Page 731 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼60周年を迎える8月15日 ozone 05/8/2(火) 15:39 ┣Re(1):60周年を迎える8月15日ー同感 昭和 人 05/8/2(火) 16:55 ┃ ┗Re(2):60周年を迎える8月15日ー同感 ozone 05/8/2(火) 17:30 ┣慰霊碑の建立について ふきのとう 05/8/4(木) 20:01 ┃ ┗Re(1):慰霊碑の建立について ozone 05/8/4(木) 20:58 ┃ ┣Re(2):慰霊碑の建立について k・satou 05/8/4(木) 22:11 ┃ ┗Re(2):慰霊碑の建立について ふきのとう 05/8/5(金) 18:31 ┣Re(1):60周年を迎える8月15日 ozone 05/8/9(火) 15:48 ┃ ┗Re(2):60周年を迎える8月15日 ぎみゆら 05/8/21(日) 12:30 ┗Re(1):60周年を迎える8月15日 ozone 05/8/15(月) 11:08 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 60周年を迎える8月15日 ■名前 : ozone ■日付 : 05/8/2(火) 15:39 -------------------------------------------------------------------------
また8月15日がやって来ます。 今Webをサーフィンしながら、あの戦争は何であったか。 あの戦争で日本の人たち、周辺諸国の人たちはどのような生活を強いられたのか、更に理性と身体で捉えたいと思っております。 更に過去・現在・未来を通して考え、過去の事実、教訓を未来への展望へとつなげたいと思います。 過去の教訓を蔑ろにすることは、未来へ展望を失うことになると思うからです。 そして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、EU、アメリカそして世界中の人たちとの交流を深め、平和の創生に努力することが一人の人間としての努めだと思っております。 それがあの戦争で非業の最期を遂げた人たちへの供養でもあり追悼でもあると思っております。 http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/ |
▼ozoneさん: >また8月15日がやって来ます。 はじめまして「戦争を語り継ごう」投稿の範囲が広いのでしょう。特に8.15外地の体験談は身につまされます。 素晴らしい情報を有難うございました。 早速お気に入りへ保存しました。 > >今Webをサーフィンしながら、あの戦争は何であったか。 あの戦争で日本の人たち、周辺諸国の人たちはどのような生活を強いられたのか、更に理性と身体で捉えたいと思っております。 > >更に過去・現在・未来を通して考え、過去の事実、教訓を未来への展望へとつなげたいと思います。 > >過去の教訓を蔑ろにすることは、未来へ展望を失うことになると思うからです。 > >そして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、EU、アメリカそして世界中の人たちとの交流を深め、平和の創生に努力することが一人の人間としての努めだと思っております。 > >それがあの戦争で非業の最期を遂げた人たちへの供養でもあり追悼でもあると思っております。 全く同感です。 語れる人が少なくなっています。貴重です。大切に抱え込みましょう。 > > >http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/ |
▼昭和 人さん: >▼ozoneさん: >>また8月15日がやって来ます。 >はじめまして「戦争を語り継ごう」投稿の範囲が広いのでしょう。特に8.15外地の体験談は身につまされます。 >素晴らしい情報を有難うございました。 >早速お気に入りへ保存しました。 昭和 人さん、今日は。 いつも貴方のアーテクルを読ませていただきまして、教えられるとともに励まされております。 付けられる諸々のケチなどは読み飛ばして、あなたの思いを掴むようにしております。 ご存知とは思いますが、検索エンジンを使ってWebをサーフィンすると、実に貴重な資料が沢山発見できますね。 インターネットは諸刃の刃という面もありますが、使い方によっては威力を発揮します。 いろいろと人類の平和を実現するために役立つように、研究し、利用したいと思っております。 >>今Webをサーフィンしながら、あの戦争は何であったか。 あの戦争で日本の人たち、周辺諸国の人たちはどのような生活を強いられたのか、更に理性と身体で捉えたいと思っております。 >> >>更に過去・現在・未来を通して考え、過去の事実、教訓を未来への展望へとつなげたいと思います。 >> >>過去の教訓を蔑ろにすることは、未来へ展望を失うことになると思うからです。 >> >>そして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、EU、アメリカそして世界中の人たちとの交流を深め、平和の創生に努力することが一人の人間としての努めだと思っております。 >> >>それがあの戦争で非業の最期を遂げた人たちへの供養でもあり追悼でもあると思っております。 > >全く同感です。 >語れる人が少なくなっています。貴重です。大切に抱え込みましょう。 >> >> >>http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/ 人類の理性は賢く、聡明で、強靭です。 過去からの歴史を振り替えっていつも驚嘆しております。 一人の人間としてもこの自分に理性が備わっている事を思うと勇気が湧いてくる今日この頃です。 |
ozoneさん、サイトのご紹介ありがとうございます。 私からは、筑摩書房発行の「ちくま」のなださんの連載について紹介させていただきます。なださんの連載「人間、とりあえず主義」の今月号(8月号)のタイトルは、「広辞苑よ」となっています。タイトルからお気づきかもしれませんが、内容は6月21日の「打てば響く」と同様です。 ここで、なださんは、 これまで、選挙のときに、与党を落とすために投票しようと呼びかける以外に具体的な主張をしてこなかったが、戦争の犠牲者全体を慰霊する碑の建立を老人党の主張としたいと書いていらっしゃいます。そして、その実現は、戦争世代から後世へのよい贈り物になるだろうとも。 本当は、なださんの文を引用したかったのですが、「掲示板のルール」で確認したら事前に発行元の了承が必要とのことなので、やめました。ぜひ、図書館などで、読んでみてください。 私は、「戦没者」と「戦死者」の言葉の違いなど、長い間、考えたこともありませんでしたが、8月15日の式典は、軍人だけでなく、戦争の犠牲者全てを慰霊しているものとばかり思っていました。 |
▼ふきのとうさん: >ozoneさん、サイトのご紹介ありがとうございます。 > >私からは、筑摩書房発行の「ちくま」のなださんの連載について紹介させていただきます。なださんの連載「人間、とりあえず主義」の今月号(8月号)のタイトルは、「広辞苑よ」となっています。タイトルからお気づきかもしれませんが、内容は6月21日の「打てば響く」と同様です。 > >ここで、なださんは、 >これまで、選挙のときに、与党を落とすために投票しようと呼びかける以外に具体的な主張をしてこなかったが、戦争の犠牲者全体を慰霊する碑の建立を老人党の主張としたいと書いていらっしゃいます。そして、その実現は、戦争世代から後世へのよい贈り物になるだろうとも。 > >本当は、なださんの文を引用したかったのですが、「掲示板のルール」で確認したら事前に発行元の了承が必要とのことなので、やめました。ぜひ、図書館などで、読んでみてください。 > >私は、「戦没者」と「戦死者」の言葉の違いなど、長い間、考えたこともありませんでしたが、8月15日の式典は、軍人だけでなく、戦争の犠牲者全てを慰霊しているものとばかり思っていました。 「ちくま」のご紹介を有難うございます。 「打てば響く」は読ませていただいております。 私も「戦没者」と「戦死者」の言葉の違いなど、考えないで、また知らないでおりました。 当然戦争で犠牲になった人たちは皆一緒に慰霊しなければならないと思います。 小泉首相の靖国参拝で、靖国神社には様々な問題があることが図らずも明らかになって来ているのですね。 なんと靖国神社は追悼よりもむしろ顕彰の社なんだそうですね。 これでは祀られている人たちも浮かばれないだろうと思うようになりました。 今国民みんなで靖国問題を根底から考えて、平和憲法の理念に基づいて、戦争で犠牲になった人皆を慰霊する施設はほんとうに必要であり重要ですね。 私の家の前の道は通学路になっていて、子供たちが元気に嬉々として通学しております。 その姿を見ていると、あの子達を戦争という屠殺場のようなところに絶対送ってはならないという思いに強く駈られます。 それも他国のための戦争や侵略戦争という戦場にです。 碑の贈り物は、追悼を行い、戦争の実相を考えるためにも後世への大変貴重な贈り物になると思います。 |
▼ozoneさん:よこからすみません。 1月25日のシュレーダー首相演説を お読みください。 国際アウシュビッツ委員会がベルリンの国立劇場で催した追悼行事での 演説です。 現在のドイツが歴史にどう対処し 戦争犯罪を追及し 被害者への謝罪 と補償に取り組んできたかが 包括的にわかります。 ドイツがユダヤ人から信頼をうけているわけがよくわかります。 あわせて 我が小泉首相の まだ解らないんでしょうか?靖国の良さが! というのを 聞けば近隣諸国から絶対信頼されないわけは すぐわかります。 5月10日 ドイツ首都ベルリンで第2次大戦の”負”の歴史を記憶する 施設が公開された。 アメリカの建築家ピーター・アイゼマン作の 言葉では表現しきれない歴史事実の抽象化 ”沈黙の場”であると。 ケーラー大統領 シュレーダー首相 テイアーゼ連邦議長らがそろって 除幕式をおこない 犠牲者の冥福を祈ったという。 大戦中ナチスの強制収容所で殺された600万のユダヤ人を記憶し追悼する ヨーロッパのユダヤ人虐殺追悼碑 というわけです。 ベルリンの1等地に 19000平方メートルというところに なにも刻まれていない 高さ30CMから5Mまでのおおきさのことなる 柱塊が2700基 えんえんと並ぶといいます。 慎みある自信にみちた シュレーダー首相と 薄気味悪い含み笑いの小泉首相 をみくらべるのは 悲しいものです。 >▼ふきのとうさん: > >>ozoneさん、サイトのご紹介ありがとうございます。 >> >>私からは、筑摩書房発行の「ちくま」のなださんの連載について紹介させていただきます。なださんの連載「人間、とりあえず主義」の今月号(8月号)のタイトルは、「広辞苑よ」となっています。タイトルからお気づきかもしれませんが、内容は6月21日の「打てば響く」と同様です。 >> >>ここで、なださんは、 >>これまで、選挙のときに、与党を落とすために投票しようと呼びかける以外に具体的な主張をしてこなかったが、戦争の犠牲者全体を慰霊する碑の建立を老人党の主張としたいと書いていらっしゃいます。そして、その実現は、戦争世代から後世へのよい贈り物になるだろうとも。 >> >>本当は、なださんの文を引用したかったのですが、「掲示板のルール」で確認したら事前に発行元の了承が必要とのことなので、やめました。ぜひ、図書館などで、読んでみてください。 >> >>私は、「戦没者」と「戦死者」の言葉の違いなど、長い間、考えたこともありませんでしたが、8月15日の式典は、軍人だけでなく、戦争の犠牲者全てを慰霊しているものとばかり思っていました。 > >「ちくま」のご紹介を有難うございます。 「打てば響く」は読ませていただいております。 > >私も「戦没者」と「戦死者」の言葉の違いなど、考えないで、また知らないでおりました。 当然戦争で犠牲になった人たちは皆一緒に慰霊しなければならないと思います。 > >小泉首相の靖国参拝で、靖国神社には様々な問題があることが図らずも明らかになって来ているのですね。 なんと靖国神社は追悼よりもむしろ顕彰の社なんだそうですね。 これでは祀られている人たちも浮かばれないだろうと思うようになりました。 > >今国民みんなで靖国問題を根底から考えて、平和憲法の理念に基づいて、戦争で犠牲になった人皆を慰霊する施設はほんとうに必要であり重要ですね。 > >私の家の前の道は通学路になっていて、子供たちが元気に嬉々として通学しております。 >その姿を見ていると、あの子達を戦争という屠殺場のようなところに絶対送ってはならないという思いに強く駈られます。 それも他国のための戦争や侵略戦争という戦場にです。 > >碑の贈り物は、追悼を行い、戦争の実相を考えるためにも後世への大変貴重な贈り物になると思います。 |
▼ozoneさん:レスありがとうございました。 >今国民みんなで靖国問題を根底から考えて、平和憲法の理念に基づいて、戦争で犠牲になった人皆を慰霊する施設はほんとうに必要であり重要ですね。 私も、「靖国問題」(高橋哲哉著)をやっと読み始めたところです。目次によると第5章に「国立追悼施設の問題」について書かれていますね。 >碑の贈り物は、追悼を行い、戦争の実相を考えるためにも後世への大変貴重な贈り物になると思います。 昨日のNHK「クローズアップ現代」は、「ヒロシマが伝わらない」として、アメリカでは原爆投下の判断は正しかったと考えている人が多いとか、広島でも原爆の記憶が風化しているとかいった内容でした。 その中で、広島で原爆をどう教えようか悩んでいる小学校の若い先生が、「10年後、20年後、この子たちが大人になったときどうなのか」というようなことを話されたのですが、それを聞いてドキッとしました。子どもたちがどうというより、その子どもたちより何十年も先に生まれ、大人になってからも随分経っている自分はどうなのだろうと。原爆について、戦争について、何をどれだけ知っているのか考えると心もとないのです。自分自身が後の世代にきちんと伝えられるようにしなければ。 |
▼ozoneさん: 下記の手記は長崎で被爆された方のものです: ----------------------------------------- 十六歳の私は、いつものように魚雷製造工場で働いていた。工場は生産増強と空襲に備え、本原地区の谷間に建設されたものだった。 午前十一時二分、外の風景が真っ白になった。「ドーン」という爆音と強烈な爆風で建物は一瞬にして倒壊した。ガラス片が体中に突き刺さって苦しむ同僚や、屋外で作業中に大やけどを負った人の姿が痛々しかった。浦上天主堂の裏手にあった実家が気掛かりだった。だが、助けを求める人たちを見殺しにするわけにもいかず、近くの山林に避難させた。廃虚と化した浦上の地が眼下に広がり、あちこちで火の手が上がっていた。 「遅かった」。天主堂一帯はまさに生き地獄。人間や建物などすべてが焼き尽くされていた。爆心地から一キロも離れていなかった実家は既に焼失。みんなで栽培していたナスやカボチャもすべて灰。あまりの光景に心が凍った。家族の名前を呼びながら、くすぶり続けるかわらを払いのけたが、兄弟の骨さえ見つからなかった。この日、父親ら四人を失った。 翌日の十日夕、矢上村の親類宅にたどり着いた。再会を喜んだのもつかの間、八月中に、ひん死状態だった母親と六歳の弟が次々と亡くなった。その後、島原に疎開した。 生き残った姉は高熱を発し、体中に被爆症状の赤い斑点(はんてん)が現れた。歯茎の出血も止まらなかった。懸命に看病したが、思いは通じなかった。 「死んでいった家族のために、しっかり生きらんばいかんよ」 この言葉を残して姉は九月に息をひきとった。一発の原爆で家族九人のうち父母や兄弟、姉ら七人を失った。 http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/date/005.html ----------------------------------------- 1945年8月9日,11:02、長崎に広島に次ぐ2番目の悪魔の原爆が投下されました。 黙祷を捧げました。 長崎市長が毅然としてアメリカ、日本政府に対して核廃絶を要求しました。核廃絶を願う子供たちの合唱は、当時被災をした子供たちが甦って訴えておるようにも思えました。 |
ozone さん、こんにちは。 少しご無沙汰してしまいました。 長崎の被爆者の体験記をご紹介いただき、ありがとうございます。 ちなみにご案内のサイトは、長崎新聞が1996年からずっと続けて いる、『忘られぬあの日 私の被爆ノート』という企画です。 http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html たしか週一回、新聞紙上に連載し、順次インターネット上にも転載 されています。一回につき被爆者一人、長崎新聞の記者がていねいに インタビューし、記事にしています。 そんな、あまり目立たない、でも骨の折れる取材と記事作りを、もう 十年間たゆまず積み重ねている長崎新聞の記者、編集者の皆さんに、 あらためて敬意を表します。長崎新聞に限りませんが、地方紙の 記者には、本当によく頑張っている人たちが、たくさんいます。 私の父の知り合いも、何人か取材を受けています。父の郷里である、 雲仙岳の西の麓、小浜町の父の幼なじみのもとにも、取材に来たそう です。長崎から小浜までは、車で二時間ほどかかります。 この方は、私も先日お会いしましたが、爆心地から500メートルの、 当時の長崎県立工業学校で被爆しています。防空壕掘りの作業中で、 たまたま壕のいちばん奥にいたので、命拾いしました。文字どおり、 奇跡の生還です。 http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/date/286.html 「ふつうの人」の、それぞれの「あの日」と、その後の60年を追い 続けている、貴重な連載記事です。目次から見出しを眺めて、興味が わいたものを、一本でも二本でも、お読みになってみてください。 そしてぜひ、もう十年間地道に頑張っている長崎新聞に、どんなこと でもかまいませんので、感想や意見を、メールでも、ハガキでも、 送ってあげてください。よろしくお願いいたします。 |
今日は8月15日です。 あの戦争は何であったか。 あの戦争で日本の人たち、周辺諸国の人たちはどのような生活を強いられたのか、更に理性と身体で捉えたいと思っております。 更に過去・現在・未来を通して考え、過去の事実、教訓を未来への展望へとつなげたいと思います。 過去の教訓を蔑ろにすることは、未来へ展望を失うことになると思うからです。 そして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、EU、アメリカそして世界中の人たちとの交流を深め、平和の創生に努力することが一人の人間としての努めだと思っております。 それがあの戦争で非業の最期を遂げた人たちへの供養でもあり追悼でもあると思っております。 http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/ |