Page 2286 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼「天皇制」について2 告天子 05/1/17(月) 14:51 ┣Re(1):「天皇制」について2 告天子 05/1/17(月) 14:56 ┃ ┗Re(2):「天皇制」について2 告天子 05/1/17(月) 14:58 ┃ ┗Re(3):「天皇制」について2 告天子 05/1/17(月) 15:11 ┣Re(1):天皇制について、その2(1) とうろう 05/1/17(月) 18:20 ┃ ┗Re(2):とうろうさんへの反論1 告天子 05/1/18(火) 0:39 ┣Re(1):天皇制について、その2(2) とうろう 05/1/17(月) 18:25 ┃ ┣Re(2):天皇制について、その2(2) 告天子 05/1/18(火) 1:07 ┃ ┗Re(2):天皇制について、その2(2) 告天子 05/1/18(火) 1:23 ┣Re(1):天皇制について、その3(1) とうろう 05/1/17(月) 21:32 ┃ ┣Re(2):天皇制について、その3(1) めだま君 05/1/18(火) 1:01 ┃ ┃ ┗Re(3):天皇制について、その3(1) とうろう 05/1/18(火) 10:42 ┃ ┗Re(2):とうろうさんへの反論3 告天子 05/1/18(火) 1:43 ┣Re(1):天皇制について、その3(2) とうろう 05/1/17(月) 21:34 ┃ ┣Re(2):天皇制について、その3(2) 相良唯夫 05/1/17(月) 23:07 ┃ ┃ ┣Re(3):天皇制について、その3(2) とうろう 05/1/18(火) 10:13 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):天皇制について、その3(2) 告天子 05/1/18(火) 22:21 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):天皇制について、その3(2) 告天子 05/1/18(火) 22:38 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):天皇制について、その3(2)/暫し猶予を とうろう 05/1/19(水) 12:16 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):天皇制について、その3(2)/舌足らずでした とうろう 05/1/19(水) 11:46 ┃ ┃ ┗Re(3):天皇制について、その3(2) やまんば 05/1/18(火) 23:23 ┃ ┃ ┣Re(4):天皇制について、その3(2) めだま君 05/1/19(水) 0:35 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):天皇制について、その3(2) やまんば 05/1/20(木) 1:01 ┃ ┃ ┃ ┗地球最大の欺瞞装置(再掲) 沈黙の初夏 05/1/20(木) 8:11 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):地球最大の欺瞞装置(再掲) 告天子 05/1/20(木) 11:29 ┃ ┃ ┗Re(4):天皇制について、その3(2) 相良唯夫 05/1/19(水) 10:16 ┃ ┃ ┗Re(5):天皇制について、その3(2) やまんば 05/1/20(木) 1:37 ┃ ┗Re(2):とうろうさんへの反論4 告天子 05/1/18(火) 1:58 ┃ ┗Re(3):とうろうさんへの反論5 告天子 05/1/18(火) 2:10 ┣Re(1):「天皇制」について2/私の立脚点 とうろう 05/1/20(木) 2:24 ┣Re(1):「天皇制」について2 PCOG 05/1/20(木) 12:55 ┃ ┗Re(2):「天皇制」について2 告天子 05/1/20(木) 13:09 ┣Re(1):天皇制について その4(1) とうろう 05/1/20(木) 14:43 ┃ ┗Re(2):天皇制について その4(1) 告天子 05/1/20(木) 15:44 ┣Re(1):天皇制について その4(2) とうろう 05/1/20(木) 14:44 ┃ ┣Re(2):天皇制について その4(2) 告天子 05/1/20(木) 18:06 ┃ ┣Re(2):天皇制について その4(2) 告天子 05/1/20(木) 18:09 ┃ ┗どこにレスしたらいいものやら。。1. 風谷 米造 05/1/20(木) 20:23 ┃ ┣Re(1):どこにレスしたらいいものやら。。2. 風谷 米造 05/1/20(木) 20:26 ┃ ┗Re(1):どこにレスしたらいいものやら。。1. とうろう 05/1/21(金) 12:15 ┃ ┗Re(2):どこにレスしたらいいものやら。。1. 告天子 05/1/21(金) 15:29 ┣Re(1):天皇制について その4(3) とうろう 05/1/20(木) 14:45 ┃ ┗Re(2):天皇制について その4(3) 告天子 05/1/20(木) 19:27 ┗Re(1):「天皇制」について2 真人間 05/1/20(木) 18:10 ┗Re(2):「天皇制」について2 告天子 05/1/20(木) 19:39 ┣Re(3):「天皇制」について2 相良唯夫 05/1/20(木) 20:51 ┃ ┣Re(4):「天皇制」について2 告天子 05/1/20(木) 21:38 ┃ ┃ ┗感嘆しております。 YOTA 05/1/20(木) 22:34 ┃ ┗Re(4):「天皇制」について2 めだま君 05/1/21(金) 12:35 ┗Re(3):「天皇制」について2 真人間 05/1/20(木) 22:37 ┗Re(4):「天皇制」について2 告天子 05/1/21(金) 9:38 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 「天皇制」について2 ■名前 : 告天子 ■日付 : 05/1/17(月) 14:51 -------------------------------------------------------------------------
とうろうさんの前スレッド意見に対する反論です。 >明治維新の後「平田神道」「復古神道」思想に基づき、「万世一系」の天皇を頂点とする「国体」「皇国史観」が構築され、 明治維新の後数年にして、神道派は権力中枢から追放されていますので、上は史実を正確に見たものではありません。むしろ明治維新の「前」でしょう。歴史認識に重大な欠陥があると思います。 >・・・天皇を「現人神(あらひとがみ)」あるいは「現御神(あきつみかみ)」とする支配体制が出来て行ったといわれます。 明治以後に天皇の絶対支配が確立した、というとうろうさんの史観の説明にしかなっていないと思います。天皇の「統治」、しかも民選議会などへの委任による統治はありましたが、天皇が「支配」していたなど、どういう事実を以て言うのでしょうか。 >確かに欧米の「政教分離の原則」に配慮し「国家神道」を「宗教」とはしていませんが、「天皇の神格化・絶対化」が行なわれたことは事実だと思います。 とうろうさんの論は、「天皇の神格化・絶対化が行われた」というテーゼを、様々な傍証を以て正当とするものです。そして、「故に、天皇制には反対する」というコースなのでしょう。 しかし、基本的に論が粗雑だと思います。その理由は、「天皇の絶対化」という言葉だけが空回りし、戦前に於いても民選議会が機能しており、天皇の独裁制などではなかったこと、「天皇がその神格を以て法律を侵した」ことはなかったことなど、基本的な事実を見ていないように思われます。 すなわち、「大日本帝国」としてはむしろ超国家主義の分子から悩まされ抜いたわけで、また、軍部にしても、軍人勅諭を「忠実に守らなかった」から混乱したのではあっても、「守ったから」混乱したのではありません。 「国家神道が悪い」というのは、要するに「思想が悪い」ということでしょうか。思想の問題でしたら、これは国家制度の問題とは別です。「天皇制そのものが悪い」というのであれば、明治維新そのものをも否定することになります。 |
>奉安殿をご存知でしょうか。昭和初年ごろから各学校に付設され、昭和天皇、皇后のご真影(写真)と教育勅語を収める社(やしろ)のことです。奉安殿が火事で神聖なご真影が焼けないように堅固な建築物であったと言われます。奉安殿、ご真影・教育勅語に粗相があったとして自殺・自決した学校長の例も本に書いてあったと記憶しております。 学校長は大変お気の毒かと思いますが、また、ご立派なことだとも思います。さて、ここでとうろうさんにお伺いしたいのは、「誰かがそうせよと学校長に命じた」のでしょうか。 >このように昭和以降敗戦まで「天皇の神格化・絶対化」を当時の学童、生徒は叩き込まれたのです。これは事実と思います。 とうろうさんの言う「天皇の神格化・絶対化」は、スローガンめいており、いわゆる「超国家主義」に反対する、というお考えでしたら分かりますが、それが天皇のいる日本という国、そのものに対する反対、ということでしたら、反対として漠然としすぎているように思います。 >これが国家神道の実体です。 とうろうさんは、「超国家主義思想」と「国家神道」を混同しているように思います。政府当局の「国家神道」は、思想宣伝など特にしなかったし、神祇院が学校などに指令を出して全体主義的な支配を担っていたなど、聞いたことがありません。「国家神道に反対する」、という言葉、スローガンは、仰りたいことを十分にカバーしていないように思いますね。「とにかく戦前の思想と、体制が間違いだったのだ」、というのがGHQ史観ですから、とうろうさんのご意見はそれにそっくり当てはまると思います。 >「天皇教」とも言うべき「宗教性」を持っていたことは明らかだと私は思います。 大日本帝国はむしろその「宗教性」を徹底的に抜き去った、世俗国家を指向する性格が強いのです。でなければ、神官の政治からの追放などしないでしょう。また、実質的に天皇が「親裁」することはありません。とうろうさんは、天皇の「権威を利用する」ことを危ぶむのか、それとも「天皇そのものを」危ぶむのか、お説を見ると、利用する者も悪いし、天皇が国家機関として在ることも悪いし、国民は一方的な被害者、洗脳されて狂信的思想を押しつけられただけ、(つまり、体制的に全部悪い)といったご理解のように思います。 その辺りがひとまとめに「国家神道」、「天皇教」という言葉にまとめられているだけで、誰が、どういう方法でその「宗教」を国民に強要したのかが不明です。 おそらく、明治憲法が悪い、という話になるのかと思いますが、帝国憲法の話になっても、「天皇を絶対化しているから、悪い」という話しか出てこないのではないでしょうか。そして、きちんと読むなら帝国憲法の精神は「絶対的な天皇の支配」といったものではなく、「国家の繁栄と臣民の幸福」を目標としたものであることは明らかです。 |
>また、敗戦後、天皇が「人間宣言」を出された事実から見ても実質天皇を神とする「国家宗教」だったことは明らかです。 これまた、天皇はそこで「超国家主義」的な天皇観について話されているのであり、神話や伝説のみに「単に」基づく国民との関係ではない、と仰っているのですから、とうろうさんの「天皇を神としていた」、の「神」の理解は、非常に一面的というか、キリスト教的な観念に基づいているのではないかと思います。人と神との関係というのは、むしろ日本では曖昧でしょう。 そして、「国家宗教」と仰いますが、戦前には天皇や神道に対する国民の信仰的意識は勿論ありましたが、それを「国家宗教であり、悪であり、全面的に否定されねばならない」というのがGHQ史観であり、やはりとうろうさんのご意見は、その線に沿ったものです。 >なお、「GHQ史観」とはどのような「史観」でしょうか。また、上の弊記述が誤りであれば、具体的にご指摘願います。 戦前の日本は、国家神道という悪の宗教に支配されており、これは全面的に廃棄されねばならない、というものです。 >また、勿論良くご存知のことと思いますが、あえて付言すれば、神道、神社は「怨霊」の祟(たた)りを慰撫する為のもので「怨霊を鎮撫した」ものでもありました。政敵を倒した後にその祟りを怖れ、神社、仏閣を建立した例は、菅原道真(天神さん)はじめ多くあると思います。 これは、ある一面を言ったものではあっても、自然物をご神体とするような神道、神社については全然当てはまりません。 >靖国神社も多くの「英霊」の怨みを慰撫するためのものとしたら分かり易いと思います。 そういう側面が全くないとは思えませんが・・・。また、それと共に、やはり英霊として讃えるということも、感謝の気持ちを持つことも非常に大事なことだと思います。 >また、神社は偉人、英傑の霊を祀るものでもあり、明治天皇の御霊を祀ったのが「明治神宮」、東郷平八郎提督の霊を祀ったのが「東郷神社」、乃木希典将軍の霊を祀った「乃木神社」・・・です。現代は、何れもその威徳を讃える一方「神社事業」にも忙しいようです。 では、怨念慰撫ばかりが神社ではないではないですか。 |
・・・と書きはしましたが、やはりとうろうさんに対して心苦しい気持ちもあり、・・・というのは、基本的な認識が違うところで「議論」をしても、同意に至ることは難しいのではないか、という思いからです。 先にも書きましたが、とうろうさんの反戦的感情には共感するところがむしろ大きいですので、多少複雑な気持ちでおります。それでは・・・。 |
▼告天子さん&皆さん:こんばんは。 告天子さん;遅くなりましたが(その2)をお届けします。 >>神格化された「天皇」の統帥権の不可侵を盾に、帝国陸軍・海軍軍人が政治を壟断し、 >ここも違いますね。統帥権干犯を言い出したのは、むしろ政党政治家の方であり、過激軍人が軍人としての本分、すなわち軍人勅諭を「無視したから」・・・天皇精神というものを閑却したところに、問題が起こるのです。 先ず、「神格化された天皇」は先のレス(その1)で説明しました。 確かに、「統帥権の干犯」を最初に言い立てたのは、当時の民政党内閣(浜口雄幸内閣)の倒閣を図った政友会の犬養毅、鳩山一郎のようです。しかし、実際には、後に、下級の「過激軍人」までが、例えば軍刀を振り上げ「統帥権の干犯」を言い立てていること、「軍部大臣現役武官制」(1936年)を復活させ、宇垣内閣を流産させ、米内内閣を総辞職に追い込み、政党政治を終焉させ、軍部独裁を図ったのは「軍人勅諭」を体した帝国軍人ではありませんか。 政治を「壟断」したという所以です。政党政治家が「統帥権の干犯」を最初に政略として言ったからといって軍部の政治の壟断を否定することにはなりません。 当時一部の?過激軍人だけが政治を壟断したわけでは有りません。勿論、軍部にも、皇道派・統制派あるいは艦隊派・条約派の対立があり統制派・艦隊派が軍の実権を握り?政治を壟断したことでしょう。しかし、それを「過激軍人」として「天皇」に責任がない?などと言えるわけもありません。 なぜなら、軍の最高指揮権、即ち「政府からも、議会からも独立した」統帥権は、他ならぬ「天皇」に有ったのです。「軍人勅諭を「無視したから」・・・天皇精神というものを閑却したところに問題が起きた」という事であれば、最高責任者の「天皇」がその統帥権を働かせて、そのような過激軍人を処断すればよかったではありませんか。 更に、軍部大臣には「帷幄(いあく)上奏権」もあり、天皇は親しく軍部大臣と話される機会はいくらでもあった筈です。何故、処断されなかったのでしょうか。 1930年:犬養毅の「統帥権干犯」発言以降、1931年:満州事変(柳条湖事件)1932年:上海事変、血盟団事件、5.15事件、1936年:2.26事件(皇道派によるこのクーデターに際しては、天皇は統帥権侵犯で鎮圧を命ぜられたようです。しかし、真の首謀者真鍋甚三郎大将、荒木貞夫大将らにはお咎めはなかったようです)1937年:盧溝橋事件(支那事変)、南京事件、から1941年の大東亜戦争にいたる過程で天皇はどのように「叡慮」を働かされ「聖断」をお下しになったのでしょうか。 その2(2)に続く |
▼とうろうさん: こんばんは。 >確かに、「統帥権の干犯」を最初に言い立てたのは、当時の民政党内閣(浜口雄幸内閣)の倒閣を図った政友会の犬養毅、鳩山一郎のようです。 野党勢力が主張したのです。何故なら、帝国政府は軍縮に大変に熱心であったからです。とうろうさんは「天皇の神格化」でもって全部を説明しようとしていますが、それはドグマに合わせて歴史を説明されているだけで、ディテールに欠けます。 >しかし、実際には、後に、下級の「過激軍人」までが、例えば軍刀を振り上げ「統帥権の干犯」を言い立てていること、「軍部大臣現役武官制」(1936年)を復活させ、宇垣内閣を流産させ、米内内閣を総辞職に追い込み、政党政治を終焉させ、軍部独裁を図ったのは「軍人勅諭」を体した帝国軍人ではありませんか。 そして、その帝国軍人のしたテロルと、天皇陛下のことを混同されるべきではありません。天皇の命令で、軍人がそういう一連の行動を働いたのですか?。「天皇を神格化したから」そういう行為があったのですか? とうろうさんは「軍人勅諭を体した帝国軍人」と言われますが、全く誤りです。そうした軍人を「叛乱軍」としたのは昭和天皇であり、軍部はそれが叛乱であるという判断すら出来なかったのです。とうろうさんの説明は、史実の脈絡を無視しています。 >政治を「壟断」したという所以です。政党政治家が「統帥権の干犯」を最初に政略として言ったからといって軍部の政治の壟断を否定することにはなりません。 軍部の政治壟断を否定してなどいませんよ。ただ、その原因がとうろうさんの言われるような「軍人勅諭、すなわち、天皇の意に依った」軍人、のしたことではなく、「天皇の意に反した、軍人勅諭を忠実に守らなかった」軍人のしたことです。 >しかし、それを「過激軍人」として「天皇」に責任がない?などと言えるわけもありません。 ??。これは不可解です。一連の軍部の運動の首謀者が、天皇だったとでも仰るのですか?。天皇の統帥権に沿って軍部が活動したのならともかく、全然違いますよ? >なぜなら、軍の最高指揮権、即ち「政府からも、議会からも独立した」統帥権は、他ならぬ「天皇」に有ったのです。 統帥権は天皇にあったから、天皇の責任だ、というわけですか。統帥権を「命令権」と混同されてはおられませんか?。とうろうさんの説は、ディテールがなくて、思い込みに沿った決めつけが多いと思います。 >「軍人勅諭を「無視したから」・・・天皇精神というものを閑却したところに問題が起きた」という事であれば、最高責任者の「天皇」がその統帥権を働かせて、そのような過激軍人を処断すればよかったではありませんか。 やはり混同しておられますね。天皇には、一兵たりとも動かす権限などございません。近衛兵でも、天皇には命令権はありませんでしたよ。全くの事実誤認と、統帥権に体する理解不足です。 >更に、軍部大臣には「帷幄(いあく)上奏権」もあり、天皇は親しく軍部大臣と話される機会はいくらでもあった筈です。何故、処断されなかったのでしょうか。 天皇の方から意志を発揮することは出来ないのです。「上奏」は、それをしなかった国務大臣の責めではあっても、天皇が「上奏せよ」とは言えないのです。 とうろうさんのご意見は、基本的なところが倒立的です。 |
(承前、その2(2)) 1945年:終戦に際しては「聖断」されたようですが、開戦に際しても、どうして聖断で拒めなかったのでしょうか。貴方の言われる「過激な軍人」を信頼されていたのでしょうか。 確かに、天皇は「立憲君主制」を重んぜられ、言わば「天皇機関説」的にお考えだったかも知れませんが、戦争にいたる「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」突発に際して何らアクションを取られなかったような気がします。 当時の軍部、ジャーナリズムに煽られた国民の「好戦的雰囲気・世論」に配慮されたのかもしれませんが・・・。私にはよく分かりません。 なお、貴方の言われる「天皇精神」とは具体的にどのようなものですか。教えてください。 >こうしたことは、明治時代には考えられなかったことで、法解釈もドイツ風になり、また、民権の伸張と議会政治の発展が「進むと共に」そうなったのです。「天皇制で民主主義が足りなかったからだ」と説明されがちですが、むしろ民主主義の歪みが現れたものとして見た方が事実に即しています。 大正時代の「デモクラシー」の風潮の反動と世界恐慌に端を発した昭和恐慌の時代に、民の疲弊を横目に、財界あるいは「政党政治家」の腐敗が明るみに出され、国粋主義的右翼の台頭、右翼テロが横行し、政党政治が崩壊し、軍部独裁への道を進んだとは思いますが、 「民権の伸張と議会政治の発展が「進むと共に」そうなったのです」とはどのような意味ですか。よく分かりません。その当時のほうが、ずっと「天皇精神」が高かったのではありませんか。 明治時代に「天皇神格化」が図られ、一時大正時代には中断されていた「軍部大臣現役武官制」などは明治時代に作られたものと思いますし、「民主主義の歪み」が現われた結果「軍部独裁・軍国主義化」したのですか。 むしろ、「神国日本」の名のもとに、「現御神(あきつみがみ)」の権威を持って、民主主義を抑圧し、言論弾圧を行い、臣民の思想の自由、言論の自由などを抑圧した「天皇の権威を利用した軍部ファッショ」が問題だったのではありませんか。 「明治時代には考えられなかった」と、明治時代が良いように仰っていますが、明治維新を成し遂げ、明治国家を築いた方々は、江戸時代の人々です。天皇の時代の人ではありません。そして、昭和「神国日本」の虚構?の上に日本を破滅に導いた、傲慢、狭量、視野の狭いと私が思う、帝国エリート軍人は、天皇の時代の、明治、大正の育ちです。 明治が良かったといえるのは、何も「天皇精神」(具体的には良く分かりませんが・・・)のお陰でなく、江戸時代の日本人の論語に代表される儒教精神で育った武士の教養、仏教の教える人と自然の道を体得した庶民がいたからであって「天皇精神」が特に働いたわけでもないと私は考えます。先にも言いましたが「天皇精神」が何で、どのように機能したか具体的に教えてください。 >まあ、天皇さえ崇めておけば何でも上手く行く、というような話ではありませんが、天皇制が諸悪の根源、みたいに考えるのも、同じように単純な話です。 天皇制が諸悪の根源などと一言も私は言っておりません。話をすり替えないでください。「象徴天皇制」が憲法の「基本的人権の規定」に反するのではないかと言い、「天皇象徴制」は私にとって何ら意義のないことである、と言っているだけです。 (以下、その3以降に続く) |
▼とうろうさん: >1937年:盧溝橋事件(支那事変)、南京事件、から1941年の大東亜戦争にいたる過程で天皇はどのように「叡慮」を働かされ「聖断」をお下しになったのでしょうか。 天皇が命ずれば、何でも自由になると思っておられるようですね。日本国はそのような独裁国ではありませんから、天皇の一声で政治が自由に動くかというのは、誤解に過ぎません。 >1945年:終戦に際しては「聖断」されたようですが、開戦に際しても、どうして聖断で拒めなかったのでしょうか。貴方の言われる「過激な軍人」を信頼されていたのでしょうか。 とうろうさんは日本の国制をご存じないのですか。天皇が言えば何でも臣下が従う、というような国ではないのですよ。何故そんな当たり前のことが分からないのか、不思議です。当時の国内・国際政治事情について、「天皇が言えば何でも通った」などとお思いなら、考えをお改めになるべきです。 >確かに、天皇は「立憲君主制」を重んぜられ、言わば「天皇機関説」的にお考えだったかも知れませんが、戦争にいたる「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」突発に際して何らアクションを取られなかったような気がします。 アクションを取れば取らないよりはよかった、かもしれない、という話ですね。天皇はそもそもそのような権限はありませんので、とうろうさんの仰るように帝国日本が「神権化・絶対化された天皇」の国で何でも天皇の思うがままにでもなるのならともかく、あまりにも当時の事情を無視しているとしか思えません。 >当時の軍部、ジャーナリズムに煽られた国民の「好戦的雰囲気・世論」に配慮されたのかもしれませんが・・・。私にはよく分かりません。 国内だけでなく、国際的な理由もあるんではないでしょうか、戦争が起こるからには・・・。 >なお、貴方の言われる「天皇精神」とは具体的にどのようなものですか。教えてください。 具体的には、五箇条のご誓文、大日本帝国憲法、教育勅語、あるいは、詔勅、数多くの御製、などです。 >「民権の伸張と議会政治の発展が「進むと共に」そうなったのです」とはどのような意味ですか。よく分かりません。その当時のほうが、ずっと「天皇精神」が高かったのではありませんか。 大日本帝国というのは、「神権的な政権」だとイメージされているのではないかと思いますが、むしろ明治政権は、徹底的に世俗合理主義的な体制であって、いわゆる欧化政策などにもそれは現れています。土俗的な信仰に基づくような部分は、むしろ排除すべき、というのが明治の流れだったでしょう。 民権の伸張、すなわち、土着的な天皇意識がより強かったのは、政府側ではなく民権論者の側です。とうろうさんも、統帥権干犯を先に言い出したのは野党の民権論者側だと先に書いておられましたね。 >明治時代に「天皇神格化」が図られ、一時大正時代には中断されていた「軍部大臣現役武官制」などは明治時代に作られたものと思いますし、「民主主義の歪み」が現われた結果「軍部独裁・軍国主義化」したのですか。 軍部大臣現役武官制の意味が、明治とその後では違います。現役武官に限るというのは、不安定でいつ国家がひっくり返るか分からない明治時代に、軍の政治的中立を図るために、現役に限る、という話なのです。現役軍人なら、政治行動は取れません。 ところが、昭和時代になってからの軍のスケールや国家の安定度はまるで違います。本来の制度の趣旨をはき違えて、むしろ徹底的に政治のためにそのルールを利用した、のが実情でしょう。 そういう軍部に期待せざるを得ないほどに、「民選の議員」たちが機能しなかったのです。とうろうさんのお説は、「天皇の絶対化・民主主義の圧迫・軍人の独裁」といった主題の方にばかり目が行き、事実のディテールに欠けると思います。 |
▼とうろうさん: >むしろ、「神国日本」の名のもとに、「現御神(あきつみがみ)」の権威を持って、民主主義を抑圧し、言論弾圧を行い、臣民の思想の自由、言論の自由などを抑圧した「天皇の権威を利用した軍部ファッショ」が問題だったのではありませんか。 「天皇の権威を利用した軍部ファッショ」が問題であるのなら、むしろ民主主義の気主たる野党側で軍部のファッショを推進するような法難を政府に突き付けているのは、どうしたわけでしょう。 >「明治時代には考えられなかった」と、明治時代が良いように仰っていますが、 よいとはいいませんが、事情が違うと言っているのです。 >明治維新を成し遂げ、明治国家を築いた方々は、江戸時代の人々です。 そうですね。 >天皇の時代の人ではありません。 明治時代の人ではありませんが、「天皇の時代」の人でしょう?。明治維新というものが、どうして起こったかといえば、江戸時代の人が「天皇中心の統一国家にする」ために命がけで戦ったことに依るのであり、むしろ尊皇精神は明治人より余程強いのではありませんか? >そして、昭和「神国日本」の虚構?の上に日本を破滅に導いた、傲慢、狭量、視野の狭いと私が思う、帝国エリート軍人は、天皇の時代の、明治、大正の育ちです。 むしろ尊皇の精神から外れているから、という責めならば当たると思いますが、傲慢・狭量というのは「尊皇精神に由来する」ものなのでしょうか?? >明治が良かったといえるのは、何も「天皇精神」(具体的には良く分かりませんが・・・)のお陰でなく、江戸時代の日本人の論語に代表される儒教精神で育った武士の教養、仏教の教える人と自然の道を体得した庶民がいたからであって「天皇精神」が特に働いたわけでもないと私は考えます。 これは驚きました。江戸時代の論語などの儒教精神など、それこそ「民主主義」どころか江戸の身分制と共にあった思想であり、とうろうさんはある時は民主主義だといい、ある時は「封建時代の方がよかった」とされているようで、一貫していませんね。 >先にも言いましたが「天皇精神」が何で、どのように機能したか具体的に教えてください。 明治維新を導き、そして帝国憲法、教育勅語という形で国民に示され、また、国民は親しく明治天皇や昭憲皇太后様の和歌に親しんだのです。「機能」というのであれば、やはり帝国憲法がその言葉にふさわしいでしょう。今でも天皇の和歌に感動したというお話はよく聞きます。そういうのは、何も今に始まったことではなく、連綿と続いてきたものの表れでしょう。 >>まあ、天皇さえ崇めておけば何でも上手く行く、というような話ではありませんが、天皇制が諸悪の根源、みたいに考えるのも、同じように単純な話です。 > >天皇制が諸悪の根源などと一言も私は言っておりません。話をすり替えないでください。「象徴天皇制」が憲法の「基本的人権の規定」に反するのではないかと言い、「天皇象徴制」は私にとって何ら意義のないことである、と言っているだけです。 とうろうさんが繰り返し述べられているのは、「天皇制を止めよ」という話かと思っておりましたが。 とうろうさんに「天皇象徴性」が意義がない、というのは、要するに「日本国憲法の天皇規定に意義がない」と言っておられるわけで、だから「無法であろう」と私は言っておるのです。 |
▼告天子さん&皆さん:こんばんは。 告天子さんのご意見に沿って、天皇制について、その3を掲示いたします。 >>「天皇制」は必要でしょうか?日本国は「天皇」を「象徴」として、持たなければならないのでしょうか。 >必要です、というより、天皇がいるから日本なのであって、「象徴」などというのは敗戦の結果押しつけられた天皇のあり方であり、非常に日本史的には異例なあり方なんではないですか。 「天皇がいるから日本」と言う根拠は何ですか。具体的に教えてください。 私は、仮に「天皇」が居られなくとも、日本国はこの日本列島の上に存在し、日本人はこの列島に生を営むことが出来、日本国は地球上で世界に認められた存在だと思うものです。「天皇」が仮に居られないとしたら、諸外国あるいは世界の人々が、「日本国」を日本国と、また「日本人」を日本人と認識しないのでしょうか。その根拠を示して頂きたいと思います。 「象徴」としての存在が敗戦の結果押し付けられたものである、というのはある意味そうかもしれません。しかし、戦後60年、天皇家もそうですし、国民もそれに反対で、大変不自由していると言うことは「顕在化」した声にはなっていないと思います。どこかでも言いましたが、現「憲法」の出自を、今とかく言っても始まらないことですし、不毛の議論と私は思います。 「象徴天皇」が、日本史的に異例というなら先に言いました「室町時代の天皇」より遥かに恵まれたあり様ではありませんか。 何故「日本史的に異例」なのか、根拠を示し具体的に仰ってください。 なお、「日本史」とは縄文・弥生時代以降のことですか、記紀神話以降ですか、それとも史書に「日本」が出てきた?聖徳太子の時代以降ですか、明治維新以降ですか、具体的に説明して下さい。 >>「天皇が象徴としてあらせられる」ことで、「日本国民」はどのような利益を受けているのでしょうか? >天皇がおられることで国民が受ける「利益」という考え方そのものが軽薄なもののように思えますが、それは公的なものを「利益」を持ってのみはかる、というお考えでしょうか。 「利益」という言葉が「軽薄に?」聞こえるかと思い「国益」とも言っています。諸外国に伍して「日本国」が世界に存在する上に於いて如何なる実体的(政治、経済、社会、文化的)な影響が有るかという事です。 「公的なものを「利益」を持ってのみはかる」? 私は、「公的なもの」は「公的」で、国民全てに、あるいは関係する国民の多数に関わることですから、それら、国民の「利益」をもって量るのは当然のことと思っています。 なお、告天子さんが、ここで言われる「公的なもの」とは如何なる謂いですか。 「公」とは「おおやけ」のこと、「私(わたくし)」の反対語ですね。 辞書によれば、「おおやけ【公】」は、「大家(おおやけ)」「大宅(おおやけ)」が原義とされ、 ・政治や行政にたずさわる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。古くは朝廷・幕府などをさす。 ・個人ではなく、組織あるいは広く世間一般の人にかかわっていること。 ・事柄が外部に表れ出ること。 また、・私心がなく、公平であるさま、 を表すとされていますが、「公的なもの」とは、どのような意味で言っておられますか。具体的、明確に仰ってください。 以下、その3(2)に続く |
▼とうろうさん: はじめまして、 >▼告天子さん&皆さん:こんばんは。 >「公的なものを「利益」を持ってのみはかる」? >私は、「公的なもの」は「公的」で、国民全てに、あるいは関係する国民の多数に関わることですから、それら、国民の「利益」をもって量るのは当然のことと思っています。 > >なお、告天子さんが、ここで言われる「公的なもの」とは如何なる謂いですか。 > >「公」とは「おおやけ」のこと、「私(わたくし)」の反対語ですね。 どうやら、やはり天皇の「公的存在」の意味が焦点になりそうですね。 しかし、問題は「利益」の意味内容に関わっているようですね。 こんごともよろしくお願いいたします。 |
▼めだま君さん:おはようございます。 >はじめまして、 こちらこそ、はじめまして。宜しくお願いいたします。 めだま君さんと告天子さんの意見交換も読ませて頂いております。 今後、一連の弊意見について、お好きなときにコメントいただければ幸いです。 先ずはご挨拶まで。宜しくお願いいたします。 >>▼告天子さん&皆さん:こんばんは。 >>「公的なものを「利益」を持ってのみはかる」? >>私は、「公的なもの」は「公的」で、国民全てに、あるいは関係する国民の多数に関わることですから、それら、国民の「利益」をもって量るのは当然のことと思っています。 >> >>なお、告天子さんが、ここで言われる「公的なもの」とは如何なる謂いですか。 >> >>「公」とは「おおやけ」のこと、「私(わたくし)」の反対語ですね。 >どうやら、やはり天皇の「公的存在」の意味が焦点になりそうですね。 >しかし、問題は「利益」の意味内容に関わっているようですね。 >こんごともよろしくお願いいたします。 |
▼とうろうさん: >「天皇がいるから日本」と言う根拠は何ですか。具体的に教えてください。 日本国憲法にも、天皇を「国民統合の象徴」とありますが。 >私は、仮に「天皇」が居られなくとも、日本国はこの日本列島の上に存在し、日本人はこの列島に生を営むことが出来、日本国は地球上で世界に認められた存在だと思うものです。 それは単なる「場所」という話でしょう。 >「天皇」が仮に居られないとしたら、諸外国あるいは世界の人々が、「日本国」を日本国と、また「日本人」を日本人と認識しないのでしょうか。その根拠を示して頂きたいと思います。 なぜ外国人の認識に「日本が日本たるゆえん」を求めるのか、疑問ですね。日本の教育を受けた、日本人でなければ、天皇の意味など「神権化された?古い君主」というだけで、その精神的意義など分からないでしょう。 根拠を示せとは驚きですが、とうろうさんの説は「アメリカ人は民主主義を失い全体主義になってもアメリカ人だ」「そのように外国人は認識する」といった、歴史・国情を全く無視した話ですね。そういう返事が返ってくるとは、何とも残念です。 >「象徴」としての存在が敗戦の結果押し付けられたものである、というのはある意味そうかもしれません。 全くその通りですよ、当時の資料からすると。占領軍の意志なしにはああいう憲法にはなりませんから。 >しかし、戦後60年、天皇家もそうですし、国民もそれに反対で、大変不自由していると言うことは「顕在化」した声にはなっていないと思います。 とうろうさんには、昨今の「改憲」を望む声が聞こえないのでしょうか?? >どこかでも言いましたが、現「憲法」の出自を、今とかく言っても始まらないことですし、不毛の議論と私は思います。 それはとうろうさんが「不毛だと思っている」だけの話で、法制史というのは重要な学問分野です。 >「象徴天皇」が、日本史的に異例というなら先に言いました「室町時代の天皇」より遥かに恵まれたあり様ではありませんか。 ・・・・・。室町時代と現代を比べるんですか? では言いますが、室町時代ですら、「日本の国家的正統性は、天皇を於いて他にない」ということが敵味方問わず常識であったから、ああいう争いになるわけでしょう。とうろうさんのような「一名家に戻ればいい」などと言い出す人は、室町時代にはいなかったと思いますね。 >何故「日本史的に異例」なのか、根拠を示し具体的に仰ってください。 上に具体的に示しました。とうろうさんも私が尋ねたいろいろなことについてお答えください。 >なお、「日本史」とは縄文・弥生時代以降のことですか、記紀神話以降ですか、それとも史書に「日本」が出てきた?聖徳太子の時代以降ですか、明治維新以降ですか、具体的に説明して下さい。 何か、説明してください、根拠をあげてください、ばかりですね。私はいちいちあげていますよ。日本に神道があり、その統一国家の王としての天皇が、やはり「日本という国」の最初でしょうが、「具体的に説明せよ」というのは、さてどんな議論上の利益を期待しての話でしょうか。対論もお示しください。 >「利益」という言葉が「軽薄に?」聞こえるかと思い「国益」とも言っています。諸外国に伍して「日本国」が世界に存在する上に於いて如何なる実体的(政治、経済、社会、文化的)な影響が有るかという事です。 どんな国益があるか、「天皇がいてもいなくても、国益などない」というのがとうろうさんのご意見でしょう? |
(承前 その3(2)) >>そして、若し、天皇制を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか? >軽薄きわまる卑しい国になると思います。 告天子さんは「軽薄きわまる卑しい国になる」と思う、といわれておりますが、何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは想像される過程を示されていません。これでは結論だけで、議論のしようがありません。 どうか「何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは過程」を示していただけませんか。 >>また、「天皇家」はどのような不都合を受けられるのでしょうか? >日本国の不幸を嘆かれることと思います。 これも上と同じく、告天子さんが、このように天皇家のお気持ちを忖度(そんたく)され、想像される根拠、理由をお示しください。 >>念のため申し上げますが、ここで言う「利益」とは、「国益」総和としての国民の利益です。そして、勿論、経済的利益だけを言っているのではありません、国際社会における日本の利益、日本国民に還元される総合利益のことを言っています。ご意見をお願いいたします。 >天皇がいなければ、日本国は「統合」を失います。 これも上と同じく、どうか「何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは過程」を示していただけませんか。 >経済的利益でない総合利益というのが、上の文で何を意味しているのかよく分かりませんが、 上に説明いたしました。 >国が統合を失えば、勢力争い、内乱、政治不安など、単純に考えても不幸なことばかりありそうですね。また国民が「統合」精神を見失っても、同じことだと思います 先ず、「統合を失う」ということについて上に述べたようにご説明願います。 私は、「象徴天皇制」をなくしても、実質的に「日本の代表名家」として「天皇家」が存在される限り、実態的には何ら変わることはないと考えます。何故、天皇家にとっても不自由な「象徴天皇制」が、戦後直ぐの時代ならいざ知らず、現在の日本に必要なのかよく分からないのです。 >そういうのが戦前の歴史にはあったんではないんですか。 よく分かりません。戦前はそれこそ「実体天皇制」でなかったのですか??? 以下、その4に続きます。 |
▼とうろうさん 横レス失礼します。 >>>そして、若し、天皇制を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか? 表現力が乏しくて申し訳ありませんが、「肉親を亡くしたような悲しみに襲われ」想像すらしたくありません。憲法では象徴とされていますが、参賀をされた方の多くは私と同じ気持ちの方も多いと思います。 同じように「若し、伊勢神宮を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょう?と質問したら、どのように答えたらよろしいのでしょう? さらに「若し、国旗・国歌を廃したとしたら、どうのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか?と質問したら・・・? 天皇のご公務に対し、感謝の念がわきませんか?天皇陛下のように無私のお方を他にご存知でしょうか? 宮中で祭祀が行われる場合、天皇陛下御自らが神官(言葉が違うかもしれません)となって催行されます。陛下は日本人の心の中心となっているのです。 中心を失えば末は乱れます。それは家庭に於いても、会社に於いても、同じことが言えます。今でこそ少なくなりましたが、家には大黒柱があったのです。そして親父は家の大黒柱の役目があったのです。その大黒柱がなくなるにつれ、家の中心が失われ、家庭崩壊が多くなったのです。 日本の神社は宮中につながっていますから、神社の存在も危うくなります。 日本から神社が無くなることになれば、音を立てるように日本の伝統文化は崩壊の道をたどることになるでしょう。 神道は宗教ではありますが、日本人の精神性(倫理・道徳)に貢献され、日本人の生きる指針になっているのであります。 例えば、首相が神宮に参拝されても、それを宗教活動とみなすより、日本人の感謝を表す形が、あの場で行われているという捉え方をする人も多いと思います。 日本列島があるから日本であると思う方もいますが、天皇が在られるから日本であるとお考えの方も多いと思います。 |
▼相良唯夫さん: おはようございます。レス有難うございました。 貴ご感想に対する弊意見は改めて後日告天子さんの「反論?」を待って併せてさせて頂きます。 先ず、告天子さんのご意見へのレスを終わらせたいと考えております故ご諒解ください。また、天皇制に関する一連の弊意見にもご意見いただくと幸いです。 先ずはおことわりまで。 |
▼とうろうさん: ちょっと奇妙に思ったのですが、 >▼相良唯夫さん: >貴ご感想に対する弊意見は改めて後日告天子さんの「反論?」を待って併せてさせて頂きます。 私は別段、相良唯夫さんに「反論?」をすることは考えていなかったのですが、これはどういう文脈から出てきた話だったのでしょうか。私が相良唯夫さんに「反論?」(この、?マークも以前から気になっていたのですが、どういう含意なのでしょう・・・)するとは表明したわけでもありませんので、そのことととうろうさんが相良唯夫さんにご意見することとは、何の関係もないと思います。 >先ずはおことわりまで。 何故相良唯夫さんさんへのお返事に私の話が出てくるのか、戸惑いました。 |
ところで、とうろうさんのご意見が、私の書き込みに対する「反論」ではなくなって、「もっと具体的に説明してください」と要求するものになってしまっています。 とうろうさんが「告天子氏の意見は違う、何故ならしかじかの理由があるから」、と反論をされるのならば議論として分かりますが、もっと説明せよ、もっと説明せよ、まだ具体性を感じない・・・、というような論しか出てこないようであれば、それは「反論不能」ということかと思います。 私は、とうろうさんのご意見に対して、説明を求めるにしても具体的に「これこれの件に関しては、どうか」と反論しております。もともと「具体性がない」というのであれば、とうろうさんのご意見の「天皇など、いてもいなくても国益に関係がない」、の方が、余程具体性に欠けます。 「国民に利益を与えないから、天皇を日本の国家制度から追放しました、天皇の基本的人権のためです」などという話になれば、諸外国からの物笑いの種にしかならないでしょう。 そういう意味では、天皇に対する国民感情、ということで、相良唯夫さんのご意見の方が筋が通っていると思いますし、諸外国に照らしてもより通用する話ではないかと思います。君主への国民の尊敬の念、というのは、万国に共通する美風だと思いますね。 戦争などを挟んで、皇室に対する反感を持つことについては、仕方がないことのように思いますが、しかし基本的に誤った認識に基づいた「国家と天皇の切り離し」、「廃帝論」は、認めがたいですね。 |
▼告天子さん: おはようございます。 私は、告天子さんの最初の一連の意見(反論?)レス(一次レス)に即して私の最初の意見を敷衍、展開しているつもりです。 最初の弊意見はいわばレジメです。それを展開しているつもりで、まだ完結には至っておりません。従って、今、結論めいたことをいわれても困りますので暫らく猶予ください。何れコメント申し上げます。 最初に、延々、延々と続くと申し上げた筈ですし、諒解と言われたとも理解しております。従って、少なくとも私の貴一次レス、二次レスへの意見が終わるまではこのようなご意見はお待ちいただけないでしょうか。 なお、もう付き合いきれないというのであればお好きになさってください。私が勝手に、先に発表された貴意見に沿って弊意見を敷衍、展開した書込みをするだけでも結構です。 なお、意見交換、議論に際しての姿勢については下のレス【41145】に書いております。ご笑覧ください。宜しく。 |
▼告天子さん: おはようございます。レスが遅れておりすみません。 >ちょっと奇妙に思ったのですが、 > >>▼相良唯夫さん: >>貴ご感想に対する弊意見は改めて後日告天子さんの「反論?」を待って併せてさせて頂きます。 > >私は別段、相良唯夫さんに「反論?」をすることは考えていなかったのですが、これはどういう文脈から出てきた話だったのでしょうか。私が相良唯夫さんに「反論?」(この、?マークも以前から気になっていたのですが、どういう含意なのでしょう・・・)するとは表明したわけでもありませんので、そのことととうろうさんが相良唯夫さんにご意見することとは、何の関係もないと思います。 すみません。舌足らずでした。私は、「告天子さんの反論?を待って」と言ったのは「告天子さんの反論?を全てまって、一応私の論を済ませる際に」と言うべきでした。 なお、私が、相良さんへのレスに於いて、告天子さんの相良さんへの「反論」などに言及する理由も必要もないことは明らかだとおもいますが・・・。「反論」としたのは告天子さんのレスタイトルが「・・・反論」となっていたからです。 なお、「?」は、私は「とうろうの天皇制の関する意見」に対する告天子さんの意見(一次レス)に沿って、私の意見を、敷衍・展開しているつもりで、特に告天子さんの意見に「異を唱えるために」レスしているつもりはありません。結果としてそうなったとしても・・・。 従って、私への貴再(二次)レスも「反論」などと「大上段に振りかざす必要は無い」という意味で「反論?」としました。 また、私への、意見(反論)は、できるだけ私の意見に沿って「逐一」コメントいただければ助かります。 貴意見で、反対・異論をいわれる場合は、 1.私の挙げた根拠(事実)のどこに「誤り」があり、 2.事実解釈、または事実に基づいた論旨、論立てのどこに論理的「誤り」があるか、そして、論旨を支える根拠、事実の選択の誤り、不足・・・などなど を、弊言に沿って「具体的に指摘」した上でご意見をお願いいたします。 また、私がお伺いしたことには誠実にお答えいただき、やや感情的めいて見える表現を避け、当初のように冷静にご意見をいただくようにお願いいたします。 私は、意見交換、議論をしているのであって、青筋立てて、告天子さんを「折伏」しようとしているわけでは夢夢ありませんゆえ。 なお、再確認しますが、先の弊レスは相良さんへのレスの遅れの言い訳として、私が、告天子さんの「反論」へのレスを済ませてからということであり、告天子さんと相良さんを結び付けて言ったわけではないことをご諒解ください。 宜しく。 |
▼相良唯夫さん: こんにちわ、 いろいろなご意見がある中で、目を引くものがありましたので、私の個人的な体験を交えた意見を書かせてください。 >天皇のご公務に対し、感謝の念がわきませんか? 天皇一家の暮らしすべて私たちの税金でまかなっているのですから、感謝されるのは私のほうと思います。 天皇陛下のように無私のお方を他にご存知でしょうか? 現天皇その人をあまりよく知らないので、「無私のお方」かどうか評価できません。従って、他の人に比べようもありません。 とは言え、税金ですべてをまかなわれるのだから「無私のお方」であったとしても何の不思議もありませんが。 宮中で祭祀が行われる場合、天皇陛下御自らが神官(言葉が違うかもしれません)となって催行されます。 そうなんですか。知りませんでした。だからといって、 陛下は日本人の心の中心となっているのです。 とは必ずしもならないでしょうね。だって、今まで知らなくて、それでも済んでいたくらいですから。 >中心を失えば末は乱れます。それは家庭に於いても、会社に於いても、同じことが言えます。今でこそ少なくなりましたが、家には大黒柱があったのです。そして親父は家の大黒柱の役目があったのです。その大黒柱がなくなるにつれ、家の中心が失われ、家庭崩壊が多くなったのです。 私は子どもの頃、父親を亡くし、母子家庭で育ちましたが、そういうのは家庭崩壊と言うんですか? 私はそうは思ってないですが。 それって差別と言うのではないかと思います。 >神道は宗教ではありますが、日本人の精神性(倫理・道徳)に貢献され、日本人の生きる指針になっているのであります。 これも初耳です。従って生きる指針になったことはありません。 少なくとも私には。 >例えば、首相が神宮に参拝されても、それを宗教活動とみなすより、日本人の感謝を表す形が、あの場で行われているという捉え方をする人も多いと思います。 >日本列島があるから日本であると思う方もいますが、天皇が在られるから日本であるとお考えの方も多いと思います。 そうでしょうね。そういうお考えの人が天皇一家を支えるというのが合理的と思います。 父が亡くなった直後、生活を立て直すまで、食うや食わずの中でも税金は流れていったのです。 |
▼やまんばさん: こんばんは、やまんばさん、横レスでごめんなさい、 どうやら、それぞれ体験が異なっているようです。 告天子さんと相良唯夫さんとでも、天皇敬愛の意味内容も、微妙な違いがあるようです。人生で窮地に陥ったとき、人は様々な出会いや方法で、困難を乗り越えていきます。その窮地において、だれが、救い主なのかが、ほぼ決定される傾向にあると思います。 手を差し伸べる人が、天皇尊崇の人であれば天皇を敬愛するようになり、キリスト教の人であればキリストに、創価学会の人であればその思想に、日教組の人であればその思想に、・・・、誰にも助けられなければ自分自身に・・・すなわち理屈ではなく、それぞれに体験的に己が信じるものを選び取るのだと思います。こころからの敬愛の背後には、それぞれの人生があるのだと思います。だから、ひとりひとりの「思い」は尊いものだと思います。 |
▼めだま君さん: ご連絡ありがとうございます。 >どうやら、それぞれ体験が異なっているようです。 >告天子さんと相良唯夫さんとでも、天皇敬愛の意味内容も、微妙な違いがあるようです。人生で窮地に陥ったとき、人は様々な出会いや方法で、困難を乗り越えていきます。その窮地において、だれが、救い主なのかが、ほぼ決定される傾向にあると思います。 >手を差し伸べる人が、天皇尊崇の人であれば天皇を敬愛するようになり、キリスト教の人であればキリストに、創価学会の人であればその思想に、日教組の人であればその思想に、・・・、誰にも助けられなければ自分自身に・・・すなわち理屈ではなく、それぞれに体験的に己が信じるものを選び取るのだと思います。こころからの敬愛の背後には、それぞれの人生があるのだと思います。だから、ひとりひとりの「思い」は尊いものだと思います。 おっしゃるとおりです。 ですから、「日本人」と人括りにされるのは、やめてください。 |
RE=40502】地球最大の欺瞞装置 沈黙の初夏 - 05/1/15(土) 9:24 1.天皇など歴史的発生過程から推測すれば盗賊の元締めだったろう。 2.人間に人間以上の価値をつけるのは たいがいよこしまな目的があるからにちがいない とくに日本における皇室制度は 権力の二重構造をささえるには、とても魅力的な手段 であったと思う。 なにしろ権力の実態を握る人間にとっては、 「詔勅」の一言で全てを黙らせることができる。 3.地上で これほど都合のいいことは、めったにあるまい。 4. あんなものをあがめる人間の頭はどうかしているのだろう。 偶像でよいのなら、金親子、天皇、「モーニング娘。」 どれも等価値ではないか =============== To1.日本国家の成立は8世紀天武辺りからと考えられています それまでは部族国家で盗賊どころか 年中凄惨な殺し合いをしていました その前の酋長とされる 天智は後の女帝斎明とされる人の前で入鹿を殺しました 天智と天武は異母兄弟でしたが 最後は戦争となり天智の子供は負けて近江の山中に一足の靴を残し消息を絶ちました 此れは壬申の乱として専門家は昔から知っていましたが一般国民は知ってはいかんということでした 天智天武と結婚した額田王は不倫的な関係のときに天武に恋歌を捧げ『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』と歌い 天武は『紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋めや』と返歌しました 万葉の秀歌とされています こんな美しい歌を作りながら 何かで憎悪が増せば敵の物の収奪はおろか 近親殺戮までやったのです To2.全くの事実です 我々の実体験なのですから To3.世界の中で日本だけの優れたsystemと宣伝されて散々悪用されましたね To4.北鮮へのbashingは度を通り越しています 将軍様がそんなにいけないなら あってはならない偽神をあんなに崇めたのはどうしてですか 朝鮮校の女の子の清楚なチョゴチョマリを切り裂いたり こちらが今ずっと大人の国なら 一斉に集団主義的に動くより自制の聞いた 対抗、報復手段がありそうです |
とうろうさん リンク先のスレッド、一読した限りでは、西洋政治史を普遍の政治史として日本にもそれが適用できるとする説明であり、全体に、「国家神道による天皇の支配」「絶対化された天皇」といった教条に基づいて現実を説明しようとする一連のとうろうさんの姿勢と共通した性格があると感じました。 ▼沈黙の初夏さん: >RE=40502】地球最大の欺瞞装置 沈黙の初夏 - 05/1/15(土) 9:24 >To1.日本国家の成立は8世紀天武辺りからと考えられています それまでは部族国家で盗賊どころか 年中凄惨な殺し合いをしていました その前の酋長とされる 天智は後の女帝斎明とされる人の前で入鹿を殺しました 天智と天武は異母兄弟でしたが 最後は戦争となり天智の子供は負けて近江の山中に一足の靴を残し消息を絶ちました 此れは壬申の乱として専門家は昔から知っていましたが一般国民は知ってはいかんということでした 天智天武と結婚した額田王は不倫的な関係のときに天武に恋歌を捧げ『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』と歌い 天武は『紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋めや』と返歌しました 万葉の秀歌とされています こんな美しい歌を作りながら 何かで憎悪が増せば敵の物の収奪はおろか 近親殺戮までやったのです そうしたお話は、広く知られているところです。しかし、「盗賊の物語だ」などとして受容されているとは聞いたことがないし、古代国家成立の際に凄惨な愛憎・殺戮があったということは、「盗賊の元締め」などという話とは全く違うでしょう。盗賊の元締め、というのは沈黙の初夏さんが何としても日本天皇を貶めたい気持ちの表れではあっても、歴史の説明としては不足です。一般国民は知ってはいかんといっても、記紀神話などを読めば誰でもアクセスできる情報でしたよ。 >To2.全くの事実です 我々の実体験なのですから なので、「よこしまな意図がある」のであれば、イエスの場合はどうか、と尋ねているのです。また、権力の二重構造だというのであれば、その権力の担い手を、軍なのか、政府なのか、議会なのか、どの辺りに置いているのか、全部くるめて「とにかく天皇制が悪い」とされるのか、やはりディテールに欠けて、「とにかく悪い」という印象しか伝わってきません。 >To3.世界の中で日本だけの優れたsystemと宣伝されて散々悪用されましたね 現代では逆に、「日本だけがとにかく劣っていて悪い」と、宣伝・悪用されているのではないでしょうか。 >To4.北鮮へのbashingは度を通り越しています 将軍様がそんなにいけないなら あってはならない偽神をあんなに崇めたのはどうしてですか 北朝鮮の国家体制と戦前の日本の体制とでは、まるで違います。 >朝鮮校の女の子の清楚なチョゴチョマゴリを切り裂いたり こちらが今ずっと大人の国なら 一斉に集団主義的に動くより自制の聞いた 対抗、報復手段がありそうです ではその「自制のきいた、対抗・報復手段」とはどのようなものでしょう。 |
▼やまんばさん: >私は子どもの頃、父親を亡くし、母子家庭で育ちましたが、そういうのは家庭崩壊と言うんですか? >私はそうは思ってないですが。 >それって差別と言うのではないかと思います。 私の書き込みで不快を与えましたこと、お詫び申しあげます。 やんばさんの場合は、不幸にして早くからお父さまに旅立たれ、お母さまが、父親の役割まで担って懸命にお働きになったのではないでしょうか? どうぞ、お母さまのご苦労に感謝し、お母さまがお喜びになられるように親孝行なさって下さい。 世間で言われている、家庭崩壊を指したのであり、母子家庭を指したのではありません。 組織は全て中心が存在します。その中心がぐらつけば末は乱れます。 その組織の最小単位が家庭であると捉え、中心の大切さを述べたつもりです。 私もすでに父親や母親を亡くしました。しかし私の心の中では今も生き続けており、朝夕、仏壇の前で挨拶をしております。私にとっては両親、祖父母は亡き今も中心になってくれています。そして子供や孫は、こんな私でも中心として立ててくれています。 私に差別意識がなくても、そのように受け取られましたことを反省しております。 |
▼相良唯夫さん: ご連絡ありがとうございます。 私の前回の書き込みは『横レス、失礼』と枕詞をつけるものだったかもしれません。 (他の方とのお話中割り込む時に、そう言っているようですね) それと、引用した字と私の字との区別がつかないという間違いもしてしまいました。 よくわからなくて、失礼しました。 それはさておき、 >どうぞ、お母さまのご苦労に感謝し、お母さまがお喜びになられるように親孝行なさって下さい。 私は母に感謝もせず、親孝行もせずにいるわけではありません。 相良さんにそのようなお説教をされるいわれはありません。 ご自分が見ず知らずの人間に、何の根拠もないお説教をされた場合を想像して、以降はおつつしみください。 >世間で言われている、家庭崩壊を指したのであり、母子家庭を指したのではありません。 ご自分のお書きになったことをもう一度お読みになってください。 >私に差別意識がなくても、そのように受け取られましたことを反省しております。 「差別するぞ」と言いながら差別する人はいません。 言ったほうには、差別意識がないからこそ差別になるのです。 以降は充分意識してください。 |
▼とうろうさん: >「公的なものを「利益」を持ってのみはかる」? >私は、「公的なもの」は「公的」で、国民全てに、あるいは関係する国民の多数に関わることですから、それら、国民の「利益」をもって量るのは当然のことと思っています。 > >なお、告天子さんが、ここで言われる「公的なもの」とは如何なる謂いですか。 とうろうさんが天皇を「私的なもの」と位置づけられるので、憲法にもある国家機関である、という意味で「公的」という、そういう文脈で申し上げました。文脈を離れた「公的」という単語にこだわるのならば、そういうのは論の立て方がおかしいと思いますね。文脈無視ですから。 >を表すとされていますが、「公的なもの」とは、どのような意味で言っておられますか。具体的、明確に仰ってください。 上に書きましたよ。 >>軽薄きわまる卑しい国になると思います。 > >告天子さんは「軽薄きわまる卑しい国になる」と思う、といわれておりますが、何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは想像される過程を示されていません。これでは結論だけで、議論のしようがありません。 歴史を無視した、手前勝手な主義主張に合わせて現実を説明するような態度が横行するような国は、「軽薄きわまる」と思っています。 >どうか「何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは過程」を示していただけませんか。 上に示しましたよ。教条主義は、軽薄だと思います。無知やドグマを「理想だ」などと言い立て、他人に暴力を振るうようなことが通るのならば、これは無法の支配だと思います、軽薄などということを通り越して、恐ろしいことだと思います。 >>日本国の不幸を嘆かれることと思います。 > >これも上と同じく、告天子さんが、このように天皇家のお気持ちを忖度(そんたく)され、想像される根拠、理由をお示しください。 では、とうろうさんも「天皇陛下は嘆かれないだろう、日本を代表する一名家になればお喜びだろう」と推測する根拠・理由をお示しください。 >>天皇がいなければ、日本国は「統合」を失います。 > >これも上と同じく、どうか「何故そう思うのか、また、如何にしてそうなるのか、その根拠となる事項、理由あるいは過程」を示していただけませんか。 とうろうさんがそう思われない理由を示すべきだと思いますが。日本国憲法にも告天子の言うとおり、国民統合の象徴として書いておりますし、統合を失う、というのはごく自然な考え方であるし、また法に適っていると思いますよ。適っていない主張をしているのは、灯籠さんの方です。 >>経済的利益でない総合利益というのが、上の文で何を意味しているのかよく分かりませんが、 > >上に説明いたしました。 天皇がいてもいなくても国益には関係ない、などという説明では、到底納得できません。 >私は、「象徴天皇制」をなくしても、実質的に「日本の代表名家」として「天皇家」が存在される限り、実態的には何ら変わることはないと考えます。 それは何故ですか? >何故、天皇家にとっても不自由な「象徴天皇制」が、戦後直ぐの時代ならいざ知らず、現在の日本に必要なのかよく分からないのです。 なにやら、「どうして人を殺してはいけないの」とか、そういう質問を連想してしまいました。 >>そういうのが戦前の歴史にはあったんではないんですか。 > >よく分かりません。戦前はそれこそ「実体天皇制」でなかったのですか??? 率直に言って、とうろうさんは史実に即してものを言うのではなく、「天皇の神権か・絶対化」とか、戦後になってから作った言葉やイデオロギー的説明でもってお話しされていると感じます。「実体天皇制」など、初めて聞きました。 |
とうろうさんの「天皇制は国益に反する」とか、「だから存在意義がない、分からない」という説は、単純に国法に、憲法に反した説であり、その主張していることは「廃帝論」です。 実に無法な話だと思いますが、その根拠が「何故天皇があるのか分からないから」と言ったもので、これでは薄弱どころか、主張に理義を認めることが出来ません。 そればかりか、「何故天皇がいると国益なのか、説明せよ」と迫るなど、国憲を軽んじるにもほどがあります。 |
▼告天子さん: こんばんは。 一つお願いがあります。私の憲法、天皇制に関する意見は先に「私と憲法」と言う題でこの掲示板に投稿しております。 http://www.6410.jp/bbs/data/sougou/log/tree_1203.htm(憲法観、立脚点) 上もご参照の上ご意見をお願いいたします。 また、上の私の意見についても、出来れば逐一(長々しいので恐縮ですが)告天子さんのご意見を頂ければ幸いです。 遅ればせながらここにお願いいたします。どうか宜しく。 |
現在の日本の国家組織形態は、象徴天皇制という独特の機構も認められているから、立憲君主制と議会共和制の妥協形態と捉えるのが妥当である。 ここに、日本に於ける君主制廃止つまり天皇制廃止の必要性を要約すると次のとおり。 1.人は生まれながらにして、その身分には上下があることを肯定することとなり、民主主義の理念に反することになり、人権差別の元凶となる。 2.特定宗教である神道の祭主である天皇が国民統合の象徴とされるのは、日本国憲法が定める政教分離の原則に反する。 3.宮内庁関係予算、毎年約190億円は、税金の無駄使いである。 4.21世紀に於ける天皇制は、天皇・皇族の人権〈自由権)の侵害を醸成する。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~matuoka/ |
こんにちは、はじめまして。 ▼PCOGさん: >ここに、日本に於ける君主制廃止つまり天皇制廃止の必要性を要約すると次のとおり。 >1.人は生まれながらにして、その身分には上下があることを肯定することとなり、民主主義の理念に反することになり、人権差別の元凶となる。 君主国家の存在が人種差別の原因ではありません。民主国家の米国で人種差別がないわけではありません。したがって、「天皇制が民主差別の元凶」は誤り。 >2.特定宗教である神道の祭主である天皇が国民統合の象徴とされるのは、日本国憲法が定める政教分離の原則に反する。 日本国憲法の出来があまりよくない証左ではあっても、天皇の存在そのものが日本国憲法に規定されているのだから、PCOGさんの主張する「政教分離の原則」は憲法の文脈から離れた意見であり、一方的に定めた「原理」に過ぎない。 >3.宮内庁関係予算、毎年約190億円は、税金の無駄使いである。 何がどう無駄なのか。金額が大きいから無駄だというならば、それは皇室の存在自体を無駄だという意見に過ぎない。 >4.21世紀に於ける天皇制は、天皇・皇族の人権〈自由権)の侵害を醸成する。 人権絶対主義の下に、国情を無視するイデオロギー的説明である。侵害されているのは、むしろ「人権思想の絶対化により」、皇室の存在意義が難ぜられていることの方。皇族の側で「人権が侵害されている」と訴えでもするならともかく、人権侵害を名目とする皇室攻撃に過ぎない。 |
▼告天子さん&皆さん:こんにちは。 告天子さんのレス【40482】に即して弊意見を書きました。 ご覧下さい(何も目新しいことはありません。従来から言われていることをただ、告天子さんの意見に沿って書いただけですが)。 >>天皇も国民の一人の筈です。 >日本国憲法ではそういう位置づけではありませんね。 勿論、天皇は、憲法上「第1章 天 皇 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされており、種々の「国事行為」を行なうが、「国政に関する権能を有しない」と定められています。天皇は、日本国民の統合の象徴という「法的」あるいは「公的」存在であることはよく承知しております。 全ての人間はある意味「法的(公的)存在」です。私人・小泉純一郎氏は「首相」「総裁」「議員」と言う公的存在です。私人「とうろう」は「日本国民」と言う法的(公的)存在で、「日本国民」としての権利を享受し、代わりに、日本国法を遵守すべき義務を負い、税金を納め、その他の義務を果たしています。 私がここで「国民の一人」といったのは、天皇の上のような「法的地位」は、人間を一個の「絵画」に譬えれば額縁です、天皇という一個の生身の人間は、この額縁で飾られた中味の絵です。ここで言う国民とは、日本国に存在する人間のことで、天皇も自然人である以上一個の「国民」でしょう。 それとも、天皇は「自然人」を超越し、我々とは異なるものを食し、異なる血が流れている超越的存在でしょうか。福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言う言葉をご存知ですね。 以上のような意味から「天皇も国民の一人」と言いました。 >>それが、基本的人権も保障されない状態(政治的発言は出来ない、国家の法の制約の下に一個の人間としての多くの自由が束縛されているように思います。 >基本的人権の侵害ではなく、日本国憲法が「天皇が天皇であること」を侵害しているのです。 「天皇が天皇であること」とはどのような意味ですか。現憲法では天皇を上のように規定しているのではありませんか。「天皇」は「憲法」を超越した存在なのですか。告天子さんが考えておられる「天皇」の定義、意味を教えて下さい。 私は、憲法の言う基本的人権は、全ての日本国に居住する自然人、即ち日本国民に保障されるべきと言っているのです(勿論、日本国民、日本国籍云々について細かい法規定があることは承知しております)。 >>・・・天皇は、戸籍を有せず、しかし、皇室財産の相続に際しては、相続税を納められたように聞いております。どこか、整合性が無いように感じます。 >整合性がないのは、GHQが作られた皇室財産法などに問題があるからであり、天皇の存在に整合性がないのではありません。 「皇室財産法」などの問題ではなく、私が思う「基本的人権の保障」「主権在民」「法の下の平等」と言う観点から、「天皇」という「象徴的存在」を持つことに整合性が無く、その矛盾が現われているのではないかと感ずると言っているわけです。 >>天皇に、このような人間としての犠牲を強いてまで、国民が「象徴」として頭(かしら)に頂く理由は無い、と考えるものです。 >昔から「天皇に私なし」と申します。だから日本人は皇室を尊敬してきたのです。私なしは現代の目から見れば極端な表現ですが、そういうことです。したがって、とうろうさんのご意見は、全く逆さまだと思います。 「昔」から、皇室を尊敬する人は多いと思います。否定しません。私も皇室は旧き良き日本人を体現されていると思います。「天皇に私なし」は、例えば「綸言汗の如し」にも見られるように「君主」「統治者」など国民の上に君臨する者には、言葉を恣意的に発したり、「私心」があってはならないという諌めであって、かって、日本の統治者であった「天皇」に限った話ではないと思います。 「私なし」とは、法的・公的な意味からの「公人」として「私なし」であって、町の議員であっても、首相であっても、官僚にしても、私企業の社長にしても、公的・法的存在としては「私なし」で行動しなければならないのです。また、「私人」としての天皇に「私」が無いことはないでしょう。 (その4(2)に続く) |
▼とうろうさん: >>>天皇も国民の一人の筈です。 > >>日本国憲法ではそういう位置づけではありませんね。 >ここで言う国民とは、日本国に存在する人間のことで、天皇も自然人である以上一個の「国民」でしょう。 違いますよ。日本国に存在する人間が国民だとは、全く国民の語の誤用です。また、「自然人であるなら国民だ」というのも、日本国憲法第十条に基づく国籍法を無視していますね。また、日本国民には、国籍を取得したり放棄したりする権限がありますが、天皇の場合は法的地位が全く異なります。 天皇が国民でない、というのは語弊がありますが、とうろうさんの国民についてのご説明は誤りですし、天皇の特殊な地位は「天皇も国民だから」という理由でうんぬんされるものではありません。一国民と同じである、とは言えないでしょう。 >「天皇が天皇であること」とはどのような意味ですか。現憲法では天皇を上のように規定しているのではありませんか。「天皇」は「憲法」を超越した存在なのですか。告天子さんが考えておられる「天皇」の定義、意味を教えて下さい。 今度は定義、意味を教えてください、ですか。天皇が「象徴」という位置づけであるために、たとえば国家非常時の統治大権などは日本国憲法では否定されています。国家機関が機能しない場合に、日本国憲法では国家の制御は誰もすることが出来ないようになっています。 >私は、憲法の言う基本的人権は、全ての日本国に居住する自然人、即ち日本国民に保障されるべきと言っているのです(勿論、日本国民、日本国籍云々について細かい法規定があることは承知しております)。 承知していながら、国民は自然人である、というような話をするのはおかしいですね。それはとうろうさんの意見ではあっても、通用する話だとは思えません。 >「皇室財産法」などの問題ではなく、私が思う「基本的人権の保障」「主権在民」「法の下の平等」と言う観点から、「天皇」という「象徴的存在」を持つことに整合性が無く、その矛盾が現われているのではないかと感ずると言っているわけです。 法の下の平等を履き違えていると思います。「全ての国民」といいつつも、日本国憲法は「天皇規定」を定めているのですから、日本国憲法の方が天皇について上手く規定をしていない、のであって、これは急造の占領憲法だから作りが悪い、ということはお話もしました。矛盾が現れているから天皇の存在の方に問題がある、とするのは端的な誤解でしょう。 >「天皇に私なし」は、例えば「綸言汗の如し」にも見られるように「君主」「統治者」など国民の上に君臨する者には、言葉を恣意的に発したり、「私心」があってはならないという諌めであって、かって、日本の統治者であった「天皇」に限った話ではないと思います。 全く違いますよ。天皇にはいわゆる「プライヴェート」などない、というのが「天皇に私なし」の意味です。「私心があってはならないという戒め」というような一般的な話とは違います。 |
(承前 その4(2)) >>そして、私は「天皇を頭(かしら)に頂いている国益」を特に実感しないものでもあります。 >実感できるありがたさというのは、単純なゼニカネのような話と違っているでしょう。とうろうさんが感じようが感じまいが、「自分が感じないからなくしてしまえ」というのなら、全く乱暴な話でしょう。天皇精神についての教育が、公教育で問題にされてしまうような憲法の作りですので、教育もままなりません。無知と暴力が結びつくとき、社会は「卑しく」なるのではないでしょうか。 単純な「ゼニカネ」の話をしているのではありません。「天皇」を「象徴」として頭に頂かなければ、日本国の統合が維持できないのか、また、現代日本に於いて、象徴として頭にいただくことに必然性があるのかどうか、という話をしているのです。 自分が感じないからなくしてしまえなどと申しておりません。自分は感じないという意見を、自分なりに正しいと思う根拠に基づいて縷縷述べているのです。 「天皇精神についての教育が、公教育で問題にされてしまうような憲法の作りですので、教育もままなりません。無知と暴力が結びつくとき社会は「卑しく」なる」と言っておられますが、「無知」とは告天子さんの言われる「天皇精神」に対する「無知」ですか。 科学も進み、思想も発展し、明治時代の天皇制に基づく「天皇精神」などは既に過去の遺物になり、新憲法の下に日本が今あるのではありませんか。「天皇精神」があれば、何でも良くなるという、決めつけこそ、私には「乱暴な話」に聞こえます。 >>天皇家が、・・・「万世一系」という虚構?何故なら、歴史的事実に鑑み、天皇家が万世一系であったことには疑いのあるところだからからです。 >長い歴史の中には、皇統の分裂などの不幸な事件もあり、「万世一系ではない」ことを言って貶めなければ済まないような説も多いようですが、虚構というような話は当たらないでしょう。万世一系を、極度に観念的に捉えればどうだかは分かりませんが、皇統は途切れることなく続いた、これが現実です。 「万世一系」とは、「記紀神話の神武天皇」から連綿と続いたという意味で「万世一系」と言われて来たのです。記紀神話が作られたものであることは明白でしょう。そこで「万世一系」の虚構と言っているのです。天皇家を貶める為に言っているのではありません。確かに、皇統は時の権力に庇護される形で続いて来たとは思いますが、私は「神武以来の万世一系」が虚構と言っているのです。 >>室町時代の天皇などは、葬式も十分に行なえず、また八百屋の娘さんに子を作らせたとも言われます。このような虚構?の上に日本民族の文化、文明を体現されるご一家として、・・・ >いわゆる庶子でも、皇位を継いだ話はいくらでもあったでしょう。それを「虚構だ」というならば、一体何が本当なのですか?八百屋の娘さんに子を作らせた、という話は、一種の「非常事態」でしょう。虚構だ虚構だと言いますが、何が虚構なのでしょうか。単に「虚構と言いたい」だけでそういう表現をするなら、その虚構の上に成り立つ日本民族の文化もやはり虚構と言うことになりますね。 万世一系の虚構は上に述べました。「虚構の上に成り立つ日本民族の文化もやはり虚構と言うこと」と仰っていますがこれは論理の飛躍です。 「日本民族の文化」はひとり「天皇あるいは天皇制」が形成したものではありません。確かに、天皇・王朝文化(公家文化)の影響は今も色濃く残っているでしょう。しかし、鎌倉文化、室町文化、安土桃山文化、江戸文化は全て「武家の統治」の時代の武家文化、町人文化です。底流に奈良、平安時代の王朝文化、公家文化が流れていたとしても。 「万世一系の虚構」が「日本民族の文化の虚構」に結びつくなどととは飛躍も甚だしいというべきことと思います。 (その4(3)に続く) |
▼とうろうさん: >自分が感じないからなくしてしまえなどと申しておりません。自分は感じないという意見を、自分なりに正しいと思う根拠に基づいて縷縷述べているのです。 これまでのとうろうさんのご意見を読んだ限りでは、その廃帝論は到底認めがたい、というのが私の結論です。 >無知と暴力が結びつくとき社会は「卑しく」なる」と言っておられますが、「無知」とは告天子さんの言われる「天皇精神」に対する「無知」ですか。 天皇精神という以前に、日本国憲法に対するファナティックな意見も意見も含めて「無知」、「暴力的」と考えています。民主主義の担い手が、(知的な意味でにしても)「暴民」であるならば、そのような暴民の支配など受け入れるところではございません。 >科学も進み、思想も発展し、明治時代の天皇制に基づく「天皇精神」などは既に過去の遺物になり、 典型的な「進歩史観」だと思います。むしろそういう史観は、古いと思いますね。むしろ科学が進めば進むほど、古代のおおらかな人間精神への希求は強くなるものと思います。 >・・・新憲法の下に日本が今あるのではありませんか。 私は別段新憲法を絶対化しているわけではありません。 >「天皇精神」があれば、何でも良くなるという、決めつけこそ、私には「乱暴な話」に聞こえます。 そのようなことは私は申しておりませんので、「天皇精神があれば、何でもよくなる」などというのであれば、これは確かに乱暴だとは思いますね。しかし、それ以上に激しく暴力的なのは、「天皇などいようがいまいが、何の変わりもない、むしろその存在は憲法理念に反する」というような意見の方だと思います。無法だからです。 >「万世一系」とは、「記紀神話の神武天皇」から連綿と続いたという意味で「万世一系」と言われて来たのです。記紀神話が作られたものであることは明白でしょう。そこで「万世一系」の虚構と言っているのです。 仰る意味が分かりません。記紀神話の前の時代には天皇は存在しませんでしたよ。記紀神話が作られたものであるから虚構だ、というのであれば、およそ世界の宗教・信仰などはみな「作られたもの」「虚構」と言われることを逃れられないだろう、と申しておるのです。 |
▼とうろうさん: >天皇家を貶める為に言っているのではありません。・・・私は「神武以来の万世一系」が虚構と言っているのです。 皇統が途切れることなく連綿として続いてきた、というのが事実であり、とうろうさんがどういう意味で「虚構」と仰るのか掴みかねます。神話・伝説が「虚構だ」というのであれば、始祖というのは遡れば神話伝説に行き着くでしょう、それを「虚構だ」というのは端的な「貶め」です。 >「虚構の上に成り立つ日本民族の文化もやはり虚構と言うこと」と仰っていますがこれは論理の飛躍です。 虚構、というのは無価値だとか、信じるに値しないものである、ということでしょうから、万世一系の「ミカド」を権威として敬ってきた日本人の歴史は「虚構の上に成り立つ」ことになると思いますね、とうろうさんのお話からすると。 >「日本民族の文化」はひとり「天皇あるいは天皇制」が形成したものではありません。 天皇が日本の文化を全部創った、などと私が主張しているでしょうか。 >確かに、天皇・王朝文化(公家文化)の影響は今も色濃く残っているでしょう。しかし、鎌倉文化、室町文化、安土桃山文化、江戸文化は全て「武家の統治」の時代の武家文化、町人文化です。底流に奈良、平安時代の王朝文化、公家文化が流れていたとしても。 > >「万世一系の虚構」が「日本民族の文化の虚構」に結びつくなどととは飛躍も甚だしいというべきことと思います。 私は、「もし万世一系が虚構だというのであれば、本当のこととは一体なんですか」と先に問いかけているのです。とうろうさんは、天皇が天皇であるゆえんの「万世一系」そのものが虚構だ、とされるのですから、皇室も虚構の上に成り立ち、皇室を敬い崇めることも「虚構に基づいた感情」でしょう。 逆にとうろうさんにお尋ねしますが、その「貶めてもおらず」、なおかつ「虚構である万世一系」に基づく皇室を敬うのは、どういう脈絡で成り立つのですか?。とうろうさんの説は、「貶め」どころか、皇室が皇室であることの「全面否定」ですよ。 ならば、皇室が皇室であることを信じて敬ってきた、また、政権の正統性の根拠としてきた過去の日本人の歴史や文化は、とうろうさんからすれば「科学の遅れた、思想も足りない時代の迷信」ということでしょうか。 |
こんばんは。 我が国は、農業を以って国家経綸の基本としてきた。 ここで古典による伝承を持ち出すのは滑稽と思われるかもしれないが、燗V原に聞食された斎庭の稲穂をもって御神勅とされ、農業を以って国をひらくことを定められた、これが我が国のはじめなのである。 土地を拓き、この稲の種子をもって農業を起してゆくならば、瑞穂の国となること必ずであって、その子孫もまた天地とともに窮まりなくつづくであろうと諭されたのが建国の確信である。 洋の東西を問わずその国家の存立基盤となるのは、歴史,伝統、文化、理念に体現される「価値の体系」にあるならば、「国家の物語」の意味あいは重要である。 日本の建国の精神はここにあると考えている。 我々の祖先が田を耕し、稲を植えるようになって始めて日本人の宗教は生まれ、国家観人生観が生まれた。 稲を植える苦労なくしては日本人の古事記哲学は生じなかったにちがいない。 春に播いた稲が暑い陽射しを受けて青々と生息し、やがて秋となって黄色く成熟してうれしい収穫のときを迎えてほっとする。 日本人の人生観もみな稲の栽培と一体となって生まれた。 それは仏教以前、儒教以前の日本の農道生活の体験から出て来たものである。 神道という特別な宗教として受け取られるが、稲を育て始めてからの古代日本人に自然発生した生活信仰である。 日本人の1年間の時間は「年」であり、「年」とは「利(り・とし)」である。 稲作に1年間従事し、日本人は季節の移り変わりを知り、苦労の1年間が収穫と共に終わると時間を認識する。 「時間」は「利」となる。 「利」は利益であり、英語の「面白い」でもある。 一粒の稲種子が万倍に増えるのは面白いものであり、その過程での労働も面白いとなる。 働く事と増収とが一体となる喜びから「お祭り」も生まれた。 我々の先祖はみずから田植収穫に汗水をながして働いた喜びとともにこの稲をむすび育ててくださった産土神に感謝してその出来た新穀をまず神にお供えしたのである。 米を獲る1年の時間と米そのものの収益が一体となり終了し、新年を迎える。そこで歳神様が新しい復活の御霊(みたま)をもってきてくださる。 そのおみやげが「お年玉」となる。 そこには日本人の生活と経済と宗教が一体となっていたのである。 成熟した社会と言える。 また、魂とは中国風に死んだ人の霊魂を意味するが、日本人はこれを働く産霊の魂と受け取っていた。 「死にかわり生きかわり打つ稲田かな」 このような句もある。 |
つづき。 日本人はかくの如く、その宗教的神穫の覚醒から即物的なのである。 地についた大地即物の神にむすばれた産土神の化身たる米を収穫のたびごとに感謝したのが新嘗神嘗の祭りである。 土地の産土神と一緒に米の生産をし、神の生成化育の働きに日本人は感動した。 神は米一粒の中にも宿りみずからなりまし、そのなりました自分の神体を人に食われるを分とし命とし、その奉仕神に感謝せずにおれないのである。 即物神観から言えば米は神の具現身なのである。 稲米をみずから作り、そこから1つの宗教哲学が生まれた。それが古事記神学の肝心である。 即物神格化した太陽の光を天照大神とし、大地には国土の神がいる。 母なる大地の神、それを、すべてを受けてたつ豊受大神と名付けた。 伊勢神宮の外宮の祭神である。 豊受大神はその大地から生まれた米のことでもあり、また土地々の産土神ともたたえられる。 すべてを一体としてうけとってゆく日本の祖先人はすべてに感謝の心をもって神の名をもってたたえるのである。 そこに恨みや呪いの一変さえもきずす余地のない即物宗教の民族である。 古代農本国家はこのように誕生した。 農は国の大本と言われるが、日本の建国はまさにそこから出発したのである。 話しを前に戻すと、稲穂の神勅を受けた天孫ニニギノ尊が、皇位を象徴する三種の神器をたずさえ降臨し、そして、尊の曾孫が初代天皇・神武天皇とされた。 ここに皇祖皇宗の大道がある。 「天地の初めの時」という宇宙創造から国土の生成に及び、やがて人類万物の発生に至る。 この悠遠さの中から継承されたものが皇祖皇宗である。 その皇統を天皇と呼ぶのである。 日本民族の由来を説明し、民族の一体性と一貫性を裏付けられる物語が天皇である。 これを荒唐無稽で馬鹿げてると言うのなら、他の民族も同じくそう言っているということである。 どのような民族もそれを支える物語を持っているものである。 天皇は日本文化の祭祀者である。 それが、千五百年もの長きにわたって続いてきたことは事実である。 また、如何なる国の文化もその最奥のところでは民族の信仰に根ざしているものである。 天皇はそれと同時において、日本のまぎれもない元首である。 そして日本は立憲君主国家である。 天皇を君主として大和朝廷の成立を起点にたどっても、それは実に長く重い歴史を持っている。 その中において、史実として天皇の横暴で民衆が被害を被ったとは殆ど聞かない。 近代においても、明治天皇は日清戦争にご反対され「これは朕の戦争ではない」とまでおっしゃっている。 昭和天皇にしても昭和16年の御前会議ではあくまでも平和を望まれたのである。 以上。 日本はその建国の由来に帰り、農業の精神にもとづく天地のマツリ合わせを思い起すべきなのである。 日本は如何なる国よりも、地球上に類をみないほどの非好戦的民族、嫌戦民族である。 日本が農業(産業)の精神をもって立つ時、地球上に「和をなす文明」が「敵を作る文明」を押し退け席捲するであろう。 その象徴となるのは「天皇」である |
▼風谷 米造さん: はじめまして。こんにちは。 これは特に私宛へのご意見ではないようですが、若し私とうろうへのご意見であれば、一連の告天子さんへの私の意見が終わってからコメントさせて頂きます。 一応、留意と言うか生意気な言い方かも知れませんが、テイクノートしていることだけお伝えします。 失礼します。 |
▼とうろうさん: >▼風谷 米造さん: > >はじめまして。こんにちは。 > >これは特に私宛へのご意見ではないようですが、若し私とうろうへのご意見であれば、一連の告天子さんへの私の意見が終わってからコメントさせて頂きます。 横レスさせていただきますが、とうろうさんの告天子へのコメントに対して、告天子もほぼ全文に渡ってコメントを付けているのですから、 >一連の告天子さんへの私の意見が終わってからコメントさせて頂きます ということは、風谷さんへのコメントはしない、ということに実質なると思いますが。また、「えんえんと、えんえんと話させてもらう」と、とうろうさんは表明済みなのですから、「意見が終わる」ことは「ない」ように思えます。 ところで、とうろうさんが私に「定義を示してください」とか「具体的に説明してください」とお尋ねの件については、いちいち私は答えておりますが、とうろうさんはご自身の意見が否定された箇所については、誤りだったとも告天子の意見が間違いだったとも書かずに無視されているように思えますし、また、戦前の日本人がどういうコースを取ればよかったのか、その質問についても「一連の意見が終わってから答える」で、結局お答えをいただいていません。 そればかりか、別スレッドについて一文一文コメントを付けてほしいと言い出すなど、とうろうさんの姿勢に対して私は多少疑いを持っているところです。 自分は答えないで、相手にだけ質問、質問、また質問で、鼻面を引っ張り回すようなことをされるだけで、またコメントの時期も明瞭にしないが招来することだけ匂わすのならば、議論の態度として誠実さを欠くと思います。 |
(承前 その4(3)) >>靖国神社が、明治薩長藩閥政府の国民統合のための「国家神道」の謂わば象徴として、・・・藩閥政治家が「象徴の設計」をしたことも明らかだと思います。 >明らかではありません。国家神道の意味を「国家主義」と取り違えて使っているように思います。 明らかなことは先の神道の概括の際に述べたとおりと思います。国家主義のために神格化した天皇を崇める国家神道(非宗教として)を用いたと考えます。 >藩閥政治家を難ずるのは随意ですが、天皇は「象徴」ではなく、ご意志があり、国民も藩閥政治家の設計したからくりに操られるだけの存在ではありませんでした。 藩閥政治家を難じているのではありません。江戸幕藩体制から明治の日本国に移行する際、「幕藩時代」の人々の国意識はあくまで「藩」であり、国家意識はなかったのです。新国家を率いた薩長政府は国軍を建設するにあたって、抵抗する幕藩武家階級に代わり、平民(農民)を国軍の兵隊にしなければならなかったのです。 お殿様に仕える忠義の精神は儒教倫理を持った武家社会にはありましたが、町人は必ずしもそうでなく、国軍の兵隊の忠義心を統合する必要があり、明治新国家の建設に当たり藩閥政治家は「幕藩」から「日本国」(国家主義)への体制変換の為国家の中心に国家神道の神たる天皇を据えたのです。立派な方策だったのでしょう。明治国家は諸外国に伍して発展しました。 天皇は勿論利用されたなどとは思っておられなかったでしょう。先祖に誇れる「王政復古」を成し遂げられたのですから。政治家(藩閥)と天皇(朝廷・公家)は持ちつ持たれつだったと思います。なお、王政復古は天皇がなされたものではありません。薩長藩閥政治家が成し遂げたものです。藩閥政治家の間では「天皇は玉(ぎょく)」と言われ、幕末各藩で「玉(錦旗)」の奪い合いがあったことも事実でしょう。 |
▼とうろうさん: >明らかなことは先の神道の概括の際に述べたとおりと思います。国家主義のために神格化した天皇を崇める国家神道(非宗教として)を用いたと考えます。 その「国家主義のために、国家神道を用いた」のは誰ですか。主語がありません。 >江戸幕藩体制から明治の日本国に移行する際、「幕藩時代」の人々の国意識はあくまで「藩」であり、国家意識はなかったのです。 国家意識はなかった、というのは俗説で、諸藩の上に幕府、その幕府に正統性の権威を与えたのは京のミカドである、というのは田舎のじいさまでも知っていたでしょう。 >お殿様に仕える忠義の精神は儒教倫理を持った武家社会にはありましたが、町人は必ずしもそうでなく、国軍の兵隊の忠義心を統合する必要があり、明治新国家の建設に当たり藩閥政治家は「幕藩」から「日本国」(国家主義)への体制変換の為国家の中心に国家神道の神たる天皇を据えたのです。立派な方策だったのでしょう。明治国家は諸外国に伍して発展しました。 途中から話がおかしくなってきましたね。 >国家の中心に国家神道の神たる天皇を据えたのです。 ちょっと読むと分からないのですが、もともと明治維新の「前」から、天皇は新日本の中心として、官軍にも幕府方にも認識されていましたよ?? 前後関係が明らかにおかしいし、また、「国家神道の神たる天皇を据えた」、というのも・・・。どこの神社で、天皇を祀っていたのですか?? >天皇は勿論利用されたなどとは思っておられなかったでしょう。 えっ・・・。明治天皇と維新元勲の関係について、ご存じないようですね。明治天皇は強い使命感をお持ちでしたが、また自らを取り巻く状況についてもよく理解され、利用されたなどと思わなかったろうなど、全くの勘ぐりですし、そもそも明治天皇を「利用した」というのは、どなたなのでしょうか。 >先祖に誇れる「王政復古」を成し遂げられたのですから。政治家(藩閥)と天皇(朝廷・公家)は持ちつ持たれつだったと思います。 公家の勢力にも、藩閥政治家にもいろいろ対立関係やらがありまして、どうもとうろうさんは「朝廷」とか「公家」とか「藩閥政治家」といった言葉を、具体的現実を表すものではなく「記号として」使っているような印象があります。非常にこの、図式的な説明だと思います。 >なお、王政復古は天皇がなされたものではありません。薩長藩閥政治家が成し遂げたものです。藩閥政治家の間では「天皇は玉(ぎょく)」と言われ、幕末各藩で「玉(錦旗)」の奪い合いがあったことも事実でしょう。 これまた、「如何に天皇など権威がないか」を示すことをされているだけかと思うのですが、天皇抜きの明治維新、明治国家など、考えられませんね。「天皇が直接やったことではない」など、これは天皇を独裁者だと考えることの裏返しなだけす。 なるほど、王政復古の大号令は薩長方が出さしめたものでしょうが、「朝廷がそれを出した」のでなければ、権威も正統性もあり得ないのです。それまでの長い政治工作や闘争があって、その結果として、王政復古があったわけで、「薩長方がしたことだ」の一言ではあまりに単純でしょう。 ちなみに、王政復古以前には、公武一和もコースとしてはあり得たのですから、とうろうさんの説(王政復古をしたので、天皇が皇祖に誇れる)は、明治政府側に立った説明かと思います。 |
一般の国民は、働いている時は公になるが、唯一天皇は日本国の象徴であるので、天皇自身が公になると思います。しかし、天皇は、私見を、言ったり、行うことが現状では、できず、日本国の象徴しての存在意義がありません。 したがって、このままだと私は、天皇制は必要ないと思いますので、いきなり無くすのは無理なので、徐々に縮小して、終いには廃止にし、江戸幕府の徳川家のような、日本の名家のようになるべきだと思います。 失礼しました。 |
こんにちは。 ▼真人間さん: >一般の国民は、働いている時は公になるが、唯一天皇は日本国の象徴であるので、天皇自身が公になると思います。 その通りだと思います。 >しかし、天皇は、私見を、言ったり、 天皇が私見をいうことは、お立場上あり得ません >しかし、天皇は、私見を、言ったり、行うことが現状では、できず、日本国の象徴しての存在意義がありません。 「私見」というのは別として、もっと国民や政治家にお考えが伝わってもよいと思うし、陛下のお気持ちからご下賜などされることがあれば、人の励みにもなるでしょう。今の憲法では、そういう道が封じられていることが非常に残念です。 象徴としての存在意義がないようにと作った憲法なのですから、憲法の方が改正されるべきでしょう。 >したがって、このままだと私は、天皇制は必要ないと思いますので、いきなり無くすのは無理なので、徐々に縮小して、終いには廃止にし、江戸幕府の徳川家のような、日本の名家のようになるべきだと思います。 江戸幕府の徳川家が「名家」となるのに、どれほどの悲惨な歴史があったのかということです。「日本の名家のようになるべき」など、言葉で簡単に言いますが、ほとんど抽象論に過ぎないと思います。 >失礼しました。 |
▼告天子さん: 横レス失礼します。 色々貴重な書き込みに対し「ご苦労様」と申しあげ、心から感謝に思います。 書き込みを控え、ROMしていて感じるのですが、置かれた環境によってこれだけ意見の開きがあり、お互いが相手の言わんとすることを飲み込もうとせず、双方が自分の意見をどこまでも通そうとすれば、どこまで行っても平行線で交じ合うところがありません。 それと話し方(書き方)のルール(紳士的なもの)があると思います。 例えば、反対意見の方から「勉強して下さい」と言われたとき、「要らんお世話」と受け止める方もおれば、「ありがとう」と受け止め、感謝の言葉を挟む方もおります。 争いを前提にすれば前者ですが、相手を理解しようと思えば後者になります。 「天皇制について」の話も両極端であるようですが、多くの人(ROM者)に理解して戴くには感情のぶつけ合いだけでは説得力はないですね。 天皇あっての日本と考える者にとっては、理解に及ばない話が多くありますが、どうぞ、争いでなく、愛の心で事実、真実をお話なさって下さい。ありがとうございます。 |
こんばんは。 ▼相良唯夫さん: >▼告天子さん: >書き込みを控え、ROMしていて感じるのですが、置かれた環境によってこれだけ意見の開きがあり、お互いが相手の言わんとすることを飲み込もうとせず、双方が自分の意見をどこまでも通そうとすれば、どこまで行っても平行線で交じ合うところがありません。 >それと話し方(書き方)のルール(紳士的なもの)があると思います。 うーん、何と言いますか、天皇のあり方とかについては、いろいろな意見があって別に構わないと思うし、その辺り、天皇についての意見は非常に多様なものとなるのではないかと思っておるんですよ。風谷さんのご意見などは、農業に立ち返って、皇室を、ということですし、これはやはり成る程、そういう見方もある、と思うわけです。 正直、だんだんイラ付いてきたところだったので、レスを入れてもらって気持ちが落ち着いたのですが、たとえばとうろうさんのご意見が、自然な感情である内は、私も落ち着いておったのですよ。体験的・具体的な感情、あるいは、文学作品からこういう心理的影響を受けて・・・、という話であれば、これは成る程、と思うわけですね。共感するところもある。 しかし、途中からだんだんと、教条の主張、それも「えんえんと話をすることを告天子氏も認めたのだから、どこまでも話させてもらう」みたいなことで、イデオロギーに基づいた廃帝論の主張一本になってしまうと、もう人間らしさみたいなものを感じなくなって、寒々とした気持ちにしかならなかったのですよ。機械的にイデオロギー的言説を繰り返されるというのは、ちょっと、堪らないものがあります。 まあ、それはとうろうさんがどうと言うより、そういう言説がそれだけ蔓延している、ということなんでしょうけども。 >例えば、反対意見の方から「勉強して下さい」と言われたとき、「要らんお世話」と受け止める方もおれば、「ありがとう」と受け止め、感謝の言葉を挟む方もおります。 >争いを前提にすれば前者ですが、相手を理解しようと思えば後者になります。 > >「天皇制について」の話も両極端であるようですが、多くの人(ROM者)に理解して戴くには感情のぶつけ合いだけでは説得力はないですね。 天皇が好きになれない、嫌いだ、という意見は、別にどうとも思わないのですが、憲法の話は、結局は米人の世界観とかも関係してくるので、根が深い話だと思っています。 >天皇あっての日本と考える者にとっては、理解に及ばない話が多くありますが、どうぞ、争いでなく、愛の心で事実、真実をお話なさって下さい。ありがとうございます。 私には難しい話ですが、努力してみたいと思います。 |
▼告天子さま 実に堂々とした論陣を張っておられます。 とても参考になります。 |
▼相良唯夫さん: お元気ですか? >争いを前提にすれば前者ですが、相手を理解しようと思えば後者になります。 仰る通りですね。自分自身が、相手から学ぶ姿勢が大切ですね。お互いに気を付けたいものです。 |
▼告天子さん: >こんにちは。 >▼真人間さん: >>一般の国民は、働いている時は公になるが、唯一天皇は日本国の象徴であるので、天皇自身が公になると思います。 > >その通りだと思います。 > >>しかし、天皇は、私見を、言ったり、 > >天皇が私見をいうことは、お立場上あり得ません > >>しかし、天皇は、私見を、言ったり、行うことが現状では、できず、日本国の象徴しての存在意義がありません。 > >「私見」というのは別として、もっと国民や政治家にお考えが伝わってもよいと思うし、陛下のお気持ちからご下賜などされることがあれば、人の励みにもなるでしょう。今の憲法では、そういう道が封じられていることが非常に残念です。 > >象徴としての存在意義がないようにと作った憲法なのですから、憲法の方が改正されるべきでしょう。 > >>したがって、このままだと私は、天皇制は必要ないと思いますので、いきなり無くすのは無理なので、徐々に縮小して、終いには廃止にし、江戸幕府の徳川家のような、日本の名家のようになるべきだと思います。 > >江戸幕府の徳川家が「名家」となるのに、どれほどの悲惨な歴史があったのかということです。「日本の名家のようになるべき」など、言葉で簡単に言いますが、ほとんど抽象論に過ぎないと思います。 ご苦労は、あると思います。しかし、天皇さんは別にして、自分の私見が言えない,行動に移せない、何も建設的な事ができない天皇制(日本の象徴)に、多くの宮内庁の職員や、いろいろな国家予算を、あてる必要があるでしょうか。私は、無駄の骨頂だと思うのですか。それに、間違っていたなら御免なさい、昭和天皇の妹さんが、一般人と結婚して、皇室から、一般国民になった事もありますし、皇室から、一般国民になるのも、個人差はあるとしても、できないことではないと思います。 失礼しました。 |
▼真人間さん: >▼告天子さん: >ご苦労は、あると思います。しかし、天皇さんは別にして、自分の私見が言えない,行動に移せない、何も建設的な事ができない天皇制(日本の象徴)に、多くの宮内庁の職員や、いろいろな国家予算を、あてる必要があるでしょうか。私は、無駄の骨頂だと思うのですか。 天皇陛下にしても皇族方にしても、ご公務で多忙などという話ではないと思いますよ。真人間さんは「無駄」と仰いますが、では天皇陛下に何か「役に立つ公共事業をせよ」と?。国家予算は様々な状況やらいきさつやらがあって決まるものですから、無駄というなら個別具体的な話でないと、単なる極論だと思います。また、君主は役に立つとかどうとかが存在意義ではありません。国民統合の象徴として、存在すること自体が既に意義でしょう。 >それに、間違っていたなら御免なさい、昭和天皇の妹さんが、一般人と結婚して、皇室から、一般国民になった事もありますし、皇室から、一般国民になるのも、個人差はあるとしても、できないことではないと思います。 これも、皇族離脱の手続きについては皇室典範で定められた話ですので、「出来ると思う」というのは単なる「思う」に過ぎず、抽象論だと思います。 > >失礼しました。 |