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 ▼老人党って? (3)  トビパパ 05/2/3(木) 17:57
   ┣Re(1):老人党って? (3)  トビパパ 05/2/3(木) 18:34
   ┃  ┣Re(2):老人党って? (3)  告天子 05/2/3(木) 19:21
   ┃  ┗Re(2):老人党って? (3)  トビパパ 05/2/4(金) 17:52
   ┃     ┣Re(3):老人党って? (3)  トビパパ 05/2/5(土) 15:24
   ┃     ┣Re(3):老人党って? (3)  トビパパ 05/2/5(土) 15:30
   ┃     ┃  ┣現代でも内村を非難する  告天子 05/2/6(日) 12:04
   ┃     ┃  ┗どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/6(日) 12:07
   ┃     ┃     ┣Re(1):どんな、何に対する寛容かが問題  めだま君 05/2/6(日) 12:24
   ┃     ┃     ┗Re(1):どんな、何に対する寛容かが問題  トビパパ 05/2/7(月) 15:34
   ┃     ┃        ┣Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  トビパパ 05/2/7(月) 16:26
   ┃     ┃        ┣Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/7(月) 19:24
   ┃     ┃        ┣Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/7(月) 19:26
   ┃     ┃        ┃  ┗Re(3):どんな、何に対する寛容かが問題  トビパパ 05/2/8(火) 18:10
   ┃     ┃        ┃     ┗Re(4):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/8(火) 20:35
   ┃     ┃        ┃        ┣Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  めだま君 05/2/8(火) 21:39
   ┃     ┃        ┃        ┃  ┗Re(6):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/8(火) 23:08
   ┃     ┃        ┃        ┃     ┗Re(7):どんな、何に対する寛容かが問題  めだま君 05/2/8(火) 23:40
   ┃     ┃        ┃        ┣Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  トビパパ 05/2/9(水) 18:32
   ┃     ┃        ┃        ┃  ┗Re(6):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/9(水) 19:26
   ┃     ┃        ┃        ┗Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  トビパパ 05/2/9(水) 18:50
   ┃     ┃        ┗Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  告天子 05/2/7(月) 20:19
   ┃     ┣Re(3):老人党って? (3)  トビパパ 05/2/5(土) 15:52
   ┃     ┃  ┗Re(4):老人党って? (3)  めだま君 05/2/5(土) 21:09
   ┃     ┃     ┗ちょっと違うと思いますよ。  退役軍人@東京 05/2/6(日) 14:17
   ┃     ┃        ┗安心しました。  めだま君 05/2/6(日) 22:07
   ┃     ┃           ┗Re(1):安心しました。  相良唯夫 05/2/6(日) 23:33
   ┃     ┃              ┣Re(2):安心しました。  めだま君 05/2/6(日) 23:52
   ┃     ┃              ┗プラシーボ  めだま君 05/2/7(月) 17:14
   ┃     ┃                 ┗Re(1):プラシーボ  よりみち 05/2/8(火) 23:38
   ┃     ┃                    ┣Re(2):プラシーボ  めだま君 05/2/9(水) 1:04
   ┃     ┃                    ┗Re(2):プラシーボ  相良唯夫 05/2/9(水) 8:52
   ┃     ┗戦争責任追及の好戦性  告天子 05/2/6(日) 12:01
   ┃        ┗何と醜い「日本土着の体質」  めだま君 05/2/7(月) 22:09
   ┃           ┣ご注意>めだま君さん  管理スタッフ 05/2/8(火) 19:59
   ┃           ┗Re(1):迷惑発言への抗議  告天子 05/2/8(火) 20:54
   ┃              ┗Re(2):迷惑発言への抗議  めだま君 05/2/8(火) 21:23
   ┃                 ┗Re(3):迷惑発言への抗議  告天子 05/2/8(火) 22:52
   ┃                    ┗Re(4):迷惑発言への抗議  めだま君 05/2/8(火) 23:06
   ┃                       ┗Re(5):迷惑発言への抗議  告天子 05/2/8(火) 23:17
   ┃                          ┗見かねて申し上げますが。  英 05/2/9(水) 0:10
   ┃                             ┣Re(1):見かねて申し上げますが。  めだま君 05/2/9(水) 0:26
   ┃                             ┗Re(1):見かねて申し上げますが。  告天子 05/2/9(水) 0:26
   ┃                                ┗愚生からも  ニッチモサッチモ 05/2/9(水) 2:57
   ┃                                   ┗お願いです。  退役軍人 05/2/9(水) 4:00
   ┃                                      ┣Re(1):お願いです。  めだま君 05/2/9(水) 9:43
   ┃                                      ┗Re(1):了解しました  告天子 05/2/9(水) 13:38
   ┃                                         ┗信教自由は対外政策的配慮  めだま君 05/2/9(水) 14:07
   ┃                                            ┗ネット社会の混沌  ステディ ベア 05/2/9(水) 16:37
   ┃                                               ┗Re(1):ネット社会の混沌  めだま君 05/2/9(水) 18:47
   ┗Re(1):老人党って? (3)  告天子 05/2/3(木) 19:09

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 老人党って? (3)
 ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>
 ■日付 : 05/2/3(木) 17:57
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   告天子さん、

いつかはやって来るとは期待していましたが、一気にこれほど
多量に来るとは、ちと予想外でしたね。ぼくが立てたわけじゃ
ない「老人党って」と題したスレッドを、まさか2度もぼくが
更新するとは思っていませんでした。

それじゃ、とりあえずはステディベアさんも関心を寄せられて
いた個所から見てみることにしましょうか。

>>哀しいかな私たち日本人は、基本的人権を勝ち取るために
>>戦った歴史をもちません。

>基本的人権は、占領軍がもたらしたものですからね・・・。
>それはともかくとして、国会設立のために、日本の民権運動家
>も苛烈な闘争をしておりますよ。もちろん、明治の民権家は
>尊皇家であります。「基本的人権を勝ち取るために戦った歴史
>がない」というのは、すこしく日本人の歴史を誤解しているの
>ではないかと思います。

細かいことを論じるなら、この個所だけでもいろいろな問題が
あるようですが、オリジナルのぼくの論旨に従って反論するなら、
日本史の中で理論あるいは思想としての民権があったとしても、
それが民衆の中にしかと根づくような形で発展しなかったことを
指摘したつもりです。そして、その大きな原因に天皇制があった
というのが、ぼくだけでなく、おそらく多くの歴史家・思想家に
共通の歴史観じゃないでしょうか。

三木清はハイデルベルク大学に学んでいた頃、地元紙に寄稿し、
日本における学問自立の妨げとなっている原因の一つとしての
天皇制を論じています。天皇制のもとに、学問の自由が奪われ、
優秀な学者の社会的地位ばかりか言論の自由や命そのものまで
奪われた歴史を反省すれば、若き日の三木清の着眼の正しさが
証明されるでしょう。

民権という名の一つの学問(思想)が民衆に根づくためには、
それなりの教育が必要だったはずです。しかし、明治から
太平洋戦争にかけての日本政府が国民教育で行なったことは、
反民権主義とも呼ぶべきものでした。それに反発する人も
けっして少なくはなかったでしょう。しかし、圧倒的な権力
の支配下にあって、多くの人々はあきらめるしかなかった。
やはり天皇制の犯した罪は大きいのです。

このスレッドは、君が代の話から発展してきたものですが、今も
多くの日本人の中に残っている天皇制には反省すべきことが多い
にもかかわらず、それに無関心のままに天皇を情緒的に慕う人
の目立つ現状は、日本の歴史と伝統にとって非常に問題だと
ぼくは思うのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党って? (3)  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/3(木) 18:34  -------------------------------------------------------------------------
   告天子さんへの反論をつづけます。

>>象徴天皇という憲法の天皇観は、本来、天皇制を法的に明示する
>>ような解釈が許されないはずです。
>
>本来、以降の部分はどういうことでしょうか。いわゆる天皇制なら
>ば日本国憲法で明示されていると思いますが、それとは違う意味で
>のお話でしょうか。

その種の憲法解釈は問題ですね。日本国憲法には天皇制は明示されて
いませんよ。いわゆる象徴天皇とは天皇制を認めるものではありません。
天皇制とは天皇を元首とするわけですよね。日本国憲法は天皇を元首
とはしません。よって、憲法上、日本国に天皇制は存在しないことに
なるのです。

ほとんどの外国人は、日本の元首が天皇であると勘違いしているよう
ではあります。それゆえに日本人の戦争責任意識が問題視されるわけ
です。戦争犯罪人の昭和天皇を相変わらず元首としていた国は、
非常に不可解だという話になるのでしょう。

ぼくは今、告天子さんへの返事を一気呵成に書くことができない状況
にあります。で、少しずつ書いていくつもりです。散歩の時間には、
このスレッドの内容を優先して考えながら歩くことにします。

途中で反論なさってもよろしいですが、返事がすぐにできるとは限ら
ないことはご理解ください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党って? (3)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/3(木) 19:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:
>告天子さんへの反論をつづけます。
>
>>>象徴天皇という憲法の天皇観は、本来、天皇制を法的に明示する
>>>ような解釈が許されないはずです。
>>
>>本来、以降の部分はどういうことでしょうか。いわゆる天皇制なら
>>ば日本国憲法で明示されていると思いますが、それとは違う意味で
>>のお話でしょうか。
>
>その種の憲法解釈は問題ですね。日本国憲法には天皇制は明示されて
>いませんよ。

あ、なるほど、日本国憲法に記されている天皇条項とかではなく、もっと別のものを「天皇制」という言葉で考えておられたわけですね。分かりました。

>いわゆる象徴天皇とは天皇制を認めるものではありません。
>天皇制とは天皇を元首とするわけですよね。日本国憲法は天皇を元首
>とはしません。よって、憲法上、日本国に天皇制は存在しないことに
>なるのです。

現在の国制にしても、「国政に関する権能」はないにしろ、天皇は「元首」ではないかと僕は思うのですが・・・。戦前にしても、「元首だったから」ということで無限の権能を持つような国家機関ではなかったわけで、まあそれはそうとして、戦前の体制の「何が問題だったか」ということは確かに残るでしょうね。

私はむしろ、こなれない形での民主化の進行が、「天皇制」の・・・「戦前体制の」問題の核心ではないかと思っているのですが。でも、その辺りはあまり単純化すべきではないのかもしれません。


>ほとんどの外国人は、日本の元首が天皇であると勘違いしているよう
>ではあります。それゆえに日本人の戦争責任意識が問題視されるわけ
>です。戦争犯罪人の昭和天皇を相変わらず元首としていた国は、
>非常に不可解だという話になるのでしょう。

やはり、何故戦後の被害生々しい日本で、しかも、外国軍に占領された日本で、なお「天皇が絶大な支持を国民から受けた」のは、これは外国人には分からないことだと思います。この「日本人の天皇支持」を、強力に論理化することが、これからの憲法論議では必要になってくるのではないかと思っています。

>
>ぼくは今、告天子さんへの返事を一気呵成に書くことができない状況
>にあります。で、少しずつ書いていくつもりです。散歩の時間には、
>このスレッドの内容を優先して考えながら歩くことにします。
>
>途中で反論なさってもよろしいですが、返事がすぐにできるとは限ら
>ないことはご理解ください。

反論、というよりもこちらの思っていることなど雑然と書いたような形になりました。こちらも返事がどうとか論争だとか、こだわる気持ちはありませんので、気が向いたときにでもお話しできたら、位でよろしくお願いします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):老人党って? (3)  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/4(金) 17:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

>>まさに、そういう天皇観こそが戦争責任を追及されるべき
>>ではなかったのでしょうか。
>
>これは、架空の天皇観に基づいて戦争責任を追及する、また、
>一般的な(法によらざる・超法規的な)戦争責任追及なのか、
>法に基づいた戦争責任なのか、また、いかなる事実関係による
>戦争責任か、その「責任」の追及は当時の戦勝国の指導者や
>宗教指導者に対して公平に向けられるものなのか、「特に
>日本天皇に対してのみ」向けられるべきものなのかも問われ
>るべきでしょう。

もちろんぼくも戦争責任問題は、一元的には論じられないと
思ってます。このスレッドでは、君が代を国歌と認めることに
何の疑問も感じてないらしい人々(具体的には、枯葉さんや
ステディベアさん)の存在に、今も残る日本人の内なる天皇制
なるものを問題視したというのが、ぼくのおしゃべりの動機で
あったわけです。

なぜ、「老人党って?」という題名になっているかといえば、
もともとは枯葉さんの不満、すなわち、この老人党掲示板で
君が代をテーマに「右派と左派」が激しく討論している様子を
見るのがいやだという不満から始まったのですね。その時点では、
ぼくはまだこの問題で議論に加わってはいなかったのですが、
こういうテーマは非常に老人党的であると思っていたわけです。
そして、やはりこの話を掘り下げていけば、どうしても天皇制に
ぶつかるわけで、その先には戦争責任の問題が今も未解決の
ままに腰を落ち着けているのです。

こういう流れで戦争責任を考えるとき、ぼくは日本人の心の内に
ある天皇制というものを問題にするしかないわけですが、それは
世に言う「一億総懺悔」的な議論とは全く別の次元の話をしようと
しているのです。ただ、ぼくは天皇自身の戦争責任は取りあえずは
保留したままに話をつづけようとしていたことは確かです。

天皇制に感化された人々の戦争責任、そして、そういう国民を
つくりあげた教育制度やマスコミなどの戦争責任を問題視しながら
おしゃべりしようとしていたのです。なぜなら、現在の日本の状況
を見るに、天皇自身の存在よりも、国民とメディアという日本文化
の担い手にこそ重大な欠陥があると思うからです。

(つづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):老人党って? (3)  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/5(土) 15:24  -------------------------------------------------------------------------
   つづき その1

日本人の*戦わない*体質は、今も残る日本人の特性のような気がします。もっとも、治安維持法や特高警察のような物騒なものがあっちゃあ、普通の人は戦う気力がなくなってしまうものでしょうから、*戦わない*と決めつけちゃあ当時の人には少し酷でしょうが。

それでもやはり日本人には、西洋人と比べて、ある独特のムードがあると思いますね。こんなところで西洋を引っ張り出すと、日本伝統文化とか和魂とかに思い入れのある方々から、何を言う日本人が西洋人のようになってたまるかという苦情の1つや2つは出てくるのでしょうね。

ただ、日本人に見られるオカミに弱い体質は、規則に弱い体質と含めて、特筆すべき個性だと思います。この意味で、日本の伝統は根強く生き残っていると言えますから、日本人が見失ったものを探して、君が代やつくる会などに安息を感じる方々は、それほど心配なさらなくてよろしいかと思うのであります。

このスレッドのような話題を考えると、ぼくは、オカミに弱い日本人の体質が、天皇という現人神への信仰心と無関係ではないように思えるのです。信仰心と言うと、現在では少し大げさに聞こえるかもしれませんが、日本人の宗教心というものは、元来、聖典をもたない漠然とした情緒的なものであって、無神論を唱える人にさえ同質の宗教心が潜在しているように思えることもあります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):老人党って? (3)  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/5(土) 15:30  -------------------------------------------------------------------------
   つづき その2

このような問題意識をもって、たとえば内村鑑三の不敬事件を振り返ると、現在にも通じる教訓を学べるような気がします。

当時、内村の周辺にいた日本人の姿に、現在の日本人にも見られる権力追従型の精神を発見するのです。明治憲法が規定した天皇の絶対的な神性を、キリスト者の内村が認められなかったのは当然のことです。一高教師である前に、彼はキリスト者でありました。教育勅語の前で頭を下げなかったのは、彼がおのれの信ずるものに対して忠実であったからです。それを最初に認めなかったのが、当時の一高の生徒たちであり教師たちでした。父兄もその場にいたとすれば、同様の非難を内村に向けたでしょう。

一高生徒という前途有望なる少年たちの教育の重大さを自覚していた内村は、自宅を生徒たちとの交流の場として開放していました。その生徒たちの中に、不敬事件に腹を立て、内村の家に向かって石を投げた者までいたことは、記憶にとどめるべきでしょう。なぜなら、日本人の精神は、今もほとんど変わらないからです。

一高という学校内で起きた騒ぎは、すぐにマスコミに取り上げられ全国に知れ渡ります。と同時に、仏教諸派の機関紙もこれを宣伝しました。このようにして、キリスト者としての内村個人の問題は、日本の国体に対するキリスト教の問題、つまり、国家主義・全体主義的な問題として全国に波及したのです。

国家権力の前には、個人の信教の自由ばかりか、言論の自由さえも失われるという大前提は、戦後日本の新憲法の存在にもかかわらず、今も日本人の精神の中に残っているように感じるのは、ぼくの錯覚でしょうか。表面的には、皆さんはだいぶ寛容になったようには見えます。しかし、問題は、国家の非常事態におていても、その寛容さが保持されるかどうかです。このあたりのことが、すでにだいぶ怪しくなっているようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 現代でも内村を非難する  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/6(日) 12:04  -------------------------------------------------------------------------
   >当時、内村の周辺にいた日本人の姿に、現在の日本人にも見られる権力追従型の精神を発見するのです。明治憲法が規定した天皇の絶対的な神性を、キリスト者の内村が認められなかったのは当然のことです。

内村鑑三がどのような文脈で「不敬事件」を起こしたかは別として、教育勅語や帝国憲法に「天皇の絶対的な神性」ということを見出すのは無理があるのではないかと思いますね。自分がキリスト者であるからということで不敬が許される、ということにはならないと思います。頭を下げない内村は頑迷だとは思います。「信仰があるから立派だ」みたいな取り方とは別に、頑迷さのはた迷惑、というのも考えられるべきかと思いますね。

天皇は絶対的な神ではないし、「自分たちは別の絶対神を信じる、それが故に天皇に頭を下げることはせぬ」というのは、「自分の信仰は絶対とし、また正しいとするが、それと矛盾したものは絶対認めぬ」姿勢であり、しかしキリスト教は一宗教ではあっても絶対真理の宗教ではないでしょう。日本人がそのキリスト教の論理を強制されねばならない理由は何もないと思います。

>一高教師である前に、彼はキリスト者でありました。教育勅語の前で頭を下げなかったのは、彼がおのれの信ずるものに対して忠実であったからです。

己が信じるものに忠実であると言えば立派そうに見えますが、教育勅語に頭を下げないことにどんな教育的合理性があるのか、私には分かりません。また、教育的合理性よりも自己の信仰の方が優先されるのだとすれば、それは徹底した個人優先の思想であり、国家にも公共の精神にもまして「自己の信念」を大事であるとするのは、それほど立派なことでしょうか。信念の内容にもよると思いますし、私はキリスト者であることを無条件によいことであるとは思いません。本人は信仰を全うして満足することでしょうが、他にとっては大変な迷惑、ということはいくらでもあります。

また、内村などの場合は「信仰があって立派だ」という見方も出来るかもしれませんが、たとえば「共産主義の信念に基づいて」同じことをするのは、この場合は「宗教的信念」ではなく「政治的信念」に基づいて教育者として求められる姿勢を無視することになるわけですが、この場合も「政治的な己の信念に従ったから立派だ」となるのでしょうか。こういう論理は、政治と政治、宗教と宗教のぶつかり合いになり、ようするに争いの種をまくだけで、教育の場に宗教や政治を持ち込まれる迷惑な話だと思います。


>それを最初に認めなかったのが、当時の一高の生徒たちであり教師たちでした。父兄もその場にいたとすれば、同様の非難を内村に向けたでしょう。

現代でも、やはり内村は非難されると思いますね。これは、内村が「キリスト者であるから」ではなく、「自己の信仰を公共の場に無用に持ち込むから」です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/6(日) 12:07  -------------------------------------------------------------------------
   >一高生徒という前途有望なる少年たちの教育の重大さを自覚していた内村は、自宅を生徒たちとの交流の場として開放していました。その生徒たちの中に、不敬事件に腹を立て、内村の家に向かって石を投げた者までいたことは、記憶にとどめるべきでしょう。なぜなら、日本人の精神は、今もほとんど変わらないからです。

投石がよいことだとは思いませんが、それ以上に内村の行動の方が非常識なのだと思います。しかも非常識のみならず、「自分の信仰」を公共の場に持ち込むのですから、非難を受けるのは当然であり、それをいたずらに「迫害された」みたいな構図で見るのは間違いだと思います。


>一高という学校内で起きた騒ぎは、すぐにマスコミに取り上げられ全国に知れ渡ります。と同時に、仏教諸派の機関紙もこれを宣伝しました。

天下の内村鑑三のすることですから、マスコミは書くでしょうが、キリスト教というのは西洋の国家と深く結びついておりますから、国民の関心もあったでしょう。キリスト教の論理が日本の皇室への無礼に直結するとなれば、ゆゆしき問題です。

>このようにして、キリスト者としての内村個人の問題は、日本の国体に対するキリスト教の問題、つまり、国家主義・全体主義的な問題として全国に波及したのです。

信じている人にとっては別ですが、信じない人にとっては、他人の宗教というのは尊重はしても強要されるべきではないでしょう。教育勅語などは、別段「宗教の強要」、背信を相手に要求するような性質のものではないと思いますが、それを尊重せずに、一方的に自己の宗教信念の論理を押し通す内村個人に問題があるのであり、「全体主義の問題」というのは違うと思いますね。


>国家権力の前には、個人の信教の自由ばかりか、言論の自由さえも失われるという大前提は、戦後日本の新憲法の存在にもかかわらず、今も日本人の精神の中に残っているように感じるのは、ぼくの錯覚でしょうか。

個人的な信教の自由、言論の自由などは、いずれも、無制限なものではないと思います。同様に国家権力にしても、法に則ったものであるわけで、無制限・無制約なものではないわけですが。

>表面的には、皆さんはだいぶ寛容になったようには見えます。しかし、問題は、国家の非常事態におていても、その寛容さが保持されるかどうかです。このあたりのことが、すでにだいぶ怪しくなっているようです。

国家の非常時に精神が緊張するのは当然で、常にはない束縛を受けることは是非もないことです。そういうことと、どさくさ紛れの違法な外国人襲撃とは区別されるべきでしょう。寛容であることと、尊厳を知らないこととは別ですので、やはり寛容というのであれば、「相互に」そのようにあらねばと思いますし、「筋を通した寛容」でなければ、たんなる精神の喪失でしかないでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/6(日) 12:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
横レス、ごめんなさい。
お元気そうで、よかったです。

>投石がよいことだとは思いませんが、それ以上に内村の行動の方が非常識なのだと思います。しかも非常識のみならず、「自分の信仰」を公共の場に持ち込むのですから、非難を受けるのは当然であり、

何を仰る告天子さん、教育勅語そのものが、人間を身分や血縁で差別する思想に満ち満ちているんだから、非常識なのは、この勅語を作った文部官僚たちではないですか、そして、あなたも同類です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/7(月) 15:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

>...(略)...
>投石がよいことだとは思いませんが、それ以上に内村の行動の方が
>非常識なのだと思います。しかも非常識のみならず、「自分の信仰」
>を公共の場に持ち込むのですから、非難を受けるのは当然であり、
>それをいたずらに「迫害された」みたいな構図で見るのは間違いだと
>思います。
>...(略)...

こういう論調を見るに、ぼくが何よりも問題に思う国家権力の横暴を
告天子さんは疑問に思うどころか、それを支持し、権力の側に立って
内村のような人間を今も非難する側の人間であることがよくわかります。

一高の生徒や教師たちが騒がなければ不敬事件は歴史上なかったの
でしょうね。オカミが決めたことであっても、独立心のある人間は
そう簡単にオカミの言いなりにはならないものです。日本人のオカミへの
従順さの特質と、日本人の幼児性とを関連して考えるとおもしろいかも
しれません。子どもはオトナという権力を本能的に必要とします。
自分よりも強いものに頼ろうとします。まだ自主・独立の精神が
生まれていないからです。

たとえば英国では、ご存知のようにキリスト教が国教となっていますが、
学校のキリスト教の授業には、異教徒の子どもは参加しなくてよいこと
になっているようです。これがオトナの国のやり方であり、こういうこと
が常識として通る国が、コモンセンスの国といえるわけです。

天皇に情緒的にひかれる人の体質に幼児性があると断定すると、また、
枯葉さんを含めて頭にくる人も少なくないかもしれませんね。
だから、ぼくは断言するのはやめて、示唆するにとどめておきます。

ただ、告天子さんの指摘する内村の「非常識」は、ぼくから見れば、
独立心のあるオトナの生き方から生まれる真のコモンセンスであると
いうことは言っておかねばなりません。これが今も多くの日本人に理解
できないらしいことは、ぼくが何よりも関心のある犬の問題でも、
多くの日本人の中にある「常識」に根づく非コモンセンス的な精神から
日々経験することです。

確かに内村の精神は今なお日本の伝統文化とはなっておりません。
しかし、内村も日本人であり、彼を非国民のように扱う日本人がいた
とすれば、その精神こそ恥じるべきであります。和魂なるものが
それほどに価値のあるものであるなら、そういう恥の感性があって
こそ和魂は生きるでしょう。

しかるに、今、バック・トゥー・ザ・ニッポン固有文化と叫ぶ方々の
言動を観察するに、まるで教育勅語の復活を期待するかのような
日の丸ハチマキ姿の皇国民を連想するのです。その種のニッポン人
の方々に、加藤周一ならず加藤和彦の自宅に押しより、タイムマシン
にお願いして明治の大ニッポン帝国へ飛び立たんとするかのような、
壮絶奇怪なる様相を感知し、モーツァルトで養われたぼくの繊細なる
感性は、激しく揺れ動き、ミルクティーのカップを持つ手もしばし
硬直するのであります。

(つづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/7(月) 16:26  -------------------------------------------------------------------------
   つづき その1

1999年8月13日に国旗国歌法が公布されましたが、その直後の8月15日、
中川八洋筑波大教授は、「日の丸・君が代に反対したものは非国民だ」
と強気の発言をしています。また、9月30日には、梶原拓岐阜県知事は
県議会本会議で「国歌国旗を尊重できない人は、日本国籍を返上して
ほしい」と発言しました。この種の人間が日本人の代表であるなら、
ぼくは喜んで日本国籍を返上したいと思います。彼らの精神は、内村
の家に石を投げたニッポン男児と同質の精神構造であるとしか思えません。

内村はおのれの信仰に忠実であっただけなのです。これがオウム真理教
の信仰であれば問題でしょうが、彼のキリスト教信仰を非難するとすれば、
非難する人(あるいは権力)こそ非難されるべきでしょう。キリスト教を
個人的に嫌う自由は個人にはあるのかもしれません。しかし、国家権力
と結託してキリスト信徒を迫害する権利は、本来、だれにもないはずです。

現代神学に染まったキリスト教会の中には、内村の信仰をファンダメンタル
だとして批判する人はいるでしょうね。実際、内村を敬愛すると言いながら、
彼の聖書観を批判するような発言を、ぼくは荒井献氏(岩波新書「イエスと
その時代」の著者)本人の口から聞いた経験があります。

日の丸・君が代は信仰の問題じゃないだろうと反論する人がいるでしょうか?
ぼくは一部の人にとっては、これも信仰の問題(たとえば天皇崇拝とキリスト
信仰という不敬事件と同質の問題)だと思っていますし、もっと多くの人に
とっては少なくとも思想の問題ではあると思います。

敗戦直後には、読売新聞でさえ、民主的な国歌をつくるべきだと主張して
いたのです。どうしても日本に国歌が必要だとすれば、そうすべきでした。
天皇制を反省せず、うやむやにしたままに、マスコミは平和主義の天皇を
国民の目に焼き付けました。オリンピックやワールドカップで「君が代」が
歌われ、日の丸があがりました。国民の大多数が「君が代」を国歌とする
ことに違和感がないという世論調査が発表されました。

田中角栄が「君が代」の地位を法的に定める必要があると言ったように、
戦後の保守権力の思惑どおりに事が運びました。それに民衆が何の疑問も
もたずに追従している。これにより皇国史観人間の発言力がいよいよ強く
なっている。こういう状態が、新憲法の理想とした日本国の姿に反する
ことに気づかないとは、一体どういうことでしょうか?

「君が代」を国歌として歌えないのには、正当な理由があるのであり、
これを認めないとすれば、日本人の精神構造は、内村鑑三の時代とほぼ
同じ状態にあるとしか思えません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/7(月) 19:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:
>▼告天子さん:

>こういう論調を見るに、ぼくが何よりも問題に思う国家権力の横暴を
>告天子さんは疑問に思うどころか、それを支持し、権力の側に立って
>内村のような人間を今も非難する側の人間であることがよくわかります。

一応フォローというわけでもありませんが、私が内村を非難するのは、「権力の側に私が立つから」ではなく、「内村のしていることに筋が立たないから」です。「内村を非難する側の人間」と、「国家権力」は別物だと思います。

>一高の生徒や教師たちが騒がなければ不敬事件は歴史上なかったの
>でしょうね。オカミが決めたことであっても、独立心のある人間は
>そう簡単にオカミの言いなりにはならないものです。

当時にあっても、内村を非難した人は「自分の意志でそうした」のであり、「お上に従順であらんがために」権力側に立ってそうしたのではないと思いますが・・・。

>日本人のオカミへの
>従順さの特質と、日本人の幼児性とを関連して考えるとおもしろいかも
>しれません。子どもはオトナという権力を本能的に必要とします。
>自分よりも強いものに頼ろうとします。まだ自主・独立の精神が
>生まれていないからです。

これは、いわゆる日本人精神年齢ナン才説、ですね。お上に反逆的であることと精神年齢とは、比例関係にはないと思います。

>
>たとえば英国では、ご存知のようにキリスト教が国教となっていますが、
>学校のキリスト教の授業には、異教徒の子どもは参加しなくてよいこと
>になっているようです。これがオトナの国のやり方であり、こういうこと
>が常識として通る国が、コモンセンスの国といえるわけです。

日本の場合は、神道は「国教」ではないわけです。また、公教育の場に宗教的要素が入ることは、たちまち政治問題になるので、英国流のやり方は出来ないでしょう。

しかし、それと大人・子供の話は別でして、神道を「国教としない」ことにより、他の宗教(仏教、キリスト教など)との軋轢を避けることを意図したこと、また、教育勅語にも極力宗教的な要素は入れないようにするなど、多くの深い配慮がなされた上での「日本流」なのです。

公教育の場に、「一切の宗教的要素が入ることは許さない」といった非文化的な主張がファナティックに主張される日本の傾向は、確かに「子供」だと思いますが、国教が存在せず、またキリスト教国とは宗教的な歴史が違うところに、一概に「一方は大人で、他方は子供だ」は、見方としてどうかと思いますね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/7(月) 19:26  -------------------------------------------------------------------------
   >天皇に情緒的にひかれる人の体質に幼児性があると断定すると、また、
>枯葉さんを含めて頭にくる人も少なくないかもしれませんね。

それは、「幼児的だ」などと言われたら誰でも頭には来るでしょうが、自らを絶対正しいとし、信じて疑わない姿勢も、やはり幼児的ではないかと私は思いますよ。でも、そういうことはあまり言うべきではないでしょう。異なる宗教的立場でそれを言い出しても、何ら益しないのではありませんか?。

>だから、ぼくは断言するのはやめて、示唆するにとどめておきます。

何故自らを正しいと信じ、それと異なる在り方をする他者を尊重しないのか、いやむしろ「子供である」と軽侮することが出来るのか、不思議な感じがします。

>
>ただ、告天子さんの指摘する内村の「非常識」は、ぼくから見れば、
>独立心のあるオトナの生き方から生まれる真のコモンセンスであると
>いうことは言っておかねばなりません。

いや、非常識だから全部悪いとか言うつもりもありませんが、内村の態度が「真の」コモンセンスであり、そうでないものが「ニセモノだ」とする姿勢は、やはり独善的なのではないかと思うのですよ。

それはそれで、立派な行き方でもあるでしょうが、それが全てというわけでもないでしょう。教育者として、それはないだろうと思うし、極端なのではないか、と考えるわけです。

>確かに内村の精神は今なお日本の伝統文化とはなっておりません。
>しかし、内村も日本人であり、彼を非国民のように扱う日本人がいた
>とすれば、その精神こそ恥じるべきであります。和魂なるものが
>それほどに価値のあるものであるなら、そういう恥の感性があって
>こそ和魂は生きるでしょう。

いや、別に恥じることではありません。むしろ内村の方こそその頑迷を恥じるべきです。「非国民だ」などと、安易に他を責めるのであればそれはケシカランことではありますが、真に国民精神に立って「非国民」的姿勢を質すのであれば、それは当然の義であります。

「非国民」なる語が、軍国主義やら何やらとごた混ぜにされてしまい、悪イメージを持って語られるから、「非国民などと言う方がケシカラン」とされますが、道理を無視し、国法を重んじないのであれば、これは非国民と責められても文句は言えますまい。そうされるのも承知の上で己を通すならば、場合によってはこれも立派ですが、内村の姿勢はキリスト者としては立派ではありえても、一日本国民として、教育者としては、はなはだ頑迷な姿勢として評価すべきものかと私には思われます。

>
>しかるに、今、バック・トゥー・ザ・ニッポン固有文化と叫ぶ方々の
>言動を観察するに、まるで教育勅語の復活を期待するかのような
>日の丸ハチマキ姿の皇国民を連想するのです。

すぐに慣れますよ。というか、それは単に過去を重ねているだけで、根本的に「新しい主張」として見ないと、現代的な意義が分からないのではないかと思いますね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/8(火) 18:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

ある程度は頭の中でおしゃべりの内容をまとめたつもりでこの掲示板を
開いたのですが、告天子さんの新しい応答を読むと、予定を変更する
必要があるようです。ただ、互いの議論のポイントは、すでに明らかに
なりつつあることは確かですね。たとえば、これです。

>...(略)...
>何故自らを正しいと信じ、それと異なる在り方をする他者を尊重しないのか、
>いやむしろ「子供である」と軽侮することが出来るのか、不思議な感じがします。
>...(略)...
>いや、非常識だから全部悪いとか言うつもりもありませんが、内村の態度が
>「真の」コモンセンスであり、そうでないものが「ニセモノだ」とする姿勢は、
>やはり独善的なのではないかと思うのですよ。

内村がおのれの信仰に従ったことは、けっして、他者を排除することでは
なかったでしょう。むしろ、自分とは異なるあり方をする他者を尊重しなかった
のは、国家権力の側に立つ人々でした。コモンセンスの問題にしても、ぼくは
告天子さんの主張されるような話は一度もしていないつもりです。

コモンセンスの「コモン」とは「共通の」という意味でしょうが、実際には
コモンセンスなるものは、それほど共通ではないようですね。英国人と米国人
とのコモンセンスはかなり違うような気がしますし、告天子さんが認める
ように、英国のコモンセンスは、日本の常識とはかなり違うことは確かです。

英国のコモンセンスの場合ですが、その基盤にはやはり個人主義というものが
しっかり存在しているように思うのですね。一方、日本の常識なるものは、
個人というより、漠然とした世間というものにその基盤を置いているような
気がするのです。つまり、英国の個人主義的なコモンセンスに対して、日本の
常識は、かなり全体主義的な性質を帯びていると思うわけです。

日本人だから日本の常識に従えという論調は、それこそ強制であって、他者を
尊重しない態度ではないでしょうか。英国ふうのコモンセンスは、個人主義
に立っている以上、他者のあり方に対して寛容な性質があると思います。

で、ぼくの場合ですが、一応、ぼくも純ニッポン男子であると思うわけですが、
どうも若い頃から日本の常識よりも英国ふうのコモンセンスにしっとりと
落ち着く傾向があるようなのですね。これはもうどうしようもないぼくの生理
と言っていいようなものなのです。しかし、だからといって、これを皆さんに
押し付けようとしているわけではないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/8(火) 20:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:

>内村がおのれの信仰に従ったことは、けっして、他者を排除することでは
>なかったでしょう。

これは微妙に違うと思いますね。私は、いかなる信仰であれ、無制限に尊重されるべきでは「ない」という考えです。内村が非難されるべき理由は、彼が「信仰を持っているから」とか「信仰内容が不当だから」ではなく、「教育の場に己の信仰を持ち出すから」です。これは他を排除するとかしないの問題とは別問題です。

>むしろ、自分とは異なるあり方をする他者を尊重しなかった
>のは、国家権力の側に立つ人々でした。

自分と異なる在り方をする他者を「常に」尊重しなければならない、との法はありません。時と場合によるでしょう。内村を責めた人は、「内村がキリスト教徒であるが故に」責めたのでしょうか。違うでしょう。ある場所、ある時における内村の行動が適切ではないが故に、責めたのでしょう。

これは「国家権力の側に立つ」人、つまり官憲とかではなく、「父兄」ですよ。トビパパさんの説は、「内村を非難することが、すなわち国家権力の側に立つことだ」という独断ではないかと思いますね。

>コモンセンスの問題にしても、ぼくは
>告天子さんの主張されるような話は一度もしていないつもりです。

ここの所は、誤解ないように補いたいですが、英国流のコモンセンスでもって日本式を批判するというのは、大いに結構なことだと思います。ただ、私が言いたいのは、一方のみを正しとし、それを疑うことなく盲信的になる「ならば」、そういうのはおかしいだろう、ということで、トビパパさんのお話を飛び越えて批判してしまったところがあることは、謝りたいと思います。


>英国のコモンセンスの場合ですが、その基盤にはやはり個人主義というものが
>しっかり存在しているように思うのですね。一方、日本の常識なるものは、
>個人というより、漠然とした世間というものにその基盤を置いているような
>気がするのです。

いわゆる近代的自我とか、そういう文脈から、日本人の意識の在り方は大分西洋人とは様相が違う、という話はよく聞きますね。

>つまり、英国の個人主義的なコモンセンスに対して、日本の
>常識は、かなり全体主義的な性質を帯びていると思うわけです。

totalismを個人主義に対置させて一直線に持ってくるのもどうかと思いますが・・・。ドイツなどもやはり個人主義ではあると思いますが、ああいう国の「全体主義」は説明がつかなくなるのではないでしょうか。


>日本人だから日本の常識に従えという論調は、それこそ強制であって、他者を
>尊重しない態度ではないでしょうか。英国ふうのコモンセンスは、個人主義
>に立っている以上、他者のあり方に対して寛容な性質があると思います。

まだレスを付けていない書き込みがあるのですが、(42971)、日本人だから日本の常識に従えと、強制するような姿勢は私はあまり好きではありません。やはり時と場合によると思いますし、「他者に対して寛容」ということでは、英国式に学ぶべきところは大きいとは思いますね。

>
>で、ぼくの場合ですが、一応、ぼくも純ニッポン男子であると思うわけですが、
>どうも若い頃から日本の常識よりも英国ふうのコモンセンスにしっとりと
>落ち着く傾向があるようなのですね。これはもうどうしようもないぼくの生理
>と言っていいようなものなのです。しかし、だからといって、これを皆さんに
>押し付けようとしているわけではないのです。

それは、よく分かっておりますし、こちらの言葉が過ぎたところは謝ります。多少うらやましく思う気持ちもあります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/8(火) 21:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
こんばんは、横レスごめんなさい。

>内村が非難されるべき理由は、彼が「信仰を持っているから」とか「信仰内容が不当だから」ではなく、「教育の場に己の信仰を持ち出すから」です。
当時のように自由権尊重の意識が低い、官吏や保護者がそう思ったということでしょう。教育の場に己の信仰(思想)を持ち込んでるもの(政教分離の侵害者)は、明治国家なんですからね。告天子さんは、そんな明治国家と、それを支持する自らの抑圧性に無自覚保護者たちの心性を支持してるんだから、やはり時代錯誤です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/8(火) 23:08  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん:
>▼告天子さん:
>こんばんは、横レスごめんなさい。

あなたに横レスなんかしてほしくありませんよ。不快だって、何度も言っているでしょう。見ていると他の人の話題には、ほとんど関与せずに、告天子の関係のところに一方的に脈絡を無視した意見を書いたり、嫌がらせ的にスレッドを乱立させたりしているようですね。「ごめんなさい」など、形だけで、あなたがしていることは「嫌がらせ」ですよ。


>>内村が非難されるべき理由は、彼が「信仰を持っているから」とか「信仰内容が不当だから」ではなく、「教育の場に己の信仰を持ち出すから」です。
>当時のように自由権尊重の意識が低い、官吏や保護者がそう思ったということでしょう。

横レスにも何にもなっていませんね、当時の人がどう思ったかの話をしているところに、「当時の人は自由権尊重の意識が低かった」とは、脈絡無視の歴史無視、一方的にめだま君の価値判断を押しつけているだけです、あなたのされていることは、今までの告天子への書き込みを見たところ、全てその同型の繰り返しです。

>教育の場に己の信仰(思想)を持ち込んでるもの(政教分離の侵害者)は、明治国家なんですからね。

まあ、一体何を言っているんでしょうか、戦前のことを現代の法律で裁くのですか、やはりあなたは恐ろしい「権力志向」の持ち主ですよ。身勝手な「自分のルール」で、他者を裁いて平然としているのですから、およそ無法とか言いようのない姿勢で、そのくせ「法律を持ち出して」裁いているような外形だけは保つのですから、「天皇陛下に逆らうのか!!」として他に暴力を振るう、という態度と、めだま君の姿勢はくっきりと重なるところがあります。

権力愛好と、他人を傷つけて平然としている無神経さというのは、これは恐ろしいものだと思います。ところが本人が平和だとか人権だとか、そういう「権威」を表に立てて、実は暴力を振るっているというような倒錯。

>告天子さんは、そんな明治国家と、それを支持する自らの抑圧性に無自覚保護者たちの心性を支持してるんだから、やはり時代錯誤です。

めだま君が勝手に作り上げたイメージで、明治国家、明治の日本国民、告天子、そうしたものを、ああでもない、こうでもないと言葉を重ねているだけで、基本的にあなたの発言は「事実に即していない」のです。

めだま君が延々と紡ぎ続ける「めだま君イメージ」に基づいた言葉、不快ですよ、とても。そして、事実に即していない変わりに、驚くほどに「原理主義的」です。法律にも、判例にもないようなことを平気で主張し、法律がなくても、自らの作った方で、勝手に裁いてしまうのですから、まるで「独裁者」「専制者」です。

それでいて、他のことは「抑圧者だ」と言い立てるのですから、驚くほどの倒立的認識でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/8(火) 23:40  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>あなたに横レスなんかしてほしくありませんよ。不快だって、何度も言っているでしょう。見ていると他の人の話題には、ほとんど関与せずに、告天子の関係のところに一方的に脈絡を無視した意見を書いたり、嫌がらせ的にスレッドを乱立させたりしているようですね。「ごめんなさい」など、形だけで、あなたがしていることは「嫌がらせ」ですよ。
私にとって、告天子さんは希有なお話相手だから、追っかけしたます。ごめんね。

>・・当時の人がどう思ったかの話をしているところに、「当時の人は自由権尊重の意識が低かった」とは、脈絡無視の歴史無視、一方的にめだま君の価値判断を押しつけているだけです、
でも、「思い」たけではなく「価値判断」もしてるじゃないですか!
>
>>教育の場に己の信仰(思想)を持ち込んでるもの(政教分離の侵害者)は、明治国家なんですからね。

>まあ、一体何を言っているんでしょうか、戦前のことを現代の法律で裁くのですか、
そんなに驚かなくてもいいではないですか。戦前の日本国内にも、世界にも、様々な「価値」が共存していたのですから。

>やはりあなたは恐ろしい「権力志向」の持ち主ですよ。
歴史認識は、没入ではできないよ。戦後の日本国憲法の水準から、過去を振り返るのも大切な視点ですよ。

>身勝手な「自分のルール」で、他者を裁いて平然としているのですから、およそ無法とか言いようのない姿勢で、
人の受け売りではなく、自分で考えようとしてるんだから、格好いいと思わない?

>>告天子さんは、そんな明治国家と、それを支持する自らの抑圧性に無自覚保護者たちの心性を支持してるんだから、やはり時代錯誤です。
>めだま君が勝手に作り上げたイメージで、明治国家、明治の日本国民、告天子、そうしたものを、ああでもない、こうでもないと言葉を重ねているだけで、基本的にあなたの発言は「事実に即していない」のです。
おそらく、ここら辺りが、すれ違いの原因でしょうね。すこし考えてみます。

>驚くほどに「原理主義的」です。法律にも、判例にもないようなことを平気で主張し、法律がなくても、自らの作った方で、勝手に裁いてしまうのですから、まるで「独裁者」「専制者」です。
「原理主義」というのは、当たっているかもしれませんね。でも、政教分離主義だから、安全ですよ。むしろ、貴方の方が、政教未分離だから心配なんです。

ところで、最近、私は、昭和天皇の「新日本建設に関する詔書」をじっくり味わっています。あれは、人間宣言というより、平和主義宣言ですね。告天子さんは、この宣言を、どのように読まれていますか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/9(水) 18:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

>>内村がおのれの信仰に従ったことは、けっして、他者を排除することでは
>>なかったでしょう。
>
>これは微妙に違うと思いますね。私は、いかなる信仰であれ、無制限に尊重
>されるべきでは「ない」という考えです。内村が非難されるべき理由は、
>彼が「信仰を持っているから」とか「信仰内容が不当だから」ではなく、
>「教育の場に己の信仰を持ち出すから」です。これは他を排除するとかしない
>の問題とは別問題です。

教育の場であろうが、どこであろうが、天皇(現人神)崇拝を拒否する
権利は、本来、人間にはあるはずなのです。こういう当たり前のことが
当時の日本では許されなかったことは確かですね。それこそが戦後の
日本人に与えられた反省課題の一つであったわけで、今の日本国憲法
では、天皇崇拝を強制するようなことは許さないのです。

白いご飯にソースをかけて食べる外国人がいますよね。それをある
日本人が見て、こう言うとします。

「おい、きみ、そうゆうのはね、ニッポンの伝統に反する食べ方だぞ」

伝統という話がこの程度のことなら、たいしたことはないのです。
その外国人がソースをかけずに食べて、そのありがたみに気づけば、
ニッポンの伝統に溶け込むのはよいことでしょうし、いや俺はやはり
ソースをかけなきゃいやだ、というのであれば、勝手にすりゃあいい
でしょう。

しかし、内村鑑三の信仰の問題は、この程度の問題ではなかったのです。
それは彼の人生すべてに関わる問題でした。自分の信念を貫けば、ほか
の多くの日本人の目には、天皇への反逆(あるいは、告天子さんのおっ
しゃるような非常識)と映ることは分かっていたでしょう。彼もやはり
怖かったはずです。それでも、彼はおのれの信仰に従うしかなかった。
それは天皇への反逆という次元のものではなかったのです。

しかし、当時の日本人は権力の側と同じように、彼の行為を天皇への
「不敬」とみなして非難した。それと同じことが今も許されるはずは
ないでしょう。こういう問題意識が、「君が代」の問題にもつながる
のです。実際、すでに指摘したように、「君が代」に敬意を表しない人
を非国民と断定するような大学教授がこの国には現在もいるのです。

内村が教育勅語に頭を下げなかったのは、白いご飯にソースをかけ
ようとする行為とは全く違って、ほかの日本人がみなご飯を食べている
ときに、彼ひとりはただ天を見上げていただけ。そう表現してもいいで
しょうか。

 人はパンのみにて生くるにあらず。

彼は危険を覚悟で、ただ天を見上げたのです。憲法が天皇を神としたと
しても、彼にとって、天皇は人間にすぎなかったのです。人間としての
天皇を認めることはできたとしても、神としての天皇は絶対に拒否する
しかなかったのです。

(つづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/9(水) 19:26  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:
>▼告天子さん:
>
>>>内村がおのれの信仰に従ったことは、けっして、他者を排除することでは
>>>なかったでしょう。
>>
>>これは微妙に違うと思いますね。私は、いかなる信仰であれ、無制限に尊重
>>されるべきでは「ない」という考えです。内村が非難されるべき理由は、
>>彼が「信仰を持っているから」とか「信仰内容が不当だから」ではなく、
>>「教育の場に己の信仰を持ち出すから」です。これは他を排除するとかしない
>>の問題とは別問題です。
>
>教育の場であろうが、どこであろうが、天皇(現人神)崇拝を拒否する
>権利は、本来、人間にはあるはずなのです。

驚きです。ここは正直、驚きました。「天皇崇拝を拒否する権利が人間にはあるはず」!!ですか。

トビパパさんはいろいろな意味で誤っていると思います。一つには、教育勅語は「崇拝の強要」ではありません。二つには、そのような誤解に基づいて礼を失することは、単純な「無礼」「礼儀知らず」の問題ではあっても、「権利」などではありません。そこには正当性はないです。第三に、「本来人間にはしかじかの権利があるはず」、ということには根拠がなく、つまりは、「いかなる時ところにかかわらず、天皇崇拝を拒否する権利」が人間にはある、という言説は、現実の問題として、到底「内村の場合」に当てはまるものではありません。

>こういう当たり前のことが
>当時の日本では許されなかったことは確かですね。

自分が当たり前だと「思っている」ことが、当たり前「である」こととは違う、ごく基本的な話です。「当たり前のこと」であるなら、天皇に崇敬の情を持つことこそが当時の日本にあっては「当たり前のこと」であり、どう見ても内村のしていることの方が当時の「当たり前」ではありません。

トビパパさんの説は、「自分の当たり前こそが、真の当たり前」という無根拠の前提に基づき、他を「当たり前ではない」と裁くの説です。

それこそが戦後の
>日本人に与えられた反省課題の一つであったわけで、今の日本国憲法
>では、天皇崇拝を強制するようなことは許さないのです。

当時にあっても「天皇崇拝」が強制されるというのは、あってはならないことで、「崇拝」ということをあまりに軽く考えてはおられませんか。教育勅語を唱える、御真影に礼することが、「崇拝」ですか、「信教の自由を害せられた」というような話ですか。「天皇教の信者にさせられた」というような言説は、この掲示板ではよく聞かれますが、具体的な実態というより、語る者の主観的な「認識」を明らかにするだけです。

天皇崇拝を強制することが許されない、それはなるほどそうでしょう。しかし、トビパパさんのこの発言は「スローガン」ではあっても、内村の不敬事件に対しては適用することは出来ない説です。

>
>白いご飯にソースをかけて食べる外国人がいますよね。それをある
>日本人が見て、こう言うとします。
>
>「おい、きみ、そうゆうのはね、ニッポンの伝統に反する食べ方だぞ」
>
>伝統という話がこの程度のことなら、たいしたことはないのです。

そんな場面で「伝統」などという言葉を使う日本人がいたら、伝統がちがちのイデオロギストでしょう。「こうして食べた方がおいしいですよ」と教えてあげるのが普通の人で、話に無理がありすぎます。

>その外国人がソースをかけずに食べて、そのありがたみに気づけば、
>ニッポンの伝統に溶け込むのはよいことでしょうし、いや俺はやはり
>ソースをかけなきゃいやだ、というのであれば、勝手にすりゃあいい
>でしょう。

たかが食べ物と精神的伝統を混同するのはおかしいです。第一、食べ物にしても、それまでの食生活、食習慣から味覚は違ってくるのです。こちらが「おいしい」と思うものが、相手にはそうではない。「異文化」を理解するというのは、誰しも何らかの文化を身に染みこませている以上、そんなに簡単な話ではありません。


>しかし、内村鑑三の信仰の問題は、この程度の問題ではなかったのです。
>それは彼の人生すべてに関わる問題でした。

信仰の問題がどれほど内村にとって重要であろうと、それは内村の取った行動に対する他人の評価にとっては、何ら問題ではありません。そんな信仰は、他人にとっては迷惑なだけで、己の救いを求めるが故に他の全てに信仰を優先させるのだというのは、単なる宗教エゴです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/9(水) 18:50  -------------------------------------------------------------------------
   つづき

キリストより天皇のほうが偉いと思う人がいてもいいでしょう。
ぼくは個人主義者ですから、他人の個人主義も認める用意は
あります。しかし、キリストを信じる者に対して、無理矢理に
天皇を神として押しつけるようなことは、現在の日本では、
してはいけないことですよね。日本人の神は天皇しかいない、
キリストは外国の神だ、なんて思想は、一部の日本人の限定
思想にしておいておくれやす。

昔、渋谷駅前でオウム真理教信者から小冊子をもらいました。
その中で、麻原はこのようなことを書いていました。

「キリストは弟子に裏切られた。私の弟子は裏切らない。
よって、私はキリストより偉い」

このように自画自賛する教祖さまが天下に存在して、それを
崇拝する人がこの世にいるという現実は、ぼくの知ったことじゃ
ないのです。しかし、そんな教祖さまに頭を下げないやつは
殺すと言われたら、ぼくだって抵抗しますよ。老人党ふうに
言うなら、トビパパはレジスタンスをしたのだ、とでもなり
ましょうか。

はい、わかっていますよ。天皇と麻原をいっしょにしてもらっちゃ
困るわけですね。しかし、ですね、ちょっと考えてみてください。
麻原の裁判はまだ終わっていないから断言はできないですが、
彼の指示によって多くの人の命が奪われたことはほぼ確かでしょう。
だから、日本の常識でも英国のコモンセンスでも、常識的な人たちは
麻原は悪いやつだと思うわけですね。

昭和天皇はどうでしたか? 戦後のマスコミが宣伝した平和主義の
天皇じゃなくて、戦前戦中の天皇は何をしましたか? 直接は人を
殺してない。そうでしょう。しかし、天皇は日本軍でいちばん偉い
地位にありました。その天皇の軍隊によって、多くの命(女性や
子供も)が奪われたことは、歴史的事実なのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):どんな、何に対する寛容かが問題  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/7(月) 20:19  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:
ところで、ちょっと思ったのですが・・・

>
>たとえば英国では、ご存知のようにキリスト教が国教となっていますが、
>学校のキリスト教の授業には、異教徒の子どもは参加しなくてよいこと
>になっているようです。これがオトナの国のやり方であり、こういうこと
>が常識として通る国が、コモンセンスの国といえるわけです。

こうした宗教教育は、日本国憲法体制下では憲法に抵触する疑いがあります。英国流教育は日本国憲法違反ですね。

英国流の教育常識が「コモンセンス」として日本では通らないのは、我が国に日本国憲法がある以上、当然のことであります。日本がトビパパさんいうところめ「オトナの国」になれないのは、日本国憲法に問題があるからでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):老人党って? (3)  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/2/5(土) 15:52  -------------------------------------------------------------------------
   つづき その3

ぼくが先に取り上げた三木清のハイデルベルク大学時代の投稿文ですが、日本の学問自立をはばむ原因として、彼は「天皇制絶対主義」のほかに、もう一つ、「仏教的・自然主義的汎神論」をあげていたようです。今、「仏教的・自然主義的」という形容はひとまず措いておいて、これを日本的な汎神論として考察すると、この問題は国家神道にかかわる話にもなるでしょうし、よって天皇制にかかわる話にもなると思います。

このような日本の汎神論的な背景から天皇を絶対神と規定することは、さほど難しいことではなかったでしょう。明治憲法が天皇を神格化した目的は、ファーストフード的に言ってしまえば、欧米のキリストに対して日本国としての独自の神を必要としたということなのだと思います。和魂洋才の和魂を統率する神は天皇であらねばならなかったという話だったのでしょうね。

で、この和魂洋才を現代の視点で見るならば、今や、洋才は和才の前に降伏した観がなきにしもあらずです。グッバイ和魂洋才、ハロー和魂和才!という感じでしょうか。西洋という言葉自体が死語になってしまったかのような勢いで、今の日本人は、もう西洋から学ぶことは何もないと思いこんでいるかのようです。

ところがふと我に返ると、たいせつな和魂はどこへ消えたのだ、と一部の方々は心配になったようですね。そのあたりから君が代などへの思い入れもいよいよ本格的になったわけでしょうし、つくる会などという時代錯誤的な団体が日本伝統文化の救い主のような姿で出現するという社会現象も目立つようになったのでしょう。

それで、ぼくは何が気に入らないかと言いますと、その種の和魂と申しましょうか、日本伝統文化とでも申しましょうか、そういうものに異常に思い入れのある方々のイメージがですね、なんとなく、内村鑑三の家に石を投げた若造たちのイメージと重なるような気がするということなのです。

(つづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):老人党って? (3)  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/5(土) 21:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:

しばらくです。横レス、ごめんなさい。
どうも、例の回遊魚型の楽しい方々は、この掲示板には嫌気がさして、さすらいの旅に出られたのではないでしょうか。私が原因かも知れません。おそらく。

>ところがふと我に返ると、たいせつな和魂はどこへ消えたのだ、と一部の方々は心配になったようですね。そのあたりから君が代などへの思い入れもいよいよ本格的になったわけでしょうし、つくる会などという時代錯誤的な団体が日本伝統文化の救い主のような姿で出現するという社会現象も目立つようになったのでしょう。
今の新右翼の人たちの発言や行動の全てを肯定することは出来ませんが、彼らの主張には、それなりに正義感や人権感覚があって、ある意味では現代版の内村という側面も持っています。
告天子さんは、私の書き込みを「暴力」であると激しく非難しました。おそらく彼にも、言葉の暴力で、こころが引き裂かれるような、屈辱体験があるのだと思います。

最近、日本国内では、「人権」批判の書籍が沢山出版されています。それらの幾つかを読んで見ると、彼らは、40代前後の人たちなのですが、彼らには、「人権」や「平和」を口につる団体(学校の教師と、彼らが所属する組合、民間の運動団体など・・)によって人権を侵害された体験が、共通してあるように思います。

彼らは、本来は人権を擁護してくれるはずの人たちによって、屈辱や差別を受けているからこそ、「人権」や「平和」を口にする団体を偽善であると、いま激しく糾弾しているのです。そして、彼らの魂の拠り所は、国民を差別しない天皇という存在です。告天子さんとの対話はうまくいきませんでしたが、彼のいう天皇の「公的存在」というのは、そのようなものとして理解する必要があります。

>それで、ぼくは何が気に入らないかと言いますと、その種の和魂と申しましょうか、日本伝統文化とでも申しましょうか、そういうものに異常に思い入れのある方々のイメージがですね、なんとなく、内村鑑三の家に石を投げた若造たちのイメージと重なるような気がするということなのです。
戦後の日本の民主主義や人権には、彼らがいうような弱点がありました。だから彼らが投げる石も、大切にしなければなりません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ちょっと違うと思いますよ。  ■名前 : 退役軍人@東京  ■日付 : 05/2/6(日) 14:17  -------------------------------------------------------------------------
   退役軍人=元兵士です。

誤解をなさらないように一言。

▼めだま君さん:
>しばらくです。横レス、ごめんなさい。
>どうも、例の回遊魚型の楽しい方々は、この掲示板には嫌気がさして、さすらいの旅に出られたのではないでしょうか。私が原因かも知れません。おそらく。

あまり自意識に囚われない方がよろしいかと。(笑)

考え方の違いはあれ、建設的に行われている議論や対話は静かに見守る節度があるということですよ。

明らかな誤認に基づいた主張や、事実や事象さらには公的機関の発表した指標などを「根拠もどき」として歪曲した主張には「是々非々」の観点できっちり反論してきましたし、これからもそうさせてもらいます。

>告天子さんは、私の書き込みを「暴力」であると激しく非難しました。おそらく彼にも、言葉の暴力で、こころが引き裂かれるような、屈辱体験があるのだと思います。

こういった論拠にもならない「憶測」で語ることがあなたの主張の質を如実に物語っていると思いますよ。

過去の某掲示板でのやりとりから、なんら質的向上をなさっていないようですね。(苦笑)

>彼らは、本来は人権を擁護してくれるはずの人たちによって、屈辱や差別を受けているからこそ、「人権」や「平和」を口にする団体を偽善であると、いま激しく糾弾しているのです。そして、彼らの魂の拠り所は、国民を差別しない天皇という存在です。告天子さんとの対話はうまくいきませんでしたが、彼のいう天皇の「公的存在」というのは、そのようなものとして理解する必要があります。

これも告天子さんの主張と論理的接点すら見いだせない主張です。

あなたの主観はあなたのものであって、客観という言葉との距離を意識しない発言は知的誠実さを欠くものであると指摘しておきます。

あなたは主観と客観との距離感の喪失という根本的な問題を抱えています。
自身の距離感が掴めないあなたに、他者の主観と客観との距離を問うことなど出来る訳が無い。(断言)

告天子さんの「暴力」という表現はまさに正鵠を射た発言であると考えます。

>戦後の日本の民主主義や人権には、彼らがいうような弱点がありました。だから彼らが投げる石も、大切にしなければなりません。

「小さな親切、余計なお世話」と申し上げておきます。

是々非々ですから。(微笑)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 安心しました。  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/6(日) 22:07  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人@東京さん:
>退役軍人=元兵士です。
>あまり自意識に囚われない方がよろしいかと。(笑)
お忙しそうですね。
いやー、少し責任を感じていたんです。安心しました。
岩戸の前で裸踊りをしてみただけですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):安心しました。  ■名前 : 相良唯夫  ■日付 : 05/2/6(日) 23:33  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん:
こんばんは
ROMしてて感じたんだけどね。
目的地は同じであっても、道は何本もあるからどの道が正しいなんて言い切れないですね。早く着いたり、遅く着いたり、そしてその道中で寄り道をしたり、泣いたり笑ったり、喧嘩したり、でもね、同じ物を見ても、人によって「美しい」と感じたり、感じなかったり、その反対だったりもしますね。
「めだま君さん」という人格も、あなたの生きて来た「生い立ち」「環境」によって立派に創り上げられたんだね。
私は「教育勅語」を読んでいて、何一つ間違いが無く、むしろ現代においても通用する教えであると思います。しかし、あなたのように深い知識があるとそうではないのですね。
過去の歴史などご破算(本当はする必要が無い)にしてしまって、書いてある内容だけを取り入れ、相和(愛和)な家庭を築き、家族みんな仲良く健康であったら仕合せであると思いますが如何でしょう。
「教育勅語」の中に曲げた思想を注入するからおかしくなると思うのです。
医療現場にいて感じますが、太っ腹の人で、胃が悪いという人に出会ったことがありません。
プラシーボで面白い結果が出ています。
当然といえば当然ですが、「大丈夫です、ちゃんと治ります」と私が言い、それを素直に聞いてもらえるように話の工夫をします。
私の話がウソでも、それを納得して、笑顔を見せてくれれば、奇跡が起こることがあります。
ガン患者さんでも「良かったですね早く発見でき、この程度で」と、大丈夫ではなくても、大丈夫のような顔をして接するのです。
心を丸くして、素直に人の話を聞けば、病気など吹っ飛んでしまうことはいくらでもあるのです。
ここで私が言いたいことは、先ずは自分の家族を愛と和に満ちた家庭にし、お隣さん、そしてそのお隣さんと仲良くし、出会う人とも仲良くし、足元から愛和の実践をして行くのです。
そんな精神を「教育勅語」から汲み取ることが出来るのです。
反発だけでなく、清濁併せ呑むことも必要であると思います。
ここのスレッドにふさわしくない書き込みかと思いましたが、失礼しました。
(めだま君さんに対し、以前、不快な書き込みをしたことをお詫びします。)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):安心しました。  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/6(日) 23:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼相良唯夫さん:
こんばんは。なんだかお久しぶりですね。これからも、末永くよろしくお願いいたします。
>▼めだま君さん:
>ここで私が言いたいことは、先ずは自分の家族を愛と和に満ちた家庭にし、お隣さん、そしてそのお隣さんと仲良くし、出会う人とも仲良くし、足元から愛和の実践をして行くのです。
仰る通りですね。私も実践倫理を特に重んじています。おそらく、私と相良さんとは、この基盤がお互いにあるのだと思います。が、きょうは事情があり、充分なレスは書き込めません。また、あす、ご返事を書き込みます。
おやすみなさい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : プラシーボ  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/7(月) 17:14  -------------------------------------------------------------------------
   ▼相良唯夫さん:

>私は「教育勅語」を読んでいて、何一つ間違いが無く、むしろ現代においても通用する教えであると思います。
そうですね、そう考えられている方も多いですね。
>過去の歴史などご破算(本当はする必要が無い)にしてしまって、書いてある内容だけを取り入れ、相和(愛和)な家庭を築き、家族みんな仲良く健康であったら仕合せであると思いますが如何でしょう。
わたしも、基本的には、そのような柔軟さが大切だと思っています。
>「教育勅語」の中に曲げた思想を注入するからおかしくなると思うのです。
この相良さんのお考えに7割くらいは賛成ですよ。
>医療現場にいて感じますが、太っ腹の人で、胃が悪いという人に出会ったことがありません。
>プラシーボで面白い結果が出ています。
私は、きょうは胃が悪いです。お近くなら診察をお願いしようかな!プラシーボください。
>当然といえば当然ですが、「大丈夫です、ちゃんと治ります」と私が言い、それを素直に聞いてもらえるように話の工夫をします。
>私の話がウソでも、それを納得して、笑顔を見せてくれれば、奇跡が起こることがあります。
実際には、「教育勅語」も、プラシーボ、いやそれ以上の効力をもってますね。
>心を丸くして、素直に人の話を聞けば、病気など吹っ飛んでしまうことはいくらでもあるのです。
同感ですね。
>ここで私が言いたいことは、先ずは自分の家族を愛と和に満ちた家庭にし、お隣さん、そしてそのお隣さんと仲良くし、出会う人とも仲良くし、足元から愛和の実践をして行くのです。
実践してますよ。
>そんな精神を「教育勅語」から汲み取ることが出来るのです。
我が家の家訓は、日本国憲法です。
お陰で、夫婦円満、親子仲良く、礼儀正しく仁愛に満ち、・・・(笑)
先ほどは、役場によって町長さんに面会し、いま募集中の町活性化委員に選んで下さいと、伝えておきました。愛国心だけではなく、郷土愛もありますよ。
>反発だけでなく、清濁併せ呑むことも必要であると思います。
仰る通りです。
>ここのスレッドにふさわしくない書き込みかと思いましたが、失礼しました。
「教育勅語」、一緒に読んでみませんか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):プラシーボ  ■名前 : よりみち  ■日付 : 05/2/8(火) 23:38  -------------------------------------------------------------------------
   >当然といえば当然ですが、「大丈夫です、ちゃんと治ります」と私が言い、
>それを素直に聞いてもらえるように話の工夫をします。
>私の話がウソでも、それを納得して、笑顔を見せてくれれば、
>奇跡が起こることがあります

横レス失礼いたします。

これでは『二重盲検法』にならず、プラセボ効果は無いものと思われます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):プラシーボ  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/9(水) 1:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼よりみちさん:
>これでは『二重盲検法』にならず、プラセボ効果は無いものと思われます。
あーあ、お話相手はみんな遠ざかっていきます。そろそろ、鰐もねぐらに帰ろうかなー、
おやすみ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):プラシーボ  ■名前 : 相良唯夫  ■日付 : 05/2/9(水) 8:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼よりみちさん:
「にせ薬」ととらえず、心理的アプローチと考えるのは如何でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 戦争責任追及の好戦性  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/6(日) 12:01  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:

>天皇制に感化された人々の戦争責任、そして、そういう国民を
>つくりあげた教育制度やマスコミなどの戦争責任を問題視しながら
>おしゃべりしようとしていたのです。なぜなら、現在の日本の状況
>を見るに、天皇自身の存在よりも、国民とメディアという日本文化
>の担い手にこそ重大な欠陥があると思うからです。

「天皇制」という言葉で、日本人の体質みたいなものを批判対象とするのかと思いますが、私は日本土着の体質が、近代法の中に巧く論理化されないところに問題があるのでは、という切り口で考えまています。日本の体質は本来悪くはないのだが、西洋化・西洋の取り込みが上手くいっていない、という考えです。国民性に「欠陥」がある、とは考えないわけです。

欠陥がある、とすると、いわゆる「日本民族劣等」ということに向かうし、文化文明の大改造をしなければならない、根本的に日本人の精神・言語・宗教を改めなければならない、という話になるのではないかと思います。

「戦争責任」というのも、誰に対する、何の責任なのか、責任を負いうるのか、そういうことが明瞭になった上での法的な問題であれば、責任の存否、所在は「言える」と思うのです。

しかし、いわゆる「戦争責任」で問われているのは、もっと漠然とした「とにかく日本が悪い」というような、道義とか人道だとか、そういう立場から言われるわけでしょう、法的な責任ではなくて。だから逆に、「一億総懺悔」みたいな責任の取り方になってしまう。

あるいは、「戦争責任」がある、という主張が、もし「戦争の被害的影響の回復が完全平衡状態に達するまで」責任を追及するぞ、(無責任の立場で)、というものなら、そういうことは戦争の手段によってでなければ相手方に追及できるものではない、つまりこれは別形態の「戦争」ですよ。

法的な、講和条約であるとかを無視して、「戦争責任」を無制限・無制約な形で追及する「個人」、というのは、僕から見れば「平和のため」とかではなく、むしろ極めて「戦争に近い」筋の話だと思っていますね。

で、そういう「好戦的な」ことが逆に「平和だ」「戦争反対だ」というスタイルで語られるから、却って分からなくなる話なのではないかと思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 何と醜い「日本土着の体質」  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/7(月) 22:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
大丈夫ですか?
>・・・私は日本土着の体質が、近代法の中に巧く論理化されないところに問題があるのでは、という切り口で考えまています。日本の体質は本来悪くはないのだが、西洋化・西洋の取り込みが上手くいっていない、という考えです。国民性に「欠陥」がある、とは考えないわけです。
かなり、いい加減な屁理屈ですね。
「日本土着の体質」って何? 弱い者には威張り、強いものには媚びる。これも、なかなか変わらない体質ですね。告天子さん、もう少し、まじめな議論をしましょうね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ご注意>めだま君さん  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/2/8(火) 19:59  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん(43004・43005・43008・43013):

Ray@スタッフです。

これらの書き込みは、
>告天子さん、もう少し、まじめな議論をしましょうね。
等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/
字種、文字数の制限)のうち
  1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止
  2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止
に抵触する可能性がありますのでご注意申し上げます。

なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの
返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください
(総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。
よろしくお願いいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):迷惑発言への抗議  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/8(火) 20:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん:
>▼告天子さん:
>大丈夫ですか?
>>・・・私は日本土着の体質が、近代法の中に巧く論理化されないところに問題があるのでは、という切り口で考えまています。日本の体質は本来悪くはないのだが、西洋化・西洋の取り込みが上手くいっていない、という考えです。国民性に「欠陥」がある、とは考えないわけです。
>かなり、いい加減な屁理屈ですね。
>「日本土着の体質」って何? 弱い者には威張り、強いものには媚びる。これも、なかなか変わらない体質ですね。告天子さん、もう少し、まじめな議論をしましょうね。

めだま君、管理スタッフさんから注意を受けていますよ。迷惑なので、もう私には話しかけないでください。あなたの発言は、非常に不快です。

具体的にどう不快かというと、「弱い者には威張り、強い者には媚びる」ことが「日本土着」の体質だとのことですが、アメリカ人その他外国人にはそういう体質はないのですか?。それを「日本土着の体質だ」など、あなたの発言は意味不明で、そういう発言を繰り返されるのは不快でしかないのです。

意味不明発言を、他人にぶつけるのは止めてくださいよ。迷惑なんですから。

また、その体質が仮に日本土着の体質だとしても、そういう体質を「近代法の中に巧く組み込む」ことなど、上の告天子の話と何の関係もありません。めだま君が持ち出した話なのだから、何の関係があるのか説明してください。

人にまじめな議論をせよというのであれば、ご自分で言ったことなのですから、私の問いに対して説明してみなさいよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):迷惑発言への抗議  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/8(火) 21:23  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

>具体的にどう不快かというと、「弱い者には威張り、強い者には媚びる」ことが「日本土着」の体質だとのことですが、アメリカ人その他外国人にはそういう体質はないのですか?。
あるでしょうね。
>それを「日本土着の体質だ」など、あなたの発言は意味不明で、そういう発言を繰り返されるのは不快でしかないのです。
単純なことを言ってるのです。日本であろうとアメリカであろうと、土着とか伝統とうい精神や文化には、イデオロギー性もあるんだから、そのことに無自覚なままではだめだということです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):迷惑発言への抗議  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/8(火) 22:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん:
>▼告天子さん:
>
>>具体的にどう不快かというと、「弱い者には威張り、強い者には媚びる」ことが「日本土着」の体質だとのことですが、アメリカ人その他外国人にはそういう体質はないのですか?。
>あるでしょうね。

ではそういう性質が「日本土着」の体質だというのは、どういう訳ですか。あるでしょうね、とは他人の説に「いい加減な屁理屈だ」と言い放った者の言う言葉ですか。あなたの発言はだから不快で迷惑だと言っているでしょう。筋の通らない発言をした上に、自分でそれを認めて平然としている。管理スタッフからの注意を受けても、全く態度を改めていない。

>>それを「日本土着の体質だ」など、あなたの発言は意味不明で、そういう発言を繰り返されるのは不快でしかないのです。
>単純なことを言ってるのです。

単純なこと、ではなく、「文脈を無視した、デタラメで身勝手な言い放ち」に過ぎない、ということでしょう。だからどうその「体質」が、私の先の近代法云々との脈絡で結びつくのか、説明してくださいよと尋ねているんですよ。

その答えが「単純なことを言っている」ですか。あなたは人の話に関係なく、自分の頭の中の勝手な想念を他人に向けているだけですよ。するあなたは、楽しいでしょう。以前も、楽しい楽しいと書いていましたね、私は不快だと申し上げているにもかかわらず。大変に自己中心的な姿勢かと思いますよ。

>日本であろうとアメリカであろうと、土着とか伝統とうい精神や文化には、イデオロギー性もあるんだから、そのことに無自覚なままではだめだということです。

その「単純なこと」の内容がこれですか。こんな話の、一体どこが私の先の話に関係があるというのですか。あなた、「いい加減な屁理屈」と言っていましたが、「無自覚なままではダメだ」というのであれば、まずご自分が質問されたことにマトモに答えられたらいかがですか。

さあめだま君、そのあなたが言う「弱い者には威張り、強い者には媚びる」土着で、しかもそれは日本のみならずアメリカにもあるのだが、そうしたことにはイデオロギー性があるのだが、めだま君はそれを自覚しているのだそうですね。

そんな話の、「一体どこがまじめな議論」なんですか?。あなたは、「告天子の話はまじめな議論ではない」ということで自説を持ち出したのだから、きっちり説明してくださいよ。

そのめだま君の話と、近代法と日本人の関係が、一体どう結びつくのですか。「単純な話」なのだそうですが、全然脈絡不明ですよ。無自覚なままではダメならば、自覚しているめだま君は威張ったり媚びたりしないのですか。人が不快だ、迷惑だといっているのに、それを無視して平気でいるあなたの姿勢は何ですか。威張るどころの話じゃないでしょう。人が不快を訴えても、平気で「楽しい、楽しい」と喜びを表現しているあなたの、一体どこが「まじめな」議論をする態度だというんですか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):迷惑発言への抗議  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/8(火) 23:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
レス、ありがとうございます。
お互いに話がかみ合わないのは、面白いですね。
告天子さんの日本語が理解できる人も居て、めだま君のことばが理解できる人も(おそらく)居て、互いに防音ガラスを隔てて、口パクしてるみたいな・・・
それでも、ねばり強くコミュニケーションとろうとするところが、いいですね。
話題を、(43081)に移して、ゆっくりと話しませんか!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):迷惑発言への抗議  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/8(火) 23:17  -------------------------------------------------------------------------
   ▼めだま君さん:
>▼告天子さん:
>レス、ありがとうございます。
>お互いに話がかみ合わないのは、面白いですね。

不愉快だ、と言っているでしょう。それをまた「面白い」ですか。だから、気味が悪い、と先にも申したでしょう。不気味なんですよ、暴力的な発言に、「もう止めてください」と言っているのに、「面白い」ですか?。何とも、異様なとしか言いようがありませんね。


>告天子さんの日本語が理解できる人も居て、めだま君のことばが理解できる人も(おそらく)居て、互いに防音ガラスを隔てて、口パクしてるみたいな・・・

それは違いますね。私はあなたの意見に即してものを言っていますが、あなたは人の意見のことなど本当はどうでもよくて、大切なのは自分の思い込みだけではないですか、一方的に法律にも基づかず、歴史にも基づかない「めだま君の思い込み」を話しているだけでしょう。

だから、「口パク」しているのはめだま君、ガラスで閉ざされたところで「自分のイメージ」を相手が聞く、聞かないにも関係なしに一方的に話しているのもめだま君、相手の感情のことなど一切関係なしに、「僕は楽しいんです」と気味悪がっている人の前で微笑んでいるのもめだま君。

ええ、どうですか。「お互い」なんて話ではなくて、あなたが一方的に脈絡のない話を繰り返しているだけなんですよ。それが自分で分かりませんか?。

>それでも、ねばり強くコミュニケーションとろうとするところが、いいですね。

あなたは、一方的に「自分の考えを押しつけようとしているだけ」でしょう、私は「迷惑だ」と言い続けているだけですよ、具体的に理由を示しながらね。コミュニケーションを取るどころか、あなたは「一人で話をしている」だけですよ、あなたはね。あなたとコミニュケーションなんか、私は取りたくないと、何度も何度も何度も言ったのに、全然聞いていないような気色の悪い人の話はゴメンだと思っているんですよ。

>話題を、(43081)に移して、ゆっくりと話しませんか!

一人でお話なさいな、告天子に関係なくね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 見かねて申し上げますが。  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/9(水) 0:10  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

件の人物には関わってはいけません。
理由はあえて申しあげませんが、掲示板の風紀が乱れる兆しがありますので、関わらぬが懸命だとお察し下さい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):見かねて申し上げますが。  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/9(水) 0:26  -------------------------------------------------------------------------
   ▼英さん:
>▼告天子さん:
英さんの誘惑に負けないでね。
私は鰐で、告天子さんが餌やり係りというのではないのですから。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):見かねて申し上げますが。  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/9(水) 0:26  -------------------------------------------------------------------------
   ▼英さん:
>▼告天子さん:
>
>件の人物には関わってはいけません。
>理由はあえて申しあげませんが、掲示板の風紀が乱れる兆しがありますので、関わらぬが懸命だとお察し下さい。

ご忠告ありがとうございます。了解しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 愚生からも  ■名前 : ニッチモサッチモ  ■日付 : 05/2/9(水) 2:57  -------------------------------------------------------------------------
   是非に、御賢明なる振舞いをば。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : お願いです。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/2/9(水) 4:00  -------------------------------------------------------------------------
   告天子さん。

削除覚悟で書きます。

▼ニッチモサッチモさん:
>是非に、御賢明なる振舞いをば。

まったくの同感です。

めだま君は、主観と客観との距離感を喪失した人ですから、議論になりようがないのです。

つまり、彼の主観に沿って都合の良いトピックを、都合の良いように解釈しているに過ぎません。そして、それは客観的であると信じて疑わない人ですから。

自身の考え方を疑えないということは、知的誠実さを持ちあわせるか甚だ疑問であるということかと。

貴兄とトビパパさんの議論は、立ってる場所の違いさえ想念させる議論であると思っています。とうろうさんとの議論でもそう感じていました。

せっかく核心に近づきつつある議論が、台無しになってしまいます。
どうぞ、めだま君は無視してスルーし本来の議論を続けて下さい。

私はキリスト教徒ですが、信仰を持つ者はそれほど頑迷ではありません。
というより頑迷であってはならないのです。

内村鑑三にしても、私は否定的な考え方を持っています。

なぜならば、信仰において宗教や宗派の違いは「真理を垣間見る窓の違い」であり、クリスチャンであろうと、ムスリムであろうと、仏教徒であろうと、探求しているものは「同じ」であるという基本があるからです。

預言者として導く者の違いや、聖書やコーランのような教典の違いは、「約束の地」へたどり着く為に歩く道や道しるべの違いに過ぎないからです。 これは神道であったとしても仏教であっても同じです。

内村批判は「彼の行動」が、筋が通らないから成されたのでしょう。

その行動の動機や判断の規範となった根本が信仰であったとしても、責められるべきは内村の意志に基づく行動です。

あまりに頑迷だと思います。

仮に内村の行動の動機が、彼の行動の規範であったであろう信仰にあるとしたら、同じ信仰を持つ者として、私は内村を否定します。

寛容さと多様性の尊重、いいかえれば異教と異教徒を尊重する姿勢を持たなければ、信仰とともに生きる者としては失格なのです。

結論として、内村の行為は信仰とともに生きる者が成すべきことではないと考えるからです。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):お願いです。  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/9(水) 9:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:
おはようございます。
>私はキリスト教徒ですが、信仰を持つ者はそれほど頑迷ではありません。
>というより頑迷であってはならないのです。
なんだ、私と同じですね。

>内村鑑三にしても、私は否定的な考え方を持っています。
>あまりに頑迷だと思います。
本当は、私個人としては否定的評価もありますよ。ただし、告天子さんとは別の意味でね。

>寛容さと多様性の尊重、いいかえれば異教と異教徒を尊重する姿勢を持たなければ、信仰とともに生きる者としては失格なのです。
しかし、問題は個人間の信仰自由とは次元が異なります。したがって、考えようによっては積極的意味もあるというのが、私の見解です。

>結論として、内村の行為は信仰とともに生きる者が成すべきことではないと考えるからです。
英国のプロテスタントも、信仰自由のために血を流しました。カエサルのものはカエサルへと、言えないときもあるんですね。

>失礼いたしました。
これからも、末永くよろしく。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):了解しました  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/9(水) 13:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:▼ニッチモサッチモさん:

意見していただいて、ありがとうございます。英さんにも勧められたとおり、今後はめだま君との意見のやりとりは、私は控えることにします。

一度YOTAさんにもそのように話したのに、意見の訂正から始まって、・・・結局私は当初のYOTAさんお勧めの通りにした方が間違いなかったと、痛感しました。以後は徹底します。

▼退役軍人さん:

了解です。もともとトビパパさんとの意見交換が流れですので、本筋に集中します。

キリスト教と日本の出会いは、どちらかというと不幸なものであったと私は思いますが、明治時代にも当初は厳禁政策、それから黙許に移り、やがては如何にキリスト教の論理と日本的な信仰論理を巧く調和させていくか、国法の中に位置づけるか(信教の自由)に政策が変遷していったということです。

厳禁政策の頃には、仏教と神道が合同して、理論的にキリスト教反駁のための宣教運動などを「やろう、」となったらしいのですが、やはり好ましくない、国民の自由に任せた方がよいのではないか、という流れに落ち着いたのだそうです。この辺り、欧米列強の動きが背景にあったりして流れは複雑なのですが、大筋、信教は自由であるべき、というのが明治政府の方針で、むしろ大弾圧されたのは皇道を過激に推し進めようとした新興民間神道派閥などの方だったりします。


内村の件などは、こうした近代日本の宗教史の中で考えてみると、後の靖国問題の法廷闘争などにも繋がってくるのかと思いますが、退役軍人さんが言われるような「寛容」の論理が、こうした問題の解決へのヒントになるのではないかと思います。互いに否定し合い、潰し合うような関係ではなく、相互尊重の道、と言いますか・・・。

キリスト教の理解では、私は至らぬところは多々あると思いますが、これからもどうぞよろしくお願いします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 信教自由は対外政策的配慮  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/9(水) 14:07  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
こんにちは、
>キリスト教と日本の出会いは、どちらかというと不幸なものであったと私は思いますが、明治時代にも当初は厳禁政策、それから黙許に移り、やがては如何にキリスト教の論理と日本的な信仰論理を巧く調和させていくか、国法の中に位置づけるか(信教の自由)に政策が変遷していったということです。
>
>厳禁政策の頃には、仏教と神道が合同して、理論的にキリスト教反駁のための宣教運動などを「やろう、」となったらしいのですが、やはり好ましくない、国民の自由に任せた方がよいのではないか、という流れに落ち着いたのだそうです。この辺り、欧米列強の動きが背景にあったりして流れは複雑なのですが、大筋、信教は自由であるべき、というのが明治政府の方針で、むしろ大弾圧されたのは皇道を過激に推し進めようとした新興民間神道派閥などの方だったりします。
きようは、わかり易いお話で、私も了解です。
しかし、なぜ、明治政府は、大筋に信教自由を説きながら、国内の神道系の信仰宗教を弾圧したのでしょうか。つまり、信教自由は対外政策的配慮であって、本心は政教一致を目指したのではありませんか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ネット社会の混沌  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/9(水) 16:37  -------------------------------------------------------------------------
   めだまクン>>しかし、なぜ、明治政府は、大筋に信教自由を説きながら、国内の神道系の信仰宗教を弾圧したのでしょうか。つまり、信教自由は対外政策的配慮であって、本心は政教一致を目指したのではありませんか?<<

匿名性の強いネット社会では、50代の働き盛りが、小学6年生のPCマニアに食って掛かられることなどいくらでもありそうですな。
意見が、自分のものか他人の受け売りかも判りません。
当の本人も訳が判らなくなって、自分の意見と思いこんでいるケースもあるのではないか。

めだまクン、ん、もう、いいから・・・
私が折角書いた【43082】老人党候補立会演説会、こっちのほうに遊びにいらっしゃいな。聴衆も疎らで、暇です。待ってますよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ネット社会の混沌  ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com>  ■日付 : 05/2/9(水) 18:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:
お誘い、ありごとうございます。
>めだまクン、ん、もう、いいから・・・
私は、私と思考を異にする人たちが大好きなんです。告天子さん、相良さん、英さん・・・これらの方々とお話していると、とても刺激を受けます。きょうは、朝日新聞で芹沢さんが、9条と1条の関係に少し触れていましたね。芹沢さんにも、この掲示板覗いたら刺激を受けるかもしれませんね。きょうは、憲法学者の研究室に押しかけ、憲法制定過程に関する文献を沢山借りてきました。最近の憲法学者は元気がないね。私が憲法に関心を抱くようになったのも、実は告天子さんたちの書き込みに触発されてのものです。

>私が折角書いた【43082】老人党候補立会演説会、こっちのほうに遊びにいらっしゃいな。聴衆も疎らで、暇です。待ってますよ。
どうしようかなー!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):老人党って? (3)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/3(木) 19:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん:
>告天子さん、
>
>いつかはやって来るとは期待していましたが、一気にこれほど
>多量に来るとは、ちと予想外でしたね。ぼくが立てたわけじゃ
>ない「老人党って」と題したスレッドを、まさか2度もぼくが
>更新するとは思っていませんでした。

普段は自分が書いたスレッドと管理板しか読んでいないんですね、実は・・・。

>オリジナルのぼくの論旨に従って反論するなら、
>日本史の中で理論あるいは思想としての民権があったとしても、
>それが民衆の中にしかと根づくような形で発展しなかったことを
>指摘したつもりです。

これは私もそうだと思います。西洋化の失敗、といいますか、西洋と日本の、思想的ミスマッチ、みたいなものかと自分はイメージしているんですが、「天皇制にしたから必ず上手く行く」みたいな話でもありませんし、「民権が健全に発展しなかった」ことについては問題意識はそれほどトビパパさんと違わないと思うんですよ。

「反西洋思想」、みたいな文脈で、「天皇制に戻ればとにかく上手く行く」、みたいにも思えないんですし、そういう意味では、単純な戦前回帰みたいなことでは上手く行かないだろう、と。

>そして、その大きな原因に天皇制があった
>というのが、ぼくだけでなく、おそらく多くの歴史家・思想家に
>共通の歴史観じゃないでしょうか。

戦前の日本の体制を大きく「天皇制」とくるめてしまえば、「天皇制に問題があった」はその通りだと思いますが、内部を細かく見ていくべきではないかと思っています。

>三木清はハイデルベルク大学に学んでいた頃、地元紙に寄稿し、
>日本における学問自立の妨げとなっている原因の一つとしての
>天皇制を論じています。天皇制のもとに、学問の自由が奪われ、
>優秀な学者の社会的地位ばかりか言論の自由や命そのものまで
>奪われた歴史を反省すれば、若き日の三木清の着眼の正しさが
>証明されるでしょう。

三木清の本というのは読んだことがないのですが、国家体制が学問の自由を侵すようでは、これは確かにいかんと思いますね。

>民権という名の一つの学問(思想)が民衆に根づくためには、
>それなりの教育が必要だったはずです。しかし、明治から
>太平洋戦争にかけての日本政府が国民教育で行なったことは、
>反民権主義とも呼ぶべきものでした。

実際には、帝国憲法が出来てから後は、藩閥政治家は後退する一方で、「日本政府」は「民権論者の政府」なんですね。そうなると、民権論者が反民権論の国民教育をした、みたいな話になってしまうと思うんですよ。

帝国政府の国民教育が「全部良かった」とか、そういう積もりはありませんが、反民権主義、といった一色のものでもなかった思いますね、実際、教育勅語が出たのは、それ以前の教育が「あまりに西洋中心主義的で、極端に啓蒙思想的だったから」ですし。だから、教育勅語でバランスを取ろう、という話だったわけです。

>このスレッドは、君が代の話から発展してきたものですが、今も
>多くの日本人の中に残っている天皇制には反省すべきことが多い
>にもかかわらず、それに無関心のままに天皇を情緒的に慕う人
>の目立つ現状は、日本の歴史と伝統にとって非常に問題だと
>ぼくは思うのです。

基本的にこの部分はその通りで、私も賛成したいと思いますね。まあ、私は政治的にどうと言うより情緒的な方から「天皇」に関心を持った方ですけど・・・。

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