Page 674 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼政治の腐敗の原点 ダミアン 05/8/19(金) 23:49 ┗「国民」の概念 めだま君 05/8/20(土) 1:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 政治の腐敗の原点 ■名前 : ダミアン ■日付 : 05/8/19(金) 23:49 -------------------------------------------------------------------------
『郵政民営化、是か非かの判断は難しくありません。あなたは民営化にな ったら、便利になったと喜ぶかどうかです。「今までと同じサービスを確保す る?」それなら、いまと同じ。ちっとも喜ぶようなことではないですね。郵便貯 金を株に投資する?喜ぶのは株屋です。喜ぶのは、あなたではない。』 http://www5.ocn.ne.jp/~nadashig/page008.html こういう発想が、今日の政治の腐敗の原点だ。自分にとって得なことか、自分にとってメリットがあるか、自分の業種にとってのメリットは何か、自分の地元の利益になるのか。 「国民」という言葉は実に都合の良い言葉である。「自分」にとっての利益は、個々人によってさまざま。自分にとっての利益のみを願うことは、普通、我侭といわれる。しかし、「自分」を「国民」に置き換えたとたんに、我侭が我侭でないように錯覚してしまうトリック。このトリックがいつまにか市民権を得て、利益誘導型の政治がはびこってしまった。 「国民が、国民の利益を要求することは我侭ではない。民主主義の基本である」 ここでいう「国民」がマジョリテイであれば、そんな意見ももっともらしく聞こえる。いや、マジョリテイでなくても、「国民」=「庶民」=「弱者」と置き換えて情を絡めて行けば、それを受け入れざるを得ない罠も準備できる。 てな感じで、様々な地域の、様々な業種の、様々な境遇の人々が、「我こそ国民」、「私も国民」と、利益誘導合戦を繰り広げてきた。それが国家予算の肥大化を生み、無駄遣いを放置し、政治の腐敗を生んだ根本的原因ではないのか。 そういう社会を作ってきた人々は、それを戒めようとするのではなく、今度は「老人」=「弱者」の看板を掲げ、「自分達」への利益誘導に励みたいらしい。それが「老人党」の正体であるならば、なんとも哀れである。 |
▼ダミアンさん:板8のめだま君です。 そうですね、政治家たちは「国民」ということばが好きですね。あたかも水戸黄門の印籠みたいに振りかざしてますね。 でも、実際の「国民」の思いは多種多様。その多種多様な国民の思いを政治家たちは代弁しているわけですが、民主主義というのは多数決原理が基本だから、たとえ少数者の利益の代弁であっても、「国民」の願いであると表現し、一人でも多くの有権者の賛同を得ようとする。しかし、そのような権利要求の仕方自体は、むしろ健全なことでしょう。 問題は、自分の権利を主張する人間が、同時に他者の権利も公平に認める倫理性があるがどうかでしょうね。企業が自社の利益だけを考えれば、アスベストによる健康被害問題を無視することもできる。厚生省も、企業利益を優先すれば、アスベスト対策をいくらでも遅らせることができる。 日本の公害問題の歴史を振り返ると、日本の企業家や政府の精神的腐敗は根深いですね。明治国家でも足尾鉱山鉱毒事件など見ると、腐敗の根の深さが分かりますね。 私は、共生論に関心をもっています。最近は、多元的国家論(それぞれの国の文化的伝統の尊重ーー例えば8月15日の「これからの、日本」桜井よしこの発言)がもてはやされていますが、その政治思想が、国民内部の、国民それぞれの文化的多元主義を抑圧するものであれば、その多元主義こそ、政治道徳の腐敗の極みですね。したがって、「公」の概念も、国民それぞれの文化的多元主義を抑圧する超絶的なものとして主張するなら、それは単なる詭弁、イデオロギーにすぎないということになりますね。 「老人」という言葉が示す中身も、きわめて多様ですね。近所にも、旅行好きでゆうゆうと年金暮らしをしている人もいれば、極貧の人もいます。私は、近所の一人暮らしの老人の生活支援をボランティアでしてますが、その人の1ヶ月の年金は15000円です。 |