Page 639 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼閑話休題 電車にのって k・satou 05/8/16(火) 12:29 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 閑話休題 電車にのって ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com> ■日付 : 05/8/16(火) 12:29 -------------------------------------------------------------------------
歳をとった老婦人が おそらく内職かなんかの材料をいれた大きな包みを もち よろけてたってました。 その前にこの暑いのに ビシッと背広 を着た青年が腰を掛け なにか難しい本を読んでました。 本を読むことが教養なのか? 席を譲るなど弱いものを助けるのが 教養なのか? 道徳的説教を思い出すまでもなく 単なる感覚てので わかる。 滅私奉公だ!といわれる観念についても あの小泉首相の異常さも 通常の感覚をとりもどすだけで解り 解決されるのではないか? 世の不条理や残酷さに染められ続けると人は誰でも無感覚になります。 しかし やがて自身に なされることは必定。 この防御のために 感覚的に生きようと思います。 その隣に 子どもを座らせ 親が立っていました。 立っていることもできない子どもを 連れてどこへ行こうとするのでしょう? そんなに 疲れているのなら 家で寝かせてやればいいのです。 常に弱いものを助け 圧迫されている側にたち 正義のために不正と闘う こんな感覚を失って 何の教育? こんな感覚こそ 基本的人権の出発点であり あらゆる知性の礎です。 感覚に もとづかないで 正しくとらえられるものは ひとつもない。 本も 眼が疲れるからと言い訳しつつ 遠ざかりの日常です。でも 現実の社会は いろいろ考えさせてくれます。 |