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 ▼河上肇と饅頭!  流水 04/11/8(月) 10:27

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 ■題名 : 河上肇と饅頭!
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/11/8(月) 10:27
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   河上肇、(1879-1946・明治12年-昭和21年)、経済学者、京大教授、共産党員、詩人、1933年 治安維持法違反で検挙され、1937年 6月15日 刑期満了で出獄 する。

数奇な運命を辿った河上であるが、彼の代表作「貧乏物語」は当時の青年たちに多大な影響を与えた。
その序文で彼はこう書いている。
「人はパンのみにて生くものにあらず、されどパンなくして人は生くものにあらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。思うに経済問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも、全くこれがためであろう。」(貧乏物語)

その彼が、昭和20年10月に母親に書いた手紙が、雑誌「婦人世界」昭和23年2月号に『故郷の母への手紙』という題名で掲載されている。(ドキュメント 昭和世相史 平凡社所収)
その手紙を書いた翌年、彼は不帰の客になっている。

この手紙の中で、彼はひたすら饅頭の話をしている。
「まず、饅頭のお話から始めようと思います。そういうと、たといどんな話でも、話を聞くよりは、ほんものの饅頭を食べた方がいいとおっしやるでしょうが、実はわたしも饅頭が食べたくて仕方がないのです。しかし、当分食べられそうもないので、仕方なしに話でまぎらわす訳です・・」
と、饅頭への思いを切々と語っている。
戦後すぐの食糧事情を考えれば、砂糖などが不足しており、饅頭に入れる餡と砂糖が手に入らなくなっていることは想像がつく。

そして、彼の教え子たちが奔走して、彼に饅頭を届けるのだが、それに餡が入っていないといって悲憤慷慨している。弟子たちは、河上が饅頭ではなく、饅頭に象徴される、甘いものに飢えている事に気がつかなかったのであろう。
「餡は黒砂糖を用いたつぶし餡が良い」など、故郷岩国の饅頭の思い出話を延々と続けた挙句、最後に、饅頭を読んだ自作の歌を10首ほど書いている。一つ、二つ、紹介しよう。

「もしも天われに許さば 蒸したての 熱き饅頭たべて 死なまし」
「何よりも今食べたしと思ふもの 饅頭いが餅アンパンお萩」
「分厚なる黒飴つつむ饅頭に まされる味は世にはあらじと」 (同掲書)

日本を代表する経済学者である河上肇にして、死をまじかに控えて、ただひたすら故郷岩国の『焼き饅頭』の味を懐かしがっているところに、彼の素朴な人柄がかいま見える。同時に、人間の老いの摂理は、誰しも同じだなあと少しほっとさせてもくれる。

京都法然院の彼の墓は、京都が好きで、この地で静かに眠りたいと願っていたが、生活に苦しみ墓地を買うことができなかった河上のために、弟子たちが奔走して立てたものである。
「すべての学者は文学者なり。大なる学理は詩の如し」彼におくられた言葉である。
最後まで、信念に生き清貧の中で死んだ河上肇を送るにふさわしい言葉であろう。

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