Page 590 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/5(金) 16:11 ┣Re(1):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな MNG 05/8/5(金) 17:25 ┃ ┗Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/5(金) 21:41 ┣Re(1):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/6(土) 8:21 ┃ ┗Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな ozone 05/8/6(土) 11:06 ┃ ┗Re(3):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな k・satou 05/8/6(土) 14:16 ┃ ┗Re(4):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/6(土) 21:32 ┃ ┗Re(5):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな k・satou 05/8/6(土) 23:20 ┣Re(1):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな ごまめの翁 05/8/8(月) 5:49 ┣Re(1):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 笹井明子 05/8/8(月) 9:36 ┃ ┣Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 安本単三 05/8/8(月) 15:39 ┃ ┃ ┗Re(3):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 笹井明子 05/8/8(月) 21:38 ┃ ┃ ┗Re(4):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 石頭の息子 05/8/8(月) 22:11 ┃ ┃ ┗Re(5):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 石頭の息子 05/8/8(月) 22:29 ┃ ┃ ┗Re(6):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 石頭の息子 05/8/9(火) 1:24 ┃ ┃ ┗Re(7):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 笹井明子 05/8/9(火) 7:28 ┃ ┣Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/8(月) 22:07 ┃ ┃ ┗Re(3):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな パンドラ 05/8/8(月) 23:45 ┃ ┃ ┗Re(4):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/9(火) 12:22 ┃ ┃ ┗Re(5):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな パンドラ 05/8/9(火) 14:03 ┃ ┗Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昔神童・今人道 05/8/8(月) 22:39 ┗Re(1):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな ぎみゆら 05/8/9(火) 23:24 ┗Re(2):原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな 昭和 人 05/8/10(水) 11:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 原爆「過ちは繰り返しませぬ」・許すな ■名前 : 昭和 人 ■日付 : 05/8/5(金) 16:11 -------------------------------------------------------------------------
夏がきて、暑い8月上旬になると、どうしても広島、長崎、原爆の悲惨を書きたくなる。( )内長崎の数値 1945年8月6日(9日)、午前8時15分(午前11時2分)広島市大手町島病院(長崎平和公園)の上空約580mで世界初の原子爆弾が爆発した。 爆発直後の赤外線熱線、強烈な爆風、放射線で一瞬にして 約10万人(5万人)が焼け、悲惨極まる死亡をもたらした。(1、2ヵ月後に更に増) 従来の東京空襲などと死亡数は同じだが、決定的な違いは、その後の2次的原爆災害である。 主なる原爆特有の原子爆弾症と言われる病気をあげれば、 脱毛、貧血、白血球減、増多症、ケロイド後遺症、女性の不妊、月経異常、乳癌、その他のがん、原爆白内障、白血病、放射線障害、第2第3の子孫への遺伝的影響など、60年後の今も胎内児等、原因治療不明の後遺症が課題となっている。 こうして一瞬に死亡した人よりも、むしろ生き残った人の悲惨実態が時を経るごとに知らされる。 私は、現地体験者ではないが、多くの主張と書きたいことがあるが、言い尽くされたことにもなるので、訴えうる言葉として 最後に被爆2周年記念に広島市が出した「平和宣言」を心をこめてコピー書きします。是非、じっくり読んで欲しい。 「昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、10数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。 (中略)われらがこの日を記念して、無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするものである。けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが、苦悩の極地としての戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。(中略) 原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文化の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。(以下略)」 ここまで写したが、もう勘弁。(あとは下記資料を読んでください。) 体験者の方、後を書いてください。 護憲九条をしっかりと守って行こう。 (数値の出典は「原爆災害」広島市・長崎市 原爆災害誌編集委員会編による) |
▼昭和 人さん:こんにちは。 >夏がきて、暑い8月上旬になると、どうしても広島、長崎、原爆の悲惨を書きたくなる。( )内長崎の数値 >1945年8月6日(9日)、午前8時15分(午前11時2分)広島市大手町島病院(長崎平和公園)の上空約580mで世界初の原子爆弾が爆発した。 >爆発直後の赤外線熱線、強烈な爆風、放射線で一瞬にして >約10万人(5万人)が焼け、悲惨極まる死亡をもたらした。(1、2ヵ月後に更に増) >従来の東京空襲などと死亡数は同じだが、決定的な違いは、その後の2次的原爆災害である。 >主なる原爆特有の原子爆弾症と言われる病気をあげれば、 >脱毛、貧血、白血球減、増多症、ケロイド後遺症、女性の不妊、月経異常、乳癌、その他のがん、原爆白内障、白血病、放射線障害、第2第3の子孫への遺伝的影響など、60年後の今も胎内児等、原因治療不明の後遺症が課題となっている。 > >こうして一瞬に死亡した人よりも、むしろ生き残った人の悲惨実態が時を経るごとに知らされる。 >私は、現地体験者ではないが、多くの主張と書きたいことがあるが、言い尽くされたことにもなるので、訴えうる言葉として >最後に被爆2周年記念に広島市が出した「平和宣言」を心をこめてコピー書きします。是非、じっくり読んで欲しい。 >「昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、10数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。 >(中略)われらがこの日を記念して、無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするものである。けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが、苦悩の極地としての戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。(中略) >原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文化の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。(以下略)」 > >ここまで写したが、もう勘弁。(あとは下記資料を読んでください。) >体験者の方、後を書いてください。 体験者でなくて申し訳ありませんが、風化させてはならないことだと思います。 今日の夕方、6時55分からTBS系で「ヒロシマ」という特集番組があります。 http://www.tbs.co.jp/sengo60sp/index-j.html >護憲九条をしっかりと守って行こう。 >(数値の出典は「原爆災害」広島市・長崎市 原爆災害誌編集委員会編による) 岩波ブックレット「憲法を変えて戦争へ行こう・・・という世の中にしないための18人の発言」が発売されました。 http://www.iwanami.co.jp/kenpou/index.html 面白そうなので、読んでみたいと思います。 |
MNGさん、今晩は。 よい貼り付けのレスの支援を有難うございます。 8人の中に、私が予想していなかった人(森永、黒柳、その他)がいて嬉しいですね。今、仕事場から、帰ったばかりで、TBSの方は見逃し残念でした。 |
60年前のこの時刻に広島原爆、爆発した。 NHKの放送とともに黙祷を捧げます。 |
▼昭和 人さん: >60年前のこの時刻に広島原爆、爆発した。 >NHKの放送とともに黙祷を捧げます。 私も黙祷を捧げました。 被災者は人類すべてではないだろうかとも思いました。 広島市長と子供たちのメッセージで前向きの明るい気持ちも生まれて来ました。 |
▼ozoneさん: 私も 黙祷しました。 子どものメッセージのあとの 小泉首相のは なかなかいいこと言うわい!と聞いていたら 去年と同じだったとか? 誰かが書いたものだろうけど 中身は ない。 この1年間でほんとに すこしでも 核廃絶のことなんか したの? あるいは 被爆者のために なんかしたの? 来たのが9回目?とかいうけど よく臆面もなく 言える! 一回でも 被爆者のとこでも 行って見りゃ いいのに! 市長も子どものも 良かったですね。 >▼昭和 人さん: >>60年前のこの時刻に広島原爆、爆発した。 >>NHKの放送とともに黙祷を捧げます。 > >私も黙祷を捧げました。 > >被災者は人類すべてではないだろうかとも思いました。 > >広島市長と子供たちのメッセージで前向きの明るい気持ちも生まれて来ました。 |
Ksatouさん。 よくぞ、このスレッドへ立ち寄ってくれました。 分裂(昔は多かった、地方集会でも)なんか、している余裕はありません。 みんな一緒に「戦争・原爆反対」、「核廃絶」を。 |
▼昭和 人さん: ご無沙汰してます。 最近 所用がありまして 集会にもいけず あんまり パソコンに向えないので すみません。 小人 不善を為す というあれです。 月末にでも 青い目のを 連れて記念碑に広島か長崎に いきます。 ほんとは 奴等に連れられて いくかたち。 またお会いしましょう。では。 >Ksatouさん。 >よくぞ、このスレッドへ立ち寄ってくれました。 > >分裂(昔は多かった、地方集会でも)なんか、している余裕はありません。 >みんな一緒に「戦争・原爆反対」、「核廃絶」を。 |
昭和 人さん 私も老妻と二人でテレビの式典を見ていましたが、知らず知らずに二人とも一分間の黙とうをしていました。戦時を経験した者は自然にそう成るのでしょう。 9日は長崎です。心から哀悼の意を表したいと思います。 終戦直後に広島や長崎の原子爆弾投下はマッカーサーは知されていなかったと聞いた事が有り本気にはしていませんでした。でも昨日テレビで同じ様な事を言っていたパネラーが居られ、其の為に標的候補の都市は爆撃を受けていないと言っておられました。又、第一線の指揮官のマッカーサーが知らなかったと云う事は、広島や長崎の原子爆弾は二つの都市を確実に核実験の標的にしたのだと思います。 と言っても、もしあの時点で日本が先に核を持ったとしたら使って居なかったとは断言出来ません。 所詮、戦争とは綺麗ごとではありません。勝つか負けるか。勝てば官軍ですから、絶対に此の地球から兵器と云う物が無くならなければ平和は来ないと思います。 だから9条は大切だと思うのですが。 |
原爆投下から60年目の今年、どうしてもその場に立ち会いたいという思いに駆られ、広島の平和記念式典に参列しました。会場を埋める5万5千人の人々の姿は圧倒的でした。 皆さんがここで触れていらっしゃる一分間の黙祷の間、会場には平和を祈る鐘と低い唸り声のような音が流され、投下直後の人々の苦しみが地上に渦巻いているような感覚に捕らわれ、胸苦しさと共に涙が溢れでました。会場に行くために乗ったタクシーの運転手さんの話によれば、原爆投下の8時15分には、市電が一斉にクラクションを鳴らすとのこと。広島市の街中では、その時夫々の黙祷があったのだと思います。 平和宣言や来賓の挨拶は、ほとんど型どおりの感があった中で、河野衆議院議長の挨拶では、「過ちは繰り返しませぬ」の意味を、「戦争への道をたどった戦前の日本の国家政策」と「人類存続を否定する核を使用した、人類のあり方」と、責任主体を明らかな言葉で語り、世界のこれからに繋がるスピーチとの印象を受けました。 7日は、「広島の歴史をみてまわる会」主催の「広島湾スタディ・クルージング」に参加しました。似島、江田島、呉などにある化薬工場、海上自衛隊の造修補給所貯油所や海上に浮かぶたくさんの自衛艦隊や潜水艦を目の当たりにして、戦前軍事基地だった広島が、原爆投下を受けてなお、軍事戦略の最前線としての機能を押し付けられている非情な現実と、憲法9条を持つ日本という国の軍事大国ぶりの矛盾を改めて実感させられました。 平和への道のりは絶望的に遠い。それでも、戦争の悲惨を体験した人たちの戦争否定の強く深い思いと、過去と今の現実を見据える理性が結びついたところに、絶望ではない未来があるのではないだろうか。広島の青い夏空を見ながら、そんなことを考え続けた広島の旅でした。 |
▼笹井明子さん: >平和宣言や来賓の挨拶は、ほとんど型どおりの感があった中で、河野衆議院議長の挨拶では、「過ちは繰り返しませぬ」の意味を、「戦争への道をたどった戦前の日本の国家政策」と「人類存続を否定する核を使用した、人類のあり方」と、責任主体を明らかな言葉で語り、世界のこれからに繋がるスピーチとの印象を受けました。 > 「広島の歴史をみてまわる会」主催の「広島湾スタディ・クルージング」に参加しました。似島、江田島、呉などにある化薬工場、海上自衛隊の造修補給所貯油所や海上に浮かぶたくさんの自衛艦隊や潜水艦を目の当たりにして、戦前軍事基地だった広島が、原爆投下を受けてなお、軍事戦略の最前線としての機能を押し付けられている非情な現実と、憲法9条を持つ日本という国の軍事大国ぶりの矛盾を改めて実感させられました。 アンタ。インテり源茶ばばさんか。いまさらそんなこと中国地方の常識じゃ。とりわけ東京の阿。 「過ちは繰り返しませぬ」主語があってたまるか!! 人類はと書いたら漢民族へのエール。なのか批判なのか!! 私は仏教徒日和見派 夏目漱石ぐらい読んだろ。 ●●が生きとし生けるものへの・・猫・・木・・草・・・・・・・・・・ への冒涜とシャカムニ様。 党派性x党派性=ディべート:ウミサチに人気があるのは無神論:信長派 ごまめの翁はいくら仏教といっても比叡山祇園往復派なんてあらしまへん。信長は独裁できらいやけど何となく気持は分からんでも・・・・ あなたは神系・仏系・キリスト系・・・ 私は国家官僚ダラク派・・のため・・・ セトウチジャクチョウババ様に本で叱られ中・・ |
▼安本単三さん: >アンタ。インテり源茶ばばさんか。いまさらそんなこと中国地方の常識じゃ。 どっひゃ〜。厳しいお言葉。知識で分かっていても自分の目で見た現実のど迫力に、ネット上の議論の虚しさを感じたのは紛れもない事実だったんですけれど。 な〜んだ、中国地方の常識だったのか。それなら、マスメディアでも良いし、インターネット掲示板でも良いから、その冷厳なる現実とその意味を伝える作業を、私の稚拙なご報告の前に、誰かにやっておいて欲しかったな、イヤ、ホント。 |
▼笹井明子さん: >▼安本単三さん: > >>アンタ。インテり源茶ばばさんか。いまさらそんなこと中国地方の常識じゃ。 > >どっひゃ〜。厳しいお言葉。知識で分かっていても自分の目で見た現実のど迫力に、ネット上の議論の虚しさを感じたのは紛れもない事実だったんですけれど。 > >な〜んだ、中国地方の常識だったのか。それなら、マスメディアでも良いし、インターネット掲示板でも良いから、その冷厳なる現実とその意味を伝える作業を、私の稚拙なご報告の前に、誰かにやっておいて欲しかったな、イヤ、ホント。 あのね、(この言葉で始まる小学生の作文集がありますが)あのね、70や80になるまで被爆体験をしなかった方の気持ちが分かるような気がするんですね。 そうか中国地方もそうなんだ、四国でも毎年、毎年、広島、長崎の話、写真、絵、を繰り返し、繰り返し、聞いて、見て、来ました、今ではもう、まともに聞けない、見ることができないのです、昨年「ひろしま」のパンフレットを手にしたときに、どーんとおちこんだ。 やっと老被爆者が語り始めたのに、逆に聞けなくなってる自分は二次被爆者なんだろうか、もういやだと思うのは、なんだろうか、と自問しているのも確かなんです。 |
▼石頭の息子さん: >あのね、(この言葉で始まる小学生の作文集がありますが)あのね、70や80になるまで被爆体験をしなかった方の気持ちが分かるような気がするんですね。 あのね、(この言葉で始まる小学生の作文集がありますが)あのね、70や80になるまで被爆体験を話せなかった方の気持ちが分かるような気がするんですね。 |
▼笹井さん; 半身ケロイドの老人が淡々と語るのは百万言より胸に堪えるもんです、「原爆を作らんことです、戦争をしないことです」と、それが「忍耐と努力、馬鹿になる」を座右の銘にしている、そんな人は多かったのでしょう、ひたすら頑張って考えまいとしていた、と思うのは不遜なんでしょうか。 それで思いだしたので書き留めて置きたいとパソコンに向かっています。 そうですね、50年、もう少し前のまだ焼け野原だった頃です、欠けた足の先にタイヤかチューブのゴムを巻きつけて、不自由な足で手押しポンプで水を汲んで(足が不自由だと思うように押せない)、それを砂と棕櫚を通して飲み水にしていた姿を思い出したのです、その女性をみんなは「いざり」と呼んでいました、いまから考えると差別的な呼び方だったが、誰もそれを非難しなかったが、子供心に嫌な呼び方だと思った、その足は空襲でやられたと裏の大家さんから聞いていた。 その女性はトタン板のバラックにすんでいて、どぶの臭いと共に記憶に残っています、そのひとはヒロポンをバラで売っていた、赤いラベルのアンプルの先の細い方を合わせて5本並びで10本を新聞紙に包んでいた、たしか一本5円か10円だった。 あの頃はヒロポンは珍しくもなかった、遊びに打つ者もいたが、働きに働いて夜ねるのを惜しんでヒロポンを打っていた。 あの頃は、みんな食う為に一生懸命だった、だれが悪いとかなんか言ってなかったように思う。ひたすらに生きるために。 「いざリ」と原爆の被爆者とでは同じにはできないが、それでも共通のなにかがあるような気がしてならない。 |
▼石頭の息子さん: 石頭の息子さんのお話で、私が幼い頃に見て記憶の底に沈んでいた光景が蘇ってきました。東京でも、例えば渋谷駅周辺などに、両足を失った「傷痍軍人」さんたちが、ボロボロの軍服を身にまとい地べたに座って物乞いをしていました。私はそれを風景のように捉え通り過ぎていたわけですが、お一人お一人の胸の中には、語らず耐え通したものがあったのだと、今気づきました。語らないことの重さを深く感知する石頭の息子さんが、あえて伝えてくださったお気持ちを感謝します。有難うございます。 私が今回是非お伝えしておきたい、と気持ちがはやったのは、原爆投下のあったその地が、今も尚日本の軍事政策の最前線の役割を担い、軍需産業で潤っているという現実についてでした。 広島湾や呉港に停泊するたくさんの軍艦は、いま国際貢献の名の下、そこから海外に出ていっています。その軍事基地の様子を自分の目で見て、8月6日になると、広島は「平和の祈り」「非戦の誓い」で満たされているかのように一斉に伝えるメディアに、なにか空々しさを感じていたその意味が、初めてわかった気になったのでした。無知な私が戦後60年目に出合った、リアルで非情な光景でした。 |
笹井明子さん。 現地体験での貴重なご報告を有難うございました。 体で感じることが、運動の源泉だと思います。 お疲れさまでした。 (いつも活発な動き、うらやましい。お若いんですね。) |
▼昭和 人さん:こんばんは 何だかこの掲示板も解散、総選挙に向けて みなさん、熱くなっていますね >あの時は、見事な質問に答えがないから、応援催促しました。ほとうの答えはありませんでしたね。(あのときは、しらんっぷり?) しらんぷりしていたわけではありません 7月末から8月始めにかけて、集会やら、夫の父の新盆やら 私の伯母の新盆やら、忙しい時間を過ごしておりました 笹井さんと広島へも行き、昨夜帰って参りました。 75年は草も花も咲かないと言われていた広島の街は誰にも 想像もつかないほど見事に発展しておりました けれど亡くなって行った人々はもちろん、生き残っている人達の心と身体も いいしれない苦しみが今も蝕んでいるのだと 久保浦寛人さん (被爆体験継承の会) 空 辰夫さん(広島原爆被爆教職員の会) 湯浅 一郎さん(ピースリンク広島・呉・岩国) のお話を伺ってつくづく感じることができました 60年たった今だから重い口を開いて語ってくださった言葉も ありました。 「過ちは繰り返しませぬ」という言葉は本当に心して私達 の胸に留めておかなければいけない言葉だと思います 人間は過ちを繰り返すものではあります でも、本当に二度と繰り返してはならない過ちもあるのですね |
パンドラさん。 冷かした つもりでしたが。 それは大変失礼しました。 更に広島へ参加されたこと、敬意を表します。 今日は先ほど、60年前長崎に原爆が爆発した時です。長崎の鐘とともに合掌。 長崎のことは、ぎみゆらさんに書いて欲しいと思います。 ぎみゆらさん これを見てくれたかどうか。 私はこの夏は毎年のように、靖国の周辺散歩と戦争映画をみて、更に兄の墓へ反戦平和、護憲9条の祈りをしたいと思います。 (年のせいか、体の筋力が衰え、ゴルフのボールも飛ばなくなりました) この夏も健康で過ごせますように、祈ります。 |
▼昭和 人さん: >パンドラさん。 >冷かした つもりでしたが。 >それは大変失礼しました。 いえいえ、昭和人さんらしい洒脱なお言葉だと思っておりました(笑) >更に広島へ参加されたこと、敬意を表します。 いえ、そんな‥でも充実した楽しいツアーでした > >今日は先ほど、60年前長崎に原爆が爆発した時です。長崎の鐘とともに合掌。 >長崎のことは、ぎみゆらさんに書いて欲しいと思います。 >ぎみゆらさん これを見てくれたかどうか。 ぎみゆらさんは、今東京を離れておられますが、きっと お帰りになったらご覧になると思います。 ぎみゆらさんには原爆や、被爆なさった方達に特別の思いがあるようで きっと又貴重なお話が伺えると思います >私はこの夏は毎年のように、靖国の周辺散歩と戦争映画をみて、更に兄の墓へ反戦平和、護憲9条の祈りをしたいと思います。 そうなのですか‥私もこの夏友人達と靖国へ参ります 靖国を見ずして語ることなかれ、という心境ですので >(年のせいか、体の筋力が衰え、ゴルフのボールも飛ばなくなりました) >この夏も健康で過ごせますように、祈ります。 毎日暑い日が続いております。昭和人さんはまだまだお元気であられる と思いますが 今年は選挙で熱い夏になりそうです。どうかお身体ご自愛ください また、何処かでお目にかかれることを楽しみに致しております |
▼笹井明子さん: >原爆投下から60年目の今年、どうしてもその場に立ち会いたいという思いに駆られ、広島の平和記念式典に参列しました。会場を埋める5万5千人の人々の姿は圧倒的でした。 > >平和宣言や来賓の挨拶は、ほとんど型どおりの感があった中で、河野衆議院議長の挨拶では、「過ちは繰り返しませぬ」の意味を、「戦争への道をたどった戦前の日本の国家政策」と「人類存続を否定する核を使用した、人類のあり方」と、責任主体を明らかな言葉で語り、世界のこれからに繋がるスピーチとの印象を受けました。 > >7日は、「広島の歴史をみてまわる会」主催の「広島湾スタディ・クルージング」に参加しました。似島、江田島、呉などにある化薬工場、海上自衛隊の造修補給所貯油所や海上に浮かぶたくさんの自衛艦隊や潜水艦を目の当たりにして、戦前軍事基地だった広島が、原爆投下を受けてなお、軍事戦略の最前線としての機能を押し付けられている非情な現実と、憲法9条を持つ日本という国の軍事大国ぶりの矛盾を改めて実感させられました。 > >平和への道のりは絶望的に遠い。それでも、戦争の悲惨を体験した人たちの戦争否定の強く深い思いと、過去と今の現実を見据える理性が結びついたところに、絶望ではない未来があるのではないだろうか。広島の青い夏空を見ながら、そんなことを考え続けた広島の旅でした。 貴重なご報告ありがとうございました。 プリントアウトはしたのですが、印象部分を引用させていただきました。 いよいよ、待ちに待った「熱い、熱い、選挙の季節」となりました。 雨にも負けず、風にも負けず、熱く熱く燃えたいと思います。 御自愛ください。 |
昭和 人さん、みなさん、こんにちは。 ヘンテコな言い方ですが、このようなスレッドを立てていただき、 多くの方々がお気持ちのこもった書き込みをしてくださっている ことに対して、すごくうれしく思っています。 地域によって違うのか知りませんが、東京では、午前10時40分から 11時40分まで、長崎平和式典のNHK中継が入りました。今年は久し ぶりに、全部通して見ました。なかなかいい式典だったと思います。 午前11時2分。1分間の黙祷。そういえば、子供の頃、まだ家に 届いたばかりのテレビの前で、親に「黙祷」といわれ、なんだか よくわからず、とにかく立ち上がって、目をつぶっていた。その 1分間が、とても長かったことを思い出しました。 広島でも、長崎でも、中学生、高校生が、「次代に語り継ぐ」世代 として、発言したり、司会役を引き受けたりしていた。それはとても 素晴らしいことなのですが、でも、そんなことを仕事として企画する 小役人たちがいるんだろうなと、薄ら寒く思うねじくれた気持ちも、 私のなかのどこかに、正直にいうと、あるんです。 それでも、受け継ぎ、語り継いでいかなければいけないんです。 私は、それほど多くはありませんが、被爆者の体験を、それなりに 立ち入って聞いた経験が、いくつかあります。 例外なく、ほんとうにみなさん例外なくおっしゃるのは、「原爆 だけは、核兵器だけは、あれだけは、絶対にいかんばい」という、 その一点なんです。そして、それが、すべてだと思います。 日本の政府も、役人も、それからあえて率直にいいますと、かなり 多くの日本国民も、そのことを、わかっていないと思う。広島、 長崎の声を、ちゃんと聞いていないと思う。 スリーマイルも、チェルノブイリも、東海村のあのひどい事故も、 もちろん第五福竜丸も、広島と長崎を、日本が、世界が、きちんと 見つめることをしてこなかったから、起こってしまったんじゃない かと、そう思えて仕方がありません。 広島、長崎の原爆が投下され、本当にたくさんの人々が、あまりに 無惨に殺された日から、60年がすぎたいま、あらためてそう思って います。 とりあえず、本当にささやかなことかもしれませんが、でも、たった 一つ、この場に参加されている皆さん、この掲示板をお読みになって いるすべての皆さんに、これだけは、けっして譲れないと、ぜひ心に とめていただきたいことがあります。 核兵器と人間、核兵器と地球は、 けっして、共存することはできない。 |
▼ぎみゆらさん: やあ〜、お帰りなさい。 やっぱり書いてくれました。有難う。 長崎の原爆は、私には書けません。 キリスト教を国教とするアメリカ人、クリスチャンのトルーマンが何故、日本キリストの街を破壊するのでしょう。 今の仕事をリタイヤしたら是非追求してみたいと思っています。 今、郵政のシステムの仕事で、てんや〜わんやです。走っちゃってましたから、(マル秘)仕事中のぞきました。ぎみゆらさんの お帰りをみて。 > > > >それでも、受け継ぎ、語り継いでいかなければいけないんです。 >私は、それほど多くはありませんが、被爆者の体験を、それなりに >立ち入って聞いた経験が、いくつかあります。 > >例外なく、ほんとうにみなさん例外なくおっしゃるのは、「原爆 >だけは、核兵器だけは、あれだけは、絶対にいかんばい」という、 >その一点なんです。そして、それが、すべてだと思います。 > >日本の政府も、役人も、それからあえて率直にいいますと、かなり >多くの日本国民も、そのことを、わかっていないと思う。広島、 >長崎の声を、ちゃんと聞いていないと思う。 > >スリーマイルも、チェルノブイリも、東海村のあのひどい事故も、 >もちろん第五福竜丸も、広島と長崎を、日本が、世界が、きちんと >見つめることをしてこなかったから、起こってしまったんじゃない >かと、そう思えて仕方がありません。 > >広島、長崎の原爆が投下され、本当にたくさんの人々が、あまりに >無惨に殺された日から、60年がすぎたいま、あらためてそう思って >います。 > >とりあえず、本当にささやかなことかもしれませんが、でも、たった >一つ、この場に参加されている皆さん、この掲示板をお読みになって >いるすべての皆さんに、これだけは、けっして譲れないと、ぜひ心に >とめていただきたいことがあります。 > > > 核兵器と人間、核兵器と地球は、 > けっして、共存することはできない。 |