Page 1544 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼少数野党の所信表明(笑) 元兵士 04/10/6(水) 1:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 少数野党の所信表明(笑) ■名前 : 元兵士 ■日付 : 04/10/6(水) 1:40 -------------------------------------------------------------------------
こんばんは。 老人党掲示板では少数野党の「元兵士」です。(微笑 僣越ながら、スレッドを建てさせていただきます。 何故こういった愚挙(笑)に出たかというと、過去の論争で国家の基本について確固たる考え方をお持ちでないがために、あるいはその認識と理解に大きな隔たりがあるが故に、枝葉の論争に終始して「本質」が見えにくくなっていると考えるからです。 そこで、議論のたたき台として国家の果たさなければならない「役割と実態」について自論を述べさせていただきます。 ★国の責務の基本は「教育」と「治安」と「国防」にあると考えています。 今回は軍備(狭義の国防)と経済、あるいは社会福祉などについて述べさせて頂きます。 まず重要なポイントとしては二つあると考えています。 まずは経済でしょうか。 軍隊(狭義の国防)は「装置産業」と捉えるべきです。 それ故、規模の効果が働きます。 したがって、人口が少ない或いは経済規模が小さいと保有することの負荷、コストに耐えられません。逆に規模の効果を無視した伸びは危険と捉えるべきだと考えます。 ここを前提として理解して頂いたと仮定して進めます。 次に動機ですね。 当該国(例えば日本)の周辺国(例えば中国)の国防予算が高水準(単に国防費総額ではない、経済規模に対しての国防費負担率が高いということ)にある場合を想定して下さい。 こういった場合、当該国のそれもまた高まる傾向が強まります。中東地域、極東、或いはその他紛争地域での国防予算/名目GDP、或いは国防予算/政府支出を比較してみると、興味深いかと思います。 但し、我が国には国防費総額に枠(GDPの1%を上限とする)がかけられているので参考にはなりませんが、他の地域別比較をご覧になれば良いと思います。 http://www.drc-jpn.org/kihonkenkyuu/B-97-03/kokusaihikaku2001.pdf この国際比較はこういった観点からまとめられた報告書です。 最初にお断りしておきますが、この報告書に書かれているデーターはジェーン ミリタリーバランスや国連統計、SIPRI等の海外文献及び報告書、さらには防衛白書、外交青書、科学技術白書等の日本政府が公表した資料をまとめていて、データーそのものに「政治的配慮」や「恣意的統計法」は使われていないと申し上げておきます。 この文書の5ページの比較表で紛争地域を持つ場所で国防費の伸び率に大きな差があることを見て頂ければご理解頂けると考えます。 詳細は8ページ、9ページ、14ページの比較表を見て頂ければご理解の一助となるでしょう。 出来ましたら、図表だけでなく記述も読んで頂ければご理解を助けると考えます。 国の基本は教育と治安と国防と申し上げました。 これは、日本が通商国家である以上、避けては通れないと考えます。 創意工夫で商売をしなければ国民を養っていけない現実がありますからね。 その場合、我が国の商圏の安全が確保されていなければならない原則が存在します。 いわば実力(経済力による影響力と外交の一部である軍備)によって守備されている商圏であるということ。 まぁ昔のキャラバン隊と同じと考えればよろしいかと、盗賊を撃退できる武力を持ち、さらには交易の手段として必要な「お金」を持つということです。 言い換えると、商売は平和のもとでしか栄えないということ。 こういった意味からもシーレーンは我が国の生命線であるとご理解いただけると考えます。 以上の観点から「脅威は脅威」として評価し、「利益は利益」「権益は権益」として別個に評価すべきと考えます。その上で「対中国政策」を語らないと平衡を欠く議論になってしまいがちですし、現実にそうなってしまいましたけれど。(苦笑) ここで余談です。 軍隊のない国は世界に割とたくさんあるんですね。 たとえばパナマ・バチカン・モナコ・コスタリカ・サンマリノ・リヒテンシュタイン・アイスランド・ナウル・ツバル・ソロモン・サモア・キリバス・バヌアツなどです。 日本だけがバスに乗り遅れていると言う政治家の方々や評論家の皆さんもいらっしゃるようですし、軍備放棄論者の方々の論拠ともなっているようですが、 ちょっと印象操作がねぇ..............(苦笑 上で述べた国家の中で地政学的に「戦略的要衝」(軍事、経済伴に)となる国家は案外と少ないのです。 バチカン市国のようにイタリアという国家の中に存在する「特別な国」であったり、でも警備兵はちゃんといるのですよ。 スイスから派遣された現役スイス国防軍兵士が警備にあたっています。 モナコはご存じの通りでフランスの中にありますし、他の南太平洋の島嶼諸国はもともと国連の信託統治領であった小さな国家群で「責め落として自国の物にする価値」が存在しませんし、交通や通商の要衝でもありませんし。 戦略的要衝に存在するのは、パナマ・コスタリカ・アイスランドぐらいでしょうか。 では、戦略的要衝にも関わらず軍隊を持たないのに安全保障政策が機能しているのは何故なんでしょうね。 パナマはついこの間まで、パナマ運河をアメリカが租借していましたよね。 現在は返還されていますが、運河のメンテナンスは米国企業が警備は米軍が担当しています。 それに、自国通貨をもたない米ドル経済圏ですし、ここに手を出す奴は米国に手を出すのと同義ですから。 コスタリカに軍隊は存在しませんが、「警察軍」と呼べる組織があります。 それに、米国と安全保障条約を締結しています。 どういうことかと言うと、自前の軍備は限定的な初動対処が可能なだけの戦術規模のみ、紛争が大きくなれば米軍頼みと考え方です。 リタイヤメントVISAの取得が容易なので、リタイヤして移住した米国人の住民も多いですからね、自国民保護の観点からも米国は直ちに行動を起こすでしょうし。 したがって、「軍備を放棄した国家」というのは「看板」に過ぎないということでしょうか。 アイスランドについては長くなりますので割愛します。軍事の戦略的拠点で米軍のプレゼンスにより安全保障が担保されているとだけ申し上げておきましょう。 さて、本題に戻ります。 忌憚なく申し上げるなら、保守派の?政治家や評論家が何と言おうが、今の財政状況、財政支出構造のもとでは国防予算は増やせません。 反・保守派の?方々あるいは近隣諸国の方々が日本の「軍拡」を杞憂する必要は全くないということです。 実体が伴わないので「掛け声」のようなもんだと捉えればよろしいかと。(笑) そこでの問題は、予算を増やすかどうか(逆に減らすも含む)は周辺情勢の分析と判断に基づくべきものだろうということです。 実体を無視して一律になんてのは、というのは「不合理」であると考えます。 私が申し上げたいのは、歳出の対象としてまず、教育・治安・国防が基本であって、これに広義の社会福祉が上乗せされる構造が健全であるということです。 社会福祉を軽視するわけじゃあないのですが、それで国家財政が破綻する、或いは、教育・治安・国防を財政事情を理由に「機械的」に予算縮小させるってのは、異常、或いは不合理ではないかと考えます。 この点で、私は小泉氏の政策に疑問を感じています。 社会福祉をなんとか維持しようというのであれば術(すべ)はあると思いますよ。 徴税形態の変更、つまり間接税移行によって財源確保の基盤を広げれば良いのです。(=巨額の脱税阻止にもなりますよ)。 但し、徴税した税の「再分配の問題」が残されてますが。ここが一番難しいでしょうね。 エリート主義(エリート官僚??)による政策の主導は保守主義の1つの特性だけど、エリートに任せきりだったので保守も淀んでしまった。 この反省から、レントシーキングであるとか、裁量行政とかを考えるべきだと思いますよ。 保守においては、「権威規準」におけるエリート間の相互牽制(権力牽制)、「政府規準」における小さな政府志向、こうしたものが要求されているはずなんです。 自浄機構の装置化とでも言えばいいのかな。ここが機能していない点に最大の問題が存在すると考えています。 ここを機能させるという取り組みが「構造改革」でなければならない。そういう点では、小泉氏の政策を評価するし賛同もします。 さて、唐突ですが以上の観点から、単純に社会福祉を削って軍事にまわせ、あるいは軍事を削って社会福祉にまわせ、という話にはならないと考えます。 モノゴトには限度が存在し、やり方にも工夫の余地があり、もう少し合理性を働かせないといけない。 ここまでは、ニューディーラーの破綻を象徴する「財政(徴税、再分配)」の観点で主張させて頂きましたが、今度は「思想」の観点で申し上げておきましょう。 私はなぜ保守なんでしょうか? 60年代に構造主義によるヘーゲル=マルクス主義批判が始まって、1960-1970年代には想定されていなかった共産主義諸国のモラル・財政破綻が表面化しましたよね。 その結果として、1980年代から先進国での保守化が始まった、時を同じくして日本では戦後民主主義批判が生じた、おおまかにそんな流れでしょう。 社民党や共産党の衰退はこういった流れで捉えると必然ということになります。 しかし、反・近代合理主義とか反・西欧主義、反・人間主義とか、これらの一見保守に見えるアンチ・西欧近代の思想は、もともとフランス由来だということ。 ここを考えれば、フランス由来の思想から生まれたイラクのバース党政権が社会主義政権であったと考えられ、社会主義政権の特色であり帰結である「権力闘争」が必然で、この流れから「独裁者」が生まれたという事は容易に理解できます。 その一方で、米国とかも、反・近代合理主義とか反・西欧(大陸)主義、反・人間主義で、保守回帰してますよね。 ネオコンの台頭はこういう流れでみると解りやすいと思いますよ。 従って、イラク侵攻を歴史の蓋然性から考えると「冷戦の負債」を支払っているとも考えられるということ。 これは絶対に宗教戦争ではないという理解も必要でしょうね。 合理の過信も不合理ですが、合理の棄却も不合理ですよね、 そうなると論理の帰結として「保守中道」であるべきだと考えています。 まとまらない投稿で申し訳ありませんが思うがままに書いてみました。 少数野党である私の捉え方と考え方の基本をご理解頂ければ幸甚です。 |