Page 2411 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育勅語の大欠陥 めだま君 05/2/18(金) 10:11 ┣Re(1):教育勅語の大欠陥 相良唯夫 05/2/18(金) 17:40 ┃ ┣Re(2):教育勅語の大欠陥 愚民 05/2/18(金) 18:45 ┃ ┗Re(2):教育勅語の大欠陥 めだま君 05/2/18(金) 21:29 ┃ ┗Re(3):教育勅語の大欠陥 東光 05/2/18(金) 21:48 ┃ ┗Re(4):教育勅語の大欠陥 めだま君 05/2/18(金) 22:15 ┗Re(1):教育勅語の大欠陥 しげちよ 05/2/18(金) 18:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育勅語の大欠陥 ■名前 : めだま君 <medama_kun@mac.com> ■日付 : 05/2/18(金) 10:11 -------------------------------------------------------------------------
▼相良唯夫さん: おはようございます。 教育勅語の長所と欠点について語りませんか。(その1) 「朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。」 なぜ、臣民は国家に忠を尽くすのか。ここにはその理由はかいて在りませんね。また、子はなぜ親に孝を尽くすのか、それも書いていませんね。ただ、美風としてよいことだと、明治天皇(政府官僚)の方で一方的に価値判断してるだけです。 臣民は、無条件的に国家に忠を尽くすものなのか、子も無条件的に親に孝を尽くすものなのか、そのこと自体を問う視角がありませんね。その意味で、教育勅語は、近代精神を吹き込みモディファイしないと、現代社会では使えませんね。 |
▼めだま君さん: >なぜ、臣民は国家に忠を尽くすのか。ここにはその理由はかいて在りませんね。また、子はなぜ親に孝を尽くすのか、それも書いていませんね。ただ、美風としてよいことだと、明治天皇(政府官僚)の方で一方的に価値判断してるだけです。 > >臣民は、無条件的に国家に忠を尽くすものなのか、子も無条件的に親に孝を尽くすものなのか、そのこと自体を問う視角がありませんね。その意味で、教育勅語は、近代精神を吹き込みモディファイしないと、現代社会では使えませんね。 孝を尽くすとは、水が上から下に流れるような自然の摂理です。 親の恩、社会の恩、師の恩を感じらるようにつくられている人間が、その恩に対し、感謝の生活をするのに何の理由が必要なのか私にはわかりません。 親に孝を尽くすのに何の条件が要るのでしょう。むしろお聞きしたい。 無力な赤ん坊から、いっぱしの理屈が言えるように育ててくれたのは誰でしょう。 親であり、社会であり、師であり、その他もろもろの恩愛の中で育まれてきたのです。 話し合いは結構ですが、私には議論を戦わすような知識を持ち合わせていませんから、難しいことは皆様のご意見から勉強させていただくに留めます。 |
▼相良唯夫さん: >無力な赤ん坊から、いっぱしの理屈が言えるように育ててくれたのは誰でしょう。 >親であり、社会であり、師であり、その他もろもろの恩愛の中で育まれてきたのです。 良い言葉ですね。ぐっと来ました。 「子を持って知る、親の恩」という言葉を、今、噛みしめています。 |
▼相良唯夫さん: >孝を尽くすとは、水が上から下に流れるような自然の摂理です。 そうありたいものですが、現実はどうでしょうか。 >親の恩、社会の恩、師の恩を感じらるようにつくられている人間が、その恩に対し、感謝の生活をするのに何の理由が必要なのか私にはわかりません。 ここは、相良さんも私と同意見のようですね。親が子に「恩」を与え、 >親に孝を尽くすのに何の条件が要るのでしょう。 その結果、子が親に「孝」を尽くす。 >無力な赤ん坊から、いっぱしの理屈が言えるように育ててくれたのは誰でしょう。 >親であり、社会であり、師であり、その他もろもろの恩愛の中で育まれてきたのです。 これらは親や社会や師の子に対する「恩」、その反対給付としての子から親や社会や師への「孝」ですね。 このことをまとめると、「両親が子に恩愛をもって接する場合には、子は両親に孝を尽くしなさい」ということに落ち着くのではないでしょうか。 パチンコ店で、子どもを車の中に置き去りにしてゲームに興じる親は、子から孝行される資格がない! 親の学歴で子どもを計り、塾通いばかりさせる親は、ある日、金属バットで・・・・! 生徒のいじめを見て見ぬふりをする教師は、ある日、包丁で・・・! |
▼めだま君さん: >パチンコ店で、子どもを車の中に置き去りにしてゲームに興じる親は、子から孝行される資格がない! だからこれは、良循環があればどこまでもいい教えになるし、なければ不合理な教えになる、ということなんですよ。 しかし「良循環がある社会」を理想にしよう、というのは間違っていないわけだよ。 |
▼東光さん: こんばんは、 > だからこれは、良循環があればどこまでもいい教えになるし、なければ不合理な教えになる、ということなんですよ。 > しかし「良循環がある社会」を理想にしよう、というのは間違っていないわけだよ。 確かにね。明治社会は良循環がなたったから、崩壊したんですね。そして、戦後、よりましな良循環システムができた。 |
▼めだま君さん: >臣民は、無条件的に国家に忠を尽くすものなのか、子も無条件的に親に孝を尽くすものなのか、そのこと自体を問う視角がありませんね。その意味で、教育勅語は、近代精神を吹き込みモディファイしないと、現代社会では使えませんね。 日本国憲法も基本的人権を尊重する旨が書かれていますが,人権が制限,あるいは停止される局面はあります。しかし,そんなことを細々と憲法には書かれません。 なぜなら,憲法は基本的なことを書いてあるのであって,例外的なことを書かないからです。 教育勅語も同じです。中には例外はあるでしょう。しかし,一般的なことが書かれているのです。 それは欠陥とは言えないと思いますが。 そして,相良さんもお書きのように,理由はありません。 親に孝行するのは,人に人権があるのと同じくらい,自然に備わった事柄であり,国に対しても,基本的にはそうでしょう。 民主国家となったら,よけいにそうでしょう。 自分たちで作り上げた形ですから。 |