Page 1400 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼靖国神社を考える pierre 04/8/19(木) 14:54 ┣Re(1):靖国神社を考える 小鉄 04/8/19(木) 17:31 ┃ ┣Re(2):靖国神社を考える よんさま(18歳) 04/8/19(木) 21:01 ┃ ┗Re(2):靖国神社を考える pierre 04/8/22(日) 14:53 ┃ ┣Re(3):靖国神社を考える 敦煌の倅 04/8/22(日) 19:26 ┃ ┣Re(3):国民の戦争責任 王里 04/8/22(日) 21:34 ┃ ┃ ┗Re(4):国民の戦争責任 ウミサチヒコ 04/8/23(月) 0:02 ┃ ┣Re(3):靖国神社を考える ニック 04/8/23(月) 1:41 ┃ ┃ ┣Re(4):靖国神社を考える 小鉄 04/8/23(月) 16:30 ┃ ┃ ┣Re(4):靖国神社を考える sin 04/8/23(月) 23:33 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):靖国神社を考える ニック 04/8/24(火) 0:38 ┃ ┃ ┃ ┣Re(6):靖国神社を考える sin 04/8/24(火) 1:40 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):靖国神社を考える ニック 04/8/24(火) 14:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):靖国神社を考える sin 04/8/24(火) 20:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):靖国神社を考える ニック 04/8/24(火) 21:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):靖国神社を考える sin 04/8/24(火) 22:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):靖国神社を考える ニック 04/8/25(水) 20:50 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):靖国神社を考える 小鉄 04/9/1(水) 16:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):靖国神社を考える 飛龍 04/9/2(木) 21:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(12):靖国神社を考える 松 04/9/2(木) 22:06 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):靖国神社を考える 飛龍 04/9/2(木) 22:45 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):靖国神社を考える 小鉄 04/9/12(日) 15:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):靖国神社を考える pierre 04/8/25(水) 15:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(9):靖国神社を考える 竜胆 04/8/25(水) 20:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):靖国神社を考える ウミサチヒコ 04/8/25(水) 20:50 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):靖国神社を考える 敦煌の倅 04/8/25(水) 21:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):靖国神社を考える ニック 04/8/25(水) 22:17 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):靖国神社を考える ウミサチヒコ 04/8/25(水) 22:43 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):靖国神社を考える ニック 04/8/26(木) 10:12 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):靖国神社を考える 小鉄 04/9/1(水) 16:16 ┃ ┃ ┗Re(4):靖国神社を考える つるみ 04/8/24(火) 0:27 ┃ ┃ ┗Re(5):靖国神社を考える ニック 04/8/24(火) 0:55 ┃ ┃ ┗Re(6):靖国神社を考える つるみ 04/8/25(水) 3:39 ┃ ┃ ┗Re(7):靖国神社を考える ウミサチヒコ 04/8/25(水) 5:17 ┃ ┃ ┗Re(8):靖国神社を考える 闇をまとう者 04/8/25(水) 8:39 ┃ ┃ ┗Re(9):靖国神社を考える ウミサチヒコ 04/8/25(水) 9:00 ┃ ┃ ┗Re(10):靖国神社を考える 飛龍 04/8/25(水) 18:54 ┃ ┣Re(3):靖国神社を考える 源蔵 04/8/23(月) 23:16 ┃ ┗Re(3):靖国神社を考える 安本単三 04/8/24(火) 15:55 ┣Re(1):靖国神社を考える 甲野四太郎 04/8/22(日) 17:38 ┃ ┗Re(2):靖国神社を考える ウミサチヒコ 04/8/22(日) 18:02 ┣Re(1):靖国神社を考える 飛龍 04/8/22(日) 22:22 ┣Re(1):靖国神社を考える 敦煌の倅 04/8/24(火) 19:43 ┗新スレッドへ移行願います Ray 04/8/25(水) 20:59 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 靖国神社を考える ■名前 : pierre <pierre_byobu@mac.com> ■日付 : 04/8/19(木) 14:54 -------------------------------------------------------------------------
小泉首相は、今年は8月15日に千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に、また8月6日には広島の、9日には長崎の原爆碑に参拝した。彼が靖国神社に行くととあれだけの騒ぎになるのに、これらの戦没者慰霊の施設に参拝しても、誰も何もいわない。それは中国や韓国でも同様だ。 なぜそうなのか。私はここに大きな意味が含まれているように思えてならない。それは、戦没者を慰霊する施設は多々あるが、その中で靖国神社だけが特異な存在だからである。その特異性は、併設された軍事博物館「遊就館」の展示を見れば一目瞭然だ。そこでは明治維新以来、日本が戦って来た対外戦争、すなわち日清・日露をはじめ満州事変以来太平洋戦争までの戦争について、 「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦い」(靖国神社HomePageより) と、そのすべてを肯定しているのである。あの戦争をこのように捉える限り、その結果死に追いやられた兵士たちも、追いやった将官たちも、区別なく「英霊」とされてしまうのである。そして、これらの戦争を「避け得なかった」と見る以上、それはこれからも避けがたい戦争を戦うときがあり得ることを含意しているのである。それに対して、千鳥ヶ淵、原爆碑、あるいは沖縄の平和の礎などは、あの戦争への反省、不戦、戦没者への悼み、平和の希求に満ちている。 小泉首相は戦没者追悼式の式辞で「不戦の誓い」を堅持すると表明したが、それが本心なら、靖国神社への参拝を止めるべきだ。少なくとも首相在任中は行くべきではない。それはかってあの史上類を見ない惨禍に国民を陥れ、そして近隣諸国に甚大な被害を及ぼした国の権力者が、引き続き堅持すべき最低限の姿勢である、と私は考える。 |
>小泉首相は、今年は8月15日に千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に、また8月6日には広島の、9日には長崎の原爆碑に参拝した。彼が靖国神社に行くととあれだけの騒ぎになるのに、これらの戦没者慰霊の施設に参拝しても、誰も何もいわない。それは中国や韓国でも同様だ。なぜそうなのか。私はここに大きな意味が含まれているように思えてならない。それは、戦没者を慰霊する施設は多々あるが、その中で靖国神社だけが特異な存在だからである。 広島大虐殺や長崎大虐殺の慰霊を行ってクレームがつく訳無いでしょうが・・・。靖国をおとしめるのに夢中になる余り常識すら抜け落ちてますよ。 >その特異性は、併設された軍事博物館「遊就館」の展示を見れば一目瞭然だ。そこでは明治維新以来、日本が戦って来た対外戦争、すなわち日清・日露をはじめ満州事変以来太平洋戦争までの戦争について、 「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦い」(靖国神社HomePageより) 実際そうでしょ。日清戦争は朝鮮を属国と勘違いしていた清が、朝鮮の近代化をことごとく邪魔したから起こった。 日露戦争はロシアが三国干渉をきっかけに朝鮮での影響力を強め、朝鮮半島に次々と軍事施設を作り日本の安全が脅かされたから戦った。 大東亜戦争はコミンテルン(国際共産党)の陰謀、及びシナ大陸の利権に目がくらみ様々な嫌がらせを行ったアメリカの思惑と言うのが背景にあった。 >と、そのすべてを肯定しているのである。あの戦争をこのように捉える限り、その結果死に追いやられた兵士たちも、追いやった将官たちも、区別なく「英霊」とされてしまうのである。そして、これらの戦争を「避け得なかった」と見る以上、それはこれからも避けがたい戦争を戦うときがあり得ることを含意しているのである。 戦争が起こった背景を冷静に分析しようともせず、盲目的に日本にのみ悪を求める歴史観こそ、戦争を防ぐ上で何の効果も無く、何の教訓も得られない見方だと言える。 >小泉首相は戦没者追悼式の式辞で「不戦の誓い」を堅持すると表明したが、それが本心なら、靖国神社への参拝を止めるべきだ。少なくとも首相在任中は行くべきではない。 国家の為に戦った者の慰霊を行うのは、過去の日本人から日本を受け継いだ現在の日本人としての当然の勤め。戦前と戦後で日本人は全く違う生き物になった、日本は今の日本人だけのもの(戦前の日本人を貶めることで自分たちを純化出来る)と勘違いした事が戦後日本の最大の悲劇と言える。 >それはかってあの史上類を見ない惨禍に国民を陥れ、そして近隣諸国に甚大な被害を及ぼした国の権力者が、引き続き堅持すべき最低限の姿勢である、と私は考える。 これは余りにも単純。あの戦争の裏にはコミンテルンの「資本主義国同士を戦わせ弱った所に殴りかかる」という戦略と、中国に関しては「局地的戦闘に留まらせず泥沼化させる事で共産主義の影響力を拡大させると言う方針があった。これにのっかり日本と蒋介石の国民党軍との共倒れを図ったのが尾崎秀実に代表されるコミンテルンスパイ(にして近衛内閣のブレーン)であった。 あの戦争から教訓を得るとすれば「共産主義は恐ろしく、非人間的である」と言う事。 日本はあの戦争で共産主義勢力の思惑に乗ったばかりに、戦後共産主義拡大の手助けをする形になり、その結果中国では「革命」の名の下多くの人間殺され文化大革命が起こり、又カンボジアではポルポトが暴虐の限りを尽くし多くの人間が共産主義によって殺された。ベトナム戦争でも共産主義者による自国民大虐殺が起こりその結果「ボートピープル」として多くの人がベトナムから逃げ出した。 これらは実に残念な事だった。 |
靖国神社は確かに異質だな。あの空間だけは正しい歴史が伝えられてるようで正直、鳥居をくぐって中に入るとホッとする。今年は高校の同級生、後輩を集めて21人でお参りした。 |
小鉄さんへ 貴方のお書きになったものを拝見しました。何も申し上げることはないと思っていましたが、よく考えると、このままでは貴方がいわれるような論理が通ってしまうことになりかねず、敢えて一言いわせて貰います。 昔から、戦争を起こした人たちは必ず「あの戦争は避け得なかった」といいます。しかし、戦争は決して天災ではないのですから、人間の始めるという意志があって初めて始まるのです。だから、本来は「避け得ない戦争」などあり得ないのです。しかしそうはいっても、まだ日清、日露の場合は、始めた人たちに最初からその終わらせ方にまで配慮していたことがうかがわれます。しかし満州事変以降の戦争はどうですか。そういう冷静な判断力が日本の指導者たちになくなりました。まして米英を相手に開戦したのは、国を預かる人たちの愚かさ、無責任以外の何ものでもありません。天皇に戦争終結への展望を聞かれて、幾重にも希望的観測を連ねた回答で表面を糊塗しました。あのような指導者たちに、国民はその運命を預けていたのですから、やりきれない気持がするのです。 貴方は、背景に「コミンテルンの陰謀」、「様々な嫌がらせを行ったアメリカの思惑」があったといわれます。その通りだったのかも知れませんが、しかし開戦を決意したのは日本の指導者たちであり、結局その「陰謀」や「思惑」に易々と踊らされたのでしょうか。私は、そういうその日本の当時の指導者たちの言動の当否とその責任を問題にしているのであり、またその問題をないがしろにして済ましている靖国神社の姿勢を問題にしているのです。 「コミンテルンの戦略」とか「共産主義の思惑」といったレッテルを貼ってまともな議論を封じ込めるのは、極めて遺憾です。文化大革命とかポルポトなどという話は、ここでは何ら関係ないことではありませんか。 |
戦争回避の努力はギリギリまで行われたように思われます。 甲案・乙案によって・・あの戦争の根底にあったのは、人種差別です。 欧米列強は、「自分等のやり方に黄色人種が楯突くなど、許せない」 と言う理論で所謂「日本叩き」の為に戦争を企てたわけです。 それに乗ったというのであれば、その通りかも知れません。 戦争は外交の延長線にあるものですから、それ自体を問題にするのは おかしな話ではないでしょうか? 靖国神社は、殉難者の慰霊施設でありますから、祀られているのは 将兵だけではありません。実際。昭和28年に戦争犯罪人の赦免が 国会で全会一致により採択されています。 したがって、今現在A級はおろか、我国に「戦争犯罪者」は存在しません。 指導者と仰いますが、具体的に誰が・・・とお思いですか? |
pierreさん:こんばんわ おっしゃるとおり、指導者たちの責任は大きいと思います。でも、国民はその運命を指導者に預けていただけだったでしょうか? 親や先祖を悪くゆうようで気が進まないのですが、戦争に熱狂し提灯行列で喜んだのは国民です。国民の強い支持がなければ、あれだけの犠牲を払った戦争は遂行できなかったと思います。 私ごとで恐縮ですが、祖父が一旗揚げようと朝鮮に渡り、父はシベリヤに抑留され、母親と子供だけで引き揚げてきた経験を持つ家族です。その父の戦争責任を追及し論争になったことが、昔ありました。 政治家や軍部、経済界やマスコミの責任はもちろんですが、熱狂しやすく、権威に弱く、流されやすく、個人より集団を大事にする国民性に戦争をひきおこした原因の多くがあったのではないでしょうか。 指導者の責任を追求するだけでは、また同じことの繰り返しがおきはしないかと懸念しております。 |
▼王里さん: >pierreさん:こんばんわ > >おっしゃるとおり、指導者たちの責任は大きいと思います。でも、国民はその運命を指導者に預けていただけだったでしょうか? >親や先祖を悪くゆうようで気が進まないのですが、戦争に熱狂し提灯行列で喜んだのは国民です。国民の強い支持がなければ、あれだけの犠牲を払った戦争は遂行できなかったと思います。 >私ごとで恐縮ですが、祖父が一旗揚げようと朝鮮に渡り、父はシベリヤに抑留され、母親と子供だけで引き揚げてきた経験を持つ家族です。その父の戦争責任を追及し論争になったことが、昔ありました。 >政治家や軍部、経済界やマスコミの責任はもちろんですが、熱狂しやすく、権威に弱く、流されやすく、個人より集団を大事にする国民性に戦争をひきおこした原因の多くがあったのではないでしょうか。 >指導者の責任を追求するだけでは、また同じことの繰り返しがおきはしないかと懸念しております。 人間ひとり一人は弱いもの。抑圧が迎合を生み、それがまた抑圧を生み、破滅に向かったと思います。それを無くすものとして、人は民主主義の概念にたどり着いた、それが20世紀だったのです。しかし、それはいまだに未熟であった。我らは―急に憲法の口調に変わりますが―我らはその民主主義を21世紀で完成させなければならない。それが過ちを繰り返さない唯一の道と信じます。 |
▼pierreさん: > 小鉄さんへ > 貴方のお書きになったものを拝見しました。何も申し上げることはないと思っていましたが、よく考えると、このままでは貴方がいわれるような論理が通ってしまうことになりかねず、敢えて一言いわせて貰います。 > 昔から、戦争を起こした人たちは必ず「あの戦争は避け得なかった」といいます。しかし、戦争は決して天災ではないのですから、人間の始めるという意志があって初めて始まるのです。だから、本来は「避け得ない戦争」などあり得ないのです。しかしそうはいっても、まだ日清、日露の場合は、始めた人たちに最初からその終わらせ方にまで配慮していたことがうかがわれます。しかし満州事変以降の戦争はどうですか。そういう冷静な判断力が日本の指導者たちになくなりました。まして米英を相手に開戦したのは、国を預かる人たちの愚かさ、無責任以外の何ものでもありません。天皇に戦争終結への展望を聞かれて、幾重にも希望的観測を連ねた回答で表面を糊塗しました。あのような指導者たちに、国民はその運命を預けていたのですから、やりきれない気持がするのです。 おっしゃる通りです、NHK終戦50周年と言う番組を昔やっていたことがありますが、そこに出てきた証言者の方々の話では、本当に日本の戦争指導者は酷いものであった様です、一夜漬けのようなやり方で艦船の予想損耗率を計算させたり、ヨーロッパの戦争はドイツが勝つだろうと勝手に予測し、ドイツが勝てば便乗して有利に終戦へもっていけると思い込み、米国の軍事生産力の報告を頭から信用せず、報告した将兵を怒鳴りつけ、彼我の差を考えずに強引に戦争へ持っていったのですから、一般兵士は死んでも死にきれなかったでしょう。 戦争犯罪者は以上のような点から考えれば確かに存在するはずです、存在しないと強弁される方の考え方は、今の日本企業の不始末をだれも責任を取らなくても良いと言っているのと同じで、何故「責任者」と言うものが存在するのかを全く考慮していないのと同じと言えましょう、さらにはそのような悪質な責任者へ、変な温情主義を掲げて許してやれとおっしゃる方も居ますが、とんでも無い事です。 そのような点を考え、政府が戦犯崇拝を、多数の一般兵を祭って居る事で誤魔化し、靖国自身は、分霊すると自身の儲けが無くなってしまうことを恐れ、分霊に対して反対して居る事を私達は良く考えなければ行けないでしょう。 |
>そのような点を考え、政府が戦犯崇拝を、多数の一般兵を祭って居る事で誤魔化し、靖国自身は、分霊すると自身の儲けが無くなってしまうことを恐れ、分霊に対して反対して居る事を私達は良く考えなければ行けないでしょう。 偉そうな事を言う前に先ずは「分け御霊」とは何かを勉強してから出直しなさい。話にならない。 |
はじめまして、sinと申します。 大東亜戦争については、諸処あろうかと思いますが当時の 国際状況から考えると、「避け得ない」戦争であったのではないかと 思います。 昭和十六年(1941年)当時、米、英、オランダから石油を初めとする国家生存上の必需品に対する禁輸を受けたため、その考えに従い行動したというのが当時の首脳部の考えではなかったでしょうか? 当時の日本の石油自給率はわずか5%で、残り95%を対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、日本経済はもとより、国家としての存亡の危機に見舞われていたわけです >戦争犯罪者 これについては、インドのパール判事が下記のように指摘しています。 『第二次大戦以前の国際社会では、一国が他国に対して征服支配し(武力により)侵略することは、犯罪ではなかった。犯罪ではなかったが故に、これまで欧米諸国もアジア、アフリカを(武力により)侵略し、植民地化してきたではないか。 戦争が犯罪でないのであれば、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁くのか?。戦争に勝ったが故に正義であり、負けたが故に罪悪であるとするのであれば、もはやそこには、正義も法も真理も存在しない。』 これについてはいかがお考えでしょうか。 |
▼sinさん: >はじめまして、sinと申します。 >大東亜戦争については、諸処あろうかと思いますが当時の >国際状況から考えると、「避け得ない」戦争であったのではないかと >思います。 >昭和十六年(1941年)当時、米、英、オランダから石油を初めとする国家生存上の必需品に対する禁輸を受けたため、その考えに従い行動したというのが当時の首脳部の考えではなかったでしょうか? >当時の日本の石油自給率はわずか5%で、残り95%を対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、日本経済はもとより、国家としての存亡の危機に見舞われていたわけです こんにちは、感情論ではない書き込み、有難う御座います。 世界史では禁輸と資産の差し押さえが元で、追い詰められて戦争への道を選んだとありますが、そもそも何故その様な状況に陥ったのでしょうか? まず一つは有名な満州の占領です、これを占領ではなく満州人の解放に日本は手助けをしたのだと都合の良い解釈をして正当化されている方もいらっしゃいますが、満州国皇帝溥儀の後ろに帝国軍の影があった事は既に明白となっており、とても正当化できる代物では無いと考えます。 また、その軍部の独走を抑えられなかった政府にも責任があったと言えましょう。 >>戦争犯罪者 >これについては、インドのパール判事が下記のように指摘しています。 >『第二次大戦以前の国際社会では、一国が他国に対して征服支配し(武力により)侵略することは、犯罪ではなかった。犯罪ではなかったが故に、これまで欧米諸国もアジア、アフリカを(武力により)侵略し、植民地化してきたではないか。 >戦争が犯罪でないのであれば、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁くのか?。戦争に勝ったが故に正義であり、負けたが故に罪悪であるとするのであれば、もはやそこには、正義も法も真理も存在しない。』 >これについてはいかがお考えでしょうか。 一粒の麦様は、その例をだされて戦犯不存在論を張られましたが、バール判事が植民地出身の人間であった事を考えれば、心情的に列強の味方をするはずがありませんし、列強と同じ事を行なった日本を列強が責める資格は無いと考えるのも当然の事と思います。 ただ大事なのは、外部から見ればそうですが、では内部、つまり日本人が見た戦争指導者には罪が無かったと言えるでしょうか?、それは今の小泉政権などと同じで、当然に国家を指導する立場にあったものは、その国家に与えた損害に匹敵する罪が存在すると考えます。 金銭的な損害であれば引退や賠償で済むでしょうが、大量に似非右翼の方々がお好きな表現の、「同朋」の命を無意味に奪った立場からすれば、死刑や無期懲役になるのは当然であったろうと思います。 良く米英と比較して「あいつらがやった事と同じ事をして何が悪い」と言う論理を持ち出し反論される方がいらっしゃいますが、日本が何もしない時に攻撃されて、それに対して反撃した結果そうなったのであればともかく、明らかに「権益」の為に他国を侵略した事実を、同じ行為をした国家を持ち出して罪が無かったと言う論法は成り立たないと思います。 負けたから「悪」と言うのは戦勝国の勝手な言い草です、その点では私も異論がありますが、問題は無数に殺害されたアジア各国の国民や、無駄な事で命を落した日本国民の視点に立った時に一体何が見えてくるのかと言う事です、戦犯は存在すると言うのはつまりそう言う事です。 |
ニック様 レスありがとうございます。 >まず一つは有名な満州の占領です、これを占領ではなく満州人の解放に日本は手助けをしたのだと都合の良い解釈をして正当化されている方もいらっしゃいますが、満州国皇帝溥儀の後ろに帝国軍の影があった事は既に明白となっており、とても正当化できる代物では無いと考えます。 小生は少々考え方が異なります。 当時アメリカ・イギリスをはじめとする諸国が経済ブロック圏を経済的利益のために作ったためで、日本が次第に国際貿易の枠からはずされてきたためだと考えます。 その為、経済的な破綻を防ぎ国家の存続のため、やむを得ず侵略行動に移さざるを得なかったものと思っております。 つまり、侵略行動はアメリカ・イギリス等の欧米諸国が原因であると思うのです。 また、満州国建国に関することも、欧米諸国が行ってきたことと同じこと(武力で侵略し、植民地支配は犯罪ではなく国際法上は問題ない)を行ったにも関わらず、日本だけが非難されることとなったと思います。 戦争犯罪についていえば、国際条約上侵略の定義はなく(これは侵略であろうとなかろうとです)一切の戦争を犯罪としていません。 また個人を罰則する規定もなく、戦犯なるものの法的制裁は戦勝国によって作られた事後法によるものです。 小生は上記の定義を持って、戦犯はというものは存在しない。としております。 つまり、国の内外であろうと「戦犯」として各個人を処するのはどうかと思います。 どうでしょうか? |
▼sinさん: >小生は少々考え方が異なります。 >当時アメリカ・イギリスをはじめとする諸国が経済ブロック圏を経済的利益のために作ったためで、日本が次第に国際貿易の枠からはずされてきたためだと考えます。 >その為、経済的な破綻を防ぎ国家の存続のため、やむを得ず侵略行動に移さざるを得なかったものと思っております。 >つまり、侵略行動はアメリカ・イギリス等の欧米諸国が原因であると思うのです。 >また、満州国建国に関することも、欧米諸国が行ってきたことと同じこと(武力で侵略し、植民地支配は犯罪ではなく国際法上は問題ない)を行ったにも関わらず、日本だけが非難されることとなったと思います。 sin様 欧米にも罪が有るとおっしゃりたいあなたのご発言は十分に理解できます、ですが私は、欧米が悪いのだからと言う部分に立脚するのではなく、pierre様のおっしゃる様に、あの戦争は避け得ないものではなかったと言う部分と、日本政府首脳が後先考えずに「切れてしまった」為に起こった戦争であると言う部分に注目しています。 まず第一に、当時の日本海軍力は米英に次ぐ世界第三位であり、外敵を打ち負かす力は十分に有った事です、軍事力で外敵面は心配が無いにもかかわらず、経済面であれだけ列強各国に追い詰められたのは、一言で言えば軍部の独走を政府が抑え得なかった結果、日本封じ込めを列強諸国が行なったが為にあれだけ経済的に困窮する破目になってしまった事と、国内の戦争反対意見を、特高警察を使い言論弾圧を行なって封じこめてしまった所にこの国の指導者が弾劾される理由があるのです。 またsin様は「武力で侵略し、植民地支配は犯罪ではなく国際法上は問題ない」とおっしゃっていますが、成る程当時の国際法としては問題が無かったかもしれませんが「悪法も方である」と言う言葉が示す様に、まずその法律自体は列強各国が勝手に作成した自己都合的なものであり、あなたがその列強の行為を非難するおつもりならば、当然の事ながらまず身内である日本の行為から糾弾していかなければなりません。 自己責任は棚に上げて他人だけを非難することなど出来ない、と言うのが、私や他の方々の考え方です、これを「嫌日」などとレッテルを貼り「中国の手先」などと意味不明な攻撃をされる方もいらっしゃいますが、このような発言をされる方はおそらくご自身の過ちは絶対に認めず、他人の過ちは嬉々として糾弾される方だと私は考えています。 また、国際法には占領地の国民を虐殺して良いとは何処にも書いて居りません、それを行なった日本国上層部には、その行動に相対した罪があって然るべきと私は考えますし、それを「あいつもやったのでうちが責任をとる必要は無い」と言うのであれば、日本には罪と言う概念自体が無くなってしまうはずです。 その様な観点から考えて、「日本上層部には戦争責任が無かった」と断言できる要素は何処にも存在しないと私は考えますし、あの大戦で多数の死者が出た事は歴史的事実としていつまでも残っています。 「戦争自体国際法で認められている」と大見得を切る方も居ますが、ではあなたのご家族や恋人がその戦争に巻き込まれて死んだ場合、あなたは敵国を「合法の上で行なった事だから」と憎まないで居られますか?と私は聞いてみたいです。 そのような方は「稀」だと思いますし、現にこちらでしきりに「戦争」を叫ぶ某氏も、日本の危機を叫びながらも一向に戦争になった時にご自身が最前線へ行くとは明言されません、この辺にも戦争をしたがる者の卑劣さが実感できると思います。 上記のような観点から見ると、戦犯は、国内から見ても確かに存在すると私は考えます。 |
ニック様 たびたびのご丁寧なレス、感謝申し上げます。 しつこいと思われるかもしれませんが、どうかおつきあいいただけたらと思います。 まず、一言申し上げたいのは、当方とて戦争が起きたことが仕方がないとは思いません 戦争自体は避けることができるのであれば、起きないことが理想であると思っております >当時の日本海軍力は米英に次ぐ世界第三位であり、外敵を打ち負かす力は十分に有った事です、軍事力で外敵面は心配が無いにもかかわらず、経済面であれだけ列強各国に追い詰められたのは、一言で言えば軍部の独走を政府が抑え得なかった結果、日本封じ込めを列強諸国が行なったが為にあれだけ経済的に困窮する破目になってしまった事 上記の件についてですが、当方はこのように考えます。 当時の海軍力は強大であったとしてもそれを支える物資の面を考えた場合 主要な物資のほとんどはアメリカからの輸入に頼っていたのです。 それも鉄鋼類:約70%、石油:約80%、工作機器等:約70%もです。 このようなことから考えても、必要物資の70%を輸入に頼る相手に対し、いくら暴走が・・とおっしゃられても日本から戦争を仕掛けるようなことが可能でしょうか? また、アメリカとの戦争前、昭和12年から日本は日中戦争のまっただ中にあり、すでに多数の人的損失と戦費を費やしているのです。 この状況下でアメリカ・イギリスを相手に戦争を起こす必要性があったでしょうか? 次に >また、国際法には占領地の国民を虐殺して良いとは何処にも書いて居りません 上記のようにおっしゃられておりますが、これについては、ニック様は「南京大虐殺」の事を例であげられていらっしゃいますでしょうか? こちらについては http://www.history.gr.jp/nanking/ をご参考にしていただけますでしょうか。 かなりまとまりのない文章になってしまいましたこと、お詫びいたします。 |
▼sinさん: >ニック様 >たびたびのご丁寧なレス、感謝申し上げます。 >しつこいと思われるかもしれませんが、どうかおつきあいいただけたらと思います。 >まず、一言申し上げたいのは、当方とて戦争が起きたことが仕方がないとは思いません >戦争自体は避けることができるのであれば、起きないことが理想であると思っております いえ、私のような者にご丁寧にお付き合い頂いておりすので、私もsin様に御納得頂けるまでお付き合いしたいと思っています。 >>当時の日本海軍力は米英に次ぐ世界第三位であり、外敵を打ち負かす力は十分に有った事です、軍事力で外敵面は心配が無いにもかかわらず、経済面であれだけ列強各国に追い詰められたのは、一言で言えば軍部の独走を政府が抑え得なかった結果、日本封じ込めを列強諸国が行なったが為にあれだけ経済的に困窮する破目になってしまった事 > >上記の件についてですが、当方はこのように考えます。 >当時の海軍力は強大であったとしてもそれを支える物資の面を考えた場合 >主要な物資のほとんどはアメリカからの輸入に頼っていたのです。 >それも鉄鋼類:約70%、石油:約80%、工作機器等:約70%もです。 >このようなことから考えても、必要物資の70%を輸入に頼る相手に対し、いくら暴走が・・とおっしゃられても日本から戦争を仕掛けるようなことが可能でしょうか? >また、アメリカとの戦争前、昭和12年から日本は日中戦争のまっただ中にあり、すでに多数の人的損失と戦費を費やしているのです。 >この状況下でアメリカ・イギリスを相手に戦争を起こす必要性があったでしょうか? その通りです、そこで問題になってくるのが「軍部の暴走」ですご存知の事と思いますが、政府は戦争拡大を望んではおりませんでしたが、軍部が独走し満州国建設、国連脱退、ナチスとの同盟を強引に押し進めました。 これらを見ても、軍部や、その後政権を握った東条等に責任があるのは明らかな事と思います、特に満州などは、その様な状況で安全ではないにもかかわらず殖民政策を行ない地元民から土地を収奪し、そこへ日本人開拓民を入れ、結果それがソ連参戦時の悲劇を生み出しました。 結局の所、あれも日本国が読みを誤った結果と申せましょう。 >次に >>また、国際法には占領地の国民を虐殺して良いとは何処にも書いて居りません >上記のようにおっしゃられておりますが、これについては、ニック様は「南京大虐殺」の事を例であげられていらっしゃいますでしょうか? >こちらについては >http://www.history.gr.jp/nanking/ >をご参考にしていただけますでしょうか。 > >かなりまとまりのない文章になってしまいましたこと、お詫びいたします。 南京に関しては語り尽くした感があります、数を申せば諸説ありますから、まず数は置いておいて、証言などで裏が取れている強制労働や(先日も北海道新聞に載りましたが)、731部隊の人体実験問題、慰安婦問題を私は代表例として上げています。 叉中国では大量の毒ガス弾が発見されその駆除に日本から人を送っている状況ですが、毒ガスや生物兵器などは、国際法でも認められていない非人道兵器です、このようなものを作り戦争を始めようとした軍部や政府高官の罪は到底許されるものではないと私は考えています。 |
ニック様 早々にお答えいただきまして、本当に感謝申し上げます。 で、大変申し訳ないのですが、よんどころなき事情がありレスが少々遅れます。 お許しくださいますようお願い申し上げます。 なるべく早く戻って参ります。 |
▼sinさん: >ニック様 >早々にお答えいただきまして、本当に感謝申し上げます。 > >で、大変申し訳ないのですが、よんどころなき事情がありレスが少々遅れます。 >お許しくださいますようお願い申し上げます。 >なるべく早く戻って参ります。 承知致しました、老人党はきままに投稿できるのが良い所ですので、時間に追われる事なくのんびりとした気分で議論致しましょう。 |
>叉中国では大量の毒ガス弾が発見されその駆除に日本から人を送っている状況ですが、毒ガスや生物兵器などは、国際法でも認められていない非人道兵器です、このようなものを作り戦争を始めようとした軍部や政府高官の罪は到底許されるものではないと私は考えています。 その毒ガス兵器を中国戦線で使ってきたのは他ならぬシナ軍自身であり、武器供与を行ったソ連であることをお忘れなく。そんな基本的な認識を欠いてよく歴史を語れますね。 |
その毒ガス兵器を中国戦線で使ってきたのは他ならぬシナ軍自身であり、武器供与を行ったソ連であることをお忘れなく。そんな基本的な認識を欠いてよく歴史を語れますね。>>それと日本が降伏した時に武装解除により武器引渡しが行われています。大体満州なんぞ旧ソ連の条約違反でロスケがなだれ込んできたんです。そんな状況で【日本製】の毒ガス兵器を土中廃棄する時間などあったんでしょうか?関東軍にしても不意打ちを食らった状態ですよ。民間を守ることすら不可能な状態で、悠長に途中廃棄している場合ではないでしょう。何故政府・外務省はこれを言わないのか?『日本製という証拠はあるのか? しかも武装解除で武器引渡をしている。それから後の経緯については、我が国は一切与り知らぬことである』と突っぱねればいいのに。 |
確か訴訟が起きた時に、日本政府は簡単には納得しませんでしたよね。 その辺り戦後処理のドサクサが色々関係していると思うのですけどね。 中国の言い分だけしか世間には伝わってきていないように思えますが、これが正常なんでしょうかね? |
中国の言い分だけしか世間には伝わってきていないように思えますが、これが正常なんでしょうかね?>>正常も何も朝日がその元凶です。 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/jinminnippouteikei.htm 人民日報と提携していた朝日新聞 <中国の嫌がる報道はするなという広岡社長の命を忠実に実行し文化大革命礼賛報道を垂れ流し、林彪失脚事件を最後まで否定しつづけて全マスコミ界の失笑を買ったことで有名な秋岡駐在員が現在は人民日報紙の日本における販売責任者を勤めていること、及び同じく81年〜84年北京特派員、その後論説委員になった横堀克巳氏が定年退職後中国共産党の対外プロパガンダ出版物である日本版雑誌「人民中国」の編集者となっていることが「朝日新聞の大研究」(古森・井沢・稲垣共著 扶桑社)に紹介されている。>>以上引用 それに朝日コムHPを開けば、人民日報がリンクされています。 |
>『日本製という証拠はあるのか?しかも武装解除で武器引渡をしている。それから後の経緯については、我が国は一切与り知らぬことである』と突っぱねればいいのに。 いえいえ。遺棄化学兵器処理の前調査の段階で既に旧ソ連製の毒ガス兵器である事がばれていたのに、「江の傭兵」が日本の金で処理すると言ってしまったのです。こういうのを世間一般ではバーカーと言う。 こうして裏ODAが誕生したわけです。 |
ニックさん 貴重なご意見を大変ありがとうございました。貴方がお書きになったことの繰り返しのようになってしまいますが、皆さんのご意見を拝読しながらあらためていろいろ考えましたので、若干書かせて戴きます。 (1)国民の戦争責任について 国民の強い支持が指導者たちに戦争を遂行させたというのは、王里さんのご指摘の通りです。しかし彼らは権力を持ち、メディアを動かすこともできました。一般国民の「世論」は多分にメディアを利用した情報操作の結果でもあったのです。だから、その責任は一般国民よりはるかに重いといわなければなりません。またウミサチヒコさんがおっしゃるように、過ちを繰り返さないためは民主主義が支えですが、そのためには国民が指導者たちをきびしく批判する眼を持たなければなりません。日本の国力を考え、「屈辱的」という国内の批判に耐えて日露講和を結んだ指導者もいました。そういう指導者の言動を厳しく峻別することもわれわれの役目であり責任ではないでしょうか。 (2)「避け得ない戦争」か アメリカなどの禁輸で国家存亡の危機にあってあの戦争は避け得なかったとSINさんはいわれますが、そういう状況に追い込まれたこと自体が当時の日本の戦略の誤りだったのではないでしょうか。満州事変あたりから日本の指導者たちは明らかにおかしくなりました。それは、狭量な天皇制ナショナリズムの虜になった軍部とそれをコントロールできなかった政治がもたらしたものでした。そういう誤った判断、言動、あるいは不作為を続けた結果、あるとき、突然どうにもならない状況に追い込まれていたことに気づいた、それが日米開戦だったと思います。しかも開戦したからといって禁輸に抗して危機を脱することができるとは、心ある人は誰も思っていなかったのではありませんか。つまり“やけのやんぱち”だったのです。この時期、帝国主義列強が虎視眈々と自らの権益の増大を狙っている、大変難しい時代でした。そういう時代に日清・日露の成功体験だけに縋って、大変稚拙な戦略しか持ち得なかったのです。 (3)戦争裁判と戦争犯罪人 戦争裁判の当否についていろいろな議論があることは承知していますし、裁判への批判の多くは妥当なものでしょう。しかし日本はサンフランシスコ平和条約で戦争裁判を受諾し、それらの法廷が課した刑を執行することを約定しています。したがって中国を含めた連合国の側から見れば、そういう批判は通らないのもまた当然で、その戦争犯罪人を祀った神社に首相が公式に参拝することに中国などが抗議するのもまた当然で、「内政干渉」などという理屈は通りません。戦争中、日本軍がもたらした惨禍を、この裁判でその責任者を処罰したことで封じ込めてきた彼らの心情に思いを致すのは日本人として当然ではないでしょうか。 (4)戦争責任 つるみさんは、誤って部下を死なせた分隊長まで責任を問うのかといわれますが、決してそんなつもりはありません。戦争なのですから、上官が「進め」と命じた結果部下が死に至るというケースが出るのは当然です。問題にしなければならないのは、戦争を始め、それを指導した昭和天皇をはじめとする権力、統帥の中枢にいた人たち、あるいは特攻のような理不尽な戦法を考案し、命じた人たちであります。彼らは、敵はもとより己も知らず、あるいは偏狭なナショナリズムに囚われ、その結果中国などを蔑視し、挙げ句の果てに国を誤ったのです。この責任は、本来は連合国の戦犯裁判とは別に、日本国民が追及しなければならないものでした。 (5)戦没者の慰霊 私は父を戦争で失ったものであり、戦没者の慰霊をするのにやぶさかではありません。しかし、戦争を肯定しその責任をないがしろにする靖国神社では本当の慰霊はできないと考えます。千鳥ヶ淵戦没者墓苑、広島・長崎の原爆碑、沖縄の平和の礎など、無宗教で非戦の施設がありますが、それぞれ特定の目的をもったものであり、一般的な施設にはなり得ません。ドイツには、1993年に「戦争と暴力支配の犠牲者を追悼し記念する場所」として、「国立中央追悼所」(ノイエ・ヴァッヘ)があると聞ききましたが、そういう施設が日本にもできないでしょうか。そうしたら、靖国神社は一宗教法人として、これからもそれを信ずる人たちによって維持されればいいのです。日本は国として「靖国」と訣別しなければ、あの戦争を本当に清算することはできないのではないでしょうか。 |
>しかし、戦争を肯定しその責任をないがしろにする靖国神社では本当の慰霊はできないと考えます。 お伺いしたいのですが、何時靖国神社が戦争を肯定し、責任をないがしろにしろと発言又は宣言したのでしょうか。 私が聞いた事が無いだけかもしれませんので、公式な情報があればそれを見る事が出来る場所か文献を紹介して貰いたい。 ただ、以下の点については事実として述べさせて頂くと、 我が国古来のシャーマニズムから発展してきた神道は教義と創始者を持ちません。 自然宗教である神道を一神教的な宗教に部類してしまったのは GHQ側の判断です。 また靖国神社の本質は地域と密着した神社であり、また国の為に戦った英雄を奉る場所です。 そして、もう1つの事実として神道は宗教ではないと言うのが上の私の主張ですが、 神道が単なる自然宗教から国教とも言うべき国家神道となった事実もまた無視すべき事ではありません。 国家神道が善悪どちらかの判断は私は致しかねますが、国家神道になって神道の本質が変わったと言う点は指摘可能です。 つまり、自然への畏敬の念や関わりと大安を重んじる神道が、国家神道になって他宗教の弾圧と国民国家統合の道具となったと言う事実です。 また現にこの国家神道が誕生してから新宗教の部類される大友教等の教派神道系宗教が乱立したのは本質を歪めた結果生じた事実です。 もう1つの事実、靖国神社、また靖国神社が遠いと言う人でも護国神社への参拝人数は年々増えていますし、靖国神社側も若い人を中心に参拝人数が増えている事を公式に発表しています。 神道の祭祀である天皇家の歴史は神話を除いても 2000年あります。 この 近代50年近くの戦争の時期だけを捉え靖国神社の延長線上に存在する神道の存在を単純に否定し、切り離す事は出来ません。 神道が我が国の根幹と国家の体を成す物として、そして天皇と国民が真っ二つに対立したと言う要素が 2000年間全く無かったと言う歴史的事実に基づき、 神道がいかに国民国家と生活、価値観、自然観に深く根ざしている事かと言う事です。 また、神道や靖国神社を単純否定出来ないからと言って、これは同時に戦争がどのような物であったかと言う事実を無視する事でも軽視する事でも全くないと言う事です。 また大きな誤解がありますが、靖国神社と訣別したからと言ってそれが突然歴史から消えるわけでも責任を完遂する事を意味する物ではありません。 責任を果たさないと言う事が心の不在によって生じる物であれば、靖国を潰し訣別する事とは全く無関係なはずです。 靖国神社を存在させ、存立させ、後世に残す事こそ平和への希求と国の為に殉じた英霊を奉ると言う大きな意味と意義を持ちます。 また歴代内閣や閣僚、旧日本軍退役軍人またはその遺族によって構成される日本遺族会が靖国神社参拝をしている事実を無視する事は出来ません。 日本遺族会の反対で実現は無理でしたが、アメリカのブッシュ大統領の靖国神社参拝の希望がありました。 インド、フィリピンなどの東南アジア諸国の閣僚、軍人も靖国神社に参拝しています。 この事を考えても靖国神社は世界に受け入れられ、また支持されています。 私は靖国神社を非宗教施設と考えているので、代替施設も不要と考えています。 むしろ国事行為として靖国神社へ参拝する事の方が国家が責任を果たすと言う意味で重要だと考えています。 また歴代内閣は就任時に天皇陛下から就任状を承り伊勢神宮に参拝しています。 これは実質的国事行為ですが、自民党も公明党も民主党も非難はしていません。 靖国神社がどう言う施設であり、何の為の物で理念が何であるかを再確認し、 国事行為として参拝した方が立派に国家が責任を果たすと言う事になると私は意見を述べさせて頂き、発言を終わりたいと思います。 |
▼竜胆さん: 右翼軍国主義&天皇崇拝主義者が「英霊」などと言って靖国参りをすることに憤りを感ずる。すべて、日本の敗戦と共に自決すべきだった人達に連なる人たちではないか。 天皇と軍国主義によって、何千万もの人が死んだ。何億人もの人々が、いわれなき苦しみを受けた。支配者はまつりごとをする。しかし、そのまつりごとの結果には、おのずと責任をとらなければならない。 2000年にわたる天皇の権威はたしかに存在した、しかし、たった50年の出来事でそれは地に落ちた。 古い宗教観・迷信の類で神社に向かう人々はいよう。しかし、それらはすべて裸の王様だ。神社仏閣を利用するな。死者をもてあそぶな。死者は恨んでいる、天皇制軍国主義を。すべての母も恨んでいる。靖国や過去や戦争を賛美するのは、ずるい男たちだけだ。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼竜胆さん: >右翼軍国主義&天皇崇拝主義者が「英霊」などと言って靖国参りをすることに憤りを感ずる。すべて、日本の敗戦と共に自決すべきだった人達に連なる人たちではないか。 軍国主義とは無縁の小さな子供達までがきちんとお参りします。 また靖国神社の周辺には所謂。「名門校」も多々存在します。 これら学校の生徒さんも学校の行き帰りにはこと有るごとに本殿にお辞儀 しています。私は未だ参拝したことはありません。 靖国と聞いただけで決め付けるのは、間違っています。 >天皇と軍国主義によって、何千万もの人が死んだ。何億人もの人々が、いわれなき苦しみを受けた。支配者はまつりごとをする。しかし、そのまつりごとの結果には、おのずと責任をとらなければならない。 具体的な数字を示してください。苦しみを受けたと云う方が正確に何人か? >2000年にわたる天皇の権威はたしかに存在した、しかし、たった50年の出来事でそれは地に落ちた。 >古い宗教観・迷信の類で神社に向かう人々はいよう。しかし、それらはすべて裸の王様だ。神社仏閣を利用するな。死者をもてあそぶな。死者は恨んでいる、天皇制軍国主義を。すべての母も恨んでいる。靖国や過去や戦争を賛美するのは、ずるい男たちだけだ。 御自分の価値観を提示なさるのは結構なことですが、全てを否定するのは 如何なものかと思います。竜胆さんは持論を述べられただけで・・ ウミサチヒコさんが、それに否定的なのは理解できますが、断言なさるのは 承服いたしかねます。 |
pierre様、こんばんは 拙い文章でしたが、今までの議論で話し合われたポイントと等を列挙してみました。 どんな戦争でも避け得ない戦争はありませんし、指導者が判断を誤れば国民は塗炭の苦しみを受けねばなりません、また多くの人間の支持を受ける以上、責任者は判断を誤った場合は何らかのペナルティを受けねばならぬのは当然の話ですし、それゆえ高い賃金を受け取っています。 事実として判明している事だけでも日本の行なった行為は許されるものではありません。 以前Hammeru様と話した事がありますが、日本がおかしくなった遠因は日清日露戦争に遡れると思います、あの頃より日本は少しづつおかしくなっていったと考えます。 私の叔父もシベリアの苛酷な環境で死亡していますし、もし叔父が生きていたら靖国神社に入りたいと果たして願ったであろうかと考えます。 所で以下は小泉首相の発言だそうです。 >A級戦犯合祀に抵抗感ない 首相、靖国参拝を継続 小泉純一郎首相は10日午後の衆院予算委員会で、首相就任以来、毎年参拝を続けている靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されていることについて「抵抗感を覚えていない」と明言した。同時に首相は、靖国参拝について「日本には死者にまでむち打つ感情はない。よその国からああしなさい、こうしなさいと言われ今までの気持ちを変える意思は全くない」と述べ、今後も参拝を続ける考えを強調した。 中国、韓国は従来、A級戦犯合祀を特に問題として首相の靖国参拝に反発してきた経緯がある。このため首相発言は、25日の第2回6カ国協議を前に、中韓両国との協力関係に悪影響を与える可能性もある。 首相は予算委終了後、記者団に対し、A級戦犯合祀に「全然こだわっていない」とあらためて強調するとともに、A級戦犯と一般の戦没者の違いについても「こだわっていな>い」と述べた。 発言を精査すると、合祀にこだわらないと言う事は、死者を平等に扱うと言う事でしょう、と言う事は、靖国に入るのが嫌だった故人や、遺族の意思も尊重すると言う事だと思いますが、この首相、その辺になると途端に分霊にこだわります。 後ろが透けて見え過ぎるので今更ですが、一般兵の御霊を隠れ蓑にして、戦犯を参拝する事が彼らの目的と言えましょう、靖国問題に関してこれだけ強固姿勢をとる議員が、アメリカの意思には全く逆らえないと言うのも真に皮肉な話です。 この辺りに内には強気だが、外には弱気な与党の体質が見て取れます、誰が見ても問題があり過ぎる靖国問題、やはりスッキリさせるには戦犯と一般兵は分けるべきでしょう。 |
▼ニックさん、こんばんわ。 私は神社などなくなってしまえばいいと思っているんです。迷信や宗教がなくなる世界を望みます。だから「合祇」だ「分祇」だの話は全然興味ありません。一般兵も幹部もありません、みんな醜い人間に成り下がったのです。 Nothing to kill or die for, and no religion too.という風に、J.レノンも歌っています。遠い遠い先の話ですね。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼ニックさん、こんばんわ。 >私は神社などなくなってしまえばいいと思っているんです。迷信や宗教がなくなる世界を望みます。だから「合祇」だ「分祇」だの話は全然興味ありません。一般兵も幹部もありません、みんな醜い人間に成り下がったのです。 >Nothing to kill or die for, and no religion too.という風に、J.レノンも歌っています。遠い遠い先の話ですね。 ウミサチヒコ様、こんにちは(^^) 書き込み拝見させて頂いております、凄いバイタリティですね。 所で、私も宗教には懐疑的です、ただ哲学と捉えると仏教などは面白いとは思っていますが、どこぞの宗教の様に、教祖様を崇めれば極楽へ行けるなどのような訳のわからない宗教が多すぎますね。 神道の由来は、私は中国に有ると思っています、伏儀と女渦は中国の国作りの神様ですが、話が日本のいざなぎといざなみの国作りに似ていますし、男女共同で国を作ると言うテーマもそっくりです。 中国からもたらされたそれらの話が、日本の土着神話と融合して八百万の神の国になったと考えていますが、それにしても作法や形式などはその成立過程で少しづつ出来あがってきたものですから、分霊は出来ないなどと言う事はないはずで、霊を分ける事が出来ないのであれば霊を合わせる事も出来ない訳です。 こちらはOKだがあちらは駄目と言うのは、決まり以前に、それをする事を許さぬ何らかの意思が働いている事を強く匂わせます。 小泉首相は戦犯が祭られて居る事には一向に頓着が無いと言っていますが、その発言の意図がみえみえですね。 世界では宗教の名の元に無数の殺し合いがありますが、一方でそれを宝玉の様に大事にしている民族も居る訳ですが、私個人は宗教は必要無しと考えています。(歴史として学ぶのは楽しいですけどね(^^;)) |
>まず一つは有名な満州の占領です、これを占領ではなく満州人の解放に日本は手助けをしたのだと都合の良い解釈をして正当化されている方もいらっしゃいますが、満州国皇帝溥儀の後ろに帝国軍の影があった事は既に明白となっており、とても正当化できる代物では無いと考えます。 一つ聞こう。満州は誰の物だった?当時の中国にとっては万里の長城より外の地であり、蒋介石も知らんふりをしていた。 当時の満州には清朝の時代の立ち入り禁止令(女真族の故郷として漢人の立ち入りが禁止された)を無視して入り込んでた中国人、朝鮮半島から移住した朝鮮人(当時は日本人)、そして日本人がいた。中国人は「賢い」から朝鮮人や日本人の開拓者が土地を開ききってから自分のものだと主張し始めた。いわゆる横取りってやつだ。 それに加えて中華思想から差別意識によって朝鮮人は中国人に迫害された(この事で不利益をこうむった朝鮮人が「創氏改名」を求めた)。生粋の日本人に対してもいつ暴力が加えられるか分からなかった。 こう言う時に紛争を未然に防ぐのが統治者の役目だが、満州は無主の土地だったから調停するものがいなかった。満州事変には自国民保護の側面もあった。 >ただ大事なのは、外部から見ればそうですが、では内部、つまり日本人が見た戦争指導者には罪が無かったと言えるでしょうか?、それは今の小泉政権などと同じで、当然に国家を指導する立場にあったものは、その国家に与えた損害に匹敵する罪が存在すると考えます。 問題をすりかえてはいけない。問題は勝者が敗者を裁く事に正当性があるかどうかだ。論点を摩り替えてはいけない。 >金銭的な損害であれば引退や賠償で済むでしょうが、大量に似非右翼の方々がお好きな表現の、「同朋」の命を無意味に奪った立場からすれば、死刑や無期懲役になるのは当然であったろうと思います。 エセ左翼のニックさん。「同胞」です。使い慣れない言葉を使う物ではない。 >負けたから「悪」と言うのは戦勝国の勝手な言い草です、その点では私も異論がありますが、問題は無数に殺害されたアジア各国の国民や、無駄な事で命を落した日本国民の視点に立った時に一体何が見えてくるのかと言う事です、戦犯は存在すると言うのはつまりそう言う事です。 ちょっと待った。アジアに独立国はいくつあった?そして彼らを支配したのは誰だった? |
▼ニックさん: > >そのような点を考え、政府が戦犯崇拝を、多数の一般兵を祭って居る事で誤魔化し、靖国自身は、分霊すると自身の儲けが無くなってしまうことを恐れ、分霊に対して反対して居る事を私達は良く考えなければ行けないでしょう。 「分祀」というのは可能なんですが、これは勧請(かんじょう)と申しまして、別の神社においても祭神を祀るということが出来るという(大国主命などは多くの神社に祀られていますが)事でして、もともと祀っている神社から祭神を追い出すという事は出来ません。 戦時下においてなくなられた方のみたまを御祀りしているのでありますから、昭和27年までの戦争下において敵によって捕縛され殺害された方は当然にお祀りされるわけでして、その個人的評価を問うてお祀りしている訳ではありません。 分隊長クラスでも判断を誤って部下を徒に死なせてしまう場合もありますが、この分隊長をして「判断を誤り部下をしに招いた」として祀るべきでない、とは言えないでしょう。将官クラスにおいても同じことだと考えます。 |
どなたかが書いてらっしゃいましたが、戦後わざわざそこに含まれていなかった戦犯を靖国に合祀した事にそもそもの原因があると考えます、靖国自体政治色の強いものであり、そもそも日本では特殊な例(例えば平将門や菅原道真等)の様に、強い恨みを持って死んだ人間などは「神」として祭りましたが、一般人は神と言うよりは石碑を建てたりお寺に葬っていましたので、一般人を「神」として祭る風習は日本では殆ど存在しなかったのですが、明治維新の頃に地方の小さな神社が、戦死者を神格化して祭っていた事に目を付けた軍部が、それを皇室ご指定神社として強引に格式を与え、天皇の為に死ぬ事は名誉な事なのだとマインドコントロールし、死を恐れぬ兵隊に仕立て上げようとしたのがそもそもの始まりです。 この辺りから見ても既に、当時から政治と切り離せない関係の神社であった事は確かで、今の創価学会が国のご指定で指定宗教になり、軍部の死者は創価学会に祭られるのと同じ事ですから、その関係上当然に政府関係者の公式訪問は違法になりますし、政府が指名して靖国に戦犯を祭る事も違法と言う事になります。 叉先般も申し上げました様に、故人の意思と言うものもありますから、何でもかんでも祭れば良いと言うものでは無いと考えます、真に慰霊するだけが目的ならば、何も靖国にこだわる必要は無い訳です。 最も靖国で無いと困るのだと言う明確な理由でもあれば別ですが、政府高官の考えるその理由は、一般社会では到底口に出来ないものでしょう、であるから屁理屈を付けて何のかんのと言いながら反対しますが、上記であげました様に憲法問題と故人の意思の問題、国益の問題を考えるのであれば分霊するのが最良の方法と考えます。 一番の問題は「慰霊する心」なのであって、それが靖国である必要は無いと言う訳です、それぞれの地方にはそれぞれのお寺があり神社があるのですから、国家として作るものは慰霊碑などで十分と考えます(違法問題も解決されますし) |
▼ニックさん: もともと、神道では悪魔と神の二元論ではなく、すさぶる面、おだやかな面を内包して神として崇敬しています(荒=あらみたま/和魂=にぎみたま)。 そういう意味において、神道では死者を選別して「聖人」とか「聖人だから神」ということをしません(カトリックでは多くの聖人をローマ法王庁で決定しているようですが、伊勢神宮や天皇家の祭祀においてそういったことをしているわけではありません)。 そうしますと、この八百万神の中からこの神社ではどの神様をお祀りするのか、という事においてのみ、人間が決定する事項になるわけです。 NICさんにしても、NICさんがどう捉えられるかは別にして、死後、神々の一柱となることを信じている(私にしても)のが神道の死生観で、 ・死んだら神のもとへゆける というものではなく ・死んだら神々の世界へ迎えられる というのが神道のありようであります。 絶対神が存在せず、「悪魔」が存在しないことに特徴があります。 私は仏教徒ではないので浅学にして仏教での死者へのアプローチは詳しくは知らないのですが。 中央に幕府があり、幕府が中央の権力を持つ正統性があったのは征夷大将軍の称号をシステムとしてだけでも皇室から与えられていたからでして、つまるところ天皇の存在があって、以下ユナイテッド・ステイツだったのが江戸時代だったと捉えています。それがいわば統一政権を作り日本として国策を遂行することになった際、ここで殉じられた方の御霊(耡⊃声劼「△辰討發覆C討眇棲覆「△襪海箸呂翰Q鯆困韻泙靴腓Α砲鬚いC砲瘋C蠅垢襪里C箸いケ「ハ簑蠅砲覆辰討C泙后」 そこで東京招魂社――耡⊃声劼箸覆辰燭里世隼廚い泙后」 >どなたかが書いてらっしゃいましたが、戦後わざわざそこに含まれていなかった戦犯を靖国に合祀した事にそもそもの原因があると考えます、 いや、松井大将や東條大将の個人的な業績の評価に関係なく、昭和27年までの戦争状態の中で敵方に捕縛され殺害された、ここが問題なわけです。 >国益の問題を考えるのであれば分霊するのが最良の方法と考えます。 いや、ですから勧請はできても、祀られているものを追い出すことは出来ないんですよ。これは政治的問題じゃなくて神社神道の問題です。 >一番の問題は「慰霊する心」なのであって、 それはその通りですね。 >それが靖国である必要は無いと言う訳です、 そこに、中心的施設としての耡⊃声劼「△辰徳海襪戮C世隼廚い泙后」 実際、日本軍将兵は死して耡△麻C蕕譴觧「鯡鸞C気譴得鐫呂濃恐擇気譴△襪い賄┐吠畴C気貉Τ欧気譴燭錣韻任△蠅泙后」 そこで、耡⊃声劼鯀続阿垢襪海箸蓮キ餡箸砲茲訐鑠弃冦遒悗領∪擇蟾坩戮砲覆辰討靴泙Α」 |
▼つるみさん: 神社・仏閣にお参りしたりしますが、本気でみなさんしているかどうかとなると、まったくそうではないと思います。裸の王様と同じで、そんなのウソだ、と誰かが言えばみな、それはそうだと気付くでしょう。言うまでもなく、かもしれませんが。 物の道理や真実を知らないのが不安で人は宗教や迷信に走りますが、それが一概に悪いとは申しませんが、私は宗教には懐疑的です。暴走族に走るよりはまし、という程度に考えておりますが、大きく考えると、逆に暴走族の方がまし、かも知れません。 愛国心とかも、似たようなものです。 男(女でもいい)が彼女(彼氏)に振られても、「それでも私は彼女(彼)を愛してる」と言えば、なにか美しい響きが感じられます。それと同じで、どんなにその国にバカにされようが、どんなに自分が日々の生活でミジメにしていようが、「それでも私は国を愛してる」と言えば、ああなんて心の豊かな人だろうと思われると人は思い込むのではないでしょうか。愛国心とは、そうした一種マスターベーションです。ああオレはいい家族を持っているんだ、ああいい国に住んでいるんだと、だれでも思いたいですよね。そうした心理に便乗して愛国心とやらを煽り立てる、ということがあると思うのです。 小泉総理あたりが、靖国に参拝するのも、エセ心理です。彼のどこを切り取れば、死者に対する云々などということが感じられるのでしょうか。自分(テメぇ)が遺族会の支持で政治家やってられるから、いやいやお参りしているにすぎない。で、中国・韓国から反発喰らう。日本の戦死者は300万人だが、中国の戦死者は1000万と、娘の社会の資料に載っていたが、他国に土足で踏み込まれてそれでは、確かに恨みも残ろう。他の東南アジアは900万人だ。2000万も殺して何が大東亜共栄圏だ、笑わせるなというか、ふざけるなというか、A級戦犯数人が首をくくって済む問題ではあるまい。皇室なんて(ぶっ)潰して、世界遺産登録だ。 しかし、いい時代になった、こんなことがカキコできるのだから。日本バンザイ。 |
>中国の戦死者は1000万と、娘の社会の資料に載っていたが 第二次世界大戦後 中国国民党は438万人の死者だと言っていましたが1985年の「抗日勝利40周年記念会」では2100万人に増えており2003年では3500万人にまで増えていますよ。(これらは中国側の公式発表。引用は小林よしのり『戦争論・2』でさらにそのソースの出所不明だから信用度はやや低い) でも1989年の米誌『USニュース&ワールドレポート』(太平洋戦争50周年記念号)では、「中国側の死者総数は220万人、そのうち軍人が135万人、民衆は85万人」とされています。そして終戦当時に中国政府が戦争当事者として公式発表した文書「対日戦争勝利の結果」では中国側の戦死者は131万9958人、戦傷者は176万1335人となっています。日中戦争の中国側の戦死者は政府の公式発表でさえ132万〜3500万という凄まじくいい加減な数字になっているのが現状ですよ。正直、教科書の数字などあてになりません。 ま、戦争中だから死者がなかったと言ったらうそになるけれど・・・。 全て日本軍との戦闘で死んだか死者の数か?というと実はそうでもないらしいのが現状。 参考資料: 昭和十三年十月毛沢東が部下に与えた指令 米陸軍ウェデマイヤー将軍著『第二次大戦に勝者なし』より 「中日戦争は、わが中国共産党にとって、党勢拡大のための絶好の機会を提供している。 わが党の一貫した政策は、その精力の七〇パーセントを党勢拡張に、二〇パーセントを国民党との取り引きに、残る一〇パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである。」 参考資料: 米陸軍ウェデマイヤー将軍著『第二次大戦に勝者なし』より 「中国共産党の主たる関心は、日本軍の攻撃によって国民政府軍が撤退したあとの地域を占領することにあったので、毛沢東や周恩来などの中国共産党指導者たちが、日本軍との戦争に関心を持っていないことを、私は知った。」 参考資料: 中国共産党 讃ネ拭。 『中国との友好交流二十年の感想』三岡健次郎著 平成七年中国政経懇談会より 「日本は中国を助けたことになっている。 ・・日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。 ・・皆さん(日本)だけ責めるのは不公平だと思う。」 参考資料: 中国共産党幹部 郭沫若の証言 「抗戦八年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へというふうにして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう。私はそういいきることができる。」 後、731部隊は人体実験などの非人道的な行為をしていたとして日本軍の悪事を宣伝するのに良く使われていますが証拠書類は全て米軍が押収してしまったので中共・韓国に詳細がわかるわけはないものとおもわれます。731部隊は、残虐で非人道的な部隊として有名なのは朝日新聞に載っていた小説がその根拠になっておりその後、この小説は「悪魔の飽食」という名前で単行本になりました。しかし、インチキ写真が多数使われ信用性はほぼゼロに近い。だいたい証拠書類は全て米軍が押収してしまったのに日本人が詳細な描写をかけるわけがありません。 ご存知の通り、731部隊は防疫給水部隊。 防疫給水部隊とは飲み水の管理が主な任務で軍隊で不衛生な満州の水質を使用する際に病原菌を検査したりするものであります。河川や井戸に中国やソ連の細菌兵器が混入されている可能性を考慮して日本も細菌や化学兵器のことを研究していたのです。それが731部隊が化学兵器を研究していた理由。捕虜を実験体に使っていたなどということはあくまで想像。仮に使っていたとしても、それを証明することはできないのません。証拠書類は全て米軍が押収しちゃってますから。 ちなみに証言だけでは普通の裁判に有罪にもっていくのが難しいかと・・・。 私は無宗教施設を建てることには意味がないかと思います。形はどうであり「死者」を祀っている以上宗教性が認められますから・・・。「無宗教」とか言いながら実態が伴っていないものになり金の無駄ですから・・・。 |
▼闇をまとう者さん: 実際の数字や出来事については、政府関係なりシンクタンクなりが、正確に発表すべきことで、ここら辺の研究が進んでいないとしたら、研究者としての正当なる好奇心が不足しているとしか思えません。政党関係者も事実に基づいてどこまで調査しているのか、興味あるところです。 個人的には、あまり深くその辺に首を突っ込んだり、マニアックに追求する気もありませんが。 また、戦死者のために慰霊塔を建てるとか、これも私には興味ありません。国が戦争に駆り立てておいて、慰霊塔を作って…などと考えると、それだけで怒りを感じます。これだけは言えます、死者を食い物にするな。 |
死者を食い物にするな。>>それを現在進行形でやっているのが、支那・南北朝鮮ですな。 |
>pierre様 はじめまして。源蔵と申します。 >>本来は「避け得ない戦争」などあり得ないのです。 戦争には「責める戦争」と「責められる戦争」があります。「責められ」ても座して死を待つのであれば仰るとおりと云う事なのでしょう。本当にそれで良いとお考えでしょうか。 |
▼pierreさん: > 小鉄さんへ > まだ日清、日露の場合は、始めた人たちに最初からその終わらせ方にまで配慮していたことがうかがわれます。しかし満州事変以降の戦争はどうですか。そういう冷静な判断力が日本の指導者たちになくなりました。まして米英を相手に開戦したのは、国を預かる人たちの愚かさ、無責任以外の何ものでもありません。天皇に戦争終結への展望を聞かれて、幾重にも希望的観測を連ねた回答で表面を糊塗しました。あのような指導者たちに、国民はその運命を預けていたのですから、やりきれない気持がするのです。 > 貴方は、背景に「コミンテルンの陰謀」、「様々な嫌がらせを行ったアメリカの思惑」があったといわれます。その通りだったのかも知れませんが、しかし開戦を決意したのは日本の指導者たちであり、結局その「陰謀」や「思惑」に易々と踊らされたのでしょうか。私は、そういうその日本の当時の指導者たちの言動の当否とその責任を問題にしているのであり、またその問題をないがしろにして済ましている靖国神社の姿勢を問題にしているのです。 正論です。小鉄さんの論理こそ自国の指導者をまるで被害者のように見立てて自虐的です。戦争の終わらせ方を考えない指導者を持ったことが国民の悲劇なのです。 |
まさに正論だと思います。 |
▼甲野四太郎さん: >まさに正論だと思います。 わたしもこのスレッドを立てたPierreさんにまったく同感です。 |
要するに、日本の総理大臣は全て中国の言いなりになれということですね。 もう一つの理由として、小泉首相の靖国神社参拝と 合祀されてるA級戦犯にも触れていましたが、 靖国神社が今物議をかもし出しているA級戦犯をの合祀を完了したのが、 1978年であり又それ以前も首相の靖国参拝は行われていましたし、 それ以降も当然行われていました。 しかし、今当然のように言われている、中国からの抗議などは一切無く (当然、韓国からもありませんでした。)非難しているのは、 左翼系機関誌と朝日新聞などの国内マスコミだけでした。 では、なぜ中国などからの非難を受ける様になったのでしょうか。 それは、A級戦犯合祀完了の7年後の 1985年中曽根首相の公式参拝からです。 この時、朝日などのマスコミで問題になった政治と宗教分離の問題がきっかけでした。 朝日新聞は、この公式参拝と宗教分離問題で大キャンペーンを展開したのですが、 政府に聞き入れてもらえず。 これ以降作戦を変更して、次年度の公式参拝に備えこれを中止させるべく、 次の様な手段に打ってでました。 その手段とは、A級戦犯合祀の靖国への政府首相の参拝は軍国主義に 復活でありこれを中国(北京)政府が黙認するのは、 日本軍国主義復活の黙認と同義であると中国政府へ朝日新聞の 記者は北京へ直接出向きご注進したのです。 この作戦が功を制し、文句を付けはじめたのが昭和60年(1985年) 靖国神社公式参拝関係年表 (反日教育が開始されたとされる年とピッタリ合います。) 中国の国を挙げての猛烈な参拝反対運動に発展して、 1986年の中曽根首相の公式参拝は中止となり、 以後、小泉首相の公式参拝まで中止になったしだいです。 そして、中国が「反日」姿勢を鮮明にしたのは、たかだか十数年、 江沢民が実権を握ってからに過ぎません。 90年代、江沢民が実権を握る過程で展開した愛国主義キャンペーンが主な原因です。 「たかじん」とは違い、別のTV番組のインタビューでも 興味深いことを言っていた若い中国人がいました。 Q「なんでこんな暴動になったと思う?」 A「だって日本や日本人はキライですもん」 Q「どうしてキライなの?」 A「解んないけど、感覚的に」 「たかじん」でコメントしていた留学生、そして中国に住む若者のコメントで、 1985年から始まった、小学生から脈々と刷り込まれる反日教育のせいで 無意識に日本が嫌いという感情が生まれるように改造された 末路の一部が見えたということでしょうか。 考える事を停止させる、カルト宗教の洗脳と同じようなものですね。 彼らも中国政府の犠牲になった哀れな存在ってことでしょう。 ただ靖国問題は、だんだん中国にとって便利なカードじゃなくて 重荷になりつつあるように思えます。 ネットやマンガで靖国神社のことを知り、 別に参拝しても悪くないし、抗議する方がおかしいと理解でき、 いくら朝日など左巻きが騒ごうとも、相手にされなくなりましたし。 抗議すればするほど、靖国神社の事を調べて真実を知る人が増えます。 1985年以前は、歴代総理が参拝しても問題にしていなかったように、 今になって、参拝は認めることにするとも言えないから、 中国側は、逆効果と思いながらも参拝のたびに抗議しなきゃいけない状況になり、 愛国教育として反日を刷り込まれた中国人は釣られて怒ると。 これは江沢民が全部悪いんだけど、まぁ13億の人間を縛るには これからも仮想敵国プロパガンダしかないでしょうね。 そこら辺のやり方は北朝鮮となんら変わりません。>> http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20040809 これを参照するまでも無く、私は佐藤栄作首相時代を知っている人間として言いましょう。当時は『靖国神社へ日本の首相が参拝するのは我慢出来ないアルヨ』という声は 全くありませんでしたなぁ。 |
▼pierreさん: > 小泉首相は、今年は8月15日に千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に、また8月6日には広島の、9日には長崎の原爆碑に参拝した。彼が靖国神社に行くととあれだけの騒ぎになるのに、これらの戦没者慰霊の施設に参拝しても、誰も何もいわない。それは中国や韓国でも同様だ。 > なぜそうなのか。私はここに大きな意味が含まれているように思えてならない。それは、戦没者を慰霊する施設は多々あるが、その中で靖国神社だけが特異な存在だからである。その特異性は、併設された軍事博物館「遊就館」の展示を見れば一目瞭然だ。そこでは明治維新以来、日本が戦って来た対外戦争、すなわち日清・日露をはじめ満州事変以来太平洋戦争までの戦争について、 貴方は基本的な認識が間違っています。遊就館は所謂、「軍事博物館」などではございません。 >「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦い」(靖国神社HomePageより) >と、そのすべてを肯定しているのである。あの戦争をこのように捉える限り、その結果死に追いやられた兵士たちも、追いやった将官たちも、区別なく「英霊」とされてしまうのである。そして、これらの戦争を「避け得なかった」と見る以上、それはこれからも避けがたい戦争を戦うときがあり得ることを含意しているのである。それに対して、千鳥ヶ淵、原爆碑、あるいは沖縄の平和の礎などは、あの戦争への反省、不戦、戦没者への悼み、平和の希求に満ちている。 > 小泉首相は戦没者追悼式の式辞で「不戦の誓い」を堅持すると表明したが、それが本心なら、靖国神社への参拝を止めるべきだ。少なくとも首相在任中は行くべきではない。それはかってあの史上類を見ない惨禍に国民を陥れ、そして近隣諸国に甚大な被害を及ぼした国の権力者が、引き続き堅持すべき最低限の姿勢である、と私は考える。 追いやった将官!?その言葉は将校の子孫である私は看過出来ませんね。 士官たる軍人は、戦場に於いて兵を自分より先に出すことは、偵察以外には ありませんでした。これは紛れもない事実です。 疑問でしたら、経験者の方に聞いてください。 それぞれが、国の為に、命を賭けて戦ったわけですから、分け隔てなく、 合祀されるのが道理でしょう。 国が、国民が。これら御霊に感謝するのは当然です。英雄視しろというのではなく。「感謝」するという心ですよ。 従って、国民の代表である「首相」が参拝するのは「当然」ですね。 |
▼みなさま: こんばんは、Ray@スタッフです。 このスレッドの書き込み数はまだ30余りですが、 靖国神社をめぐるスレッドが複数にわたっていますので、 「靖国神社を考える・2」として新たなスレッドを立てて 関連の議論を一つのスレッドにまとめようと思います。 以後のご議論は新スレッドをご利用下さいますよう よろしくお願い申し上げます。 |