Page 1438 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼簡単に納得しない、ということ。 ぎみゆら 04/9/9(木) 23:43 ┗Re(1):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/12(日) 14:27 ┣Re(2):簡単に納得しない、ということ。 ぎみゆら 04/9/12(日) 20:00 ┣Re(2):簡単に納得しない、ということ。 Gokai Sezutomo 04/9/12(日) 20:01 ┃ ┗Re(3):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/14(火) 1:51 ┃ ┗Re(4):簡単に納得しない、ということ。 Gokai Sezutomo 04/9/14(火) 20:49 ┃ ┗Re(5):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/15(水) 19:22 ┃ ┣Re(6):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/15(水) 19:32 ┃ ┃ ┗Re(7):簡単に納得しない、ということ。 悠々 04/9/16(木) 9:09 ┃ ┃ ┗Re(8):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/16(木) 19:04 ┃ ┣Re(6):簡単に納得しない、ということ。 Gokai Sezutomo 04/9/15(水) 21:15 ┃ ┃ ┗Re(7):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/16(木) 18:49 ┃ ┗Re(6):簡単に納得しない、ということ。 ウミサチヒコ 04/9/15(水) 21:43 ┃ ┗Re(7):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/16(木) 18:58 ┃ ┗Re(8):簡単に納得しない、ということ。 ウミサチヒコ 04/9/16(木) 21:44 ┃ ┗Re(9):簡単に納得しない、ということ。 団塊党 04/9/17(金) 19:47 ┣Re(2):やってみるのが一番 王里 04/9/12(日) 21:58 ┗Re(2):簡単に納得しない、ということ。 桃李 04/9/12(日) 22:39 ┗みなさん有り難うございます 団塊党 04/9/14(火) 1:39 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 簡単に納得しない、ということ。 ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp> ■日付 : 04/9/9(木) 23:43 -------------------------------------------------------------------------
みなさん、こんにちは。 この掲示板で既に何人かの方が話題にしている、『茶色の朝』 という本を、私も遅まきながら、先日機会があって読みました。 『茶色の朝』(大月書店、2003年) フランク・パヴロフ/物語 高橋哲哉/メッセージ 世の中がだんだん茶色一色に染まっていく。犬も、新聞も、人も。 そんな寓話を、ユニークな挿絵と共に上手に編集した小さな本です。 正直言って、この種のメッセージ性の強い寓話は、どちらかというと 私は苦手なんですが、この本は、割とすんなり素直に読めました。 * 「へぇー」と思ったことがあります。 「やり過ごさないこと、考え続けること」と題したメッセージを、 哲学者の高橋哲哉氏が寄せています。これが、私がここ数年で 何度か仕事をご一緒した、ある精神科医の先生に繰り返し教わった ことと、よく似ているのです。 人はつらくなると、ものの見方が狭くなったり、特定の感情に 凝り固まったりする。そんなときに、視点を広く、柔らかく、 現実をゆっくり眺め直す。それが、心の健康にとって大切なこと。 その先生がいつも言うのは、だいたいそんなことなんです。 * 「じゃあ、結局、どうしたらいいんでしょうか?」 あるとき私が、そんなふうに不躾に尋ねたところ、先生は、 「うーん、……」としばらく黙り込んでから、こう呟きました。 「簡単に納得しない。っていうこと。ですかねぇ……」 一人ひとりが、できるだけすこやかな気持ちで生きていくこと。 いろんな人たちがそれぞれに、妙な遠慮をせずに暮らせる世の中。 大事なことは、どっちにもけっこう通じるところがあるのかも しれない。そんなことを、あらためて考えました。 |
▼ぎみゆらさん: >人はつらくなると、ものの見方が狭くなったり、特定の感情に >凝り固まったりする。そんなときに、視点を広く、柔らかく、 >現実をゆっくり眺め直す。それが、心の健康にとって大切なこと。 >その先生がいつも言うのは、だいたいそんなことなんです。 苦しんだり自暴自棄になっていたりする子どもや大人に聞かせてあげたい言葉ですね。 実は私自身も今、自分の仕事に行き詰まっているのです。 朝、学校に行くのが大変重い気持ちです。 目の前にいる子どもはもう私のこれまでやってきた方法では通用しないなと思うことが度々あります。 ちょっと大変なクラスなんです。 ここで思い切って発想の転換をする必要を感じています。 苦しいですが、ここが正念場。 「良い授業、うまい授業」ではなく「子どもと一緒に楽しむ授業」に切り替えてみようというのが今の気持ちです。 そう簡単にはいかないでしょうが、失敗はしてもいいと開き直っています。 >「じゃあ、結局、どうしたらいいんでしょうか?」 >あるとき私が、そんなふうに不躾に尋ねたところ、先生は、 >「うーん、……」としばらく黙り込んでから、こう呟きました。 >「簡単に納得しない。っていうこと。ですかねぇ……」 |
団塊党さん、お久しぶりです。 現場のご苦労を知らずに、あえて脳天気に言ってしまいますが、 開き直るお覚悟ができたのなら、それ自体、一歩も二歩も前進と お考えになってもいいのではないでしょうか。 やはり、私に「視点を固定せずに、やわらかく」と教えてくれた、 その精神科医から教わったことですが、「仕方がない」っていう のは、自分で心底そう思わないと意味がない、っていうんです。 たとえば失恋でも、何か大失敗でも、周りがいくら「済んだことは 仕方がない。あなたが悪いわけじゃないよ」と慰めても、本人が 心からそう思わなければ、あまり意味がない。 言われてみると、至極当たり前のことなんですけど、でもほんとに その通りだと思います。なんとか、いい方向への糸口が見つかる ことを、心よりお祈りしています。 |
▼団塊党さん:こんにちは、 不躾にお尋ねします。 『善悪の判断基準は?』と尋ねられるとどのようにお答えになられますか? 実は、私はこの事が教育の基本ではないかと思っているのです。 これが解からないと、教育も、家庭での躾もその結果は、運任せといっても言い過ぎではないように感じます。 >▼ぎみゆらさん: > >>人はつらくなると、ものの見方が狭くなったり、特定の感情に >>凝り固まったりする。そんなときに、視点を広く、柔らかく、 >>現実をゆっくり眺め直す。それが、心の健康にとって大切なこと。 >>その先生がいつも言うのは、だいたいそんなことなんです。 > >苦しんだり自暴自棄になっていたりする子どもや大人に聞かせてあげたい言葉ですね。 > >実は私自身も今、自分の仕事に行き詰まっているのです。 >朝、学校に行くのが大変重い気持ちです。 >目の前にいる子どもはもう私のこれまでやってきた方法では通用しないなと思うことが度々あります。 >ちょっと大変なクラスなんです。 > >ここで思い切って発想の転換をする必要を感じています。 >苦しいですが、ここが正念場。 >「良い授業、うまい授業」ではなく「子どもと一緒に楽しむ授業」に切り替えてみようというのが今の気持ちです。 >そう簡単にはいかないでしょうが、失敗はしてもいいと開き直っています。 > >>「じゃあ、結局、どうしたらいいんでしょうか?」 >>あるとき私が、そんなふうに不躾に尋ねたところ、先生は、 >>「うーん、……」としばらく黙り込んでから、こう呟きました。 >>「簡単に納得しない。っていうこと。ですかねぇ……」 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 『善悪の判断基準は?』と尋ねられるとどのようにお答えになられますか? >実は、私はこの事が教育の基本ではないかと思っているのです。 > > これが解からないと、教育も、家庭での躾もその結果は、運任せといっても言い過ぎではないように感じます。 私の教室では、「友達の嫌がることをしない」ということです。 ただ、その場合お題目だけ言い聞かせても子どもには通じません。 問題が起こったとき、どうすれば良いかをいじめた方いじめられた方、双方の立場から考えさせます。 |
▼団塊党さん:こんにちは、お答え有難うございます。 お題目だけでなく実地に行うことにより、予想以上の効果が現れる可能性があるでしょうね。 それはそれとして、再度お尋ねしたいと思います。 善悪の教え方はわかりましたが、・・・ 善悪の判断基準も、「人の嫌がることをしない。」ということでよろしいのでしょうか。自信がおありですか。お考えが変わることは殆んどなさそうですか。 また、他の先生も同じお考えでしょうか。 子供にとって、『善悪の判断基準』はウエイトの大きなルールだと思うのです。 担任が変わるたびにルールが変わるなんて、子供に取ったら、たまったもんじゃないと云う気もするのです。 他の先生だけじゃありません。子供の親では?近所のおじさんおばさん?テレビでの善悪の判断基準は? それら全部に、皆それぞれに、考えやルールが違えば、子供たちはどのルールを覚えれば良いのか解からなくなるんじゃないかと思うのですが、如何でしょうか? >▼Gokai Sezutomoさん: > >> 『善悪の判断基準は?』と尋ねられるとどのようにお答えになられますか? >>実は、私はこの事が教育の基本ではないかと思っているのです。 >> >> これが解からないと、教育も、家庭での躾もその結果は、運任せといっても言い過ぎではないように感じます。 > >私の教室では、「友達の嫌がることをしない」ということです。 >ただ、その場合お題目だけ言い聞かせても子どもには通じません。 >問題が起こったとき、どうすれば良いかをいじめた方いじめられた方、双方の立場から考えさせます。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 善悪の教え方はわかりましたが、・・・ >善悪の判断基準も、「人の嫌がることをしない。」ということでよろしいのでしょうか。自信がおありですか。お考えが変わることは殆んどなさそうですか。 教室で起こるトラブルのほとんどは、相手の気持ちや迷惑を考えないことが原因で起こります。 ですから、繰り返しこのことを教えています。 しかし、問題行動を起こす子のほとんどは何らかの心理的原因を持っていますので、ただ教えたからそれで問題が解決するということはほとんどありません。 自分が受け入れられたとか認められた、あるいは自分の力が発揮できたとか、自己肯定的な体験をさせることが大切です。 善悪の判断基準をどこに置くかと言うことよりも、いかにきめ細かく一人一人に対応していくかということが現実問題として私は切実です。 > 子供にとって、『善悪の判断基準』はウエイトの大きなルールだと思うのです。 > 担任が変わるたびにルールが変わるなんて、子供に取ったら、たまったもんじゃないと云う気もするのです。 もちろん共通な部分(学校の決まり)は必要ですが、担任の個性によって力を入れるところ(クラスの決まり)が違って良いと思います。 家庭も同じです。 学校と家庭がすべて共通である必要はないと思います。 ただ、仰るように全く反対の価値観で対立するようなことがあれば問題ですが・・・ |
▼Gokai Sezutomoさん: あなたの善悪の判断基準は何でしょうか? |
横レスで失礼いたします。 団塊党さん、おまちかねの方が意見交換の場に復帰なさいました。 心強いことですね。 |
▼悠々さん: >団塊党さん、おまちかねの方が意見交換の場に復帰なさいました。 >心強いことですね。 意見交換の場をさっそく覗いてみました。 北の老兵さん、帰って来られましたね。 お元気で良かった! ビッグニュースを有り難うございます。 |
▼団塊党さん:こんにちは >善悪の判断基準をどこに置くかと言うことよりも、いかにきめ細かく一人一人に対応していくかということが現実問題として私は切実です。 > 貴方ほどの子供に対する想いがあれば、貴方の前では子供たちは正しく育っていくことでしょうね。そしてそれを心の礎として、いずれは、貴方の考えから羽ばたける程の力を持つ子も出てきそうです。けれども・・・ > >> 子供にとって、『善悪の判断基準』はウエイトの大きなルールだと思うのです。 >> 担任が変わるたびにルールが変わるなんて、子供に取ったら、たまったもんじゃないと云う気もするのです。 > >もちろん共通な部分(学校の決まり)は必要ですが、担任の個性によって力を入れるところ(クラスの決まり)が違って良いと思います。 >家庭も同じです。 >学校と家庭がすべて共通である必要はないと思います。 >ただ、仰るように全く反対の価値観で対立するようなことがあれば問題ですが・・・ ルールを明確に決めてあげるほうが、子供たちは迷わなくてなくてすむと思います。私は子供たちを『水と』同じように喩えて考えています。 『水は方円の器に従う。』と云われるかと思いますが、 子供たちは、方円の器というようなルールを常に探している生き物だと感じるのです。子供たちは器によってはどのような形にもなれますが、解かり易い、且つ、どのようなときも辻褄の合うルールは一体何なんだろうと、子供たちは無意識のうちに捜していると感じるのです。 それさえ守っていれば、周囲からの愛情や優しさや自己の存在ををいつでも思い通りに得ることが出来、そして自由に行動できるという希望も持つことが出来るはずだと、直感的に子供たちは感じていると思うのです。 問題児が多いといわれる現今は、ルールは不安定だが、愛情だけはある中で大きくなってきた子供たちが増えてきたのではないかと思っています。 尚、『私の善悪の判断基準』を披露することはとりあえずは、ご遠慮したいと思いますが、子供たちのために、先生方の間で、あるいは、PTAや地域も含めて、『善悪の判断基準』は何が適当であるかを議論し、コンセンサスらしきものをを得られないものかと、長年、思ってきましたもので、そのことをお伝えできたらと考えました。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > 問題児が多いといわれる現今は、ルールは不安定だが、愛情だけはある中で大きくなってきた子供たちが増えてきたのではないかと思っています。 我が家ではこれこれにはうるさいときっぱり言える家庭は少ないでしょうね。 母親のその時の気分や思いつきで、許されたり許されなかったりする。 そういう育ち方をしている子どもは確かに多いです。 学校で見ていても、「この子はこういう事に関しては、家でしっかりしつけられている」と感じることは非常に少ないです。 愛情についても、果たしてどこまで本物なのか。 親のエゴと結びついているような匂いを感じることも多いです。 > 尚、『私の善悪の判断基準』を披露することはとりあえずは、ご遠慮したいと思いますが、子供たちのために、先生方の間で、あるいは、PTAや地域も含めて、『善悪の判断基準』は何が適当であるかを議論し、コンセンサスらしきものをを得られないものかと、長年、思ってきましたもので、そのことをお伝えできたらと考えました。 コンセンサスを得ることは可能だと思います。 しかし、それ以上に地域で子どもの教育に関心を持ち、よその子でも親しく声かけをしていくというような雰囲気を作ることがまず先決じゃないかと思います。 |
▼団塊党さん: ごぶさたです。 >自分が受け入れられたとか認められた、あるいは自分の力が発揮できたとか、自己肯定的な体験をさせることが大切です。 これに尽きると思います。子供(人間)にとって、そういう体験は、実は一生に何度もないことなのですが、ほんの少しのその体験を頼りに生きていくようです。 |
▼ウミサチヒコさん: >>自分が受け入れられたとか認められた、あるいは自分の力が発揮できたとか、自己肯定的な体験をさせることが大切です。 > >これに尽きると思います。子供(人間)にとって、そういう体験は、実は一生に何度もないことなのですが、ほんの少しのその体験を頼りに生きていくようです。 大阪での会は盛り上がりそうですね。 成功を祈ります。 大人(教師)が何気なく投げかけた言葉を、子どもは一生覚えているということはよくあると思います。 私はへたな鉄砲数打ちゃあ当たるで、子どもに声かけをしています。 一つでもホームランが出れば最高ですが・・・ |
▼団塊党さん: >▼ウミサチヒコさん: > >>>自分が受け入れられたとか認められた、あるいは自分の力が発揮できたとか、自己肯定的な体験をさせることが大切です。 >> >>これに尽きると思います。子供(人間)にとって、そういう体験は、実は一生に何度もないことなのですが、ほんの少しのその体験を頼りに生きていくようです。 > >大阪での会は盛り上がりそうですね。 >成功を祈ります。 > >大人(教師)が何気なく投げかけた言葉を、子どもは一生覚えているということはよくあると思います。 > >私はへたな鉄砲数打ちゃあ当たるで、子どもに声かけをしています。 >一つでもホームランが出れば最高ですが・・・ 団塊党さん 自分のことを例に上げるのは気恥かしい(似合わない?)ですが、いいことも悪いことも学校時代のことはほとんど気にしない私ですが、中学2年の時、理科の授業で、こんなことがありました。 理科の濃沼先生「結晶を水に溶かそうとする時、くずしてから混ぜると溶けやすくなる。なぜだろう?」 生徒たち「…」「…」 私「表面積が大きくなるから!」 濃沼先生は、私を見とめて叫んだ。 「そう!」 濃沼先生の目は輝いていた。私も先生の授業に「協力」できて嬉しかった。私はそれ以来、理科がますます好きになった。 濃沼先生については後日談がありますが、それは置いといて… |
▼ウミサチヒコさん: >理科の濃沼先生「結晶を水に溶かそうとする時、くずしてから混ぜると溶けやすくなる。なぜだろう?」 >生徒たち「…」「…」 >私「表面積が大きくなるから!」 >濃沼先生は、私を見とめて叫んだ。 >「そう!」 >濃沼先生の目は輝いていた。私も先生の授業に「協力」できて嬉しかった。私はそれ以来、理科がますます好きになった。 > >濃沼先生については後日談がありますが、それは置いといて… 教師の仕事のこれぞ象徴的なシーンですね。 こういう瞬間を創り出すために教師は教材研究に力を入れているわけです。 マニュアル通りの授業では絶対にこうはならないですからね。 濃沼先生はきっとアヒルの水かきと一緒で、見えないところで努力されていたのでしょう。 それが、先生の目を輝かせ、生徒であるウミサチヒコさんの心を捉えた。 いい話ですね。 |
▼団塊党さん:こんばんわ。横から口だしし失礼な言い方をします。ごめんなさい。 教師として、ご自分のこれまでの教え方に自信が持てなくなっていらっしゃるんでしょうか。もしそうだとしたら、教え方を子供と一緒に楽しむ授業に切り替えられるのも結構だと思います。それでも、クラスの全てが貴方の思うようになるかどうかは分かりません。門外漢が口だすことでないですが、完璧な教え方というのがあるのでしょうか。あなたの長い経験に基づいて良いと思われることは、やってみられるのが一番だと思います。 >私自身も今、自分の仕事に行き詰まっているのです。 >朝、学校に行くのが大変重い気持ちです。 >目の前にいる子どもはもう私のこれまでやってきた方法では通用しないなと思うことが度々あります。 >ちょっと大変なクラスなんです。 > >ここで思い切って発想の転換をする必要を感じています。 >苦しいですが、ここが正念場。 >「良い授業、うまい授業」ではなく「子どもと一緒に楽しむ授業」に切り替えてみようというのが今の気持ちです。 >そう簡単にはいかないでしょうが、失敗はしてもいいと開き直っています。 > |
▼団塊党さん: >▼ぎみゆらさん: > >>人はつらくなると、ものの見方が狭くなったり、特定の感情に >>凝り固まったりする。そんなときに、視点を広く、柔らかく、 >>現実をゆっくり眺め直す。それが、心の健康にとって大切なこと。 >>その先生がいつも言うのは、だいたいそんなことなんです。 > >苦しんだり自暴自棄になっていたりする子どもや大人に聞かせてあげたい言葉ですね。 このようなことを自分のものとして身に着けていくのは、なかなか時間のかかることだと思います。周りの方たちも信じて待ってあげるのが辛いことも多いでしょう。 団塊党さま、我が家でも生徒さんのこと、自分の教え方など、いろいろと夫と話します。学校側や生徒さんとの間の溝ができて、いい授業をしようと思い悩む夫とあれこれ話したこともあります。 そのとき、「私が生徒だったら、こんなに悩んで考えてくれている先生に教わることは、幸せなんだ」とよく思いました。状況と折り合って、正念場を越えられますことをお祈りしています。 >実は私自身も今、自分の仕事に行き詰まっているのです。 >朝、学校に行くのが大変重い気持ちです。 >目の前にいる子どもはもう私のこれまでやってきた方法では通用しないなと思うことが度々あります。 >ちょっと大変なクラスなんです。 > >ここで思い切って発想の転換をする必要を感じています。 >苦しいですが、ここが正念場。 >「良い授業、うまい授業」ではなく「子どもと一緒に楽しむ授業」に切り替えてみようというのが今の気持ちです。 >そう簡単にはいかないでしょうが、失敗はしてもいいと開き直っています。 > |
ぎみゆらさん、王里さん、桃季さん、ご心配頂き有り難うございます。 おかげで心が少し楽になりました。 情けない話ですが、現在は規律もないし、意欲や主体性もないクラスになってしまっています。 教室のルールを再度明確にする一方で、子どもが意欲的になれる学習活動や学級行事や遊びを構築して行かなくてはと思っています。 思いっきり頭を柔らかくしてみようと思っています。 結局、私自身の発想の貧困さがすべての原因かも知れません。 子どもの質のせいにするのはやめます。 (これを完全に心の中から払拭するには苦労していますが・・・) |