Page 1642 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼戦争とは何か? 曳馬野 太郎 04/10/18(月) 16:06 ┣Re(1):戦争とは何か? tomyk 04/10/18(月) 21:18 ┃ ┗Re(2):戦争とは何か? 曳馬野 太郎 04/10/19(火) 14:56 ┃ ┣Re(3):戦争とは何か? 告天子 04/10/19(火) 17:09 ┃ ┗Re(3):戦争とは何か? tomyk 04/10/19(火) 21:26 ┣Re(1):戦争とは何か? YOTA 04/10/18(月) 21:57 ┗Re(1):戦争とは何か? 昼行灯 04/10/19(火) 19:15 ┗Re(2):戦争とは何か? 曳馬野 太郎 04/10/19(火) 20:08 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 戦争とは何か? ■名前 : 曳馬野 太郎 ■日付 : 04/10/18(月) 16:06 -------------------------------------------------------------------------
戦争とは何か? 戦争とは一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意志を強要するところにある。 戦争は政治の道具である。 戦争は政治交渉の一部であり、従ってまたそれだけで独立に存在するものではない。 およそ戦争の性格と主要な輪郭とは、その国の政治の規模と、政治的事情から生じる。 以上クラウゼヴィッツ「戦争論」より 軍隊は、戦争遂行及び、自衛を目的とした戦争抑止を具体的に担保するための機関である。その本質はその国の政治交渉力の一部として存在し、その特性はその国の政治形態の特性に依存する。 従って軍隊の特性は、各国ごとにその国の政治理念や政治体制に依存する。 例えば国によっては、治安維持を目的として、軍隊が自国民を弾圧虐殺する事もある。(例えば天安門事件) あるいは国際的テロに対する反撃と、予防のためとして他国に戦争を仕掛ける国もある。(米国によるアフガン戦争、イラク戦争) 軍隊の本質を論ずるのならば、いつの時代の、どの国の軍隊についてかを、当然その政治的背景の一部として論じるべきであり、それなくして軍隊の本質を語ることは、「リンゴは赤いものと決まっている」と言うような稚拙で雑駁な議論に終始する。 戦争はあらゆる努力を傾注してこれを予防し、避けるべきものである。 しかし、不幸にして戦争が行われた場合、軍隊が相手国軍人、あるいは非戦闘員をも殺傷する事は避け得ないが、これが直ちに国際法上「殺人」に問われる事はないのが実態である。 国際連合憲章 第1章 目的及び原則 第2条〔原則〕には 4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。 とあるが、これは特定の国が戦争を起こす権利までを否定しているわけではない。 残念ながら、現在のところ、ここまでが人類の英知の限界である。 |
>曳馬野 太郎様 始めまして。 ここまで戦争という行為を冷静におっしゃられる方を、この板で始めて拝見させていただきました。 人間には善悪があり、善行に傾き、愚考に染まり、愚行を犯す事もある。 完璧な人間などいないが為に、あらゆる方法を模索する。 その中で最悪の中の最善が掴めれば恩の字ではないかと思っています。 完璧を一足飛びに求めては、常に飛距離が足らないと愚考いたします。 |
Tomykさん、こんにちは 人間には交感神経と副交感神経がありますね。外界からの刺激に対して緊張するか、あるいはリラックスするかを制御している自律神経です。 車にもブレーキとアクセルがあり、どちらが欠けても欠陥車となります。 私は冷静さを装っているように見えるかも知れませんが、事柄によっては沸々とたぎる怒りを胸に秘めているものもあります。 ただ怒りにまかせて暴走すれば、本人も傷つくし周りの人間にも害を与える恐れがあり、適度なブレーキとハンドルさばきが必要だと常識的に思っているだけです。(このことを、忠告を与えたいと思う人もなきにしもあらずですが、聞く耳を持つかどうか) 戦争、軍隊、殺人などと言う言葉は、少し想像力があれば、極めて人の感情を揺さぶり、激情にまかせて論が走ることも否めません。 しかし、実際に日本の国益が他国と対峙して切迫した場合、世論がいかに冷静に対応するかと言うことは極めて重要な事です。 戦争や国益を賭した戦略を考える場合、私は下記の三人の著した古典が重要であると思います。 1 孫子(兵法) 2 マキャベリ(君主論) 3 クラウゼヴィッツ(戦争論) これらは洋の東西を問わず、国家戦略を立案構築する人間にとって、いまだに教科書として用いられています。(私は、戦争論は内容が膨大なのでごくたまに一瞥する程度ですが) 国の指導者がこれらを知ると知らないでは、その国の命運を大きく分けるのではないでしょうか。というのは、これらは嗜好の問題ではなく、冷徹な戦略ゲームの基本形を内包していて、例えて言えば柔道の技のようなもので、巨漢で体力はあるがこれに無知なるものと、柔道の有段者が争うような事になるでしょう。 クラウゼヴィッツはこうも述べています「戦争のような危険な事業においては、善良な心情から生じる謬見こそ最悪のものである」 国の安全保障を考える場合、「平和への願い」が「善良な心情から生じる謬見」の陥穽に陥ることのないよう注意すべきと私は考えています。 |
▼曳馬野 太郎さん: >クラウゼヴィッツはこうも述べています「戦争のような危険な事業においては、善良な心情から生じる謬見こそ最悪のものである」 > >国の安全保障を考える場合、「平和への願い」が「善良な心情から生じる謬見」の陥穽に陥ることのないよう注意すべきと私は考えています。 曳馬野 太郎さん、こんにちは、はじめまして。 クラウゼヴィッツ言うところの「最悪のもの」、つまり「善良な心情から生じる謬見」を政治的に利用するのは孫子の兵法としてはうまい手ですが、国内政治勢力が人民の「善良な心情」「平和への願い」を意図的に歪んだ方向に導くなら、騙す方が悪いのか、騙される人民が悪いのか・・・。 どっちも悪い、そうなってはいけない、と思います。 |
>曳馬野 太郎様 孫子は少し齧った程度で、マキャベリとクラウセヴィッツは未読でございます・・・。 善悪を度外視して、民衆にとっての最悪の中の最善を模索する・・・このような訳でよろしいのでしょうか? ・・・無学な自分では、この辺りを言葉に表すのは非常に難しいものです。 |
TomyKさんに同じくです。まったく同意いたします。 |
逆に、いえば、武器によらない戦争ってのもあるんだよね。 情報戦、心理戦、外交戦。日本国は憲法で国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄したわけだけど(いくらなんでも自衛戦争まで放棄してはいない筈)、情報戦や心理戦で見事に負けっぱなしだよね。 「グローバルスタンダード」とかいわれてアメリカに負けて、 「謝罪」で中国に負けてる。 戦争とは政治ということを忘れたからなんだと思う。 戦争とは戦闘、と勘違いするから、盲目的な反戦平和主義や、好戦的な軍国主義に行き着くのだと思う。 |
昼行灯さんはじめまして >逆に、いえば、武器によらない戦争ってのもあるんだよね。情報戦、心理戦、外交戦。・・・・ これは有名なところで、孫子の兵法、謀攻篇に以下の記述があります。 上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。攻城の法は、已むを得ざるが為めなり (軍事力の最高の運用法は、敵の策謀を未然に打ち破ることである。その次は敵国と友好国との同盟関係を断ち切ることである。その次は敵の野戦軍を撃破することである。最も劣るのは敵の城を攻撃することである。城を攻めるという方法は、他に手段がなくてやむを得ずに行なう。) ブッシュ大統領が孫子を援用していたら、イラク戦争はもっと違った展開を見せていたかも知れませんね。 あらゆる手段、謀略、諜報活動を通じて、イラクの大量破壊兵器開発を妨害し失敗させる(どうもなかったようですが)、米国の巨大な圧力を用いてイラク友好国との分断を計る、各国のイラクへの武器輸出を執拗に阻止し兵力の陳腐化を促す。これらの政策を徹底して実行し、フセイン政権の弱体化、あわよくば崩壊を画策する。 イラク空爆は下策だから、当面は採用しない。これが孫子の応用編となったでしょう。 ブッシュ大統領は、下策を真っ先に採用したと私は考えています。 |