Page 133 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼文部化学省の記事より。 yuuji 04/2/18(水) 5:31 ┣Re(1):文部化学省の記事より。 Tutti 04/2/18(水) 8:14 ┗Re(1):文部化学省の記事より。 ADHD?Tutti 04/2/20(金) 19:38 ┣Re(2):文部化学省の記事より。 やっぱりノータリンttt 04/2/21(土) 4:26 ┗Re(2):文部化学省の記事より。 オルトン 04/2/23(月) 20:22 ┗Re(3):文部化学省の記事より。 オルトン 04/2/23(月) 20:31 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 文部化学省の記事より。 ■名前 : yuuji <the_megane.oyaji@nifty.com> ■日付 : 04/2/18(水) 5:31 -------------------------------------------------------------------------
おはようございます。 学習障害児教育の見直しに関しての記事を読売新聞にて、 拝見しました。 学習生涯(LD)及び、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の 生涯のある児童へ 個別指導などの体制整備を整備するとのこと。 先のある若者の成長が楽しみですね。 僕も、自分の欠陥(ADHD)及び、耳が悪い。(全体の音を拾う) 障害をもつ故に、その子たちの未来が楽しみです。 僕のように、落ちこぼれないことを望む。 このネタは、以上。 |
▼yuujiさん: >学習生涯(LD)及び、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の (生涯学習はまた別の意味だが、)エビデンスは明確なんだろうな? 力量の無い教師が自分が仕組んだ学習活動を妨げられたり、てめえの授業実践の技が無いのを棚に上げて、学習効果が定着しない子どもたちを「障害」として片付ける口実が、お墨付きでできたな、と危惧してるぜ。(レッテルペタペタ貼るのがお好きな国民性があるからな。前提として。) >生涯のある児童へ 生涯?障害? >個別指導などの体制整備を整備するとのこと。 「特殊学級」(あたしら決して使わねえ呼称だな。)などと言うものをたんまり、ふやすのかい?とこれまた危惧しているぜ。 > >先のある若者の成長が楽しみですね。 > おめぇ、マジでいってんのかよ!? 一応、ADDや、ADHDと云われた連中には将来凄いのが続々出てきてるけどよ、逆の奴も多いんだぜ。知ってて云ってんのかよう。 |
▼yuujiさん: >おはようございます。 > >学習障害児教育の見直しに関しての記事を読売新聞にて、 >拝見しました。 > >学習生涯(LD)及び、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の >ある児童へ >個別指導などの体制整備を整備するとのこと。 > >先のある若者の成長が楽しみですね。 > >落ちこぼれないことを望む。 > 文科省のホームページを検索してみて下さい。 唖然とします。小泉ソーリの構造改革と同じ。LDやADHD、自閉症の子ども達に、発達段階のなるべく早期に沢山の人を関らせ手間隙かければ、多少なりとも障害の軽減となる。その子ども達が成人後には社会的資源となるかもしれないし、障害が軽減すれば何より財源圧迫が比例して軽減する。と考えたのだろうか。その子たちのため、という視点で考えられたとはとうてい思い難い。ホームページ読む限り。 一応診断基準はあるが、脳の器質の問題と云われているが、正確な診断が本当にくだせるのかどうか、専門家の方には失礼だが、怪しいと感じている。 自閉症等の障害児と診断された子どもが、実は違っていた実例は多々ある。被虐待児の場合も多々ある。 希望的側面だけを考えていれば良いのだろうが、”飴をしゃぶらせ、まともな食事は与えない”状況を作るのではないかと危機感を抱いている。教育の施策も。 コイズミソーリの隠れお抱え教育学者さん達は、既存の学校というシステムや、教師が二次被害を作るとは想像出来ないのだろうか。少人数学級やお為ごかし程度しか配置されないコーディネーターで、上記の様な障害を持った子ども達のためになると云うのならば、もっと以前から障害児を取り巻く諸問題はもっと改善されている筈だ。 と考えるのは暴論なのか…。 もっとよく考えてみます。 |
▼ADHD?Tuttiさん: >教師が二次被害を作るとは想像出来ないのだろうか。 すみません、↑は二次障害です。被害ではありません、訂正します。 |
こんばんわ。 施設に収容された子どもの観察報告、サル・ラットに対して行った実験結果報告が 参考になると想うので記述します。 初期学習時期において刺激の欠乏したる環境で育った子どもは、発達遅滞・言語障害に 陥ることが多い。 また、隔離された実験室内で育ったサル・ラットは、多くの仲間や 豊かな刺激に富む環境で育ったサルやラットに比べて体重が著しく低下しており、 脳のサイズも一回り小さいという研究報告がある。 障害児に特別教育を与えるのは、この子たちがややもすれば、例えば 「聴覚障害」という機能障害から、「聞き取る事が困難・不可能」という能力障害に 至り、ひいては、「友人や家族と会話を通して楽しさを味わう、知的刺激を得る」事が 困難・不可能になるという、社会的不利をこうむるためではないでしょうか。 高次元の活動(例えばコミュニケーション)のためには、それより低次元(?)の 各要素的な行動・活動(発声・聞く・弁別して理解する)を体得している必要が あります。健常児は、日常生活を過ごすことで、低次元の活動を自然に体得します。 一方、障害児は、普通の環境で過ごせば、体得できずそのままに終わる。 普通学級の授業についていけなくなり、聾学校・難聴学校と言った、 いわゆる普通学校過程を進む健常児と別の進路を歩むがゆえにますます発達遅滞が 生じる。それが、障害基礎年金、法定雇用などでのバックアップ体制を構築させるに いたるが、それでも追いつかないほど、損失が大きい。 それは、一人の人間として豊かな人生を過ごしたいという夢が、 障害ゆえに、阻まれることが少なくないという事実(私もそういう時期がありました)。 障害を運命的なまでに重くさせるかそうでないかの分け目は、 本人の人生観でもあろうが、おそらく殆どの場合、「周りの目」だ。 本人の人生観も、周りの人間とのかかわりの過程で、出来上がっていくものだから。 まあ・・ 特別教育・メインストーリーミングは、障害児・健常児を混合させて、 相乗効果を図ろうとするものだと私も期待しています。 それに、 障害者を理解する社会スタイルは、老衰にともなって多くの方々に機能障害が予測 される高齢社会への予備スタイルに活きるはず・・。 |
メガネと、補聴器、車椅子。 何が違うんだろ? どれも、補助機器である事は共通してる。 違い・・ マジョリティが使用してるか、使用している層がマイノリティか、だよね。 ま・・いずれマイノリティがマジョリティ化する日が高齢社会の中で来るはず。 いい社会なのかどうかわかりませんが、少なくとも今よりは、相手の痛みを 自分の経験で共感できる方々が増えるのではないでしょうか・・? ADHD,LDの話とずれてしまって申し訳ないです。。 |