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 ▼「人間」と「知」・「情」・「意」のバランスについて  とうろう 05/2/7(月) 7:56
   ┗Re(1):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  とうろう 05/2/10(木) 23:44
      ┣Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  しげちよ 05/2/10(木) 23:56
      ┃  ┗Re(3):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  とうろう 05/2/11(金) 0:24
      ┣Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」言わずもがなを  とうろう 05/2/11(金) 1:25
      ┣Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」言わずもがな/追記  とうろう 05/2/11(金) 2:33
      ┗Re(2):なぜ科学は「神」を必要としないのか。  とうろう 05/2/12(土) 22:28

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 ■題名 : 「人間」と「知」・「情」・「意」のバランスについて
 ■名前 : とうろう
 ■日付 : 05/2/7(月) 7:56
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   おはようございます。

掲示板の経験の「一感想」として下記します。

「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」(草枕 夏目漱石)

上に鑑み、「知・情・意のバランスと人の言動」に関し、身の程も弁(わきま)えず、考察してみました。

「知」←知識・智慧:知性・理性・悟性(技)「科学的合理性」
「情」←感情・情愛・人情:感性・悟性(心)「芸術的直観性」
「意」←意志・意欲・言動:人間性顕現(体)「身体的行動性」

人は、このバランスが重要、いずれを欠いても、いずれが突出しても歪(いびつ)な人間となる。

1.十全な「知」を欠き、あるいは、「情・意」だけが突出すると、「意地で屁理屈をこね回し、自己矛盾・撞着に気付かず」

「盲信・妄信・迷信」「盲愛・偏愛」「盲動・蛮勇」という、偏った「情・意」的行動に陥る。

2.十全な「情」を欠き、あるいは、「知・意」だけが突出すると、「意地と自尊から浅薄、一面的、一方的な理屈をいい」

「我執」「利己」「独善」(唯我独尊)「博愛無き自己愛(妬心に基づく)」という、偏った「知・意」的行動に走る。

3.十全な「知・情」があれば、正しい「意」は自ずと形成され、心身一如、バランスの取れた言動が出来る?

「知・情」無きとき「意」は消失する(なお、「感情;本能的生存意欲」を喪失したときは「適正な意思決定」が出来ないと言われる)。

「知」のみの「情」無き「意」あるいは「知」無く「情」のみの「意」は、「唯我独尊」「独善」「偏狭」から「冷淡」「冷酷」「暴虐」的行動にいたる。

以上、掲示板で多くを学びました。

自分も「知・情・意」のバランスの取れた人になりたいと切に希求する所以(ゆえん)です。 失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/2/10(木) 23:44  -------------------------------------------------------------------------
   こんばんは。出来れば多くの方にお目通し頂きたく、また、ご批判頂きたく、無恥をもって再掲します。

***(1)「人間/知・情・意論」
>「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」(草枕 夏目漱石)
 
>上に鑑み、「知・情・意のバランスと人の言動」に関し、身の程も顧みず、考察してみました。

>「知」←知識・智慧:知性・理性・悟性  (技) →「科学的論理性」
>「情」←感情・情愛・人情:感性・悟性  (心) →「芸術的直観性」
>「意」←意志・意欲・言動:人間性顕現 (体) →「身体的行動性」

>「知情意」と日本の相撲(武術道)「心技体」の、「知」と「心」の順位が変わっているところが日本人的心性の現われかとも思います。
 
>1.十全な「知」を欠き、あるいは、「情・意」だけが突出すると、「意地で屁理屈をこね回し、自己矛盾・撞着に気付かず」→→「盲信・妄信・迷信」「盲愛・偏愛・溺愛」「盲動・蛮勇・折伏(妬心に基づく)」という、偏った「情・意」的行動に陥る。
 
>2.十全な「情」を欠き、あるいは、「知・意」だけが突出すると、「意地と独尊から浅薄、一面的、一方的な、生半可な理屈を立て」→→「我執」「利己」「独善」(唯我独尊)「博愛無き自己愛(妬心に基づく)」という、偏った「知・意」的行動に走る。
 
>3.十全な「知・情」があれば、正しい「意」は自ずと形成され、心身一如、バランスの取れた言動が出来る???
 
>「知・情」無きとき、「意」は消失する。
>(なお、「感情;生命システムが形成してきた身体維持システム(免疫、ホメオスタシスなど)と脳・神経システム(意識)の結合」を喪失したときは「適正な意思決定」が出来ないと言われる)。
 
>「知」のみの「情」無き;「知意」、あるいは、「知」無く「情」のみの;「情意」は共に→→「唯我独尊」「独善」「偏狭」から「冷淡」「冷酷」「暴虐」的行動に至るおそれがある。

***(2)「人間/額縁人間論」

>人を一枚の絵画に譬えると、その権力、地位、肩書き(名刺)あるいは、少し飛躍して、勲章、もっと飛躍して、人種、民族、出自、性、学歴、教養・知識、年齢・・・などは、その人(絵)の「額縁」にしか過ぎないと考えるべきもの。

>本当の人間の価値はその中味の「絵」(なお、人間は、「ヒト種」という「霊長類」に過ぎない)「人格」「価値観」あるいは「人間観」にある。

>世の中、「額縁(名刺)」で人の価値を判断する人が如何に多いことか。先ず、初対面で名刺を交換し、肩書きを確認しあうのです(勿論、ビジネスの上では肩書きを確認し、どれほどの権限を有するお方か判断することは大事なことですが、それによって言葉使いを変え、態度を変えるなどは、「額縁信仰」と私は考えるものです)。

>そして、このような「額縁(勲章)」で身を飾り、それが「人間の価値」と考える「額縁信仰」の人もまた如何に多いことか。

>「立派な額縁」は「名画」を飾ってこそ価値があり、「まずい絵」を如何に「立派な額縁」で飾っても滑稽なだけと知るべきものと思っております。

>権力(名誉、資産なども含む)、地位、肩書きなどは、その権力を有する人、その地位にある人、その肩書きを有する人の「行動、言、論」がそれに伴ってこそ価値あるものと思います。

>単に、日本国総理だから立派なわけでなく、総理に相応(ふさわ)しい「行動、言、論」を持ってこそ立派なのだと考えます。

>ある権力を有するから、単にその地位にいるから、あるいは、その肩書きを有するから立派な人とは言えないのは当然のことと思い、立派な「額縁」が決して中味の「絵」の価値を高めるわけでない、と思うものです.

>しかし、「額縁信仰」がある以上、多くの方が、権力、地位、肩書きなどの「額縁修飾」に拘る所以かと愚考いたします。「額縁」がなくなれば、勿論、実利(お金)がなくなることを懸念されるのでしょうが、更に、中味の絵の価値(ご本人の人間的価値)まで無くなると錯覚されているような気がします。

私が、「額縁信仰」と揶揄する所以(ゆえん)です。

「偏知」、「偏情」と「額縁信仰」からの卒業が、真の「民主主義」に近づく基本かと観ずる所以です。

恐惶謹言

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  ■名前 : しげちよ  ■日付 : 05/2/10(木) 23:56  -------------------------------------------------------------------------
   むずかしいことはわかりません。
ただ、どこか歪であるのが個性では?
と思うのです。
知性が欠けている分、情があついとか、
情は薄いけど知性があるとか。

まぁ、すべてが円満に備わっているのが
理想ですけど。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/2/11(金) 0:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼しげちよさん:こんばんは。

早速、レス有難うございます。

>むずかしいことはわかりません。ただ、どこか歪であるのが個性では?と思うのです。知性が欠けている分、情があついとか、情は薄いけど知性があるとか。

>まぁ、すべてが円満に備わっているのが理想ですけど。

「どこか歪であるのが個性では?」

勿論、そうだと思います。私自身にも当然「歪み」ありと認識しております。「世故に長けない・・・」その他諸々と。

しかし、「難しいことは分からん」とは仰らずに、弊言に沿って、逐一何が分からなくて?弊言の何が間違っていて、しげちよさんの、このコメントに至ったかを説明頂くと、私としては嬉しいのですが・・・。

宜しくお願いいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」言わずもがなを  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/2/11(金) 1:25  -------------------------------------------------------------------------
   こんばんは。

ついつい「歪み」ある人格ゆえ、言わずもがなの一言を。

何か、他所(よそ)のスレッドで「兎角(とかく)」言うのであれば、ここに言えば好いのにと感ずるのは、私の「歪み」でしょうね。

好漢、惜しむらくは「臆したか?」と、感じた次第。世故に長けない「とうろう」の率直な感じでした。

ストレス解消の遊びは、私も楽しんでいます。すみません、失礼を致しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):「智に働けば角が立つ。情に棹させば・・・」言わずもがな/追記  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/2/11(金) 2:33  -------------------------------------------------------------------------
   念のため、追記を。

弊【43216】は、間接的ですが、勿論、「ウミサチヒコ」尊兄、宛です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):なぜ科学は「神」を必要としないのか。  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/2/12(土) 22:28  -------------------------------------------------------------------------
   こんばんは。

標記は「悪魔に仕える牧師」(リチャード・ドーキンス著 早川書房 2004.4.30)の副題です。

特に、天皇制についてご議論されておられる方々に是非お目通し頂ければと思い、ご紹介いたします。併せて下記を再再掲させて下さい。

>***(1)「人間/知・情・意論」
>>「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」(草枕 夏目漱石)
> 
>>上に鑑み、少し考察しました。
>
>>「知」←知識・智慧:知性・理性・悟性  (技) →「科学的論理性」
>>「情」←感情・情愛・人情:感性・悟性  (心) →「芸術的直観性」
>>「意」←意志・意欲・言動:人間性顕現 (体) →「身体的行動性」
>
>>「知情意」と日本の相撲(武術道)「心技体」の、「知」と「心」の順位が変わっているところが日本人的心性?
> 
>>1.十全な「知」を欠き、あるいは、「情・意」だけが突出すると、「意地で屁理屈をこね回し、自己矛盾・撞着に気付かず」→「盲信・妄信・迷信」「盲愛・偏愛・溺愛」「盲動・蛮勇・折伏(妬心に基づく)」という、偏った「情・意」的行動に陥る。
> 
>>2.十全な「情」を欠き、あるいは、「知・意」だけが突出すると、「意地と独尊から浅薄、一面的、一方的な、生半可な理屈を立て」→「我執」「利己」「独善」(唯我独尊)「博愛無き自己愛(妬心に基づく)」という、偏った「知・意」的行動に走る。
> 
>>3.十全な「知・情」があれば、正しい「意」は自ずと形成され、心身一如、バランスの取れた言動が出来る?
> 
>>「知・情」無きとき、「意」は消失する。
>>(なお、「感情;生命システムが形成してきた身体維持システム(免疫、ホメオスタシスなど)と脳・神経システム(意識)の結合」を喪失したときは「適正な意思決定」が出来ないと言われる)。
> 
>>「知」のみの「情」無き「知意」また「知」無く「情」のみの「情意」は共に→「唯我独尊」「独善」「偏狭」から「冷淡」「冷酷」「暴虐」的行動に至る?
>
>***(2)「人間/額縁人間論」
>
>>人を一枚の絵画に譬えると、その権力、地位、肩書き(名刺)あるいは、少し飛躍して、勲章、もっと飛躍して、人種、民族、出自、性、学歴、教養・知識、年齢・・・などは、その人(絵)の「額縁」にしか過ぎないと考えるべきもの。
>
>>本当の人間の価値はその中味の「絵」(なお、人間は、「ヒト種」という「霊長類」に過ぎない)「人格」「価値観」あるいは「人間観」にある。
>
>>世の中、「額縁(名刺)」で人の価値を判断する人が如何に多いことか(勿論、ビジネスの上では肩書きを確認し、どれほどの権限を有するお方か判断することは大事なことですが、それによって言葉使いを変え、態度を変えるなどは「額縁信仰」あるいは「額縁盲信」に過ぎない)。
>
>>そして、このような「額縁(勲章)」で身を飾り、それが「人間の価値」と考える「額縁信仰」の人もまた如何に多いことか。
>
>>「立派な額縁」は「名画」を飾ってこそ価値があり、「まずい絵」を如何に「立派な額縁」で飾っても滑稽なだけと知るべき。
>
>>権力(名誉、資産なども含む)、地位、肩書きなどは、その権力を有する人、その地位にある人、その肩書きを有する人の「行動、言、論」がそれに伴ってこそ価値あるもの。
>
>>例えば、単に、日本国総理だから立派なわけでなく、総理に相応(ふさわ)しい「行動、言、論」を持ってこそ立派と言える。
>
>>ある権力を有するから、単にその地位にいるから、あるいは、その肩書きを有するから立派な人とは言えない。立派な「額縁」が決して中味の「絵」の価値を高めるわけでない。
>
>>しかし、「額縁信仰」がある以上、多くの方が、権力、地位、肩書きなどの「額縁修飾」に拘る所以かと愚考いたします。「額縁」がなくなれば、勿論、実利(お金)がなくなることを懸念されるのでしょうが、更に、中味の絵の価値(ご本人の人間的価値)まで無くなると錯覚されているような気がします。
>
>「額縁信仰・額縁盲信」と揶揄する所以(ゆえん)。
>
>「偏知」、「偏情」と「額縁信仰」からの卒業が、真の「民主主義」に近づく基本かと観ずる所以です。
>
>恐惶謹言

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