Page 755 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/2(火) 20:22 ┣Re(1):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で こんぺいとう 05/8/2(火) 21:29 ┃ ┗Re(2):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 8:41 ┣Re(1):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 8:24 ┃ ┗Re(2):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 9:32 ┃ ┗Re(2):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 9:40 ┃ ┣Re(3):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 石頭の息子 05/8/3(水) 10:30 ┃ ┃ ┗Re(4):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 10:58 ┃ ┃ ┗Re(5):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 石頭の息子 05/8/3(水) 11:08 ┃ ┃ ┗Re(6):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 13:29 ┃ ┃ ┗Re(7):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 石頭の息子 05/8/3(水) 16:47 ┃ ┃ ┗角度を換えれば大正解 ごまめの翁 05/8/4(木) 6:59 ┃ ┣Re(3):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 笹井明子 05/8/3(水) 10:56 ┃ ┗Re(3):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 11:08 ┣Re(1):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 桃李 05/8/3(水) 13:10 ┃ ┗Re(2):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/3(水) 13:30 ┣一度だけ上げておきます ごまめの翁 05/8/5(金) 9:31 ┣Re(1):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 昭和 人 05/8/5(金) 23:17 ┃ ┗Re(2):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で パンドラ 05/8/5(金) 23:43 ┃ ┗Re(3):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 昭和 人 05/8/6(土) 17:26 ┃ ┣Re(4):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ozone 05/8/6(土) 19:50 ┃ ┃ ┗Re(5):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/6(土) 21:49 ┃ ┃ ┗Re(6):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 役立たず隅の隠居 05/8/7(日) 10:11 ┃ ┃ ┗Re(7):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ごまめの翁 05/8/9(火) 19:04 ┃ ┃ ┗Re(8):戦時の体験期・8月15日が来ます。 昭和 人 05/8/9(火) 21:44 ┃ ┗Re(4):戦時の体験期・8月15日終戦記念日で パンドラ 05/8/7(日) 23:58 ┣どうか「跡継ぎ」をつくってください。 ぎみゆら 05/8/9(火) 22:23 ┃ ┣Re(1):どうか「跡継ぎ」をつくってください。 ウミサチヒコ 05/8/19(金) 17:59 ┃ ┣Re(1):どうか「跡継ぎ」をつくってください。 昭和 人 05/8/20(土) 19:22 ┃ ┗Re(1):「父と暮せば」をみました。 桃李 05/8/21(日) 2:53 ┃ ┗Re(2):「父と暮せば」をみました。 ぎみゆら 05/8/21(日) 9:47 ┣Re(1)戦争体験期・60年前の8月終戦記念。 昭和 人 05/8/19(金) 17:45 ┃ ┗Re(1):Re(1)戦争体験期・60年前の8月終戦記念。 昭和 人 05/8/19(金) 23:00 ┃ ┗Re(2):Re(1)戦争体験期・60年前の8月終戦記念。 秋明菊 05/8/20(土) 19:02 ┃ ┣Re(3):Re(1)戦争体験期・60年前の8月終戦記念。 昭和 人 05/8/20(土) 22:33 ┃ ┗『神國日本は敗けました。』 ぎみゆら 05/8/21(日) 10:51 ┣8月15日敗戦の日に ごまめの翁 05/8/21(日) 17:52 ┃ ┣Re(1):8月15日敗戦の日に ぎみゆら 05/8/23(火) 20:07 ┃ ┗Re(1):8月15日敗戦の日に 桃李 05/8/23(火) 23:57 ┗中ソ合同軍事演習 ごまめの翁 05/8/25(木) 9:48 ┗コンフィデンシャルトライアル 退役軍人 05/8/26(金) 13:43 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 戦時の体験期・8月15日終戦記念日で ■名前 : ごまめの翁 ■日付 : 05/8/2(火) 20:22 -------------------------------------------------------------------------
戦時の体験期・8月15日終戦記念日で 私は戦時中は戦地には行ける歳ではなかったが、戦時中の銃後の事は分かっている。 同人誌の世話人をして、8月15日には何かを書いていたが今年は、終戦記念日も近付いたので、ごまめ家の戦時中の話を同人誌に掲載するため書いた。 此れを掲載前に老人党と護憲に書き込む事にした。 4回に分けて掲載します。 明治の最後に生れた方は九十三才になられる。私が子供の時は徳川時代に生まれた方もいらっしゃったのだが、此の明治に生れた方々は一番大きな社会の移り変わりを体験したのだろう。 私は昭和一桁生まれ。明治生れの大先輩まではいかないが其れでも七十数年の社会の変動は、現代の一年が徳川時代四百年以上で、地球上の人類が尤も科学的に進化したのは此の百年ではないだろうか。 人類の移動が乗り物に頼る様に成ると行動範囲が広く成る。そして種族間のトラブルも増えてきた。又、機械文明の発達と共に、兵器も発達し、経済も近代化するに従い国家、民族間にも富めるもの、そうでない者の差ががはっきり現れてきた。 そして、その富める国々が威力の有る武器をたずさえ外洋に出て行く様になってから種族間の生き死ぬに係わるトラブルが始まり、そして武器の発達と共に大量殺戮の歴史が刻まれる様に成った。 私は過去の日本の戦争を擁護もしないし正当化もしない。そして殆どの戦は勝つものと負ける組みに別れるのは必然で力を持って争えば当たり前である。 戦争の善し悪しは別として、その原因は必ず存在する。日本の国土は狭い、其の割に人口は多い。今に成って当時の事を思い出すと日本もそう裕福ではなかった感じだ。現代にも其の傾向は有るが、当時も東洋人種の日本に国力が付くのを嫌がるのか、ガソリン等の輸入も侭ならなかったのも知っている。ABCDラインで可成追詰められたのも知っている。当時の軍隊は政治では押さえ切れない程巨大に成り、軍の意向が国家の意向になり満州に手を出したのだろう。 私の年代では朧げながら覚えているのが、一九三二年の上海事変。一九三九年の盧溝橋。当時は連戦戦勝よく提灯行列に連れて行ってもらったのを覚えている。 当時を思い浮かべると、正義の為に戦っていると言う教育が徹底していたのと勝ち戦で子供心には、戦争は当たり前の事にしか写ってなかったと思う。そして日本は絶対に戦争に勝つとしか頭になく敗戦などは考えても見なかったの本当だ。 其れが、唱和十六年十二月八日、真珠湾攻撃から戦の様相が変わってきた。 翌年のミッドウェーの海戦、大本営発表は連戦連勝を発表するだが、物資が益々逼迫していった。 戦後、判った事だが私達国民は、戦時中は嘘の報道を信じて、国家に奉公していたのだ。 |
▼ごまめの翁さん: >戦時の体験期・8月15日終戦記念日で > > 私の年代では朧げながら覚えているのが、一九三二年の上海事変。一九三九年の盧溝橋。当時は連戦戦勝よく提灯行列に連れて行ってもらったのを覚えている。 > 当時を思い浮かべると、正義の為に戦っていると言う教育が徹底していたのと勝ち戦で子供心には、戦争は当たり前の事にしか写ってなかったと思う。そして日本は絶対に戦争に勝つとしか頭になく敗戦などは考えても見なかったの本当だ。 > > 其れが、唱和十六年十二月八日、真珠湾攻撃から戦の様相が変わってきた。 > 翌年のミッドウェーの海戦、大本営発表は連戦連勝を発表するだが、物資が益々逼迫していった。 > 戦後、判った事だが私達国民は、戦時中は嘘の報道を信じて、国家に奉公していたのだ。 私の両親はどちらも明治生まれでした。私は太平洋戦争がはじまった年の 生まれです。兄姉はみな戦争中に青春であり小学生時代であったので青春 等なかったようです。 父は丙種合格だったのでもう1年戦争が続いたら戦地へ行っていたといつも 笑っていますが、母親の本音は戦時中世間の目は冷たかったようです。 戦地へ行くのが日本男児、天皇陛下のために死ねない男は世間が冷たかった. ただ、技術屋であった父はかろうじて軍の施設設計の仕事をしていたので 非国民のそしりは逃れていた。 私が戦後に小学校にあっがった頃から父母はよく、優秀な人が戦争で亡く なって、本当に日本の国の為になる人達がいない、海軍さんには先の見通し の聞くすばらしい人が多かった。などと話していたことが子ども心に耳に のこり、本当に日本の良い指導者が出てくるのかしらと社会科を学びながら 気になって仕方がなかった。父母はこんな話、戦時中ならすぐ憲兵に連れて 行かれるね、などといいながら戦争の無意味なことを私に聞かせてくれた。 軍国少年だった兄はもう一年戦争が続いたら予科錬へ行きたかったと言って 母を心配させた。今でも船や飛行機に深い興味があるのは少年時代の何かが あるような気がする。(注:陸軍が優秀でなかったとは言わないが・・・) 戦時の体験記を読ませていただき、私の戦争への思いの端くれを記させて いただきました。失礼しました。 |
こんぺいとう さま 拙い文章読んで頂いてありがとうございます。 父上、丙種合格とのことこんな事を言ったら当時の人に叱られるかも分かりませんが良かったですね。 私の従兄弟も丙種合格で終戦の年に赤紙がまいり、 「日本もよっぽど兵隊にする者が居なく成ったのだな」 と言って入隊しましたが、直ぐに終戦に成ってしまいました。終戦の日が近付くと当時を思い出しながら何かを書きたい思いに駆られる時が有ります。 今年は父母が死んで60年ですので父母を忍びながら書いてみました。 |
戦時の体験期・2 其の戦時中の我家生活の一部を紹介しよう。 私の家族は敬虔なクリスチャンだったので、アメリカと開戦した時は、父は弾圧を受けるかもと云っていたが、その心配はなかった。 官立京城師範学校の願書の中に宗教の欄があり「キリスト教」と書いて不利だなと思ったのだが、入学出来たと云う事は、当時の国家は宗教はあまり気にしてはいなかったのだろう。 ある時、夏休みに帰省した兄が、戦闘機乗りに成りたいので甲種予科練習生の試験を受けたいと父に話していた。 父は五分程瞑目していたが、 「今の戦争は長引くだろう。覚悟が出来ているのなら行きなさい。」 と言った。 後日、父と母との会話を其れとなく聞いていると召集令状だったら仕方がないが、自分から軍隊に入るのは躊躇いが有った様だった。 ごまめ家に三人の男の子が居るのだから、国家に捧げるのは仕方がないと言っていた。これは当時の日本国民としては平均的考えだったのではないだろうか。 兄が戦闘機乗りに志願した為、私は親の命令で、兵役に行くのが少ない師範学校を受けざるを得なく成ってしまい自分がやりたい科学者に成り損ねた。しかし、結局、敗戦後逃避中の満州で両親が死んだ為、歯科技工士と云う全く考えてもみなかった職業に付いてしまった。 昭和十九年三月のある日、予科連に合格した兄の出征の日がやってきた。 父は此の事は誰も言わずに家族だけで送ろうと言い出した。今は父の気持を聞く術はない。 今、私が父の立場に立って考えると、「戦闘機乗りだったら直接手を下さないから」と云う事は、見えている人との命のやりとりではないからと思っているのか分からないが、戦争に人を殺めに行くのに大勢な人に旗を振って送って貰いたくなかったのかなと思った。 次回に続く |
戦時の体験期3 朝鮮感興南道恵山邑恵山鎮里。鴨緑江の朝鮮と満州の国境の田舎町。恵山鎮の駅は終着駅。と言う事は始発の駅でも有る。 忘れもしない三月の中ごろの気温は未だ零下十六度を指していた。 十年ぶりに授かった一番下の妹はまだ幼い。母の背中にオブさって親子七人で駅に向った。二番列車で八時半を指していた。 防寒をしていて寒さには慣れているが早朝は堪える。父と母は兄と何かを話している。ここは高度が高くジグザグに登ったり、ループ線が有るので前二輛後ろ一輛の三輛の機関車が付いている。機関車の煙りと蒸気が多く成る、ぼちぼち発車だ。 突然、兄が私の前にやって来て、 「俺は恐らく生きては帰れないだろう。お父さまとお母さまの事頼んだぞ」 と直立不動で敬礼をするのだ。私は何も言えず、黙ってうなずいた。 最後部の列車の後ろに身じろぎもせず立っている兄。列車が動きだすと敬礼をして帽子を振りはじめた。駅を出て二百メートルも走るとトンネルに入る。母は末妹を背負ってホームの最先端まで小走りに走って列車が見えなく成っても手を振っている。妹を背負った母の小さな背中が小刻みに震えている泣いて居るのだろうか。 此の時、父が家族だけで見送ろうと言った意味が判った様な気がした。恐らく大勢の見送りが有れば、母は泣けなかっただろうと今に成って思うのである。 その母も気持の整理が付くに二、三ヶ月はかかった様だった。 此の両親も運命の悪戯か、ソ連が不可新条約を破棄して侵入して来る一週間前に、ソ連と満州と朝鮮の国境の阿吾地に転勤に成り、逃げ遅れて南には下がれず満州に逃避中死んでいる。 幼い弟妹は両親と末妹の死後、満州の荒野を彷徨い歩いたそうだ。そして軍隊は自分達を守ってくれないと云う事を身を持って味わっている。 考えてみよう勝ち戦で軍に余力が有れば市民を守れるだろう。しかし、戦場で命のやり取りをしている時には、市民は邪魔なだけだ。あべこべ自殺を強要するだろう。沖縄、サイパンが良い例である。 何処かの大臣が憲法を改正して自衛隊を正式な軍隊にしなければ国民は守れないと言った。私は自分が大臣室に座った侭で自衛隊員をイラク派遣を命令する。それなら自分が率先して先頭に立って行きたまえと言いたい。 命令だけなら私でも出来る。 近世は戦争経験者が少なく成った。国家の指導者も戦争体験者は全く居ないのと同じである。戦争がどれだけ悲惨なものか全く知っていない。。 今考えると、もし日露戦争に負けていたら日本はどうなっていただろう。恐らく今の様な日本は無かっただろう想像するだけでも恐ろしい。ひょっとしたら今の中国や朝鮮の国民と同じ事をソ連に向いて言っているか、ソ連圏内の属国の国々と同じ運命を辿っているかもわからない。 私の様な庶民には難しすぎる。何処で日本は犯してはいけない過ちをおかしたのだろう。軍隊を持つと云う事は、昔犯した過ちを日本は二度犯す事に成る可能性はあるのだ。 |
何故だか、此の書き込みは新しく書き込んでも上には上がらないので、消えて無くならないうちに全文を書き込む事にした。 私が老人党を退会したのが原因かも分からないが、もしそうだったら、復党も考えていたが今後一切老人党との関わりは断ちたいと思う。 戦時の体験期4 宇宙が生成され、多くの銀河系が出来、其の一つの銀河に太陽系が出来、其の中の一つに偶々生物の住める地球が生まれた。此れは大宇宙の塵にも成らない地球が生まれたのは宇宙の偶然の副産物なのである。其の副産物の此の星で生まれたあらゆる生き物、即ち植物から微生物まで等しく生きて行く権利が有るのではないか。 アフリカで発祥したと云われる人類の進化の中で皮膚の色も黒・白・黄色と分かれ、地球上に分布されるようになった。 そして偶々力の有ったものが種族を統率する様に成ったのだ。其の種族は小さなグループの時には、現在の様な上下の差別はそう大きくは無かったと思う。其れが巨大に成り国家が形成されるとグループも違った形態に成り上下の格差が大きく成ってしまった。 そして、その巨大に成ったグループが生きて行く為には、団体を取りまとめる機関が必要に成り出来上ったのが国家なのだろう。 そして其のグループの頂点に立つのが大統領や首相、それに政治家、官僚と云われる集団で、私達は其の人々に運命を任せているのである。 その方々を私達が選挙で選ぶ、尤もな手法で民主的かも判らないが、其の選挙方式で不公平が生じている。だから私達はよく人物を見極め棄権等はせぬ事だ。 もし間違った選択をすれば、その人々によって昔の泥沼にはまり込む可能せいはある。 昔の戦争の悲惨さを知ってる国民が少なく成った。そして軍隊が国民を守れなかった事を知っている国民も少なく成った。其の為、政治家が真しやかに「軍隊が無いと国民の皆さんは守れない」と云う事を信用する国民が増えてきた。 もし軍隊が出来たら誰が行くのだろう。志願兵では賄えなく成れば徴兵制度は牽かれるだろう。そしてそれは貴男達若者が行くことになる。 先に書いた様に入隊する為に出征した兄を送る母の後ろ姿が震えているのを思い出す。母は何も話さなかったが、辛かったと其の肩が物語っている。職業軍人でも喜んで戦地に夫や子供を送り出す家族はいないだろう。 人殺しは憎しみをうむだけ。そして憎しみはテロを生み、戦争誘発する。地球上から武器を無く為す事が出来ないのだろうか。 アメリカのクシニッチ米国下院議員が憲法九条と日本の改憲について、 「日本のみなさんは、日本が平和の文化を維持出来るというモデルになることを全世界が期待しているのを知るべきです。それは日本が世界へ贈る偉大な贈物です。それは平和文化の理解を世界に伝えることであり、我が国が必要としているものです」 と語られています。。そして多くの世界の識者が九条は世界に誇れる憲法だと言っている。 暴力を否定した憲法九条は世界に誇れる憲法と思いませんか。 私の戦争反対は単純で難しいものではない。 一、国家権力と言えども人が人を殺してよい道理は無い 事。 二、母が兄を送り出した時の憂いの有る後ろ姿を見ると 母の様な女性を地球上からだしたくない。 たった此れだけの理由です。 地球上の色の違い、イデオロギー、宗教の違う人々がが何時でも何処でもにこやかに話せる地球を夢見ながら此の稿を終る。 (二〇〇五年八月十五日) |
▼ごまめの翁さん: > 何故だか、此の書き込みは新しく書き込んでも上には上がらないので、消えて無くならないうちに全文を書き込む事にした。 > 私が老人党を退会したのが原因かも分からないが、もしそうだったら、復党も考えていたが今後一切老人党との関わりは断ちたいと思う。 > > >戦時の体験期4 > > 宇宙が生成され、多くの銀河系が出来、其の一つの銀河に太陽系が出来、其の中の一つに偶々生物の住める地球が生まれた。此れは大宇宙の塵にも成らない地球が生まれたのは宇宙の偶然の副産物なのである。其の副産物の此の星で生まれたあらゆる生き物、即ち植物から微生物まで等しく生きて行く権利が有るのではないか。 > > アフリカで発祥したと云われる人類の進化の中で皮膚の色も黒・白・黄色と分かれ、地球上に分布されるようになった。 > そして偶々力の有ったものが種族を統率する様に成ったのだ。其の種族は小さなグループの時には、現在の様な上下の差別はそう大きくは無かったと思う。其れが巨大に成り国家が形成されるとグループも違った形態に成り上下の格差が大きく成ってしまった。 > > そして、その巨大に成ったグループが生きて行く為には、団体を取りまとめる機関が必要に成り出来上ったのが国家なのだろう。 > そして其のグループの頂点に立つのが大統領や首相、それに政治家、官僚と云われる集団で、私達は其の人々に運命を任せているのである。 > > その方々を私達が選挙で選ぶ、尤もな手法で民主的かも判らないが、其の選挙方式で不公平が生じている。だから私達はよく人物を見極め棄権等はせぬ事だ。 > もし間違った選択をすれば、その人々によって昔の泥沼にはまり込む可能せいはある。 > > 昔の戦争の悲惨さを知ってる国民が少なく成った。そして軍隊が国民を守れなかった事を知っている国民も少なく成った。其の為、政治家が真しやかに「軍隊が無いと国民の皆さんは守れない」と云う事を信用する国民が増えてきた。 > > もし軍隊が出来たら誰が行くのだろう。志願兵では賄えなく成れば徴兵制度は牽かれるだろう。そしてそれは貴男達若者が行くことになる。 > 先に書いた様に入隊する為に出征した兄を送る母の後ろ姿が震えているのを思い出す。母は何も話さなかったが、辛かったと其の肩が物語っている。職業軍人でも喜んで戦地に夫や子供を送り出す家族はいないだろう。 > 人殺しは憎しみをうむだけ。そして憎しみはテロを生み、戦争誘発する。地球上から武器を無く為す事が出来ないのだろうか。 > > アメリカのクシニッチ米国下院議員が憲法九条と日本の改憲について、 > 「日本のみなさんは、日本が平和の文化を維持出来るというモデルになることを全世界が期待しているのを知るべきです。それは日本が世界へ贈る偉大な贈物です。それは平和文化の理解を世界に伝えることであり、我が国が必要としているものです」 >と語られています。。そして多くの世界の識者が九条は世界に誇れる憲法だと言っている。 > 暴力を否定した憲法九条は世界に誇れる憲法と思いませんか。 > 私の戦争反対は単純で難しいものではない。 > >一、国家権力と言えども人が人を殺してよい道理は無い 事。 >二、母が兄を送り出した時の憂いの有る後ろ姿を見ると > 母の様な女性を地球上からだしたくない。 > > たった此れだけの理由です。 > 地球上の色の違い、イデオロギー、宗教の違う人々がが何時でも何処でもにこやかに話せる地球を夢見ながら此の稿を終る。 > (二〇〇五年八月十五日) ごまめの翁さん, 八月十五日にはもう涙もでなくなった、長崎や広島の写真は耐え難くもう見ることができません、でも今朝は貴方の投稿を読んでいて涙が止まらない、流水さんの少年の写真で泣いていらいのことです。 |
石頭さん レスみて頂いて有り難うございます。 >>八月十五日にはもう涙もでなくなった、長崎や広島の写真は耐え難くもう見ることができません、でも今朝は貴方の投稿を読んでいて涙が止まらない、流水さんの少年の写真で泣いていらいのことです。 私は不器用ですから多くの事に首を突っ込む事は出来ませんが、戦争反対には何とか書き込もうと思っています。 此の様な父母の事を書く時、独りでに涙が流れて参ります。私は宗教は戦争の種が多く大嫌いですが、私の言っている大宇宙教としては思い出す事が最大の供養だと思います。 小泉氏も個人的に護衛も無く散歩がてらに靖国に参る事に賛成ですが、政治的に靖国を利用するのは、死んで行った若者の心を冒涜していると思います。 手が空いたら又ダベリを掛けます。 |
▼ごまめの翁さん: >石頭さん > レスみて頂いて有り難うございます。 > >>>八月十五日にはもう涙もでなくなった、長崎や広島の写真は耐え難くもう見ることができません、でも今朝は貴方の投稿を読んでいて涙が止まらない、流水さんの少年の写真で泣いていらいのことです。 > > > 私は不器用ですから多くの事に首を突っ込む事は出来ませんが、戦争反対には何とか書き込もうと思っています。 > > 此の様な父母の事を書く時、独りでに涙が流れて参ります。私は宗教は戦争の種が多く大嫌いですが、私の言っている大宇宙教としては思い出す事が最大の供養だと思います。 > 小泉氏も個人的に護衛も無く散歩がてらに靖国に参る事に賛成ですが、政治的に靖国を利用するのは、死んで行った若者の心を冒涜していると思います。 > > 手が空いたら又ダベリを掛けます。 ごまめの翁さん、 ダベリ 待ってますが、酷暑のみぎり御身大切に。 あれからも兵隊墓を探して丹念に墓標を読んでいます、八月十五日にはどのようになっているか、今年は墓めぐりになりそうです。 |
石頭さん 剣のお墓。 知らなかったらそれまで、しかし知ると奥が深そうです。殺されていくら見事な墓を作ってもらっても、等の本人はチットモ嬉しくはないでしょう。 平和な所で好きなお方と一杯飲んでいたかったでしょう。 |
▼ごまめの翁さん: >石頭さん > > 剣のお墓。 > 知らなかったらそれまで、しかし知ると奥が深そうです。殺されていくら見事な墓を作ってもらっても、等の本人はチットモ嬉しくはないでしょう。 > 平和な所で好きなお方と一杯飲んでいたかったでしょう。 兵隊墓の四角推は剣とは、教えて頂くまで知りませんでした。 当の本人は墓の下でなんにも知りません、知ることができません、いえ、そこは みずくかばね、くさむすかばね、(「かえりみはせじ」は悲しい)、でも「墓」は仏壇とおなじですが、生きている者の為にあります、残された者のこころの平穏でしょう、僕は違った角度からそのお墓を、生きてる者として読んでみたいのです。 |
石頭さん >>当の本人は墓の下でなんにも知りません、知ることができません、いえ、そこは みずくかばね、くさむすかばね、(「かえりみはせじ」は悲しい)、でも「墓」は仏壇とおなじですが、生きている者の為にあります、残された者のこころの平穏でしょう、僕は違った角度からそのお墓を、生きてる者として読んでみたいのです。 あっ、そうか。一つの兵隊墓でも見る角度で違いますね。私は死んで行った人の立場から。石さんは残っている家族の立場からです。残った家族から見れば石頭さんの言っている事は大正解です。バチバチバチ手を叩きます。 |
▼ごまめの翁さん: 60年目の終戦記念日を前に、辛い思い出に裏打ちされた強い、真摯な思いをお書きいただき、有難うございました。以前に「護憲+」掲示板で紹介させていただいたことがありますが、私の母が自分史に書いた、叔父の学徒出陣による戦没の思い出と重なる部分もあり、涙と共に重く受け止めました。 > 何故だか、此の書き込みは新しく書き込んでも上には上がらないので、消えて無くならないうちに全文を書き込む事にした。 > 私が老人党を退会したのが原因かも分からないが、もしそうだったら、復党も考えていたが今後一切老人党との関わりは断ちたいと思う。 の件ですが、何方かが以前に同様の疑問を出されて、管理人さんが説明していらっしゃいましたが、投稿画面の右下端に「sage」という項目があって、そこにチェックが入っていると、上がらなくなっているようです。私にとってごまめの翁さんのご投稿は、この掲示板における数少ない「読むに値するメッセージ」です。これからは「sage」のチェックを外して、ご投稿なさってください。 |
管理人さんに謝罪 >>何故だか、此の書き込みは新しく書き込んでも上には上がらないので、>>消えて無くならないうちに全文を書き込む事にした。 >>私が老人党を退会したのが原因かも分からないが、もしそうだったら、>>復党も考えていたが今後一切老人党との関わりは断ちたいと思う。 と書きましたが、笹井明子さんよりご指摘が有り、私の操作が悪かった様で此の書き込みに謝罪致します。 |
ごまめの翁さま ご投稿を昨日より、印刷しています。書き込みを、ありがとうございます。 |
桃李さん お心使い有り難うございます。 |
戦時の体験期の様な書き込みは、論争などが少ないので直ぐに遠くへ行ってしまいます。 此の様なものは老人党の掲示板には向かないのかもしれませんね。 書いた人間としては3日程で見えなく成ると淋しいので、一度だけ上げて、後は自然の成り行きに任せます。 |
ごまめの翁さん。 読みました。 ご家族の満州からの引き揚げ時のソ連侵攻は許せません。 前にも書きましたが、戦争で絶対許せないことの一つの事件です。ご両親が直接犠牲になり弟さんの悲惨な遁走のこと私の叔父一家と同じです。 最近叔母も叔父も亡くなりました。今8月を迎ええも、もう聞くことができなくなりました。来週お盆で会うときには従兄弟、妹と話しますが、嫌がります。 掲示板書き込みの操作わかってよかったですね。 これからも、気の向くまま書いてください。 ごまめの翁さんの無抵抗主義はインドのガンジーの影響下と思っていたのですが、ご両親特にお母さんの影響だったんですね。今度の書き込みでわかりました。 立ち入ったことを申し上げてごめんなさい。 私も同じ趣旨で今日、広島、長崎の原爆(許せない、もう一つのこと)を書きました。 8月は平和、反戦、護憲9条を訴えるとき、旬のときです。 |
昭和人さん、こんばんは パンドラでも、ぱんどらでも、いいですよ(笑) そろそろHNを変えてみようかなーとも思っておりましたので。 先程、テレビで「火蛍の墓」を観ました。 あれは作家野坂昭如が実体験(彼の妹は戦後の食糧難の時代に栄養失調でなくなっています)を元に書いた小説です 実際の自分はあんな妹思いの兄ではなく、妹の食べ物を奪って迄生きようとした と、語っていたのを読んだ記憶があります。 最近「父と暮らせば」もそうですが、どうも涙腺がゆるみっぱなし でいけません やっぱり「戦争」はどんな戦争でも許せないと思います。 戦争は奇麗事ではなく、勇ましいものでもなく 泥水の中を、血と汗とを流しながら、這いずり回るようなものだと 思います それでも、まだ、生きていられたらめっけもの、ということ なのでしょう。 やっぱり戦争の歯止めになる「9条」に、とどめをさそうとするのを 黙って見ている訳にはいきません。 |
▼パンドラさん: >昭和人さん、こんばんは > >パンドラでも、ぱんどらでも、いいですよ(笑) >そろそろHNを変えてみようかなーとも思っておりましたので。 あの時は、見事な質問に答えがないから、応援催促しました。ほとうの答えはありませんでしたね。(あのときは、しらんっぷり?) > >先程、テレビで「火蛍の墓」を観ました。 >あれは作家野坂昭如が実体験(彼の妹は戦後の食糧難の時代に栄養失調でなくなっています)を元に書いた小説です よかったでしょう。 中途半端な平和、反戦論よりも、この方が説得力があります。 戦争を知らない世代の人たちに是非みせたい映画です。 >最近「父と暮らせば」もそうですが、どうも涙腺がゆるみっぱなし >でいけません 感動は力の泉です。 > >やっぱり「戦争」はどんな戦争でも許せないと思います。 > > >やっぱり戦争の歯止めになる「9条」に、とどめをさそうとするのを >黙って見ている訳にはいきません。 旧い戦争映画別スレッドで紹介しました。 夏休みに是非一度、行って見てください。 |
▼昭和 人さん: >▼パンドラさん: >>昭和人さん、こんばんは >> >>パンドラでも、ぱんどらでも、いいですよ(笑) >>そろそろHNを変えてみようかなーとも思っておりましたので。 > >あの時は、見事な質問に答えがないから、応援催促しました。ほとうの答えはありませんでしたね。(あのときは、しらんっぷり?) >> >>先程、テレビで「火蛍の墓」を観ました。 >>あれは作家野坂昭如が実体験(彼の妹は戦後の食糧難の時代に栄養失調でなくなっています)を元に書いた小説です > >よかったでしょう。 >中途半端な平和、反戦論よりも、この方が説得力があります。 >戦争を知らない世代の人たちに是非みせたい映画です。 > >>最近「父と暮らせば」もそうですが、どうも涙腺がゆるみっぱなし >>でいけません >感動は力の泉です。 >> >>やっぱり「戦争」はどんな戦争でも許せないと思います。 >> >> >>やっぱり戦争の歯止めになる「9条」に、とどめをさそうとするのを >>黙って見ている訳にはいきません。 > >旧い戦争映画別スレッドで紹介しました。 >夏休みに是非一度、行って見てください。 ビデオに撮ってあります。 米軍の空襲で家を焼かれ、親を失い、身を寄せた親戚では厄介者としてイビられ、ホームレスになり洞窟で暮らしていた幼い兄妹。 幼児の妹は栄養失調になり、中学生であった兄の献身的な世話、看病にも拘わらず、絶命します。 いまわの言葉は兄が見つけてきて呉れた食べ物を口に触れ、「兄ちゃんおおきに」でした。 あのいたいけな幼児の言葉で胸がつまされる思いです。 |
>昭和 人さん >>バンドラさん >>>ozoneさん 横から失礼致します。 昨日は戦後60年の特別企画が有りましたので、火垂るの墓をダビングして今日、午後から見て居る時に弟が仏壇にお線香をあげにやって来ましたので一緒にアニメを見ていました。 見ているうちに歳のせいか涙腺が緩く成り、映像もぼけて見えるくらいに涙にじんで来るのです。処が弟は急に嗚咽を始め見るのは辛いから返ると帰って行きました。其れを見た家内はVTRを切ってしまったので未だ後半は見ていません。 其の弟が先ほど電話で、両親に死なれ幼い妹の手を引き、ソ連の戦車や八路軍に追われ、子供だけで満州の荒野を彷徨っていた時を思い出したのだと言って居ました。 今日の広島の方々もそうですが、あの戦争で被害に遭った方々は、死ぬ迄辛い思いを引きづっていくのだなと実感した所です。 そして其れは何処の国の国民も皆同じでしょう。だから戦争は絶対駄目なのです。 もし、戦争をするならば、宣戦布告をした人、其の一族郎党が最初に行くべきで、戦争を始めた自分達は戦争のない所でのうのうと暮らしているのは許せません. 戦争絶滅受合法案。 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/hasegawa_nyozekan.html 成る物が有りました。 |
▼ごまめの翁さん: > 今日の広島の方々もそうですが、あの戦争で被害に遭った方々は、死ぬ迄辛い思いを引きづっていくのだなと実感した所です。 > そして其れは何処の国の国民も皆同じでしょう。だから戦争は絶対駄目なのです。 > もし、戦争をするならば、宣戦布告をした人、其の一族郎党が最初に行くべきで、戦争を始めた自分達は戦争のない所でのうのうと暮らしているのは許せません. > > 戦争絶滅受合法案。 >http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/hasegawa_nyozekan.html 全く同感です。憲法をかえ、教育基本法をかえ、自分らの利益を守ることが国を守ることになるなぞとトンデモナイ理屈をこねる奴等は戦争で一もうけしょうと企む連中です。 我が身内は安全地帯で貧乏人の子供に”生きて虜囚の辱めを受けるナ” ”玉砕せよ”と号令するだけだ。 いま声高に戦争できる国にしょうという奴の名を国民みんなで記録しておいてそのときは真っ先に戦地の送り出そう。歳に関係なし棺桶に片足いれた年寄りでも、勇ましいことをいう奴を戦争に送り出すべきだ。 |
役立たず隅の隠居さん 選挙一色で、古い話は忘れがちなので一寸書き込みます。 TBSの広島の特別番組を見ました。それにNHKの広島平和式典も見ました。 今日の長崎の式典も拝見しました。 今年は歳のせいか、涙がこぼれて止まらないのです何故なのだろう。一つは昨晩、被爆者の方とアメリカで核開発に携わり広島に原爆を投下した時の記録を撮影したエノーラ・ゲイの搭乗していた方の対談で、「多くの子供を含めた民間人を瞬時にして大量殺戮した事に対して気の毒だが謝罪しない」と言い、其れが戦争なのだから仕方がない。だから戦争は駄目だと言うのです。 そして、「日本は真珠湾攻撃した」ではないかと言っているのです。其れから貴方達は「原爆に遭われても生きて居られるから幸福ではないか」と言われるのです。戦勝国の驕りか、国民性か分かりません。此の人がアメリカを代弁しているとは思いません。 でもアメリカ人でも広島原爆に対して反省の思いを表す方も居られるのですから不視儀な国家アメリカと言いたいのです。しかし其れが人間なのでしょうか。 だが此れを聞いて、戦争反対論者で地上から武器絶滅を唱えている私でも此の時エノーラ・ゲイに乗ってアメリカの都市の何処かに核爆弾を落としたら、アメリカの国民はどの様な反応を示すのか実験がしたい衝動に駆られました。 確かに真珠湾攻撃を奇襲した事は日本が悪いのです。私の知っている限りは、誤爆は有ったかも分かりませんが、市民を標的にだけはしていないと思うのです。と云う事は、開戦当時の海軍航空隊はそれだけ連度は高かったと思っています。 しかし、アメリカは、東京やその他の都市・広島、長崎は使用する兵器がどの様な被害を与えるかも計算づく攻撃している事。其れは非戦闘員を標的にしている事が違う様な感じがしているのです。 ですから、アメリカは、ウランとプルトニウムの違った核兵器の人体実験を広島と長崎でした事は間違いないと確信しました。 アメリカは他国に陵辱された経験がなく、其のため事を大きく拡大解釈する傾向が有り其の体質は、9.11のニューヨークのテロでも理由を付け一つの国家を無差別に攻撃しているのを見ているとよくわかります。 ただ此の番組の中で一つ、このエノーラ・ゲイの搭乗員は「だから戦争は駄目なんだ」締めくくっているので其れがせめての救いでした。 考えると、もし日本が先に核開発が終わっていたらどう何だろう.私は核を使っていただろうと思うのです。敗戦の悲惨さを味わっている人間にはそう思うのです. 兎に角、戦争は悲惨です。どの様な理由が有ろうとも国家に大義が有ろうとも、国の命令でも人を殺したり殺されたりする事は許されません。国家は国民が自然の中で天命を全うさせる義務が有ると思うのです.戦場に国民送り命を縮める命令を出す政府は認められません。 戦時体験者の8月9日です 突然やって来た選挙後一月ほど、日本の将来を預ける政治家に皆さん心して投票しましょう。 |
ごまめの翁さん。 そのとおりです。同感です。 私が知っている3月の東京大空襲は住民だけを低空から狙った焼夷弾爆撃でした。 焼かれた東京下町は軍事施設も工場もなかったんです。 今は平和な国技館で相撲で賑わっていますが、あの辺一帯、火と熱風で逃げるところなく、僅かの2時間で13万人が焼かれ死にました。 生き残った人の方が、苦しい生活を強いられたこともアメリカ人には解らないでしょう。 もっとも日本人でも このような戦争の悲惨さを見たり、体験した人が少なくなりました。 火垂るの墓(ほたるの墓)の作品は体験者の原作、理解者の脚本と製作によって訴えているのです。感動させるのです。 ごまめの翁さん。何回でも、語り、言い続けましょう。 8月になると 言いたくなる。昭和1桁人。 |
▼昭和 人さん:こんばんは レス頂きありがとうございました。 先程、60年前に原爆を投下された街、広島と 江田島、呉 の陸海自衛隊の施設 在日アメリカ軍の施設と広島湾をめぐるツアー から二日ぶりに戻って参りました 書きたいことはたくさんあります 私は戦争を知らない世代ですが 戦争は遠い時代の過ぎ去ったことではなく 何時も私達のすぐ傍にあるのだということを 感じることが出来たツアーでした。 軍洋艦は近くで見ると、テレビ、新聞の写真どころではない 大きくて不気味なものでした >旧い戦争映画別スレッドで紹介しました。 >夏休みに是非一度、行って見てください。 良い映画の紹介ありがとうございます 五味川 純平の「戦争と人間」は以前テレビの日曜ロードショウで 観た記憶があります 満州事変から太平洋戦争に至る、日本の財閥とそこに生きている 人々の運命を絡めた、とてもスケールの大きな作品だったと記憶しています。 最近こういった骨太の映画が観られなくなりましたね 今年の八月は例年になく、戦争について改めて考える月になりそうです 「老人党、9条の会」も参加する人が増えて来ました。 昭和 人さん頼りにしています。 |
ごまめの翁様 皆様 妻の実家、秋田の能代に一週間ほど帰省し、まったくネットを見ない 日々を過ごしていました。帰京して、仕事のことと、それからこの 老人党のその間の700余の書き込みを読むのに、ほぼ丸一日かかって しまいました。 それを終えて、最初に、ごまめの翁様にレスをいたします。 貴重な書き込みをしていただき、本当に、ありがとうございます。 ここは、老人党です。管理人は、老人と、未来の老人が集まる場所 だといいますが、しかしやはり、主役はご老人の方々であると思うの です。その方々に、戦争の実際を語っていただきたい。映画やマンガ ではない、戦争の実際を、若い人たちに伝えていただきたい。 そして、ここから先が、いままでなかなか大きな声で言われてこな かったところではないかとも思うのですが、どうか、ご老人の皆さん ご自身の手で、お一人が、一人でもいいので、「後継者」をつくって いただきたい。 子や孫、そうでなくても、若い友人でも、後輩や部下でも、誰でも いいから、「お前!」と指差して、「あなたの戦争の実際」を語る、 「あなたの弟子」をつくってほしい。 戦場を直接見聞した方も、戦災をたとえ間接的にでもご存じの方も、 戦争を語り、それを、十年後、三十年後、五十年後にまた語る 「跡継ぎ」を、ご自身の手で、一人でいいので、つくってほしい。 むずかしいお願いであることは、重々承知で申し上げています。 どうか、お考えください。そして、どうかお願いいたします。 |
▼ぎみゆらさん: >ごまめの翁様 皆様 中略 >「あなたの弟子」をつくってほしい。 そうだねえ。師匠はいてもオレには弟子がいない。今年中に作るろう。 |
▼ぎみゆらさん: >ごまめの翁様 皆様 私も、そう 思います。(上げておきます) > > >そして、ここから先が、いままでなかなか大きな声で言われてこな >かったところではないかとも思うのですが、どうか、ご老人の皆さん >ご自身の手で、お一人が、一人でもいいので、「後継者」をつくって >いただきたい。 > >子や孫、そうでなくても、若い友人でも、後輩や部下でも、誰でも >いいから、「お前!」と指差して、「あなたの戦争の実際」を語る、 >「あなたの弟子」をつくってほしい。 > >戦場を直接見聞した方も、戦災をたとえ間接的にでもご存じの方も、 >戦争を語り、それを、十年後、三十年後、五十年後にまた語る >「跡継ぎ」を、ご自身の手で、一人でいいので、つくってほしい。 > > 体験者、知っている人は、生きているうちに、今、書くことだと思います。 絵でも、写真集でも、漫画・アニメでも、映画人は映画を作り後へ残す、小説家は小説を、生きている今、作って残して欲しい。 これが多くの弟子を作り、後継者を作ることだと思う。 毎年、8月になる毎に 想うことです。 |
ビデオを借りてきてみました。 原爆が落ちたときに人々が感じた恐怖や、生き残ってしまった娘の心の痛み、幸せになってはいけないと自分に言い聞かせる心境をすべて自分のものにして理解することは不可能ですが、 二度と繰り返してはいけないことだと言うことが強いメッセージとして伝わってきました。 私は原爆も戦争についてもまだまだ知らなすぎると思いましたが、知るのが怖いくらいの ひどいことだと思いました。 哀切のあふれる苦しいテーマを、おとったんが悲しみを抱えながらも、愛嬌のある 優しく温かいことばと態度で、語りますね。 共感できる部分はたくさんありましたが、個人的なことになるので、とてもこころに残ったと 書いておきます。 夫は広島弁はぜんぜんわからなかったそうです。 本当は原語でわかるのがいちばんですけれど、 字幕をつけて海外で上映する予定があればいいなぁと思いました。 |
桃李さん、こんにちは。 『父と暮せば』をご覧になったとのこと。ご報告、感謝します。 > ビデオを借りてきてみました。 そう。もうビデオとDVDが出ているんですよね。こういうことは、 このごろ何でも早いですね。 http://www.pal-ep.com/father/news.html > 哀切のあふれる苦しいテーマを、おとったんが悲しみを抱え > ながらも、愛嬌のある優しく温かいことばと態度で、語りますね。 > > 共感できる部分はたくさんありましたが、個人的なことになる > ので、とてもこころに残ったと書いておきます。 そうですね。原爆被害というとても「大きな」テーマを扱いながら、 見る者一人ひとりの「個人的な思い」のようなところに届いてくる。 そういった一週不思議な魅力を持った作品です。その辺のところが、 井上ひさしさんの劇作家としての力なんだろうとも思います。 > 夫は広島弁はぜんぜんわからなかったそうです。 新潮文庫で原作が出ています。 http://shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=116828-8 この映画に関しては、事前に本を読んでから映画を見る、というのも 一つの方法です。そうやって広島弁セリフの「予習」をするんです。 私も、ふだんは映画を見る前に原作は読まない主義なんですが、(笑) 今回は、父にすすめられて、そうしました。 > 本当は原語でわかるのがいちばんですけれど、 > 字幕をつけて海外で上映する予定があればいいなぁと思いました。 井上ひさしさんも、黒木和雄監督も、それを強く望んでいるはず です。きっといずれ実現するでしょう。 そもそも今回の映画化は、黒木和雄監督が「ダメモト」のつもりで 井上ひさしさんを訪ねて、「映画にしたい」と頼んでみたところ、 思いのほかアッサリと承諾してくれた。そのとき一つだけ言われた のが、「いずれ海外でも、とくに核保有国で、上映してください」 ということだったんだそうです。 井上さんも、お芝居の『父と暮せば』を何度か海外に持って行って るんですが、やっぱりお芝居を外国に持ってくのは、大勢の人が 動くし、お金もかかるし、何かとたいへん。その点、映画になれば、 ずっとやりやすくなるはず。そういうことのようです。 * なお、ちょうど昨日から、東京・神保町の岩波ホールで、毎日夕方 6時30分から、『父と暮せば』が上映されています。(9/2まで) http://www.iwanami-hall.com/ ※左の目次から「戦後60年記念連続上映」をクリック おそらく公式の映画館上映は、とりあえずこの辺で打ち止めだろうと 思いますので、ご興味のある方、お出かけください。私もこの機会に もう一度、見にいくつもりでいます。 桃李さん、書き込み、本当にありがとうございます。 |
8月の夏休み、私は戦争映画「戦争と人間」(満州事変から太平洋戦争に入る、昭和1桁時代)、「人間の壁」(終戦直後の教育問題など)を見た。 また、靖国で直筆の「きけわだつみのこえ」、その他「戦争体験」を読んだ。(「戦争体験」(朝日文庫・声が語り継ぐ昭和)等。 戦争の悲惨さの実情を忘れ去らしたくない。 体験者で生き残った人は、60年前の今頃、白旗を掲げるか、ソ連シベリヤへ抑留させられたか、南方では米軍補給の食料で助かったか、死の遁走に生き残ったかなどの人が多い。 指示どうり「天皇陛下万歳」を叫んで玉砕、または自殺した人もあった。それへの負い目からか、戦場から生きた体験者はあまり語ろうとしない。 せめて、記録にとめたのが映画作品であり、文集。(「戦争体験」(朝日文庫・声が語り継ぐ昭和)などである。 私は、体験として知っている部分と、懐かしい、既に亡くなった先輩や同年配の有名俳優を通じて改めて感動したこの夏でした。 今、総選挙を迎えている夏ですが、原爆と戦争の悲惨を少なくとも、私の子や孫には体験させたくないことを自覚決心し、少なくとも海外派兵を許すような憲法9条の改定は阻止することを展望した選挙を意識したい。 政権交代もよいが、せめて、比例区は護憲九条の政党へ投票したいと考えます。 |
▼昭和 人さん: ごまめの翁さん このスレッドのみなさん。 8月15日は過ぎましたが、このスレッド後へ下がるのは未だ早すぎます。 60年前の今日あたりの満州では懸命にソ連軍から遁走している頃だったのです。(押し上げます) >8月の夏休み、私は戦争映画「戦争と人間」(満州事変から太平洋戦争に入る、昭和1桁時代)、「人間の壁」(終戦直後の教育問題など)を見た。 >また、靖国で直筆の「きけわだつみのこえ」、その他「戦争体験」を読んだ。(「戦争体験」(朝日文庫・声が語り継ぐ昭和)等。 > >戦争の悲惨さの実情を忘れ去らしたくない。 上の2つの映画を見ての感想ですが、 ・あの悲惨な戦争を起こした原因は、やはり、軍隊の強大化と、これを支えた国家神道、天皇制軍事主義の教育にあったのではないかと思いました。 私自身の中学時代を思い出し、また上の映画を見て、つくずくと思いました。 > > >指示どうり「天皇陛下万歳」を叫んで玉砕、または自殺した人もあった。それへの負い目からか、戦場から生きた体験者はあまり語ろうとしない。 > > >私は、体験として知っている部分と、懐かしい、既に亡くなった先輩や同年配の有名俳優を通じて改めて感動したこの夏でした。 > >今、総選挙を迎えている夏ですが、原爆と戦争の悲惨を少なくとも、私の子や孫には体験させたくないことを自覚決心し、少なくとも海外派兵を許すような憲法9条の改定は阻止することを展望した選挙を意識したい。 > > |
昭和 人さん ごまめの翁さん こんばんは。いつも拝見させて戴いています。 >>8月の夏休み、私は戦争映画「戦争と人間」(満州事変から太平洋戦争に入る、昭和1桁時代)、「人間の壁」(終戦直後の教育問題など)を見た。 >>また、靖国で直筆の「きけわだつみのこえ」、その他「戦争体験」を読んだ。(「戦争体験」(朝日文庫・声が語り継ぐ昭和)等。 > >>戦争の悲惨さの実情を忘れ去らしたくない。 >上の2つの映画を見ての感想ですが、 >・あの悲惨な戦争を起こした原因は、やはり、軍隊の強大化と、これを支えた国家神道、天皇制軍事主義の教育にあったのではないかと思いました。 >私自身の中学時代を思い出し、また上の映画を見て、つくずくと思いました。 - - - - 8月15日の中日新聞の朝刊より(一部抜粋) - - - 昭和20年8月15日の「玉音放送」の直後、旧名張国民学校(三重県)5年は組 の教師は、この終戦の詔勅をテーマにクラスの児童に作文を書かせた。 *女子45人の中の4人の作文などが掲載されました。ほんの一部を抜粋します。 ○天皇陛下は臣民が悪いとは一言も仰せられませんでした。 皆、泣きました。さうして一そう頑張らうと思ひました。 ○一億の者1人残らず一つの火の玉となって一生懸命働いたならばこんなことに ならなかったにちがひない。 ○日本に原子爆弾が早く出来ていたらと思ひこれからもっともっと勉強をして 日本をもとのやうに立てなほさなければならないと思った。 ○私たち国民がもっと、よく働きアメリカにまけないやうにがんばれば、私たち も原子爆弾にまけないやうなものが作れるのにとみんなは思ひ私たちは天皇 陛下に申しわけないと思ひみなは涙をだして泣くばかりでした。 60年経った今、この作文を読んだ5年は組の児童だった方達は、 ○自分の作文を読むと、幼児期には批判する力がないと分かる。 よく洗脳されていたと思う。 ○(オウム真理教の)マインドコントロールという言葉が流布したが、戦時中の 私達もそうだったと思った。 ○日本が米国に負けて占領されれば、鼻に穴を開けられたり手錠をかけられたり する。あのころ校長先生か誰かに聞かされた。先生の言うことはすべて正しい と信じ切っていた。 軍国主義を植え付ける役割もあった国民学校。 教える立場だった西出さんは忸怩たる思いから、あえて、あの時代にお国が こしらえた教科書のいくつかを、今でも手元に置いている。 ○戦争が終わって自由にものが言える世の中になった。 でも最近は逆行している感じ。再びあんな時代になるのか。 「5年は組」が残したのと同じような作文が、二度と書かれることのないように。 - - - - - - - 引用 終わり - - - - - - - - - この作文は、’95年8月、「神國日本は敗けました」(日経大阪PR社)の タイトルで本になったそうです。 戦争で実際に亡くなった人達は、実際に戦って亡くなった兵隊さんより、 餓死した兵隊さんや、沖縄で自害したり本土の空襲などで亡くなった一般の 人達や、栄養状態や医療が行き届かないため病死したの方がずっと多い そうですね。 一杯の水を求めて苦しみながら亡くなった人達も多くいらっしゃったとか。 戦争反対を口に出して行く事は大切な事だと思います。 戦時中、苦労して生き延びられた方達のご体験はとても貴重です。 たまにでも結構ですので、長く長〜く続けられますよう、願っています。 >>今、総選挙を迎えている夏ですが、原爆と戦争の悲惨を少なくとも、私の子や孫には体験させたくないことを自覚決心し、少なくとも海外派兵を許すような憲法9条の改定は阻止することを展望した選挙を意識したい。 |
▼秋明菊さん: このスレッドへ、お立ち寄りしていただき、また 書き込みを 有難うございました。 戦争体験を語るこのスレッドが遠くへ押しやられていたのが残念で消えそうな灯火を呼び戻したつもりです。 8月は原爆、終戦、抑留、引き揚げ、等など忘れることのできない、いや忘れてはいけない時なのです。 ごまめの翁さんの立てたこのスレッドは、せめて今週位までは見えるところへおきたかったのです。 秋明菊さん、深いご理解と書き込みとを ほんとうに ありがとう。 >○日本が米国に負けて占領されれば、鼻に穴を開けられたり手錠をかけられたり > する。あのころ校長先生か誰かに聞かされた。先生の言うことはすべて正しい > と信じ切っていた。 > >軍国主義を植え付ける役割もあった国民学校。 >教える立場だった西出さんは忸怩たる思いから、あえて、あの時代にお国が >こしらえた教科書のいくつかを、今でも手元に置いている。 > >○戦争が終わって自由にものが言える世の中になった。 > でも最近は逆行している感じ。再びあんな時代になるのか。 > >「5年は組」が残したのと同じような作文が、二度と書かれることのないように。 > > >戦争で実際に亡くなった人達は、実際に戦って亡くなった兵隊さんより、 >餓死した兵隊さんや、沖縄で自害したり本土の空襲などで亡くなった一般の >人達や、栄養状態や医療が行き届かないため病死したの方がずっと多い >そうですね。 特にガダルカナル等南方戦線ではそうでした。 > >一杯の水を求めて苦しみながら亡くなった人達も多くいらっしゃったとか。 多かったはずです。国内空襲でさえも そうでした。ましてや戦地では。 > >戦争反対を口に出して行く事は大切な事だと思います。 >戦時中、苦労して生き延びられた方達のご体験はとても貴重です。 >たまにでも結構ですので、長く長〜く続けられますよう、願っています。 > >>>今、総選挙を迎えている夏ですが、原爆と戦争の悲惨を少なくとも、私の子や孫には体験させたくないことを自覚決心し、少なくとも海外派兵を許すような憲法9条の改定は阻止することを展望した選挙を意識したい。 絶やすことなく、戦争の悲惨さを語り、書き、引継ぎ、残しましょう。 |
秋明菊さん、お久しぶりです。 『神國日本は敗けました。』(日経大阪PR、1995年)、以下の ページの、一番下に案内が出ています。 http://www.nop.co.jp/shoseki/index.html 残念ながら、現在在庫切れのようです。10年前の本ですし、まあ 仕方がありませんが、とりあえず、「詳細はこちら」から、本の 紹介を読むことができます。とても興味深い内容ですね。最寄りの 図書館で所蔵しているのを見つけましたので、今度読んでみます。 ※なお、この本にご興味を持たれた方に、以下お知らせいたします。 ▼ ▽ 書名が「負けました」ではなく「敗けました」であることに注意して ください。図書館などで検索するときに、この一字の違いで見つから ないことがありますので。 * 私の母は、昭和5年生まれです。昭和19年、勤労動員令で飛行機 工場で働いていたとき、いよいよ特攻が始まったというウワサを 聞いて、女学校の級友らと、「なんで男にだけ特攻をやらせ、若い 命を散らせるんだ。女にもできる! 私たちにもやらせろ!」と 息巻いていた、筋金入りの愛国少女だったそうです。 そんな話を聞いていますので、書いてくださったことが、身にしみ ます。貴重な書き込みをいただき、本当にありがとうございます。 |
戦争体験期も彼方に行ってしまうのかと思っていましたら、 >>ぎみゆらさん >>ウミサチヒコさん >>昭和 人さん >>秋明菊さん のお陰で表の場所で見る事が出来て嬉しく思います。 体験期も書き終わると書く事も無く成ります。ですから今回は敗戦の日に訪れた弟の事を書いてみます。 8月15日敗戦の日に弟が図書館から本を借りて来て見てくれと言うのです。 以前から弟に生きている内に自分の体験記を書けよと言っていましたが、地図が無いからとか場所が分からないとか、書く気になれないとか、思い出すのが嫌だと言っていた弟が図書館から旧満州地図の載った本を借りて来て、兄貴分かりにくいから、何とか分かりやすい地図を作ってくれないかと言うのです。 弟は体験期を書く気には成った様ですが、出来上がってみなくては分かりません。しかし書けたとしたら小学校6年生の生の戦争体験記だから迫力は有ると思います。 弟が体験期を書こうかなと思ったのは、先日朝ナマで出ていた元関東軍兵士の話を聞いて、あんないい加減の話をしてと、腹を立ててすました。どうやら此の朝ナマを聞いてから書く気に成ったのか図書館から旧満州の地図が載っている本を借りてきたらしいのです。 弟が何故腹を立てたか、当時ソ連兵と真剣に戦った兵士は皆シベリアに送られている。しかし其の混乱のドサクサに軍服を脱いだり階級章等外したりして民間人に紛れた込んだ要領の良い脱走兵が抑留されずに帰国している。其の様な人間が、何を偉そうに好きな事を云っているのが腹だたしいと言う事らしいのです。 事実、満州を彷徨っている時、一人の元軍人に騙されて父母の遺髪など形見を入れた少しばかりの荷物を取られたのがよっぽど堪えたらしく、両親の葬式と兼ねて50回忌を済ませた時、小さいながら墓石を造りましたが、何も入れるものが無い空っぽのお墓を見て、あの時、妹がもう少し大きかったら元軍人に荷物を持って貰わなかったのにと悔やんでいました。 親の死に水をとった弟はよっぽど悔しさが残っているのだろうと思います。同じ兄妹でも、親の死を現実に見ていない私は弟よりは幸せかも分かりません。 私の昔と同様、文章を書いたことのない弟、何とか完成してほしてと心に祈っています。 戦争は罪の無い人々を不幸にします。戦争の無い世界にするには世界から軍隊を無くす事しかないのです。 平成17年8月15日敗戦の日に記す。 |
ごまめの翁さん、こんにちは。 > 8月15日敗戦の日に弟が図書館から本を借りて来て見てくれと > 言うのです。 > 以前から弟に生きている内に自分の体験記を書けよと言っていま > したが、地図が無いからとか場所が分からないとか、書く気になれ > ないとか、思い出すのが嫌だと言っていた弟が図書館から旧満州 > 地図の載った本を借りて来て、兄貴分かりにくいから、何とか > 分かりやすい地図を作ってくれないかと言うのです。 地図というのは、とてもいい考えだと思います。 書こう、思い出そうと思っても、記憶もバラバラだし。何をどこから 書いたらいいかもわからないし。というのは、自分史を書こうとする 人たちの多くが、経験することのようです。 私の父は、これまでにいくつかの公民館などで自分史講座の講師を やったことがありますが、そのときにはよく、受講者それぞれに、 年表作りをやってもらっていました。 年号のモノサシと、枠を二つ作っておいて、片側には真珠湾とか アッツ島とか歴史的な事実を書いておき、もう片側に、自分自身の ことを、思い出すごとに書き込んでいくと、だいぶ思い出しやすく、 やりやすくなることが多いということでした。 わかりやすい地図を、見つけたり、作ったりすることができれば、 思い出すためにも、何をどう書くかを考えていくうえでも、とても 役に立つと思います。 私も、ここしばらく父から長崎原爆の話を何度か聞いていくときに、 長崎市の大きな地図を用意しておいて、それと1945年当時のことを 書いた略地図などを照らし合わせながら、このとき父はこの場所から こっちに移動したとか、ここでひと晩を過ごしたとか、なるべく いちいち地図にあたるようにしていました。 そうすると、不思議なもので、ただの市販の地図がだんだん、大勢の 人が暮らしている、生きた街に見えてくるんです。 弟様の気持ちにピッタリくる地図を、いろいろ探したり、自分たちで 作ってみたりするのは、そのこと自体に、うんとたくさんの時間を かけても、それだけの値打ちがあることだと思います。なかなか 面倒な作業とは思いますが、どうか実行してみてほしいと思います。 そうして、いい地図が見つかったり出来上がったりしたら、できれば それを、どこかのお部屋に、いつでも見られるように広げっぱなしに しておけると、とてもいいのですが。 > 弟は体験期を書く気には成った様ですが、出来上がってみなく > ては分かりません。しかし書けたとしたら小学校6年生の生の戦争 > 体験記だから迫力は有ると思います。 私もそう思います。あえてこんな言葉を使いますが、とても楽しみな 気持ちがふくらみます。 > 親の死に水をとった弟はよっぽど悔しさが残っているのだろうと > 思います。同じ兄妹でも、親の死を現実に見ていない私は弟よりは > 幸せかも分かりません。 いま広島長崎の原爆被爆者の平均年齢は、73歳とちょっとです。 ということは、当時13歳。家族をなくしたとか、ご遺骸を自分で 燃やしたとか、そういった体験記がたくさんあります。月並みな 言い方になってしまいますが、そのつど、本当にそのつど、涙なく しては読めません。 > 私の昔と同様、文章を書いたことのない弟、何とか完成して > ほしいと心に祈っています。 私も、そのように、気長に、期待しています。何かお役に立てそうな ことがあれば、どうか遠慮なくご連絡をください。ごまめの翁様、 弟様、皆様の、ご健勝とご健闘を、心よりお祈りいたします。 |
戦争体験記を書くのは、私などには計り知れない精神的に大変だと思います。 弟様の体験記がご兄弟の力でかきあげられることを、お祈りしています。 私は亡くなった大叔父が飛行機乗りの兵隊としてのこした手記を、これから探したいと思っています。 |
恐い恐ろしい。 早朝のテレビで、ソ連と中国の合同軍事演習の映像が映っていた。日本もアメリカと合同軍事演習をしている。双方とも標的にする国はないと言っているのだが、何か思惑がないと膨大な費用を掛けて演習する必要はない。 子供の頃、野戦の演習を丘の上から見学した事が有り、野砲等の射撃を見て興奮したものだが、ものの一分も満たない映像に映し出された威力は私が子供の頃見たのとは100倍以上の破壊力と物量には驚き。それとあれだけの武力の有る国家に援助をしているのにも驚き。 もし此れだけの戦力が日本を襲ってくれば、いくら自衛隊が優秀と云えども平和の中て育った軍隊との違いは歴然で、ひとたまりもなく、凌辱されてしまうのはハッキリしている。平和の中で育ち戦争の現実を知らない現代人は、日米安全保障条約が有ると云っても、其れが本格的に動き出す迄には時間が必要だから、戦場に巻き込まれた地域はひとたまりもない。 各国は綺麗ごとを云っているが、アメリカは中国、次にはソ連を最大級に警戒していると思うし、中ソも腹の中はアメリカは好きではなく最大級にアメリカを警戒しているだろう其れでないと、中国もソ連もあの様な大々的な演習はしないのではないか。 私は先の中日戦争も何だかんだと言っているが、アメリカが中国に日本と代理戦争をさせていた姑息な側面が有ると思っているので、何か問題が起こった時に其の時の逆もあり得ると思うと、其の迫力の或る演習を見ていて背筋が寒くなってきた。 早く此の地球から軍事演習のない世界に成る事を神に祈るしか庶民には手立てがないのが腹だたしい。 |
ごまめの翁さん、こんにちは。 レスを付けるか付けないか、散々迷ったのですけれど。 政治的意味を中露合同軍事演習に求めるのもどうかと思いましたので。 そこは抜きにして軍事的意味についてだけ。 ▼ごまめの翁さん: > もし此れだけの戦力が日本を襲ってくれば、いくら自衛隊が優秀と云えども平和の中て育った軍隊との違いは歴然で、ひとたまりもなく、凌辱されてしまうのはハッキリしている。 杞憂であると申し上げておきます。 日本の自衛隊が持つ防御能力を凌駕して、上陸侵攻可能な実力を持つ軍隊は米軍だけです。 現在の人民解放軍の実力では本土沿岸にですらたどり着けないでしょう。 米軍が持つ、一個両用作戦群とほぼ同じ能力を獲得する過程にありますが、あと十五年ほどはかかるでしょうし、例え獲得したとしても日本の領土への侵攻は南西諸島へ可能な実力を持てれば上出来かと。ちなみに米軍は三個両用作戦群を運用しています。 これに対応して、日本の軍備も北方(対露)重視から西方(対中国)へシフトしていて、これも十年ほど必要ですが部隊再編と展開地域の移動を始めています。 それに戦力格差が五倍を上回らないと、強襲揚陸は事実上不可能ですからね。 攻撃して被害を出す事は可能ですが、上陸して支配地域を構築するのは不可能であるということです。 攻撃して被害を出すだけでは、政治的目的を得られないということです。 占領し、政権樹立と行政機構の掌握を出来ないと政治的目的は得られませんから。 台湾侵攻を思い止まっている理由でもあります。 今回の軍事演習は政治的な示威行動の意味もありましょうが、もっと現実的な目的の為に行われていると思いますよ ハイテク兵器では三世代の遅れをとっている人民解放軍ですし、自主開発では追いつけない現実を認識していると思います。 自主開発出来なければ、輸入して整備するしかない。 頼みの綱だった、フランスやスゥエーデンなどの欧州からの輸入が事実上不可能になってしまいましたよね。 中国が手に入れられる先はロシアしかないという現実と、石油を始めとした資源輸出と兵器輸出に経済発展の活路を見出そうとしているロシア。 この両者の利害が一致しただけのこと。 今回の演習は、強襲揚陸が課題のようです。 そのために必要なロシア製兵器系と人民解放軍の兵器系運用の整合性確認のために行われていると思います。 ビジネスとしての兵器購入の過程で、売り手であるロシアの保証する性能や運用上の利点と、改善すべき点を確認する、いわばコンフィデンシャルトライアルであると見ています。 実証試験のための演習ですよ。 兵器は体系です、部隊編成まで含めてこれを確立しないと有効な戦力とはならない現実がありますから。 失礼いたしました。 |