Page 19 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/22(木) 18:56 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/23(金) 10:11 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/23(金) 18:15 ┃ ┗Re(3):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/23(金) 19:31 ┃ ┣Re(4):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/24(土) 7:07 ┃ ┃ ┗Re(5):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 9:05 ┃ ┣Re(4):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/24(土) 11:12 ┃ ┗Re(4):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 7:44 ┃ ┗Re(5):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/25(日) 10:14 ┃ ┗Re(6):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 17:07 ┃ ┣Re(7):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ナナママ 04/1/25(日) 21:41 ┃ ┣Re(7):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 島根の渡し守 04/1/25(日) 22:29 ┃ ┃ ┗Re(8):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/26(月) 18:40 ┃ ┃ ┗Re(9):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 北の老兵 04/1/26(月) 19:57 ┃ ┃ ┣Re(10):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/26(月) 21:22 ┃ ┃ ┗Re(10):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 島根の渡し守 04/1/26(月) 21:23 ┃ ┗Re(7):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/27(火) 9:47 ┃ ┗Re(8):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/28(水) 0:42 ┃ ┣Re(9):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 北の老兵 04/1/28(水) 10:33 ┃ ┃ ┣Re(10):教育を創ろう 家庭・学校・地域から またもやTutti 04/1/28(水) 13:25 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/30(金) 22:56 ┃ ┃ ┗Re(10):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/30(金) 20:51 ┃ ┗Re(9):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/28(水) 13:23 ┣大人の行動 虎キチ大好き 04/1/24(土) 11:41 ┃ ┗Re(1):大人の行動 団塊党 04/1/25(日) 14:29 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ワクチン 04/1/24(土) 12:02 ┃ ┣Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 島根の渡し守 04/1/24(土) 15:58 ┃ ┃ ┗Re(3):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 15:50 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 14:46 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 北の老兵 04/1/24(土) 21:03 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 15:39 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から プリーモ・レーヴィ 04/1/25(日) 11:21 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 北の老兵 04/1/25(日) 12:04 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/25(日) 20:02 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ワクチン 04/1/26(月) 8:08 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ワクチン 04/1/26(月) 8:30 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ナナママ 04/1/26(月) 13:35 ┃ ┗Re(3):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/26(月) 20:27 ┃ ┗Re(4):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ナナママ 04/1/26(月) 22:53 ┃ ┗Re(5):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/27(火) 5:43 ┣私の見た学校 珠 04/1/27(火) 0:34 ┃ ┗Re(1):私の見た学校 団塊党 04/1/27(火) 22:20 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/27(火) 21:51 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/27(火) 22:16 ┃ ┣Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 島根の渡し守 04/1/27(火) 22:40 ┃ ┃ ┗Re(3):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/28(水) 9:52 ┃ ┗>オルトンさん、団塊党さん、島根の渡し守さんへ、 珠 04/1/27(火) 23:39 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/28(水) 18:39 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から ひまんじい 04/1/29(木) 9:24 ┃ ┗Re(3):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/30(金) 22:33 ┣スレッドを新しくします Ray 04/1/28(水) 21:24 ┃ ┗Re(1):スレッドを新しくします しゃねる 04/1/29(木) 1:51 ┣Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 珍 源齋 04/1/29(木) 22:17 ┃ ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から 団塊党 04/1/30(金) 23:22 ┗Re(1):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/29(木) 22:55 ┗Re(2):教育を創ろう 家庭・学校・地域から オルトン 04/1/29(木) 22:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育を創ろう 家庭・学校・地域から ■名前 : 団塊党 ■日付 : 04/1/22(木) 18:56 -------------------------------------------------------------------------
みなさん、教育について意見交換しましょう。 教育の現状や問題点、意見、感想、提案など教育に関することをどんどん出し合っていきましょう。 |
団塊党さん こんにちは。 教育を創ろう、という気概に共感して書かせてください。 「教育」とは、教えて・おぼえさせる(しつける)こと、とあります。これですと知識の伝授という面が大きいのでしょう。上位にあるものが己の知識・知恵を下のものに伝える、言葉を変えれば年長者が若者に知識を伝授するということでしょうか。とすればまず年長者への配慮がまずあるべきだと思われます。これを円滑に遂行するには世代間の乖離を生むことのない連続性が求められると思います。ところが団塊世代が社会に登場する60年代の風潮を見るに、「若い」ということだけが評価され「老」が反故にされた。ゆえに連続性がこの時点で断たれていることになります。 「私を含む世代は『若者』であることが一番素晴らしいことだっていう60年代若者文化で育ってきており、おまけに旧来の『大人』イメージを否定し、壊してしまった張本人みたいなもんである。いざとなると見本にする大人像がないのだ。」 夏目房之介「これから−50代の居場所」 これを踏まえての「教育の創生」と解釈します。ただこれを一面的に過ぎ、盲目的として、批判される向きが必ずあります。できれば「教育」の定義を明らかにされた上で、議論の誘致をお願いいたします。 それに「教育」の目的は何か、誰が意図するのか、という点にも思いをはせていただきたく思います。 以上を踏まえて村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」からの引用で終えたいと思います。 「すべてのものごとは複雑であると同時にとても簡単なのです。それがこの世界を支配する基本的なルールです。そのことを忘れてはなりません。複雑に見えるものごともその動機においてはきわめて単純なのです。それがなにを求めているか、それだけのことです。動機というものはいうなれば欲望の根です。大事なのは、その根をたどることです。現実の複雑という根を掘るのです。それをどこまでもどこまでも掘っていくのです。そうすれば、すべてはやがて明らかになります。それが世界のありようです。愚かな人々は、永遠にその見かけの複雑さから抜け出すことができません。そしてこの世界のありようを何ひとつ理解できないまま、暗闇の中でうろうろと出口を探し求めながら死んでいきます。彼らはちょうど深い森の奥や、深い井戸の底で途方に暮れているようなものです。彼らが途方に暮れているのは、ものごとの原則というものを理解しないからです。」 |
▼ひまんじいさん: > 「教育」とは、教えて・おぼえさせる(しつける)こと、とあります。 「教える」+「育てる」=「教育」 だと私は考えております。 憶えさせたり、しつけをしたりするのは「教える」の範疇に入るのではないでしょうか。 最近は、子供の主体性を認めるあまり、「教える」という側面が軽視されているように思います。 生活面も学習面も教えるべき事はしっかり教えていくことが大切ではないでしょうか。 教えることを抜きにして、主体性や創造力は育っていかないのではないでしょうか。 要はバランスだと思います。「教える」と「育てる」のバランスが大切です。 世の中はとかくどちらかに傾きすぎる傾向がありますね。 >とすればまず年長者への配慮がまずあるべきだと思われます。これを円滑に遂行するには世代間の乖離を生むことのない連続性が求められると思います。ところが団塊世代が社会に登場する60年代の風潮を見るに、「若い」ということだけが評価され「老」が反故にされた。ゆえに連続性がこの時点で断たれていることになります。 私も年長者を大切にできる社会であって欲しいと思います。 年長者をまるで邪魔者扱いするような最近の一部の意見はもってのほかですね。 年金問題で若者と老人が対立するような構図はまずいでしょう。 これは政治の責任でもありますが、我々団塊の世代(正確に言うと私は25年生まれですので団塊の世代の次の世代ですが)もいくらかの責任は感じます。 >これを踏まえての「教育の創生」と解釈します。ただこれを一面的に過ぎ、盲目的として、批判される向きが必ずあります。できれば「教育」の定義を明らかにされた上で、議論の誘致をお願いいたします。 このスレッドはもっと自由な立場から、様々なな角度から意見を出してもらいたいと個人的には考えております。 あまり最初から限定的で一般化した議論は、抽象的なものになる恐れがあります。 日本の子供の現実、家庭や学校や地域の現実から出発した議論をたくさんしていく中で一般化、理論化も可能になっていくのではないでしょうか。 > 以上を踏まえて村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」からの引用で終えたいと思います。 >「すべてのものごとは複雑であると同時にとても簡単なのです。それがこの世界を支配する基本的なルールです。そのことを忘れてはなりません。 村上春樹氏のこの考えには同感です。複雑な現象をどう単純化していくかは普遍的な、科学の方法原理だと思います。 教育を考えていく場合も例外ではないでしょう。 |
団塊党さん こんにちは。そしてありがとうございました。 言い訳を含めて2点申上げます。「教育」というきわめてデリケートな問題ゆえ、なにか限定したところから誘致していただければ、ここを立ち上げられた団塊党さんのお考えも伺えるかと思った次第です。それと気を悪くなさらないで下さいね、と言ったうえで、村上氏の引用は「複雑に見えるものごともその動機においてはきわめて単純なのです。それがなにを求めているか、それだけのことです。動機というものはいうなれば欲望の根です。」要は「なにを求めているか」この一点です。つまり当初辞書を引いてわかった、上のものが下に伝授する、上のもの即ちお上の意思が何処にあるのか、そこに絶えず注目し続けることが大事なことではないでしょうか。 ただアメリカのご機嫌取りに終始する小泉首相の意思なんてものは、なんと浅薄でしょう。しかしこの人物こそ日本の最高権力者です。 |
団塊党さん、ひまんじいさん、おはようございます。 道徳性についての考察を始めて、教育にも興味があったのでご投稿致しました。 多少抽象的になる事をお詫びします(故に議論がはみ出そうならば、無視して 下さってOKです)。 私の場合、教育は「教える」+「育てる」ものであり、 それは人間に「人間らしさ」を育むものであると考えています。 野生のエルザ、狼少年の話が心理学でもよく引用されますが、 幼児期・少年期において、人との関わりから隔離され、狼・動物を 親として育った彼等は、発見された時、まさに狼・動物的であったそうです。 その後、幾ら彼等に教育・躾を施しても、人間語を話す事、ナイフや。フォークを 用いて食事をする事を習得するのも困難で、 容易に人間らしい人間になるには至らなかった・・とあります。 故に、教育とは、しかるべき時期(幼児期・少年期〜青年期)に 「教え」、「育てる」もので、その目的は、「人間らしさ」を育むもの・・では ないかと考察します。 さらに、「人間の源泉的欲望=時として暴力性・破壊衝動を持つもの」を 「文化」的領域に昇華させる役割を持つのが、「教育」であると考えています。 |
▼オルトンさん: >野生のエルザ、狼少年の話が心理学でも・・・ >故に、教育とは、しかるべき時期(幼児期・少年期〜青年期)に >「教え」、「育てる」もので、その目的は、「人間らしさ」を育むもの・・では >ないかと考察します。 >さらに、「人間の源泉的欲望=時として暴力性・破壊衝動を持つもの」を >「文化」的領域に昇華させる役割を持つのが、「教育」であると考えています。 教育の一番根っこの所には「人間らしさ」を育てる役割があると思います。 しかし、それをあまり狭く取って、知識や躾などの問題だけに限ってしまうと、取りこぼしてしまう部分があるかと思います。 親は一生懸命に人間らしく育ててきたはずなのに、そうはいかないと言った実例は山ほどあります。 意図的な教育の力などある意味では取るに足りないほど小さいと感ずることがあります。 現在の教育状況はむしろ教育過多に問題の根がありそうな気がします。 塾や習い事産業の盛況は言うまでもありません。 本も有り余るほどあり選ぶのに苦労するほどです。 家庭では少子化の影響で母親の管理が行き届き過ぎ、がみがみ言われる。 自然な遊び場も時間もない。 悪い意味での教育の過剰があるように思います。 井上靖の「しろばんば」などを読むと、昔の子供達の生活ぶりがよく分かります。 地域では、大人の管理から離れた子供達の生活が奔放に営まれており、 その中で子供の冒険心や連帯心、創造力、本能的なものの充足などあらゆるものが養われていたのではないかと思います。 私たちの世代もそれに近いものがありました。 青少年の問題がここへ来て吹き出してきているのは、子供の自然な欲求を満足させる空間や時間がなくなった結果だと言っても過言ではないでしょうか。 子供が育つには「三つの間」が必要だと言われています。 時間と空間と仲間です。 この三つが今、一番必要な時代になっているように思います。 |
ひまんじいさん、オルトンさん インフルエンザにかかって頭がもうろう状態です。回復してからお返事します。 |
▼ひまんじいさん: >「教育」というきわめてデリケートな問題ゆえ、なにか限定したところから誘致していただければ、ここを立ち上げられた団塊党さんのお考えも伺えるかと思った次第です。 ようやく熱が収まりました。お返事が遅くなったことをお許し下さい。 このスレッドを立てたのは、問題を限定してそこを深く議論していこうという意図からではありません。 様々な年代や立場の方から幅広いお考えを伺いたいと思ったからです。 でも、その時々で、様々な方から問題提起をしていただくのは大歓迎です。 私も問題提起をして皆様のご意見を伺うこともあるかと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。 >上のもの即ちお上の意思が何処にあるのか、そこに絶えず注目し続けることが大事なことではないでしょうか。 >ただアメリカのご機嫌取りに終始する小泉首相の意思なんてものは、なんと浅薄でしょう。しかしこの人物こそ日本の最高権力者です。 時の権力者が教育に与える影響は無視できないと思います。 教育の方向性を決めるものですから。 教育基本法の見直しについては注視していく必要があります。 そういう角度からもどんどん議論していきたいと思います。 しかし、一方、教育は家庭や学校、社会の責任でもあります。 政治の有り様から離れたところでの議論も大いに必要だと思います。 直接的に子供に接するのは我々一般の国民なのですから。 子供は直接に接する人から甚大な影響を受けます。 そういう意味では政治の影響は少ないとも言えます。 |
▼みなさん こんにちは。 団塊党さん 体調が徐々に回復されることを願います。そして 沢山の方の参加(とても健全な論客のかたがた)が得られて、益々賑やかになることを祈念します。 1H5Wじゃありませんが、前回教育を施す側の意思というものへの注意の喚起をさせていただいたつもりです。しかし日本の権力者(教育の分野では文部省ということでしょうが)が戦後したことは何でしょうか。私の思い込みですが、安保闘争以来の学生運動が、先鋭化しすぎたあまり、国民の支持も得られなくなりました。その結果マルクスにかぶれた若者の排除策として、なにを聞いても「別にー」としか言わなくなった無気力・無関心・無責任な風潮が日本中を闊歩するようになりました。そうしてお上依存の体質が完全なものになりました。しかもお上も日本の文化・思想に触れないように逃避し続けてきていると思うのです。敗戦の必要以上のコンプレックスが未だに尾を引いているのでしょうか。ことに自民党の実力者にはその傾向が強いのではないでしょうか。ことに、野中、加藤、河野氏などリスクを回避したいだけの弱虫としか思っておりません。 今は亡き大先輩と喫茶店に行って話してもらったことが印象に残っています。山一證券の破綻の前当たりから、財・官を問わず立派な服装の紳士達が己の不徳を詫びてマスコミのカメラの前で頭を深々と下げる姿を何回見せられてきたことか。いま日本をリードすべき人たちが自我の確立する少年のころ、まさしく敗戦でした。 >特に人格を形成する幼少期にあっては、「育てる」の部分が重要なのではないでしょうか? 育てる=人格を育てる(個性を伸ばす)と私は思っているのです。 北の老兵様のおっしゃることと全くダブります。ところが敗戦のどさくさで一夜にして倫理観が代ってしまう中で時の大人たちは右往左往です、子供の人格期形成に大事なこととは、なんてやっていられるわけがない。その子供たちの世代が今の日本の牽引者たちです。言わずもがなですがすべてがそうじゃありません、ただ相対的にという事実があるんじゃないでしょうか。だからこそ団塊党さんのおっしゃる「教育の創生」という言葉に強く反応・同意するのです。 長くなりついでに、過去に批判を頂きましたが、明治維新以来未だに日本は白人コンプレックスにとらわれたままではないか、という疑問です。文化の移入先中国や朝鮮の足踏み状況のなか徳川300年の太平の夢から覚めてみると、そこには世界を席巻するものとして西洋文明があった。それはいままでの近隣ではない地球の反対側の文明であり、それを獲得するのに躍起になってきたのが日本の20世紀史ではないでしょうか。そして劇団「四季」の浅利慶太氏の文章を見て思いました、 「西洋の巨大な才能が19世紀末から20世紀にかけて、東洋の日本におこった2つの文明の衝突の悲劇を描いたまさにその時、奇しくも巨大な白人国家に黄色人種の小国が挑んだ日露戦争が勃発した。私はこの双方になにか暗示的なつながりを感じてならないのだ。」(出典は文春2月号です) 日露戦争も白人コンプレックスの裏返しとは見られないでしょうか。それと前半部分はイタリアの代表的オペラ作曲家・ジャコモ・プッチーニの書いた歌劇「蝶々夫人」のことで、氏がミラノ・スカラ座での公演の演出を執り行ったことが書かれたものです。 |
▼ひまんじいさん: > 団塊党さん 体調が徐々に回復されることを願います。そして 沢山の方の参加(とても健全な論客のかたがた)が得られて、益々賑やかになることを祈念します。 おかげさまでかなり回復しました。 このスレッドが賑やかになることを私も願っております。 > 日本の権力者(教育の分野では文部省ということでしょうが)が戦後したことは何でしょうか。 私は自民党政治は日本を滅ぼしかねないほどの大罪を犯していると思いますが、教育に与えた影響は世の中で考えられているほど大きいものではないと思っています。 なぜなら、子供に直接接するのは教師であり親であるからです。 戦後の日本の教師達は良心的で熱心な人たちがほとんどではなかったかと思います。 私は日教組には必ずしも賛成できない部分があります。 良く言えば頑固、悪く言えば教条主義的なところがどうもなじめませんでした。 しかし、生活綴り方運動をはじめとして民間教育運動の牽引役として大きな影響を与え、一時代を築いてきたのもまた事実です。 また、群馬県の元島小学校の校長、齋籐喜博のような巨人も戦後教育の中で輩出しました。(齋籐善博全集が図書館にあると思いますのでお読み頂ければ嬉しいです。) もし政治の力が教師達も飲み込んでいたなら、このような学校は生まれなかったことになります。 しかし、現実に生まれているのです。 島小学校の後にもいくつも生まれました。 どんな政治状況の中でも教師の力によっては素晴らしい学校や子供が生まれることを歴史は実証しています。 そういう意味で私は安易に政治の責任にするのを好みません。 自分の出来る限りのことをやるだけだと思っております。 しかし、政治のあり方に関心を持っているのは人一倍だとも自負しております。 文部科学省や教育委員会のやり方におかしな所はたくさんあります。そういうことも話題に出していきたいと思っております。 >明治維新以来未だに日本は白人コンプレックスにとらわれたままではないか、という疑問です。・・・(西洋文明)それを獲得するのに躍起になってきたのが日本の20世紀史ではないでしょうか。そして劇団「四季」の浅利慶太氏の文章を見て思いました、 > 日露戦争も白人コンプレックスの裏返しとは見られないでしょうか。それと前半部分はイタリアの代表的オペラ作曲家・ジャコモ・プッチーニの書いた歌劇「蝶々夫人」のことで、氏がミラノ・スカラ座での公演の演出を執り行ったことが書かれたものです。 白人コンプレックスは日本の絶頂期(?)バブルの頃に無くなったかと思われましたが、未だにありますね。 私が教育現場で感じることは日本の子供達が自己表現が苦手だということです。 同じアジアの中国や韓国の子供達と比べても自己表現力にかけてはどうも見劣りします。 一人になることが下手です。個の確立ができていません。 徒党を組まないと安心できないのです。 ですから一人では不安で、自己表現ができないのです。 その反動で、滅茶苦茶な自己表現も若者の間で生まれています。 こういう要素が徳川300年の間に私たちの遺伝子の中に組み込まれてしまったのでしょうか。 (半分冗談ですが半分はそう思います。) 学校にも責任があるかもしれません。 私は日本文化は好きです。 江戸の庶民文化、落語や将棋や相撲など好きです。 ごちゃごちゃした長屋の下町文化、寅さんの世界も魅力的です。 また、明治以降の西洋文明を取り入れた日本文化も好きです。 滝廉太郎や山田耕筰、夏目漱石や島崎藤村なども好きです。 「浜辺の歌」などを聞くと涙が出そうになります。 プッチーニやヴェルディもいいですが、それに劣らずいいものがたくさんあります。 昭和30年代の生活を思い起こさせる漫画映画「となりのトトロ」を見ると郷愁がこみ上げてきます。 日本の良い伝統や文化は後世につないでいきたいですね。 |
団塊党さん: はじめまして 団塊党さんは現役の教師であるとうかがってお聞きします。 このスレッドは教師にとっては、よろしいかと存じます。叔父は小学校校長を引退し、その娘さんも団塊世代で現役教師です。どうにもついていけない彼らの教育感、有名校さらに大学をでなければ一人前ではないという発想。有名大学はでたけれど、フリーターでも大学をでたから好きなように転々としていてもかまわない。成績優秀だったから、あとは何もいわない。芸大じゃなきゃだめ、で三浪して今年、卒業する子もいます。それで、満足してます。 そこが私のワカラナイ所です。 楽しければいい。嫌な仕事はしない。 私は先ず親からの自立ありきで、大学には行く気もなく、先ず、働いて経済的に自立することが先決でした。働くことの意味が教育現場ではされていないようです。入社しても一、二年で退社して、好きな事をする。礼儀も正しい。知識も豊富。学歴も立派。ただ好きなこと以外はしない。 仕事は必ずしも、自分に向いてない、楽しくないのは事実です。でも、生きていくには食わなきゃならない、人に頼らず生きていかなけれならない。その切実さが高卒であろうが、大卒であろうがない。日本は飽食の時代といっても、世界中に飢えている子ども、病気の子どものほうが多い事実を何でしらないのでしょう。汚い格好をしていれば、乞食(ホームレス)って理由もわからずにいいます。他人の苦しみ、痛みをわからずして教育とはなんなんでしようか? >白人コンプレックスは日本の絶頂期(?)バブルの頃に無くなったかと思われましたが、未だにありますね。 白人コンプレックス?私には全然ありません。何ゆえにいまだあるとは? >私が教育現場で感じることは日本の子供達が自己表現が苦手だということです。 >同じアジアの中国や韓国の子供達と比べても自己表現力にかけてはどうも見劣りします。 >一人になることが下手です。個の確立ができていません。 >徒党を組まないと安心できないのです。 >ですから一人では不安で、自己表現ができないのです。 >その反動で、滅茶苦茶な自己表現も若者の間で生まれています。 > >こういう要素が徳川300年の間に私たちの遺伝子の中に組み込まれてしまったのでしょうか。 >(半分冗談ですが半分はそう思います。) >学校にも責任があるかもしれません。 誰の責任でもないと思います。自分自身の責任です。 |
35年ばかり前、私は中学生でした。思えば日の丸・君が代に何の違和感もなく、こんなものだと思って、行事の際には日の丸に脱帽し、君が代を歌っていたものです。でも日の丸や君が代が、戦争前や戦争中に、「お国のために」「天皇陛下のために」という気分を昂揚させるために使われた、ということを学習することによって、今は「日の丸・君が代を強制することはおかしいんじゃないかなあ」と感じるようになりました。 「こんなものだ」と思っていることでも、一度疑ってみる、納得いかないことは追求してみる、という姿勢は、私自身が受けてきた教育(だけではないかもしれませんが)の成果ではないかと思っています。 私も教員ですが、子どもたちの力を信じて、子どもたちの疑問を大事にする教育をすすめたいです。 もしかして、これこそが今の為政者が一番いやがることなのかも。「とにかく文句言わずについてきてくれたらそれでいい」と思ってるのかも。 そんな人たちの思う壺にはまらない子どもたちになってほしいと私は思っています。 |
▼島根の渡し守さん: > 「こんなものだ」と思っていることでも、一度疑ってみる、納得いかないことは追求してみる、という姿勢は、私自身が受けてきた教育(だけではないかもしれませんが)の成果ではないかと思っています。 > 私も教員ですが、子どもたちの力を信じて、子どもたちの疑問を大事にする教育をすすめたいです。 > もしかして、これこそが今の為政者が一番いやがることなのかも。「とにかく文句言わずについてきてくれたらそれでいい」と思ってるのかも。 > そんな人たちの思う壺にはまらない子どもたちになってほしいと私は思っています。 教員がこのスレッドにどうして投稿しないのだろうと不思議でしたが、ようやく巡り会えました。 今後、よろしくお願いいたします。私と同世代のようですね。 物事を見たり聞いたり考えたりするとき、先入観を持たずに、自分の目と耳と心を働かせる。 疑問を持ち、納得いかなければ調べ、追求するという姿勢は教師自らがまず実践することだと思っています。 その姿勢は子供にも伝わるのではないでしょうか。 ただ、何せ時間が足りなくて、ついはしょって子供の意見をじっくり聞かずに押しつけてしまうことも度々あり反省することも多いです。 教室でのことも支障ない範囲で今後お互いに話題として出し合っていけたら嬉しいです。 |
▼団塊党さん:▼島根の渡し守さん: 団塊党さん、現役の教師の仲間が増えてよかったですね。 島根の渡し守さん、今後ともよろしくお願いいたします。 どんどんお二人で現場の生の声をお聴かせ下さい。 早速ですが、また悲しい悲惨な事件がありましたね。中学生の男の子が食事も与えられない虐待を受けて、まだ意識不明の重体と言う。 先日はサッカーのゴールポストが倒れて死ぬ事故があり、校長先生が自殺をすると言う事件がありました。事故の責任を一身で受けての事、なんと責任感の強い人だろうと思っていましたが、今回の事件は学校がもっと勇気を持って対処したら防げた筈。校長の会見を見て余りにもの落差に腹が立ちました。 お二人は絶対そのような方でないと思っていますが、事なかれ主義じゃなく、言うべき時は言う、やるべき時はやる、そのような教師であってほしいと願っています。 |
▼北の老兵さん: >団塊党さん、現役の教師の仲間が増えてよかったですね。 >島根の渡し守さん、今後ともよろしくお願いいたします。 >どんどんお二人で現場の生の声をお聴かせ下さい。 有り難うございます。そうなれば嬉しいことです。 > 先日はサッカーのゴールポストが倒れて死ぬ事故があり、校長先生が自殺をすると言う事件がありました。事故の責任を一身で受けての事、なんと責任感の強い人だろうと思っていましたが、今回の事件は学校がもっと勇気を持って対処したら防げた筈。校長の会見を見て余りにもの落差に腹が立ちました。 私は新聞で校長の会見を読みました。それを読む限り、事なかれ主義と言われても仕方ないですね。 虐待の可能性まで察知していながら、家庭からの抗議を恐れて手を打てなかったのですから。 ただ、若干の同情の余地もあるかもしれません。現場の事情も昔と違い難しくなってきています。 最近、家庭の事情による子供の不登校は増えてきています。 私の学校にも、そういう子がいます。 教頭は毎日、朝、登校するのか休むのか確認の連絡を入れています。 そういう家庭が3軒あります。 時には玄関まで迎えに行ったりもしていますが、かえって煙たがられストーカー呼ばわりされることだってあります。 これだって訴えられかねません。 有り体に言えば、退職するまでに首が何回か吹き飛ぶくらいの覚悟がなければ、本気で勤め仰せない。ということです。 このような厳しい現実があることもご理解下さい。 ただ、だから今回のようなことが許されるとは思いません。 誤解無いようにお願いします。 > お二人は絶対そのような方でないと思っていますが、事なかれ主義じゃなく、言うべき時は言う、やるべき時はやる、そのような教師であってほしいと願っています。 もちろんそういう覚悟は出来ているつもりです。 |
何かしないといけないなあと思って老人党に入りました。この掲示板でいろんな人の意見を聞きながら、自分を鍛えていけたらいいなと思っています。 ナナママさんに厳しく言われてしまったけれど、実際のところ、疑問を持たないように、お上のいうことには黙って従うように、管理しやすい人間を作っているのが今の教育の現状です。というか、学校って二面性があると思うんですよね。そもそもなんで学校というものがあるかというと、効率的に文化を伝えていく、という面が理由のひとつにあるのではないでしょうか。でも教育は効率のものさしでははかりきれないことばかりで、学校制度は自己矛盾に陥っているような気がします。 サッカーのゴールポストが倒れて生徒が死んだ事故については、あまり詳しいことがわからないので、もう少し新聞を丹念に読みたいと思っています。ただし新聞もあまり信用し過ぎないようにして。 私の勤務校の教員について言えば、考え方が柔軟かどうかは、年齢に関係ないなーというのが実感です。年配の先生に「子どもに主体性なんか持たせたらとんでもないことになる」と考える人もおられるし、寄るとさわると「ねえねえ知ってる?」とゴシップ話ばかりしている若い先生もいるし、気になる生徒の話が真剣にできる若い先生もいるし。 私は職員室で子どもの話がしたい。こんな授業をすると誰々が目を輝かせて聞いていた、とか、誰々は今朝挨拶もしなかったけど、何かあったんだろうかとか。自分からそういう話をするようにしていると、一緒になって考えてくれる人がたくさんいて、ありがたいことだなあと思っています。 難しいですね、考えていることを文章にするのって。とにかく教員同士の仲間づくりが大事。自分が受け入れられている職場では、生徒たちに向かって安定した自分でいられる。仲間づくりのためには、まず自分をさらけ出すことが大事。 「言うべき時は言う」で思い出しましたが、教育委員会で大ゲンカしたことがあります。これは言わなくちゃ、と思って言ったんだけど、あとから思うと言い方やタイミングが悪かったかな、という気もします。そのへんもう少し私は修養が必要かも。 |
▼団塊党さん こんにちは。 何度もしゃしゃり出てきてすみません。実は投稿しようとしている間に益々熱気のある話になって行っているようで嬉しいです。 お話しする前に、ナナママさんから「白人コンプレックス?、なにをいまさら血迷ったことを」とのご指摘を頂きました。言いだしっぺはわたくしで、軽率なもの言いを反省せねばいけません。日本史をざっと眺めてみたとき明治以降の近代史では、廃仏毀釈や日露戦争を経て、太平洋戦争での惨敗、占領軍からの憲法の押し付けで、自衛の手段もアメリカ頼みになり(富国強兵という重石が取れたことで歓喜雀躍している知識人の方々もいまだ多く存在していると思っています)、それらが自虐観となって今日に至っているのではないか、と愚考するゆえ「白人コンプレックス」という言葉を使ってしまいました。 団塊党さんから長文のご返事を頂き有難うございました。現役の要職者でいらっしゃるようですので、あえて申し上げます。教育者ゆえ回避されたのか(89で述べた肝心の点です)いまいちよくわかりませんが、北の老兵様のものを何度も引用します。恐縮です。 >特に人格を形成する幼少期にあっては、「育てる」の部分が重要なのではないでしょうか? 育てる=人格を育てる(個性を伸ばす)と私は思っているのです。 これを前提として、オルトンさんも提示されておられるように道徳の必要性があるのではないでしょうか。というか、この際宗教、道徳、哲学とは何であって果していまの状況に参考にする必要すらあるのか、ぐらいの考察があってもいいのではないか、くらいに思っています。モラルハザードが実際に起きている、それも社会のトップの人にも顕著だ。何故そうなったのか、戦後の教育はどうだったのか(何かいえば反動的だとされることに嫌気がさしたのか、はっきりした意見表明すらなされないままのケースが多くあったのではないか)、小沢一郎氏の指摘するように、自民党の先送り策をそのまま踏襲したに過ぎないということはないのか、ナナママさんの指摘(自分さえよければそれでよしとする風潮)も根は小生のものと変わらないのではないのか。それにしては現役の有能な方ですら認識が甘いのではないのか。例えば >私は自民党政治は日本を滅ぼしかねないほどの大罪を犯していると思いますが、教育に与えた影響は世の中で考えられているほど大きいものではないと思っています。 ですが、北鮮を見るまでもなく、お上の指示で個人崇拝すらされる(教師もお上の指示を完全に無視するわけにはいきませんでしょう、自分の生活もあることですから)、まして団体に属さなければ安心出来ない日本の国民性なら、自分の考えなど持つことすら放棄しかねません。ですから地に足のついた思想というか考えを各自持たなければいけないのではないでしょうか。(しかし実はこれについても反論があるのですが、いまはその場ではありません)また冒頭に戻りますが、思想でも道徳でもいいですが、何か芯のあるもの(日本的なといってもいいのかもしれません)が本来必要ではないのか。それは世代を経由して若者にも伝染するべきだが、残念ながら敗戦とか感覚的に『老』が嫌われる風潮の勃起などで世代に受け継がれるという連続性が遮断され、極めて危ういところに来ている、そこで教育の創生を謳われたあなたの気概に全面的に共感したのです。 Ex.「最近の若者はどうしたものかと思われるほど優しい。弱く、傷つきやすく、思いやりがある。私見によれば、これはわが国古来の「対立を避ける文化」ないし「自己主張を嫌う文化」が、最近渡来の「弱者保護」とか「環境問題」とかの欧米起源の「優しい文化」と見事に科学融合して身体の隅々まで浸透し、その結果やるせないほど優しくなったのである。自己主張を控え、他人を傷つけることを恐れ、全体の雰囲気を壊すことを厭がり、だからそうしてできた「全体の雰囲気」たるや、吹けば飛ぶような軽いもの。みんな、絶対に自分を明け渡さない覚悟でそれにゲーム感覚で付き合う。そして、こうした気流にうまく乗れない者は、たちまちひきこもりや自傷行為や自殺衝動に陥る。」 中島義道「『しょぼんとした祖国』でいい」 それとナナママさんご指摘の「信仰」のいいところと危ないところの理解も必要なのではないか。 「信仰は人を強くする。心弱き者は、ある宗教に帰依することで強くなることができる。強い宗教的自我を獲得した人間は、他の人間に対しても強い。まして自分の神を信じない異人に対しては、おそろしく強くなる。 神の子でない者、神に祝福されていない者たちは、兄弟ではない、という感覚がそこに生じてくる。人を殺すことができないと感じる心やさしい人間も、相手が神を持たない人間、異教徒であれば信仰ゆえにその壁を乗り越えることができる。神を信じない人間は、人間の名にあたいしないのだ。それは人間ではなく動物にひとしい。だから殺すことは罪ではない。」1992/1 五木寛之全紀行1.「バルカンの星の下に−北欧・東欧・中欧編」東京書籍 どうでしょうか。 かって「人を見たら泥棒とおもえ」と「人類皆兄弟」の間を皆微妙な均衡を保ちながら生きているのが人間なのでは、と唐突に言ってしまって、こいつは揶揄しているのかと思われなかっただろうかと実は心配しておりました。均衡を保てない、保てなくなってしまった時自分がどんな行動をとってしまうのかわからない「恐れ」を持っているのです。多分誰でもそうではないのか、と感じているのですが・・・ |
▼ひまんじいさん: >この際宗教、道徳、哲学とは何であって果していまの状況に参考にする必要すらあるのか、ぐらいの考察があってもいいのではないか、 保留にさせて下さい。 問題が大きくて私には手に余りそうですが、考えてみます。 土・日まで待ってください。 >それにしては現役の有能な方ですら認識が甘いのではないのか。例えば > >>私は自民党政治は日本を滅ぼしかねないほどの大罪を犯していると思いますが、教育に与えた影響は世の中で考えられているほど大きいものではないと思っています。 珠さんもおっしゃっていますが、安易に政治の責任にするのではなく、教師たちのやりようでいくらでもできることはあるのです。 甘いのではなく、逆に自分に厳しいからこそこう言うのです。 しかし、政治にもたくさん要求はしていくべきだと思っています。 今は何よりも学校に警備員をつけて欲しい。 学校はあまりにも無防備です。 この老人党でも何度でも訴えていこうと思っています。 教育は毎日、現実が動いているのです。 空理空論を労している暇はありません。 |
▼団塊党さん: >珠さんもおっしゃっていますが、安易に政治の責任にするのではなく、教師たちのやりようでいくらでもできることはあるのです。 >甘いのではなく、逆に自分に厳しいからこそこう言うのです。 >しかし、政治にもたくさん要求はしていくべきだと思っています。 >今は何よりも学校に警備員をつけて欲しい。 >学校はあまりにも無防備です。 >この老人党でも何度でも訴えていこうと思っています。 >教育は毎日、現実が動いているのです。 >空理空論を労している暇はありません。 議論が活発になってきましたね。結構な事です。 それだけ皆さん教育のあり方に関心のある証拠です。 ↑の空理空論を労している暇はない、これは国に対して言うべき事ですよね? 私は前にも申しましたが、行政は教師が安心して教育を実践出来る環境造り、この一点だけに力を注いでほしい。後は現場の校長(リーダー)を含めた現場の教師を信頼し任せるべきだと。 また父兄と教師の距離感を縮め、責任の擦り合いをするのではなく、お互いに情報を交換し、あくまでも子供を主人公とした話し合いをしてほしいと願っています。 私たちの子供の頃は、わりと教師は指導の仕方に個性があったように思います。父兄も「先生が言っている事には、間違いがない」と言う風潮がありました。 今の教師は、文部省のマニュアル通りにやる教師が○で、変わった事をする教師は異端だとする。そう言う意味では今の教師には同情するところがある。 そういう中でも、真摯に取り組んでいる教師はたくさんいると思うのですが、なかなか我々のところまで知らされない。 成功事例のようなものもマスコミでどんどん報道してほしいものです。 |
突然すまないが。 団塊党さん、あんたの御年だと給料は充分かい?一馬力でやってけるかい? もし充分じゃねえとしたら、教師ってのは給料に見合う程度の「おしごと」かい? すまんが、教えておくれ。 |
▼またもやTuttiさん: >団塊党さん、あんたの御年だと給料は充分かい?一馬力でやってけるかい? >もし充分じゃねえとしたら、教師ってのは給料に見合う程度の「おしごと」かい? 私は53歳で教師の平均より高く、妻もパートをしていますが、大学(私立)、高校(公立)の二人の子供に取られることと、家のローンで毎月赤字です。 待遇改善は有り難いけど、とてもそんな状況ではないでしょう。 国の借金何とかしないとね。 |
▼北の老兵さん: >[空理空論を労している暇はない]、これは国に対して言うべき事ですよね? このスレッドに投稿してくださる方に言っている印象を与えていますね。 誤解を与える発言をしてしまいました。申し訳ありません。 教師の目の前にはいつも現実の問題が山積しているということを言いたかったのですが言葉足らずでした。 >私は前にも申しましたが、行政は教師が安心して教育を実践出来る環境造り、この一点だけに力を注いでほしい。後は現場の校長(リーダー)を含めた現場の教師を信頼し任せるべきだと。 教師の本務は授業を中心とした子供の教育です。そこに集中して取り組んでいけるだけの環境があればといつも思います。 学校自身がもう少し仕事を整理して雑務を減らしてしていくと同時に、役所もまた学校によけいな負担をかけないような配慮が必要です。 ことに、最近は学校の内外で子供が狙われる時代になってきています。 子供の安全を守ることはもちろん学校の責任ですが、しかし、これにだけ労力を注ぐわけにはいきません。行政のフォローが是非必要です。 >また父兄と教師の距離感を縮め、責任の擦り合いをするのではなく、お互いに情報を交換し、あくまでも子供を主人公とした話し合いをしてほしいと願っています。 父兄と教師、父兄同士、教師同士が本当に心を開いて子供の教育に力を合わせていくことが実現すれば、確実に学校は変わるでしょう。 珠さんの紹介してくださった浜の郷小学校はまさにそうですね。 私も平教員ですが、微力ながら退職までの残り少ない時間をそこにかけてみようかと思います。 波風が立つのを恐れることなく。(ちょっとしんどいかなあ。) ただ、教師が一つの学校にとどまれる年数が短くなり、地域に根付くことが難しくなっています。(東京都では3年〜6年) これなども行政のやり方のおかしいところです。 腰を落ち着けて仕事ができにくくなっています。 >今の教師は、文部省のマニュアル通りにやる教師が○で、変わった事をする教師は異端だとする。そう言う意味では今の教師には同情するところがある。 そういう面もありますね。しかし、今は校長にかなり権限が与えられるようになっています。 校長の考え方一つでどのようにもなります。 校長が良い意味でリーダーシップを取り教師達がそれについていけば、学校は変わります。 >成功事例のようなものもマスコミでどんどん報道してほしいものです。 茅ヶ崎市は全市あげて浜の郷小の実践を取り入れていくそうです。これなんか、どんどん取り上げて欲しいですね。 |
団塊党さん こんにちは。 以前オルトンさんにもご紹介した司馬先生のエッセーを引用して「教育創生」の入り口探しをしてみたいと思ったのですが、またの機会にします。あなたの話し振りにどうもすっきりしない感じがあって、刷り合わせが必要ではないでしょうか。 失礼ながらあなたが有能で人格円満な方なのであろうことは想像できます。これを押さえたうえで、認識の甘さがあるのでは、との指摘には敏捷に反応されますが、「教育創造」の原点であるいまの社会を牽引すべき人たちにモラルハザードが起こっているのではないのか(89の論点です)、との指摘に反応がないのに?印です。人間の根っこにある思想というようなものが正解を導く鍵ではなかろうか、ということにはあなたもとっくに気づかれており、身近ないい例として北の老兵様がおられます。 お上の意向で何とでもなってしまいそうにも思われるので、チマチマした教育者(こういうもの言いにお叱りを受けます)だけの正当性を訴えているのもなんだかなあと思われるのです。 |
これは前掲示板の「民の声」にも書いたんですが先日の「荒れる成人式」でもすぐ 「家庭教育」「学校教育」のせいにする傾向が有るんですが 私はあの事件は「大人の教育」がなってないからだ!と言いました 荒れる自治体と荒れない自治体の違いは何なのかと言えば 主人公主体の運営をやってるか否かだと思うんです 現在でも自治体の多くは自治体が企画・運営立案は殆どの場合新成人は入らない 本来成人と共に民主主義と言う権利を得て自分の決めた事に付いては 結果責任が生じると言うのが教育の場で教えられる事なのです 暴力で妨害する方法は間違っているとは思いますが 新成人が主役のはずの成人式を新成人を祝うというより選挙運動に使い 文句を付ければ「教育がなっとらん」と言う・・・・ 私から言わせれば成人式を選挙運動とリンクさせ政治利用する自治体の大人の側の方が主役を間違えており教育がなっとらんです |
▼虎キチ大好きさん: >私から言わせれば成人式を選挙運動とリンクさせ政治利用する自治体の大人の側の方が主役を間違えており教育がなっとらんです。 どちらがどうだという問題ではなく、それぞれに反省すべき点があると思います。 選挙運動とリンクしている式があるとすれば、青年達に壊してもらいたいくらいですね。 |
私の子供が小学校の頃、PTA活動の一環で、朝の交差点での黄色い旗持って安全横断の指導をしながら、全員に「おはよう」って声かけていました。小学生は返事が返ってきますが、中学生になると返ってきません。でも、諦めずに毎日声をかけました。そのうちに頭を下げるようになりました。結局返事は返りませんが,ちゃんと気にしてくれるようになりました。今度は小学生が中学生になると、恥ずかしいのか返事はちゃんとはしてくれませんが、顔はお互い知ってるので少し笑顔見せてくれたりします。これはこれで長いことやっててよかったなって思います。教育は身近で実践できるものです。 老人党のみなさんも時間のある人、体がきく人は、朝、子供にこえかけてくれませんか? 毎日こえかけていれば、たまにいないとあの爺さんどうしたのかな?なんて子供もきにかけてくれます。子供は必ずそのこと一生覚えていますよ。そういえばあんな爺さん婆さんがいたなあって・・・・。 |
団塊党さん、早くよくなりますように! 教育について思うことは、もっと子どもたちの力を信じたい、ということです。子どもたちに「教えこむ」のではなくて、子どもたちと一緒に家庭・学校・地域をつくっていけるといいと思うのですけど。 ワクチンさんのあいさつ運動だって、地域の大人と子どもの関係づくりですよね。それが子どもと一緒に気持ちのよい地域づくりをしていることになると思います。 |
▼島根の渡し守さん: > 団塊党さん、早くよくなりますように! 有り難うございました。かなり良くなりました。 > 教育について思うことは、もっと子どもたちの力を信じたい、ということです。子どもたちに「教えこむ」のではなくて、子どもたちと一緒に家庭・学校・地域をつくっていけるといいと思うのですけど。 > ワクチンさんのあいさつ運動だって、地域の大人と子どもの関係づくりですよね。それが子どもと一緒に気持ちのよい地域づくりをしていることになると思います。 まったくその通りだと思います。 しかし、私など馬鹿ですから何度も何度も失敗しないと分からなかったです。 子供の力を信ずると一口に言っても、実践は難しいものです。 それだけにワクチンさんの行動力には頭が下がるのです。 |
▼ワクチンさん: >諦めずに毎日声をかけました。そのうちに頭を下げるようになりました。結局返事は返りませんが,ちゃんと気にしてくれるようになりました。・・・>教育は身近で実践できるものです。 >老人党のみなさんも時間のある人、体がきく人は、朝、子供にこえかけてくれませんか? >毎日こえかけていれば、たまにいないとあの爺さんどうしたのかな?なんて子供もきにかけてくれます。子供は必ずそのこと一生覚えていますよ。そういえばあんな爺さん婆さんがいたなあって・・・・。 ワクチンさん、そういう話を聞くと頭が下がります。 一人一人の大人がそのような心を見せていけば、大抵の子供はひねくれずに育っていくのではないでしょうか。 あいさつを通して心の交流ができていきますね。 地域が明るくなりますね。 |
▼団塊党さん ひまんじいさん 今晩は! このスレッドを私が開こうと思っていましたが、団塊党さんに敬意を表して開くのを待っていました。(^_^) 前のスレッドでも投稿した事がありますが、教育と言うと専門家・評論家ばかりが語るものではないと思っています。子育てをした経験者は、失敗、成功、どちらも教育を語るべきだと思っています。 国造りは人造りと申します。人造りの根幹をなすものは教育である事は、誰も異論を挟みません。 教育は教えて覚えさせる事の中に 「教える」+「育てる」 が含まれるのか、「教える」と「育てる」はそれぞれ別にあってプラスして教育と呼ぶのか解りませんが、私は「教える」+「育てる」ものだと思っています。 特に人格を形成する幼少期にあっては、「育てる」の部分が重要なのではないでしょうか? 育てる=人格を育てる(個性を伸ばす)と私は思っているのです。 教育の事を語る時に、この根っこの部分が大事だと思っているので、必ず引きあいに出すのが、ユダヤ系ポーランド人のヤヌシュ・コルチャックの事です。 自分の教え子とナチのガス室に入った、あのヤヌシュ・コルチャックです。もう一人はマザー・テレサです。自分を捨てて、貧困で死を待つばかり人たちを、献身的に救済しようとしたあの姿は、感動を覚えます。 教える事(学問を究める事)ももちろん大事な事です。しかし、知・理 を優先させる学問だけでは、ただの化け物が出来る事もあります。 我々が気を付けなければならないのは、我々の時代と比較して批判する事です。社会情勢があまりにも違いすぎます。 情報は有り余るほどあり、誘惑も多い、物も豊富、そして少子化の影響で一人っ子が多い、自然と触れ合う機会は極めて少ない。 この多様化した時代にあって、子供も親も戸惑っているように見えるのは私だけでしょうか? ただ時代は違え、根っこのところは共通するところもあると思うのです。 親は自分の子供の教育方針に、確固たる自信を持つ事も大事だと思うのです。 となりの芝生ばかり見てもしょうがない、家庭、家庭で事情も異なります。親があやふやな態度では子供に微妙に影響します。 我が家の事を言いますと、私は子供が小さい時は、躾けは厳しかったです。親にも兄妹にも家内にも言われましたが、一貫として方針は曲げませんでした。ただ叱っても必ず後で、その訳を説明しました。お陰で子供たちは世間様に出しても恥ずかしくないようになりました。 そして今はその子供達にそれぞれ子供(孫)が出来、私が反面教師なのか私と全く違った教育方針です。私もそれで良いと思っており、口出しはしません。 何故か?根っこのところが間違っていない事と、自分の信念を持って子育てをしているからです。 生意気な事を申しました。 これからも大いに議論をしていきましょう。 |
▼北の老兵さん: >団塊党さんに敬意を表して開くのを待っていました。(^_^) 有り難うございました。北の老兵さんにこのスレッドを立ててもらっても少しもかまわなかったのですが・・・ >教育と言うと専門家・評論家ばかりが語るものではないと思っています。子育てをした経験者は、失敗、成功、どちらも教育を語るべきだと思っています。 まったくその通りです。マスコミに出ない方の話ほど値打ちがあると思っています。(もちろん著名な方で素晴らしい方もいらっしゃいますが・・・) >教育は教えて覚えさせる事の中に 「教える」+「育てる」 が含まれるのか、「教える」と「育てる」はそれぞれ別にあってプラスして教育と呼ぶのか解りませんが、私は「教える」+「育てる」ものだと思っています。> 特に人格を形成する幼少期にあっては、「育てる」の部分が重要なのではないでしょうか? 育てる=人格を育てる(個性を伸ばす)と私は思っているのです。 私の考えでは、「教える」は文字通り教えられるもの、例えば知識やしつけなどです。 「育てる」は直接教えることができないもので、子供の中に育つのを助けることしかできないもの、例えば人格や情操や知恵などです。 しかし、それは私の考えであってどうでも良いことです。 厳密に考えると分けられないと思います。重なり合っています。 幼少期の教育は「育てる」が特に大事だと私も思います。 私は老兵さん(これからこう呼ぶのをお許し下さい)の子育ては、厳しさの中に愛情があり、一貫性があって素晴らしかったのではないかと想像しております。 私などふらふらのし通しで、ここで偉そうにぶっているのが恥ずかしいくらいです。 > 教育の事を語る時に、この根っこの部分が大事だと思っているので、必ず引きあいに出すのが、ユダヤ系ポーランド人のヤヌシュ・コルチャックの事です。 コルチャック先生のことは労兵さんに教えて頂くまでは、どこかで聞いた程度しか知りませんでした。是非、読んでみます。 > 我々が気を付けなければならないのは、我々の時代と比較して批判する事です。社会情勢があまりにも違いすぎます。 ・・・ この多様化した時代にあって、子供も親も戸惑っているように見えるのは私だけでしょうか? 親も子供も教師もみんな戸惑っています。 先にも書きましたが、現代の子供は情報過多、教育過多の中でアプアプしているように見えます。 昔と同じ教育をしても通用しない時代になってきています。 しかし、家庭や社会をもう一度シンプルに質素にしていく試みは大切だと思います。 最近はスローフードなどの考え方が出てきていますね。 21世紀が良い意味で昔に戻る世紀になればなあと願うのは単なる夢想に過ぎないでしょうか。 > ただ時代は違え、根っこのところは共通するところもあると思うのです。 >親は自分の子供の教育方針に、確固たる自信を持つ事も大事だと思うのです。 >となりの芝生ばかり見てもしょうがない、家庭、家庭で事情も異なります。親があやふやな態度では子供に微妙に影響します。 全くその通りです。そして、それを実践するのは難しいのです。 社会全体がふらふらして価値観が多様化していますから。 > 我が家の事を言いますと、私は子供が小さい時は、躾けは厳しかったです。親にも兄妹にも家内にも言われましたが、一貫として方針は曲げませんでした。ただ叱っても必ず後で、その訳を説明しました。お陰で子供たちは世間様に出しても恥ずかしくないようになりました。 労兵さんはどうしてそれが実行できたのでしょう。底にどういうものをお持ちだったのでしょう。そこを教えていただけないでしょうか。 > そして今はその子供達にそれぞれ子供(孫)が出来、私が反面教師なのか私と全く違った教育方針です。私もそれで良いと思っており、口出しはしません。 >何故か?根っこのところが間違っていない事と、自分の信念を持って子育てをしているからです。 お孫さんの育つ時代は大変な時代、子育ての受難の時代ではないかと予想されます。 老兵さんの子育ての知恵と経験を授けてあげて下さい。 |
▼団塊党さん: >みなさん、教育について意見交換しましょう。 >教育の現状や問題点、意見、感想、提案など教育に関することをどんどん出し合っていきましょう。 ■ 不慣れの為、ここへ投稿する積りが別項の[90]となってしまいました。 |
他の荒された掲示板から見ると、ここのスレッドは、本当に真摯に考えていらっしゃる方々ばかりの投稿です。自然に気を入れて読もうと言う気になります。 団塊党さん、早くインフルエンザを撃退して、これからの教育行政をどうするべきか、現役教師のしての忌憚のない意見をお聞かせ下さい。 |
▼北の老兵さん: > 団塊党さん、これからの教育行政をどうするべきか、現役教師のしての忌憚のない意見をお聞かせ下さい。 一言で言えば、お役所仕事ではなく真剣に子供の将来と日本の将来を考えて欲しいと言うことです。 しかし現実は他のお役所の例に違わず、まさにお役所そのものの感があります。 それに振り回され、戸惑い翻弄されているのは我々現場教師達です。 例えばこの3学期に入って突然、膨大な学習計画書と資料を出せと言ってきました。 夏休み前に言ってくれればいいものを、突然ここへきて言うのですから大変です。 授業を少しでも充実させて、子供が喜んで学習できるようにするのが我々の第一の仕事。 それなのに・・・まるで、それを妨害するような要求を。 授業の準備どころではありません。 授業の準備なんかどうでもいいから、建前だけの計画書を早く作れと要求しているようなものです。 一時が万事、この調子。 建前だけきちんとしていれば問題なし。 教育行政が一番弱いのは、市民とマスコミ。これに文句を言われないようにしていればすべてがOK。 現場のことなんか少しも考えておりません。 今日は疲れましたのでこれくらいで失礼します。 |
私は国の政策がどうのとか、政党がどうのとかという議論も好きですが、教育に関しては、一番わかりやすく、身近な問題であり、一番実践しやすいことでもあります。 私は長年PTAの活動をやってきました(最初はイヤイヤでしたが私の妻がPTA好きなもので)。ただ、ここでも皆さんはなかなか参加してくれないのが現状です。非常に協力的な人もいますが、限られた人ばかりです。特にお父さん方は仕事があるためになかなか参加していただけません。サラリーマンに方はまず無理です。おかげで私は変人?のようにも見られていました。(^^); 男の方は仕事があるのでしかたありません。でも仕事を引退されたかたは、是非、お孫さんの授業参観であるとか、運動会(これはよくおられますね)、行事に積極的に参加していただきたいと思います。特に、中学、高校では親も参加しないのが実情です。もっと顔をつっこめば、現場の大変さ、矛盾、いろいろ見えてきます。当然、いい先生もいれば首をかしげたくなる先生もいます。もしかしたら虐待や、いじめも早期発見できるかもしれません。学校は選挙に行くところではありませんよ・・・ |
そうそう、夏休みにはラジオ体操にも参加しましょう。小学生くらいしかいませんが、地域活動に参加することで見えることも多いですよ。 私たちが子供のころは大人、老人のかたも多くいましたが、いまではめっきりです。もっと子供たちに顔をうりませんか? |
なんて申し上げればいいのか愕然といたします。男性はきれいごとだけを言ってればいい。子どものお弁当作りひとつとっても、どれだけ栄養に気をくばり手抜きをせずに渡すかもご存知ない。先生がたの意見にも新鮮さや熱意も感じられない。子どもに馬鹿にされても仕方ない。中学の現役教師と話しても、将来は校長になりたい。勉強はできるのであろう、が人間的に魅力がない。その現役教師も現場の教師の質の悪さにお手上げ状態です。子どもも大人も疑問をもち、考える習慣(これは教育以前の問題)を生涯もち続ける。誰に教わることでもないことを教えなければならないとはとは・・・・・・ 北の老兵さんが良しと認めてくださる、緒方貞子さん、マザーテレサのお二人はカトリック教会からのご出身です。土台にキリスト教思想、哲学がしっかりとねずいています。政治とは無関係の少数な宗教団体から輩出されたかたです。日本で一番貧しい宗教団体といえばカトリック教会、悪い意味での野心などありません。対極に創価学会があります。思想も哲学もないカルト教団が大手をふっている国に未来はありません。 |
▼ナナママさん: >なんて申し上げればいいのか愕然といたします。男性はきれいごとだけを言ってればいい。子どものお弁当作りひとつとっても、どれだけ栄養に気をくばり手抜きをせずに渡すかもご存知ない。 ここのスレッドのどの意見を指してきれいごととおっしゃっているのかよく分かりません。 そこをもう少し具体的に挙げて頂ければ、認めたり反論したりできるのですが。 私もきれい事は嫌いです。 世の中はきれい事が多いですが、せめてここだけは無いように願っています。 これもきれいごとと言われそうですね。 ナナママさんはかなり繊細な方のようにお見受けします。 >先生がたの意見にも新鮮さや熱意も感じられない。子どもに馬鹿にされても仕方ない。中学の現役教師と話しても、将来は校長になりたい。勉強はできるのであろう、が人間的に魅力がない。その現役教師も現場の教師の質の悪さにお手上げ状態です。 魅力のない教師が多いと言われれば、主観的な問題なので、そうですかと認めるしかないですが、中には善戦している教師もいるでしょう? スーパーマンみたいなヒーローはいないでしょうが。 もう少し日本の教師のレベルを上げたいのであれば、待遇を改善したり、一クラスの子供の数を減らしたりするなどやらないと無理です。 金は出さないが口は出すという今の政治では無理です。 教育にもっと金を出さなくては。 私の学校など、画用紙すら底をつくことがあります。 凶悪な犯罪者が学校に侵入する事件が続けて起こっていますが、市は防犯カメラの設置すらまだやりません。 学校は狙われやすいのです。 本来ならガードマンが欲しいくらいです。 ナナママさんに小学生のお子さんがいらっしゃるなら、是非役所に働きかけてください。 役所は教師の言うことには耳を貸しませんが、保護者には弱いですから。 >子どもも大人も疑問をもち、考える習慣(これは教育以前の問題)を生涯もち続ける。誰に教わることでもないことを教えなければならないとはと・・・・・ その人の生まれ持った天分で、ナナママさんのように考える習慣を持てる人はいいです。 しかし、仮に10人に1人でも学校で教わったおかげで、自分で考える芽が「育てば」教師としては嬉しいものです。 考える習慣は「教える」ことはできませんが、それが「育つ」のを助けることはできると思います。 >北の老兵さんが良しと認めてくださる、緒方貞子さん、マザーテレサのお二人はカトリック教会からのご出身です。土台にキリスト教思想、哲学がしっかりとねずいています。政治とは無関係の少数な宗教団体から輩出されたかたです。 緒方貞子さんやマザーテレサのような立派な教師は戦後の日本にもいます。 哲学がしっかりと根付いた教師がいます。 あまり権威的に考えない方がいいですよ。 周りの人たちを固定観念で見ては、その素晴らしさを見つけられません。 立派な方はすぐ目の前にもいるかも知れないではありませんか。 >日本で一番貧しい宗教団体といえばカトリック教会、悪い意味での野心などありません。 カトリック教会を信奉されているのでしょうか? 私は特に信仰はしていませんが、信仰心を持てる方をうらやましく感じることはあります。 >対極に創価学会があります。思想も哲学もないカルト教団が大手をふっている国に未来はありません。 カルト教団と決めつけるのはどうかと思います。中には立派な方もいらっしゃいます。 私は何についても決めつけることは、おおかた間違いの元になると思っています。 宗教の対立ほどやっかいなものはありません。 キリスト教とイスラム教、ユダヤ教とイスラム教は何故和解できないのでしょうか? いまだに世界のやっかいのタネになっているではありませんか。 |
団塊党さん: >ここのスレッドのどの意見を指してきれいごととおっしゃっているのかよく分かりません。 あたらず、さわらず、あたりまえの事をとりあげているようです、反感をかわないように、特に団塊党さんには一目置かなければとの配慮が伺えます。 >私もきれい事は嫌いです。 >世の中はきれい事が多いですが、せめてここだけは無いように願っています。 >これもきれいごとと言われそうですね。 その通りです。 >魅力のない教師が多いと言われれば、主観的な問題なので、そうですかと認めるしかないですが、中には善戦している教師もいるでしょう? 校長をめざしている中学の教師自身に魅力がないにもかかわらず、彼自身がどうにもならない教師がいることを嘆いているのです。教師の仕事に命をかけていますか? >もう少し日本の教師のレベルを上げたいのであれば、待遇を改善したり、一クラスの子供の数を減らしたりするなどやらないと無理です。 >金は出さないが口は出すという今の政治では無理です。 >教育にもっと金を出さなくては。 そのような教師には何も期待いたしません。 主観的で申し訳ありませんが、教師というお立場に期待をもったことはありませんでした。 >その人の生まれ持った天分で、ナナママさんのように考える習慣を持てる人はいいです。 生きるということは考えること以外になにがあるのでしょうか? >北の老兵さんが良しと認めてくださる、緒方貞子さん、マザーテレサのお二人はカトリック教会からのご出身です。土台にキリスト教思想、哲学がしっかりとねずいています。政治とは無関係の少数な宗教団体から輩出されたかたです。 バックグラウンドをご存知ないかと思いまして、そういう背景をもった方でもよろしいのでしょうか?という意味です。人によっては、嫌いになられる方もおられるでしょうから。 >緒方貞子さんやマザーテレサのような立派な教師は戦後の日本にもいます。 >哲学がしっかりと根付いた教師がいます。 >あまり権威的に考えない方がいいですよ。 権威的に考えているつもりはありません、マザーテレサさんにお会いしたとき、この小さい体のどこにエネルギーがあるかと思うほど、普通の方でした。 私自身については一応、所属教会はありますが、なださんの「神、この人間的なもの」を読むくらいですから、どうでしょうか。疑問だらけで、一元論者にはなりえないようです。所詮、日本人ですから。 >カルト教団と決めつけるのはどうかと思います。中には立派な方もいらっしゃいます。 >私は何についても決めつけることは、おおかた間違いの元になると思っています。 立派な方がいらっしゃるなら、その方に是非とも政教分離をしてくださるよう、お願いします。 |
▼ナナママさん: >あたらず、さわらず、あたりまえの事をとりあげているようです、反感をかわないように、特に団塊党さんには一目置かなければとの配慮が伺えます。 私は議論すること自体は好きで、イラク問題についてはさんざん他の方と議論してきました。 あなたのように遠慮無くものを言う方は基本的に歓迎です。 お互いに、なあなあは嫌いです。 議論に遠慮が入り込まないところが、インターネット討論の良いところです。 ナナママさんは荒らしではないことは分かっていますから歓迎します。 「精神分析という名のもとに生まれたトラウマ」も読ませて頂いています。 面白いスレッドができたなあと思います。(失礼。悪意はありません。心からです) 現実の利害が絡まない中で、一目置いたり、置かれたりする必要はまったくないでしょう。 マナーさへ守れば、お互い遠慮無く言い合った方が良いに決まってます。 まだ、きれいごとを言っていますか? これから仕事ですので、とりあえずこれで失礼します。 |
>教育の現状や問題点、意見、感想、提案など教育に関することをどんどん出し合っていきましょう。 この前、新聞で御自身の癌闘病について、生徒に語り続けた校長先生が亡くなられたという記事がありましたが、覚えていらっしゃいますか。その学校は茅ヶ崎市の「浜の郷小学校」でした。私は5年程前ですが、この小学校を訪問したことがあります。ごく普通の公立小学校でしたが、他の学校と違うところがありました。 !)どの授業も、見学自由。これは徹底していて、私が行った時も、どの教室も自由に入って良く、そしてこの学校の先生達も、互いの授業を見学していました。 2)先生達のよけいな会議、よけいな係を無くした。選別して、どうしても必要な係と会議にしぼり、そのかわり互いに良く連絡を取り合うようにした。このため、子供自身のことに関わる時間が増えた。 3)毎週1度、授業検討会があり、互いに見合った授業について意見交換をし、相談しあう。 私は3)の相談会にも参加しました。先生方は困ったことは自ら相談を持ちかけ、注意を素直に受け止めて、どうしたらよいかまで話し合っていました。 初めてこの学校に来ると、最初は自分の授業を同僚に見られるのを嫌だと思う先生もいらっしゃるそうですが、慣れるとその良さを認め、授業内容が工夫されてくるそうです。私の見た場面でも、授業見学中の先生に、担任が「ここは〇〇先生が詳しいから伺ってみよう」と、声をかけて、見学中の先生が担任の代わりに説明をするなど、とてもオープンな雰囲気でした。<見られて困るような授業>は、この学校の先生達はしていないと言うことですね。 こういう雰囲気の中で、亡くなられた校長先生も、自分の生き方を生徒達に見てもらおうと思われたのだろうと、とても納得してあの記事を読みました。 事件が起きると、学校が閉鎖的になります。私はもっともっと地域に開かれた学校であるべきだと思います。そこに親と先生との信頼関係も生まれます。子供達の安全と、地域に開かれた学校を一緒くたにして考えるのは間違っていると思っています。 |
▼珠さん: 東大の佐藤学氏がしばらく共同研究で入っていた学校ですね。 古くは群馬県の島小学校が齋籐喜博校長を中心にそのような研究を行っていました。 また東京では瑞穂第三小学校が齋籐の思想と教育を学び実践を6年間に渡って公開発表しました。 私も見に行ったことがあります。 そこの子供達のかつて見たことのないほど素晴らしい姿に、一緒に行った友人と興奮し感激して帰りの電車で感想を述べあったことを懐かしく思い出します。 もう20年近く前になりますでしょうか。 >!)どの授業も、見学自由。これは徹底していて、私が行った時も、どの教室も自由に入って良く、そしてこの学校の先生達も、互いの授業を見学していました。 >2)先生達のよけいな会議、よけいな係を無くした。選別して、どうしても必要な係と会議にしぼり、そのかわり互いに良く連絡を取り合うようにした。このため、子供自身のことに関わる時間が増えた。 >3)毎週1度、授業検討会があり、互いに見合った授業について意見交換をし、相談しあう。 いずれも島小学校や瑞穂三小とほとんど同じです。 授業を充実するにはこのように全校の教師が一つになり知恵を寄せ合いながらやっていくことが一番です。 強力なリーダー(校長)。上ばかり見ない、人間的にもみんなから信頼されるリーダー(校長)がいて、このような体制が可能になります。 私も長い間、夢に見てきたシステムですが力及ばず・・・と言ったところです。 でも、まだあきらめていません。 >注意を素直に受け止めて、どうしたらよいかまで話し合っていました。 お互いが心を開いている証拠ですね。 教師は自尊心は強いですから、自由に注意(指摘)しあう雰囲気までなかなかいかないものです。 私の学校など自由に言い合える雰囲気はありますが、まだまだそこまですら行かない学校も多いのではないでしょうか。 >初めてこの学校に来ると、最初は自分の授業を同僚に見られるのを嫌だと思う先生もいらっしゃるそうですが、慣れるとその良さを認め、授業内容が工夫されてくるそうです。私の見た場面でも、授業見学中の先生に、担任が「ここは〇〇先生が詳しいから伺ってみよう」と、声をかけて、見学中の先生が担任の代わりに説明をするなど、とてもオープンな雰囲気でした。<見られて困るような授業>は、この学校の先生達はしていないと言うことですね。 自分の実力をつけていくには、自分を開き、他から素直に学んでいくしかないことを体験的に覚えていくのですね。 それにしても珠さんは、的確にポイントを見抜いていらっしゃいますね。 見学しても普通はこれほど的確にはとらえられないと思うのですが・・・ 以前、教師の経験がおありなのですか? 普通の人は見学しても見当違いな見方をして帰ることが多いように思います。 >事件が起きると、学校が閉鎖的になります。私はもっともっと地域に開かれた学校であるべきだと思います。そこに親と先生との信頼関係も生まれます。子供達の安全と、地域に開かれた学校を一緒くたにして考えるのは間違っていると思っています。 学校解放と安全確保の両立は緊急の課題ですね。 ボランティアで地域の人材や保護者に協力を求めることがこれからの時代はどの学校も増えていきます。 安全対策に今、頭を悩ませているところです。 教師は子供の指導に100%力を集中して初めて上記のような学校が実現します。 防犯カメラや警備体制の充実を市に要求していますが、実現の見込みは今のところありません。 |
ちょっと本題からはずれてるかもしれませんが・・ 現代の日本を憂うが故に「教育を創ろう」に至るのですが、 憂うべき現代日本についてちょっと考察を。。 現状の日本を憂い、論議を展開して建設的考察を行いたい。と想う「私」は その「憂うべき現状日本」の情報をマスコミから吸収している。 巨大媒体によるネガティブ情報まみれのメディア環境の結果、 私達はネガティブ情報を日々蓄積的に収集し、蓄積情報から構成される認知フィルター によって日本という国が大局観で見るとネガティブ状態・崩壊の危機にあるように 認識する・・に至ってる一面もあるのではないでしょうか。 メディアが「憂うべき日本」を造る事に結果として加担してしまった一面あるかなあ と想ってます。 素晴らしい教育者、学校もやっぱりあるのですから。 そうした学校・教育者が報道されるコトは殆どないでしょう(茅ヶ崎市小学校のコトは 私も知りませんでしたが、岸和田市で中3男子が虐待による衰弱死の危険状態にある事は 投稿されてる殆どの方が知ってると想うのです)。 ポジティブな情報を巨大媒体が提供すれば、それだけで日本が明るく見えるような気も するのですが。。 |
立て続けにスミマセン。 「児童・青年期の英雄体験は齢を重ねるにつれ内面の自信を増大させる勲章となる」 困難な環境の中、不安を希望と勇気に変え、幾多の問題に果敢に向き合う姿勢が、 智識を智慧に変え、諦めずに努力し続ける「過程」が、その人間の精神性や性格特性 を形成するのではないか。その末に形成される、輝ける一人一人の人間が、 その国の最大資産ではないか。 封建制度〜明治維新、第二次世界大戦までの日本は、英雄体験をする環境に恵まれた のではないでしょうか。敗戦はしたが経済的急成長を成し遂げたのは、戦時中の「英雄体験」の中で形成された精神性や性格・行動特性の賜物かもしれません。 日本の現状・地域性・教育いずれを見ても、若者に量的にも質的にも 英雄体験をさせる機会が乏しくなってきているように思います。 せめて、学校の課外活動がこれら英雄体験機会の代替的役割を担っていた側面が あるように今となっては思えますが、こうした課外諸活動が、単元削減指導のもと、 削られている学校もあると聞きます。 そればかりか、問題に果敢に向き合うのではなく、「できない」理由ばかりを つけて言い訳ばかりするオトナも少なくありません。 問題ある毎に消極的姿勢を取ると、それが習性となる。 その習性が染み付いた人間を輩出する事が最大の損失である。 問題に行き詰れば、「できない理由」ではなく「できる理由」を探したい。 教育を考える上で、以上の事も何か少しの意義に活かせればと思います。 |
▼オルトンさんへ 「英雄体験」ってなんですか?具体的な例をひいて教えていただけると嬉しいです。 ところで私は学校社会の外の風に吹かれることも、子どもたちにとってよい体験になるのではないかと思っています。総合的な学習で、地域に出かけて行くことや、講演会などで学校の教員でない人から話を聞くことなど。開かれた学校であることで、子どもたちが力を伸ばしていけると思います。 話は変わりますが、虐待され栄養失調のまま放置された中学3年生のこと、事件そのものは新聞で読みましたが、彼の通っていた学校の校長先生の話は読んだ覚えがありません。島根の新聞には載ってなかったのかな?きっとインターネットで阪神版とかも読めるのでしょうね。情報へのアクセスのしかたに、早く習熟したいです。 |
島の渡し守さん、おはようございます。 英雄体験の具体例・・本からこれだと想う一文を引用するより具体的になるかと想う ので、恐縮かつ恥ずかしながら私の大学部活、討論倶楽部での体験を及ばずながら、 挙げさせて頂くという事でよろしいでしょうか。大きな出来事が2つあり、それらを私の中で英雄体験に置き換えてもいい・・と自惚れています。 ただ、1つだけ挙げさせていただきます。 聴覚障害のコンプレックス故に大学入学までの期間に消極的特性が行動面でも精神面でも 形成され、「コミュニケーション」をとる事を一方で渇望しながら、人と表層的にしか 語り合えない葛藤を抱くに至りました。 一年次のゼミでゼミ生の発言を黒板に板書する配慮をとっていただいたのち、「嫌煙権」「代理母出産」など様々なテーマを元に各々の意見が板書されていきました。その意見の中に、自分が正しいと想っていた考えが改められる事が幾度もあり、模範的な答えのない中で物事の本質を見極めるための考察には彩りある意見から成る論議が有効である事を 痛感したのです。同時に、腹から話し合える仲間が欲しいと心から求めるようになり、 また聴覚障害という一生向き合う事になる壁を克服したいと、 それらの想いが相成って討論倶楽部入部に向けて部室のドアを開けるに至りました。 当初、否定的なまでの消極性ゆえに入部したにも関わらず対話をとる事を怖がる自分が いたのですが、それでは自分が何も変わらないと思い、少しずつですが自分から話す事を 努めて心がけました。そんな中、産経新聞社主催ディベートアカデミーが開催されると いう事でチームを組んで参加。肯定側・否定側各々の立論形成のためのチームディスカッションにも、自分の漠然とする内面を言語化する作業に苦戦を強いられる日々でした。 初めての大会に参加するも、予選の初戦敗退。 焦ると混乱し、非論理化し、審査員による否定的評定を恐れ、ますます焦りと緊張に陥る・・悪循環の中で、焦ると混乱する性格の欠点が浮き彫りにされました。自分がチームの足を引っ張っていると、退部を想う事も あったのですが、「負けて悔いなし、高木君良くやったよ」という先輩の声に励まされ、 もう逃げたくない、諦めたくないと思い留まりました。日々部活の中でディベートや ディスカッションの研鑽をするも、毎年開催されるディベートアカデミーに参戦しては 予選初戦敗退、二回戦敗退。少しずつ己が高まる事を実感する一方で悔しさともどかしさが募る一方。「コンプレックスは気にしないで皆一緒に考えて、やっていきましょうよ」と言ってくれる温かい仲間に恵まれました。その年、同部から優勝チームが輩出し、彼等を観客席から羨ましく眺める自分がいました。彼等と同じ部にいる自分も、と想い一層の 論理力と情熱を研鑽する自覚に至りました。 一昨年、引退をかけて最後の挑戦となる(実際には、今年4月まで部活する事になるのですが)ディベートアカデミーにおいて、悲願の本大会出場を果たし、準優勝の成果を収めるに至りました。ただ、準々決勝の舞台の対戦相手は、その昨年優勝したチーム即ち同部の仲間であり、決してディベートで勝てた事のない強者がいました。 「人生は短い」という論題で、私達は肯定側、あちらは否定側に立ち、立論の後、 相互尋問を繰り返す。「人生50年と昔は言ったが今や人生80年、30年人生が延びた 事でもって人生は長くなったといえる、ゆえに人生は長い」と反駁する否定側に、 発言を極力少なくし、重考していた私はそれに対して、「人生期間が延びたのではなく、 延ばしたと考えるのは如何か。医療・生活水準を向上させる諸活動の結果、人生期間を 延期させるに至ったのである。人生活動の中で芽生える幾多の夢を実現するに人生期間が 余り短命であるため長寿願望が生まれ、それを実現させるに至った。そこからは、”人生は短い”という現実認識があった事がわかる。この事から人生は短いという論題に対する肯定側の主張が導きだせる。医療・生活・文化水準は満足する事なく改善に努め、 不老不死、永遠なる若さを求める躍動心の今なお在る現状に、それを再認識する事ができる」と切り返す事ができました。また、否定側は「私達が貯金するのは何故でしょうか。 人生が長いからです」と一般観衆にわかりやすく呼びかけていらっしゃったのですが、 その主張に違和感を感じ、「私達が経済社会に環境適応する上でお金が行動対価として 必要になる。いざという時のためのストックとして貯金をするのである(例えば親が病気に遭ったり、娘が嫁に行く等の緊急時に備えて、一定の精神的・行動的自由範囲を確保するために貯金をするのである)」以上の2回の発言しかできなかったのですが、審査委員長から賛辞を頂く事になりました。準決勝の下準備を周到にする余り、決勝に進出した 場合の用意が不足で優勝には至りませんでした。けれども準優勝という成果を収め、 光り輝く舞台の中で多くの観衆から拍手を頂く事ができました。この瞬間に、準優勝という成果以上に、今この光り輝く舞台に一緒に立てる仲間ができて本当に良かったと、 仲間と自分を誇りに想えました。 母は聾唖者で、大会中の私の発言は一切聴こえなかったでしょうが、それでも嬉しそうに祖母と伯母と拍手している姿が見えました。 母子家庭で、母にはいつもケンカしたり苦しませたり泣かせたりもしてるのですが、 この日は少し私を誇らしく想ってもらえるかな・・と内面思っていました。 この大会の出来事は、世界で起きている事柄に比べれば小さな出来事かもしれません。 でも私の内面の中では、英雄体験と呼んでもいいぐらいだ、と思っています。 この産経新聞杯ディベートアカデミーですが、残念ながらその一昨年の大会以降 開催されていません。経済環境悪化の中で、そうしたイベントを開催する金銭的余裕が ないのでしょう。経済性を重視すれば、これらイベントを興す事は多大なる経費支出に 至るため、削減される対象に当然挙げられるでしょうが、しかしこれらイベントに参加 する事で、若者には英雄体験をする「場」ができ、それら英雄体験を通して得た精神性、 性格・行動特性が、「将来」(日本経済、社会)に大きく影響すると思うのです。 ゆえに、若者に英雄体験をさせる「場」をどんどん盛り込んで欲しいと思っています。 私は、今年4月から大阪市社会福祉職として勤務予定です。児童福祉に専従する夢が あるからですが、一昨年まで開催されていた産経新聞杯ディベートアカデミーの 協賛が「大阪市」であった事を覚えているので、機会を必然的に作るようにして 再開に向けて行動を起こしたいと思っています。 大阪市は東京都に本社移転をする企業が多くある中で、経済商業都市のままで 生き残れるかどうかに危機感を感じているのか、 「箱庭型都市(文化とスポーツ)」の模索をしている面があるようです。 社会福祉職の配属先に、こうした文化とスポーツに関わる機関があるかわかりませんが、 あればジョブローテーションの中で希望し、なくても有志で行動したいと思っています。 ちょっと話が長くなりすぎて脱線してる一面があるかもしれませんが(^^; |
>以前、教師の経験がおありなのですか? 教育問題を3年程取材しました。その係になった時、いい学校、いい先生を訪ねる企画をしました。そのとき分かったのは、本気な校長先生がいれば、かなりのことが学校単位でできること、そして本気な先生がいれば、かなりよい授業が出来て、良いクラスが作れることです。教育委員会が……とか、文部省がというのは言い訳だなあと思いました。でも、作り上げるまでは本当に捨て身でないとできないなあ、ということと、子供が大好きじゃないとできないなあ、とも思いました。そして良い授業をしていても、周りの先生が無理解な場合は、なんだか孤独だなあと思ったこともありました。それは転任制で学校を変わることとも関係するのかも知れませんね。 >問題ある毎に消極的姿勢を取ると、それが習性となる。 そうなんです。「恙無く任を終え」なんて挨拶をする人は、リーダーに相応しくない。何かしようと思えば、荒波がくるのは当たり前なんです。積極的に取り組まないところで、よい教育ができるとは思えません。何よりそんな人は、人間的魅力に欠けるから、子供がついていかないでしょう。教師の苦しさは、当たり前の人間なのに、教師面をしてしまうと苦しくなるんじゃないかなあ。正直に、しかし本気さを持って子供と一緒に喜んだり苦しんだりしながら授業をしていけば、子供も先生の気持ちが通じると思うんだけどなあ。 >ところで私は学校社会の外の風に吹かれることも、子どもたちにとってよい体験になるのではないかと思っています。 はい、私も大賛成。それは子供にとってよい体験になると同時に、教師自身が外の風に吹かれることにもなります。井の中の蛙であってはならないですよね。 |
ひまんじいさん、北の老兵さん,tuttiさん 今日はかなり頭痛がしています。 このところ、パソコンとにらめっこの時間が増えたせいでしょうか。 仕事の関係もあり、今日、明日はこちらへの投稿は休みます。 土曜日にお応えします。 ひまんじいさん、少し気を悪くされたのではないかと心配しています。 表現に不適切があれば、どうぞお許し下さい。 |
▼団塊党さん こんにちは。 温かくしてゆっくりお休み下さい。 >ひまんじいさん、少し気を悪くされたのではないかと心配しています。 >表現に不適切があれば、どうぞお許し下さい。 とんでもありません。 それより現場も知らぬ男が大仰な論拠を引っさげて、馬脚を現わしやがったな、とお思いになった方がおられたらごめんなさい。 |
▼ひまんじいさん: ねぎらいの言葉を頂き有り難うございました。仕事が一段落して疲れも少し取れました。 宿題を頂いていましたのでお応えしたいと思います。 一番問題を感じていらっしゃる道徳とか思想とかの衰退について私なりの意見を述べさせて頂きます。 私も今の世の中の道徳的な退廃、倫理観の欠如、思想性の希薄化などをここ数年強く感じています。 今、世の中を悪い意味で騒がせているような事柄や事件はすべてここに起因しているのではないでしょうか。 新聞紙面だけでなく、道ばたや通りがかりの状景にもうんざりするような現象があふれています。 このようなことが、子供に影響しないはずがありません。 つい先日には、高校生がMDMAという麻薬を売り買いして逮捕されました。 ついにここまで来たかと言う感がします。 私は時々思います。日本人の顔が最近のっぺらぼうになっていると。 表情がないし、ほれぼれするような顔にはめったに出会わない。 時には何と醜いかと感じる顔にも出会います。(もちろん顔の作りからくる醜さのことではありません。) 例えば、今世界から注視されているイラクの人たちの顔はどうでしょう。 戦争直前のイラクの人たちの姿を納めた本「イラクの小さな橋を渡って」に登場する子供や大人達の何と人間らしい顔。 一人一人が自分の真実をさらけ出しています。 例えば父と子がお互いのほおを手で包み込むように向か合い、笑い合っている。 親子の愛情がそこにあふれている。 たまたまそんないい顔が取れたから? そうではないでしょう。どこにでもこんな顔が見られると思います。 私は学校教育に携わるものとして、日本の子供達の顔をこんな真実にあふれた顔にしてあげたいとつくずく思います。 しかし、おっしゃるように教育なんてしょせんみみっちい世界です。 どれほどのことができるでしょうか。 瞬間的にきれいな顔になっても、そんなのはつかの間のこと。 教育を創ろうなんて大きなことを言っても、そんなの社会の毒を浴びればひとたまりもありません。 卒業し上級の学校へ行き、社会に出る間に、すっかり醜い顔に変貌していくことでしょう。 日本の社会が今、病んでいると思います。 だから、ひまんじいさんがおっしゃるように学校だけのちまちましたところだけで問題をとらえてはだめだと思います。 日本人のよって立つところの道徳観、価値観、思想哲学など根本のところに立ち返る必要があると思います。 私はこれまでどちらかというと実践重視でやってきました。ですからそんなにこの方面に知識はありません。 もう少し勉強してみたいと思います。 今、内山節の「哲学の冒険」を読んでいます。入門的な本ですがまずここらから始めて見たいと思います。 日本は今、本当に迷路に入り込んでいます。自信を失っています。経済的だけでなく精神のより所がないという意味でも。 これからの時代によって立つ考え方は何か、これを問題意識として勉強してみたいと思います。 ひまんじいさん、問題提起を有り難うございました。 |
▼団塊党さん、みなさま ツリーが長くなってきましたので、新しいスレッドを作りました。 以後の議論はそちらを御利用ください。 よろしくお願いいたします。 |
教育問題は教師の質の問題。 我が子の学校の先生を見ても社会党か共産党の申し子みたいなのが半数。 残りは教え子に強制わいせつをする輩ばかり。 今から40年前先生になる人は偏差値の低いどこの学部にも入学できない 輩が教育学部に進学していた。(工学部の入学者最低偏差値70くらいの有名 大学でも教育学部は38くらい) そいつらが校長や先輩教師として日教組の元で、団塊世代の教師を育てたのだから たとえ教師の給与改定があり少しは偏差値の高いのが来てもでたらめ教員にしかなれないでしょう。 そして日教組の加入者が激減したが、わいせつ教師の大量生産がはじまったのかな。 ただ立派な先生、家庭を顧みず生徒の指導にあたる女性教師が大勢いることは事実です。 でも男性教師の大半はどうしようもないやつばかり。 |
▼団塊党さん: 今、教育のことを考えると、反省することばかりです。 小生は2人の男子に恵まれました。お陰様で彼らは無事に社会人となり ましたが。経済の高度成長期の時流にかまけて、正直・・教育に余り関心を持ってこなかったというのが・・正直の処です。 さて、現在教育基本法の改正に向けての話が進行してますが、 学問を学ぶと云った教育以前の問題と云うより幼くして「物心」がつく段階 人格の基礎が形(かたち)創られる際の一番大切な時が家庭の躾、教育力の 低下に諸々の問題が生じる原因があるように思います。 幸いに愚息達の小学生、中学、高校、の頃は社会の荒れようも今に比べると 「まし」だったようにも思いますし。転勤族の子供であったので幾たびと無く 転校もしましたが・・無事に過ごして来られました。 思い返してみると、人を虐めたり、悪いことや、ウソをつくと必ずその報いはあること お天道様は何時も「お見通し」だとの一点を、彼らに親譲りとして徹底させた記憶があります。 今、平気でウソをついてバレルて醜い姿を曝してる人達を見るにつけて反面教師に 事欠かないご時世でもありますので、教材には不自由はありません・・・?? 「知識が乏しく悲しい人」「知識があっても知恵が無く悲しい人」 「知恵があっても愛の無い悲しい人」 高いIQ(アイキュー)があっても人の悲しみの理解できない悲しい人 このような人の再生産だけはしたくないものですね・・! 人事(ひとごと)でなく真剣に考えてます・・・。 |
▼珍 源齋さん: こちらにもおいで頂き有り難うございます。 とても嬉しいです。 >人格の基礎が形(かたち)創られる際の一番大切な時が家庭の躾、教育力の >低下に諸々の問題が生じる原因があるように思います。 その通りだと思います。 ただ、もっとベースには日本社会の病があると思います。 >幸いに愚息達の小学生、中学、高校、の頃は社会の荒れようも今に比べると >「まし」だったようにも思いますし。 同感です。特にここ3〜4年の変貌はすさまじい感じです。 神戸の事件あたりからでしょうか。 >思い返してみると、人を虐めたり、悪いことや、ウソをつくと必ずその報いはあること>お天道様は何時も「お見通し」だとの一点を、彼らに親譲りとして徹底させた記憶があります。 素晴らしいですね。現代はその徹底がなかなか難しい時代ではないでしょうか。 >「知識が乏しく悲しい人」「知識があっても知恵が無く悲しい人」 >「知恵があっても愛の無い悲しい人」 >高いIQ(アイキュー)があっても人の悲しみの理解できない悲しい人 >このような人の再生産だけはしたくないものですね・・! 20世紀の後半は物質に価値を置きすぎました。その結果人間性の喪失や地球環境の悪化が進んでいます。 神の(自然の?)怒りにふれてしまったのではないでしょうか。 21世紀は「物質」と「心」がもっとバランスのとれた時代になればいいと思います。 |
高齢社会への移行に想う事: 「高齢者の存在を「老害」ではなく「叡智」として若者・地域への教育に活かすべし」 ともすれば、年金供給水準・介護制度の維持等の問題を多く孕み、かつこれら費用の 増大化のため次々世代の若者の負担は並々ならぬものとなる・・という危機感を感じて います。しかし同時に高齢社会とは、高齢者がそれまでの人生の中で培った多くの叡智・ 経験・信念を次世代、次々世代の若者・児童に授ける機会に恵まれた社会ともなる。 これら諸制度の機能を持続可能なものにすべく努め、高齢者の生活を安定化させる。 その上で高齢者方がその叡智を若者に供給し、児童を社会犯罪から守るべく地域において 小さな活動を展開し、英雄体験ができる「場」の供給、建設にもその叡智に預かる事が できれば、高齢社会とは少子化した児童・若者の層の、教養的叡智水準を飛躍的に上げる事のできる社会となりうるのではないか・・などと考察しました。 かくいう私も若者の一人に過ぎないのですが、あちこちのスレッドの投稿で たまには情熱的な中身のある発言ができ、賛辞を頂く一方で、 皆様方の叡智・既知なる点からすれば、当たり前の事を、私が勝手に推測して構築した 論理から、その当たり前に反れてしまった(知らない)発言をする事も少なくなく、 ご教授のほどを頂く事があるからです。 高齢社会に、様々な問題点ばかりを見ていて、配属が高齢者福祉ならどうしよう、等と 想っていた事があるのですが、上記のように考えれば、高齢者の叡智は、地域的教育に 活かせる点が大なのですね。 これからも老人党を活用させて頂きますので、若輩者 である私にも相変わらずのご教授・ご叱咤お願いします。 Rayさんの『教育を創ろう2」に上記内容を投稿したのですが、皆さんこちらのほうに 続けて投稿されてるようですので、私もこっちのほうにも投稿しなおしておきます。 |
島根の渡し守さんへ こんばんわ。 「島」の渡し守ではなく、「島根」だったのですね。以後気をつけます(^^; そうですね、英雄体験は自己実現のイメージに近いと思います。 自己実現を成し遂げる事が、夢を持てる人間性をつくると想うのです。 さらに自己実現の過程で成したる努力自体やそれによって形成される性格特性・ 行動特性が、その人間の最大の資産の幾つかのものではないか・・と想っています。 あと、小説を読んだ後のような気持ちになった・・という感想としての賛辞の言葉 ありがとうございます。 上記内容も「教育を創ろう2」に投稿してたのですが、こちらのほうにも 投稿しなおします。念のため。。。 |