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 ▼人間の感性と政治論  流水 04/7/14(水) 15:19
   ┣Re(1):人間の感性と政治論  ワン太郎 04/7/14(水) 17:41
   ┃  ┗Re(2):人間の感性と政治論  流水 04/7/14(水) 20:20
   ┃     ┗Re(3):人間の感性と政治論  珍 源齋 04/7/16(金) 19:11
   ┃        ┗Re(4):人間の感性と政治論  流水 04/7/16(金) 23:00
   ┃           ┗Re(5):「現代日本人」の感性の背景!  珍 源齋 04/7/18(日) 9:52
   ┣Re(1):アメリカ人の正義感に憧れる傾向!  珍 源齋 04/7/14(水) 17:51
   ┃  ┗Re(2):アメリカ人の正義感に憧れる傾向!  流水 04/7/14(水) 20:34
   ┣Re(1):人間の感性と政治論  石頭の息子 04/7/15(木) 2:04
   ┃  ┗Re(2):人間の感性と政治論  流水 04/7/15(木) 3:51
   ┗Re(1):人間の感性と政治論  団塊党 04/7/17(土) 17:21
      ┗Re(2):人間の感性と政治論  流水 04/7/17(土) 18:19
         ┗Re(3):人間の感性と政治論  団塊党 04/7/17(土) 19:50
            ┗Re(4):人間の感性と政治論  流水 04/7/17(土) 20:25
               ┗Re(5):人間の感性と政治論  団塊党 04/7/17(土) 21:16

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 ■題名 : 人間の感性と政治論
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/7/14(水) 15:19
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   人間の感性というものは、なかなか変えようがない。
難しい理屈をこねて政治論を語っても、最終的には自分の【感性】の正当化をしているのが、現実であろう。

久しぶりに週刊誌をめくっていたら、この【感性】【感じ方】の相違を直裁に書いているコラムに出会った。
筆者は甘糟りり子。週刊現代7月17日号。「アマカスの先見と偏見」というコラムである。

彼女は、MJBのレンジャーズ対カージナルス戦の出来事から以下のように書く。(実は、わたしもこの放映を見ていた)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「球場で観戦していた4歳の男の子が飛んできたファールボールを捕った。ところが、後ろの席に座っていた100キロはあろうかという巨漢が、その男の子に突進した。挙句、そのファールボールを取り上げた」・・・・(中略)・・
「これらの模様は球場のスクリーンに映し出されている。実況アナウンスは『どこにでもむかつくやつはいるもんだ』だの『球場一の最低男』だの徹底的に巨漢を批判した。場内には、大ブーイングが起きた。『子供にボールを渡せ!』の大合唱である。
・・・中略・・
「話はまだ終わらない。その男の子には御伽噺のような展開が待っていた。別のファールボールをとった少年が、プレゼントに来たり、試合中にもかかわらず選手がバットとボールを持って訪れたり。ホームチームであるレインジャーズからは、入場券やらシャっツやらサインボールやら山のようなプレゼントが贈られた。例の巨漢はいたたまれなくなって、試合中に出て行ってしまったらしい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしもこの試合を見ていたので、この場面は鮮明に覚えている。例の巨漢は、彼女と一緒に観戦していたが、ボールを捕って席に帰った彼を実に嫌そうに迷惑そうににらみつけていたのが、印象に残っている。この二人、これからうまくいくのだろうか、と人事ながら心配したのを覚えている。

さて、これからが本題である。
コメンテーターとして出演していた猪瀬直樹氏は「アメリカのこういうところが良いよね」とコメントしていたが、甘糟女史はそう考えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼女は、「アメリカのこういうところが怖いよね」と考える。彼女はこう書く。「まるで魔女裁判である。もちろん、巨漢のやったことに肯定できる要素は全くない。かといって、大人数で断罪し、つるし上げるほどのことでもない。・・中略・・・このファールボールが誰のものになろうと何の影響もない大衆が、半ばお祭りに参加するようなのりで多数派に加担する。そして、正義感というアルコールに酔うと、大衆はますますたちが悪くなる」・・「過激な多数派に便乗するのは楽ちんである。ちゃんとした意見があるような錯覚もできるし、でも安全地帯でいられるし、アメリカとはそういった過激多数派で成り立っている国という気がする」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

問題は、同じ場面を見ても、全く両極端のことを感じる【感性】の違いである。猪瀬氏の「アメリカのこういうところが良いよね」という感じ方と、巨漢の行為には一片の同情の余地はないとしながらも、「そこまでやるか」と感じる甘糟女史の感じ方の違いは何なのか、という問題である。

実は、人間の日常の行動とか判断は、難しい理屈ではなく、多分にこの種の【感性】に依拠している。さらに、大きく言えば、歴史の見方にしろ、政治上の問題にしろ、【その人の感性】の延長線上にあると考えてさほど狂いはない。

その意味で、上記の場面をどう感じるか、は、ある程度その人の「思想の肉体化」を判断する基準になるかもしれない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):人間の感性と政治論  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/7/14(水) 17:41  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

とても面白い話題であり 観点ですね。

日本に置き換えてみましょう。
それも「現代の日本」と「戦前の日本」の二通りです。

細かくは述べませんが、

「戦前の日本」(伝統的精神の日本)であれば、
「誰かが巨漢からボールを取り上げ」少年の手にボールは戻るでしょう。
(それよりも何よりも、男の子からボ−ルを取り上げる「男」は存在しえません)

そして 「戦前日本のイノセ氏」 は、
「とんでもない男がいる、日本人として恥ずかしい、そんな男を見たら許してはおかん!」
といきまくでしょう。

「戦前のアマカスさん」 は、
「そういう大人に育てた親御さんは どういう人でしょう」
と嘆きます。


「現代の日本」の「ファールボール事例」はどうなりましょうか。

「行動を伴わない批判」は起きます ・・・ そして それで終わります。
(あっても、あの新庄選手くらいからサインボールが届くかもしれません)


「感性」「感じ方」においては、
猪瀬氏 甘糟女史 の感じ方は 「社会」で感じています。
もうひとつのパターン、
「自分の事」に置き換えて考えるのが、日本人(かつての日本人)でありましょう。

この「自分の事として感じる感性」を我々「現代の日本人」は失いつつあります。
(「現代の若者」には ほとんど残り少なくなっている)

この世界にも貴重な「かつての日本人の感性」
できることなら「世界遺産」に・・・と望むのは老人だからでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):人間の感性と政治論  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/14(水) 20:20  -------------------------------------------------------------------------
   ●それも「現代の日本」と「戦前の日本」の二通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人論ですか。
これには、様々の議論があると思います。
ぜひ、皆さんの認識を聞いてみたいものですね。

●この「自分の事として感じる感性」を我々「現代の日本人」は失いつつあります。
(「現代の若者」には ほとんど残り少なくなっている)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、珍さんが、「想像力の欠如」として、何度か論じられています。
これも、皆さんの議論を聞いてみたいものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):人間の感性と政治論  ■名前 : 珍 源齋  ■日付 : 04/7/16(金) 19:11  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん!こんにちわ!
老人党のスレッドを荒れ模様が目立つようになりましたね!

スレッドへの書き込み・書き込み時間・書き込む内容の
一つ一つを連続してwatchして行くと・・書き込んでる人の体型や
精神構造までも見えてきてある意味・興味深いものがありますね・・・。

過激な内容の書き込みや・逆らいグセやカラミ癖を見せるのは
「孤独で寂しい」身の上にあるのかな・・?

なんて想像しますと何だか気の毒に思えます・。

現代の情報機関は「小さい情報」「カレントな情報」を繋ぎ合わせて
全体を推しはかる作業を繰り返して精度を高めて行くことが主流で

007やマタハリ・ゾルゲのようなスペシャル・エージェント「スパイ」に
頼らなくても情報を入手することが可能になってます。

膨大な情報をキーワードをもとに瞬時に利用価値のある情報として索引可能な
こともIT技術の留まることを知らぬ発展ぶりには・モールス電信世代に育った小生としては驚くばかりです・・。

少し主題とズレましたが現代の「人間の感性」云々について
考えるとき・・情報量の多さ、多様さ、高速化等々からの強烈なバイアスが掛かっており

個人としても信条的なバックボーンが確立してないとロストポジション「現在位置不明」
となりかねない・人生観すらままならない状態になってるように思われます・。

現代人の感性と云った切り口でお考えをお聞かせ頂ければ・幸いです・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):人間の感性と政治論  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/16(金) 23:00  -------------------------------------------------------------------------
   現代人の感性ですか。
難しいご注文ですね。うまく言えるかどうか、あまり自信はありませんが、私見を述べてみます。

まず、わたしは、人間の育っていく過程に、過去の人間の歴史が凝縮されていると考えています。例えば、はいはいから、伝い歩き、ヨチヨチ歩きの過程に、人類の進歩の過程が凝縮されている、と考えているのです。
赤ちゃんがむずかったり、泣いたり、笑ったりしながら、言葉を発する過程に、人類が言葉を獲得した歴史が凝縮されている、と考えています。

だから、子供たちが徐々に成長し、近所の子供たちと遊んだり、喧嘩したり、泣いたり、泣かせたりの過程は、人類が集団で生きていく術を獲得していく歴史が凝縮されていると考えるのです。

長じて子供たちが学校生活を送るようになる時代は、人類の過去の遺産をコンパクトに学ぶ時代だと思うのです。人類の歴史の伝承の時代です。

ところが、現代という時代は、時間的濃密さが過去の時代とは比較にならないくらい濃い時代です。下手をすれば、過去の百年が現代の1年に当たるかも分からない時代です。同時に、空間的広がりが、全地球規模に広がった時代でもあります。今や、海外経験のある子供が多数います。また、過去の数百倍にあたる情報が飛び交う時代でもあります。

上記の子供たちの生育過程と子供が育つ環境との急激なギャップが生じているのが現代という時代だと思います。

この中で培われる人間の感性が、過去の人間の感性と同じなわけがありません。最大の問題点は、【急ぐ】時代だということです。時代にせかされてすべてに【急ぐ】ため、人類の歴史・知恵の伝承が切り捨てられているのです。だから、自分の肉体や五感のすべてを使って、体得しなければならない、形には見えない人類の生きる知恵の伝承がはしょられているのです。

このようにして作られた感性は、「耐性がない⇒すぐ切れる」「目先の損得で考える」「幾何の補助線一本を発見するために一晩考え、発見した時の喜びのような、無駄な努力を嫌う⇒本当の喜びを知らない」「簡単なことですぐ人を馬鹿にする⇒無用の価値を知らない」「思考を単純化しないと理解できない⇒白か黒かの二分法なら理解できる」「とにかく理解できないものに挑戦することが習慣化されていない⇒絶対矛盾の自己統一的な観念上の操作ができない」などなどです。

わたしは、この主原因は、すべて人間の生育過程を省略し、急ぐことが善とされる時代のあり方・考え方にあると思います。
団塊党さんとのやり取りの中で、【時速20kmの教育】という理念を打ち出したのは、この意味です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):「現代日本人」の感性の背景!  ■名前 : 珍 源齋  ■日付 : 04/7/18(日) 9:52  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん!
有難うございました。短いスレッド中ではありますが、
見事に「総ての要因」を網羅してるように思います・・。

戦後の焼け野原からの日本経済の復旧、復興に至った過程では
効率本位もそれなりに評価される面はあったとも思いますが・。

教育の制度的側面からの次世代の人達への「申し送り」には
年月、時間を経てみると問題点が浮上してきてるように思えます・・。

ご指摘の成長過程での急ぎ過ぎは「全くその通り」と存じます・・。
動植物の成長に関わることに限らず、機械や金属素材、食品関係のおいても

エージング・又は熟成という過程が重要でありますし。建設、土木コンクリートにしても
仕上げ段階での「養生」と云われるエージングの過程が極めて大切で、

それを無視すると折角の建造物の寿命が短くなる等々

人間社会にもその弊害が目につくようになってますことは正にご指摘の通り
と思います・・。

忍耐力と「タメの効いた」思考の低下にはご指摘の要因に加えて、
人間の脳を生理的に育てる環境「食べもの」の重要さもあるように思えますので・

別の機会に取上させて頂きたいと存じます・。有難うございました・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):アメリカ人の正義感に憧れる傾向!  ■名前 : 珍 源齋  ■日付 : 04/7/14(水) 17:51  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん!いつもながら示唆に富んだ話題提供有難うございます。

アメリカ人は小生の感じるところ、ワイルドな側面と正義感の発露への
率直な処は「背中合わせ」にもってるように思えます・・。

触れられた野球場でのエピソードにはそれを端的に示唆してるように
思われます・・。

判りやすい正義感には大きな共鳴を呼び一瞬にエネルギーの集中を見せるのが
彼らの特性であるように思えます・。

アメリカの為政者もその辺りはよ〜く判ってるようで、古くは
支那事変の中での南京事件や「日本海軍」の真珠湾攻撃〜太平洋戦争に
至った経過・・や

イラク戦争に至ったそれにも時代は変わっても共通項があるように思えて
なりません・・。「キーワードは正義」に収斂されるように思えます・・。

・・正義感の共有には一種、自己陶酔的な側面も見落とせません・・。

正義から「外れた」と見なされた者への攻撃性は・これ又ワイルドで残虐性も
厭わない「怖く恐ろしいのも」であることは歴史の中で証明されてるようです・・。

流水さんの提供された話題とは少々ずれますが・・
これも「先見と偏見」を踏まえた小生の感じ方・・であると思います・・が・。

アメリカ人に投影しての日本人論も面白く興味があります・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):アメリカ人の正義感に憧れる傾向!  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/14(水) 20:34  -------------------------------------------------------------------------
   ●判りやすい正義感には大きな共鳴を呼び一瞬にエネルギーの集中を見せるのが
彼らの特性であるように思えます・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカ人と概括してよいかどうかは、議論のあるところですが、ジャステイスという言葉が、好きなことは確かだと思います。
これは、米国の建国の歴史(移民の国)とも関連するのでしょうが、根底にはキリスト教的正義という社会をつなぎとめる紐帯が必要なのだと思います。

だから、ブッシュ大統領が典型ですが、彼らの唱える正義は、「絶対的正義」に傾斜しやすいのでしょう。

日本人は正義を唱えても、「相対的正義」に傾斜しやすいのです。日本の歴史の中で、国を挙げて「絶対的正義」を唱えたのは、戦前の一時期だけでしょう。

このあたりをきちんと分析する必要があると思いますね。

●正義から「外れた」と見なされた者への攻撃性は・これ又ワイルドで残虐性も
厭わない「怖く恐ろしいのも」であることは歴史の中で証明されてるようです・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも一神教的イデオロギーの持つ恐ろしさでしょう。キリスト教でもモスリムでも異端との戦いは、文字通り血を血で洗う凄惨なものでした。
どうも、このあたりの感覚が日本人には、理解できないところです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):人間の感性と政治論  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 04/7/15(木) 2:04  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん、

こんばんわ、感性からの政治への切り口の提言は面白い。

善意の集団ヒステリーでしょうか? 私は単純にアメリカの善意はすきです、でも皮肉れ者のわたしには甘糟女史のような、ものの見方をする方が多いのですが、矛盾していますでしょうか?

確かにアメリカ人気質ですが、欧州では善意の感性は控えめではないでしょうか、日本人はシャイなので自己表現が下手で行動に移すのは苦手のようです、それでも付和雷同型ですから匿名であれば、同じようなことをするでしょう。

国とか民族は各々違った感性をもっているようです、それが国民性、民族性の根源かもしれません。

ところで、先日のオフ会では流水さんにお会いでき、お話もさせて頂きまして、念願を果たしました。オフ会では「・・県人は云々」と大変失礼なことを申しました非礼をお許しください、言い訳がましいのですが、私が丁稚じだいの番頭さんが、いつも自慢そうにいってました、それだけ偉い人を輩出した県なのだと、それでつい失礼をしました。

この場をお借りしてお詫びします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):人間の感性と政治論  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/15(木) 3:51  -------------------------------------------------------------------------
   石頭の息子さん、こんばんは

●私は単純にアメリカの善意はすきです、でも皮肉れ者のわたしには甘糟女史のような、ものの見方をする方が多いのですが、矛盾していますでしょうか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
意外にそうではないですか。わたしは矛盾しているとは思いませんね。
ここで語られているのは、集団で、というところに力点があるのだと思います。

●それだけ偉い人を輩出した県なのだと、それでつい失礼をしました。

気にしないでください。県人意識とか郷土意識というのも妙なもので、県外に出るとどうしても自分がその県を代表しているような物言いをしがちです。
これは、海外に出たとき、自分が日本を代表しているような気分になるのと同じですね。
やはり、肌に染み付いた風土がそうさせるのでしょう。

それより、オフ会楽しかったですね。またお会いできる日を楽しみにしています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):人間の感性と政治論  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/7/17(土) 17:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>実は、人間の日常の行動とか判断は、難しい理屈ではなく、多分にこの種の【感性】に依拠している。さらに、大きく言えば、歴史の見方にしろ、政治上の問題にしろ、【その人の感性】の延長線上にあると考えてさほど狂いはない。
>
>その意味で、上記の場面をどう感じるか、は、ある程度その人の「思想の肉体化」を判断する基準になるかもしれない。

日常の行動とか判断がその人の感性に依拠している部分が大きいというのはその通りだと思います。
私の場合に引き付けて考えてもそうだと思います。

私の感性(性格的なことも多分にあると思います)は教師向きではないとよく思うことがあります。
今もって子どもの前に立って話をすることに自信が持てませんし、どこかに恥ずかしさや抵抗感を持っています。
そんなことで教師が務まるわけはありませんので、それを補うために意識的に子どもの目をしっかり見て語りかけることを心がけるようにしています。

こういう自信のなさの裏返しとして、子どもが私の話にそっぽをむいておしゃべりをしたり手悪さをしたりすることにいらだってしまうことがままあります。
私から子どもが離れてしまうことを非常に恐れているのです。

昔は「ああ、自分の弱さが子どもに出ているのだな。だから、もっと子どもを引き付けるような話をするしかないな」というふうに考えていましたが、そんなに簡単に自分を変えることは人間出来ません。

最近は、多少強引ですが、「目を見てしっかり話を聞くこと。おしゃべりは許さない。」と毅然と臨むことにしています。
これは独裁者の手法に近いとは承知していますが、これだけは許せない一線として子どもに要求するようにしています。
話を聞けないようなクラスでは、何も始まらないということを身にしみて感じるからです。

その代わり、休み時間や給食時間はできるだけコミュニケーションをとるようにしています。
ちょっとした機会を捉えて、できるだけ全員に声をかけて心を通じ合ったり、褒めたり、頭をなでたりしてかわいがるようにしています。

こういう行動様式を取っている私の感性はおかしいでしょうか。
お教え下さい。

(先日はオフ会でお会いするチャンスを逃して全く残念です。次回お会いできる日を楽しみにしています。)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):人間の感性と政治論  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/17(土) 18:19  -------------------------------------------------------------------------
   ●最近は、多少強引ですが、「目を見てしっかり話を聞くこと。おしゃべりは許さない。」と毅然と臨むことにしています。
これは独裁者の手法に近いとは承知していますが、これだけは許せない一線として子どもに要求するようにしています。
話を聞けないようなクラスでは、何も始まらないということを身にしみて感じるからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしは独裁者に近いとは思いません。至極当然な要求だと思います。
わたしの場合は、学年当初【授業はキャッチボール】ということをくどいほど語りこむことからはじめました。
◆まず、教師が、子供にボールを投げます。(一番捕りやすいスピードで、子供たちの胸『心』を狙って投げるように努力することを約束します。)
◆だから、子供たちは、そのボールを受け取って、必ず教師の側に投げてほしい(質問を意味します)と頼みます。一番駄目なのは、教師の投げたボールを捕らない子供だ。その時は、真剣に怒るよ、と言い続けます。なぜなら、それでは、キャッチボールができなくなるではないか、というわけです。

教師にはそれぞれ個性があります。わたしはわたしの個性には、この方法が一番合うと考えていたのです。

わたしの経験からいうと、教師が間違いやすいのは、細部にこだわるべきことと、細部にこだわらないで大雑把に流すべきこととの区別がつきにくい点です。
子供を力づくで押さえつけるやり方をしない限り、そんなことにこだわることはないと思います。団塊党さんが、独裁者的でないkとくらい、子供も保護者もよく分かっていると思います。

最後に、オフ会でお会いできず残念でした。笹井さんに拙著をお預けしています。
もし、よろしかったら、笹井さんに連絡を取っていただいて、お受け取りください。わたしの「集団つくり」に関する内容ですので、興味がおありでしたら、ぜひご一読ください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):人間の感性と政治論  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/7/17(土) 19:50  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

早速のご回答を有り難うございます。
至極当然の要求だというお答えを聞くことができて良かったです。

私は押しつけることを嫌う方なので「嫌でも何でも聞け」という姿勢は好きではありませんが、ろくに人の話を聞こうともしない相手の姿勢はもっと腹が立ちます。
(先ほども述べましたが、腹の立つことの中には自分に対するものも含まれている と思います。)
ですから自分の感性に素直になれば、現在のようなスタンスで子どもの前に立つという結論になります。

後は自分の話の内容が聞くに耐えられるかどうかとういうことです。
この点については自分が責任を持つ以外ないのは言うまでもありません。

言葉のキャッチボールという視点は大切ですね。
私も子どもに質問をどんどんするように言っています。
質問がよく出るクラスを持つと、授業が自然に流れ、豊かになるのを実感します。
これも4月の時から育てていく力だと思います。

私の言い方は「嫌でも何でも聞け」というのに近いですが、流水さんは「何故聞かなければならないか」その理由を「キャッチボールのため」とはっきり示されています。
そこが私との違いですね。
きっと流水さんの子どもへのお話や授業はいつもそのように説得力のあるものだっただろうと想像されます。

細部にこだわるべき時とそうでないときの区別は私もよく間違っているんじゃないかと思います。
自分の方向性や理念をしっかり持って臨むことが大切なんでしょうね。
それにリズム感の問題もあると思います。
細部にこだわるときとさらっと行くときの切り替え、メリハリ、これは感覚的に身につける部分が大きいと思います。

「集団つくり」の御著書を頂けるなんて・・・
きっと本を出版されているんじゃないかと想像していましたが、やはりそうなんですね。
有り難うございます。
なんとお礼を言えばよいか分かりません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):人間の感性と政治論  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/17(土) 20:25  -------------------------------------------------------------------------
   たいした本でないのですが、自分の過去をまとめるつもりで自費出版したものです。
同業者の方に読んでいただけたら、本望です。

なお、下に江戸学のスレッドを立ち上げました。このような発想で、
もう13、4年前、現在の総合学習のはしりのようなことを実践してきました。
江戸については、団塊党さんの本場なので、何か気がついたことがあったら
ご指摘ください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):人間の感性と政治論  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/7/17(土) 21:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>たいした本でないのですが、自分の過去をまとめるつもりで自費出版したものです。
>同業者の方に読んでいただけたら、本望です。

笹井さんに送って頂けるようにメールで連絡を取りましたので、届き次第読ませて頂きます。今から楽しみです。
重ねてお礼申し上げます。

>なお、下に江戸学のスレッドを立ち上げました。このような発想で、
>もう13、4年前、現在の総合学習のはしりのようなことを実践してきました。
>江戸については、団塊党さんの本場なので、何か気がついたことがあったら
>ご指摘ください。

私の育ったのは九州は佐賀県唐津市なんです。
ですから江戸が本場ではありませんが、私に何か言えるようなことがありましたら書かせて頂きます。

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