Page 88 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼企業性と個人の倫理、企業性と公共性(1) 流水 05/5/5(木) 12:06 ┣Re(1):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(2) 流水 05/5/5(木) 12:07 ┃ ┗Re(2):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(2) 馬男 05/5/5(木) 13:57 ┃ ┗Re(3):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(2) 流水 05/5/5(木) 14:45 ┃ ┗Re(4):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(2) キタキツネ(元北の老兵) 05/5/5(木) 16:13 ┃ ┗Re(5):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(2) 流水 05/5/5(木) 16:55 ┣Re:愛他行動(1) 流水 05/5/6(金) 13:33 ┃ ┗Re(1):Re:愛他行動(2) 流水 05/5/6(金) 13:34 ┃ ┗Re(2):Re:愛他行動(2) キタキツネ(元北の老兵) 05/5/6(金) 15:59 ┃ ┗Re(3):Re:愛他行動(2) 流水 05/5/6(金) 19:07 ┗Re(1):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(1) もの申す 05/5/6(金) 17:38 ┗Re(2):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(1) 流水 05/5/6(金) 19:23 ┗Re(3):企業性と個人の倫理、企業性と公共性(1) k・satou 05/5/6(金) 20:50 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 企業性と個人の倫理、企業性と公共性(1) ■名前 : 流水 ■日付 : 05/5/5(木) 12:06 -------------------------------------------------------------------------
「好富施其徳」という言葉があります。 近江商人西川利右衛門の家訓です。富を求めるのはよしとするのですが、その富に見合った徳を世間(社会)に施しなさい、という教えでしょう。 この考え方は、カルビニズムにも共通する考え方で、近江商人の普遍性を示しています。 以前にも書きましたが、【三方よし】(売り手、買い手、世間によし)の精神は、現代に復権させるべき多くの価値観を含んでいます。 しかし、この精神で商売を行うことは現実にはきわめて難しいのです。 それは、現代の商行為が【個人】の次元をはるかに超えているからです。例えば、大企業のトップの多くは、資本家ではありません。当然、その社員も資本家ではないのです。つまり、資本家(株主)と経営者、社員の役割がそれぞれ違っている、というところに現代資本主義の本質があります。 近江商人の【三方よし】の精神は、本質的には個人商店の倫理です。現代の株式会社の倫理に当てはめるのは、無理があるのです。 この無理を止揚する考え方が、【公共性】という視点です。熾烈な企業間の競争は、必然的に市場の【寡占性】をもたらします。市場の【寡占性】は、必然的に勝者企業の【公共性】を高めます。 これは郵政民営化問題にもいえるのですが、地方の農山村には金融機関は、郵便局しかありません。だから、郵便局は、地方の重要な公共機関であり、周辺住民の生活の重要な柱でもあるのです。郵政民営化というのは、この【寡占状況】を壊して、競争原理を働かそうという発想であることは間違いありません。しかし、【競争】というのは、当然ながら【効率性重視】に傾斜せざるを得ません。 地方の農山村は、この【効率性重視】の視点から見ると、当然切り捨ての対象にならざるを得ません。ここでも問題は、【効率性】と【公共性】の対立なのです。 JR西日本の事故で明らかになってきたのは、【企業収益・効率性重視】の視点と【公共性】のバランスの欠如なのです。沿線住民にとっては、鉄道など交通機関を利用しなければ、勤務先や学校、買い物など日常生活をおくれない、という意味で、鉄道会社は他の企業にもまして【公共性】が高いというのは常識です。さらに、乗客の生殺与奪の権を握っているという意味で、【安全性】というのは、鉄道会社にとっては最もプライオリテイの高い【倫理】でなくてはなりません。 連日報道されるJR西日本の内部情報を総合すると、どうやらこの会社では【公共性】とか【安全性】のプライオリテイが低かったことは確かのようです。 |
あまり言われませんが、旧国鉄と民営化以降のJRは、共通の【意識】を持っていたと思われます。旧国鉄(他の公共機関もどうようですが)は、きわめて「安全意識」が高く、過度の安全に対する配慮が経営を圧迫していたという側面があります。その反動でしょうか、現在のJR西日本は過度の【利益追求・効率性】追求に傾斜しすぎたのです。 両者のありようは、メダルの裏表なのです。右にふれすぎたか、左に振れすぎたか、の違いに過ぎないのです。 このような左右に振れすぎた意識からは、近江商人流の【三方よし】の発想は生まれません。バランス感覚が喪失しているのです。 この問題をさらに掘り下げて考えると、まるで善の象徴のように語られる【民営化】のはらんでいる陥穽がみえてきます。これまで非効率の象徴のような官がいったん民営化すると、今度はまるで「効率性の権化」のような走り方をするのです。現在、公社化された全国の郵便局で進んでいる事態は、凄まじいばかりの収益率アップの要請とリストラの嵐です。これは、郵政民営化を阻止するための言い訳の側面も無視できませんが、同時に民営化後の会社の状況を写しています。 ここでは、非効率なことが排除されます。つまり、JR西日本のようなあり方が促進されることは間違いありません。 さらに問題なのは、官の意識(支配意識と保身意識)が、民営化された後も変わらず残るであろうという点です。一言で言うと、官の「差別意識」の問題です。JR西日本の幹部の発言などをよく点検すると、【差別意識と自己保身意識】に満ち満ちています。この意識が、旧国鉄時代は経営を無視した安全性に傾斜し、JRになったら異様な「利益追求と効率性重視」に傾斜したのです。 日勤教育などに見られる人間性無視のありようは、【差別意識】丸出しのJR西日本の体質を象徴しているものです。いずれにしても、左右にふれすぎるこの国の官のありように変化はないのです。 私たち国民は、【利益追求・効率性・利便性の追求】と【公共性のありよう】をもう一度根底から考え直す必要があります。 |
▼流水さん: >私たち国民は、【利益追求・効率性・利便性の追求】と【公共性のありよう】をもう一度根底から考え直す必要があります。 流水さんが問題提議された「JR西日本の公共性」について確認すべく、くだんのHP を見て参りました。 そこに掲げてあった「お客様への思い」とは・・・ “より使いやすく、こころ優しく、魅力ある鉄道へ” 確かにお年寄りやお身体の不自由な方への配慮や各種サービスの向上への 決意はみてとれるのですが、 流水さんが指摘されております、多くの人命を預かっている企業としての 「安全性への取り組み」 についての具体的な方策についての説明はなされておりませんでした。 本来、鉄道業務の社会的な使命は「お客様を安全に目的地まで届けること」 であるべきであり「使いやすさ」であるとか「利便性」については 二次的なサービスに他ならないはず。 その二次的なサービスをあたかも「顧客が望むサービス」の最右翼と捉えてしまった ところに今回の大きな事故の原因が隠されているような気がしてなりません。 |
▼馬男さん: レスありがとうございます。 ●流水さんが指摘されております、多くの人命を預かっている企業としての >「安全性への取り組み」 >についての具体的な方策についての説明はなされておりませんでした。 > >本来、鉄道業務の社会的な使命は「お客様を安全に目的地まで届けること」 >であるべきであり「使いやすさ」であるとか「利便性」については >二次的なサービスに他ならないはず。 > >その二次的なサービスをあたかも「顧客が望むサービス」の最右翼と捉えてしまった >ところに今回の大きな事故の原因が隠されているような気がしてなりません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは人間が陥りやすい罠なのです。 競争意識というのは、一種のあり地獄のようなもので、勝たなければ意味がありません。一つの競争に勝てば、次に新たな競争相手が出現します。その次、その次というように、NO1にならない限り、競争は無限に続きます。 となると、競争に勝つためには、相手との【差別化】を図らなければなりません。 鉄道でいうならば、相手会社との差別化を図るものは、【料金】【スピード】【利便性(他の交通機関とのアクセスなども含めて)】【弱者への配慮(社会的信頼度)】【快適さ】などが考えられます。 つまり、競争に勝つための【差別化要素】を如何にして構築するか、という点に思考が傾斜しがちなのです。 本来の目的である「お客様を安全に目的地まで届けること」などは、ただの【常識】となってしまいがちなのです。 このようなことは、農作物などでは、何十年も前から常識です。本来、路地物のキューリなどは、曲がっているのが普通です。ところが、現在のキューリはほとんどが真っ直ぐです。そのため、農家ではキューリに真っ直ぐになるように筒をかぶせて育てます。現在では、真っ直ぐのキューリでなければ、商品価値はありません。 こういう本末転倒のあり方は、枚挙に暇がありません。 現在では、このようなありように疑問を抱いて、大根なども土がついているものとか、葉っぱのついているものを好む人も出てきています。 JR西日本の事故から学ぶとすれば、わたしたちの生活の中に一杯あるこの種の不自然さをもう一度見直す時期が来ているのではないかということだと思います。 昔の生活に戻ることはできませんが、【便利さ】【効率性】などと【本来あるべき姿】とのバランス感覚は取り戻すことは不可能ではありません。 その意味で、今回の問題は、わたしたちの社会のありように対する強烈な警告を発していると読むべきだと考えます。 |
流水さん こんにちは。私も今同じような事を考えていました。人類は道具を使うようになってから飛躍的に文明が発達しましたが、それはミスと失敗の歴史でもありました。 数え切れないほどのミス、失敗を繰り返し、そのミス、失敗から多くを学び取り改善改良を重ね現在の文明があります。失敗をポジティブに捉え、飽くなき挑戦をしてきたのが、万物の霊長といわれる所以でしょうか。 私も仕事柄リスクマネージメントには人一倍関心があり、真剣に取り組んだ事があります。参考になる書もたくさん読みました。結論は人間はミスを犯す動物だという視点が欠けていては、事故を減らす事など出来ないという事です。 流水さんには釈迦に説法ですが、ハインリッヒの法則はリスクマネージメントに関わったときに必ず出てくる言葉ですが、一つの重大事故には29の軽い事故があり、その裏には日頃ヒヤリ、ハットする事例が300あるといい、保険会社で保険料率の計算をするときに利用しているそうです。 1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故は衝撃的でしたが、その後の調査で技術は巨大化すればする程、その技術をコントロールしなければならない人間の組織も巨大化し、その中で個々人の責任が次第に不明確となって行くそうです。 技術と組織の両面において、全体を把握するのが徐々に困難になるという事でした。その不明確さの中で、小さな設計ミスや小さな無責任が積み重なり、度々行われた警告も無視されてこの大きな悲劇を招いたのでしょう。 チャレンジャー事故は技術的な欠陥が致命的というのではなくて、巨大技術に対する時にあらわれる人間の欠陥が致命的だったと言うべきでしょう。 今回の事故も組織が肥大化したためと、現場をよく理解していない経営陣の人間の欠陥が表面化したものかも知れません。 >JR西日本の事故から学ぶとすれば、わたしたちの生活の中に一杯あるこの種の不自然さをもう一度見直す時期が来ているのではないかということだと思います。 >昔の生活に戻ることはできませんが、【便利さ】【効率性】などと【本来あるべき姿】とのバランス感覚は取り戻すことは不可能ではありません。 >その意味で、今回の問題は、わたしたちの社会のありように対する強烈な警告を発していると読むべきだと考えます。 全く同感です。世界最大の超大型旅客機A380という800人搭乗可能な飛行機が開発されましたが、こんな巨大は飛行機など必要なのだろうか?人知の及ばない不可抗力的なものがあったりしたら、その悲惨さは火を見るより明らかに思います。 |
▼キタキツネ(元北の老兵)さん こんにちは。レスあろがとうございます。 ●私も仕事柄リスクマネージメントには人一倍関心があり、真剣に取り組んだ事があります。参考になる書もたくさん読みました。結論は人間はミスを犯す動物だという視点が欠けていては、事故を減らす事など出来ないという事です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これはわたしも同じです。わたしの場合、生きて動いている人間が相手でしたので、行事をするごとにかなりの覚悟が必要でした。 【人は間違う。人はミスをする。】から【間違うから人間なのだ。ミスをするから人間なのだ】という認識に変るまでには相当時間がかかりました。 > ●流水さんには釈迦に説法ですが、ハインリッヒの法則はリスクマネージメントに関わったときに必ず出てくる言葉ですが、一つの重大事故には29の軽い事故があり、その裏には日頃ヒヤリ、ハットする事例が300あるといい、保険会社で保険料率の計算をするときに利用しているそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは、学校の安全教育などでよく利用しました。しかし、一番問題なのは、軽い事故、ヒヤリ、ハットをどうとらえるか、という教師側の意識でした。 一例を挙げますと、廊下を歩いている子供の後姿に妙に覇気のないときがあります。このとき、どんな声をかけるかが、教師のリスクマネージメントに大きなかかわりがあるのです。わたしの経験で言うと、そういう場合、問題の大小に関わらず子供は何か心に屈託を抱えている場合が多いのです。こういうとき教師から声をかけられると、子供はほっとして思いもかけないことを話してくれる場合がよくあります。 そのことが、次に起こったかもしれない大きな問題(家出・不登校・自殺など)を防ぐことになるかも知れないのです。 ところが、こういう配慮は、目に見えないのです。企業で言うならば、成果にならないのです。 キタキツネさんが指摘されている現場を知らない経営者というのは、上記のような経験知を評価しない人のことだと思います。 教師の例でいうならば、少し良心的な教師なら、上記のようなことは語らなくても分かる【暗黙知】とでもいうべきものだったのです。 このような経験知とか暗黙知というような目に見えない人の知恵を評価しない、分かろうともしない上司が増えてくるにつれ、学校の荒れが顕在化していったのです。 キタキツネさんが例に引かれている事故の例で考えると、わたしは人間の【傲慢さ】が自然の摂理に復讐されているのだと思えて仕方がありません。 21世紀は、人間の傲慢さに対する自然の摂理の復讐の世紀になるのかも知れないと恐れています。 |
災害心理学に愛他行動というものがあるそうです。 【愛他行動とは外的な報酬を期待せずに、他人の利益や他人の利益や福祉の為という愛他的動機に基づいて他者に利益をもたらそうとする行動のことである。似たような概念に向社会的行動(prosocial behavior)があるが、これはあまり動機を問わず、結果として社会に利益をもたらす行動のことで愛他行動とは異なる。愛他行動の典型例は自由意志場面での自己決定に基づく分与や援助行動であり、愛他行動は外的な報酬に依存しない行動なので自分の愛他行動の結果に対する自己満足や自尊心の高揚が愛他行動を強化し、愛他行動の再現を促していると考えられる。また、愛他行動は典型的な対人行動の1つで、社会を維持していく上で不可欠な行動ではあるが、Cummings(1986)によると子どもが自発的に仲間と相互交渉する場面の行動観察や評定結果をみると、子どもは愛他行動を示すより攻撃行動や利己的行動をするほうが多いと言われている。】 http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2003/ajiro_30626.htm 簡単にいうと、目の前で溺れている人を見た場合、思わず飛び込んでその人を助けようというような行為をいうのでしょう。これを定義づけすると、【愛他行動の典型例は自由意志場面での自己決定に基づく分与や援助行動であり、愛他行動は外的な報酬に依存しない行動なので自分の愛他行動の結果に対する自己満足や自尊心の高揚が愛他行動を強化し、愛他行動の再現を促していると考えられる】ということになるのでしょう。 このような愛他行動というのは、高等動物以外に認められない行動だということです。人間の進化の過程で、このような愛他行動を取るほうが、種の保存に良いとなって、人間のDNAに組み込まれたのではないかということです。 今回の尼崎脱線転覆事故でも、多くの民間人が献身的に協力していました。これは人間が高等動物であるという一つの証明でもあったのですが、その反面事故車両に乗り合わせたJR職員が犠牲者の救出も手伝わずそのまま出勤したということも報道されています。当然、その職員は上司に事故のことを報告しているにも関わらず、上司は手伝えという指示もだしていませんでした。 これを上記の定義に当てはめると、人間の本能である【愛他行動】を否定して、職務に忠実であることを強制されている実態が見えてきます。 つまり、高等動物以外に持ち得ない愛他行動を否定することが、企業の論理になっているともいえるのです。もっと厳しい言葉でいうならば、人間であることを否定することがJR西日本の企業論理なのか、という疑問を拭いきれません。 |
その反面、事故現場に近い所に工場を持つ【日本スピンドル】という会社の対応は見事という以外にありません。事故直後、土煙があがるのを確認した社員が社長に報告。社長は全社員を食堂に集め、全力を挙げて犠牲者の救出に当たるように指示。社員たちは事故現場に集まった。油もれを確認したため、工場にある全消火器を持って、火災を防ぐ。女子社員は、氷を集めて、犠牲者を看護。工場に常勤している看護師は、救急医療の指揮を執る。救急車が足りないと見るや、会社のトラックを救急車がわりに提供。負傷者を搬出。交通渋滞が起きると見るや、工場の敷地を通行させる。 見事に統率の取れた救助活動を展開しています。これには秘密があり、【日本スピンドル】という会社は、危険物なども取り扱い、日頃から安全管理については全社員が習熟していたという事情もあるそうです。 http://www.spindle.co.jp/ その条件を加味しても、この会社の企業風土とJR西日本の企業風土との違いはあまりにも格差があります。 この違いは一体何なのか? わたしは、結局【人間に対する考え方】の違いなのだと思います。日本スピンドルという会社の社長は、【愛他本能】のほうを企業収益(全社員を救出に出したのですから、会社は休みと同じです)より優先して考えたのです。 それに対してJR西日本の上司は、会社の利益・都合を優先して考えたのです。 日本スピンドルの社員は、それこそ人間の本能である愛他本能を存分に発揮して、利害得失を考えず活動しました。これだけの大事故です。爽快感は残らないでしょうが、悔悟の念も残らないと思います。同時に、それを指示した社長や会社に対する信頼感も倍増したと思います。これが企業に与える利益は数値では測れない大きさがあると考えられるのです。 それに対してJR職員の心には、拭いきれない悔悟の念と会社・上司に対する不信感が渦巻いていると考えられます。 結局、人間性を否定した会社経営は、いつかどこかで大きな蹉跌を起こすものなのです。 |
流水さん 愛他行動について読ませていただきました。私も今日のテレビ朝日を見ていましたが、結局は経営者(権力を持つものと言い換えても良い)によって、組織そのものまでが変質するという事でしょう。 日本スピンドル製造の斉藤社長は、生産ラインを即時ストップさせ、全従業員を事故現場での被害者救出へあたらせました。これは非常にすばらしいこと、尊敬に値する行動だと思います。 今の日本では「見て見ぬふり」という風潮が蔓延していますが、こういう事があったことを知ると、まだまだ日本人の心も捨てたものではないなと思いますね。 その反面、JR側の対応は置き石説を匂わせるような記者会見など、責任回避の態度がありありと見受けられました。今回は物理的な原因究明とともに、JR側には企業体質を根本から改善することを求めたいと思います。 マスコミも表面的な報道だけではなく、日本社会に巣くう真因の分析をお願いしたいと思います。 話は全く飛びますが、ちょっと許していただいて、プロ野球の巨人の視聴率、入場者数が共に激減しています。これもファンの心理を知らない経営者の傲慢が招いたものです。 野球を知らないフロントが、現場の声を聞かないで、金に任せて大砲ばかり(それも故障者ばかり)かき集めた当然の結果です。ゴルフだってドライバーだけでは勝てません。アイアンもウェッジもパターもうまくないと勝てないのはゴルフをやるものだったら誰でも知っています。 野球だって理屈は全く同じ。大リーグのヤンキースも巨人と同様、最下位であえいでいます。プロスポーツも企業経営も、詰まるところは本筋において同じじゃないでしょうか。現場の声を聞かずして良いチーム、良い会社は出来るはずがありません。 |
キタキツネさん、 JR西日本の問題については、ほとんど共通の認識を持っていると思いますので、ここはプロ野球の問題について述べてみます。 わたしは、プロ野球機構というのは、連邦国家や合衆国のようなものだと考えています。 全体は、統一的ななルールや法に基づいて運営されるが、個別具体的な問題については、それぞれのチームの主体性に任せるというのが基本だと思います。 ここで忘れてはならないのは、プロ野球というのは【運命共同体】だという認識です。つまり、相手がいなくては、野球は成立しないという簡単な事実なのです。 そうなると、野球が面白いのは、何か、という問いになります。これもまた簡単なことで、戦力が均衡していて、観客がいつもはらはらどきどきできる試合を見せることです。本当のヒーローは、そういう試合の中から生まれてくるものです。 これを人為的に作り続けようとしたのが、巨人です。王・長島以降、戦いの中から生まれた本当のヒーローは、巨人からは生まれていません。 しかし、観客は馬鹿ではないのです。真のヒーローか偽のヒーローかくらいはすぐに見破ります。つまり、マスコミを通じて作り上げられた虚像が完全に崩れ始めたのが、現在の巨人の姿でしょう。 つまり、【大衆操作】の仕組みがばれてしまったのです。 結局、プロ野球は運命共同体なのだから、戦力均衡の仕組みをつくり、真のヒーローを生み出す環境を整備することが、結果としてプロ野球の発展に帰するという簡単な真実に目をつぶった結果が今の体たらくだということです。 これは単に企業だけにとどまらずすべてのことにいえるのですが、簡単な真実に目をつぶったやり方、理論などは、すべて虚像だということです。たとえ、それが一時的にはどんなに斬新にみえても、長いスパーンで見れば、必ず失敗しています。 |
流水様、キタキツネ様 お二人に教えられました。感謝申し上げます。 私は今回の事故報道を見ているうちに、JR西日本と品質問題を隠蔽した某自動車メーカーの組織風土が極めて似ていることに気がつきました。 どちらも100年以上の歴史を持つ名門組織です。有名大学出の管理職が群れをなし、厳しい上下関係が社内を支配し絶対服従が企業文化であったろうと思われます。どちらも大切な現場を持ちながら、社内は管理部門が権勢を揮い、現場の発言権は極めて弱かったように思います。経営トップならびに役員陣は現場を知らず、管理部門に任せきりで知ろうともしなかったのではないでしょうか。 また労働組合も民営化の際ふるいにかけられて、会社に従順な組合員だけが執行部を組織していたように思います。某自動車会社の労組は今も完全な御用組合です。 このような組織風土では上の顔色を伺うことが仕事となります。利益追求の掛け声の下では、利益を減少させる提案はたとえ安全確保の為と雖も軽視されます。 かくして企業の最大の使命である顧客の安全は、利益確保の美名のもとに次々と軽んじられていったのではないでしょうか。 絶対服従を示す例として事故車両に乗り合わせた社員に対し、被害者救済よりも出勤を優先させたり、日勤教育と称して命令服従を再確認させたりと次々と内情が明らかにされています。社員の関心はどんな場合でも上を向いていることが証明されました。傍で被害者が助けを求めていても彼等は上司の命令を優先させました。この報道を見た時私は背筋が冷たくなりました。 クレーム隠しも利益確保の工作でした。某自動車会社では車のクレーム情報を最初に知るのは工場の品質部門です。工場から報告されたクレーム情報を隠蔽したのは、本社の品質管理部門にほかなりません。それに対して一切抗議できない、即ち本社の決めたことに工場(現場)は従うしか方法がなく、かくして二十年以上も隠蔽が続いたと言われております。上の決めたことは社会正義に反することでも社内では善となってしまう組織風土ほど恐ろしいものはありません。JR西日本でも同じようなことが日頃から行われていたのではないでしょうか。 |
もの申すさん、 レスありがとうございます。 三菱にしろ、JR西日本にしろ、同じ体質ではないかという指摘、同意します。 上意下達の組織は、現場の人間はものを考えるな、ということを示しています。 現場の人間が、自分の裁量や判断でものごとを行ったら、それを捉えて責任追及するのですから、現場の人間は指示通りにする以外なくなります。しかし、人間は考える動物ですから、いつまでもロボットに徹することに我慢できなくなります。 そうなると、さまざまな軋みが生まれてくるのは当然です。 これも簡単な真実ですが、現在のような複雑な社会では、一人の人間だけが判断すると必ず間違う、ということです。 ではどうしたらよいか? これも簡単なことです。多くの人間の意見を集約できる仕組みを作り上げることです。それも、自由な思考と柔軟な発想に基づいたものでなくてはなりません。 それが可能な仕組みと自由な意見を発することができる雰囲気・環境を作り上げることが必要なのです。 一言で言えば、企業幹部は、自分ひとりの判断では間違うかもしれないという【謙虚】な姿勢が必要なのです。昔の人はこのことを【実るほど頭の下がる稲穂かな】といっていますが、今トップに求められるのは、この種の謙虚さではないでしょうか。 |
▼流水さん: ご無沙汰してます よこからどうもすみません。 いつも 真摯なものを読ませていただき 感謝いたしております。 今の会社組織は よくボトムアップ型だといいます。 つまり けして 上は独断専行するのでなく 下の意見を吸い上げるのだ。 これは わかりやすくいえば ”うまくいけば 上の手柄 うまくいかなければ 部下の責任” キャップテン・ラストてのは 船が沈む時 船長は1番最後に船を離れるといいますね! ところが最近の経営者は 自分が1番先に逃げます。 キャップテン・ファーストというわけです。 >もの申すさん、 >レスありがとうございます。 >三菱にしろ、JR西日本にしろ、同じ体質ではないかという指摘、同意します。 > >上意下達の組織は、現場の人間はものを考えるな、ということを示しています。 >現場の人間が、自分の裁量や判断でものごとを行ったら、それを捉えて責任追及するのですから、現場の人間は指示通りにする以外なくなります。しかし、人間は考える動物ですから、いつまでもロボットに徹することに我慢できなくなります。 >そうなると、さまざまな軋みが生まれてくるのは当然です。 > >これも簡単な真実ですが、現在のような複雑な社会では、一人の人間だけが判断すると必ず間違う、ということです。 >ではどうしたらよいか? これも簡単なことです。多くの人間の意見を集約できる仕組みを作り上げることです。それも、自由な思考と柔軟な発想に基づいたものでなくてはなりません。 >それが可能な仕組みと自由な意見を発することができる雰囲気・環境を作り上げることが必要なのです。 >一言で言えば、企業幹部は、自分ひとりの判断では間違うかもしれないという【謙虚】な姿勢が必要なのです。昔の人はこのことを【実るほど頭の下がる稲穂かな】といっていますが、今トップに求められるのは、この種の謙虚さではないでしょうか。 |