Page 1397 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼哀悼 水上勉さんへ こんぺいとう 04/9/9(木) 8:38 ┣Re(1):哀悼 水上勉さんへ 流水 04/9/9(木) 12:04 ┃ ┗Re(2):訂正 流水 04/9/9(木) 12:07 ┗Re(1):哀悼 水上勉さんへ 桃李 04/9/12(日) 1:19 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 哀悼 水上勉さんへ ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp> ■日付 : 04/9/9(木) 8:38 -------------------------------------------------------------------------
日本人の心を描いて読者の心をつかんだ水上勉さんがなくなられました。 弱者の心をこの人ほどつかんでいた方はいないでしょう。 ご自分が幼少の頃から苦労をしてきたので、どんなに小説がベストセラー になり裕福になっても視点はいつも弱者でした。 今朝の朝日新聞に「失われた日本」を描いた、と追悼文章が載っていますが 本当に大事な方を失いました。為政者の中に水上さんの視点を持った人が いないと日本は本当に破壊してしまうのではないかと案じられます。 ご冥福を祈ります。 合掌 |
水上勉の作品は、数多く読んだ。 わたしが彼から一番学んだのは、今日の朝日の天声人語でも引用されている【】『8月15日と私』という姿勢である。 「越前竹人形」「五番町夕霧楼」「越後つついし親不知」などの一連の作品で示された薄倖の女性たちに対する暖かい目は、地を這うように生きている人間に対する深いシンパシーから生まれている。 上記の作品はすべて映画化されたが、「五番町夕霧楼」の中で象徴的に使われた「百日紅」の赤い花は今でも鮮やかに記憶に残っている。 彼は、『話す→生活する→話す』という位相から一生離れることがない庶民の生活の襞を余すことなく描いた。決して、「話す→書く」という位相に上昇したいわゆる知識人のありように満足しなかった。 彼の作品には、いつも【人は『歴史的な日』などを生きるものではない。人はいつも怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる】という見方が貫かれていた。 わたしにとっては、水上勉は、ある意味で【ものの見方】を教えてくれた生涯の師ととでもいうべき存在だった。 心より、冥福をお祈りしたいと思います。 合掌 |
●わたしが彼から一番学んだのは、今日の朝日の天声人語でも引用されている【】『8月15日と私』という姿勢である。 →わたしが彼から一番学んだのは、今日の朝日の天声人語でも引用されている【人は『歴史的な日』などを生きるものではない。人はいつも怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる】『8月15日と私』、という姿勢である。 に訂正 |
私の大切にしている宮本輝さんの「命の器」というエッセイ集のあとがきに 水上勉さんが、おそろしいほどものを見抜いた文章を寄せておられます。 最近読みなおしたばかりでした。ご冥福をお祈りいたします。 |