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 ▼老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  風鈴カザン 05/6/26(日) 15:47
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  昔神童・今人道 05/6/26(日) 16:01
   ┃  ┗Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  風鈴カザン 05/6/26(日) 16:17
   ┣社会的弱者とは  キタキツネ 05/6/27(月) 14:53
   ┃  ┣Re(1):社会的弱者とは  こんぺいとう 05/6/27(月) 17:10
   ┃  ┃  ┣Re(2):社会的弱者とは  ウミサチヒコ 05/6/27(月) 19:04
   ┃  ┃  ┗Re(2):社会的弱者とは  k・satou 05/6/27(月) 19:10
   ┃  ┣Re(1):社会的弱者とは  月光仮面のおじいさん 05/6/28(火) 11:01
   ┃  ┃  ┣Re(2):社会的弱者とは  キタキツネ 05/6/28(火) 12:13
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(3):社会的弱者とは  月光仮面のおじいさん 05/6/29(水) 8:37
   ┃  ┃  ┗コミュニティと競争主義  ぎみゆら 05/6/28(火) 13:14
   ┃  ┃     ┗Re(1):コミュニティと競争主義  月光仮面のおじいさん 05/6/29(水) 9:23
   ┃  ┃        ┗Re(2):コミュニティと競争主義  ぎみゆら 05/6/30(木) 11:54
   ┃  ┃           ┣Re(3):コミュニティと競争主義  キタキツネ 05/6/30(木) 13:26
   ┃  ┃           ┃  ┗Re(4):コミュニティと競争主義  ワン太郎 05/6/30(木) 14:39
   ┃  ┃           ┣Re(3):コミュニティと競争主義  月光仮面のおじいさん 05/7/1(金) 8:40
   ┃  ┃           ┗Re(3):コミュニティと競争主義  ぎみゆら 05/7/3(日) 18:00
   ┃  ┗Re(1):社会的弱者とは  流水 05/6/28(火) 15:56
   ┃     ┣Re(2):社会的弱者とは  ワン太郎 05/6/28(火) 17:36
   ┃     ┃  ┗Re(3):社会的弱者とは  流水 05/6/28(火) 18:38
   ┃     ┃     ┣Re(4):社会的弱者とは  キタキツネ 05/6/28(火) 18:50
   ┃     ┃     ┗Re(4):社会的弱者とは  ワン太郎 05/6/29(水) 15:54
   ┃     ┃        ┗Re(5):社会的弱者とは  ウミサチヒコ 05/6/29(水) 16:10
   ┃     ┃           ┗Re(6):社会的弱者とは  ワン太郎 05/6/30(木) 10:28
   ┃     ┗Re(2):社会的弱者とは  ぎみゆら 05/6/28(火) 22:48
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  しまったk2 05/6/27(月) 21:21
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  風鈴カザン 05/6/27(月) 22:22
   ┃  ┣Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  peace 05/6/27(月) 23:43
   ┃  ┗Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  安本単三 05/6/28(火) 14:54
   ┃     ┗Re(3):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  風鈴カザン 05/6/28(火) 15:28
   ┃        ┣Re(4):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  安本単三 05/6/28(火) 16:03
   ┃        ┗Re(4):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  安本単三 05/6/28(火) 16:43
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  J.I 05/6/28(火) 4:49
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ワン太郎 05/6/28(火) 15:44
   ┃  ┗ワン太郎さん  杉本 知昭 05/6/28(火) 16:19
   ┃     ┣Re(1):ワン太郎さん  安本単三 05/6/28(火) 16:48
   ┃     ┃  ┗Re(2):ワン太郎さん  ワン太郎 05/6/28(火) 18:03
   ┃     ┗Re(1):ワン太郎さん  ワン太郎 05/6/28(火) 17:54
   ┣先生にお出まし頂き、解説願いたいな  ニッチモサッチモ 05/6/28(火) 18:25
   ┃  ┗Re(1):先生にお出まし頂き、解説願いたいな  安本単三 05/6/29(水) 10:42
   ┣Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  しまったk2 05/6/29(水) 22:20
   ┗Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  たけチャン 05/7/3(日) 20:11
      ┗Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  秋明菊 05/7/4(月) 15:04
         ┗Re(3):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  たけチャン 05/7/4(月) 19:31
            ┗こら、こらーっ  ステディ ベア 05/7/4(月) 22:28

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 ■題名 : 老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?
 ■名前 : 風鈴カザン
 ■日付 : 05/6/26(日) 15:47
 -------------------------------------------------------------------------
   これをはっきりさせないで、
「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」

という、「目標」のトップに掲げた文言を議論しても、いまひとつ弱い。
実際、老人といっても弱者とは限らない、という意見もこちらで見られたほどだ。

「弱者」とは誰を指し、どうやってその「弱者」の暮らしやすい社会を実現していこうというのか。基本的なことではあるが、あまり話しの俎上に上らない。

本来こちらの掲示板のもっとも重要ではないかと思しきテーマを、僭越ながらここに問う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 昔神童・今人道  ■日付 : 05/6/26(日) 16:01  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>これをはっきりさせないで、
>「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」
>
>という、「目標」のトップに掲げた文言を議論しても、いまひとつ弱い。
>実際、老人といっても弱者とは限らない、という意見もこちらで見られたほどだ。
>
>「弱者」とは誰を指し、どうやってその「弱者」の暮らしやすい社会を実現していこうというのか。基本的なことではあるが、あまり話しの俎上に上らない。
>
>本来こちらの掲示板のもっとも重要ではないかと思しきテーマを、僭越ながらここに問う。


やっぱり、気になりますか・・・。

片や戦後まれに見る「ど腐り党・自民党」総裁の「冷酷無比・冷血男のコィズミが4年間に仕出かした・・・4年も掛けてこの「緑美しき・自然一杯だった国」を「草木も生えぬど腐り国家」にした事が・・・やっぱり、きになりますか・・・。

つまらんスレッドを立てるんじゃないよ・・・。

老人党がいう、「弱者」とは「老人党の趣旨をわきえない君たち」以外の人達なんだよ。

僭越も万越もないよ・・・。ハッキリしとる・・・

コイズミの犠牲者全員を指すのだよ・・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/6/26(日) 16:17  -------------------------------------------------------------------------
   昔神童・今人道 さん

>つまらんスレッドを立てるんじゃないよ・・・。

つまらんのですか。「つまらん」のに、わざわざ知性と品に満ち溢れたご教授までいただき恐縮の極みです。

>老人党がいう、「弱者」とは「老人党の趣旨をわきえない君たち」以外の人達なんだよ。

ですから、その「老人党の趣旨」のメインテーマであるところの
>「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」
というのが、案外曖昧ではっきりと語られておりませんので、問題提起をしただけで他意はありません。


それにしても、季節はずれの暑い日が続きますねえ。
冷麦でも食べて、ビールきゅっとやって、夏ばてしない健康な日々が送れると良いですね。

お大事に。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 社会的弱者とは  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/6/27(月) 14:53  -------------------------------------------------------------------------
   ちょうど良い機会です。老人党に関係なく人として考えてみようではありませんか。

社会的弱者とは? 一言でいうと資本主義社会於いて社会的弱者とは、経済的に弱い立場に置かれている人だと思います。昨今は勝ち組、負け組みといった言葉で括られて語られる事が多くなりました。こうした競争の枠組みに押し込まれた結果、経済的自立能力が弱い人が存在するようになったのです。

資本主義、市場経済は競争を原則にしているので、勝つ、負けるといった事は当たり前に起こります。そのことが社会的弱者を作り出しているのです。為政者は平等な社会というが、決して対等な条件での競争ではなく、結果として勝ち負けが決まってしまうのです。

世の中には本人の努力だけではどうにもならない事があります。持って生まれた体質や生活環境はけっして本人の責任じゃありません。一方では権力を代々世襲してきた政治家や官僚の家柄に生まれた子供がいます。

この子供らを、そのままの条件で百メートル走を走らせる事は、一方をさらに百メートル後ろから、他方をゴールまであと一メートルの地点から、それぞれスタートさせるようなものです。

その結果をさらに自己責任だと割り切って、「勝ち組」と「負け組」に選別するという事は、そんなものは競争社会でもなんでもなく、理不尽で不公正きわまりない見せ掛けの平等社会でしかないのです。

さらには文化的、社会的、政治的に差別されることがあります。例えば免許や資格の取得に関して、根拠のない欠格条項が存在しています。それは理容師免許や自動車免許の類を見れば容易に理解できます。

また偏見と差別が合わせて負わされることもあります。ハンセン氏病については治療が確立されているにもかかわらず、隔離政策がしばらく続いてしまいました。また一方では精神障害者は複雑な状況を抱えています。

彼らがこうしたレッテルを貼られ差別を受けてしまうのは、文化的、社会的、政治的なことが背景にあるといわざるを得ません。

社会の競争が激しくなったことにより、精神的不安や精神疾患が増えています。激しい競争とストレスの強い世の中になってしまったことが、幼児のノイローゼ、少年少女の不登校やひきこもりを生み出し、少年犯罪の生み出す背景ともなっているのです。

またその一部は精神的な面で抑圧状態に悩まされ、学校を卒業してもきちんとした就職先が確保されず、フリーターが増え続け、さらには仕事に就いていないニートの問題を生み出しているのです。

こうして考えてみると、社会的弱者の原因は障害や先天的な疾病だけでなく、社会が作り出しているということにたどり着くのです。このように社会が生み出した社会的弱者であるなら、社会的強者が手を差し伸べるのは当然の事なのです。それを全て自己責任と一蹴するのは平等社会とは言えないのです。

わが国ではホームレスは、公共の場で野宿生活をする者を指しますが、欧米では居住が不安定な者のことを指します。なぜホームレスになるのか?その多くは、不況の影響で土木建設業など日雇いの仕事が減り、失業してしまったことが原因であることが多いのです。

ホームレスの平均年齢は50代後半といい、仕事に就きたくともなかなか仕事に就くことが難しい現状があるのです。また、家族関係が脆弱な時代となり、一流企業に勤めていてもリストラによって家族に見捨てられ、ホームレスになってしまうこともあるといいます。

あるボランティアの言葉で障害者について、「我々の代わりに十字架を背負った人たちであるから、大切にしなくてはならない」と語った事を思い出しますが、社会的弱者といわれる人は、まさに社会が作っている十字架を背負っているのかも知れません。


 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):社会的弱者とは  ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 05/6/27(月) 17:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼キタキツネさん:
>ちょうど良い機会です。老人党に関係なく人として考えてみようではありませんか。
>
>社会的弱者とは? 一言でいうと資本主義社会於いて社会的弱者とは、経済的に弱い立場に置かれている人だと思います。昨今は勝ち組、負け組みといった言葉で括られて語られる事が多くなりました。こうした競争の枠組みに押し込まれた結果、経済的自立能力が弱い人が存在するようになったのです。
>
>世の中には本人の努力だけではどうにもならない事があります。持って生まれた体質や生活環境はけっして本人の責任じゃありません。一方では権力を代々世襲してきた政治家や官僚の家柄に生まれた子供がいます。
>
>
>その結果をさらに自己責任だと割り切って、「勝ち組」と「負け組」に選別するという事は、そんなものは競争社会でもなんでもなく、理不尽で不公正きわまりない見せ掛けの平等社会でしかないのです。
>また偏見と差別が合わせて負わされることもあります。ハンセン氏病については治療が確立されているにもかかわらず、隔離政策がしばらく続いてしまいました。また一方では精神障害者は複雑な状況を抱えています。
>
>彼らがこうしたレッテルを貼られ差別を受けてしまうのは、文化的、社会的、政治的なことが背景にあるといわざるを得ません。
>
>こうして考えてみると、社会的弱者の原因は障害や先天的な疾病だけでなく、社会が作り出しているということにたどり着くのです。このように社会が生み出した社会的弱者であるなら、社会的強者が手を差し伸べるのは当然の事なのです。それを全て自己責任と一蹴するのは平等社会とは言えないのです。
>
>ホームレスの平均年齢は50代後半といい、仕事に就きたくともなかなか仕事に就くことが難しい現状があるのです。また、家族関係が脆弱な時代となり、一流企業に勤めていてもリストラによって家族に見捨てられ、ホームレスになってしまうこともあるといいます。
>
>あるボランティアの言葉で障害者について、「我々の代わりに十字架を背負った人たちであるから、大切にしなくてはならない」と語った事を思い出しますが、社会的弱者といわれる人は、まさに社会が作っている十字架を背負っているのかも知れません。
>
さすがです。キタキツネさんのこの書き込みはホンに弱者への暖かい目が
感じられます。
私自身も子育て中は女が所帯主である事で影に日向に差別がありました。
今も一人暮らしで、介護保険目前の弱者にちがいありませんが、社会が
作り出す弱者であっても、「一寸の虫にも五分の魂」と思って負け組み
などと理不尽な言葉を跳ね返すべく自分でできる範囲で他者へのお手伝
いをしております。
これは精神的にとても自分の生き方への応援と自己満足ではありますが。

本当は社会的弱者などには誰もなりたくてなっていません。
人は何か他者と自分を比べてみて高い位置から誰かを見下ろしたいので
こんな言葉ができるのではないでしょうか。
いつ自分も弱者と呼ばれる立場になるか誰も分かりませんよね。
>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):社会的弱者とは  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/27(月) 19:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こんぺいとうさん:
>▼キタキツネさん:

>さすがです。キタキツネさんのこの書き込みはホンに弱者への暖かい目が
>感じられます。

「弱者」ってなんだと言われてもなんだろうとちょっと考えてしまうことは確かですが、そうそう難しく考えることでもないと思います。→風鈴カザンさん。
弱者の定義とは「生産手段の所有から弾き飛ばされた人々と生産過程そのものから疎外された人々」と結論することが出来そうです。

(長いから中略)

現代になって、福祉の考えが定着してきました。福祉は明日働くためだけでなく、社会の人々が安定して生活できるよう(安定して労働力が再生産できるよう)、賃金の後払いとしての性格が出てきました。福祉政策を行わないと、現役労働者が個人的に弱者や年老いた両親を面倒見なければならなくなり、日々の労働再生産そのものに支障を来たしてくるからです。また、自由な市民の存在は核家族化をもたらし、福祉・年金政策が賃金政策とは独自に不可欠になって来ました。このようにして現代は、医療・年金・福祉という部門が賃金支払とは相対的に独立して、「政策」として行われるようになって来ました。明らかに、むき出しの資本主義からの改良です。
ここでの弱者はあいかわらず生産手段を持たない労働者(一般的サラリーマン、パート、バイト)であり、また労働で賃金を稼げないか、あるいは稼ぐことを辞めた老人です。彼らを放置することは、現役労働者に多くの負担を強いることになり、労働力の再生産・教育の面に支障を来たし社会のサイクルに不都合が生まれます。
定年を迎えた人々が、老後に必要なお金は夫婦で5・6000千万円です。これをあらかじめ用意している人々は多くありません。したがって、医療・年金・福祉政策はこと老人問題ではなく、あるいは単に障害者の問題でなく、社会の問題、労働者人々の問題であるのです。これがうまく行かないと、将来への不安が消費の低迷・資金の凍結をもたらし(社会投資の減退)、少子高齢化を招くことになるのだろうと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):社会的弱者とは  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/6/27(月) 19:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こんぺいとうさん:
ご無沙汰しています。
 誰も なりたくてなったわけじゃない。たしかに!
 でも私達は いまだに差別し貶めています。
  あのライ病患者さんたちは今どうしてます?
  結核よりもその治療法さえわかり 伝染性もないのに
  まったく帰るところもない>  
   長島愛生園の”次の冬”島田等をお読みくださいな。
  ブロミン剤によりハンセン病はどんどん治療しました。
  誰だって病気になれば 医者にかかるし入院もする。完治すれば
  退院するのが 当然です。で家族とともに生活したい。
  ところが 受け入れられないのです。一族の穢れだ!と。
ライ病患者をはじめあらゆる障害者・被差別者を排除し抹殺し続けているのは
 健常者共同体を構成している貴方であり私たちです。
 弱いものほど戦争ではいち早く捨てられます。じゃまな存在なのです。
 からだが弱いものが 第一に。世に不幸せな人ほど 人は踏みにじる。
  こりゃ  ちと言い過ぎかな?   また。 草津にいきます。


>▼キタキツネさん:
>>ちょうど良い機会です。老人党に関係なく人として考えてみようではありませんか。
>>
>>社会的弱者とは? 一言でいうと資本主義社会於いて社会的弱者とは、経済的に弱い立場に置かれている人だと思います。昨今は勝ち組、負け組みといった言葉で括られて語られる事が多くなりました。こうした競争の枠組みに押し込まれた結果、経済的自立能力が弱い人が存在するようになったのです。
>>
>>世の中には本人の努力だけではどうにもならない事があります。持って生まれた体質や生活環境はけっして本人の責任じゃありません。一方では権力を代々世襲してきた政治家や官僚の家柄に生まれた子供がいます。
>>
>>
>>その結果をさらに自己責任だと割り切って、「勝ち組」と「負け組」に選別するという事は、そんなものは競争社会でもなんでもなく、理不尽で不公正きわまりない見せ掛けの平等社会でしかないのです。
>>また偏見と差別が合わせて負わされることもあります。ハンセン氏病については治療が確立されているにもかかわらず、隔離政策がしばらく続いてしまいました。また一方では精神障害者は複雑な状況を抱えています。
>>
>>彼らがこうしたレッテルを貼られ差別を受けてしまうのは、文化的、社会的、政治的なことが背景にあるといわざるを得ません。
>>
>>こうして考えてみると、社会的弱者の原因は障害や先天的な疾病だけでなく、社会が作り出しているということにたどり着くのです。このように社会が生み出した社会的弱者であるなら、社会的強者が手を差し伸べるのは当然の事なのです。それを全て自己責任と一蹴するのは平等社会とは言えないのです。
>>
>>ホームレスの平均年齢は50代後半といい、仕事に就きたくともなかなか仕事に就くことが難しい現状があるのです。また、家族関係が脆弱な時代となり、一流企業に勤めていてもリストラによって家族に見捨てられ、ホームレスになってしまうこともあるといいます。
>>
>>あるボランティアの言葉で障害者について、「我々の代わりに十字架を背負った人たちであるから、大切にしなくてはならない」と語った事を思い出しますが、社会的弱者といわれる人は、まさに社会が作っている十字架を背負っているのかも知れません。
>>
>さすがです。キタキツネさんのこの書き込みはホンに弱者への暖かい目が
>感じられます。
>私自身も子育て中は女が所帯主である事で影に日向に差別がありました。
>今も一人暮らしで、介護保険目前の弱者にちがいありませんが、社会が
>作り出す弱者であっても、「一寸の虫にも五分の魂」と思って負け組み
>などと理不尽な言葉を跳ね返すべく自分でできる範囲で他者へのお手伝
>いをしております。
>これは精神的にとても自分の生き方への応援と自己満足ではありますが。
>
>本当は社会的弱者などには誰もなりたくてなっていません。
>人は何か他者と自分を比べてみて高い位置から誰かを見下ろしたいので
>こんな言葉ができるのではないでしょうか。
>いつ自分も弱者と呼ばれる立場になるか誰も分かりませんよね。
>>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):社会的弱者とは  ■名前 : 月光仮面のおじいさん <t-kayama@xf7.sonet.ne.jp>  ■日付 : 05/6/28(火) 11:01  -------------------------------------------------------------------------
   キタキツネさま
お久しぶりです。まったく暑い暑い日が続いてうんざりです。
最近スイスを回っていました。そこで説明されたことがとても印象的でした。

それは、ルツェルンと言う古都にあるライオンの記念碑の説明でした。スイスは山又山の地形で平地が乏しく、作物はかろうじてじゃがいもぐらいしか取れない土地なので、国民全体が貧しく、何とか資金を得ようと海外に兵隊を売ると言うビジネスを考え、力を入れたのだそうです。
バチカンのかっこいい兵隊もスイス兵ですね。
フランス革命のとき、ルイ王朝を最後まで守ったのもスイス兵だそうで、自分たちの意思とは関係なく、雇用兵としてスイス人同士が敵同士となって戦わなくてはならなかったのだそうです。

それらスイスの国のために、戦わざるを得なかった人たちを慰霊するため、スイス発祥に地ルツェルンに傷ついたライオンの像を彫り、感謝の念とこのような想いをしたくないという誓いを表現していました。

自分では選択できない生まれる国や時代でどうしようも無いことはあるはずです。
私は会社生活を偶然にも高度成長時代に投げ込まれ、その結果普通のサラリーマンとして極貧の生活からまずまずの生活を得るように成りました。結果として時代が良かった(幸運だった)と認識しています。
しかし、同年代でも幸不幸は見受けられます。ただ小学校の時大きな家に住んでいられた方が今でもそうかと言えば、そうなっていないと言うのが実感です。
長い間の運、不運はあるでしょう。病気でなくなられた方もいます。

今結果として辛い境遇の方々には同情をいたします。そしてそのような人たちが少なくなることを望むものです。しかし格差を憎んでも解決は無いと思います。能力があるひとはそのことを素直に認め、間違っても足を引っ張ることをやまなければ成りません。困っている人が居れば身近のコミュニティで解決すべきです。

上を見たら切りが有りません。また下を見ても切りが有りません。社会的弱者を大きく包み込んで解決できるコミュニティが大事なのではないでしょうか。
その具体像を昔の長屋の生活を理想的解決と考えます。その源泉は住民パワーではなかったかと思います。
よって社会が悪いと言うのは何の解決策にもならないと考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):社会的弱者とは  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/6/28(火) 12:13  -------------------------------------------------------------------------
   月光仮面のおじいさんさん

レスありがとうございます。残念ながらちょっと勘違いなさっているようですね。私はあくまでも感情を移入しないで、努めてクールに「社会的弱者とは?」どういう人達をいうのか私の考えを言ったまでの事です。

>自分では選択できない生まれる国や時代でどうしようも無いことはあるはずです。

これは全くその通りで私もそう言っております。子供は生まれる親を選べないのですから。だからこそ、せめて教育だけでも均等の機会を与えてやりたいものだと日頃から考えておりますけどね。

>私は会社生活を偶然にも高度成長時代に投げ込まれ、その結果普通のサラリーマンとして極貧の生活からまずまずの生活を得るように成りました。結果として時代が良かった(幸運だった)と認識しています。
>しかし、同年代でも幸不幸は見受けられます。ただ小学校の時大きな家に住んでいられた方が今でもそうかと言えば、そうなっていないと言うのが実感です。
>長い間の運、不運はあるでしょう。病気でなくなられた方もいます。

それはけっこうな事ですね。スイスに旅行するほど余裕があるのは、勝ち組と言ってよいでしょう。人生には運・不運もあるし、世代間の格差もあります。つまり、人間は誰でもいつ負け組みとなるか分からないという事です。

誰も好き好んで自ら負け組みになる人はいません。しかし、いったん負け組みとなった場合には、勝ち組は勝ち誇るのじゃなく、負け組みにも温かい眼を向け、時には救済の手を差し伸べるべきだと思うのです。

また自分の人生を嘆いたところで何一つ解決しません。人間生きている限り他人に甘えないで努力する事は、これまた当然の事です。私はあまり触れたくないのですが、私は友人を1年の間に二人を自殺でなくしています。バブルの協奏曲に踊らされた敗残者と他人は言いますが、これを全て「自己責任」とする昨今の風潮には薄ら寒さを感じます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):社会的弱者とは  ■名前 : 月光仮面のおじいさん <t-kayama@xf7.sonet.ne.jp>  ■日付 : 05/6/29(水) 8:37  -------------------------------------------------------------------------
   キタキツネさま
スイスの話を出して、国、時代と言う背景があるとお話したつもりですが、おそらく心配していた勝ち組の意見ととったようですね。

誰も好き好んで自ら負け組みになる人はいません。しかし、いったん負け組みとなった場合には、勝ち組は勝ち誇るのじゃなく、負け組みにも温かい眼を向け、時には救済の手を差し伸べるべきだと思うのです。

このご意見真摯に受け止めます。また、多少その実践を行なっているつもりです。
その上で、だれでもがんばれる社会を作るにはどうすれば良いのかが問題です。
その解決策として最低賃金の引き上げが図れる社会が望ましいと考えます。

しかし、この問題もそう簡単ではありません。企業側にそんなに余裕が無いのです。100円ショップばかりが繁栄したら、残念ながらそれに見合った賃金しか受け取れません。企業にある程度の利益を許容する文化が必要なのです。

またまた、スイスの話ですが、スイスのマクドナルドのハンバーガーセットは日本が500円程度ですが、なんと1000円するのです。
つまり、皆が豊かに過ごそうとしたら、皆が協力して価格を維持しているのです。

つまり我々で出来ることは100円ショップを110円ショップとして成り立つように応援すること。そしてその利益を確実に税金として収めてもらうことを監視することでしょうか。

しかし、こんな精神的訓話を話してもむなしくも思います。たこの足を自分で食っていくように自分で自分をどんどん追い詰める社会の現状を悲しくも思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : コミュニティと競争主義  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/28(火) 13:14  -------------------------------------------------------------------------
   月光仮面のおじいさんさま、お久しぶりです。
横から失礼いたします。


> 上を見たら切りが有りません。また下を見ても切りが有りません。
> 社会的弱者を大きく包み込んで解決できるコミュニティが大事なの
> ではないでしょうか。

これには、おおむね共感できます。いたずらに結果における平等
ばかりを言い立てるのも、下克上のような機会を過剰に求めるのも、
多くの人の幸せには、あまりつながらないだろうと思います。

> その具体像を昔の長屋の生活を理想的解決と考えます。その源泉は
> 住民パワーではなかったかと思います。

これも大事なことと思います。私はいま、住んでいる団地の防災会に
参加しているのですが、つい先日の会合で、やはりまず、「みなさん
お互いに、挨拶や声のかけあいを、もっと積極的に」といった内容の
呼びかけを進めましょう。そんなことを話し合ってきたばかりです。

> よって社会が悪いと言うのは何の解決策にもならないと考えます。

だけど、このご意見には、私は同意できないのです。

たしかに、自分や周りを振り返ることなく、ただ政治が悪い、社会が
悪いと罵るばかりでは、何も解決しないのかもしれません。NHKの
『ご近所の底力』ではありませんが、いまからでももう一度、健全な
コミュニティづくりに取り組むのは、とても大切なことでしょう。

だけど、そのようなコミュニティを、阻害したり、それだけでなく、
破壊してしまったりするような、政治や社会の流れが、とくにここ
十年ほど、それはそれで、たしかにあるようなのです。いまどこの
地方に出かけても、あんなに駅前商店街がさびれているのは、なぜ
なんでしょうか。商店主さんたちの努力が足りなかったとか、それ
だけで、説明できることなんでしょうか。

日本の会社はもともと、家族的、互助的、そういった雰囲気が、
よくも悪くもずいぶんありました。私が仕事をしている出版業界は、
外見上の華やかさとは裏腹に、非常に手作業的な面が多く、大半は
個人個人の仕事ですが、私が二十代の駆け出しの頃は、自分の仕事、
先輩や後輩の仕事、誰かが大変そうにしていたら、周りが手伝ったり
フォローしたり、そういったことが、ごく自然に行われていました。

でも、私はいまはフリーで、いくつかの出版社とつきあいがあり
ますが、昨今はどこの編集部でも、目先の成果、出版点数を、上から
追い立てるように要求され、自分のことで精一杯。助け合う余裕など
ない。それどころか、隙あらば隣の仲間のアイデアを盗んだり、足を
引っ張ったり。そんなことも、珍しくなくなりつつあると聞きます。

こんな世の中だからこそ、人と人とのつながりを、もう一度大切に
して、あきらめない。それは、私は私なりの言い方で、この掲示板上
でも、くり返し言い続けてきたことです。だけど、どう考えても、
その人と人とのつながりを、ぶち壊そうとしているとしか思えない、
過剰な競争主義を促進する、政治や社会の流れがあり、それをさらに
推し進めようとしている人たちがいるんだと、私は思っています。

人と人とのつながりを、いっそう大切にするためにこそ、そういった
流れ、そのような人たちのことは、きちんと指差し、おかしいことは
おかしいと、言っていかなければいけないんじゃないでしょうか。

私はいま、そう思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):コミュニティと競争主義  ■名前 : 月光仮面のおじいさん <t-kayama@xf7.sonet.ne.jp>  ■日付 : 05/6/29(水) 9:23  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさま
私も本が好きで、本屋さんに行くとわくわくするほうです。
そんな訳でわき道をお許しください。

出版業界が大変苦しい立場に入っているのは承知しています。ただ我々の子供の頃の本屋さんにある書籍は、その気があれば全部読破可能な量でした。しかし、今大きな本屋さんに行くと探し出すのも大変な量が販売されています。しかも内容の貧弱な本ばかり。。。
私は今がおかしいと思います。要は供給過剰です。どの業界でも有る前年比何パーセントアップの指標を判断材料に使いながら、どんどん作り続けたら日本人がとても読みきれない量を作り上げたのではなかろうかと感じています。

これは本の話をしましたが、その他の商品でも日本での生産過剰が価格を下げ、原価率を悪くすると言うサイクルを作り、賃金を下げると結果となっています。
自社がよければ、他社はどうなってでも良いと言う過酷な競争社会が産んだ弊害です。

さてこれに解決策はあるのでしょうか。どうもうまく行っていると思える業界があります。それは最近とても高くなってしまって手が届かなくなった国産牛肉の世界です。しかし、なんとなくタヌキやキツネや議員バッジが活躍しているように思われてなりません。
もうひとつの例は自動車業界です。車検期間の延長問題を政治的に引き延ばし、業界の利益を守っています。

さてさて政治はどのように関与すべきなのでしょうか。
でも貴方のご指摘した”おかしいものはおかしいと指摘する”この点は共感を覚えます。それが社会を動かしてきたと認識するからです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):コミュニティと競争主義  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/30(木) 11:54  -------------------------------------------------------------------------
   月光仮面のおじいさんさま、レスありがとうございます。


> 今大きな本屋さんに行くと探し出すのも大変な量が販売されてい
> ます。しかも内容の貧弱な本ばかり。。。
> 私は今がおかしいと思います。要は供給過剰です。

> これは本の話をしましたが、その他の商品でも日本での生産過剰が
> 価格を下げ、原価率を悪くすると言うサイクルを作り、賃金を
> 下げると結果となっています。

まったく、おっしゃるとおりなんです。二三年前だったでしょうか。
ある大手出版社の部長さんと雑談中に、こんなセリフがありました。

「本が売れなくなってもさ、僕ら出版社は、そんなに困りはしないん
だよ。その分、出版点数を増やせばいいんだからね。でも、あなたの
ようなフリーの人たちは、大変だよね」

この部長さんは、経験も見識も豊富な、どちらかといえば昔気質の、
本を愛してやまない、私が尊敬する出版人でした。上のセリフは、
自嘲、皮肉、いろんな思いをこめた、彼一流の毒舌だったのですが、
悲しいことに、言っている内容はすべて、いまの出版界の現実です。

> 自社がよければ、他社はどうなってでも良いと言う過酷な競争
> 社会が産んだ弊害です。

過当競争で割を食うのは、必ず、弱い者、下の者、末端で仕事をして
いる人たちです。たとえばある出版元が、5年前なら1点100万円で
下請け編集会社に発注していた仕事を、いまは10点で500万円で
発注する。実際は、もっとたたいている例をいくらでも聞きます。

それでもその下請けが会社組織であれば、まだなんとか、組織として
手を抜く方法が、いろいろあります。結果として、本の質はどんどん
落ちていきますが。しかしこれと同じような仕事の受け方を、個人の
フリーがやってしまうと、悲惨というほかないことになります。

私のような古ダヌキは、そんなことにだけはならないよう、こずるく
立ち回りますが、経験の浅い若い人がそういう目にあい、ボロボロに
されて、この業界から去っていきます。

だけど、それよりももっと気になる、私が過当競争の最大の弊害と
思うのは、息長く発行を続けてほしい古典作品が、岩波文庫や新潮
文庫のような老舗文庫からさえ、次々と姿を消していることです。

私が子どものころ、文庫本というのは、世代をこえてずっと読み継ぐ
本なんだ。だから、いったん文庫本になった作品は、よほどの事情が
なければ、ずっと長く売り続けられるんだと教わりました。

だけどいまは、それも完全に崩れ去っています。ご興味があれば、
志賀直哉でも、芥川龍之介でも、お若いころに読まれた印象に残る
古典作品が、いま岩波、新潮、角川などの老舗文庫に、どれだけ
残っているか、お調べになってみてください。

とくにここ数年、こんな貴重な作品までが、品切れ、絶版扱いに
なっているのかと、驚くことしばしばです。出版社の文化的な役割の
放棄としか言いようがないのですが、どこも自社をつぶしたくはあり
ませんので、文字どおり、背に腹は代えられないのです。

いま、具体策を提示することはできませんが、出版文化のなかで
蓄積されてきた、すぐれたものを次の世代に継承するという視点を、
きちんと持ち直さないと、もうじき、あまり遠くない将来、すべての
書店が、読み捨て、使い捨てのような本だけで埋まってしまいます。

過当競争、弱い者いじめ、文化破壊。これらはみんな、
ひとつながりのことなんだと、私は思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):コミュニティと競争主義  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/6/30(木) 13:26  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさん

>いま、具体策を提示することはできませんが、出版文化のなかで
>蓄積されてきた、すぐれたものを次の世代に継承するという視点を、
>きちんと持ち直さないと、もうじき、あまり遠くない将来、すべての
>書店が、読み捨て、使い捨てのような本だけで埋まってしまいます。
>
>過当競争、弱い者いじめ、文化破壊。これらはみんな、
>ひとつながりのことなんだと、私は思っています。

横から失礼します。

実は私の幼馴染が出版会社を経営しているので、出版会社の現状については良く聞いています。噂に違わず大変らしいですね。

弱いもの虐めはどこの業界も同じようで、私が薬局をやっていた頃にも嫌というほど経験しました。薬九層倍などとは、遥か遠い昔の話で、私が薬局をやっていた頃は既に大型ドラッグストアーが全国に出現している頃でした。

薬なんて病気にならなければ必要の無いものです。風邪薬のような季節物はインフルエンザが流行るかどうかで全然需要が違ってきます。

大手のドラッグストアーは大量仕入れで安く仕入れ、売れ残ったら引き取りさせるところもあるそうですが、私のような零細小売店は返品も出来ません。勢い仕入れは慎重にならざるを得ません。ところがある程度の量にならないと仕入れ価格が倍近く違うのです。

その上必要の無い物を併せた抱合せ販売です。メーカーの営業マンもノルマがあるのでしょう。ついつい口車に乗って何度痛い目にあったことか。

何せ元はサラリーマン、先の見通しが早いところが長所、さっさと業態を調剤薬局にしました。

しかし公正取引委員会って公正な活動しているんだろうか?何時も後手後手に廻っているような気がします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):コミュニティと競争主義  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/30(木) 14:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼キタキツネさん:
横から失礼。

>しかし公正取引委員会って公正な活動しているんだろうか?何時も後手後手に廻っているような気がします。

公正取引委員会の肩を持つわけではありませんが、
公取の一番の仕事は「予防(防犯)」です。
企業には非公式な指摘(脅しに近いことも)は結構行われています。
後手後手に見えるのはそのせいでしょう。

致命的なのは「手が足りない」「金が足りない」「国民の理解が足りない」であります。

応援してあげて下さい、結構 頑張っています。
企業側の私(取り締まられる側=犯人側)が言うのですから、本当です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):コミュニティと競争主義  ■名前 : 月光仮面のおじいさん <t-kayama@xf7.sonet.ne.jp>  ■日付 : 05/7/1(金) 8:40  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさま
私がヨーロッパの旅行に行くたびに本屋さんに行きます。例えばイタリアのフィレンツェに行けば美術関連の本を探すのです。しかし、現地でどんな良い絵を見ても画集など買う気がしません。
それは写真の色が昔の絵葉書のように濁った色で、薄ぼんやりした印刷なのです。この地域の人たちはこれで満足しているのだろうかと疑問を抱くことが多々あります。専門家に聞くと印刷機は日本の最新鋭機が導入されているとか。。。

イギリスでイギリス国内の案内を掲載した写真集を買って帰り、よくよく見たら韓国で印刷と書かれていました。(だから色が良いなんて)
また、ヨーロッパでは日本のようなムックと言われる写真と文の混合書籍は少なく、本を取れば活字のみが大半、あとは新聞をちょっと良くしたような薄っぺらな雑誌のみ。。。
おそらくイギリス人やイタリア人を日本の本屋に連れて行ったら、一日中本を眺めながら帰らないだろうと思います。それは安くて高画質だからです。間違いなく婦人画報なんて芸術品でしょうね。

日本が世界を相手に出版事業をやれば、成功する確率はとても高いと推察します。
インターネットやメールの発達で、校正など他国と簡単に出来る世の中。漫画の文化をはやらせたのですから、大きな可能性を含んでいると推察いたします。

しかし、どうしてこんなヨーロッパの印刷はひどいんだろうと嘆いていた後、上野で行なわれたミュシャ展を見に行ったら、そのポスターは今から100年前とはとても信じられないほど、素晴らしい発色。
どうも印刷の問題では無く、人の問題のようですね。。
としたら今後、海外で活躍する日本の出版人を強く希望します。

追記
本論とはだいぶ離れてしまいました。社会的弱者の救済に役立つでしょうか。。
雇用対策にはなるかな。。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):コミュニティと競争主義  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/7/3(日) 18:00  -------------------------------------------------------------------------
   キタキツネさま、月光仮面のおじいさんさま、こんにちは。


いうまでもなく、競争とか効率追求とかがすべて悪いなどとは思い
ませんが、どこの出版社でもだいたい十年くらい前から、なんだか
形式的というか、上辺だけというか、ヨソが始めたからウチもと
いった風情の、成果主義、利益の極大化追求が進み、表立っては
それに誰も逆らえなかったようなところがあるように思います。

先にも書いたように、出版の仕事の内実は、非常に手仕事的、職人
仕事的な面が多いので、表面的な成果評価や効率追求はあまり意味が
なく、それを無理やり強行すれば、現場の編集者が、とくに気持ちで
仕事をするようなタイプの人ほどしだいにやる気をなくし、逆効果に
なるというのが、とてもよく見られるパターンなんです。

それくらいのことは、出版社で十年二十年メシを食ってる人間なら、
現場でも管理職でもたいてい知っていますから、それをあえて進める
ために、よそからこの業界を知らない人を連れてきてやらせるという
ことも、けっこうあちこちで行われました。コンサルタントとか、
銀行とか証券とか流通とか商社とかの出身者とか。

異業種の経験と知恵を導入することにも、メリットはあるかもしれ
ませんが、そういう人たちには、目立たないけれどきちんとした仕事
とか、すぐにお金にはならない値打ちのあることとか、そういった
ものは当然、なかなか見えないんです。それに役割上、あまり見よう
ともしませんし。

たとえば、ブックデザイナーとか校正者とか、編集製作上のいろんな
知恵を貸してくれる人とか、そういった人たちの存在の貴重さとか。
あるいは、いつ具体的な仕事になるかわからない「未来の著者」の
ような人たちと、何年もコツコツとつきあい続けることの意味とか。
そういったことはわからない。わからないその人たちが悪いんじゃ
なく、そんな人たちに重要な仕事をさせる経営者が愚かなんですが。

名作古典などが出版レベルでもうかなりズタズタになっていること
なんかは、図書館があるからいいじゃないかとか、そういったこと
ではなく、すでに業界全体でなんとか手を打たないといけない水準
まで来てるんじゃないかと思うんですが。うーん。

少なくとも一つ、はっきり言えるんじゃないかと思うのは、形式的、
表面的、画一的な成果主義、効率指向のようなやり方は、とくに
出版のような業界にとっては、非常によくない影響を及ぼすという
面ばかりが、たいへん強いんじゃないかと思います。

こういった話も、「弱者」論と無関係だとは思わないんですが、
やはりこういう入り方だと、どうしても出版の現状の話ばかりに
なってしまいますので、今回は私からは、これくらいまでにして
おきたいと思います。

あ、あと一つ。月光仮面のおじいさんさま。日本の印刷技術は、
たしかにたいへん優秀です。大日本や凸版といった大手印刷会社の
技術者たちは非常に誇り高く、もうずいぶん昔から「水と空気以外
なら何にでも印刷する」と豪語しています。お上の方面でいえば、
たとえば日本の切手の美しさは、世界的に有名です。ただ個人的な
感想としては、最近よりも、二三十年前のほうがもっと美しかった
ように感じるのですが。(笑)

ここまでおつきあいいただき、どうもありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):社会的弱者とは  ■名前 : 流水  ■日付 : 05/6/28(火) 15:56  -------------------------------------------------------------------------
   キタキツネさん、
社会的弱者の定義は、仰せの通りだと思います。
ここでは、わたしの過去の経験から、少し考えてみたいと思います。

公立学校というところは、社会的階層を選びません。会社社長・政治家・医者・弁護士などなど親の職業が、いわゆる社会的ステータスの高いものから、暴力団の子供にいたるまで、全ての階層の子供が通学してきます。
その意味で、公立学校というところは、階層の坩堝といって過言ではありません。

そうなると、子供のしつけの面で大きな落差がでてきます。それでも、わたしが新任教師の頃は、それほど大きな落差はありませんでした。高度成長期に入る前後でしたので、社会の中にまだまだ将来の希望が横溢していた時代だったからでしょう。
しかし、60年代終わりごろから、年々落差が大きくなり始めました。
各クラス1〜2名程度、本当に壊れた子供が目立ち始めたのです。

まず食事のマナーが全く欠落している。服装特に下着が選択していない。提出物が全く出せない。(宿題だけではない)真っ直ぐ立てない。(※とにかく背骨を真っ直ぐ伸ばせない。骨を支える筋力がない)とにかく集中できない。(※一時間緊張して授業に集中することはほとんど不可能)言葉が乱暴、語彙が貧困。缶ジュースなどの人工飲料をほしがるなどなど。

このような様々な欠点を一身に背負った子供が目立ち始めたのです。人間ですから欠点があるのは当然なのですが、過去の子供たちは欠点と同様に長所もあり、その意味ではバランスがとれていたのです。ところが、このバランスが極端に壊れた子供が目立ち始めたのです。

この原因は、先天性の障害によるものもありますが、それより何より【家庭が崩壊】したことに求められます。同時に、地域社会(コミュニテイ)が崩壊した時と機を一にしていると思います。
農村共同体が生き続けていた時代にも家庭崩壊はありました。しかし、高度成長期以降の日本の家庭崩壊は、人間のモラル崩壊とでもいうべきもので、これが一番弱い子供たちにもろに影響を与えたのです。

教育の役割を比喩的に語るなら、動物として生まれた子供たちを徐々に人間として育てていく過程だといえるのですが、この役割(人間として育てる)に最も大きな位置を占めているのが家庭(両親をはじめとする家族)です。
過去の家庭崩壊には、まだこの【人間として育てる】という意識だけは残っていましたが、高度成長期以降の家庭崩壊にはこの意識が希薄になっているのです。
この原因を論じると長くなるのですが、それだけ資本主義の暴力的部分が露になったのでしょう。(特に、平成に入ってからその傾向が顕著です)
印象的に語るなら、過去の部落差別の現状(これは歴史的・政策的要因がはっきりしていました)が、一般社会に拡散していったのではないかと思えるのです。

現在、部落差別の現状は、過去に比較すると、随分改善されました。これには、大きな社会的コストの支出と社会意識の変革という二つの要素が必要だったのです。

わたしの経験からいうと、上記の広範な地域崩壊・家庭崩壊というのは、今後莫大な社会的コストを必要とすることになると思います。
勝ち組・負け組みのような社会的階層分化の促進は、部落差別の解消のための社会的コストの支出などとは比較にならない膨大な社会的コストを将来の日本社会に残すと思います。
人間は悲しいもので、自分は勝ち組だと思うことで、崩れそうな自分のアイデンテテイを辛うじて支えている人が多いのですが、社会を俯瞰的に眺めると、ほとんどの人は負け組みです。
この現実を直視して、暴力的な資本主義の浸透をせき止めなければ、今後日本社会が背負う社会的コストは、想像できないほど大きくなると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):社会的弱者とは  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/28(火) 17:36  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん、キタキツネさん、

横から失礼、質問があります。

>人間は悲しいもので、自分は勝ち組だと思うことで、崩れそうな自分のアイデンテテイを辛うじて支えている人が多いのですが、社会を俯瞰的に眺めると、ほとんどの人は負け組みです。

「社会的弱者」⇒「負け組み」 という構図がいまいちピンときません。

「銀メダル、負け組みの第一位」 というジョークがありますが、
「弱者」即ち「負け組み」というのはギャップがありすぎるのじゃありませんか?


>過去の家庭崩壊には、まだこの【人間として育てる】という意識だけは残っていましたが、高度成長期以降の家庭崩壊にはこの意識が希薄になっているのです。

戦後の社会的活動の中では「人権を尊重する」というのはとても大きな位置を占めていたと思います、
それが家庭にも浸透していったと思うのです。
例えば、「そんな封建的な・・・」と子供が父親を批判したり、
女の子と男の子がほとんど差をつけないで育てられるようになってきた。
(多分戦前ではほとんどあり得なかったことが一般となってきた)

そういった「社会的に位置付けられた人間」での【人間として育てる】という点では成功していると思うのです。
流水さんのおっしゃる「希薄になってきた【人間として育てる】」というのは、
「ルール、マナーを尊重し・守る」といった「社会の構成員としての人間」
すなわち、社会で生きていく為の基本訓練が希薄になった。
と思っているのですが、流水さんのご見解はいかがでしょうか?

>それだけ資本主義の暴力的部分が露になったのでしょう。

>この現実を直視して、暴力的な資本主義の浸透をせき止めなければ、今後日本社会が背負う社会的コストは、想像できないほど大きくなると思います。

三段論法的な質問になりますが、
「資本主義の暴力的部分」を「地域・家庭崩壊の主犯説」は無理があるような気がするのです。
大きな要因の一つだとは私も考えていますが、主犯とまでは言い切れないのでは?

【ここからはワン太郎の仮説】

流水さんからは叱られそうですが、
資本主義の暴力的部分を「抑制する働き」が過剰に働いた事の方が、
より罪が大きいのではないか、と感じています。

乱暴かもしれませんが「資本主義の暴力的部分」を抑制せずに野放しにしてしまった方が「人間のバイタリティ」が旺盛になり、ダイナミックな子供たちが育ったのでは?
(すなわち「器量」の備わった人間が育つのでは? 昔はそうでした)

当然そこには「負け組、弱者」が発生します。
それを社会システムを充実させて保護・救済する。
家庭、学校の中に「資本主義の暴力的部分」を抑制する働きを持ち込まないほうが良いのではないか。
その方が社会的トータルコストは低く抑えられるのでは。

というのが私の仮説なのですが・・・ヤッパリ叱られそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):社会的弱者とは  ■名前 : 流水  ■日付 : 05/6/28(火) 18:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:

●「社会的弱者」⇒「負け組み」 という構図がいまいちピンときません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
よく読んでいただければ、そのようにわたしは断定していないということが分かるはずです。確率的にいうと、その構図が当てはまるかもしれませんがね。
>
●>そういった「社会的に位置付けられた人間」での【人間として育てる】という点では成功していると思うのです。
>流水さんのおっしゃる「希薄になってきた【人間として育てる】」というのは、
>「ルール、マナーを尊重し・守る」といった「社会の構成員としての人間」
>すなわち、社会で生きていく為の基本訓練が希薄になった。
>と思っているのですが、流水さんのご見解はいかがでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私見ですが、【鍛える】という視点の欠如だと考えています。あなたの言われる「社会的に位置付けられた人間」での【人間として育てる】点では成功しているという指摘は、YES AND NOでしょう。人権の問題にしても、理論的には世界の先進国に劣らないものだと思いますが、具体的・日常的レベルで考えるととても先進国とはいえないものです。
人権の問題を日常的な営為にどのように結びつけるかという点では、とても成功しているとはいえないと思います。
わたしの教育活動の大半は、このことに費やしたといってよいと思いますが、教育現場で子供を見ている限り、あなたのおっしゃる成功には程遠いのが現実です。

誤解をしてもらっては困りますが、民主主義とか人権とかというものを日常生活レベルで実現していくには、それこそ気の遠くなるような訓練と忍耐が必要です。
わたしのいっていることは、その意味です。本当の意味での社会性はその中でのみ育つものだと考えています。
>
●【ここからはワン太郎の仮説】

>資本主義の暴力的部分を「抑制する働き」が過剰に働いた事の方が、
>より罪が大きいのではないか、と感じています。

>乱暴かもしれませんが「資本主義の暴力的部分」を抑制せずに野放しにしてしまった方が「人間のバイタリティ」が旺盛になり、ダイナミックな子供たちが育ったのでは?
>(すなわち「器量」の備わった人間が育つのでは? 昔はそうでした)
>
>当然そこには「負け組、弱者」が発生します。
>それを社会システムを充実させて保護・救済する。
>家庭、学校の中に「資本主義の暴力的部分」を抑制する働きを持ち込まないほうが良いのではないか。
>その方が社会的トータルコストは低く抑えられるのでは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見事な【新自由主義】理論です。この結果がどうなるか。多くの学者が指摘しているように、世界は【中世的秩序】に逆戻りするでしょうね。日本で言えば、江戸時代を通り越して、室町幕府末期の状況に先祖がえりする可能性が高いと思います。

社会的コストというのは、社会が安心できている時が一番安価なのです。江戸時代、100万都市の江戸の治安を守った同心の人数を二桁程度でした。
【安全と水はただ】というのが、戦後の日本のありようです。これが、資本主義の暴力的部分」を抑制する働きを社会の基本に置いたからできたものです。

社会的コストというものは、弱者救済にかかる費用だけではないのです。日本の国土の回復もその一つです。
そういうものをトータルに考えなければ、あなたのいう理論には納得できませんね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):社会的弱者とは  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/6/28(火) 18:50  -------------------------------------------------------------------------
   ワン太郎さん:

私が今返信しようと思っていたら、流水さんが答えてくれました。
ほぼ同意見ですので私の意見は割愛させていただきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):社会的弱者とは  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/29(水) 15:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん
お答えいただきましてありがとうございます。

>社会的コストというものは、弱者救済にかかる費用だけではないのです。日本の国土の回復もその一つです。
>そういうものをトータルに考えなければ、あなたのいう理論には納得できませんね。

その通りであります。
しかし「納得できる、できない」の話しではなくて「選択」の問題ではないでしょうか。

(1)資本主義の暴力性(自由度)を抑制すれば、人や企業の活力は停滞する
   ⇒ 社会コストは低下するが経済の活性(インカム)も低下する。

(2)資本主義の自由度を上げ、その弊害のセーフティネットを用意する。
   ⇒ インカムも増加するが社会コストも大きく増加する。

前者を【低値安定型】とすれば、後者は【高値高揚型】とでも言いましょうか。
いずれにせよ、コストとインカムの差の黒字幅はどちらが大きいか。
世界の中で日本の位置付けはどうなるか。
【低値】【高値】どちらが「最大幸福」「最小不幸」となりうるか。

いづれが「正しい」「優れている」かを証明することは不可能でしょう。
「信じて選ぶ」しかないと思います。
バブルのように 無意識のうちに「ズルズル」はまっていくのだけは勘弁してほしいものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):社会的弱者とは  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/29(水) 16:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:

>(1)資本主義の暴力性(自由度)を抑制すれば、人や企業の活力は停滞する
>   ⇒ 社会コストは低下するが経済の活性(インカム)も低下する。
>
>(2)資本主義の自由度を上げ、その弊害のセーフティネットを用意する。
>   ⇒ インカムも増加するが社会コストも大きく増加する。

あなたの図式(命題)に疑義あり。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):社会的弱者とは  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/30(木) 10:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん:
>▼ワン太郎さん:
>
>>(1)資本主義の暴力性(自由度)を抑制すれば、人や企業の活力は停滞する
>>   ⇒ 社会コストは低下するが経済の活性(インカム)も低下する。
>>
>>(2)資本主義の自由度を上げ、その弊害のセーフティネットを用意する。
>>   ⇒ インカムも増加するが社会コストも大きく増加する。
>
>あなたの図式(命題)に疑義あり。


もったいぶらないで、疑義の中身を教えてください。

実はウミサチヒコさんと同様の態度をとられた人との経験があります。
その方とじっくり話し合ってみたら、
最後に判明したのは「選択肢を整理されたことが不愉快」ということでした。

自分が「最善・最高」と信じている方向と 同等レベルの「選択肢が他にもある」ということを認めたくない、ということでした。

まさか、ウミサチヒコさんもそういうことではないでしょうね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):社会的弱者とは  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/28(火) 22:48  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん、こんにちは。


ご説明、とてもよくわかりました。ありがとうございます。自分が
いまなぜ、こんな世の中の、こんな成り行きに、どうしようもなく
腹が立ち、なんとも言うようもなくガマンができないのか、少し、
わかったような気がしました。

各地域の、公立の、小中学校。とくに小学校。これは、近代日本の
宝物ですね。流水さんが、くり返し、くり返し、おしゃってきた
ことが、いま、それでもたぶん少しだけなんだろうと思いますが、
わかったように思います。

そのころの言い方でいえば、東京近郊、郊外の住宅地で育ち、そこの
小中学校、流水さんのおっしゃる坩堝に通っていたので、本当に、
いろんな子がいました。そういった、いろんな子たちのなかで育って
こられたことを、いま、本当に、ありがたく思っています。

それから、もう一つ。かつての(とあえて言いますが)部落差別の
歴史、実態。とくにその実相のところを、いまもう一度、きちんと
勉強し直すということには、とても現代的な意味があるのだと、
お書きいただいたことを読んで、あらためて思いました。

いつも、大切なことを教えていただき、本当に、ありがたく思って
います。本当に、ありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : しまったk2  ■日付 : 05/6/27(月) 21:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:

久しぶりにレスです。

>これをはっきりさせないで、
>「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」
>
>という、「目標」のトップに掲げた文言を議論しても、いまひとつ弱い。
>実際、老人といっても弱者とは限らない、という意見もこちらで見られたほどだ。
>
>「弱者」とは誰を指し、どうやってその「弱者」の暮らしやすい社会を実現していこうというのか。基本的なことではあるが、あまり話しの俎上に上らない。
>
>本来こちらの掲示板のもっとも重要ではないかと思しきテーマを、僭越ながらここに問う。

私は、理屈をこねて、こじつけるのは無意味と考えていますが、この場合文脈上あえて、こじつけてみます。

私は、しがない技術者を任じています。その信条は、3現主義です。つまり、現場で、現実に、現物を観る、ということが技術者です。

その立場で申し上げると、隅田川の堤防の内側、ホームレス、また、金は持っているがグループホームで精神的に「平和」に暮らさせられている老人、足腰が0脚になってバランスが取れない老人、冬に除雪できなくて這い蹲る老人、現場を見ればこのような弱者が老人だけでなく沢山います。

世の中に、そのようにハンディを負った人間がいるという現実を見て、弱者というカテゴリーをつくり、対処しようということでしょう。

と、考えて、ささやかに、皆さんが提言しています。

いまどき、若者には博愛はダサい概念だが、自分が弱者のカテゴリーに紛れ込んだ時、その意味がわかります。しかし、それでは、あまりにも情けない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/6/27(月) 22:22  -------------------------------------------------------------------------
   いろいろと、ご意見有難うございます。

前にも書きましたが、何気なく普段使う言葉一つ取ってみても、案外それを使う人によってその意味合いが微妙に食い違うことは少なくありません。あらゆる言葉というものの、いわば避けられない宿命のようなものとさえ、言えるのでしょうが、それ故に何をどうするの、「何」を少しでも分かりやすく明らかにする作業が無駄であるとは思えず、ぞれでこんな問いかけをした次第です。

さて、私の考えを簡単に述べます。

弱者、というのは大概が経済的弱者、つまり貧乏人、困窮者などとも呼ばれる人々を指すのではないかと、私は思います。年金需給のみを当てに細々と生計を立てる老人などは、ひとつの典型といえるかもしれませんね。弱者が貧乏人という分け方が果たして適当なのかどうかは、取り合えずおいて置きまして、勝手ながらその辺から生ずる私の疑問を以下に述べます。

上のように仮に金に困った人を弱者と呼ぶのならば、老人、障害者、女、子供、こういったカテゴリーに属す人々をイコール弱者と看做すような一部風潮に、私は少なからぬ違和感を持ちます。周知の様に世に、大金持ちで且つ老人と看做される齢の方々は少なからずおり、以下あえて分かりやすく例を挙げるのならば、世界的物理学者のホーキング氏、「女」の流行歌手などは障害を持っていたり、性が女であっても、経済的に弱者であるとは言えないでしょう。
しかし、言うまでもなく上で例示したようなカテゴリーに属する人達が、相対的にそうでない人たちよりも経済的に困窮している割合が多いということは、勿論承知しております。ただ、だからといって、仮に「女は弱者だ」と決め付けてしまうような分類分けをしてしまうのであれば、じゃあ、男であるというだけで皆が皆強者であるという理屈が成り立つものであるのかという、そんな筈はないだろうという思いが、私にはあります。前にも述べましたが、障害者といっても自立心が強く、障害を持たない人と同等に自分の力で人生を切り開こうとしている人が少なからずいることもまた事実なのです。

また、金(生活)に困っているといっても、夫に先立たれた子持ちの未亡人と、放蕩の限りを尽くして借金を山のように拵えて首の回らない「元」金持ちのドラ息子と、同じようなアプローチで手を差し伸べるべきなのかどうか、といった対比はいくらでも見出せます。

単に、「老人だから」「貧乏だから」「女だから」というだけで、弱者であるというレッテルを貼ることは、多様化した人々の暮らしの形態を鑑みますと、短絡的に過ぎると思うのです。ですから、非常に難しいこととは存じますが、救済すべき優先順位の高い「弱者」というのは、やはり本人の努力や姿勢では如何ともしがたい重荷を背負った人ではないかと存じますし、また、たとえば障害を持っていても立派に仕事を持ち自活している人を必要以上に手厚くすることは、本人にも社会にも有意義ではないという気がします。

単に「黒人だから」と、黒人に様々な優遇政策を取っているアメリカで、では黒人が社会的、経済的に高い地位を占めるようになったでしょうか?少しでもアメリカ社会に直に触れたことのある方ならば、本など読まずとも実情は十分肌で感じられることでしょう。
放っておけといっているのでは決してありません。短絡的に過ぎるカテゴライズや度を越した偏った優遇政策は、時として逆に対象とされた方々の相対的な社会的、経済的地位の停滞或いは低下をもたらします。非常にデリケートな問題ではありますが、仮にも「老人党」の看板を掲げる人たちの集団で、これを避けるのは賢明な判断とは言いがたいです。どうか、諸賢のご見識により、多くの人が簡単に納得しうる定義づけをされるのであれば、有意義なことに違いないと、私は思っております。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : peace  ■日付 : 05/6/27(月) 23:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
こんばんは
興味深いスレッドありがとうございます。

>単に「黒人だから」と、黒人に様々な優遇政策を取っているアメリカで、では黒人が社会的、経済的に高い地位を占めるようになったでしょうか?少しでもアメリカ社会に直に触れたことのある方ならば、本など読まずとも実情は十分肌で感じられることでしょう。
>放っておけといっているのでは決してありません。短絡的に過ぎるカテゴライズや度を越した偏った優遇政策は、時として逆に対象とされた方々の相対的な社会的、経済的地位の停滞或いは低下をもたらします。非常にデリケートな問題ではありますが、仮にも「老人党」の看板を掲げる人たちの集団で、これを避けるのは賢明な判断とは言いがたいです。どうか、諸賢のご見識により、多くの人が簡単に納得しうる定義づけをされるのであれば、有意義なことに違いないと、私は思っております。

一言で弱者と言っても簡単に分類できるわけでは無いと思います。老人、女性、子供、障害者、黒人のように「結果的に」弱者に甘んじなければいけない立場の人たちがいますが、それは「結果」であって「原因」ではないでしょう。

何らかの原因で弱者になり得る人、たとえば
身体的に障害を持っている、
ある能力において人よりも劣っている、
被差別によるもの、等、
原因は様々では無いでしょうか。
その「結果」、金銭的に弱者になったり、自立して生活してゆけなかったりするのではないでしょうか。

仰られるように無理矢理、弱者をカテゴリー分けして救済したりするのは反対ですが、(部落差別問題を思い出しますね。)
私はそういった事をするのではなく、弱者となり得る立場の人たちに対してその「原因」をなるだけ取り除いてやることが
「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」
の意味だと解釈しています。

たとえば
老人が弱者だと言って減税するよりも、介護制度を充実させることを優先すべきでしょう。

すみません。ご理解いただけましたでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/28(火) 14:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>いろいろと、ご意見有難うございます。
>
>前にも書きましたが、何気なく普段使う言葉一つ取ってみても、案外それを使う人によってその意味合いが微妙に食い違うことは少なくありません。あらゆる言葉というものの、いわば避けられない宿命のようなものとさえ、言えるのでしょうが、それ故に何をどうするの、「何」を少しでも分かりやすく明らかにする作業が無駄であるとは思えず、ぞれでこんな問いかけをした次第です。
>
>さて、私の考えを簡単に述べます。
>
>弱者、というのは大概が経済的弱者、つまり貧乏人、困窮者などとも呼ばれる人々を指すのではないかと、私は思います。年金需給のみを当てに細々と生計を立てる老人などは、ひとつの典型といえるかもしれませんね。弱者が貧乏人という分け方が果たして適当なのかどうかは、取り合えずおいて置きまして、勝手ながらその辺から生ずる私の疑問を以下に述べます。
>
>上のように仮に金に困った人を弱者と呼ぶのならば、老人、障害者、女、子供、こういったカテゴリーに属す人々をイコール弱者と看做すような一部風潮に、私は少なからぬ違和感を持ちます。周知の様に世に、大金持ちで且つ老人と看做される齢の方々は少なからずおり、以下あえて分かりやすく例を挙げるのならば、世界的物理学者のホーキング氏、「女」の流行歌手などは障害を持っていたり、性が女であっても、経済的に弱者であるとは言えないでしょう。
>しかし、言うまでもなく上で例示したようなカテゴリーに属する人達が、相対的にそうでない人たちよりも経済的に困窮している割合が多いということは、勿論承知しております。ただ、だからといって、仮に「女は弱者だ」と決め付けてしまうような分類分けをしてしまうのであれば、じゃあ、男であるというだけで皆が皆強者であるという理屈が成り立つものであるのかという、そんな筈はないだろうという思いが、私にはあります。前にも述べましたが、障害者といっても自立心が強く、障害を持たない人と同等に自分の力で人生を切り開こうとしている人が少なからずいることもまた事実なのです。
>
>また、金(生活)に困っているといっても、夫に先立たれた子持ちの未亡人と、放蕩の限りを尽くして借金を山のように拵えて首の回らない「元」金持ちのドラ息子と、同じようなアプローチで手を差し伸べるべきなのかどうか、といった対比はいくらでも見出せます。
>
>単に、「老人だから」「貧乏だから」「女だから」というだけで、弱者であるというレッテルを貼ることは、多様化した人々の暮らしの形態を鑑みますと、短絡的に過ぎると思うのです。ですから、非常に難しいこととは存じますが、救済すべき優先順位の高い「弱者」というのは、やはり本人の努力や姿勢では如何ともしがたい重荷を背負った人ではないかと存じますし、また、たとえば障害を持っていても立派に仕事を持ち自活している人を必要以上に手厚くすることは、本人にも社会にも有意義ではないという気がします。
>
>単に「黒人だから」と、黒人に様々な優遇政策を取っているアメリカで、では黒人が社会的、経済的に高い地位を占めるようになったでしょうか?少しでもアメリカ社会に直に触れたことのある方ならば、本など読まずとも実情は十分肌で感じられることでしょう。
>放っておけといっているのでは決してありません。短絡的に過ぎるカテゴライズや度を越した偏った優遇政策は、時として逆に対象とされた方々の相対的な社会的、経済的地位の停滞或いは低下をもたらします。非常にデリケートな問題ではありますが、仮にも「老人党」の看板を掲げる人たちの集団で、これを避けるのは賢明な判断とは言いがたいです。どうか、諸賢のご見識により、多くの人が簡単に納得しうる定義づけをされるのであれば、有意義なことに違いないと、私は思っております。

私も法の下で働いておりましたので定義論はイヤと言うほどしました。もううんざりです。あなたのようなユニークな定義論には出会ったことがありません。
よって、老人党はあなたに学位を授与します。屁理屈学博士号を授与します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/6/28(火) 15:28  -------------------------------------------------------------------------
   安本単三

>もううんざりです

私もあなたの不毛な言いがかりには、うんざりしています。
あなたが定義論を否というほどしたら、うんざりだとしたら、それで何だというのでしょうか?なんですか、「屁理屈学博士号」って?何様のつもりなんでしょうか?インターネットだから、別段自分に向けられた言葉でもないのに、こういうくだらない言葉を浴びせても平気な男が「嫌と言うほど」議論したといわれても、その内容たるや推して知るべしですな。

あなたこそ、単なるアンポンタンでしかありません。
「私も法の下で働いておりました」って、ヤクザでもあるまいし、誰だって
「法の下」で働いておりますよ。たかが掲示板で俺は法曹界に明るいんだとでも自慢したいんですか?どうでもいいですが、まさしくアンポンタンに違いないですね。

二度と構わないように。
あなたの言葉は、不愉快極まりありません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/28(火) 16:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>安本単三
>
>>もううんざりです
>
>私もあなたの不毛な言いがかりには、うんざりしています。
>あなたが定義論を否というほどしたら、うんざりだとしたら、それで何だというのでしょうか?なんですか、「屁理屈学博士号」って?何様のつもりなんでしょうか?インターネットだから、別段自分に向けられた言葉でもないのに、こういうくだらない言葉を浴びせても平気な男が「嫌と言うほど」議論したといわれても、その内容たるや推して知るべしですな。
>
>あなたこそ、単なるアンポンタンでしかありません。
>「私も法の下で働いておりました」って、ヤクザでもあるまいし、誰だって
>「法の下」で働いておりますよ。たかが掲示板で俺は法曹界に明るいんだとでも自慢したいんですか?どうでもいいですが、まさしくアンポンタンに違いないですね。
>
>二度と構わないように。
>あなたの言葉は、不愉快極まりありません。

ハイ、私はアンポンタンです。技官でしたから法曹界には明るくないです。関西ではアンポンタンは誉め言葉です。光栄の極みでございます。
各法には、冒頭に定義というのがございます。しかし厳密に定義してもその解釈をめぐり検事と弁護士で論争することなどはしばしばあり、ミステリー映画・TVでみなさま、ご承知のとおりです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/28(火) 16:43  -------------------------------------------------------------------------
   風鈴カザンさん

あなたは、キタキツネさんがちゃんとした論を書いておられるのに、それには反論せず、自己主張ばかりで、障害者の有名人を引き合いに出したりして話をこねくり回す。それで過剰反応しただけです。

私の近親に小児麻痺の障害者がおり施設にいるんです。
小児麻痺の障害者は、はじめから人生をあきらめていたから感謝、感謝の日々。
中には無謀スキーなどで全身不随者もいる。・・・自己責任といえるか?。
事故による半身元気の障害者が我がままで困ると言っていました。怒鳴る、セクハラ、等々。若い女性の介護士さんが一年と持たず止めていく。・・これが実体のようです。

風鈴カザンさん・・良いスレッドを起てていただき、ありがとうございます。流水さんの話も聞けました。失礼しました。




 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : J.I  ■日付 : 05/6/28(火) 4:49  ■Web : http://homepage2.nifty.com/arp/  -------------------------------------------------------------------------
    僭越ながら「マトレス」・・・弱者・それぞれの有る場所
で変わってきますね。私は自転車でそこらじゅう走っています。
自転車って人に対しては「交通強者」ですが自動車に対しては
「交通弱者」です・・だから?横浜の或るところで・歩道上の
交通信号で・というか普通は歩行者用に信号を制御する押しボ
タン・・歩行者用・という表示がありますがそこは「交通弱者用」

 老人党で言う弱者・確かに老人にも「強者」いらっしゃいますし、
・・名前は挙げませんが・・・

 私は老人での弱者って、もうその意思を「介護者」に考慮して
貰えない老人・・ 幼児の場合などもそうですね・・・

 いま「高齢者虐待」が問題になっている一方、「幼児虐待」も
・これ、「同根」なのでは?・・どちらも介護側、保育、保護側
の都合で仕切られているのではないでしょうか?

 高齢者介護について言えばこんどの介護保健制度改正の目玉
「介護予防?予防介護?」なんてその最たるもの・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/28(火) 15:44  -------------------------------------------------------------------------
   「定義」はなるべく簡潔のほうがよろしいかと思います。

『弱者』とは、
「自らの手では解決できない生活上の問題に苦しんでいる人」

ではいかがでしょうか?

ですから、他人が「弱者」と見なすような境遇の人でも、
本人が「苦しんで」いなければ弱者ではないということ。
(最近会社で、若い人が力仕事を「それ私がやります」と私から取り上げるのは、トテモ不愉快になる時がある・・・というようなこと)

ここで問題なのは、
(1)解決できないフリをして楽をしようとしている人
(2)解決できないと安易にギブアップしてしまっている人
(3)解決できなくなったのは「自己の責任(怠慢など)」が主因である人

そして、これを「誰がどうやって判定するか」が難しい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ワン太郎さん  ■名前 : 杉本 知昭  ■日付 : 05/6/28(火) 16:19  -------------------------------------------------------------------------
   こんにちは!

おひさしぶりでございます!

小気味の良い“ワン太郎節”は、やはり

健在でござりまするなぁ〜!

さて、誰が判定するか?との疑問ですが、

素人考えでは、「精神科医」が適切ではと

思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ワン太郎さん  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/28(火) 16:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼杉本 知昭さん:
>こんにちは!
>
>おひさしぶりでございます!
>
>小気味の良い“ワン太郎節”は、やはり
>
>健在でござりまするなぁ〜!
>
>さて、誰が判定するか?との疑問ですが、
>
>素人考えでは、「精神科医」が適切ではと
>
>思います。

医療従事者の中で精神科医と心理療法士の自殺率が最も高いと聞いています。これを弱者と呼ぶかどうかは別ですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):ワン太郎さん  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/28(火) 18:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼安本単三さん:
>▼杉本 知昭さん:

>>素人考えでは、「精神科医」が適切ではと
>>
>>思います。
>
>医療従事者の中で精神科医と心理療法士の自殺率が最も高いと聞いています。これを弱者と呼ぶかどうかは別ですが。

私の定義では「自らの手では解決できない」「苦しんでいる」ですから、
当然「弱者」であります。

しかし、誰が救済するか・・・「坊さん」かな?(真面目な回答です)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ワン太郎さん  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/6/28(火) 17:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼杉本 知昭さん:
>こんにちは!
>おひさしぶりでございます!
>小気味の良い“ワン太郎節”は、やはり
>健在でござりまするなぁ〜!

ありがとうございます。
おだてにカラッキシ弱いワン太郎です、頑張ります! ワンワン!!


>さて、誰が判定するか?との疑問ですが、
>素人考えでは、「精神科医」が適切ではと思います。

ナルホド、しかし「偏り」が出てしまうのじゃないですか?

私は、色々な職業を経験した「老人」と「血気盛んな若者」を構成メンバーとした
(税金をたくさん払っている人間は「目が曇る」と思うから)
判定委員会を各地域に設置する。

というようなアイディアなんですがね。
当然、そのメンバーに「老・精神科医」は大歓迎であります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 先生にお出まし頂き、解説願いたいな  ■名前 : ニッチモサッチモ  ■日付 : 05/6/28(火) 18:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
問題提起、いや、いつもいつもご苦労さん。
事程左様な塩梅で人が沢山(かどうかは不詳)集まってるというのも、偶然かな。
必然かな。アバウトのお陰かも知れぬ。
今回の提起はかの人権擁護法案における「人権」の定義自体モヤモヤゆえのスッタモンダに相似している。
ここは一つ、是非になだ氏から直々、こうなのだ、と解説して欲しい処。
みんなで詮議するよりその方がずっと早い。思想・意思統一の為にも。

オマケ:
共産主義社会における弱者ってどのようなものなのだろうか。
思わず連想を逞しくしちゃう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):先生にお出まし頂き、解説願いたいな  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/29(水) 10:42  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ニッチモサッチモさん:

>共産主義社会における弱者ってどのようなものなのだろうか。
>思わず連想を逞しくしちゃう。

奥歯にものを挟められなくとも。

共産主義は政権を奪取するまでは、労働者・農奴など弱者の力を結集したが、政権を奪取してからは、党を中心とした特権階級を形成し、弱者労働者・農民を搾取・支配した。スト権も認められなくなった。

その後、ソ連では、ペロストロイカが起こり、資本主義へ移行し、東欧・中央アジア各国の独立・資本主義国化を誘発した。政治形態はおおむね普通選挙制へ移行したが、強権体制の残っている国もある。

共産主義体制を厳密に残しているのは、北朝鮮、中国、ベトナム、キューバである。このうち中国、ベトナムが政治独裁のまま経済を資本主義化している。これらの国で、確実に弱者と言われるのは多くの農民達であろう。
キューバについてはよく知らないが、自給自足で、等しく慎ましく、文句ある奴は米国に逃げて行けという政策らしい。

我が国においては、労働意欲があるのに派遣扱いなどが弱者と言えるだろう。
コシヒカリブランド生産農家も、高関税率を下げたら、確実に弱者に転落する。

共産主義に対抗し、中産階級論・中間階級論というのがあり、中間階級が大半を占めると国家は安定すると高校で教わった(この先生=日教組)。80年代の後半に、我が国もそのようになった(そう錯覚した?)。一億総中流などと言われた。しかしバブルは崩壊し、儲ける人と儲けない人の格差は広がった。さらにそれに仕えている労働者の待遇も一変した。
行きつけの量販店が潰れた。親切だった売り子の兄さん、今頃どうしてるだろう。こういう人も弱者であろう。

今日、日本の政府に求められているのは、官僚統制型の経済ではなく、自由競争を進める一方で、野球に例えればバックネットのような安全装置を作ることだろうが、具体的には、Gokaiさんなどが詳しいのでわたしの下手な話は述べない。

わが国の共産党については中身を知らない。どの政党のHPもオールきれい事。
それに比べ自民党は、内輪もめみたいなみたいなものがよく見える。最初から手打ちが決まって居る劇は見るのもあほらしいのだが、ニュースの途中で、そこだけスイッチ切るのも面倒だ。

共産主義の言葉が出たので、一言。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : しまったk2  ■日付 : 05/6/29(水) 22:20  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>これをはっきりさせないで、
>「いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる」
>
>という、「目標」のトップに掲げた文言を議論しても、いまひとつ弱い。
>実際、老人といっても弱者とは限らない、という意見もこちらで見られたほどだ。
>
>「弱者」とは誰を指し、どうやってその「弱者」の暮らしやすい社会を実現していこうというのか。基本的なことではあるが、あまり話しの俎上に上らない。
>
>本来こちらの掲示板のもっとも重要ではないかと思しきテーマを、僭越ながらここに問う。

もう一度、やぶ睨みで云わせて下さい。どうも、皆さんの議論は、演繹的でわかりにくく、論理的にかみ合っていません。つまり、前提や、プロセスに大きなズレを抱えて議論にならない議論をしているように見えます。

演繹的な議論というのは、自分に通じた根拠で、定理、真理を決めつけた上で、論理を展開しているので、一見は、論理的に見えるが、前提を疑うと、殆ど、思考停止と見える。

私は、現代的な弱者の定義には、デジタルデバイドによる弱者が、最もふさわしいと思っています。つまり、情報の受信発信力が弱いか、無い人達が弱者と云っていいのではないか、ということです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/3(日) 20:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>「弱者」とは誰を指し、どうやってその「弱者」の暮らしやすい社会を実現していこうというのか。

現実を見れば自ずと明らかである。
国家税収は43兆円である。この中から力の強い者が先にカネ(予算)を取っていく。世は民主主義と言いながら、国民の99%が知らないのが軍人恩給である。誰が月幾ら貰っているのか全く分っていない。60年も前に終わった戦争でありながら、未来永劫に続くのが軍人恩給の支給である。なぜ、こんなことになったかと言えば軍人が戦争の責任を取っていないからである。かっての犯罪者が今や貴族である。
悪い奴ほど栄える。これが日本である。この場合の弱者は民間人である。社会的弱者は、国のために闘った軍人に感謝せよと、頼みもしないことを強要される。世界の七不思議でもある。

年金問題も同じである。全体の予算は一定である。80歳の共済年金、厚生年金取得者は、年金保険料の何千倍も貰っている。1970年ごろの初任給は2万円くらいである。保険料は月千円くらいである。それが、今や30万円の厚生年金である。3000倍の支給である。軍人恩給が加算されれば40万円になる。まさに年金貴族である。財源が一定なのに、既得権益者が先にカネを取れば、後の者は当然少なくなる。この場合の社会的弱者は若者、後世の世代である。

これだけやりたい放題では、日本人も消極的レジスタンスを起こす。止むをえないことである。これ、すなわち少子化である。すべては、黒い糸で巧妙に結ばれている。極め付きは小泉構造改革である。民主党も敵前逃亡するようでは、ナンミョウホウレンゲンキョウと唱えた方がよろしいかな。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : 秋明菊  ■日付 : 05/7/4(月) 15:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

>これだけやりたい放題では、日本人も消極的レジスタンスを起こす。止むをえないことである。これ、すなわち少子化である。すべては、黒い糸で巧妙に結ばれている。極め付きは小泉構造改革である。民主党も敵前逃亡するようでは、ナンミョウホウレンゲンキョウと唱えた方がよろしいかな。

経済的にはまずまずでも、身体・精神の弱った老人は弱者だと思います。
近頃、お金と家を持った高齢者のリフォーム詐欺がメディアを賑わせています。

それと共に、フリーターも経済的弱者だと思います。

 - - 中日新聞 6/28 夕刊 「少子化招くフリーター」より抜粋 - - 

○'92〜 正社員とフリーターだった男性の未婚残存率(樋口美雄教授調査)

           [正社員]      [フリーター]

  25歳       91%         97%

  30歳       60%         84%

  33歳       29%         65%

○厚生労働省の調査では、15〜34歳で年収100万円未満

  [正社員] …… 2.2%    [フリーター] …… 56.2%

○経済のグローバル化によって人件費削減、利益拡大が企業の最重要課題となり
  正社員削減に血道を上げてきました。
 その結果、企業業績は急速に回復してきました。

○そのツケが、少子化の有力な原因になっているとも言えるようです。

  - - - - - - 以上、引用終わり - - - - - - - - -

フリーターは、400万人を超すそうです。
「政官財栄えて 国(民)滅ぶ」なんて事になるかもしれないですね。

国を将来とも栄えさせたいのなら、いわゆる弱者が安心し、生活し易い世の中を
目指す事が重要だと思います。

貧富の差を極力無くす。社会保障を充実させる。

最低賃金を高くする。高給取りからは、高率の税金を取る。

莫大なお金を持っていたって、人間死ぬまでに遣えるお金なんてたかが知れて
います(ギャンブラーなどを除いて)。

沢山のお金を子孫に残すと、その遺産を巡って残された者がケンカします。
若貴だけでなく身近な人達からも、その為に兄弟の縁を切った話はよく聞きます。

今の政治のあり方、財界のあり方、そして、見張り役の司法さえ強者の味方の
ような気がします。

強者より、その他の人々が圧倒的に多いという事。
強者は、その他の多くの人々により、活かされているのだと言うことに早く気が
ついて欲しいものです。感謝の気持ちを込めて!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):老人党がいう、「弱者」とは誰のことなのか?  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/4(月) 19:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼秋明菊さん:
>▼たけチャンさん:


>強者より、その他の人々が圧倒的に多いという事。
>強者は、その他の多くの人々により、活かされているのだと言うことに早く気が
>ついて欲しいものです。感謝の気持ちを込めて!

その通りかと思います。
今日はイオンの映画館で「宇宙戦争」を見てきました。
人間より文明が高度に発展した宇宙人が突然人間を襲うストーリーでした。
人類が絶滅するのかと見ていたら、意外な結末が待っていた。
宇宙人が地球の細菌に犯されて死んで行くというものであった。
一枚の葉っぱには、眼には見えないが、100万種以上の微生物が生きていると本に書いてあった。科学では100万種の微生物は特定できない。分っていることは、100万種の微生物のバランスの上に、植物が繁殖して、さらには動物もその植物を食して生きているということである。

農業技術はややもすると一時的な利益のために、農薬を散布して、100万種の微生物を根こそぎ殺してしまう。農薬の効きが切れると、外から微生物とか細菌が進入してくる。その時には従来の自然なバランスが崩れている。自然のバランスが崩れると、多くの場合人間にとって良くない結果となる。科学技術が如何に進んでも、自然から学ぶことが多いように思う。同じように、人間の歴史も良いものが残り、駄目な物は淘汰される傾向がある。この良い意味の伝統に政治家も学んでほしい。

小泉首相に最も欠けている言葉は、思いやり、民を慈しむ心、すなわち西欧的に言えば「愛」である。孔子が今生きておれば、次の言葉を贈ったでしょう。
「巧言令色少なし仁」と。優れた言葉は、2500年以上も人々の心に残っている。
しかし、馬の耳に念仏でもある。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : こら、こらーっ  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/7/4(月) 22:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

>今日はイオンの映画館で「宇宙戦争」を見てきました。
>人間より文明が高度に発展した宇宙人が突然人間を襲うストーリーでした。
>人類が絶滅するのかと見ていたら・・・


あーぁ、全国にはまだこの映画を見てない人がいっぱい居るってのにー・・・

結末バラしてどーすんの、責任とって、しばらく黙っててくれ。

大体つまらんことしゃべりすぎだよ、あんた。

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