある種、情緒教育的な意味合いもありますし、そういう意味では、過去の全肯定ではなく、また、単なる歴史に止まらず、倫理的な意味合いも含めて問いかける、というような教科書なら、理想的ではないかと私は思います。 どのみち、あれほどの民族的損害を受けた敗戦という結果を得たのですから、それは失敗には違いありません。格好を付けて正義の戦いだった、などと正当化ばかりも出来ないと思います。まあ、人類の不幸というか、そういうことで教えれば、よいのではないかと思いますね。 |
▼珍 源斎さん: >氏の説かれた根拠は日本の国力や世界情勢も踏まえた合理的なもので >国の「ありよう」としては「いみじくも」敗戦後「戦後の日本」の再建 >への理想と同じくするモノであった。 ならば、退役軍人氏の「合理的な」説に対して、その内容を真摯に見るよりも政治主張を優先するような姿勢こそ、「軍国主義」で「戦争を起こす」ような体制に近いのではないか。 >ヒットラーを信用したこと、加えてスターリンを信用して >アメリカとの戦争の終結への仲介?をも依頼したこと等々 >それが日本国民に「どれ程の」理不尽で悲惨さを与えたかは、 >語る迄も無い・・・。 スターリンを、ソ連を信用した日本人は、戦後になってからも数多くいた。そのことについては、どう考えられるのか。それが「どれほどの」影響を日本にもたらしたのか、その検証というのは、どう考えられますか。 ><余談になるが金日成、金正日に騙されて拉致問題を放置したのも >・・・此に類してるように思われる> > >思えば個人にして云えば「お人好し」そのモノではなかったか? > >情報音痴の傾向は日中戦争「支那事変」から太平洋戦争の >敗戦まで続いていた。 その情報音痴を今に引き継ぎ、現実の国際社会の動向を無視した「平和主義」になっていないか、その批判も大事ではないかと思います。 >真実を伝える情報が意図的に隠された為に理性を欠いた >情緒的な感情優先の民意?が迷い道に入ってしまったことになる。 これは、戦後の北朝鮮に対する「楽園」などの宣伝や、あるいは、共産中国には蠅一匹いないとか、そういう「真実を伝える情報が意図的に隠された」宣伝が、多くの人を不幸にしたのではないでしょうか。そのことについての反省というのは、果たして、為されたものなのでしょうか。 >真実を知ることが如何に大切であるかは歴史の教える処では >ないか・? 何が真実だと考えるかについて、やはり、事実に対して謙虚であるべき、政治性を捨てて事実を見ようとする姿勢が、必要かと思います。 でもその一方で、皇国史観も、僕はよいものだと思いますけどね。 |
▼珍 源斎さん: >更にドイツ軍のスターリングラードでの敗色濃厚の情報が >評価されておれば、対米や世界を相手にした無謀な戦争は >避けんとする「理性が勝ち」近隣諸国や日本国民に降りかかる >未曾有の悲劇は避けられたのではなかったか? この、「理性的であったら戦争は避けられた」という見方は、実は理性的ではないのではないかと思うのですよ。 本当に理性的であれば、日本が米国との戦争など、望んでいなかった、それどころ、必死で避けようとしていたことが、どうして話に出てこないのでしょう。 日米戦は、米国が望んだものであり、「避けられた」というのであれば、どうすれば米国の意図をくじくことが出来たか、それを示さねばなりません。「理性的であれば、避けられました」というのは、実は「理性」の話ではなく、「観念論」だと思います。戦争は相手があってのことであり、一人日本が「戦争はしたくない」と願ったところで、避けることが出来ない、そういうものでしょう。 日米戦を避けるために、日本は「どうすればよかったのでしょう」。その道を示すこともなく、当時の指導者の「責任」を問うのは、果たして、そういう「責任を問う」ことは、出来るものなのでしょうか。避けることが出来ないのであれば、他人のしたことに「責任を問う」資格はないはずです。 どうすればよかったのか、道を教えてください。 |