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 ▼高校スポーツに見る老人力  流水 04/3/22(月) 13:13
   ┣Re(1):高校スポーツに見る老人力  団塊党 04/3/26(金) 21:16
   ┃  ┗Re(2):高校スポーツに見る老人力  流水 04/3/26(金) 23:30
   ┃     ┗Re(3):高校スポーツに見る老人力  団塊党 04/3/27(土) 7:47
   ┗Re(1):高校スポーツに見る老人力  ワクチン 04/3/28(日) 10:06
      ┗Re(2):高校スポーツに見る老人力  流水 04/3/28(日) 14:25
         ┣Re(3):「高校スポーツ」に一言!  koga 04/3/28(日) 16:35
         ┃  ┗Re(4):「高校スポーツ」に一言!  流水 04/3/28(日) 20:56
         ┃     ┗Re(5):「高校スポーツ」に一言!  koga 04/3/29(月) 13:23
         ┗Re(3):高校スポーツに見る老人力  虎キチ大好き 04/3/29(月) 0:35
            ┗Re(4):高校スポーツに見る老人力  流水 04/3/29(月) 22:16

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 ■題名 : 高校スポーツに見る老人力
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/3/22(月) 13:13
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   今年も選抜の季節が来た。一昨年選抜で優勝したのは、勇退された木内監督率いる茨城の常総学園。
当時、木内監督は67才、かって取手二校を優勝に導いた名物監督である。
春高バレー男子で優勝した深谷高校の監督も60歳。
今年も春高に出場する名門八王子実践の菊間監督も67才である。
大久保・平山で有名なサッカーの国見高校小峰監督も60才、引退したがラグビーの埼工大深谷の森監督も60半ばであった。
駅伝の名門、兵庫の西脇工業の渡辺監督も60を越えている。
このように見てくると,高校スポーツには老人と言って良い年齢の指導者が多数存在する。

その道一筋に賭けた執念の賜物と言ってしまえばそれまでだが、彼らに共通する事はいずれも若い時滅茶苦茶な練習を子供に課し、子供の反発を買い、失敗をした深刻な体験を持っている事である。
現在でも彼らのチームの練習量は人後に落ちないが、その練習に取り組む選手の意識が決定的に違っている。
選手の意欲をどのようにして掻きたて、どのようにして自らを苦しい練習に投げ出すか、を彼らは見事にやってのけている。
 
【鍛錬】と【自主性】というともすれば二律背反に陥りやすい命題を見事に融合させる指導力が彼らの秘密である。
彼らの指導形態は、東京オリンピックの女子バレーの監督大松博文のような猛烈なしごきとは明らかに相違する。
1、明快な目的意識―【勝つ】
2、チームスポーツに必要な人間関係の構築―単なる仲良しクラブを超え、競争意識を根底に置いたチームワーク
3、【鍛錬】の合理性・科学性の追及― 一つ一つの練習の意味の浸透。
4、【自主性】を如何にして育てるか― 如何にして目的意識を持たせ、練習で自分を鍛える事の意味を感得させるか
5、チーム内の不満分子を如何にして変えるか ― 不平・不満は空気伝染する。どのようにして、不平・不満を吐き出させ、不平・不満をチーム再編のエネルギーに変えるか。

6、プロ意識と教育的配慮の共存 ― 全国制覇する事は,技術的にはプロ意識を持たなくては不可能である。同時に、学校は教育の場である。落伍する生徒に対する配慮を忘れたら、その業績の価値は半減する。
この高い次元での共存が強豪チームの必須条件である。
7、高校スポーツは、3年たったらもう一度最初からやり直しである。積み重ねが基本的に出来ない構造になっている。だからこそ、3年後の生徒の姿を見とおした練習と生徒の資質を見抜く目が重要になる。

木内監督が、【観察眼だけは誰にも負けない】と語っていたが、学校スポーツの指導者ならでは言葉である。

このような条件を満たす指導を行うためには、かなりの経験が必要である。特に何年も続けて全国の強豪でありつづけるには、想像を超えた能力が要求される。
これが、高校スポーツ界における老人力の秘密であろう。

今回のサッカーの日本A代表の問題は、上記の5の問題である。チームスポーツでは、レギュラーと控えの問題は宿命である。これをどのようにクリアーするかで、チームの成績は全く違う。
これを補うのが、監督の【言葉】の力であるが、ジーコ監督にはこの【言葉】が欠けている。そのためには、これを補う補佐役が求められる。
チームを率いるときに注意しなければならないのは、誰が見ても正当なことが、子供に届かないことがままある。
これは、会社であろうが何であろうが人間の集団にはよくある。
高校スポーツの指導者に老人が多いのは、【正しいことを、子供の心に届ける力】が優れているからである。

現在の世の中は、老人達にとっては辛い時代である。情報化時代は、人の業績を一過性のものにしてしまい、過去の栄光もちりあくたの如く扱われる。
【古い】の一言で老人たちの経験も見識も見向きもされない。

しかし、高校スポーツの老人たちの活躍を見ても分かるように、老人たちは【人間を見る目】と【正しいことを届ける力】だけは、若い者には負けない。このような老人力を大切にしない社会は、健全な発展は望めないと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/3/26(金) 21:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>【鍛錬】と【自主性】というともすれば二律背反に陥りやすい命題を見事に融合させる指導力が彼らの秘密である。

スポーツの世界だけでなく、教育の世界でも会社その他の世界でもこの二つが両立しているケースは非常にまれではないかと思います。

最近の風潮は特に鍛錬を軽視しがちです。
学校ではようやくこのことが見直されつつありますが、自主性も融合させながらとなると、まだそこまでは行っていません。
そのような考え自体が見落とされているような気がします。

日本人というのはどうも極端に走りやすいところがありますね。
その結果、高度経済成長が実現した面はあると思いますが・・・
ニチボー貝塚の存在はまさに時代の空気を反映していたのかもしれません。

1〜7は指導者の大切な条件ですね。
5の「不平不満をはき出させ、それをチーム再編のエネルギーにどう変えていくか。」
これなどは特にどんな指導者にも求められる資質じゃないかと思います。

>【古い】の一言で老人たちの経験も見識も見向きもされない。
>
>しかし、高校スポーツの老人たちの活躍を見ても分かるように、老人たちは【人間を見る目】と【正しいことを届ける力】だけは、若い者には負けない。このような老人力を大切にしない社会は、健全な発展は望めないと思う。

その通りだと思います。
老人の蓄積されてきた技術や技能、人間的な力を活用しない手はないのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/26(金) 23:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>最近の風潮は特に鍛錬を軽視しがちです。
>学校ではようやくこのことが見直されつつありますが、自主性も融合させながらとなると、まだそこまでは行っていません。
>そのような考え自体が見落とされているような気がします。

わたしから言わせると、VS型思考がこの元凶です。AVSBという二元論型思考が、縛っているのです。「鍛錬」VS「自主性」ではないのです。鍛錬というと指導者がしごく、というイメージでものを考えるから、袋小路に入るのです。この場合、自主性が主体になります。自主的に自分を鍛錬するという構図をいかに実現するかが、指導者の腕です。

この自主性を掻き立てるのが、「集団」というイメージで考えてもらえると、VS型思考の不毛さが見えると考えています。

>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/3/27(土) 7:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>わたしから言わせると、VS型思考がこの元凶です。AVSBという二元論型思考が、縛っているのです。「鍛錬」VS「自主性」ではないのです。鍛錬というと指導者がしごく、というイメージでものを考えるから、袋小路に入るのです。この場合、自主性が主体になります。自主的に自分を鍛錬するという構図をいかに実現するかが、指導者の腕です。
>この自主性を掻き立てるのが、「集団」というイメージで考えてもらえると、VS型思考の不毛さが見えると考えています。

[自主性」という言葉には手あかがついてしまいましたが、「鍛錬」という全く別の概念が結びつくと、一気に新鮮に響いてくるから不思議ですね。
集団の中での「協力」と「競争」も対立的に捉えられますが、それを流水さんは融合させていますね。

ニュートンが万有引力を発見したのは、「リンゴは落ちるのに、月は何故落ちないか。」という問題を発見したからだそうです。湯川秀樹がどこかに書いていました。
全く別の概念を結びつけると、そこに今までにない新しいものが生まれるということでしょうか。面白いなと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : ワクチン  ■日付 : 04/3/28(日) 10:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
私的には高校に限ってみると、運動系、音楽系等の部活で全国大会の常連校は県代表といいながら多くは他県出身が多いことが気に入りません。当然例外もありますが、特に私立は殆どがそうなっています。甲子園なんかでは当たり前のようです。これはこれでいいとう考えかた(エリートを養成する)もあるかもしれませんが、なにか・・・いまひとつです。与えられた環境の中で一生懸命にやっている高校はその全国から集めてきたエリート校の為にそれ以上上にはいけません。

すみません、老人力とは関係なかったかもしれません

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/28(日) 14:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワクチンさん:
>▼流水さん:
>私的には高校に限ってみると、運動系、音楽系等の部活で全国大会の常連校は県代表といいながら多くは他県出身が多いことが気に入りません。当然例外もありますが、特に私立は殆どがそうなっています。甲子園なんかでは当たり前のようです。これはこれでいいとう考えかた(エリートを養成する)もあるかもしれませんが、なにか・・・いまひとつです。与えられた環境の中で一生懸命にやっている高校はその全国から集めてきたエリート校の為にそれ以上上にはいけません。
>
>すみません、老人力とは関係なかったかもしれません

現在はもっと酷くなっています。駅伝などは、外国人留学生が増えています。その意味では、学校スポーツの持っていた教育的意味は、変質していると思います。
日本の学校スポーツが、「競技スポーツ」に重点を置くのか、「スポーツ」に重点を置くのか、今までのように「体育」に重点を置くのか、根本的な議論が必要な時代に入っていると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):「高校スポーツ」に一言!  ■名前 : koga  ■日付 : 04/3/28(日) 16:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワクチンさん:
>>▼流水さん:
>>私的には高校に限ってみると、運動系、音楽系等の部活で全国大会の常連校は県代表といいながら多くは他県出身が多いことが気に入りません。当然例外もありますが、特に私立は殆どがそうなっています。甲子園なんかでは当たり前のようです。これはこれでいいとう考えかた(エリートを養成する)もあるかもしれませんが、なにか・・・いまひとつです。与えられた環境の中で一生懸命にやっている高校はその全国から集めてきたエリート校の為にそれ以上上にはいけません。
>>
>>すみません、老人力とは関係なかったかもしれません
>
>現在はもっと酷くなっています。駅伝などは、外国人留学生が増えています。その意味では、学校スポーツの持っていた教育的意味は、変質していると思います。
>日本の学校スポーツが、「競技スポーツ」に重点を置くのか、「スポーツ」に重点を置くのか、今までのように「体育」に重点を置くのか、根本的な議論が必要な時代に入っていると思います。

「高校スポーツ」に一言!

最近、特に、全国高校上位クラスのスポーツの本質が変った。名目は外国人の日本への留学である。本来の高校教育から逸脱した、一種のプロ傾向にあるのは遺憾であるが、、。                                   

例えば、仙台育英=ラグビー、駅伝、野球。延岡学園、バスケット。正智深谷=ラグビー、他、等、、。現状は、高校のPR(売名)にスポーツを活用しているのか、、。

現在、少子化で高校運営が困難になった。数校の倒産の噂もある。だから、受験生の勧誘が酷い。特定の私学は知名度確保の為、宣伝にスポーツを強化した様に思うのだが、、。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):「高校スポーツ」に一言!  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/28(日) 20:56  -------------------------------------------------------------------------
   ▼kogaさん:
>
>例えば、仙台育英=ラグビー、駅伝、野球。延岡学園、バスケット。正智深谷=ラグビー、他、等、、。現状は、高校のPR(売名)にスポーツを活用しているのか、、。
>
>現在、少子化で高校運営が困難になった。数校の倒産の噂もある。だから、受験生の勧誘が酷い。特定の私学は知名度確保の為、宣伝にスポーツを強化した様に思うのだが、、。

昔から私立高校はスポーツを宣伝に使っていました。ただ、昔の私立は、スポーツで名を上げると、次は受験校に転換を図っていました。最近は、この傾向より、生き残り戦略の一環としてスポーツを利用している傾向が顕著です。
問題は、抜きん出た外国人留学生を迎え入れた学校(例:駅伝の仙台育英)に対抗するためには、ほとんどプロ的な練習が求められます。
これが、高校スポーツを活性化させるのか、衰退させるのかの問題と、あまりにも「競技スポーツ」に傾斜しすぎると、スポーツを愛する人口が減少するという問題があります。
このあたりも考えなければならない時期に来ています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):「高校スポーツ」に一言!  ■名前 : koga  ■日付 : 04/3/29(月) 13:23  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>>
>>例えば、仙台育英=ラグビー、駅伝、野球。延岡学園、バスケット。正智深谷=ラグビー、他、等、、。現状は、高校のPR(売名)にスポーツを活用しているのか、、。
>>
>>現在、少子化で高校運営が困難になった。数校の倒産の噂もある。だから、受験生の勧誘が酷い。特定の私学は知名度確保の為、宣伝にスポーツを強化した様に思うのだが、、。
>
>昔から私立高校はスポーツを宣伝に使っていました。ただ、昔の私立は、スポーツで名を上げると、次は受験校に転換を図っていました。最近は、この傾向より、生き残り戦略の一環としてスポーツを利用している傾向が顕著です。
>問題は、抜きん出た外国人留学生を迎え入れた学校(例:駅伝の仙台育英)に対抗するためには、ほとんどプロ的な練習が求められます。
>これが、高校スポーツを活性化させるのか、衰退させるのかの問題と、あまりにも「競技スポーツ」に傾斜しすぎると、スポーツを愛する人口が減少するという問題があります。
>このあたりも考えなければならない時期に来ています。

日本人でも、外人でも、高校生のスポーツ選手の活動は、本人の能力次第だから、何処の高校で努力しても良いが、一部、私立高校のプロ化(商業主義)現象が駄目だと思う。                     

即ち、一部の高校のプロ化(商業主義)傾向に、便乗したブローカから、選手に金銭が動くことを聞いた。教育の場が湾曲し、汚染され、本質を逸脱するから残念と思うが、、。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 04/3/29(月) 0:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>現在はもっと酷くなっています。駅伝などは、外国人留学生が増えています。その意味では、学校スポーツの持っていた教育的意味は、変質していると思います。
>日本の学校スポーツが、「競技スポーツ」に重点を置くのか、「スポーツ」に重点を置くのか、今までのように「体育」に重点を置くのか、根本的な議論が必要な時代に入っていると思います。

横からの割り込み失礼します

私は高校スポーツは好きですが別に競技スポーツに力を入れる私学が出ても構わないと思います。

それは何故か私学と言うのは学校法人にはなっているものの教育をする一つの会社ですからその会社(私学)の経営者(理事長)が何を教育と見るのかと言うのは本来経営者の経営方針によって進学率に力を入れる学校、甲子園に出場する事が目標の学校、甲子園優勝とかプロ予備軍を発掘教育する為の学校等があるはずで
そういう学校(私はスポーツ校と呼んでます)は甲子園自体が教育の場と見てる訳だから私はそれで構わないと思います

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):高校スポーツに見る老人力  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/29(月) 22:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼虎キチ大好きさん:

>
>>それは何故か私学と言うのは学校法人にはなっているものの教育をする一つの会社ですからその会社(私学)の経営者(理事長)が何を教育と見るのかと言うのは本来経営者の経営方針によって進学率に力を入れる学校、甲子園に出場する事が目標の学校、甲子園優勝とかプロ予備軍を発掘教育する為の学校等があるはずで
>そういう学校(私はスポーツ校と呼んでます)は甲子園自体が教育の場と見てる訳だから私はそれで構わないと思います

私学の経営戦略として、スポーツに力を入れるのを誰も否定していませんよ。この問題は何も今に始まったことではないですからね。
わたしの言っていることは、このようなあり方が行き過ぎると、学校スポーツそのものの意味が変質してしまいかねないということです。
陸上にしろ、甲子園にしろバレーにしろラグビーにしろ、【競技スポーツ】です。【競技スポーツ】は、必ずプロ的な状況を招くし、それが宿命です。
これが、本来的なスポーツの意味をなくしてしまう可能性があるので、このあたりをきちんと論議しなければならないと主張しているのです。

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