Page 2285 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日本人のこころ こころ 05/1/12(水) 15:03 ┣Re(1):日本人のこころ 相良唯夫 05/1/12(水) 19:19 ┃ ┗Re(2):日本人のこころ こころ 05/1/13(木) 13:32 ┃ ┗Re(3):日本人のこころ 相良唯夫 05/1/13(木) 18:49 ┗Re(1):日本人のこころ もの申す 05/1/15(土) 15:54 ┣Re(2):日本人のこころ 相良唯夫 05/1/15(土) 20:25 ┃ ┗Re(3):日本人のこころ こころ 05/1/17(月) 2:42 ┗Re(2):日本人のこころ こんぺいとう 05/1/17(月) 18:20 ┗Re(3):日本人のこころ こころ 05/1/18(火) 14:22 ┗Re(4):日本人のこころ 相良唯夫 05/1/18(火) 22:09 ┗Re(5):日本人のこころ こころ 05/1/21(金) 14:33 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日本人のこころ ■名前 : こころ ■日付 : 05/1/12(水) 15:03 -------------------------------------------------------------------------
正月を迎えるたびに、日本に古くからある良き風習が無くなりつつあると思う 大晦日を家族と過ごそうともせずに外出してカウントダウンなどという馬鹿騒ぎをする若者達やそれを咎めようともしないバカ親ども。せめて元日くらいは厳かに一家団欒と思いきやスーパーのバーゲンに出かける人の群れ。 元日でさえこの調子なのだから他の節句などは言うに及ぶまい。 家族の絆自体が古き良き日本の風景でしかあり得なくなったのかと思うと悲しくなる、仕事や勉強も大事だがその前に日本人の「こころ」を取り戻そうではないか 貧乏でもまじめに働いて正直に暮らして居れば慎ましやかな幸せを手にすること事が出来た時代に帰るべきであるとしみじみ思う。 |
▼こころさん: >正月を迎えるたびに、日本に古くからある良き風習が無くなりつつあると思う そうですね。同感です。でもね「まだまだ捨てたものではない」と思える若者もいます。家庭教育が大切ですね。 物の豊かさが、心の豊かさにつながらないところが、現代の悲しさですね。 支え合い、仕え合う「仕合せ」はどこに行ったのでしょう? |
▼相良唯夫さん: 御返信感謝 日本人に産まれて日本の良さを無視し続けた結果、このような国になったと思うております。 今朝の新聞で愛国心について書かれておりましたが、国を愛する事は国民として当たり前のことであり、愛する事とは何を意味するのかを先ず確認する必要ありと考えております。「愛国心」イコール戦争国家を連想させる政府のやり方にも問題があり、これを放置して愛国心教育を行うことは無知な偽愛国者を増やすばかりであると思います。 全てにおいて日本が日本らしかった昔が良かったと言うわけではないですが、良き風習や習慣の継承も出来ずに何の愛国心かと言う気がしてなりません。 >▼こころさん: >>正月を迎えるたびに、日本に古くからある良き風習が無くなりつつあると思う > >そうですね。同感です。でもね「まだまだ捨てたものではない」と思える若者もいます。家庭教育が大切ですね。 >物の豊かさが、心の豊かさにつながらないところが、現代の悲しさですね。 >支え合い、仕え合う「仕合せ」はどこに行ったのでしょう? |
▼こころさん: >今朝の新聞で愛国心について書かれておりましたが、国を愛する事は国民として当たり前のことであり、愛する事とは何を意味するのかを先ず確認する必要ありと考えております。 大きくは世界、そして日本と続くでしょうが、先ずは人様の幸せを願える徳を養いたいと思います。政治を司る者に愛がなければ、国民に望まれる政治は出来ないでしょう。ある意味、政治家は無私になって働けることが条件でしょうね。 |
こころ 様、相良唯夫 様 お二人のご意見に全く賛成です。「衣食足りて礼節を知る」とは古の格言ですが、現実の日本社会は「衣食満ち溢れて礼節を失う」の一語に尽きます。 何故このような殺伐とした社会になってしまったのでしょうか。原因は様々ですが、私は戦後何もかもアメリカに追随してきたことが最大の原因のように思えてなりません。自然界で帰化動植物がはびこり元来の自生植物を駆逐するように、アメリカの風俗習慣が日本人の考え方や習慣にまで浸透した結果ではないかと考えます。勿論アメリカに学ぶべき点も多々あり総てを否定するのは誤りですが、日本社会に馴染まないものも相当あったと思います。 豊かになることは人々の当然の欲求ですが、豊かさのモデルとしてアメリカ式を無批判に選択したことで、日本の古き良き習慣や人との関係、家族のあり方までもが変わってしまったのではないでしょうか。 特に教育の面では自由や権利の主張に重点を置きすぎ、その支えとなる義務や人への思いやりなどが軽視された結果、利己的な人間を増殖させてしまったように思えてなりません。 加えて最も忌むべきことは、拝金思想が人々の心を支配してしまったことです。 日本では卑しいものの代名詞でもあった金が、人の言動に影響を及ぼし価値観までも変えていったのは誠に残念なことです。 豊かさを昔に戻すことは出来ませんが、人々がお互いを思いやる優しい社会をどうしたら築けるのか、二十一世紀の課題であると考えます。 |
▼もの申すさん: >豊かになることは人々の当然の欲求ですが、豊かさのモデルとしてアメリカ式を無批判に選択したことで、日本の古き良き習慣や人との関係、家族のあり方までもが変わってしまったのではないでしょうか。 >特に教育の面では自由や権利の主張に重点を置きすぎ、その支えとなる義務や人への思いやりなどが軽視された結果、利己的な人間を増殖させてしまったように思えてなりません。 >加えて最も忌むべきことは、拝金思想が人々の心を支配してしまったことです。 >日本では卑しいものの代名詞でもあった金が、人の言動に影響を及ぼし価値観までも変えていったのは誠に残念なことです。 >豊かさを昔に戻すことは出来ませんが、人々がお互いを思いやる優しい社会をどうしたら築けるのか、二十一世紀の課題であると考えます。 ごもっともですね。 子どもの頃は風呂に入るにも、人の手を借り、ぬるい時は追い炊きを頼みました。今のように自分で湯加減を調節することは出来ませんから、そこからも家族の助け合いはありました。貧しい時代でしたから、食べ物を粗末にしなく、食前食後には感謝の言葉を副えることを躾けられました。幼い頃はそれが親の強制であっても、身に付けばそれは当たり前となり、子や孫にさせています。 しかし、残念なことに、飽食の時代に育った子供や孫は、平気で食べ残し、残飯として捨てています。子や孫の自主性に任せることも大事なことであるが、ある面強制も必要であると反省しております。 今一度、家族のあり方から考え直すべきでしょう。 |
▼相良唯夫さん もの申すさん: 御返信感謝 わたくしは恥ずかしながら政治や経済の難しい話は理解できません 小難しい借り物の知識を見せびらかすことを良しと考えて居る馬鹿者どもと議論しても腹が立つだけであるので、「心」で日本国の未来を考える方々にお越しいただきたいと思いこのようなスレッドをたてた次第です ですから右も左もなく世直しを考え、子や孫にバトンタッチしていけるよう話し合える掲示板になって欲しいと思うのです せめてここだけは知ったかぶりや面白半分の輩に無駄口を差し挟ませず、本当の日本の良さを後世に伝えていくスレッドとしたいと思っております。 これからもよろしくお願いいたします |
▼もの申すさん: >こころ 様、相良唯夫 様 >お二人のご意見に全く賛成です。「衣食足りて礼節を知る」とは古の格言ですが、現実の日本社会は「衣食満ち溢れて礼節を失う」の一語に尽きます。 >>特に教育の面では自由や権利の主張に重点を置きすぎ、その支えとなる義務や人への思いやりなどが軽視された結果、利己的な人間を増殖させてしまったように思えてなりません。 >加えて最も忌むべきことは、拝金思想が人々の心を支配してしまったことです。 >日本では卑しいものの代名詞でもあった金が、人の言動に影響を及ぼし価値観までも変えていったのは誠に残念なことです。 こんにちわ このスレッドなら私にも話せると思い書きこませていただきました。 明治生まれの両親は、お金に対してはとても厳しい生き方をしていました。 ですからお金もうけとは程遠い私達の一家でした。ですが、人をだますよりだま されろ、困っている人に融通したら返してもらおうと思うな、お金を借してと 人に言うことはその人にとってどれだけ屈辱的な行為か思いやってあげろ。 こんなことを言われて育ちました。わずかな私のたくわえからお貸しして 返金してもらえず、私が困っている事態も生じています。 それでも、その方の生活がとりあえず助かっていたのならそれも良しと思う ことにしています。 学校で、私達は戦後民主主義をたいそう喜んでいた教師に「権利と義務」 を頭に叩き込まれました。私達、戦後復興のなか、教育を受けた者の中が 二分化したように思います。貧乏でも自分達の今までの生活を穏やかに守り 通した家庭、何でも自由だからと 子供に稼ぐこと、お金と肩書きを手に 入れろと教育された家庭私はこの後者の方が日本中に広がってしまった ような気がします。 アメリカに友人がいますが質素に暮らしています。子供のしつけも小さい時は 厳しいものです。ですからアメリカの若者は大学へ行くようになるとその厳しい 親から独立して自力で大学を選ぶそうです。 けっして親のすねはかじっていないそうです。その国によって従来からあった しつけまで放棄してしまったこの国がやはり変だったのでしょうか。 いま、じじばばの世代が親からおそわったことを忘れないうちに良い伝統は 戻さねばなりませんね。 しかし、こう言うと困ったものまで戻そうとする御仁が出てくるのでうっかりは できませんが。 |
▼こんぺいとうさん: >アメリカに友人がいますが質素に暮らしています。子供のしつけも小さい時は >厳しいものです。ですからアメリカの若者は大学へ行くようになるとその厳しい >親から独立して自力で大学を選ぶそうです。 >けっして親のすねはかじっていないそうです。その国によって従来からあった >しつけまで放棄してしまったこの国がやはり変だったのでしょうか。 >いま、じじばばの世代が親からおそわったことを忘れないうちに良い伝統は >戻さねばなりませんね。 最近すぐキレる若者とか言うのがよく話題になっておりますが、昔から子供は切れやすかったような気がします、ただ我慢と辛抱を親や先生から厳しくしつけられ年長者に対しの畏怖の念を持っていたためにキレ得なかっただけのような気がします。言い換えれば昔と比べそれだけ大人がだらしなくなってしまったことが原因でしょう。 「しつけ」わたくしは子にたいして充分なしつけをしてきたかと問われれば否と答えるしか無い者ですが、三十年代初めに生まれた子を育てるには働いて働いて仕事一筋に生きるしか術がなかったような気がします。 親の時代は金はなくともなんとか暮らしていけたのでしょうが激動の時代は金を稼ぐこと以外に暮らしを安定させる道はなく、子育てやしつけは女房任せとならざるを得なかったと思います。その世代が親となり今の若者を育てているのですから今の若者にたいして充分なしつけを願う事は厚かましいような気がします いま現在の日本では食う寝るためだけにかかる費用の割合はわたくしの時代と比べると小さくなっています、ただ贅沢病にかかって居る為により広い家や高級自家用車など分不相応な暮らしぶりを維持するための金を稼ぐことに眼が行き、そのせいででしつけがおろそかになっているような気がしてなりません。 これが今の日本の若者をダメにした理由と言うには短絡的すぎますが原因の一端ではないでしょうか。 |
▼こころさん: 私は生まれも育ちも田舎でして、今も周りに家のないところで生活しています。 子供時代の農繁期には学校が休みになり、田植えや稲刈りの手伝いをしました。親も子供の私たちに勉強を強要しなかった。今の子供たちのように机はなかったし、かばんも母親の作った物でした。食べ物も粗末で、おやつなどありませんでした。 でも、親に反抗した記憶がありません。いい子であったかと言えばそうでもありませんでしたが、父親は怖い存在でした。ぶん殴られたことも何回かありましたが、殴られたことで父親を憎く思ったことはありませんでした。 そんな時、母親は私の手を取って、何かを話してくれました。その時何を話してくれたのか記憶にありませんが、おそらく父親がしかった意味を聞かせてくれたことと思います。母親の殺し文句は「お父さんに言いつけるからね」であった。 このようなことを思い出しながら、この頃の家庭は父権というものが無くなってきたように思います。このようなことを言い出しますと、男女差別であると言われそうですが、父親は父親の、母親は母親の役割や、それぞれの「らしさ」があってもいいと思っています。 子供心に「父みたいになりたい」との思いが、父と神社参拝することが身に付き、子供の躾において、家内に任しておりましたが、父親が亡くなった今でも父だったらどうするだろうと尋ねることが多くあります。 疑いから始めなければならない世になっていますが、信じることから始められる世になってほしいと願います。争いのない穏やかな社会を望むのは時代錯誤でしょうか? |
▼相良唯夫さん: >疑いから始めなければならない世になっていますが、信じることから始められる世になってほしいと願います。争いのない穏やかな社会を望むのは時代錯誤でしょうか? ぜひとも後世は争いのない世の中であって欲しいものですねえ 信じることも疑うことも大事ですが、せめて自分と言う存在だけは信じていたいと思っております。 あの世へ行く寸前に本当に真剣に考えることは、子でも孫でも家内の事でもなく、この世の行く末などは完全に頭の中から遊離してしまって自分というものの存在を噛みしめて居る自分を想像します「天上天下唯我独尊」この意味をきちんと知って居るわけではありませんが、自分が最も尊ばねばならぬ存在はやはり自分自身ではないかなと最近よく思います |