Page 2580 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/15(火) 23:29 ┣一部訂正します 馬鹿正直 05/3/16(水) 10:03 ┣Re(1):先生に「公正な評価」を下せますか 珍 源斎 05/3/16(水) 12:16 ┃ ┗「公正な評価」:至難ですがチャレンジです 馬鹿正直 05/3/16(水) 19:31 ┣Re(1):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/16(水) 21:33 ┃ ┣Re(2):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/16(水) 23:12 ┃ ┃ ┣Re(3):先生に「公正な評価」を下せますか peace 05/3/16(水) 23:24 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/17(木) 10:21 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):先生に「公正な評価」を下せますか peace 05/3/17(木) 23:07 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/19(土) 0:34 ┃ ┃ ┗Re(3):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/17(木) 21:09 ┃ ┗Re(2):先生に「公正な評価」を下せますか peace 05/3/16(水) 23:17 ┃ ┗Re(3):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/17(木) 20:47 ┃ ┗Re(4):先生に「公正な評価」を下せますか peace 05/3/17(木) 23:03 ┃ ┗Re(5):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/18(金) 21:54 ┃ ┗Re(6):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/20(日) 0:24 ┃ ┗Re(7):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/20(日) 8:58 ┃ ┗Re(8):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/20(日) 10:31 ┃ ┗Re(9):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/20(日) 11:47 ┃ ┗Re(10):先生に「公正な評価」を下せますか 馬鹿正直 05/3/20(日) 15:14 ┃ ┗Re(11):先生に「公正な評価」を下せますか Gokai Sezutomo 05/3/20(日) 19:59 ┃ ┗公正な評価を下せる共通のものさし 馬鹿正直 05/3/20(日) 20:46 ┃ ┗Re(1):公正な評価を下せる共通のものさし Gokai Sezutomo 05/3/20(日) 20:56 ┃ ┗Re(2):公正な評価を下せる共通のものさし 馬鹿正直 05/3/20(日) 22:36 ┃ ┗Re(3):共通のものさしのひとつ?・・・教育基本法 Gokai Sezutomo 05/3/20(日) 23:40 ┃ ┗Re(4):共通のものさしのひとつ?・・・教育基本法 馬鹿正直 05/3/20(日) 23:56 ┃ ┗Re(5):共通のものさし?・・・教育基本法 Gokai Sezutomo 05/3/21(月) 10:06 ┃ ┣Re(6):共通のものさし?・・・教育基本法 馬鹿正直 05/3/21(月) 12:59 ┃ ┃ ┗Re(7):共通のものさし?・・・教育基本法 Gokai Sezutomo 05/3/21(月) 17:01 ┃ ┣個々人の目的を前面に出すと?????? 馬鹿正直 05/3/21(月) 16:06 ┃ ┃ ┗Re(1):個々人の目的を前面に出すと?????? Gokai Sezutomo 05/3/21(月) 16:56 ┃ ┃ ┣お見事です 馬鹿正直 05/3/21(月) 19:29 ┃ ┃ ┗ご注意>Gokai Sezutomo 管理スタッフ 05/3/23(水) 22:48 ┃ ┃ ┗Re(1):ご注意>Gokai Sezutomo 馬鹿正直 05/3/25(金) 8:35 ┃ ┗教育基本法について 珠 05/3/22(火) 2:56 ┃ ┣キーワードを具体的な行動指針に翻訳 馬鹿正直 05/3/22(火) 14:43 ┃ ┗Re(1):教育基本法について Gokai Sezutomo 05/3/22(火) 23:44 ┃ ┗評価は生徒が第1に 珠 05/3/23(水) 1:50 ┃ ┣公正な評価 馬鹿正直 05/3/23(水) 15:44 ┃ ┗Re(1):評価は生徒が第1に Gokai Sezutomo 05/3/23(水) 23:53 ┗教育について 真人間 05/3/25(金) 12:43 ┣Re(1):教育について 馬鹿正直 05/3/25(金) 16:55 ┃ ┗Re(2):教育について 真人間 05/3/25(金) 22:29 ┣Re(1):教育について 珍 源斎 05/3/25(金) 18:49 ┃ ┗Re(2):教育について 真人間 05/3/26(土) 0:45 ┗ご注意>真人間さん 管理スタッフ 05/3/25(金) 23:12 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 先生に「公正な評価」を下せますか ■名前 : 馬鹿正直 ■日付 : 05/3/15(火) 23:29 -------------------------------------------------------------------------
Gokai sezutomoさん 以下は、このスレッドに参加した人たちお一人一人の「キーワード」です。全て正しいと思います。教師に与えられた「目標」でもあります。これらの目標を教師、生徒、pta、学校当局、大学、文部科学省、企業、官僚、警察、我々のような一般市民、が一緒になって分類し、分析し、教師・生徒・学校が目指すべき「具体的な目標」に書き直すのです。 キーワードの中にはお互い矛盾するような言い回しもありますが、かまいません。教師自身これらのキーワードをどのように書き換えたら(翻訳したら)自分たちの行動目標になるのか、を考え、それを皆に表明するのが良いでしょう。 目標は200でも300でもかまいません。教育の目標は多岐にわたっているものですから。 「具体的な行動目標」が出来上がったら、教師・生徒・学校を評価する土台が出来上がったことになります。 公正な評価で関係者のモチベーションを高めてゆきましょう。 【キーワード】 もっと夢を持たせるように・どの子にもそれぞれ無限の可能性があります・「勉強・勉学」・正しい評価・子供たちへ「ひたすら」教え込まんとする「バイアス」を少し低くすれば・躾を含めて学校で勉強する理由を教える必要がある・「人と人とのつながり」や「仕え合う、支えあう」ことの喜びを味わえない社会は淋しいですね・目標を明確にし達成度に応じて教師を遇していけるシステムがあれば・夢を持たすような教育の仕方が子供たちをのびのびと育てる事になる・プラス指向・教育の原点は「愛」に行き着く・具体的な目標があれば・「考える力」を身に着けるには勉強しかありません・教育についての反省点があるとしたら「力み」と 肩の力を抜くことではないでしょうか・考える力を養うには勉強は大事です・個人の持っている才能を最大限に尊重される事は当然の事であります・子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー・自分の個性のあったもの(自活の道)を求める手助けをしてあげる・学んだことを前向きに活かすことをイメージできれば勉強も苦痛ではない・子供達に緊急で必要なものに自然体験やあそびがあるのです・人の豊かさは計れない・自然を愛することは教育の原点・勉強をして得をする事があっても損をすることはない・勉強をしないで後悔している人は知っていますが、勉強をして後悔をしている人には、私はあった事がありません・普通の子は遊びから発見し能力を与えるチャンスも必要・学校へ行かなくても子どもは成長し、育っていくと思っております・「自立のため」・教師も子どもももっとのんびり穏やかになるだけで、日本の教育は変わる・なーんにも教育のことが分かっていないくせに・親が子ども自身の中にある「自分で考える力」を見守っていればその子は自然に伸びていくのではないでしょうか・「スキルを磨いて社会に出る」・義務教育で、基本的な知識を単に覚えさせるのではなく、十分使えるようにすることが求められていると考えています・義務教育の勉強の基本は、「考える習慣を身につけさせる」「読み書き計算など、生きていく為に必要・便利な事をしっかり会得させる」だと思います・教師に全てを押し付けるのはなく、家庭、地域社会、行政が相互に連携を密にし協力し合っていかなければならない・生徒の個性を引き出してあげてください・子供は自分で育つ・沢山の人の心がバリアフリーになれば、子供も障害を持つ人も歳を取った人達も生き易くなります・勉強だけが教育ではない |
>良い大学を出て一流企業に就職する事が目標だった時期もありましたが、その目標はいまや間違いであった事が具体的な事例で証明されつつあります。 これは私の発言ですが、訂正します。 間違いであった、と断言は出来ないと思います。正しい目標である可能性もありますが、間違っている可能性もあるという事です。 |
馬鹿正直さん こんにちわ! スレッドの表題「先生に公正」な評価を下せますか?。 について考えてみますと、公正なと云うと数値的な評価に なりますが、教師への評価は数値に置き換えることにより 其処から抜け落ちてしまうものも多くあります。 そもそも教師への評価を客観的に下すことは極めて難しいと 思います。特に短期的な評価はあったとしても、 それだけでは十分とは云えません。 教え子が社会に巣立ち立派な人材に育つまでの長期的な ことまで評価の対象にならなければ・本来の評価を全うした とは云えません。しかしそれは無理ですね・。 警察官の評価にしても検挙率に片寄った結果が問題として 表面化してます。本来犯罪の発生を未然に防いだことなど は表に現れなくても評価されるべきと考えます。 野球のフアインプレーにしても超美技ではなくても 事前に打球の飛んでくる処や風向きを考えて守備位置を あらかじめ移動して危なげなく捕球すること・・が 本来のフアインプレーであると聞いたことがあります。 数値への置き換えが及ばない事も評価に入れなければ なりませんが「内申書による成績評価」が生徒や父兄に 及ぼした好ましくない影響が多岐に渡ったことも考慮して みますと。教育現場への管理は極力低くすること 管理職的な教師は学校の経営部門のみに残して 極論ですが教師を管理する、管理職は全廃することが 望ましい・・と思います。 但し昨今の世情から見て教師の生活態度には「やはり」 意を配らねば・・ならないのかなあ〜難しい! |
▼珍 源斎さん: >そもそも教師への評価を客観的に下すことは極めて難しいと >思います。特に短期的な評価はあったとしても、 >それだけでは十分とは云えません。 >教え子が社会に巣立ち立派な人材に育つまでの長期的な >ことまで評価の対象にならなければ・本来の評価を全うした >とは云えません。 おっしゃるとおり、教師への評価を教え子の将来にわたるまでにも拡大して客観的に下す事は至難です。が、こういう評価が公正にできるとしたらすばらしいではありませんか。難しい教師の評価が可能であれば、それよりはるかにやさしい公務員の評価は簡単なはずです。 やる価値を認めたらまずやってみる事です。やる前から「至難」で逃げないで、たたき台だけでも作る作業を始めませんか。 1スレッド50の投稿で、35のキーワードが寄せられました。教育は皆さんの関心事です。500でも1000でもキーワードを集め、分類し、分析し、現場の教師の皆さんの知恵を絞って具体的な目標(数値的な評価に耐えうる目標という意味です)を100でも200でも(500でも1000でも)積み上げるのです。 教師が一人の生徒と向き合う時、教師は100とか200の目標を持って生徒を指導します。生徒もその目標の詳細を知っています。いまやっている勉強や部活を全部失敗しても、まだまだやれる目標は次から次へと出てきます。 勿論その教師がハンドル出来る目標と別の教師に手渡ししなければ達成できない目標もありますので、その教師一人ですべての目標を指導できるわけではありませんが、何が目標なのかは教師・生徒・学校を初め社会全体が知っています。 タバコを吸うと何点、万引きでつかまったら何点、と減点方法もガラス張りです。ガラスといえば割られるものです。割られたガラスは今年何枚だったか、も数値目標に入れたらどうでしょう。 タバコを吸って、万引きで捕まった生徒が、生徒会役員に選ばれ、サッカー部の補欠で県大会で優勝したら何点、と評価はとにかくガラス張りにしておきましょう。県の総合テストで平均点を10点上回ったら(10点下回ったら)評価は何点増し(何点引き)かも教師だけでなく、生徒にも知っておいてもらいましょう。 教え子がオリンピック選手になったり、ノーベル賞をもらったら、当時の教師は時間を越えて評価点を獲得します。一流大学、一流企業に入った時は評価点を加えるのか、どうかは多いに議論しましょう。 教師・生徒・学校がそれぞれ総合的にそして個々に評価されます。 難しいのはよく分かります。こんな評価方法が簡単に出来上がるとは思っていませんが、やる価値があると思いませんか。幸いPCの発達で相当複雑な評価方法でも簡単に回答してくれるでしょう。 |
▼馬鹿正直さん: こんにちは 確かにこうやって見れば、皆さん良いことを言っておられますね。 これら言葉をつむぎだした背景は、なかなかに見えませんがね。 なんとなく評価の基準に出来そうな感じに見えます。 どれもこれも、やろうとすれば良いのかもしれません。そしてどれかやどれかもが出来ればプラス評価をするのですね。 あっちでも出来た。こっちでも出来た。だからやる気も出た。中身も濃いじゃないか? 先生もやる気が出たから、いい製品が出来る。たくさん商品も売れる。 で、子供達はどんな製品になるのですか? やる気のある先生ばかりになったので、きっと良い製品になるのでしょうが、どんな種類の良い製品になるのでしょう? すみません、皮肉ったくなりました。 このアイデアについては、現在の私には評価不能です。 どなたかご意見をお願いします。 馬鹿正直さん、 せっかく、丁寧に書いてくださったのに申し訳ありません。 きっと貴方の正確な意図を読み取れていないのだろうと思います。 >公正な評価で関係者のモチベーションを高めてゆきましょう。 > >【キーワード】 >もっと夢を持たせるように・どの子にもそれぞれ無限の可能性があります・「勉強・勉学」・正しい評価・子供たちへ「ひたすら」教え込まんとする「バイアス」を少し低くすれば・躾を含めて学校で勉強する理由を教える必要がある・「人と人とのつながり」や「仕え合う、支えあう」ことの喜びを味わえない社会は淋しいですね・目標を明確にし達成度に応じて教師を遇していけるシステムがあれば・夢を持たすような教育の仕方が子供たちをのびのびと育てる事になる・プラス指向・教育の原点は「愛」に行き着く・具体的な目標があれば・「考える力」を身に着けるには勉強しかありません・教育についての反省点があるとしたら「力み」と >肩の力を抜くことではないでしょうか・考える力を養うには勉強は大事です・個人の持っている才能を最大限に尊重される事は当然の事であります・子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー・自分の個性のあったもの(自活の道)を求める手助けをしてあげる・学んだことを前向きに活かすことをイメージできれば勉強も苦痛ではない・子供達に緊急で必要なものに自然体験やあそびがあるのです・人の豊かさは計れない・自然を愛することは教育の原点・勉強をして得をする事があっても損をすることはない・勉強をしないで後悔している人は知っていますが、勉強をして後悔をしている人には、私はあった事がありません・普通の子は遊びから発見し能力を与えるチャンスも必要・学校へ行かなくても子どもは成長し、育っていくと思っております・「自立のため」・教師も子どもももっとのんびり穏やかになるだけで、日本の教育は変わる・なーんにも教育のことが分かっていないくせに・親が子ども自身の中にある「自分で考える力」を見守っていればその子は自然に伸びていくのではないでしょうか・「スキルを磨いて社会に出る」・義務教育で、基本的な知識を単に覚えさせるのではなく、十分使えるようにすることが求められていると考えています・義務教育の勉強の基本は、「考える習慣を身につけさせる」「読み書き計算など、生きていく為に必要・便利な事をしっかり会得させる」だと思います・教師に全てを押し付けるのはなく、家庭、地域社会、行政が相互に連携を密にし協力し合っていかなければならない・生徒の個性を引き出してあげてください・子供は自分で育つ・沢山の人の心がバリアフリーになれば、子供も障害を持つ人も歳を取った人達も生き易くなります・勉強だけが教育ではない |
▼Gokai Sezutomoさん: >すみません、皮肉ったくなりました。 >このアイデアについては、現在の私には評価不能です。 >どなたかご意見をお願いします。 お気遣いいただきありがとうございます。 本音は評価不能ではなく、実現不可能、夢物語って所なんでしょう。 難しいけどやってみる、可能性に賭ける、って方向に行きませんかねえ。 教育問題、誰もが語るが、誰も手を付けない。 300万の教師の皆さん、あなた方が立ち上がらなければ話は進みません。 何もしないでも首になる事はないから今のままが良いのですか。 |
こんばんは たびたび失礼します。 今の学校教育に問題が存在するならばそれは、社会全体の問題の存在を反映しているのだと思います。 学校ではほとんどの場合、親・先生・子供は将来その子供たちが社会に出たときの事を前提に教育をし、勉強しているのだと思います。 教育を変えれば将来的に社会が変わると言うのは幻想で社会全体を変えなければ教育は変わらないと思います。 この場合、供給よりも需要サイドの問題であると思っています。 今の日本社会が歩みつつある方向は、内閣官房情報統轄官の言っている社会の二極化分化や知的労働者についての記述の通りではないでしょうか。それが市場原理主義社会に変わりつつある今の日本の現状で有ると思います。 学校卒業後、弱者に甘んじて地位や金銭で苦労したくなければ、最も効率よく多くの知識を詰め込む教育の方がより有利だと思います。おそらく内閣官房情報統轄官はそれを言っているのでしょう。 しかし、私は根本的に今の社会の進む方向に疑問を持っています。弱肉強食の市場原理主義社会を選択した時点で人間性を放棄した社会を選択したものと同じとだからです。 社会そのものがおおらかな弱者を受け入れられるものならば多少ならば国際競争力が落ちてもかまわないのではないでしょうか?それで人間性を取り戻せるならば。 弱者切り捨て、自己責任追及の市場原理主義の世の中でおおらかな教育は受け入れられないと思います。 いかがでしょうか? |
▼peaceさん: おっしゃっている事はよく分かります。 > >学校ではほとんどの場合、親・先生・子供は将来その子供たちが社会に出たときの事を前提に教育をし、勉強しているのだと思います。 >教育を変えれば将来的に社会が変わると言うのは幻想で社会全体を変えなければ教育は変わらないと思います。 >この場合、供給よりも需要サイドの問題であると思っています。 > >弱者切り捨て、自己責任追及の市場原理主義の世の中でおおらかな教育は受け入れられないと思います。 > ということですね。が、おそらくこれに反する意見も出てくる事でしょう。人は実にさまざまな意見を持っているものです。自由に意見を表明しましょう。 ただし、現場の教師の皆さんは日々教育活動に従事されておられます。いったい誰の意見を参考に教育活動を行ったらよいのでしょうか。ゆとり教育をすると反対されます。詰め込み教育だと猛烈な反発が来ます。 教育現場で「プラス思考」とはいったいどのような解釈で生徒に対応しているのでしょうか。この「プラス思考」を 愛、人間性、夢、自立、自然などさまざまなキーワードに入れ替えてみてください。教育現場はそれらキーワードの氾濫で右往左往です。 たとえばpeaceさんのアドバイスを受けて、弱者切捨てをしない、自己責任追求の市場原理主義を目標としない教育を目指すとします。おおらかな教育をしようとします。ここまではなんとなくわかります。さて、教育現場は「具体的に」何をやればpeaceさんのアドバイスに従ったことになるのでしょう。 私はそろそろ社会は学校に教師に、生徒に「具体的な目標」を提示する時が来ていると感じています。 参考までに、前のスレッドで寄せられたキーワードの数々を添付しておきます。 もっと夢を持たせるように・どの子にもそれぞれ無限の可能性があります・「勉強・勉学」・正しい評価・子供たちへ「ひたすら」教え込まんとする「バイアス」を少し低くすれば・躾を含めて学校で勉強する理由を教える必要がある・「人と人とのつながり」や「仕え合う、支えあう」ことの喜びを味わえない社会は淋しいですね・目標を明確にし達成度に応じて教師を遇していけるシステムがあれば・夢を持たすような教育の仕方が子供たちをのびのびと育てる事になる・プラス指向・教育の原点は「愛」に行き着く・具体的な目標があれば・「考える力」を身に着けるには勉強しかありません・教育についての反省点があるとしたら「力み」と 肩の力を抜くことではないでしょうか・考える力を養うには勉強は大事です・個人の持っている才能を最大限に尊重される事は当然の事であります・子どもが自分の力で乗り越えて行けるエネルギー・自分の個性のあったもの(自活の道)を求める手助けをしてあげる・学んだことを前向きに活かすことをイメージできれば勉強も苦痛ではない・子供達に緊急で必要なものに自然体験やあそびがあるのです・人の豊かさは計れない・自然を愛することは教育の原点・勉強をして得をする事があっても損をすることはない・勉強をしないで後悔している人は知っていますが、勉強をして後悔をしている人には、私はあった事がありません・普通の子は遊びから発見し能力を与えるチャンスも必要・学校へ行かなくても子どもは成長し、育っていくと思っております・「自立のため」・教師も子どもももっとのんびり穏やかになるだけで、日本の教育は変わる・なーんにも教育のことが分かっていないくせに・親が子ども自身の中にある「自分で考える力」を見守っていればその子は自然に伸びていくのではないでしょうか・「スキルを磨いて社会に出る」・義務教育で、基本的な知識を単に覚えさせるのではなく、十分使えるようにすることが求められていると考えています・義務教育の勉強の基本は、「考える習慣を身につけさせる」「読み書き計算など、生きていく為に必要・便利な事をしっかり会得させる」だと思います・教師に全てを押し付けるのはなく、家庭、地域社会、行政が相互に連携を密にし協力し合っていかなければならない・生徒の個性を引き出してあげてください・子供は自分で育つ・沢山の人の心がバリアフリーになれば、子供も障害を持つ人も歳を取った人達も生き易くなります・勉強だけが教育ではない 80 hits |
▼馬鹿正直さん: こんばんは 先に言った社会構造のお話ですがちょっと前に立っていましたバスの運転手さんのスレッドをご覧になりましたでしょうか。一部転載させていただきます。 ----引用始---- 規制緩和・子会社化で、その待遇は悪化の一途です。 一日拘束時間16時間・夜10時に勤務を終えて次の日の朝、6時には仕事をしている。 --中略-- これだけ過酷に働いて、年収200万ですよ。信じられますか? --中略-- 一人分の仕事量が多くなるということです。3ヶ月休みが一日も無かった。なんてこともあります。3週間くらい休みが無かったなんていう労基法無視も常態化してます。次の日の仕事まで8時間しか空いてませんから、通勤時間・食事お風呂などの時間除いたら何時間の睡眠でしょうか。寝不足も常態化です。 ----引用終---- この方が訴えている状況は今や特別な事ではなくなっているのかもしれません。正直このような社会状況の中でもし私が教師または親の立場だとしたら子供が「バスの運転手さんになりたい」と言えばどう答えるでしょうか。みなさんなら、どう答えますか? 現在運転手をなさっている方には非常に悪いのですが、私ならば「やめた方がいい」と答えるでしょう。それならばコンビニで時給800円でアルバイトしている方がよっぽど収入・労働条件もいいと思いますね。 この辺の社会状況を改善しないと教育現場の自由度はなくなってしまいみんな同じ方向に向けて突き進むのではないでしょうか。高度に効率化された世界で生き抜くには人間性を排除した教育しか生き残れない。そう考えます。 世の中にはバスの運転手さんで一生を幸せに暮らせる人もいます。金銭欲や出世欲を満たすために教育が有るのでしょうか。 教育よりも社会が変わることが先決です。 子供は無限の可能性があるなどと言うのは幻想です。そんなことを言ってるから子供が皆同じに見えるのです。だから、ひとりひとりの子供に合った教育が必要だと思います。 仮にそのように社会が変わってゆくとするならば、おそれ多いのですが、私が教師のみなさんにアドバイスできる具体的な目標は、 「教育はオーダーメイドで有るべきです、人の言うことにいちいち耳を貸さずその子とあなたの関係を最優先にし、ご自分で考えてください、人の言う目標などは気にしないでください。」 私の経験上、悩まない先生はだめでしたね、一緒に悩んでくれる先生が好きでした。 |
▼peaceさん: 相互理解って難しいものですね。 つくづくそう思います。 お互い様ですね。 |
▼馬鹿正直さん:こんにちは >難しいけどやってみる、可能性に賭ける、って方向に行きませんかねえ。 > >教育問題、誰もが語るが、誰も手を付けない。 > 教育事情で気になることが二つあります。 ひとつは、小学校の先生の比率、最近、殆んどが女性の先生? 半分と半分でちょうど良いと思うのですが? もうひとつ、近頃は大分改善されて、50%位になっているそうですが、 教師採用試験にコネが幅を利かしているとか?・・の噂もあります。 これは国家が主導での試験にすべきだと思います。 でなければ子供の性格育成に悪影響を及ぼしませんか? |
▼Gokai Sezutomoさん:▼馬鹿正直さん: こんばんは お二方のやりとりはいつも楽しく拝見しています。 教育現場から排出された人間を評価するのですか? ちょっと無理が有るようなきがしますね。それによって先生を評価するのですか? 一つだけ言えることは私を教えてくれた先生方は評価はかなり低いですね。何せこんな人間を世の中に排出したのですから。 学校の勉強もしなかったし金で苦労して女性で苦労して人間関係で苦労して、なおかつ他人に迷惑をかける、ろくでもない人生ですね。しかしこれだけは言えるのですが今まで後悔したことは一つも有りません。「人生はたのしいな」が私の口癖です。多分これからも。 先生ありがとう、僕生きてるよ〜。 先生には学校から0点かもしれないけど僕から100点あげます。 |
▼peaceさん:お世話様です。 >先生ありがとう、僕生きてるよ〜。 > >先生には学校から0点かもしれないけど僕から100点あげます。 私もpeaceさんの先生に100点献上です。 ところでこのスレと無関係で馬鹿正直さんには悪いのですが、 竹島、尖閣諸島・・この問題、どう扱ったらよいのでしょう? お二人のご意見内緒で・・内緒にはならんかな?少しだけでも教えてくださればありがたいのです。議論ではありません。 もちろんお嫌なら結構です。 |
▼Gokai Sezutomoさん: こんばんは、いつもどうも。 >私もpeaceさんの先生に100点献上です。 ありがとうございます。 >竹島、尖閣諸島・・この問題、どう扱ったらよいのでしょう? >お二人のご意見内緒で・・内緒にはならんかな?少しだけでも教えてくださればありがたいのです。議論ではありません。 >もちろんお嫌なら結構です。 新聞などでたまに読むのですが歴史的な背景などを説明していますが多分バイアスがかかっているでしょうから、私自身、客観的に判断できない状態です。 単純にかんがえると、資源の問題でしょうから仲良く分けられるような方法があれば良いのではないかと思ったりします。島の上に国境を引いたりして。 できれば第三者に調停していただく方がお互い納得できるような気もします。 すみません、はっきりと言って よく分かりません。 GokaiSezutomoさんはどうお考えですか。 |
▼peaceさん:こんにちは >>竹島、尖閣諸島・・この問題、どう扱ったらよいのでしょう? >新聞などでたまに読むのですが歴史的な背景などを説明していますが多分バイアスがかかっているでしょうから、私自身、客観的に判断できない状態です。 >できれば第三者に調停していただく方がお互い納得できるような気もします。 > >すみません、はっきりと言って よく分かりません。 有難うございました。 私も良くわかりません。日中韓三国ともにbiasがかかっているのでしょうね。 ただ中国や韓国の反日感情は、結果的に 憲法改悪への後押しになるかもしれません。 困ったことです。仲良くするために権利を放棄する訳にも、なりません。 馬鹿正直さん、違うことでスレッドを使って済みませんでした。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > >馬鹿正直さん、違うことでスレッドを使って済みませんでした。 べつに..... |
▼馬鹿正直さん:こんにちは >>馬鹿正直さん、違うことでスレッドを使って済みませんでした。 >べつに..... 有難うございます。 ところで、教師により教育の目標作り? →教育の目標作り? 何か奇異に感じています。 本来の目標があるから、人を教育をすべきと考えるのが、通常、教育に対するアプローチの仕方だとおもいます。 企業で言えば、何故企業が存在するのか?・・・利益を出すため、 何故利益を出すのか?・・・企業従事者が食べるため、 こういう基本の部分と同じところで、現代教育が存在の意義を失えていたら、 貴方の言う手法で、その目的を探すことは、的外れではありませんか?。 料理の勉強をしたいのに、女性が多いからといって、「生け花教室」に通う。 どちらも「教室」だし、「女性が多い」という意味では同じなのですが、 目的が違うはずです。 それとも、そこに女性の多い教室があるから、そこで何をすべきなのかをそこのリーダーに考えさせましょう?・・ですか? このように貴方が勘違いをしていると理解したのですが、 やはり、意味が通じていませんか?(意思疎通の困難さ。) ところで、貴方は教育にはどのような目的を持たせるべきだと思われますか? |
▼Gokai Sezutomoさん: >ところで、教師により教育の目標作り? >→教育の目標作り? >何か奇異に感じています。 > >本来の目標があるから、人を教育をすべきと考えるのが、通常、教育に対するアプローチの仕方だとおもいます。 >企業で言えば、何故企業が存在するのか?・・・利益を出すため、 >何故利益を出すのか?・・・企業従事者が食べるため、 > >こういう基本の部分と同じところで、現代教育が存在の意義を失えていたら、 >貴方の言う手法で、その目的を探すことは、的外れではありませんか?。 この部分が理解できませんので返事のしようがありません。申し訳ありません。 |
▼馬鹿正直さん: >>こういう基本の部分と同じところで、現代教育が存在の意義を失えていたら、 >>貴方の言う手法で、その目的を探すことは、的外れではありませんか?。 >この部分が理解できませんので返事のしようがありません。申し訳ありません。 現代の教育に対する人々の混乱は、 その目的がそれぞれに違うことにあるのではないのですか? 義務教育の目的が貴方の言うように種々雑多でよいのですか? あらゆる意見をすべて並列にすることが問題だと思います。 |
▼Gokai Sezutomoさん: >▼馬鹿正直さん: > >>>こういう基本の部分と同じところで、現代教育が存在の意義を失えていたら、 >>>貴方の言う手法で、その目的を探すことは、的外れではありませんか?。 > >>この部分が理解できませんので返事のしようがありません。申し訳ありません。 > >現代の教育に対する人々の混乱は、 >その目的がそれぞれに違うことにあるのではないのですか? 目的がそれぞれに違う事が混乱の原因であるとして、目的を違わないようにする「具体案」はありますか。 > >義務教育の目的が貴方の言うように種々雑多でよいのですか? >あらゆる意見をすべて並列にすることが問題だと思います。 種種雑多が良くないとした場合、種種雑多でないように意見を統一する「具体案」はあるのですか。 そんな具体案はないと私は思います。 目的がそれぞれに違うのは至極自然だと思います。 種種雑多な意見を並列にするのか、序列を付けるのかを含めて、そろそろ社会は教師、生徒、学校を含めて、結論を出す時なのではないですか。 |
▼馬鹿正直さん: >>現代の教育に対する人々の混乱は、 >>その目的がそれぞれに違うことにあるのではないのですか? >目的がそれぞれに違う事が混乱の原因であるとして、目的を違わないようにする「具体案」はありますか。 >> >そんな具体案はないと私は思います。 >目的がそれぞれに違うのは至極自然だと思います。 >種種雑多な意見を並列にするのか、序列を付けるのかを含めて、そろそろ社会は教師、生徒、学校を含めて、結論を出す時なのではないですか。 個々人の思い思いの教育目的を、一つに統一する作業を今まで性根を入れてして来なかったようです。 「結論を出す時」、そうなのです。具体案を議論するときです。 まずは教育基本法を題材に議論すべきだったと思いますが、人々は教育基本法の中身さえ知りません。 それでは戦後の教育が教育基本法に照らして、どの程度の評価を与えられるものかさえもわかりません。 まず人々は教育基本法を知ること。 そして、現代の教育の何が問題なのか、から議論を始める必要があると思います。 |
▼Gokai Sezutomoさん: >個々人の思い思いの教育目的を、一つに統一する作業を今まで性根を入れてして来なかったようです。 教育目的がひとつに統一されるはずがありません。理想を言えば一人の生徒にさえも複数の目的が必要なのですから、生徒の数だけ異なる目的があっても良いのです。(あくまで理想です) 運動会で一生懸命一等賞を目指して走る生徒もいれば、皆で手をつないで一緒にテープを切る生徒たちもいてよいでしょう。あるいは、ゴールを決めずに走り始める生徒がいても良いではありませんか。 先生がその様なバラエイティのある生徒を自信を持って指導しているという自覚さえあれば、目的が多様であればあるほど理想に近づきます。 プロの先生方に自信を持って多様な教育目的を実践してもらうためには、関係者全てがそれら多様な教育目的を共有している、という前提が必要です。関係者がばらばらに勝手に自分の思い込みだけの言葉で目的を語ってもそれは共有になりません。公正な評価を下せる共通のものさしを先生、生徒、学校を含めた社会全体が持っていなければなりません。 教育には全くの素人のたわごとでした。 |
▼馬鹿正直さん: >教育目的がひとつに統一されるはずがありません。理想を言えば一人の生徒にさえも複数の目的が必要なのですから、生徒の数だけ異なる目的があっても良いのです。(あくまで理想です) そんなことはありません。日本国という生活共同体は一つなのですから、生徒の立場だけから考えるのではなく、国という立場から考えれば、 最大公約数的な目的が導き出せます。 個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 教育の目的にも同じ発想が必要です。 |
▼Gokai Sezutomoさん: >そんなことはありません。日本国という生活共同体は一つなのですから、生徒の立場だけから考えるのではなく、国という立場から考えれば、 >最大公約数的な目的が導き出せます。 > >個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 これって私の想像力を超えるご意見です。 是非是非もう少し詳しくお聞かせください。 |
▼馬鹿正直さん: >>そんなことはありません。日本国という生活共同体は一つなのですから、生徒の立場だけから考えるのではなく、国という立場から考えれば、 >>最大公約数的な目的が導き出せます。 >> >>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 >これって私の想像力を超えるご意見です。 >是非是非もう少し詳しくお聞かせください。 真実にですか? 貴方ほどのお人の想像力を超えますか?からかわないで下さいね。 単に社会と個人との関係から最大多数の最大幸福を求めれば、自然と答えは求められると思っていたのですがね。私の勘違いですか。 そういう意味から言えば、現在の教育基本法は案外と良い法律だと思っているのです。 http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/index.htm |
▼Gokai Sezutomoさん: >>>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 >>これって私の想像力を超えるご意見です。 >>是非是非もう少し詳しくお聞かせください。 > >真実にですか? >貴方ほどのお人の想像力を超えますか?からかわないで下さいね。 >単に社会と個人との関係から最大多数の最大幸福を求めれば、自然と答えは求められると思っていたのですがね。私の勘違いですか。 > >そういう意味から言えば、現在の教育基本法は案外と良い法律だと思っているのです。 > >http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/index.htm ○教育基本法 昭和二十二年三月三十一日 法律第二十五号 朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。 教育基本法 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。 第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 教育基本法、生まれてはじめて読みました。 これがお答えですか? 「個性ゆたかな」とか「個人の価値をたつとび」なんて表現がありますが、これらは >>>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 とどのような相関関係になるのでしょうか。 ご自身の言葉で説明いただけると嬉しいのですが...... |
▼馬鹿正直さん: 第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 > >教育基本法、生まれてはじめて読みました。 >これがお答えですか? >「個性ゆたかな」とか「個人の価値をたつとび」なんて表現がありますが、これらは >>>>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 >とどのような相関関係になるのでしょうか。 > >ご自身の言葉で説明いただけると嬉しいのですが...... こういうものがあるのに、人々はそれを知らない。 それから見た現行教育の成果についての議論もない。 そしてこの法律そのものの、是非についてほとんど何も議論されてこなかったのではないのですか? そういった議論の中から個人と社会との関係も見えてくるかもしれませんが、現今時点で私の個人的見解を述べて何らかの功を奏するとは思えないので控えさせていただきますね。 貴方ご自信これを読まれてどんな感想をもたれましたか? くだらない法律だと思われましたか? 流水さん、団塊党さん、北の老兵さん、あ、出来たら珠さんも、 これら全般について、ご意見を下されば有り難く思います。 随分と失礼かも知れませんが、ご勘弁ください。 |
▼Gokai Sezutomoさん: > >そういった議論の中から個人と社会との関係も見えてくるかもしれませんが、現今時点で私の個人的見解を述べて何らかの功を奏するとは思えないので控えさせていただきますね。 ここでお控えになるのでしたら、今までのやり取りは何だったのでしょうか。 > |
▼馬鹿正直さん: >ここでお控えになるのでしたら、今までのやり取りは何だったのでしょうか。 「公正な評価」→「教育の成果」のやり取りではなかったのですか? |
▼Gokai Sezutomoさん: >>>>>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 せめてこの箇所の説明だけでも頂けないでしょうか。 (それとも説明できない?) |
▼馬鹿正直さん: >>>>>>個々人の目的を前面に出すと、社会は成立しないのですから、 >せめてこの箇所の説明だけでも頂けないでしょうか。 >(それとも説明できない?) うん、こんなのかったるくて説明できない。 常識の範囲内でお考え下さい。おそらくそれで事足りていると思います。 貴方の教育基本法に関するご感想はどうなのですか? |
イヤー、呆れ果てて笑ってしまいました。 >控えさせていただきますね >うん、こんなのかったるくて説明できない。 >常識の範囲内でお考え下さい。おそらくそれで事足りていると思います。 この三つのフレーズで全部一方的に議論を終了できちゃいますね。 この掲示板で流行ると管理者泣かせになるような....... |
▼Gokai Sezutomoさん(46436): Ray@スタッフです。 この書き込みは、掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」 に該当する可能性がありますのでご注意申し上げます。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
>「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」 >に該当する可能性がありますのでご注意申し上げます。 > 何らかのコメントが、と期待していたのですが........ |
▼Gokai Sezutomoさん: お名指し頂いて驚いています。私は先生のみならず誰に対しても、「公正な評価」など下せる人は誰もいないと思っています。それはさておき、能力の有無は別として、かなりの先生は(いろんなタイプやまた個人としては低調な時期があるにせよ)基本的には子供達のことを大事に考えている方が大部分であると思います。もちろん今まで自分や子供がお世話になった中には教師に向かないなと思った方もありましたし、暴力を振るう教師を、親達で学校にお願いして担任を外して頂いたこともあります。しかし大多数の教師は、生徒の事を一生懸命考えていたと思います。私は教師を基本的には信頼して、意見の違うところは発言していきました。小学校では「先生が学級通信を出してくれない」なら、親達で協力して出しました。高校のPTA新聞で「先生の高校時代」を書いて頂いた時は(お一人以外は皆さん書いて下さいました)、先生の正直な告白?に、生徒達と先生の距離が縮まったような体験もしています。 いろんな事件が起きて学校の安全が問題になっていますが、私は学校はもっとオープンにするのがよいと思います。私が訪ねたことがある長野県の中学校では親達がいつ訪問して授業を見ても良いシステム、茅ヶ崎市の小学校では親だけでなく同じ学校の教師達も互いに見に行ってよいシステムでした。落ちつかないのでは?と思われるでしょうが、子供達は慣れているのかちゃんと勉強していました。 そして教師が互いに授業を見合うことで、その学校では職員会議は授業研究会となり、先生達が互いの授業を批評しあうだけでなくアイディアを授け合い励ましあっている姿を見ました。アメリカでは、スクールボランティアといって、親が教室に1〜2人入って、授業に付いていけない子供の指導をしています。教室がオープンになることは、教師も下手な授業は出来ないし、子供を巡って親も教師も時として陥りやすい独りよがりの正義感を振り回したりすることも防げます。つまり教室を密室化しないことです。 私は教師は大変だと思います。ご自身の生き方が生徒達の目にさらされ、生き方を問われるからです。まだ若くて未熟な生徒ですから容赦しない目で見る事でしょう。それに耐えられる人格を目指すより、どこまでも生徒の味方として自分の欠点もさらして正直に生きることが、結局は尊敬を得られる先生のように思います。 さて、教育基本法については、この基本法が作られた時代を見る事が必要かな?と思います。戦前の「天皇の良き臣民として国のために役立つ」ことを目的とする教育勅語から、戦後「国民が国の主権者」となり、1人ひとりが「かけがえのない基本的人権」をもつものとしての教育の在り方を定めたものが「教育基本法」であると思います。つまり「その時の政府に都合のよい教育」を目指すのではなく、「その子どものための教育」つまりその子の「人格の完成」を教育の目的としたのです。私はこの教育基本法の目的は、今でも正しいと思いますので、この法律を改正(?)する必要はなく、むしろ再び戦時中のような教育が始まる恐れはないかと危惧します。 その面でいわゆる「心の教育」が「愛国心」を唱うことと、教育基本法改正(?)がつながっていることを心配しています。「愛国心」を国民の共通認識として、子供達の教育の目的として強制することは、「国家に従う人間」を作ることになり、それは「強いものに従う」姿勢をつくることであり、民主主義と個人の自由を踏みにじることです。 国家が「愛国心」を国民に強制することは、国民の価値観を一元化することであり、それは国家による監視社会の到来にほかなりません。そしてそこに生まれるのは「盲目的に国家に従う人間を作る」ことであるのです。つまり「国家権力が、愛国心のかけ声の元に価値観を一元化する」(どこかの国のように)ことを目指すこと自体が、人権と民主主義に基づく国では間違いなのだと私は思います。(自然に生まれてくる愛国心についてはまた別でしょう。しかしそれも、他国を貶めるものであってはならないと思います) 「子どもが自分の力で判断できる大人に育つ」、そのための教育を私たちは目指すべきであり、「1人ひとりを尊重する教育」の理念は、教育基本法にこそ表れていると私は思っています。 |
▼珠さん: 珠さんは教育現場に精通されているように私には見えますので、是非教えてほしいのです。 何度も言っていますが、私は教育問題にはずぶの素人です。企業経営には30年以上携わってきましたのでこちらの方は少々知識を持っています。民間企業の場合、ここ10年20年で経営形態が急激に変化しています。コンプライアンス、PL、ISO9000と14000、CSR、IR、CSなどなど横文字ばかり並んでしまいますが、要するに企業を取り巻く周辺から見た企業活動の透明性を引き上げる作業が進んできたという事です。そして如何に透明性を引き上げても利益を上げられなかったら企業は市場から淘汰されてゆきます。企業は自らの生き残りをかけて文字通り「必死」に努力しています。 教育業界はこれら民間企業の努力に比べるとほとんど何も変化していないように見えてしまうのです。変化する必要も無いほど完璧であったらうれしいのですが、実情はその反対でしょう。現状のままが良いと主張する人は皆無で、「教育とは○○○であるべし」と注文を付ける人がほとんどなんですから。私はこの○○○を勝手にキーワードと呼んでいるのですが、このキーワードが実にさまざまです。議論に参加されるひとはほぼ間違いなく独自の(これが重要です、独自の)キーワードを持っています。完璧どころか外部からの要求山盛り(不満たらたら)なのが教育業界のように見えてしまうのです。 民間企業から見たらこれだけのキーワードを寄せてもらっているのにそれらを教育現場に取り入れる努力がされていない、いわゆるCS(customer satisfaction)を取り入れる意思が全く見えないのが教育業界なのです。なぜこうなってしまうのでしょうか。 ヒントは珠さんのメッセージにあるような気がします。すなわち:− >私は先生のみならず誰に対しても、「公正な評価」など下せる人は誰もいないと思っています。 この部分です。公平な評価など下せる人は誰もいないのでそんな努力をする必要は無い、オシマイ。これに関して議論する必要もないと切り捨てておられるように見えます。 民間企業の場合公正か否かを問わず、結果が悪ければ市場から退場です。先生の場合公正な評価をする人がいないので、誰も退場する人はいません。結果が良いとか悪いとか評価する事さえしないのであれば退場させられる人が現れないのは当たり前です。 そして外野では教育に対する要求がそれぞれ独自に何の統一性もなしに洪水のように溢れかえっている、というわけです。 私は溢れかえっているキーワードを教育現場に反映させる努力をすべきである、その努力の過程は透明性が高くなくてはいけない、と主張しているつもりです。透明性の高い議論を経ていろんなキーワードを教育現場に反映させようとしたとき、キーワードを教育現場に適応できるように「翻訳」する工程が必要です。例えば、珠さんがおっしゃる >「子どもが自分の力で判断できる大人に育つ」、「1人ひとりを尊重する教育」 はそれ自体ではあくまでも抽象的な指針です。その指針を具体的な教育現場に取り入れるためには「子供が自分の力で判断できる為には何をどのように教えたらよいのか」「一人一人を尊重するためには先生は一人一人の生徒に何をどのように教えたらよいのか」の具体的な行動を明示する必要があるはずです。 その様な具体的な行動の明示が「公平な評価」につながると私は考えているものです。くどいようですが、教師、生徒、学校を含め社会全体が具体的な行動の明示を決める議論に参加し、透明性を高めなければなりません。 難しいとは思いますが、やってみる価値はあると考えます。教育現場を良く知っておられる珠さんから見てこんなアイデアは議論の価値もないのでしょうか。 |
▼珠さん:こんにちは、いつもお世話様です。 また、かなり以前になりましたが、中傷関係で大変お世話になりました。・・でその後も時々コメントを見させていただいています。 感想は、意見の違うところもかなりありますが、 公正、公平になるようにご配慮されている方かなと思っています。 ところで、この度は勝手なお願いにお答えていただきまして深くお礼申し上げます。有難うございました。 さて、方法は違いますが、馬鹿正直さんと同じで、私は公正な評価を今までの教育に対して下す時だと思っています。 なぜなら、教育に対して、大勢の人々が疑問を持ち始めているようだからです。 それは特に子供達の人格形成において、人々が疑問を持ち始めているのではないかと思うのです。つまり、成長が遅すぎるという評価です。この点では珍源済さんの言われるように、考える能力の発達が遅れているのだろうと思います。 これは理数系の学問を嫌う学生が増えていることでも頷けます。 そういうところから判断して、だから、公正な評価が必要・・というのはあまりに短絡的と思われるかもしれませんが、そうではなく教育への危機感は私自身では、もう20年を超えてもいます。 だからもう批判される側への遠慮から、雲をつかむような教育談義は無しにすべきなのかもしれないと思うのです。 とはいえ、こうやって、些かトリッキーにお名前を挙げさせていただいたことに、今になってちょっと反省もしています。すみませんでした。 ところで、珠さんも大切にしておられる基本的人権を履行するためには、まず公正公平である必要があると思います。 そして、公正公平であるためには、教育基本法で言うところの「真理の追究」が無ければなりません。 やはりここでも考える力が最も重要なキーワードに思えます。 そうするとやはり、教育に対して、まず、公正な評価をして、それから適切な対応が望まれるように思います。 勝手なお願いにかかわらず、鷹揚に素晴らしいコメントを下さったことを大変嬉しく思っています。有難うございました。 >お名指し頂いて驚いています。私は先生のみならず誰に対しても、「公正な評価」など下せる人は誰もいないと思っています。 >子供を巡って親も教師も時として陥りやすい独りよがりの正義感を振り回したりすることも防げます。つまり教室を密室化しないことです。 > >私は教師は大変だと思います。ご自身の生き方が生徒達の目にさらされ、生き方を問われるからです。 >戦後「国民が国の主権者」となり、1人ひとりが「かけがえのない基本的人権」をもつものとしての教育の在り方を定めたものが「教育基本法」であると思います。つまり「その時の政府に都合のよい教育」を目指すのではなく、「その子どものための教育」つまりその子の「人格の完成」を教育の目的としたのです。私はこの教育基本法の目的は、今でも正しいと思いますので、 >その面でいわゆる「心の教育」が「愛国心」を唱うことと、教育基本法改正(?)がつながっていることを心配しています。「愛国心」を国民の共通認識として、子供達の教育の目的として強制することは、「国家に従う人間」を作ることになり、それは「強いものに従う」姿勢をつくることであり、民主主義と個人の自由を踏みにじることです。 > |
▼Gokai Sezutomoさん:▼馬鹿正直さん: 私も教育問題は素人です。母親だし、PTAもしたのと、仕事で少々学校を訪問したくらいです。だから教えることなんて何にもありません。ただ感じていること、思っていることを申し上げただけですので、その点御寛恕下さい。「公正な評価」ですが、私は前回、間違って申し上げたと思います。高みから教師の人格云々を評価するような意味にとってしまっていました。 馬鹿正直さんや Gokai Sezutomoさんがおっしゃる、企業内評価と同じような意味での「評価」、つまり授業の上手さや工夫、生徒に伝わるものでなら、先生の評価もあってしかるべきでしょう。私の知っている元大学教授は、自分の授業を生徒に評価させていました。そして評価無しはおかしいとつねづね言っておりました。生徒の評価だと、面白い話ぶりの教師に点が入りそうという風に危惧されるかも知れませんが、内容が薄いと、けっこう手厳しく批判されるそうです。 以前に中学の授業参観で、小さな声でぼそぼそと教科書の説明だけの歴史の授業に唖然としたことがあります。参観なのに寝ている生徒もいましたが、聞いていてなんの面白みもなく、私は授業参観の感想に、バッチリ文句を書きました。自分の授業を生徒に興味を待たせることは、教師の最低限の勤めだと思います。そういう意味で、生徒による教師の評価はなされるべきだと思います。 この前、オープンな学校としてあげた、教師も互いの授業を見合う学校では、それに教師同士の評価が加わります。私が見た時は、上手く行かなかった総合学習に対して、どのような工夫が必要だったか、先生同士のアドバイスが飛び交っていました。私は教室がオープンであれば、「先生の評価」を事改めてしなくても、お違い見あうことが評価をしあうことになり、授業の質を高めていると実感しました。 1に生徒、2に同僚、3に親たち、の評価は、教頭や校長がする評価より「公正」になるのではないでしょうか? しかし教師を評価するとしても、私は基本的には大部分の教師が(上手く行く、行かなかったなどあれども)、生徒達によかれと努力しているであろうという前提に立っての評価をしたいと思っています。こんなでお返事になっているかなあ……。 |
▼珠さん: 横から無理やり返事をお願いしたようで申し訳ありませんでした。 「公正な評価」という点で大きな違いがなかったことに安堵しています。 >1に生徒、2に同僚、3に親たち、の評価は、教頭や校長がする評価より「公正」になるのではないでしょうか? 特にこの箇所は私が考えている内容と同じです。1,2,3だけでなく、もっと社会全体を巻き込んだ評価が出来ればさらに公正になるでしょう。それと透明性ですね。 ありがとうございました。 |
▼珠さん:こんにちは、ご意見有難うございます。 >私も教育問題は素人です。母親だし、PTAもしたのと、仕事で少々学校を訪問したくらいです。だから教えることなんて何にもありません。ただ感じていること、思っていることを申し上げただけですので、その点御寛恕下さい。「公正な評価」ですが、私は前回、間違って申し上げたと思います。高みから教師の人格云々を評価するような意味にとってしまっていました。 > >1に生徒、2に同僚、3に親たち、の評価は、教頭や校長がする評価より「公正」になるのではないでしょうか? しかし教師を評価するとしても、私は基本的には大部分の教師が(上手く行く、行かなかったなどあれども)、生徒達によかれと努力しているであろうという前提に立っての評価をしたいと思っています。こんなでお返事になっているかなあ……。 世間というのは、教育に対して、公正かどうかは別にして、評価を下しているのではないかと思っています。 馬鹿正直さんも同様で評価を下していると思うのです。 つまり、企業は厳しい世界で頑張っているが、教育現場は「ぬるま湯だなー」ということでしょう。 これは結構、多い感想ではないかと思います。 でも違う評価もあります。 珍源斎さんは「考える癖をつける教育が不十分だ。」です。私もそうです。 また、近頃の若者の嗜好、言動、態度、コミュニケーションの技量不足、犯罪、人格形成の完成度、不登校、ニートの増加、などなど、 これらを教育の不備不良として、評価しているのではないでしょうか? けれどもこの評価が公正なものかどうかは別だと思います。 というよりも正しい評価ではどうなのかとの問いに、 タブーなしで、そろそろ人々が性根を入れて考える時期に来ているように思います。それともまだ、切羽詰ってはいないのでしょうか? ところで、珠さんの目では、 高卒時ぐらいの年齢での平均的若者に、「公正、公平」という感覚が正しく身についていると思われますか? もしこれが身についているのなら、経済的問題が良好なら、日本の将来も少しぐらいは、まだ期待がもてるかな??・・と思うのです。 この件に関しましてはコメントくだされても宜しいですし、 お心に留め置いていただいても結構です。 お忙しいのに無理にお付き合いさせてしまいました。有難うございました。 |
諺に、親は無くとも、子は育つ。可愛い子には、旅をさせろ。百獣の王ライオンは、我が子を谷底に落とす。と色々有りますが、これは自ら色々な事を体得する事で、生きる糧に成ると言う事です。 今の教育の内容と、実社会とはあまりにもかけ離れています。例えば、学校を出て実社会に出ると、先輩は仕事に付いてのノウハウを、教えては呉れません(対価になると判断した場合は別ですが)、むしろ、嘘や混乱するような事を企むのです、なぜなら、先輩は、ノウハウを教えると自分の存在価値が減るからです。私も、いろいろな仕事をしましたが、これが、現実で、私が先輩になった場合でも、やはり苦労して培ったノウハウを、教えたく有りませんでした。私もそうですが、おそらく、だいたいの方は、先輩方も,先生方も,PTAの方も、戦後の学校教育を受けたにも係らず、これが現実だと思います。 だから、結局は、自らあ〜でもない、こ〜でもないと試行錯誤して、体得していくしかないのです、人は教えてくれません。これが現実だと思います。 学校は、先生方が生徒を教え育てる(教育)と言う考え方ではなく(上に挙げた様に、非現実的)、生徒自らに、実社会全般(仮想も含めて)の色々事を、体得できる場をより多く、提供すると言う事を元とし、これに肉付けした方が、良い様に思われます。 |
▼真人間さん: おっしゃっている事はユニークではありますが、ひとつの方向ではあるでしょうね。 >学校は、先生方が生徒を教え育てる(教育)と言う考え方ではなく(上に挙げた様に、非現実的)、生徒自らに、実社会全般(仮想も含めて)の色々事を、体得できる場をより多く、提供すると言う事を元とし、これに肉付けした方が、良い様に思われます。 想像をたくましくおっしゃる事を再現すると:− 1.読み書きそろばんは教える=教師が必要=小学校6年で十分 2.あとは実践で働きながら実社会を経験し適宜指導を受ける=教師不要 3.本人の自覚なり自信の程度により就職する=卒業 あたりになるんでしょうか。 専門知識を蓄積するためには小学校以降でも教師について勉強しなければなりませんね、これも本人の選択に任せるでいいのか。 |
▼馬鹿正直さん: >▼真人間さん: >おっしゃっている事はユニークではありますが、ひとつの方向ではあるでしょうね。 > >>学校は、先生方が生徒を教え育てる(教育)と言う考え方ではなく(上に挙げた様に、非現実的)、生徒自らに、実社会全般(仮想も含めて)の色々事を、体得できる場をより多く、提供すると言う事を元とし、これに肉付けした方が、良い様に思われます。 > >専門知識を蓄積するためには小学校以降でも教師について勉強しなければなりませんね、これも本人の選択に任せるでいいのか。 やはり、6,3,3,4制の間は、先生はいます。ただ、あくまで生徒が主役で、先生は、生徒の補佐役です。先生は、それぞれの生徒が、将来どうゆう社会人になれば幸せになれるか、実社会を手本にし、体得できる場を設定し、生徒に体験させて見極めてゆく、その過程で個々の生徒にアドバイスなり、面談なりして、その生徒の方向性を確認する。そして、その記録を生徒個々人の履歴として残し、社会人になるまでずーっと続ける。生徒は社会人になる時に、その履歴を参考にすることができる。 例え、生徒の一人が、八百屋に成ろうとも、学校で先生が生徒みんなの為に設定して呉れた、実社会のモデルを忘れないと思うし、例え、八百屋でも、その事が、人間生きて行く上で役に立つと思います。 |
真人間さん はじめまして! >諺に、親は無くとも、子は育つ。可愛い子には、旅をさせろ。百獣の王ライオンは、我が子を谷底に落とす。と色々有りますが、これは自ら色々な事を体得する事で、生きる糧に成ると言う事です。 考え方としては、これが基本でないでしょうか・。 >今の教育の内容と、実社会とはあまりにもかけ離れています。例えば、学校を出て実社会に出ると、先輩は仕事に付いてのノウハウを、教えては呉れません(対価になると判断した場合は別ですが)、むしろ、嘘や混乱するような事を企むのです、なぜなら、先輩は、ノウハウを教えると自分の存在価値が減るからです。私も、いろいろな仕事をしましたが、これが、現実で、私が先輩になった場合でも、やはり苦労して培ったノウハウを、教えたく有りませんでした。私もそうですが、おそらく、だいたいの方は、先輩方も,先生方も,PTAの方も、戦後の学校教育を受けたにも係らず、これが現実だと思います。 真人間さんが とのような職種について仰有ってるのか判りませんが、 技術を伴うことを教えようとする時・技術の核心については言語系を 超えた部分が必ずあります。手取、足取りで教えることが叶わぬ場合が 多々あります。昔から技術は盗むように覚えろ・と云うのもその辺りに あるのでは・無いでしょうか。 あとは教えを請う側の意欲の問題です。仕事を覚えたいと真摯な態度が みられると教えを請うにしても教える方にしてもその辺の接点が大切の ように思えます。 それ以外ではアメリカ式の徹底したマニュアル化ですが複雑な要素の ある仕事では難しいかも知れませんね・。 >だから、結局は、自らあ〜でもない、こ〜でもないと試行錯誤して、体得していくしかないのです、人は教えてくれません。これが現実だと思います。 その試行錯誤の上にたどり着くことが真に仕事を会得することで これは昔も今も変わりありません・・。 学校で本来教えて欲しいことは基本となる読み書きとソロバンと云われてる 数学の基礎であとはそれを活用して考える能力・知識が知恵に発展する 想像力も含めたものが必要に思えます。 現在、信じられないことですがある大卒の女性に仕事を依頼したら 私は習ってないから出来ません・とのこと。 例え・その時点で判らなくても率直に教えを請う姿勢と熱意があれば すぐに修得する機会が得られるのに・と考えさせられる事も多々あると 企業の新人教育の担当者から聞いたことがあります。 受け身として教えを受けるのではなく能動的に求める形として 学習することが大切です。 先生や教育システムについて云々するより学びとはこのような ものだとシッカリとした考え方を教えることが基本ではないでしょうか・。 システムや方法論で無い処に基本があるように思えます。 |
▼珍 源斎さん: >真人間さん はじめまして! > >>諺に、親は無くとも、子は育つ。可愛い子には、旅をさせろ。百獣の王ライオンは、我が子を谷底に落とす。と色々有りますが、これは自ら色々な事を体得する事で、生きる糧に成ると言う事です。 > >考え方としては、これが基本でないでしょうか・。 > >システムや方法論で無い処に基本があるように思えます。 そうですね、そのモヤモヤとしたものが、明文化されて新しいシステムと成る事が、”モアーベター”ですね。 |
▼真人間さん(46811): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >むしろ、嘘や混乱するような事を企むのです、なぜなら、先輩は、ノウハウを教えると自分の存在価値が減るからです。(中略)おそらく、だいたいの方は、先輩方も,先生方も,PTAの方も、戦後の学校教育を受けたにも係らず、これが現実だと思います。 との表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」および 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触する可能性がありますのでご注意申し上げます。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |