Page 2532 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼あるファッシストの言葉! 流水 05/3/28(月) 17:12 ┣ファシストとでも何でも呼んでください。 ステディ ベア 05/3/28(月) 18:15 ┃ ┗Re(1):ファシストとでも何でも呼んでください。 流水 05/3/28(月) 19:44 ┣本当のファシズムはどこにあるのか 告天子 05/3/28(月) 18:40 ┃ ┗Re(1):本当のファシズムはどこにあるのか 流水 05/3/28(月) 19:46 ┃ ┗Re(2):本当のファシズムはどこにあるのか tomyk 05/3/28(月) 20:23 ┣Re(1):あるファッシストの言葉! 相良唯夫 05/3/28(月) 20:04 ┃ ┗Re(2):あるファッシストの言葉! 流水 05/3/28(月) 20:40 ┃ ┗Re(3):あるファッシストの言葉! 相良唯夫 05/3/29(火) 0:59 ┣それにつけても… 森下 泰典 05/3/29(火) 1:07 ┃ ┗はい、疑問です。 英 05/3/31(木) 20:37 ┣非国民の次は国粋主義者、で次はファシストですか。 YOTA 05/3/29(火) 18:30 ┃ ┣ひさしぶりにのぞいたが 大久保 剛 05/3/29(火) 20:16 ┃ ┗庶民を分断する論調 しげちよ 05/3/31(木) 13:56 ┃ ┣分烈した論調―スレッド模様 海幸彦 05/3/31(木) 17:46 ┃ ┃ ┗Re(1):分烈した論調―スレッド模様 相良唯夫 05/3/31(木) 20:58 ┃ ┃ ┗Re(2):分烈した論調―スレッド模様 海幸彦 05/3/31(木) 22:39 ┃ ┃ ┗Re(3):分烈した論調―スレッド模様 相良唯夫 05/3/31(木) 23:37 ┃ ┃ ┗Re(4):分烈した論調―スレッド模様 海幸彦 05/3/31(木) 23:56 ┃ ┃ ┗Re(5):分烈した論調―スレッド模様 相良唯夫 05/4/1(金) 0:15 ┃ ┃ ┗Re(6):分烈した論調―スレッド模様 海幸彦 05/4/1(金) 0:19 ┃ ┗Re(1):庶民を分断する論調 YOTA 05/3/31(木) 20:28 ┃ ┗Re(2):庶民を分断する論調 相良唯夫 05/3/31(木) 21:24 ┃ ┗Re(3):庶民を分断する論調 海幸彦 05/3/31(木) 22:35 ┣日本ではそれを「絆」と言う 江戸住民A 05/3/31(木) 20:58 ┣スレッド全体を削除対象と見なします 管理スタッフ 05/4/1(金) 0:04 ┗Re(1):あるファッシストの言葉! モンキー 05/4/1(金) 4:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : あるファッシストの言葉! ■名前 : 流水 ■日付 : 05/3/28(月) 17:12 -------------------------------------------------------------------------
次の言葉はあるファッシストの言葉です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ファッシストにとって全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。 この意味でファッシズムは全体主義である。 国家の外に出ては、個人もなければ団体(政党・協会・組合・階級)もない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、この自分をファッシストと自認している人物は誰でしょうか。 よく読んでみてください。 この掲示板で愛国心教育を執拗に主張している人たちは、このファッシストよりはるかにレベルが落ちます。 なぜなら、自分はファッシストではなく、民主主義者と思っていたりするからです。 口を開けば、【言論圧殺】だとか【言論の自由】などとのたまう御仁もいるようですが、主張している内容がファッシストそのままであることは決して認めようとはしません。 愛国心をあれだけ執拗に主張するということは、【全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。】と考えているからです。 つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。結局、国家以外に彼らの頭にはないのです。全ての価値基準を国家に預けているのです。 ところが、彼らの言う国家というのは一体どのようなものなのか。これが、全然分からないのです。 このことを一番明確に示しているのは、愛国心論議です。愛国心教育を必要と懸命に主張している人々は、人の心=国家の心といわんばかりの主張をします。 まるで、国家が人間の姿をして、一喜一憂する人の心の延長線上にあるといわんばかりなのです。 そんなことが嘘くらい冷静に考えれば、誰にでも理解できます。自分の思いと法(国家意思の表明)とのずれなど、誰でも一度や二度は経験しています。この掲示板でも、年金・老人介護・医療など、この人々の思いと法の乖離を見れば、一目瞭然です。 国家を支配している階層の意思と国民の意思とを峻別して考えるのが、民主主義国家というものです。 ところが、彼らはそうではありません。これに反対すると、あなたは人間的でない、とか嫌日だとか、死者を冒涜するなどと言い出します。 それなら、自分はファッシストと主張すればよいのですが、自分は民主主義者だといいはります。 ここで最初の文章の作者の名前をいいます。イタリアのムッソリーニです。日本の右翼まがいの連中より、はるかに論理的で吹っ切れています。 彼の末路がどうだったかはいいますまい。誰でも知っていることです。 |
▼流水さん: >愛国心をあれだけ執拗に主張するということは、【全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。】と考えているからです。 >つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。結局、国家以外に彼らの頭にはないのです。全ての価値基準を国家に預けているのです。 >ところが、彼らの言う国家というのは一体どのようなものなのか。これが、全然分からないのです。 『国は権力的で悪いものだ』 そういう意識が今の反権力を標榜する人々には根強くあるのではないか。 国は『正義の体系』である。正義とは何なのか。『保護の体系』である。 言い換えれば国とは『防衛施設』である。『命をかけてでも互いの安全を守る』ということである。このことを、もっと素直の理解する必要があるではないか。 そこにもし負の部分があるとすれば、それは時として自らの命をかけてでも守らねばならないときがある、ということだ。 『防衛施設を持たなくとも国は守れる』という思想にとりつかれた国は、いずれ国の体を成さなくなる。それは『一人でも身の安全を守れる』という誤った思想を導くようになる。 『たった一人でも身の安全は守れる』と考えてしまえば、国の意味など判るはずはない。 人が集団を構成するときには必ず『ルール』が発生する。ルールは『掟』と言い換えてもよい。一つの『権力』である。そのことだけを見れば、ルールは我々を縛るものである。しかしそのルールによって我々自身の安全が守られていることも忘れてはいけない。つまり我々は『保護の体系』の中にあるのである。 『法』もまた然りである。法は我々を縛るものである。しかし一方で我々は法によって『保護』されている。そのような保護なしでは人間は生きられないということを理解できなければ、国はやがて滅びる。もし国が不要だと思うのなら、国から受けるさまざまな保護一切を拒否すべきなのだ。単にパスポートや、免許証や年金や保険の話にはとどまらない。国の保護下にありながら、そのことを全く意識しない日本人が増えているようである。 反権力を標榜する人々は、国の持つ『権力の行使』の面だけを過剰に意識しすぎているのではないか。その一方、国の持つ『保護』機能についてはその半分も意識していない。人間は国によって『保護』されている面が必ずある。その意識なしでは、国の成り立ちを理解することなど到底不可能ではあるまいか。 まず子供に教えなければならないことは、権利の主張ではなく保護=恩恵に対する感謝の気持ちだ。 『国家の保護=恩恵』を全く受けない人々がどういうことになるか、それは『ユダヤ人の悲劇』を見ただけでも十分ではなかろうか。これほどユダヤ人の悲劇を教えられている国でありながら、『国家の保護』の意識を持てないでいるのは奇妙なことだと思っている。ましてや『国の権力』的な負の部分にのみ注目するのは、なにかが逆立ちしているのではないかと思わざるを得ない。 このことは、小は援助交際から大は国旗、国歌論争に無関係ではない。 |
つまらない長口舌をありがとう。 【結論】 あなたは生まれる時代を間違えました。80年ほど前に生まれていたら、立派にお国ために戦死できたのにね。残念でした。 それから、あなたの国家論。試験答案としては、不合格。もう少し、練り直して再度の挑戦を待ちます。 |
▼流水さん: >次の言葉はあるファッシストの言葉です。 >「ファッシストにとって全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。 >この意味でファッシズムは全体主義である。 >国家の外に出ては、個人もなければ団体(政党・協会・組合・階級)もない。 イタリーのような、深刻な国家の分裂を体験した国ならではの思想性を感じますね。国家なくして、個人というものがあり得るのか、という問いかけは、現代人に対する根本的な問いといえましょう。 >この掲示板で愛国心教育を執拗に主張している人たちは、このファッシストよりはるかにレベルが落ちます。 相手のレベルは自分より下である、と執拗に追及している場合は、そのファシストに比してどう見ればよい話でしょう。 >なぜなら、自分はファッシストではなく、民主主義者と思っていたりするからです。 確かに、そういう人はいますね!!。自分こそは民主主義者だと思っている方が!! >口を開けば、【言論圧殺】だとか【言論の自由】などとのたまう御仁もいるようですが、主張している内容がファッシストそのままであることは決して認めようとはしません。 主張している内容がファシストの意見と重なっていたとしても、そのこと自体は問題ではありません。問題はむしろ、相手にファシストのレッテルを貼り、「それ、あいつはファシストと同じことを言っている、ああ、恐ろしい・・・」と、あたかも魔女狩りの如く反対論者を排除しようとする姿勢、しかもそれを暴力であると自認しない姿勢にこそある。 >愛国心をあれだけ執拗に主張するということは、【全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。】と考えているからです。 愛国心を執拗に主張すると、その人はファシストのように考えているはずだ、というのは根拠がありませんし、先に掲げた「ファシストの言葉」の、一見景気が良さそうであるながら、どこか不気味に漂っている虚無感、ペシミズムから「自分だけは自由である、そこから逃れている」と考えるのは、自己を特権化して考える姿勢かと思われます。 「愛国者は、ファシストだ!!」と難じて自分を高みに置いても、ファシストの言葉を真に否定しきったことにはなりませんから。 >つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。 愛国心教育の欠如、バラバラに解体された個人、そういう状況と、上のファシストの言葉に漂う虚無感とは、かなり思想的に近いものがあるように思いますね。 愛国心教育にも理がある、と考える方のご意見からは、人間的な温かさのようなものを感じますが、論敵に対する見下した言葉の暴力!!。命令者として現れる「民主主義者」、その意味では、人間疎外的な、全体主義性というものを、「自らの、内なる問題」として我々は考えるべきでしょうね。 |
君の書いているものは、わたしには理解不可能です。よって、頭の悪い当方としては、返事はできないので悪しからずご了承ください。 |
▼流水さん: >君の書いているものは、わたしには理解不可能です。よって、頭の悪い当方としては、返事はできないので悪しからずご了承ください。 横から申し訳ありませんが、理解できなければレスしなくてもいいではないのですか? |
▼流水さん: >さて、この自分をファッシストと自認している人物は誰でしょうか。 >よく読んでみてください。 >この掲示板で愛国心教育を執拗に主張している人たちは、このファッシストよりはるかにレベルが落ちます。 >なぜなら、自分はファッシストではなく、民主主義者と思っていたりするからです。 ファッシスト、ファシズムが分からなければ自認することもできません。 愛国心教育を執拗に主張している人たちは、ファッシストよりはるかにレベルが落ちるとはどういうことかな? 民主主義者とはどのような人かな? >口を開けば、【言論圧殺】だとか【言論の自由】などとのたまう御仁もいるようですが、主張している内容がファッシストそのままであることは決して認めようとはしません。 「・・・などとのたまう御仁もいるようですが」とはおだやかではなく、挑発的、独善的にも感じられます。 >愛国心をあれだけ執拗に主張するということは、【全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。】と考えているからです。 これはどのような意味か理解に及びません。全く逆です。 自国を愛せない者が、どうして他国を尊重し、愛せましょうか? スポーツの世界を見ても、自国の国旗を尊ぶ心があるから他国の国旗も尊べるのです。 >つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。 答えています。国を愛する心を失えば、国家の存在はありません。国を愛する人によってこの国は存在しているのです。国が存在しなければ困る以前の問題です。 >結局、国家以外に彼らの頭にはないのです。全ての価値基準を国家に預けているのです。 「この地球のために日本は何ができるか」を考え、具体的な提案をしているのが、 愛・地球博の日本のテーマです。 >ところが、彼らの言う国家というのは一体どのようなものなのか。これが、全然分からないのです。 「自然の叡智」の万博をご覧になって下さい。日本ばかりでなく、各国の国家の主張が見えてきます。 >このことを一番明確に示しているのは、愛国心論議です。愛国心教育を必要と懸命に主張している人々は、人の心=国家の心といわんばかりの主張をします。 >まるで、国家が人間の姿をして、一喜一憂する人の心の延長線上にあるといわんばかりなのです。 「国家の心」とは??? 国家が人間の姿をして??? >そんなことが嘘くらい冷静に考えれば、誰にでも理解できます。自分の思いと法(国家意思の表明)とのずれなど、誰でも一度や二度は経験しています。この掲示板でも、年金・老人介護・医療など、この人々の思いと法の乖離を見れば、一目瞭然です。 ??? >国家を支配している階層の意思と国民の意思とを峻別して考えるのが、民主主義国家というものです。 > >ところが、彼らはそうではありません。これに反対すると、あなたは人間的でない、とか嫌日だとか、死者を冒涜するなどと言い出します。 > >それなら、自分はファッシストと主張すればよいのですが、自分は民主主義者だといいはります。 > >ここで最初の文章の作者の名前をいいます。イタリアのムッソリーニです。日本の右翼まがいの連中より、はるかに論理的で吹っ切れています。 >彼の末路がどうだったかはいいますまい。誰でも知っていることです。 反対するのは悪いことではありません。 反対するために道(倫理)を外すことが悪いのです。 「正しきは成る」を信じ、相手に納得される言葉を使いましょう。 |
▼相良唯夫さん: ●ファッシスト、ファシズムが分からなければ自認することもできません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まず、文章をよく読んで御覧なさい。最後にムッソリーニと書いているでしょう。 彼はよく理解していましたよ。だから自認と書いているのですよ。 全く誤読ですね。 > ●愛国心教育を執拗に主張している人たちは、ファッシストよりはるかにレベルが落ちるとはどういうことかな? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 読んで字の如しです。ムッソリーニには、明確な国家論があるということですよ。残念ながら、その程度のことも読み取れないあなたより、レベルが高いということです。 > ●つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。 > >答えています。国を愛する心を失えば、国家の存在はありません。国を愛する人によってこの国は存在しているのです。国が存在しなければ困る以前の問題です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 個人的に、具体的に何が困るか、と聞いているのです。それが、あなたのいう個人的、具体的ですか。日本語が通じない人なら仕方がありませんね。 > ●>結局、国家以外に彼らの頭にはないのです。全ての価値基準を国家に預けているのです。 > >「この地球のために日本は何ができるか」を考え、具体的な提案をしているのが、愛・地球博の日本のテーマです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何を言っているのやら。あなたは万博と自分が同じだというのですか。 > >●ところが、彼らの言う国家というのは一体どのようなものなのか。これが、全然分からないのです。 > >「自然の叡智」の万博をご覧になって下さい。日本ばかりでなく、各国の国家の主張が見えてきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分の言葉で語りなさいよ。 > ●反対するのは悪いことではありません。 >反対するために道(倫理)を外すことが悪いのです。 >「正しきは成る」を信じ、相手に納得される言葉を使いましょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それはご自分の戒めになさってください。わたしには、あなたの頭脳構造が全く理解できませんね。 失礼します。 |
▼流水さん: > >●つまり、ここでは人間は消えているのです。わたしが愛国心教育をしなかったら、個人的に、具体的に何が困るか、問うと、結局何も答えられないのです。 >> >>答えています。国を愛する心を失えば、国家の存在はありません。国を愛する人によってこの国は存在しているのです。国が存在しなければ困る以前の問題です。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >個人的に、具体的に何が困るか、と聞いているのです。それが、あなたのいう個人的、具体的ですか。日本語が通じない人なら仕方がありませんね。 国の存在がなければ、明日はない。明日がなければ希望がない。聡明な流水さんならば、(国が存在しなければ困る以前の問題)と書いたところから汲み取って下さい。 >> >●>結局、国家以外に彼らの頭にはないのです。全ての価値基準を国家に預けているのです。 >> >>「この地球のために日本は何ができるか」を考え、具体的な提案をしているのが、愛・地球博の日本のテーマです。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >何を言っているのやら。あなたは万博と自分が同じだというのですか。 あなたが、国家以外に彼らの頭にはないと書かれるから、「この地球のために日本は何ができるか」と考えていると書いたのです。そして万博を例に(彼ら)と書かれたから、日本のテーマと続けたのです。 >>●ところが、彼らの言う国家というのは一体どのようなものなのか。これが、全然分からないのです。 >> >>「自然の叡智」の万博をご覧になって下さい。日本ばかりでなく、各国の国家の主張が見えてきます。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >自分の言葉で語りなさいよ。 私の思いと万博の理念と一致していますから、自然の叡智、自然との共生により誇りの持てる国家を造って行こうということです。 >> >●反対するのは悪いことではありません。 >>反対するために道(倫理)を外すことが悪いのです。 >>「正しきは成る」を信じ、相手に納得される言葉を使いましょう。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >それはご自分の戒めになさってください。 ハイ、そのようにいたします。 >わたしには、あなたの頭脳構造が全く理解できませんね。 自分でも自分の頭脳構造は理解できません。まして、他人のあなたが理解できる筈がありません。もちろんあなたは蔑んで言っておられるでしょうが、 自戒をこめて申し上げます。その姿勢では世の中を変えることは出来ません。 |
▼流水さん: >次の言葉はあるファッシストの言葉です。 > >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >「ファッシストにとって全てのものは、国家の中にあり、そうして国家の外にあっては、如何なる人間的なものも、精神的なものも存在しないし、価値を持たない。 >この意味でファッシズムは全体主義である。 >国家の外に出ては、個人もなければ団体(政党・協会・組合・階級)もない。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (中略) >ここで最初の文章の作者の名前をいいます。イタリアのムッソリーニです。日本の右翼まがいの連中より、はるかに論理的で吹っ切れています。 >彼の末路がどうだったかはいいますまい。誰でも知っていることです。 全くそうですね。 それにつけても、…。 正直、ネット右翼といった人たちの行状を知り尽くしたブログを、 管理スタッフ掲示板だけでなく、ここ、本掲示板でも紹介 せざるを得ないようですね。 去年みたいな「荒らしまみれ」なんてザマはいやですし。 http://sinrigakukenkyu.ameblo.jp/?bid=sinrigakukenkyu |
▼森下 泰典さん: >正直、ネット右翼といった人たちの行状を知り尽くしたブログを、 >管理スタッフ掲示板だけでなく、ここ、本掲示板でも紹介 >せざるを得ないようですね。 >去年みたいな「荒らしまみれ」なんてザマはいやですし。 この掲示板に森下さんが危惧するような、上記にあるような類の人たちが居るのでしょうか? また、ふとした疑問ですが、その対極に位置する類の人たちもいるのでしょうか? どういった言動をとる人達なのでしょう? 教えていただけませんか。 |
とにかく論敵(自分の意見に逆らう人間)を悪魔化しようという意気込みは伝わってくるのですが、無駄な努力だと思いますねえ。 毎回言うことですが、貴方のこういう手法こそがプロパガンダ的であり、ファシストでも国粋主義者でもいいですが、そういう類の用いるやり方そのままだからです。 >なぜなら、自分はファッシストではなく、民主主義者と思っていたりするからです。 他の方はともかく、私は自分を『民主主義者』だなんて思っていませんが。 そもそも、民主主義っていうのは単なる言葉でしょう。大戦下の日本では議院内閣制がキチンと機能していましたし、ヒトラーだって選挙で選ばれた。共産主義は昔は『新しい民主主義』だなんて語られていたし、北朝鮮の正式名は民主主義人民共和国です。 >口を開けば、【言論圧殺】だとか【言論の自由】などとのたまう御仁もいるようですが、主張している内容がファッシストそのままであることは決して認めようとはしません。 「ファッシストそのままだ」と主張しているのは貴方自身で、言われた側はそうではないと思ってるから認めないのでしょう。当たり前の話です。かえって、自分が頷けない意見が即ち「ファッシストの主張」にしか聞こえないということは、単に自己の思想の狭さを告白しているだけに過ぎないと思うのですが。 「分からない」「理解出来ない」と仰るのは、それはさもありなん、ですよ。 棒でつつかれたコブラみたいに、御自分の開陳した主張に反論を向けてくる人にいちいち「シャッ!シャッ!」と威嚇してるばかりでは、とても理解などしている閑はありますまい。 >それなら、自分はファッシストと主張すればよいのですが、自分は民主主義者だといいはります。 民主主義者であると主張することに、何かの証明性やステータスがあるなんて思えませんけどね。繰り返しますが。 封建政治だろうと共産主義だろうと民主主義だろうと、それはその国に住む国民が長い歴史の中でたまたま選択した一つの手段・一つの政治思想・単なるイデオロギーに過ぎません。まして、『民主主義は最低の政治制度である、ただし我々が獲得した中では最良の政治制度である』(これはチャーチルでしたっけ?)なんて具合に、自らもまた一つのイデオロギーに過ぎない、ということを自覚する機会というものを内包していない点において、民主主義というのはむしろ危険なイデオロギーであると言ってもいいと考えています。 ファシズムだ民主主義だと口角泡を飛ばしてらっしゃいますが、愛国心・ナショナリズムというものは、そういうイデオロギーとは『本来全く関係が無い』ものであると、私が以前主張したことについては、サッパリ留意されなかったらしい。 まあ、貴方はその時、『じゃあ中国や北朝鮮の批判を一切するな』なんてムチャクチャな返答をされたんですから、期待したわけではないですが。 とにかく、貴方の批判は見当はずれですよ。 ま、私はタダの平和主義者ですから。「民主主義」という言葉に過度な幻想は抱いてないし、ホンネを言えばどうでもいい。どっちかというとキライだし。 話題が興味深いテーマに移ってきたようですので、機会があればまたお相手を勤めさせていただくことになるかも知れません。 恐惶謹言。YOTAでした。 |
流水くんもなんとも逝きっぷりがよくなっちゃってまぁ。。(笑) YOTAさん、私にはこの流水くんの唯我独尊な論説、非常に不愉快でしたが あなたのおかげで溜飲を下げさせて頂きました。ありがとうございました。 |
▼YOTAさん: わたしが感じるのは,ここに現れる「護憲」を名乗る方々は,「話し合えば,必ず自分のほうへ歩み寄るはずだ。でなければ,おかしい。われわれのほうが絶対正しい。歩み寄れないのは官邸のバイトであるか,異界の生物だ」 と考えておられるような気がします。名指しはできませんが。 だから,話し合った結果,歩み寄れないときは「異界の生物」と思われ,「無駄な時間を過ごした」となるわけです。 わたしは,意見がちがっていても「無駄な時間」を過ごしたとは思えない。 ちがう意見を聞くことも参考になるからです。もちろん,反論はします。当然です。しかし,反論・反論を繰り返して,お互いに高みに上がれるのではないでしょうか。 ところが,途中からは「軍国主義者ということがわかりました」「あなたと議論しても,何の実りもない」などとなります。議論の相手になびかないと,こういうレッテルを貼り付けてくるのです。 わたしも「軍国主義者」は信じないけれども,こういう「護憲派」も信じられません。要するに,意見がちがえば切り捨てられる,ということです。相手にしないよ,ということです。つまり「こう考えよ」という押しつけがあるということです。 これでは大衆に訴えかけるどころか,仲間をどんどん斬っていく方向に進むような気がして,到底民衆運動にはつながらないように思います。 |
(1)「ファシストと呼ばれたい」ステディ・ベア氏について 彼の主張:「国は正義の体系である」 ファシズムは「国家主義」「全体主義」と呼ばれ、狭義にはイタリアのファシスト「党」の主義主張を言うが、一般的にはドイツ・日本・イタリアの旧枢軸国の政治形態、すなわちイタリア・ファシズム、ドイツ・ナチズム、日本・大政翼賛政治等々、国内的には圧制、対外的には他国・他民族の侵略を伴うもの、と言っていいだろう。(スペイン・フランコは少々外れる)。 彼(ステディベア氏)は国が個人を保護するという一面の現象(政策・制度)を本質(本来的・根源的性質)にまで高め絶対化し、「国は正義である」と考える。もちろん、すべての現象が彼に見えていれば、そのような結論には達しなかったであろうが、そこはサメの脳ミソ、期待すべくもない。 有史以来、人々は国について夢想し続けてきた。だがそれは、80年+8年前の出来事も含め、ことごとく幻想であった。国とは権力者(階級・層)による権力の奪取の歴史の産物であった。従って、共産主義者を含む無政府主義者は、国家とは「幻想共同体」であると看破した。無政府主義者は国は悪であると考え、共産主義者は国は労働者の国家を経てからはじめて「廃棄できるもの」と考えた。 彼(ステディベア氏)には過去・現在、国とはどういうものであるかの分析ができず、単なる「アンチ・左翼」としての立場から、単純に「国」の一面を捉えて賛美してみせる。彼らには「左翼」が国家権力一般を否定しているように「見える」ので、試しに国家を礼賛しているだけである。 彼はユダヤの悲劇についても同情を語ろうとする。しかし、彼はユダヤの悲劇が、パレスチナという「国」を蹂躙していることに気付かない。ユダヤはいまや、「失った」国を取り戻し、パレスチナという「国」を殲滅しようとたくらんでいる。彼らの合言葉は「国は正義なり」だ。 (2)自分が見えず「ファシストはどこにいる」とキョロキョロする告天子氏について 彼(告天子氏)は言う「ファシストと同じことを言っても『そのこと自体』は問題ではない」。では、何が問題なのでしょう?「同じことを言ってもそのこと自体は問題ない」それはそうだ、ただし、ムソリーニも「チャオ」と言うかどうかだが。 彼の文章は、ムッソリーニを引用する流水さんに「言わないで言わないで、レッテル貼らないで」と懇願するのみとなっている。 (3)「ファシズムって何?」という相良唯夫氏について 口を極めてシナ・チョンなどと平気で口外する人たちにまったく無批判な彼にしては、良く言えますね。「自国を愛せない者が、どうして他国を愛せましょうか?」ですって?彼はどこの国を「愛して」いるのでしょうか?それとも、それを探すためにまず「自国」から愛し始めているのでしょうか? 愛することと盲目的に従うことは別、ということをこの人にどう説明したらいいのでしょうか。きっと、この人は、人を愛して盲目になり、地元を愛して町内会に盲目になり、国を愛して悲惨な政治でも為政者ならば盲目的に従うのでしょうか。 (4)その他 省略。 (いい加減にむなしくなって来た。このクソ忙しい時に。さいなら。) (5)付録:YOTA氏 それこそ説明抜きのレッテルのオンパレードです。悪魔化、プロパガンダと続き、あとはもうやけっぱちですね。「ファシストでも国粋主義者でもいいですが…」「あなたの頭脳構造が全く理解できない…」 (所詮、あなたたちの歯が立つお人ではありませんよ)。 |
▼海幸彦さん: >(3)「ファシズムって何?」という相良唯夫氏について > >口を極めてシナ・チョンなどと平気で口外する人たちにまったく無批判な彼にしては、良く言えますね。「自国を愛せない者が、どうして他国を愛せましょうか?」ですって?彼はどこの国を「愛して」いるのでしょうか?それとも、それを探すためにまず「自国」から愛し始めているのでしょうか? >愛することと盲目的に従うことは別、ということをこの人にどう説明したらいいのでしょうか。きっと、この人は、人を愛して盲目になり、地元を愛して町内会に盲目になり、国を愛して悲惨な政治でも為政者ならば盲目的に従うのでしょうか。 > 海幸彦氏流の言葉で書き込むとこうなります。 「君は味噌汁で、顔を洗って寝てろ!」(こう書かれると腹が立つでしょ) あなたは平気でこのような言葉を人様に投げつけています。 あなたに人格、人権があるのと同じように、人様にもあるのです。 それが理解出来ないようでは、人の上に立てませんし、リーダーにはなれません。 愛=盲従のごとき書き込み、人の話が聞けず、自己主義、近視眼的に見るとそのような書き込みしか出来なくなります。 >(いい加減にむなしくなって来た。このクソ忙しい時に。さいなら。) これは、海幸彦氏の「思い上がり」であり、視野が至って狭くなっています。 「このクソ忙しい」と書くことは、自己を犠牲にして書いてやったという「恩ぎせ」の心を表しています。「さいなら」はさらに、「これで、分かってくれよ」という同情を誘う心であり、時間を割いたことにむなしさを感じたことでしょう。 そんなことはないだろうが、もし、 もしです。海幸彦氏が為政者であったら、私は従うどころか、命を懸けて戦う。 戦うことが、日本を、地域を愛する者の使命であると思うからだ。 |
▼相良唯夫さん: >「君は味噌汁で、顔を洗って寝てろ!」(こう書かれると腹が立つでしょ) いやあ、それ「死語」じゃあありませんかー。そういうことを言っているから「サメの脳ミソ」ていわれるんですよ。 |
▼海幸彦さん: >>「君は味噌汁で、顔を洗って寝てろ!」(こう書かれると腹が立つでしょ) >いやあ、それ「死語」じゃあありませんかー。そういうことを言っているから「サメの脳ミソ」ていわれるんですよ。 喧嘩がお好きですね。 「サメの脳ミソ」だろうが、何も感じません。「またか」って呆れるだけです。 「死語」だけにしか目が入らないのは「いのししの脳ミソ」かな? こういう言葉で返ってくるのは不愉快でしょう。だったらやめましょう。 それに、こんな言葉で罵っていても、掲示板が汚れるだけです。 「荒らし」という本人が一番荒らしていては、世の粛清どころか、この掲示板の粛清も出来ない。 世の中を正すという壮大な理想を掲げるならば、先ずは足元からです。 「言うより、行え」、自分を正さずして、誰があなたの話を聞きますか? |
▼相良唯夫さん: >▼海幸彦さん: >喧嘩がお好きですね。 >世の中を正すという壮大な理想を掲げるならば、先ずは足元からです。 >「言うより、行え」、自分を正さずして、誰があなたの話を聞きますか? ふん。「海幸彦が為政者であったら、命をかけてもたたかう」とまでおっしゃる方が「ケンカ」は嫌だと?おやおや、そんなことでどうやって「命をかける」のかな?偽善者君。 >(3)「ファシズムって何?」という相良唯夫氏について >口を極めてシナ・チョンなどと平気で口外する人たちにまったく無批判な彼にしては、良く言えますね。「自国を愛せない者が、どうして他国を愛せましょうか?」ですって?彼はどこの国を「愛して」いるのでしょうか?それとも、それを探すためにまず「自国」から愛し始めているのでしょうか? >愛することと盲目的に従うことは別、ということをこの人にどう説明したらいいのでしょうか。きっと、この人は、人を愛して盲目になり、地元を愛して町内会に盲目になり、国を愛して悲惨な政治でも為政者ならば盲目的に従うのでしょうか。 私らに「姿勢」を説教する暇があったら、↑こういう輩にも説教してほしいものだ。 |
▼海幸彦さん: 子どもに笑われるような喧嘩はやめよう。 やるんだったら、命を掛ける覚悟でやったらいい。 |
▼相良唯夫さん: >▼海幸彦さん: >子どもに笑われるような喧嘩はやめよう。 >やるんだったら、命を掛ける覚悟でやったらいい。 なーにを言ってるのやら。 簡単に「愛」を語り、簡単に「命」をかける。やはり、偽善者とはこのような「口舌」の徒であったか。どうぞ、「命をかけて」下さい。 |
▼しげちよ様 レス有難うございます。以前私は『国を守る力=武力だけではない』というスレッドで、 「武力を持てば使いたくなる。日本人は扇動に弱いから」 「憲法九条が平和を守るのです」 「軍備に投ずる財を『平和外交』に使う方がよほど有益だ」 こう主張されている「護憲派」(と言っていいと思いますが)の方々に対して、意地悪な質問であるのを承知で、 『なら皆さんは、今我々がこうしているこの瞬間にも黙々と日々の任務をこなし、己の職責を果たすことが『自国の平和を守ることに寄与する』ことになると信じて活動している自衛隊の人々の努力やその『武力』の有効性、存在意義というものを-----全く認めていない-------と仰るのですね?』 と質問したことがあります。やはりと言うか残念と言うか、『Yes』の返事も『No』の返事も返ってこず、スルーされてしまいましたけれど。 ・・・つまりそこに「壁」というか「絶対ソコまでは踏み込んでやらない」という心理防壁があるんですよね。「鼓腹撃壌」というのは本来ホノボノした諺ですが、それを地で行く人達を実際に見ると、そういう姿勢がどれほど人間として問題のある態度であるか、ホンの少しは自覚を持ってくれても良いのではないか、なんて思ってしまいます。 >これでは大衆に訴えかけるどころか,仲間をどんどん斬っていく方向に進むような気がして,到底民衆運動にはつながらないように思います。 左翼にして人権万能を否定し、憲法改正を唱え、靖国神社を公式参拝してのけるような政治家が出現すれば、我が国の政治状況ももう少し真剣なものになってくるのでないか、と私は思うのですがね。やっぱり、対抗言論を担う方達にしっかりしてもらわないと、どうしても自分の方の意見・思想と言うものも甘くなってしまいがちですから。そういうのは好ましくない。 恐惶謹言。 |
▼YOTAさん: こんばんは 私たちが住んでいる地球を、宇宙から眺めると美しいですよね。 富士山も遠くから眺めると実に美しい。 ところが、近視眼で見ると、汚いところばかりが見えます。 人を見ることも同じで、超近視眼では悪いところしか見えないようです。 全体を見るには、上からとか、離れて見る必要があります。 日本全体がよりよくなるように考えるのが愛国心でしょう。 高い山から下界を見ても実に美しい。 そのように上から見えなくなると、どうしても心が狭くなり、自分勝手主義になるのですね。 「国のため」と言うだけで軍国主義に結びつけて教えれば、国に誇りや愛国心が育つ筈はありません。 >憲法改正を唱え、靖国神社を公式参拝してのけるような政治家が出現すれば、我が国の政治状況ももう少し真剣なものになってくるのでないか、と私は思うのですがね。 日本国内のことですから、堂々と参拝されるといいですね。 歴史の真実を明らかにする必要があります。 |
▼相良唯夫さん: >▼YOTAさん: >こんばんは > >私たちが住んでいる地球を、宇宙から眺めると美しいですよね。 >富士山も遠くから眺めると実に美しい。 >ところが、近視眼で見ると、汚いところばかりが見えます。 >人を見ることも同じで、超近視眼では悪いところしか見えないようです。 >全体を見るには、上からとか、離れて見る必要があります。 >日本全体がよりよくなるように考えるのが愛国心でしょう。 >高い山から下界を見ても実に美しい。 >そのように上から見えなくなると、どうしても心が狭くなり、自分勝手主義になるのですね。 >「国のため」と言うだけで軍国主義に結びつけて教えれば、国に誇りや愛国心が育つ筈はありません。 > >>憲法改正を唱え、靖国神社を公式参拝してのけるような政治家が出現すれば、我が国の政治状況ももう少し真剣なものになってくるのでないか、と私は思うのですがね。 > >日本国内のことですから、堂々と参拝されるといいですね。 >歴史の真実を明らかにする必要があります。 大分、詩心というか、心がお広くなったようで…。宇宙から眺めようがどこから眺めようが、結構ですが、あまりニッポンや富士山ばかり眺めないように。 >日本国内のことですから、堂々と参拝されるといいですね。 あ、今まではやっぱり「コソコソ」参拝してたわけね。 |
▼流水さん: >さて、この自分をファッシストと自認している人物は誰でしょうか。 >よく読んでみてください。 >この掲示板で愛国心教育を執拗に主張している人たちは、このファッシストよりはるかにレベルが落ちます。 >なぜなら、自分はファッシストではなく、民主主義者と思っていたりするからです。 日本では人々の絆が大切。例えば家族の絆。 孫がお年寄りを思う心。 民主主義は、ギリシャの都市国家で民衆が 国家防衛のために戦い重要な戦力となることで政治参加(参政権) を獲得して行きました。 国家と民主主義はこのような関係でもありました。 故に、今でも欧米はこのような精神が基本にあるようですね。 民主主義=平和? 戦う義務があるのが市民で、戦わない・従軍義務がないのが奴隷です。 プロ市民・プロ奴隷という言葉は、民主主義の歴史と実は違うようです。 国家を失うと奴隷化された歴史の悲劇を思います。 地中海世界の常識ですから、イタリアの政治家のことばもその意味が 背景にあるのでは? 法の前の公平。保守や右派に民主主義や憲法を語る資格は あるようですが…。 |
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少々例が極端な気はしますが、それでも的確だと思います。 とはいえ完璧すぎる論理ほど悲劇や破滅を招くものもないですが。 むろん歪曲、捏造、矛盾等を肯定するつもりも毛頭ありませんけどね。 |