Page 1620 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/10(日) 17:32 ┣Re(1):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 小鉄 04/10/10(日) 17:38 ┣Re(1):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? イワオ 04/10/11(月) 1:45 ┃ ┣Re(2):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/11(月) 11:35 ┃ ┃ ┗Re(3):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? イワオ 04/10/12(火) 1:19 ┃ ┃ ┗Re(4):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/15(金) 16:24 ┃ ┣Re(2):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 北の老兵 04/10/12(火) 20:01 ┃ ┗Re(2):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 北の老兵 04/10/12(火) 20:34 ┃ ┣Re(3):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? イワオ 04/10/12(火) 21:54 ┃ ┗Re(3):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 王里 04/10/12(火) 23:33 ┣Re(1):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? MNG 04/10/11(月) 12:57 ┃ ┗Re(2):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/11(月) 13:23 ┃ ┗Re(3):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 外野 04/10/11(月) 13:29 ┃ ┣Re(4):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? k・satou 04/10/11(月) 13:54 ┃ ┃ ┗Re(5):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/11(月) 14:09 ┃ ┗Re(4):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/11(月) 14:07 ┃ ┗Re(5):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 外野 04/10/11(月) 15:15 ┃ ┗Re(6):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 風鈴カザン 04/10/11(月) 18:21 ┃ ┗Re(7):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 外野 04/10/11(月) 19:17 ┃ ┗追記 外野 04/10/12(火) 19:43 ┃ ┣Re(1):追記 風鈴カザン 04/10/14(木) 9:39 ┃ ┗遅くなってすみません 風鈴カザン 04/10/14(木) 21:39 ┃ ┗実際は… 外野 04/10/15(金) 0:14 ┃ ┗たかがマスコミ、されどマスコミ。その心は? 風鈴カザン 04/10/16(土) 12:28 ┃ ┗Re(1):たかがマスコミ、されどマスコミ。その心は? 外野 04/10/16(土) 17:38 ┃ ┗Re(2):たかがマスコミ、されどマスコミ。その心は? 外野 04/10/16(土) 20:02 ┃ ┗Re(3):たかがマスコミ、されどマスコミ。その心は? 通りすがりの米4の人 04/10/16(土) 23:28 ┃ ┗Re(4):たかがマスコミ、されどマスコミ。その心は? 外野 04/10/17(日) 13:07 ┣Re(1):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 安本単三 04/10/14(木) 11:59 ┗Re(1):マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? 珍 源斎 04/10/14(木) 16:43 ─────────────────────────────────────── ■題名 : マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故? ■名前 : 風鈴カザン ■日付 : 04/10/10(日) 17:32 -------------------------------------------------------------------------
マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、よく言われますよね。 私、どうしてもあれが良く分からない、といいますか納得が出来ないんです。 ちなみに、私は体制側でも反体制側でもなく、その時その時、ケースバイケースで自分が 正しいと思ったことを正しいと思ってみよう、という立場のつもりです。 で、なんで納得が出来ないかといいますと、よく言われる「権力の暴走を食い止める」 ために批判的立場でいよう、みたいな言い方がありますよね。 確かに一理はあると思います。 でも、例えば、今与党は自民とか公明ですよね。彼らが与党だから批判しよう、 なんて構えていたら、今のご時勢、しばらくしたら本当に政権が変わって民主あたりが 与党になることだってあり得る訳です。 でも、「与党(若しくは政府)だから」っていう理由で批判的立場を取ろう、 なんていう考えであったならば、政権交代になった途端、手のひらを返して、 今まで批判的に見ていたものをヨイショして、逆にヨイショしていたものに対して ころっと批判の矛先を向けるって言うことですよね。 ま、仮にです。護憲か改憲かってことがよく議論になりますけど、改憲優勢勢力が大勢を占めている際には、マスコミの使命は護憲を訴えることであったとしても、 護憲派優勢政権に変わってしまったら、じゃあ、上の理屈だとがらっと同じマスコミが 「否、改憲だ!」ってやらないと辻褄が合いません。 其れもおかしな話です。 何も護憲改憲に限ったことではなく、社是として何らかのポリシーがあるのは認めますが、 その軸を与党だから、野党だから、政府だから、何てところに置くと、政権が 比較的容易に交代しうる時代になったとき、これは政府の御用マスコミも逆の意味でですけど、 簡単に論理破綻が起こりますよね? こういうのって、凄く矛盾してると感じるので、いい加減に、 >マスコミは権力を監視(批判)しなければいけない という妙な幻想は捨てて、ポリシーの軸を文字通りのポリシーに置くべきかと思うんですが。 おかしいでしょうか? |
>こういうのって、凄く矛盾してると感じるので、いい加減に、 >>マスコミは権力を監視(批判)しなければいけない という妙な幻想は捨てて、ポリシーの軸を文字通りのポリシーに置くべきかと思うんですが。 おかしいでしょうか? 日本には未だに「メディア対権力論」なんて古臭い構図で語るやつが少なからずいるから困ったものですよね。メディアも又権力になった事に気づかず、昔の認識で語ってるんだから困ったものです。 |
▼風鈴カザンさん: >マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、よく言われますよね。 しなければいけません。当たり前のことです。 そのためにメディアは存在価値があります。 そのシャッフル、かき回しがなければその社会は酸欠状態に陥り腐敗し始めます。 >ちなみに、私は体制側でも反体制側でもなく、その時その時、ケースバイケースで自分 >が正しいと思ったことを正しいと思ってみよう、という立場のつもりです。 これもあり得ません。 自分の考えで、体制、反体制等の立場に立てると思うのは思い上がりです。 通常は、体制、反体制は経済状態のポジションを意味します。 簡単に言えば、今の社会体制で既得権を持ってそこにいるだけあるいは属しているのみで 日々過ごせる人は、体制側、日々の糧のパイをどこかから調達しなければ暮らせない人は 原則的に反体制です。 たまにパイの蓄積が多すぎて、パイが空気のようになる場所が出来ることがあります。 このような場所からは、著名文化人もよく出てきますし、経済界で名をなす人もでます。 理論だけ考えてもそれなりに生きてゆける場所ですから、たまに鬼っ子も生まれます。 共産党のえらいさんの一人、某地方の大地主の息子だったです、お金持ちです。 ゲバラの生家も、お金持ち。 >で、なんで納得が出来ないかといいますと、よく言われる「権力の暴走を食い止める」 >ために批判的立場でいよう、みたいな言い方がありますよね。 >確かに一理はあると思います。 そうでしょ! >でも、例えば、今与党は自民とか公明ですよね。彼らが与党だから批判しよう、 >なんて構えていたら、今のご時勢、しばらくしたら本当に政権が変わって民主あたりが >与党になることだってあり得る訳です。 >でも、「与党(若しくは政府)だから」っていう理由で批判的立場を取ろう、 >なんていう考えであったならば、政権交代になった途端、手のひらを返して、 >今まで批判的に見ていたものをヨイショして、逆にヨイショしていたものに対して >ころっと批判の矛先を向けるって言うことですよね。 与党の立場と、野党の立場180度違います。 民主が政権取れば、数ヶ月は状況を見るとして、その後は批判始めねば成りません。 それに民主党も政権取って数年たてば自民党と同じ事やり始める連中たくさんいますよ。 >ま、仮にです。護憲か改憲かってことがよく議論になりますけど、改憲優勢勢力が大勢 >を占めている際には、マスコミの使命は護憲を訴えることであったとしても、 >護憲派優勢政権に変わってしまったら、じゃあ、上の理屈だとがらっと同じマスコミが >「否、改憲だ!」ってやらないと辻褄が合いません。 >其れもおかしな話です。 全然おかしくありません。 「マスコミは権力を監視しなければ」という言葉は、システムはオープンにしなければ停 滞し腐敗するから、と言うシステムに関する疑念です。 護憲か改憲かは、考え方の違いであって、システムの動作に関連した概念ではありませ ん。 >その軸を与党だから、野党だから、政府だから、何てところに置くと、政権が >比較的容易に交代しうる時代になったとき、これは政府の御用マスコミも逆の意味でで >すけど簡単に論理破綻が起こりますよね? 今のマスコミは、すべて御用マスコミだと思っていいでしょう。いわゆる百貨店と言う奴 自分で、物を作ったり、仕入れる能力はないけど商売の場所は提供するから、所場代ちょ うだい。特にTVは、電波をただに近い使用料で(携帯電話業界などに比べ)政府に認可 もらっている手前、基本的に御用メディアです。 ですから論理破綻起きません。 そのときの政権に付けばいいので。 >こういうのって、凄く矛盾してると感じるので、いい加減に、 >マスコミは権力を監視(批判)しなければいけない >という妙な幻想は捨てて、ポリシーの軸を文字通りのポリシーに置くべきかと思うんで >すが。 >おかしいでしょうか? おかしいです。(可笑しいです。) ポリシー無いのが今のマスコミです。 ポリシー今まで持ったこともない人たちに、ポリシーを持てと言っても、意味わかんない と思います。 |
こんにちは。 >自分の考えで、体制、反体制等の立場に立てると思うのは思い上がりです。 これについては、大きなお世話です。 一例を申し上げれば、ある人が安全保障政策については政府を支持するも、 年金政策などでは野党を支持する、とします。 各論で支持、不支持があるのは、真っ当な感覚があれば至極当然です。 ○○党だから、野党若しくは与党だから、というだけで盲目的に支持不支持を決め付けるのは、むしろ思考放棄の危険な状態でしょう。 こういった感性に対して「思い上がり」となじる、あなたの姿勢こそ「思い上がって」いるように見えます。 >民主が政権取れば、数ヶ月は状況を見るとして、その後は批判始めねば成りません。 >それに民主党も政権取って数年たてば自民党と同じ事やり始める連中たくさんいますよ。 意味のない決め付けです。 ひょっとすると民主党が長く善政を敷くかもしれませんし、逆に始めからとんでもない 悪政をしくかもしれません。 ただ、そんなことは事前に決め付けるべきではありませんし、客観的にその時々の 状況から判断しなければならないことは言うまでもないです。 >護憲か改憲かは、考え方の違いであって、システムの動作に関連した概念ではありません。 私の書いた文章を受けた文脈に全くなっていません。 >今のマスコミは、すべて御用マスコミだと思っていいでしょう 思い込むのは勝手ですが、根拠のないステレオタイプの思い込みの域をでません。 折角、色々書いて頂いて悪いんですけど、全体としてあなたの思い込みに終始して、 私には響く言葉がありませんでした。 |
▼風鈴カザンさん: こんにちは。 >>自分の考えで、体制、反体制等の立場に立てると思うのは思い上がりです。 >これについては、大きなお世話です。 >一例を申し上げれば、ある人が安全保障政策については政府を支持するも、 >年金政策などでは野党を支持する、とします。 >各論で支持、不支持があるのは、真っ当な感覚があれば至極当然です。 考えるだけなら、当然何を考えるのも自由、どういう組み合わせでも可能です。 匿名のネット上ならこれも、そう縛りはありません。 実際自分で現実社会で動くとき、各論は個人で自由に選べます? 総論で立派なこといくらでも言えますけども。 各論は自分の社会の位置で決まります。 あなたが思うほど、あなたは社会から自由ではありません。 庶民の普通の生活であれば。 もし、最低限数億単位の不動産と、億に近いキャッシュが今あれば、各論はかなり自由に 選べるし組み合わせも自由。(この階層を中産階級と言います) ひょっとして、風鈴カザンさんこっちの人ですか? そうでないなら、あまりご自分に選択の自由があるなどと思わない方が。 ただし常に考えるのみで終わるのなら、選択の自由は無限です。 >○○党だから、野党若しくは与党だから、というだけで盲目的に支持不支持を決め付け >るのは、むしろ思考放棄の危険な状態でしょう。 いいえ、単純に支持不支持を決めろ等とは思ってもいません。 そうではなく、実現可能な思考を最優先するのが最も現実的ですしそう言う状態を「地に足が着いた」と表現するのです。 スタートは、思考にリミット、タブーを付けないのがベターでしょうが、何時までもスタ ートの状態のままでは「進歩がない」とも言います。 >こういった感性に対して「思い上がり」となじる、あなたの姿勢こそ「思い上がって」 >いるように見えます。 常に、今自分がいる場所を確認してから、思考を外に出すことが必要ではないですか? 自分は常に自由に思考行動できるという前提で考えることは「思い上がり」ではないです か? >>今のマスコミは、すべて御用マスコミだと思っていいでしょう >思い込むのは勝手ですが、根拠のないステレオタイプの思い込みの域をでません。 すべての報道機関がとは言ってませんよ。 「マスコミ」は、と言っております、大手報道機関はと言う意味ですが。 根拠はいくらでもあります。 今の日本の状態で、御用でないマスコミがあると思っている方がステレオタイプです。 |
なんか、滅茶苦茶で、あなたの言うことは私には訳が分かりません。 >各論は自分の社会の位置で決まります。 >あなたが思うほど、あなたは社会から自由ではありません。 >庶民の普通の生活であれば。 全く持って、大きなお世話。それだけですね。 (というか、もう少し意味の伝わるように書く姿勢を持つべきと思いますよ、全体的に) >もし、最低限数億単位の不動産と、億に近いキャッシュが今あれば、各論はかなり自由に >選べるし組み合わせも自由。(この階層を中産階級と言います) どうでもいいんですけど、普通「最低限数億単位の不動産」と「億に近いキャッシュ」 を持つ人を中産階級とは言いません。 で、 >ひょっとして、風鈴カザンさんこっちの人ですか? これこそ大きなお世話ですよ。 相手が金持ちか否かで、考え方の属性まで決めてしまうことは、褒められたことではありませんね。 >そうでないなら、あまりご自分に選択の自由があるなどと思わない方が。 >ただし常に考えるのみで終わるのなら、選択の自由は無限です。 うーん。まあ、あなたがそう思われるのは自由ですけどね、悉く「思わない方が」 とか色々と私に押し付けられるもの、全て、「大きなお世話」の一言ですね。 >スタートは、思考にリミット、タブーを付けないのがベターでしょうが、何時までもスタ >ートの状態のままでは「進歩がない」とも言います。 これもどうとでも「実はこう意味にいったんだ」何ていえる言い方ですけど、 どんな立場状況でも、「思考にリミット、タブーを付け」るような姿勢には、全く共感しませんね。 「敵ながら天晴れ」を端から否定してしまう態度に潔さは感じられないし、何でそんなこと言って見えるんだか、 訳が分かりませんね。 >自分は常に自由に思考行動できるという前提で考えることは「思い上がり」ではないですか? 少なくとも私にはそういうのを「思い上がり」何ていう言葉で表現をする習慣はありませんし、 客観的に見てそこで「思い上がり」と言う言葉を使うのは、日本語として変だと感じますね。 人様が「常に自由に思考行動できる」かどうかなんて、あなたが口を挟むべき問題ではないし、 私はそうできるとは言い切りませんけど、そうありたいとは思っていますね。 >すべての報道機関がとは言ってませんよ。 >「マスコミ」は、と言っております、大手報道機関はと言う意味ですが。 あ、そうですか。言い訳にしか見えませんが、少なくとも文脈から、 普通そうは取れませんものね。あなたが舌足らずだったと思いますよ。 >今の日本の状態で、御用でないマスコミがあると思っている方がステレオタイプです。 はあ。 私はそんな風に思いませんけどね。ま、かみ合いませんね、あなたとは。 |
▼イワオさん: >▼風鈴カザンさん: >>マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、よく言われますよね。 > >しなければいけません。当たり前のことです。 >そのためにメディアは存在価値があります。 >そのシャッフル、かき回しがなければその社会は酸欠状態に陥り腐敗し始めます。 > >>ちなみに、私は体制側でも反体制側でもなく、その時その時、ケースバイケースで自分 >>が正しいと思ったことを正しいと思ってみよう、という立場のつもりです。 > >これもあり得ません。 >自分の考えで、体制、反体制等の立場に立てると思うのは思い上がりです。 >通常は、体制、反体制は経済状態のポジションを意味します。 >簡単に言えば、今の社会体制で既得権を持ってそこにいるだけあるいは属しているのみで >日々過ごせる人は、体制側、日々の糧のパイをどこかから調達しなければ暮らせない人は >原則的に反体制です。 > >たまにパイの蓄積が多すぎて、パイが空気のようになる場所が出来ることがあります。 >このような場所からは、著名文化人もよく出てきますし、経済界で名をなす人もでます。 >理論だけ考えてもそれなりに生きてゆける場所ですから、たまに鬼っ子も生まれます。 >共産党のえらいさんの一人、某地方の大地主の息子だったです、お金持ちです。 >ゲバラの生家も、お金持ち。 > >>で、なんで納得が出来ないかといいますと、よく言われる「権力の暴走を食い止める」 >>ために批判的立場でいよう、みたいな言い方がありますよね。 >>確かに一理はあると思います。 > >そうでしょ! > >>でも、例えば、今与党は自民とか公明ですよね。彼らが与党だから批判しよう、 >>なんて構えていたら、今のご時勢、しばらくしたら本当に政権が変わって民主あたりが >>与党になることだってあり得る訳です。 >>でも、「与党(若しくは政府)だから」っていう理由で批判的立場を取ろう、 >>なんていう考えであったならば、政権交代になった途端、手のひらを返して、 >>今まで批判的に見ていたものをヨイショして、逆にヨイショしていたものに対して >>ころっと批判の矛先を向けるって言うことですよね。 > >与党の立場と、野党の立場180度違います。 >民主が政権取れば、数ヶ月は状況を見るとして、その後は批判始めねば成りません。 >それに民主党も政権取って数年たてば自民党と同じ事やり始める連中たくさんいますよ。 > >>ま、仮にです。護憲か改憲かってことがよく議論になりますけど、改憲優勢勢力が大勢 >>を占めている際には、マスコミの使命は護憲を訴えることであったとしても、 >>護憲派優勢政権に変わってしまったら、じゃあ、上の理屈だとがらっと同じマスコミが >>「否、改憲だ!」ってやらないと辻褄が合いません。 >>其れもおかしな話です。 > >全然おかしくありません。 >「マスコミは権力を監視しなければ」という言葉は、システムはオープンにしなければ停 >滞し腐敗するから、と言うシステムに関する疑念です。 > >護憲か改憲かは、考え方の違いであって、システムの動作に関連した概念ではありませ >ん。 > >>その軸を与党だから、野党だから、政府だから、何てところに置くと、政権が >>比較的容易に交代しうる時代になったとき、これは政府の御用マスコミも逆の意味でで >>すけど簡単に論理破綻が起こりますよね? > >今のマスコミは、すべて御用マスコミだと思っていいでしょう。いわゆる百貨店と言う奴 >自分で、物を作ったり、仕入れる能力はないけど商売の場所は提供するから、所場代ちょ >うだい。特にTVは、電波をただに近い使用料で(携帯電話業界などに比べ)政府に認可 >もらっている手前、基本的に御用メディアです。 > >ですから論理破綻起きません。 >そのときの政権に付けばいいので。 > >>こういうのって、凄く矛盾してると感じるので、いい加減に、 >>マスコミは権力を監視(批判)しなければいけない >>という妙な幻想は捨てて、ポリシーの軸を文字通りのポリシーに置くべきかと思うんで >>すが。 >>おかしいでしょうか? > >おかしいです。(可笑しいです。) >ポリシー無いのが今のマスコミです。 >ポリシー今まで持ったこともない人たちに、ポリシーを持てと言っても、意味わかんない >と思います。 |
▼イワオさん: 今晩は!初めまして・・・。 久しぶりの投稿でキィタッチをミスり(25131)を送信してしまいました。 管理人さん、削除して下さい。 私はイワオさんの意見に賛成です。 今日は取り急ぎ簡単の述べさせて頂きますが、権力はしばしば腐敗し、独裁的になるからです。民主主義にも欠陥はあります。永く政権の座に居れば腐敗し、或い権力に溺れ独裁化します。その民主主義の欠陥を補うための役目が、マスコミにあると考えます。 |
▼北の老兵さん: 今晩は。 >今晩は!初めまして・・・。 >久しぶりの投稿でキィタッチをミスり(25131)を送信してしまいました。 >管理人さん、削除して下さい。 レスが付いてなければ、パスワード入れて自分で削除出来るのでは? >私はイワオさんの意見に賛成です。 有り難うございます。 >今日は取り急ぎ簡単の述べさせて頂きますが、権力はしばしば腐敗し、独裁的になるか >らです。民主主義にも欠陥はあります。永く政権の座に居れば腐敗し、或い権力に溺れ >独裁化します。その民主主義の欠陥を補うための役目が、マスコミにあると考えます。 日本のマスコミは、絶対に先頭に立ちません。彼らはまずまわりを見渡して誰かがフライ ングするのを待ちます。フライングすると誰かがお上にちくりマス。 それでおぼえが良くなれば、その後の情報取りに少しは他社より先にでられるかもしれま せん。 もし対象が売れない芸人、一般人ならフライングもくそも何でもあり。 ほとんどが書名記事ではないので、誰が書いたかもわからない。 抗議の電話すると、相手は名前さえ言わないことがある、それでも抗議に行くと、二言く らい言葉交わせるのが受付嬢、三言目には体格の良いガードマンに襟首つかんで放り出さ れます。 フリーの連中へっぴり腰でも前へ進みますが(何か捕ってこなければカネにならないか ら)、マスメディアの方々現場が絶対安全でなければ行きません。 困るのが安全だと思っていた所が急に危なくなるとき、オームの村井刺殺事件の時、TV の画面に映し出されたのは、逃げまどう少数の取材陣と、固まって動くこともしない大部 分の取材の人たち。出来たら逃げて欲しくないけど、逃げることさえ出来ないカエルのよ うな人たちに、取材が出来るのか? フリーは逃げても良し。ギャラ高くないし保証無いから。 マスメディアの正社員、逃げてはいけません。ギャラ高いし、保証もしっかりしてる、あ なたの地位は直ぐ誰かが代わりたがっているし。 日本のマスメディア道遠し。 |
▼北の老兵さん:はじめまして >私はイワオさんの意見に賛成です。 >今日は取り急ぎ簡単の述べさせて頂きますが、権力はしばしば腐敗し、独裁的になるからです。民主主義にも欠陥はあります。永く政権の座に居れば腐敗し、或い権力に溺れ独裁化します。その民主主義の欠陥を補うための役目が、マスコミにあると考えます。 主権者である国民が政策の良否を判断するには、正確な情報が欠かせません。その情報を提供するのが報道の役割。ところが、今のマスコミはこの役割を果たしていないと思います。 |
これは単純なことではないでしょうか。 「権力を批判すべき」ではなく、「権力の腐敗を批判すべき」ということだと思いますが。 清廉潔白で私利私欲を考えず国民のための政治をしている権力なら、批判する必要はありません。 しかし現実には、権力は腐敗しやすいものです。贈収賄・利益誘導・情報の隠匿などなど、国民に見えない所で様々な悪事が行なわれてきた事は、過去の例を挙げればきりがない程です。 しかし、こういう腐敗は突然起きるわけではないので、常に監視している必要があります。監視しながら、腐敗の兆候があれば批判するというのが、あるべき姿ではないでしょうか。 マスコミの現状を見れば、理想とは程遠いようですが。 |
>「権力を批判すべき」ではなく、「権力の腐敗を批判すべき」ということだと思いますが。 >清廉潔白で私利私欲を考えず国民のための政治をしている権力なら、批判する必要はありません。 その通りかと存じます。 >しかし現実には、権力は腐敗しやすいものです これも、一般論としてそうかと存じます。 >監視しながら、腐敗の兆候があれば批判するというのが、あるべき姿ではないでしょうか。 >マスコミの現状を見れば、理想とは程遠いようですが。 こちらも、ほぼ、そうかと存じます。 おっしゃることに別段依存はございませんが、私は「権力の腐敗を批判すべき」というのが 実際は「権力を批判すべき」という乗りではないかと思われるマスコミ各社、マスコミ関係者が、 少なからずいると思うのです。 違った言い方をするのであれば、「反権力を支持すべき」ではなく、「反権力のうち公正と思われるものを支持すべき」 とも言えるかと思いますので、つまりは、体制側、或いは反体制側だから一概に批判や中傷の 対象にしようというのは、おかしいのではないかということを言いたかったのです。 殊に実際に、現場で政治に関わっている者であればいざ知らず、特定の政党を支持している訳でもない者が そうは言いつつ単純に権力或いは反権力側に、一方的な肯定・否定の態度を取るのには、 大いなる矛盾を感じざるを得ません。 |
▼風鈴カザンさん: 「権力」と「反権力」の違いは何だと思いますか? それを考えれば、「権力」には何故監視が必要なのかがわかると思うのですが。 |
▼外野さん: よこからごめんなさい! >「権力」と「反権力」の違いは何だと思いますか? >それを考えれば、「権力」には何故監視が必要なのかがわかると思うのですが。 いま 隣のほうから バカはしななきゃなおらない! なんて 浪曲が きこえません? |
>いま 隣のほうから バカはしななきゃなおらない!なんて 浪曲が きこえません? あ、そう。 一応まじめに話しているつもりなので、邪魔しないでね。 |
>「権力」と「反権力」の違いは何だと思いますか? >それを考えれば、「権力」には何故監視が必要なのかがわかると思うのですが。 意とするところが分かりかねます。 よろしければ、あなたの思うところを、ご教示願いたいです。 |
▼風鈴カザンさん: たとえば、電力会社は管轄地域の電力網を常に監視していますね。 どこかでトラブルで停電が起こった場合、それを放置することは人々の生活に多大な影響を与えます。 しかし、その監視システムを、電力自由化の価格競争への対策として、僻地では手を抜いていたとしましょう。電力自由化といっても、普通の市民にとってはどこから電力を買うかなんて選択権はありません。僻地となれば尚更です。つまり、手を抜いた電力会社に全面的に頼るほかないわけで、その電力会社にかけあったとしましょう。 このとき、もし、マスメディアも地方自治体も中央の政府も存在しないとしたら、この電力会社が競争の厳しいおり、それらの少数の人々にどれだけの誠意ある対応をするかは未知数ではないでしょうか。では、地方自治体や中央政府がある場合はどうでしょうか。その未知数はかなり改善されるでしょう。でも、もし、役人や議員がその電力会社と癒着をしていたらどうでしょうか。未知数は未知数のままです。 ここで、それらを多くの国民に告げるマスメディアが加わったらどうなるでしょうか。 電力会社も地方自治体も中央政府もへんなことはできなくなります。 このへんなこと、というなかには、原発に批判的な立場をとる人の家には電力は売らないとかいうようなことも含まれます。あるいは、お前は右翼だから左翼だから外国人だから、というようなこともです。 突飛な、とか有り得ないこと、とか言わないで下さい。たとえば、ヒットラーは国の法を変えることによって、合法的にそういうことを実現させたのです。 へんなことはできなくなる、と書きましたが、これには二つの前提が必要です。まず、法自体が、へんなことは許さないものになっている必要があります。もう一つは、マスメディアが事実をそのまましっかりと多くの国民に提示をする、ということです。 そのうち、「へんなことは許さない」法を作るのは議会です。すると、こちらにも監視というか、検証の必要が出てきます。 毎日仕事や家事、勉強などにおわれている多くの人が、議会を傍聴し、また専門家からその内容のレクチャーを受け、自分なりの判断をする、というのは現実問題として無理です。 また、多くの人にそれを告げ知らせ、その多くの人の判断に委ねるということもです。 その肩代わりをある程度するのがマスメディアの仕事です。 また、彼らはそれで報酬を得ています。電力会社が電力を売って報酬を得ているようにです。(テレビなどは視聴はタダで、報酬は広告を出す企業スポンサーから得ていると言われかもしれませんが、視聴者が見ない番組に広告を出す企業はいないということを考えれば、主体は視聴者にあるし、またその企業の広告費自体が製品の価格に含まれており、それを購入するのはテレビを見ている消費者である視聴者です) 最初の問題に戻りましょう。 手をぬかれて困る人々はこの場合「反権力」です。彼らには自身何の力もありません。電力会社に頼むしかないのです。 一方、電力会社のほうは、その力のない人々の生活を自身が左右できるという意味で彼らにとっては一種の「権力」者です。 しかし、その権力者を、また左右できるのが国の政府です。つまり、電力に関しては最大の「権力」を持っている集団ということになります。 その「権力」を持っている集団や人が、「力」を持たない人を左右する政治・行政の中身を、それらが施行なりされれば”従うしかない”ものを、「力」を持たない人に告げ知らせ、有権者や消費者などに権利の行使の機会を与える、「力」の均衡をとるというのがマスメディアの大きな仕事です。 |
こんばんは。 >その「権力」を持っている集団や人が、「力」を持たない人を左右する政治・行 >政の中身を、それらが施行なりされれば”従うしかない”ものを、「力」を持た >ない人に告げ知らせ、有権者や消費者などに権利の行使の機会を与える、「力」 >の均衡をとるというのがマスメディアの大きな仕事です。 最後のこの部分が、あなたの考えるマスメディアの役割ですね? 特にその点に関して申し上げることはございませんけれど、ただ、私の呈した疑問とは 直接的に結びつかないという気がいたします。 つまりマスコミのあり方についての、一側面であるかとは存じますが、下記に述べる 私の疑義を氷解させるには至らない気がいたします。 つまり、 ・ある政策は与党を支持するとして、異なる政策については野党支持ということは、普通にありうる。 (そう感じたときに、否、何党支持だからと、各論に対する考えをも変更することはおかしいと考えます) ・政権交代後、手のひらを返すがごとく、今まで(不)支持していた政策について、 政権を取った、取らないを理由に(不)支持を逆転させるのは、おかしい。 →だから、一概に(反)権力側だから支持(不支持)する、という姿勢には無理がある。 というのが、私の考えですが、ご指摘の点は明らかに次元が違いますよね? 別におかしい点があると感じれば、考えを改めるのも全然やぶさかではないですけれど、 今の時点では、特におかしいとは思いません。 |
▼風鈴カザンさん: つまり、有権者や消費者などに今「権力」がおこなっている、あるいはこれからおこなおうとしていることは事実として、第三者的な立場で提示する、そしてその上で、それらの政策の支持・不支持は個人の意見として述べる。 あなたが言っているものは後者のほうですね? しかし、それなら問題はないのではないでしょうか──ただし、前者のほうのジャーナリズムの基本の仕事を、報道をする者が自分が支持できないものだからといって書かなかったり、書いても歪曲、矮小化するなりの情報操作をおこなうなど、放棄していなければのことですが(これは、支持するしないとは別の問題だということはわかりますね?)。 ジャーナリストでも、そういう自分の意見、支持、不支持を述べるのは許されると思うし、またそうでないと、様々な角度、視点から考えるということもむずかしくなると思います。 もし、自分と違う意見がいやで、読んだり視聴したりしたくない人は、そういう新聞やテレビ読んだり見たりしなければいいだけのことです。とはいえ、上に書いた基礎的な事実をちゃんと報じるメディアには、思想的にそのメディアとは反対の立場にいる人でも読んだり見たりすると思います。 もっとも、すべてのマスメディアが一色に染まった場合、これは困ったことになりますが。 >・政権交代後、手のひらを返すがごとく、今まで(不)支持していた政策について、 > 政権を取った、取らないを理由に(不)支持を逆転させるのは、おかしい。 これは上で述べた前者のほうの基礎的な事実報道に、報道者が「支持」「不支持」の主観で政治的に方向性を持たせて報じている、というとらえかたですね。 でも、そういうことは本来報道においてはあってはならないことなのです(これは、報道機関にそのつど文句なりを言うべき性質のものです)。ですから、何故ジャーナリズムは「権力」を監視しなければならないのか、という一般論とは別の、各論的なものになってくると思います。 |
▼風鈴カザンさん: あなたの問いに対する答えになっていなかったようなので、追記しておきます。 > ・ある政策は与党を支持するとして、異なる政策については野党支持 > ということは、普通にありうる。 > (そう感じたときに、否、何党支持だからと、各論に対する考えをも > 変更することはおかしいと考えます) > ・政権交代後、手のひらを返すがごとく、今まで(不)支持していた > 政策について、政権を取った、取らないを理由に(不)支持を逆転さ > せるのは、おかしい。 > > →だから、一概に(反)権力側だから支持(不支持)する、という > 姿勢には無理がある。 たとえば、テレビは政治については「不偏不党」を誓っています。また誓わないと政府から放送免許をもらえません。新聞などもこれに準じます。 実際それがやれているかどうかは別問題ですが、表向きテレビは、与党でも野党でも固有の党でも、支持を表明することは許されず、やってはおりません。 テレビに出来るのは、政治・行政機関がおこなっている、あるいはこれからおこなおうとしていることを第三者的な立場で提示する、あるいはそれを第三者の立場で検証をする、ということだけです。 このどの党にも与せず、第三者的な立場で事実を提示し検証する、ということは、その対象が与党の行動に関するものである場合は、その検証の結果が否定的なものとなれば「反与党」「反体制」という見かけになります。なおかつ野党もそういう同じ結果を出しているなら「野党支持」という見かけになります。 しかし、それは或る党を支持する、ということではなく、あくまで第三者の立場で是々非々を論じているにすぎない、ということなのです。(実際それがやれているかどうかは別問題で、たとえば、読売新聞などは外国人記者クラブの記者から言わせれば、自民党の機関紙のようなものなので、自民党の動きを知る目的で読むとなります) 与党になるということは国の最高権力機関になるということなので、前に書いたように、マスメディアの仕事としてそれを最高度のプライオリティで監視することになり、第三者的な立場で事実を提示し検証するという作業を行うことになります(検証をするというのは、多くの場合欠陥や矛盾、危険性などの悪い面などを見つけ出すということいにもなり、結果として批判的な立場にたつということになります)。昨日まで野党をやっていた党が与党になった場合、昨日までその党の行動をほとんど検証してこなかったのに今日から何故突然検証するようになったのか、はそういう理由によります。そのマスメディア機関の支持政党が変わったからではありません。 最後に、 マスメディアが第三者的な立場で検証して得た結果や是非の判断を変える時がありますが、その対象政党が与党になったから、或いは野党に転落したから、という理由で変えたのであれば、単なる媚、追従であり、そのメディアは売文の徒、御用メディアというだけの話です。 けれど、そういうこと以外にも、変える時があります。たとえば、「小選挙区制」などがそうです。この「小選挙区制」が国会で成立した時には、ほとんど全てのマスメディアが、これに反対する者は政治改革に反旗をひるがえす者だとの論陣をはっていました。 今はどうでしょうか。「小選挙区制」に批判的なメディアのほうが多いのではないでしょうか。 この場合は単に検証能力のなさということになるのだろうと思います。 ちなみに、「第三者的な立場で事実を提示し検証する」ことに関する問題については、あまりに問題となるものが多く、多岐にわたるものともなるので、あえて論じてはいません。御了承下さい。 |
長文、ありがとうございました。 ただ、少しの間ネットに繋げなくなりますので、 もう少し経ってから返信させていただきます。 すみません。 |
遅くなってすみません。 >それは或る党を支持する、ということではなく、あくまで第三者の立場で是々非々を論じているにすぎない、ということなのです これは、ケースバイケースかと存じます。 そうである時そうでない時があると、私は思っています。 夜のニュースなんかを見ていれば、朝日などは明らかに「反政府」フジなんかは、 これもまたあからさまに、政府ヨイショな傾向がありますね(無論例外もありますが) >検証をするというのは、多くの場合欠陥や矛盾、危険性などの悪い面などを見つ >け出すということいにもなり、結果として批判的な立場にたつということになります うーん。 ここが、重要なポイント(と言いますか、私のあなたの考え方の相違として、際立っていると思います)かという気がします。 私としては、おっしゃることを全て否定する気はありません。というか、半分は 肯定的に感じます。 しかし、残りの半分、は、ちょっと違うかな、と。 つまり、検証をする、→「欠陥や矛盾、危険性など悪い面」をそうでない物よりも多く炙り出して 「結果として批判的な立場にたつ」は自分には違和感が大きいですね。 検証の過程で何故悪いものがいいものよりも、より目に付くのか、根拠がない気がするんです。 検証と言うのは真意を確かめることですので、例えば裁判では多様に検証がなされますが、 この時、まず有罪ありき、という態度で裁判官が検証するのはおかしくありませんか? なんでもかんでも検察的に物事を見ればよい、ということでしたら、弁護士は要りません。 そして当然検察にも弁護士にもいい人悪い人、いて当たり前な気がするんですがね。 あなたは、恐らくマスコミに検察官的な役割を求めそうな気がします(気がするだけで、決め付けていませんよ、念のため)が、 私は、どちらかと言えば裁判官たれ、と言った感じでしょうか。 私の知る限り例えば左派系の新聞なんかは、政府が 仮にちょっとした手柄と言いますか、まあ、頑張ったかななんていう時の扱いが、 アンバランスに小さかったりするんです。これは逆に保守系、例えばサンケイグループ とか小学館とか、こういったところも左派系に時に冷たいと言えば冷たすぎる場合もあります。 現実はどこも不偏不党という建前の元(建前なく主義を謳うところもありますけど)で、某かの主義主張は当然のように持っています。 ただ、これはまあ、綺麗事と言いますか、非現実的かもしれませんけれども、 「敵ながら天晴れ」なことも、ある訳ではないですか?スポーツなんかですと 時々、当事者や応援団がその健闘を称えて、「敵ながら天晴れ」な気持ちを言動で 示す場合がありますよね。私は「敵ながら天晴れ」を時として表する事くらい、たまにはやって欲しいものだ、そう感じるんですよ。 ちょっと逸れたかな? 仮に、ひとつ例えますね。 誰しも、「こいつは嫌いだ、苦手だな」と言う人のひとりやふたり、おりますよね。 で、自分もその嫌いな仁も同じ楽団におったとしましょう。その嫌いでたまらないA氏は、 しかし、バイオリンの腕前は中々惚れ惚れするものだったとしましょう。 A氏を嫌いな自分が演奏を評するのに、「なんだ、この下手糞め。」 と言うかもしれないし「(人間的には虫の好かん奴だが)中々大したものだ。」 と言うかもしれない。 自分も含めて嫌いな相手に対して「中々だ」とは、「中々」言えませんけれども、 せめて365日朝昼晩、分別臭いことばかり言い散らすのが仕事の大マスコミ、まあ 朝日、読売、サンケイ、毎日なんかはこの辺の潔い公正さをもう少し持ってほしいと、 よく思う訳です。(ですから、正確に言えば、書いているうちに気づきましたけど、 「マスコミ=反政府であるべき」の構図のみならず、「「マスコミ=政府ヨイショであるべき」、 いずれの「べき」も私には意味のないスローガンな訳です。 ですから、次の >昨日まで野党をやっていた党が与党になった場合、昨日までその党の行動をほと >んど検証してこなかったのに今日から何故突然検証するようになったのか、はそ >ういう理由によります。そのマスメディア機関の支持政党が変わったからではあ りません。 ということについても、上の流れからあなたがそう感じると言うことは理解できますけれど、 検証の深さ(姿勢)と、それを肯定的に見るか否かと言うことは、私には やはり次元の違う問題でしかないのです。 以上が、私の見解であります。 |
風鈴カザンさん こんばんは あなたの書かれているマスメディアの実態は多くはそのとおりだと思います。 僕が書いたのは原理原則論、本来のマスメディアの姿のことで、実際に今の彼らの実態のことを書いたのではありません。『マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故?』という題が、まず原理原則論を問うているものだと思ったものですから。 ただ、マスメディアの「検証」についてひとこと。 僕は裁判官であらねばならぬのは読者、視聴者、つまり市民のほうだと思います。 企業は製品を作って売る時に、その商品の利点を再三説明します。PL法などができて、前より注意書きを添付することが多くなりましたが、そういう注意事項だって広告の時には言いません。売ろうとする商品の欠点、或いは欠陥などを言う企業などはありません。 政治・行政機関もほぼ似たようなものです。 つまり、相手は様々な利点を主張しているわけですから、改めてこちらが「検証」で利点などをあげる必要などはないということです。それより、その利点としてあげられているものは本当にそうなのか、どこかに罠や欠陥はないのか。公益などと言っているが、その実、彼らの私益になるものなのではないのか等々、それらをこちら側が検証する必要があるということです。特に、日本は政治・行政の説明責任がまったくといってよいほど欠けているのですから。 その意味で、日本ではマスメディアが「検証」をしなければならない仕事の量は膨大だと思います。 ※ (引用) ※ メディア論に詳しい政治学者のマイケル・パレンティ氏は、その著書『創られる現実〜ニュース・メディアの政治』のなかで「多くの人々にとって、メディアに取り上げられない事象は、存在していないことと同じである。現実にわれわれが見聞きできるもの、逆にわれわれが見聞きできないものも含め、すべては、マスコミの世界をコントロールする者たちによって決定されているのだ」と述べているが、無数に存在する情報の海のなかから、何を選び何を報道するか(あるいは反対に伝えないか)、この収拾選択する過程自体が、中立でも客観的でもありえない。【『メディアのからくり』保岡裕之著から引用】 ※ ※ マスメディアが多くの市民の代わりに”検証”をし提示してくれたものはしかし、本当に正しいのでしょうか。多くの人は、自分の専門分野におけるマスメディアの記事のいい加減さ、また安易さを身をもって味わっていると思います。 つまりは、マスメディアが検証をしてくれても、最後は市民の各自が自分で考え判断しなければなりません。この意味で、市民は裁判官のほうでなければならない、ということなのです。 しかし、自分で考え判断ができることはそうは多くありません。これに対する答えはまだ誰も持っていません。 |
>『マスコミは権力を監視(批判)しなければいけないって、何故?』という題が、まず原理原則論を問うているものだと思ったものですから。 そうですね。表題のつけ方と、私の話の進め方が不味かったですね。すみませんでした。 第三段落「企業は」以降の >相手は様々な利点を主張しているわけですから、改めてこちらが「検証」で利点 >などをあげる必要などはないということです。それより、その利点としてあげら >れているものは本当にそうなのか、どこかに罠や欠陥はないのか。公益などと言 >っているが、その実、彼らの私益になるものなのではないのか等々、それらをこ >ちら側が検証する必要があるということです この辺りが、自分の感覚に則れば微妙ですね。諾が半分否が半分、といったところですか。 「相手は様々な利点を主張している」→「改めてこちらが「検証」で利点などをあげる必要などはない」 と言う風に果たして結びつくのかどうか。 卑近な例で、子供が「父ちゃん、ぼく、夏休みの宿題をみんな終わらせて、逆上がりだって 何回も出来るようになったし、朝のラジオ体操では皆勤賞もらったんだよ」 なんて誇らしげに言ってきたとしましょう。利点と言うことでもないですけど、 みな、子供にはいいことばかりです。親だからと言って、鵜呑みにしてもよくないので、 検証、と言えば大げさですが宿題帳や皆勤賞のメダルを見せてもらうなりして、 確認を取った上で、 「おお、よく頑張ったな。寝坊すけのお前が毎朝早起きをして、苦手だった逆上がりが 出来るようになったなんて凄いじゃないか」 と褒めてやったり、妻に「おい、こいつ頑張ったんだぞ」なんてやるのは、ちっともおかしくありませんよね? また、もし反対に子供が言った事に嘘があれば、しかってやることです。 政府や企業の姿勢と、子供がやることに対する見方を同列で言うのはおかしいと思われる方も いらっしゃいましょう。勿論、その社会的重要性、意義なんかで比べるのは変ですが、 ただ、ある物事があったとして、それを検証する際の姿勢が政治だから、企業活動だから、 良い面は放っておいて、欠点や欠陥のみを論おうという態度は、私はおかしいと思うんですね。 其れが仮に野党という立場から見るのであれば、そうなって当然ですけれど、どこででも、 何時の世も野党的な考えに共鳴する人、与党(政府)的な考えに共鳴する人、何れにも 属さない人、色々いる訳です。それぞれの立場、考え方の人から見れば、そうでない人の 言っている事はおかしいと感じますよね?これはごく当たり前の状態だと思うんですけど、 そういう中で、「マスコミだから」どちらの立場に立つ、というのは私の感性ですとちょっと違うんです。 また、 >マスメディアが検証をしてくれても、最後は市民の各自が自分で考え判断しなけれ >ばなりません。この意味で、市民は裁判官のほうでなければならない、ということなのです。 そうですね。私もそうもいます。報道というのは大切な仕事だと言うのは異存ありませんが、 仕事って言うのは魚屋さんでもうどん屋さんでも、お医者さんでも、重要性に上下を 設けるのは私の主義ではないです。基本的に「職業に卑賤はない」と思っておりますので。 そういった観点からも、特にマスコミだからこういったものの見方をしなければいけない、 なんていうのは私には馴染みませんし、むしろ「マスコミだから」こそ色々な角度からものを見るのが 正にその使命でありますので、変にそこに制限を設けるのは適当でないと思う次第であります。 |
▼風鈴カザンさん: マスメディアの本来の仕事は、読者や視聴者に、「私たちはこのように検証しました。どうか皆様もよく考えてください」というようなものであることが最上であると思っています。 その意味で、風鈴カザンさんが言われるような客観的な検証から、たとえばこの法案は世の中にとってこういう良い効果があるというような指摘も有効ですね。ただ、そういうことは法案を提出する側がちゃんと言っており、それをマスメディアの人間が認めた場合は、単にその発言や主旨などを紹介するにとどめていることが多いですね。最近は問題があっても、それだけで終わってしまうことばかりですが(^^; 上に書いた、客観的な検証とか、第三者の立場という点ですが、それが可能かどうかはさておきまして、マスメディアは基本的に自分も一市民という視点から報道をおこなってほしいと思っています。 「第三者の立場」といえば、僕はいつも星新一のショートショートの一つを思い出してしまいます。 ある時一人の男が新聞社に駆け込み懇願しました。 「俺は何者かに命を狙われている。ついさっきも狙われた。どうかこれを記事にしてくれ!」 記者は言いました。 「わかりました。あなたの後をついていき、殺される場面をしっかり見届けて記事にしましょう」 |
風鈴カザンさんが喩えとして子供の話をしたのはわかる気がします。 政治家、官僚といえども人の子で、褒められればうれしいし、いつも欠点や悪いことばかりをあげられていたのではまいってしまいます。 でも、そうやって、いつも良い法案や行政を褒めたりした場合(僕には今の日本の政治・行政は問題山積で、そういうことに割く時間はあまりないようにも思われるのですが)、今の権力、また市民側のほうでの問題はないでしょうか。昨今の権力はそういう報道を、乾いた雑巾を絞るほどまでに利用していくだろうし(実際今の政治は広告代理店的、演技政治的ですね)、市民は市民でそういう報道に接すると安心してしまい他のことで問題が出ても任せてしまう、というような風潮というか傾向がないでしょうか。これは「メディア・リテラシー」にもかかわることですが、日本ではこの点では、先進国から大きく遅れているように思います。 ちなみに、マスメディアが「不偏不党」を誓っているのは先進国では日本くらいものらしいです。 ともあれ、それでなくても日本には『官尊民卑』のように、まだまだお上にまかせっきりの場面や心理なども多いのような気がしています。一方、問題点を報道するにしろ、その報道の仕方にも問題があるのかもしれません。たとえば、やたらと入る効果音一つとっても、あんなものが公正な報道に必要なのかと思います。 なんやかんやで、僕はやはり、たとえば『暮らしの手帖』のようなやりかたで、対象を検証するほうが今はまだ正しいような気もします。 ------------(引用始め)------------------------- 「週刊文春」 2002/08/15-22 『日本を呪縛する角栄の二つの遺伝子』 ”「田中真紀子」研究”を上梓した立花隆インタビュー …(略)… 自社大連合の基礎も、角栄が築いた ━ 角栄を通すと、確かにいろんな政治の裏側が見えてきますね。自民党と社会党が大連合を組んで、村山内閣が成立したとき、世間はかなり驚いたわけですが、本書で紹介されているように、社会党と自民党が裏では深くつながっていたのなら、不思議でも何でもなかったわけですね。 立花 ぼくも、田中角栄が自民党幹事長だった時代、国会が会期末に近づくと、角栄と岩井章総評事務局長が国会内の一室に密かに閉じこもって、残りの会期で、どの法案をあげて、どの法案を流すか、法案の一覧表を広げて、赤鉛筆片手に談合でパッパと決めていったという話は、びっくりしました。与野党激突の乱闘国会が全部お芝屈で、事前にシナリオができていて、誰が誰を殴り、誰のネクタイをつかんで首を絞める、なんていう段取りまでできているという話は、政治記者の間で常識になっていましたが、通常の国会審議まで、あんなふうに談合していたのかと、五五年体制の裏側を見せられた思いでした。 ━ 角栄のカネが野党にまで流れていたという話も非常に興味深い。 立花 そうそう。角栄があるとき、野党の議員のところに、カネを届けてこいと早坂秘書にいうので、「日本の野党をこれ以上腐敗させないでください」と早坂が抗議すると、角栄が、「お前は何バカなこといっているんだ」と叱る。「向うが夜中に電話してきて、『角さんゼニがない。頼むから助けてくれ』といってきたんだ。人助けしてどこが悪い」と。そしてさらに、「これは日本の政治を動かすための必要経費だど思え」という。 ━ 「必要経費」ということばに、角栄政治の神髄を見たような気がしました。しかし、やはり「これが角栄か」と圧倒させられたのは、藤原弘達の言論弾圧事件でのエピソードです。公明党のために一肌脱いで、料亭に弘達を呼んで口ききをしてやる。 立花 あそこで角栄が単刀直入に、カネでも地位でも何でも望み通りにしてやるぞと露骨な交渉をするところもすごいけど、その隣りの部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が耳をすませてカタズを呑みながら交渉の進行を見守っているという裏話がすごいでしょ。そして、公明党幹部と角栄のそういうウラの関係が、後の二階堂擁立事件のときにきいてくる。 ━ 二階堂擁立事件の真相も驚くべきものですね。後に野党の大連合で細川内閣が生まれる背景には、あの事件があったのだということを知って、納得がいきました。 立花 二階堂擁立を仕掛けて失敗した矢野書記長が、回想録の中で、我々があのときやろうとして失敗したことを、後に市川君(細川内閣成立時の公明党書記長)たちが見事にやってのけたというような書き方をしてますね。しかし、それよりびっくりしたのは、二階堂が、自分が擁立されて政権が取れたら、何が何でも角栄をロッキード事件被告の座から救ってやるつもりだといっていることです。 ━ 八つ裂きにされてもいいからやるつもりだといったといいますが、そんなこと法的に可能だったんでしょうか? 立花 本当に八つ裂きにされてもやるつもりになったら、法的に可能は可能でしょうね。政府の権限で特別恩赦にするという手があります。政治的には不可能でしょうが、もう政治生命もいらないという人だったらできないことはない。 …(略)… ------------(引用終わり)------------------------- |
メディアリテラシーのお話が出てましたので少し話しに混ぜて下さいませ^^ 他の国では一部が幾らくらいするのかしりませんが、日本では新聞の比べ読みって一般的ではないですよね。あるとすれば全国紙と日経を取るくらいだと思います。 私は外出時の時間調整に喫茶店をよく利用するのですが、そこではなるべくいつも購読しているものとは違う新聞を読むようにしています。 すると朝読んだ新聞の記事とは少し論調が変わっていたり、違った角度からの切り口があったりする。場合によっては一方では完全に黙殺されるような記事などが載ったりもする、と中々面白いんですよね。 本当は図書館にでも通えば、全国紙が全部読めるのだろうけど、時間的にチョット。。。なので、喫茶を上手く使わせてもらってます。 (まぁこういう場所で書き込みされている方々は普通に比べ読みを実践されているかも知れませんけどw) でも、こういうふうに一つの見方だけの記事で判断するのではなく、色々な見方があるという認識を持つのは良い事だと思う。 っていうか新聞にだって是々非々があったっていいじゃないかと思うのだけれど、金銭的な面で中々難しいですね(1紙あたり一月3千円強くらいですものねえ) で、タダに近いからテレビならどうかと言えばこれも如何かという状態。まぁTBSやテレ朝へのカウンターみたいな形で「チャンネル桜」なんかが出てきたんでしょうけれどもね。 今後デジタル放送が本格的に軌道に乗り、好きな番組(局ごとが一般的だろうけど)だけを料金を払って見るという形態が増えてくれば、今の新聞みたいになりそうですね。(苦笑) (ちなみに私は朝日を購読しています。「右寄り」なのに何故?と言われれば、自分なりの一種のバランス感覚でもあり、十数年と購読を続けていると言う惰性の所為でもあるのですが) |
▼通りすがりの米4の人さん: > すると朝読んだ新聞の記事とは少し論調が変わっていたり、違った角度 > からの切り口があったりする。場合によっては一方では完全に黙殺される > ような記事などが載ったりもする、と中々面白いんですよね。 昔の新聞は取り上げているニュースが新聞社によってまちまちで、今の紙面から考えると、これはみんな同じ日の新聞なのか?と不安になるくらいの違いがありました。 今の新聞の記事の80%は記者クラブ発のいわゆる「たれ流し記事」「官報」です。それ故、どの新聞でも大差のないようなものが並んでいます。だいたいが記者クラブで配布するプレス・リリースを広報の者が記事にしやすいように、あるいはそのままで記事になるような体裁で出したりし、記者から好評を博しているなんてことも聞かれるくらいです。 一方、そういう横並び記事から自社だけはずれることを「特オチ」と言い、これを記者たちは非常におそれます。 それでも、そういう記事のなかにも細部で各社の違いが出ていることはありますし、独自取材の記事なんかだと結構各社とも違う思想面などが出てくるようですね。あと故意に或る記事を載せないということもあるようです。 ただ、入社した時点で、各社の記者にどれだけの思想や感性面での違いがあるのか僕なんか疑問に思っています。そうそう人間というのは各社の紙面にあるように、同じような考え方に統率されるものだろうかと不思議にさえ思います。「○○新聞」らしさを各自が”演じている”ということでしょうか。そしてそれがそのうち演技ではなくなってくるということなのでしょうか。 『週刊ポスト』2004/10/22号で、アメリカの経済誌『フォーブス』のアジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード氏が面白いことを言っています。ほんとは笑い事なんかではないんですが。 ----------------(引用始め)---------------------------------- 調教された日本の新聞 −−B・フルフォード(『フォーブス』アジア太平洋支局長) http://www.weeklypost.com/jp/041022jp/index/index1.html 新聞側は、記者クラブで発表されることを書かなければ、“村”から排除されます。懇談会や懇親会に呼ばれず、特オチ(他の新聞社が揃って書いている記事を、一社だけ書けないこと)になってしまう。それが嫌だから、嘘の情報でもみんな書くのです。うまく調教されている。 日本の権力は、新聞、テレビは信用できるが、クラブに所属していない週刊誌や夕刊紙は信用できないという偏見を広めてきました。私にいわせれば、日本で信用できるメディアは週刊誌、夕刊紙、それに右翼の街宣車(笑い)。最後に新聞です」 ----------------(引用終わり)---------------------------------- 彼は『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日―最後の社会主義国家はいつ崩壊するのか?』などの著者としても有名ですが、1996年まで日経新聞にいました。しかし、彼が書いた記事に圧力がかかったり、「もうこの問題についての記事は書かないでほしい」と編集局長から宣告されたりして日経新聞を辞めています。彼はそのときのことをこう言っています。 「問題の本質を書かないで、ただ起こったことだけを書く。背景にはふれない。また、取材もしてはいけないとなれば、私はなにを書けばいいのだろう。このとき、私の希望は完全に崩れ去った。そして、この国に抱いていた思いも裏切られたような気がして…」 僕の日本の現在のマスメディア観に一番近いのは、『朝日と読売の火ダルマ時代』藤原肇(1997.11.01刊)にある次の一節です。参考になる文献ゆえ、長いですがあえて紹介しておきます。 ----------------(引用始め)---------------------------------- W 朝日新聞の首脳陣の腐敗を指摘して、あなたはそれを堕落だと嘆いておられる。だが、新聞を商品として作ることを目指したり、今のように販売部数の拡大を競う限りでは、そんなものを新聞だと考えるのが間違いで、日本のジャーナリズムに対しての幻想です。自力で取材もせずに記者クラブに安住したり、相手が反撃しないと分かってから批判記事を書くし、新聞は自分や仲間の不祥事は報道しません。 これが新聞を含めた日本のメディアの正体であり、私は一生をビジネスに費やして来たお陰で、表に出ないそんな世界を目撃しました。朝日や毎日は新聞として大阪で始まったのに、東京に進出して肥大症の病気にかかり、実力より学歴や学閥を重んじたせいで、お役所みたいに硬直して巨大化しました。だが、商売のコツをすっかり忘れてしまい、商売を広げ過ぎると屏風と同じであり、広がって倒れることが分からなくなって、売り上げは伸びても利益の少ないことばかりします。 F 新聞社が発行部数の大きさを競い合って、記事の質を軽視しているのは情けないが、そこまで決めつけられると身も蓋もなくなり、東京の人間として話が続けられなくなります。日本の週刊誌を見れば明かなことだが、あれだけ低俗で扇情的な内容の記事と、あられもない裸の写真や劇画を売り物にし、それを商売にして経済大国が成立している。これは悪あがきをしている姿だと思うが、新聞は週刊誌やテレビほど堕落しておらず、未だ救いがあるし希望が持てると思うのです。 W お気の毒だが日本の現状に無知なために、あなたは幻覚に支配されているのであり、そんな綺麗ごとを言って済まないほど、日本の現実は汚れ果てているのです。 田中角栄のロッキード事件に始まり、リクルート事件やイトマン事件を経て、佐川急便事件や証券スキャンダルに至ったが、一連の疑惑が納得できる形で解決したとか、巨悪が捕まったということがありましたか。ないでしょう。 権力者と言われている者だけでなく、メディアが共犯であるために、問題は何ひとつ明らかになりません。それはロッキード事件の頃から同じでして、そこで私は全ての分野から身を引き、何にも関与しないことにしたのです。 ----------------(引用終わり)---------------------------------- けれども、今はネットもあります。希望は捨てる必要はないのかもしれません。 > ちなみに私は朝日を購読しています。「右寄り」なのに何故?と言われれば、 > 自分なりの一種のバランス感覚でもあり、十数年と購読を続けていると言う > 惰性の所為でもあるのですが) 人としてなかなかできないことであり、敬意を表したいです。 また、一紙だけというのはすごいことだと思います。 僕なんかは影響されやすいほうなので、たとえば読売新聞だけなんていうことは恐くて出来ません(笑) それどころか、新聞・テレビの報道ばかりに接していると現実感がなくなってしまうので、それさえも気をつけているくらいなのです。 またお気が向きましたらお話をお聞かせ下さい。 |
風鈴カザン さん 権力・民意とマスコミの問題を混同されていますね。 北の老兵さんの言われるように権力というものは不可避的に腐敗することは、歴史が証明しています。したがってジャーナリズムが権力を監視するのに何の不思議もありません。 ただし政権党をただ批判していれば権力と戦っているような錯覚に陥っているような社説をよく見かけますが、これは醜いです。 それから、マスコミは単一の汚職などの事件を報道しても権力側の構造的腐敗にはなかなか切り込めません。 一例が、役人の天下りです。なに、大手新聞社や大手テレビ局の幹部は、結構子会社へ天下っているのです。身内に火がつくから抜本的批判などできません。 求むゲリラ的ジャーナリズム。 |
北の老兵さん!お久しぶり! 老人党のスレッドも僅かの間に変わってしまいました・・。 仰有る通り、権力は永く続くと独善、独裁的になり 頂点に座する者には、権力に阿る「「おもねる」ものや権力を利用して 利益を占めようとする輩が必ずと云って良いほど現出します・。 彼らは密室た闇や裏でうごめきますので・・それらを明るい処へ 引っ張り出すのは、マスコミ「ジャーナリズム」の力をおいて他にはありません。 内部告発にしてもマスコミが機能しなければその目的は遂げられません。 社会の暗闇に真実の光を当ててくれる事が私達のマスコミに期待する処で これを置いて他に無いように思えます・・。 |