Page 2567 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/20(日) 21:13 ┣Re(1):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/20(日) 21:26 ┃ ┣Re(2):誇りの持てない国、日本2 数理梵哲 05/3/20(日) 23:31 ┃ ┃ ┗Re(3):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/21(月) 23:35 ┃ ┗Re(2):誇りの持てない国、日本2 進化する未老人 05/3/21(月) 10:56 ┃ ┣Re(3):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/21(月) 18:55 ┃ ┃ ┗Re(4):誇りの持てない国、日本2 王里 05/3/21(月) 20:59 ┃ ┃ ┗Re(5):誇りの持てない国、日本2 CD 05/3/21(月) 22:23 ┃ ┗Re(3):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/21(月) 23:43 ┃ ┗Re(4):誇りの持てない国、日本2 進化する未老人 05/3/22(火) 20:21 ┃ ┣Re(5):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/22(火) 21:31 ┃ ┗Re(5):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/23(水) 13:46 ┃ ┗Re(6):誇りの持てない国、日本2 進化する未老人 05/3/23(水) 21:12 ┃ ┗幻影の愛国、幻影の国家、幻影の国防 告天子 05/3/23(水) 21:25 ┃ ┗Re(1):幻影の愛国、幻影の国家、幻影の国防 数理梵哲 05/3/23(水) 21:58 ┣Re(1):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/20(日) 23:19 ┃ ┣Re(2):誇りの持てない国、日本2 石頭の息子 05/3/20(日) 23:24 ┃ ┃ ┗Re(3):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/20(日) 23:48 ┃ ┃ ┗Re(4):誇りの持てない国、日本2 石頭の息子 05/3/21(月) 0:18 ┃ ┃ ┣Re(5):誇りの持てない国、日本2 CD 05/3/21(月) 1:40 ┃ ┃ ┃ ┣Re(6):誇りの持てない国、日本2 石頭の息子 05/3/21(月) 7:12 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/21(月) 19:09 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):誇りの持てない国、日本2 進化する未老人 05/3/21(月) 20:27 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/21(月) 22:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):誇りの持てない国、日本2 − 愛国心には相対するものがある 石頭の息子 05/3/22(火) 0:31 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):誇りの持てない国、日本2 − 愛国心には相対するものがある CD 05/3/22(火) 11:22 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):誇りの持てない国、日本2 − 愛国心には相対するものがある CD 05/3/22(火) 11:25 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):誇りの持てない国、日本2 − 愛国心には相対するものがある 石頭の息子 05/3/22(火) 23:41 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):誇りの持てない国、日本2 王里 05/3/21(月) 20:05 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):誇りの持てない国、日本2 CD 05/3/21(月) 21:29 ┃ ┃ ┃ ┗警告>CDさん 管理スタッフ 05/3/23(水) 22:50 ┃ ┃ ┗Re(5):誇りの持てない国、日本2 石頭の息子 05/3/21(月) 23:01 ┃ ┗Re(2):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/21(月) 23:16 ┃ ┣Re(3):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/21(月) 23:24 ┃ ┃ ┗Re(4):誇りの持てない国、日本2 告天子 05/3/21(月) 23:50 ┃ ┃ ┗Re(5):誇りの持てない国、日本2 しげちよ 05/3/22(火) 10:04 ┃ ┗警告>告天子さん 管理スタッフ 05/3/23(水) 22:50 ┗Re(1):誇りの持てない国、日本2/「国」に「誇り」を託す? とうろう 05/3/22(火) 0:19 ┣Re(2):誇りの持てない国、日本2/「国」に「誇り」を託す? 告天子 05/3/22(火) 0:25 ┗Re(2):誇りの持てない国、日本2/「国」に「誇り」を託す? 石頭の息子 05/3/22(火) 0:38 ┗Re(3):誇りの持てない国、日本2/「国」に「誇り」を託す? とうろう 05/3/26(土) 20:59 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 誇りの持てない国、日本2 ■名前 : 告天子 ■日付 : 05/3/20(日) 21:13 -------------------------------------------------------------------------
前スレッドの、進化する未老人さんへの返事です。 国家が人為的に作られたものだから愛せない、幻想であるとは、驚きです。人為的に作られた書画や自動車を愛する人は多いし、国家の場合はそれらより抽象的な存在ですが、だからこそ自分たちの国家として愛することの教育が必要なのです。 庶民は国家に関係なく生きてきた、など、そういう了見の方こそ幻想でしょう。15万年前ならいざ知らず、どうもお話の脈が見えません。 >そのとおり無駄です。愛国心を否定しているのですから。 それはあなたの自由ですが、愛国心という以前に、国家そのものを否定しているように思えますね。 >ところで、「公共のために己を空しくして尽くす気持ち」とはどのような内実なのでしょう。(中略)しかしそんなことを「愛国心」などと呼んでいるのですか。愛「国」心というからには外国を意識しているのではないのですか。 必ずしも外国を意識する必要はないと思います。公徳心、公共精神が国家に向かえば、愛国心となるでしょう。むしろ愛なのですから、過去の日本の父祖の歴史を知るとか、同胞愛などの内面的なものが主であり、外国は基本的に関係ないです。 ひょっとして、敵愾心の根拠として、愛国心を考えてはおられませんか。 >これも簡単な話です。武器を持つより持たないほうが戦争になる危険は圧倒的に減少します。 進化する未老人さんのお考えにかかわらず、既に我々は「武器」を保有しています。すると、お説によると、この武器の存在が戦争の危険を増大させている、ということになりますね。 >更に外国を敵視しなければ、あるいは外国と異なる神聖な日本などといわなければその危険は更に減少します。 神聖さに外国を引き合いに出す必要はないと思います。自尊というものは、他を卑しめる必要を待たずにあり得ますでしょう。勝手に日本を敵視する外国もあるのですから、日本が敵視しないことが戦争の危機を減少させるのだ、などという話は空想だと思います。 適切な安全確保の手段を執るのが、責任者のつとめであり、その時庶民であれ、「国家は関係ない」「幻想だ」などという言論の方こそ、むしろ幻想の空論に過ぎないということです。 |
さて、進化する未老人さんの説によると、庶民は15万年前から国家に関係なしに生きてきたのだ、ということですから、「国家に誇りを持つ」ことそれ自体が、「幻想であり」、否定されるべきである。しかのみならず、愛国心などは、「戦争を起こさせる」ものであるから、否定されねばならない。 また、国家の防衛についても、日本が武器を持つが故に戦争の危険が高まるのであり、他国を敵視することなく、武力を放棄し無抵抗を貫くことが、平和への道である。日本が武力を放棄すればするほど、ますます日本は戦争から遠のき、安全になるのである。 ・・・、と私は理解しましたが、それ以前に、私が強く感じたことは、「愛国心」ならぬ、国家への憎しみの感情。憎悪感情。国を愛するということを、何としても否定しなければならないという感情。 私は、そういう感情は否定しない。しかし、平和反戦の根底は、愛国精神でむしろあるべきだと考える。国家に誇りを持って、などということは、それ自体を目的にすべきだとはあまり思わないが、憎悪が元になった、非現実的な反戦、これは現実的に難しいと思う。 |
▼告天子さん: >さて、進化する未老人さんの説によると、庶民は15万年前から国家に関係なしに生きてきたのだ、ということですから、「国家に誇りを持つ」ことそれ自体が、「幻想であり」、否定されるべきである。しかのみならず、愛国心などは、「戦争を起こさせる」ものであるから、否定されねばならない。 > >また、国家の防衛についても、日本が武器を持つが故に戦争の危険が高まるのであり、他国を敵視することなく、武力を放棄し無抵抗を貫くことが、平和への道である。日本が武力を放棄すればするほど、ますます日本は戦争から遠のき、安全になるのである。 > >・・・、と私は理解しましたが、それ以前に、私が強く感じたことは、「愛国心」ならぬ、国家への憎しみの感情。憎悪感情。国を愛するということを、何としても否定しなければならないという感情。 > >私は、そういう感情は否定しない。しかし、平和反戦の根底は、愛国精神でむしろあるべきだと考える。国家に誇りを持って、などということは、それ自体を目的にすべきだとはあまり思わないが、憎悪が元になった、非現実的な反戦、これは現実的に難しいと思う。 私も反戦平和という理想そのものは、求め続けなければならない尊いものであると思っていますが、その主張をされる方の論拠にはたまに戸惑いを覚えます。 進化する未老人さんの説によると、庶民は15万年前から国家に関係なしに生きてきたとのことですが、私には、(目には見えないので)「人類は、15万年前から空気を呼吸せずに生きてきた」というのと同じくらい、無茶な主張に思えます。 人類は、ずいぶん前から共同体を形成して生きてきたのだと思います。それが国、国家と呼ばれるようになってからも、好むと好まざるとに関わらず、人は国家の中で生きてきたのではないでしょうか。望むと望まざるとに関わらず、国家の制度の中で生きてきているのだと思います。それでなければ、今、問題になっている北朝鮮の市民をどう考えるというのでしょうか。あの人達が、国家に関係なしに生きているのだとしたら、あの人達の現状は、あの人達個人個人の責任によるものだということでしょうか。 私は、老人党の価値は、単に学校で学んだり書物で読んだりした表面的な抽象的な知識でものを考えたり発言したりするのではなく、色々な人や組織に接し、その中から学んだ経験を加味して考えることができる人達の集まりであることにあると考えています。 しかし、最近の老人党には、そのような発言が少ないように思います。単に、自分一人だけの経験(自分の周囲の色々な人や歴史から学ぶことをしてこなかったような)からの発言が目立つように感じて残念に思います。 |
▼数理梵哲さん: こんばんは。お話を聞いて、とても心強く思いました。好むと好まざると、私たちは国家の中で生きている、どうしようもない事実だと思います。魚が水の中に棲んでいるようなものですね。 いたずらな反国家では、そういう主張は過激ではあっても、大きな力にはならないと思います。私たち自身が、国家の一員じゃないか、ということで、・・・私はあまり国家主義みたいなことは好かないのですが、国家の一員として、政治や権力に文句を言おうじゃないか、と。そういう気持ちでおります。 私は理屈っぽい方なので、出来るだけ参加するスレッドも遠慮しているのですが、人生経験に基づいた、普通の言葉でのご意見を、言いづらくしているかなあと、多少責任を感じるところもあります・・。 >私は、老人党の価値は、単に学校で学んだり書物で読んだりした表面的な抽象的な知識でものを考えたり発言したりするのではなく、色々な人や組織に接し、その中から学んだ経験を加味して考えることができる人達の集まりであることにあると考えています。 >しかし、最近の老人党には、そのような発言が少ないように思います。単に、自分一人だけの経験(自分の周囲の色々な人や歴史から学ぶことをしてこなかったような)からの発言が目立つように感じて残念に思います。 そういう発言が多く出てこそ、老人党は本来の姿と強さを持てるのではないかと思うので、現状、残念に思う気持ちは私もあります。多くの方の、体験的な意見こそ、汲まれるべきですよね。 |
まとめてご返事します。 愛国心なるものは、おそらく十分な経済的対価を与えることができなくなった「国民軍」創設のころから言われだしたのではないかと思っています。そこでは国家のためにその身を犠牲にすることが崇高な行為である(国家に対する自己犠牲)といった内容がその本質をであったと思います。 つまり国民国家の誕生と軌を一にしていると思っています。 国民国家が専制君主国家の主権概念を引き継ぎつつ、専制君主の私兵(彼らにはそれなりの経済的対価が与えられていた)の代わりに安く使える一般庶民を兵士に仕立て上げるために国民一般に愛国心を強要したのです。 告天子さんがおっしゃるように愛国心は庶民が自ら一人で身につけたものなどではなく、国家の教育以外身につけることなどできない代物です。 もし、愛国心の内容に、国家への自己犠牲が含まれないというのであれば、そうした愛国心にあれこれ文句を付けるつもりはありません。 最初から戦争動員的性格を持っている(本質的にそのようなものだ)と申し上げています。 |
なぜそう,愛国心をせまくとらえるんでしょうね。 そういう方は,「国をよくしたい」と思ってはいないのでしょうか。 そう思うこと自体,愛国心だと思いませんか? 国のことがほっとけないから,選挙に行くのではないでしょうか? 国などどうでもいいと思えば,選挙などどうでもいい。 自分のことだけを考えて生きていけばいいので,モラルなどどうでもいい。 愛国心といってもさまざまです。 日本の若者には,愛国心のいい面も悪い面もひっくるめてなくなっている,ということなのです。 |
▼しげちよさん:こんばんは >なぜそう,愛国心をせまくとらえるんでしょうね。 >そういう方は,「国をよくしたい」と思ってはいないのでしょうか。 >そう思うこと自体,愛国心だと思いませんか? > >国のことがほっとけないから,選挙に行くのではないでしょうか? > >国などどうでもいいと思えば,選挙などどうでもいい。 >自分のことだけを考えて生きていけばいいので,モラルなどどうでもいい。 > >愛国心といってもさまざまです。 >日本の若者には,愛国心のいい面も悪い面もひっくるめてなくなっている,ということなのです。 皆が平和で安心して長生きできるならば、それでいい。国が無くなって、そういう世の中になるのなら、国などなくなってもいい。国という形が続いているのは、それだけのレベルに人類の成熟度が達していないからだと思う。 |
▼王里さん: >皆が平和で安心して長生きできるならば、それでいい。国が無くなって、そういう世の中になるのなら、国などなくなってもいい。国という形が続いているのは、それだけのレベルに人類の成熟度が達していないからだと思う。 見方によっては肯けますが、人類はというより、残念ながらそれ程世界は成熟していません。日本に住む日本人でありながら、日本に対する批判はありますが、日本が見本にできる国はありますか?福祉はこの国がとか、教育はこの国がとかはありますが、敗戦を経験した国としては誇りを持ってもいいと思います。 日本に誇りを持つということ、愛国心を持つことは、正しい外交の基本になります。日本に誇りがもてるから、日本の立場で相手国に主張が出来るのです。 さらに、相手国の誇りにも理解を示すことができるのです。 「お客様は神様です」という言葉がありましたが、何でもお客様のいうことはハイハイ聞けばよいということではないのです。 相手国も大切な神様になるこがありますが、何も言いなりになることではありません。それぞれの国の民族意識を尊重すれば、国の形は大切ですね。 人類の歴史は戦争の歴史でもありますが、世界平和を願いたいですね。 |
▼進化する未老人さん: >まとめてご返事します。 ありがとうございます。 >愛国心なるものは、おそらく十分な経済的対価を与えることができなくなった「国民軍」創設のころから言われだしたのではないかと思っています。そこでは国家のためにその身を犠牲にすることが崇高な行為である(国家に対する自己犠牲)といった内容がその本質をであったと思います。 進化する未老人さんの仰る文脈での「愛国心」は、戦争と対になったものですか世、そういう話になるのかと私も思いますね。 >告天子さんがおっしゃるように愛国心は庶民が自ら一人で身につけたものなどではなく、国家の教育以外身につけることなどできない代物です。 >もし、愛国心の内容に、国家への自己犠牲が含まれないというのであれば、そうした愛国心にあれこれ文句を付けるつもりはありません。 >最初から戦争動員的性格を持っている(本質的にそのようなものだ)と申し上げています。 う〜ん・・・。ここで一つ、尋ねるともなく尋ねたいのですが、日本が武力を用いざるを得なくなったとして、ですよ。その時、あなたではなく、他の誰かが死ぬ。日本を守るために死ぬ。 あなたにとって、その人の死は、「国家に騙された」虚しい死でしょうか。 国家とは、支配者の意であり、我々とは何の関係もないのでしょうか・・・。愛国心は、結局のところ、生と死の問題、そして我々自身の問題に返ってくるように思います。では・・・。 |
▼告天子さん: 皮肉なことに、あなたは私の愛国心に対する理解に否定的ではないと感じました。 あなたがおっしゃた「公共のために己を空しゅうする心」とほぼ同じ理解です。 そこでお尋ねの件です。 >う〜ん・・・。ここで一つ、尋ねるともなく尋ねたいのですが、日本が武力を用いざるを得なくなったとして、ですよ。その時、あなたではなく、他の誰かが死ぬ。日本を守るために死ぬ。 はじめに戦争についての私の理解を申し上げます。 どこやらの偉い人が言ったように戦争は政治の延長だと考えています。 自衛戦争と呼ぼうが侵略戦争と呼ぼうが政治の延長上に戦争は存在し、国家指導者の政策選択のひとつであろうと思っています。 「日本を守るため」とはどのようなことでしょう。 「日本を守るため」とは直接の目的は日本人を守るためではないでしょう。かってポツダム宣言を受諾するに際し、国体の変更なきを条件としたように、決して人民の命ではないでしょう。いずれにせよ、私はすべての兵士に銃を捨てるよう言います。生き延びさえすれば 未来は開ける。与えられた命はつまらん政治家の政策の犠牲にするなと呼びかけます。愛国心などに惑わされてはならないと強く強く主張します。 > >あなたにとって、その人の死は、「国家に騙された」虚しい死でしょうか。 誠に悲しい、だまされた死です。 > >国家とは、支配者の意であり、我々とは何の関係もないのでしょうか・・・。愛国心は、結局のところ、生と死の問題、そして我々自身の問題に返ってくるように思います。では・・・。 全くその通りです。 私は、命は天が命じるそのときまで大事に大事にしなければならないと思っているのです。たとえ日本国が無くなっても日本人は生きてゆかねばならないと思っています。 |
▼進化する未老人さん: >はじめに戦争についての私の理解を申し上げます。 >どこやらの偉い人が言ったように戦争は政治の延長だと考えています。 >自衛戦争と呼ぼうが侵略戦争と呼ぼうが政治の延長上に戦争は存在し、国家指導者の政策選択のひとつであろうと思っています。 お答えありがとうございます。 戦争は存在し、それは国家指導者による政策選択の一つである、それは同意です。私の考えの違うところは、自衛の戦争、望まざる戦争、侵略戦争、自ずと区別はあろうということ、くらいであり、どれだから立派なものだとかは思いません。 >「日本を守るため」とはどのようなことでしょう。 愛国、などとも重なるテーマだと思いますが、難しい問題です。 >「日本を守るため」とは直接の目的は日本人を守るためではないでしょう。かってポツダム宣言を受諾するに際し、国体の変更なきを条件としたように、決して人民の命ではないでしょう。 日本国を守るため、であります。直接に日本人の生命が至上の「守るべきもの」であるならば、兵士の存在自体が矛盾でしょう。 なお、ポツダム宣言では、日本側は国体の護持を条件として出しましたが、そういう条件提示に変えて「国民の生命の維持」を条件として出すというのは、ナンセンスであります。 戦争は、国家と国家との対立抗争であり、私人間の殺し合いとは自ずと意味が異なります。相手国民の殺戮が戦争目的ならばともかく、戦争終結の条件に「国民の生命」が提示されることはあり得ないと思います。 また別に、ポツダム宣言のような「無条件の、相手国の降伏を要求する終戦条件」というのは「異常なもの」であり、それまでの通常の戦争では賠償金や領土割譲が、終戦条件となりました。 思想の統制にまで及ぶ(精神の支配をも含めた)全面的占領、というのは、「異常なもの」であり、何やらアメリカという国の不気味さを私は感じますね。 話は変わりますが、国家間の戦争ではそういうことはあまりないと思いますが、救民活動のための出兵の場合は、目的が「国民の生命を守るため」になると思います。 要するに、場合により違うと思います。 >いずれにせよ、私はすべての兵士に銃を捨てるよう言います。生き延びさえすれば >未来は開ける。与えられた命はつまらん政治家の政策の犠牲にするなと呼びかけます。愛国心などに惑わされてはならないと強く強く主張します。 命は大事ですからね。 >>あなたにとって、その人の死は、「国家に騙された」虚しい死でしょうか。 >誠に悲しい、だまされた死です。 死の前には言葉もありません。頭を垂れるのみです。 >>国家とは、支配者の意であり、我々とは何の関係もないのでしょうか・・・。愛国心は、結局のところ、生と死の問題、そして我々自身の問題に返ってくるように思います。では・・・。 >全くその通りです。 >私は、命は天が命じるそのときまで大事に大事にしなければならないと思っているのです。たとえ日本国が無くなっても日本人は生きてゆかねばならないと思っています。 反戦運動が強い説得力を持つことで、真に日本人の生命を守ることにつながるのではないかと思います。 |
▼進化する未老人さん: >>う〜ん・・・。ここで一つ、尋ねるともなく尋ねたいのですが、日本が武力を用いざるを得なくなったとして、ですよ。その時、あなたではなく、他の誰かが死ぬ。日本を守るために死ぬ。 >>あなたにとって、その人の死は、「国家に騙された」虚しい死でしょうか。 >誠に悲しい、だまされた死です。 さて、これで大体の意見の異同も見えたように思いますが、進化する未老人さんのご意見は、感情論としては納得しますが、国論としては受け入れがたいです。 何故なら、それは「国防の全面否定」に他ならないからです。進化した未老人さんが、「政治と関係ない、一庶民」として、感情的に人の死を悲しみ、人を死に至らしめる国家を憎み、騙されたとするのには反対しません。 しかし、それが個人の感情の域を出て、政治意見として一般化されるならば、他を守るために命を懸ける者など誰もいなくなります。つまり、国防は成り立ちません。それ故、そのような意見は政治意見としては到底認められません。無責任だからです。 >>国家とは、支配者の意であり、我々とは何の関係もないのでしょうか・・・。愛国心は、結局のところ、生と死の問題、そして我々自身の問題に返ってくるように思います。では・・・。 >全くその通りです。 >私は、命は天が命じるそのときまで大事に大事にしなければならないと思っているのです。たとえ日本国が無くなっても日本人は生きてゆかねばならないと思っています。 日本国の力が及ばないときに、殺された人間が存在する。遠い過去にも、近い過去にもそうです。その時、その人の前で、「生きていかなければならない」は、どれほど重い言葉たり得ますか。欺瞞を逃れることが出来るのですか。「自分さえ生きていればいいんです」ではないんですか。 支配者など庶民には関係ない、さらば、暴虐の支配者に征服され、奴隷となったときにもその「庶民の立場」は成立しますか。国がなくなろうが、生きてさえいればいい、それは命欲にとりつかれた言葉でしかないです。生きてさえいれば、国などどうでもよい、あまりにも無責任な言葉です。 奴隷となろうが、支配者の走狗となろうが、売国奴となろうが、生きてさえいればよい、生きてさえいれば国など関係ない、それは「庶民の勝手な意見」でしょうが、そういう意見が全的に国民に適用されたとき、国防なき、無抵抗の国家、人民に何が起こるか、それに対して国家的責任を持つことが出来るのか。 出来ないけれども、国防は必要ない、では済まないと思います。 |
▼告天子さん: おやおや、という感じです。 国防が個人の死や、奴隷的扱いを防止するためではないと確認したような気がしたのですが。 いずれにせよこの問題でこれ以上議論しても、生産的な議論にはなりそうにもありません。 失礼ながら、告天子さんは少しお疲れかと存じます。しばらく御休養なされては思います。 > >>>う〜ん・・・。ここで一つ、尋ねるともなく尋ねたいのですが、日本が武力を用いざるを得なくなったとして、ですよ。その時、あなたではなく、他の誰かが死ぬ。日本を守るために死ぬ。 > >>>あなたにとって、その人の死は、「国家に騙された」虚しい死でしょうか。 >>誠に悲しい、だまされた死です。 > >さて、これで大体の意見の異同も見えたように思いますが、進化する未老人さんのご意見は、感情論としては納得しますが、国論としては受け入れがたいです。 > >何故なら、それは「国防の全面否定」に他ならないからです。進化した未老人さんが、「政治と関係ない、一庶民」として、感情的に人の死を悲しみ、人を死に至らしめる国家を憎み、騙されたとするのには反対しません。 > >しかし、それが個人の感情の域を出て、政治意見として一般化されるならば、他を守るために命を懸ける者など誰もいなくなります。つまり、国防は成り立ちません。それ故、そのような意見は政治意見としては到底認められません。無責任だからです。 > > >>>国家とは、支配者の意であり、我々とは何の関係もないのでしょうか・・・。愛国心は、結局のところ、生と死の問題、そして我々自身の問題に返ってくるように思います。では・・・。 >>全くその通りです。 >>私は、命は天が命じるそのときまで大事に大事にしなければならないと思っているのです。たとえ日本国が無くなっても日本人は生きてゆかねばならないと思っています。 > >日本国の力が及ばないときに、殺された人間が存在する。遠い過去にも、近い過去にもそうです。その時、その人の前で、「生きていかなければならない」は、どれほど重い言葉たり得ますか。欺瞞を逃れることが出来るのですか。「自分さえ生きていればいいんです」ではないんですか。 > >支配者など庶民には関係ない、さらば、暴虐の支配者に征服され、奴隷となったときにもその「庶民の立場」は成立しますか。国がなくなろうが、生きてさえいればいい、それは命欲にとりつかれた言葉でしかないです。生きてさえいれば、国などどうでもよい、あまりにも無責任な言葉です。 > >奴隷となろうが、支配者の走狗となろうが、売国奴となろうが、生きてさえいればよい、生きてさえいれば国など関係ない、それは「庶民の勝手な意見」でしょうが、そういう意見が全的に国民に適用されたとき、国防なき、無抵抗の国家、人民に何が起こるか、それに対して国家的責任を持つことが出来るのか。 > >出来ないけれども、国防は必要ない、では済まないと思います。 |
▼進化する未老人さん: >▼告天子さん: >おやおや、という感じです。 >国防が個人の死や、奴隷的扱いを防止するためではないと確認したような気がしたのですが。 >いずれにせよこの問題でこれ以上議論しても、生産的な議論にはなりそうにもありません。 >失礼ながら、告天子さんは少しお疲れかと存じます。しばらく御休養なされては思います。 私は「国防は、国民の生命防衛が直接の目的ではない」ことは申し上げましたが、「国防が必要ない」とは言っていないわけですよ。 これに対して、進化する未老人さんの説からすると、国防は不可能になりますし、お説からすると、国防は不要である、との結論に至る疑いが非常に強いです。だから、国防の必要はないのか、無責任ではないか、と尋ねているのです。 その質問に対する答えではなく、生産的な議論にはなりそうにないというお返事が返ってきました。要するに、答えはない、ということで受け取らせていただきます。 愛国心は幻影だ、ということですから、国家も幻影、国防にしてもやはり幻影なのでしょう。やはり、公論としては到底認めがたいと私は考えます。 |
▼告天子さん: >▼進化する未老人さん: >>▼告天子さん: >>おやおや、という感じです。 >>国防が個人の死や、奴隷的扱いを防止するためではないと確認したような気がしたのですが。 >>いずれにせよこの問題でこれ以上議論しても、生産的な議論にはなりそうにもありません。 >>失礼ながら、告天子さんは少しお疲れかと存じます。しばらく御休養なされては思います。 > 私は、防衛を否定される方々の発言の仕方が類似しているのが気になってきました。 今回の「進化する未老人」さんの上記の言い方といい、他の方が他の箇所で言っていた「根が浅い」等、自分の主張が論破されそうになると、そのような仕方で逃げようとする、卑怯な根性が透けて見えます。 また、「日本国がなくなっても日本人は生き続けなければならない」というような発言があったと思いますが、日本国がなくなっても日本人は存在するのでしょうか。日本人とは日本国の国民ではないのでしょうか。あまりにも稚拙な主張に思えます。私には、最近、特定の主張をする方々は、どこかで一定の刷り込みを行われたのではないかとさえ思えて来ました。 今まで、そんなことは考えてもいなかったのですが、あまりにも特定の単語、特定の言い方にこだわるように思います。 |
わたしが問題だなぁと思うのは下にあるとおりです。 それは,みなさんの論議を通じてますます感じました。 つまり,アメリカや韓国,フランスやイギリスでもそうでしょうけど, 政府よりの人,反政府よりのひと,おしなべて愛国者なのです。 しかし,日本では国を愛するといえば,片方の勢力しか意味しない。 そこが問題です。 もちろん,反政府の人も,日本を愛するからそうしているといえなくないのですが,それらの方々がいうには,「国」を出すことを反動的ととらえているところです。 「国」はいまやわれわれ大衆が導くものではないのですか? それを毛嫌いするのは,すなわち政治も風習も毛嫌いしてしまうことにつながらないか,ということを心配するのです。 |
▼しげちよさん: >わたしが問題だなぁと思うのは下にあるとおりです。 >それは,みなさんの論議を通じてますます感じました。 > >つまり,アメリカや韓国,フランスやイギリスでもそうでしょうけど, >政府よりの人,反政府よりのひと,おしなべて愛国者なのです。 >しかし,日本では国を愛するといえば,片方の勢力しか意味しない。 >そこが問題です。 >もちろん,反政府の人も,日本を愛するからそうしているといえなくないのですが,それらの方々がいうには,「国」を出すことを反動的ととらえているところです。 >「国」はいまやわれわれ大衆が導くものではないのですか? >それを毛嫌いするのは,すなわち政治も風習も毛嫌いしてしまうことにつながらないか,ということを心配するのです。 しげちよさん、「国」「愛国心」「誇り」を利用するものに騙されて来た後遺症なんでしょうね。 |
▼石頭の息子さん: >しげちよさん、「国」「愛国心」「誇り」を利用するものに騙されて来た後遺症なんでしょうね。 誰にだまされたんでしょうね。いままでの自民党政権を支持したことはまったくないのですが。 |
▼しげちよさん: >▼石頭の息子さん: > >>しげちよさん、「国」「愛国心」「誇り」を利用するものに騙されて来た後遺症なんでしょうね。 > >誰にだまされたんでしょうね。いままでの自民党政権を支持したことはまったくないのですが。 しげちよさんは正直で前向きな方なのです、ポジチブに物事をうけとめ、考えるかたですから、その反対の天邪鬼のひねくれ者の考えは解せないのです。 でもね、国の為、愛国心、日本人の誇り、といわれて戦場で無くなった方々、家族、国民は多いのです。 一年前の彼岸の日でした、釣りをしていた池の横に小さな墓地がありました、田舎にしては随分と立派なお墓が一つありました、墓標には勲章の星のようなものの下に、たしか「皇国・・伍長○○○居士 」「昭和○○年支那XX・・名誉の戦死」と書いてありました、夕暮れ時でしたが、このお墓に眠っている方、この墓を立てた人のお気持ちを想像したのですが、お墓が立派であっただけにやるせない思いをもって墓を離れました。あすもう一度その墓に行ってみましょう、もう一度墓標を確かめます。 立派なお墓、立派な墓標を立てた方はのは多分親御さんでしょう、お国の為にと喜んだでしょうか、お国の為にと思わなければ心の平安がえられない、せめて立派な墓をたててお国のために働いたと思わずにはおれなかったと思います。 皮肉れ者のひにくれた感傷かもしれません。 |
▼石頭の息子さん: >でもね、国の為、愛国心、日本人の誇り、といわれて戦場で無くなった方々、家族、国民は多いのです。 それは多いでしょう。 世界中に軍隊や武器もなく、戦争の無い時代になっても愛国心は必要です。 愛国心がいけなければ愛地球心は必要でしょう。 国が地球になったら、地球はどこと戦争するんですか? 戦争のための愛国心など愛国心と言わない方がいい。 中国や韓国の反日感情を愛国教育というならば、それは歪められた愛国教育でしょう。それをもって愛国心を非難すべきではない。 |
▼CDさん: >▼石頭の息子さん: > >>でもね、国の為、愛国心、日本人の誇り、といわれて戦場で無くなった方々、家族、国民は多いのです。 > >それは多いでしょう。 >世界中に軍隊や武器もなく、戦争の無い時代になっても愛国心は必要です。 >愛国心がいけなければ愛地球心は必要でしょう。 >国が地球になったら、地球はどこと戦争するんですか? >戦争のための愛国心など愛国心と言わない方がいい。 >中国や韓国の反日感情を愛国教育というならば、それは歪められた愛国教育でしょう。それをもって愛国心を非難すべきではない。 あなたの言っている「愛」は頭で考えたことです。もっと現実的にお考えになってください。 今日はバイト探しに行くので時間がありません、次の機会があれば説明します。 |
愛国心,ということばが人を殺していった,というようにとらえられることがあったことは残念です。確かに,それも愛国心だったでしょう。 しかし,愛国者像というのは時代の流れによって変化すると思います。 それは,国,大衆という概念が時代によって変わるからです。 だから,愛国心という概念も変化するのではないかと思います。 戦前は,天皇に忠節を尽くすのが愛国者だったのかもしれません。 では,今の時代の愛国者とはどういうことか。 日本という国を構成する,「国の実体」は何かということになります。 そして,国の実体は「日本国民」に他ならないでしょう。 (ここでは国の定義ではないので,領土・統治機構という要素ではなく,日本を日本たらしめている根本の存在の問題です) したがって,日本国民に忠節を誓う人がそうだ,と言えるのではないでしょうか。 |
しげちよさん ようやくしげちよさんとお話ができますね。 ところで「日本人に忠節を誓う」とはどのようなことでしょう。 隣近所仲良く暮らしましょう。 これが愛国心の本質であるならば、結構なことです。 しかしそれは愛国心といわなくてもいいことです。「愛国心」の本質が戦争動員であることは19世紀、20世紀、そして今も国家のために闘うことにあることは明らかです。 ブッシュが戦死者を追悼する言葉をぜひお聞きになった方が良い。 「彼は真の愛国者であり、彼の死はアメリカ合衆国の誇りである」こうして戦死者の彼、彼女の遺族とアメリカ国民が抱く不条理を緩和させるのです。 ついでにいえば、彼、彼女は政府の用意した星条旗に覆われた棺の中で、弔砲を聞きつつこの不条理をかみ締めるのです。 「愛国心」はまさにブッシュのそして世界の政治指導者の戦死者に対する追悼の言葉の中で生命を生き延びさせているのです。 |
▼進化する未老人さん: >ようやくしげちよさんとお話ができますね。 こんばんは。 >ところで「日本人に忠節を誓う」とはどのようなことでしょう。 日本国はだれのものであり,だれによって運営されているのか。 その答えは日本国民です。 >しかしそれは愛国心といわなくてもいいことです。「愛国心」の本質が戦争動員であることは19世紀、20世紀、そして今も国家のために闘うことにあることは明らかです。 ですから,さきほどの書き込みで,愛国心というのは時代の流れで変化するものと書いたのです。「愛国心というのは定義でなく概念です」 言葉というものは,すべて定義でなく概念です。概念は,その時代その時代に感覚を通して,作り上げられるものです。 >ブッシュが戦死者を追悼する言葉をぜひお聞きになった方が良い。 それはブッシュ大統領の愛国心です。ブッシュ大統領の考える国というものと,日本人が考える国というものは,まったく同じとは限りません。 さらに,英語ではpatriot といいますが,これが日本語の愛国者と同一かどうか,わかりません。 >ついでにいえば、彼、彼女は政府の用意した星条旗に覆われた棺の中で、弔砲を聞きつつこの不条理をかみ締めるのです。 反ブッシュの人々が,西海岸にイラクでなくなった兵士などの墓をつくっています。もちろん,そこには遺体も遺骨はないのですが。 「これだけの人が亡くなっているんだ」という主張です。 しかし,それらの墓にも彼らは星条旗を掲げています。 星条旗はブッシュ大統領」を表しているのではありません。日章旗も小泉首相を表しているのではありません。 >「愛国心」はまさにブッシュのそして世界の政治指導者の戦死者に対する追悼の言葉の中で生命を生き延びさせているのです。 ほかに表しようがないので「愛国心」と書いていますが,「愛国心」という言葉が貴重なものであるといっているのではありません。 「愛国心」が意味する,その内容です。 |
▼CDさん: > >あなたの言っている「愛」は頭で考えたことです。もっと現実的にお考えになってください。 CDさん、貴方の一連のご投稿を拝見して想っていらっしゃることは分かります。 私が想うのは、他国にあるときに望郷の念にかられることがあります、ホームシックとはちがいますが、古里の野山を想う時古里を慈しみます、今は古里の無い時代だそうですが、私の年代は大なり小なり古里をもっています。これが引いては愛国心なのでしょう、私の両親は台湾人です、しかし私の生まれ育った讃岐の穏やかな風土と人をこよなく愛しています、自慢にもします、古里を出て47年にもなりますが、そこが古里だからです。 よく言われることばに「共通の敵を作れば仲良くなれる」があります、これは人間の心理をよく言っている言葉だとおもいます。 為政者が「自国愛」を啓発する時は必ずその相対するものを念頭においています、極端な例は軍隊でです、忠誠心と愛国心を誓わせます、それは兵を統率するのに最も適しているからです、中国の兵書にも散見することができます。 国の外交手段にもこれを用いることは常識なのです、卑近な例ですが中国が日本の靖国神社批判、韓国が竹島の領有権を主張しています、なぜ今なのでしょうか? 中国に置いては天安門事件の後開放経済政策に出てまいりました、私にしては驚異的な政策転換であると思っていました、これによって貧富の差が生じ、民主化の波に飲まれます、そこで中国は政策の一部として俗に言う反日教育、そして靖国批判をして、国民の視線を外に向けているのです、しかし奥地の民族、種族にそれが何処まで届いているかは疑問には思っています。 韓国に置いても、かっては李鐘晩軍政が李鐘晩ラインを引き日本漁船を拉致していました、今は竹島の領有権を固持しています、これまでの日韓友好姿勢から、押さえた論調ではあるが日本批判に転じています。 これが自国内での共通の敵の手法です、また国際間においても例は枚挙にいとまがない、先の大戦ではドイツがロシアを牽制するために、同じ日本と同盟を結びました、第一次大戦では敵対国であったのに。 今もイラク紛争においてもこの共通の敵外交手法がとられています、さらに日本国内に目を向けて見れば、反日思想とか嫌日思想と批判することで国民の人心を捉えようとしています、元首相が「日本は神の国」などと言うのはその表れでもあるのです、国民の情にうったえて人心を集めようとしているのです。 CDさん、このような視点から「愛国心」を啓発する人の欺瞞を見ることができます、それは貴方の言うところの「愛国」と対角線上にあるものなのです。 なので、為政者が「誇り」とか「愛国心」をことさら強調するほどにその欺瞞を想起するのです。 |
▼石頭の息子さん: >>あなたの言っている「愛」は頭で考えたことです。もっと現実的にお考えになってください。 > >CDさん、貴方の一連のご投稿を拝見して想っていらっしゃることは分かります。 > >私が想うのは、他国にあるときに望郷の念にかられることがあります、ホームシックとはちがいますが、古里の野山を想う時古里を慈しみます、今は古里の無い時代だそうですが、私の年代は大なり小なり古里をもっています。これが引いては愛国心なのでしょう、私の両親は台湾人です、しかし私の生まれ育った讃岐の穏やかな風土と人をこよなく愛しています、自慢にもします、古里を出て47年にもなりますが、そこが古里だからです。 > >よく言われることばに「共通の敵を作れば仲良くなれる」があります、これは人間の心理をよく言っている言葉だとおもいます。 国を愛することから、いろいろな発想が働き、そのような心理も理解できますが、そういう心が作用するから、「国を愛すな」では健全な考えではありません。 > >為政者が「自国愛」を啓発する時は必ずその相対するものを念頭においています、極端な例は軍隊でです、忠誠心と愛国心を誓わせます、それは兵を統率するのに最も適しているからです、中国の兵書にも散見することができます。 必ず相対するものを念頭においているかどうかは分かりませんが、場合によっては念頭におく必要があるでしょう。軍隊では当然かもしれませんが、愛国心をそこまで結びつけるから、おかしくなるのです。そういう場合は別な言葉をさがしましょう。 > >国の外交手段にもこれを用いることは常識なのです、卑近な例ですが中国が日本の靖国神社批判、韓国が竹島の領有権を主張しています、なぜ今なのでしょうか? なぜ今なのでしょう?教えていただきたい。 > >中国に置いては天安門事件の後開放経済政策に出てまいりました、私にしては驚異的な政策転換であると思っていました、これによって貧富の差が生じ、民主化の波に飲まれます、そこで中国は政策の一部として俗に言う反日教育、そして靖国批判をして、国民の視線を外に向けているのです、しかし奥地の民族、種族にそれが何処まで届いているかは疑問には思っています。 これこそ、愛国心の名を借りた自分勝手主義です。 > >韓国に置いても、かっては李鐘晩軍政が李鐘晩ラインを引き日本漁船を拉致していました、今は竹島の領有権を固持しています、これまでの日韓友好姿勢から、押さえた論調ではあるが日本批判に転じています。 韓国の愛国心が日本批判したというのであれば、日本は愛国心を持たず、韓国の言うなりになれ、と言うことではない。 > >これが自国内での共通の敵の手法です、また国際間においても例は枚挙にいとまがない、先の大戦ではドイツがロシアを牽制するために、同じ日本と同盟を結びました、第一次大戦では敵対国であったのに。 共通の敵の手法ということ、国際間においても枚挙のいとまのないことはわかりますが、その時々によって国益を最優先するのは当然であります。国益を考えるなと言ったら無茶ですから、やはりここでも愛国心は必要。 文字制限により続きます。 |
続きです。 >今もイラク紛争においてもこの共通の敵外交手法がとられています、さらに日本国内に目を向けて見れば、反日思想とか嫌日思想と批判することで国民の人心を捉えようとしています、元首相が「日本は神の国」などと言うのはその表れでもあるのです、国民の情にうったえて人心を集めようとしているのです。 反日思想、嫌日思想は日本の為にならない。真実を教え、伝える必要がある。真実を伝えることで国民の人心を捉えることは欺瞞ではない。 元首相の「神の国」発言は、当然のことを言われたと思っていましたが、その発言が国民の人心を捉えられなかったことも事実である。元首相の発言を欺瞞と言うならば、百歩譲って欺瞞をを許さない愛国心が必要である。 >CDさん、このような視点から「愛国心」を啓発する人の欺瞞を見ることができます、それは貴方の言うところの「愛国」と対角線上にあるものなのです。 対角線上にあるものは愛国心と呼ばず、別の言葉で言いたい。そうすれば愛国心が悪者にならない。 >なので、為政者が「誇り」とか「愛国心」をことさら強調するほどにその欺瞞を想起するのです。 このような見方考え方があることは勉強になりました。お説はお説として、今の日本社会に於いて、とても肯定することはできません。日本が中国、韓国の欺瞞を真似よとは申しません。戦前の教育をそのまま復活せよとも申しません。只、愛国心を為政者の欺瞞であると決め付けるのは間違いです。 「国を愛する心」これはどんなに時代が変わろうと不易でなければなりません。 「愛国心」を捨てては国が成り立たない。 |
CDさん, どうも私の説明の仕方が下手なので、あるいは稚拙であったのか、まー何時もの事なんですが、私の思ってることが旨くつたわらなかったようです。 ちょっと言葉に詰まっていますが、もう少し頑張ってみます。 普通に庶民が言うところの「愛国心」は文字どうり国を愛することでしょう、どなたかが言われていましたが概念的な感覚ではないかと思います。 すこし横道にそれるようですが、ここで昔は種族、部族あるいは国を統率するのにシャーマニズムがありました、日本ではこれが地神、氏神(風土記から)になり、神道となりました、その間仏教の伝来で聖徳太子が仏教を取り入れて「和」を説き、十七条のご誓文(憲法)を発布されました、つまり今の憲法のようなもの、政治体制の柱とするに宗教を用いました、明治以降は主に神道でしたね、戦後はさすがに政教分離を掲げているのですが、それでも国権を任されている人たちは宗教を疎かにできません。宗教は麻薬だと断言した人がいましたが、国家運営にはそのような面もあると思います。 愛国心も国家運営においては為政者としては宗教と同じような効果をもっていると考えます、為政者が必ずしもそれを意識しているとは限りませんが、それでも潜在的にその効果を知っていると思います。おおよそ「愛国心」そのものには反発する国民は居ないか、居ても稀でしょう。 これで少しはわたくしの考えが憶測出来ますでしょうか? 為政者がとりわけ「愛国心」を持ち出して国民に訴える時は「愛国心」に逆らえない心理を利用していると考えています。戦前は愛国心に異を唱える者とし、それを「非国民」として弾劾しました。 なので、軍隊をもたなければ国が危ういのです、愛国心はありますか? と言うのは愛国心の下で軍隊を容認させようとするからです、「愛国心」を利用しているのです。 学校教育で「愛国心」を持たせましょうといいます、なぜ愛国心を学校で子供達に植え付ける必要があるのでしょうか? 愛国心という概念は成長するに従って自然に育つのではないでしょうか、前にも言ったように郷土愛のように。学校でことさらに「愛国教育」をする理由として、ある政治家が若者の愛国心の欠如を言っていましたが、私はその愛国心の欠如がなにであるのか分かりません、国民としての自覚が足りないともいっていましたが、それも分かりません、それはあたかも老人がいつの世にも「今の若い者は」と嘆くのに似ています。 政治家などが「愛国心」を言うのは政治への反体制を牽制する意味があるとおもうのです、なので政治家が愛国心を訴えるときは「愛国心」という言葉に逆らえない心理をたくみに取り込んでいると思います。社員に管理職が「愛社精神」を持ち出すのも同じ心理だと思います。 普通に国民が「愛国心」を言う、社員が自発的に「愛社」を言うのとは違った意味合いがると思うのです。 |
▼CDさん:横から失礼します。 >▼石頭の息子さん: > >>でもね、国の為、愛国心、日本人の誇り、といわれて戦場で無くなった方々、家族、国民は多いのです。 > >それは多いでしょう。 >世界中に軍隊や武器もなく、戦争の無い時代になっても愛国心は必要です。 >愛国心がいけなければ愛地球心は必要でしょう。 >国が地球になったら、地球はどこと戦争するんですか? >戦争のための愛国心など愛国心と言わない方がいい。 >中国や韓国の反日感情を愛国教育というならば、それは歪められた愛国教育でしょう。それをもって愛国心を非難すべきではない。 あなたのお考えを逆の立場から表現すると、日本の反中国、反韓国感情を愛国教育というならば、それは歪められた愛国教育でしょう。ということになりますが。 |
▼王里さん: >あなたのお考えを逆の立場から表現すると、日本の反中国、反韓国感情を愛国教育というならば、それは歪められた愛国教育でしょう。ということになりますが。 それは当然でしょう。 只、反中国、反韓国と言わず、何も中国、韓国の言うなりになる必要はありません。 この日本をよりよい日本にしようと考えれば、あなたも愛国心の表れで書き込みなさっているのではありませんか? 愛社心がリストラ云々とありましたが、経営者としては仕事が出来る優秀な人材は残って欲しいのです。でも、それをしてはいけないから苦労したのです。 誇りの持てない国に成り下がってしまったのは、反日思想の影響が大であると思います。 |
▼CDさん(46474・46476): Ray@スタッフです。 これらの書き込みは、 > 誇りの持てない国に成り下がってしまったのは、反日思想の影響が大であると思います。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」および 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志がないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
>あすもう一度その墓に行ってみましょう、もう一度墓標を確かめます。 > >立派なお墓、立派な墓標を立てた方はのは多分親御さんでしょう、お国の為にと喜んだでしょうか、お国の為にと思わなければ心の平安がえられない、せめて立派な墓をたててお国のために働いたと思わずにはおれなかったと思います。 仕事探しの帰路、そのお墓をみてまいりました、今年は彼岸の供花はそこにはありませんでした、墓標にには、 「・・・殉居士 勲八等 功七等」 「陸軍砲兵伍長 昭和十二年・月・日 漢口攻撃ニ付き・・・行年二十三歳」 とありました、中国に拡大侵攻していた時の戦死なんだ、この辺りの村落にはこのようなお墓を散見することができます、当時は日本が領土拡大の時であったからこのような立派なお墓を建て家の誇りにしていたのでしょう、でも彼のお母さんは若くして戦史した息子を想って仏間では泣いていたと思います、彼らのご両親のお墓はその墓所では見つけられませんでした。 夕飯もそこそこに徐州に続く漢口攻撃の戦記を読んでいましたが、途中でやめました、なんとなくやりきれない思いです。 |
▼しげちよさん: こんばんは。 >もちろん,反政府の人も,日本を愛するからそうしているといえなくないのですが,それらの方々がいうには,「国」を出すことを反動的ととらえているところです。 国家を「悪」の存在と見て、人民がそれを監視するのだ、というような対立的な構図は日本国憲法の根底にあると思えるのですが、また、世界が無条件的に平和を指向しており、日本国のみがそれに反動して戦争をたくらんでいるのだ、みたいなイメージもありますよね。 反政府、の根底を日本国憲法に置いてしまうと、結局のところ自然に反国家になってしまうように思います。 >「国」はいまやわれわれ大衆が導くものではないのですか? >それを毛嫌いするのは,すなわち政治も風習も毛嫌いしてしまうことにつながらないか,ということを心配するのです。 日本国憲法からは「愛国」というのは出てこないのではないだろうか、「民主主義を愛する」とか、「平和を愛する」とかいう原理の話はあると思うんですが、やはり、歴史的日本を否定する、誇りなど持つな、というところから憲法は出来ていると思うんですよ。 |
▼告天子さん: >日本国憲法からは「愛国」というのは出てこないのではないだろうか、「民主主義を愛する」とか、「平和を愛する」とかいう原理の話はあると思うんですが、やはり、歴史的日本を否定する、誇りなど持つな、というところから憲法は出来ていると思うんですよ。 連合国の意図にはそれがあったでしょうね。 ふんどしの変わりにパンツを,必要以上にパンを導入。 やはりご飯は強かったけど(^^; 文化的に変革させようとしていたことは確かでしょうね。 日本の文化や,伝統,国のあり方を恐れていたと思います。 |
▼しげちよさん: >▼告天子さん: > >>日本国憲法からは「愛国」というのは出てこないのではないだろうか、「民主主義を愛する」とか、「平和を愛する」とかいう原理の話はあると思うんですが、やはり、歴史的日本を否定する、誇りなど持つな、というところから憲法は出来ていると思うんですよ。 > >連合国の意図にはそれがあったでしょうね。 >ふんどしの変わりにパンツを,必要以上にパンを導入。 >やはりご飯は強かったけど(^^; 文化的に変革させようとしていたことは確かでしょうね。 >日本の文化や,伝統,国のあり方を恐れていたと思います。 あ、これは本当にあると思いますよ。恐れていたから、あんなに思想統制をしたんでしょうね。 戦争の名前まで変えちゃった、大東亜戦争と言ってはならん、太平洋戦争、第二次世界大戦・・・。 大東亜を本当に侵略したのは、誰だ。日本が目を覚まして、当たり前のことを言い出すことは、連合国にとってこれほど嫌なことはないと思いますね。 |
▼告天子さん: >大東亜を本当に侵略したのは、誰だ。日本が目を覚まして、当たり前のことを言い出すことは、連合国にとってこれほど嫌なことはないと思いますね。 そうですね。「大東亜」という言葉には,当時のアジアにおける欧米列強の行為と,日本の本当の意図が隠されていると思います。 それを,歴史から消し去ろうとしたのでしょう。 |
▼告天子さん(46489): Ray@スタッフです。 この書き込みは、掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 7. この掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み、または無関係なサイト等の宣伝、勧誘は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」および「この掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み」 に該当する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志がないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
「国」などと言う<“抽象的”即ち(ツールに過ぎない)「法」的>な存在に「己の誇り」を託すより「実存的自己(自身の価値観)」に「誇り」を託すべきではないのでしょうか。 「国(民族?)」に同化・溶解?して「自己」の無い?自身は何処(いずこ)に行かれるのでしょうか(国旗、国歌の中に溶け行くとでも)? 私には、誠に「奇観」と見えます。 |
▼とうろうさん: お久しぶりですね。 >「国」などと言う<“抽象的”即ち(ツールに過ぎない)「法」的>な存在に「己の誇り」を託すより「実存的自己(自身の価値観)」に「誇り」を託すべきではないのでしょうか。 抽象的であることと、法的であることとは、全然違いますよ? 実存的自己とか、自身の価値観、ということも、十分に抽象的です。 >「国(民族?)」に同化・溶解?して「自己」の無い?自身は何処(いずこ)に行かれるのでしょうか(国旗、国歌の中に溶け行くとでも)? 意味不明です。 |
▼とうろうさん: >「国」などと言う<“抽象的”即ち(ツールに過ぎない)「法」的>な存在に「己の誇り」を託すより「実存的自己(自身の価値観)」に「誇り」を託すべきではないのでしょうか。 > >「国(民族?)」に同化・溶解?して「自己」の無い?自身は何処(いずこ)に行かれるのでしょうか(国旗、国歌の中に溶け行くとでも)? > >私には、誠に「奇観」と見えます。 とうろうさん、私は民族と国家を考える時、貴方のご意見に賛同するものです、いずれ世界は民族と国家の壁をこえるでしょう、今はその壁をいかに低くしていくかだと思います、国民も為政者もその、信条、哲学を知り、もって頂きたいと思います。 |
▼石頭の息子さん: 今晩は。お久し振りです。 >▼とうろうさん: >>「国」などと言う<“抽象的”即ち(ツールに過ぎない)「法」的>な存在に「己の誇り」を託すより「実存的自己(自身の価値観)」に「誇り」を託すべきではないのでしょうか。 >> >>「国(民族?)」に同化・溶解?して「自己」の無い?自身は何処(いずこ)に行かれるのでしょうか(国旗、国歌の中に溶け行くとでも)? >> >>私には、誠に「奇観」と見えます。 > >とうろうさん、私は民族と国家を考える時、貴方のご意見に賛同するものです、いずれ世界は民族と国家の壁をこえるでしょう、今はその壁をいかに低くしていくかだと思います、国民も為政者もその、信条、哲学を知り、もって頂きたいと思います。 ご賛同頂き、有り難く思っております。 「国連」なども「先の世界大戦処理の枠組み」の「規定」(例えば、敵国条項、武力による平和達成理念、などなど)を離れ、「国際連盟」の二の舞をすることなく、真の国際連合に脱皮して貰いたいものと思っております。 失礼致しました。 |