Page 411 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼「自然力」森林の果たす役割を考える。 珍 源斎 05/6/7(火) 10:02 ┣Re(1):森林涵養の果たす役割を考える。 珍 源斎 05/6/7(火) 19:01 ┃ ┣Re(2):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 珍 源斎 05/6/8(水) 12:00 ┃ ┃ ┣Re(3):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 月光仮面のおじいさん 05/6/9(木) 7:54 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 珍 源斎 05/6/9(木) 9:33 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 月光仮面のおじいさん 05/6/10(金) 7:58 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 珍 源斎 05/6/10(金) 12:57 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 月光仮面のおじいさん 05/6/11(土) 7:55 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 珍 源斎 05/6/11(土) 10:05 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 月光仮面のおじいさん 05/6/12(日) 7:19 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 珍 源斎 05/6/12(日) 8:31 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):国土保全は子孫への義務ODAに並ぶ価値有り 月光仮面のおじいさん 05/6/12(日) 16:35 ┃ ┃ ┗Re(3):廃材木や生ゴミ残飯からプラスチックの生産が可能! 珍 源斎 05/6/12(日) 12:29 ┃ ┃ ┣[管理人削除] ┃ ┃ ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/7/6(水) 16:14 ┃ ┃ ┣Re(4):稲の籾殻からハイテク素材! 珍 源斎 05/7/7(木) 16:07 ┃ ┃ ┗Re(4):石油を原料とする合成樹脂るいは! 珍 源斎 05/7/8(金) 13:55 ┃ ┗Re(2):食料供給力の強化。 珍 源斎 05/7/10(日) 17:33 ┣「森林の涵養」を水を守るという観点から・・ キタキツネ 05/6/9(木) 18:37 ┣Re(1):森林を守ることは表土保全に通じる! 珍 源斎 05/6/20(月) 10:06 ┣GMO(遺伝子組み換え作物)について キタキツネ 05/6/21(火) 14:00 ┣Re(1):「自然力」森林・故人からの手紙(1) 高橋 05/7/5(火) 22:12 ┣Re(1):「自然力」森林・故人からの手紙(2) 高橋 05/7/5(火) 22:21 ┣Re(1):「自然力」森林・故人からの手紙(3) 高橋 05/7/5(火) 22:31 ┃ ┣Re(2):「自然力」森林・故人からの手紙(3) たけチャン 05/7/6(水) 0:45 ┃ ┗Re(2):「自然力」森林・故人からの手紙(3) 珍 源斎 05/7/6(水) 9:37 ┗手入れされた人工林は美しい 珠 05/7/6(水) 0:40 ┣Re(1):手入れされた人工林は美しい 珍 源斎 05/7/6(水) 16:06 ┃ ┗Re(2):手入れされた人工林は美しい こんぺいとう 05/7/7(木) 18:16 ┃ ┗Re(3):手入れされた人工林は美しい 珍 源斎 05/7/8(金) 13:17 ┣Re(1):手入れされた人工林は美しい 高橋 05/7/7(木) 18:39 ┗Re(1):手入れされた人工林は美しい キタキツネ 05/7/7(木) 18:50 ┣今、将来の森の在り方を問われていると思います。 peace 05/7/7(木) 18:54 ┗Re(2):手入れされた人工林は美しい 珠 05/7/7(木) 19:30 ┣Re(3):手入れされた人工林は美しい キタキツネ 05/7/7(木) 20:02 ┃ ┣Re(4):手入れされた人工林は美しい キタキツネ 05/7/8(金) 8:52 ┃ ┗Re(4):手入れされた人工林は美しい peace 05/7/8(金) 10:09 ┗Re(3):手入れされた人工林は美しい peace 05/7/7(木) 22:22 ┗Re(4):手入れされた人工林は美しい キタキツネ 05/7/8(金) 13:49 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 「自然力」森林の果たす役割を考える。 ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/6/7(火) 10:02 -------------------------------------------------------------------------
古代文明の多くは、その周囲から緑(森林)が消えると例外なく消滅してます。 古代文明ならずとも、周囲の森林がう失せると共に文明や文化力が低下して、 人間の営みさえも悲惨な末路をたどる事は歴史の中には幾たびとなく繰り返す ようにきざ刻まれてます。 近年の自然科学や関連する環境問題からせいめい生命が森林の営みを支えてる 連鎖の大元である 微生物やら昆虫や虫たちの生産(創造)力に一重に依存してると云う現実が ようやくにして視野に入り理解へのみち途が拓けつつある段階です。 彼らこそが総ての動植物の生命の源です。 「うかつ」にも我々はきんねん近年までそれらの事が理解することがで きませんでした。 春先に北海道の沿岸には海がも盛り上げるように産卵のためにお押しよ寄せてたニシンの大群がある時期を境に消えてしまったことを、その原因として初めに 材木として山の森林を伐採した事による因果関係に気付き指摘した人を 「変人扱い」するなど、・ 今にして思えば無知の恐ろしさが身にし染みるところ処です・・。 その後、全国的に森を再生して昆布や、牡蛎の海を取り返した話はテレビや 新聞報道でも紹介されて、今では常識にもなってますが・・・。 雪が豊年、豊作のきざ兆しなどの言い伝えも山のきぎ樹木と雪の相互協力により 山の生産力が向上することで、雪が山肌を優しく包むとき、 それに抱かれた木々や森の土壌の中の生命群が活賦して栄養塩類を生産して、 それが川筋から田畑、そして海まで豊かにするからにほか他ありません。 その森も人間の都合で植林した杉や檜の単一種でなく、広葉樹、落葉樹、針葉樹、木の実や、山葡萄、等々山の獣たちも飢えさせないような多様性に富んだ森の山が 人間に対しても豊かな水の提供や緑のダムならぬ保水力豊かな自然の恩恵として 好ましい形での循環が保障されることになります。・・・ お米を作る、稲作も毎年、たんぼ田圃に水を引き込みますが、その水に含まれるミネラル栄養塩類が米の持つ豊かでバランスの良い独特のこくもつ穀物として 特色の裏付けてます。 そのたんぼ田圃も単一種(稲)の多年、永年の連作にも土壌の疲弊や塩害なども 生じないこと等々、日本の国土は稲作と山の森林がお互いに協力し合い世界中で まれ稀にみる程の自然環境と稲作文化圏を形成してきたことは誰でも認める処です・・。 |
日本列島は世界でも有数な山森林をもつが山から平野を通り 海へ注ぐ関東平野の利根川や越後平野の信濃川などの一部な河川以外は 急峻なものが多く緑のダムならぬ山森林の保水力を維持するためには、 森林涵養の手入れが欠かせない、国内の木材が輸入材に押されて 多くの山林が放置されて荒れが目立つようになっている。 山林は適度の間伐により下草が繁茂する条件を整えれば保水力は 数十倍を超えて増加するとのこと、保水力の増加による恩恵は 資源としての水の供給に役立つだけでなく、田畑の作物を豊作に 導いたり、海に流れ下ると、沿岸の魚介類、海草類、沿岸養殖の 牡蛎などの増殖にも効果があると云う。 更に森林が二酸化炭素を固定した上に大量の酸素を放出するので 環境を改善するのに大きな役割を担うことにもなる。 ただ、現在では森林涵養に関わる人たちの高齢化や産物の直接的な 現金化も難しいことも上げられるので、 この辺りは国家としての施策が何としても必要である。 間伐材のエネルギー源としての諸々の試みもあるが、未だ散発的な 範囲を出てないようである。 極論であるがドル紙幣やマネーを集めて貯めるより、森林涵養して 森林力として貯蓄する方が子孫の為になるように思える。 若者には乾いた砂漠のような都会でニートや引き篭もり生活する より森林涵養に関わる仕事を創りそれに従事することで新たな 生き方を提供することにもなるのではないか? 山仕事の重労働になる部分については新しい機械力を開発して それにあてる・・。仕事をし易い環境づくりも併せて実施する。 森林涵養に関わる仕事は価値あるコトとする認識と共に国の 重要施策としての明確な位置づけを図り・人気をも持たせた 仕事になるようにする。 |
縄文時代の日本列島は豊かな森の国であったそうな! 日本の近代化も豊かな森が有ったから成し得たことのように 思える。 「国敗れて山河あり」も山に豊かな森があり其処から 流れ出流「いずる」生命力を宿す清純ながあったことの イメージを彷彿させる・・・・。 国際貢献も大切なコトと思うが、それに増して次世代・子孫 に対する配慮と貢献についても考えねばならぬ。 国際社会への配慮以上に「自国の国土保全」と子孫への 配慮の方が優先順位が上のように思えるが・・・・?。 |
珍源斎さま 緑を守ること、とても素晴らしいことです。ある地域では税金の一部をこのような保全活動に使うこともなされています。 私はそのような緑の保全活動に参加しているのですが、緑地を守れと叫びながら、運良く市町村で買い取ったとして、その後の保全費用が買取費用より何十倍か掛かるのです。夏草の下草刈り、倒木処理、台風で傷んだ土地の修復、それを誰かがやらなくては成らないのです。 美しい山河は誰かの手で手入れがなされています。多くは市町村の税金でまかなわれているのでしょう。なにか箱物を作る思想に似ています。一見素晴らしいことなのですが、「後の管理はよろしくね」と保存活動をしている人も思うかも知れません。公民館を建てる発想と似たところがあります。 私はこのような保存が莫大な負債を持つことを含め、ただただ良いことをしていると言う発想からだけでは禍根を残す現状を見ています。 保存を考えるのなら、その後の手入れにも義務があります。その議論が飛んでしまい、人任せで終わるのなら、こんな無責任はありません。 我々にも覚悟があってこそ、保存の運動は成り立つのです。その点いやな現実があることを忘れては成りません。 悪意はなくても、箱物を作ることが出来ないなら、一見美しい緑地保存活動が第2の公共事業である一面を持つことを見逃しては成らないと、実感している日々です。 |
月光仮面のおじいさん様 お久ぶりです。お元気でしたか? >緑を守ること、とても素晴らしいことです。ある地域では税金の一部をこのような保全活動に使うこともなされています。 国の費用「税金」でもって国家的な事業として大規模に取り組むべき コトであると云うのが私の提言です。 >私はそのような緑の保全活動に参加しているのですが、緑地を守れと叫びながら、運良く市町村で買い取ったとして、その後の保全費用が買取費用より何十倍か掛かるのです。夏草の下草刈り、倒木処理、台風で傷んだ土地の修復、それを誰かがやらなくては成らないのです。 森林保全や涵養は国民一人一人が強い意志をもって取り組まねば なりません。それらの事業に直接参加できない人でもあらゆる手段にて 応援する必要があります。 倒木の処理にしてもバイオ的に利用する方法、燃料として効率的に 利用するコト等々、国民的なレベルにて知恵を結集すれば途は拓ける のでないでしょうか? 岩手県の取り組みにも暖房燃料に使うシステムがあると聞いた コトがあります。大学などの研究機関でも倒木や間伐材を活用する 研究があるようです。 それらを結集する国を挙げての取り組みになれば・21世紀の テーマ二酸化炭素の排出抑制や環境問題への対応になります。 >美しい山河は誰かの手で手入れがなされています。多くは市町村の税金でまかなわれているのでしょう。なにか箱物を作る思想に似ています。一見素晴らしいことなのですが、「後の管理はよろしくね」と保存活動をしている人も思うかも知れません。公民館を建てる発想と似たところがあります。 箱ものと云われてるものは、建設費以上に維持経費や消却に 費用を要し仰有るように負債として莫大なモノが残るでしょう。 森林の保全や環境保全には国土の潜在力を高めることで 資産を積み増すコト貯蓄をするようなもので、マネーの形で 残すものとは根本的に異なります。 日本に本来あった自然を取り崩して「貯蓄を切り崩して」今日の 発展?があったのではないかと思えます。 下記にお述べになってることは現実問題とも思われますが、 そこで発想の転換をせねばならぬこと、自然環境が金銭に代えられない 価値を持ってることの認識を持たねばなりません。 環境の劣悪に陥ってる国の人々の苦難を見聞きすればこれ以上の 説明は不要です。<旧社会主義国に多く観られる> >私はこのような保存が莫大な負債を持つことを含め、ただただ良いことをしていると言う発想からだけでは禍根を残す現状を見ています。 >保存を考えるのなら、その後の手入れにも義務があります。その議論が飛んでしまい、人任せで終わるのなら、こんな無責任はありません。 >我々にも覚悟があってこそ、保存の運動は成り立つのです。その点いやな現実があることを忘れては成りません。 その覚悟のレベルを全国民的なものにせねばなりません。 環境税のような財源もその覚悟の一端として受け入れるコトも 必要になります。 今では公共事業がネガテイブなイメージですが、本来の公共事業は そのようなものでないはずです。 国民の健康や未来・次世代への夢にもなることです。 都会砂漠で生命を削るように生きてる人や、将来への夢を無くしてる 若者たちへの取り組むべき方向性を提供することになります。 要は金銭レベルに留まらない価値の再認識と環境と私たちの 生活は「金銭レベル」と「環境の潜在生産力」は単式簿記的な考え方 見方では無く、複式簿記的な視点で捉えれば発想の転換に 役立つはずです。 経済活動も環境を度外視しては成り立たぬ時代にあります ことからも、一人一人の価値観にも変革を迫られてるように 思えます。 |
珍源斎さま いつも、楽しいやりとりありがとうございます。 今回の話は、実際に活動をやりながら、思うところが多いので書かさせていただきました。 森林などの荒廃は、人為的なものでは有りますが、炭の需要減少からくる潅木の手入れがなされないこと。輸入木材の大量使用による材木の需要減少、コメの供給過剰による田畑の荒廃など、日本人の大きな生活環境変化に関係しているものです。 そしてこれは時代の変化として受け入れざるを得ないことと認識しています。 国土保全の名の下に大量の税金が投入される過去の方法は疑問があるのです。 例えば、緑を守るのなら、まずは珍源斎さまがまずご近所の方々とともに現地に赴き、自らの手で汗をかくことをお奨めします。そのような運動を始めてこそ、初めてその後の進展があると認識しています。 他の誰かがやってくれるなどと考える思想そのものが、わが国の最大の問題点だと思うのです。 我々の出来ることは、自らの地域は自ら自身で守ることを強く引っ張っていくことでしょう。その仕組みつくりこそ使命と感じます。 金を消費することより、人的パワーを組織化して、自分自身で地域に貢献するようにしたいものです。 今回は判り易くするため、珍源斎さまには不快に思われることも多いかと思いますが、あくまで判っていただくためのものです。お許しください。 貴方のことではありませんが、駄々っ子が物を買って欲しいとただただ、泣き叫ぶような子供じみた投稿は気が滅入るものですね。受益者の権利だけを強調する姿勢に大人に成り切らない姿が多いと感じることがありました。 自分自身が世の中にどのように役に立てるかと考えるのが私の理想と感じています。 |
月光仮面のおじいさん 様 おはようございます。 仰有ることは良く解ります。 私の申し上げたいことは、地球の環境的な限界や、日本の国土と環境 面からそれの回復を図ることについての提言です。 それに伏線としては日本の国家予算を費やす方向付けについての ことにあります。税金の無駄使いは我々の視野に入らない処で 莫大なものが費やされてます。 それを少しでも減らす為に今まで収奪を続けてきた日本の森林を 始め国土の回復を図ることに特化して振り向ける必要がある・と 云うことにあります。 それがマネーとしての貯蓄以上に子孫にとって大切に思われる からです。 現在の日本の経済不況はお金が無いからではありません。 お金は有り余ってるにも関わらず、そのお金マネーが有効に 働いてないこと・にあると思います。 金利がゼロに近いのもそれを裏付けてる一面もあります。 一部では国家予算も官僚達は使うのに四苦八苦してるような コトも見受けられます。 大切な処に予算が回らぬパラドックスも見受けられますが。 要は未来への貯蓄、蓄積に人間を含む自然への潜在力の回復、 増大を目指すか・・マネーで残すかのコトであり。 マネーで残しても人々の生活力が低下したり環境が砂漠になって しまうようでは「どうにも」なりません。 文明が興り亡んで行った巨大遺跡などを見るに付けて、それを 感じてしまうからです。 |
珍源斎さま おはようございます。 私の結論は緑を守る運動は素晴らしいことですが、そのためには金を手当てするのではなく、人を手当てすべきと考えます。 これから少子高齢化の時代。人口が少なくなれば便利なところへ人が流れるのは当然と思います。そして過疎化はいっそう加速するでしょう。そして昔のように原野に戻る所も多くなると思います。それを自然のサイクルと考えれば、それはそれとして受け入れていかなければならないでしょう。すでに多くの地域で森が都会に押し寄せつつあります。 昨日の読売新聞夕刊に、政府が2004年土地白書を提出し、その内容が載っていました。少子高齢化の進行で2015年をピークに世帯数が減少し、空き家や空き地が増え、景観の悪化や防災・防犯の環境悪化を懸念すると書かれています。 我々は自らの起こした少子高齢化の結果を、自らで解決していかなければ成りません。例えば人が減れば納税額は減るでしょう。そしてこの現象は加速度的に起こってくると思います。その対策を誰かに押し付けるのではなく、我々が自ら受け入れて行かねばまさに国は破滅します。 自然の流れを札束で逆行する愚は避けなければならないと考えます。 |
月光仮面のおじいさんさん おはようございます。 森林の涵養は昔にあった形態は今では、望むべくもありません。 一に労働力の量、質ともに森林を維持するための能力は低下してます。 樹木の枝打ちや間伐にはロボットや専用の機械に任せなければ ならなくなってます。 今でも昔の樵「きこり」の代わりになるロボットが開発されており、 愛知地球博にも展示されてるものがありますが、国の政策として 実施されることになれば、その種のロボットや機械の開発が促進されて より実用的なものが出現するようになります。 その為の予算付け、人材の育成など国家的な取り組みが必要です。 「森林涵養技術者」環境専門家のような新しい職種も創ることも 必要になります。 それには前のスレッドにて述べてますように、生命の基盤である 処の基盤となる自然環境の価値を見直すことと人々の価値観も それに沿うような方向つけが重要になります。 20世紀は経済活動の有効性から都市に人口は集中する結果を 生じておりますが、人口をこれ以上に都市に集中させることは 地震など大災害への対応上からも好ましくありません。 東京、大阪の大都市をこれ以上膨らませるより地方都市を発展させ 地方経済を回復させることへの政策転換が国家百年の計からも 必要ではないでしょうか? 昨今の諸々の事件をみるに付けて日本人の精神的な劣化は否めませんが その大きな要因としては自然から引き離されて「いわば」人間が家畜化 してしまったことにあります。 自然や山歩き、草花を愛しいと思う感性を持ってる人には犯罪者は 少ない・とも云われてます。 >私の結論は緑を守る運動は素晴らしいことですが、そのためには金を手当てするのではなく、人を手当てすべきと考えます。 人もお金も人々のエネルギーと云った観点からも切り離せないモノです。 目先は便利であっても乾いた環境は高齢者だけでなく若者にも本来なら 受け入れられないはずです。それらを止むを得ず受け入れてる処に 少子化の原因があると思います。<都市化の弊害> すし詰め通勤電車に乗りますと多くの若者も女性も表情に疲れを 浮かべてる様子が見てとれます。日本人のエネルギーが無駄に 費やされてるように思えてなりません。 明治政府の富国強兵政策から中央集権が図られ来ましたが 今こそ、その流れを地方分権、地方の自立、地方の生活圏の確立に 向けてシフトしなければ、それこそ国の将来は衰退への途を辿る ことになります。 下記の新聞の見解は思慮の浅いもので、少子高齢化は決して マイナス面だけでないとする考え方もあります。 資産を人数で割れば一人当たりの資産は増加する単純な計算も 成り立ちます。加えて過当競争も減って暮らし易くなると云う 見方もあります。<目の付け所で事態への評価は変わります> >昨日の読売新聞夕刊に、政府が2004年土地白書を提出し、その内容が載っていました。少子高齢化の進行で2015年をピークに世帯数が減少し、空き家や空き地が増え、景観の悪化や防災・防犯の環境悪化を懸念すると書かれています。 下記の記述は些か悲観的かつ狭義のように思えます。 人口が減れば納税額は減るとは関係が無いと思います。日本の税制は 元々人頭税ではありません。今の処、所得税が基本でありますので 産業が利益を上げることにより税収は増えます。 人類に貢献する仕事を創造し発展させれば税収の減る心配はありません、 むしろ、税金が公正かつ有効に使われるコトにこそ大切に思えます。 >我々は自らの起こした少子高齢化の結果を、自らで解決していかなければ成りません。例えば人が減れば納税額は減るでしょう。そしてこの現象は加速度的に起こってくると思います。その対策を誰かに押し付けるのではなく、我々が自ら受け入れて行かねばまさに国は破滅します。 >自然の流れを札束で逆行する愚は避けなければならないと考えます。 この記述の意味は何を指してるのか残念ながら理解できません。 |
珍源斎さま 貴方の内容には望ましい姿を記載され、当方は現実を見たものと認識しています。 現実は決して、誰かに強制されているのではなく、利便性と経済性から一人一人の行動結果の集まりなのです。 製品に当てはめれば市場規模といったものでしょうか。 今回の現実として神奈川県で提案されている森林整備のための新たな県税が議会を通過できないでいます。その審議では、そのような税金は県民の理解が得られないと書かれています。この現実をどのように感じていますか。 |
月光仮面のおじいさん様 おはようございます。 >今回の現実として神奈川県で提案されている森林整備のための新たな県税が議会を通過できないでいます。その審議では、そのような税金は県民の理解が得られないと書かれています。この現実をどのように感じていますか。 税金が例え目的税にせよ新設されることに日本の納税者は先ず抵抗します。 その税金の目的とする処は理解しても実質・各自に負担が増えるとなると 尚更です。 その上日本では「お上に頼り依存する」クセがあっても・お上を信用しない・と 云うのが封建時代より「なかば」民族的な習性?とでも想われる ような意識が潜在的にあり・それによるものではないかと考えます。 昨今のお役人のありようを見れば尚更です。 自分にとっての直接的な利益に結びつかない限り、まず拒否反応が 出ます。自動車が負担してる税金や燃料に掛かる税金を環境対策として 振り向けるような知恵が政治や行政にあれば問題は解決の容易なのですが、 既得権にしがみ着く政治家や省益あって国益無しとする官僚群の 了見の狭さが払底されぬ限り・難しいように思えますが、 これは白日の元に晒して国民的な判断に委ねる真の民主主義が 機能すれば・一挙に解決が図れるはずです。 |
珍源斎様 結論が出たようです。貴方のご意見にまったく同感です。 だとしたら現実的にどうするかを考え、これからも微力ながら私なりに努力いたします。 おかげさまで個人的にはまた、一歩前進しつつあります。 貴方に対しては当方の性格もあり、ご無礼をお許しください。どこかの森林で草刈鎌を持ち、麦わら帽子姿でばったり会うなんて事があるといいですね。 |
分解して自然に還るプラスチックが米国の農産系の会社で 開発されて日本始め世界でも大量に利用されてるそうだ。 原料はトウモロコシを乳酸菌発酵させて造ることであるが 日本では廃材木、間伐材、サトウキビ、甜菜大根、更に 生ゴミを利用することも研究開発されて一部では大手の 自動車部品としても採用されてるとのこと。 基礎的な原料となるのは植物を構成する有機的な分子で それを栄養分として乳酸菌を発酵増殖させることにあり、 材料は枯れ草、稲わら、枯葉、など広範囲に利用可能である。 製品化されたプラスチックは役目を終えれば二酸化炭素と水に 分解されて自然に還って行くから環境への負荷は少ない。 二酸化炭素「炭酸ガス」は元々植物のものであり、植物が 光合成「炭酸同化作用」にて大気中より吸収したものであるので 循環系に組み入れられてるので新たな炭酸ガスの発生源として 加算されることはない、 発酵自体熱を発するので外部からの熱補給は多くを必要としない。 などの利点もあります。 石油に変って植物プラスチックが本流になるまでには多少の時間を 要するが、何れにしても期待できるコトである。 |
この書き込みは管理人によって削除されました。(05/7/6(水) 16:15) |
***管理メッセージ*** 【55566】寝言連続事件 沈黙の初夏 - 05/7/5(火) 23:30 - 本ご投稿は、掲示板の趣旨に反しておりましたので、管理スタッフ連絡板に移動させていただきました。 >伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 >差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 本件についてなにかございましたら、「連絡掲示板」までお願い致します。 担当:しんわん |
稲の籾殻に含まれる元素を抽出してハイテク部品に利用する ことが研究されてる、珪素や蝋分が種籾の命を守る役目を 果たしてるが、それば微量成分の分離技術により資源と して利用可能になる・とのコトである。 更に籾殻を乾溜「酸素を遮断して熱する」して炭化したモノは 粒状の活性炭としても利用可能であり此もハイテク資材としての 利用が研究されてる・と聞く。 琥珀は松の木の樹脂が歳月を経てプラステイック状になり ご婦人がたの装身具に利用されてるが、これも高周波電流への 絶縁抵抗が高く電子部品として使えるが現在の琥珀では価格も 高いので問題にならないが、これも木材に含まれる成分を 抽出する技術とそれを硬化させ安定化が図れれば利用可能になる。 電子回路のプリント基板に部品を取り付けてハンダ付けするさいに 「松ヤニ入り」のハンダを使いますが、これもハンダ付けの箇所が 歳月を経ても劣化せずに電気特性の保全に役立ってます。 私は趣味で真空管アンプや無線用の送信機の組み立てをしてますが 今でも「松ヤニ入り」のハンダを電子回路用のハンダ鏝とともに 使用してます。 |
プラスチックなどの合成樹脂と云われてるものは ケミカル的に琥珀のような樹脂素材を創る研究の成果であった とのこと・云われて見れば合成を省けば樹脂で有ることには違いない。 その合成された樹脂は自然界にある樹脂には無い自然界へ分子レベルに 分解されて帰って行くことが難しい・と云う特性が今、厄介者にされてる 所以である。現在では諸々のリサイクル技術の発達により欠点は徐々に 解消されつつあるようであるが、石油からでない元々の樹木からの 樹脂としての利用技術が分解して自然界へ帰る特性と製造に要する ケミカルな有害添加剤を必要としないモノが今、 人間を含む自然界への負担と弊害を無くする形でのモノが自然資源の保全、 環境問題も含めて旬の技術として脚光を浴びつつある。 思えばご婦人用の絹の靴下がナイロンストッキングになったように 今度はナイロンストッキングから新時代の絹のストッキングに なっても良いのではないか? 竹の繊維を織り込んだ夏の紳士服の素材が紹介されてたが 軽く吸湿性、通気性ともに快適であるようである。 私は毎年夏になると「小千谷縮み」の生地で造られた上着を 愛用してるが、今・云うクールビズに負けない快適性を感じてる。 フイリピンのタガログ礼装のバナナの繊維で造られてる 無地のアロハシャツようのモノの仲々の優れものである。 自然界にある素材を適度に利用するのも些やかではあるが自然や 環境を守ることに通じないか?と思われる。 どうやら安価な石油の時代の限界が見えてきた昨今自然素材の 見直しを改めて考えたいと・思う。 |
別のスレッドにて農林水産省より不測時の食料安全保障に ついて・のことがパンフレットなどを通して公表された。 それによると農地や農業用水などの生産基盤の確保や 農業の担い手の確保と育成、農業技術の向上を通じて 食料供給力の強化・・「この場合自給率向上を示唆してるようだ」 今日「こんにち」の食料供給は、その大部分を特定な国に 依存してる・コトの現実には不安を感じる要素は拭えない。 欧州では第二次大戦中も戦後も日本のそれとも劣らない 食料不足と飢餓の時代があったが、戦後はそれを踏まえて 息の長い食料政策・農業政策が一貫して採られた。 その結果、各国共に食料の自給率は大幅に向上して 軒並みに100%を超える・と聞く。 日本の場合はそれ処か食料の自給率は40%台に下がってしまってる 現実がある。 今まではそれで凌げたかも知れないが近未来から将来を考えたときに 地球人口の増大、水不足、異常気候等々を勘案して予測すると 様子が些か変わって来てるように思える。 もう一度、性根を入れ直して考えてみる必要がある。 |
地球は“水の惑星”呼ばれているくらい生物にとって水と空気はなくてはならない重要なものです。そして良い水、地下水を作り出すためには、水が浸み込む土壌の浄化能力(微生物などの力)が絶対必要なのです。 一般的には水源の確保の為には「森林の涵養」が必要であるといわれていますが、確かにこれは大事なことです。しかし本当に必要なことは、天然の蒸留水である雨水を地下に浸み込ませて、自然の浄化能力を利用して、豊富な地下水を得ることがより大切なことなのです。 それを忘れて森林の涵養とばかりに植林を行っても、効果的な水源の確保にはならないのです。田んぼや畑を埋め立てて、住宅や舗装道路、農業用水路や川までもコンクリートで固め、雨水を全て河川に流入させて川を単なる排水路としてしまい、山間部には樹木の少ないゴルフ場やゴミの埋立地などを造ったのでは、肝心の地下水は益々涸れてしまうでしょう。 おまけに地下水を多量に使用する工場を誘致したのでは、何のための森林涵養でしょうか?更に、自動車中心の都市計画では、排気ガスによるNOx等による大気の酸性化によって樹木が酸性雨の影響に晒され、土壌の微生物が少なくなり浄化能力も低下していき、自然の水の循環系が破壊されて、私達の命の源である地下水をも汚染され、枯渇の道をたどる事になるのです。 水を守るという観点から自然を見た場合は、単に森林の涵養だけでは済まない事で、都市計画や大気汚染を防止する為の化石燃料の使用削減それらにつながる施策(例えば、電力の使用量の削減、ゴミの排出抑制、農薬の使用抑制、除草剤の使用禁止、自家用車の使用の抑制、プラスチックの使用の抑制など)いわゆる環境負荷を減らす総合的な施策があって初めて効果が出るのではと考えます。 |
私たちや地球上の全ての動植物にとっての生命の基盤は表土に あると云っても良い、その表土を守るのは森を支えてる生命の 連鎖と活動であることは今では疑問の余地の無いこととして認識されてる。 大量の降雨などにより表土の流失は生命の基盤をも失うことを意味してる。 緑を守ること、山林への土木工事にしても表土流失を生じさせない知恵が 必要である。 道路を建設したり公共事業などの土木工事に於いても表土流失や環境への 影響も真摯に受け止めたモノで無ければ次世代に悪い結果を及ぼす ことになる。 緑が失われ表土が失われ命の途絶えた場所は地球上に多数、存在する その因果をしっかりと受け止めねばならぬ。 |
私はジャンルを問わず、面白い作家の本を読み続ける方です。服部真澄はデビューのころから好きな作家の一人で、ストーリーテラーとして、またスケールの大きさは天賦の才能もあるのだろうが、なんとしても取材力が凄い。 GMO(遺伝子組み換え作物)は前から読もうと思っていた作品で、先週火曜日読み始め一週間で上下巻とも読み終えました。そのくらい読み始めたら引き込まれます。文体も簡潔でテンポが良く、まるで良質のハードボイルドを読んでいるようです。 ここのスレッドにはそぐわない気もしますが、人間は、神の領域である「遺伝子組み換え」の技術を身に着けました。その技術を自在に操る米国巨大企業を圧倒的なスケールで描いた国際サスペンス小説です。 今の遺伝子組み換え技術では、病気に強いばかりでなく、除草剤でも枯れないとうもろこしや大豆、或いは種の壁を越えた魚のカレイの遺伝子を持つジャガイモでも作れるところまできています。 北海道でも昨年、長沼町の農家が遺伝子組み換え大豆を作付けしようとして問題になりました。ところがGMOには種子不稔技術という技術があります。種子不稔技術とは種が実らないGM技術の事です。 GMOビジネスは初めに害虫抵抗性のGM大豆を作りました。農家は飛びつきました。特に増産が死活問題の発展途上国の農家にとっては、害虫に強いGM大豆の誕生は神の福音のように思えたのです。 ところがそうはいかなかったのです。種子不稔技術によって種子が実らない大豆は、自分の畑で採れた大豆から種子が採れなくなる事を意味します。かくして永久に種子を買い続けなければならなくなり、たった一企業により世界中の種子が独占されてしまうのです。 GMO技術は植物に限りません。昆虫も自由自在に種の壁を乗り越え、スーパー害虫だって作れるのです。つまりある特定の作物を絶滅させ、その害虫に強い種子を売りつけるというマッチポンプだって可能になります。 これ以上は読んでのお楽しみという事でこの辺にしておきますが、どうぞ読んでみてください。いっきに読めます。お奨めの一冊です。 |
珍 源斎 様 このスレッドはきれいな形で終わった所へ、突然お邪魔して、些か趣の異なった議論を紹介させていただくことをお許し下さい。 先日、私の遠縁の知人が肺癌で亡くなりました。 彼は、長年営林署に勤務し、退職後も山林に関するコンサルタントをしていた、いわば森林の専門家で、私は中国の沙漠化防止・植林のNGO,NPOに関わっていたことから、日本の植林問題にも多少の興味を持ち、話を聞きに行ったことがありました。一寸した折があって、亡くなる2ヶ月ほど前に、彼から手紙を貰いました。多少尋ねたいとこともあったのですがその機会も無くなってしまいました。 今となっては彼の遺書のようでもあり、彼が私に残しておきたかったことを、皆様にも参考までにお知らせしたいと思い、ご遺族の了解も得て、ここに紹介することにしました。 私にも充分理解できない所もあり、ご質問を頂いても答えられないと思いますが、何回かお付き合い願えれば幸いです。 (以下手紙3通を私が編集したもの) 1.治山事業について 最近また公共事業、中でも治山事業をやれと言う声を見聞きします。治山事業には復旧治山と予防治山があります。堰堤(ダム)でいえば、どの堰堤が復旧治山か、予防治山か専門家でもはっきりしません。荒廃渓流に施工されるのが復旧治山工事だと言います。荒廃渓流と言うのは、渓床に不安定土砂が堆積しているものを言います。不安定土砂は洪水時に浸蝕し、災害を惹き起こすというわけです。被害を与えなければ、放っておいて良いものです。 不安定土砂とは何か、以前、シンポジウムがありました。不安定土砂の浸蝕の可能性は海抜0mまであると言うような極論まで出て、それでは河川は、全部、荒廃渓流ではないかとことになり結論が出なかったこともありました。そのくらい治山工事の必要性というものは曖昧になるわけです。施工しても、しなくても良いということになる。標準的に堰堤一本数千万円もするものを、です。 不安定土砂は、止めるのでなく無害に海まで流してやるのが基本です。ダムで留めるものではありません。土砂を流域に供給し、また流し、自然のバランスを取りながら海まで運んで行き、海へ出れば、その土砂は周辺の海岸線を浸食から保護します。予防治山と称して谷止工、ダムを無闇に入れ、土砂を止めると死の河川となります。 堰堤を造り、土砂が溜まると渓床が上がり谷幅が広くなる。山脚固定どころか、広がった渓流には大岩が点在するため、流心がメアンダリング(蛇行)して軟らかい山腹に流水が突き当たり、渓岸崩壊を起こす危険が大です。 砂防ダム本来の目的は渓床勾配の緩和と言うことであって、洪水勾配と安定勾配の繰り返しによる調整機能にあると言いますが、そう言う地域は限られています。集票マシーンでやっている予防治山ダムとは別の地域です。 2.どうして、こんなにダムを入れるようになったかと言うと、昭和42年ごろ治山治水5ヶ年計画を策定して道路公団に負けないよう予算を獲得して、どんどんダム造りをやろうじゃないかと言うことになり、全体計画を作った。国土省の5万分の1地図を使って、コンターラインで判る、山の襞に赤のボールペンでもって、ダムに見立てた線を入れて行く、まるで山をコンクリートで巻くようなもの。どっち道、資金的に実現は不可能と思っていたら、当時の経済成長率が予想以上に大きく、全体計画から5ヵ年計画を作成し、ローリングによって第1次、第2次、第3次5ヵ年計画と言うように閣議決定でどんどん実現していった。 これに目をつけた政治家が集票マシーンに使い出したわけです。大きくて工事やり易い場所だからダムを造る業者は儲かる。集票マシーンは官・政・業の癒着である。土建屋を集めて、何票取って来い、と言って、取れなかったら工事やらんぞというわけです。 建設国債は社会資本で赤字国債でないという。それは違う。人口植林とセットでダムを造り山を荒らしてしまった。また国家財政赤字の始まった元凶である。資金は郵便貯金の財政投融資から持って行っている。郵便貯金は還ってきませんよ。治山砂防ダムは社会資本にならない。80%不要な所に使い国を荒らしている。どぶへ捨てるより悪い。郵政民営化すれば無駄な工事を資金面から抑えられる。族議員は必死で反対している。(以下続く) |
(以下、手紙の続きです) 3.どうして林地の体質を弱くする針葉樹の植林を続けているのか 植林によって林地を保全すべき地域というのは日本では少ない。地質的に荒廃し易いのは第三期層、第四期層の禿山地帯であって、ごく一部です。日本は大部分が秩父古生層でかつインド洋からのモンスーンで自然的に樹木が繁茂するのです。 戦後建築用材不足で建築用材の植林が始まり、植樹祭で植林の必要性を謳いあげた。洪水予防、気候の緩和とか言って植林の外部経済をキャンペーンしたものだが、これはテネシー河開発計画で定量的に報告されたもの。ピグーがその厚生経済学で植林の外部経済について、木材の市場価値には木材が森林であった時の洪水予防や気象緩和の効果が反映されていない、このままだと植林の社会的必要面積がその分だけ少なくなるから、下流の人々から税金を徴し、植林者に補助金で還元してやると言う、所謂ピグーの税金・補助金の理論である。日本のように、伐採して放置しておいても、30年もすれば元通りの山になるというわが国には当てはまらない話です。国民の無知を良いことにして、相変わらず植林の国土保全を謳っている。 4.人工林植林は開発行為である 杉、檜といった植林木の根系はロウソク型になっていて、これらの単純林は土層全体を緊縛せず間隙が出来るから、前生樹の伐根が腐る10〜15年位の間に林地が崩壊する危険が大である。また、それを見越して予防治山ダムを入れる。植林・ダムと言う開発行為は自然破壊です。 広葉樹林を伐採して、杉、檜の針葉樹林にした。人工林化率が70%とか言われています。伐採・植林は国土保全ではなく、開発行為です。開発行為に対して、自然は絶えず、新しいバランスを求めて動き出します。これを注意深く、しかも継続的に観察してゆくことが必要であり大切です。そして災害の危険があればダムを入れることも考えられる。治山治水全体計画にあるからといって画一主義でやると、集票マシーンに利用されるだけです。 林道開設は歴然とした開発行為です。林道開設後、自然は新しいバランスを求めて動き出します。特に盛土・捨土・法面(のりめん)・水路等を継続的に注意深く観察して行き、必要な都度、最低限の治山工事を施工することが必要です。 (もう1回、続きます) |
(続きです) 5.昭和40年に外材インパクトと言って騒がれ始めた。国産材生産の人件費が高騰して外材に太刀打ち出来なくなった。北米から東京までの船賃6,000\/m3、日本は山元から市場までトラック運賃10,000\/m3. 当時、林野庁でも環太平洋(南米、北米、ソ連)には膨大な天然資源があり、育成的林業は成り立たないと言う見解を表明していた。 それなのに何故補助金をつけて植林を続けたか。役所はタテ割りであるし、補助金の付いている制度は止めないし、また仕事を作るのは優秀な役人と評価される。例えば水源林造成事業とか保安林改良事業といったメニュウは美辞麗句だが、実際は広葉樹を伐採して、林地保全に弱い針葉樹の人工林に替える。言ってみれば自然破壊なのです。人工林は人手を要する。当時でも、担い手対策に悩んでいたにもかかわらず人工林化を推進した。 昭和50年頃には杉花粉公害が社会的に問題になり始めていた。現在、林野庁は何も言わない。被害者の国民も黙っている、なんというおとなしい国民であろうか。更に環境税を検討している県もある。 6.間伐材は売れない、売れても採算に合わない。それならば初めから、伐採時の本数600本/ha植えにしたら良いではないか、という人がいる。北米では実際にそうしている。雑草や雑木が生えないからです。日本ではモンスーンが来て雑草・雑木が繁茂し、植林木は被圧され枯死します。だから無駄でも密植して苗木が雑草の上に出るまで毎年苗木が雑草の上に出るまで毎年、多大の費用をかけて下刈りを行います。 間伐は強度(本数百分率30%程度)の間伐を行うと隣接木と凭れ合っていたクローネ(樹冠)の間に隙間が空き、積雪地帯ではクローネに雪が溜まったとき将棋倒し的に樹冠が折損する。((高橋注;)間伐率を下げて頻度を上げて間伐することは日本では経済的に不可能であるので)今まで間伐しないで放っておいたのなら、間伐しない方が良いと考える。伐期を少し早めて、主伐した方が良い。跡地は天然林が再生し易い程度に整理しておく必要があります。伐り捨てにしないよう杉材の利用法を考えることが急務。その技術開発が問題です。 さもなくば、日本の山林は放置しておいた方が良い。自然に、その土地に適合した適所適木になる。森林部門に国・地方とも要員が多過ぎるから、税金の無駄遣いをやるわけです。 7.現在、嘗ての政府の人工林化政策による森林が伐期を迎えている。伐採跡地に関して杉・檜等の針葉樹と欅、ぶな、なら等の広葉樹を混植する所謂択伐林にする構想が日本の各地で出てきている。これは良く考えないといけません。目先の環境対策で受けることだけをみていると、大きな間違いです。択伐林型が形成されると、これらを構成する杉と檜の間、或いは針葉樹と広葉樹の間では伐採する時期が異なります。これが皆伐作業と択伐作業の違う狙いでもあるわけです。実は、ここに落とし穴があるのです。択伐作業でも、伐採するには集材線を張って搬出します。そうすると後に残る樹木を搬出する木とケーブルで薙ぎ倒す結果となります。 このことが、造林とか計画畑出身の人間には気が付きません。伐採事業畑出身の人間にしか分からないわけです。 元来、林学と言う学問はドイツ、オーストリアが発祥の地で官房学・カメラルタキセと言われる。日本に輸入されて森林経理学などといって大学で教えている。傾斜の緩いヨーロッパの森林施業には可能である。択伐林施業とか漸伐林施業のことが良く載っています。日本のような急斜面の多い所では実用性が乏しいわけです。日本でこれをやるには一本ずつ人力で伐り出す。所謂人力木寄せ集材という在来方式に頼らざるを得ません。これは莫大な労力と経費がかかります。 嘗て高度成長、拡大造林の時そうであったように、将来の収穫の時のことまでを考えて計画を策定しないから、今、間伐で困っているように又同じことを繰り返しますよ。役所は自分達の仕事の確保、当面の環境対策に評判の良いようなことばかり考えて、税金を使ってPRしている。 先程述べたように、日本の山林は(極論すれば)本来、放置しておいたら良いのです。 以上 |
▼高橋さん: >先程述べたように、日本の山林は(極論すれば)本来、放置しておいたら良いのです。 台風、大雨が来ると三重県の植林した山は、良く崩れたり、木が流されて、川が木で埋まってしまうことが良くある。愛知県の森でも、竹林が台風で無残になぎ倒されているのを見かける。しかし、徳川幕府直轄の木曾の山々は、急峻な地形であっても、台風で木がなぎ倒されるのは少ない。木曽川が倒木で埋まった例は未だ無い。 山林に人手と予算が必要というご意見を拝読して、不思議に思った。山林というのは、アマゾンのジャングルにしても、東南アジアの密林にしても、人類よりも遥か以前から生息している。なぜ人手をかけないといけないのかと。その疑問に高橋さんの投稿が答えてくれた。人工林は人手が必要であるが、自然林は人手が必要でない。木曾の山は急峻な場所が多いため、戦後の植林でも、そのような場所は植林できないから自然なまま放置されてきた。11月にもなると、紅葉が綺麗な場所である。 山林を経済の対象としか見ない時期があった。杉、ヒノキを植えて、山の経済的価値を高めた。今風に言えば、山の構造改革とか、効率化ということである。その結果どうなったか。遠くから見ると、山は美しい緑一色である。でも近づいて、中に入ると、なにやら不気味なほど暗くて静かである。一人で山道を抜けるには勇気がいる。広葉樹が多い自然林では、木の高さがそれぞれ違うから、日の光が下まで届く。草が生えている。虫も見えないがいる。虫がいれば、鳥がやってきてピーチクと鳴く。生とし生ける物の住家となる。山をその本来の植生に戻せば、人手は全く必要でなくなると、専門家も語っているわけである。 山を経済の対象としてではなく、リクレーション、観光の対象として見ることも出来る。北海道に台湾からの観光客が多いのは、北海道の雄大な自然、花一面の丘陵地帯を鑑賞したいからである。愛知県の里山には平日でも老人のハイキング姿が見かけられる。人が集まるところには、それぞれの美学がある。山を美しくすることにより、人の移動が起こる。それは、やがて物の移動となり、経済の活性化となる。山--美学--経済 とワンクッション入れて経済化するわけである。 |
高橋 さん こんにちわ! 故人なられた有志のお手紙をご披露頂き有難うございました。 日本の自然を考え真の意味での国や子孫のコトを真摯に考える 方は森の果たす役割と価値をしっかり心得ていらっしゃいます。 日本の森林行政が場当たりで有ったことが悔やまれます。 国の将来や子孫の真の幸せの基盤を想うとき、 国の政策にも優先順位を捉えたモノがあっても良いはずです。 その最優先順位に中に森林涵養も含めて、生命の基盤である 処の表土の保全があります。 人里に彷徨い出て撃ち殺される月の輪熊は勿論、人間への 害があるからかも知れませんが・可哀想に思えてなりません。 山の獣たちが飢えない為には、多様な木々がバランスを以て 繁茂する森が欠かせないことです。 田圃の稲にも川や海の魚や海草、藻類にも必要な栄養源は 山の表土に存在する微生物の働きに帰することが、最近では 諸々の研究の中から解明されてます。その微生物を育てるのは 山の木々であり、山の木々を育てるのはその微生物群であったり それらへの栄養源となるのは鮭や鱒などの遡上魚であったり 小鳥たちの働きであったり、微妙で精密な生態系の因果関係を 構成してます。 カナダ北米の研究者が当地の森林の木々を調べて年輪の密度を 調べたところ、遡上魚の多かった年には年輪の巾が広く明らかに 樹木の生育が良かったコトを物語るモノがあったと云われてます。 自然の恵みの有り難さを「もっと」身に染みて考えねばならぬ と思います。 |
杉檜の人工林は環境に悪い? 広葉樹林が望ましい? 林道は人工物だから不要? 日本の山は放っておいた方が良い? 本当にそうでしょうか? たしかに植えただけで放りっぱなしの人工林は、下枝が伸び放題に絡み、薄暗く、土はむき出しで雨が振ると洗い流されて地味もやせていきます。しかしそれだからといって、広葉樹林は経済的価値はほとんどありません。 山に植林しようと思えば、まず雑木を切り払ってまくり、植林します。幼木のうちは、鹿やカモシカに食べられないよう柵やネットを張ります。ある程度大きくなったら、下枝打ちをします。これをしないと節だらけの木になって板や柱の価値が下がるからです。見た目だけでなく丈夫さも違います。間伐をします。しないと太く育たないのです。間伐材の利用も色々考えられていますが、加工の手間を考えると経済的価値を持つまでにはなかなか到りません。枝打ちや間伐は、ロボットはまだまだ先の話でしょう。急斜面での作業ですから人間の方が遥かに効率が良いのです。 木が育つまでは杉なら30年〜50年、檜は50年、100年以上の木もあります。自分が植えて子や孫が伐ります。伐採はチェーンソウで。出すのには林道がないと大変です。タワーヤーダーなどの林業機械を持っているところはまだ少ないですし、その技術を持っている林業従事者もまだ少数です。 ところが伐り出しても木材の値段は、この30年間、ほとんど上がっていません。人件費ばかり上がりました。それで民有林の所有者は、手を入れるだけの余力を持っていないところが多いのです。間伐も枝打ちもされていない林地を見るたび胸が痛みます。熱心な林業家は赤字覚悟で森を守っています。 きちんと手入れされた人工林は、日光が差し込み、木の幹が真直ぐにのび、下草や雑木が豊かに生え、植生も生態系も広葉樹林よりも豊かだったのです。美しい人工林は経済的価値も環境価値も高いのです。人工林を見直して下さい。美しい森林を見て頂きたくて、下記のURLをご紹介します。 バーチャル森林ツアーです。 http://www.re-forest.com/hayami/virtual/index.html 山で働く人の声です。 http://www.aff-job.go.jp/forestry/index.html |
珠さん こんにちわ!お久しぶりです。 >杉檜の人工林は環境に悪い? 広葉樹林が望ましい? 林道は人工物だから不要? 日本の山は放っておいた方が良い? 本当にそうでしょうか? 森も自然の侭に放置しておけば良いとする考え方は今日のように人間が 手を入れて荒れてしまった山森では矢張り手入れは必要です。 百年単位にての人間が入らずに放置すればそれなりに荒れがもっと進んだ 状態になるか・或いは原始林のような形で自然回復となるかは定かでは ありませんが・今の日本の森林は人智を尽くしての森の手入れは必要に思えます。 >たしかに植えただけで放りっぱなしの人工林は、下枝が伸び放題に絡み、薄暗く、土はむき出しで雨が振ると洗い流されて地味もやせていきます。しかしそれだからといって、広葉樹林は経済的価値はほとんどありません。 広葉樹林の働きは大切な表土を育てる役目をもってます。 表土に生息する多種多様な微生物群や昆虫はあらゆる生命の基礎となる 栄養塩類の生産をしてます。広葉樹林は木材としての価値は低いかも知 れませんが地味を肥やす役目には欠かせません。 山に住む人たちの知恵として木炭の生産には広葉樹の間引きしたものを適度に 利用することにより見事に循環型のシステムを永い間保ってきましたが、 石油時代になり・それが「危うく・おぼつかなく」なったのも現実です。 >山に植林しようと思えば、まず雑木を切り払ってまくり、植林します。幼木のうちは、鹿やカモシカに食べられないよう柵やネットを張ります。ある程度大きくなったら、下枝打ちをします。これをしないと節だらけの木になって板や柱の価値が下がるからです。見た目だけでなく丈夫さも違います。間伐をします。しないと太く育たないのです。間伐材の利用も色々考えられていますが、加工の手間を考えると経済的価値を持つまでにはなかなか到りません。枝打ちや間伐は、ロボットはまだまだ先の話でしょう。急斜面での作業ですから人間の方が遥かに効率が良いのです。 間伐材の経済的な利用に関しては始まったばかりですが、今後化石燃料 の値段が高くなったり、環境面への真剣な配慮が必要となれば、 経済的な背景も様変わりする事でしょう・。 岩手県では薪ペレット・ストーブなど県と住民有志の手により活用への 途が推進されております。 >木が育つまでは杉なら30年〜50年、檜は50年、100年以上の木もあります。自分が植えて子や孫が伐ります。伐採はチェーンソウで。出すのには林道がないと大変です。タワーヤーダーなどの林業機械を持っているところはまだ少ないですし、その技術を持っている林業従事者もまだ少数です。 林業従事者や「森林の健康状態」を守る人々は高齢化が進み、加えて 後継者不足の問題も大きいようです。この辺りも将来の国民のコトを視野に 入ってる政治家ならばミサイルやジェット戦闘機や軍艦を用意して大勢の兵員を 維持するに比べても遜色のない「価値」があると認識されると思えるのですが・・・?。 工業製品などと異なり農業も林業も自然相手でもあり経済性云々で同列に 扱うことではないと思います。 その昔、田植機などは不可能に近いと云われてたことが記憶にあります。 それが今では田植えは機械でやるモノになっています。 森林整備に必要な機械類「ロボット」類もその気になって開発すれば そう難しいものではありません。 自然や環境について経済性を云うならば自然や環境の持つ本当の価値を 知る必要があります。それは自動車などの工業商品とは異なる価値について 目覚める必要があります。 現在ドルやマネーにリンクしない経済システムが欧州や米国の一部の 人たちで模索されてます。日本でも地域通貨のようなモノが各地で発生してますが 価値を・お金に置かない・とする考え方は私は肯定的に捉えたいと思います。 > 自然も環境も欲しいままに収奪してきたことを真摯に反省しなければ ならない時代に立ち至ってるように・・思えます。 長くなりました。ご許容の程! |
▼珍 源斎さん: >珠さん お二人の中に失礼いたします 下のアドレスは、オークビレッジという飛騨にある木工の村のHPです。 ここの主宰の稲本正氏の著書の森についての本の紹介です。 http://www.afannomori.com/ また下のアドレスは、長野県の妙高にある黒姫の森を再生させたC.W二コル さんのHPです。 http://www.moriwaku.com/ 人工林と自然林では森も持つ力が違います。生き物をはぐくむのは人工林では 難しいようです。 人が森の手入れを怠ってきたことで、森が荒れてしまいました。 今、様々な形で森の手入れのボランテイアが入って改めて森を守ろうという 運動がおきています。 私は専門ではありませんが、子供の頃手入れされた里山の森であそばせて いただいた楽しい思い出から、これらのHPから小さなどんぐりを鉢に植え 大きくなったら山に植えに行こうと思っています。 |
こんぺいとうさん こんにちわ!レス有難う御座います。 >人工林と自然林では森も持つ力が違います。生き物をはぐくむのは人工林では >難しいようです。 針葉樹や広葉樹など多様な木々の持つ植生を自然林の仕組みから 学んで森を再生させて「牡蠣の海」を復活させた「お人」を存じ上げてます。 日本には原始林的な原生林は少なく殆どの森には人間が分け入ってます。 マタギと云われる山岳猟師の古老の言葉には自然を敬う心には感銘を 受けるものがありあす。・・敬ってこその自然であるとおもいます。 山が荒れれば心も荒れる、今日、日本の世相の荒れようは正に それを物語ってるのでは・ないかと思います。 山が荒れて緑が失せれば例外なく人々も文化も消え果てます。 荒れて打ち捨てられた遺跡には大きくそれを物語るモノがあります。 人工林と云っても人工の生きてる植物である木々はありません。 全てが自然の生命に帰するものです。よって人間側の都合に寄らない 木々の都合を重んじた配慮が森を維持し再生する為に必要なコトと 森の古老の言葉を感慨を込めて思い出してます。 |
▼珠さん: お久し振りです。 早速のレス有難う御座いました。 このところ余裕が無くて、返事が遅れて失礼しました。 最初にも少しお断りしたように、私も素人で、余りこの議論には自信がありません。本当に人工林は今後どう管理したらよいのか、放置したらどうなるのか、私には確固たる意見はありません。 しかし彼は営林署員として40年余、その後山林コンサルタントとして更に20年余、いわば一生をかけて山林を見守ってきた人です。彼を駆り立ててきた山林行政に対する義憤を、真っ直ぐに私に語ってくれたものと信じております。 >杉檜の人工林は環境に悪い? 広葉樹林が望ましい? 林道は人工物だから不要? 日本の山は放っておいた方が良い? 本当にそうでしょうか? (経済的に成り立たないために)間伐もされず、密植のままの単植針葉樹林は雪や風水害に対し極めて脆い状態にあるというのが専門家のほぼ一致した意見です。 彼は林道が不要とは言っていません。林道(など)は一種の自然破壊だから、その後の自然が動き出すバランスを良く見極める必要がある、といっています。 >たしかに植えただけで放りっぱなしの人工林は、下枝が伸び放題に絡み、薄暗く、土はむき出しで雨が振ると洗い流されて地味もやせていきます。しかしそれだからといって、広葉樹林は経済的価値はほとんどありません。 > >山に植林しようと思えば、まず雑木を切り払ってまくり、植林します。幼木のうちは、鹿やカモシカに食べられないよう柵やネットを張ります。ある程度大きくなったら、下枝打ちをします。これをしないと節だらけの木になって板や柱の価値が下がるからです。見た目だけでなく丈夫さも違います。間伐をします。しないと太く育たないのです。間伐材の利用も色々考えられていますが、加工の手間を考えると経済的価値を持つまでにはなかなか到りません。枝打ちや間伐は、ロボットはまだまだ先の話でしょう。急斜面での作業ですから人間の方が遥かに効率が良いのです。 私も参加しているNPOの一つが、週末などに森林作業のボランティア活動をしています。森で作業をすれば、人も癒されて元気になります。 しかし、そうして保護される森林は、日本全体の中で”点”でしかありません。 日本国土の67%を占める森林、その60%を占める人工林をどう維持して行くかという問題の解決には遠いのです。 >ところが伐り出しても木材の値段は、この30年間、ほとんど上がっていません。人件費ばかり上がりました。それで民有林の所有者は、手を入れるだけの余力を持っていないところが多いのです。間伐も枝打ちもされていない林地を見るたび胸が痛みます。熱心な林業家は赤字覚悟で森を守っています。 間伐材どころか、主伐材でさえ経済的に成り立たない現状では、絶え間ない小規模の間伐を繰り返さなければならない人工林の保全は、現実不可能といって良いでしょう。彼は、こういう事態を予想しない、或いは予想できても植林を続けた行政を非難しているのです。 鋸谷式といって、将来主材になる木を残し、間伐率を大きくして、更に間伐した木はそのまま放置しておくという方法があり、一部地方で実施されているそうですが、これでも当然補助金が必要であり、また彼の意見では主材の成長,伐材の流出など、問題があるとのことです。 >きちんと手入れされた人工林は、日光が差し込み、木の幹が真直ぐにのび、下草や雑木が豊かに生え、植生も生態系も広葉樹林よりも豊かだったのです。美しい人工林は経済的価値も環境価値も高いのです。人工林を見直して下さい。美しい森林を見て頂きたくて、下記のURLをご紹介します。 昔からの北山杉だの、秋田杉だの所謂銘木として高値で取引される材木は、今でも手入れされた森に育っています。逆によく管理された森で育った木材を高付加価値で売ろうという企業もあると聞いております。(数ヶ月前の朝日新聞”be"欄に紹介されていました。)しかしそれが日本全国に広がりうるか?私は極論は避けたいものの、大変難しいな、という感じです。 |
珠さん 原生林と人工林をごっちゃにしていませんか? 原生林というのは、人間がそこに入って活動しても森の生態系が変わらないものでなければならないのです。だいたい林野庁のお役人は「昔から人が森に手を加えていたから、日本には原生林はない」という考えですから。森の再生というのは「経済的見地」だけから見たら駄目なのです。 珠さんは原生林にどの程度詳しいのか知りませんが、私は営林署に友人がおりましたので、よく山歩きに連れて行って頂いたが、手付かずの原生林に林道を造り、水源地にもなっているところの大きな木を伐採するのを見てびっくりしたものです。ブナやたヤチダモ、楢の木、おそらく何百年も経ったと思われる太い大木です。特にヤチダモは野球のバットの材料になるので乱伐が続き絶滅状態ですよ。 もちろん人工林も大事です。戦後杉や檜が日本復興の鍵とばかりに、全国で杉檜が植林されましたが、今では輸入材に押されて日本の林業は壊滅状態です。 また昔から日本の風物詩とされていた「里山」は人の手が入らずに荒れ放題で、杉や檜は花粉を撒き散らし、花粉症の現況にもなっております。また荒れたために見通しが悪くなった事と「えさ不足」のため、近くにクマが出没するようになりました。私の親類も実際にその被害に遭われました。 我が北海道の「知床」が世界遺産に指定されましたが、これから日本人は試されます。自然との共生を。森林を守るという事は原生林、人工林に関係なく、いかに生態系を維持し人間と共生していくかが大事なのです。必要のないダムやコンクリートの人工物のために北海道の川は浄化作用が失われ死んでいます。それは世界遺産の指定された「知床」ですら同様です。 |
▼珠さん: こんにちは >きちんと手入れされた人工林は、日光が差し込み、木の幹が真直ぐにのび、下草や雑木が豊かに生え、植生も生態系も広葉樹林よりも豊かだったのです。美しい人工林は経済的価値も環境価値も高いのです。 確かに人工林でもきちんと手入れすれば環境面でみても価値のあるものだとは思います。 ただこの山の問題は単に環境問題だけではなく、行政、経済の問題でもあるとおもわれます。 日本の森林率は66%、フィンランドの69%とともの先進国の中ではぬきんでて高く、アメリカは32%であり、製材品トップのカナダでさえ50%でしかありません。 その日本が世界最大の木材輸入国で世界全体の木材貿易量の19%の輸入をしています。2位のアメリカの輸入量の2倍近くの数値です。そして木材自給率は20%と先進国では最低レベルなのです。(以上は手元の96年97年の資料の数値で現在はまだ悪化しているのではないかと思われます。) 即ち日本は世界でもトップレベルの森林率を有しながらきわめて低い木材自給率の国なのです。 日本の森林の約70%が民有林です、そして戦後積極的に造林が行われその約46%が杉・檜の人工林です。50年代以降の造林地が全体の90%になっています、その森林の維持管理の必要性が今大きな課題になっているのです。 そして、珠さんの仰っているように木材卸価格が年々下がり林業家は山から切り出して市場に出すまでの労賃でさえまかなえないほどの安値になり、多くの山々が放置された状態になってきているのが現状です。 たとえば杉の構造材を使った家を建てたとき、現在の人工林では約43万棟の供給力があります、日本の住宅着工数は100万棟以上ですが、今のその短い寿命より勘案すれば国内材だけの供給で住宅自給は可能であるとの計算もあります。木材自給率を上げる潜在力は十分にあるのです。 ちょっと古い資料を参照しながらでしたが、今もさほどには変わっていない状況だと思います。 個人的な考えですが、日本の森を守るには輸入木材を制限し木材の市場価格を上昇させ林業を産業として経済的に成り立たせるか、(木材を自給する、保護主義?)もしくは手入れされない民有人工林から杉・檜などの針葉樹を取り払い広葉樹が主な自然林にするかだと思います。(木材を輸入に頼る、市場主義?) 同じ第一次産業の農業問題ともかなり共通するものがあると考えます。 また、キタキツネさんと珠さんの議論の食い違いは国有林と民有林におけるものではないかとも思います。 |
▼キタキツネさん: >珠さん > >原生林と人工林をごっちゃにしていませんか? いいえ、私はよく手入れされた人工林の話をしたのです。あのURLをごらんいただけましたか? ほんとうに、よく手入れされた人工林は、皆さんが賛美なさる広葉樹林よりも、生物の種類が(植物も地中生物も)多かったのです。それは実証済みです。 >森の再生というのは「経済的見地」だけから見たら駄目なのです。 私も原生林を否定するわけではありません。それはそれで貴重なものですし、保存すべきでしょう。しかしよく手入れされた人工林は経済的価値を持つものでもあるのです。もちろん、その経済的価値は、金銭に換算できない環境といったものを含む考え方が大事ではありますが、人工林なら金銭的価値もある方が、よいのは当然です。 > >手付かずの原生林に林道を造り、水源地にもなっているところの大きな木を伐採するのを見てびっくりしたものです。 私は営林署や林野行政には、大いに文句があります。林野庁は、手入れ不足で結局赤字の人工林を抱えています。高橋さんのご友人も、きっと林野行政にお思いになることが多々あったことと思います。 民間の林業者は林業で食べて行かなくてはなりませんから、呑気に原生林保護はしていられません。国は税金を使うのですから、原生林保護をすることはたいへん結構、いえ、必要と思います。 > >もちろん人工林も大事です。戦後杉や檜が日本復興の鍵とばかりに、全国で杉檜が植林されましたが、今では輸入材に押されて日本の林業は壊滅状態です。 その通りです。私の紹介したURLは、環境を考えた循環型の林業(FSC)として、日本で最初に世界認証を受けた森林ですが、それでも林業のみに限れば経営は赤字です。ここが赤字なら日本の(ちゃんと植林・育林している)民有林は、どこでも赤字だ、といわれるくらいです。輸入材はほとんど切りっぱなしですから安いわけです。しかしそれで世界の森林を裸にしているわけです(今は反省して植林をしているところも出てきています)。 私は、人工林でもきちんと手入れをすれば、とても美しい森になること。また生態系も保水性も、自然林を超える人工林が出来る。そしてその方が経済的価値の高い人工林になる。その努力をしている林業従事者もいることを、森林というと原生林と広葉樹林賛美ばかりをなさる方々、人工林というと悪者のように思われる方々に知っていただきたいのです。 なお、森林ボランティアは、実際には最初は手取り足取り。下草苅りで植林した苗の頭をちょん切って下さったり、かぶれたりお怪我の手当やらで、あまり助かるというものではないのがほとんどです。ただ、関心を寄せていただくことは本当に大事なこと、嬉しいことですので、機会があったらご参加いただければと思います。 |
珠さん >>原生林と人工林をごっちゃにしていませんか? > >いいえ、私はよく手入れされた人工林の話をしたのです。あのURLをごらんいただけましたか? ほんとうに、よく手入れされた人工林は、皆さんが賛美なさる広葉樹林よりも、生物の種類が(植物も地中生物も)多かったのです。それは実証済みです。 そうですか。私は別に人工林を否定し、広葉樹を賛美しているわけじゃないんですが。どうも私は二元論っていうのが嫌いなんだな。どっちがよくてどっちが悪いなどと言う・・。 >杉檜の人工林は環境に悪い? 広葉樹林が望ましい? 林道は人工物だから不要? 日本の山は放っておいた方が良い? 本当にそうでしょうか? ↑のようにお書きだったので、杉檜の人工林を肯定し、広葉樹林を否定しているような見えたものですから。 それから私は広葉樹の賛美をして、杉檜の針葉樹を否定しているわけじゃないですから念のため。私も山を持っていますので森林に関してはずぶの素人じゃないですので。どちらも大事なんだという事を言いたいだけです。 peaceさん あなたの述べた事は先刻承知しております。 >また、キタキツネさんと珠さんの議論の食い違いは国有林と民有林におけるものではないかとも思います。 これこそ的外れだと思いますよ。私は国有林、民有林の違いの事を申し上げているわけじゃなく、人工林も原生林も大事だという事を言いたかったし、珠さんは人工林の見直しをより強調されただけのことです。 |
キタキツネさん この問題もエネルギー問題とリンクして考えなければ解決しない。一国だけでは(身近なところから実行するのは大事な事だが)効果が薄い。世界レベルで考えなければ解決しない。先進諸国の重要課題だ。 |
▼キタキツネさん: >peaceさん >あなたの述べた事は先刻承知しております。 > >>また、キタキツネさんと珠さんの議論の食い違いは国有林と民有林におけるものではないかとも思います。 > >これこそ的外れだと思いますよ。私は国有林、民有林の違いの事を申し上げているわけじゃなく、人工林も原生林も大事だという事を言いたかったし、珠さんは人工林の見直しをより強調されただけのことです。 おはようございます、 私が単なる統計の数字のお遊びをしているとお思いかもしれませんが、なるべくわかりやすく今の林業の問題点をみなさんにご理解していただきたく先のレスをした次第です。 実際に私の経験から言いますと。 知り合いの林業家の親父さんと息子さんと飲みに行ったときですが。その方は林業と共に製材もされている専業林家の方で十数人の規模で会社を経営されています。 息子さんは「銀行から借金ばっかりしてきて、先代の残した高価な材ばかりを切り出してきて、一体これからどうするつもりなんだ。」 親父さんは「なにいってんだ、30年40年一緒にやってきた従業員の首を切れというのか、おまえにかんか何がわかるか!」 とけんかになります。後で親父さんに聞くと飲むといつもこうだそうですが。 また、別の林業家の方は中国人を雇って人件費を節約していたりします。 葉枯らし乾燥などの付加価値を付け市場に出しますがそれでも経営は成り立たないようです。 今、専業林業家と呼ばれる方々の現状は大なり小なり似たようなものではないかと思います。専業林業家でない方の人工林は年々荒れていっています。 私は国有林においては採算がとれなくとも今後政策で何とかできるのではないかと思いますが。(国有林に関してはあまり知識がありません)日本の森の大きな面積をしめる民有の人工林を所有の林業家の方々の林業が生業として成り立たせるにはどうすればよいのかを、今、皆で考えなければいけない課題だと思います。 そのとき、日本の木材消費量、そして市場価格を抜きに語ることはできないのではないかと思います。 私も素人ですが、林地には幾度となく足を運び現場の生の声を聞いてきましたので、一言申し上げたく感じた次第です。 |
▼珠さん: 大きく分けて国有の人工林、民間の人工林、国有民有の自然林とあるわけですが、今大きな問題になっているのは民間の人工林ではないでしょうか?国有の人工林も予算が取れず年々荒れてきているとは聞いていますが、良くは知りません。おそらく深刻な状況にはなっていると思います。 珠さんの仰りたいこともよく分かるのですが、現在の日本の山の問題の根本的な解決策にはならないと思います、(すみません、もしかしたそういう意味で仰っているのではないかもしれませんが) ご紹介いただいた早見林業さんはほとんどが付加価値の高い桧を植えられているで経済的にはゆとりがあると思われます、今問題になっている民間人工林のほとんどが杉で、杉の立木価格は桧の数分の一では無いのでしょうか? そんな早見林業さんでも赤字だと言うのにほとんどを杉に頼る林業家ははっきり言ってもう破滅状態にあるのが今の状況です、私の林業家の知り合いも山を相続するときに相続税を請求され資産価値の無い山に相続税を払うくらいならと県に寄付しました。かといってその山が手入れされるわけでなく荒れてゆくばかりでしょうが。 確かに私も植林のお手伝いに参加したりはしましたが、高橋さんの仰るようにそのような活動は今ある大きな問題のほんの点でしかないのです。 私の知り合いも杉材を葉枯らし乾燥したり、切り旬を守ったりして何とか付加価値を付けようとしていますが問題の根本的な解決策には至っていないのが現状です。 ちょうどそれは農業における有機栽培のようなもので有機栽培の付加価値を持って日本の農業問題を論じるようなものでしょう。 先だって申しましたように保護主義で輸入木材を制限するか、(木材価格を上げる、自給率を上げる) もしくは 輸入材に頼り今ある人工林を自然林に戻すかしか無いのではないかと思います。(市場原理主義、外国の木を伐採して化石燃料を使って日本まで運んで来る) どちらにしても、今の放置された人工林は非常に良くない。 失業中の方たちを雇って公共事業で間伐をすると言うのも手かなと思いますが。郵便局でさえ民営化するような状況において赤字の垂れ流し覚悟の林業には今の政権ではお金は出してもらえないでしょうね。 >私は、人工林でもきちんと手入れをすれば、とても美しい森になること。また生態系も保水性も、自然林を超える人工林が出来る。そしてその方が経済的価値の高い人工林になる。その努力をしている林業従事者もいることを、森林というと原生林と広葉樹林賛美ばかりをなさる方々、人工林というと悪者のように思われる方々に知っていただきたいのです。 大いに賛同いたします。私も知っていますよ。 |
peaceさん こうしている間にも熱帯雨林が伐採され日本に輸入されています。民間の林業家だけでは手に負えないところまで来ています。国策として取上げなければ無理でしょう。 日本の林業を復活させ、熱帯雨林を守るには輸入木材に名称は何でも良いから「環境税」のようなものをかければ良いのです。 その税金を輸出国の植林や砂漠化した土地の再生に使えば一石二鳥であろうと思うのだが。これも一国だけでは無理で、世界規模でやらなければ効果は無いだろう。 先進国の責務です。 森林は環境を守るだけでなく、木材そのものが非常に優れた炭素の貯蔵庫でもあります。 |