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 ▼宮崎哲弥とは何者ぞ!  しまったk2 05/8/31(水) 22:32
   ┣Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  憲法改悪 05/9/1(木) 0:41
   ┣Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  もの申す 05/9/1(木) 7:46
   ┣Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  昭和 人 05/9/1(木) 10:16
   ┗Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ステディ ベア 05/9/1(木) 11:04
      ┣Re(2):宮崎哲弥とは何者ぞ!  BadBloke 05/9/1(木) 14:13
      ┃  ┣Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ステディ ベア 05/9/1(木) 15:05
      ┃  ┃  ┗Re(4):犬を育てるとは何事ぞ!  BadBloke 05/9/1(木) 22:14
      ┃  ┗Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  昇竜 健志 05/9/2(金) 21:13
      ┗Re(2):宮崎哲弥とは何者ぞ!  しまったk2 05/9/1(木) 21:10
         ┗Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ステディ ベア 05/9/1(木) 23:16

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 ■題名 : 宮崎哲弥とは何者ぞ!
 ■名前 : しまったk2
 ■日付 : 05/8/31(水) 22:32
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   今日の道新で、宮崎哲弥という評論家が、選挙の争点に憲法改定やイラク自衛隊派遣がなっていないことに違和感を示していたので、気を引かれた。しかし、その論評に、なんとも違和感を覚えた。

論旨は、「惰性の平和主義を厳しく問う」ということである。しかし、その内容は、アニメーション作家の押井守、国際政治学者の坂本義和、社会思想家の仲正昌樹の引用が、3000字ほどの小論文の半分くらいを占め、それを自分のコメントで繋いでいる。最近よくある、無主体引用手法である。

押井守が、その小説で「無数の戦争によって合成され、支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが、俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふりかまわぬ平和」といえば、それに、<戦争から目を逸らし続けること、戦時への想像力を封じることこそが、平和の実現に繋がるという、特殊戦後日本的イデオロギー(?)が、いつの間にか平和を嘘つきたちの正義に堕落させてしまった。>という具合である。

こんなセリフが、広島の原爆記念館を始め、映像、書物などなどおびただしい数の、戦争の現実を、宮崎さんは見て出てくるのだろうか。自分が戦争から目をそらし、戦争への想像力が欠如しているために、思考転倒してしまっているのではないか。

とにかく、やたらと意味不明のボキャブラリーの網羅である。
<護憲パラダイムに対する違和感>
<憲法として体制化した原理に依存して、平和主義を語る>
<自衛隊、日米安保条約を、合憲と強弁してきた護憲勢力の脆弱さ>
<一般に、ネーションが合意している文化や伝統ではなく、それらから分離された憲法という仕組=体制への愛国>
<退嬰的な、一国平和主義が、日本の護憲派の本音>

こんな字句が、商業紙の夕刊に並んでいる。どうもTPOが無い。もう少し義務教育レベルでも理解できる書き方がないのだろうか。ただ、翻訳してみると、大したことは言っていない。要は、護憲主義者は、時代錯誤だと言っているのだろう。

郵政民営化総選挙の是非を議論するための、論評にしては、かなり斜めの視点である。
そして、この期に、このような論評を出す魂胆は?。それにしても、どうも「キモイ」

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : 憲法改悪  ■日付 : 05/9/1(木) 0:41  -------------------------------------------------------------------------
    しまったk2さんこんばんは、
仰るとおり「宮崎哲弥」って最近“気持ち悪い”と感じています。
良識派のTBSラジオに以前からよく出演していたのですが、
私は何だか焦点の合わないフラフラ学者さんだなと感じるようになっていました。

若い人達にそれを話すと「なんだ今頃やっと気が付いたの?」と冷たくあしらわれました。やはり若く鋭敏で純真無垢な命はキッチリ感じ取ってたのですね。

※勿論多くは鈍感で無関心な若者や、間違った偏った歴史感を注入されたり、純粋ゆえに偏った宗教に利用される脆く善良な若者たちもいます。

何とか「聡明で洞察力と責任感の有る大人に」
育てるのは年配者の使命と老後の楽しみでも無いでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/9/1(木) 7:46  -------------------------------------------------------------------------
   しまったk2さん

>今日の道新で、宮崎哲弥という評論家が、選挙の争点に憲法改定やイラク自衛隊派遣がなっていないことに違和感を示していたので、気を引かれた。しかし、その論評に、なんとも違和感を覚えた。
>論旨は、「惰性の平和主義を厳しく問う」ということである。しかし、その内容は、アニメーション作家の押井守、国際政治学者の坂本義和、社会思想家の仲正昌樹の引用が、3000字ほどの小論文の半分くらいを占め、それを自分のコメントで繋いでいる。最近よくある、無主体引用手法である。

彼は日和見評論家に過ぎません。現在は小泉ヨイショに精を出しメディア露出度を確保しています。
彼のこれまでの論調は常に体制側につくことで、身の安泰を図る態度に終始しています。数年前まではやや過激な発言で注目を浴びることもありましたが、今は若者にへつらい、体制を擁護し田原総一朗の後を継ぐべく頑張っています。
彼の評論から教えられたものは何もありません。世渡りのうまい専門分野もないふつうのおじさんに過ぎません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/9/1(木) 10:16  -------------------------------------------------------------------------
   直接のレスではありませんが。
憲法改定の問題(イラク派兵セット)は、今度の選挙の争点とすべきです。
特に民主党が触れないで逃げていることに、憤慨を感じます。

しまったK2さん61118をみてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/9/1(木) 11:04  -------------------------------------------------------------------------
   しまったk2さん、その他の皆さん、失礼します。
あまりにも一方的な物言いに、例によってバランスを取らせていただきます。
当たっていると思いますが、もし違っていたら、無視して下さい。

>押井守が、その小説で「無数の戦争によって合成され、支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが、俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふりかまわぬ平和」
>>といえば、それに、
><戦争から目を逸らし続けること、戦時への想像力を封じることこそが、平和の実現に繋がるという、特殊戦後日本的イデオロギー(?)が、いつの間にか平和を嘘つきたちの正義に堕落させてしまった。>
>>という具合である。こんなセリフが、広島の原爆記念館を始め、映像、書物などなどおびただしい数の、戦争の現実を、宮崎さんは見て出てくるのだろうか。自分が戦争から目をそらし、戦争への想像力が欠如しているために、思考転倒してしまっているのではないか。

全く、宮崎 哲弥氏の言われるとおりだと思いますね。
「悲惨な戦争の現実から何を学ぶか」、ここが皆様方と宮崎氏(私も)とで決定的に違っている、と思います。
結論から言えば、悲惨な戦争の現実に対し、一種、卑怯な精神のもたらす反戦、厭戦思想が宮崎氏の言う「平和を嘘つきたちの正義に堕落させてしまった」のです。

皆様方は、戦争を「人を殺したくない、人から殺されたくない」と言ういわば内面的な道徳の次元で論じられていませんか?
そして、それがヒューマニズムだ、と思っておられませんか?

「戦争のためなんかで、死ぬのはいやだ。」
うん、多分、人間全てそれがホンネでしょう。
しかし、「私的には死にたくないが、公的には死なねばならぬかも知れぬ」と考え、次に、その公的な義務を放棄した自分を考えると、「自身が不愉快になる」ので、「公的に進んで危地に赴こう」とする、しかしそこでも、私的にはなおも「死にたくない」と願う、ホンネとタテマエが混然一体となってあります。
これが普通の人間です。
こういう葛藤にケリをつける為に、人間は道徳を生み出し、法律(タテマエ)を決めたのだと思います。
ところが、タテマエなんかどうでもいい、と考える人間は、ホンネにおいて公私の葛藤がない、すなわち私心しかない人間と言うことになります。

「悲惨な戦争のために死ぬのはいやだ」と言う、私心しか持たぬ、こんな卑怯な若者を育てるのは、親、家庭、学校、地域社会、その全てを取り巻く社会環境です。
自分の責任を回避するための口実を社会のせいにする人間が何世代か続けば、やがて日本人は、他者のために死地へ赴くこと、それ自体を不道徳と見做すようになります。
過剰な勇気、蛮勇(これは否定できない事実でした)への反発として、これを忌避するあまり、戦後、過剰なまでの思慮、すなわち臆病が日本にもたらされました。
しかし、勇気も思慮と同様に価値ある行為である以上、今日、適当な平衡と統合があってしかるべきです。

誠実、謙遜、思慮といった内面的、私的な道徳に対し、勇気は人間の外面的、公的な道徳です。そして、戦争とか平和と言う問題は主として公的な道徳(公徳)にかかわることだと思います。
ところが、大多数の日本人は、平和、つまり「戦争のない状態」をアメリカに守ってもらうという前提で、『自分たちが平和の維持や回復のために戦う、という事は不道徳なもの』と教えられて(または勝手に誤解して)来ているのです。
したがって、

><護憲パラダイムに対する違和感>
><憲法として体制化した原理に依存して、平和主義を語る>
><自衛隊、日米安保条約を、合憲と強弁してきた護憲勢力の脆弱さ>
><一般に、ネーションが合意している文化や伝統ではなく、それらから分離された憲法という仕組=体制への愛国>
><退嬰的な、一国平和主義が、日本の護憲派の本音>

という、宮崎氏のこれらの至極もっともと思える主張を、

>>とにかく、やたらと意味不明のボキャブラリーの網羅である。
>>こんな字句が、商業紙の夕刊に並んでいる。どうもTPOが無い。もう少し義務教育レベルでも理解できる書き方がないのだろうか。ただ、翻訳してみると、大したことは言っていない。要は、護憲主義者は、時代錯誤だと言っているのだろう。

と評価される皆様方の精神が、私には今、よく理解できるのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/1(木) 14:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:

>...(略)...
>自分の責任を回避するための口実を社会のせいにする人間が何世代か
>続けば、やがて日本人は、他者のために死地へ赴くこと、それ自体を
>不道徳と見做すようになります。
>...(略)...

ただ今、ぼくは犬のことで頭がイッパイなので、きちんと反論するのはやめときますが、最近たまたま見たテレビ番組で、つくる会の西尾幹二氏が、靖国問題を語り、「靖国神社は、今後も戦争で死んでいく者たちを祀るためにある」というようなことを言ってたのを、あなたの投稿を読んで思い出しました。

今後もお国のために喜んで戦地に向かう若者をつくるのが、つくる会の目的でしょうから、あなたがもしその番組をご覧になっていたら、さぞ心強く思ったことでしょうね。ちなみに、ぼくは、あきれ返って、そばにいた愛犬といっしょに、遠吠えをしました。

BadBloke(旧トビパパ)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/9/1(木) 15:05  -------------------------------------------------------------------------
   BadBloke(旧トビパパ)さん

お久しぶりです!

あの節は、脳みそを鍛えていただきました。

今、愛犬の事で精一杯とか・・・どういうご事情か存じませんが、

お体にお気をつけて頑張ってください。

ちなみに、私は動物は飼っていませんが、可愛いとは思います。

ただ、耄碌して、おしめをされてまで飼われている動物を見ると、

動物が哀れで哀れで・・・

「早く楽にしてくれよ・・・」と、いっているように聞こえます。

動物を飼うのにも、思想や哲学が必要なのかなぁ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬を育てるとは何事ぞ!  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/1(木) 22:14  -------------------------------------------------------------------------
   ステディ ベアさん

>動物を飼うのにも、思想や哲学が必要なのかなぁ。

では、犬に関する疑問のようなので、このスレッドではオフ・トピックになりますが、お答えします。

犬を<育てる>ことに哲学は必要です。日本の現状で犬を育てるばあい、まず常識を疑うことから始めなければならないので、日本人は、英国人以上に、哲学しながら犬を教育する必要があるでしょう。しかし、<飼う>、つまり、小鳥にエサをやる程度のこと、そして、ただ可愛いと思う程度のことなら、哲学はいりません。

科学的成果に基づいた犬の教育内容を、ある種の思想と考えるなら、英国のような先進国の学者の思想は、非常に参考になります。

なお、詳細は、「犬と日本人を考える」の中で展開される予定です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : 昇竜 健志  ■日付 : 05/9/2(金) 21:13  -------------------------------------------------------------------------
   旧HN ほい

>つくる会の西尾幹二氏が、靖国問題を語り、「靖国神社は、今後も戦争で死んでいく者たちを祀るためにある」というようなことを言ってたのを、あなたの投稿を読んで思い出しました。

今後もお国のために喜んで戦地に向かう若者をつくるのが、つくる会の目的でしょうから、

歴史修正主義者らしいなあ、西尾幹二氏は。

本当に素晴しい国ならば若者は進んで国を守るし、国も戦争を回避するため努力するはずです。それに国のために命を捧げろと強制しません。
私は日本は共産主義の恐怖や横暴と真っ向から対抗せねばいけないと感じますが、愛国心で視野が狭く、暴力で国家を守る人間を教育で育てる事は西尾幹二氏らが嫌う共産主義国家の旧ソ連や中国と同じです。
それでは失礼します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : しまったk2  ■日付 : 05/9/1(木) 21:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:へ
>しまったk2さん、その他の皆さん、失礼します。
>あまりにも一方的な物言いに、例によってバランスを取らせていただきます。
>当たっていると思いますが、もし違っていたら、無視して下さい。
>
>
>全く、宮崎 哲弥氏の言われるとおりだと思いますね。
>「悲惨な戦争の現実から何を学ぶか」、ここが皆様方と宮崎氏(私も)とで決定的に違っている、と思います。
>結論から言えば、悲惨な戦争の現実に対し、一種、卑怯な精神のもたらす反戦、厭戦思想が宮崎氏の言う「平和を嘘つきたちの正義に堕落させてしまった」のです。
>
>皆様方は、戦争を「人を殺したくない、人から殺されたくない」と言ういわば内面的な道徳の次元で論じられていませんか?
>そして、それがヒューマニズムだ、と思っておられませんか?
>
>「戦争のためなんかで、死ぬのはいやだ。」
>うん、多分、人間全てそれがホンネでしょう。
>しかし、「私的には死にたくないが、公的には死なねばならぬかも知れぬ」と考え、次に、その公的な義務を放棄した自分を考えると、「自身が不愉快になる」ので、「公的に進んで危地に赴こう」とする、しかしそこでも、私的にはなおも「死にたくない」と願う、ホンネとタテマエが混然一体となってあります。
>これが普通の人間です。

真摯なコメントをありがとうございます。
ただ、この種の議論は、お互いに、土台の部分が異なっているために、決してかみ合わないだろうと思いますし、また、かねてから、このような板上での議論が、うまくかみ合った事例も見た事がないので、議論は失礼します。

そこで、一言だけですが、「人を殺したくない。自分も死にたくない。」という思いをヒューマニズム、倫理と言われましたが、私は、そんな理由は後付けで、もっと原初的な、本能的な次元のものだと思っています。しかし、そこから立ち上げても、「自分が死にたくないから、群れをつくる同種族も殺したくない」ぐらいではないですか。それで十分です。これは、ほとんどの、動物の本能的な習性ともいえるものですね。

また、「公的な死、」とか「私的な死」というものを提示しましたが、これが曲者です。
くどくは、云う必要はないでしょうが、私的な死は、まさに自分のためにですが、
公的な死も、自分が判断して自分自身のために、公的に死ぬ場合があれば、それはそれで納得できるでしょう。しかし、誰かのために死ぬ、特に、権力者のために死ぬということは美学としては陶酔する人間もいるでしょうが、私は、真っ平ですし、誰も、他人に強制することはできないものではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):宮崎哲弥とは何者ぞ!  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/9/1(木) 23:16  -------------------------------------------------------------------------
   しまったk2さん
>真摯なコメントをありがとうございます。
>ただ、この種の議論は、お互いに、土台の部分が異なっているために、決してかみ合わないだろうと思いますし、また、かねてから、このような板上での議論が、うまくかみ合った事例も見た事がないので、議論は失礼します。

ご丁寧なご返事有難うございます。
これまで貴方の他のスレッドを読ませて頂いて居りますが、今回の書き込みがあまりにも変調だったので、已むに已まれず書いたものでした。
確かにこの話に歩み寄りの余地はなさそうです。
仰るとおりにいたしますが、私も一言だけ。

>そこで、一言だけですが、「人を殺したくない。自分も死にたくない。」という思いをヒューマニズム、倫理と言われましたが、私は、そんな理由は後付けで、もっと原初的な、本能的な次元のものだと思っています。

いいえ、私は「人を殺したくない。自分も死にたくない。」という思いをヒューマニズム、倫理と言っていませんよ。
「皆様方がそう思っておられるのではありませんか?私はそうは思っていませんけど・・・」と、問うているだけです。ですから、しまったk2さんのお考えとこの点は同じと言うことです。なお、最後が疑問形なので、ご返事をさせていただきます。

>また、「公的な死、」とか「私的な死」というものを提示しましたが、これが曲者です。

「曲者」の定義が、以下に書かれることならば、お気持ちは理解致しました。

>くどくは、云う必要はないでしょうが、私的な死は、まさに自分のためにですが、公的な死も、自分が判断して自分自身のために、公的に死ぬ場合があれば、それはそれで納得できるでしょう。

このお気持ちをうかがえたことは、よかった。

>しかし、誰かのために死ぬ、特に、権力者のために死ぬということは美学としては陶酔する人間もいるでしょうが、私は、真っ平ですし、誰も、他人に強制することはできないものではないでしょうか。

「権力者」と言う存在、「それも命を捧げるに値する権力者」というものが、いま、主権在民の、この日本という民主主義国家にあるのかなぁと言う疑問は残ります。誰をイメージしておられるのか、判りません。
しかし、これを言い出すと、新たな議論に展開しそうなので、終わりにします。
有難うございました。

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