Page 2369 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼PCは知性の増幅器? 珍 源斎 05/2/1(火) 13:45 ┗Re(1):PCは知性の増幅器? 珍 源斎 05/2/2(水) 13:15 ┗道具の領域を超えるのか。 退役軍人@欧州出張中 05/2/2(水) 15:35 ┗Re(1):道具の領域を超えるのか。 珍 源斎 05/2/2(水) 19:02 ┗道具の高度化に支えられてきたOS 退役軍人@東京 05/2/5(土) 11:30 ┗Re(1):デジットな処理を超えたパターン処理 珍 源斎 05/2/5(土) 18:15 ┗実用化されているパターン認識処理 退役軍人@東京 05/2/6(日) 15:13 ─────────────────────────────────────── ■題名 : PCは知性の増幅器? ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/2/1(火) 13:45 -------------------------------------------------------------------------
電子計算機の誕生はアメリカの軍事技術の一貫として 大陸間弾道弾の弾道計算のために当時は半導体は未だ 出現する前でしたので真空管を用いた大がかりな ハードウエアーとして開発されてましたが・・、 その後、半導体の出現によりコンパクトになった電子計算機 を汎用に使うアイデアがパソコンの生みの親と云われた アラン・カーチス・ケイ博士のアイデアから「知性の増幅器」 とした現在のパーソナルコンピューターが誕生した経過があったとのこと、・・ そしてPCパソコンが利用される主目的は「知性の増幅器」と しての利用方法として第一に考えておられたとのことでしたが、 その後、パソコンの利用が広汎になるにつれて「知性の増幅器」 としての目的から離れて、その機能が失われて行くことから、・・ 改めて初期のアイデアであった「知性の増幅器」としての 概念に基づいた新しい創造性を活賦させるパソコンの開発に 努力されてるとのこと、それは利用者が容易に自前の OSやプログラムが創造できること、現在の我々が利用してる パソコンのように受け身の形でなく「OSに支配?されない」 知性を高める作用が発揮されるものが具体化されつつあるとのこと 如何様なものが現れるのか興味深いものがあります。 どなたか・関連した情報をお持ちでしたらお教え頂ければ 幸いです・・・。 |
現在のパソコンの性能は黎明期のパソコンに比較し 圧倒的な高速性、と記憶量の増大、小型低価格化等々 黎明期のそれを知る人にとっては、正に革命的な進歩を 遂げてます・・。 しかしながら、パソコンの産みの親と称されるアラン・・レイ 博士の当初の目的とする人間の「知性を増幅」させるとする 方向に必ずしも一致しない面の指摘もありますが、 高速・通信機能、情報伝達の文字、音声、映像を包括した機能の 超拡大とSF的とも「なぞらえる」今日的な発展は予測を 大きく超えたものとして捉えれます。 莫大な記憶量とそれを瞬時に検索する機能は人間の脳細胞が 担ってきた仕事量の負担と時間的な制約を大幅に減じてきた 機能の効果と効用については高く評価される処です。 「知性の増幅」とは行かないまでも・・意識の増幅作用は 情報の伝達作用と並んで、良しにツケ、悪しきにツケて あるのではないかと思います。悪しき例としては犯罪の 高度化・電子化?も困った形の発展例です。 良い例としては筋力から動力への産業革命に「なぞらえ」れば これ又、人間の脳力を格段に高めてることは間違いなく 革命と云われるレベルに達してます。 この上は、人間で云われてる「IQ]知能指数を超えた「EQ] 情緒性、創造性も加えた判断力の増幅を人類にもたらす 脳力をもつパソコン・またまたSF的なことになって しまいますが実現不可能ではない・・と・想う処です。 |
珍 源斎さん、おはようございます。 人間の思考には、層があると思うのです。 認識→事象の体系化→思考→結論 層状を成す部分を行きつ戻りつしながら結論を探しているのかなぁ、なんて思ってます。 この中でPCが持つ優れた特性を生かせる部分は限られているとも。 どんなに優れたハードウェアとソフトウェアを持つPCでも、発揮できる能力は【使う人の能力】を上回ることはないという現実があります。 PCやひいてはインターネットが単なる道具である証左でもあろうかと。 知性の増幅器となれるかは、使う人が決めるのだと思います。 本来、人が行うべき「思考」や「結論」さらには、人だけが行いうる「推論の構築」にまでPCがその能力をもって関与するようになれば、逆に危険であるとも思います。 道具は道具であって、それ以上でもなければ、それ以下でもない、というのが健全かと。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん こんにちわ! 早速のレス有り難うございます。 道具の領域を超えるのか? がスレッドを立てさせて頂いた事の主眼であったように思います。 >人間の思考には、層があると思うのです。 その層も単層の累積されたものでなく、多元的・多次元的な位相も 加わった層が形成されてると思います。 >認識→事象の体系化→思考→結論 個人的・集団的な経験則も認識から結論に至る過程の中で 大きな要素となります。 新生児「赤ちゃん」は生まれたばかりには目は見えても ものは見えない期間があり、授乳する母親の顔の識別から始まり 一つ一つ色々なものの識別能力を積み上げることにより・ ものが見えるようになるとのこと・・・ PC的に云えば段階的経験則を積み上げつつ高度化するOSを 獲得して行くことになぞらえるようにも思われます。 善悪の判断力もその個人個人について初期段階での「すり込み」が 大きく影響してくることは肯定的にみられてる処です。 その「すり込み」にあたる部分がPC的に云えばOSに例えられる 部分ではないか・・と思う処です。 >どんなに優れたハードウェアとソフトウェアを持つPCでも、発揮できる能力は【使う人の能力】を上回ることはないという現実があります。 > >PCやひいてはインターネットが単なる道具である証左でもあろうかと。 現在の汎用的なPCの使われ方ではこの辺りが限界のようにも思われますが PCの持つ情報の集積量と膨大な記憶量と瞬時に検索可能な能力は 想像の及ばない能力を秘めてます。 国家の運営にも大きな影響を及ぼすインテリジェンスにも現有の PCの延長にあるスーパーPCが利用されてますのはご存じかと 思います。「エシュロン・システム」 >本来、人が行うべき「思考」や「結論」さらには、人だけが行いうる「推論の構築」にまでPCがその能力をもって関与するようになれば、逆に危険であるとも思います。 既にPCはその意味では危険な道具としての機能は併せ持つに至ってます。 >道具は道具であって、それ以上でもなければ、それ以下でもない、というのが健全かと。 そうですね! 私もそのように思いますが、その上で彼のパソコンの産みの親と 云われるケイ博士の想いと理想に共感を覚える次第です。 ありがとうございました。 |
珍 源斎さん、こんにちは。 レスが遅くなり失礼いたしました。 道半ばですが、とりあえず東京まで帰ってきましたので、お返事を。 ▼珍 源斎さん: >▼退役軍人さん こんにちわ! >早速のレス有り難うございます。 > >道具の領域を超えるのか? >がスレッドを立てさせて頂いた事の主眼であったように思います。 ですよね、私もそう思いました。 >その層も単層の累積されたものでなく、多元的・多次元的な位相も >加わった層が形成されてると思います。 煎じ詰めると、「快」か「不快」あるいは「好き」か「嫌い」だったりするところが、人の愛すべきところでもあるし、人の愚かしさなのかも知れませんねぇ。 >PC的に云えば段階的経験則を積み上げつつ高度化するOSを >獲得して行くことになぞらえるようにも思われます。 ====失礼中略==== >その「すり込み」にあたる部分がPC的に云えばOSに例えられる >部分ではないか・・と思う処です。 私は少し違う考え方を持っています。 私は通信関連の技師でコンピュータ技師ではありませんけれど、OSは単なる仲介者、言ってみれば「翻訳」を司る部分だと思っています。 マンマシンインターフェイスを司る「脇役」でしかないと考えています。 例えば、GLSIというデバイス一つ見ても、実際の処理はバイナリ「0 or 1」で行われていますが、FPGAという仕組みが開発されて、そのバイナリ処理の部分でさえ固定されたものではなく、後から書き換えて論理処理を変更することが可能になりました。 つまりハードウェアそのものの仕組みさえ固定されたものではなくなってきたということです。 ハード→ハードを制御するファームウェア→他のデバイスとの通信を司るミドルウェア→アプリケーションと層状に重なっていた処理体系に、FPGAという新顔がハードウェアとファームウェアの間に登場してきたということです。 新しい技術といっても登場してからもうすぐ十年になりますが、高価格と現時点では民生品に要求されている能力ではありませんので一般にはなじみが薄いと思います。 ただ、基幹通信ネットワークの交換機やネットワークコントローラーに多用されていて、皆さんの電話やネットアクセスを支えているといっても良いと思います。 そのうち近い将来に誰もが手にできる民生品に登場するかも知れません。 >現在の汎用的なPCの使われ方ではこの辺りが限界のようにも思われますが >PCの持つ情報の集積量と膨大な記憶量と瞬時に検索可能な能力は >想像の及ばない能力を秘めてます。 Win3.1からWin95さらにはWin98,NTの進化版Win2000Pro,98の焼き直し版であるMEから、現在のWin-XPまでのOS進化の過程で、OSの規模はどんどん大きく複雑になってきましたけれど、これはハードウェアの進化に依存してきたと言えると思います。 OSの基本的なアーキテクチャはほとんど変わっていないとも。 つまり処理工程が飛躍的に増えて肥大化したOSは、MPUの高速化や周辺デバイスの大容量化、さらにはCバスの高速化などに支えられているに過ぎないということです。 未だに、信頼性に疑問を抱えたままであるという現実も存在します。 高信頼回線を監視制御するシステムにはWindowsはほとんど使われていません。 UNIXを使用するEWS(エンジニァリング・ワークステーション)しか使い物にならない現実があります。 処理能力の限界もありますが、信頼性という観点から選択されていると思います。 >国家の運営にも大きな影響を及ぼすインテリジェンスにも現有の >PCの延長にあるスーパーPCが利用されてますのはご存じかと >思います。「エシュロン・システム」 ちょっと違うと考えていますが、詳細は語れません。 ごめんなさい、申し訳ない。 >既にPCはその意味では危険な道具としての機能は併せ持つに至ってます。 確かにそうかも知れませんが、道具自体に倫理も法もありません。 扱う人間が危険かそうでないかを決めると思いますよ。 包丁を人殺しの道具として使うか、それとも美味しい料理を作って食べる人に幸福感を与えるか、決めるのは「包丁を握る人」ですから。 >ありがとうございました。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人@東京さん: こんにちわ! レス有難うございます。 諸々の点で表現や認識の異なることがありますが、今・それらへの拘りは 避けましょう・・。 >>道具の領域を超えるのか? >>がスレッドを立てさせて頂いた事の主眼であったように思います。 しかしながら道具の限界さえ超える兆候も既に存在してます。 前回でも触れましたが、筋力が動力に置き替われることにより 産業革命に及んだこと以上の現象が半導体の発明開発を切り口にして 現に進行中してることは紛れもない現実です。 さて、人間の脳の力の内、記憶、検索、諸々の計算の部分では既に人間の 能力を超えるか、せまるものも現実には存在しますが・・、 スーパーコンピューターでさえ人間の脳に及ばないことがあります。 脳もコンピューターも基本的には1/0(1+1)の計算を超スピードで こなしてると云われてますが、 脳の凄いところは一千億個の素子が単なるメモリーでなく同時、いっせいに 計算に関わってることと、一個、一個が独立した記憶素子でなくパターンとして 記憶が重畳されており、それが瞬時に入れ換えが出来ること・・・ 絶えずフイードバックが機能して行動の修正が及ぶことも挙げねばなりません。 プロ野球選手の捕球美技やフアインプレーもその能力の現れとみれば理解 できる処でないでしょうか・・。 そのような運動などの物理的な側面の他に好き嫌いや快感や不快など 感情的な側面へもコンピューター的に迫りうること、最早SF世界のようで 今は私にとって想像の彼方でしかありません。 >私は通信関連の技師でコンピュータ技師ではありませんけれど、OSは単なる仲介者、言ってみれば「翻訳」を司る部分だと思っています。 ↑少し捉えられてることが異なるようです。 私の考え述べさせて頂いてるOSは文字通りオペレーションシステムの ことで「PC的な例え」としての意味で人々の個性や思考傾向、思考力に 関わる部分はその例えに通じるように思えます。 階層型ニューラルネットワーク「生物の神経回路網」を単純に模倣して計算を 行えば、どんなことが出来るのか・? ソフトも記憶装置も不要で単に神経伝達素子シナプス荷重をチューニングすることにより機能が成立する・? 人工頭脳を開発する最前線では想像も出来ないほどの広範で奥深い研究が されてること・が朧気「おぼろげ」ながら伝え聞くところです。 どうもスレッドを通しての議論には適さないようでしたね・。 ご許容のほど。 de 珍 源斎 |
珍 源斎さん、こんにちは。 ▼珍 源斎さん: >▼退役軍人@東京さん: >こんにちわ! レス有難うございます。 > >諸々の点で表現や認識の異なることがありますが、今・それらへの拘りは >避けましょう・・。 そうですね、私はPCというより通信に関わる広義での演算処理装置に関わる技師ですので、見方というか立っている場所が違うのだと思います。 >しかしながら道具の限界さえ超える兆候も既に存在してます。 >前回でも触れましたが、筋力が動力に置き替われることにより >産業革命に及んだこと以上の現象が半導体の発明開発を切り口にして >現に進行中してることは紛れもない現実です。 開発された技術が社会の変化や、構造に与える影響は限定的なものだと考えています。 ここが、考え方の基点の違いなんでしょうね。 携帯の普及による生活環境の変化は、通信のインフラが第一世代のP to P(プレース ツウ プレース)から、第二世代のP' to P'(パーソン ツウ パーソン)に道具としての下への階層進化が進んだだけで、対話という基本は人と人ですからなんの変化もありません。 その場所にあるものを使わなければならないか、あるいはその人が持ち歩いているもので足りるかの差異しかありません。 メールが送れたり、ネットが見れたりするのはそういったアプリケーションを小さな携帯電話機で動かすことを可能にしたハード技術の進化によるもので、いってみれば「おまけ」の部分であると思っています。 >人工頭脳を開発する最前線では想像も出来ないほどの広範で奥深い研究が >されてること・が朧気「おぼろげ」ながら伝え聞くところです。 大量のデーターを送る大規模長距離回線、例えば海底ケーブルなどでは媒体(光)とその媒体を運ぶ光ファイバケーブルの物理的特性から、どうしてもエラーが出てしまいます。これはマイクロ波を使った衛星通信でも同じです。媒体(電波)と媒体を運ぶ空間(大気圏、宇宙空間)の物理的特性から逃れられないということです。 そこで送られ受け取る信号をパターン化して認識しエラーを訂正する仕組みが実用化されています。(といっても実用化されてから随分と経ちますが) FEC(フォワーデッド・エラー・コレクション)という仕組みですけれど、これは一番上層にあるアプリケーションに過ぎず、その下にある階層では最終的にバイナリの処理が成されていて、高速で大きな規模の処理がハードウェアの進化で可能になり、実用化されているだけのこと。 エイマックでしたっけ、真空管式の初代電算機から基本的なアーキテクチャはなんの変わりもないと思います。 手で投入していたスイッチには普通ONとOFFしかありませんよね、このスイッチ操作を真空管に置き換え、それが半導体になり、進化し続けているだけのことだと捉えています。 複雑な計算が求められる我々の世界でも、計算尺と手動の回転式計算機で特殊なチャート(対数チャートなどのグラフ用紙)を用いて計算していた時代から、 関数電卓(今も常に持ち歩いて使ってます)の登場で進化し、現在は専用のソフトウェアを使い、現場でノートパソコンでやれる時代になりました。 ご指摘のように、そういった道具としてのアーキテクチャの根本を覆す研究が成されていることは、知っています。 しかし、誰が使うのかと考えれば仮に登場したとしても社会の変化や社会構造に与える変化は限定的なものであると楽観視しています。 >どうもスレッドを通しての議論には適さないようでしたね・。 >ご許容のほど。 de 珍 源斎 いえいえ、こちらこそ失礼いたしました。 違う観点からの見方に触れて、短いながらとても楽しかった。 ありがとうございました。 |