Page 2524 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼勉強する理由 昌平 05/3/10(木) 20:11 ┣追加と訂正 昌平 05/3/10(木) 20:15 ┣Re(1):勉強する理由 相良唯夫 05/3/10(木) 21:40 ┃ ┗Re(2):勉強する理由 Gokai Sezutomo 05/3/11(金) 21:02 ┃ ┗Re(3):勉強する理由 相良唯夫 05/3/11(金) 21:56 ┣Re(1):もう少し勉強しておけば良かった! 珍 源斎 05/3/11(金) 11:49 ┣教師の目指すもの 馬鹿正直 05/3/11(金) 15:04 ┃ ┣Re(1):教師の目指すもの 珍 源斎 05/3/11(金) 16:20 ┃ ┃ ┗Re(2):教師の目指すもの 馬鹿正直 05/3/11(金) 22:11 ┃ ┃ ┗Re(3):教師の目指すもの 珍 源斎 05/3/12(土) 9:34 ┃ ┃ ┗Re(4):教師の目指すもの 馬鹿正直 05/3/12(土) 14:56 ┃ ┃ ┣Re(5):教師の目指すもの 珍 源斎 05/3/12(土) 17:47 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):教師の目指すもの 北の老兵 05/3/12(土) 18:44 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):教師の目指すもの peace 05/3/12(土) 23:47 ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):教師の目指すもの 珍 源斎 05/3/13(日) 9:53 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):教師の目指すもの 北の老兵 05/3/13(日) 10:17 ┃ ┃ ┃ ┣Re(9):教師の目指すもの パンドラ 05/3/13(日) 11:15 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):教師の目指すもの Gokai Sezutomo 05/3/13(日) 11:55 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):教師の目指すもの パンドラ 05/3/14(月) 12:25 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):教師の目指すもの 珍 源斎 05/3/14(月) 13:16 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(13):教師の目指すもの show-h 05/3/14(月) 16:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):教師の目指すもの 団塊党 05/3/14(月) 21:59 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):教師の目指すもの パンドラ 05/3/15(火) 11:36 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):教師の目指すもの 北の老兵 05/3/13(日) 12:25 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(11):教師の目指すもの こんぺいとう 05/3/13(日) 23:21 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):教師の目指すもの 北の老兵 05/3/14(月) 0:02 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):教師の目指すもの こんぺいとう 05/3/14(月) 9:34 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):教師の目指すもの k.satou 05/3/14(月) 10:38 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):教師の目指すもの パンドラ 05/3/14(月) 22:07 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):教師の目指すもの 数理梵哲 05/3/14(月) 22:34 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):教師の目指すもの peace 05/3/13(日) 23:30 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):教師の目指すもの 北の老兵 05/3/14(月) 1:41 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):教師の目指すもの peace 05/3/15(火) 0:23 ┃ ┃ ┣先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/13(日) 21:55 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/13(日) 22:44 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/14(月) 10:17 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/14(月) 20:54 ┃ ┃ ┗Re(5):教師の目指すもの 悠々 05/3/15(火) 18:04 ┃ ┗Re(1):教師の目指すもの 昌平 05/3/11(金) 23:36 ┣勉強しなかった言い訳 peace 05/3/11(金) 22:44 ┣Re(1):勉強する理由 北の老兵 05/3/12(土) 16:04 ┣Re(1):勉強する理由 三吉 05/3/13(日) 20:58 ┣Re(1):勉強する理由:;国力低下の不安! 珍 源斎 05/3/14(月) 18:35 ┣Re(1):勉強する理由 昼寝もぐら 05/3/14(月) 20:05 ┣教育はのんびり穏やかに 団塊党 05/3/14(月) 20:43 ┃ ┣Re(1):教育はのんびり穏やかに 北の老兵 05/3/15(火) 10:32 ┃ ┗Re(1):教育はのんびり穏やかに ぎみゆら 05/3/15(火) 19:39 ┣Re(1):勉強する理由 秋明菊 05/3/15(火) 9:18 ┃ ┣Re(2):勉強する理由 パンドラ 05/3/15(火) 11:18 ┃ ┃ ┗Re(3):勉強する理由 秋明菊 05/3/15(火) 20:03 ┃ ┗Re(2):勉強する理由 相良唯夫 05/3/15(火) 11:56 ┣Re(1):勉強する理由 珍 源斎 05/3/15(火) 10:39 ┗Re(1):勉強する理由ー手作り弁当の日 王里 05/3/15(火) 21:13 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 勉強する理由 ■名前 : 昌平 ■日付 : 05/3/10(木) 20:11 -------------------------------------------------------------------------
はじめまして、私は44歳の中学教師です。 3月10日付けの産経新聞朝刊の投書欄に非常に興味深い、いや 非常に信じ固い文面がありましたので、紹介します。 文面を そのまま転記するのは問題があると思われますので、箇条書き風に して内容を紹介したいと思います。 次のとおりです。 投稿者:45歳・男性・内閣官房情報統轄官 1.最近、子供から、「なぜ勉強しなければいけないの」と問われ、 答えられない親が多い。「いい大学を出て、いい会社に入っても 倒産やリストラもある」と思っている親子が増えている。 しかし、情勢は変わっている。「勉強しないと大変なこと」に なる。 それは、『社会の二極分化』が進んでいる。「知的労働者」は 高い賃金を得られるが、フリーターなどの「単純労働者」の賃金は低い。 2.高卒者の就職率が大幅に低下しており、男子の事務職の求人は僅か 3.1%である。 もはや高卒男子のホワイトカラーはほとんどない。 3.国家公務員の初級(高卒程度)採用も平成4年までは1万人を超えて いたが、今年度のIII種採用は1300人程度まで落ちた。 4.大学名不問にして採用する企業でも、入社しているのは一流大学である。 5.一流企業も倒産する時代になったが、その率は中小企業よりずっと低い。 それに、一流企業の経験や人脈が転職や独立でも有利である。 6.どうやら学校ではこういった問題を教えていないようである。「何の ために勉強するのか」学校に頼るのではなく、親子が向き合って 話し合ってはどうか。 (途中一部略) <私の感想> 1.について 彼は勝手に問題点を絞り込んで、発言している。 事はそんな単純な問題 ではない。 それに賃金の高低など、それ自体何の問題があるのか? 「知的労働者」がそんなに素晴らしいのか? 個人の価値観もある。 「フリーター」と言えども、単に仕事が嫌いな者もいれば、何か目的を 持っていたり、家庭の事情などもあり、一くくりにはできない。 私の知人 で、フリーターをしながら司法試験の勉強をし、今、弁護士として独立した 者もいる。 2.について 「高校卒業者の就職率が低い」という由々しき問題をまるで当然の如く 扱っていることに彼の認識を疑う。 憲法を知らないのだろうか? 3.について 別に国家公務員にならなくてもいいじゃない。 4.について だから別に一流企業に入らなくてもいいじゃないの。 5.について 一流企業の経験や人脈がいきる? それは甘い。 確かに技術職や 研究職などで一部いきる場合もあるが、所詮組織を離れたら社会は 冷たいですよ。 ある大会社の経理部長が退職後、取引先の銀行の 支店長に独立資金の融資を申し込んだら、まるで相手にされなかった などという話はいくらでもある。所詮「組織の力」である。 また、あの自主廃業した証券会社の社員が、面接官から「あなたは 何ができますか?」と問われ、「はい、部長なら出来ます」と答えた という信じられない話もあるが、企業が一番嫌うタイプだそうである。 人脈にしても組織を利用しての人脈より、個人で作り上げた人脈の 方が大事だと思います。 6.について 「こういった問題を学校で教えていない」? 馬鹿じゃないの? 教えてどうするの? 子供の興味、価値観、能力や才能は多種多様で あり、どの子にもそれぞれ無限の可能性があります。 <結論として> 前時代的見解というか、偏狭的な発想というか、悲しいです。こんな 役人が日本を支配していると思うと、この国の将来は限りなく暗い。 勉強は自己の保身や高収入を得るための手段であるとは思わない。 一歩間違えば、人類を不幸にする凶器にもなり得る。 私は金八先生ほど情熱家でもなく、弁もたたない。 しかし、大人 達は、子供達を「脅迫」して勉強させるのではなく、もっと夢を 持たせるように指導すべきではないかと申し上げたい。 |
訂正 信じ固い → 信じ難い です。 あー恥ずかしい。 それと、長文の拙文を最後まで、お読み頂きまして、有難うございました。 |
▼昌平さん: >投稿者:45歳・男性・内閣官房情報統轄官 > >1.最近、子供から、「なぜ勉強しなければいけないの」と問われ、 > 答えられない親が多い。「いい大学を出て、いい会社に入っても > 倒産やリストラもある」と思っている親子が増えている。 > しかし、情勢は変わっている。「勉強しないと大変なこと」に > なる。 それは、『社会の二極分化』が進んでいる。「知的労働者」は > 高い賃金を得られるが、フリーターなどの「単純労働者」の賃金は低い。 私は勉強が出来るタイプではなく、むしろ落ちこぼれ組みでしたが、人様のお役に立ちたいという思いはありました。 こんな私に、「お前に何ができる!?」と馬鹿にされましたが、一つだけ良いことがありました。 腰が痛い、肩が痛いという方に、私が手をかざすと治ってしまったのです。 それが評判となり、随分遠くから訪ねてこられるようになり、私は調子付いてやりました。中には難病の方もみえました。ところがやり過ぎて今度は私が病気になってしまいました。もちろんお金はもらわず善意のつもりでしたが、そこで私は反省しました。病気には意味があり。医者でもない私が、「その人にとって意味のある痛み」を横取りしては、自然の摂理に背くことになると気付いたのです。 「もし、私が勉強の出来る子であったら」と考えたのは、みんなが幸せになるために活用したいということでありました。 単純にこんな風に考えないでしょうか? なぜ勉強する?→良い成績をとるため→なぜ良い成績をとる?→良い学校へ入るため→なぜ良い学校へ入る?→良い会社に就職ができるから→なぜ良い会社に入るの?→給料が良いから。 結局、お金に通じるのです。 私もお金は欲しかった。お金が全てではないが、お金がないことは困った。 でも、なぜか、「お金のため」という言葉が嫌いであった。 健康でみんな仲良く暮らせることが出来れば、それが一番いいと思った。 そんな私が老人になりました。 なぜ、勉強をするのか? これは、人はなぜ生きるのか?に通じる大切なことであり、それを教えるのが倫理であり、勉強の目的であるように感じます。 「どの子にもそれぞれ無限の可能性があります」がそれを導いてやるのが教育者であると思います。親という字は木の上に立って見ると書いてあり、先生という字は先に生きると書いてあります。教科を教えることと平行して倫理を教え、自らの生き様を示すことも大切であると思いますが。 失礼を承知で、自省を込めて書きました。 |
▼相良唯夫さん:こんにちは、はじめまして。 なぜ、勉強をするのか? >これは、人はなぜ生きるのか?に通じる大切なことであり、それを教えるのが倫理であり、勉強の目的であるように感じます。 > 私もそのように思います。 それに、勉強する理由がわかれば学科にも力が入るのではないかと思います。 まずは倫理で、学科はその次だと思います。 その是非とは別に、 もしかしたら、今、優秀な先生方は教育理念についての明確な答えを持って子供達に接していないのではないかと常々思っていました。高校出たての人たちに接するとよくそう思います。 昌平さんへ、私も、躾を含めて、学校で勉強する理由を教える必要があると思っています。 |
▼Gokai Sezutomoさん:はじめまして。 >なぜ、勉強をするのか? >>これは、人はなぜ生きるのか?に通じる大切なことであり、それを教えるのが倫理であり、勉強の目的であるように感じます。 >> >私もそのように思います。 >それに、勉強する理由がわかれば学科にも力が入るのではないかと思います。 >まずは倫理で、学科はその次だと思います。 同意下さったことを嬉しく思います。 能率、効率を追い求め、経済成長が成されましたが、反面、人と人とのつながりが希薄になったことも反省すべきことですね。 昌平さんが、「勉強は自己の保身や高収入を得るための手段であるとは思わない。」と仰いましたが、そういう面を全部否定することができませんから、人としていかに生きるべきかという倫理を教える必要があると思います。 商店街が消え、「ありがとう」と言って売り、「ありがとう」と言って買う光景も懐かしくなりました。これも時代の流れでしょうが、生きることの基本である「人と人とのつながり」や「仕え合う、支えあう」ことの喜びを味わえない社会は淋しいですね。これらは自然に身に付くこともあるでしょうが、教育という字が教え育てると書いてあるように、先ずは人間としての先輩が、後輩に教える。これは大切なことであると思います。 |
昌平さん 初めまして! 現役の中学生に語ることが出来るのならば; もう少し勉強しておけば良かったとの思いに幾たびか直面 したことです。現在でも日々感じる想いです。 勉強には知識を得ること、その知識を知恵として活かすこと、 何よりも考え方の視野の広がりを得たり、更に心身健康的な 人生にも通じることは云うまでもないことです。 どのような職業に就いても知識〜知恵、そして事象を広く 或いは細密に見ることが出来るようになるのは、 やはり「勉強・勉学」によるものではないでしょうか。 重ねて・もう少し勉強しておけば良かったとの想いを 若い人たちに伝えたいと・・思ってます。 |
▼昌平さん: 私は投稿者45歳、男性、内閣官房情報統轄官の主張に反発されている昌平さんに賛同いたします。 同時に、教師のプロである昌平さんに質問があります。 学校は教師が教え、生徒が勉強する場所です。 教師が「正しく」教え、生徒が「正しく」勉強することが望まれています。 ここで質問です。さて、正しく教え、正しく勉強する、という「正しく」とは何なのでしょうか。 どのように教えたら「正しく」て、どのように教えたら「正しくない」のでしょうか。あるいは、どのような勉強が正しくて、正しくない勉強とはどのようなものでしょうか。 適当な言葉が出てこなかったので「正しい」「正しくない」と申しましたが、別の言葉でもいいです。例えば「望ましい」「有用な」「効果のある」「有益な」でも良いですし、「人類のためになる」「日本の国益にかなう」「地球を救える」などと表現しても良いかもわかりません。あるいは「幸せになる」でも良いでしょう。 教師は「何」を目指して生徒に教えているのでしょうか。 これが私の質問です。 なぜこんな奇妙な質問をするかといいますと、私は学校が社会から正しく理解されていないと感じているからです。 教師は生徒、PTA、大学、会社、文部省、などなどあらゆる社会から何を期待されているのかが明確になっていない。逆に言えば、教師はこれらあらゆる社会に対して何を提供しようとしているのかを明確にしていない。ように見えます。 明確になっていないから、評価が正しく下されません。明確になっていないから、何をしても言い訳が成り立ちます。何をすべきか、すべきでないかが明確になっていないから義務も責任も不明瞭です。 正しく評価されるような具体的な目標を教師も生徒も、社会も持つべきではないでしょうか。 「夢を持たせる」のが目標なら、どうやって、どのような状態になった時に「夢を持たせることが出来た」と判定するのかを世間に明示すべきではないでしょうか。社会はその判定が正当かどうかを評価します。正しい評価があれば義務も責任も明確になるでしょう。 |
馬鹿正直さん: 横レスをお許し下さい。 > >「夢を持たせる」のが目標なら、どうやって、どのような状態になった時に「夢を持たせることが出来た」と判定するのかを世間に明示すべきではないでしょうか。社会はその判定が正当かどうかを評価します。正しい評価があれば義務も責任も明確になるでしょう。 教育万能論は見直すべきで無いでしょうか。 予め作られた問題の正しいか・正しくはないか・を云うのでは無く 問題そのものを見いだす能力が必要です。 子供たち将来の夢は持たせたり、与えたりするものではなく 子供たち自身が各々に見出して行くものであると思います。 教育とは考える方法を教えるのが第一義であると思います。 結果を予め想定したとしても、日時、年月の経過と共に大きく 「ずれ込む」ことさえ、私たちの生きた時代に照らしても 云うまでもありません。 一見、単純な寺子屋時代の教育であっても人物、人材は 育ち、困難にもめげずに歴史を創って来たことからも・・。 極論ですが、文部省や教育関係者の「力み」が歪みとなったり 傲慢さに現れてるのでは無いかとさえ感じてます。 振り返ってみて私自身は善悪のけじめと善と悪との因果関係に ついて教えられたことが有用であったように思ってます。 科学技術の進歩と発展により時には生活の基盤が或る日突然 崩れたり、霧が晴れるように新しい景色と展望が開けたりします。 そのような事態へ対応する能力を得るためには既存の価値感に 強く拘束されていては適う訳がありません。 今や国際化時代と云われてます。日本人も外国人も国籍に囚われず に働くことが必要になります。 日本の大企業にも外国人経営者が就任して業績を上げてる場面や 日本人も外国で活躍し評価を得てる人たちも多く存在します。 それは言葉「言語」を超えた処の「考え方」に続いた能力がものを 云ってることは指摘するまでも無いことです。 子供たちには興味を持ち学べること、いたずらに強いる勉強で ない形になれば「落ちこぼれ」と称する不適応も無くなり 学校の器物を破損したり、教師を殺傷したりすることも無くなる のではないかと・・思います。 その結果、学力低下など問題外です。要は社会に出て有能な 人材になるのには関係のないことさえ、実際に多くの例を 見てきました。勉強は今一だった洟垂れ「バカボン」が良い仕事をして 社会に役立つ人材となってる例は多々あります。 子供たちへ「ひたすら」教え込まんとする「バイアス」を 少し低くすれば事態は大幅に改善されることになるのでは ないでしょうか。 |
▼珍 源斎さん: 珍 源斎さんのお話はいわゆる「教育論」として本格的なものだと感じます。 私は教育に関しては全くの素人で教育についての本質的な議論が出来る資格などないと考えています。 ただ、過去40年以上民間会社の経営に携わってきた者として、教師の皆さんは私が歩んできた世界と全く違う特殊な業界に身をおいておられるような気がしましたので、基本的な疑問を問うてみたいのです。 教育というのは具体的な目標を立てにくいし、ましてや、目標の達成度を測るのは至難である事はよく分かります。しかし、至難ではあるけれどそのつもりになれば幅広い角度に向けての目標を具体的に表現できない事はないのではないか、これが私の疑問です。 何人かの教師が個人的な知り合いです。皆さん熱心でそれぞれ努力しているようですが、共通しているのは、教育の現状の話になると教師の皆さんは当事者ではなく、被害者の立場に立たれるのです。「雑用が多すぎて教える事に集中できない」「幾らがんばってもがんばらない先生と待遇は変わらない」「上司がぼんくらで認めてくれない」「教える事よりも生徒が悪い事をしないように見張るだけで精一杯」などなど。 私にはその様な状況を作ってきたのはほかならぬ教師自身に見えます。教師に当事者意識が欠落しているように見えるのです。戦後60年当事者としてなにをすべきかを真剣に考えてきたのなら今頃はさまざまな目標が具体化しているはずです。それらの目標は教師,生徒だけでなく、PTA、学校当局、文部省、大学、官庁、民間会社などさまざまの分野で広く認識されているはずです。 良い大学に行き、良い会社に入るだけが目標でない、のはわかります。同時に、それらが目標でないという場合、それでは他のなにを目標とするのかを明言しなければなりません。あれもだめ、これもだめ、では、結局教師は何もやらないのが良い、ってことになってしまいます。現状は皆でよってたかってあれもだめ、これもだめと言い合っているように見えます。 教える事のプロである教師に自分たちの目標を具体的に表現する能力がないとは思えません。その目標は必ずしも実社会から認められるものばかりではないでしょう。目標を掲げてはおろし、掲げては降ろししながら20年、30年と切磋してゆけばおのずと社会に認められる目標は定まってきます。勿論目標は10や20ではないでしょう。100でも200でも良いのです。重要なのはそれらの目標は教師生徒だけではなく、あらゆる社会に認められる事です。 そして教師と生徒は社会に認められた目標に向かって学校という現場で教え学ぶのです。 目標に達する仕事をした教師は社会から認められ、達する事が出来なかった教師は何らかのペナルティを負う。目標に達する事が出来なかった生徒は何らかのバックアップを社会から受ける、あるいは次の機会を与えられる。このようなサイクルで進歩していくべきだと考えています。 目標を明確にし、達成度に応じて教師を遇していけるシステムがあれば世の中は旨く回っていくはずです。そしてその様なシステムを考え試行錯誤を繰り返す努力をすべきは教師自身である、これが私の言いたいポイントです。 |
馬鹿正直さん: レス有難うございました。 >私は教育に関しては全くの素人で教育についての本質的な議論が出来る資格などないと考えています。 ご謙遜と承りますが、教育界にしても一般についても専門家と称する 人たちには「専門馬鹿」と云われるに等しい連中の何と多いことか・。 むしろ素人の考え方が真っ当である場合があります。 教育界ではキャリヤ官僚のは元よりの自然淘汰的な作用は無く 年功序列で無能な連中もせり上がり管理職になる場合も多く、 それらの輩はやたらと報告書、計画書、企画書などの煩雑な事務負担を 現場に押しつけてきます。 自分たちさが、さも仕事をしてるように、現場での負担を増す雑用を 押しつけて来るのが実状です。 これは教育面でなく警察でも同じような現象があり現場にうとい キャリアー警察官僚が書類、報告書のペーパー業務を現場に要求して それが負担となり現場での活動に制約となる場面が多々あるそうです。 交通違反や犯罪でも事件として検挙にいたると煩雑な事務処理が多く 発生することになり、一部の警官とは云え事件に関わることを・・ 面倒と感じて見て見ぬふりになる事さえあるとの事です。 >私にはその様な状況を作ってきたのはほかならぬ教師自身に見えます。教師に当事者意識が欠落しているように見えるのです。戦後60年当事者としてなにをすべきかを真剣に考えてきたのなら今頃はさまざまな目標が具体化しているはずです。それらの目標は教師,生徒だけでなく、PTA、学校当局、文部省、大学、官庁、民間会社などさまざまの分野で広く認識されているはずです。 現場の教師は決して当事者意識に欠けていたとは思われません。 一般社会の価値観から発する傾向が・歪んだ形で教育へのニーズとして 具体化したのでは無いでしょうか?。 良い大学〜楽な人生に繋がる職業、大会社、高級官僚等々へ 一般的には一部の高学歴の人たちが社会で優遇されるのを見て・。 文部省の施策のトドの詰まり結果論として現状のように諸々の歪みが 生じており、特に袋小路に入ってしまったような閉塞感に満ちてる 状況だと思います。 今や、文部省「科学文部省」を頂点にした管理された教育システム が制度疲労を来してしまってるようでようす。 人間を育て教えると云う原点からのズレも随所に見られます。 偏差値教育などはそれを最も端的に現してるのでは無いでしょうか。 先進諸外国とりわけ、北欧諸国での教育は文字通り人を育てる 原点に徹しており考える力を着けること、事象の始まりから 終わりまで・・・。因果関係を見通せる想像力が自然と身に付く ような教育がなされてる・と聞き及びます。 それが偏差値教育を上回る成果を上げてるようです。 日本でも一部の私学やフリースクールのような処では既に それを取り入れてる処もあります。 落ちこぼれや不登校と云われる生徒を受け入れてる学校では 科学文部省の定めたカリキュラムの枠外での教え方が それなりに効果を上げてることも聞き及びます。 月並みですがキーワードとして教育の原点は「愛」に行き着く のではないでしょうか・愛を感じさせない管理教育では 新しい時代に適合しない・・と云う現実を突きつけられてる のではないでしょうか。 |
▼珍 源斎さん: そして▼昌平さん: 珍源斎さん、昌平さんのおっしゃっている事にほぼ同意いたします。 ただ、私が申し上げたい事はその様な高尚なレベルではなく、ルーティンワークのレベル、つまりもっと実務的なレベルです。 昌平さんがおっしゃっています:− >少なくとも、「ティーチングマシン」にはなってはいけないのでは。 >「望ましく勉強する」 >結局「英語の持つ美しさ」や「英語から広がる世界」を伝えたくて、この仕事に就いた様ですね。 >「手段としてのみの勉強」をするのではなく、「常に次のテーマを追い続ける勉強」をした方が楽しいです。 >「可能性」だと考えます。 それは「学問が持つ可能性」と「個々が持つ可能性」ではないでしょうか。 でも実際そんな人少ないかな? >抽象的ですが、常にプラス指向ですね。 生徒がプラス指向に進んでいれば、役割はある程度果たしているのかもしれませんね。 そして珍源斎さんの言葉です:− >月並みですがキーワードとして教育の原点は「愛」に行き着く >のではないでしょうか・愛を感じさせない管理教育では >新しい時代に適合しない・・と云う現実を突きつけられてる >のではないでしょうか。 >問題そのものを見いだす能力が必要です。 >教育とは考える方法を教えるのが第一義であると思います。 >既存の価値感に強く拘束されていては適う訳がありません。 >子供たちには興味を持ち学べること、いたずらに強いる勉強で >ない形になれば「落ちこぼれ」と称する不適応も無くなり 全て納得の言葉ばかりです。 が、残念ながら言葉であって「具体的な目標」ではありません。 これらの言葉から「具体的に目標」を作り上げていこう、というのが私の主張です。 「可能性」「プラス指向」あるいは「愛」を行動目標として捕らえたら「具体的に」どのような目標が生まれてくるのか、を探りたいと考えています。 クラブ活動を通じたチームワークやリーダーシップ、国際的な学力測定の結果、生徒一人一人の成績の動き、非行生徒の数、ボランティア活動、遅刻早退、ずる休み、ガラスの割れた回数、提案の数、表彰状の種類と多さ、校内の吸殻の数、などなど、具体的な目標をこれらの言葉に沿って創り出し、それらを行動指標に出来ないか、というものです。 具体的な目標があれば教師や生徒だけではなく、広く社会全体も公平なモニターが可能になります。 |
馬鹿正直さん: 決して高尚なレベルで申し上げてるのではなく、 現状を考えてみると、教育関連の官僚や教師をはじめ教育に連なってる 方々の「力みからくる歪み」が現れてると前のレスにて申し上げてます ように力みを思い切って排除する必要があると考える故です。 かく申す私も2人の息子らを育てる過程であれや、これや・と 世で云う処の教育に関心のある親を気取ってましたがある時期から 彼らに勉学を強制することはきっぱりと辞めました。 それは息子たちの言い分にて例え馬を水辺に連れて行っても水を 飲むのは馬次第であると・の強烈な言葉に出くわしたのを機会に 勉学を強制してたバイアスを低下させた次第です・・。 その結果も踏まえてか?息子たちもどうやら無事に育ってくれました。 その後、仕事を通しての様々な若者たちとの語らいの中で「力みが無い」 状態で学びを得て来たと思われる人の方が仕事を早く覚え一人前に なり、柔軟性もあり自分の頭で考えることのできる想像力の豊な 人材としての共通したものがあるように思われます。 今まで散見したことの中で若者の能力と集中力は強烈な パワーがあり集中すれば勉学の遅れなど半年もあれば2〜3年分は 一挙取り戻し更にその先へも進むことも可能である実例にも触れて おります。 教え込みの強制と押さえつけには百害あって一利もないと 考える所以です。 私は家庭での生活感を与えること、家事なども手伝わせ社会の動き 働いてる形を実感させれば・学習への興味も自ずから向上してくるの ではないでしょうか。 子供たちは色々な憧れや夢を持ってます。 その夢やを実現することに通じる勉学には集中力を発揮します。 纏まった学校教育を受けられなかった方々でも社会的な成功者は 数多くおられることは申すまでもありません。 あの堀江氏「ほりえもん」の育った環境を察すると「かなり」の 自由人であったようです。親御さんもテレビでそのようなことを 云って居られましたし中学当時の恩師にあたる先生もそれに 近いことを云って居られたのを聞き及んでます。 そもそも人間の能力は多様であるのが特徴です。無理矢理型に 嵌めようとすると、そこには当然、歪みを生じます。 現代までの教育についての反省点があるとしたら「力み」と 肩の力を抜くことではないでしょうか・。 例え一時期には成績が下がっても、やがて上昇に転じる ことは明らかです。少し長くなってしまいましたご許容のほど! |
珍 源斎さん こんばんは。横から何時礼します。 >あの堀江氏「ほりえもん」の育った環境を察すると「かなり」の >自由人であったようです。親御さんもテレビでそのようなことを >云って居られましたし中学当時の恩師にあたる先生もそれに >近いことを云って居られたのを聞き及んでます。 これは一見、放任主義に見えますが、実に上手に勉強するように誘導しています。お小遣いは無い代わりに、20万円以上の天体望遠鏡を買い与えたり、百科事典を買い与えたりしていました。子供は好奇心が旺盛です。お小遣いも、遊ぶ物も無ければ自然に興味を持つようになります。百科事典も勉強のためというより、面白くて嵌ってしまい、知らず知らずに読破したのでしょう。 私もお小遣いはあげませんでしたが、その代わりに本や、英語に興味を持つような教材を買ってやりました。勉強は好きにならないと苦痛を伴うものです。まず興味を持たせ、勉強を楽しくさせる事が大事なのではないでしょう。仮に多少の苦痛を伴っても、出来たときの達成感は勉強の楽しさの一つです。 私も強制的に勉強をさせるのは反対です。人間はいろんな個性がありますから、勉強が全てではありません。しかし一方、どんな分野でも勉強をして損は無いことも事実です。 スポーツ選手等を見てもそれは良くわかります。野球選手でもプロボクサーでも引退後は惨めなものです。名のある選手が犯罪に手を染める事も珍しくありません。引退後も評論家になったり、コーチになったり、後の人生を心配なく過ごせるのはごく少数の人だけです。 第2の人生を考えた場合、生き抜く力=考える力 が如何に大事か考えさせられます。やはり考える力を養うには勉強は大事です。 |
こんばんは お久しぶりです >スポーツ選手等を見てもそれは良くわかります。野球選手でもプロボクサーでも引退後は惨めなものです。名のある選手が犯罪に手を染める事も珍しくありません。引退後も評論家になったり、コーチになったり、後の人生を心配なく過ごせるのはごく少数の人だけです。 なんだか上記の発言は内閣官房情報統轄官殿にそっくりですよ。 |
peaceさん: こんにちわ 横レスをお許し下さい。 > >>スポーツ選手等を見てもそれは良くわかります。野球選手でもプロボクサーでも引退後は惨めなものです。名のある選手が犯罪に手を染める事も珍しくありません。引退後も評論家になったり、コーチになったり、後の人生を心配なく過ごせるのはごく少数の人だけです。 > > >なんだか上記の発言は内閣官房情報統轄官殿にそっくりですよ。 北の老兵さんのレスの全体文脈を見て理解頂ければ上記の指摘は 当ってません。 人格を高める努力を欠くとあらゆる場面で適応性を欠くと云った 意味だと思います。とかくスターとしての名声に溺れてしまうと 名声を失ったときは惨めであることの実例は多く見聞きする ところです。 知識〜知恵〜教養〜人格の向上には必須要件であるのでは 無いでしょうか?・・・北の老兵さんのコメントの真意は そこにあるのではないでしょうか・・。 |
▼peaceさん: >こんばんは >お久しぶりです > >>スポーツ選手等を見てもそれは良くわかります。野球選手でもプロボクサーでも引退後は惨めなものです。名のある選手が犯罪に手を染める事も珍しくありません。引退後も評論家になったり、コーチになったり、後の人生を心配なく過ごせるのはごく少数の人だけです。 > > >なんだか上記の発言は内閣官房情報統轄官殿にそっくりですよ。 珍源斎さんがフォローして下さった通りです。全体の文脈を見て下さい。 上記の文の前に次のように書いています。 >私も強制的に勉強をさせるのは反対です。人間はいろんな個性がありますから、勉強が全てではありません。しかし一方、どんな分野でも勉強をして損は無いことも事実です。 文の一部を切り取って、如何にも私が学歴至上主義で「内閣官房情報統轄官」と同じ考えのようにもっていくやり方は、マスコミが良く行なう印象操作そのものです。 私は学歴至上主義じゃありません。「生き抜く力」を身につけるのは「考える力」大事であり、考える力を育てるには勉強が有効な手段なのですよ。とごく当たり前の事を言っているのです。もちろん個人の持っている才能を最大限に尊重される事は当然の事であります。 |
▼北の老兵さん: おはようございます パンドラです お久しぶりです 北の老兵さんのご意見に概ね賛同致します。 >>私も強制的に勉強をさせるのは反対です。人間はいろんな個性がありますから、勉強が全てではありません。しかし一方、どんな分野でも勉強をして損は無いことも事実です。 >私は学歴至上主義じゃありません。「生き抜く力」を身につけるのは「考える力」大事であり、考える力を育てるには勉強が有効な手段なのですよ。とごく当たり前の事を言っているのです。もちろん個人の持っている才能を最大限に尊重される事は当然の事であります。 という部分にも共感致します 私の知っている子どもで、こんな子がいました 小学校一年生の算数の問題で 「すずめが七羽いました。五羽いなくなりました、残りは何羽でしょう」 という問題が出た時 「何故いなくなったのだろう?猟師に撃たれたのかな?他の動物に食べられたのかな?」と考えてしまう子どもでした。 又二年生の国語の教科書に 「川は海に流れていく、たくさんの川たちが、海に流れやがて、海とひとつになる」 というような内容の詩が載っていました その子は、 「海に流れていく川は、では元々何処で、どうやってできたのだろう?」 とい所に興味を持ちました 又、その子が三年生になった時、「はだしのげん」というアニメを見て 「あの、アニメに出てくる、原爆ドームは、原爆が落ちる前は何に使われ なんと呼ばれていたのだろう、何のために、あんな変わった建物が 建てられたのだろう?」 と不思議に思ったそうです。 その子のおかあさんは、その子の疑問や「こだわり」を大事に思い一緒に 図書館へ行って調べ不思議に思う事を一緒に考えたそうです。 答えを出す前に考えてしまう子どもは、今の学校制度や、先生達にとっては 困った部分があるのかもしれません。 でも私は、学ぶことは「自分で考える力を育てる」ことでもあると思います。 自分で考え答えを見つけていく、それが又生きる力に繋がっていくと思う のですが。 そして、親や先生方はそれを邪魔しないで(現実には色々大変な面もありますが) 学ぶ楽しさ、疑問に思ったり、不思議と考える興味や好奇心を育てて行く中で 学ぶことの大変さ、困難さも、子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー になって行くと思うのです。 |
▼パンドラさん:こんにちは、はじめまして。 >答えを出す前に考えてしまう子どもは、今の学校制度や、先生達にとっては >困った部分があるのかもしれません。 >でも私は、学ぶことは「自分で考える力を育てる」ことでもあると思います。 >学ぶ楽しさ、疑問に思ったり、不思議と考える興味や好奇心を育てて行く中で >学ぶことの大変さ、困難さも、子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー >になって行くと思うのです。 その通りだと思います。 でも、社会には、知識を評価するシステムはありますが、考えることを評価するシステムや大人は少ないように思います。 おそらく、考えるという行為は、他人を否定することに繋がるとの錯覚を人々に持たせる部分が多かったために、人とトラブルが増え、結局そういう部分での評価システムの発展が遅れたのではないかと思います。 これはおそらく、「人の生存の意味」倫理に繋がる問題だとも思えるので、 そういう意味での学問を学校で教えるのは重要だと思います。 ところで、パンドラさんは今の学校のシステムや先生方の技量や教育理念が、 子供達の思考力育成のためには、十分なものであると考えておられるのでしょうか? 私には、比較して優秀な方々が、教師になっているとは言え、 世間の風潮から察するに、きっと、そうではないのだろうと思うのです。 |
▼Gokai Sezutomoさん: こんにちは 初めまして、レス頂きありがとうございます 昨日はレス頂きました書き込みの後所用で出かけて家に戻ったのが 夜になってしまいましたのでお返事が遅れてしまいました。 >でも、社会には、知識を評価するシステムはありますが、考えることを評価するシステムや大人は少ないように思います。 >おそらく、考えるという行為は、他人を否定することに繋がるとの錯覚を人々に持たせる部分が多かったために、人とトラブルが増え、結局そういう部分での評価システムの発展が遅れたのではないかと思います。 > >これはおそらく、「人の生存の意味」倫理に繋がる問題だとも思えるので、 >そういう意味での学問を学校で教えるのは重要だと思います。 というご意見に賛同致します。 それと日本の社会では、企業、学校などでも「自ら考える」より 言われたこと、命令された事を忠実に実行する社員や管理しやすい生徒 が良しとされる風潮もあったように思います。 後、よく誤解されることなのですが、何方かと議論をしていて疑問に 思ったり質問をしたりすると、それだけで「問い詰める」とか 「問いただす」とか思う方もいるようで、異なる意見を述べただけで ご自分の意見の全てを否定されたと思われる方もいて中々「考えたり」せっ かく考えた 意見を表現する場も少ないという現実もあるのでしょう。 ある意味、これからの時代を生きる若い人達は大変だと思います 今までのように「言われた事を忠実に実行」しているだけでは 「指示待ち人間」と言われ、成果主義、実力主義、と言われる社会では 合わなくなり、でも「出る杭は打たれる」などということもあったりして… >ところで、パンドラさんは今の学校のシステムや先生方の技量や教育理念が、 >子供達の思考力育成のためには、十分なものであると考えておられるのでしょうか? >私には、比較して優秀な方々が、教師になっているとは言え、 >世間の風潮から察するに、きっと、そうではないのだろうと思うのです。 私は学校に関しては私の子どもが義務教育で通っていた5年位前のことしか 知りませんし、それも自分の子どもが通っていた学校のことしか存じません ので何とも言えないのですが、これだけ多様な価値観がある社会で 40人内外の子ども達を同じ方向を向けて一斉に授業を展開するというのは かなり無理があると思います。 それでも子ども達が興味を持てる授業を展開し「学ぶ事」や「自ら考える事」 の面白さを教え子どもの興味を導く為の授業を続ける為には先生方の 相当の工夫と努力が必要となると思います それは「優秀な方々」で振り分けられた「先生」に求めても無理なのかなと 思う事があります。 先生を取り巻く環境も厳しいものがあり、努力されている先生もたくさん おられると思いますので一言では申し上げられませんが。 唯、私は申し訳ないのですが、今の「学校」というシステムに余り期待をしておりませんので、学校へ行かなくても子どもは成長し、育っていくと思っておりますのでこんな考えは方はこの掲示板だけではなく今の日本の社会ではとんでもない考え方なのでしょうね。 |
パンドラさん: こんにちは 横レスになりますが、ご許容のほど! >それと日本の社会では、企業、学校などでも「自ら考える」より >言われたこと、命令された事を忠実に実行する社員や管理しやすい生徒 >が良しとされる風潮もあったように思います。 仰有るそのことが、現在では問題として・無数に露呈してます。 自発的に行動出来ない、指示待ち人間が多くなってしまい、 企業でも仕事に何かと支障を来してます。 特に危機管理「作業の安全」や問題の発生を予見しなければ ならないときでも想像力を欠いてる例が多く事前の危機回避に 疎い「うとい」例が数多く現れてるのが実情です。 >後、よく誤解されることなのですが、何方かと議論をしていて疑問に >思ったり質問をしたりすると、それだけで「問い詰める」とか >「問いただす」とか思う方もいるようで、異なる意見を述べただけで >ご自分の意見の全てを否定されたと思われる方もいて中々「考えたり」せっ >かく考えた 意見を表現する場も少ないという現実もあるのでしょう。 > 帰国子女と云われてる外国の学校{小・中・高」より日本の学校へ 転校した生徒が授業内容について質問、又は発言すると教師から は「うとまれ」同級生からは苛めにあうことなど身近でも聞き及んでます。 本当に学ぶ姿勢があれば問題にも気付き疑問が生じるのは、極、当然な 事なのに・・・それが否定されてしまうこと・何処かズレを感じます。 >ある意味、これからの時代を生きる若い人達は大変だと思います >今までのように「言われた事を忠実に実行」しているだけでは >「指示待ち人間」と言われ、成果主義、実力主義、と言われる社会では >合わなくなり、でも「出る杭は打たれる」などということもあったりして… > >それでも子ども達が興味を持てる授業を展開し「学ぶ事」や「自ら考える事」 >の面白さを教え子どもの興味を導く為の授業を続ける為には先生方の >相当の工夫と努力が必要となると思います > >先生を取り巻く環境も厳しいものがあり、努力されている先生もたくさん >おられると思いますので一言では申し上げられませんが。 > >唯、私は申し訳ないのですが、今の「学校」というシステムに余り期待をしておりませんので、学校へ行かなくても子どもは成長し、育っていくと思っておりますのでこんな考えは方はこの掲示板だけではなく今の日本の社会ではとんでもない考え方なのでしょうね。 私も同じように考えてます。現状の教育システムや学校への過度な 期待がそれを歪めてしまってる現実を知らねばなりません。 此処で一旦リセットを掛けて脱・管理教育への途が開けないでしょうか? それが、教育における諸々の病状に合った処方箋のように思われます。 明治時代の富国強兵モードを背景とした従順で強い臣民を創る教育から 真の人間力を高め何処の国でも通用し活躍可能な人間力豊かな人材を 育てる教育へ全体として転換する必要があるように思われます・・。 |
▼珍 源斎さん: > >此処で一旦リセットを掛けて脱・管理教育への途が開けないでしょうか? >それが、教育における諸々の病状に合った処方箋のように思われます。 まったく同感です。 今朝の予算委員会で、文部科学大臣は、アメリカの小学生が入学の目的を聞かれて出した答えが「将来いい仕事につけるから」だったことを引用して、日本の子どもたちにも同じ目標を持たせたいと言っていました。 このスレッドの冒頭にあった「内閣官房情報統轄官」の言葉も含めて、 この国の教育行政は破綻しています。 どうしたら、一旦リセットできるのでしょうか? あまりにも民意そのものが、低下しているようにみえるので。 > >明治時代の富国強兵モードを背景とした従順で強い臣民を創る教育から >真の人間力を高め何処の国でも通用し活躍可能な人間力豊かな人材を >育てる教育へ全体として転換する必要があるように思われます・・。 終戦で、何もかもリセットされたのですが、また昔に戻っていくというのは、日本人と言う国民性でしょうか。明治時代の教育方針がいまだ根強く残っているようです。 このスレッドを読み始め、同じように考えている方が多いのを知って、福沢諭吉の「学問のすすめ」をあらためて読み返しはじめました。 まだ最初の部分ですが、教育勅語に結びついてくるようなイヤな感じです。 |
▼show-hさん: >今朝の予算委員会で、文部科学大臣は、アメリカの小学生が入学の目的を聞かれて出した答えが「将来いい仕事につけるから」だったことを引用して、日本の子どもたちにも同じ目標を持たせたいと言っていました。 こういうがりがり亡者みたいな大臣の発言が日本の教育を左右するのかと思うとまったく腹が立ってきます。 なーんにも教育のことが分かっていないくせに・・・ |
珍源斎 さん こんにちは レス頂きありがとうございます このスレッドのように皆様が真剣に議論を積み上げて行けること はとても大切なことだと思います。 私のように難しいことは分からないし稚拙な言葉でしか表現できない ものでも考えるヒント、自分の考えの中での気付きをさせてくれることは とても嬉しく思います。 その意味でも珍源斎さんの視野の広い冷静な見方は何時も参考にさせて 頂いております。 学校に期待はしていないと申し上げましたが、私の周囲でも40人学級への 取り組み、障害児を普通学級へという活動をなさっている方もたくさんおられ 皆さん真剣に学校と子どもについて考えておられます そういう意味では、子どもに学ぶ場としての学校がどうしたらいききとした 興味を持てる場に出来るのかという珍源斎さんのお考えに賛同 致します。 |
パンドラさん こんにちは。お久しぶりです。 私の真意をご理解していただき、ありがとうございます。 私は勉強を嫌がるのを、無理やり首根っこを押さえつけて勉強させるのは賛成できません。子供には「なぜ勉強しなければいけないのか」を教えてあげる事は大事であり、楽しく学ぶ事で勉強を好きにさせる、このような環境作りも親の務めじゃないのだろうかと考えております。 子供の個性は、子ども自身はもちろんの事、親でも教師でも中々分からないものです。好きこそものの上手なれという言葉もありますが、好きである事が大きなキーワードだと思います。 しかし、イチローのような天才はそうそう出るものじゃないし、親は自分を見ればスポーツが向いているかどうかは、ある程度は判断できます。そうそう「トンビが鷹を産む」事はないのです。そういう意味で、将来の可能性を広げるためには、勉強はけっして無駄にならないという事を強調したかったのです。 スポーツ以外にも今は、多種多様な選択肢がありますから、その中から自分の個性のあったもの(自活の道)を、求める手助けをしてあげるのが、親の務めなのではないかと考えております・ |
▼北の老兵さん: >私は勉強を嫌がるのを、無理やり首根っこを押さえつけて勉強させるのは賛成できません。子供には「なぜ勉強しなければいけないのか」を教えてあげる事は大事であり、楽しく学ぶ事で勉強を好きにさせる、このような環境作りも親の務めじゃないのだろうかと考えております。 > >子供の個性は、子ども自身はもちろんの事、親でも教師でも中々分からないものです。好きこそものの上手なれという言葉もありますが、好きである事が大きなキーワードだと思います。 途中から口をはさんですみません。勉強って机の上、教室の中だけでしょうか。 12日の、あるセミナーで、とても興味深い話を聞きましたので、書かせて いただきました。 今の子供達に緊急で必要なものに自然体験、あそびがあるのです。 登山家で医者の今井道子さんが、40年前からどんどん失ってきた物がこの 自然体験だと。 今の50代後半以上の大人が子供の頃遊んでいた周りの自然とのあそびが その子供からなくなり(偏差値が導入された頃)そしてその子供 (今の小中学生)には自然の中でのあそびがすっかり特別なものになって しまった。 なんでも3世代続くと本物だというが、日本は人間が本来持っているあそび からの学びがすでに2世代で失われてきている。 今の60代が元気なうちに自然の中で遊ぶことを伝えなければ、本来の 子供の心がなくなってしまう。遊びから学ばなくなる。 軽度発達障害といわれている子供が多くなったといわれているが、自然の中 でのあそびを体験させることで多くは改善されることが多い。 しかし机にかじりついての学問だけでは子供の本来の能力は伸びていかない。 又、このセミナーで日本に帰化したCW二コル氏が、もっともっと自然の中で 子供に辛さや美しさや楽しさを体験させてほしい。キャンプで使う火の取り 扱い方、ナイフの使い方、これをきちんとマスターした子は、これで悪さは しない痛さも怖さも自分で実感させられているから。 フィンランドでは自然の中で実際にメジャーを使って川の幅や水の流れを計算 させたり、教室から出て学習させている。子供達は生きる力を自然の中で 自分で考えて、言葉も計算も必要だから身に付けていく。 これが本当の生きる力ではないか。自然と遊んでいた60代が元気なうちに 伝えていかなければ、日本の子供は世界一ひ弱な駄目な子になる。 と心配していました。 私達老人党の役目の一つに、体で遊ぶことの楽しさ、大人の目を盗んでやった ちょっとした悪さのなんとも楽しかったこと、近所のおじさんに思いっきり 叱られたこと、草のにおい、空の青さ、泥んこになって遊んだ思い出を今の子に 伝えなければなりません。今、学校の先生だって学問優秀な人がなっているので こんな悪さを知らずに育っている世代なのです。 長くなりました。子供は大人に迷惑をかけつつ、それを大人に叱られながら 学んで大きくなって行くのだと思います。 本来のレスから外れていたらごめんなさい。 |
▼こんぺいとうさん: もちろん言うまでも無く、勉強は机に向かってするものばかりじゃないでしょう。子供を自然に解放す事は大事な事で私も大賛成です。私の娘夫婦は東京に住んでいましたが、北海道で子供を育てたいと、わざわざ不景気な北海道に移住してきました。現在その孫たちと一緒に住んでいますが、この選択は間違っていないと思っています。 CW二コル氏は私も尊敬している人です。以前、脚本家の倉本総さんとテレビで対談した事がありますが、私たち人間は自然からもっと多くの事を学ぶべきだと言っていました。 又倉本総さんは「自然を愛するものは、親、兄弟を愛し、親兄弟を愛するものは友人、隣人を愛する、友人、隣人を愛するものは国を愛する。愛国心とはそういうものだ」と言っていました。いうなれば自然を愛することは教育の原点であるかもしれません。 私はなにか、ガリ勉を奨励しているように、誤解されているようですが、私はスレッドの題名が「勉強する理由」とあったので、何故勉強しなければならないかを申し上げたまでです。何回も言うようですが、勉強は全てでありませんが、勉強をして得をする事があっても、損をすることはない、という事を申し上げたかったのです。 CW二コル氏も今井道子氏も、自然を愛する立派な方ですが、本を読み、勉強もたくさんして今日があるのだ、という事も知っておく必要があります。 |
▼北の老兵さん: >私はなにか、ガリ勉を奨励しているように、誤解されているようですが、私はスレッドの題名が「勉強する理由」とあったので、何故勉強しなければならないかを申し上げたまでです。何回も言うようですが、勉強は全てでありませんが、勉強をして得をする事があっても、損をすることはない、という事を申し上げたかったのです。 > >CW二コル氏も今井道子氏も、自然を愛する立派な方ですが、本を読み、勉強もたくさんして今日があるのだ、という事も知っておく必要があります。 お返事有難うございます。 誤解はしていないつもりです。 本をたくさん読むことは私も大好きですし少女の頃(私にもありましたね、 少女という頃が)私は本が大好きで戦後の物資のない頃でも父がいろいろな 本を与えてくれました。大学進学をあきらめざるおえなかった私の唯一の 武器は大学卒の同級生よりもしかしたら本を読んでいることかもしれません。 ただ、私は子供は10歳くらいまでは自然の中で思いっきり遊ばせる、その ことでその子が不思議と感じることを、側にいる大人が先回りして教えないで 自分で答えを見つけさせる、それが勉強つまり大きくなって学問が必要と気 づかせるそのほうが、人から言われたより身についていくのではないかと思い ます。私の大好きな[センス・オブ・ワンダー]ということです。 二コルさんも今井さんも子供のころは思いっきり遊んでいたと思います。 北の老兵さんのお孫さんが自然の中で子ども時代をすごせることが、きっと 本当の学問好きに目覚めるきっかけ、好きなことへの足がかりを見つけられ る良い環境をお持ちと思います.きっと遊びの大切さをご存知だから 自然の中でお育てなのだと思います. 幼い頃の読み書きそろばんは、ほんの基本で良いと私は思います. いま、この歳なっても本が好き、学ぶことをまだ懲りずにあちこちのセミナー や講座に出かけているのも、子供の頃の好機心の塊だったことがあるのかと 思います.中学生、高校生になってでもその子に集中力とやる気さえあれば いくらでも能力は追いつくことができると思います。 特殊な能力はすでに栴檀は双葉よりですので、普通の子は遊びから発見し 能力を与えるチャンスも必要かと思います。 北の老兵さんの思っておられることは十分理解しているつもりです。 釈迦に説法になってしまいましたね。でもまだまだ偏差値学問が横行して 変な子が育っていっているような気がして、心配なので反論のような 書き方になってしまい申し訳ありません。 昨今の勉強をする意味を取り違って、いい学校へいい就職へのことではない といっておられるのもわかっているつもりでここへあえて書かせていただき ました。本当は最初の方へ書き込みことだったのですが、このスレッドに きずいたのが、あなた様だったのでそこへ書き込んでしまいました。 大変失礼いたしました。 |
こんぺいとうさん まったく賛同しますとも! しかし 各子供の幸せ探しの”お手伝いさん”が 教師であり先生ですね。 誤解があってはいけません。あらゆる素材のなかからあらゆる可能性 を導きだす芸術家というほうが 正確でしょう。 人は いろんな刺激によってこそ 育てられると言い切れます。 自分の家庭生活だけの狭い無難な平和なものとして育つ。 作られた刺激で育つことが ”幸せ”ではありません。子供が 自分自身で感じ、行動したことにやわらかい目で見れる人。 幸せってなんだい?と自らに問い。 自分だけが幸せになりゃいいんだ なんてのより みんなが 幸せを求める環境をつくり、おもいおもいのものを発揮しあえる ことのほうが より幸せなんじゃなかろうか? しかし 現実の社会はあらゆる不正が渦巻いてます。 環境を侵し、阻害しようとするものは誰でありなんであるか? を正確に教えなければなりません。 山に行け!本を読め!そんなのより新聞の読み方教えたほうがいいんじゃ? という私は 又例の姉御から謎解きはダメよ!といわれそうです。 |
▼北の老兵さん: こんばんは 北の老兵さんおっしゃりたいことは良く分かります >私は勉強を嫌がるのを、無理やり首根っこを押さえつけて勉強させるのは賛成できません。子供には「なぜ勉強しなければいけないのか」を教えてあげる事は大事であり、楽しく学ぶ事で勉強を好きにさせる、このような環境作りも親の務めじゃないのだろうかと考えております。 > >子供の個性は、子ども自身はもちろんの事、親でも教師でも中々分からないものです。好きこそものの上手なれという言葉もありますが、好きである事が大きなキーワードだと思います。 そうですね 私は子どもと親がどう向き合うかということも大切だと思うのです。 私の 45480番の投稿した中にありましたような子は 親が子ども自身の中にある「自分で考える力」を見守っていればその子は自然に伸びていくのではないでしょうか。 堀江社長のお父様がなさっていた事が良かったとしてもそれをまねする必要もない と思います。 歴史が好きなお子さん、算数が好きなお子さん色々だとは思いますが 歴史だったら今の中学、高校でやっている年号を暗記する歴史ではなく たとえば、昨年,NHKで放映された「新撰組!」(あれは時代考証的にめちゃくちゃだったという方もおられますが)を一緒に観て幕末という時代に親子で興味を持って調べたり、当時の尊皇攘夷派と幕府派などの考え方やについて語り合うのも面白いと思います。 実は歴史って、その時代を生きた人々の権力闘争や運命の不思議さに思いを馳せる とワクワクするほど面白い分野だと思うのですが。 数学が好きなお子さんなら数の不思議さ数字を操ることの面白さを親子で体験 出来たらいいですね。 つまり、子どもに教え導く事も必要かと思いますが勉強することの面白さ 楽しさを親も子どもと一緒に学んでいけたらいいですね 子どもも父親や母親が興味を持って学び楽しげに語る姿えお見たらやってみようかとか面白そうだなとか思うのではないでしょうか。 >しかし、イチローのような天才はそうそう出るものじゃないし、親は自分を見ればスポーツが向いているかどうかは、ある程度は判断できます。そうそう「トンビが鷹を産む」事はないのです。そういう意味で、将来の可能性を広げるためには、勉強はけっして無駄にならないという事を強調したかったのです。 > >スポーツ以外にも今は、多種多様な選択肢がありますから、その中から自分の個性のあったもの(自活の道)を、求める手助けをしてあげるのが、親の務めなのではないかと考えております・ おっしゃる通りだと思います。 昨年ベストセラーになった本に村上龍の「13歳のハローワーク」というのがあります。 村上龍は私も好きな作家なのですが、息子も好きで色々読んでいるようです。 その村上龍の考え方に「スキルを磨いて社会に出る」という考え方があります。 つまり、「何を、自分の武器にして社会に出ていくか」というこです それは内閣官房長官が言っていたことと似て非なるものだと私は思います 勉強することは本来楽しい筈なのです、自分の知りたいこと疑問に思う事 や謎を解き明かしていくのですから。 |
▼パンドラさん: >私の知っている子どもで、こんな子がいました >小学校一年生の算数の問題で >「すずめが七羽いました。五羽いなくなりました、残りは何羽でしょう」 >という問題が出た時 >「何故いなくなったのだろう?猟師に撃たれたのかな?他の動物に食べられたのかな?」と考えてしまう子どもでした。 >又二年生の国語の教科書に >「川は海に流れていく、たくさんの川たちが、海に流れやがて、海とひとつになる」 >というような内容の詩が載っていました >その子は、 >「海に流れていく川は、では元々何処で、どうやってできたのだろう?」 >とい所に興味を持ちました >又、その子が三年生になった時、「はだしのげん」というアニメを見て >「あの、アニメに出てくる、原爆ドームは、原爆が落ちる前は何に使われ >なんと呼ばれていたのだろう、何のために、あんな変わった建物が >建てられたのだろう?」 >と不思議に思ったそうです。 >その子のおかあさんは、その子の疑問や「こだわり」を大事に思い一緒に >図書館へ行って調べ不思議に思う事を一緒に考えたそうです。 > >答えを出す前に考えてしまう子どもは、今の学校制度や、先生達にとっては >困った部分があるのかもしれません。 >でも私は、学ぶことは「自分で考える力を育てる」ことでもあると思います。 > >自分で考え答えを見つけていく、それが又生きる力に繋がっていくと思う >のですが。 >そして、親や先生方はそれを邪魔しないで(現実には色々大変な面もありますが) >学ぶ楽しさ、疑問に思ったり、不思議と考える興味や好奇心を育てて行く中で >学ぶことの大変さ、困難さも、子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー >になって行くと思うのです。 このスレッドの議論に、学ぶことが楽しい、勉強することがおもしろく楽しいというのがほとんど無いのが不思議です。皆さん、学ぶことが楽しくなかったのでしょうか。人間には知的好奇心があり、知らないことは知りたいと思うものではないのでしょうか。 私は、義務教育こそが問題であり、そこで何を教えるかが大切であると考えています。 生きる力は、家庭でつけさせればよいと思います。 義務教育以外は、学びたい人が自分で選んで学習すれば良いと考えます。 義務教育で、基本的な知識を単に覚えさせるのではなく、十分使えるようにすることが求められていると考えています。 |
▼北の老兵さん: こんばんは 北の老兵さんの投稿にはいつも教えられることが多く勉強になっていますのでこの掲示板の中でも注意して投稿を見させていただいているお一人では有りますが。それだけにことさらあの投稿には違和感を覚えレスさせていただいた次第です。 おそらく、私の真意もご理解していただいてはいないようなのでもう一度説明させていただきます。 「より豊かに生きること」を目標に「知識を得ること」、「考える力を養うこと」の勉強を否定しているわけでは有りません。 北の老兵さんの堀江氏のお話、そしてスポーツ選手のお話はその現在の地位における成功失敗をお聞かせいただいているわけですが、「より豊かに生きること」とは経済的、社会的地位がその指標になる旨の事を仰っているように感じたので、それは内閣官房情報統轄官殿の言うところの良い会社に入る、官僚になる。と同義語と取りました。 人の人生の豊かさは経済的、社会的地位で客観的に語れるものではないと思います。社会的な強者、弱者は客観的に判断できますが人の豊かさは計れないのではないでしょうか。 もし、ご発言が社会的な強者になるために勉強すると仰っているのであれば内閣官房情報統轄官殿と同じであると思いました。 失礼します。 |
▼peaceさん: こんばんは。レスを頂いたので返信いたします。 私の前述の文章の文脈から、そのような誤解を受けたなら、それは全て私の文章力の無さから来るものです。それははっきり言って誤解です。 私は強者を育てるための勉強を推奨しているわけでなく、これから厳しい世界に出て行くためには、生き抜く力が大事であり、それには考える力が大事である。その考える力を育てるのは勉強は有効な手段なのだよと。そういう事を言いたかったのです。 勉強は学校で机に向かってするばかりが勉強でもありません。心の豊かさを育てるのは、自然と触れ合い、自然から学ぶ事でその心を育てる事が出来ます。また友達との遊びの中から学ぶ事もあるでしょう。 前述のこんぺいとうさんに対するコメントを読んでいただけるとご理解いただけると思うので、ぜひお読みください。 ちょっと眠れなくて起きて、焼酎のお湯わりを飲みながら書いているので、支離滅裂のところがあるやも知れません。そこのところはご容赦ください。 最後に勉強をしないで後悔している人は知っていますが、勉強をして後悔をしている人には、私はあった事がありません。 |
レスありがとうございます。 私の誤解であったのでしょう、失礼いたしました。 アルコールはお控えください、体に障ります。 それでは。 |
言葉で考えを表現し、それを他人にわかってもらおうとするのは難しいものですね。力不足をつくづく実感します。 もう一度だけトライしてみます。(出来るだけ違う表現で私の考えを伝えるよう努力してみます) 過去何十年にわたって「教育問題」は論じられたのでしょう。民間会社の経営と違って教育には万人が賛同する「具体的な目標」がありません。(民間会社は利益が上がらないと間違いなく淘汰されます) 教育には利益のような具体的な目標は要求されません、ですから、百人が教育を語ると百通りの「教育理念」が生まれます。 このスレッドで語られている教育論も全てが正しい議論だと思います。が、その全ては語る人それぞれで解釈は微妙に変化します。議論を深めれば深めるほど、議論を広げれば広げるほど、核心は薄まります。自分の思い込みは他人のそれとは完全には一致しないからです。良い大学を出て一流企業に就職する事が目標だった時期もありましたが、その目標はいまや間違いであった事が具体的な事例で証明されつつあります。 日本には学校の先生が300万人以上いるらしいのですが、この300万人が「具体的な目標」を持たずに毎日学校で生徒に接している、と私は想定しています。生徒や学校に何かが起こると先生が非難の矢面に立ちます。 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3850.html 先生は目標を持たず、したがって達成感も持てず、何か良くないことが起こったときだけ非難の対象になるのだとしたらこんな割の合わない職業はありません。もし私がどこかの学校の先生だったら、ひたすら「何か良くない事」が起こらないことに全精力を集中するでしょう。 いかに上手に教えても、ノーベル賞受賞者の卵を育てても、何の評価もされないのであれば、あとは保身にエネルギーを注ぐのは理にかなっています。 私は300万人の教師=最高教育を受けた選ばれたプロ集団を活性化する事が日本の将来を決定付けると確信しています。IT産業の育成よりももっと重要度は高いと信じます。 教える事のプロ集団、教師の皆さんにやる気を持ってもらうために必要な事はきわめて単純です。「公正な評価」です。校長や教頭が行う教師への勤務評定がどの程度公正な評価と結びついているのかは定かではありませんが、もともと評価をすべき基本となる目標が定まっていないのでは評価のしようがありません。校長や教頭だけでなく、生徒、pta、警察、文部科学省、大学、企業、そしてわれわれのような一般市民を巻き込んだ総合的な目標を教師に提示すべきです。教師がそれらの目標に賛同したその瞬間、日本の将来は輝きます。 どうやってその様な「具体的な」目標を作り上げるのか、は、次のステップです。ここまでの私の主張、ご理解いただけたでしょうか。 |
▼馬鹿正直さん:こんにちは、きょうは焼酎が入っていないようですね。 >いかに上手に教えても、ノーベル賞受賞者の卵を育てても、何の評価もされないのであれば、あとは保身にエネルギーを注ぐのは理にかなっています。 > だから、教育がだめになったと仰りたいのですか? 常に、公正な評価を教師に与え続ければ、教育の効率化が行えると言うことですか? そしてそのために教育の基本の目標を定めよと。 教育基本法よりももっと具体的な目標を定めよと。 ・・・と言う事なのでしょうか? |
▼Gokai Sezutomoさん: > >>いかに上手に教えても、ノーベル賞受賞者の卵を育てても、何の評価もされないのであれば、あとは保身にエネルギーを注ぐのは理にかなっています。 >> >だから、教育がだめになったと仰りたいのですか? >常に、公正な評価を教師に与え続ければ、教育の効率化が行えると言うことですか? 効率化を目指すべきだとは思っていません。教育の中身のレベル(抽象的な表現ではありますが)は間違いなく向上すると思います。 > >そしてそのために教育の基本の目標を定めよと。 >教育基本法よりももっと具体的な目標を定めよと。 >・・・と言う事なのでしょうか? 教育基本法は具体的な目標が定めてあり、公正な評価が可能だとおっしゃりたいのでしょうか。 |
▼馬鹿正直さん: >教育基本法は具体的な目標が定めてあり、公正な評価が可能だとおっしゃりたいのでしょうか。 いや、そうではなく純粋に貴方のお考えを確かめたかっただけです。 下記のコメントに興味をそそられたのです。 よろしければどのような具体的な目標が考えられるのかご披露いただけたらと思います。 私は過去にそのような方法を聞いたことがありませんし、公正な評価が出来る目標については、ちょっと思い付きません。 その前に本来なら、このスレッドの目的とずれるのかもしれませんが、 現在の教育の結果の何が問題なのかの前提が、まず、知りたいところでもあります。 >このスレッドで語られている教育論も全てが正しい議論だと思います。が、その全ては語る人それぞれで解釈は微妙に変化します。議論を深めれば深めるほど、議論を広げれば広げるほど、核心は薄まります。自分の思い込みは他人のそれとは完全には一致しないからです。良い大学を出て一流企業に就職する事が目標だった時期もありましたが、その目標はいまや間違いであった事が具体的な事例で証明されつつあります。 > |
この日曜日に老人保健施設の開設3周年のおまつりがありました。 今年も前年同様近隣の中学校の生徒有志が協力をしていました。 受付や食券販売・お茶のサービス、ポップコーンづくりなど・・。 与えられた仕事だけでなく、自然に自ら周囲の人に声がけが できるようになったなら、ボランティア活動の楽しさを知ることに なるでしょうか。 その中学校に声がけをしたボランティア グループのリーダーは 公園の草花を育てる活動もしており、ある小学生が黙々と水やりを 3年も皆勤をして、卒業式で表彰された例など、教室以外でも こどもたちを育てる場があることを話してくれました。 息子の”信頼”の抱ける若い教師と友人たちとのかけがえのない出会い。 高校時代のはじめから変わりなく”友情”をつむいで、 それぞれがよく育ったような気がいたします。特に部活の先生は 真正面から社会のルールや人生のあり方を語ってくれたような・・ もちろん、親からの”Thanks letter”も忘れずにお送りしましょう。 |
▼馬鹿正直さん: >▼昌平さん: お読み頂きまして、又、レス頂きまして、有難うございます。 >ここで質問です。さて、正しく教え、正しく勉強する、という「正しく」とは何なのでしょうか。 > うーん、難しいですねー。 私如きが申し上げるのは、ふさわしくないと思われ ますが、私なりの考え(あくまでも)を述べさせて頂きます。 <正しく教え・・・> →「望ましく教え」 少なくとも、「ティーチングマシン」にはなってはいけないのでは。 子供と 言えども相手は人間です。 生徒にレッテルを貼る様なことは絶対慎むべきです。 私が小学5年生の時、自分なりに一生懸命勉強したにも拘らず、テストで良い点が 取れなかった男の子がいました。 その時、先生は「勉強してもこの点か!やっぱりお前は馬鹿なんだなー」と言ったのです。 その子はその後中学卒業まで、テストは全て白紙で提出し、ぐれたそうです。 理想とするなら、自分で学び、自分で 考えることに喜びを見出せる様に教える事が出来ればと思います。ある数学の先生 は、「『数が苦』が『数楽』にならなければ数学の成績は上がらない。」と言って おられました。 その先生は実に楽しそうな顔をして授業をされました。 <正しく勉強する> → 「望ましく勉強する」 親や教師のエゴで「勉強しろ!」と言っても、させられる側には「拷問」です。 テストでいい点を取るだけの勉強って何か寂しくないですか? 実は私も中学1年の時、その「拷問」を受けました。 英語のM先生は、教科書 はほとんど使わず、生徒を前に出てこさせ、問題の答を書かせる方式でした。 その上、 1. 生徒を名前で呼ばず、出席番号で呼ぶ。「22番!前に出なさい!」とか。 2. テストの点は全て読み上げる。 「15番! 3点!」とか。 3. 問題が出来なかった生徒は、油性マジックで顔に落書きをする。 4. 時には「電気ショック」と言って、問題が出来なかった生徒に「感電する おもちゃのライター」を握らせる。 ETC・・・ 私は、「マジックで顔を塗られる常連」 でした。テストで20点も取れない 劣等性でした。 そんな私が何故か今、英語の教師をしております。 そのきっかけは、「拷問」ではなく、「ビートルズとの出会い」でした。中一の終わり頃、 友人に勧められて聴いた彼らの曲に魅力を覚え、それまでの無味乾燥とした英語 が「生き物」に思えだしたのです。やがてイギリスに興味を持ち、成績もアップ しました。 別に「英語教師」など偉くも何ともありませんが、私にとって人生の方向を転換させた経験でした。 結局「英語の持つ美しさ」や「英語から広がる 世界」を伝えたくて、この仕事に就いた様ですね。 私の勉強が望ましいかどうかは分りませんが、「手段としてのみの勉強」をするのではなく、「常に次のテーマを追い続ける勉強」をした方が楽しいです。 まして 「落ちこぼれにならないための勉強」など本来の勉強ではありません。 >教師は「何」を目指して生徒に教えているのでしょうか。 >これが私の質問です。 > 「可能性」だと考えます。 それは「学問が持つ可能性」と「個々が持つ可能性」ではないでしょうか。 でも実際そんな人少ないかな? >教師は生徒、PTA、大学、会社、文部省、などなどあらゆる社会から何を期待されているのかが明確になっていない。逆に言えば、教師はこれらあらゆる社会に対して何を提供しようとしているのかを明確にしていない。ように見えます。 > 私も同感です。 新聞の三面記事を見てそう思うことがしばしばあります。 >「夢を持たせる」のが目標なら、どうやって、どのような状態になった時に「夢を持たせることが出来た」と判定するのかを世間に明示すべきではないでしょうか。社会はその判定が正当かどうかを評価します。正しい評価があれば義務も責任も明確になるでしょう。 先ず教える側が夢を持たずして、生徒に夢を持たせるのは無理です。 抽象的ですが、常にプラス指向ですね。 生徒がプラス指向に進んでいれば、役割はある程度 果たしているのかもしれませんね。 それにしても例の「内閣官房統轄情報官」みたいな弱肉強食論者がこれ以上増えないで欲しいと思います。 まともな回答ができず、生意気な事ばかり申し上げ、更には長文になりまして、失礼しました。 |
▼昌平さん: こんばんは >はじめまして、私は44歳の中学教師です。 僕と同い年ですね。よろしくお願いします。 >投稿者:45歳・男性・内閣官房情報統轄官 >1.最近、子供から、「なぜ勉強しなければいけないの」と問われ、答えられない親が多い。 から始まってこの方はいろいろと答えを仰られていますが要するにこの方にとっての「なぜ勉強するか」に対する答えがこれなのだろうと思います。もしそれらの理由がなければこの方は勉強しなくて良いと思っているのでしょう。 この場合「なぜ?」と言う「問い」に対して「答え」があるものだと思っていること自体がおかしいと思いますね。この方は間違いなく勉強のしすぎです。学校で勉強をしなかった僕が言うのだからまちがいありません。 「なぜ?」って聞かれて答えのあるものとないものが有るのが世の中でしょう。この場合一人一人で答えが違っていて当然でこのように決まった答えを出すこと自体この方の考えの偏狭さを感じてしまいますね。 しかし > ではない。それに賃金の高低など、それ自体何の問題があるのか? それを問題にして勉強をがんばっている人もいるかもしれない。(僕に取っては大きな問題ですが。) > 「知的労働者」がそんなに素晴らしいのか? 個人の価値観もある。 どうしても「知的労働者」になりたいと思う人もいるかもしれない。 >「高校卒業者の就職率が低い」という由々しき問題をまるで当然の如く扱っていることに彼の認識を疑う。憲法を知らないのだろうか? でもそれは事実かもしれません。就職を勉強の目的とするのならば高学歴の方が有利でしょう。 > 別に国家公務員にならなくてもいいじゃない。 この人は自分のことで頭がいっぱいなのです。 >一流企業の経験や人脈がいきる?それは甘い。 でもそんな甘いところも世の中はあったりします。 >人脈にしても組織を利用しての人脈より、個人で作り上げた人脈の方が大事だと思います。 ケースバイケースでどちらともいえないと思いますが、組織を通じた人脈は強いですよ。 >「こういった問題を学校で教えていない」? 馬鹿じゃないの? そう、この内閣官房情報統轄官殿は馬鹿です。勉強しすぎても馬鹿になると言う見本をこの方は自ら世間に知らしめていらっしゃる。 >教えてどうするの? 子供の興味、価値観、能力や才能は多種多様であり、どの子にもそれぞれ無限の可能性があります。 無限じゃないと思う。だって、僕も子供の時期がありました。 >勉強は自己の保身や高収入を得るための手段であるとは思わない。 でも、そのような人も世の中には多数存在します。 >達は、子供達を「脅迫」して勉強させるのではなく、もっと夢を持たせるように指導すべきではないかと申し上げたい。 その通りだと思います。まるで霊感商法のような脅迫よりも夢を持たすような教育の仕方が子供たちをのびのびと育てる事になると思います。 以上、茶化しているように感じましたら失礼しました。 教育現場は大変だと思いますが。どうかがんばってください。 |
横から失礼します。 みなさまのご意見には賛同するところ多々ありますが、私は「勉強する理由」はもっとシンプルに考えています。 「”勉強”は大人にになるための頭の体操であり、”教育”は人生を楽しむことが出来る力を育てることである。その他の理由は全てオマケだ」と何かで読んだ事があります。これは言い方を変えると「生き抜く力」を学ぶ事だと考えられないでしょうか。時代が進むにつれ、距離の壁も言葉の壁も無くなりました。この傾向は益々強まるでしょう。 こうした世の中で生きていくには、いつまでも親がいるわけじゃないし、いつまでも頼れる親友がいてくれるわけじゃありません。結局自分の力で生き抜いていかなければならないのです。この「生き抜く力」を身に着けるのには、どうしても「考える力」が必要になります。 この「考える力」を身に着けるには勉強しかありません。別に英語を話せるようになるためばかりじゃないし、難しい計算をするためばかりで勉強する訳じゃありません。私は勉強をして万に一つの無駄はないと思っています。勉強をして得することはあっても、損をする事はないのです。やればやっただけ将来の可能性は広がります。 勉強を楽しくするための環境作りは親であり、その方法を教えてくれるのが教師だと思うのです。私は教師も個性や独創性を大事だと思っているので、国には教育の現場にはあまり口出しをして貰いたくないと思っています。 |
落ちこぼれの生徒だった私が意見するのはおかしいかも しれませんが、これは「勉強する理由」というより「学ぶ理由」 という点から考えるべき問題ではないでしょうか。 あの役人さんは、考え方が偏狭的過ぎますね。暗いですよ。 論語の「学びて時にこれを習う また楽しからずや・・・」の ノリで行けないものか? 私は学校時代(特に義務教育時代)、勉強が大嫌いでグレており ましたが、今はどういうわけか、漢字検定やハングル検定の勉強 をして資格を取ったりして、結構楽しんでおりますよ。学んだ ことを前向きに活かすことをイメージできれば、勉強も苦痛では ないはずでは。 |
云いようのない漠然とした不安の中で 日本人の言葉、言語がどうなってしまうのか?との 想いに時折駆られる。 携帯電話が出来て便利になったが、若者たちの通話を 聞くともなく耳にすることがあるが、その中での 会話に纏まりが無く、何時終わるでもない長い通話の 光景に出会うことも多い、さぞかし電話会社は利益が 上がってる事だろう。 インターネットの投稿に見られる文もやたらに長いのが 多い、本来、電話でも手紙でも通信は簡潔、簡単、明瞭を もって良しとする基本があるように思える、 歴史で活躍した人物の書簡などを見たことがあるが、 簡潔、明瞭で美しい文章であることに驚かされた ことがある。 ワードプロセッサーの登場以来、長電話にも似た 読むのも「しんどい」簡潔さを欠いた長い文章が多く なってるように思える。 纏まりの無い話し方、文章は脳を効率的に使って 無いことに通じてるとのこと、ひいては考える道具 としての国語力の低下を意味すると聞いたことが あるが・・なるほど・・と納得する処がある。 国際的に活躍してる人に聞いても基本は国語力に あるとのこと、国語力が低い状態であれば例え外国語を 修得したとしても機能する言語にならない・・とのこと。 議論、交渉ごとが苦手の背景は国語力の低いことに よるのではないか。 日本の教育の中に言語による論理による格闘術の研鑽は 特殊なゼミ以外では無いと聞く、外国の例を持ち出すのも 憚れるが・彼の国々では低学年であっても頭脳の格闘技的な 議論を併せる機会が造られてると聞く、それが人間として 生きてゆく過程で最も大切な事として認識されてると云う。 他人の言い分を理解し・かつ自身の言い分を相手に理解して もらうことに通じることになる。 |
教育はなぜ必要かという疑問に対し、イーウーマンという会社の社長さんが「自立のため」と語っていたのを聞いたことがあります。なかなかいい言葉だと感じています。 じゃあ具体的にどうしたら良いかという話になると困るんですが、少なくとも自分で考える能力を養うということになるんでしょうか。 しかし、常に子どもの教育について考える事は重要ですが、一方で大人の世界も良くならないと。大人もだいぶ乱れてきていますからね。子どもは大人を映す鏡です。大人がより健全な社会を築かないと子どももついてこないでしょう。 |
私は最近よく思います。 教師も子どもももっとのんびり穏やかになるだけで、日本の教育は変わると! 何しろ忙しすぎます。 世知辛すぎます。 ぎすぎすしています。 ゆったりのんびり、子どもが今日は落ち着かないな、かさかさしているなと思えば近くの公園にでも行って思い切り遊ぶ。 子どもを次から次に追い立てないで、マイペースな子どものスピードに合わせて、みんなでその子の背中をそっと押してあげながら、ゆっくりゆっくり成長していく。 多少ゆがんだねじ曲がった子どもでもそんなゆったりした時間の中ならちらっとかわいいところを見せますよ。 そしたら、かわいいねえと褒めてあげられる。 褒められればたいていの子どもはにこにこいい顔になります。 教師がかわいがって褒めてあげればどんな子どもでも優しくなります、やる気も出てきます。 勉強もスポーツも頑張るようになります。 教育ってそんなに難しいことはなくて、こんな単純なところに秘密があるなあというのが最近の私の実感です。 単純なことですが、そのことを深く切実に体で分かるには数々の失敗をくぐり抜ける必要が愚鈍な私にはありましたが・・・ |
▼団塊党さん: こんにちは。お久しぶりです。 >何しろ忙しすぎます。 >世知辛すぎます。 >ぎすぎすしています。 その通りですね。 子供も教師も余裕が無さ過ぎます。 >教師がかわいがって褒めてあげればどんな子どもでも優しくなります、やる気も出てきます。勉強もスポーツも頑張るようになります。 不謹慎だとお叱りを受けるかも知れませんが、犬でも叱ってばかりいたら、絶対いう事を聞きません。良い事をしたら全身を使って褒めてやると、犬は飼い主に褒められるのがうれしくて、一生懸命に飼い主に褒められようとします。 人間の子供だってなんら変わりありません。ちょっとした事でも褒めてあげると、こういう事をしたら褒められるのだと、学習していくものです。 私たちの子供の頃は、親よりも先生に褒められるのが嬉しくて、先生に褒められようと一生懸命努力したものです。私は昔も今も同じだと思うのですが、最近の子供を見ていると、先生にたいする言葉遣いがまるで友達扱いです。いつ頃からこうなったのか?どうしてこうなったのか? 私の子供の頃は、個性のある先生がたくさんいました。例えば国語の女の「ガマ先生」英語の「タコ先生」数学の「大根先生」とニックネームで呼んでいましたが、それぞれ皆、大好きな先生で、数年前の卒業40年の同窓会には、その先生方も呼んでいろんなエピソードを披露し合って、楽しいひと時を過ごしました。 今は世の中変わり過ぎました。教師に全てを押し付けるのはなく、家庭、地域社会、行政が相互に連携を密にし協力し合っていかなければならないと思う。 そして国に望みたいのは、教育の現場に過度な口出しをしないでほしいという事です。 |
団塊党さん、お久しぶりです。 いささか大風呂敷を広げますが ^_^; 「生命」と「成長」、それに利するもの。よい風、よい水、よい土。 そのまた大元は、たっぷりの「よい時間」なんじゃないでしょうか。 医療の世界でも、「時間がいちばんのお薬」といったセリフを、 案外よく聞きます。「日薬(ひぐすり)」なんて言う人もいます。 医者が患者を治す。親が、教師が、子供を育てる。それはいわば、 便宜上の言い方であって、患者は自分で治るし、子供は自分で育つ。 その時その時、その人にとって、できるだけよい環境を整えながら、 信じて、見守って、待つ。結局、それしかないんだろうなと思う 機会が、なんだかますます増えています。 ベテランのプロ教師に、たいへん生意気を申し上げました。 どうか、お元気で。 |
おはようございます。 義務教育の勉強の基本は、「考える習慣を身につけさせる」「読み書き計算など、生きていく為に必要・便利な事をしっかり会得させる」だと思います。 家庭での教育は、勉強は強制せずに家事のお手伝いなど、学校では学べない事をさせる。普段お手伝いをしっかりしてる子供は、学校生活でも役に立っているようです。 家庭でも学校でも、生き方(職業など)の多様性を教える。 これがないから、狭い範囲で生きている子供達は、周りのモノに気を遣いすぎたり追従してりして、特に性格の弱い・優しすぎる子供は絶望して自殺する事もあります。 子供の頃、母が 「籠に乗る人、担ぐ人、その又ワラジを作る人、って言葉があるけど、色々な人がいて色々な職業があって、世の中は成り立っているのだよ。どんな仕事もなくてはならないモノだから、職業に貴賤はないって言われているのだよ」 って、言っていました。時々思い出し肝に銘じています。 欧米などの青少年は、大学に入る前など海外に一時期住んだり、仕事をしたりして見聞を広めてから進学している事が普通に行われているようです。 日本でもこのような事が普通に行われるようになると、子供の狭い社会が少しは風通しがよくなるのではないかと思います。 これに関しては、企業の就職のあり方の変革も必要とされます。 もちろん一部の企業に関しては広い経験を持った学生を高く評価しているようですが。 勉強は学校だけのモノではありません。歳をとってからでも学べます。 勉強の楽しさ・必要性を分かる時に学べばより頭に入ります。 高校入学・大学など、年齢の多様な生徒・学生の入学が当たり前になると良いと思います。学校だけでなく社会勉強も大切です。その時期にその子にとってどちらが良いのか、選ぶ事が出来るといいですね。 中学・高校を出てから仕事に就いたり外国へ行ったりして、学びたくなったら学校へ行く。なんどでもトライ出来る世の中はステキです。 生き方の多様性を小さい頃から大人達が教える必要があるのではないでしょうか? 失敗しても心配しなくていいよ!失敗は成功の母だよ、またチャレンジしようねって。 勉強が出来るという事と、頭の良い事は同じではありません。 懸命に勉強して成績は良かったけど頭は余りよくない人が、今の世の中をリードしている弊害があちらこちらに出ているような気がしてなりません。 成績も頭も悪い私が言っても笑われるだけかも知れませんが。 詰め込みじゃなく、勉強を楽しむ事が出来る環境を作ってやりたいな、って願っています。 格調高いこのスレッドに、雑談を持ち込みました。お許し下さい。 |
▼秋明菊さん: >おはようございます。 いつも心に残る書き込みを拝見いたしております 先日は私の書き込みに娘のことで温かいお言葉を頂きありがとう ございます > >欧米などの青少年は、大学に入る前など海外に一時期住んだり、仕事をしたりして見聞を広めてから進学している事が普通に行われているようです。 > >日本でもこのような事が普通に行われるようになると、子供の狭い社会が少しは風通しがよくなるのではないかと思います。 都市部の大学では少しずつですが社会人になってから大学へ入る若者 もいて社会人枠での大学入試も行われているようですね 我が家の娘も大検資格で受験いたしましたし、一浪、二浪で入られた 方もいて学部の中では浪人の割合も多いと申しておりました >これに関しては、企業の就職のあり方の変革も必要とされます。 >もちろん一部の企業に関しては広い経験を持った学生を高く評価しているようですが。 そうですね、まづ、企業の雇用に関してのあり方も変わっていかないと 無理ですね >勉強は学校だけのモノではありません。歳をとってからでも学べます。 >勉強の楽しさ・必要性を分かる時に学べばより頭に入ります。 > >高校入学・大学など、年齢の多様な生徒・学生の入学が当たり前になると良いと思います。学校だけでなく社会勉強も大切です。その時期にその子にとってどちらが良いのか、選ぶ事が出来るといいですね。 本当にそう思います 進路変更やリベンジすること、そして必要とあれば休むこと、撤退することも あまりネガティブな事としてとらえない社会になったら素敵ですね とても小さなことだけれど、その為には自分自身も含めて周囲にいる人達 にどの位分かってもらえるかということも大事ですね >中学・高校を出てから仕事に就いたり外国へ行ったりして、学びたくなったら学校へ行く。なんどでもトライ出来る世の中はステキです。 > >生き方の多様性を小さい頃から大人達が教える必要があるのではないでしょうか? >失敗しても心配しなくていいよ!失敗は成功の母だよ、またチャレンジしようねって。 >勉強が出来るという事と、頭の良い事は同じではありません。 >懸命に勉強して成績は良かったけど頭は余りよくない人が、今の世の中をリードしている弊害があちらこちらに出ているような気がしてなりません >詰め込みじゃなく、勉強を楽しむ事が出来る環境を作ってやりたいな、って願っています。 そうですね、その為には親も人間として興味が持てること、面白そうな事に 時間とエネルギーの許す範囲で取り組んでみるのもいいかも知れません。 また、色々お喋りさせてくださいね。 |
パンドラさん こんばんは! >先日は私の書き込みに娘のことで温かいお言葉を頂きありがとう >ございます 1年半ほど休学して、カウンセリングなどを受けていた友達のお嬢さんが、この春から復学する事になりました。 友達には、娘と濃い時間を過ごせる良い機会だから楽しんでね、って言っていたのですが、友達の嬉しそうな顔を見てホントに良かったなって思いました。 もう春ですね。冬ごもりの内に力を蓄えた若い芽が顔を出します。 >都市部の大学では少しずつですが社会人になってから大学へ入る若者 >もいて社会人枠での大学入試も行われているようですね 社会人も現役も浪人生も学びたい人を、大学も社会も普通の事としてドンドン受け入れて欲しいですね。 大学は社会に出る直前の学舎です。色々な人生を送っている人達を間近で見られる事はとても良い経験になります。 >我が家の娘も大検資格で受験いたしましたし、一浪、二浪で入られた >方もいて学部の中では浪人の割合も多いと申しておりました 都会の進学校では、一浪は当たり前の事になっていて、半分以上が浪人するクラスもあると聞きました。予備校へ行って、希望の大学を目指すとか。 >そうですね、まづ、企業の雇用に関してのあり方も変わっていかないと >無理ですね 10年ほど前は、ホテルへ監禁?したり旅行をさせたりして新卒の学生を取り合った企業が、今は掌を返したように入社試験を受けに来ている学生に酷な態度を取っている、と聞きました。一部の企業だけかもしれませんが。 特に大企業は、社会に与える影響が大きいのです。自分の会社の利潤のみ追求するだけでなく社会に対する責任を自覚して戴きたいと思います。 >進路変更やリベンジすること、そして必要とあれば休むこと、撤退することも >あまりネガティブな事としてとらえない社会になったら素敵ですね >とても小さなことだけれど、その為には自分自身も含めて周囲にいる人達 >にどの位分かってもらえるかということも大事ですね ホントにそうですね。 沢山の人の心がバリアフリーになれば、子供も障害を持つ人も歳を取った人達も生き易くなります。 >そうですね、その為には親も人間として興味が持てること、面白そうな事に >時間とエネルギーの許す範囲で取り組んでみるのもいいかも知れません。 怠け者の私ですが、今よりちょっと頑張ってみます。 世間話しか出来ない私ですが、今後ともよろしくお願いします。 |
▼秋明菊さん: >「籠に乗る人、担ぐ人、その又ワラジを作る人、って言葉があるけど、色々な人がいて色々な職業があって、世の中は成り立っているのだよ。どんな仕事もなくてはならないモノだから、職業に貴賤はないって言われているのだよ」 >って、言っていました。時々思い出し肝に銘じています。 私も(↑)この言葉が大好きです。 籠に乗る人になりたいと思いましたが、担ぐ人で終わりそうです。 汗を拭き吹きワラジを作る人を立派だと思います。 現代社会だけでなく、今も昔も籠に乗れない人は多くいます。籠に乗れる人が偉くて、担ぐ人が偉くないというのではありません。ひがみ等の偏見もあるでしょうが多くの人の見方はどうでしょう? 農家の方は朝早くから、収穫した野菜が一把、?円の値段が付けられながらも腐らず、「この仕事しか出来ないから」と次の日も次の日も畑に出かけます。 ところが、農家の息子であっても、勉強の出来る子は高校、大学と進み、家に帰ることがありません。 その方は言われました。「兄ちゃんは頭がよかったからね」と。 家の跡を継ぎ、最後までご両親の面倒を看られたのはその弟さんでした。 高校大学と行かれませんでしたが、親しみがあり、町内では頼りにされる存在の方でした。 教育で大事なことは、それぞれに与えられた役割を認識することであるようにも思えるのです。勉強の得意の子、苦手の子と言うように生まれ持ってどうしようもないことはいくらでもあります。 でも、勉強が苦手だからと言って「勉強をしなくてもよい」とするのは間違いであり、学校に通っている限り、「勉強するのが本分」であると思います。 >勉強は学校だけのモノではありません。歳をとってからでも学べます。 >勉強の楽しさ・必要性を分かる時に学べばより頭に入ります。 勿論、一生が勉強ですが、親や先生や社会の恩恵で学校に行かせて頂いているときに勉強することは大事なことです。何故勉強するかが分からなくても、勉強することに意味があると思います。 >勉強が出来るという事と、頭の良い事は同じではありません。 何を基準に頭の良し悪しを言われているのかが分かりませんが、私の場合は授業の1時間が辛かったし、先生の言われることも理解出来ず、当然成績も悪かった。 頭の良い悪いは努力で云々ではなく、生まれ持っての資質であると思います。 今、騒がれている堀江社長は努力以前に、頭が良いのです。頭が良い人はその気になればぐんぐん才能を伸ばすことができるのです。 でも、こんな私でも勉強する必要はあったと思います。 ここに投稿されている方は知識も豊富で、頭のいい方が多いと思います。 先生は大変でしょうが、生徒の個性を引き出してあげてください。 |
こんにちわ! 勉強する理由については多くの方々のご意見にて 網羅されてるように思いますが・・・ 勉強する方法については千差万別ありますが、 インターネット時代の恩恵とでも云いますか・ 各分野の専門的な高度な情報にいとも簡単、容易に アクセス可能な・かつては想いも寄らなかった 利便性の恩恵を受けるに至ってます。 そのインターネットを有効に活用するための 受信する情報も発信する情報も言語系が基本と なってますので申すまでも無いことですが・ 国語力を基礎にした能力「読解力・発言力」に重要性 より高まってるのではないでしょうか。 従って子供たちが文字を学び文章の読み書きを 学習を始める段階から基礎をしっかり学べる ことが今までに増して大切に思われます。 父兄はもとより教育関係者もその辺りに意識を 集中して教え学ぶことを真剣に考える必要を 痛感してます。 |
ローカルだがNHK制作の四国羅針盤という番組がある。先週の日曜日、ある中学で生徒が弁当を作るこころみが取り上げられていた。途中から見たので、細部が不明のところもあるが、何かの参考になればと紹介します。 これは校長先生の発案だが、賛成するクラスがときどき、日を決めて実行しているそうで、まず強制でないところが私的には気に入った。 男子生徒が友達と誘い合ってスーパーに買い物に。家に帰って米をといで炊飯器に。タイマーの使い方を教わって6時にセット。翌朝は早くから調理にかかり、お母さんから「手は洗ったの」などと言われながら1時間以上かけてやっと弁当のできあがり。 あまったおかずは、家族の食卓に。持参した弁当は、友達どうし、おかずを交換しながらの昼食。これらが、実に楽しそう。普段食べている給食とは大違いの光景だ。帰宅すると勉強部屋にこもってひとり、ゲームなどするのが日課だそうで、こんなに家族が話したのはひさしぶりだそうだ。 スレッドのテーマとは離れたが、勉強だけが教育ではない。子供のいきいきとした楽しそうな顔、それを囲む家族の表情。それがいい。 |