Page 1324 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼「学びからの逃走」は何故 団塊党 04/8/25(水) 19:10 ┣Re(1):「学びからの逃走」は何故 Gokai Sezutomo 04/8/25(水) 21:11 ┃ ┣Re(2):「学びからの逃走」は何故 Gokai Sezutomo 04/8/25(水) 21:17 ┃ ┣Re(2):「学びからの逃走」は何故 月光仮面のおじいさん 04/8/26(木) 10:14 ┃ ┃ ┗誤解です 団塊党 04/8/26(木) 10:28 ┃ ┃ ┗Re(1):誤解です 月光仮面のおじいさん 04/8/26(木) 11:14 ┃ ┃ ┣Re(2):誤解です 団塊党 04/8/26(木) 18:31 ┃ ┃ ┗Re(2):誤解です Gokai Sezutomo 04/8/26(木) 21:46 ┃ ┗Re(2):「学びからの逃走」は何故 団塊党 04/8/26(木) 10:41 ┣解決しにくい環境問題の教育について あいあい 04/8/25(水) 22:33 ┣宇宙の自然の摂理 と 文明の中の原子力 あいあい 04/8/25(水) 22:58 ┣Re(1):モノカルチャー教育の行き着いた処! 珍 源齊 04/8/25(水) 23:04 ┃ ┣早い時期から 専門性を身につけさせたら、どうだ? あいあい(猫猫さん) 04/8/26(木) 0:06 ┃ ┃ ┗Re(1):学歴社会の敗者復活戦 〜大人たちの学校 あいあい(猫猫さん) 04/8/26(木) 0:15 ┃ ┃ ┗Re(2):学歴社会の敗者復活戦 〜大人たちの学校 三吉 04/8/26(木) 18:50 ┃ ┣Re(2):教育の技術論を超えて! 珍 源斎 04/8/26(木) 9:12 ┃ ┃ ┗Re(3):教育の技術論を超えて! 団塊党 04/8/26(木) 18:57 ┃ ┃ ┗Re(4):団塊党さんへ!教育の技術論を超えて! 珍 源斎 04/8/28(土) 10:37 ┃ ┃ ┗Re(5):団塊党さんへ!教育の技術論を超えて! 団塊党 04/8/28(土) 12:31 ┃ ┣Re(2):モノカルチャー教育の行き着いた処! こんぺいとう 04/8/26(木) 9:14 ┃ ┃ ┗Re(3):モノカルチャー教育の行き着いた処! 蟷螂の斧 04/8/27(金) 0:19 ┃ ┃ ┗Re(4):モノカルチャー教育の行き着いた処! 団塊党 04/8/27(金) 0:42 ┃ ┗Re(2):学びからの逃走・人生からの逃走? 珍 源斎 04/8/29(日) 9:38 ┣珍源齋さん、こんぺいとうさんへ 団塊党 04/8/26(木) 10:17 ┣近いうちに、また何か書きます。 ぎみゆら 04/8/26(木) 18:20 ┃ ┗Re(1):近いうちに、また何か書きます。 団塊党 04/8/26(木) 20:00 ┣Re(1):学校は、教師のために存在するみたい。 あいあい(猫猫さん) 04/8/26(木) 19:08 ┣ふたたび、珍源齋さん、こんぺいとうさんへ 団塊党 04/8/27(金) 0:56 ┃ ┣Re(1):団塊党さんへ! 珍 源斎 04/8/27(金) 10:09 ┃ ┃ ┣Re(2):横レス失礼 流水 04/8/27(金) 11:52 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3)流水さんご意見ありがとうございます。 珍 源斎 04/8/27(金) 16:27 ┃ ┃ ┗珍源齋さんへ 団塊党 04/8/27(金) 19:33 ┃ ┗Re(1):ふたたび、珍源齋さん、こんぺいとうさんへ こんぺいとう 04/8/27(金) 16:39 ┃ ┗こんぺいとうさんへ 団塊党 04/8/27(金) 19:51 ┣Re(1)教育論と教師論の混同 流水 04/8/27(金) 8:18 ┃ ┣Re(1):Re(1)教育論と教師論の混同 団塊党 04/8/27(金) 18:48 ┃ ┃ ┗Re(2):謝罪。 Gokai Sezutomo 04/8/27(金) 21:09 ┃ ┃ ┗Re(3):謝罪。 団塊党 04/8/27(金) 22:30 ┃ ┣Re(1):Re(1)教育論と教師論の混同 イワオ 04/8/29(日) 2:32 ┃ ┃ ┗Re(2):Re(1)教育論と教師論の混同 流水 04/8/29(日) 8:22 ┃ ┃ ┗Re(3):Re(1)教育論と教師論の混同 イワオ 04/8/31(火) 0:54 ┃ ┗Re(1):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 珍 源斎 04/8/29(日) 8:59 ┃ ┗Re(2):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 流水 04/8/29(日) 11:08 ┃ ┗Re(3):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 珍 源斎 04/8/29(日) 12:52 ┃ ┗Re(4):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 流水 04/8/29(日) 17:36 ┃ ┗Re(5):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 珍 源齊 04/8/30(月) 14:09 ┃ ┗Re(6):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 流水 04/8/31(火) 9:05 ┃ ┗Re(7):Re(1)教育論と教師論の混同//?? 珍 源斎 04/8/31(火) 13:36 ┃ ┗Re(8):Re(1)最後に! 流水 04/8/31(火) 17:44 ┃ ┗Re(9):Re(1)最後に!私からも! 珍 源斎 04/8/31(火) 23:03 ┃ ┗Re(10):Re(1)申し訳ない:言い忘れ 流水 04/9/1(水) 0:20 ┃ ┗Re(11):Re(1)申し訳ない:言い忘れ ウミサチヒコ 04/9/1(水) 1:39 ┣Re(1):「学びからの逃走」は何故 Gokai Sezutomo 04/8/27(金) 23:06 ┃ ┗「学ぶこと」と「勉強すること」 団塊党 04/8/28(土) 11:36 ┃ ┗Re(1):「学ぶこと」と「勉強すること」 Gokai Sezutomo 04/8/28(土) 22:49 ┃ ┣Re(2):「学ぶこと」と「勉強すること」 ワクチン 04/8/29(日) 8:06 ┃ ┃ ┗Re(3):「学ぶこと」と「勉強すること」 Gokai Sezutomo 04/8/29(日) 12:34 ┃ ┃ ┗Re(4):「学ぶこと」と「勉強すること」 ワクチン 04/8/29(日) 14:12 ┃ ┃ ┣Re(5):「学ぶこと」と「勉強すること」 団塊党 04/8/29(日) 14:57 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):「学ぶこと」と「勉強すること」 団塊党 04/8/29(日) 19:46 ┃ ┃ ┗Re(5):知識、分析、証明? Gokai Sezutomo 04/8/29(日) 18:23 ┃ ┗Re(2):「学ぶこと」と「勉強すること」 団塊党 04/8/29(日) 13:36 ┃ ┗Re(3):「学ぶこと」と「勉強すること」 Gokai Sezutomo 04/8/29(日) 19:12 ┣「頑張る力」と「やわらかい心」 ぎみゆら 04/8/29(日) 11:17 ┃ ┣Re(1):「頑張る力」と「やわらかい心」 団塊党 04/8/29(日) 20:49 ┃ ┃ ┗大事な職業だからこそ苦しみも大きい 珠 04/8/29(日) 22:59 ┃ ┃ ┣Re(1):大事な職業だからこそ苦しみも大きい ワクチン 04/8/30(月) 7:43 ┃ ┃ ┗Re(1):大事な職業だからこそ苦しみも大きい 団塊党 04/8/30(月) 19:58 ┃ ┗子供は「つらい体験」から学べるか。 ぎみゆら 04/8/30(月) 18:48 ┃ ┗Re(1):子供は「つらい体験」から学べるか。 団塊党 04/8/30(月) 20:43 ┣Re(1):「学びからの逃走」は何故 KO 04/8/29(日) 17:54 ┃ ┣Re(2):「学びからの逃走」は何故 Gokai Sezutomo 04/8/29(日) 21:16 ┃ ┗Re(2)KOさん!少し過激ですね・でも的をえてます・ 珍 源斎 04/8/30(月) 19:36 ┗しばらく休みます 団塊党 04/8/30(月) 20:51 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 「学びからの逃走」は何故 ■名前 : 団塊党 ■日付 : 04/8/25(水) 19:10 -------------------------------------------------------------------------
「教育基本法問題2」スレッドの続きですが、スレッド名を変更します。 いずれ教育基本法問題とも関連してくると思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本の高度成長期まで(70年代前半まで)は、「勉強して良い学校に行き、良い仕事に就く」という目的が親にも子どもにもありました。 貧しさの中から勤労学生になり、社長や学者になったというような成功物語はいくつもありました。 しかもそれは一部の子どもだけではありませんでした。 大半の子ども達は多少努力すれば、親よりも高い教育歴を獲得することができ、親よりも高い社会的地位を獲得することができました。 ある意味で夢の持てる、幸せな時代だったと思います。 それが受験競争の過熱化をもたらすことにもなったのですが、夢や目的がはっきりしている分、今よりも子ども達は、勉強に対して前向きにがんばれました。 当時は日本の子ども達は世界一よく勉強する子ども達だったのです。 学校と教師への信頼度も世界一高かったのです。 ところが日本の成長が飽和状態になる頃から、子ども達の勉強に対する意欲が衰えてきました。 つまり「学びからの逃走」の始まりです。 そしてちょうどこの時期から校内暴力が話題に上るようになりました。 物が豊かになり、おいしい物も食べられる。 何も努力して勉強し収入の良い仕事に就かなくても、そこそこ食べていける。 というような精神風土が知らず知らず子ども達に作られてきたことが、これらの現象の理由とも考えられます。 しかし、最近はそう単純な事情でもなさそうです。 ハングリー精神の欠如だけで、この現象を説明できなくなってきています。 佐藤学氏は、産業主義社会からポスト産業主義社会への移行を基盤として、一層激しく「学びからの逃走」に拍車がかかっているとしています。 以下、かいつまんでそれを説明します。 ポスト産業主義の社会では単純労働者の需要が激減し、高度で複合的な知的な能力を備えた労働者の市場が拡大して、ピラミッド型の底辺が崩れ、上部がふくらんだちょうちん型の労働市場へと推移します。 これのもたらす深刻な問題は、若年労働市場の解体という点です。 1992年の高卒求人数は164万人でしたが、1998年の高卒求人数は37万人にまで激減しています。わずか7年間に高卒者の労働市場の実に8割が消滅してしまったのです。 大量のフリーターの出現は、若者の勤労意欲やモラルの衰退によるものではなく、急激な若年労働市場の崩壊が引き起こしたものです。 このような社会の流れに対して、政府の誤った経済政策と政治的な無策が、一層子どもと若者の未来を暗くしています。 最近は700兆とも言われる国家財政の赤字負担が子ども世代に押しつけられ、返済義務を背負わされています。 このような現実を直視すれば、子どもや若者が未来への希望を喪失し、学びへの意欲を失っているとしても当然の結果と言うべきでしょう。 さらには家庭の崩壊が子どもの精神的不安と経済的困窮をもたらしています。 少年非行の7割は、これが原因になっています。 また、近年、早期教育に熱心な家庭の子どもが、学びから逃走するケースが増えてきました。 早期教育やお受験に熱中する親や子どもほどいったん成績が芳しくなくなると、早々と絶望しあきらめる傾向が強いようです。 続く |
▼団塊党さん:こんにちは >このような社会の流れに対して、政府の誤った経済政策と政治的な無策が、一層子どもと若者の未来を暗くしています。 仰るとおりですが、 >最近は700兆とも言われる国家財政の赤字負担が子ども世代に押しつけられ、返済義務を背負わされています。 > この部分が間違っています。先生方の優秀な頭脳で、是非、解明していただきたく思います。守備範囲はこの際、無視というのはどうでしょうか? |
>▼団塊党さん: すみません。スレッドを邪魔するつもりはありません。続きを拝見させていただきます。 |
gokai sezutomoさま、団塊党さま 私も同じところがとても引っ掛かります。この決着を政治が悪いで片付くのかです。 政治が悪いと言うのを別な言葉で言うと、”私は悪くない”とも取れます。 社会の構成員として良くも悪くもその時代を生きた責任は我々にあるのではないでしょうか。”親の背中を見て育つ”としたら、そんな親の姿をみて幻滅していると思います。 これからも我々こそ、時代を育てる一員だと言うことを肝に銘じるべきでしょう。 |
▼月光仮面のおじいさんさん: > >私も同じところがとても引っ掛かります。この決着を政治が悪いで片付くのかです。 >政治が悪いと言うのを別な言葉で言うと、”私は悪くない”とも取れます。 私は、教師が何の責任もないとは一言も言っていません。 どんなに政治が悪くても、まさかすべてを政治の責任にする等と言うことは間違っても考えていません。 教師にも反省すべき事はたくさんあります。 しかしどんなに教師ががんばってもどうにもならないことが今の教育にはたくさんありすぎます。 それをみなさんに是非知って頂きたいのです。 そこが変わらなければ日本の教育は絶対変わらないのです。 そこを是非ご理解下さい。 |
団塊党さま gokaiさんへのこの返答がとても気になります。 最近は700兆とも言われる国家財政の赤字負担が子ども世代に押しつけられ、返済義務を背負わされています。 この700兆の赤字負担と作ったのは、我々の世代です。そこにはもっと景気を良くせねばならないと言って公共事業を推進した我々の同世代の人間が関わったじゃありませんか。 話は変わりますが、私が先生として一番印象に残っているのは、高校を卒業し、会社に就職しながら夜間の専門学校に入ったときです。都内に有るその学校は都立の専門学校で入学金はその当時の民間の学校の十分の一程度の極めて安い金額でした。 美濃部都政の時代で、今にして思えば随分左翼色の強い時代でしたが、都から幹部の方が来賓で挨拶し”皆さんの授業料はとても安いが、それは都民の人々のお金で支えられているのでしっかり勉強して欲しい”と話されていました。 この時分こんな言い方をするのははばかれる時代でありましたが、生意気盛りの私には初めて聞いた印象に残る言葉でした。 しかも、情けないことに私のその学校の途中退学1番となってしまったのです。 その後、社会生活をする中、自分の知らないところで知らず知らずの応援がされている現状をみて、自分の価値観を決める大きな支えになっています。 ちょっと鶴のような背の高いその人に今でも感謝しています。 >> |
▼月光仮面のおじいさんさん: >gokaiさんへのこの返答がとても気になります。 >最近は700兆とも言われる国家財政の赤字負担が子ども世代に押しつけられ、返済義務を背負わされています。 >この700兆の赤字負担と作ったのは、我々の世代です。そこにはもっと景気を良くせねばならないと言って公共事業を推進した我々の同世代の人間が関わったじゃありませんか。 700兆の借金は政治の責任だと思いますが・・・ どうして矛先をそんなに鈍らせる必要があるのでしょう。 このスレッドは権力批判のスレッドだと私は思っています。 その借金が子ども達の世代に重くのしかかるということだけでも、いかに未来を暗くしているでしょうか。 子どもは感覚的にそのような空気を肌で感じていると思います。 |
▼月光仮面のおじいさんさん:こんにちは、横からすみません。 >この700兆の赤字負担と作ったのは、我々の世代です。そこにはもっと景気を良くせねばならないと言って公共事業を推進した我々の同世代の人間が関わったじゃありませんか。 > 吃驚するかもしれませんが、700兆円の政府借金は、悪いことでありませんと私は申し上げ、先生方にそのことを論理的に賛同できませんかとお願いしたのです。 貴兄は700兆円の借金は悪いことだと思っておられるのだと思います。そのことと、私の考えは、まるで正反対なのです。 |
▼Gokai Sezutomoさん: >>最近は700兆とも言われる国家財政の赤字負担が子ども世代に押しつけられ、返済義務を背負わされています。 >> > >この部分が間違っています。先生方の優秀な頭脳で、是非、解明していただきたく思います。守備範囲はこの際、無視というのはどうでしょうか? 700兆円の借金は心配ないと仰っているのは読んでいます。 ただ普通の人は心に重くのしかかっていることは事実です。 子どもは特に世の中の気分を敏感に感じ取ります。 大人の様子を我々が思っている以上によく見ているのです。 |
「環境問題を教えるな」とは、言いませんが。。。 大量消費の20世紀の時代から、 省エネ、小型化推進の21世紀の時代へと 流れてゆく中で、、、、 未来の世代は、過去の世代よりも、ビンカンなんですよ。 過去の世代は、未来の世代に比べ、ドンカンなんですよ。 大人たちが環境を破壊し続ける姿を見れば、 子供たちが悩み苦しむのは、当たり前の事だと思います。 環境問題に対しての世代間の認識のギャップは、大きすぎます。 大人が、子供に、環境問題を教える前に、 大人は、子供よりも、環境問題について勉強しなければなりません。 環境問題は、机上の空論ではなく、 日常生活の中で、実践してゆくことが、大切です。 実践しやすい社会システムの構築に、チカラを注ぐべきです。 「情報化社会」とは??? 「情報が多すぎる意味不明の社会」 →「必要な情報が流れる社会」 まずは、ゴミ出しの曜日を 自分の住んでいる市町村のホームページで、 確認することを オススメします!!! |
宇宙誕生の瞬間から、 質量の軽い元素が生じはじめて、 すこしずつ、重たい元素が 星の内部で作られ始めた。 軽い水素から、重たいウランまで、、、、、 一時期、アメリカで、「常温核融合スキャンダル事件」というものが ありました。この事件は、ふたりの教授が、「常温核融合に成功した」 と勘違いしたところから、始まりました。 「核融合」をめざし、さらなる重たい元素を作るのが、 人類の科学の目標??? 宇宙の流れの摂理??? 「常温核融合」の夢は、永遠のエネルギーの泉でございました。 今現在の原子力発電所は、天然ウランの「核分裂」をやっています。 我々、人類が、もしも、天然ウランよりも重たい元素を 作ることができるならば、「宇宙にとって、人類の文明は、価値がある」 と言えるかもしれません。 「核融合」は、水素元素をいじる程度のことしかできないのであるならば、 「くだらない科学少年の実験」にしかなりません。 「原子力」の魔力、魅力、、、、、 それは、宇宙の自然の摂理かもしれませんね。 しかしながら、正しく、文明の中で、機能しない技術ならば、 意味がないと思えるのです。 新しい未来の宇宙は、さらなる「重たい元素」を作るのかもしれません。 人類は、どこまで、危険な実験をくりかえすべきでしょうか??? 我々、人類は、宇宙空間で、「核融合」の実験をするべきなのかもしれません。 しかしながら、それは、税金の無駄使いにすぎないのかもしれません。 火星の上で、「核融合の実験」をする。(予想) 第2の太陽を、太陽系の中に、作る??? SFっぽくなってきました(笑) 木星のまわりを回る 水を持っている星を 第2の地球のようにする??? 我々、人類は、どこまで、文明を拡張させるべきなのか??? わかりません。 誰か、教えてください。 |
団塊党さん!こんばんわ! ご説は一見尤もらしく述べられて居るようですが・・、 どうも・しっくり納得出来ません! 社会や世の中は日本、世界に関わらず複雑多岐に変化を遂げてます・・。 人々の価値観も多様化してる中で、日本の教育システムが依然として 富国強兵モードから脱却できてないからではないかと思われます・・。 日本だけ見ていれば、その事は理解しにくいと思いますが・・。 先進各国、それも欧州、北欧での教育を伝え聞く処によりますと 記憶力より思考力や情勢の分析、論理的な思考力を高めることに 重点がおかれてるようです・・。 それに加えてお互いに尊重し礼を重んずることも子供達の日常に触れて 感じます・・。「子供達の目の色とそこから発する勢い」の違いが日常、触れあう 日本の子供たちと較べて感じます・・。 例えばドアーに同時に入るタイミングのとき彼らは殆どの場合、お先にどうぞ と云って笑顔と共に道を譲ってくれます。 日本では若者達の我先に人を押しのけて入ってくる連中を目にしますし、 電車でもお年寄りや辛そうにしてる人が前に立っていても狸寝入りを 決め込んで席を譲ろうとしない連中も良く目にします・・等々 学校も家庭教育も江戸時代からみても相当に退化してるのではないかと 感じてます・・。「江戸時代は学校でなく寺子屋」 学校教育に総ての責任があるとは申しませんが、 勉強の出来る子も、出来ない子も楽しく学校生活を送れるような配慮が なされてるは、とても思えません・その辺りに根本的な問題があるように 思います・。 更に加えて申せば、モノカルチャー的な教育の弊害がより顕著になったのが 今の時代のように感ぜられます・・。 教育の現場にある方々が評論家気取りで物言う姿には大いなる違和感を 覚えます・・。 |
>富国強兵モード エイズから逃れるための「性教育」が、 青年たちの勉強を じゃまするので 切り落とすことにした。 男女平等は認めるが、「ジェンダー思想」は、 行き過ぎだと思いますし、社会秩序の混乱を加速させるだけなので、 切り落とすことに決めました。 よって、「富国強兵モード」に回帰したように見えます。 精神力だけではなく、体力も、重視したいと思います。 「肉体」が存在しなければ、「精神」は存在しないんで。 |
「子供の教育」ばかり注目されてますが、、、 我が輩のようなバカな大人も、勉強したいんですよ!!! 大器晩成型のみなさんだって、勉強したいでしょう??? もっと、いろんなことを知りたいと思うんですよ。 今まで、終身雇用制度が流行っていたけど、、、 これからは、もっと手軽に、大人たちが会社を休んで、 学校へ行けるような制度になったら良いと思うんだよね。 (アメリカみたいに(笑)) 「教育は、国の基礎」だって、 たしか、武田信玄も言っていたよ。 |
私が好きな矢沢永吉さんの著書「成り上がり」の中にあった言葉、 「人は誰でもBIGになれる道を持っていると信じている」を座右の 銘としております。 やはり努力すれば誰でも「一流」になれる 社会がいいです。 魑魅魍魎な文化人や学者など(私が思うに森永 某経済評論家とか・あいつの話は読むだけで腹が立つ)のたわごと に負けず、頑張りましょう。 大人たちが勉強する場所は探せば いくらでもあるのでは。 国や行政は当てにはできません。我々が 変えていかねば。 私は学校時代、大の勉強ぎらいで問題児でしたが、「不惑の年」を 過ぎて漸く少しずつ勉強の楽しさが分りました。 数年前から ハングルをNHKの講座で勉強し、友人から「おまえは学校時代に さぼっとったから、今勉強せなあかんのや!」と笑われながらも 続けております。 先月「ハングル検定3級」を取りました。 別に偉くもありませんが、私にとっては、やっと「小さな成功体験」 ができたと思って、次のステージを目指しております。 それにしても我が国には、ドイツのような「マイスター制」などを 作るのは無理なのだろうか? |
このスレッドの皆さん!こんにちわ! 夏休みになると「NHKの子供達のラジオ科学相談」が放送されてます・。 機会あるごとに聞いてますが・・、其処には子供達の好奇心や疑問が 大人達の視点では考えられない「純粋さを持った切り口」をもって展開されており 時にはギョットしたり、微笑ましく、奇想天外なもの、或いは妙に感心させられる もの等々・・これらの子供達のような視点や、疑問や好奇心を持ち続けられたら どんなにか素晴らしいことではないかと常々感じる処です・・。 学校での教育を受けるに従い教育の枠に「ドンドン」はめ込まれて行くに従い いつか疑問を持つことさえ失われて行くように思えます・。「経験上」 振り返ってみて「疑問や好奇心」を持ち得ないことは志「こころざし」すら持ち得ぬことに通じてるように思えます・。 それから「納得=思考停止」になるような条件反射を伴うような受験技術も あるやに聞いてます・・・。 現役のある官僚に聞きましたが諸々の仕事を進める上で納得は思考停止に 通じると云ったスタンスでないとやって行けないとも云ってました・。 日本の教育現場にあっても教師の皆さんの日々の立場は同様の状況に あることは容易に想像できます・・。 犯罪や社会問題の発生への源流には志「こころざし」を失い誠「まこと」を 失ってる・・ことにあると・・断ぜられます・。 故に教育の本質は「教育技術論」を超えた処にあると思考する所以です・・。 |
▼珍 源斎さん: >現役のある官僚に聞きましたが諸々の仕事を進める上で納得は思考停止に >通じると云ったスタンスでないとやって行けないとも云ってました・。 > >日本の教育現場にあっても教師の皆さんの日々の立場は同様の状況に >あることは容易に想像できます・・。 > >犯罪や社会問題の発生への源流には志「こころざし」を失い誠「まこと」を >失ってる・・ことにあると・・断ぜられます・。 > >故に教育の本質は「教育技術論」を超えた処にあると思考する所以です・ どうしても教師をやっつけないときがすまないようですね。 どうぞ批判してください。 それで日本の教育が変わるのでしたら。 「こころざし」や「まこと」だけで教育が変わるのならもうとっくに変わっています。 そこに教師の仕事の難しさがあるのです。 この掲示板でみなさんが仰るようなことは普通の教師だったらもう何百回も繰り返し飽きるほど考えてきているはずです。 それでも、思い通りには行かないのです。 教師を批判し学校を批判すればそれで今の教育問題が片づくと思っていらっしゃるのなら、まったくの見当はずれです。 イラク問題で政府を批判しないで、自衛隊員を批判しますか? 彼らは権力の前では無力です。 教師も今の制度の中ではほとんど無力な存在です。 一度、目線をひいて大きなところから教育問題を見るようにして頂けないでしょうか。 なださんも何かの本でそのようなことを仰っていました。 老人党は一兵卒ではなく権力に矛先を向けてください。 |
団塊党さんへ! どうして下記のような意味の取り方をなされるのですか? 現在おかれてる教育問題についてレンズを引いて広角的な視野に立っての 考えを述べさせて頂いたつもりです・・。 >どうしても教師をやっつけないときがすまないようですね。 >どうぞ批判してください。 >それで日本の教育が変わるのでしたら。 >「こころざし」や「まこと」だけで教育が変わるのならもうとっくに変わっています。 これも誠や志「ころこざし」が土台に無ければ科学技術の進歩や発展はないと 思われません・・か? 今、叩いてるパソコンにしても多くの科学者や技術者の努力や想いの中には 「こころざし」や「まこと」があったからと理解してます・・。 不可能を可能にする努力「ブレークスルー」には「こころざし」と誠意が 無ければ成立しません・・。 PC・にしても様々な機器類にしても膨大な点数に及ぶ部品類に一つでも嘘や 瑕疵が生ずれば・・それは機能しないこと・「アウト・オブ・オダー」 機能不全・故障に通じます・・。 人文的な「世界」処では嘘、不誠実、繕い「つくろい」自分勝手な「合理性(心理学的)」言い訳、思い込みは多少でも通じますが・。 理系的「自然科学応用分野」では宇宙の真理或いは摂理をも含んだ法則があり・ それに背けば立ちどころにそれが現れます・・。 人間が引き起こす事故原因を突き止めてゆくと・必ずそれに突き当たります・・。 >そこに教師の仕事の難しさがあるのです。 教師の仕事の難しさはそれは容易に想像できます・・。 しかしそれも職務でないですか・・? 一般社会では個人も企業も絶えず新陳代謝に伴う淘汰の洗礼を受けて 生活・生存すら「おぼつかない」怖れの連続です・・。 >この掲示板でみなさんが仰るようなことは普通の教師だったらもう何百回も繰り返し飽きるほど考えてきているはずです。 上記のこと何百回繰り返し飽きるほど考えてる云々もその効果や効用が 無いのであれば努力をしたと云う意味にはなりません・し・ 果たして「まこと」があったのか・・疑念が残ります。 実際には「賽の河原に」石を積み上げる多くの方々の努力の恩恵をもって 私たちの生活の維持がなされてると・・常々感ずる処です・・。 >それでも、思い通りには行かないのです。 思い通りにならないのは「世の常」です・・。いずれの職業においても・・。 >教師を批判し学校を批判すればそれで今の教育問題が片づくと思っていらっしゃるのなら、まったくの見当はずれです。 このご見解も批判的な多くの人々の「思いを糧に出来ない」了見の狭さを感じますが・。 >イラク問題で政府を批判しないで、自衛隊員を批判しますか? >彼らは権力の前では無力です。 これも引き合いに出す事とは違うようですね・論議のラチ外ですよ! >教師も今の制度の中ではほとんど無力な存在です。 違った角度から観ると教師は決して無力な存在とは思えません・・。 >一度、目線をひいて大きなところから教育問題を見るようにして頂けないでしょうか。 私は物事の視点を絶えず変えてみる努力を及ばずながら心掛けてます。 物事・事象への判断を誤ると迷惑や実害が多方面に及ぶことを自覚するからです。 教育の技術論を超えての真意は「嘘つきや言い訳人間」をつくらないことです。 これは・幼き日に当時の先生から受けた教えで・多くの事は忘れてしまいましたが 「嘘つきになるな」「言い訳人間になるな」は今でも脳裏にあり・・ 人生航路での危機的な状況はこれによって救われたとの想いは確信に近いものが あり・・今でも感謝の絶えない処です・・。 >なださんも何かの本でそのようなことを仰っていました。 人様の見解をもって持論の正当性を合理化するのも如何なもの・かと思います・。 >老人党は一兵卒ではなく権力に矛先を向けてください。 矛先云々の話ではないと。思いますよ! 地面に頭を出した「モグラ叩きでは」ないことを考えて私なりに 考えを述べさせて頂いてます・・。 舌足らずや文章能力の至らぬ事については先ずもって、 お詫びをせねば・・と・感じつつ・・書き込みをさせて頂いてます・・。 老人党の意見交換のスレッドは貴重なものと思います・・。 色々な方々の考え方を広く受け取ること・こんなに便利なメデイアは かつて在ったでしょうか・アメリカの軍事技術より派生したインターネット ですが使い方によっては人類に大きな貢献を果たすことも期待できますが 邪悪なものに支配されれば・これ又人間を破滅させる悪魔のツールにも 成りかねません。・・心して行きたいとおもいます・・。 |
▼珍 源斎さん: 私は少し熱くなりすぎていたようです。 頭を冷やした後で18702を書きましたので、そちらをご覧下さい。 何しろ私は「評論家気取り」などという気楽な気持ちでこの掲示板に書き込んでいるのではないということを分かって頂きたいだけです。 |
珍源斎さま 別のスレッドにも書き込みましたが、私の少ない海外旅行で気づいている ことをあなた様も書いていますね。 日本のどこにいても昨今はしつけのされてない若者に出会います。 しかし、どんなパンクファッションの若者でも外国の街角で不愉快な思いを したことはありません。旅行者にだけでなく、お年寄りや弱者に対する心使 いがさりげなく感じるのです。 これは、家庭でも教育の現場でもきっと目に見えない大人のしぐさから学んで いるのと思います。 教育現場にいる方々はいつも自分達を正当化なさいます。 教育という子供に対する一段上の立場で子供を見ているのだというおごりで しょうか。一歩引いて自分達のおかれている環境、もしかしたら社会と遊離 しているのかなという謙虚な反省が見受けられないこと多いです。 教育者は学校関係だけではありません。社会教育に携わっている者も子供達に いい環境を作ろうと必死です。社会教育では子供に通知表のような順位をつけ ませんので子供は本当の気持ちを指導者にぶつけてきます。 長年関わっていると出来る子出来ない子ではなく心のいい子が見分けられるのです。 私自身40年以上前、家庭の事情で大学進学をあきらめざるおえなかったので 今でも学卒に妙なコンプレックスがありますが、でも昨今の学卒の知識の薄さ 品性になさを見るにつけ、学問と人間性は決して一緒でないと納得しています。 60過ぎた今でも学ぶことへの意欲は誰よりもありますし、まだまだ学びたいと 大学の公開講座へも通っています。 自分で学びたくなったとき、本当の学問が楽しく学べるのではないでしょうか。 学校の役目は、学ぶことに楽しさを教えることで、順位をつけて子供を評価する ことではないと思いますが・・・ |
▼こんぺいとうさん: こんばんは。 横レス、ごめんなさい。 前後の関係調べていませんので、またピント外れかも知れませんが、貴コメントに基づいて、意見を述べさせて下さい。 >珍源斎さま > >別のスレッドにも書き込みましたが、私の少ない海外旅行で気づいている >ことをあなた様も書いていますね。 >日本のどこにいても昨今はしつけのされてない若者に出会います。 >しかし、どんなパンクファッションの若者でも外国の街角で不愉快な思いを >したことはありません。旅行者にだけでなく、お年寄りや弱者に対する心使 >いがさりげなく感じるのです。 大分前に、イタリアに旅行したとき慌てて「BAR」に入ったときに、入り口で、現地の若い人とぶつかりそうになりました。私は、急いでいたので、すっと通り過ぎましたが、そのとき、若い人の言った言葉は今でも耳に残っています。「せめて、”御免なさい”くらい言えば好いのに」でした。優しい言葉でした。今でも恥ずかしく思っています。 >これは、家庭でも教育の現場でもきっと目に見えない大人のしぐさから学んで >いるのと思います。 >教育現場にいる方々はいつも自分達を正当化なさいます。 >教育という子供に対する一段上の立場で子供を見ているのだというおごりで >しょうか。一歩引いて自分達のおかれている環境、もしかしたら社会と遊離 >しているのかなという謙虚な反省が見受けられないこと多いです。 「"先生”と言われるほどの馬鹿でなし」が分からない人も中に居るのでしょう。 >教育者は学校関係だけではありません。社会教育に携わっている者も子供達に >いい環境を作ろうと必死です。社会教育では子供に通知表のような順位をつけ >ませんので子供は本当の気持ちを指導者にぶつけてきます。 >長年関わっていると出来る子出来ない子ではなく心のいい子が見分けられるのです。 「教育」は、教える、知識を与えるでなく、人の能力を引き出す「EDU−CATE」であるべきであって、「知識の嵩」など問題ではなく、「知を求める意欲」を育てることと思っています(「ペスタロッチ」の言葉だと思いますが、今頃聞きませんね)。 >私自身40年以上前、家庭の事情で大学進学をあきらめざるおえなかったので >今でも学卒に妙なコンプレックスがありますが、でも昨今の学卒の知識の薄さ >品性になさを見るにつけ、学問と人間性は決して一緒でないと納得しています。 >60過ぎた今でも学ぶことへの意欲は誰よりもありますし、まだまだ学びたいと >大学の公開講座へも通っています。 私の子供たちを見ていてもその「薄っぺらさ」は悲しく思っています。 >自分で学びたくなったとき、本当の学問が楽しく学べるのではないでしょうか。 >学校の役目は、学ぶことに楽しさを教えることで、順位をつけて子供を評価する >ことではないと思いますが・・・ 全く、その通りと思います。 |
▼蟷螂の斧さん: >>教育現場にいる方々はいつも自分達を正当化なさいます。 >>教育という子供に対する一段上の立場で子供を見ているのだというおごりで >>しょうか。一歩引いて自分達のおかれている環境、もしかしたら社会と遊離 >>しているのかなという謙虚な反省が見受けられないこと多いです。 > >「"先生”と言われるほどの馬鹿でなし」が分からない人も中に居るのでしょう。 このスレッドを始めから読んでもう一度レスしてくださいませんか。 この部分だけ読めば、私は大馬鹿だと言われていることになりますが・・・ 珍源齋さんは私のことを「評論家気取り」と、こんぺいとうさんは「自分たちを正当化」「一段高いところにいる」と批判され、あなたに「大馬鹿」と言われたのでは、このスレッドの意図をあまりにも誤解されています。 |
カラスが鳴かない日があっても中高年のそれも男性の飛び込み自殺が 無かった日々続いた時期がありました・・。 人身事故により電車が止まってるますとの報に接して当初は飛び込み自殺が 原因とは思ってもみませんでした・・が、しかしそれが飛び込み自殺と判って 愕然としました。現在でも時折、それにより電車が止まります・・。 その原因は?「曰くリストラ」などに遭い前途を悲観したこと、 経済的な問題などによる鬱病の発症「人生よりの逃避」が自殺衝動へと駆り立てた等々無責任な他人からみると各々に尤もらしい理由付けがなされます・・・が、 その一つかも知れませんが・・私なりに考えると「人生よりの逃走」に結論を求めてしまう方々には共通の要因があるように思われます・・。 一っつには、モノカルチャー的な価値観と集団への依存的なお任せ体質による事・・言い換えますと自己の確立が不全であったのではないか・? 故にその支えを失ったと思われる時の失望感が絶望感になったのでは ないかと私なりに想像する処です・・。 日頃より生きること、学ぶことの意味をより「深く」考える習慣や 仲間達と議論できる場をもって居れば絶望へ直行せずに、 他の道への選択の余地を得られるはずです・・のにと他人事ながら無念さは 拭えません・・。 世に云われる「終身雇用の制度」は欺瞞に満ちており、従業員をその気にさせてしまう装置でもあります・・。社宅制度、企業内福祉システム、退職金制度等々 人間から主体的な生活感覚を奪い、家畜的な囲い込みを意図してます・・。 官僚や公務員の世界のそれとは異なり・これも企業側から云わせると従業員のロイヤリテイー「忠誠心」の確保すると共に目一杯の働きを引き出すための手段に過ぎません・・。 これにより会社のためには平気で「嘘をついたり法律違反を超えた背徳行為」にさえ良心や、理性が機能しなくなってしまってる社畜になり果てた人たちの存在は 反面教師的な実例として数多く見聞きする処です・・。 過労死もそれに連なってる現象ではないかと思います・・。 社畜的な「調教を受け入れた」者は、その企業「飼い主から」放り出された時には・生活への不安と怖れ、家庭すら崩壊してしまう恐怖感は図り知れないものが あるやに思います「多額な住宅ローン」などを抱えていれば絶望感は一挙に 倍加するのではないかと思います・・。 生活への主体性を失い何物かに依存しなければ生きられない野生を失った 家畜動物たちにも例えられる哀しい事と思考する処です・・。 これも折りに触れて申し上げてるモノカルチャー的な教育が根底にあり・・ 偏差値教育システムに関連した現象と私は捉えてます・・・。 人間は元々宇宙や大自然や環境に依存しなければ生存の叶わぬ生物です・・が 「擬似餌とも云える」企業のそれに依存しなければならない事は常に哀しみと 悲劇を内包してることになります・・。 優れた職人や芸術家の「考え方」「創造する・志・心」それの一部でも理解することにより、生き方としての多様な価値観を得ることが可能です・・。 伝記など書物、又作品からもその意気と知恵も含めて大きなことが学べる のでは無いかと・・思われます・・。 長い書き込みになりましたが・・、「学びよりの逃走」から連想する 「人生よりの逃走」に触れて考えてみました・・。 「人生からの逃走」は家族を始め周囲へも筆舌に尽くせぬ悲しみや負担を 強いることになります・。 |
私の言葉足らずのためですが、私の意図を誤解されています。 私はこのところずっと「日本の社会の変化」や「教育制度」の面から、今の教育の現状を捉え直してみたいという気持ちで、「教育基本法問題」及び「学びからの逃走は何故」というスレッドを立てました。 教師論や学校論を意図して書いているわけではありません。 「自分を高みに置いて」とか「評論家気取り」などと言われるのは情けないことです。 私にとってはこのようなスレッドを立てることが切実なことなんです。 今の教育の現状を変えるには、一教師の努力ではどうにもなりません。 教師論をどんなにここで議論しても何も変わらないのです。 教育制度の様々な矛盾をみなさんに是非知って頂きたい。 そして良い知恵があれば是非お借りしたい。 そのような止むにやまれぬ心境で書いています。 最近目の調子が悪くて、書きこみを控えたいと思っているのですが、一区切りつくまでは何とかがんばろうと思います。 このようなせっぱ詰まった気持ちをどうぞご理解下さい。 教師論については私なりにたくさんありますが、今はその余裕がありません。 |
団塊党さん、こんにちは。 書き込み、いつもじっくり読んでいます。そのたびに、いろいろ 考えます。自分の子供時代のこと。年に二三度会う姪甥のこと。 さまざまな思いが浮かびます。 いま、みなさんからのレスに、学校批判、教師批判と読める内容が あるのも、教育の現状と子供たちの未来に対する危機感を、それだけ たくさんの人が持っているからではないかと、読んでいて感じます。 だとすればそれは、団塊党さんのお気持ちとも、通じるところが多い はずです。珍 源齋さんやこんぺいとうさんの体験論的なご指摘と、 団塊党さんの危機感には、たぶん接点があるだろうと、私は思います。 お急ぎになる気持ちは、私なりにわかるつもりですが、それでも、 指図めいた言い方で恐縮ではありますが、できるだけ、焦らないように してほしいと思います。急ぐと焦るは、似て非なるものですから。 それから、目のお疲れなのですが、侮らずに、ご自分を労ってください。 お気持ちの疲れが目に出るようなこともあります。短くても休む時間を 確保して、気分転換の機会を、意識して、しっかりと作ってください。 私からも何か書いてみたいとずっと思いながら、この話題は、あんまり いろんなことが頭の中を行き来して、いまのところ、うまく考えが整理 できずにいます。でも、近いうちにきっと、また何か書きます。 以上、思いつくことのみ、取り急ぎ。 |
▼ぎみゆらさん: >いま、みなさんからのレスに、学校批判、教師批判と読める内容が >あるのも、教育の現状と子供たちの未来に対する危機感を、それだけ >たくさんの人が持っているからではないかと、読んでいて感じます。 > >だとすればそれは、団塊党さんのお気持ちとも、通じるところが多い >はずです。珍 源齋さんやこんぺいとうさんの体験論的なご指摘と、 >団塊党さんの危機感には、たぶん接点があるだろうと、私は思います。 > >お急ぎになる気持ちは、私なりにわかるつもりですが、それでも、 >指図めいた言い方で恐縮ではありますが、できるだけ、焦らないように >してほしいと思います。急ぐと焦るは、似て非なるものですから。 心温まるアドバイスを有り難うございます。 そうですね。少し、ゆとりを持ちます。 とげのようなものを感じたのは私の思い過ごしだったのかもしれません。 目のことまで心配頂き有り難うございます。 老化現象でもう直らないと言われて落ち込んでいます。 ぎみゆらさんのご意見、楽しみに待っています。 (気が向いたときで結構です。) |
高齢化社会になり、 「大人の論理」が「子供の人権」よりも 優先されているのではないだろうか??? 日本社会全体の価値観が、高齢化したと考えられる。 |
あなた方が私を批判されたので、それに対して私の意図を説明しました。 何らかのレスをするのが、こういう場合は礼儀でしょう。 今度は無視ですか? このままでは私の気持ちは収まりません。 (私は教師批判、学校批判を怒っているのではありません。私の気持ちをあまりにも誤解されているのが悔しいのです) 是非、レスを下さい。 |
団塊党さんへ こんにちわ! 「何と乏しい感覚?」 先ず始めに、お断りしなければなりません! 私は一日中PCの前に座ってスレッドの番をしてる訳ではありません・。 仕事の合間の余暇をもって、参加させて頂いてます・・。 従ってチャットのような会話形式の対話ではないと心得てますが・・・。 それに、しても人に礼儀云々を云われる貴方のゆとりの無さは如何なものですか? 日本の辿った国情分析も結構です、人それぞれに見方も違うでしょう から、それも殊更に問題とする処ではありませんが・・・ 只、スレッドの主題からも、私の個人的な見解としても違和感を覚えたのが 偽らざる処です・・。今日「こんにち」教育から発する諸般の危機的な状況を 観るにつけて率直にズレを感じてます・・。 経験上から敢えて云わせて頂きますと・・。日本の公立校の教師の皆さまの 傾向としては世事に疎いと云うことは・・一般論としてもよく聞くところです・。 学校が一種の閉鎖的な環境にあり、教師は生徒達にとって絶対者として君臨可能な 立場にありませんか? 教師への反感や校内暴力に至る根元にはそのことも あると経験上・・感じてます・。 >あなた方が私を批判されたので、それに対して私の意図を説明しました。 >何らかのレスをするのが、こういう場合は礼儀でしょう。 >今度は無視ですか? > >このままでは私の気持ちは収まりません。 >(私は教師批判、学校批判を怒っているのではありません。私の気持ちをあまりにも誤解されているのが悔しいのです) >是非、レスを下さい。 私のスレッド投稿に対してこのような反応を仮に別次元(生徒から批判と感じられる事の指摘を受けたら・・の意)にて生徒へ向けられたとしたら生徒の立場になって想うと・・戦慄!すら・感じると思います・・。 教師の立場は決して弱いものではありません・・。殺生与奪の権力をも教育の名のもとに持ってます・・。 教師に対し一旦反感を買えば「陰に陽に」様々な実害を被ることさえあります。 また覚え宜しければ大きなメリットに預かることも可能な訳です・・。 教師も人間でることを考えれば感情的な好き嫌いも理不尽なレベルに 達してなければ敢えて問題とする処ではありません・・。 貴方の抱かれてる危機感からの発露としての見解は判りますが・・ 繰り返しになりますが・・、ズレを感じると云うのが偽らざる処です・・。 |
▼珍 源斎さん: >教師の立場は決して弱いものではありません・・。殺生与奪の権力をも教育の名のもとに持ってます・・。 > >教師に対し一旦反感を買えば「陰に陽に」様々な実害を被ることさえあります。 > >また覚え宜しければ大きなメリットに預かることも可能な訳です・・。 > >教師も人間でることを考えれば感情的な好き嫌いも理不尽なレベルに >達してなければ敢えて問題とする処ではありません・・。 > >貴方の抱かれてる危機感からの発露としての見解は判りますが・・ >繰り返しになりますが・・、ズレを感じると云うのが偽らざる処です・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横レス失礼します。 珍さんのご指摘のような教師もいるでしょうし、そうでない教師もいます。 ただ、団塊党さんの教師としての姿勢には、ご指摘のような教師であるまい、という真摯なものが感じられます。 これは、このスレッドだけでなく、他の教育関係の投稿を読んでみてください、彼の教師としての真摯な姿勢はよく分かります。 団塊党さんが苛立っているのは、体調の問題もあるでしょうが、彼の教育の現状に対する危機感がなぜ伝わらないか、という焦りにも似た気持ちがあるからです。 下でも書いたのですが、多くの人は教育を語るとき、教師論に傾斜しがちなのです。 しかも、そのほとんどが教師批判に終始しています。これは一番人口に膾炙しやすいのです。 教師批判が悪いのではないのです。批判の言いっぱなしが悪いのです。 批判をする人には、必ず【あるべき教師像】があるはずです。【あるべき教師像】から、現実の教師を撃っているのです。 珍さんは、【教師の世間知らず】を批判されておりますが、それではあなたは【世故に長けた教師像】を望んでおられるのでしょうか。 【長いものには巻かれろ】【強いものには媚を売れ、弱いものはいじめろ】とおっしゃるのでしょうか。 【間違っていることは間違っている】【弱いものいじめは許さない】と毅然として教育しろ、と主張される方もいます。 ところが、それを教える教師は、【知行合一】が求められるのです。中学生くらいになると、言っている事とやっていることの食い違いは、教師批判の一番の原因になります。 しかし、あなたのような大人から見れば、それは「青いよ!」ということになり、教師は世の中を知らない、ということになります。 わたしから言わせれば、問題の設定が逆なのです。【世故長けた教師が】増えたから、問題が起きるのです。 あなたが書かれている権力者としての教師像は、【世故長けた教師】の最後の砦です。彼らは、権力に連なることこそが、自分の地位を保証してくれることをよく知っているのです。 子供のことを必死で考えている教師には、そんなことを考える余裕はありません。ただ、ひたすら子供と格闘しています。問題児と必死で格闘しても、多くの保護者から感謝されることも無く、上司から評価されることもなく(※問題児を担任すれば、必ず問題が起きます。起きれば、減点法の教師社会です。自分の評価は下がります)さらに、問題児の親からも感謝されるどころか、時には恨まれながら、教育しています。 世間的に見れば大馬鹿者です。全くの世間知らずです。 これを教師は世間知らずだと断ぜられるなら、その通りだと思います。 わたしのような教師経験者から言わせれば、珍さんは上記のような教師はいらない、とおっしゃっていると思わざるを得ません。 わたしは、【教師は世間知らず】だからこそ、存在価値があると考えています。 世間知らずでなかったら、1銭の得にもならないことに、全精力を傾けることはできません。 世間知らずだからこそ、【正しいこと】を主張して、時には暴力団の親とも一対一で話もするのです。 中には、家庭訪問をして、殴られた教師も、知っています。こんなことは【世間知らず】だからこそ、できるのです。わたしは、どんな親でも親は親。子供に対する愛情は変わらない、と考えていました。 珍さんの言われていることは矛盾しているのです。あなたの本当に言われたいことは、【教師は人(親)の心が分からない。それは自分の権力者として位置を認識していないからだ】ということだと思います。 それを「世間知らず】という言い方をされると、わたしが書いたような矛盾に陥るのです。 教師批判・学校批判はいくらしても良いと思いますが、システムとしての教育制度の問題点・教育理念の問題・あるべき教師像の問題・現実の教師像の問題とをきちんと分けて論じて欲しいと思います。(※もちろん、上記の問題は密接に関連していますが) |
流水さんへ >横レス失礼します。 >珍さんのご指摘のような教師もいるでしょうし、そうでない教師もいます。 >ただ、団塊党さんの教師としての姿勢には、ご指摘のような教師であるまい、という真摯なものが感じられます。 ご指摘を頂くまでもなく団塊党さんの他のスレッドも拝見してますし、何度か 意見交換をさせても頂いてます・・その辺りは私なりに判っても処もあります。 >これは、このスレッドだけでなく、他の教育関係の投稿を読んでみてください、彼の教師としての真摯な姿勢はよく分かります。 苛立つような体調ならばしばし休養と云う選択もあります。 体調が悪いままで、あったり酩酊してたりする場合は私ならば登場「コックピットへ搭乗」を控えます・・。 団塊党さんが苛立っているのは、体調の問題もあるでしょうが、彼の教育の現状に対する危機感がなぜ伝わらないか、という焦りにも似た気持ちがあるからです。 >下でも書いたのですが、多くの人は教育を語るとき、教師論に傾斜しがちなのです。 >しかも、そのほとんどが教師批判に終始しています。これは一番人口に膾炙しやすいのです。 それは当たり前でないでしょうか?教師は当事者です・・。 >教師批判が悪いのではないのです。批判の言いっぱなしが悪いのです。 >批判をする人には、必ず【あるべき教師像】があるはずです。【あるべき教師像】から、現実の教師を撃っているのです。 > >珍さんは、【教師の世間知らず】を批判されておりますが、それではあなたは【世故に長けた教師像】を望んでおられるのでしょうか。 世事に疎いと申し上げたのは、若干の庇い「かばい」を含めての表現です・・。 言い換えますと゜常識知らずと云った意味です・・。 【長いものには巻かれろ】【強いものには媚を売れ、弱いものはいじめろ】とおっしゃるのでしょうか。 >【間違っていることは間違っている】【弱いものいじめは許さない】と毅然として教育しろ、と主張される方もいます。 上記のような問いかけも教師の傲慢さを感じられます・・。 いずれも「常識の範疇ではないでしょうか」・・。 >ところが、それを教える教師は、【知行合一】が求められるのです。中学生くらいになると、言っている事とやっていることの食い違いは、教師批判の一番の原因になります。 >しかし、あなたのような大人から見れば、それは「青いよ!」ということになり、教師は世の中を知らない、ということになります。 > >わたしから言わせれば、問題の設定が逆なのです。【世故長けた教師が】増えたから、問題が起きるのです。 世事に疎いと申し上げたのは常識の圏外にあり、しかも傲慢も併せ持つといった面の指摘です・・。 >あなたが書かれている権力者としての教師像は、【世故長けた教師】の最後の砦です。彼らは、権力に連なることこそが、自分の地位を保証してくれることをよく知っているのです。 世故に長けた教師は明治の文豪「夏目漱石の坊ちゃんにも」登場しますね、 私はそのような事を申し上げてる訳ではありません・・。 >子供のことを必死で考えている教師には、そんなことを考える余裕はありません。ただ、ひたすら子供と格闘しています。問題児と必死で格闘しても、多くの保護者から感謝されることも無く、上司から評価されることもなく(※問題児を担任すれば、必ず問題が起きます。起きれば、減点法の教師社会です。自分の評価は下がります)さらに、問題児の親からも感謝されるどころか、時には恨まれながら、教育しています。 命がけで教育に当たっておられる多くの教師、先生方のいらっしゃることも よく存じ上げてます・・。 矛盾に満ちた世間との格闘をしておられる方々は教師の世界だけでなく 一般社会にも多くおられ、そのお陰にて社会の維持が叶ってることは 申し上げるまでもないことですが・・・。 >これを教師は世間知らずだと断ぜられるなら、その通りだと思います。 >わたしのような教師経験者から言わせれば、珍さんは上記のような教師はいらない、とおっしゃっていると思わざるを得ません。 このコメントも傲慢な開き直りの意図が透けて見えます・・。 >わたしは、【教師は世間知らず】だからこそ、存在価値があると考えています。 >世間知らずでなかったら、1銭の得にもならないことに、全精力を傾けることはできません。 >珍さんの言われていることは矛盾しているのです。あなたの本当に言われたいことは、【教師は人(親)の心が分からない。それは自分の権力者として位置を認識していないからだ】ということだと思います。 教師が自分自身の立場を自覚も理解もできない連中が真面目で真摯な 方々の努力を無にしてる・・と云った現実はよく理解してますが・・ >教師批判・学校批判はいくらしても良いと思いますが、システムとしての教育制度の問題点・教育理念の問題・あるべき教師像の問題・現実の教師像の問題とをきちんと分けて論じて欲しいと思います。(※もちろん、上記の問題は密接に関連していますが) 日本の教育システムが制度疲労を生じてることに付いては多くの方々が 指摘し述べられてますので・・意見は差し控えます・・。 話題は異なりますが・これから日没が早くなり暗くなる時間が早くなりますと 憂鬱なことが、あります・。 自転車通学の生徒の無灯火自転車が多くなり 自動車の運転にも神経を余計に使わねばならないからです・。 教科の他の事ですが、無灯火自転車の危険性について「道路交通法」も 踏まえて教えなければならないと思います・。 自転車の前照灯は存在明示の役目が前を照らす以上に必要なのです。 常識知らずの大人や「教師」が常識知らずの生徒を通じて常識知らずの 再生産をしてるのではないか・・と云った別の意味の危機感もあります・。 少々長くなりましたが・・意のある処をお汲み取り頂ければ幸いです・・。 |
▼珍 源斎さん: >私は一日中PCの前に座ってスレッドの番をしてる訳ではありません・。 >仕事の合間の余暇をもって、参加させて頂いてます・・。 私の勇み足です。気がせいていました。 申し訳ありません。 >只、スレッドの主題からも、私の個人的な見解としても違和感を覚えたのが >偽らざる処です・・。今日「こんにち」教育から発する諸般の危機的な状況を >観るにつけて率直にズレを感じてます・・。 教師にとっての一番の喜びは、目の前の子どもが生き生きと学んだり、成長したりしているときです。 それを見たいがために、日々奮闘しているわけです。 逆に自分の教育がうまくいかないときの苦しみは口では言えないほどです。 教師だけが苦しいのではないことは分かっていますが、教師にも生身の人間としての喜びや悲しみ、苦しみがあるということだけはご理解下さい。 そして国の教育政策の如何によってそれが左右されるのです。 子どもの幸せが大きく左右されるのです。 もちろん、国の政策がどうあれ、教師自身が努力し成長し最善を尽くしていかなければならないのは当然です。 しかし、よりよい教育環境の中で仕事をしたいと思うのは、当然のことではないでしょうか。 誰が悪条件の中の仕事を望みましょうか。 特に最近の教育改革の動きは、ますます激しく教育現場を攻撃しています。 それをひしひしと感じます。 そんな中で、それを老人党のみなさんに是非分かって頂き、お力を頂きたいと思って、微力ながらこの掲示板に訴えているのです。 珍源齋さんとは立場が違うのでズレを感じられるのは仕方ないかも知れませんが、分かってください。 >経験上から敢えて云わせて頂きますと・・。日本の公立校の教師の皆さまの >傾向としては世事に疎いと云うことは・・一般論としてもよく聞くところです・。 世辞に疎くても何でもかまいません。 子どもが良くなればよいのです。 >学校が一種の閉鎖的な環境にあり、教師は生徒達にとって絶対者として君臨可能な >立場にありませんか? 教師への反感や校内暴力に至る根元にはそのことも >あると経験上・・感じてます・。 教師は今、そんなに強い立場ではないでしょう。 すぐに教育委員会に訴えられるご時世です。 >私のスレッド投稿に対してこのような反応を仮に別次元(生徒から批判と感じられる事の指摘を受けたら・・の意)にて生徒へ向けられたとしたら生徒の立場になって想うと・・戦慄!すら・感じると思います・・。 かわいくない子も中にはいます。 子どもの癖にと思うこともあります。 教師も生身の人間です。 自分の中の敵と葛藤しながら、どんな子もかわいいというところまで行けるかどうかが、新しいクラスを持ったときの最初のハードルです。 |
無視したわけではありません、毎日このホームページを見ている時間が ありませんので、今この問いに対してオット毎日チエックしているの? と驚きました。わたしそんな暇ありません。2・3日に一回開ければと思い 開いてます。だから、開いて見るときは長い時間がかかっています。 どこかに書かせていただきましたが、私は学校現場につとめていましたので 申し訳ないが、素敵な先生、どうしようもない先生どちらも知っています。 こんなに真剣なご意見をお持ちのあなたは素敵な先生なのでしょう。 でも、一般にどうしようもない先生が出た時の学校現場の対応が????なのです。かばいあうことは結構ですが、生身の子供達をそっちのけで自分達の言い訳 に終始していては、あなたのおっしゃっている未来の子供をどうするという 崇高なご意見は消されてしまいます。 私と同じ職場におられた先生で、とても子供思いの先生がお出ででした。 この先生は管理職になるのを拒んでかなりのお歳まで子どもと一緒にいられる 平教員でしたが最後は校長になられました。が、とにかく保護者の批判や 同僚の無気力にきちんと向かい合っていました。 そしてよく冗談に「お子様は俺達教師の飯の種、俺達はプロですよ、これで 食わせていただいているのだから。だから、ここで値を上げていてはどの職業 にも使っていただけないってこと・・・」と笑っているのが印象的でした。 定年をまたずに管理的出世主義の教育委員会とぶつかって校長を辞められま した。本当に残念でしたが、今は現職だった頃の教え子の競技大会や文化的な 行事の追っかけをして子供達と繋がっています。きっと子供達はやめた後でも この先生から何かを学んでいると思います。 こんなお答えではご満足いただけず、的はずれではないかと思いますが、私は この欄で誰かと争う気はありませんし、自分の忌憚のない意見を書かせて いただいているだけです。もし反対意見だと思われても別に言い争う気は ございませんのでこれ以上挑戦的なご意見をいただいても、そんな意見の方 もあるのね、と参考にさせていただくだけです。すみませんがこんなところで ご勘弁ください。 私自身社会教育の立場でティーチヤーではなくエディケーターとして子供と その指導者にトレーニングしていますので子供のことでは人一倍案じている 一人のつもりですので。 |
▼こんぺいとうさん: >無視したわけではありません、毎日このホームページを見ている時間が >ありませんので、今この問いに対してオット毎日チエックしているの? >と驚きました。 せっかちすぎました。 申し訳ありません。 >でも、一般にどうしようもない先生が出た時の学校現場の対応が????なのです。かばいあうことは結構ですが、生身の子供達をそっちのけで自分達の言い訳 >に終始していては、あなたのおっしゃっている未来の子供をどうするという >崇高なご意見は消されてしまいます。 かばい合うような学校もあるでしょう。 しかし、誤解から来る批判はかわさなければ身が持たないとも思います。 教師は誤解されやすい職業です。 こう言うとまた自己弁護と言われそうですね。 >私と同じ職場におられた先生で、とても子供思いの先生がお出ででした。 >この先生は管理職になるのを拒んでかなりのお歳まで子どもと一緒にいられる 私もそういう先生に一歩でも近づきたいものです。 >この欄で誰かと争う気はありませんし、自分の忌憚のない意見を書かせて >いただいているだけです。 私も争う気は毛頭ありません。 ただ、誤解を解きたいだけです。 珍源齋さんへの私のレスを読んで頂ければ少しは誤解を解いて頂けるでしょうか? >私自身社会教育の立場でティーチヤーではなくエディケーターとして子供と >その指導者にトレーニングしていますので子供のことでは人一倍案じている >一人のつもりですので。 そのお気持ちは文面からよく分かります。 |
▼団塊党さん: 横レス失礼! 「学びからの逃走」の問題提起、興味深く見ていました。 かなり誤読されているようですので、問題点をもう一度整理されたほうが良いと思います。 1、時代が子供にどのような影響を与えるかについては、毎日子供と接触している 教師とそうでない人との間には決定的な差異があります。 もう20年以上前になりますか。わたしたちの間では、【今年通用した方策が、来年通用すると思うな】ということを合言葉に、新しい方法を模索してきました。 それくらい、年々歳々、子供は変わっていきました。 これは、現場で苦闘している人間でなければ、決して見えない現実です。 これが、誤読の一つの要因です。他の人は、自分の経験したことから、教育論を構築されているのです。それぞれの人にそれぞれの正当性があるのですが、普遍性には?がつきます。 特に【教師論】は、この傾向が強いのです。全ての人がそれぞれ自分の教えられた教師を持っているのですから、人々の数だけ「教師の体験」があるのです。だから、全ての人の教師論には正当性がありますが、「普遍性」には?がつきます。 2、教育論を語る人たちの多くが忘れているのは、理念や理想だけでは教育はできないという現実です。 どんな立派な理念を掲げようと、目の前にいる子供の現実は変えようがないのです。 じっと座っていられない、隣としゃべる、手悪さをする、宿題はしてこない、口を荒らす、強く叱ると学校へ来ない、朝食を食べずにくる子が多くいるなどなど、現場教師が毎日直面する現実は変えようがないのです。 この現実と必死に格闘するには、現実を見据えた【方法論】抜きには一歩も前に進むことはできません。 必死で格闘すればするほど、このような【子供たちに体現されている社会の現実】に目を向けざるを得ないのです。 それを語ると、反撃は【教師の力量不足】という形で現れます。実情は全く逆なのです。 力量がある教師・子供に愛情があり必死に苦闘している教師ほど、自分の力量不足を責め、必死で子供とかかわり、親とかかわり、その中から教師個人ではどうしようもない【社会の現実】と向き合わざるを得ないのです。 このメカニズムを現場教師以外の人には、なかなか理解してもらえないのです。 【問題児】こそ【教師の宝】という言葉は、問題児を担任すれば必死で方法論を模索し、必死でその子をあらゆる角度から理解しようとし、親との関係をどうやって構築しどうやって協力してもらうかを考え、【問題児】の周囲に及ぼす影響をどうやって食い止めるか(学級つくり)を考え、その子の【学ぶ意欲】をどうやって引き出すかを考え、授業方法を考えるからです。 このような現実と直視し、真摯に取り組んでいる教師であればあるほど、具体的方法論抜きの美しい理念や理想などの虚しさは、厭というほど知っています。 同時に、理念抜きの【対策的手法=管理教育】の限界も厭というほど体験しています。 団塊党さんは、この不毛な論議を超えて、本当に現実に錘を下ろした具体論を伴った新しい教育理念の構築に役立つ議論をしたいということなのだと思います。 |
▼流水さん: 私の言いたいことを具体的に、しかもすっきりと整理した形で分かりやすく代弁して頂きありがとうございます。 分かってくださる方がいるとやはり嬉しいものです。 特に流水さんのような方に分かって頂くと、私の言っていることもそんなに的はずれではないと、力がわいてきます。 人間弱いものですね。 今回のことで、一般の方の問題意識と教師の問題意識がかなりずれていることを痛感しました。 この溝を埋めるのはちっとやそっとでは出来ないのかも知れません。 それに、私の表現力の問題もあるのでしょう。 もっと整理して分かりやすく書けば、今よりいくらかは理解してもらえるだろうと思います。 >このような現実と直視し、真摯に取り組んでいる教師であればあるほど、具体的方法論抜きの美しい理念や理想などの虚しさは、厭というほど知っています。 >同時に、理念抜きの【対策的手法=管理教育】の限界も厭というほど体験しています。 > >団塊党さんは、この不毛な論議を超えて、本当に現実に錘を下ろした具体論を伴った新しい教育理念の構築に役立つ議論をしたいということなのだと思います。 そのように見て頂いて光栄です。 そこまで真摯な教師ではありませんが、それに一歩でも近づきたいとは思っています。 |
▼団塊党さん:こんにちは > >今回のことで、一般の方の問題意識と教師の問題意識がかなりずれていることを痛感しました。 >この溝を埋めるのはちっとやそっとでは出来ないのかも知れません。 > 確かにこのスレッドで貴方が意図されたこととはまるでかけ離れた応答になったように私も思いました。(もしかしたら意味に違いはあるかもしれませんが。) この事、私の最初のレスに原因があるかもしれません。すみませんでした。謝罪します。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 確かにこのスレッドで貴方が意図されたこととはまるでかけ離れた応答になったように私も思いました。(もしかしたら意味に違いはあるかもしれませんが。) > この事、私の最初のレスに原因があるかもしれません。すみませんでした。謝罪します。 700兆の借金についてのことはこのスレッドには直接関係ない話ですので、特に気にしてはいません。 |
▼流水さん: 横レス失礼 >1、時代が子供にどのような影響を与えるかについては、毎日子供と接触している >教師とそうでない人との間には決定的な差異があります。 >もう20年以上前になりますか。わたしたちの間では、【今年通用した方策が、来年通 >用すると思うな】ということを合言葉に、新しい方法を模索してきました。 >それくらい、年々歳々、子供は変わっていきました。 >これは、現場で苦闘している人間でなければ、決して見えない現実です。 成長による変化を除けば、子ども自身が自分の意志で変わっていく事はほぼあり得ない ので、彼が属している家庭の変化がそれだけ早いと言うことです。 たぶんその早さに、教師,教育界がついて行ききれないので苦闘するのでしょう。 >これが、誤読の一つの要因です。他の人は、自分の経験したことから、教育論を構築さ >れているのです。それぞれの人にそれぞれの正当性があるのですが、普遍性には?がつ >きます。 教育論という専門分野ではそうかもしれません。社会生活という現実から見れば教員の 立場には普遍性がありません。 当初から新陳代謝が早い自営、起業家、(日本自体が自営起業家に非常に冷たい世界だか らよけい)、元々安定性のない下層、中下層は言わずもがな、今まで年功序列の世界で数 十年安定していた中中層迄リストラの嵐(ここは今きついと思いますよ、ほんの十年前ま で嵐はよその世界でしたから、映画だと思ってスクリーン見ていたら、スクリーンから突 然嵐がお茶の間に飛び出てきた) 全体的には、人材の振り落としが進行、良くも悪くも適者適存が進行中。 (適者適存は結果の世界ですから。) 教育界にはそれがまだ無い、ほとんど無風。 >2、教育論を語る人たちの多くが忘れているのは、理念や理想だけでは教育はできない >という現実です。 >どんな立派な理念を掲げようと、目の前にいる子供の現実は変えようがないのです。 >じっと座っていられない、隣としゃべる、手悪さをする、宿題はしてこない、口を荒ら >す、強く叱ると学校へ来ない、朝食を食べずにくる子が多くいるなどなど、現場教師が >毎日直面する現実は変えようがないのです。 生徒の家庭が崩壊してしまっているので、現場の教師は何も有効な手は打てないはずで す。 >この現実と必死に格闘するには、現実を見据えた【方法論】抜きには一歩も前に進む >ことはできません。 >必死で格闘すればするほど、このような【子供たちに体現されている社会の現実】に目 >を向けざるを得ないのです。 子供たちの敵意、無関心、無視は、すでに崩壊してしまった家庭の子どもたから、まだ嵐 の直撃を免れている教師への反発ではないですか? >それを語ると、反撃は【教師の力量不足】という形で現れます。実情は全く逆なので >す。 >力量がある教師・子供に愛情があり必死に苦闘している教師ほど、自分の力量不足を責 >め、必死で子供とかかわり、親とかかわり、その中から教師個人ではどうしようもない >【社会の現実】と向き合わざるを得ないのです。 >このメカニズムを現場教師以外の人には、なかなか理解してもらえないのです。 今まで、社会の現実と向き合ってこなくても、「先生」と尊敬してもらえたのが対崩壊家 庭にはその余裕が無くなったのではないですか。 他の商売では昔から、個人でどうしようもない理由でも向き合って仕事してましたが、 失敗なら結果は直ぐ出ますよ、給与生活者なら降格あるいはクビ、自営なら倒産、破産。 そして数十日待たずの家庭崩壊。 >【問題児】こそ【教師の宝】という言葉は、問題児を担任すれば必死で方法論を模索 >し、必死でその子をあらゆる角度から理解しようとし、親との関係をどうやって構築し >どうやって協力してもらうかを考え、【問題児】の周囲に及ぼす影響をどうやって食い >止めるか(学級つくり)を考え、その子の【学ぶ意欲】をどうやって引き出すかを考え、>授業方法を考えるからです。 なぜ、対応できなければ対応できない人をやめさせて対応できる人間を教育界に入れる 事を考えないのですか。どんな組織でも新陳代謝は必要です。 新陳代謝なしで問題解決しようとするから、方法がないのです。 自営で破産、整理経験した奴などたぶん今のあなた方の給料、年金の条件の半額だって 募集すれば何千人集まります。 集中力、社会経験、迫力、今の教師の数倍は有ります。給料半分で良いし。 家庭崩壊どころか人格崩壊も体験している人材に、問題児は絶対歯が立たない。 |
▼イワオさん: > >教育論という専門分野ではそうかもしれません。社会生活という現実から見れば教員の立場には普遍性がありません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 立場論と教育論の普遍性とを同列に論じられても、仕方がありませんね。 学者・官僚などの立論も、あなたの論理からすれば、立場に普遍性がないから、駄目だということになります。 要は、論それ自体に普遍性があるかどうかを見るべきでしょう。 > ●当初から新陳代謝が早い自営、起業家、(日本自体が自営起業家に非常に冷たい世界だからよけい)、元々安定性のない下層、中下層は言わずもがな、今まで年功序列の世界で数十年安定していた中中層迄リストラの嵐(ここは今きついと思いますよ、ほんの十年前まで嵐はよその世界でしたから、映画だと思ってスクリーン見ていたら、スクリーンから突然嵐がお茶の間に飛び出てきた) >全体的には、人材の振り落としが進行、良くも悪くも適者適存が進行中。 >(適者適存は結果の世界ですから。) >教育界にはそれがまだ無い、ほとんど無風。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんなことは、よほど世間のことに目をふさいでいる人間でないかぎり、誰でも知っていることですよ。 だから、教師が駄目だと言う論理にはならないでしょう。 教師は、何も知らないのではないのですよ。このような社会の変化は、すべて子供に現れるのです。 だから、団塊党さんは、社会の変化を論じているのですよ。 ●生徒の家庭が崩壊してしまっているので、現場の教師は何も有効な手は打てないはずです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんなことは、百も承知です。しかし、目の前に駄目になっていく子供を何とかしなければならないのが教師というものです。 > ●子供たちの敵意、無関心、無視は、すでに崩壊してしまった家庭の子どもたから、まだ嵐の直撃を免れている教師への反発ではないですか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すべてがそうですか。そのように言い切れる根拠は。 ●今まで、社会の現実と向き合ってこなくても、「先生」と尊敬してもらえたのが対崩壊家庭にはその余裕が無くなったのではないですか。 >他の商売では昔から、個人でどうしようもない理由でも向き合って仕事してましたが、 >失敗なら結果は直ぐ出ますよ、給与生活者なら降格あるいはクビ、自営なら倒産、破産。そして数十日待たずの家庭崩壊。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうも、論理になっていないですね。他の職業でも同じことがあるでしょうよ。わたしの生家は、自営業でしたから、商売の厳しさは小さいときからよく知っています。 あなたの論理は、【教師が公務員で、身分的に保証されている人間であることが、気にいらない】ということを手を変え、品を変えて、言っているだけに聞こえますね。 自営業の苦しさ・供与生活者の降格・クビの問題に教師が何か責任があるのですか。基本的には、政治の問題でしょう。 恨みをぶつける対象が違うのではないですか。 |
▼流水さん: >>全体的には、人材の振り落としが進行、良くも悪くも適者適存が進行中。 >>(適者適存は結果の世界ですから。) >>教育界にはそれがまだ無い、ほとんど無風。 >そんなことは、よほど世間のことに目をふさいでいる人間でないかぎり、誰でも知って >いることですよ。 >だから、教師が駄目だと言う論理にはならないでしょう。 教育界自体が、文部科学省、教育委員会も含めてまだ昭和後半、1980年代中盤を生き ているんではないですか。 だから教師も含めてダメだと言っているのです。 >教師は、何も知らないのではないのですよ。このような社会の変化は、すべて子供に現 >れるのです。 教え子にすべて現れて、自分には現れてないわけですよね。 だから現実感ナインですよ。人ごとだから。 >>子供たちの敵意、無関心、無視は、すでに崩壊してしまった家庭の子どもたから、まだ>>嵐の直撃を免れている教師への反発ではないですか? >すべてがそうですか。そのように言い切れる根拠は。 もう一度繰り返します。 「教師は、何も知らないのではないのですよ。このような社会の変化は、すべて子供に現 れるのです」 とおっしゃってますが。 >>今まで、社会の現実と向き合ってこなくても、「先生」と尊敬してもらえたのが崩壊家 >>庭にはその余裕が無くなったのではないですか。 >>他の商売では昔から、個人でどうしようもない理由でも向き合って仕事してましたが、 >>失敗なら結果は直ぐ出ますよ、給与生活者なら降格あるいはクビ、自営なら倒産、破 >>産。そして数十日待たずの家庭崩壊。 >わたしの生家は、自営業でしたから、商売の厳しさは小さいときからよく知っていま >す。 しんどさは、自営<零細<中小<大企業(ココまで民間)<公務員 公務員のなかでも、教育界は楽な方のトップの内にはいるでしょう。 私のオヤジ準公務員的職業、私、起業家にトライ失敗、回りの親しい人たち皆道ずれ 私の子ども公務員志望、親の私、超現実的反面教師。 流水さん、たぶんあなたの親御さんとは理解し合えそうです。 >あなたの論理は、【教師が公務員で、身分的に保証されている人間であることが、気に >いらない】ということを手を変え、品を変えて、言っているだけに聞こえますね。 いいえ、とんでもありません、流水さんが身分を保障されているかどうかなど、何の興味 もありません。 公務員で身分が保証されているのを自覚するのなら、なぜ保証されているのか考えてくれ と言っているのです。 教員は生徒、学生がいて教員として雇われているので、教員がいるから学校、教育界があ るわけではありません。 学生の家庭崩壊があって学級崩壊があったなら、どんな理由が有れきちんと対応し無ければなりません。対応できない人材なら、人材交換です。簡単でしょ。 人材はたくさんいますよ、しかもコストは50%オフで大丈夫、海外から持ってきても良いと思います。 もう一度繰り返しましょう >あなたの論理は、【教師が公務員で、身分的に保証されている人間であることが、気に >いらない】ということを手を変え、品を変えて、言っているだけに聞こえますね。 こんな考え持っていると、崩壊家庭の子弟からは絶対見透かされます。 もう見透かされてませんか? >自営業の苦しさ・供与生活者の降格・クビの問題に教師が何か責任があるのですか。基 >本的には、政治の問題でしょう。 >恨みをぶつける対象が違うのではないですか。 *「供与」はたぶん「給料」の間違いですよね?* これももう一度繰り返して良いですか。 「教師は、何も知らないのではないのですよ。このような社会の変化は、すべて子供に現 れるのです。」と流水さんおっしゃってますが 「社会の変化」はココでは「自営業の苦しさ・供与生活者の降格・クビの問題」のことで すよ、すべて子どもに現れる変化は基本的に政治の責任で教師の責任ではない訳ですよ ね。これもよくわかります。 一応努力はするけど、結果でなくともしょうがないですよね、対象が違うから! よくわかりますよ。 |
流水さん:おはようございます。・・横レスにて失礼します! 時代が子供にどのような影響を与えるかについては、毎日子供と接触している >教師とそうでない人との間には決定的な差異があります。 >もう20年以上前になりますか。わたしたちの間では、【今年通用した方策が、来年通用すると思うな】ということを合言葉に、新しい方法を模索してきました。 >それくらい、年々歳々、子供は変わっていきました。 >これは、現場で苦闘している人間でなければ、決して見えない現実です。 教師に限らず現場にて苦労してる人間の存在は・・よく判ります・。 >これが、誤読の一つの要因です。他の人は、自分の経験したことから、教育論を構築されているのです。それぞれの人にそれぞれの正当性があるのですが、普遍性には?がつきます。 >特に【教師論】は、この傾向が強いのです。全ての人がそれぞれ自分の教えられた教師を持っているのですから、人々の数だけ「教師の体験」があるのです。だから、全ての人の教師論には正当性がありますが、「普遍性」には?がつきます。 > >教育論を語る人たちの多くが忘れているのは、理念や理想だけでは教育はできないという現実です。 これも云われてる理念や理想だけで教育は出来ないと仰有るのは「思い込み」 からではないでしょうか・? 一般社会の動きは全て現実としてのものです・。現実離れをより感じるのは 教育者や教師から受ける印象をもって感じます・・。 例えば「終身雇用制度」についてもその背景やよって立つ処の真意を 想像力の範囲でも捉えられてる方は少ないように思われます・・。 >どんな立派な理念を掲げようと、目の前にいる子供の現実は変えようがないのです。 >じっと座っていられない、隣としゃべる、手悪さをする、宿題はしてこない、口を荒らす、強く叱ると学校へ来ない、朝食を食べずにくる子が多くいるなどなど、現場教師が毎日直面する現実は変えようがないのです。 これも変えようがないと簡単の仰有いますが・一時には無理としても 長い努力の積み上げにより立派に改善して居られる先生も存じ上げてます・。 >この現実と必死に格闘するには、現実を見据えた【方法論】抜きには一歩も前に進むことはできません。 これは、仰有る通りだとおもいます。 >必死で格闘すればするほど、このような【子供たちに体現されている社会の現実】に目を向けざるを得ないのです。 > >それを語ると、反撃は【教師の力量不足】という形で現れます。実情は全く逆なのです。 >力量がある教師・子供に愛情があり必死に苦闘している教師ほど、自分の力量不足を責め、必死で子供とかかわり、親とかかわり、その中から教師個人ではどうしようもない【社会の現実】と向き合わざるを得ないのです。 >このメカニズムを現場教師以外の人には、なかなか理解してもらえないのです。 > >【問題児】こそ【教師の宝】という言葉は、問題児を担任すれば必死で方法論を模索し、必死でその子をあらゆる角度から理解しようとし、親との関係をどうやって構築しどうやって協力してもらうかを考え、【問題児】の周囲に及ぼす影響をどうやって食い止めるか(学級つくり)を考え、その子の【学ぶ意欲】をどうやって引き出すかを考え、授業方法を考えるからです。 > >このような現実と直視し、真摯に取り組んでいる教師であればあるほど、具体的方法論抜きの美しい理念や理想などの虚しさは、厭というほど知っています。 >同時に、理念抜きの【対策的手法=管理教育】の限界も厭というほど体験しています。 > >団塊党さんは、この不毛な論議を超えて、本当に現実に錘を下ろした具体論を伴った新しい教育理念の構築に役立つ議論をしたいということなのだと思います。 一見、不毛な論議で在ったとしても一つ・一つを切り離さずに関連させて みてますと云わんとしてる真意に辿りつけるように思われます・。 初めから思い込みによる壁や、バリヤーがあると拒否反応が前面に出て 柔らかい理解力が発揮されません・。 私ごとですが、孫娘の教育について息子夫婦の話を聞くと公立校での 何かと伝えられる問題から・費用は要しても私立校への選択をせねば ならぬと云ってます・。単なる公立校への不信が思い込みからではないかと 色々な面から聞きましたが・当事者たる彼らの考え方は単なる風評的な 評価でなく・・教育の実効を考慮してのことでした・。 公立校において真摯に教育に携わって先生方もおられますが・ 只、ルーチンワークをこなすだけの殆ど思考停止状態の教師の存在も 教育現場におられる方より漏れうけたまわることもあります・。 公務員として大過なく年功を積み上げる事に徹すれば無理からぬ 事かともおもえます・・・が、それでは今以上に公立校の存在する 意味さえ無くなるのでは・・と心配の種は尽きません・・。 表題の教育論と教師論の混同と分けて考えることにも、 私なりに考えてみると、教育論も教師論も背中合わせのことであり 切り離しては現状問題の真意が掴みかねるのではないか・? むしろ、味噌くそ談義の混沌したものから論議は深まって行くのでは ないかと思考する処です・・。 それにしても自然界から学ぶこと、自然界は多様性をもって営まれてること 子供も色々・親も色々・教師も色々である現実を踏まえて・・ 学校も色々で何れも自然淘汰をも受け入れられるような柔軟なものに 成らなければ・硬直性を残したままでは・早晩、臨界に達し 社会をも巻き込んだ、より深刻な破断界への進むのではないか・・と 怖れを抱きます・・。 それに加えてモノカルチャー人間の学校「教育現場」からの輩出は社会にとっても 大きな負担になってる現実があります・・。 長くなりました。 ご許容のほど! |
▼珍 源斎さん: ●これも云われてる理念や理想だけで教育は出来ないと仰有るのは「思い込み」 >からではないでしょうか・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしは、言葉遊びをしているのではないのです。教育にとって、【理想】や【理念】が一番重要なことは、誰よりも知っているつもりです。わたしの教師人生は、自分の教育理念実現のために捧げたつもりです。 たんなる【思い込み】で、そんなことは書けません。 わたしの言っている意味は、前に犬飼道子女史の話でも書いたのですが、「ボランテイア活動をするのに、理想だけでは使い物にならない。針を使って服を直すことのような具体的な方法論が無い人間は使いものにならない」というほどの意味です。 ●一般社会の動きは全て現実としてのものです・。現実離れをより感じるのは >教育者や教師から受ける印象をもって感じます・・ 例えば「終身雇用制度」についてもその背景やよって立つ処の真意を 想像力の範囲でも捉えられてる方は少ないように思われます・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 終身雇用制度がなぜなされているかを想像できないとおっしゃいますが、どのような根拠でそのようなことが分かるのですか。 少なくとも、わたしやわたしの周辺の教師たちでそのことを想像できない教師は思い当たらないのですが。 これもあなたの印象批評でしょうが、教育論を語るとき、印象批評だけで語られても、返答に困ります。 ●一見、不毛な論議で在ったとしても一つ・一つを切り離さずに関連させて >みてますと云わんとしてる真意に辿りつけるように思われます・。 > >初めから思い込みによる壁や、バリヤーがあると拒否反応が前面に出て >柔らかい理解力が発揮されません・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これも一般論ですね。 どうやら、わたしには柔らかい理解力がないといわれているようですが、団塊党さんが提示した問題点に対する有効な反論になっていないように思いますよ。 あなたの言われんとしていることは、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●学校も色々で何れも自然淘汰をも受け入れられるような柔軟なものに成らなければ・硬直性を残したままでは・早晩、臨界に達し社会をも巻き込んだ、より深刻な破断界への進むのではないか・・と >怖れを抱きます・・。 >それに加えてモノカルチャー人間の学校「教育現場」からの輩出は社会にとっても大きな負担になってる現実があります・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ というところにあるのでしょう。 こういう一般論は、厭というほど聞きました。教育論の中でこの種の意見は別に目新しいものではありません。教師はそれほど馬鹿でもなければ、ものを考えていないわけでもありません。 団塊党さんの議論もわたしの議論もその程度のことはすべて分かった上で書いているつもりです。 まず、あなたは、教師は【常識知らずで傲慢】というあなた自身の認識から出発されてすべての立論を書かれています。 わたしはそのことを否定しているわけではありません。だから、全ての人の教育論はすべて正当性があると書いているのです。 しかし、それを教師一般論に広げることについては、異議を唱えているのです。 まず【常識】という概念もはっきりしません。【世間知らず】という意味も明確ではありません。 わたしは、そんな曖昧な概念に則って教師論を展開することには、普遍性がないといっているのです。 断っておきますが、あなたの書かれている教師批判もいわおさんが書かれている教師批判も全て良く承知しています。 わたしの現役時代、若い教師にいっていた口癖は、【われわれは公務員を育てているのではない】、【われわれをはるかに超える人間を育てるのが役目】でした。 |
流水さんへ >わたしは、言葉遊びをしているのではないのです。教育にとって、【理想】や【理念】が一番重要なことは、誰よりも知っているつもりです。わたしの教師人生は、自分の教育理念実現のために捧げたつもりです。 私ならば、思い込みもあるやも知れないと、一旦は考えます、そして端から否定的な結論は出しません・・。決定的に思い込みを否定する姿勢にこそ「思い込み」そのものが浮かび上がります・・。 >たんなる【思い込み】で、そんなことは書けません。 >わたしの言っている意味は、前に犬飼道子女史の話でも書いたのですが、「ボランテイア活動をするのに、理想だけでは使い物にならない。針を使って服を直すことのような具体的な方法論が無い人間は使いものにならない」というほどの意味です。 その通りです。真の奉仕の精神とそれを裏付ける実力と実行力が必要です・・。 それは普通の常識人であれば誰でも判ることではないですか・・・? >●一般社会の動きは全て現実としてのものです・。現実離れをより感じるのは >>教育者や教師から受ける印象をもって感じます・・ >例えば「終身雇用制度」についてもその背景やよって立つ処の真意を >想像力の範囲でも捉えられてる方は少ないように思われます・・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >終身雇用制度がなぜなされているかを想像できないとおっしゃいますが、どのような根拠でそのようなことが分かるのですか。 現に現役教師の方のスレッドから終身雇用に対する認識を聞いて驚いたことが あります・・。(老人党スレッドより)現在の社会情勢にも疎いと思われる 人を存じ上げています。貴方も失礼ながらそのお一人に思えてなりません・。 >少なくとも、わたしやわたしの周辺の教師たちでそのことを想像できない教師は思い当たらないのですが。 >これもあなたの印象批評でしょうが、教育論を語るとき、印象批評だけで語られても、返答に困ります。 単なる印象のみでは見解としての結論は努めて外に出さないように留意してます。 何故ならば客観性に欠けるからです・・。 >●一見、不毛な論議で在ったとしても一つ・一つを切り離さずに関連させて >>みてますと云わんとしてる真意に辿りつけるように思われます・。 >> >>初めから思い込みによる壁や、バリヤーがあると拒否反応が前面に出て >>柔らかい理解力が発揮されません・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >>これも一般論ですね。 一般論で悪いのですか・・?一般論も論議の切り口とは違いますか? >どうやら、わたしには柔らかい理解力がないといわれているようですが、団塊党さんが提示した問題点に対する有効な反論になっていないように思いますよ。 >あなたの言われんとしていることは、 もし、一般論として捉えられてるとしたら上記のような反論はないとおもいます・。 >●学校も色々で何れも自然淘汰をも受け入れられるような柔軟なものに成らなければ・硬直性を残したままでは・早晩、臨界に達し社会をも巻き込んだ、より深刻な破断界への進むのではないか・・と >>怖れを抱きます・・。 >>それに加えてモノカルチャー人間の学校「教育現場」からの輩出は社会にとっても大きな負担になってる現実があります・・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >というところにあるのでしょう。 > >こういう一般論は、厭というほど聞きました。教育論の中でこの種の意見は別に目新しいものではありません。教師はそれほど馬鹿でもなければ、ものを考えていないわけでもありません。 >団塊党さんの議論もわたしの議論もその程度のことはすべて分かった上で書いているつもりです。 > >まず、あなたは、教師は【常識知らずで傲慢】というあなた自身の認識から出発されてすべての立論を書かれています。 >わたしはそのことを否定しているわけではありません。だから、全ての人の教育論はすべて正当性があると書いているのです。 >しかし、それを教師一般論に広げることについては、異議を唱えているのです。 >まず【常識】という概念もはっきりしません。【世間知らず】という意味も明確ではありません。 >わたしは、そんな曖昧な概念に則って教師論を展開することには、普遍性がないといっているのです。 曖昧な概念云々と捉えるのは問題の本質へ迫ることへの逃げのように思えてなりません。結果責任として考えれば個人責任も全体責任に通じることもあります・・。 >断っておきますが、あなたの書かれている教師批判もいわおさんが書かれている教師批判も全て良く承知しています。 承知はされておられても解っては居られないのではないかと感ずることもにも多々あります・。 流水さんご見解の流れから察して・真意を理解してるように思えませんが・? >わたしの現役時代、若い教師にいっていた口癖は、【われわれは公務員を育てているのではない】、【われわれをはるかに超える人間を育てるのが役目】でした。 これも「指導の努力」をと云われるのならば、その通りご苦労があったのかなあ・・と素直に感じる処ですが・ 育てる??云々においては教育者にありがちな傲慢さを感じざるを得ません・・。これは言葉より来る印象ですが・・。 そもそもの発端は現状を憂いてのことでしたが、それならば国民一人一人の 責任に帰すことでもあり、産業界に身をおいた者としても責任を感じなければ ならぬ・・と常々感じてるところですが・。学校や先生方は子供達の「子供時代」の持ち時間の多くを占有されてることもありますので直接的な責任は及ぶことは 当然では無いでしょうか・・。 察するところ、流水さんは、教育関係者としても高い位置に居られたのでは ないかと拝察させて頂いてますが・。 故に指導者にありがちな意識が随所に見え隠れしてます・。 自己否定とは申しませんが私の経験上からも180度位相を変えた処からの 視点たつと「また違った視野が開けるように思います・・。 おそらくこの一節もお腹立ちになるかも知れませんが・。 失礼を顧みず敢えて申し上げる次第です・・。 |
▼珍 源斎さん: >流水さんへ > >その通りです。真の奉仕の精神とそれを裏付ける実力と実行力が必要です・・。 >それは普通の常識人であれば誰でも判ることではないですか・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あなたは団塊党さんへのレスで方法論の論議を否定されていたはずですがね? だから、わたしは何度も方法論の重要さを説いたつもりですがね。 > ●現に現役教師の方のスレッドから終身雇用に対する認識を聞いて驚いたことが >あります・・。(老人党スレッドより)現在の社会情勢にも疎いと思われる >人を存じ上げています。貴方も失礼ながらそのお一人に思えてなりません・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そうですかね。わたしは自分を含めて家族・親族その他教え子などより聞いて、社会情勢の厳しさはある程度理解しているつもりですがね。 まあ、あなたは産業界に長くおられた方でしょうから、わたしなどの認識とは違うとは思いますがね。 > ●一般論で悪いのですか・・?一般論も論議の切り口とは違いますか? というより、あなたの投稿から、あなたの教育論のイメージが全くわかないのですよ。 言われておられることは、唯一つ、教師が駄目だ、だけでしょう。 それで、何が生まれるのか、全く理解できませんね。それを一般論といっているのですよ。 ●>流水さんご見解の流れから察して・真意を理解してるように思えませんが・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では聞きましょう。あなたは何を言われているのですか。 わたしの理解では、教師は駄目だ、反省しろ。終身雇用制の意味を理解して、一色で無い教育をしろといわれているだけにしか思えませんがね。 それ以外、何の理念も具体論も方法論も提示されていませんね。 だから、団塊党さんもわたしもその程度のことはすべて理解していると申し上げているのです。 >育てる??云々においては教育者にありがちな傲慢さを感じざるを得ません・・。これは言葉より来る印象ですが・・。 > ●学校や先生方は子供達の「子供時代」の持ち時間の多くを占有されてることもありますので直接的な責任は及ぶことは >当然では無いでしょうか・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全くわたしの言っていることを理解されていませんね。教師の責任が一切ないなど最初から一言も言っていませんよ。ですから、最初から全ての人の教育論には、正当性があると書いているのです。しかし、普遍性には?がつくと書いているのです。 子供たちに誰よりも責任を感じるからこそ、苦闘してきたのです。 しかし、あなたのように教師の責任を論証するだけの投稿には、正直反発を覚えますね。 何も具体的な提案もなく、ただ教師の批判だけを論証するために論ずるのは、正直苛立ちを覚えます。 最初の「思い込み」部分もそうですが、「理念だけでは教育できないし、理念なしの教育も駄目だ」とわたしが書いているところで、犬養女史の例を持ち出すまでもなく、常識ある大人ならわたしの真意は類推できるはずです。 それを【思い込み】と批判するところが、あなたのあなたたる所以でしょう。 そういう人が常識を云々するから、ことはややこしくなります。 わたしからいえば、あなたの常識が分からないのですよ。 この一連のやり取りで、あなたは一体何を論じたかったのか。教育に対して一体何を提言したかったのか。 そして、このやり取りで、わたしたちは一体何を得たのか。 ●故に指導者にありがちな意識が随所に見え隠れしてます・。 >自己否定とは申しませんが私の経験上からも180度位相を変えた処からの >視点たつと「また違った視野が開けるように思います・・。 ご忠告ありがたく受け取っておきます。 まあ、わたしの人生を書くつもりはないですが、若いときから【自己否定】を繰り返してきたつもりですし、教師というのはあなたの理解とは正反対に【自己否定】を繰り返さないと子供を理解できない職業なのです。 例え、殺人犯であっても教え子は教え子です。最後まで、その子供の理解者であるべきだというのが、わたしの立場です。 |
流水さんへ >あなたは団塊党さんへのレスで方法論の論議を否定されていたはずですがね? >だから、わたしは何度も方法論の重要さを説いたつもりですがね。 ・・上記のこと具体的に何を仰有ってるのか判りません・・。 >そうですかね。わたしは自分を含めて家族・親族その他教え子などより聞いて、社会情勢の厳しさはある程度理解しているつもりですがね。 >まあ、あなたは産業界に長くおられた方でしょうから、わたしなどの認識とは違うとは思いますがね。 ・・聞いて理解されたと云うより、その身になって考えた事がありますか? 例えば経済問題や過労から自殺に追い込まれる人々・・の事・ 毎月銀行に振り込まれて給料がある日突然止まって途方に暮れてる人の事・ 苦労して納めた商品の代金の支払いが滞り決済が不能になってしまったこと・、 代金として受け取った手形が不渡になり、経営に行き詰まり生涯を掛けて 築いたものが崩壊してしまうこと・・。 生活を保障されてる公務員とことなり、例えて云う「一将功なり万骨枯れる」 屍累々の世界にまで想像力が及んで居られますか・・?? その中で税金を払い企業努力をしておられる、真の苦労を理解せよと申し上げた 処で詮ないことですが・・。 頭で判っても、その身にならなければ判らないことが多いのではないかと 思います、小生とて偉そうな事を申し上げる立場にないと自覚する処ですが・・ 判ろうとする努力は少しでも続けてる積もりです・・。 >●一般論で悪いのですか・・?一般論も論議の切り口とは違いますか? >というより、あなたの投稿から、あなたの教育論のイメージが全くわかないのですよ。 ・・「上記の事」ご自身の枠に嵌めようと思っておられるからイメージも浮かばないのではないですか? ・・人格的にも尊敬してる教師「先生方」真面目に真摯に教育に従事されてる 先生方、知り合いにも、友人にも多数いらっしゃいます・・。 ・・彼からも同僚や上司に当たる先生方の駄目ぶりを時折、聞かせられる場面もあります・。 ・・中には、義務教育の枠の外へ自ら飛び出して新しい教育システムを創り上げようと努力して居られる人、教科を教える達人の塾の講師先生・等々・・・。 >●>流水さんご見解の流れから察して・真意を理解してるように思えませんが・? ・・これは再度・繰り返し申し上げておきます・・。 >では聞きましょう。あなたは何を言われているのですか。 >わたしの理解では、教師は駄目だ、反省しろ。終身雇用制の意味を理解して、一色で無い教育をしろといわれているだけにしか思えませんがね。 >それ以外、何の理念も具体論も方法論も提示されていませんね。 > >だから、団塊党さんもわたしもその程度のことはすべて理解していると申し上げているのです。 ・・その程度の事・??個人に及ぶ当事者のこと判ります・・か? その程度のことと申される現状では「やっぱり判ってないな」と断言をもって お返しします・・・。 >>育てる??云々においては教育者にありがちな傲慢さを感じざるを得ません・・。これは言葉より来る印象ですが・・。 >> >●学校や先生方は子供達の「子供時代」の持ち時間の多くを占有されてることもありますので直接的な責任は及ぶことは >>当然では無いでしょうか・・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >全くわたしの言っていることを理解されていませんね。教師の責任が一切ないなど最初から一言も言っていませんよ。ですから、最初から全ての人の教育論には、正当性があると書いているのです。しかし、普遍性には?がつくと書いているのです。 >子供たちに誰よりも責任を感じるからこそ、苦闘してきたのです。 > >しかし、あなたのように教師の責任を論証するだけの投稿には、正直反発を覚えますね。 ・・反発の感情の出所はご自身の幅、広さの問題ではないかと思います・・。 >何も具体的な提案もなく、ただ教師の批判だけを論証するために論ずるのは、 正直苛立ちを覚えます。 教師への具体的なこと云えば新聞紙上の不祥事でなくとも際限がありません・。 それを個人個人に具体的に云わせるのですか・・・? 何故、もっと心を広く一個人の見解でそう云うこともあるかな・の程度に受け止められないのですか・・・? 今までの幾たびかのやり取りを通じて、ご自身の思い入れや、「思い込み」の枠を出られないのでは「教育を仕事」としておられた方としては「失礼ながら」如何なものと思わざるを得ません・。 >最初の「思い込み」部分もそうですが、「理念だけでは教育できないし、理念なしの教育も駄目だ」とわたしが書いているところで、犬養女史の例を持ち出すまでもなく、常識ある大人ならわたしの真意は類推できるはずです。 ・・当たり前のことではないですか?理論だけでは物は作れません・。 幾たびかの失敗や試行錯誤を経ませんと、満足の行くものは出来ません・。 ・・理念を理論に置き換えても「あながち」的外れでないと考えます・・。 優れた品物・製品には理念・哲学・理想への歩みを感じさせることがあります・・。 >それを【思い込み】と批判するところが、あなたのあなたたる所以でしょう。 >そういう人が常識を云々するから、ことはややこしくなります。 ・・随分、高慢で傲慢な反論ではありませんか? >わたしからいえば、あなたの常識が分からないのですよ。 >この一連のやり取りで、あなたは一体何を論じたかったのか。教育に対して一体何を提言したかったのか。 他人の常識が判らない・・?・・当たり前の事ではないですか・・・ 礼儀や作法上の常識を除いては様々な常識・?にブチあたり苦労が耐えません・。 この掲示板スレッドにて「かくかく・しかじか」の法律の条文のような提言を期待されるとしたら場所違いでないかと、思います。 この掲示板には色々な方の様々な考え方が披瀝される事それらを縦横無尽に繋ぎ合わせると・皆々様の考え方、その受け取り方それこそ色々で興味深い社会の動きが見てとれます・。 >そして、このやり取りで、わたしたちは一体何を得たのか。 流水さんの他の投稿を拝見しても素晴らしく教養の深い方と正直、 勝手に拝察させて頂いてましたが、・・このやり取りを通じてある面 教育者にも色々と云うことが私なりに得られたと思ってます・・。 感情的なやり取りは多々あったようですが、 流水さんを尊敬する気持ちは今でも変わりません・私も可能な限り云い放しに ならぬように努めた積もりですが・少なからず流水さんを不愉快にさせたこと には真摯に反省をする処であります・・。 再見!「仕事に掛かります」 |
▼珍 源齊さん: ●・・聞いて理解されたと云うより、その身になって考えた事がありますか? >例えば経済問題や過労から自殺に追い込まれる人々・・の事・ > >毎月銀行に振り込まれて給料がある日突然止まって途方に暮れてる人の事・ >苦労して納めた商品の代金の支払いが滞り決済が不能になってしまったこと・、 >代金として受け取った手形が不渡になり、経営に行き詰まり生涯を掛けて >築いたものが崩壊してしまうこと・・。 > >生活を保障されてる公務員とことなり、例えて云う「一将功なり万骨枯れる」 >屍累々の世界にまで想像力が及んで居られますか・・?? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なるほど。あなただけが想像力が及んでいるといわれる。公務員には、何も分からないとおっしゃる。 失礼ですが、わたしの生家は、自営業者でした。親父が病気に倒れたとき、母親がどれだけ苦労したか。そのため、一度は大学進学を断念しかかったこともあります。その時の苦しさは、今でも忘れたことはないですよ。弟も自営業者ですが、金繰りにどれだけ苦労しているか、目のあたりにしていますよ。 それを、お前たちは何も分かっていない、という前提で話をされるから、腹もたちます。 あまり、人を馬鹿にした物言いは止めにした方が良いですよ。 また、教師は、あらゆる階層の子供たちを相手にします。家庭訪問を繰り返していれば、おおよそのことは見当がつきます。具体的なことは差し控えますが、食事も満足にできない子供に食事を作ってやったり、洗濯をしてもらえない子供の服を毎日洗ってやったり、教師は親の家庭内の問題と否応無くかかわらざるをえないのですよ。あまり、ご自分の思い込みで断定されないほうが良いですよ。 それこそ、そういう決め付けこそ、あなたの【思い込み】ではないですか。 わたしは何度も申し上げているはずです。そういうことを組み込んで、教育論は語っているつもりだと。 あなたが聞く耳をもたないだけですよ。 ●頭で判っても、その身にならなければ判らないことが多いのではないかと >思います、小生とて偉そうな事を申し上げる立場にないと自覚する処ですが・・ >判ろうとする努力は少しでも続けてる積もりです・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これも水掛け論ですね。 隣で女房が腹が痛いと苦しんでいても、当事者でないのですから、本当の痛さは分からないのが人間です。ただ、自分の経験から類推して、酷く痛いのだろうなあと想像するのが人間でしょう。 それが足りてるか足りてないかを論じても、所詮水掛け論にしかなりません。 上で書いたように、わたしは自分の経験から類推して、それぞれの方の苦しみを想像しているだけですよ。 ●人格的にも尊敬してる教師「先生方」真面目に真摯に教育に従事されてる >先生方、知り合いにも、友人にも多数いらっしゃいます・・。 > >・・彼からも同僚や上司に当たる先生方の駄目ぶりを時折、聞かせられる場面もあります・。 > >・・中には、義務教育の枠の外へ自ら飛び出して新しい教育システムを創り上げようと努力して居られる人、教科を教える達人の塾の講師先生・等々・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結局、教師にもいろいろあるということ以外何も伝わってきませんね。 【教育は個人的なものです。】どんなに他の子供に評判のよい教師でも、ある子供には絶対受け入れられないということはしばしばあります。 受け入れられない子供にとっては、それが真実で変えようがありません。数の問題ではないのです。 だから、わたしは【全ての人の教育論は、正当性がある】と書いています。しかし、【普遍性には?がつく】といっているのです。上の例でいえば、他の子供にはその先生が良いというのも真実だからです。 だから教育を論じるときには、どのように普遍性を持つかが重要になるのです。 あなたの書かれていることで普遍性を探すと、【教師もいろいろ】という以外にないと思います。 ●その程度の事・??個人に及ぶ当事者のこと判ります・・か? >その程度のことと申される現状では「やっぱり判ってないな」と断言をもって >お返しします・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最初に書いたように珍さんは、教師は【想像力が無い】【分かっていない】という前提で、論理を組み立てようとしているから、そういう反応になるのです。 【想像力があるかないか】の論争は、所詮水掛け論なのでやりませんが、わたしは人並み以上には理解している、という前提で話をしています ●何も具体的な提案もなく、ただ教師の批判だけを論証するために論ずるのは、 >正直苛立ちを覚えます。 > >教師への具体的なこと云えば新聞紙上の不祥事でなくとも際限がありません・。 >それを個人個人に具体的に云わせるのですか・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全く誤読ですね。「教育への具体的提案」と書いているのですよ。それを「教師への具体的提案」と読むところから、はや論点がずれているのです。 団塊党さんのスレッドの意図は、教育への具体的提案なのです。 あなたは、教師の【想像力のなさ、常識のなさ」を論証しようとしているから、そういう風に読むのです。 最初から、問題意識がずれているのです。 しかも、あなたは、論証不可能なことを教師に求めているのですから、話がかみ合う道理がないのです。 「想像力がある」と申し上げても、本当に分かっていないといわれれば、そうですか、と申し上げる以外にないのですよ。 つまり、あなたは、あなたの中にだけある自分の価値基準(想像力・常識など)で人を判断しようしするから、話はややこしくなるのです。 ●何故、もっと心を広く一個人の見解でそう云うこともあるかな・の程度に受け止められないのですか・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そこまで言われるのなら、最初から【想像力が無い、とか、常識がない、とか】決め付けられないほうが良いですね。 わたしは、最初から教師には責任がないなど一言も言っていないし、むしろ責任があると思うから、必死に普遍的な論を組み立てているのですよ。 それを全く読み取らないで、【想像力が無い】ということを執拗に論証しようとされているのはあなたでしょう。よく分からないあなただけの基準で分かっている、分かっていないを決め付けて、心を広くもないものですよ。 > ●今までの幾たびかのやり取りを通じて、ご自身の思い入れや、「思い込み」の枠を出られないのでは「教育を仕事」としておられた方としては「失礼ながら」如何なものと思わざるを得ません・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結局、あなたの教育への理念など何もなくて、ご自分の言い分を理解していないから駄目だと言う風に読めますね。 ●当たり前のことではないですか?理論だけでは物は作れません・。 >幾たびかの失敗や試行錯誤を経ませんと、満足の行くものは出来ません・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では、なぜ、それを「思い込み」と批判されたのですか。結局、何も答えはないですね。 > > ●他人の常識が判らない・・?・・当たり前の事ではないですか・・・ >礼儀や作法上の常識を除いては様々な常識・?にブチあたり苦労が耐えません・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では、常識がないなどという批判はなされないことですね。 ●この掲示板スレッドにて「かくかく・しかじか」の法律の条文のような提言を期待されるとしたら場所違いでないかと、思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 誰もそんなことを言っているのではないでしょう。あなたの教育の考え方が見えないといっているのです。 ●この掲示板には色々な方の様々な考え方が披瀝される事それらを縦横無尽に繋ぎ合わせると・皆々様の考え方、その受け取り方それこそ色々で興味深い社会の動きが見てとれます・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これもまた高踏的なものいいですね。 あなたは、常にこの種の高踏的なものいいで、問題をさけていらっしゃる。 【聞け・悟れ】のような言い方は良くないですね。 誰もあなたとは面識がないのです。高踏的な言い方でなく、具体的にきちんと説明されてはじめて論議がかみ合うというものです。 |
流水さん: >失礼ですが、わたしの生家は、自営業者でした。親父が病気に倒れたとき、母親がどれだけ苦労したか。そのため、一度は大学進学を断念しかかったこともあります。その時の苦しさは、今でも忘れたことはないですよ。弟も自営業者ですが、金繰りにどれだけ苦労しているか、目のあたりにしていますよ。 >それを、お前たちは何も分かっていない、という前提で話をされるから、腹もたちます。 そう流水さんは「解っていらっしゃる」かも知れませんが・・ 他に解ってない方々も多数居られるのとは違いますか・・? 教師先生方に限りませんが・・。 >あまり、人を馬鹿にした物言いは止めにした方が良いですよ。 馬鹿にされたと取られるのは勝手ですが当方には、その意図はありません・・ それが理解されないのでしたら論議は感情の渦の中で空転するだけです。 >家庭訪問を繰り返していれば、おおよそのことは見当がつきます。具体的なことは差し控えますが、食事も満足にできない子供に食事を作ってやったり、洗濯をしてもらえない子供の服を毎日洗ってやったり、教師は親の家庭内の問題と否応無くかかわらざるをえないのですよ。あまり、ご自分の思い込みで断定されないほうが良いですよ。 これも子供達には社会での環境「家庭事情や親の状態」によりの置かれてる処は 千差万別し・それらに深刻に対応せねばならぬこともあると思います・。 その結果が先生への感謝の気持ちか・或いは先生方の良かれと思うことが 理解されずに恨みや怨念になり表面化することもありますね・・。 >それこそ、そういう決め付けこそ、あなたの【思い込み】ではないですか。 >わたしは何度も申し上げているはずです。そういうことを組み込んで、教育論は語っているつもりだと。 >あなたが聞く耳をもたないだけですよ。 ・これもそっくりお返しします・理解力や受け取り方に疑問を感じてます。 >それが足りてるか足りてないかを論じても、所詮水掛け論にしかなりません。 >上で書いたように、わたしは自分の経験から類推して、それぞれの方の苦しみを想像しているだけですよ。 問題や論拠の反らし方はお見事ですが、これは水掛論の材料を提示したのでは なくそう云う事実が在ると解れば良いだけのはなしです・・。 >結局、教師にもいろいろあるということ以外何も伝わってきませんね。 ・そうです・その通りです・それだけ解っておられれば上等!でないですか・・。 それすらも解って居られるのかな・とこのやり取りを通じて感じてました・。 >●何も具体的な提案もなく、ただ教師の批判だけを論証するために論ずるのは、 >>正直苛立ちを覚えます。 >> >>教師への具体的なこと云えば新聞紙上の不祥事でなくとも際限がありません・。 >>それを個人個人に具体的に云わせるのですか・・・? >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >全く誤読ですね。「教育への具体的提案」と書いているのですよ。それを「教師への具体的提案」と読むところから、はや論点がずれているのです。 我々「ここは敢えて複数形で」への提言を求める切り口としたら・そう云う反応もあり得る訳です・。それは人「それぞれ」に考え方や価値観が違います・。 >団塊党さんのスレッドの意図は、教育への具体的提案なのです。 >あなたは、教師の【想像力のなさ、常識のなさ」を論証しようとしているから、そういう風に読むのです。 >最初から、問題意識がずれているのです。 ・・そうかも知れません・・。しかし私たち「複数形」の偽らざる受け止め方であることが解って頂ければ・・「よし」と思ってます・・。 >しかも、あなたは、論証不可能なことを教師に求めているのですから、話がかみ合う道理がないのです。 >「想像力がある」と申し上げても、本当に分かっていないといわれれば、そうですか、と申し上げる以外にないのですよ。 ・・それはそれで良いのと違います・・?か・・・ >つまり、あなたは、あなたの中にだけある自分の価値基準(想像力・常識など)で人を判断しようしするから、話はややこしくなるのです。 個人個人の考え方には色々あると云うのは初めから解ってることでないですか・。 それを自分の考え方の中へ・と云われるから当然噛み合わないし違和感が生じます・。 >●何故、もっと心を広く一個人の見解でそう云うこともあるかな・の程度に受け止められないのですか・・・? >そこまで言われるのなら、最初から【想像力が無い、とか、常識がない、とか】決め付けられないほうが良いですね。 ・教師や先生方に「常識を疑われたり、想像力の貧弱な方」がおられることは 教師以外の人たちにも「私も含め」例外はありませんが・今、一般に云われてる 教師批判には、理不尽と思われるものがある反面「尤も・だと」思われる ものも多々ありますね・そこの処を解ることが大切ではないでしょうか・。 只只、反論につぐ反論では折角の論議も感情の中で渦を巻くのみで云われる までも無く不毛です・。 >わたしは、最初から教師には責任がないなど一言も言っていないし、むしろ責任があると思うから、必死に普遍的な論を組み立てているのですよ。 >それを全く読み取らないで、【想像力が無い】ということを執拗に論証しようとされているのはあなたでしょう。 これの論拠も「おかしい」とおもわれませんか? 執拗に論証などは意図としてませんが、日常の中でも結果責任を薄めようとする 意図の欺瞞性をご自身の中で気付かれませんか・・?? 現在、一般に云われてる教師批判には組みする処では在りませんが・・。 今の社会には「想像力の脆弱化」により起こる悲惨な人災事故が後を絶ちません・。 科学技術の中にも「暗黙知」と云われる、云わずものがなに事故の予兆を 知る力、優れた技術者ならば、匂いやチョットした予兆を察知して 事故を未然に防いだ例は多々あります・。それが今ではマニュアル化の進む中で その行間の文字になって無い部分がが読めない或いは理解出来ない・・ことに よる弊害がいみじくも現れてる処でないかと思います。 前回ご提示した通学生の「自転車無灯火乗り」これすらも徹底の無い処は 安全性への想像力不足をそのまま「見過ごしてる例です」これは通学と云う 学校が関わる問題です。 此処からも社会に出てから即役立つセンスとしての安全性の習得になります・。 >●今までの幾たびかのやり取りを通じて、ご自身の思い入れや、「思い込み」の枠を出られないのでは「教育を仕事」としておられた方としては「失礼ながら」如何なものと思わざるを得ません・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >結局、あなたの教育への理念など何もなくて、ご自分の言い分を理解していないから駄目だと言う風に読めますね。 随分・傲慢な物言いではないですか・・・? 相手の論議への入り口と出口を狭めることになるとは思われませんか・・? >では、なぜ、それを「思い込み」と批判されたのですか。結局、何も答えはないですね。 他人に答えを求めるのでは無く答えは流水さんの中で浮かびませんか? 察すると云った感覚がないと無理ですが・・。 >●他人の常識が判らない・・?・・当たり前の事ではないですか・・・ >>礼儀や作法上の常識を除いては様々な常識・?にブチあたり苦労が耐えません・。 >では、常識がないなどという批判はなされないことですね。 ・事実は事実として私が云わなくても・もっともっと厳しい見方や批判をされる方々も存在してますよ・批判と受け止めて癪にさわる苛立つのは勝手ですが。 >●この掲示板スレッドにて「かくかく・しかじか」の法律の条文のような提言を期待されるとしたら場所違いでないかと、思います。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >誰もそんなことを言っているのではないでしょう。あなたの教育の考え方が見えないといっているのです。 ・見えないのは視力不足かもしれませんね・。 このスレッドに連なるものをお目通し頂ければお気に召さないとは思いますが・ 私の考え方を披瀝してるのもあります・・。 >●この掲示板には色々な方の様々な考え方が披瀝される事それらを縦横無尽に繋ぎ合わせると・皆々様の考え方、その受け取り方それこそ色々で興味深い社会の動きが見てとれます・。 >これもまた高踏的なものいいですね。 只、個人的な見解を述べさせて頂いただけです・・。高踏的な考え方をされてれば そのように取られるでしょう・。 >あなたは、常にこの種の高踏的なものいいで、問題をさけていらっしゃる。 ・問題を避けてないからこそ、こうした私にとっては正直・馬鹿馬鹿しいことにも 時間を割いて対応してます・。 >誰もあなたとは面識がないのです。高踏的な言い方でなく、具体的にきちんと説明されてはじめて論議がかみ合うというものです。 面識の無い方との意見の交換です。私なりに説明をして感情が前面に出ないように「上の句」に当たる部分の事として申し上げてるつもりです・。 云わせて頂ければ「教育論も教師論」も結構ですが・教育の実務者として 少なくても専門家として、このような時代に何故なったのかを結果責任・全体責任と捉えて如何様に考えて居れれたかについては疑念を持たざるを得ません・。 今回のやり取りを通して馬鹿馬鹿しいとは感じながらも良い経験をさせて頂いた と思います・。 私の申し上げたい事は、人それぞれに色々な考え方がある・ 日本の教育界に留まらず。海外駐在者の帰国子女が日本の教育に馴染めずに 悩んでる話や今後、否でも諸外国との往来が増加する中では枠に嵌めようとする 形の教育では寸法が合わなくなってくる事・。 自分の土俵の中へ引き込んでの論議でなく、言い換えれば否定的ではない 肯定的な広い度量を教育者にとって求めたいと痛感する処です・。 |
珍さん、これで最後にしましょう。 まず、わたしが執拗に反論した理由から申し上げましょう。 現在、現役教師たちは、四面楚歌の中で悪戦苦闘しています。近い将来、全国の公立学校は、壊滅すると予測できます。 そうなれば、教育の階層化は一段と進行するでしょう。良い教育を受けられるのは、裕福な子、経済的困窮家庭の子は、教育すら保障されない時代が目の前です。 現に、現在の公立学校(小・中学校)では、崩壊家庭の子供が増加し、教育現場での大問題になっています。 教育自由化とは言葉は良いのですが、この状況をさらに加速させる方策です。 この改正の準備段階が、日教組批判、教師批判でした。教育現場の荒廃はすべて教師のせいという論理です。 わたしが現場で苦闘している現役教師にエールを送ることができるとすれば、理不尽な教師批判には徹底的に反論するということ以外にありません。 あなたの批判もわたしには過去の教師批判と同列に見えました。つまり、あなたは上記の公立学校壊滅作戦の一端を担っていると考えているのです。 公立学校が壊滅しようがあなたには痛くも痒くもないでしょうが、公立が壊滅するということは、多くの庶民にとっては大変な事態です。 教育に金がかかるということは、貧乏人は教育をつけることができない、ということです。 あなたは教師の感性とかを執拗に問題にされていましたが、失礼ながら全く問題の本質を分かっていらっしゃらないと思います。 あなたのような教師批判だけにさらされている教師たちは、現在の状況の中で保身に走らざるを得ないのです。 どんなに苦労しても認められず、少しのミスも執拗な批判をされるでは、教師もいい加減厭になります。 団塊党さんのように、自分を捨ててでも子供のためにと考えている教師も、【常識が無い】と【リストラされた人間の苦しみを分かっていない、それがお前が公務員だからだ】では、馬鹿馬鹿しくてやっておられません。教師は神ではないのです。 精一杯想像力をはたらかせても、当人と同じことが分かるわけがないのです。 珍さんは、それを教師に求めていらっしゃる。 ご自分が神とでも思っていらっしゃるのかどうか知りませんが、普通の人間に無理なことは教師にも無理なのですよ。 まあ、そこまで要求されるのなら、何をやっても認められるわけが無いですね。 現にあなたは教師の努力など、当然という反応ですね。そして、時代の結果責任と全体責任までもとめていらっしゃる。 教師は大変ですね。教育に対する責任ならいざ知らず、安い給料で、時代の全体責任まで求められるのですから。政治家にも求められない責任を、教師というだけで求められるのですから。それなら、もっと給料を上げろ、権限をよこせということになるのですが、それはおっしゃらない。 そして、教師の語ることは、それに対する責任回避だといわれるのですから、何も語ることもできませんね。 そして、ご自分は安全地帯におられて、どんな全体責任を取られたかはおっしゃらない。まあ、この理不尽さが世間というものだと考えれば、我慢もできます。 ところが、普通の人間の教師(あなたのいわれるような神ではない)は、そうなると黙って保身に走ります。 批判をする人がいれば、あなたのおっしゃることは正しい、あなたは素晴らしい、教師は反省しなければと口ではいうでしょうね。そして、あなたの言われることにあわせて、こんな例があると口を合わせるでしょうね。 そういうときの教師は礼儀正しいですよ。丁寧な言葉で、持ち上げてくれるでしょうね。そして、さりげなく、自分はこういう努力をしているといいますよ。 そして、影では舌を出して、【神様でないのに、そんなことができるか。できるんなら自分でやってみろよ】と言っているでしょう。 そして、決して自分を傷つけないように、ノルマだけはきちんとこなして、教育効果の無い子供にはできるだけかかわらないようにするでしょう。 どんなに子供とかかわって、その家庭の苦しみに共感しても、それは当たり前で、評価の対象にもならないのだったら、そんな無駄なことはしないでしょうね。 要するに、自分の評価にならない無駄なことはしない、ということです。 公立学校が崩壊しても、すぐに全部がなくなるわけではないのですから、何とか生き残るために知恵を働かすでしょう。 良いではないですか。教育の階層化が進展しても、別に自分が困るわけじゃあなし。自分だけよければよいと考えるでしょうね。経済的な困窮者が困っても、すべて政治の責任と切り捨てるでしょうね。 まあ、結果は上記のようになるでしょうね。あなたは教師に神になれと言われているのですから。 あなたのいうことは納得できない、と申し上げたら、【察しろ】とおっしゃる。 察することのできない人間は駄目だ、とおっしゃる。ご自分の説明が足りないとは決しておっしゃらない。 俺は本当は凄いことを考えているのだ、それが分からないのはお前の理解力が足りないといわれるのですから、何をかいわんやです。 正直わたしはあきらめているのですよ。これだけ、すべて教師が悪いと口をそろえているのですから、結局教育の階層化は止めようがないですね。 まあ、20年後に、公立学校が壊滅して、酷い教育の現状が報告されてはじめて気がつくのだと思います。 まあそのときには、あなたもわたしも生きているかどうかは?ですがね。 お世話になりました。あなたは神だということだけはよく理解しました。 |
流水さんへ 先ずは色々とありがとうございました・・。 近い将来、全国の公立学校は、壊滅すると予測できます。 そうですね!公立の小中学校と6;3制は無くなって欲しいと考えてます・。 >そうなれば、教育の階層化は一段と進行するでしょう。良い教育を受けられるのは、裕福な子、経済的困窮家庭の子は、教育すら保障されない時代が目の前です。 それはあり得ないと思います・。 修学該当の子供達へ直接教育を受けられる権利の行使の形に弾力性をもたせ ること「ある種の選択可能な余地をもたせる」ことによりそれが達せられます・。 >現に、現在の公立学校(小・中学校)では、崩壊家庭の子供が増加し、教育現場での大問題になっています。 これらの対応にも個別に親身になって考える制度、現在でも色々な規制や 制限のなかにあっても身銭を切ってまでも個人的に対応しておられる先生を 存じ上げてますが、 「これは教師個人として其処までやるのは如何なことと思う反面」 将来の子供達のために予算を伴う支援制度があってもよいと思います・。 応援してる衆議院議員に相談した処、先進的な福祉の一環としても制度化には 実施を前提として検討する価値ありとのこと・・。 >教育自由化とは言葉は良いのですが、この状況をさらに加速させる方策です。 個人個人が色々な考え方、価値観をもつ時代です。硬直的な現在の制度から 新しい制度を考えて脱皮が必要の時代に入ってると認識してます・。 >この改正の準備段階が、日教組批判、教師批判でした。教育現場の荒廃はすべて教師のせいという論理です。 ・・このような考え方、論理には私は組みしてませんが・・ >わたしが現場で苦闘している現役教師にエールを送ることができるとすれば、理不尽な教師批判には徹底的に反論するということ以外にありません。 そのお気持ちは私なりに理解させて頂いてます・・。 >あなたの批判もわたしには過去の教師批判と同列に見えました。つまり、あなたは上記の公立学校壊滅作戦の一端を担っていると考えているのです。 現在のような形での公立学校は早晩消滅する事も自然の流れとして考えられます。 公立学校が壊滅しようがあなたには痛くも痒くもないでしょうが、公立が壊滅するということは、多くの庶民にとっては大変な事態です。 良い制度が失われるとしたら、それは一大事です・・。しかし乍、大きく改革が 必要としたら思い切ってリセットして見ることもあり得るのではないでしょうか。 >教育に金がかかるということは、貧乏人は教育をつけることができない、ということです。 教育は次世代の人たち全てに関わることで、金持ちだけの事ではありません 次世代を担う子供達が能力を得て幸せに暮らせることは日本国の真の財産的な 価値とも考えます・・。 金持ちや権力者だけで国が運営されてる訳ではありません。 現に敗戦後の何も無い焼け野原からの復興にも日本人の働きと英知が在ったからだと思われませんか・? >あなたは教師の感性とかを執拗に問題にされていましたが、失礼ながら全く問題の本質を分かっていらっしゃらないと思います。 本質をどのレベルで解らないと仰有るならばそれもそうでしょう、 敢えて反論はしません・・。 >あなたのような教師批判だけにさらされている教師たちは、現在の状況の中で保身に走らざるを得ないのです。 その人、人の考え方です保身が必要なら上司や父兄のボスに媚びを売るのも良いでしょう・嫌ならしなければ良いだけの話で、因果関係として一緒くたになる話ではないと思います・。 ・今は40歳を超えた私の息子達を育てた年代の親御さんの多くは中学時代に 内申書をもって人質に取られたという苦い経験を持ってる方々が多く居られます・。 うち明ければそんな理不尽なことがあったのか・・と今でも当時の嫌な記憶が甦ります・。その時代を経験した教師の中には傲慢この上ない後遺症があります・。 >どんなに苦労しても認められず、少しのミスも執拗な批判をされるでは、教師もいい加減厭になります。 >団塊党さんのように、自分を捨ててでも子供のためにと考えている教師も、【常識が無い】と【リストラされた人間の苦しみを分かっていない、それがお前が公務員だからだ】では、馬鹿馬鹿しくてやっておられません。 ・常識の無い馬鹿はどの世界にもおります・。教師や先生にもそのような人たちが無い・・と、云われるなら、それも常識に合わない話です・・。 教師は神ではないのです。・・そこまで仰有る必要はありません・。 >精一杯想像力をはたらかせても、当人と同じことが分かるわけがないのです。 >珍さんは、それを教師に求めていらっしゃる。 理想とする教師像があっても良いではないですか? その理想を実践しておられた、おられる教師、先生も現存しておられます・。 >ご自分が神とでも思っていらっしゃるのかどうか知りませんが、普通の人間に無理なことは教師にも無理なのですよ。 これも例によって高慢、傲慢な見方ですね、気に食わないと何時もそう云う 捉え方をされるのですか・・? >お世話になりました。あなたは神だということだけはよく理解しました。 これ又随分と傲慢な捨てぜりふですね!正直に言って哀しい想いがします・・。 ご自身が気に入らないとそのような事が出てるくる辺りが哀しいと云う意味です。 心配はご無用です、将来は金持ちも子も、貧乏人の子も、勉強の出来る子、出来ない子、体育の嫌いな子、好きな子、音楽や、手作業が好きな子、等々が 明るい輝いた目を持って伸び伸びと学べる学校が必ず出来ると 信じてます・。根拠のない理想論でなく、実際にそのような形で 教育を実践してるところが在ることを知ってるからです・・。 日本以外ではもっと数多くありますよ・・! 帰国子女の学習に取り組む姿勢にそれらを「かいま見た」こともあります・。 将来を明るく住みやすい時代を求めんとする多くの人々の想いが結集すれば 必ずそれが実現する・・と云う・想いは必ず具現化すると云う原則が あります・。権威を弄ぶ質の悪い教育者は悔い改めねば自壊の道を辿ることに なるでしょう・・。これは他人事「人ごと」でなく誰にでも当てはまる・ 宇宙的な原因と結果の法則に関わることと理解する処です・・。 |
▼珍 源斎さん: やはり、公立学校解消論者でしたか。 それで納得いきました。 それならそうと最初からおっしゃれば、対応の仕方もあったのですがね。 ただ、残念ながらあなたの予想は完全に外れると断言しておきます。 ●これらの対応にも個別に親身になって考える制度、現在でも色々な規制や >制限のなかにあっても身銭を切ってまでも個人的に対応しておられる先生を >存じ上げてますが、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしも現役時代ずっとそうしてきましたがね。まあ、あなたの気に入るようなやり方ではないですがね。そんな人はたくさんいますよ。それでも、間違いなくあなたの予想は外れます。 ●将来の子供達のために予算を伴う支援制度があってもよいと思います・。 >応援してる衆議院議員に相談した処、先進的な福祉の一環としても制度化には >実施を前提として検討する価値ありとのこと・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まあ、これも西欧型の発想でしょうが、わたしは公立学校の建て直しのほうがはるかに価値があると思いますね。理由は単純です。あなたの発想は、結果地方切捨てになると思いますね。郵便局・学校が無くなっては、地方の共同体は死に絶えます。 ●良い制度が失われるとしたら、それは一大事です・・。しかし乍、大きく改革が >必要としたら思い切ってリセットして見ることもあり得るのではないでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まあ、おやりになったらよいですがね。間違いなく、酷い結果になることは保障します。その結果については誰も責任は取りませんがね。 > ●教育は次世代の人たち全てに関わることで、金持ちだけの事ではありません >次世代を担う子供達が能力を得て幸せに暮らせることは日本国の真の財産的な >価値とも考えます・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんなお題目ではあらがいようのない惨憺たる結果になることは間違いないですね。 > ●金持ちや権力者だけで国が運営されてる訳ではありません。 >現に敗戦後の何も無い焼け野原からの復興にも日本人の働きと英知が在ったからだと思われませんか・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これも希望的観測ですね。間違いなく反対の結果になります。 > ●今は40歳を超えた私の息子達を育てた年代の親御さんの多くは中学時代に >内申書をもって人質に取られたという苦い経験を持ってる方々が多く居られます・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そうですか。よほど酷い県にお住まいだったのですね。わたしの経験では、内申書に良いことをどうやって書こうかと苦労しましたがね。何が何でもほめる、というのが内申書の鉄則でしたがね。わたしは現役時代ただの一度も内申書で子供や親をおどしたこともなければ、悪いことを書いた記憶もないですがね。 > ●うち明ければそんな理不尽なことがあったのか・・と今でも当時の嫌な記憶が甦ります・。その時代を経験した教師の中には傲慢この上ない後遺症があります・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そうですか。それなら教師を恨まれて当然ですね。 わたしの経験の範囲では、信じられませんがね。中にはそういう教師もいるのという話は聞いたことがありますがね。 >●常識の無い馬鹿はどの世界にもおります・。教師や先生にもそのような人たちが無い・・と、云われるなら、それも常識に合わない話です・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その程度の話ならわたしはそんなに執拗にあなたに反論しませんよ。あなたのニュアンスは教師全てというところにあったのですよ。まあ、上の話を聞けば、それも納得できますがね。 ●理想とする教師像があっても良いではないですか? >その理想を実践しておられた、おられる教師、先生も現存しておられます・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここだけは言いたかったところです。それは絶対的に間違いです。自分に課してもいいが、人には絶対求めてはいけません。 わたしにも理想の教師像があります。理想の教師像に近づくために、そうあるべきと厳しく律してきましたが、人に求めることは決してしませんでした。 それは、原理主義になるからです。 わたしがあなたに一番違和感を抱いたのは、この原理主義的匂いなのです。それをやると、結局全てが駄目になります。 「だんだんよくなる法華の太鼓」が子供を見るときのわたしのモットーでした。 教師という人種は子供たちに完全を求める傾向があります。そのために起きるのが、子供の精神的退廃です。 わたしが珍さんの論理に違和感を覚えたのは、この原理主義的完全主義の匂いです。 それでいて、あなたの文はきわめて不完全で何が言いたいのか分からない曖昧模糊としています。だから、自分は完全で無くてよく、他人には完全を求めるのか、と非常に腹が立ったのが原因です。 わたしは、他人に完全を求めるのは、絶対間違いだと思います。 > ●お世話になりました。あなたは神だということだけはよく理解しました。 > >これ又随分と傲慢な捨てぜりふですね!正直に言って哀しい想いがします・・。 >ご自身が気に入らないとそのような事が出てるくる辺りが哀しいと云う意味です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 上の文脈で呼んでいただければ、傲慢なのは珍さんのほうで、わたしはいたって当たり前の感想だと思いますが。自分が神でなかったら他人にそれだけ完全を要求できませんからね。 ●心配はご無用です、将来は金持ちも子も、貧乏人の子も、勉強の出来る子、出来ない子、体育の嫌いな子、好きな子、音楽や、手作業が好きな子、等々が > >明るい輝いた目を持って伸び伸びと学べる学校が必ず出来ると >信じてます・。根拠のない理想論でなく、実際にそのような形で > >教育を実践してるところが在ることを知ってるからです・・。 >日本以外ではもっと数多くありますよ・・! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まあ、それがどのような教育か、おおよそ見当はつきますがね。ただ、外目でみるのと内とでは全く違うものですよ。ご自分が実践されているのならともかく、外から見ただけでは真実のところは、分かりませんね。 あなたは公立学校でそのような教育ができていないとお思いですか。 それもまた、狭い視野でね。 わたしは自分で経験してきましたし、そういう学年も実現してきましたよ。 まあ、あなたは決して信じないでしょうがね。 あなたのご託宣が当たればよいのですが、わたしは外れる方に賭けますね。そんなに甘いものではないですよ。 最後に、最初から自分の立場を明確にして、きちんと語られていれば、こんな誤解をしなくてもすんだのにと思います。公立学校解体論者なら最初からそう書かれれば良いのです。 今は、フリースクールから始まって多種多様な教育形態が出ていますが、おそらく現在の公立学校を超えるものは出てこない、と思います。 これらが駄目というわけではなく、それなりに存在価値はあるのですが、普遍性という一点で駄目になると思います。 簡単に言えば、郵政民営化と同じです。 理論的にいえば、効率化・個性化という価値観は、21世紀の中ごろで消えると思います。その代わりに出てくるのが、【使用価値】という新しい価値観であると思います。 つまり、公立学校に新たな【使用価値】という新たな価値観を与えることによって、再生させることが、もっとも社会的コストもかからず、社会を混乱させない方策であると、わたしは考えています。 最初から、公立解体論者と書かれておれば、もっと実りある論議ができたのに、と残念です。 |
▼流水さん:19214 流水さん こんばんわ。だいぶ手を焼いていますね。今回も、なにを言いたいのかさっぱりワカラン御仁にからまれましたね。最近多いんです。でも、結局問い詰めていくと、言い古されたかび臭い所に落ち着く、そんなのばっかりです。わたしは以前は珍源斎さんに、自然派としての一定の風格を感じ、その点、評価していましたが、所詮「自然派」なんてのは「野鳥の会」みたいなもんで、専門以外のところには首を突っ込まないほうが、無難みたい。野鳥の会なら柳生会長は好きですけれど。 お二人の議論を読んでいても、ちっとも頭に入って来ません。ああいえばこういうで、ホントに口だけは達者で、困ったもんです。 グチっていてもしょうがありません。いや、ちょっと、流水さんが気の毒になったもので…。 |
団塊党さんこんにちは。 私は先に触れましたように、大雑把にいって、現代の教育の失敗は、思考能力育成への取り組みが不十分であったのではないかと思っています。 団塊党さんは直近の教育の結果について、原因は別として、何が成功で何が問題であっったとお考えでしょうか。まずは結果の評価という点でお考えをお聞きできたらと思います。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 私は先に触れましたように、大雑把にいって、現代の教育の失敗は、思考能力育成への取り組みが不十分であったのではないかと思っています。 > > 団塊党さんは直近の教育の結果について、原因は別として、何が成功で何が問題であっったとお考えでしょうか。まずは結果の評価という点でお考えをお聞きできたらと思います。 これまでの日本の教育はおおざっぱに言えば知識を与えるという点に力を入れてきたと言えます。 そのため、大多数の国民がある一定程度の知識を身につけることができました。 そして世界でもトップクラスの学力を維持してきました。 それが産業社会を支える力になり、高度経済成長の原動力にもなってきたと思います。 しかし、それは知識の暗記に偏っており、学ぶ喜びとか思考力とかを育てることには失敗してきました。 教師個々にはその努力をしてきましたが、それが国全体の教育の中心にはなりえませんでした。 「学びからの逃走」とずっと言ってきましたが、正確には「勉強からの逃走」と言った方が実情を表しています。 今の子ども達は「学ぶことの喜び」に飢えています。 決して「学ぶこと」から逃走しているのではありません。 知識をただ覚えるというような従来の「勉強」から逃走しているのです。 ですから今後の課題は「学ぶ喜び」を体験させることです。 そのためには「基本的なことを豊かに」学ばせることです。 例えば、小学1年生に「100」という数を教えるとします。 ほとんどの子どもは「100」までは入学前から数えることができます。 ですから普通に教えても何ら喜びや感動の伴う学びにはなりません。 しかし本当に「100」が分かっているかと言えばそうではありません。 何故、「99」の次が「100」なのか分かっている子は一人もいないでしょう。 仮に早期教育を受けているような子でも分かっていません。 何故、9が2つも入っている99よりも、1と0しかない100が大きいのか理由は分かっていません。 そういうことが本当に分かったときに子どもは感動を伴って「100」を学ぶのです。 子ども達のこの感動は、人類がわずか0から9までの10個の数を使って、どんなに大きい数でも表現できる「位取りの原理」という「文化遺産」の素晴らしさにつながっているのです。 「数というものはいったい限りあるものなのか、それともどこまでも続くものなのか」と言ったような疑問を持つようにもなっていきます。 本当の学力というのは「感動」が伴って初めて生きた力になるのではないかと思います。 そして疑問が次々にわいてくるような「本当に学ぶ人」にもなっていきます。 こういう経験を豊かにした子どもは、暗記や訓練中心で育った子に比べて、思考力も伸びるはずです。 そういう調査結果も出ています。 こう言ったからと言って、知識や訓練を軽視しているわけでないことは言うまでもありません。 ただ雑多な知識をぎゅうぎゅう詰め込んでも「学びからの逃走」が起きるだけだと言うことを言いたいのです。 以前の子どもはそれでも一生懸命に勉強しました。 しかし、今はもうその動機付けがなくなったのです。 (これはこのスレッドの最初に述べたとおりです。) 学習指導要領もそういう角度から見直す必要があると思っています。 |
▼団塊党さん:こんにちは、大変ご丁寧なレスを有難うございます。 >これまでの日本の教育はおおざっぱに言えば知識を与えるという点に力を入れてきたと言えます。 同じ思いだと解釈して良いですね。 >そのため、大多数の国民がある一定程度の知識を身につけることができました。 >そして世界でもトップクラスの学力を維持してきました。 >それが産業社会を支える力になり、高度経済成長の原動力にもなってきたと思います。 > 高度経済成長の原動力は、日本人の意識の力であり、それには戦前の教育が功を奏したのではないかと私には思えます。おそらく団塊党さんが小、中学校のころの教育は、その名残がまだあったのではないかと思うのです。 >しかし、それは知識の暗記に偏っており、学ぶ喜びとか思考力とかを育てることには失敗してきました。 >教師個々にはその努力をしてきましたが、それが国全体の教育の中心にはなりえませんでした。 > 試験問題が暗記を問うような問題なのではありませんか?それでは幾ら教師の方が工夫を凝らそうと、子供たちがどんな感動を得ようと、子供たちは考えることに時間を費やすことは出来ませんね。 それから中学生の部活動を含めたカリキュラムを見ますと、子供たちの余裕の時間があまりにも少ないように思います。疲れて考えることも出来ません。 従って、思考力育成の失敗は教師にあるのではなく、文部省にあるのではないか、それを指導する大臣にあるのではないか、そのことに気付かなかった国民にあるのではないかと思います。 もちろん競争を制限したことが、子供たちの意欲を奪ったり、勉強への意識の変化を促したことも、見逃してはいけないと私は考えています。 >「学びからの逃走」とずっと言ってきましたが、正確には「勉強からの逃走」と言った方が実情を表しています。 >今の子ども達は「学ぶことの喜び」に飢えています。 >決して「学ぶこと」から逃走しているのではありません。 >知識をただ覚えるというような従来の「勉強」から逃走しているのです。 > >ですから今後の課題は「学ぶ喜び」を体験させることです。 >そのためには「基本的なことを豊かに」学ばせることです。 > >例えば、小学1年生に「100」という数を教えるとします。 >ほとんどの子どもは「100」までは入学前から数えることができます。 >ですから普通に教えても何ら喜びや感動の伴う学びにはなりません。 > >しかし本当に「100」が分かっているかと言えばそうではありません。 >何故、「99」の次が「100」なのか分かっている子は一人もいないでしょう。 >仮に早期教育を受けているような子でも分かっていません。 >何故、9が2つも入っている99よりも、1と0しかない100が大きいのか理由は分かっていません。 >そういうことが本当に分かったときに子どもは感動を伴って「100」を学ぶのです。 > >子ども達のこの感動は、人類がわずか0から9までの10個の数を使って、どんなに大きい数でも表現できる「位取りの原理」という「文化遺産」の素晴らしさにつながっているのです。 >「数というものはいったい限りあるものなのか、それともどこまでも続くものなのか」と言ったような疑問を持つようにもなっていきます。 > >本当の学力というのは「感動」が伴って初めて生きた力になるのではないかと思います。 勉強は大事だから勉強をしようと思っても、面白くない授業をされたら、頭には入りません。先生の授業の上手下手で勉強の進度はかなり違います。勉強の成果は勉強の仕方だと思います。 こんな事をいえる柄ではないのですが、上記を読ませていただいて、ちょっと、思い出しました。 >そして疑問が次々にわいてくるような「本当に学ぶ人」にもなっていきます。 >こういう経験を豊かにした子どもは、暗記や訓練中心で育った子に比べて、思考力も伸びるはずです。 >そういう調査結果も出ています。 > 話はそれますが、差別や人権の問題を本当に実のあるものにしようとしたら、この「思考力育成」は絶対に欠かせない条件だと私は思うのですがいかがでしょうか? |
長年PTAで学校に関わってきた身としては教師の皆さんは頑張っています。当然いろんな教師はいます。熱血的な人、官僚的な人、利己的?な人さまざまです。皆さんの会社の中にもいろんな人がいるように学校の教師もさまざまです。教師に向かないような人もいます。でも、やっぱりそれなりに考えてはいますよね。(相手が子供なので様々といったいい加減では困るのですが) 私の経験では教師もいろんな人がいますが、それ以上に親や家庭が教師の手に負えないくらいいろいろあります。 教育の一般論はともかく、子供を育てるのは決して親や学校だけでなく地域がいろんな面倒をみてやらないとうまくはいきません。まして自分の子が学校に通っていたら積極的にPTA活動に参加し、学校がなにを考えているのか、担任はどうなのか、自分の子供は学校では・・・等々いろんなことがすぐにわかります。特にPTAというとすぐに母親だけでまとまってしまいがちですが、父親が積極的な学校は先生も積極的な気がします。父親たちが社会性を持っているので先生がその風を感じ取るようです。 先生たちはみんな悩んでいます。母親たちは自分の子をよろしくお願いしますといいます。でも父親は少し見方が違いますよね。 父親のPTA参加がかなり学校を変えます。(行き過ぎて振り回される場合もありますが・・・) 子供は地域で育てるといった考え方をもっと持つべきだと思います。 |
▼ワクチンさん:こんにちは、お話有難うございます。 >長年PTAで学校に関わってきた身としては教師の皆さんは頑張っています。当然いろんな教師はいます。熱血的な人、官僚的な人、利己的?な人さまざまです。皆さんの会社の中にもいろんな人がいるように学校の教師もさまざまです。教師に向かないような人もいます。でも、やっぱりそれなりに考えてはいますよね。(相手が子供なので様々といったいい加減では困るのですが) >私の経験では教師もいろんな人がいますが、それ以上に親や家庭が教師の手に負えないくらいいろいろあります。 私も教師の方々、一人一人は、大変紳士的で、社会性もある方が多いように思います。 ところで、ワクチンさんは直近の30年間ぐらいの教育の成果をどのようにかんがえておられますか?よろしければご意見をお聞かせください。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 私も教師の方々、一人一人は、大変紳士的で、社会性もある方が多いように思います。 > ところで、ワクチンさんは直近の30年間ぐらいの教育の成果をどのようにかんがえておられますか?よろしければご意見をお聞かせください。 教育の成果と言われるほどのことは考えたことはありません。しかし、私どもが子供のころはいわゆる現在議論されている悪い教育としての手本とでも言われている詰めこみ教育でした。暗記中心なんでしょうね。歴史は当然、年代、人物、出来事その他もろもろの暗記、国語も漢字、熟語、数学は定理、公式、英語は赤尾の豆単すべて覚えました。 でもそれが悪いことだとは決して思っていません。なにか風潮として暗記中心の教育は悪いことであると言われ、基本的な重要なことまで省略されつつあることに危惧を感じています。勉強の基本は暗記にあると信じています。その知識から応用が広がっていきます。苦労して覚えることもしないで学問はできません。なにか間違ってはいないだろうかと思っています。その大事なところを学校が放棄し、塾などにまかせているようです。 もしかして子供達は学校より塾を楽しんでしませんか? 学校は勉強を教えるところであり、その他、しつけや生活態度などは家庭でするものです。先生は勉強を教えるプロであってそれ以上ではないと思っています。(社会生活に対する教育もありますが、最低のことは家庭教育で行うものです) だから勉強以外のことはPTAが協力して助け合っていくのです。 |
▼ワクチンさん: >でもそれが悪いことだとは決して思っていません。なにか風潮として暗記中心の教育は悪いことであると言われ、基本的な重要なことまで省略されつつあることに危惧を感じています。勉強の基本は暗記にあると信じています。その知識から応用が広がっていきます。苦労して覚えることもしないで学問はできません。なにか間違ってはいないだろうかと思っています。その大事なところを学校が放棄し、塾などにまかせているようです。 暗記が悪いのではなく、ばらばらで関連性のない知識を詰め込むのが良くないのです。 子どもは本来知的好奇心を持っています。 難しいことでもたくさん覚えたいという気持ちを強く持っています。 その知識に関連性を持たせていくのが教育だと思います。 今は時間が取れないのでここまでにします。 |
▼ワクチンさん: >でもそれが悪いことだとは決して思っていません。なにか風潮として暗記中心の教育は悪いことであると言われ、基本的な重要なことまで省略されつつあることに危惧を感じています。勉強の基本は暗記にあると信じています。その知識から応用が広がっていきます。苦労して覚えることもしないで学問はできません。なにか間違ってはいないだろうかと思っています。その大事なところを学校が放棄し、塾などにまかせているようです。 18912の続きです。 知識と知識との関連、知識と事物との関連、知識と人との関連、こういうことが明らかになればなるほど、勉強は面白くなるし、身に付いたものになると思います。 ただ、こんなきれい事ばかりいっていられない面も勉強にはあります。 理屈抜きで丸暗記する必要のある事柄もありますよね。 英単語や漢字、その他・・・ 福沢諭吉はオランダ語を勉強するのに、布団で寝たことがなかったそうです。 朝から晩までろくに寝ないで勉強し通し。 きっと丸暗記の連続だったことでしょう。 これは彼の中に強烈な向上心なり目標なりがあったからでしょう。 ですから何らかの動機付けは大いに必要です。 目標のある人間は強いですよ。 また勉強法もあります。 要領よく覚える方法とか最近はよく本が出ています。 この辺は塾の方が進んでいると思います。 これからは学校もそういう面も取り入れて行かなくてはならない時代だと思います。 塾の方が楽しいという子もいるかも知れません。 しかし、調査したら小学生の9割程度、中学生の8割程度は学校が楽しいという結果が出ますので、塾にはない良さが学校にあることも事実だと思います。 マスコミの報道はかなり誤解を与えています。 |
▼ワクチンさん:こんにちは >でもそれが悪いことだとは決して思っていません。なにか風潮として暗記中心の教育は悪いことであると言われ、基本的な重要なことまで省略されつつあることに危惧を感じています。勉強の基本は暗記にあると信じています。その知識から応用が広がっていきます。苦労して覚えることもしないで学問はできません。なにか間違ってはいないだろうかと思っています。その大事なところを学校が放棄し、塾などにまかせているようです。 もう15年も前になるでしょうか、大学のカウンセリングルームが盛況だとの報道を新聞で見たのは。そのころ客へのマニュアル的対応も話題になりました。また、切れる子供やいじめが社会問題化しはじめていたのではないかと記憶しています。 私はこれらが思考力の未熟さと関係があるのではないかと考えるのです。 カウンセリングの盛況だとか、切れる、いじめ問題等は、自分や相手の心の分析不能や社会状況を正確に捉えきれない心の不安がもたらしたものだと。ちょうど数学は暗記科目だとの声を聞きだしたのもこのころだったように思います。 正しい知識を持つことは私も大切だと思います。でもそれを生かす能力がなくてはいけません。また、それが正しい知識であると検証する能力も必要です。 正しいかどうかを検証するのに私の理解が正しいとするなら、(あまり自信がないのですが) 帰納法と演繹法の二つがあったように思います。 帰納法は様々な現象から結論や答えを類推し、辻褄あわせをし、何度も誰がしても同じことが起こることを確認し、原理や法則、真理真実等、正しいことを見つけ出す方法のことで、 演繹法とは、まず正しいという大前提があって、それにあらゆる現象を照らし合わせ、正しいかどうかを判定する方法でなかったかと思いますがどうだったでしょうか。 記憶中心の思考法は、この演繹法?を重宝しているのではないかと思うのです。 つまり経験してきたことにはすばやく対応できるが、未経験のことにはまるで対応できない証明法だと思います。 ご存知のように現代は変化が非常に早く、激しく、記憶中心だけの思考法だけでは十分に対応が出来ないので、 『記憶そのものにも未熟な子供たち』に起こったことが、切れるや、いじめや、マニュアルなければ行動できない、コミュニケーション下手などの問題ではなかろうかと推測したのですが、いかがでしょうか? 私は帰納法的証明法を重視して子供たちを指導、教育していただきたいと思っています。 >もしかして子供達は学校より塾を楽しんでしませんか? >学校は勉強を教えるところであり、その他、しつけや生活態度などは家庭でするものです。先生は勉強を教えるプロであってそれ以上ではないと思っています。(社会生活に対する教育もありますが、最低のことは家庭教育で行うものです) 学校での時間はご両親と接する時間より長いのだと思うのですがどうでしょう。 子供たちは子供たと同士の影響が最も大きく、家庭での影響は時間的に言えば学校より小さい筈です。 幾ら、よい躾を家で行おうとも、全ての子供たちがそのようなよい躾をしてもらっているとは限りません。でも学校ではそれらの子供たちの権利は同じで、影響力も同じか、悪いほうが余計に影響力があるのではないかと危惧しています。その辺を考えると、教師は勉強のプロでだけあれば事足りると考えるのは誤りではないかと思ってしまいます。 |
▼Gokai Sezutomoさん: >>これまでの日本の教育はおおざっぱに言えば知識を与えるという点に力を入れてきたと言えます。 > > 同じ思いだと解釈して良いですね。 細かくつき合わせると、二人の思っていることが違うところも出てくると思いますが、おおまかなところでは同じ思いだと想像します。 > 高度経済成長の原動力は、日本人の意識の力であり、それには戦前の教育が功を奏したのではないかと私には思えます。おそらく団塊党さんが小、中学校のころの教育は、その名残がまだあったのではないかと思うのです。 1980年までは、高校、大学への進学率が上がり続けました。 これが産業界の求める人材の供給の役割を果たし続けたと思います。 戦前派の活躍はもちろんあったと思いますが、それだけではあの爆発的な産業の発展を支えるだけの力にはなりえなかったでしょう。 > 試験問題が暗記を問うような問題なのではありませんか?それでは幾ら教師の方が工夫を凝らそうと、子供たちがどんな感動を得ようと、子供たちは考えることに時間を費やすことは出来ませんね。 大切なポイントですね。 実際そういう矛盾を感じます。 知識や技能だけを問うような試験が続く限り、授業の本格的な改革はできません。 佐藤学氏は「知識や技能を獲得し蓄積するものとして扱うのではなく、教室の中で仲間達と問題を表象し解決する課程において、表現し共有するものとして活用することが重要」としています。 そう考えると、試験は知識がどの程度蓄積できたかを測るだけではすまなくなります。 知識や技能を表現し共有する活用するといった視点から捉え直す必要があります。 > それから中学生の部活動を含めたカリキュラムを見ますと、子供たちの余裕の時間があまりにも少ないように思います。疲れて考えることも出来ません。 部活動は中学生生活の大変重要な一部分じゃないでしょうか。 これで救われている生徒がたくさんいると思います。 これがなくなると非行がどっと増える可能性があります。 それよりも学習指導要領をもう一度見直し、「基本を豊かに学ぶ」という観点から精選していくことが大切だと思います。 今の指導要領は前の指導要領をハサミで切り取り、それを継ぎ合わせたような混乱したものです。 > 従って、思考力育成の失敗は教師にあるのではなく、文部省にあるのではないか、それを指導する大臣にあるのではないか、そのことに気付かなかった国民にあるのではないかと思います。 文部省の責任は大変に大きいです。 これはこれからも強調していきたいと思います。 しかし、だから教師は許されるかと言えばそれもちょっと違います。 これも、またそのうちに述べます。 > 話はそれますが、差別や人権の問題を本当に実のあるものにしようとしたら、この「思考力育成」は絶対に欠かせない条件だと私は思うのですがいかがでしょうか? 仰るとおりだと思います。 また、差別や人権教育をする中で、世の中や人間を見る目が深く豊かになったり、思考力がついたりしていくのだと思います。 |
▼団塊党さん:こんにちは >> 高度経済成長の原動力は、日本人の意識の力であり、それには戦前の教育が功を奏したのではないかと私には思えます。おそらく団塊党さんが小、中学校のころの教育は、その名残がまだあったのではないかと思うのです。 > >1980年までは、高校、大学への進学率が上がり続けました。 >これが産業界の求める人材の供給の役割を果たし続けたと思います。 >戦前派の活躍はもちろんあったと思いますが、それだけではあの爆発的な産業の発展を支えるだけの力にはなりえなかったでしょう。 > 私が言いたかったのはこのころまで文部省はあまりごちゃごちゃと教育ほうしんをいじらなかったのではないか?、従って教師の力量が子供たちによい影響を与えていたと思えたのですが?これが戦前の教育の名残と表現しました。やはり間違いでしょうか? >>知識や技能を表現し共有する活用するといった視点から捉え直す必要があります。 そうだと思います。聞くと見るとでは大違いとも言いますが、 実際に実行できる知識は教えてもらった知識と比べるとかなり大容量だと思います。 >> それから中学生の部活動を含めたカリキュラムを見ますと、子供たちの余裕の時間があまりにも少ないように思います。疲れて考えることも出来ません。 > >部活動は中学生生活の大変重要な一部分じゃないでしょうか。 >これで救われている生徒がたくさんいると思います。 >これがなくなると非行がどっと増える可能性があります。 部活動が非行防止に効果的というのは聞いたことがありますし、親の要望がつよっかったことも知っています。 でも、1970年ごろまでは予算の関係もあったのでしょうか、たいした部活動もなかったし、部活動するには親の許可が言ったように思います。つまり、最初から部活動ありきではなかったように思いますが、それでも非行のことはあまり言われなかったし、学校も荒れていなかったように思います。何故でしょう。この記憶があり、帰納法的思考をめぐらすにはどうしても時間が必要と思うゆえに、中学生の余裕の時間について、言及しました。 >それよりも学習指導要領をもう一度見直し、「基本を豊かに学ぶ」という観点から精選していくことが大切だと思います。 「基本を豊かに学ぶ」或いは「学ばせる」ことは、ものすごく大切だと思いますが、それだけで解決できないような気も、しています。 >> 話はそれますが、差別や人権の問題を本当に実のあるものにしようとしたら、この「思考力育成」は絶対に欠かせない条件だと私は思うのですがいかがでしょうか? > >仰るとおりだと思います。 >また、差別や人権教育をする中で、世の中や人間を見る目が深く豊かになったり、思考力がついたりしていくのだと思います。 この事で気になることを一つお聞きしたいと思います。 子供たちへの人権教育では、まず「絶対ゆるがせない答えがある。」から始まっていないかどうかです。疑問反論を許さないような雰囲気があれば、子供たちは、思考停止をし、ここからも、記憶中心の癖をつけ始めるという懸念を持ちます。 面倒な、帰納法的思考を排除するという恐れです。 |
団塊党さん、みなさん、こんにちは。 団塊党さんが教育現場の問題点をお書きになり始めてから、ずっと モヤモヤしていたことの一端が、珍 源齋さんの【18795】(その後 【18873】として再投稿されたようですが)の書き込みを読んで、 チラッと見えかけたような気がしますので、それを少し書いてみます。 * まず、団塊党さんがこれまでずっとおっしゃってきたことを、 私なりに、おおむね以下のように理解しました。 学校が子供たちに果たすべき役割とは、単なる学力や技能の習得、 向上だけではなく、学力を基軸とした、たくましく「生きる力」を、 子供たちに付けさせることである。 そのためには、学習面では、単なる暗記や知識の習得だけではなく、 知る楽しみ、学ぶ喜びを、抽象論ではなく、具体的な学習過程の なかで、子供たちに実感させることが、とても大事になる。 加えて、自力で頑張る喜び、みんなで力を合わせる楽しみ等々を、 狭義の勉強だけではない、クラス活動、行事、課外活動、いろんな 機会を通じて、できるだけたくさん、豊かに体験させたい。 それら全部が、学校というものである。 ──そんなニュアンスで受け取りました。 だとすれば、私はこれに、深く共感します。 * そこで、なのですが、団塊党さんがこのスレッドの冒頭【18467】で お書きになった、「日本の子供たちが世界一よく勉強し、学校と教師 への信頼度も世界一高かった」1970年代前半までと、現在の日本とを 比べて、子供たちが身につけるべき、というか、子供たちに身につけて ほしい、というか、「生きる力」そのものが、だいぶ変わってきている のではないか、というような見方はできないでしょうか。 ここ数年、仕事上で、精神科医やカウンセラーから話を聞く機会が 増えました。これも、さまざまな意味で「人の心」が実際的な問題に なるような、時代状況が背景にあるのでしょう。そういう方面の 専門家たちのお話を聞きながら、私も、人間が生きるって、いったい 何なのだろうと、そういう面から考え直すことが多くなりました。 そんななかで、人の「生きる力」というものは、いろんな言い方が できるとは思いますが、たとえば、「頑張る力」と、「やわらかい心」 とでも言うべき力との、二つの側面から捉えることができる、というか、 そのように捉えるべきではないか、というようなことを、漠然とながら、 よく思い巡らします。 * 人間だれでも、頑張って、前向きな気持ちでいられるうちは、相当 無茶も効きます。疲れても、失敗しても、多少の挫折があっても、 ちょっと休んで、また頑張り直す。その繰り返し。それが、「日本の 子供が世界一よく勉強した時代」、戦後復興から高度成長期のころ までの日本の大人たちの姿であり、そこでは、子供が身につけるべき 「生きる力」も、「頑張る力」が主体だったのではないでしょうか。 日本の働き蜂のオトウサンたちは、休むこと、遊ぶことが、苦手です。 これは、医療の面から言えば、もうずいぶん以前から繰り返し指摘され ながら、いまだにあまり改善されていない、日本人にとっての重要な 健康問題の一つでもあります。精神科医や、最近は体を診る医者からも、 「結局、なかなか休まないし、休み方が下手だよねー」という指摘が、 ときに嘆きにも近いニュアンスで聞かれます。 しかし、休むはサボるではなく、遊ぶがジダラクなのでもなく、休む ことにも、遊ぶことにも、気分を変えて、自分に「新しい空気」を 入れて、自分自身を「新しい自分」に作り直すという、とても積極的で 重要な意味があります。これを、フィジカルな言葉を借りて、精神の、 あるいは生きることそのものの、新陳代謝とでも言えるかもしれません。 そういう、休む、気分転換、視点を変える、こだわりから自由になる、 等々を引っくるめて、とりあえず、「やわらかい心」という言葉で、 呼んでみました。それは、今とこれからの日本のような、混迷を 深める社会においてはとくに、とても大事な、「生きる力」であり、 「生き抜くための技術」であると、私は思います。 * いま学校で言われている「ゆとり」は、団塊党さんも繰り返しご指摘の 通り、明らかに、文科省の見え透いた目眩ましだと、私も思います。 何もわかっていないのか、現場をナメているのか、単なる場当たり なのか、それらの全部なのか、それは私にはわかりませんが。 でも、それとは別に、本当の意味での、「休み上手」「気分転換」 「意識的に、視点を揺らしたり、変えたりすること」「単線的な 勝ち負けだけではない、精神の柔軟性、見方や考え方の多様性」 のようなもの、その大切さを、実際の学習や諸活動を通じて、 子供たちに実感させることができるならば、それは、子供たちが、 これからの社会で生きていくうえで、たいへんたくましい 「生きる力」につながるような、そんな予感がするのです。 * 団塊党さんのご提起の意図とは、だいぶズレるかもしれません。でも、 困ったとき、煮詰まったときには、とりあえず何でもかまわずしゃべり 合っているうちに、何かしら、ヒントのようなものが見えてくるという ことが、私たち出版や企画の世界ではよくあるものですから、頓珍漢を 覚悟で、あえて長々と書いてみました。 他にも、やはり漠然としたままの思いが、まだいくつかあるのですが、 ここでいったん切ることにします。 |
▼ぎみゆらさん: >それら全部が、学校というものである。 > >──そんなニュアンスで受け取りました。 >だとすれば、私はこれに、深く共感します。 分かって頂いて有り難うございます。 学校で一番大事なのは人との関わりの中で学んだり生活したりすることだと思います。 ぎみゆらさんが以前仰った、「種々雑多」な子ども達がいることがとても必要です。 その中でいろんな事を学んでいくのだと思います。 そこが私立にない公立の良さかも知れません。 >そういう、休む、気分転換、視点を変える、こだわりから自由になる、 >等々を引っくるめて、とりあえず、「やわらかい心」という言葉で、 >呼んでみました。それは、今とこれからの日本のような、混迷を >深める社会においてはとくに、とても大事な、「生きる力」であり、 >「生き抜くための技術」であると、私は思います。 「やわらかい心」が混迷の時代を「生き抜く技術」というとらえ方は新鮮ですね。 ついつい頑張れ頑張れとハッパをかけることが多いですから。 >本当の意味での、「休み上手」「気分転換」 >「意識的に、視点を揺らしたり、変えたりすること」「単線的な >勝ち負けだけではない、精神の柔軟性、見方や考え方の多様性」 >のようなもの、その大切さを、実際の学習や諸活動を通じて、 >子供たちに実感させることができるならば、それは、子供たちが、 >これからの社会で生きていくうえで、たいへんたくましい >「生きる力」につながるような、そんな予感がするのです。 私の教室での子どもとの関わりにインスピレーションを与えてくれそうです。 教師は怠けているような子を見るとつい責める心を持ってしまいがちです。 そういうときにふっと思い出すことにします。 また、「視点を揺らす」「単線的でない」「見方考え方の多様性」などどれも授業の中で育てたいことばかりです。 そのためにはどのような活動をしていけばよいのかということが問題ですが、先ほども言いましたが、ポイントは物や人との関わりの中で学んでいくことだと思います。 >困ったとき、煮詰まったときには、とりあえず何でもかまわずしゃべり >合っているうちに、何かしら、ヒントのようなものが見えてくるという >ことが、私たち出版や企画の世界ではよくあるものですから、頓珍漢を >覚悟で、あえて長々と書いてみました。 とりあえず何でもしゃべりあってということとてもよく分かります。 私は自分の仕事がうまくいかないときは、同業の友人と600円の温泉風呂屋に行って、しゃべり合うことにしています。 そうすると不思議なことに思わぬアイデアがお互いに出てきます。 |
▼団塊党さん: ▼ぎみゆらさん: >学校で一番大事なのは人との関わりの中で学んだり生活したりすることだと思います。ぎみゆらさんが以前仰った、「種々雑多」な子ども達がいることがとても必要です。その中でいろんな事を学んでいくのだと思います。そこが私立にない公立の良さかも知れません。 私の尊敬する障碍児教育に携わっておられた方が、あるとき「私立は試験で成績の良い子を揃えるから何にでも強い、と考えられがちですが、本当に強い人間を育てたいなら、雑多な中で育てることです。様々な価値観に触れて育つことこそ、人間の幅を作るのです。まして弱い人への共感は、共に育つところにこそ生まれるのですよ」といったことを話された覚えがあります。 >「やわらかい心」が混迷の時代を「生き抜く技術」というとらえ方は新鮮ですね。 >ついつい頑張れ頑張れとハッパをかけることが多いですから。 >>本当の意味での、「休み上手」「気分転換」 お二人のおっしゃっていらっしゃることとは少し違うのですが、もしお時間があれば『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(エリーズ・ボールディング著 松岡享子訳 こぐま社)をお勧めします。How to的には役に立たないと思いますが、沈黙、孤独、独りでいる時間の意味、「何もすることがない時間こそが、人を創造的な活動に導く時間である」ことなど、私にはとても深く心に残る本でした。Gokai sezutomoさんが、部活動が忙しすぎませんか?と問うていらっしゃいましたが、こうしたことをお考えなのだと思います。 教師の仕事は、すぐには答えの出ないものだと思います。もちろんそのクラスの成績が上がったり、クラス運営がうまくいったり、子供達が楽しんで学校に来られること、「分かった!」の一言(これって嬉しいでしょう?)、のように日々の成果は現れます。でも一番大事なことは大人になった、その「人となり」に現れるものですよね。 今読んでいる本『ほのおの保育物語ー広岡キミエの足跡と生涯』(笹倉明著 作品社)の中に、手をやいた悪戯っ子が大学生になっていて、彼女が懐かしく思うのに、その子も何度も面談した母親すら彼女を覚えていなかったというくだりがありました。そして「それでいいのだ」と思うことも。報われない忘れられて当たり前、と。中学や高校の先生は、よくも悪くももっと印象に残るでしょう。でも心にかけたその半分も報われることの少ないお仕事かも知れません。 子どもに対して上からでなく、一緒のところに立って考えてくれる教師の心は、子どもにも伝わると思います。私の息子も、ある教師から「親を呼んでこい」と叱られた時、さほど付き合いのなかった担任が逃げないで「この子は話せば分かる。親は関係ないだろう」と、一緒になってその教師の叱責を聞いてくれた、そのたった一度の体験で、その担任を今も慕っています。照れ屋ですから、そんな話をその教師にすることはなさそうです。でも生徒を庇い、一緒に叱られてくれた担任の姿勢と心やりは、彼の心の中に今も生きているようです。これも大きな教育の力だと思います。 的外れな話かも知れませんが、教師はそれほどに子どもというやわらかな心に影響を与える大事な職業、だからある意味で人間性を問われるという苦しみの大きい職業であり、また喜びも大きい仕事だろうなと思っています。 |
▼珠さん: >お二人のおっしゃっていらっしゃることとは少し違うのですが、もしお時間があれば『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(エリーズ・ボールディング著 松岡享子訳 こぐま社)をお勧めします。How to的には役に立たないと思いますが、沈黙、孤独、独りでいる時間の意味、「何もすることがない時間こそが、人を創造的な活動に導く時間である」ことなど、私にはとても深く心に残る本でした。Gokai sezutomoさんが、部活動が忙しすぎませんか?と問うていらっしゃいましたが、こうしたことをお考えなのだと思います。 これもかつて多く議論されたことで今更といわれそうですが、いまの子供(実は私の子も含めて)一人の時間、何もすることが無い時間、暇と思ったらただなんとなくTVに向かいゲームをします。我々の時代は面白いことないかなあと外へ行ったりなにか工夫して楽しみを探したり作ったりしていました。今はなにもすることがないとゲームをします。 躾の問題なのかもしれませんが私はゲームがこの世になかったら子供達の世界は全く違ったかもしれないなあとよく思います。 Gokaiさnは、文部省がころころ方針を変える・・・と言われましたが、少なくともゆとり教育は文部省が言い始めたことではなくて世の中がいろんな報道や風潮で子供にゆとりがなくなっているといったことで世間が騒いでそれを受けて文部省が動いたと記憶しています。本来お役所は変更が嫌いです。最近の文部省はかなり世間の反応を気にして動いています。(これは偏ったマスコミ報道にかなりの責任があるように思います) 私も自分の子供がみな学校をでてPTAの仕事も少なくなり報道に踊らされてきているようです。やはり現場から離れると物事の本来の姿が想像でしか考えられなくなってきていますね。いかんなあ・・・。 |
▼珠さん: >私の尊敬する障碍児教育に携わっておられた方が、あるとき「私立は試験で成績の良い子を揃えるから何にでも強い、と考えられがちですが、本当に強い人間を育てたいなら、雑多な中で育てることです。様々な価値観に触れて育つことこそ、人間の幅を作るのです。まして弱い人への共感は、共に育つところにこそ生まれるのですよ」といったことを話された覚えがあります。 今、私のクラスにはやんちゃ盛りの3年生の子どもが38人います。 今年のクラスは今までには経験のないくらい一筋縄ではいかない子がたくさんいます。 授業中,奇声を発する子、周りの子におしゃべりやちょっかいを出す子、友達の持ち物を投げ捨てたり壊したりする子、寡黙でしゃべらない子、嫌なことは絶対やろうとしない子など、本当に種々雑多な子がいます。 ですから、心の底から「種々雑多」を受け入れるにはまだまだ私には修行がいりますが、でも、その先生が仰ることは真実だと思います。 どんな子でも、友達や先生との暖かい関わりと好奇心を引き出してくれる授業の中で成長するのだと信じたいと思います。 いや、信じています。 そして、ぎみゆらさんが仰るように、負の側面をまるごとそのまま受け入れる気持ちも必要ですね。 教師があせるのが一番良くないようです。 >お二人のおっしゃっていらっしゃることとは少し違うのですが、もしお時間があれば『子どもが孤独(ひとり)でいる時間』(エリーズ・ボールディング著 松岡享子訳 こぐま社)をお勧めします。 有り難うございます。 読んでみたいと思います。 >子どもに対して上からでなく、一緒のところに立って考えてくれる教師の心は、子どもにも伝わると思います。私の息子も、ある教師から「親を呼んでこい」と叱られた時、さほど付き合いのなかった担任が逃げないで「この子は話せば分かる。親は関係ないだろう」と、一緒になってその教師の叱責を聞いてくれた、そのたった一度の体験で、その担任を今も慕っています。 もっと一人一人の心の中まで良く感じ取れる教師になりたいといつも思います。 息子さんの担任の先生はきっとそれが良くできる先生なのでしょう。 >的外れな話かも知れませんが、教師はそれほどに子どもというやわらかな心に影響を与える大事な職業、だからある意味で人間性を問われるという苦しみの大きい職業であり、また喜びも大きい仕事だろうなと思っています。 そうですね。 幸せだと思うし因果だとも思います。 やるっきゃありません。 |
団塊党さん、珠さん、ワクチンさん、こんにちは。 珠さん 『子どもが孤独でいる時間』、ご紹介ありがとうございました。 日ごろから書き付けている、「読みたい本リスト」に記載しました。 なんだか、タイトルだけで泣いちゃいそうです。(笑) * ワクチンさん たまには、近所の野原とか公園とか、あんまり何にもないところに、 一緒にお出かけになってみるなんていうのは、いかがでしょうか。 私も、妻の郷里で姪や甥に会うと、ときどきそんなことをしてみますが、 案外、草をむしったり、姪どうしで何かお話をつくって延々と話し合って いたり、けっこう昔の子供と同じかなあ、なんて思うこともあります。 * 団塊党さん ご関心を示していただいて、ありがとうございます。 調子に乗って、もう少し書いてみます。 * 世の中の出来事、私たちが生きていくなかで経験するたくさんのことは、 さまざまに、形容、意味づけをすることができますが、一つの見方と して、大きく次のような二つの系列に分けることができます。 A 勝つ、成功、進歩、儲ける、うれしい、楽しい、… B 負ける、失敗、挫折、損する、悲しい、つらい、… いまの世の中では、圧倒的にA系列が称揚されています。プラス思考が 大事、つねに前向きに、よいほうに、よいほうに、考えようと言われます。 売れ線のハウツー的な本なども、多くが「成功する」「勝つ」「儲ける」 方法論です。加えてもう一つ、「和み系」「癒し系」などと呼ばれる、 勝ち負けから逃れたところでの平安を唱うのような系列がありますが。 しかし本当に、A系列だけが「よい」ことで、B系列は「悪い」こと なのでしょうか。B系列の出来事に、人間にとって、生きていくうえで、 積極的な意味や価値はないのでしょうか。というところなんです。 * 人生論談義や、坊主の説教のようなことが言いたいわけではありません。 もっとずっと、実際的なことです。たとえば、多くの大人が知っている ことから言えば、失敗や挫折から何かを学ぶ、ということがあります。 ノーベル化学賞の田中耕一さんが、間違えて混ぜた薬がきっかけだったと 明かした逸話には、多くの人が、思わず微笑みながら、不思議に勇気を 感じました。混ぜ間違えて、ふつうなら捨てるところを、もったない、 何かに使えないかと考えた。そこが、何とも言えず人間くさかった。 逆境に耐える、そこから立ち直るということもあります。ナニクソという 根性や克己心もあるでしょうけれど、「ま、いっか」「何とかなるさ」と いうお気楽、脳天気に気がつくと、人生、少し変わるかもしれません。 挫折や失敗をわが身で知っている人は、ものごとの深いところで、人に やさしくなります。どうしようもない苦しみや悲しみというものがある のだと知ると、人や世の中を見る目が違ってきます。 失敗談を話し合って仲よくなるということもあります。これを、失敗や 挫折の経験というものには、人と人とのつながりを、生み出したり 深めたりする意味があると、捉えることもできます。 挫折を通じて、自分の限界と値打ちを見つめ直すということがあります。 人の援助を、素直に受け取ることができるようになったりもします。 誰かを助けることの意味が、違った角度から見えてくるかもしれません。 失敗や挫折の効用は、大人なら、たいていの人は、みなさん、いろいろと、 知っているはずなんです。 * そこで問題は、それを子供に教えたり与えたりすることに、積極的な意味は あるのか。危険やデメリットが大きすぎはしないか、というところでしょう。 いまは、子育てや教育の場でも、子供たちに、ポジティブなもの、成功体験、 楽しいこと、うれしいことを、たくさん経験させるのがいい。叱るよりも、 どんどん褒めることが大事。そんな考え方が、主流になっているようです。 それはたしかに、その通りでしょう。 ただ、それはそれとして、失敗や悲しいこと、負けることも、子供にもっと 直視させてもいいんじゃないかというのが、このごろ私が漠然と思っている ことです。それは、喜びをたくさん与えることと、必ずしも矛盾しないん じゃないか、両方やればいいんじゃないか、という感じです。 そのときに、大事なのは、ただ失敗や挫折を我慢するのではなく、負けや 失敗にも、大切で積極的な意味、学ぶべきことや、成長への糧のような ものが、そのときそのとき、何かしら含まれているのではないかという ことです。そうすると、先生方の視点からすれば、それをどうやって、 子供に気がつかせるかというところに、なってくるのかもしれません。 子供をいたずらに傷つけない、萎縮させないというのは、大事なことだと 思いますが、それだけではなく、大人がちゃんと、大きなケガにならない ように見守りながら、挫折や失敗から学ぶ、学ばせる、気づかせるという ことを、子供の世界でも、もう一度、見直してもいいんじゃないのかなあと、 このごろよく、そんなことを思います。 * なぜいまわざわざ、こんなことを言うのかということについて、 もう少し付け加えます。 団塊党さんはずっと、国や都道府県や教育委員会の、学校現場への 理不尽な介入、上から押し付けるようなやり方が、日増しに強まって いる。現場教師の創意工夫が、ますますないがしろにされつつある。 ということを、繰り返し、言っているのだと思います。 そこで、じゃあ現場からの反撃として、何をどうするのか。何ができる のか。というところで、視点が二つ、あるのではないかと思うのです。 一つは、その「押し付け」に、どう対抗していくか。一人で。気の合う 仲間と手を組んで。いまの職場の教員たちを束ねて。個々の職場を越えた、 もっと大きなまとまりで。いろいろあるでしょう。それが一つ。 もう一つは、「押し付け」が日々進むなかでも、いままでのように自由に 授業計画が立てられなくなっても、不本意な内容や方法論を取り入れなけ ればならなくても、管理職の不愉快なチェックが厳しくなっても、それでも、 そこでまた何とか、子供に何が与えられるのか、どんな喜びや悲しみを、 伝えていくことができるのかと、あらためてもう一度、考え直していく。 これは本当に、しんどい話だろうとは、思いますが。 しんどいことをやらなければいけないんで、そのときには、根っ子の ところの発想を、できるだけ自由にしていったほうがいいんじゃないか。 いままでいちおう土台になってきたこと、たとえば、子供は伸び伸び 自由にとか、成功やうれしいことをたくさんとか、そういうところまで、 否定するということではなく、一度白紙に戻してみたり、相対化して みたり、その逆も考えてみたり、そういうことが、ひとつあるんじゃ ないのかなあと、そんなことを、考えたんです。 私たちの仕事でも、現場が危機に瀕したようなときに、ちょっと、 あまり上手に説明できないんですが、そういう一種「捨て身になって みる」「一度頭を空っぽにする」みたいなことが。役に立ったり、 そこから何か抜け道が見つかったりすることも、意外にあるもの ですから。それで、ちょっと言ってみたというところがあります。 また長くなりました。素人が偉そうに、学校現場の長年のご苦労も 知らずに、ごめんなさい。とりあえず、ここまでにしておきます。 |
▼ぎみゆらさん: >しかし本当に、A系列だけが「よい」ことで、B系列は「悪い」こと >なのでしょうか。B系列の出来事に、人間にとって、生きていくうえで、 >積極的な意味や価値はないのでしょうか。というところなんです。 そういう問題の立て方は人間を考え深くしますね。 つい、考えてみたくなります。 >失敗や挫折の効用は、大人なら、たいていの人は、みなさん、いろいろと、 >知っているはずなんです。 頭では分かっていても体験として深く分かっている人は、私を含めてそう多くないかも知れません。 >そのときに、大事なのは、ただ失敗や挫折を我慢するのではなく、負けや >失敗にも、大切で積極的な意味、学ぶべきことや、成長への糧のような >ものが、そのときそのとき、何かしら含まれているのではないかという >ことです。そうすると、先生方の視点からすれば、それをどうやって、 >子供に気がつかせるかというところに、なってくるのかもしれません。 > >子供をいたずらに傷つけない、萎縮させないというのは、大事なことだと >思いますが、それだけではなく、大人がちゃんと、大きなケガにならない >ように見守りながら、挫折や失敗から学ぶ、学ばせる、気づかせるという >ことを、子供の世界でも、もう一度、見直してもいいんじゃないのかなあと、 >このごろよく、そんなことを思います。 理念としてはよく分かりますし、本当に大切なことだと思います。 問題は、時間です。 そのためにはたっぷりと時間が必要です。 そこをどうクリアーするかというのが悩みの種です。 私が最近このことで思うのは、授業の中でとっかかりをつくってあげるということ。 とっかかりがあれば子どもは自分の日常生活の中で、それをやってみようと思うこともあります。 そうすると、そこでいろんな試行錯誤をするはずです。 挫折や失敗もあるでしょう。 周りの親や友達や教師の励ましももらいながらチャレンジしていくかもしれません。 そういう中でぎみゆらさんの仰るようなことも体験させられるということは考えられます。 先回りして手取り足取り面倒見てしまうというのは確かに子どもが鍛えられません。 もう一つは子どもにもよるということ。 挫折体験を必要としている子。逆に成功体験が必要な子。 色々だと思います。 >一つは、その「押し付け」に、どう対抗していくか。一人で。気の合う >仲間と手を組んで。いまの職場の教員たちを束ねて。個々の職場を越えた、 >もっと大きなまとまりで。いろいろあるでしょう。それが一つ。 > >もう一つは、「押し付け」が日々進むなかでも、いままでのように自由に >授業計画が立てられなくなっても、不本意な内容や方法論を取り入れなけ >ればならなくても、管理職の不愉快なチェックが厳しくなっても、それでも、 >そこでまた何とか、子供に何が与えられるのか、どんな喜びや悲しみを、 >伝えていくことができるのかと、あらためてもう一度、考え直していく。 >これは本当に、しんどい話だろうとは、思いますが。 いつかぎみゆらさんが仰ったこと「教師は事実を示していくことで説得力を持つ」という言葉が非常に印象に残っています。 私もそれだろうと思います。 ですから、後者の方法が基本にあって、そしてなおかつ余裕があれば前者も試みるということと思っています。 老人党に書き込むのはその中間に位置しているようです。 どちらへの可能性もありそうです。 >私たちの仕事でも、現場が危機に瀕したようなときに、ちょっと、 >あまり上手に説明できないんですが、そういう一種「捨て身になって >みる」「一度頭を空っぽにする」みたいなことが。役に立ったり、 >そこから何か抜け道が見つかったりすることも、意外にあるもの >ですから。それで、ちょっと言ってみたというところがあります。 ぎみゆらさんの仰ることはすぐに役立ちはしませんが、漢方薬のようにじわっと効いてきそうです。 有り難うございます。 |
だれも逃走なんかしていないと思いますよ.思っているのは我々、爺だけ。 いい生活とは何なのか。そんな我々の価値観なんて彼らには笑止千万な物かも 知れないと思いませんか。 本当の民主国家で自由な世界とは多様性を認めるために最低限の生活のために 誰でもが生活できるように公共料金がゼロに近い社会です。 日本の公共料金はどうなのか。考えてみるべきだ。この異常に高い公共料金は 間接的に取られていることを誰も言わない。 海外では公共機関の長は成功した人のボランティアであることは常識なのに 日本では天下りが独占し、公共料金を異常に高いものにしている。 空港の料金や電車、バス、あらゆる公共施設に天下りのために税金を 使いまくっている異常な国家、こんな国は共産国家でもなかったことを 正確に検証し追及するべきだ。 そうすれば自由で、他人のために尽くすことの大事さをおしえることの 本当の意味を実感できる社会が実現できる。 我々は何を求めているのか。求めることの目標を論ぜずに教育のことを 論ずる意味があるのか。 何のための教育なのか、考えるべきだ。 |
▼KOさん:こんにちは 横レスごめんなさい。 >だれも逃走なんかしていないと思いますよ.思っているのは我々、爺だけ。 いや、中々に問題の多い思考形態を持っている可能性あります。新聞雑誌で取り上げられてる問題でもありますので思い過ごしという可能性より事実の可能性高いと思います。 若い人々の間でコミュニケーションが取りにくいと若者自身がいっている場合もあります。「これからの貴方たちで世界に勝てるか?」と問うたら、「NO」じゃないかと答える者もいます。 >いい生活とは何なのか。そんな我々の価値観なんて彼らには笑止千万な物かも >知れないと思いませんか。 >本当の民主国家で自由な世界とは多様性を認めるために最低限の生活のために >誰でもが生活できるように公共料金がゼロに近い社会です。 >日本の公共料金はどうなのか。考えてみるべきだ。この異常に高い公共料金は >間接的に取られていることを誰も言わない。 >海外では公共機関の長は成功した人のボランティアであることは常識なのに >日本では天下りが独占し、公共料金を異常に高いものにしている。 >空港の料金や電車、バス、あらゆる公共施設に天下りのために税金を >使いまくっている異常な国家、こんな国は共産国家でもなかったことを >正確に検証し追及するべきだ。 >そうすれば自由で、他人のために尽くすことの大事さをおしえることの >本当の意味を実感できる社会が実現できる。 >我々は何を求めているのか。求めることの目標を論ぜずに教育のことを >論ずる意味があるのか。 >何のための教育なのか、考えるべきだ。 「求める目標」もちろんそれは大事でしょう。しかし彼らに目標を求めることのできる力がありますか?。しっかりした力があれば、爺やだけの杞憂でしょう。 『我々が求める目標?』、私は「経済の真実を検証してくれ」と散々言ってきました。 目標を論じる能力を持つ教育も必要です。 |
KOさん・横レスになりますがお許し下さい。 >だれも逃走なんかしていないと思いますよ.思っているのは我々、爺だけ。 ・その通りだと思います・・。 >いい生活とは何なのか。そんな我々の価値観なんて彼らには笑止千万な物かも >知れないと思いませんか。 ・いい生活・人生観、時代の変化を彼らは「若者達」肌をもって感じてるように思えます・。そして彼らなりに考えてるようですね! >本当の民主国家で自由な世界とは多様性を認めるために最低限の生活のために >誰でもが生活できるように公共料金がゼロに近い社会です。 ・・ゼロとは云わないまでも教育費も含めて実生活のコストがもっと低くあるべき と思います・・。 >日本の公共料金はどうなのか。考えてみるべきだ。この異常に高い公共料金は >間接的に取られていることを誰も言わない。 国民が従順過ぎると外国人の書物で読んだことがあります・。 英国や、フランスなどでは「ゼネスト」ものである?・・とのこと。 >海外では公共機関の長は成功した人のボランティアであることは常識なのに >日本では天下りが独占し、公共料金を異常に高いものにしている。 >空港の料金や電車、バス、あらゆる公共施設に天下りのために税金を >使いまくっている異常な国家、こんな国は共産国家でもなかったことを >正確に検証し追及するべきだ。 ・・本来は政治がその機能を持たねばならない処ではないかと思います。 >そうすれば自由で、他人のために尽くすことの大事さをおしえることの >本当の意味を実感できる社会が実現できる。 ・・そのようになれば政治家が尊敬されて政治が活きてくるはずです・。 >我々は何を求めているのか。求めることの目標を論ぜずに教育のことを >論ずる意味があるのか。 >何のための教育なのか、考えるべきだ。 ・・全くその通りで人々の学ぶ意欲や生き甲斐もその辺りより 沸き上がってくるのではないか・・と、思わず!同感を覚えます。 現在、云われてる少子化問題も根っこはKOさんが挙げられた中に あると思います・・。 今、現在気に懸かる事は日本の子供達の目の輝きが私が訪れた東南アジア や欧米のそれに比べて力無く鈍く見えて仕方がありません・・。 敗戦後の一面「焼け野原」だった当時の日本の子供達に比べても 目の輝きが低いように思えてなりません・・。 ご意見は少し過激気味ですが・・的を得てるように思えます・。 ありがとう!ございました。 |
事情によりしばらく書きこみを休みます。 レスできませんので了解下さい。 |