Page 2579 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼「君が代」を考える トビパパ 05/3/25(金) 17:06 ┣Re(1):「君が代」を考える トビパパ 05/3/25(金) 17:32 ┃ ┗Re(2):「君が代」を考える 告天子 05/3/25(金) 19:26 ┗Re(1):「君が代」を考える 告天子 05/3/25(金) 19:11 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 「君が代」を考える ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk> ■日付 : 05/3/25(金) 17:06 -------------------------------------------------------------------------
▼告天子さん: (その1) かなり間があきすぎまして失礼しました。以前のスレッドが消滅したようで、新しく題名を変えて投稿することにしました。最初にお断りしましたが、ただ今、この掲示板だけじゃなく、親しい友人からのメールにも返事が遅れがちの日々が続いております。これは天然の閑人に属すはずの小生としては異常事態でして、そのうち正常な閑人にもどれるとは思いますが、今のところ、それがいつとは見当さえつかない状況です。ネットでの投稿は、できるだけ短くするように心がけているつもりですが、今の状況だと、時間のあるときに書けるだけ書いておく必要があるので、今回もやや長くなるかもしれません。いつまでこの議論を続ければいいのか、それを思うと気が遠くなりそうですが、こういう問題を考えるのは日本人の義務のような気もするので、とにかく可能な限り続けるつもりではいます。 議論の焦点は、結局、日本民族というものを国家主義的に単一な文化で規定すべきとする告天子さんの思想に対して、一国家の中に多種多様な文化が存在することを国家権力(あるいは世間)が抑圧してはならぬというぼくの思想の対立にあるのでしょう。もちろん、ぼくだって、文化と名がつけば何でも許容するというわけじゃないのです。たとえば、人間や動物への虐待行為を慣習的に(時に宗教的に)行なっている文化圏が今も存在しますが、そういう例は外国に限らず、日本国内にもあるのであって、平和や環境問題と同様に、人類(地球人)の問題として、批判すべきことは批判しなくてはならないと思っています。しかし、このスレッドではこういう問題には触れない方がいいでしょう。 日本人の特殊性をことさらに美化し、それに合わない体質の日本人を国賊扱いするという傾向は、もしかすると日本人の特殊性の一つなのかもしれません。しかし、日本人は本当に一律の価値観で規定できるものなのでしょうか。 日本の固有文化というもので日本人を一律化しようとする人は、儒教道徳の影響を強く受けているように思います。渡部昇一氏はやはり儒教がお好きなようで、衣食足りて人間社会が腐敗するのが欧米のキリスト教文化圏で、衣食が足りると礼を好もうとするのが儒教文化圏だなどという説を公表し、日本人に向かって旺文社「傾向と対策」的な文化指導をしてくださいます。日本で学問といえば、長い間ずっと儒学でしたし、いにしえより、この国の支配者は儒教道徳を用いて民衆を支配してきました。近代日本人に多大な影響を与えた教育勅語は、教学聖旨ほどには儒教色がないとはいえ、戦後もそれに変わる倫理観を身につけていない日本人がいても、さして不思議ではないということになりましょうか。 (つづく) |
(その2) 教育勅語が学校教育の中で普及するのと時を同じくして、「日の丸」と「君が代」が、子供たちに忠君愛国の精神を植えつけるために利用されたことは記憶すべきでしょう。学校教育を通して、日本は超国家主義・軍国主義の道を歩み続けることができたのです。師範学校が陸軍のやり方を模範としたことは、国家の教育目標を考えれば、当然でしょうね。大日本帝国憲法の理想実現のためには、それなりの教育が必要だったわけで、国家主導による教師の養成が緊急課題だったのです。 問題は戦後の日本です。日本人は新しい憲法を手にしたはずなのに、文部省は相変わらず、じわじわと国家主義的な方針で教育を統制しようとしてきました。国家(とは言っても、実質は国家権力)に都合の悪いことは教科書に載せない。国家に都合のいいように史実をゆがめたり、国家に都合のいいような道徳を子供たちに押しつけようとしてきたのです。こういう流れの中に「君が代」問題があるのであって、オリンピックの話なんかで論点をぼかしちゃ、金メダルもいつの日かハチ公像のように、国家のために溶かされる時代がやってくるかもしれません。合法的に、民主的に。 日本人の精神の中に、今でも前近代的な古い体質が残っていることは、国民がもっと真剣に反省すべき課題だと思います。そういう古い体質があるから、「君が代」や靖国問題のような重大な問題にさえ危機感を感じなくて、戦前の日本人と同質の感覚ですんなり受け入れてしまうのではないでしょうか。こういう問題を批判する日本人を非国民扱いする大学教授さえいるという現実を思うと、ぼくはいつのまにかタイムマシンに乗せられていて、治安維持法の時代に飛ばされてしまったのかと錯覚するほどです。 日本人は民主革命を経験していないから、アンシャン・レジームから解放されないのかもしれませんね。それでも、民主革命の成果ともいえる精神を持つ憲法を与えられたことは確かなのです。じゃ、これから日本人はどうすべきか。憲法の精神を実現させるためには、国民個人の精神の中に革命が必要でしょう。古いままじゃダメなのです。不敬事件で内村鑑三を非難したような精神のままじゃダメなのです。 戦後の新しい精神が日本人を台無しにした、と主張する人がいるようですね。しかし、それは見当違いだと思います。古い精神のままで近代国家をつくろうとしたことが間違いだったのじゃないでしょうか。ぼくが「君が代」に批判的なのは、天皇が嫌いというような次元の話じゃなく、日本が嫌いで英国が大好きという話でもなく、人民主権でやっていこうとしたはずの日本が、いつのまにか(というか、もしかしたら敗戦直後からだったような気もしますが)、天皇制で何も問題のないような調子でやろうとしていることが非常に情けなく思えるからです。なぜ情けないのか。ぼくも日本人であり、日本を愛するからでしょう。 日本の歴史では天皇制が民主主義をじゃましたことは明らかです。国家が天皇制によって人民の自由を奪い、個人の思想や信仰にまで干渉し、日本人を同質化して管理したのです。それに抵抗する日本人を国家が弾圧したのです。「長いものには巻かれろ」という精神は、ながく封建的な官僚国家に生きて、権力に支配されることに慣らされてしまった日本人の身につけた処世術だったのでしょう。しかし、そういう精神じゃ、プリンスホテルはつくれても、民主国家はつくれないのです。 |
▼トビパパさん: >教育勅語・・・(略)、国家主導による教師の養成が緊急課題だったのです。 まあ、そういう部分がないとは言いませんが、全部が全部そうだろうか、という気がしますね。 >問題は戦後の日本です。日本人は新しい憲法を手にしたはずなのに、文部省は相変わらず、じわじわと国家主義的な方針で教育を統制しようとしてきました。 ゆとり教育などは、また違う流れのようです。 >国家(とは言っても、実質は国家権力)に都合の悪いことは教科書に載せない。国家に都合のいいように史実をゆがめたり、国家に都合のいいような道徳を子供たちに押しつけようとしてきたのです。 まあ、戦後は国定教科書ではありませんから、作ったのは民間会社ですよね。 >こういう流れの中に「君が代」問題があるのであって、オリンピックの話なんかで論点をぼかしちゃ、金メダルもいつの日かハチ公像のように、国家のために溶かされる時代がやってくるかもしれません。合法的に、民主的に。 「君が代問題」とは、何でしょうか。 >日本人の精神の中に、今でも前近代的な古い体質が残っていることは、国民がもっと真剣に反省すべき課題だと思います。 キリスト教などの宗教も、古い宗教だと思いますが? >そういう古い体質があるから、「君が代」や靖国問題のような重大な問題にさえ危機感を感じなくて、戦前の日本人と同質の感覚ですんなり受け入れてしまうのではないでしょうか。 古い意識層を保持している日本人は素晴らしいなあ、と思いますが、どんなものでしょう。 >こういう問題を批判する日本人を非国民扱いする大学教授さえいるという現実を思うと、ぼくはいつのまにかタイムマシンに乗せられていて、治安維持法の時代に飛ばされてしまったのかと錯覚するほどです。 まあ、マルクス主義の立場からは「ブルジョワ、反動」とか、その立場によっていろいろ非難する言葉はあるようです。 >日本人は民主革命を経験していないから、アンシャン・レジームから解放されないのかもしれませんね。 トビパパさんも革命賛美をされるのですか! >それでも、民主革命の成果ともいえる精神を持つ憲法を与えられたことは確かなのです。じゃ、これから日本人はどうすべきか。憲法の精神を実現させるためには、国民個人の精神の中に革命が必要でしょう。古いままじゃダメなのです。不敬事件で内村鑑三を非難したような精神のままじゃダメなのです。 ダメだと言われても、それも困ります。 >戦後の新しい精神が(略)・・・天皇制で何も問題のないような調子でやろうとしていることが非常に情けなく思えるからです。なぜ情けないのか。ぼくも日本人であり、日本を愛するからでしょう。 天皇さえ頂いておれば何の問題もない、というような自堕落では、いけないと思います。 >日本の歴史では天皇制が民主主義をじゃましたことは明らかです。 民主主義、といっても、幅が広い言葉のように思います。人民主権、という意味でしょうか。現在の憲法では、国民主権です。また、この「日本の歴史」とか「天皇制」というのは、いつ頃のことを指しての話でしょう。 >国家が天皇制によって人民の自由を奪い、個人の思想や信仰にまで干渉し、日本人を同質化して管理したのです。 そうであるなら、国家が悪い面もあるでしょうね。 おおむね、反対意見はないように思います。 |
▼トビパパさん: >▼告天子さん: ご指名ありがとうございます。 >議論の焦点は、結局、日本民族というものを国家主義的に単一な文化で規定すべきとする告天子さんの思想に対して、 ん〜、私はそういう思想だったんですか、と思ってしまいました。 >議論の焦点は、結局、日本民族というものを国家主義的に単一な文化で規定すべきとする告天子さんの思想に対して、一国家の中に多種多様な文化が存在することを国家権力(あるいは世間)が抑圧してはならぬというぼくの思想の対立にあるのでしょう。 ほとんど同じ意見ですよ。 >もちろん、ぼくだって、文化と名がつけば何でも許容するというわけじゃないのです。たとえば、人間や動物への虐待行為を慣習的に(時に宗教的に)行なっている文化圏が今も存在しますが、そういう例は外国に限らず、日本国内にもあるのであって、平和や環境問題と同様に、人類(地球人)の問題として、批判すべきことは批判しなくてはならないと思っています。しかし、このスレッドではこういう問題には触れない方がいいでしょう。 常識的なご見解かと思います。 >日本人の特殊性をことさらに美化し、それに合わない体質の日本人を国賊扱いするという傾向は、もしかすると日本人の特殊性の一つなのかもしれません。しかし、日本人は本当に一律の価値観で規定できるものなのでしょうか。 この辺りも、ほとんど同じ意見ですね。 >日本の固有文化というもので日本人を一律化しようとする人は、儒教道徳の影響を強く受けているように思います。渡部昇一氏はやはり儒教がお好きなようで、衣食足りて人間社会が腐敗するのが欧米のキリスト教文化圏で、衣食が足りると礼を好もうとするのが儒教文化圏だなどという説を公表し、日本人に向かって旺文社「傾向と対策」的な文化指導をしてくださいます。 渡部昇一の説というのは、何というか大ざっぱな気がしてあまり好みではありませんね、僕も。 >日本で学問といえば、長い間ずっと儒学でしたし、いにしえより、この国の支配者は儒教道徳を用いて民衆を支配してきました。近代日本人に多大な影響を与えた教育勅語は、教学聖旨ほどには儒教色がないとはいえ、戦後もそれに変わる倫理観を身につけていない日本人がいても、さして不思議ではないということになりましょうか。 そうですね・・・。イメージとしては何となく分かりますが、本格的な「儒学の教育を受けた日本人」の気風というのは、現代ではちょっとなかなか想像しづらいものかも知れないです。現代のは、ナマ儒学という感じで、階級的にも教養的にも、厚みがありませんから・・・。 |