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 ▼江戸時代の環境  亀井襄治 04/3/10(水) 5:44

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 ■題名 : 江戸時代の環境
 ■名前 : 亀井襄治 <j-kamei@m7.dion.ne.jp>
 ■日付 : 04/3/10(水) 5:44
 ■Web : http://www.h5.dion.ne.jp/~j-kamei/
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    江戸幕府が慶長8年(1603)に開かれてから、今年はちょうど400年になる。江戸っ子の粋や水や意気地や元気のよさなど見習っていいところはっていくつもあるが、いちばん学ぶ点は『物を大切にする心』いうなれば生活術であろう。
江戸の庶民の家といえば下町の裏長屋だがそこではほとんど生ごみは出なかった。大根なら大根1本とっても大根めしにして葉っぱまで入れて炊いた。
『町中の者、川筋にはきだめごみは捨て申すまじく候、。江戸でごみ処分の禁令が出されたのは3代将軍家光の時代である、町中のちりあくたは船に乗せ永代島捨てにいった。今なら夢の島だからゴミ処理は同じである。すでにごみ捨て賃を家々から徴収していたというから、時代は進んでいたびろうな話で恐縮ですが、16世紀パリの人口は約400,000万、共同トイレが不足し、市民が窓から排せつ物を捨てた。だから市内に悪臭が立ちこめていた。それに引きかえて18世紀江戸の人口は1,000,000を超えていたが、し尿は周辺農村の肥料に利用された。くみとられた下肥は江戸肥と呼ばれて珍重されていた。
町ではリサイクル商売が盛んで千軒の越す古着屋があった。拾い集めたは紙くずを問屋に売る紙くず拾い。空き樽を買い。洗って酒屋に売る空き樽買い。曇った鏡を磨いて再製する鏡磨き。なべ釜を直す鋳掛けや。馬の糞を集めて肥料にする馬糞拾い(歴史読本・大江戸特集より)より そんな江戸の生活環境の過大な評価はいけないが、彼らのライフスタイルとそこから生まれた活力に学びたい。少なくともわれわれの大量生産、多量消費、大量廃棄の時代は行き詰まったのだから。
                                  産経新聞より

私見如何にゴミ処理をしても、限りがない、労力・金の無駄使いである。処罰してもおなしである。
 この様なことに無関心な政治家を処罰したほうが早い、どうせ業者と結託しているのであろう。
 元を立たねば、同じ無駄を繰返し、人類は滅亡するだけである。
一番恐ろしいのは、ポリブクロである、バリ島でも河にそれが投げ捨てられ、山のように溜まっていたのを恐怖の眼で見た。
 金のために何でもする奴を破棄した方がよい、早速やって頂きたい物である。
 

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