Page 2343 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼天皇制について 4 相良唯夫 05/1/25(火) 1:08 ┣Re(1):天皇制について その7(番外) とうろう 05/1/25(火) 1:22 ┃ ┣Re(2):天皇制について 告天子 05/1/25(火) 1:39 ┃ ┣Re(2):天皇制について その7(番外) 告天子 05/1/25(火) 1:56 ┃ ┣Re(2):天皇制について その7(番外) 相良唯夫 05/1/25(火) 11:14 ┃ ┗Re(2):天皇制について その7(番外) とうろう 05/1/25(火) 12:15 ┃ ┗Re(3):天皇制について その7(番外) 告天子 05/1/25(火) 13:23 ┣Re(1):天皇制について 4 北の老兵 05/1/25(火) 11:47 ┃ ┗訂正 沈黙の初夏 05/1/25(火) 13:10 ┃ ┣Re(1):訂正 告天子 05/1/25(火) 13:36 ┃ ┗Re(1):訂正 北の老兵 05/1/25(火) 14:22 ┣Re(1):天皇制について その8(1) とうろう 05/1/26(水) 12:03 ┃ ┣Re(2):天皇制について その8(1) 告天子 05/1/27(木) 1:24 ┃ ┗Re(2):天皇制について その8(1) 告天子 05/1/27(木) 1:42 ┣Re(1):天皇制について その8(2) とうろう 05/1/26(水) 12:05 ┃ ┣Re(2):天皇制について その8(2) 告天子 05/1/27(木) 1:16 ┃ ┗[管理者削除] ┃ ┣Re(3):天皇制について その8(2) 告天子 05/1/27(木) 1:28 ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/1/27(木) 15:49 ┃ ┗Re(1):移動しました 相良唯夫 05/1/27(木) 19:02 ┣Re(1):天皇制について その9(1) とうろう 05/1/26(水) 12:11 ┣Re(1):天皇制について その9(2) とうろう 05/1/26(水) 12:15 ┣Re(1):天皇制について その9(3) とうろう 05/1/26(水) 12:16 ┃ ┗Re(2):天皇制について その9(3) 相良唯夫 05/1/26(水) 17:25 ┣Re(1):天皇制について その10 とうろう 05/1/26(水) 12:27 ┃ ┗[管理者削除] ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/1/27(木) 15:45 ┣Re(1):天皇制について 纏め(1) とうろう 05/1/26(水) 12:39 ┃ ┣Re(2):イメージとしての天皇制について 纏め(1) 告天子 05/1/29(土) 22:11 ┃ ┗Re(2):イメージとしての天皇制について 纏め(1) 告天子 05/1/29(土) 22:13 ┣Re(1):天皇制について 纏め(2) とうろう 05/1/26(水) 12:42 ┃ ┣イメージとしての天皇制について 纏め 告天子 05/1/29(土) 23:22 ┃ ┣イメージとしての天皇制について 纏め 告天子 05/1/29(土) 23:24 ┃ ┗イメージとしての天皇制について 纏め 告天子 05/1/29(土) 23:31 ┣Re(1):天皇制について 纏め(3) とうろう 05/1/26(水) 12:52 ┃ ┣Re(2):天皇制について 纏め(3) 告天子 05/1/30(日) 2:27 ┃ ┣Re(2):天皇制について 纏め(3) 告天子 05/1/30(日) 2:28 ┃ ┗Re(2):天皇制について 纏め(3) 告天子 05/1/30(日) 2:29 ┃ ┗天皇制スレッドについて 纏め1 告天子 05/1/30(日) 10:56 ┃ ┗Re(1):天皇制スレッドについて 纏め1 相良唯夫 05/1/30(日) 22:34 ┃ ┗Re(2):天皇制スレッドについて 纏め1 告天子 05/1/31(月) 0:43 ┃ ┗Re(3):天皇制スレッドについて 纏め1 告天子 05/1/31(月) 1:03 ┃ ┗残念ながら時代錯誤でしょうね、 めだま君 05/1/31(月) 22:54 ┃ ┗Re(1):単なる筋違いでしょう 告天子 05/1/31(月) 23:49 ┃ ┣Re(2):単なる筋違いでしょう めだま君 05/2/1(火) 0:44 ┃ ┃ ┗Re(3): 告天子 05/2/1(火) 1:02 ┃ ┗Re(2):単なる筋違いでしょう めだま君 05/2/1(火) 0:51 ┣Re(1):天皇制について 纏め(4) とうろう 05/1/26(水) 13:00 ┣Re(1):天皇制について 纏め(5)完 とうろう 05/1/26(水) 13:01 ┗総合掲示板の価値 沈黙の初夏 05/1/29(土) 4:33 ┣Re(1):総合掲示板の価値 ぎみゆら 05/1/29(土) 12:48 ┗Re(1):総合掲示板の価値/纏めレスですが、感謝の意を とうろう 05/1/30(日) 23:36 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 天皇制について 4 ■名前 : 相良唯夫 ■日付 : 05/1/25(火) 1:08 -------------------------------------------------------------------------
廃呈論は誤字です。 廃帝論に訂正します。失礼しました。 |
▼相良唯夫さん: こんばんは。 失礼ですが、ここでは「廃帝」論の話をしているわけではありません。 「即レス」の意味を話していたのではないでしょうか。 出来れば、私の先のレスに即して、相良さんのコメントをお願いしたいと思います。どうか、宜しくお願いいたします。 相良さんへのレスが入らなかったので、CPを閉じようとし、明日にしようと思いましたが、新しくスレッドをお立ていただき感謝いたします。 おやすみなさい。失礼致します。 >廃呈論は誤字です。 >廃帝論に訂正します。失礼しました。 |
▼とうろうさん >このようなことは「横レス」でなく、私とのやり取りの中でお答えになり、実際に貴方が実行されるべきことと私は感じています。 以下に対する答えには、全然なっていませんね。あなたの誠実を疑うに足るには、十分以上です。 >お言葉を返して失礼ですが、内容、姿勢によるのではないでしょうか。 内容、姿勢によるというのであれば、「己は正しく、相手は間違っている」と無反省に考える態度は戒められるべきでしょう。告天子の投稿の「内容、姿勢」の、具体的にどこが問題か、お教えください。 >>自分の意見を一方的に言うのではなく、レスして下さった字句を丁寧に読み、それに対してお答えになったら如何でしょう? > >勿論、そのように読んでおります。その上で言っております。 41692では、全くそのような姿勢はなく、一方的に告天子をなじっているだけです。全く失礼です。しかも、「頭がどうかしている」などと書いた他人の書き込みを引用して、自分は「失礼しました」などと平然と言えるのですから、あなたの姿勢は無礼そのものです。 >これまでの告天子さんのレスに対し今まで同じこと:根拠、事実を示すことなく、センセーショナルな言葉だけが、踊っているレスはご容赦下さいと何度も申しております。 41685〜41691までの、とうろうさん言われるところの「即レス?」の、具体的にどの言葉が「センセーショナルな言葉だけが踊っている」レス、なのですか。お教えください。 >そして、そのことは同じく沈黙の初夏さんもお感じのことと思い、敢えて沈黙の初夏さんのコメントをお借りしたものです。 沈黙の初夏さんは、理由も示さずに一方的に告天子に対して「頭がどうかしている」「右翼の街宣車」と暴言を吐いているのですから、失礼そのもので、著しく不当なものです。それをおかしいと思わずに「コメントをお借りした」と平然としているとうろうさんの常識を疑います。 >そのことを踏まえた上ですので、失礼ですが、相良さんのご注意は当たらないと私は考えております。 全く逆です。相良さんの書き込みを読んで、「やはり他の人もおかしいと思うのか」と、意を強くしました。ハッキリ言って、とうろうさんの相良さんへの返答は、きちんと理由も挙げずに相手の発言を無視する、大変失礼なものです。 >相良さんは、逐一(全て)今までの私と告天子さんのレスのやり取りをお目通しの上今のご意見を言っておられるのでしょうか。お伺いいたします。 また逆質問ですか?あなたは、尋ねられるとそれに答えずに、逆に質問で返すのですね。大変不快です。 >>右翼の街旋者という言い方が挑発的であるとお感じになりませんでしたか? > >勿論、挑発的と感じていますし、私が書き込んだ後、沈黙の初夏さんのレスに管理人さんの注意が付いたことも知りました。 挑発と知りつつ敢えて告天子に言い放つのですから、あなたのしていることは「意図的な、確信を持った挑発」です。 > >善意の「即レス」と、ある意を持った「即レス」との区別は、失礼ながら、私にもつくと思っております。 「ある意」とは、どんな意ですか。説明してください。 >何ら急ぐ必要も無いのに、敢えて言えば、揚足取りめいて自己主張を言うだけのレスだから、沈黙の初夏さんのレスをお借りして申しました。 急いでレスをすることと、「揚げ足取りめいて自己主張を言うだけ」のレストは関係がありません。揚げ足云々は、これまたとうろうさんの一方的な断定に過ぎません。それを言うなら、とうろうさんの説の方が、「自説を展開しているに過ぎない」自己主張を言うだけに過ぎないものではありませんか。 > >若し、上の私のコメントが間違っているとお考えでしたら、私と告天子さんのレスのやり取りを、全てレビュー(チェック)の上、その事実に即して、私の間違いをご指摘ください。 そんな必要はありません。あなたのこの書き込みを読んだだけで、明らかにおかしいです。逐一、批判します。 > >いつも申しておりますように、私は「過ちを革(あらた)むる」に憚(はばか)ることのない人間であります故。 そのように言われても、以上、意見を具体的に読んだところ、とうろうさんの姿勢は、はなはだ疑わしく、過ちを改めるどころか、逆に「どこがおかしいのか」と人に尋ね返して、真摯な反省などはしていないように思いますが。 |
とうろうさん、あなたは私に対して「頭がおかしい」だの、「右翼の街宣車」だのという暴言を吐き、無礼を働いているのですから、この件について >このようなことは「横レス」でなく、私とのやり取りの中でお答えになり、実際に貴方が実行されるべきことと私は感じています。 との回答は、言い逃れと論点そらしでしかありません。「とうろうさんが」告天子のことを「頭がおかしい」と侮辱しているのですから、横レスも何もありません。 天皇にすら、ある原理に乗っ取って、その地位から外れるべきだと主張される方なのですから、あなたのドグマに反する主張をする人に対して「頭がおかしい」とすることも何とも思わないのかもしれませんが、そんな方の主張する「基本的人権」「法の下の平等」など、信用に値しません。 あなたの主張は、日本国憲法の枠組みすら離れて、独断で思想原理として主張されているに過ぎませんから、私に対する物言いを考えても、どうも反社会的な独断的性格を感じざるを得ません。 そして、そうした主張が具体的に告天子という個人に向けて適用されるとき、「暴力として」作用しているのは明瞭です。 |
▼とうろうさん: >失礼ですが、ここでは「廃帝」論の話をしているわけではありません。 それは承知しています。とうろうさんの意の中に「廃帝」があり、それに基づいた書き込みのように感じましたから、そのように書きました。 >「即レス」の意味を話していたのではないでしょうか。 告天子さんの「即レス」に対しては敬意を払います。私にはとても及ばない誠意を感じています。無関心、無視であるならばレスすらできません。 >出来れば、私の先のレスに即して、相良さんのコメントをお願いしたいと思います。どうか、宜しくお願いいたします。 日本国に天皇が在られることに対し、感謝と誇りを持っています私には、肯けないことが多くありますが、それでも腹を立てずに「即レス」される告天子さんの姿勢はご立派であると感心しています。 とうろうさんの意に叶うレスが出来ず、ご容赦下さい。 |
纏めレスで失礼致します。 ▼相良唯夫さん:おはようございます。 そうですね。折角急いで書いておられるのにそれに文句を言うようなことは失礼かもしれません。 しかし、私が感ずるのは、本論とは余り関係のない議論のあり方についてや、私には何かクレームめいたと感じられる即レスには余りありがたみを感じないのです。印象操作みたいに感じられるのです。 ここでは、恋人同士の手紙のやり取りや、仲間同士で挨拶を交換しているわけではなく、急ぐことが必ずしも誠意の表れではない、内容を充実させることが誠実な態度と思うからです。 このような意味から申しました。ご理解いただけると幸いですが。 ▼告天子さん:おはようございます。 先ず、私は第三者である相良さんに客観的に見てどうかと判断をお願いしたのであって利害関係者たる当事者の告天子さんに判断、意見をお願いしたつもりはないのです。先ずおことわりをしておきます。 また、何度も繰り返しますが、本筋とは関係のないところで、しかも、貴方宛のレスでも無いのに、私の人格批判とも取れるご発言はご容赦ください。お願いいたします。 なお、「あなたは私に対して「頭がおかしい」だの、「右翼の街宣車」だのという暴言を吐き、無礼を働いている」とは思っておりません。 どうか冷静になっていただくようにお願いいたします。 私は沈黙の初夏さんのレスを、「即レス」云々に関し引用いたしました。 即ち、引用部分の中心は 「>間違っても右翼街宣車のような近所迷惑となるフルヴォリュームによる騒音は謹んでいただきたい。」の、「フルヴォリュームによる騒音」に相当するような気がしたからです。 しかし、他の部分も入れないと、全体の意が通じないかなと思って引用させて頂きました。 私は、貴方を「頭がおかしい」「右翼の街宣車」などと言ってはいません。あくまで「即レスに関する」弊コメントであることにご留意いただければと思います。 しかし、弊引用によって、告天子さんがそのように受け取られたのであれば、私も軽率の誹りを免れないと思います。 ここに、深く深くお詫びいたします。誠に失礼いたしました。 |
▼とうろうさん: >先ず、私は第三者である相良さんに客観的に見てどうかと判断をお願いしたのであって利害関係者たる当事者の告天子さんに判断、意見をお願いしたつもりはないのです。先ずおことわりをしておきます。 侮辱を受けた本人が、無礼をとがめるのは当然の筋です。 >また、何度も繰り返しますが、本筋とは関係のないところで、しかも、貴方宛のレスでも無いのに、私の人格批判とも取れるご発言はご容赦ください。お願いいたします。 あなたは告天子の人格侮辱を「もろに」しているではありませんか。引用します。 (ここより、引用) ▼告天子さん:こんばんは。 たまたま告天子さんの即レス?が目に入りましたので、この時間で、私もレスはすまいと思っていたのですが、この告天子さんのレスは、先の「沈黙の初夏」さんのコメントがまさに当てはまることかと思い、私のコメントとして改めてここにその一部をコピー、貼り付けさせて頂きます。 沈黙の初夏さんには、どうかお許しを願います。 なお、貴コメントの引用が「的外れ」であればご指摘、ご注意お願いいたします。 *** >【41630】手ぬるい 沈黙の初夏 - 05/1/24(月) 15:15 - >あんなものを支えたい頭のどうかしている人達には(民主主義を肯定するならやめろとは言えないから)静かにやってもらいたいものである。 >間違っても右翼街宣車のような近所迷惑となるフルヴォリュームによる騒音は謹んでいただきたい。 >さしずめ掲示板上では、吟味、推敲不充分な短時間の連続投稿がこれに該当しよう。 74 hits(050124 22:17) *** 失礼いたしました。 (ここまで) とうろうさん、あなたは次のように発言しているのです。「先の「沈黙の初夏」さんのコメントがまさに当てはまることかと思い、私のコメントとして改めてここにその一部をコピー、貼り付けさせて頂きます」、と。「私(とうろう)のコメントとして」、ですよ。 「あんなもの(天皇制)を支えたい頭のどうかしている人たち」と、告天子に向かって、告天子のレスが「まさにそれそのもの」である、と断定しているのです。これが人格の侮辱でなくて、何ですか。 > >なお、「あなたは私に対して「頭がおかしい」だの、「右翼の街宣車」だのという暴言を吐き、無礼を働いている」とは思っておりません。 思っていないのなら、上に引用した発言は何ですか。どう見ても「そう思っている」としか読めませんよ。 >どうか冷静になっていただくようにお願いいたします。 自分で言っておいて、「そう思っていったのではない」などと答える灯籠さんの方にむしろ冷静を求めます。悪かった、謝るというのなら分かりますが、「無礼を働いたつもりはない」のに謝るなど、私への欺瞞です。 > >私は、貴方を「頭がおかしい」「右翼の街宣車」などと言ってはいません。あくまで「即レスに関する」弊コメントであることにご留意いただければと思います。 即答に対する返事だということは、確かに告天子への返事であり、侮辱発言を撤回するのではない、ということですね。「頭がおかしい」ばかりではなく、「推敲不十分」にしても議論相手への罵倒ですよ。 今までのやりとりからすれば、とうろうさんは「天皇制を支える人たちが何故そうするのか分からぬ」とのことですから、「あんなものを支えたい頭のおかしな人たち」との意は、「アナクロニズム」「時代錯誤」といったこれまでのあなたの発言とほとんど一致しています。 > >しかし、弊引用によって、告天子さんがそのように受け取られたのであれば、私も軽率の誹りを免れないと思います。 私が受け取るかどうかが問題ではなく、誰が見ても「頭がおかしい」などと論争相手に言うようなことは侮辱以外の何ものでもありません。それを「侮辱はしていない」、「第三者に聞かなければ分からない」、というのは言い逃れです。 > >ここに、深く深くお詫びいたします。誠に失礼いたしました。 ここだけなら、納得します。 |
言い方に多少の問題があるが、沈黙の初夏さんの言っている事は真実をついているように思いましたよ。 地球温暖化の原因=CO2説 では全面的に賛成は出来ないが、醒めた目で見ていると感じ、改めて、物事は何でも思い込まずに、他の意見も聞くものだと思った次第です。 |
▼北の老兵さん: >言い方に多少の問題があるが、沈黙の初夏さんの言っている事は真実をついているように思いましたよ。 > >地球温暖化の原因=CO2説 では全面的に賛成は出来ないが、醒めた目で見ていると感じ、改めて、物事は何でも思い込まずに、他の意見も聞くものだと思った次第です。 北の老兵さん 私は物事の根本法則の解明に第一義をおいている。 つまり、 自分の発言の拠り所は 物理現象と事実、矛盾のもっとも少ない仮説、推論にある。 情緒、理念はどうしても興味が後まわしになる。 だから言いまわしがきつくなるのは仕方ない。 それらをなるべく排除して発言しようとしているのだから。 細かいことで恐縮だが、 「地球温暖化の原因=CO2説」 という表現はよくない。 私の主張を式で表すとしたら、あくまでも 「地球温暖化の原因≠CO2説」 である。(笑) ・・・ それにしても国粋趣味者たちの知能はなんとかならんものか。 論旨の重心は今や投稿姿勢に移動したようである。 天皇を敬愛する人間は、それだけ天皇との距離が近い、 ゆえに 天皇への批判は自分達への批判、 自分達への批判は天皇への批判と錯覚しているのだろう。 それこそが権力の二重構造の支援装置としての原型なのだが、 マインドコントロールを受けた脳味噌では気がついていまい。 瞬間の感情に抗う術を身につけていないため、 馬脚を表したようである。 まぁ、いつもと何も変わらぬ結果だろう。 面影橋にて |
▼沈黙の初夏さん: > >・・・ >それにしても国粋趣味者たちの知能はなんとかならんものか。 他人の知能を問題にするのですか。 > >論旨の重心は今や投稿姿勢に移動したようである。 私は「投稿内容」に重心を置いているのであり、知能がどうだの、「投稿姿勢」や「発言者」に重心を置いているのはあなたです。 > >天皇を敬愛する人間は、それだけ天皇との距離が近い、 >ゆえに >天皇への批判は自分達への批判、 >自分達への批判は天皇への批判と錯覚しているのだろう。 「天皇への批判」ではなく、天皇に関する法制や制度に対する意見を論じているのですが?。天皇への批判をしている方はあまりいないと思っていましたが、沈黙の初夏さんは天皇に「死ね」と要求しているのですから、これは暴言にもほどがあります。 > >それこそが権力の二重構造の支援装置としての原型なのだが、 >マインドコントロールを受けた脳味噌では気がついていまい。 その件については先に権力の一元化、独裁の方がよいのですかとお尋ねしたのですが、何ら返事をいただいておりませんし、同じことを繰り返されても迷惑なのですが。 > >瞬間の感情に抗う術を身につけていないため、 >馬脚を表したようである。 > >まぁ、いつもと何も変わらぬ結果だろう。 あなたの発言内容も、全く代わり映えせず、一方的な相手の罵倒に終始していますね。もう少し、内容のある話をお願いします。 |
▼沈黙の初夏さん: > >「地球温暖化の原因=CO2説」 > >という表現はよくない。 > >私の主張を式で表すとしたら、あくまでも > >「地球温暖化の原因≠CO2説」 > >である。(笑) 誤解を与えたようで、言葉は難しいものです。(笑)「地球温暖化の原因=CO2説」に対してと言うべきでした。 |
▼告天子さん&みなさん:こんにちは。 告天子さん;先に申しましたように当初の弊意見に対する貴意見につきましては、その7で終了いたしました。いわゆる2次レスについては先に返事は考えさせて下さい、と申しておりますように私の自由にさせて下さい。 私にとって価値、意義、意味があれば、即ち、そのレスを考えることが私に何らかの興味を抱かせるものであれば、追い追い逐次レスさせて頂きます。貴方にも常に2次レスはご自由にと申していたと思いますので、身勝手かも知れませんが、どうかご諒解ください。 さて、先に下記ご質問を頂いております。先ずこれにお答えいたします。 【41498】Re(3):とうろうさんにご質問 告天子 - 05/1/23(日) 12:09 - >さて、私が尋ねたことも随分いろいろとあったのですが、再提出させていただきたいと思います。 投稿40617 >>>貴方にお勧めします。出来れば下記の書き物を読んでください。「昭和天皇」の名のもとに先の大戦が如何に戦われたか、前線の兵隊達が如何に悲惨な戦いを戦わされあるいは戦い、死んでいったかがある程度分かると思います。 >>あげられた本は何冊か読んだことがあります。如何に戦争が悲惨であるか、はよく分かると思いますよ。ならばとうろうさんにお尋ねしますが、日本はどうすればよかったのですか。また、日本をそういう戦争に叩き込んだ敵どもについては、どうお考えですか。 「昔を今にかえすよしもがな」と言います。名曲(と思う)「荒城の月」に「春;高楼の花の宴」「秋;陣営、植うる剣」とあり「今;荒城の夜半の月」です。荒城には、もはや昔の花の宴も、陣営の剣も戻らないのです。 昔の繰言(くりごと)を言っても仕様がない、時は移り、人は変わるのです。過去の過ぎた歴史をどうしたらよいと言って、結果として何になるのですか。勿論、歴史に学び、その学びを今に生かすことは非常に重要なことです。しかし、過ぎたことをどうすればよかったかと言うのはあまり意味のないこと、と私は思います。 若し、戦争を始めた当事者でもあれば、反省、自省、繰言、愚痴もあるでしょうが、残念ながら私は当事者ではありません。詳しい意思決定に至る内実は分かりません。どうすればよかったかなどと聞かれても、意志決定過程の内実を知らない以上お答えすべきことは何もありません。 このようなことは昭和天皇、戦争を始めた軍人にでも聞かないと分からないことのような気もしますが、強いて言えば、結果論としてですが「戦争」など始めなければよかった、せいぜい1〜2年は持たせられると山本提督も言っていたと何かで読みましたので、開戦時から収束の方法を考えておくべきだったとは思います。 直接お答えには関係ありませんが「失敗の本質 日本軍の組織的研究」(中公文庫 1991年)という本が旧日本軍の組織的欠点?を解析しています。この解析に指摘されたような戦略・戦術を取らなければよかったと言えるかも知れません。 (以下その8(2)に続く) |
▼とうろうさん: >▼告天子さん > >告天子さん;先に申しましたように当初の弊意見に対する貴意見につきましては、その7で終了いたしました。いわゆる2次レスについては先に返事は考えさせて下さい、と申しておりますように私の自由にさせて下さい。 質問には必ず答える、待て、という話でしたので、勝手な言い分だと思います。 >さて、先に下記ご質問を頂いております。先ずこれにお答えいたします。 >昔の繰言(くりごと)を言っても仕様がない、時は移り、人は変わるのです。過去の過ぎた歴史をどうしたらよいと言って、結果として何になるのですか。勿論、歴史に学び、その学びを今に生かすことは非常に重要なことです。しかし、過ぎたことをどうすればよかったかと言うのはあまり意味のないこと、と私は思います。 とうろうさんが、絶対的に日本を支配する天皇が戦争を起こしたかの如く語るので、では日本に開戦を避けうる道はあったのかと尋ねているのです。 「道はない」のであれば、戦前日本の体制を絶対の悪の如く見立てて責め立てるのは筋が通らないし、現にとうろうさんは責めているのですから、「過ぎたことをいうのは意味がない」など、通りません。 改めて日本帝国を責めるとうろうさんに問います。日本は、では、どうすればよかったのですか。 > >若し、戦争を始めた当事者でもあれば、反省、自省、繰言、愚痴もあるでしょうが、残念ながら私は当事者ではありません。詳しい意思決定に至る内実は分かりません。どうすればよかったかなどと聞かれても、意志決定過程の内実を知らない以上お答えすべきことは何もありません。 意志決定の内実を知らない?。あなたの話によると、天皇は絶対的支配をしていたのだから、意志決定について「知らない」とはおかしいでしょう。 > >このようなことは昭和天皇、戦争を始めた軍人にでも聞かないと分からないことのような気もしますが、強いて言えば、結果論としてですが「戦争」など始めなければよかった、せいぜい1〜2年は持たせられると山本提督も言っていたと何かで読みましたので、開戦時から収束の方法を考えておくべきだったとは思います。 戦争を始めた軍人にでも聞かないと分からない、といわれますが、当時の国際状況からして、日本が「戦争を始めない」ことが出来たのか、と尋ねているのです。 > >直接お答えには関係ありませんが「失敗の本質 日本軍の組織的研究」(中公文庫 1991年)という本が旧日本軍の組織的欠点?を解析しています。この解析に指摘されたような戦略・戦術を取らなければよかったと言えるかも知れません。 その本なら読みましたが、とうろうさんの言われるような人間科学やら歴史観やらは全然出てきませんよ。旧日本軍が、失敗に学ばなかったことを考察するもので、「戦争責任」の話ではなく、「戦争技術」上の問題でしょう。 |
▼とうろうさん: >昔の繰言(くりごと)を言っても仕様がない、時は移り、人は変わるのです。過去の過ぎた歴史をどうしたらよいと言って、結果として何になるのですか。勿論、歴史に学び、その学びを今に生かすことは非常に重要なことです。しかし、過ぎたことをどうすればよかったかと言うのはあまり意味のないこと、と私は思います。 過ぎたことを悪として、徹底的に糾弾し続けたのは、とうろうさんです。また、「学びを今に生かす」と言いながら、日本国憲法の成立経緯は問題ではない、と過去に学ぼうとしないのもとうろうさんです。 >若し、戦争を始めた当事者でもあれば、反省、自省、繰言、愚痴もあるでしょうが、残念ながら私は当事者ではありません。詳しい意思決定に至る内実は分かりません。どうすればよかったかなどと聞かれても、意志決定過程の内実を知らない以上お答えすべきことは何もありません。 当事者でない、答えるべきことなどない、という、徹底的に「無責任の立場」でありながら、当事者の責任は一方的に問いまくるのならば、まさしく暴力そのものです。 まあ、ハッキリ言ってしまえば、とうろうさんの立場は、憲法成立の経緯自体を「無視して憚らない」立場であり、現在の自己の価値観を絶対視し、それに反する思想的立場を、侮辱を加えつつ否定するというものですから、(アナクロニズム、時代錯誤、天皇教、などなど)、率直に言って、論の外です。 以上は、告天子に対するレスへの感想ですが、「纏めレス」に対する意見も、当然ながらせねばなりません。 |
(承前 その8(2)) また、戦時の「敵」がどうかといわれても何にもありません。戦(いくさ)が終われば敵も味方も無いのではありませんか。日露戦争の旅順攻防が終わってからの乃木将軍とステッセル将軍の「水師営の会見」はご存知でしょうか。戦い終わって敵味方が互いに相手の健闘を讃えたといわれます。事実は兎も角、明治の人々はこのようなフェアープレイを愛したのではないでしょうか。 昭和天皇も自らマッカーサー将軍に会われ、この身がどうなっても良い、国民を倖せにと言われ、敗戦後は「敵」などと思っておられなかったのではありませんか。また、硫黄島?で戦った日米の兵士が戦後も交流を続けていると読んだ記憶があります。 今、まだ「敵」という感覚が残っておられるのであれば少し奇異に感じますが、勿論当時の敵と言う意味でしょうが。 なお、潜在敵がいるだけでは戦争にはなりません。戦争を始めたから「敵」になるのです。また、「敵が戦争に叩き込んだ」と言うのはどういうことでしょうか。真珠湾に先制攻撃したのは日本軍だと思いますが・・・。 また、「敵に嵌められて敗戦必至の戦争に叩き込まれた」のであれば、当時の統治者の無能?の証明のような気もします。 多分、対日経済制裁、ABCDラインなど日本の包囲環境から止むを得ず戦争をした、ということを仰っているのでしょうが、各国にそのような口実を与えたのが、満州国の不法な建立(この結果国際連盟から脱退したのではなかったでしょうか)宣戦布告なき支那事変など、日本が始めた侵略戦争にあるのではありませんか。 >また、そういう「敵」が作った憲法、ということについてはどう思われますか。 憲法の出自(成立の経緯)についての論は不毛と常々思っており、ここでも言ってます。成立の経緯がどうであれ、今の憲法が、今の世に適合するかどうかを検討することが大事なことだと思います。先にも申しましたように返らぬ昔のことを言っても無意味かと思います。 ことの起源などは過ぎた歴史的事実として捉えるべきであって、もはや成立当時に戻って何かをすることは絶対出来ないのですから。敵が作ろうが、味方が作ろうが今ある憲法は今現に存在するわけですから、誰が作ろうと関係無いと思います。 憲法問題は現憲法を考え、現社会実情に照らして、改正、修正を検討することで十分だと思います。 最後に告天子さんにお願いいたします。本筋の天皇制に関し、上のご質問以外に何か弊コメントを是非にと仰っていたことがあればレスを立てて質問して下さい(私も追い追い貴2次レスはチェックしますが、些かお相手には草臥れました。チェックには時間を要すると思いますゆえ、宜しくお願いいたします)。 以上 (その8完) |
とりあえず、とうろうさんに質問して、答えてもらえなかった部分などを、箇条にします。 1 天皇の存在が政教分離の原則に反するというが、そういう判決でも出たのか。 2 とうろう氏のいう「政教分離」は、天皇の存在を規定している日本国憲法に反する思想である。 3 憲法も記していないような「政教分離」の立場から、憲法に規定されている日本天皇を廃せよとするのは、反憲法秩序的思想ではないか。 4 皇国史観が出来たのは、明治維新「後」ではなく、「前」ではないか。また、日本国史上、「天皇に正統性の根拠を求めない政権」が存在したか。 5 戦前に於いても民選議会が機能し、法治国家の体制であったが、「天皇を神とする支配体制」とは具体的にどのような事実を指して言うのか。また、天皇がその「絶対化された神格」を以て法律を侵したという事実はあるのか。 6 叛乱を起こした軍人は、軍人勅諭を「守った」のではなく、「守らなかった」のではないか。また、叛乱の首謀者は天皇であるのか。 7 学校長に、天皇の御真影を守って自殺せよ、自決せよと命じたのは誰か。 8 政府当局が、国家神道(神社の国家管理)の 思想宣伝を、積極的に行ったというような事実はあるのか。 9 大日本帝国は、むしろ西洋化を目指した、世俗合理主義的な国家であったと考えられ、そこでは「天皇のご親裁」は法的にありえなかった。また、神道は国教でもなく、信教は自由であり、むしろ右翼的な新宗教は徹底弾圧された。「国家神道」の下に神社は宗教活動を禁じられ、むしろその宗教性を厳しく制限されたのが実態であり、そういう事実関係を無視した、イメージとしての「国家神道、絶対化された天皇」を批判していたのではないのか。 そうでないのならば、国家神道、絶対化された天皇について、具体的に事例を示して、いかなる文脈に於いて問題なのかを説くべき。 10 誰が、どういう方法で、国民に「宗教を強要」したのか、その具体的事実と、強要したのはどんな宗教であるのかを示していただきたい。 11 「絶対的な天皇の支配」とは、具体的には何か。明治憲法にも改憲規定があり、また、戦前から天皇のことは「絶対者ではない」という理解は行き渡っていた。天皇を「神の如き、最も高貴な方」という理解はあったにしても、「絶対者である」「万物創造の神である」「救世主である」という理解はなかった。 12 天皇に軍の統帥権があったことと、個々の軍人に対する命令指揮権とを、混同してはいないか。また政治にしても、日本帝国は「天皇の専政・独裁国」ではないので、「絶対化・神格化された天皇」は、事実を踏まえていないスローガンに過ぎない。 13 「天皇の権威を利用した軍部ファッショ」が問題であるのなら、むしろ民主主義の旗手たる野党・民権論者側で、軍部のファッショを「推進」するような法難を政府に突き付けているのは、どうしたわけか。 14 「帝国エリート軍人が偏狭・狭量(とうろう説)」なのは、尊皇精神があるからか。尊皇精神と、「偏狭・狭量」はどんな因果関係にあるのか。 15 廃帝論ではないと言うが、法律を変えて、天皇を今の地位からただの国民の一人に落とすべきである、という、とうろう説は、まさしく廃帝論ではないのか。 16 天皇がいてもいなくても、国益には関係がない理由は何か。「予算が浮く」以外の「国益」とは何か。 17 「天皇の基本的人権のためです」などとして、天皇を日本の国家機構から追放するようなことをすれば、外国から物笑いの種にされるのではないか。 |
この書き込みは管理者によって削除されました。(05/1/29(土) 10:13) |
>憲法の出自(成立の経緯)についての論は不毛と常々思っており、ここでも言ってます。 不毛、とはとうろうさんがそう思っているだけで、法制史は「不毛な学問」でしょうか。成立経緯を見れば、とうろうさんの「憲法への信仰的態度」が危うくなるから、無視せざるを得ないのではありませんか。 事実、憲法の成立経緯への疑問を呈するすることは、占領軍の思想統制の対象であり、また憲法に対する批判的意見は、検閲対象でもありました。 >成立の経緯がどうであれ、今の憲法が、今の世に適合するかどうかを検討することが大事なことだと思います。先にも申しましたように返らぬ昔のことを言っても無意味かと思います。 昔のことを言っても無意味だとは、驚きました。とうろうさんは、今のとうろうさんの主張を「正当化する際には」、随分と「昔のこと」を援用しておられますよ。都合のいいことは利用するが、都合の悪いことは見ない、「勝者の歴史」として、とうろうさんは先に説明していましたね。あなたのしていることは、それそのものですよ。 >もはや成立当時に戻って何かをすることは絶対出来ないのですから。敵が作ろうが、味方が作ろうが今ある憲法は今現に存在するわけですから、誰が作ろうと関係無いと思います。 おどろくべき理不尽な主張です。とうろうさんはまずその歴史的事実を見ようとしていないし、その上、「敵だろうが味方だろうが、誰が作ろうと関係ない」とは、驚くべき「日本無視」の姿勢です。憲法は、「日本人の」憲法であり、「世界の憲法」ではないのです。肝心の日本人を無視して、先人のことも全て無視して、そんな態度で憲法を論ずるとは、およそ筋道を尊ぶ態度とは思えません。 >憲法問題は現憲法を考え、現社会実情に照らして、改正、修正を検討することで十分だと思います。 国会の憲法調査会では、憲法制定に関わる不審な点についても、様々な質疑が行われております。とうろうさんの意見こそ、非現実的です。 |
▼告天子さん(41956): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >事実に反するどころの話ではなく、ここでもとうろうさんはGHQ史観に縛られていますね。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触するものと見なし、削除対象として スタッフ連絡板に移動しました。 以後、この書き込みへのレスを禁止します。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼管理スタッフさん: 日頃の管理ご苦労さまです。心から感謝に思っていますが、一言だけ申しあげます。 以下の書き込みが削除基準に当るとのご判断でしょうが、文章の流れから見て、熱くなった言葉の全てに削除対象とするのは如何なものでしょう? >>事実に反するどころの話ではなく、ここでもとうろうさんはGHQ史観に縛られていますね。 |
▼ 相良唯夫さん&みなさん:こんにちは。 相良さん;この前は失礼いたしました。 さて、遅くなり恐縮ですが先に頂いていた下記の貴レスについて意見を差し上げます。 【40947】Re(2):天皇制について、その3(2) 相良唯夫 - 05/1/17(月) 23:07 - ▼とうろうさん 横レス失礼します。 >>>そして、若し、天皇制を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか? >表現力が乏しくて申し訳ありませんが、「肉親を亡くしたような悲しみに襲われ」想像すらしたくありません。憲法では象徴とされていますが、参賀をされた方の多くは私と同じ気持ちの方も多いと思います。 天皇に、自己の日本人としてのアイデンティティを委ねられている?方も多いと思います。そのような方は相良さんと同じように感じられ、また、そのような方も多数居られると思います。このようなことを否定しているものではないのです(私が「甘えの構造」と「タテ社会の力学」を上げた所以です)。 ところで、ここで「天皇」と仰っているのは平成天皇のことでしょうか。例えば、仮定の話ですが、次の天皇の代で万一天皇制が廃されてもやはり同じように悲しみを覚えられるのでしょうか。 なお、私は「象徴天皇制」を廃したら、憲法上も整合性が保たれ、天皇家にとっても基本的人権が回復し、双方によかれと思うと言っているのであって「天皇家を廃絶せよ」などとは決して言っていないことにご留意ください。くれぐれも大時代的な「廃帝」などを主張しているわけではないことをご了解願います。 このような「廃帝論」などといわれる、「天皇精神論者」あるいは私には、むしろ「天皇教信者」にも見えますが、このような方にはアナクロニズム的「廃帝論」というような言辞を弄する事によって自らの思想・信仰に反対する者を「過激派」と印象付ける印象操作を感じてもおります。 >同じように「若し、伊勢神宮を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょう?と質問したら、どのように答えたらよろしいのでしょう? 神道の宗教施設である伊勢神宮を誰が何の理由をもって廃するのでしょうか。信教の自由から言ってそのようなことは直ぐには考えられません。信者なり、お参りする方がいなくなれば立ち行かなくなるだけの話で、お参りする方あるいは観光する方が居られれば存続するでしょう。 >さらに「若し、国旗・国歌を廃したとしたら、どうのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか?と質問したら・・・? 国旗・国歌があるゆえに「日本国」が存在するとは思いません。「日本国民」がいるから「日本国」があるので、日本国があるから、国旗・国歌があるものと思います。 現に「国旗・日の丸」は、確か幕末に国際法で艦船には「国旗?」掲揚の義務があり、江戸幕府が使っていた物を明治新政府が踏襲したように覚えていましたが、今調べてみると明治3年商船規則で船に使っていた旗だとありました(ウィキペディア)。 また、国歌・君が代は、明治新政府が欧米では儀典で「国歌」が吹奏されると知り、慌てて、「大君(天皇)のいやさかを祈る歌として古今和歌集の古歌・賀歌」から取られたものと言われています。 いずれにしても「国」があって、国旗・国歌があるので、国民総意の上でいかように決めても良いものと私は考えます。 (その9(2)に続く) |
(承前 その9(2)) >天皇のご公務に対し、感謝の念がわきませんか?天皇陛下のように無私のお方を他にご存知でしょうか? >宮中で祭祀が行われる場合、天皇陛下御自らが神官(言葉が違うかもしれません)となって催行されます。陛下は日本人の心の中心となっているのです。 上に言いましたようにそのような日本人も多いと思います。私は、象徴天皇として「陛下は日本人の心の中心となって」憲法に定められた公務・義務を務めておられるのだと思っています。また、国の象徴として、公務に於いて「無私」であることは当然のことだと思っています。 宮中祭祀は天皇家のいわば家系的行事で、国民には関係無いと思います。若し、関係ありとすれば「政教分離」の観点から問題が生ずるのではないでしょうか。 >中心を失えば末は乱れます。それは家庭に於いても、会社に於いても、同じことが言えます。今でこそ少なくなりましたが、家には大黒柱があったのです。そして親父は家の大黒柱の役目があったのです。その大黒柱がなくなるにつれ、家の中心が失われ、家庭崩壊が多くなったのです。 私には家庭崩壊の原因がそこにあるとは思えませんが、敗戦後天皇が人間宣言をなされ、良くも悪くも、戦前皇国史観に基づく皇国教育を受けた日本人の精神的支柱、バックボーンが失われた結果、社会倫理・道徳の崩壊、更に、天皇が戦争責任をお取りにならなかったことが若い人の倫理崩壊、自己崩壊(例えば、予科練崩れ)をもたらした面が大きいとは感じますし、以後戦後の拝金主義の助長にも力を貸したようには思います >日本の神社は宮中につながっていますから、神社の存在も危うくなります。日本から神社が無くなることになれば、音を立てるように日本の伝統文化は崩壊の道をたどることになるでしょう。 上にも申しましたように神道あるいは神社神道をご信心の方には影響があるかも知れませんが今までのレスで縷縷(るる)述べましたように、それはいわば明治新政府によって形成された国家神道の影響であって、日本民族の歴史、日本の歴史を正しく顧みれば、「日本国意識」が出来たのを仮に聖徳太子の時代とすれば今までざっと「1500年の歴史」があるわけです。しかし、近代天皇制は明治以降昭和戦前までわずか「80年の歴史」です。 このわずか80年の教育で培われた日本の伝統と言われるものが、有史以前から脈々と受け継がれた日本人の血なり、伝統なり、文化の全てといえるのでしょうか。日本には稲作農業(弥生文化?)以外に、狩猟、漁労あるいは採集文化の伝統(縄文文化?)も底流に流れている筈です。稲作至上主義も日本文化の一つに過ぎないのではないでしょうか。長く日本を支えた農業文化であり、支配的文化であったことは否めませんが。 なお、現在日本の古典文化といわれる、能、狂言、歌舞伎、連歌・俳諧(俳句)、生花、茶道、剣術などなどは、天皇の権威が最も衰微したといわれる室町時代に花開いた自由闊達な武家文化、町人文化、農業文化にその起源を持つといわれるらしいのですが、これも「真の日本文化が何であるか」の一つの示唆かと私は思っております。 (以下 その9(2)に続く) |
(承前 その9(3)) >神道は宗教ではありますが、日本人の精神性(倫理・道徳)に貢献され、日本人の生きる指針になっているのであります。例えば、首相が神宮に参拝されても、それを宗教活動とみなすより、日本人の感謝を表す形が、あの場で行われているという捉え方をする人も多いと思います。日本列島があるから日本であると思う方もいますが、天皇が在られるから日本であるとお考えの方も多いと思います。 倫理宗教は常に社会の良き規範であります。神道あるいは日輪信仰、稲作思想が日本の支配的宗教観あるいは規範であったこと、一部に今でもあることは否定しません。 しかし、時代は変わり、人も変わり、思想・文化も変わり、社会も変わり、農業も変わり、政治思想、政治体制も変わり、経済体制も変わり、科学・技術も発展し、人類が宇宙に飛び出す時代になっているのです。いつまでも古代日本の稲作技術を手にした支配層(天皇)の伝統を具現する国家神道の末裔の思想が、今も日本の支配規範で良いとは私には思えないのです。 別に相良さんのおっしゃることを否定するものではありません。人それぞれ信ずるものを信じれば良いので私の考えを人に押し付ける気など毛頭ありません。また、人の考えを押し付けられる気も無いのです。ただ私の考えを提示し他の方のご意見をお伺いしただけなのです。 ただ、「宗教を政治の道具」にはして欲しくないとはいえます。 以上 (その9) 完 |
▼とうろうさん: 「末裔の思想」「支配規範」という言葉が適切でなく、書き込みを歪曲されているように感じます。 他にもとうろうさん風に言葉を変えられたり、付け加えられたりの言葉が多く見られ、あなたの説を永遠と述べられているように感じられます。 さらに、倫理とは不易であり、時代によって変わるものであれば倫理とは申しません。時代と共に変えられるもの、変えなければならないもの、変えられないものがあることをご理解されたいと思います。大自然の摂理、法則を人倫において倫理と申します。人生きるための真理である筈です。 あれだけ多くの方が初詣に出かけられました。それは宗教観ではありますが、日本の風習、文化でもあります。 |
▼風谷 米造さん&みなさん:こんにちは。 風谷さん;先の貴レス【41281】【41282】は必ずしも私宛ではないと思いますが、折角ですから簡単に私の感想を述べさせて下さい。 まず、風谷さんのご意見はほぼ記紀神話に沿ったお説で、多分「皇国史観」に近いものかと想像します。 どこの国も創生神話を有しますが、記紀神話は当時支配権、統治権を握った大和時代?の豪族のひとつであった天皇政権が作成したものと思います。神武以来というのは多分創作だと言われています。 弥生稲作が日本文化の基礎を作ったとは思いますが、現代は宇宙時代です。このような時代に記紀神話に基づいた天皇崇拝?天皇信仰?を維持されていることに驚嘆の念を感じます。 あるいは失礼に響くかも知れませんが、私の正直な気持ちです。何卒ご容赦ください。予めおことわりしておきます。 信仰は自由ですから当然風谷さんが信ずるままに思われればよいのであって私がとかく言うことではありませんが、ただ言えるのは、若しそのようなお考えを政治の場に持ち込むことは「政教分離の原則」に反することのように私は思っております。 私の意見は上の相良さんへのレスにも書いておりますのでご笑覧いただければ幸いです。 一応最後に、先に相良唯夫さんへレスで言いました弊言を繰り返します。 「倫理宗教は常に社会の良き規範であります。神道あるいは日輪信仰、稲作思想が日本の支配的宗教観あるいは規範であったこと、今でもあることは否定しません。しかし、時代は変わり、人も変わり、思想・文化も変わり、社会も変わり、農業も変わり、政治思想、政治体制も変わり、経済体制も変わり、科学・技術も発展し、人類が宇宙に飛び出す時代になっているのです。いつまでも古代日本の稲作技術を手にした支配層(天皇)の伝統を具現する国家神道の末裔の思想が、今も日本の支配規範で良いとは私には思えないのです」 失礼いたしました。 |
この書き込みは管理者によって削除されました。(05/1/29(土) 10:14) |
▼風谷 米造さん(41934): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >その現れとして、「日和見主義者」や「左翼小児病」のなんと多いことか。。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触するものと見なし、削除対象として スタッフ連絡板に移動しました。 以後、この書き込みへのレスを禁止します。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼みなさん:こんにちは。 4スッレド【39204】【40482】【41325】【41707】に亘り、私の当初の意見を敷衍・展開し、書き込んできましたが、ここで一応の纏めとしたいと思います。後は、私の興味の趣くままその後のレスに即して意見を書きたいと思っております。 今まで、本掲示板の「靖国問題」「天皇の戦争責任」「国旗、国歌問題」そしてこの「天皇制について」をざっと読んだ結果「日の丸、君が代」を重んじ、「天皇制・天皇精神」をあるべき日本の政治体制(立憲君主制)と考える、いわゆる右翼サイドの方のお考えは、私が想像する所、下のようなものと考えます。 (少し、戦前の皇国史観、皇国教育に関する用語を用い誇張した言い回しがあるとは思いますが) 「私が想像する「天皇神聖論」の論拠」 1.日本の現状認識 (1)「自由」と「放縦」を履き違え、「権利」は思う存分行使するがその裏にある「義務」の履行の軽視がある。 (2)己の思想、信条(イデオロギー・ドグマ)に反するものは、「敵」と見なし、その言行すべてを否定し、思想、信条、利害を同じくするものは「味方」として、その言行は全て、その当否に関係なく是認する傾向がある。 (3)すべての価値を「ゼニカネ」に換算し、価値の基準を金に置く「拝金主義」至上である。 (4)性道徳は堕落し、野放図になり、風俗店は栄え、人は欲望の趣くままに行動している。 (5)倫理・道徳は崩壊、教育は崩壊し、学力も低下し、家庭崩壊も絶えない。 (6)国の防衛という尊敬すべき業務に献身している自衛隊を国軍とするべきところ逆にないがしろにして軽蔑すらしている。また、近隣諸国から恫喝されても何の抵抗も出来ない、歯がゆい限りである。 (7)国の根幹的象徴たる「国旗」「国歌」を軽視し、誇りある日本民族・日本国・天皇をないがしろにしている。 かくて、今、日本は「軽佻浮薄」な「卑しい」国に成果てている。 2.その理由 このようになったのも元はといえば「過激軍人」が「軍国主義」を掲げ、「天皇」の意も顧みずに「無謀な大戦」を始め、戦争に負け戦勝国・占領軍の「GHQ史観(軍国主義の破壊意志)」で作られた現「日本国憲法」を受け入れ、「天皇」を象徴などと言う曖昧な規定で縛り、国民が「天皇精神」を忘れ、「左翼思想あるいは欧化思想」に基づく教育で、古き良き「日本の伝統(神道文化中心)」「日本民族の誇り(皇国日本・神国日本という思想に基づく日本民族の優越?意識)」を破壊したところにある。また、「臣民?に対し無私の、滅私の仁慈、仁愛溢れる尊い天皇」をないがしろにした事にある。 3.解決の方法 日本の歴史を顧みれば、日本が光り輝いた明治の治世・御代がある。 明治維新を経て、日本が危うく欧米列強の餌食になろうかという時代に「五箇条のご誓文」を始めとする「天皇精神」に基づき、日本人を統合し、「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと「四民平等(士農工商)身分制の破壊」「文明開化」「和魂洋才」で古来の日本の伝統を維持しつつ、先進の体制を学び、産業を発展させた。 更には、先進的帝国憲法・立憲君主制により明治天皇を臣民の頭に推戴し、「国家主義」のもと「天皇精神」を臣民の精神的支柱として「皇国史観」に基づく「皇国教育」を行い、臣民を天皇の下に統合し、欧米列強に伍して日本を世界の一等国とした。日清、日露の戦争に勝利したのも明治維新を成し遂げ、天皇精神のもとに勇猛果敢に戦った優秀な軍隊があったからである。 現代日本人も、このような明治の「天皇精神」に回帰し、日の丸、君が代の下に蝟集(いしゅう)し、広く世界に日本民族、日本国の伝統、文化の優秀性を信じ、喧伝し、(神風吹く)「神国日本」を誇りとし、「天皇精神」という世界に誇るべき思想を持って生きるべきである。 (以下 纏め(2)に続く) |
>・・・いわゆる右翼サイドの方のお考えは、私が想像する所、下のようなものと考えます。 とうろうさんの「想像」、ということですね。右翼の人は、日本が卑しい国になり果てていると考えている、と仰いますが、それは想像というより空想に近いと思いますが、むしろ現実には、強い「揺り返し」があり、サヨクがますます空想的になり、右翼サイドではむしろ現実をよく把握しているという自信が出てきているんではないでしょうか。 想像だということなので、批判は控えますが、全体に「憂国の情にとらわれた右翼が、日本民族の堕落をあらゆるところに見出して嘆いている」、とのお見立てをされていることはよく分かりました。 かなり観念的な「右翼」観だと思いますが、そんな絵に描いたような右翼はなかなかいないと思いますね。 >このようになったのも元はといえば さて、「右翼が国を憂える理由・原因」が説明されるわけですが、やはり記号をつなげただけで、事実の説明にはなっていないと思います。と言うより、ほとんど何か神話というか、経文を諳んじているような印象すら受けます。以下、どれほど事実と違うイメージを以て語っているか、見ていきます。 >「過激軍人」が「軍国主義」を掲げ、「天皇」の意も顧みずに「無謀な大戦」を始め、 過激軍人が掲げたのは、むしろ共産主義に近い思想で、軍人だから軍国主義だろうと思うのは短絡です。「右翼の人はそう思っているだろう」ではなく、とうろうさんがそう思っているんでしょう? あと、過激軍人が先の大戦を始めたわけではありませんよ。 それから、「天皇の意も顧みずに」って、軍人が天皇の意のままに動いたらそれこそ「私兵」であって、国軍、皇軍の在り方として理解が間違っていますよ。ほんの短いセンテンスに、驚くほど誤解が入っていると思います。 >戦争に負け戦勝国・占領軍の「GHQ 史観(軍国主義の破壊意志)」で作られた現「日本国憲法」を受け入れ、 憲法制定過程を詳しく見れば、GHQの・・・つまり占領軍米人の政治意識・法意識や、国家観は、日本国憲法に反映していると思いますが、日本人の意志も入っているのですよ、たとえば天皇条項などには端的に表れているわけです。その条項を入れるのに日本人は苦労したわけですが、その辺りの経緯はとうろう説では「問題ではなく」、基本的人権・国民主権などの価値観を「絶対的価値観」とすることこそ問題だ、と言うわけです。米人だけが作った日本国憲法ではないのですよ。 右翼がひたすら憲法を貶めるのみ、であるかのような理解ですが、とうろうさんの「超法規」的価値観を絶対視する姿勢こそ、むしろ「統帥権干犯」を観念的に振り回す姿勢に通じるものがあるのです。 >「天皇」を象徴などと言う曖昧な規定で縛り、 曖昧だから問題だと思っている右翼などいないと思いますね。むしろ、国家の在り方、西洋流の主権概念などと天皇との関係、統治権の所在についての憲法上の不備などについて議論されているのではないかと思いますが。 >国民が「天皇精神」を忘れ、「左翼思想あるいは欧化思想」に基づく教育で、古き良き「日本の伝統(神道文化中心)」「日本民族の誇り(皇国日本・神国日本という思想に基づく日本民族の優越?意識)」を破壊したところにある。 左翼思想や欧化思想に基づく教育、の問題は、明治時代から既に始まっておりますし、「日本の伝統」「日本民族の誇り」などという観念を持ちだしたところで、何が変わるわけでもないでしょう。とうろうさんの「右翼」理解は、著しくステレオ・タイプ的ですよ。まあ、「想像」だということですから、ステレオ・タイプ的になるのも分かりますが・・・。 和魂洋才とか、そういう言葉をご存じありませんか。欧米の文物に広く学ぶことを否定するなら、「右翼」は、明治維新そのものを否定することになりはしませんか。 >また、「臣民?に対し無私の、滅私の仁慈、仁愛溢れる尊い天皇」をないがしろにした事にある。 とうろうさんの右翼イメージがどんなものかは分かりましたが、それ以上のものではないと思います。 |
>3.解決の方法 >日本の歴史を顧みれば、日本が光り輝いた明治の治世・御代がある。 これまた、観念的な明治理解ですね。明治時代というのは非常に複雑ですし、歴史条件が違うので、「明治に帰れ」などと言っても仕方がないし、そんなことを言っている右翼もいないと思います。 >明治維新を経て、日本が危うく欧米列強の餌食になろうかという時代に「五箇条のご誓文」を始めとする「天皇精神」に基づき、日本人を統合し、 観念的なストーリーだと思いますね、そのお話は。五箇条のご誓文が出たのは、明治の初年ですよ。「五箇条のご誓文」も、とうろうさんの中ではもう記号・符丁と化していますね、具体的な事実のことではなくて。日本人を統合しと言いますが、幕府方でも「天長」そのものを敵視したような勢力はなかったのですから、明治維新を経る前から日本人は天皇の下に、という統合はされていたのです。 >「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと「四民平等(士農工商)身分制の破壊」「文明開化」「和魂洋才」で古来の日本の伝統を維持しつつ、先進の体制を学び、産業を発展させた。 これも、順序関係がバラバラです。四民平等は、明治の初年当たりですから、その頃ではまだまだ「富国強兵」「殖産興業」はスローガン化されてはいません。古来の日本の伝統を維持しつつ、というのはまことに平板な理解で、明治時代が徹底した「欧化の時代」「伝統破壊の時代」であったことと符合しません。 >更には、先進的帝国憲法・立憲君主制により明治天皇を臣民の頭に推戴し、 これも順序関係が逆です。明治天皇が帝国憲法を臣民に下された、という形式です。帝国憲法により明治天皇を臣民が頂いたのではありません。 >「国家主義」のもと「天皇精神」を臣民の精神的支柱として「皇国史観」に基づく「皇国教育」を行い、 単語の羅列的になっているように思いますし、むしろ戦前には、皇国史観も教えましたが、それとともに極端なまでの啓蒙教育も実施されており、国家教育一辺倒だったかのように説明するのは、当時の無神論・唯物論的思潮と、天皇崇敬の精神をどう調和させるかに苦慮した教育史を無視した話かと思いますね。 >臣民を天皇の下に統合し、欧米列強に伍して日本を世界の一等国とした。 「世界の一等国」というような意識が出てくるのはずっと後になってからで、それにしても欧米コンプレックスは抜きがたくあり続けての話ですよ。時代認識が平板に過ぎますし、それだと「物語」でしかないと思います。 >日清、日露の戦争に勝利したのも明治維新を成し遂げ、天皇精神のもとに勇猛果敢に戦った優秀な軍隊があったからである。 それは、精強な皇軍兵士なしには、日清・日露の戦争に勝利はしなかったでしょうが、「日清・日露」とつなげて表現してしまう辺り、やはり史実についてのディテールがどうという話ではなく、それらの語を「記号として」使っているだけではないかと思います。 >現代日本人も、このような明治の「天皇精神」に回帰し、日の丸、君が代の下に蝟集(いしゅう)し、広く世界に日本民族、日本国の伝統、文化の優秀性を信じ、喧伝し、(神風吹く)「神国日本」を誇りとし、「天皇精神」という世界に誇るべき思想を持って生きるべきである。 イデオロギー、だと思いますね、そういうのは。主義主張としてそういう姿勢はありだと思いますが、極端な自国中心主義を「天皇」という記号に結びつけて、それを「虚像の攻撃対象」として描くと、こうなるという感じですか。 |
(承前 纏め(2)) 4.行動方針について 以上により我が日本国は、今のような「卑しい軽薄な」国から、「天皇の下誇りある日本国」となるのである。現日本国憲法は旧「帝国憲法」に戻す?べきである。この障害となる「左翼思想あるいは西洋かぶれの人権思想」などは、断固打破しなければならない。 ***** 上のようないわゆる「国粋主義」的主張は戦前の天皇制を良しとし、その光の部分ばかりを主張し、その影の部分を閑却した一方的、一面的、ご都合主義的歴史解釈の上の偏った主張に過ぎない、ことは今まで私がその話題に応じて種々述べてきました。 まだまだ言い足りないこと、例えば「人種差別意識」逆に言えば「民族優越意識」の歴史などもありますが、これはまたの機会にしたいと思います。 上のようないわゆる右翼的主張は、私が若年の頃カトリック教会で学んだ、入門者向けのマニュアル「公教要理」を思い起させます。まさに「天皇教」のマニュアル「天皇教要理」のような気がしました。 もとより、私は一介の市井の人間であり、歴史を正式に学んだものでなく、単に先人の書物に学び、これまでの経験、知見から、私がいわば「人間史観」とも言うべき観点から、正しいと信ずることを述べたに過ぎず、錯誤も思い込みもあるかと思いますが、私の考えを率直に述べたものです。 上のようないわゆる右翼思想が、何故現代の日本で喧伝されるのか、戦後新制民主主義教育を受けた私には理解できないことですが「神の国」と発言された元総理も、靖国神社に参拝される現総理も、いずれも、元A級戦犯容疑者にして戦前の高級内務官僚、岸信介氏率いる自民党?岸派(福田派・安倍派・森派)の流れを汲む右派的保守派です。 また、国旗、国歌を教育の場で敬うことを児童に教え、推進することを誇らしげに?陛下に言上し、たしなめられた?元将棋棋士を教育委員として任命した都知事は元自民党青嵐会所属だったと思います。 また、先ほどはNHKの番組に容喙(口出し)?したと言われる、安倍代議士、中川代議士はそれぞれ岸派の三代目および青嵐会領袖?であった北海の羆こと故中川代議士の二代目です。これらのことを勘案しますと、何か今の世の右派思想の広宣流布と符合するような気がします。 ところで、このような「復古思想」は常に歴史上出現するものであり、例えば「建武の中興」あるいは江戸時代の本居宣長の復古神道、平田篤胤の平田神道に基づく明治の王政復古があります。 前者の「建武の中興」は、鎌倉幕府を倒し、古代律令制度を理想?とした後醍醐天皇の天皇親政であったのですが、わずか2年半で潰(つい)えました。また、明治の王政復古は明治日本国家を樹立しました。 同じ復古思想に基づく政権が何故一方は瓦解し、一方は成功したか。建武の中興は、当時の複雑化した社会、経済に適合せず、いわば時代に適合しなかった、また、明治の王政復古は、300年続いた徳川治世が弱体化し、当時の社会実態に合わなくなっており、幕府の無能な高級官吏と身分の低い有能な幕末勤皇志士との争いで、勤皇派が、当時の先進的思想、先進的武器を用い、旧弊固陋の江戸幕府を倒した上で樹立されたもので歴史の必然だったかもしれません。 同じ「復古思想」に基づく「天皇制尊重」とは言え、このような差が生じるので「天皇制」が全てを回復するなどということは根拠のないものであり、「皇国史観」では、後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏を朝敵としてほぼ歴史から抹殺し?桜井の別れの歌で知られる楠木正成を忠臣として讃え、祀り上げたことも史実を無視した「皇国史観」の欺瞞?を証明することかと思います。 なお、楠木正成は当時「悪党」(現在の意味ではありません)と言われた、鎌倉幕府の反体制派であって、余り、氏、素性が確かでない人間だったといわれます。勿論、だからと言ってその歴史的業績が重要でなかったと言っているわけではありません。 (以下 纏め(3)に続く) |
>4.行動方針について >以上により我が日本国は、今のような「卑しい軽薄な」国から、「天皇の下誇りある日本国」となるのである。 そんな方法が、先の論考のどこに示されてしましたか? >現日本国憲法は旧「帝国憲法」に戻す?べきである。この障害となる「左翼思想あるいは西洋かぶれの人権思想」などは、断固打破しなければならない。 帝国憲法に「戻すべき」という以前に、日本国憲法には様々な成立上の違法な問題があるので、そういう成立経緯が「国民に知らされず、タブー視される」時代すらあったことは、非常に問題だったでしょうね。 また、その日本国憲法に流れる「価値観」を、「絶対視する」というのは、盲目的にこれを信仰するも同じことですから、そういうのは法律の話では既にないわけです。 帝国憲法に戻すべきだ、と唱えたところで戻るわけでもないので、「ふさわしい憲法とは」が、今国会などでも論じられているわけでしょう。 左翼というのは、唯物論とかマルキズムのことでしょうか。自己に敵対する思想をのを「断固打破」とかいうのは、むしろ「左翼」の側だと思っていましたが。「西洋かぶれの人権思想」などと、そういうネガティヴな表現だけしておれば打破できると考えるのはあまりに稚拙で、盲目的にそういう思想を「正しい」とする姿勢の裏返しに過ぎないでしょう。 つまり、「右翼」の描写のつもりで、実は別のものを描写しているわけですよ。 人権を「絶対視する」ともなれば、そういうのはもう法律の話ではなくて「ドグマ」とか「教条」の話であり、それは批判されるべきですが、「西洋かぶれだ」などと貶すことが有効な批判だと思っているような右翼がいると思っておられるのなら、認識を改めるべきだと思いますね。 ***** >上のようないわゆる「国粋主義」的主張は戦前の天皇制を良しとし、その光の部分ばかりを主張し、その影の部分を閑却した一方的、一面的、ご都合主義的歴史解釈の上の偏った主張に過ぎない、ことは今まで私がその話題に応じて種々述べてきました。 とうろうさんは、「全部が影」の史観を、否定的なイメージの記号を並べることで主張されてきましたが、これまで批判したように史実に即していないし、また、「光と影」とか、そういう先入観を持たずに、事実そのものに迫ろうという姿勢はほとんど感じられませんでした。虚心に事実を知ろうということではなく、ある史観の正しさを示すための説明、ではなかったのかと。 >まだまだ言い足りないこと、例えば「人種差別意識」逆に言えば「民族優越意識」の歴史などもありますが、これはまたの機会にしたいと思います。 楽しみにしております。 >上のようないわゆる右翼的主張は、私が若年の頃カトリック教会で学んだ、入門者向けのマニュアル「公教要理」を思い起させます。まさに「天皇教」のマニュアル「天皇教要理」のような気がしました。 上のいわゆる「右翼的主張」は、とうろうさんの「想像」だったのでしょう?。ご自分が想像された、架空の右翼の主張がカトリックの「公教要理」と似ていると発見されたとしても、それはご自身の説明の手法が似ている、という話にはなりはしませんか。 >上のようないわゆる右翼思想が、何故現代の日本で喧伝されるのか、戦後新制民主主義教育を受けた私には理解できないことですが だって、あれはとうろうさんの「想像」の右翼なのでしょう?。それが「現代の日本で喧伝される」って、どういうことですか?? |
>「神の国」と発言された元総理も、靖国神社に参拝される現総理も、いずれも、元A級戦犯容疑者にして戦前の高級内務官僚、岸信介氏率いる自民党?岸派(福田派・安倍派・森派)の流れを汲む右派的保守派です。 >また、国旗、国歌を教育の場で敬うことを児童に教え、推進することを誇らしげに?陛下に言上し、たしなめられた?元将棋棋士を教育委員として任命した都知事は元自民党青嵐会所属だったと思います。 なるほど、この人たちがとうろうさんが想像で語られた「右翼」の人たちである、と目されるわけですね。 >また、先ほどはNHKの番組に容喙(口出し)?したと言われる、安倍代議士、中川代議士はそれぞれ岸派の三代目および青嵐会領袖?であった北海の羆こと故中川代議士の二代目です。 この人たちは、とうろうさんが想像で語ったようなことを、語りましたか? >ところで、このような「復古思想」は常に歴史上出現するものであり、例えば「建武の中興」あるいは江戸時代の本居宣長の復古神道、平田篤胤の平田神道に基づく明治の王政復古があります。 本居宣長の場合は、古学と申しまして、「復古神道」などという言い方はしません。「復古思想は常に歴史上出現する」とは、どういう意味でしょう?。どうも、具体的にそうした思想家の著作を読まれての話ではなく、「復古らしいから」と纏めただけのように思います。 >前者の「建武の中興」は、鎌倉幕府を倒し、古代律令制度を理想?とした後醍醐天皇の天皇親政であったのですが、わずか2年半で潰(つい)えました。また、明治の王政復古は明治日本国家を樹立しました。 >同じ復古思想に基づく政権が何故一方は瓦解し、一方は成功したか。建武の中興は、当時の複雑化した社会、経済に適合せず、いわば時代に適合しなかった、 そういう面はありますね。しかし、ある精神の強烈な表現ではあります。成功か、失敗か、失敗したからそこには何ら見るべきものはない、ということではないですので、そこは区別すべきことです。 >また、明治の王政復古は、300年続いた徳川治世が弱体化し、当時の社会実態に合わなくなっており、幕府の無能な高級官吏と身分の低い有能な幕末勤皇志士との争いで、勤皇派が、当時の先進的思想、先進的武器を用い、旧弊固陋の江戸幕府を倒した上で樹立されたもので歴史の必然だったかもしれません。 ここは、非常に図式的な説明になっていると思いますね。 「当時の社会実態に合わなくなっており」ではなく、「欧米諸国の外圧に耐えられなくなっており」が適切で、また、「幕府の高級官吏」の方が新思想にも詳しく、有能な人士が多かったのです。また、「身分の低い有能な」と対比するのは、図式的な説明かと思いますね、あたかも幕府組織とこうした志士個人との対立であるかのような印象を与えるのはミスリードで、実際には統治能力をなくした幕府と、雄藩の対立・権力抗争関係で、そのコースにしても、長州など見ても、藩内でも公武一和・倒幕の間で揺れ動き、「幕府の無能な高級官吏と身分の低い有能な幕末勤皇志士との争い」、というのはドラマ仕立ての話でしかないでしょう。 また、当時の先進思想に詳しかったのは、むしろ幕閣スタッフの方で、倒幕側〜先進、幕府側〜古くて、倒させるべきもの、みたいな説明は、最初に説明あっての説明で、それほど事実を反映しているわけではありません。戦力でいえば、幕府側の方が終始優位的であり、政治判断でああなったわけです。とうろうさんの説明は、非常に単純化・図式化されたものでしょう。 また「歴史の必然」などと、いくら「かもしれません」などと入れたにしても、「古い幕府は新しい志士に倒される」みたいな歴史コース説明の果てに言うのは、正しく歴史を知ろうとする態度とは思えませんね。 |
>同じ「復古思想」に基づく「天皇制尊重」とは言え、このような差が生じるので「天皇制」が全てを回復するなどということは根拠のないものであり、 天皇制が全てを回復する、などと言っている人はいないでしょう。 >「皇国史観」では、後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏を朝敵としてほぼ歴史から抹殺し?桜井の別れの歌で知られる楠木正成を忠臣として讃え、祀り上げたことも史実を無視した「皇国史観」の欺瞞?を証明することかと思います。 これも、説明のための説明になっていると思います。確かに尊氏は朝敵でしたが、「自己を絶対化し、的を悪魔視して」、みたいな話ではありません。尊氏には尊氏の論理があり、また人情があります。そういうことを全部「皇国史観が塗りつぶした」とでも言うのなら、それは違うでしょう。皇国史観は、そういう「盲目」を教えるものではありません。とうろうさんの説明での、「皇国史観は欺瞞」は、右翼に対する説明と同じで、「とうろうさんの想像した皇国史観」が欺瞞だ、ということだと思いますね。 皇国史観は、一定の善悪のを前提とするでしょうが、「朝敵として歴史からほぼ抹殺し」というのは、とうろうさんの見方が極端なのではあっても、皇国史観がそうなのではありません。足利尊氏の研究とかが、大学で禁じられたとか、尊氏の功を語ることも一切許されなかったのだとか、そういう話ではないわけで、とうろうさんの「光と闇」のたとえではありませんが、「皇国史観」を観念化して、ご自分のイメージに合わせて「闇の皇国史観」を説明されているように見えますね。 >なお、楠木正成は当時「悪党」(現在の意味ではありません)と言われた、鎌倉幕府の反体制派であって、余り、氏、素性が確かでない人間だったといわれます。勿論、だからと言ってその歴史的業績が重要でなかったと言っているわけではありません。 そういう事実的な部分に、皇国史観は肉付けを与えてくれます。楠木正成がどういう感情を持って行動を起こしたのか、一定の説明は与えていると思いますね。ただ、あまりそういう「史観に基づく認識」が極端に流れるのは、私もどうかと思いますが。 皇国史観を、「絶対の悪であるかのように」捉えて、全面排除しなければ已まず、という姿勢の方こそ、むしろ自由な認識に対する妨げであるように思われます。いわゆる皇国史観が「絶対視される」ために自由な認識が妨げられるならば、それは問題ですが、皇国史観に一片の真理もなし、というような見方ですと、むしろ過去の日本人の認識というのは、まるで分からないものになると思いますね。 皇国史観というと、何かそれだけでまがまがしいものででもあるかのようにイメージづける言説というのは、事実をありのままに見よう、知ろうとする姿勢に対して抑圧的にも働きます。皇国史観なしには、うまく説明のつかないことが日本史にはたくさんあると思いますよ。 |
(承前 纏め(3)) なお、復古思想は政治的というより、宗教面でよく見られるようです。いわゆる原理主義です。イスラム教原理主義、キリスト教原理主義、ユダヤ教原理主義です。これらは、その起源の思想に戻って当該宗教思想を絶対とするものと思われ、現在過激なテロ活動を行うものの精神的支柱となり、互いに戦争をしているのです。 日本における近代天皇制を考えるとき、明治、大正、昭和戦前を通じてその善悪、当否を考えなければいけないことは論を待たないのですが、いわゆる天皇精神は「明治時代」に偏しており、「昭和戦前軍国の天皇」については余り言及されないようです。 何故、昭和軍国時代が招来されたのか。 第一次世界大戦の漁夫の利を持って好景気に沸き、モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)がはびこり、天皇機関説に基づく大正デモクラシーが謳歌され、一方では、ダダイズム、アナーキニズム(無政府主義)、マルキシズムなども出現したと言われます。 ところが、昭和恐慌で不景気に陥り、農村では子女の身売りなどが常態化し、子女が苦界・遊里に働く一方、政党政治家、財閥系企業家などの腐敗がはびこり、正義心に燃える少壮軍人が、天皇機関説を否定する右翼活動家(天皇主義者)と5.15事件、2.26事件などを引き起こし、暴力によるテロを繰り返し、国民の異論を力で弾圧し、封じ、統帥権の独立を根拠に軍人が実権を握り、「皇国史観」「神格天皇:国家神道」「神風吹く神国日本の優越性」を国民に植え込み、敗戦に導いたのです。勿論、当時の国民協力の上(進んで、あるいはイヤイヤながら)のことですが。 私はこのような「大正デモクラシー」を力(テロ)により「封殺」し?昭和の神格天皇主義、軍国主義へと至った軌跡が、当初に述べました現在の「天皇主義」を奉ずる右翼思想の方々の「言論の暴力(言論テロ?)」とも言える行為により国民の反対意見が封殺?され、天皇主義のもとに導かれ?再び戦前のような不自由な社会が来ることを危惧するものです。 これが、私一人の勝手な思い過ごしであって欲しいと思いつつ、大正デモクラシーから昭和軍国主義への移行と、今の風潮が「酷似している」ように感じ、「いつか来た道」をたどらなければ良いがと切に願っているものです。 以上で纏めを終わります。長々とお読みいただいた方には感謝申し上げます。 なお、若し、私の想像が正しい認識とすれば、老人党のご趣旨に賛成される方がたは、現今の右翼的主張に対し、もっともっと反対の声を上げられるべきと思います。何を恐れる(若し、そうだとしてですが)必要がありましょうか。現代は、民主主義、主権在民、言論自由の時代と信じていますゆえ。 戦前、声なく?あるいは、為政者の言うがままを信じて敗戦の憂き目を見、敗戦後、塗炭の苦しみに喘いだ私たち庶民の親の世代の過ち?を繰り返してはならないと考えるからです。 また、偏狭な(と私は思う)いわば「天皇教原理主義」に対し、偏狭な(と私は思う)いわゆる唯物史観に基づく「左翼原理主義」で対抗することは、あたかも、火に油を注ぐようなもので実質的に益無きことかとも私は思っております。 (以下 纏め(4)に続く) |
▼とうろうさん: >なお、復古思想は政治的というより、宗教面でよく見られるようです。いわゆる原理主義です。イスラム教原理主義、キリスト教原理主義、ユダヤ教原理主義です。これらは、その起源の思想に戻って当該宗教思想を絶対とするものと思われ、現在過激なテロ活動を行うものの精神的支柱となり、互いに戦争をしているのです。 そうした「原理主義」を、「絶対の思想」という性格に当てはめてみると、憲法にも記されていない基本的人権の「絶対化」を標榜しているのは、むしろとうろうさんでしたね。 日本国民の皇室崇敬の精神が「絶対の思想」かと言えば、そこからはほど遠いものかと思われます。「復古思想」であることが、必ずしも「原理主義」であるとは限らず、その点、「原理主義」と言うからには、絶対化、盲目的な信仰、極端に観念的な性格、対立者への手段を選ばない暴力的な迫害、などが要件となってくるかと思いますが、たとえば本居宣長などは学究的ではあっても、そういう性格は皆無でしょう。 ある種の観念を絶対化して、それに敵対する相手方を悪魔視するというのは、何も「宗教」には限りませんよ。 >日本における近代天皇制を考えるとき、明治、大正、昭和戦前を通じてその善悪、当否を考えなければいけないことは論を待たないのですが、いわゆる天皇精神は「明治時代」に偏しており、「昭和戦前軍国の天皇」については余り言及されないようです。 昭和期に於いては、天皇は政治の舞台に表立って出ることはなかったわけで、天皇精神が発揮されたというならば、それは「聖断」において、であるでしょう。これを、昭和天皇以外の、一体誰がなしえたのか、とうろうさんの説明では決して知ることが出来ないでしょう。 大体に、軍国、軍国といいますが、とうろうさんの史観からは、何故「民主主義の発達した」大正・昭和の世の中になって、逆に「天皇の神格化・絶対化」が進んだのか、明らかではありません。 また、そうした「絶対化」を進めた主体が誰であるのか、これもまた不明であり、「いかに絶対的であったか」を責めつつも、「過激軍人が軍国主義を進めたのだ」とか、むしろ政党政治が明治時代とは比較にならないほどに進んだ大正・昭和期に、どうしてそういう現象が起こったのか、単に「天皇制が悪いからだ」という説明をしているだけで、その理由は明らかにはされていません。 何故、政党政治が発達した時代に、逆に明治時代にも考えられなかったような「皇国史観の絶対化」がなされたのですか。過激軍人が悪かったからですか。それなら、「統帥権干犯」を政府に徹底追及したのは、野党側であったことはどう説明するのですか。天皇制が悪いのだというのであれば、明治時代はそんな現象は起こりませんでしたよ。とうろうさん、何故こんな現象が生ずるのか、あなたの説明では「政党政治の発達と共に天皇が絶対化されていった」ことは、理屈が合いませんよ。 |
▼とうろうさん: > >何故、昭和軍国時代が招来されたのか。 何故ですか。 > >第一次世界大戦の漁夫の利を持って好景気に沸き、モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)がはびこり、天皇機関説に基づく大正デモクラシーが謳歌され、一方では、ダダイズム、アナーキニズム(無政府主義)、マルキシズムなども出現したと言われます。 そうした思潮も、全て天皇制が原因だった、というのではないでしょうね。 > >ところが、昭和恐慌で不景気に陥り、農村では子女の身売りなどが常態化し、子女が苦界・遊里に働く一方、政党政治家、財閥系企業家などの腐敗がはびこり、 これらは、「天皇制」が原因なのでしょうか。 >正義心に燃える少壮軍人が、天皇機関説を否定する右翼活動家(天皇主義者)と5.15事件、2.26事件などを引き起こし、暴力によるテロを繰り返し、 政党政治家が腐敗していると考えるならば、こうした「過激軍人」のことはとうろうさんは「正義」として評価されるわけですか? >国民の異論を力で弾圧し、封じ、統帥権の独立を根拠に軍人が実権を握り、 決起した軍人が、国民の異論を力で弾圧したのですか??。政党政治家に対してなら、決起軍人は実力行使をしましたが、「国民の異論を弾圧した」とは、どういう脈絡でしょうか。 決起軍人が、国民を抑圧したとの事実関係をお示しください。あなたの発言は、事実に著しく反している疑いがあります。 また、「統帥権の独立を根拠に軍人が実権を握り」という表現にしても、明治期においては軍部の政治的中立性を保証するための「統帥権の独立」が、何故昭和期においては逆に軍部の政治性に利用されるに至ったのか、その脈絡が不明です。 何故軍部が実権を握るに至ったのか、それは単に「統帥権干犯」の法律問題だけではなく、「政党政治が力を失っていたから」そうなったのではないのですか。何故そうなったのですか。「天皇制だったから」ですか。何故軍部が力を得るに至ったのか、大正から昭和初期に至っては、軍部はひたすら予算を削られるだけの存在に過ぎなかったのですよ。何故それが、力を得たのですか。とうろうさんの説明では、観念的な「統帥権を干犯したから」ということが分かるだけで、そんなことなら、明治時代だって大正時代だってそうだったでしょう。何故ですか。何故昭和になって、そういう現象が生ずるのですか。また、政党野党も大いに軍部を支持するのですか。 >「皇国史観」「神格天皇:国家神道」「神風吹く神国日本の優越性」を国民に植え込み、敗戦に導いたのです。勿論、当時の国民協力の上(進んで、あるいはイヤイヤながら)のことですが。 軍部が、敗戦に導いた??。軍部は、勝つことは考えていても、「敗戦に導く」ことなどあり得なかったでしょう。国民協力の上で軍部が大日本帝国の破滅のために努力していた、とでも言うのですか。 |
> >私はこのような「大正デモクラシー」を力(テロ)により「封殺」し? だから、その「?」というのは、何ですか。自信がないなら、そんなこと書かなければいいではないですか。大正デモクラシーには、当時のロシア革命の影響を受けた、共産主義、社会主義、革命思想など、明治時代には考えられなかった海外の新思潮が入っています。大正デモクラシーを、テロが封殺した??。とんでもない、政党政治は、軍部の予算を削りに削って、国防計画も「平和思想」の前に無視し、軍人をいびりにいびって、抑圧した時代です。「大正デモクラシー」が、何か素晴らしいもののように観念されているようですが、当時の国際状況が全くとうろうさんの記述からは不明ですね。 >昭和の神格天皇主義、軍国主義へと至った軌跡が、当初に述べました現在の「天皇主義」を奉ずる右翼思想の方々の「言論の暴力(言論テロ?)」とも言える行為により国民の反対意見が封殺?され、天皇主義のもとに導かれ?再び戦前のような不自由な社会が来ることを危惧するものです。 昭和初期の思潮と、現代の思想状況とでは、思想の担い手がまるで違っていますし、国際状況も違います。第一、自らの「想像した」右翼の主張、というのは、私の見るところ、全て「想像に過ぎない」と判定せざるを得ません。自らの主張を「絶対の人権思想に基づく」とし、反対側の思想を封殺・抑圧しているのは、むしろとうろうさんの側ではないのですか。 このように強い言葉で表現するのは、とうろうさんの発言が、歴史を無視していながら、さも「史実に沿った」ものであるかのようにイメージづけられ、「戦前に戻ってはならない」と、至って観念的な結論にいたるものだからです。 事実に基づかない意見は、道を誤らせます。戦前を危惧するなら危惧するで、しっかりした根拠に基づく意見ならば尊重できますが、とうろうさんの意見は、むしろ観念的な、「統帥権干犯」と法理を無視してぶちあげた意見と似たものであり、却って現代日本にとって危うい性格を持つものと考えます。 > >これが、私一人の勝手な思い過ごしであって欲しいと思いつつ、大正デモクラシーから昭和軍国主義への移行と、今の風潮が「酷似している」ように感じ、「いつか来た道」をたどらなければ良いがと切に願っているものです。 大正デモクラシーと「似ている」とするなら、軍事専門家の意見を、イデオロギー的思い込みに基づいて封殺し、笑いものにし、貶めた「風潮」こそが、まさに「そっくり」です。危険視するなら、別のものを危険視すべきで、自らに反省を向けるべきだと思います。 >なお、若し、私の想像が正しい認識とすれば、老人党のご趣旨に賛成される方がたは、現今の右翼的主張に対し、もっともっと反対の声を上げられるべきと思います。 反対の声を上げるのは結構ですが、問題は論拠です。自己を絶対的に正しいとし、相手を悪魔視・邪悪視する姿勢は、真に人間的なものとは到底思えません。 >何を恐れる(若し、そうだとしてですが)必要がありましょうか。現代は、民主主義、主権在民、言論自由の時代と信じていますゆえ。 言論自由であるなら、憲法のタブーについても「考えてはならない」「問題にすべきではない」などと、言うべきではありません。 > >戦前、声なく?あるいは、為政者の言うがままを信じて敗戦の憂き目を見、敗戦後、塗炭の苦しみに喘いだ私たち庶民の親の世代の過ち?を繰り返してはならないと考えるからです。 それならば賛成しますが、方法的にとうろうさんは方向を違えていると思います。事実を見つめようとしないからです。また、とうろうさんの「教条」こそが素晴らしい意見であるかのように考える姿勢にも、私は徹底反対します。 >また、偏狭な(と私は思う)いわば「天皇教原理主義」に対し、 とうとう天皇崇敬の情も、原理主義にされてしまうのですね。 >偏狭な(と私は思う)いわゆる唯物史観に基づく「左翼原理主義」で対抗することは、あたかも、火に油を注ぐようなもので実質的に益無きことかとも私は思っております。 とうろうさんのされていることも、基本的人権「絶対主義」で、(それは自ら言われておりましたね)、また、史実を無視したものであるということで、批判して来ました。 |
たとえば司馬遼太郎のエッセイや山本七平の本などを読むと、いかに軍の下士官が威張ったか、ひどいイジメがあったか、勝つ見込みのない兵器で敵に立ち向かわされたか、靴の方に合わせろなど、不合理な精神主義を強要されたかなど、「いかにひどかったか、それが戦前の軍部」、みたいな恨み言が述べられていると思います。 これらは、この「天皇制」スレッド関係でも、引用されたところであります。 しかし、「何故そういうことになったのか」、についての順序を無視した話だと思います、確かにひどかったにしろ。 何故そうなったのか、「天皇が絶対化・神格化されたからだ、そんな不合理な思想など、現代人は信じることは出来ない」、ととうろうさんは主張されていますが、原因を「天皇に求める」のはお門違いです。 戦車が性能不足のものしか準備できない、銃器類を新しくできないのは、「予算がないから」です。予算を削ったのは、天皇陛下ではありません。帝国議会であり、第一次世界大戦後の軍縮ムード・平和思想に、手放しに乗っかった政党政治・今日の言葉で言えば「民主的に選ばれた政治家たち」です。 軍縮といっても、一時世界大戦に参加した各国では、既に兵器の更新は済んでいるのです。日本は、参戦しなかったので、「新兵器への対応」は遅れたままです。ところが、「平和!!」と叫ぶことでムード的な軍縮、そして軍人軽侮の時代が「大正デモクラシーの時代」であり、「素晴らしい民主主義が芽生えた時代だった」というのは、あまりに自説に都合の良い一面的な解釈です。むしろ、確実に日本の昭和期を準備した時代だったのです。 また、昭和の「過激軍人」と言いますが、そのような現実無視の「平和主義」の下に、国防のために必要な兵員・兵備も削られ、また、日露戦争の際には対立はなかった英米との中国大陸を挟んだ利害対立も生じ、「新時代への国防体制が全く不安な状況の中」、中国大陸では共産党を背後に持った「反日・侮日運動」が展開され、「無抵抗主義」を貫いた結果、軍人・民間人を問わず虐殺されるという事件が相次ぎ、それでも帝国議会は「何もするな、無抵抗、平和」、という論調だ。だからこその「過激軍人」、なのですよ。 とうろうさんの説からは、その辺りの「何故、そうなったのか」が全く不明であり、ただ「天皇が絶対化・神権化されていた」ことだけが、えんえんと、えんえんと繰り返されただけです。それでは歴史は分かりません。 そして、そういうお説はまた、「基本的人権」、「国民主権」を憲法にも書かれていないような形で絶対化し、しかも根拠となっている日本国憲法の成立経緯については「考えてはならない」とするほどに「信仰的」性格を持ったものです。著しく「不合理」ではないでしょうか。私は、国防と、国民保護のために決起した帝国軍人「過激軍人」の方に、むしろ余程合理性を見ます。 |
▼告天子さん: 素晴らしい書き込み、ありがとうございます。 私も私なりに書き始めましたが、自分自身の表現不足、知識不足を思い知らされ断念することにしました。今朝、告天子さんの書き込みに接し、意を強くしました。 続きを期待しています。 |
▼相良唯夫さん: >▼告天子さん: >素晴らしい書き込み、ありがとうございます。 >私も私なりに書き始めましたが、自分自身の表現不足、知識不足を思い知らされ断念することにしました。今朝、告天子さんの書き込みに接し、意を強くしました。 >続きを期待しています。 とうろうさん。日本天皇と「民主主義」の関係は、法律論的にも政治論的にも歴史的にも複雑なものがあり、よくよく解きほぐして日本人民の腑に落ちるところまで語られねばならない、という思いが私にはあります。 とうろうさんの論に対する反論としては、今まで書いたとおりですが、「天皇の権威を笠に着て」人民に強圧を加えることには反対する趣旨では、お説とそれほど違っているとは思っていません。その点では、「天皇の権威を笠に」反対説に威圧を加えるところがなかったかと、恐れる気持ちはあります。告天子が真に望むことは、日本人民の正義・道徳感情と、天皇意志との合致であり、天皇を立てての権力的強圧に反対することにおいては、とうろうさんとそれほど意見が異なるものとは思っておりません。 「国民主権」の論は必然的に天皇廃位を導く性格を持つと思いますが、そうした「原理」からではなく、もっと情緒的なものとして天皇を理解すべきではないか、という思いが私のスタート地点です。なので、「国益だから公金を支出する意義がある」というような合理的な打算とは別個の意義を皇室に求めること、おそらく私の主張は、「合理的な制度論」とは離れたところに照準があるのだと思います。また、米国流の合理主義なら、「明確な効果の現れないところには支出もあり得ない」という話になるのかと思いますが、そのような「大統領制」には決してあり得ない精神性が、日本天皇にはあるのだと思います。 日本天皇「そのもの」に対する「攻撃」、はしなかったとうろうさんの論説には、敬意を表するものです。 こちらこそ、ありがとうございました。 |
ららっと・・・。 元投稿は、とうろうさんではなく相良さんだってのですね。失礼しました。 しかし、とうろうさんに対する私の感情もそれなりに出ているのではないのかと思うので、そのままにしておきます。 主権論、ということで言うならば、主権の所在は一つですから、「天皇主権」なのか、それとも「人民主権」なのかが厳しく問われるような対決的構図になるのは必然なのですが、こういうのはヨーロッパの歴史事実からの所産であり、アジア・日本の歴史にそのまま当てはまるような話ではないわけです。米人の思惑から、日本国の憲法には「国民主権」という主権概念が持ち込まれ、あたかもそれが君権と厳しく対立する、君権に対して死守されるべき「国民の権利」であるかのように位置づけられておるわけですが、 理想的に言うならば、「君民共治」こそが、日本の国体であって、単にゼニカネ・利害の話であれば、米国のような大統領制で結構という話でしょうが、大統領制に道徳性・精神性というものがあるかといえば、これは「ない」でしょう。求め得ないでしょう。 日本がそういう国体に変わっていくべきと言うのであれば、建国二百年の米国にも劣る「後進国家」としてのスタートとなり、これもまた情けない話です。「原理的に民主主義が素晴らしいのだ」といっても、日本という国家の重みをわきまえない、何とも軽い「原理的判断」でそういう選択をすることが、本当に国民感情に合致することなのか、日本という国のあるべき姿なのか、疑問とするところなのです。 そういう意味では、昨今流行の「国益」という言葉は、日本天皇の在り方とはあまり関係のない話のように思われます。「国益」は容易に「国家エゴ」に転化しうると思いますし、しかし、日本天皇の存在は「国益があるから」というような話ではなく、もっと情緒的な、国民感情、道徳感情に関係しての話ではないかと思っています。政教分離から「宗教感情」の方に過度に結びつける論調があるとは思いますが、そもそも「政教分離」自体がキリスト教の文脈から出た話ですので、「宗教一般」に拡大するのは論理としてはおかしいわけです。その辺りは、ヨーロッパの「政教分離」の歴史であるとか、法理を考えずに、安易に「絶対化された」政教分離を日本に適用するというのは、新しい「教条」でしかないわけでして、米人の作った神道指令〜日本国憲法の呪縛というのは、何とも深く、呪わしいものではあるかと思います。 |
▼告天子さん: 横レスごめんなさい。 >理想的に言うならば、「君民共治」こそが、日本の国体であって、 日本人の国民感情は、もはやそこまで、逆行はでいきないのではないでしょうか。 国体論なんか、いずれにせよ、作為であり、時代とともに移り変わりますね。「「君民共治」こそが、日本の国体」というのは、告天子さんの私的な郷愁ではあっても、もはや、日本国民も、そして平成天皇も、そんなことは望まないでしょうね。 >単にゼニカネ・利害の話であれば、米国のような大統領制で結構という話でしょうが、大統領制に道徳性・精神性というものがあるかといえば、これは「ない」でしょう。求め得ないでしょう。 日本については、粘りっこい議論をなさるのに、アメリカ論は、えらく淡泊ですね。もしも、告天子さんがアメリカ人だったら、おそらくブッシュさんに近い論を張られるのではないかと思うのですが・・ |
▼めだま君さん: >▼告天子さん: >横レスごめんなさい。 > >>理想的に言うならば、「君民共治」こそが、日本の国体であって、 >日本人の国民感情は、もはやそこまで、逆行はでいきないのではないでしょうか。 過去に君民共治の時代などありましたか?。過去に戻れなど、誰も申しておりません。 >国体論なんか、いずれにせよ、作為であり、時代とともに移り変わりますね。 時代により移り変わることと、筋道無視とは異なります。 >「「君民共治」こそが、日本の国体」というのは、告天子さんの私的な郷愁ではあっても、もはや、日本国民も、そして平成天皇も、そんなことは望まないでしょうね。 平成天皇とはまたものを知らない言い方ですね。わざとやっておられるのでしょうか。 君民共治というのは、君権と民権を対立的なものとして捉えず、そこに調和があることをこのように言うのです。郷愁は関係ありません。「日本国民も天皇陛下もそのようなこと(君民の協調)は望んでいない」など、それこそめだま君の「作為」の物言いでしょう。 > >>単にゼニカネ・利害の話であれば、米国のような大統領制で結構という話でしょうが、大統領制に道徳性・精神性というものがあるかといえば、これは「ない」でしょう。求め得ないでしょう。 >日本については、粘りっこい議論をなさるのに、アメリカ論は、えらく淡泊ですね。もしも、告天子さんがアメリカ人だったら、おそらくブッシュさんに近い論を張られるのではないかと思うのですが・・ 告天子はアメリカ人ではありませんし、ブッシュ大統領がどんな論を展開しているのかも存じません。米軍のテレビCMで、軍人を護国の神のように讃えるものを見たことがありますが、戦前の日本もああだったのであろうかと思った覚えはあります。 |
▼告天子さん: >君民共治というのは、 君治とは、なにですか? >君権と民権を対立的なものとして捉えず、 ここは、告天子さんと同じです。 >そこに調和があることをこのように言うのです。郷愁は関係ありません。 君権と民権は「調和」する? 理解できません!幻想では? |
▼めだま君さん: >▼告天子さん: > >>君民共治というのは、 >君治とは、なにですか? 読んで字の如しですが。めだま君の質問には前々から感じていたのですが、文脈を無視して単語について「Aとは何ですか」みたいな質問をされても迷惑に感じています。 > >>君権と民権を対立的なものとして捉えず、 >ここは、告天子さんと同じです。 以前の発言とは矛盾していますね。めだま君は、発言のたびに「同じだ」とか「違う」とか、言うことがまるで反対なので、ハッキリ言ってあなたの発言はおかしいです。先には、次のように話していましたね。 >>理想的に言うならば、「君民共治」こそが、日本の国体であって、 >日本人の国民感情は、もはやそこまで、逆行はでいきないのではないでしょうか。 国体論なんか、いずれにせよ、作為であり、時代とともに移り変わりますね。「「君民共治」こそが、日本の国体」というのは、告天子さんの私的な郷愁ではあっても、もはや、日本国民も、そして平成天皇も、そんなことは望まないでしょうね。 君民共治を過去の遺物、国民はそこまで逆行など出来ないかのごとく発言しながら、「告天子さんと同じです」もあったものではありません。率直に言って、話をしていて気持ち悪いです。 > >>そこに調和があることをこのように言うのです。郷愁は関係ありません。 >君権と民権は「調和」する? 理解できません!幻想では? 対立的なものとして捉えないことには「同じです」と言っておきながら、調和することについては理解できない、幻想ではというのは、あなたは言葉をもてあそんでいるだけなのではありませんか。それは前々から感じていたことです。 言葉をもてあそぶばかりではなく、あなたの一連の発言には何か暴力的・変態的な姿勢を感じます。「同じだ」と言っておいて、次には「違う」と断言して憚らないような、理屈の通らない発言を他人に向けて平然としているような姿勢には、付き合いかねます。非常に迷惑であるとともに、薄気味の悪いものを感じます。 |
▼告天子さん: >過去に君民共治の時代などありましたか?。 そういえば、明治の民権家たちは、「君民同治」を唱えてましたね。観念としては、ありましたね。 明治の民権家=告天子さん? |
(承前 纏め(4)) 最後に、私の主張を簡潔にお纏めいただいたかのように感ずるPCOGさんの先の投稿をお借りして、ここに勝手ですが、私の結論として、再掲させて頂きます。 PCOGさん、どうか、お許しください。 ***** 【41617】Re(1):天皇制について 3 PCOG - 05/1/24(月) 12:37 - 国家の組織形態・統治形態としての君主制を認めると言う事は、「人間は生れながらにして、その身分には上下がある。」と言う事を肯定する事になり、その事は取りも直さず、人種の差別、身分の差別、職業の貴賎、等の非人道的な差別概念を生み出す制度を容認する事になる。「人の上に人なく、人の下に人なし。」とする民主政治の平等主義は、本来君主制とはなじまないものである事を、吾人は認識する必要がある。 例えば、米国の白人優越主義の秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)の活動に見られるように、一部の白色人種の心の中に、今日でも強く根付いている有色人種に対する差別概念を払拭する為には、英国や日本等に前時代的な残滓として未だに現存する君主制を地球上から廃絶させる必要がある。 そもそも特定の家系に連なる人間を、ただその血筋ゆえに生まれながらに尊いと考えるような不合理を押し通す体制のもとでは、逆に特定の血縁集団に属する人間がその血筋ゆえに無条件に卑しいものとして差別され排除される結果になるのも当然の理である。日本に於ける同和問題の抜本的な解決も、君主制の廃止無くしては有り得ないと言う事である。叙勲における官尊民卑の等級差別や等級による人格差別、実力主義を阻む権威主義、等何れも亦然り。 更に、神道の祭主である天皇を日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定めた憲法の規定そのものが、政教分離の原則に反するものと言わざるを得ない。君主制は、日本における民主主義の成熟を阻害する要因であることに日本国民は覚醒するべきである。 誤解を招かない様に付言すると、以上の論述は、天皇と政治との分離の必要性を述べたものである。つまり、国民主権主義を謳った日本国憲法1条の立法趣旨に基づいて、国家の組織形態・統治形態を捉えて見た場合における、君主制(象徴天皇制)の否定であって、天皇並びに天皇家の否定ではない。吾人は日本国民として、条理上「君主制に基づく自由権侵害の桎梏から解放された天皇・皇族の人格、並びに文化としての天皇家の存在」を尊重すべきである事は、論を俟たない。 なお、女性の天皇や、天皇の自発的な退位を認める皇室典範改正の動きが見られるが、近代的民主主義思想の根底たる、自由及び幸福追求権をも含む個人人格尊厳の理念からも、人道的な見地からも、進歩的な思想の台頭であると評価出来る。「退位の自由・天皇制の廃止」をも含んだ進歩的な皇室論議が展開されることが期待される所以である。 (以下 纏め(5)完 に続く) |
(承前 纏め5 完) ここに、天皇・皇族を生涯に亘って、制約で雁字搦めの囲いの中に閉じ込めて自由を剥奪する事は、21世紀の今日に於いては正に人権(自由権)侵害そのものである。天皇・皇族の人権を守る為には、憲法を改正して、天皇・皇族に係る第一章の規定を全て削除する。天皇を政治から完全に縁を切って、宗教法人である神道(靖国神社)の祭主とすれば、慰霊は万全のものとなり、天皇・皇族の人権も保障される。総理が敢えて参拝する必要もなくなり、政教分離の原則も確立する。 即ち、憲法を改正して天皇・皇族に関する規定を外して、天皇・皇族と政治とを完全に分離する。天皇・皇族は文化的存在として残る。如かして、天皇家は国家予算(宮内庁関係予算約190億円)に依るのではなくて、宗教法人あるいは財団法人として、天皇家を支えたい人達が支えるのも一つの方策ではないかと思料される。 更には、菊の紋章をブランドにした株式会社を設立して市場に参入する方策も考えられる。ブランドイメージに基づく会社の発展が約束される事は必定である。勿論、天皇及び皇族の意思が最大限に尊重されるべきであることは当然である。 例示として、天皇・皇族が菊の紋章の清酒・製菓会社を設立して、代表取締役・取締役若しくは大株主になれば、信奉者の協力で事業は安定して、東証一部上場は間違いない。日本国民としての天皇・皇族の生活は経済的にも極めて安定したものとなり、21世紀の人類にとって一番大事な「自由」を満喫できる。彼等も人間としての最高の幸福感を味わうことが出来る。 因みに、現在の日本の国家組織形態は、象徴天皇制という独特の機構も認められているから、立憲君主制と議会共和制の妥協形態と捉えるのが妥当である。 *** 以上 纏め 完 お詫び 終りに当たって長々と掲示板の多くを占め、書き続けた身勝手をお許しください。 私としては、現今の風潮に関し、これだけは言いたいということを書かせて頂いた所存で、少しでも皆さんのご理解が得られればと思ったからです。 なお、今までに書いたことは別に事新しいことでなく、多くの識者の仰っていることを私なりに書いただけのこととも思っております。 どうも長い間失礼いたしました。 |
とうろう氏、渾身の力作でしょう。 ここの掲示板で、 いわゆる天皇制に体系的かつ論理的にアプローチを試み、 投稿された記事をみすみす過去ログにうずめさせてしまうのは、 なんとももったいない。 ひとつの現時点での結論でしょう。 なんとか別室を設けていつでも閲覧できるような、 特別の配慮を管理者に提案いたします。 でないと、一応の決着を見た話題がいつまたぶりかえすかわからない。 そういうときに引用が容易であれば多くの投稿者の利便となる。 いかがでしょうか? |
とうろうさん、沈黙の初夏さん、こんにちは。 とうろうさん、天皇制についての論考、完成おめでとうございます。 申し訳ないことに、つまみ食い程度にしか読んでいないのですが、 沈黙の初夏さんご提案のとおり、一つのテーマについて筋を通して 述べた内容を、何らかの形で「まとめ掲載」をしておく、「蓄積と して残す」のは、この掲示板にとっていいことだと思います。 そこで、管理人さんへの提案は、それはそれとしてお答えを待つと して、とりあえず、自主的にできることを考えてみました。簡単に いえば、まとめ用の新スレッドを立て、これまでの論考の URL を、 順番に、通して、貼っておくというやり方です。 ●「天皇制について(全)」などの名称で、新スレッドを立てる。 ●これまでの書き込みの URL を、順番に、一覧形式で、それぞれに 見出しを付けて、貼る。 ●見出しは、「その7(1)」などの番号は初出どおりとし、 できれば内容の要点を示すサブタイトルを添える。 ●「本スレッドはまとめ用スレッドにつき、書き込みはご遠慮願い ます」などと注記を添える。それでも書き込む人はいるかもしれ ませんが、それなりの抑制効果はあるだろうと思います。 ──まず以上を、とりあえずやっておきます。 次に、たぶん一ヵ月かもう少し後に、とうろうさんのこれまでの 書き込みが、全部過去ログに落ちた時点で、「天皇制について (全、過去ログ)」などの名称で、あらためて新スレッドを立てて、 上の URL すべてを過去ログのものに書き換えて、やはり、順番に、 一覧形式で貼っておきます。 ここまでやっておけば、その「天皇制について(全、過去ログ)」 スレッド自体が過去ログ落ちしても、必要なとき、その過去ログ スレッドを参照すれば、とうろうさんのこれまでの書き込みを、 一つひとつ検索することなく、すべて通して読めるようになる はずです。 若干手間は手間ですが、基本的に単純作業ですし、根気よくやれば、 時間も案外それほどはかからないのではないかと思います。 以上、一つのアイデアとして述べました。 何らかのご参考になれば幸いです。 |
▼沈黙の初夏さん&北の老兵さん&ぎみゆらさん:こんばんは。 沈黙の初夏さん:お久し振り?です。 弊論が体系的、論理的で、あの反論が意味をなさないものと、お感じ頂きレスをお立て頂いた事、誠に心強く嬉しく思いました。有難うございました。 感謝申し上げます。 北の老兵さん:はじめまして。 上の沈黙の初夏さんのレスを支持する形で弊意をお支え?下さり、有難うございました。ここにお礼申し上げます。 心強く感じた次第です。 沈黙の初夏さん&ぎみゆらさん: 「掲示板の価値」、過大評価とも言うべき事ですが、私はご両所の意見に接し、お分かりいただいた方がおられた事に感激し、嬉しく思いました。時間と労力を掛けた(勿論、自分の為なのですが)甲斐があったと思いました。 「掲示板の価値」は、個々の方のいわば真摯な意見表明にあると私は考えていますが、今の世のネット社会においては、いつか申しましたように、ネット上の意見など「且つ消え且つ結びて久しく止まることなし」で良いのではないでしょうか。 勿論、私としては、相応に時間を掛け、懸命に作った論ではありますが、それは私個人の論であり、老人党掲示板の論ではないのです。それを、あたかも掲示板の論の如く扱うのはおかしいのではないでしょうか。 その意味で、ご両所のご意見、細部では異なると思いますし、究極的には管理人さんに任せると仰っておりますが、私は、管理人さんに、ある「個の意見」を掲示板の意見の如くに、というのは、少し酷のような気がしますので、 ご両所には、感謝ともども、私の意見を述べさせていただきました。 しかし、有難うございました。 |