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 ▼〜仮出所とは?名ばかり?〜  梶原景昭 05/2/14(月) 0:23
   ┣ちょっと違いませんか。  退役軍人 05/2/14(月) 10:24
   ┃  ┗Re(1):ちょっと違いませんか。  珍 源斎 05/2/14(月) 12:31
   ┣Re(1):〜仮出所とは?名ばかり?〜  MNG 05/2/14(月) 11:18
   ┗責任は誰がとる?  もの申す 05/2/15(火) 14:53

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 ■題名 : 〜仮出所とは?名ばかり?〜
 ■名前 : 梶原景昭 <kageaki@pop06.odn.ne.jp>
 ■日付 : 05/2/14(月) 0:23
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                          2005[平成17]年
 最近赤ん坊を惨殺した惨い事件が、模範囚とレッテルを張らされた極悪人に生命を奪われた。何と地獄のような社会を我々は、潜在的に作ってしまったものだ。

 仮出所とは、刑務所の門を一歩でも出れば、何をやってもいいですよ!なのですか?そうではないでしょう!その極悪人が、刑務所内で善行を施した事を出所後は、保護観察の筈なのですから、出所しても暫くは目をそらしてはならぬ事は、常識ではないのでしょうか。警察は、犯人逮捕だけしてりゃあ〜それでいいんだ。殺人を犯した者は、死刑にしていまえば簡単でいい!警察と言う所は、そういう無慈悲な所なのでしょうか?この事は、刑務所に居た時の教育制度の欠陥を洗い出さねばならないと思いますよ。

 人間の理性は、その時任せですから当てになりませんよ。罪のない人間を人を使って無造作に殺す事を何とも思わない指導者(例えば、大指導者?ブッシュ大統領)は、何故あの傲慢さが許されるの?今更、教育が良いの悪いのだ。よりも前の人間味の問題ではないでしょうか。警察も、心の改革を肝に銘じて、プロの根性をもう一度振り返り、叩きなおして社会に貢献して下さい。2月10日(木) 梶原景昭

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ちょっと違いませんか。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/2/14(月) 10:24  -------------------------------------------------------------------------
   梶原景昭さん、おはようございます。

▼梶原景昭さん:
>                       2005[平成17]年
> 最近赤ん坊を惨殺した惨い事件が、模範囚とレッテルを張らされた極悪人に生命を奪われた。何と地獄のような社会を我々は、潜在的に作ってしまったものだ。

世の中には、「とても良い人」「良い人」「普通の人」「悪い人」「とても悪い人」と分類できる人達が一定の割合で存在しますよね。

この割合はそれほど変化していないと思うのです。

ただ、犯罪を抑制する社会の仕組みに変化があり、凶悪な犯罪に手を染める「とても悪い人達」が、安易に犯罪を犯してしまうようになったと見ています。

刑罰を厳しくして、全ての犯罪に対して厳罰を以て臨む方法も考えなければならないでしょうね。 再犯を抑制するためには、犯罪を犯さずとも生きていける「機会」を積極的に与える事と同時に考えて実行しなければならないとは考えますが。

> 仮出所とは、刑務所の門を一歩でも出れば、何をやってもいいですよ!なのですか?そうではないでしょう!その極悪人が、刑務所内で善行を施した事を出所後は、保護観察の筈なのですから、出所しても暫くは目をそらしてはならぬ事は、常識ではないのでしょうか。警察は、犯人逮捕だけしてりゃあ〜それでいいんだ。殺人を犯した者は、死刑にしていまえば簡単でいい!警察と言う所は、そういう無慈悲な所なのでしょうか?

警察は法を司る執行機関であり、その責任と任務は事件を捜査し容疑者を逮捕し送検した時点で終わりです。

裁判を終えて、判決が確定した犯人に対する処罰の執行と更生についての責任は「警察」にはありません。

ここに、警察の過剰な関与を許すと「予防拘禁」とか、もっと重大な問題を招いてしまいませんか。

>この事は、刑務所に居た時の教育制度の欠陥を洗い出さねばならないと思いますよ。

限度があると考えるべきです。
組織暴力団構成員の服役囚は、ほとんどが模範囚だそうですよ。

刑罰を通じて更生を促し、社会にもう一度受け入れるという「原則」が存在しますから、人権との関わりからどうしても限度が生じてしまうのです。

> 人間の理性は、その時任せですから当てになりませんよ。罪のない人間を人を使って無造作に殺す事を何とも思わない指導者(例えば、大指導者?ブッシュ大統領)は、何故あの傲慢さが許されるの?

幼児殺害事件と米国大統領の所業になんの「因果関係」もありません。
我々の社会に潜在する問題と、米国政府の政策は別の次元で捉えるべき問題ですよ。

なんでも取り混ぜて批判する姿勢には疑問を持ってしまいます。

>今更、教育が良いの悪いのだ。よりも前の人間味の問題ではないでしょうか。警察も、心の改革を肝に銘じて、プロの根性をもう一度振り返り、叩きなおして社会に貢献して下さい。2月10日(木) 梶原景昭

教育に問題があるのです。(断言)

それも、学校教育と人間味を獲得するために必須である家庭での「人間関係の世間智慧」を教える「躾」の双方に問題があると思いますよ。

躾を学校でなんて考える「馬鹿親」がいるからいけないのです。
最も責任が重いのは親以外の誰でもありません。

閑話休題

ここでは、現れた問題の原因を「政府の政策」とか「社会構造の変化」に求める論調が主流のようですが、その前に社会を構成する一員として我々にも責任がありませんか。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ちょっと違いませんか。  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/2/14(月) 12:31  -------------------------------------------------------------------------
   退役軍人さん:
梶原景昭さん、おはようございます。
横レスになりますが、お許し下さい。

深刻な社会問題の一面でもあり、もっとも注視せねばならぬ
こととしてレスさせて頂きます。

>ただ、犯罪を抑制する社会の仕組みに変化があり、凶悪な犯罪に手を染める「とても悪い人達」が、安易に犯罪を犯してしまうようになったと見ています。
>
>刑罰を厳しくして、全ての犯罪に対して厳罰を以て臨む方法も考えなければならないでしょうね。 再犯を抑制するためには、犯罪を犯さずとも生きていける「機会」を積極的に与える事と同時に考えて実行しなければならないとは考えますが。

>警察は法を司る執行機関であり、その責任と任務は事件を捜査し容疑者を逮捕し送検した時点で終わりです。
>
>裁判を終えて、判決が確定した犯人に対する処罰の執行と更生についての責任は「警察」にはありません。
>
>ここに、警察の過剰な関与を許すと「予防拘禁」とか、もっと重大な問題を招いてしまいませんか。

全くその通りです。警察に過剰な期待を寄せるべきではありません。
>
>限度があると考えるべきです。
>組織暴力団構成員の服役囚は、ほとんどが模範囚だそうですよ。

刑務所つとめ、服役態度を良くして刑務官の心証の覚えを良くする
ノウハウが、その世界にある事を聞いたことがあります。

>刑罰を通じて更生を促し、社会にもう一度受け入れるという「原則」が存在しますから、人権との関わりからどうしても限度が生じてしまうのです。

>なんでも取り混ぜて批判する姿勢には疑問を持ってしまいます。

>教育に問題があるのです。(断言)
>
>それも、学校教育と人間味を獲得するために必須である家庭での「人間関係の世間智慧」を教える「躾」の双方に問題があると思いますよ。

>躾を学校でなんて考える「馬鹿親」がいるからいけないのです。
>最も責任が重いのは親以外の誰でもありません。

躾は元より真面目に誠実に生きることを教えるのは、まず第一に
親の役目もさることながら責任ではないでしょうか。

人生は何かにつけてある意味、誠実を通した方が間違いなく
幸福な一生を終えてることは、この歳になると納得するものがあります。

愛知県の安城市で起きた悲しむべき不幸な事件の背景には
「自分の不幸」を見ず知らずの人に向けて鬱憤ばらしのように
してしまうこと、他人の幸せを許せぬ屈折、ねじ曲がった心理状態に
堕ち入ってしまう人間であるようで、・・・

他人の幸せを妬み自分自身について真摯な反省が出来ないこと・・
考えると大なり小なりそう言った思考傾向にある人が最近、とみに
増えてきてるような感じがあります。

犯罪もそれを暗示するように増えてるように思えます。

前述の安城事件の発生前に遡ることが出来たのならば、
「犯人」彼に暖かい牛乳を飲んでもらい、放置廃車の中でなく
暖かい寝場所、足が冷えない靴を履いてら、彼、自身が
悪魔の乗り物に成り下がらなかったのでは無いか・・と

犠牲者やその親御さんの事を思い・・社会的にも悔いの
残る事・・として考えさせられました。

>ここでは、現れた問題の原因を「政府の政策」とか「社会構造の変化」に求める論調が主流のようですが、その前に社会を構成する一員として我々にも責任がありませんか。

全くその通りです異論の余地はありません。

>失礼いたしました。 ・・・de 珍 源斎

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):〜仮出所とは?名ばかり?〜  ■名前 : MNG  ■日付 : 05/2/14(月) 11:18  -------------------------------------------------------------------------
   ▼梶原景昭さん:ごめんください。

仮出所すると保護観察となりますが、保護観察期間中に所在不明になっても放置されているのが現状のようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050210-00000001-yom-soci

元受刑者も出所すれば社会の一員として生きていかなくてはなりません。
早急な対応が必要です。

その点、江戸時代には素晴らしい更生施設がありました。
「鬼平犯課帳」で有名な長谷川平蔵の進言で作られた人足寄場がそれです。
http://www.tkc.co.jp/kaze/backnum2004/0401/koramu.html

人足寄場は明治時代になって廃止されてしまいましたが、もう一度このような施設の必要性が、今ほど高まっている時はないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 責任は誰がとる?  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/2/15(火) 14:53  -------------------------------------------------------------------------
   この傷ましい事件を別の角度から考えたいと思います。
そもそも仮釈放は誰が決めたのでしょうか。仮釈放をするからには条件があるはずです。犯人がその条件に合致するか否かの判断は、誰かが行ったはずです。
ところが今回の事件は誰かの判断が間違っていたことを示しています。何も五年後、十年後のことを言っているのではありません。判断を下して一ヶ月も経たないうちに起きた問題です。

我々の社会では間違った判断をしてその結果第三者や所属する組織に損害を与えた場合は、当然のことながら責任を問われます。
犯人を仮釈放すべしと判断した人は責任を問われて当然です。兎角このような事件が起きると、法律が不備だとか仕組みができていないなどと、個人の責任を追求することなく組織やその他の問題にすりかえてしまいがちです。特に官の世界ではその傾向が強く、どんな問題が起きようと当事者が犯罪を犯していない限り、個人が責任追及されることはありません。

しかし判断をした人間、それを許可した人間は被害者と遺族に対して責任を取るべきです。責任が取れないならば仮釈放などすべきではありません。
これまでにも官の判断ミスや不作為で多くの国民が被害を受けてきましたが、その多くは皆泣き寝入りです。正常な社会は個人が責任を負うことが土台とならなければなりません。責任ある仕事をすると言うのは、まさに失敗したら責任を負うということだと思います。

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